松風 VS 赤兎馬

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【松風】
国産馬。距離1000〜1800 ダート適正△
戦績=マイルチャンピオンシップ(GI)優勝×2回 皐月賞(GI)3着 安田記念(GI)優勝 高松宮記念(GI)優勝 フェブラリーステークス(GI)3着
短距離〜マイル戦では無類の強さを誇る。鋭い切れ味が武器の追い込み馬。ダービーでは明らかに距離が足りず惨敗。主戦は前田慶次。気性は荒い。やや早熟。

【赤兎馬】
外国産馬。距離1600〜3000 ダート適正◎
戦績:菊花賞(GI)優勝 日本ダービー(GI)2着 天皇賞春(GI)優勝×2回 阪神大賞典(GU)優勝×2回 ジャパンカップ(GI)優勝 有馬記念(GI)優勝
豊富なスタミナでレースをリードする長距離馬。得意戦法は逃げ。主戦は呂布、関羽。同期デビューに松風がいたため、マイル戦、短距離戦では勝てなかったが、古馬になると本格化し、立場は逆転する。
2無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:00
3無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:01
【馬超】
無駄に派手。強いよー。危ないよー。
セキトバの勝ち
はい、スレ終了
5無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:02
4
64:04/04/11 21:03
(`д´#) モウコネエヨ、ウワァァァァァァン!
7流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/04/11 21:05
マキバオーに馬超と沙摩柯って馬いましたね
私は松風みたいな馬好きだけどな・・・。
9無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:06
【騅】
外国産馬距離1600〜3000 ダート適正◎
戦績:凱旋門賞 BCターフ キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス 英ダービー 英2000ギニー
BCクラシック ドバイワールドカップ ジャパンカップ
主戦は項羽
>>7
尼子もいたね。ワクチン。
11無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:08
>>1は無双オタ
12無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:13
【的廬】
1400〜2400
新馬         1着(劉備
ラジオたんぱ杯3歳S 1着(劉備
弥生賞        1着(劉備
皐月賞 競争中止 予後不良(ホウ統 落馬死亡
13無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:14
鳳統が予後不良かよ!(藁
14無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:20
【黒駒】
国産馬1600〜3000 ダート適性◎
主戦は厩戸皇子(聖徳太子)
>>12
的廬って不運そうだよな・・・。
そういう馬ってつい応援してしまうんだがw
16無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:23
【生食】
国産馬1400〜2000 ダート適性○
主戦は佐々木高綱

【磨墨】
国産馬1100〜1500 ダート適性×
主戦は梶原景季
17無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:26
三戦時代の馬について語るスレになりますた
18無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:26
【トウホウフハイ】
外来馬3000〜 ダート適性◎
主戦はジョニー(FFZ)
19無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:31
戦国時代の馬って見かけはしょぼいんでしょ?
一日に2000里を走るって可能なのか?
21無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:34
>>19
道産子タイプ。
3歳位がいい。おとなしくて、小さい。従順。

3行目だけみると、ロリオタの文章だな
22無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:39
赤兎馬は強すぎるよな
好勝負になりそうなのは短距離でのザテトラークぐらいか
なんで松風と赤兎馬なんだろう・・・まさかむそ(ry
24無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:46
エポナ
ハイラル産 特性 障害 ダート
主戦はリンク
251:04/04/11 21:46
>>23
ゴメ。メジャーどころでそれくらいしか思いつかなかったのです。

三国志と戦国時代の早くて強い馬って他にいましたっけ・・・。
>>25
早くて強いかワカンねえけど、放生月毛とか?
271:04/04/11 21:59
放生月毛はなんとなく名脇役な馬っぽいな・・・イメージ的に。好きなヒトスマン

【放生月毛】
国産馬。距離1000〜2000 ダート適正◎ 障害◎
主戦は上杉謙信。こんな感じかしら?
28流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/04/11 21:59
>>10
日本の馬は戦国系ばかりでしたね。
騎手小島が鬼小島の異名を持つってのはリアル競馬と戦国ネタとで二重に笑いました。
29無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:11
赤兎逃げる!
放生月毛伸びない!
大外から松風がやってくる!
放生月毛はいっぱいか!

こんなんじゃね?
川中島とか山のごてごてした障害っぽいところでは
放生月毛は強そうだけど。
30無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:19
>>21
サンクス。
じゃあ武田騎馬軍はしょぼい・・・・・
3121:04/04/11 22:27
おとなしいと言っても、あくまでも「比較的」だから、
体高150cm以下と言っても、結構強い
32流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/04/11 22:29
騎馬鉄砲スレにも張ったやつだけど、当時の名馬と言われた木曽馬についてまとめられたサイト。
よければ参考にドゾ。

ttp://www.janis.or.jp/users/n-takeru/
>>32
dクス
しかしなんか頭でかくて妙にかわいいな・・・。
「花の慶次」(マンガ)で初めて松風を知った漏れからすると、
松風が想像しにくいんだが(藁
34無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:43
松風は外来馬の一種じゃないか?
渡来人が逃がしてしまった一匹が地元の馬と繁殖するという可能性は十分考えられる。
35無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:46
絶影はペルシャ産だっけ?
36無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:53
山内千代が夫のために買った馬。名前はシラネ。
37無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 23:03
絶影はサンデーサイレンス産駒っぽいイメージがあるな・・・。

まるっきり偏見なんだがw
>>31
比較的にしても、決しておとなしくはない。
日清以降の近代戦で外国から「馬の形をした猛獣」と呼ばれ、
戦場では、銃弾による負傷者より馬に蹴られたり噛まれたりの負傷者の方が多かったという話は有名。
品種改良の進んでない馬は、たいてい気性も荒い。
しかも武士たちは、「生食」という名前が示すように、蹴り癖や噛み癖といった気性の荒い馬を好んだ。
体高は、120〜130が普通。まれに150以上の馬もいたという記録があるが……。
「ショボイショボイ」を連呼してるやつらは、現代の競走馬と古代や中世の馬を
バカ正直に比較してないか?

各時代の馬にもとめる方向性や名馬の基準を考えないといかんと思うんだが。
現代に限らず、同時代のルイス=フロイスなども、
「われらの国に比べると日本の馬は著しく劣る、日本の最良の馬でも、
我が国ではマキ運びがせいぜい」
などと記している(もっとも、欧州の中でもイベリア半島は名馬の産地、という事情もあるが)。

中国の王朝が、いかに西域の名馬を熱望したか、
また、明治以降の日本がいかに苦心して馬の体格改良を図ったか、
ということを考えるに、やはりショボイと思う。
名馬の話か……

なんだか、晋の献公や秦の穆公の話を思い出した。
42無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 17:46
>>41
 詳細キボン
唇滅びて
44無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 18:13
戦国時代の日本の馬が弱かったとはとても思えんが、、。

戦国武将と中国軍の、騎馬部隊同士の戦闘の時は、
3倍以上の中国の馬をボロ雑巾にしてたみたいだし。

(シナ兵の騎手が弱過ぎた可能性もあるが、、。)
日本原産馬を放牧している牧場みたことあるけど、
体格は確かにサラブレッドとかには劣るけど、ロバみたいと揶揄されるほどでは
なかった。普通にでかかった。
46無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 18:33
ラオウが乗ってる馬なんだっけ?あれ最強
>>46
黒王号
>>42
>>43が少し匂わせてるけど、晋の献公の方は、屈の名馬を所有していて、
これが近隣に聞こえるほどの名馬であったらしく、これと翠棘の壁を餌にして
二国を攻め獲った話。要するに唇亡歯寒の故事。

秦の穆公の方は二つあって、ひとつは、名馬を盗んだ群盗を許したところ、
後に晋との間で起こった韓原の戦いで、危機に陥ったところをその群盗に
救われた話。
もうひとつが、秦の穆公の臣に孫陽という馬の目利きで中華に聞こえた
人物がいて、彼が推した後任が、実は秦の穆公には見抜けないほどの
目利きの達者であった、という話。
孫陽という名よりも、後世の伯楽の通称で知られた人物かも。
諸葛謹之驢馬
50無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 23:14
>>48
 ありがd
当時の皇帝にとって、名馬を入手することは国家事業だったというわけか。
確かに今で言えば戦車や戦闘機の開発競争みたいなものだからな。
ちょっと聞きかじった話。

漢楚の抗争が集結した直後は馬の欠乏があまりに甚だしく、
皇帝・劉邦ですら、四頭立ての馬車をしたてられなかったとか。
>>45
明治以降に洋種の血が混ざったり、飼育環境が変わったりで大型化してきてるという
話は聞くね。
あと、ロバを馬鹿にしてはいかん。中国には、大驢といって、体高150〜160とかいう
その辺の馬より大きいロバがいるらしい。

>>49
その話も、東アジアにおけるロバの家畜化の歴史を考える上で重要な史料なのかもしれない。
54無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:23
>>52
 武帝も、匈奴征伐の時に民衆から馬を徴発しながら進軍したらしいな。
55無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:27
大宛馬ってなに?
>>55
大宛国(フェルガナ)が産地の馬
性能良かった
57無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:33
>>55
武帝が大宛(フェルガナ)から、李広利にとってこさせた、汗血馬の事でねぇ?
58無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 22:02
寄生虫のせいで血が出るんだよね
5957:04/04/15 20:22
>>58
 俺は、冬とかに霜焼けみたいので痒くなった部分をかんだりするから、皮膚が薄くなった部分から血が出るって聞いた。
60百段:04/04/15 22:58
ぶっちゃけ俺の方が速いしwww
61無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 18:11
>>60
 俺は100mを7秒で走って、遅刻しないように登校したい
無双の伊達政宗はなんで汗血馬に乗ってるんだろう
コクオーがいない
>>38>>40>>44
イエズス会の宣教師が日本の馬を「戦となれば敵を蹴り殺し、噛み付く」と本国に報告してる。
西洋には馬を去勢する習慣があったけど、日本では馬を去勢する事がなかった。
これは小柄で臆病だから獰猛という事もある。
宣教師達は「小柄だが気が荒く、暴れ出したら鉄棒で殴っても落ち着かない」とも報告している。
65無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 18:00
>>64
西洋には見られない道具もあるしな。
鼻ねじ棒とか。
66無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 16:57
>>65
何だそれ?
馬鹿。
最強場は的櫨さ・・
        ↑
 木へん除く

無類の強運を発揮
>>64
まさに生物兵器ですな。
69無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 23:45
的ロって葦毛?
70無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 18:23
>>66
 鼻ねじ棒っつーのは、馬が暴れた時、近付くと危ないから、馬の鼻に差して、おとなしくさせるための棒。
 一応、戦陣に立つ者の心得とされて、後の十手術の基本にもなった。
>>69
っていうイメージがある
72無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 20:07
>>64
怖いねー
ハルウララに乗る呂布
関係ないけど三国時代には鐙はなかった
鞍ならあったが
>>69
原作にも、正史の注で引かれてる『世語』にも、毛色の記述はないんだけどね。
的盧というのは本来、額のあたりに白い点(星)があって、目の下に涙槽があるって馬相だとか。
額に白い点というのは、こんな感じか?(写真は、シンボリルドルフ)
ttp://sports.yahoo.co.jp/horse/saikyou/symbolirdolf/images/photo_index.jpg
涙槽というのはよくわからんが、人間でいえば國府田マリ子のような目だろうか。
横山三国志だと、顔に作があって四本の足にソックス、というヤエノムテキみたいに書かれてたね。

ちなみに芦毛のイメージができたのは、落鳳坡で劉備がホウ統に貸した馬が白馬だったからか。
もっとも、その劉備が貸した馬が的盧であったという記述はどこにもないわけだが。
「的」の字に白の意味がある、という話があるが、これも関係しているかもしれない。
もっとも、だとしてもその「的」が指す白は本来、毛色でなく白斑のことだと思うが。

ちなみに、「的盧」という語について、馬相の用語であって固有名詞ではない、
と書いてあるところもあるが、それは間違いで、
義経の愛馬「太夫黒」やホームズの「流星号」みたいに、毛色や白斑といった
馬体の特徴がそのまま馬の名になるというのはよくあること。
76無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 17:46
>>74
つーか鐙って、いつ頃中国や日本に伝播したんだ?
同じアジアだから、そんなに遅くは無いと思うのだが・・・
中国だと、AD4世紀、つまり晋の時代のものとされる東北部の墓から鐙が出土している。
これが記録上最古だが、遡る可能性もあるかも。
日本だと、古墳時代くらいか。多分。

鐙の発明としては、クリミア半島にあるBC4世紀頃のスキタイ墳墓から、鐙の使用を示す装飾が
施された金の首飾りが出土しているが、中国人が発明としたする説もあるようだ。
78無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 17:25
>>77
ありがd
79307:04/04/26 19:15
>>77
 俺は弥生時代に馬とともに入って北という説を聞いた。
(邪馬台国の記述には無いが、隣の三韓は馬が大いに利用されてたらしい)
ビッグレッドっつーあだ名の馬いなかったか
>>79
確かに、ちょっとぐぐったところ、4世紀初頭の古墳からの発掘記録があった。
ttp://www2.begin.or.jp/sakura/topix10.htm
とすると、もっと遡る可能性もありそう。
箸墓古墳といえば、卑弥呼説もあったやつですね。

>>80
居た。アメリカのマンノウォーという馬。ちなみに栗毛。
82無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 01:19
マンノウォー系って種牡馬の系統がいるな・・・。ダビスタで出てきた。
そう。
そのマンノウォー。直仔にウォーアドミラル、孫にシービスケットを出した。
松風最強

終了!
85無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 12:09
赤兎馬に一票。
資料はない(キッパリ
イメージだ。
松風はラオウ、ケンシロウも乗馬していた名馬。

松風が最強に決まっている。
赤兎馬だって呂布と関羽が乗ってたんだぞ。
ラオウといい勝負だ。ケンシロウはザコだがな。
88無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 17:35
日清・ラ王(゜д゜)ウマ―――――
89無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 22:30
>>88
懐かスィ
赤兎馬は赤い毛なのかしら?
競争馬ではそんな色いないけど。
鹿毛の赤っぽい色だったのですかねえ。
今となっては分かりませんが。
91無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 20:33
カナーリ赤みが強い栗毛じゃね?
サラブレッドだと栗毛
>>92はミスったから気にしないでくれ
↓栗毛
http://images.google.co.jp/images?q=%E6%A0%97%E6%AF%9B&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja
94無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 03:08
赤兎馬 本格焼酎飲んで納得
95無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 10:17
鳥錐 距離1000〜10000 ダート◎
                芝◎
                亥下×
主戦は項羽
96無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 13:50
>>95






・・・・・・・・
97無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 14:20
>>95
>>9を見ろ、このチンカスが!
1925年の小倉帝室御賞典の勝ち馬は、「マツカゼ」。ちなみにサラ系。
10年くらい前に中央の準オープンで活躍してた「リバーセキトバ」は、
後に高知競馬に移籍し、交流重賞の黒船賞を勝つなどして、2年前まで現役で走ってた。
ちなみに高知競馬時代の所属厩舎は、雑賀厩舎。
99無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 09:09
金亀マンセー
リバーセキトバ懐かしいな・・・あ、微妙にスレ違いかw
102無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 23:35
保守
しかしそのリバーセキトバ、2年前まで現役だった。
30年くらい活躍してた本家の赤兎馬には負けるが。
104無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 17:17
>>103
まず赤兎馬って実在したのか?
30年も「活躍」する馬なんて信じられない。
105無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 17:19
それは創作
106無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 10:54
>>104
種馬として御「活躍」なさったのでは?(藁)
実は牝馬だった
108無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 12:40
>>104
>>106
プ
109無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 15:22
普通に戦うんなら絶対赤兎馬!
邪魔し放題なら落馬しない絶影!
松風はボツ!
>>104
一度の記述があるだけ。
>>110
呂布のところだったね。

呂布の所有物としては、貂蝉もまた関羽のものになる話があるが、
こちらは正史の注にも近い記述が(無論、貂蝉なんて名は出てこないけど)あるというのに、
祟りのおかげか演義ではカット。
赤兎馬が関羽のもとになったのは、この辺がもとになっているのだろうか。
112無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 15:50
>>109
は?落馬しない?
意味不。
113無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 21:32
>>112
気にするな>>109は現実と虚構の区別すらつかないDQNだ。
>>103
>>104
呂布、関羽が30年乗馬し、30年活躍したというのなら、
もしかしたら
赤兎馬が2代にわたって活躍したのでは
というのも面白いですね。推測の域を脱しえませんが^^;

馬って結構、特徴が遺伝するらしいですからねえ。毛色とかも。
すいません実はダビスタ04はじめました(藁
115無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 16:40
>>114
面白い新説だな。
ちょっと気になる。
>>115
北方版の糞設定だよ
117無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 07:29
武田騎馬軍団の騎馬武者一人で
アカネイアの竜騎士三人は相手できるよ
118無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 23:03
>>117
アカネイアの龍騎士3人は無理だろ。
119無名武将@お腹せっぷく:04/05/07 17:20
>>117,>>118
つーか、何ソレ?
120無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 01:16
>>115
どういうことだ?
>>121>>126>>116のマチガイ
123無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 19:32
>>116
で、結局どういう事よ?
124無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:04
戦国時代の国産馬ってポニーなみだったんでしょ
だったんだよ。
でも帝釈栗毛は六尺三寸。
ポニーで6尺3寸と考えるべきなのだろうか。
>>124
並というか、ポニーそのもの。
ポニーの定義=体高147センチ以下。

幕末〜明治期の横浜居留地競馬で使われていた南部馬は、ジャパニーズ・ポニーと呼ばれていた。

>>125
とすると、西竹一のウラヌス(体高181センチ)よりずっと大きいな。

>>126
オーバーすれば、ポニーではなくなるはず。
128無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:32
>>127
武田騎馬の当時の軍馬の全身骨格が発見された
全高120Cmだった
武田騎馬軍はカワイイ
西域馬や南蛮馬はバケモノみたいに映ったんだろうなぁ
武田騎馬軍団は実はカワイかったのか・・・。

萌え(;´Д`)ハァハァ
131無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 12:45
>>130
藁。
132無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 14:07
>>130
そう。武田騎馬軍はカワイイポニー武者の集団
カワイ過ぎてみんな萌えて負けてた
>>132
では信長は???
134無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 21:55
>>133
萌え騎馬隊を見たら、決心が揺らぎそうなので、極楽寺山で待機してた。
山県昌景などは、身長130くらいしかなかったようだから
馬が120でもそれほど違和感はなかったはず。

いや、小さいのは山県だけなんだろうけど。
>>135
しかも兎舌。胴から上が極端に短い。
でも、130ってのはいくらなんでもないんでねぇの?
137無名武将@お腹せっぷく:04/05/11 19:51
伊達正宗も小さいおっさんだったらしいし
秀吉がどんだけ小さかったのかが非常に気になるw
138無名武将@お腹せっぷく:04/05/11 19:53
158,
142,
139無名武将@お腹せっぷく:04/05/11 21:42
伊達政宗は頭がでかい
豊臣秀吉はアレがでかい
>>136
もっと低い(120くらい)という説もある。
いくら栄養状態悪いっていってもなあ。

>>137
秀頼は大きかったらしいけどね。
斎藤義龍は190以上あったんだろ。

あと加藤清正も馬に乗って地面に足ついてたとか言うけど
これ帝釈栗毛じゃなくてポニーだろうな。
142無名武将@お腹せっぷく:04/05/12 20:31
>>137
秀頼は偉丈夫だった長政の血を引いたという説が有力だが、巷では大野治長が孕ませたと言う俗説もある。

>>141
 斎藤義龍も、馬に乗って、足が地に付いたという記述がある。
 正座しても足の厚さが扇子1本の高さとまだあと拳一個分足りなかったという。
やっぱポニーならそれなりに身長あれば地に足がつくんだな。

http://personal.furano.ne.jp/f692mi/ポニーに乗馬.jpg
http://www.ojiisan.co.jp/step2/7624.jpg
144無名武将@お腹せっぷく:04/05/13 21:13
>>143
ナンデスカソノガゾウハ?
ハッ 何がセキトバだよ
コロ助マンセーの三国厨にはまいったねコリャ
146無名武将@お腹せっぷく
>>145
オマエモナー