1 :
無名武将@お腹せっぷく:
曹操は死に掛けた漢を救い、
その恩を忘れた皇帝'(馬鹿)が、自分を二度も殺そうとしたのにも関わらず、
廃嫡しないで帝位に就けていた。
その子供の曹丕は帝位についたが、献帝に莫大な隠居料を与え、山陽公という
公位にまで封じられた。衣服、食卓は皇帝並で、さらに「朕」と名乗ることも許された。
中国史で、滅ぼされてここまで皇帝が丁重に扱われた例はない。
漢の血を絶やさず、丁重に扱った曹一族は漢で一番の忠臣ではないのだろうか?
そして権制欲におぼれ、忠臣を二度も殺そうとした献帝こそ暗君といえよう。
ははは
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 13:41
そうだね、くらいしか言えないスレ。
野朗阻止
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 13:49
蜀呉は逆賊
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 13:56
>>3 禿道。
まぁ曹操あんまし好きじゃないけどな。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 17:03
中国史で二度も自分を殺そうとした人を助けた人物なんかいないと思う
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 17:14
孔明は7回も孟獲に(ry
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 17:24
春秋時代の呉の公子・慶忌は、叔父・闔廬の命令で自分を暗殺しにきた
要離に刺されたが、「勇士だから生かして返してやれ」といってから死んだ
夏→商
桀王を追放
商→周
紂王の子供、武庚は商の跡地に封爵されている
その後武庚は叛乱を起こし処断されたが紂王の兄
微子啓が宋に封爵されている
周→秦
赧王が秦に降伏後、周の一族は姫姓を捨て庶民になる
秦→項羽→前漢
秦王・子嬰は劉邦に降伏するが項羽に殺された
前漢→新
王莽即位後に劉嬰は定安侯に封じられた。その後叛乱軍に
擁立されるが更始帝軍に攻められ敗死
新→後漢
王莽は更始帝の長安攻略の最中に杜呉という者に殺される
多分、子孫は皆殺し
後漢→魏
献帝は退位後、山陽公に封じられる
魏→西晋
元帝は退位後、陳留王に封じられる
また蜀帝・劉禅は安楽公、呉帝・孫晧は帰命侯にそれぞれ
封じられている
南北朝以降は殺伐としていて、ほとんどの場合前王朝の
皇帝・皇族は殺されている。
趙匡胤だな。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 19:28
漢人は寛容・・・なのか?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 19:35
虐殺なんて野蛮なことするのは日本人とか蒙古人とかの異民族だよ。
徐州で何十万人を殺したり、現代チベットで虐殺を続けているのは?
魏を悪く言ってるのは演技しか知らない糞厨房
間違いない
皇后虐殺・娘2人を取り上げた等の曹氏の横暴は正史の記述にもあるんだが・・・
曹ヒははどうよ?
後世の歴史なんてそんなもの
魏が横暴でないと困る人の都合だろ
実際どの国も変わりは無い
むしろ魏はその中で節義を全うしたといえる
漢民族って下っ端を人間として扱ってない感じがする・・・
人口が多いからか?
魏も呉も蜀も別に悪政はしいて無いだろうからな。
孫皓とか別として・・・
どれが良いとか悪いとかじゃないわな。
>>23 単にヒーロー物の話の悪役として登場されたかっただけだろ?
筵折りから皇帝になった話は、上から非人扱いされてた漢民族にとって憧れの的で
ヒーロー者にしやすかったからな。
そういや、諸葛亮が神格化されたのって、
劉備の死後も謀反の疑いが全く無かったからだって聞いたことある。
それぐらい謀反とか当たり前だったんだろうな。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:05
>>27 そりゃそうさ。
曹操(&曹ヒ)も司馬炎も劉裕も近くは袁世凱も、
実権を握った人物はみんな簒奪者だもの。
>>27 近いうちに滅ぶ国の責任者になるより、丞相として天寿を全うしたほうが後世の聞こえも
滅亡後の扱いを考えただけじゃないか?
実際、その策が講じてチャンコロに神として崇められてるしな
どうだかwそこまで考えが及んでたのかも疑問
本当に国のためを思うならあんな外征政策採るわけないし
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:14
ほんとうに中国人で英雄に弱いな
岳飛とか孔明とか太公望とか
自分が英雄になれるとでも思っているのだろうか?
後世の聞こえねぇ・・・
それなら俺は最初に劉備に使えずに魏に仕えるな。
仕え始めたときなんて劉備なんか国もってなかったし。
>>30 当たり前だ。
何十万もの軍勢+キョウ族使っても、一時的でも都市のひとつを落とした試しが無い。
あれはきっと壮大な釣りだな。あるいは謀反と疑われないためか
ようするに魏に仕えて結果が残せるような人間ではなかったってことね
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:18
本当の英雄は董丞様だろ?
劉協のために董卓軍の残党と戦い
逆賊曹操にも命をかけて戦う
おれもあんな家臣が欲しいにゃ
おい!もまえらスレ違いでつよ
孔明話は他でやれ
アレ?
都市落としたコトなかったっけ?
そういや孔明が、魏に仕える友人に対して
「曹操の所には既に人材が集まっている。これ以上の出世は望めない」
といったらしいな。孔明は功名心が強かったのではないのだろうか?
>>33 演義の話はそぐわないが。蜀の最大動員は多めに見積もっても十万
孔明の北伐軍も、最大五万行けばいいほう
北伐にこだわった理由は諸説あるがね
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:20
ここは漢の忠臣董丞のスレです
孔明話はよそでお願いします
大組織の歯車として優秀な人間と、一から組織を立ち上げる才能はまた別
愚帝の馬鹿発言を実行に移しただけだろーが>董丞
漢の不忠者だよあいつは
結局天下の行く末は決まりつつあったからってのもあったかも
勝ちの目の薄いところで一発勝負っての?
名を上げるにゃ劉備のところならバクチ的にはありだな
董丞って誰よ?
董承?
それでも呉だろ。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:23
すみません董承でした・・・
逝ってきまつ・・・
単に劉備が気に入っただけのような気がする>孔明
劉備は演義ほど、苦労して無いだろ。
皇族というペテンで有力領主を取り込んでいった稀代の詐欺師だよ
内政手腕は確か。<孔明
丞相としての能力
曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>>>孔明
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:24
董承は董卓の一族だったらしいな
呉にいけば兄貴の伝手もあるのにいかなかった孔明
>>49 オイオイ、連年北伐やって民を苦しめた阿呆がそんな評価を受けていいはずは無いだろ
孔明言うほどおつむが良くないのな
56 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:25
董承>>>>>>>>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>>>王充
>>53 アレだけやって(というよりアレだけ出来ただけでも凄い)民から恨み言なかったっていうぐらいだからな。
王充?ダレ?
>>57 蜀出身で比較的、蜀贔屓の陳寿が悪く書くはずが無いだろ
62 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:27
>>59 知らないの?
汚い手で董卓倒したじじいだよ
チンジュは孔明から刑罰言い渡されてるのに尊敬されてる。
これだけでも凄い。
「諸葛亮は丞相になると、民衆を慰撫し、踏むべき道を示し、官職を少なくし、時代にあった政策に従い、
真心を開いて公正な政治を行なった。
忠義を尽くしたり国に利益を与えた者は、仇であっても必ず賞を与え、法律を犯し職務怠慢な者は、身内であっても必ず罰した。
罪に服して反省の情を見せた者は、重罪人でも必ず赦してやったが、言い抜けをして誤魔化す者は、軽い罪でも必ず死刑にした。
あらゆる事柄に精通し、物事はその根源を糾し、建前と事実が一致するかどうかを調べ、嘘いつわりは歯牙にもかけなかった。
かくして、領内の人々は、みな彼を尊敬し愛したのである。
刑罰と政治は厳格だったのに恨むものが一人も出なかったのは、彼の心配りが公平で、賞罰が明確だったからである。
政治の本質を熟知している良才であり、管仲(春秋時代の名宰相)や蕭何(前漢の名宰相)といった名相の仲間というべきだろう。
しかし、毎年のように軍勢を動かしながら、よく成功をおさめることが出来なかったのは、思うに応変の機略が彼の得手ではなかったからであろうか」
正史・諸葛亮伝の評はこんなもん
トウジョウは、霊帝の母親(何后に殺された婆さん)の一族だろ?
となると、献帝と董貴妃(曹操に殺された女)は親戚になる
死んだ直後から孔明を祀る祠があちこちに出来たって話は正史にもあるな
なお、陳寿はれっきとした魏贔屓
>>53 そんだけ疲弊させてても、ほとんど一人で何度も北伐できるくらい支えてたんだから凄いだろ。
で、王充って結局誰よ
死んだときに星が3回落ちたってのもあったな・・・
ハイショウシの注釈の中にだが。
>言い抜けをして誤魔化す者は、軽い罪でも必ず死刑にした。
鬼畜。人間誰しも言い逃れくらいしたくなるさ
王允のことか?
72 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:31
北伐は本当に謎
どっから費用工面してたんだろうな
73 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:32
>>68 チョウセンの育ての親だよ
曹操に七宝剣あげた!
お前ら!
現存する正史は、東晋の皇帝が「つまらんから作りなおせ」とハイショウに命じて
作らせた人物読みきり小説だぞ!
>>72 貿易やったらしいな。敵国の魏にも蜀錦を輸出したりしてたそうだ
>>70 確かに・・・。
うまい棒1本万引きして、「両親が死んで食べるものが無いんです」ていっても死罪か。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:33
>>71 ・・・((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
もっかい逝ってきまつ・・・
ただの政治屋だったインテリモヤシが中国史に名軍師として名を残したのは何故?
忠義っていっても最後には漢王朝を簒奪したわけだから、それまでの苦労は全て自己正当化のため
よって曹氏は忠臣にあらず
>>75 商人同士の取引を許して、関税をもらってたんじゃないの?
さっきから全くスレタイと関係ない話で盛り上がってまつね
中国の宰相って見た目も体力もなけりゃなれない時代あったんだよね。
三国志の時代はどうだったか忘れたけど。
大安とか仏滅とか確立したの孔明だって聞いたことあるが・・・
結局劉備も皇帝僭称したから萎える
とめろよ孔明
>>78 演義のお陰。ただし、元になった孔明本人はただの政治屋レベルではなく、外交や軍事でもそれなりの手腕を持っていた
もっとも歴史をひっくりかえした英雄レベルではないが
>>81 忠臣つながりで、考察スレだからいいよ。
>>79 じゃあ鮮卑とかに侵入されて、漢王室の血をことごとく絶やされてもよいと?
孔明も魏に仕えりゃそこそこ行ったと思うんだがなあ
え?人材の層の厚さが違う?ごもっとも・・・
そもそも漢民族ってナニさ?
>>84 孫権も皇帝僭称したな
とめろよ陸s(ry
右翼、キョウ維は不忠者
演義ができる前から孔明=軍師で通ってるから、
何かしらあったんじゃないか?
>>86 異民族の中国侵入の責任は、どう考えても内乱で国をメタメタにした晋の王族どものせいだろ
>>90 呉の建国は、魏蜀に対する劣等感としか言いがたいものがあるからなぁ…
魏は漢の禅譲、蜀は漢の復興、呉は何もないからな
軍師将軍の称号もらった有名人だからじゃ?>孔明
96 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:41
曹操の方が丞相としての資質があった事は確かだろうな
しかし、性格があれだから使いこなすのはむずかしいが
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:43
岳飛なんかは宋の内患だったんだろうな……
あの状況で金と戦うのは無謀すぎ。
尽忠報国だかなんだか知らんが、宋にとって迷惑だったのはかわりない。
逆にハンなんとかは忠臣
政治屋で戦争屋なこめぴょんマンセー
100 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:45
司馬昭の例と比べれば曹操が忠臣な事に気づく筈。
司馬昭は一回で廃嫡してしまったしな
脚色すれば松永久秀だって三好家の忠臣さ。
正史なんて、残酷なもんだよ
一つ聞くが……
蜀は大宛とかに出馬要請しなかったのかな?
献帝が曹一族に帝位を譲るのは自発的だったとの意見があるようだ。
その代わりに
>>1のような見返りを要求したらしい
>>100 はげどう
つーかなんか小物だ
賈充とか華歆のパクリだろ
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:50
考えもなしに主戦ばかりを要求するのは不忠者だけ。
ヒイとかなんかは名丞相だと思うよ。
それにさあ、魏からの嫌がらせは殆ど無かったじゃん
一応それなりの手を打ってから出てるだろ。
なんで中国人が実権を握ると、殆ど簒奪したり国力を著しく低下させるような
真似しかしないんだ?
孔明は王になれというのを李厳からいわれたことがある。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:56
孔明が劉禅から簒奪したら国号をどういう風にするんだろ?
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:57
蜀は本当に蜀しか無いからね。
無理やり楚にしてしまうのではないのだろうか?
曹一族が不忠だったから司馬一族がそれに倣っただけだろ
一番の忠臣は、その血筋を絶やさずに保護した人物。
つまり曹操だな
そういえば、孔明の最終爵位はなんだっけ?
公いってないよね?
>>68 王允、字は子師
司徒で呂布を取り込み董卓をクーデターで倒したが
とても固い人で仕来りをひたすら守った為、董卓配下で長安の東で数万の兵を擁していた李確・郭シ・牛輔らの特赦
を一歳不再赦を貫き断った為に長安を攻められ殺された
シバイも誉めてたくらいだから、そんな滅茶苦茶戦が下手ってわけでもないだろ。
演義のアレでナニっぷりにすっかりアンチになりますた
曹操は忠臣、曹丕はカス。これ定説
そういや陣形も作ってたよな。<孔明
121 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 21:52
>>114 武郷侯が生前の最終爵位だったと思う
死後おくられたのが有名な忠武侯
陣形と連ドと木牛・流馬は確実。
饅頭もそう言う伝説がある。
あと、鬼門トンコウも孔明が確立したって聞いたことがある。
それは演義じゃなかったか?
いや、正史にきちんと書いてる。
諸葛亮が後十人いれば魏は負けていただろう
いや・・・それはどうかと思うが。
>>125 どうだか。絶対的な物量はいかんともしがたいと思う
想像力に富んでいて、絵も描いていたみたいなことも書いてあるね。
脳内で今、諸葛亮と「7人のナナ」がフュージョンしやがった…
蜀と魏が立場逆だったら、曹操でも無理だと思うぞ。
>>130 曹操なら第一次北伐の時、長安急襲作戦取ってただろうな
それはおれもそう思うけど、結局一緒だろ。
取るのとそれを守るのは違うし。
>>132 局地的勝利を政治的に効果大に増幅させることができるかどうか、だな
孔明って何でもできるイメージがあるけど実際あんまりなんだよね
そこでギャップが生じて過剰に失望しやすい
「不良がたまにいいことすると〜」の逆やね
俺のイメージとして、
超有能で超真面目な宰相(内政官)。
誰にでも敬愛されるってこんな凄いこと無いぞ。
うそくせー
なーんかうそくせー
南蛮に逃れて、勢力を保つ
有能な政治家って誰にでも好かれる。じゃいけない気がする
好かれると敬愛されるは違うから・・・
ただ単に正しいだけじゃ怨み言は起きるよ
その辺をコントロールするのも巧かったのかね
>>140 その恨み言を言ってた連中も、「いずれ自分を復帰させてくれるだろう」と期待してたわけで
で、孔明が死んだら失望して病死したりとか
なんで一夜で、しかも今更すぎる諸葛亮ネタで、ここまで伸びてるんだろう。
忠臣ネタといえば忠臣ネタだけど……。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/08 23:27
曹操・司馬イは自分は簒奪せず、次代に任せてるよね
これは何で?
諸葛亮の子はそもそも簒奪できる立場じゃなかったみたいだけど
司馬イは魏の忠臣だった。
いけなかっのは司馬師、司馬昭の兄弟。
父親の残した発言力を使って魏の宮中を自分色に染め上げたからね。
実際に司馬イは死ぬまで不忠といわれる点は無い
曹操は簒奪前に死んだから。
司馬懿は簒奪以前に権力固めを進める前に死んだ。
司馬昭も、死ななかったら自分で禅譲受けていたんじゃなかろうか。
演義の司馬昭は、生涯受禅しないつもりだったらしいが
実際はどうだったか。
そう考えると曹操も怪しい
司馬師は何を考えていたんだろう?
大目玉を喰らわないことだけ考えてた
曹操も最晩年にいたっては簒奪を諦めていたみたいな気が。
自らを周の文王に比した発言も、その表れなのかね?
逆に、司馬師は死ぬ間際まで悪辣に過ぎる感じ。
興味深いのが毋丘倹の叛乱で、毋丘倹の弾劾文には、弾劾の
対象は司馬師ひとりで、他の司馬氏に対しては好意的といっても
いいほどで、司馬懿を称揚すらしてる。
司馬昭も魏の皇室を無力化したけど、司馬師ほど露骨でもなく、
手段はより巧妙だったと思うよ。
曹ヒが逆賊だから、曹参は逆賊の系図上の祖先だから漢の逆賊か?
と言えば違うよね
曹操、最晩年ったっていつ死ぬかなんて当時はわからんし、
死んだその年に一気に禅譲してんだよ?
曹操があと数年健在だったら禅譲だったと思うがなぁ。
周文王発言は、寿命無いと悟った時にでも言ったんじゃないか?
中華統一してから皇帝になるとか考えてたんなら、ちょっとカッコイイ。
皇帝が沢山いては困るんだよ
154 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:28
皇帝直属の部下とは存在するのか?
それが曹操とかだろ。 丞相だし。
劉備も左将軍。
簒奪すると自分が王莽になり
劉備が光武帝に比せられてしまう
実は簒奪しないと献帝に曹氏が排除される可能性もあった
乙