1 :
無名武将@お腹せっぷく:
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 12:37
>>3 オマエは3年以上もここにいるのかよ
いい加減卒業しろよ・・・
∧_∧
(# ゚Д゚) な ぜ 漏 れ 様 に 聞 か ん ! !
<|=ω=|>
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 14:55
>>3 それは1にも言ってやれよ。
そういえば昔は、わけの分からぬ損権厨房とかいたっけ。
DQNの郭図元則、史上最悪の馬鹿・陸抗幼節、基地害の町費欲徳とか。
鍾会士季はあいも変わらずその無能ぶりが健在なようだが
>>1 そもそも、于禁とホウ徳は同時期に来援してはいないんだが?
関羽に攻囲される以前にホウ徳は到達してるはず。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 15:23
いつ来ようと壊滅した事には変わらない
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 16:45
三国板に似合わない名スレだった。
しかもレベル高すぎだった。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 16:56
譲陽であんな派手な戦いなど無かった。
魏領に南から攻め込んだ関羽が、更にその背後から来た呉軍と魏軍に
挟み撃ちにされて負けた。 考えてみればごく単純な構図。
関羽は人望がないので、魏・呉と対峙した時には
自分と関平しか残ってなかった。他の兵卒、将はみな敵前逃亡。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 17:06
どうせなら1の疑問に答えてあげようよ
15 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 17:08
16 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 17:18
18 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 17:52
龐徳がどうでもいい?
>>1 >>まず、于禁とホウ徳らの援軍の問題。関羽の策略であろうと単なる災害であろうと、
>>水に流されて全滅したのは事実。その後、徐晃が関羽を打ち破ったのも事実。
>>ところが、なぜ前者の問題は余りにも軽く扱われるのか?気になります
水害で全滅したから議論しようがない
関羽伝で長雨による漢水の氾濫で七軍すべて水没したと書いてあるんだし
21 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/27 22:51
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 10:14
樊城の包囲が解けたとき、蜀は荊州軍の半分を失い、
魏はそれより前にこの一連の軍事行動で于禁・龐徳と七軍全てを失っている、
これは水害によるものではあるが、七軍が全滅するという痛手を蒙ったことには変わらない。
ならば、この時点ではまだ痛み分けになっているとも言えないだろうか?
単に両者の損害を比較して見たならばだが
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 11:02
呉だけが無傷だったのですね?
24 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 11:47
むりやり七軍 于禁、朱霊・東里袞
浩周(刺史)
胡脩(刺史)
成何(都督)
傅方(太守)
龐徳(将軍)
董衡(将軍)
25 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 22:52
関羽の動き。
(関羽全兵力約3万。将軍一人あたり約5千とむちゃくちゃな計算。)
曹仁・満寵・ホウ徳・呂常2万南下。関羽軍2万北上。
襄陽に呂常5千を5千、残りで樊に曹仁5千を包囲。
于禁軍3万降参。監視して5千江陵へ。関羽5千そのまま包囲。
夾へ呂布(同姓同名)5千侵攻。(宛を通ったと思うのだが徐晃動かず。)
呂蒙にだまされ、士仁5千残して残り前線へ。
徐晃・徐商・呂建1万5千・12の屯兵5千、計2万。関羽5千と戦う。
>>25 典拠は何?
それに、「同姓同名の呂布」って誰?
27 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 20:22
>>26 夏侯惇伝に、建安24年曹操が摩陂にて
呂布軍を撃破した。とあるところから。
>>27 それは三国志本文の伝写の間違いとされているぞ。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/02 04:55
3年も前にこの板あったっけ?
ちなみに最初のスレは
とーたくと大田区は似ている
(byひろゆき)
なんか今一つ盛り上がらないスレだ
盛り上げられない者が(ry
32 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 20:58
>>25 2万の関羽軍を撃破するのに、于禁軍3万を失っているようではダメじゃんか…
>>32 于禁に関しちゃ運が悪かったとしか言いようがないな
34 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 13:54
関羽様が死んだのは自業自得なんですか?
>>34 関羽は下に優しく上に厳しい武将で関羽討伐の時周辺の城を守っていた劉備配下の将は助けに行かなかった
もともと以前に助けに行って逆に関羽にどやされた将もいたからだけど
まぁ、それで可哀想なのは助けにいかなかったって事で処刑された奴がいた気がする
関羽が神になるほどの武将とは思えん
37 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 15:35
問題は何故神になってしまったのかだ。
>>37 無念の死→祟り神→祭る→次第に義の人の部分拡大解釈→商売には義が大事(約束まもらなあかん)
転じて商売の神
呂蒙、曹操は病気がちだったり高齢だったりだけど
孫なんとかっていう呂蒙の副将もすぐに死んだんだったっけか、確か
そりゃあ祟りに思えるわな
>>35 関羽は下に優しいか?
兵に優しいとは聞いたことはあるが
兵卒をいたわり、士大夫には傲慢
というのが関羽だと思ったけど?
でも兵卒をいたわると呉子みたいに
軍として強かったり、負けても兵が
逃げなかったりするんで。
あと、下と言うと民も入ると思ったので
民にも人気はあったんじゃないか?神様になってるくらいだし
45 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 02:49
関羽討伐は、関羽にも責任がある。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 09:19
47 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 09:24
関羽の油断が死を招いたんでしょ
よしんば曹軍に勝って荊州北部切り取っても南部を孫権に取られちゃなんもならん。
まあ油断っつーか孫権軍ナメてのこのこ北進する甘さが問題だった希ガス。
政戦両略の目が無さすぎじゃね?
この戦いは関羽の私情としか思えん。
益州と連携は取れてないし呉の兵糧を奪うし
関羽を弁護するならどのへんだろ?
>>44 民に人気があったのは講談師のおかげ。
無教養の庶民に一番分かりやすいのが単純な行動をする劉備一行であり、
庶民には理解しがたいがゆえに悪人扱いされたのが曹操。
こういう「正義」vs「悪」みたいな構図をより強調させるために(ヒーローっぽさを匂わすために)
講談師は劉備はもとりよ配下の武将についてはあたかも聖人のように語った。
例:劉備様は徳のあるお方だ
実はそうでもない。曹操ほど大局観があるわけでもなく、曹操ほど頭も良くない。
だから、思いつきで行動しあちこち流浪するはめになる。感覚が庶民に近いから、
曹操のように先を見越して割りきることができない。
(何年か前のカルロス・ゴーンも無情なリストラ野郎という声が多かったものだが、
会社を立て直すにはそれが最善だった…というのが良い例。一部の社員のことだけ
を考えていたのでは会社そのものが潰れる=みんなが路頭に迷う)
結果的には劉備のその場しのぎの行動が「徳」のように見えるだけ。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 14:51
>>49 >呉の兵糧を奪うし
それまでの経緯には、呉と関羽の双方に責任がある。
でも責任があっても兵糧を奪って
良いわけではないと思うが
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 15:11
もちろん、そうだけど
関羽が商売繁盛の神になった理由は架橋が他の地域に進出した時に現地で祭った為
しかしもまえら、見てきたようにものをいうなぁ。
歴史を語る人間は須らくそうなるな
須く〜べしという形にしないと駄目だよ。
そうだったのか
…やっぱり生半可に難しそうな言葉を使うのはよくないなw 恥をかく
すべからく 3 【▼須く】
(副)
〔漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の約。
下に「べし」が来ることが多い〕当然。
「学生は―勉強すべし」
〔古くは「すべからくは」の形でも用いられた〕
60 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 22:25
はたして呂蒙は事が終了した後の天下の情勢を考えて、関羽討伐を主張したのだろうか?
そこのところがどうも怪しい。
兵法にはたとえ、勝てる敵でも戦ってこれを撃破してはならない場合もある。
>>60 呉にとっては苦しいながらも最終的な自主独立のためには必要な手だったと思うよ。
魯粛の本来のプランでも荊州側へ打って出ることにはなっていたし。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 22:53
>>36 大会社が高給で迎えるという誘いを蹴ってまで、
倒産寸前の会社の社長に無給で尽くす人のことをどう思う?
神のような人だとは思わないか?
自分を社長に置き換えて考えてみ
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:17
関羽の目論みの甘さを指摘する声があるが、果たしてそうか?
超大国魏を相手に孫権が生き残っていくには、劉備との戦いは避けなければならない、というのが当然で、
大事の前の小事として、兵糧を奪ったというくらいじゃ戦いを仕掛けてこないと読むのは、至極当然である。
また、娘を嫁に出すのを断ったのは、
当然それは人質であり、それによって関羽、ひいては国全体の行動への足かせとなるのは明らかであるから、
断ったのは悪い判断ではない。
また、魏との戦いは優位に進んでおり、別に無謀でも何でもない。
結局、呉が常識外の行動をとったために関羽は敗死してしまうが、
そこに至るまでの関羽の判断に特別甘さがあったわけではない。
>>63 大前提として呉が荊州を狙っているのは周知の事実なんだから、
やはり、判断は甘かったと思うぞ。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:32
>>64 狙ってるのは事実だが、あくまで外交によるものだろ。
大戦を起こしてまで奪おうとすれば、魏に付け込まれるのは明らかで、
そこまでのリスクは犯さないとの読みは別に甘くないだろ。
むしろ呉の行動が常識外であり、事実その後危機に瀕している。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:37
呉の行動も常識外だが、関羽の読みも甘かったと思うよ。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:42
甘いというほどではないって
>>65 しかし、呉の立場から考えれば蜀に本気で戦うつもりはないと思われて、
ずるずる弱みに付け込まれるようでも困るわけだ。
で既出のとおり荊州は呉本国の防衛の要、
そこを他国に押さえられているのはいかにも拙い、
逆に荊州を確保すれば、そして専守防衛に徹してしまえば国を守るのは難しくない。
実際、呉は蜀も魏も退けて三国で最後まで存続したわけだし。
さらに蜀と魏が不倶戴天の敵同士である以上一致協力して攻めて来ることは考えられないし、
相対的に弱小な蜀は結局魏に対抗するために呉と同盟するしかなく、
事実そうなった。
結局、呉が自国の存続のみを目指していたなら、
隙を逃さず荊州を取ってしまうのはごく常識的な戦略だろう。
もちろん、呉が全土統一を目指していたなら話は別だが。
>>63 まずその頃の孫権に中国統一なんて考え方があったかが疑問。
孫権没後は有能な家臣が少なかったり、後継者問題が後を引いていたのもあって
急速にダメになったが、孫権存命中は長江もあって魏の侵略行為を撃退していた
わけで(その代わり呉も侵攻は失敗していたが)。
独立国家としての体制を整えたいのなら国力増強は当然。
豪族集団の呉にとっては関羽の身勝手な略奪行為は許されないものであった
だろうし。もともと江陵は孫権(魯粛)が劉備に貸したということも忘れてはならない。
縁談を断ったのは同意。人質どころか、下手すりゃヘッドハンティングになる。
まあこうなると軍事衝突になるのは避けられないわけだが。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 00:53
関羽にしては、うかつだったとは思う。
でも、例えば誰ならば正確な判断ができたか。
正確な判断かどうかは終わって見なければ分からない、
歴史が判断する、という性格もある事柄だから、
少なくとも判断して実行するだけの能力を持つ関羽に、
責任はあっても、甘くはないと思う。
>>63 >超大国魏を相手に孫権が生き残っていくには、劉備との戦いは避けなければならない
そんなことはない、建前だけでも降伏して当面の攻撃を避けるという手もある、
というか事実そうしている。
むしろ蜀の方こそその成立の建前からしても魏と妥協することは許されず、
その為には呉と同盟する以外に手はない。
そして事実そうなった。
つまり魏と敵対する以外に選択肢のない蜀より呉の方が行動に自由があったわけで、
そこら辺の事情を考慮せず、
呉は攻めてこないと判断したならそれは甘すぎるとしか言いようがない、
むしろ関羽はそこまで甘い判断はしていなかったと思う。
問題は呉の侵攻が関羽が思った以上に周到で迅速に行われてしまったことだろう。
読みが甘かったのは事実でしょ
事実呉はその「常識外の作戦」を実行に移し大成功を収めている
「攻めるとは言っているがまだ攻めては来ないだろう」という思惑を逆手に取った大胆な作戦だと思うよ
曹操が死ぬまで劉備が攻めてこなかったのは幸運だったのかもしれないけどそれだけ呉討伐が遅れたのは蜀が呉を攻める事が呉が同じ事をやる以上に困難だったためと思われそれも計算には入っているはず
>>63 縁談を断るの自体は悪くないが、断り方がまずい。
孫登を人質に出すときくらいの狡猾さも必要。
つうか自分のキャリアを過信してて、結果判断が大甘になったと言えよう。
>>63 217年に孫権は魏に降伏してるんだよ。
関羽が北伐したときは魏と蜀の二カ国しかなかった。
あと関羽は呉が攻めてくることは知っていた。
孫権と関羽の外交能力を比べたら
関羽の目論みの甘さを指摘されて当然だが
盛りあがってまいりました
>>75 >関羽が北伐したときは魏と蜀の二カ国しかなかった。
この事を言ってる?
でも、呉は魏に対して軍事行動をしてないし
魏も蜀にしか戦争をしてないよ。
勘違いってのは、3行目じゃねぇの?
81 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 21:33
結果として呉に荊州を取られた=関羽の甘さ、とするのは違うと思うぞ。
当然、その時生きてた人には先の結果なんてわからない。
そもそも関羽の守る荊州は、蜀の領土から飛び出る形で存在していて、
魏と呉に囲まれる形であり、守るのがきわめて難しいのはみなさんも知っての通り。
果たして最善の選択とは何か?
呉の機嫌を取り続ければ攻め込まれなかったか?
魏に攻め込まなければ良かったのか?それで魏が攻め込んできたとして守り切れたのか?
仮に最善の手があるとして、それを続けていれば守り切れたのか?
はっきり言って、運や、魏呉の思惑や、時の流れによってどうにでもなる状況である。
あの状況で敗北したことの原因が関羽にあるというのは無理があるぞ。
むしろ魏呉を向こうに回してよくやったと思うが。
関羽の行動があまりにも稚拙だからだよ。
過去スレでほとんど説明されてる。
蜀が好きな人ほど関羽の行動を中原に出る
チャンスを潰されたって、言ってるほどだし。
しかし荊州を維持するのは困難だったとはいえ
ついに蜀が荊州に拠点を一つも確保できなかったの関羽に責任があるんじゃないか?
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 22:05
>>83 どこが稚拙なんだ?過去スレなんて読めないし。簡単にでいいから説明してくれ。
>>82 常識外に対して知っていたと書いたんですが
なにかご不満なことでもありますか。
ふむう
過去スレ読めるよ。
呉の同盟問題。
荊州の豪族問題。
魏との戦争。
士大夫には傲慢。
これでよろしいですか。
呉や、同僚に対する配慮を欠いた言動。
何事にも自分が一番であるという謙虚さのない態度を
取り続けることで最終的に孤立し、自らの首を絞めている
ように思える。重要なポストにいる人間としては二級品。
>>89 確かに、最初は謙虚だったのかもしれないけど、
えらくなって、思い上がっていたところもあったのかもしれないね。
周りが必要以上に持ち上げると、
人間ってそうなってしまう可能性があります。
自戒したいですね。
>>82 曹操は孫権の手紙(関羽を攻撃するといった内容)を曹仁に届け、
それを矢文にして射こみ、関羽に読ませたと書いてある(呉主伝より)。
>>84 関羽だけではないと思う。
劉備なんか、「涼州を取ったら荊州をお渡しします」なんて言っているあたり、
荊州を返す気は全くなかったかと。
>>81 重要なポストにいる人間と不仲、荊州の士大夫と憎しみあってる
同盟国の使者を侮辱して信頼感を大きく落とす
この状況を作ったのは関羽だぞ?
自ら悪い流れを作った関羽をよくやったとだけ言えるだろうか?
人事をおこなったのは劉備なんだけどな。
人事については他に人材がいないということが過去スレでも指摘されてる。
どうにか諸葛亮を派遣できなかっただろうか?
関羽留守中の荊州統治、士大夫層と関羽とのパイプ役、
ともに唯一の適任者が彼だったように思うが。
無理?
>>96 下手したら諸葛亮も死んでた。なんとか逃げ延びれたかどうか・・・
関羽に限らず、どんな名将でも無理
それでももう少し拠点を確保はできたんじゃないか?
荊州を丸々失うってことは無かったと思うが
>>99 重要なのは配置する人物云々よりも権限の有無だと思うけど?
いかに有能な人物でも軍権が無ければ兵は動かせないんだし。
将軍といえども節がなければ安易に処刑もできないようなわけで。
>>99 ヾ(´∇`
>>100 そうだね。その点諸葛亮なら数年後に丞相になるわけだし、
当時すでにそれだけの権限を担うだけの資格があるんじゃなかろうか?
まあ、採りうる中での最善策として・・・
きつい状況にしたのは関羽自身?
劉備か諸葛亮が荊州に駐屯するのがベ一番ましだろうけど、
益州をがら空きにするのも問題だよな。
過去スレでも言われてるけど、潘濬が
いるから諸葛亮がいても、関羽がトップ
だと変わらないでしょ。
>>88 >呉との同盟問題
関羽の強行姿勢が成果をあげていたという事実があるし、
なにより関羽の姿勢がどうであれ、呉が荊州を取る気でいることに変わりはない。
>魏との戦争
悪い選択だったか?攻め込まれたほうが不利だろ。
>士太夫に傲慢
荊州陥落とは直接に関係ないだろ。
勝ち目のない状況で敵に降るというのは、当時としては当然な判断。
関羽が傲慢でなければ、彼らが死ぬまで戦ったとでも?
>>107 どこがどうならないのか書かないレスもお話にならない。
>>105 なんで潘濬がいると変わらないんだ?
>>106 >魏との戦争
>悪い選択だったか?攻め込まれたほうが不利だろ。
攻め込まれないようにするのが重要なのであって
攻めるか、攻められるか、という二択だけではないだろうに
>士太夫に傲慢
>荊州陥落とは直接に関係ないだろ。
>勝ち目のない状況で敵に降るというのは、当時としては当然な判断。
>関羽が傲慢でなければ、彼らが死ぬまで戦ったとでも?
無関係どころか大いに問題であった
陸遜を侮り、呉を軽視したのは油断と傲慢のため
スレが立て直される度にループしまくるスレは、ここですか?
>>110 あんたの書き込みに対してレスしたのに答えがそれかよ。とりあえず、いま反論してくれ。
あんたって誰?
>>111 そのとおりだが、ループするのと、
ほとんどのレスが既出か過去ログ参照なスレと、どっちがいい?
>>108 少なくとも潘濬がいたのにああいう結果になったというのは、代わりに諸葛亮がいたとしても
同じ結果になるということでは?
>>105 それは能力的に諸葛亮と遜色ないということかな?
純粋な実務能力に加えて、人間関係の調整を期待してみた。
潘濬も関羽と不和だったとあるし、そういう有力士大夫との軋轢を極力避けられたのでは?ってこと
>>106 関係あると思う。
以前呂蒙が南部三郡に侵攻したとき二群はあっさり降伏したが、
零陵のカクフだけはあくまで固守する姿勢をとった。
劉備が戻ってきたため孫権は軍を返せと命じたが、呂蒙は救援は来ないと偽情報を流し降伏させた。
それなのに江陵、公安の二要地があっさり降伏しすぎ。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 23:26
>>118 違っていたなら失礼。
ただ、過去スレ読み直せと言われて終わりじゃ話にならない。
>>112 >>88ではないが、しょうがないな。
>呉との同盟
呉だって完全に一枚岩で荊州侵攻を決定していたわけではないだろう。
蜀との同盟を重視するものだっていたはずだ、
関羽の傲慢な態度は荊州侵攻派を勢い付かせ親蜀派の発言力を弱まらせただけだ。
大体、相手が攻めてくる気でいるから何しても無駄なんてのは、
外交というものの意味を全く無視している。
>魏との戦争
状況による、いついかなる時も先に攻めた方が有利なんて事はありえない。
少なくとも腹背に仮想敵を持つ時にこちらから攻め込む何て全くナンセンス、
攻めるべき時攻めるべきでない時という戦術の基本を完全に無視している。
>士大夫に傲慢
部下との人間関係が良くても悪くても結果に変わりがないなんてことは全くありえない。
まとめると、あなたの意見は、
外交も戦術も人間関係も全て結果に対して影響がないと言っているようなものであって、
はっきり言って今までのループネタに比べても格段に質が低い。
つまり、まるでお話にならない。
もはや、
考察とが議論以前の常識の問題だぞ。
>>112 まさか、反論しろとか言っといてこの程度でおしまいじゃあるまいな?
(´・ω・`)スマンカッタ
125 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 00:57
>>120 >呉との関係
外交というものの意味を無視してなんていないよ。
その時点まで関羽の強硬姿勢が功を奏していたことを無視するなといっているんだ。
>魏との戦争
「いついかなる時も先に攻めたほうが有利」なんて誰も言っていない。
大国魏の軍勢が領内に攻め寄せたときの家臣領民の動揺を考えてみろ。
討って出るというのが愚策といえるか?籠城戦が絶対有利なんてのは間違った考えだぞ。
>士太夫に傲慢
荊州陥落の直接の原因になってるのかと聞いているんだ。
敗戦は負けた側に原因があり、打つ手を誤らなければ負けなかったとする考え方じゃ、正しい物の見方はできないぞ。
110は私ではありません。
120さん、代弁ありがとうございます。
すいませんが
>その時点まで関羽の強硬姿勢が功を奏していたこと
の功を奏していたことと、
>敗戦は負けた側に原因があり、打つ手を誤らなければ
>負けなかったとする考え方じゃ、正しい物の見方はできないぞ。
の正しい物の見方を教えてもらえますか。
>>125 >その時点まで関羽の強硬姿勢が功を奏していたことを無視するなといっているんだ。
ならば強硬姿勢が功を奏していたであろう根拠を史料から示すように
>討って出るというのが愚策といえるか?籠城戦が絶対有利なんてのは間違った考えだぞ。
君の頭の中には攻めるか、攻められるか、しか選択肢がないのかね
防衛戦略や防備による抑止。外交による戦争の回避。謀略による後方攪乱など
攻める攻められる以前にすべきことは山のようにある。
軍事力は行使するためだけにあるのではないし、人は戦争だけを生業としてるわけではないのですよ
まして一州を預かる関羽が、攻めるか攻められるかの単純馬鹿だったとは…流石に思えませんよ
どうも微妙に論点をずらされてやりにくいな
とりあえず、外交問題についてだけ
呉は関羽の強硬姿勢の前に荊州にまったく付け入るスキがなかっただろ。
要するに俺が言いたいのは、当時を生きてる人には先のことなど当然わからない。
その中で関羽が打った手にそこまで誤りがあったかということだ。
結果として敗れた=関羽が悪い という考え方は愚かだということだ。
魏や呉の思惑、国力の差、駆け引き、流れ、運、さまざまな要素によって結果は出るものだということ。
短絡思考の奴が多すぎ
>呉は関羽の強硬姿勢の前に荊州にまったく付け入るスキがなかっただろ
215年に長沙・桂陽・零陵の三郡を取られてますよ。
>結果として敗れた=関羽が悪いではなく
関羽が悪いから結果として敗れたんだろうという話ですよ。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 02:43
まずは関羽あたりを優秀な将と言い切ってるあたりから検証し直すべき
>>128 >呉は関羽の強硬姿勢の前に荊州にまったく付け入るスキがなかっただろ。
何度も何度も同じことをわめかずに
文献から呉が付け入る隙がなかったことがわかる記述を出してやれば
皆も納得するだろうに。
ちなみに俺も関羽が樊城を攻めるまでは呉は手も足も出せなかったと見ている。
215年の呉蜀の戦いでも零陵を落としたまではよかったが
その後は関羽の前に押され、曹操が漢中を攻めなかったら多分敗退してただろう。
>関羽が悪いから結果として敗れたんだろう
そう言う考え方が短絡的だということですよ。先程も書いたとおり、そんな単純なものじゃない。
そういう論理が成り立つのは、圧倒的有利な側が敗れた場合のみ。
>>131 魏が漢中を攻めるのを知ってて攻めたんじゃないの?
>その後は関羽の前に押され、曹操が漢中を攻めなかったら多分敗退してただろう。
これを指し示す最大の理由として、
停戦後孫権は零陵を劉備に返していることが挙げられる。
なぜ奪い取った零陵をわざわざ返さなければならなかったのか。
曹操が漢中に攻め込んできて劉備は窮地に陥っていたはずなのに。
つまりは譲歩せざるを得ないほど呉の方が劣勢にあったということだ。
「結果として関羽は敗れたが、それは必ずしも関羽の取った戦略が
悪かったというわけではない」という主張だろ。
外交問題、人間関係、北上のタイミング。
これらは場合によっては荊州を失った主原因ではないかもしれない、と。
荊州失陥は蜀と呉が10年近く積み重ねてきた外交問題の終着点であった
という見方も出来る。すると荊州を失った原因のすべてを関羽に帰すことは
出来ないというのはもっともな意見だろう。
しかし、だからといって「外交問題、人間関係」における関羽の言動に問題は
ないと言えるのだろうか。重要拠点を守る人間としては不適格ではなかったか。
仮にそれが直接的な荊州失陥の原因ではなかったとしても、だ。
つまり
・荊州失陥は関羽の責任。関羽は不適格者である。
・荊州失陥は関羽の責任。だが関羽は適任者であった。
・荊州失陥は関羽の責任ではない。だが関羽は不適格者であった。
・荊州失陥は関羽の責任ではない。そして関羽は適任者であった。
の四つの立場があって、責任問題と適任者であったかどうかを別々の
問題として扱ったほうがよいと思う。
>>131 湘水のせいと魯粛だからだと思う。
やはり南郡以外は価値があまり無いからというのも。
>>131 それは関羽の力じゃなくて劉備が直々に来てくれたおかげだよ
それも含めて呉は手出しができなかったんだけど
>>132 圧倒的不利な側に関羽が自分でしたんだろ。
関羽は、実際の能力はともかく魏には名将だと認識されていたようだ
「もう唯一の名将・関羽が死んだから、蜀は大規模な出撃はできないだろう」
と、いうことを確か劉ヨウが曹ヒに言上している
この場合の名将は、戦略単位での軍事を指揮できる人材という意味か
(実際には劉備・諸葛亮が残っていたわけだが)
>>120 人の文章を勝手な解釈でまとめた挙げ句、話にならないとはな。
確かに君は話にならないな。
もっと議論の仕方を学んだほうがいいよ。
>>125 >>106の
>関羽の姿勢がどうであれ、呉が荊州を取る気でいることに変わりはない。
これは外交努力の否定以外の何者でもないだろ。
相手がこちらに敵対心を持っているならそれを逸らそうとするのが外交努力ってもんだ。
仮にそれが不可能だったとしてもわざわざ相手を罵り敵愾心を高めてどうする。
>討って出るというのが愚策といえるか
呉と敵対関係にあるのに魏に打って出て呉に付け入る隙を与えたのが愚策なんだよ。
>荊州陥落の直接の原因になってるのかと聞いているんだ。
まさしく直接の原因だ、
当時の呉と蜀にそれほどの国力差はない、
在地の守備軍が呉の侵攻に対しもう少し耐えていたなら、
本国からの援軍もあっただろうし、全土を奪われ関羽も戦死という最悪の事態は
防げた可能性がある。
日ごろから信頼関係を築いていた場合と、
相手に不満を持っていた場合で敵の侵攻時における対処が変わらないなんて事はありえない。
>>128 当時の人間に先のことは分からなくとも、
現時点の情勢は正確に把握しておかなければならない。
強大な魏と敵対関係にあるという情勢で、
呉との関係を改善するどころか逆に悪化させたのは明らかに誤りだ。
思考回路が違う人たちを納得させるのは本当に難しいよ。
きつい言い方になるが、関羽の行動が稚拙だとか浅はかだとか言っている人は、歴史を語る視点を完全に失っていると言わざるをえない。
ゲームやテストじゃないんだから、『正しい選択』『正しい行動』『答え』なんてのはないんだよ。
関羽のせいであそこで荊州を失ったのか
それとも関羽だからこそあそこまで荊州を維持できたのか
正しい答えを出せる人なんていますか?
いや、それはどこか違うだろ
まあ歴史は全部結果だけ 結果が最悪だった関羽が正しかったとは言えないだろうな
北上が稚拙だったとは言わないが対呉外交は「最後の段階においては」完全に失敗だと思われ
それ以前の強攻策は微妙だけど
>>143 アホか、
結果を見てなぜそうなったかその原因を考えるのは、
ごく普通の歴史的考察だろうが、
関羽に責任なしという意見のほうがよっぽど結論が先にある、
議論じゃないか。
>>143 あんたの歴史を語る視点ってのは、
人間がどう行動しても結果は変わらないという運命論なのか?
悪いが歴史はそんな単純なものじゃないぞ。
とりあえず
>>146 誰もそんなこと言ってないだろ。
あんたの人生に『正しい行動』『正しい選択』『答え』ってあるかい?
そしてその先に待っている『結果』がわかるのかい?
歴史上の人物だって、今を生きる君だって同じだよ。
そう言う視点を失うなってこと。
あとの意見に関しては後ほど
もちちけ。
>>147 歴史ってのは所詮結果論なのだから、そういう流れで議論されて当然だ。
それに人生を例にとるなら、人生の岐路において迷う局面をあげるべきではなく、
むしろ人生を振り返って自らの判断の正否を回顧する場面が該当すると思うぞ。
>>147 あのな、将来についてはともかく、
既に結果が出ている過去のことなら、
正しかったか正しくなかったかくらい判断できるだろ。
自分の人生に例えたってよ。
例えば車を運転していて事故を起こしたという結果があり、
その原因を考えた時、わき見運転をしていたという事実があったなら、
それがそのような結果をもたらしら原因であり、
そのような行動は間違っていたと判断できるわけだ。
関羽の例なら荊州を失い自身も戦死したという結果があり、
その原因として多方面に敵を作り、部下との信頼関係も気づけなかった、
という事実があるわけだ。
であるならそのような関羽の行動は誤りだったということは容易に判断できる。
歴史に限らず過去について考察するならごく当然のことだろうが。
そもそも、己の傲慢さゆえに部下との信頼関係を築けなかった、なんていうのは、
いかなる状況であれ上に立つ者として失策以外のなにものでもないぞ。
要するに何が何でも関羽に責任はなかったことにしたいんだろ。
歴史を語る視点がないのはどっちだか。
>>150 とりあえず君は問題外
あとの方については、今まとめてる最中なのでお待ちください。
しかし、真意を伝えるというのは難しいなあ
歴史を説明するのは難しいけど、
なぜ人は名を惜しむか、名を残すか、結果がすべてだからだと思う。
例えば努力をしたから負けてもいいとか、勝ち目がないから
なにもしなくてもいいと言うのは、子供の理屈であって大人ましては
人の上に立つ人間は赦されない行為だと。
>『正しい行動』『正しい選択』『答え』なんてのはないんだよ。
言っていることは理解ができるけど『悪い行動』『悪い選択』『悪い答え』
はあると思う。でないと歴史を学ぶということを否定してしまいます。
悪いがマジレスさせてもらうがな、
仮にも歴史について語る場で、
>>147みたいな例えを出したら、
歴史を語る視点がないといわれても全くおかしくないぞ。
関羽が傲慢な態度で人間関係を悪くしたという事実がある。
これは明らかに
>>『正しい選択』『正しい行動』『答え』
ではないと思うんだが、なんでこんな簡単なことがわからないのかなぁ。
もしかして、孫皓の悪政も「間違った行動ではない」とか言ってしまうタイプか?
「呉が滅びたのは、晋との国力差がどうしようもなく広がってしまっている以上
如何ともし難いことだ。孫皓の悪政のせいでもないし、孫皓は間違ってるとはいえない」とか?
ありえねー。
歴史を語る際に、歴史上の人物を評価するというのはごく普通にあることだ、
偉人であったとか、愚かであったとか、
その判断の材料は結果とそれに至った本人の決断、行動によってだ。
関羽について荊州を失ったという結果があり、
それに至るまでの行動が必ずしも最善のものではなかったと言える以上、
その評価が下がるのは、少なくともこの件のみに関しては、
当然のことと言えるだろう。
結果論だけじゃなく、多方面からの検証をしろということだよ。
例えば、
傲慢=失策と決め付ける前に
それによるプラスの効果、それによって呉に侮られなかっがためにあの時点まで荊州を保てたのかもしれないし、
逆に呉に対して気を使ったら、侮られてもっと早く取られていたかもしれない
『答え』がないというということは、こういうこと。
安易に甘さだの稚拙だのというのは短絡的すぎるということだ。
>>158 >それによるプラスの効果、それによって呉に侮られなかっがためにあの時点まで荊州を保てたのかもしれないし、
>逆に呉に対して気を使ったら、侮られてもっと早く取られていたかもしれない
何か根拠があって言っているのか?
もしそうなら歴史的考察だが、そうでないなら、
とにかく関羽は悪くないと言っているのと同義だぞ。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 23:45
そもそも傲慢だったのかどうなのか、なんて
実際に見てみないと分からんぞ(笑
傲慢と評価されているのが正しい評価なのかどうかも分からない。
ひょっとしたらものすごく謙虚だったにもかかわらず
誰か関羽を気にいらない人がウソ広めたのかもしれないし。
まあ、そんなこと言ってたらキリがないけど、歴史だけでなく、
他からの情報をを鵜呑みにすることはとっても危険だと思う。
全て自分の目で見て判断できたらいいんだけどね・・・
関羽、生き返ってくれたら話が聞けて、少なくとも自分は正しい評価ができるのにねえ・・・。
まあ評価するなんておこがましい立場でもないけどさ・・・。
>>159 いろんな可能性を探ってみろって言ってんの
かなり無理があるとおもうぞ。
「袁紹が優柔不断だったから曹操と覇を争うことができた。
袁紹が決断力に富んだ人間だったらとっくに公孫サンに敗れていたよ。」
とか言われたらどうする?
そんな感じにすべての歴史的事象にケチつけてたらきりがない。
結果を元に判断しなくてどうするんだ。
大体傲慢だったからそれまで荊州を守ることが出来たのかもしれない、
だから、傲慢だったことも失策とはいえない。なんてのは、
交通事故の例に例えれば、
わき見運転でふらふらしていたから他の車が恐れて近づかなかった、
そのおかげでそれまで事故がおきなかったのかも知れない、
だからわき見運転も間違いではなかったかも知れない。
と言っているのと大差ないぞ。
しかも、現にその後大事故が起きているにも関わらずにな。
>>161 いちいちそこまで深く可能性について考えていたら歴史なんて語れないよ。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/13 23:55
歴史書に書かれていることでしか語れない奴はアホだぞ
>>161 だから、
根拠があってその可能性について探っているなら歴史的考察だが、
そうでないならいったい何なんだ?
悪いが、
とにかく関羽は悪くない(かもしれない)と言っているようにしか見えないぞ。
ほぼ予想通りの答えだった。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 00:06
結果的に荊州取られたんだから、その結果に対して、関羽にその責任はある。
その結果は結果として終了。
関羽以外で誰が荊州守ったらどんな結果が出たか。
それは分からないけど、少なくとも、
関羽のことを悪く言う権限は今の我々にはないね。
まあ、何の力もないから評価したり好き勝手言ったりできるんだけど^^;
>>171 は?
まずは史書にそういう記述がのってるだろ?
関羽は士大夫階層対して傲慢だったと、
だからこそあんたも最初にそういったんじゃないのか?
実は傲慢ではなかったと言うならその根拠を示せ、
それなら議論になる。
まあ、直前まで深刻な人材不足だった劉備陣営にとって、
あの時期に荊州を任せられる腹心は関羽しかいなかったって事実はある。
従って、彼ひとりの責任として終わらせるのは気の毒な部分も。
多方面から考えるというなら、このへんから突っ込むべきだとは思うな。
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 00:14
「史書が人格評価まで全て正しい」ということを前提とするかどうかで
変わってきますね。
私は歴史書っておこった事実以外の記述は無視して見ていますが、
見方なんて人それぞれだし。
だから、教科書とかでいろいろと問題が出てくるんだよね・・・。
>>172 君は知識には自信があるようだが、もっと検証することも覚えたほうがいいね
>>175 結果を無視して無限の可能性について根拠もなく語るのが検証か?
>>176 結果を無視しろとは言っていない。
それを踏まえたうえで、多方面から可能性を探るのが検証だ
>>176 まあ、ここはそういう香具師のために立てられた隔離板なわけだしw
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 00:25
あのさ、だからさ。
荊州に関する結果は関羽の責任で終了やん。
それからの話でしょぅ。
>>174 少なくとも「ビホウ、士仁がびびってた」というのは歴史的事実?だし、
諸葛亮の「(黄忠は)髭殿には及びますまい」という書状を他人に見せびらかしたり、
呉の使者への「犬の子に娘をやれるか」発言とかも歴史書に書かれたことなんだけど。
それを踏まえて陳寿は
「羽は豪にして自らほこり、(ry」
「短を以って敗を取るは、理数の常なり」
と結論づけてるんだよね。
>>143についての結論。
>>158ほど多方面の可能性について考慮していたら、
歴史について語るなんて出来ない。
つまり、お話にならない。
ここは歴史を語るところではないしな。英雄ネタ板だったか。
だから演義的な考えだと、
「関羽でも守り切れなかったのだからあれは仕方がない」
という発想になるのだよ。
また、それでも別に完全に間違ってるわけではないと思う。
荊州の飛び地は重要拠点であると同時に、独自に軍閥化してしまう危険もあった。
たとえ能力的に上であっても、関羽ほど信頼できる人材が蜀にはいなかったからね。
やれやれ、書物に書いてあることをそのまま鵜呑みにするなら議論なんて必要ないだろうに。
史実や書物をどう読み取るかが人によって違うから議論になるんだろうに。
>>180 陸遜伝はもっと凄いですよね
関羽が傲慢であることが、
呉の荊州攻略の戦略戦術に組み込まれていたことが、明確に記されてますからね
>>183 演義的に考えるとは…
物語的に歴史を考察すると言うことか?
まさか…ねぇ
>>184 史実や書物をどう読めば、
関羽は傲慢だったからそれまで荊州を守ることが出来た、
という可能性が浮上するのか説明してくれ。
>>143 言っていることが理解できないです。
「根拠のない議論」してどうするですか?
189 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 00:44
書物に書いてあることは絶対ではないですね。
だから、誰にも結論は出せません。
「関羽がこういう人物であった」というのも、
実際に自分でウラが取れないんだから。
ただ分かるのは、荊州が取られた、関羽が死んだ、ということ。
それくらいは事実として、もうウソでも信じるしかない。
で、その信じるしかない荊州が取られたという事実に関して責任は関羽にあるということは明白です。荊州守っている一番エライ人だったんだから。
私は関羽がやってた荊州守るっていう仕事には就きたくないな。
無理だもん(藁
>>185 > 物語的に歴史を考察すると言うことか?
まさかそこまでは言いませんってw
欠点は欠点として認めるけど、英雄性まで否定したらつまらないってこと。
三戦板だし、それくらいおおらかでもいいんじゃないかな?
確かに能力と劉備との関係を考慮すれば、
関羽以外に荊州を任せることが出来る部将はおらず、
その関羽がこういう人物だった以上荊州を失ってしまうことは必然だった。
とは言えるかも知れないわな。
80以上レスを重ねて、
結論が一番最初のレスとおなじ。
まあ、そういうこともあるか。
この板だし。
>>191 そういうことだね。
劉備以下は入蜀後の内政固めで忙しいし、本拠を離れるわけにはいかない。
ところが全権委任した腹心は、守りにはあんまり向いてない人物だったってことかな。
これは関羽だけの問題じゃなくて、蜀全体の問題なんだよね。
そういう意味では関羽だけ槍玉にあげてるこのスレは、噛み付かれやすい要素がある。
>>184 そもそも議論という体裁を取るのなら、根拠を明らかにすることは必要不可欠だろう
もし貴方が史書や考古学を越える根拠を示すことが出来たなら
ここにいる、ほぼ全ての人が君の言い分を認めることでしょうね
>>190 ああ、そういうことね
それなら納得
関羽という人物は、荊州という要地に位置し、
さらに時代が大きく動いたときに、その中心にいた人物であり
さらに関羽の行動が大きく歴史の流れを動かした。
これらの事実は、関羽が良くも悪くも重要人物であったことを示してますからね
>>189 >>書物に書いてあることは絶対ではないですね
そんなのは歴史研究の大前提で、みんな知っていること。
「○○という理由で(この資料は)信用しない」という形でなら理解できるが、
書物をハナっから疑ってかかるのでは発展性がない。
つーかぶっちゃけ意味がない。
>>もうウソでも信じるしかない
・・・うーん、ネタにマジレスしちまったかな。
>>193 いつもは関羽だけ槍玉に挙げているわけではないと思うんだが、
今回は関羽に責任なし、なんてことを言い出す困ったちゃんが居たからね。
これこそ言ってもしょうがないことだが、
劉備の挙兵当時から参謀的あるいは内政の才のある同士が居れば・・・
思えば劉邦には居たんだよねそういうのが、
ここらへんは最早運の領域か。
>>196 人物よりもあと三年早く益州を取っていれば、
ホウ統の上策を選べばなぁと、いうのはある。
>>185 >陸遜伝はもっと凄いですよね
>関羽が傲慢であることが、
>呉の荊州攻略の戦略戦術に組み込まれていたことが、明確に記されてますからね
なるほど。関羽が傲慢であることは蜀書・呉書双方に書かれているわけだ。
二国の史書に書かれるということは「関羽は傲慢である」というのは
動かしようの無い事実とみていいだろう。
>>196 は〜あ・・・やれやれ
>関羽に責任なし
なんて言っていないんで、
>困ったちゃん
というのは取り消してね。
君は歴史に関しては書物に書いてあることを鵜呑みにするのに、俺の書き込みには独自の解釈をするんだね。
おもしろい人だ
あのさ
面白くないよ 痛々しいだけで
マジレスすると、確かにキミのような考え方もあるにはある
だがこのスレで延々積み重ねられてきた考察を馬鹿にすんな
>>200 これだけ根拠を出せと言われているのに無視して、
噛み付く相手はそこだけか?
まあ、もういいから勝手に無限の可能性について考察してろ、
一人でな。
>>200 全発言を通じて、
関羽の行動は誤りとはいえないと繰り返してきたのは誰だ?
行動に誤りがなかったなら、
普通、結果に対する責任もそいつのせいではないってことになるだろう、
自分の発言内容を良く考えろよ、
まあ、お前には無理だと思うが。
不毛だなあ。
せっかく回ってるスレなんだから、もう少し建設的な議論をしましょうよ。
>>198 重要なのは、蜀書の関羽評に「士大夫に傲慢で自信を持ちすぎ」とあったが、
それを書いたのは陳寿だということ。蜀に思い入れのある彼がそう書いたのは
何を意味するのかを考えれば、関羽評は信用できるものになる。
>>200 議論したいなら、挑発的な発言は控えた方がいいぜ?
「関羽の外交術の利と害」というテーマ自体はなかなかだと思うから。
「害」の方が多かった、責任者として関羽には重大な責任があるってことは認めないといけないけどね。
こいつぁ一流の釣り師だ
いっきにスレまわすたぁやるねぇ
歴史のなかで一つの結果が出るに至るまでには
勝った側な要因、負けた側の要因、さらには自然現象や偶然や運といった様々な要素が複雑に絡み合って一つの結果が出るのだと、再三言っているのだが
>>83のように前スレで関羽に全要因がある、という結論が出てるという人がいるんで、
だから他の要因や違った角度から見た意見等をいろいろ挙げたんだが、依然として関羽に全要因があると譲らないんで、
>>143 を書いてみたんだがね。
しかしよっぽど認めたくないのか、俺のことを「関羽には全く責任がないと主張してる人」と揚げ足を取って攻撃してくるし。
そもそも俺は終始一貫「原因・要因」について言っているのに、なぜ責任問題にするかえようとするのかねえ。
>>211 全責任が関羽にある何て誰が言ったんだよ。
あんたこそ明らかに関羽の誤りである点まで誤りではないと強行に主張しただけだろうが。
他はともかく、
士大夫層に傲慢で人望がなかったなんていう明らかな失点まで、
傲慢だったからそれまで荊州を守ることが出来た。
なんていう狂気じみた意見を、なんの根拠もないまま主張してな。
大体今更関羽に責任が全くなかったわけではない、
と言っていたことにしようとしているようだが、
あんたの意見じゃあ対呉の外交も北伐についても、
そして部下との人間関係についても関羽の行動は誤りとは言えないってものだろ。
もしそれが正しいとしたら関羽のどこに責任があるというんだ?
もし、何も誤りがなかったというなら関羽に対してどんな責任を問えるというんだ?
逆に聞くが、
もしあんたの立場が「関羽には全く責任がないというわけではない」というものなら、
どのような点で関羽に責任があったのかあんたの意見を言ってみろ。
あんた自身が言うところの負けた側の要因だ。
>>211 いつ私が関羽に全要因があると言いましたか。
>>63>>81で関羽の目論みの甘さを議論にしたから、
董督としての行動を評価してたんでしょ。
>>211 さらに言うなら、
>勝った側な要因、負けた側の要因、さらには自然現象や偶然や運といった
>様々な要素が複雑に絡み合って一つの結果が出るのだと
そんなことは全員分かってる、
そうした様々な要素の中で関羽の行動の誤り、というものが
一つの大きな要因として荊州陥落という結果に影響を与えているといっているんだ。
それに対して、なんの根拠もなく明らかに狂った理論で文句をつけてきたのは、
あんたの方だ、
今更常識的なこといったって誤魔化すことは出来ないぞ。
原因と言う事を大きな視点で考えれば、長江下流域の勢力が自国の維持・発展のために中流域の荊州の確保は必須。
荊州が他の勢力に支配されている場合、戦争も辞さず、ってのは当然だろうな。
蜀側からすりゃ、そんな呉と、せめて戦争状態だけは避けるのが次善の策か。
それすらも、魏・呉に挟まれてる荊州って言う地政学的リスクを負う地域で舵取りに相当な手腕が必要だな。
そんな手腕なんて持ち合わせてない関羽しか藩屏となりうる人材がいなかったのが不幸(蜀側からね)、ってトコかね。
>>203 根拠根拠とうるさい君。
何度も同じこと言わせるなって。心の動きを読み解けって言ってんの。
傲慢な態度の人間を見たとき人はどう思う?マイナスの効果ばかりか?よほど力があるのかと過大に警戒したり恐れたりといったプラスの効果はないのかい?
一方だけでなく、いろんな角度から考察してみろって言ってんの。
曹操が見栄えのいい人を自分に代わりに使者と会わせたりしたのは何のため?どういう効果を狙った?
そういう視点からも考察しろって言ってんの。
こんなことまでいちいち説明しなきゃならんのか。
史料?遜権の心の動きを赤裸々に綴った日記でも残ってるのかい?
>>215 威厳ある態度を取って相手を威嚇するのと、
傲慢な態度を取って相手の不評を買うのは別だよ。
たとえば、関羽が威厳を保ちつつ、そして相手のことも立てるような
戦略的に高度な知恵を持っていることはできなかったのか?つーのを
考えてみればよい。
>>212 甘ちゃんの上司が部下に与える効果はプラスだけか?舐められて仕事の手を抜いたりといったマイナスの効果は?
傲慢な態度が与える影響はマイナスだけ?
考えてみましょうね
なんつーレベルの低いこと論じてるんだ
お前ら全員ラウンコ行ってこい
香ばしくなってしまったな
ぶっちゃけ飽きた
>>219 いい加減にしろ、お前の論歩には飽き飽きだ。
議論とは相手に謎掛けする物ではない
傲慢さにプラス面があったというのなら、それは一体どのような物だったんだ?
人に対して、考えろとか考察しろとか偉そうなこと言って御茶を濁してないで、
自身が先に考えを示すべきであろう
お前は、関羽の傲慢さに如何なる利点があったと言うんだ?
>>216 本当にバカだな。
少なくとも関羽に件に関してはそんな効果はないよ。
現に呉は関羽に対して軍事行動を起している、
ただ威張っているだけなんてはったりは仮に通用しても、
事が起こるまでのことだ。
実際に起こってしまった軍事的衝突をどうにか支えていたのは、
関羽の軍事的才能によるものだろう、
それとも何か、呉は関羽の傲慢な態度を見て恐れをなして逃げ出したとでも言うのか?
で、関羽に責任がなかったわけではないという立場のあんたは、
当然、関羽傲慢な態度によるマイナス面についても評価するはずだよな。
荊州陥落という結果を踏まえて考えればプラスとマイナス、
どちらの方が効果が大きかったかは自明のことろ?
つまり、そういうことだ。分かったか?
>>219 きつ過ぎて簡単に敵に下られては意味ないだろ、
結果に対する責任とはそういうことだ。
間違えた
論歩になってる、論法です
ああ、存分に釣られているな
満足か?満足なのか?しかしセンスは無いよ、君には
関羽があのタイミングで北上したのが良かったのか悪かったのかは知らないが
少なくとも呉との関係が緊張しているなかでたいした備えもせずに軍を動かしたのは明らかに失態
で、そんな関羽の動きを援護できなかった益州の失態
>>226 北上を開始した当初は、江陵や公安といった後背地には十分な戦力を
残してるんだけどね。
備えがなかった、というのはいささか語弊もある気がするよ。
陸遜におだてられてすっからっかんにしちゃったけどな。
そこら辺が関羽という人の限界であると同時に、
陸遜(呂蒙も含む)の優れたところでもある。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 22:55
結果に対して責任を取るのはリアルでも当たり前だと思うんだが・・・。
関羽死んだから責任のとりようがないけどねw
そろそろ終わりにしよう。
要は
>>47や
>>83のような意見に対してそうじゃないだろ、と言いたかっただけだ。
負けた要因も責任も関羽に全くないと言う気はないし、当然ある。
ただ大局的に見て、魏と呉という大国に挟まれ、しかも基本的に荊州を取る気でいる相手に、敗れた人間に対する評価がそんなものかということだ。
俺は関羽が仮に最上と言える手段を取り続けても、魏と呉のどちらかが本気で取る気になればどのみち終わりだったと思うよ。
関羽の態度次第で呉が荊州をあきらめたとは思えないし、
魏が荊州を攻める気になれば、それを止める手立てはなかったと思う。
生き残るも滅ぶも魏呉しだいだったと思うが。
>>120 の、まとめると・・・
からの最後の一文は一理あるが、必ずしもそうではない場合もある。
>>230 誰に言ってるんだ?
そもそも責任の話なんて誰もしてないし
まあ原因は一つではないし、仮に関羽の欠点が修正されたとしても
結局荊州が失陥した可能性は高いだろうな。ということで終了?
関羽でここまで伸びるとは。
前スレでは呂蒙の話題ばっかりだったしなあ。
>>233 結局荊州が失陥した可能性は高い
うーむ、どうだろねifになるからなんともいえないけど
「心の動きを読み解け」
蓋し迷言だな。
諸葛亮だったら・・・なんて書き出すとこのスレ永久スパイラル。
あの時点で荊州任せられる人物は関羽しかいなかった、ってのはFAだべ?
荊州任せられる人物は関羽しかいなかった
けど
関羽には荊州を守りきる能力はなかった(性格込みで)
魯粛はそこも見越して荊州を劉備に渡したのか?
215年ぐらいで関羽と張飛が死んでたら
呉に荊州を返してたかな?
>>231 その程度のことをいうのに、
関羽が傲慢だったから荊州を守れた。
なんていう妄言まで飛び出したのか、
なんともはや・・・・
>>239 荊州失ったら天下三分の計が破綻する。返さないだろう。
関羽、張飛が死んだら荊州総督は簡雍かなw
劉封、孟達コンビもあり?
>>240 せっかく終了したのに。何度も言うように、マイナス面だけじゃなく様々な角度から検証しろってこと。
次の議題に移ってますよ。
>>243 横山やすしは死ぬ前の数年間は落ちぶれた惨めな芸人としかみられてなかったけど、
死後は漫才人生を総括して破滅型天才漫才師の評価が定着したようにか?
>>243=
>>143 だから具体的に反論できずに人任せにしようという態度が叩かれるんだってばw
ネタ投下してくれたことは感謝してるんで、チミもこのへんで納得しなさいな。
>>244 むむっ・・・まさに言い得て妙だな
>>245 >>143に至る流れについても、プラス面についても、少し前のところで説明してるでしょうが。
君はよほど俺のことが好きなんだね。
>>131 遅レスだけど
呉は零陵を返還する代わりに、江夏を割譲させているので
その言い分は正しくないよ
零陵郡より江夏郡の方が戦略的に価値があるのは明らかだから、
呉の方が優位な状況で交渉を進めたと考えた方が妥当
143は傲慢を剛胆・大胆・肝の据わった態度と履き違えている気がするのだが。
いい加減ウザイ。両者矛を収めろよ。
>>246 プラス面?
>>128の
>呉は関羽の強硬姿勢の前に荊州にまったく付け入るスキがなかっただろ。
ってことか?
>>247 江夏は赤壁で曹操を破ったときからずっと孫権の支配下にあったはずだが?
曹仁をおっぱらった後に程普が江夏太守になっている。
そしてそれまで江夏太守だった劉[王奇]はというと荊州刺史になったわけだ。
恐らく孫権伝の「長沙、江夏、桂陽を孫権に属させる」という表記から
江夏が新たに手に入ったと読み取ったのだろうが、
これはもめにもめていた荊州問題に区切りをつけるため
きっちりと境界線を引こうという意味だと思われ。
>>252 長江南岸の江夏(武昌を中心とした地域)は、貴方の仰るとおり呉が領有してたでしょうが
長江北岸の魏が支配してない地域は、依然劉備が支配していたと思われます
何故なら、江夏が劉キから孫権の手に渡ったという記述が呉書、蜀書両方になく
程普は西陵ではなく沙羨に留まり、沙羨は長江南岸に位置しているからです
また荊州分割の交渉をしたとき、曹操は漢中を占領していたので
状況的に劉備は不利であったのにも関わらず、一郡を見返りなしで返還するというのはあまりにも弱腰です
であるため、少なくとも長江北岸の江夏が蜀から呉に割譲されたと考えるわけです
と書いてみたものの、史書における記事が少ないので確信が持てないのですが…
関羽が傲慢じゃなくて豪族や有力者と仲が良くて
孫権と姻戚関係を結んで江夏・長沙・桂陽を劉備が蜀を取った時に
すぐに呉に返還していればよかったのにね
そんな御都合的な事を言われてもな……
257 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 20:49
傲慢って非難することないと思う。
俺からすると、曹操や劉備等の権力を手にした
人間なんてみんな傲慢なところがあったと思っているし。
度が過ぎれば非難されても仕方ないだろ。
>>257 関羽はさ、『春秋左氏伝』をほぼ暗誦しきれたというから、
傲慢な人間の末路がどうなるか、わからないはずがないんだよな。
勿論、同書における作為的な因果応報を匂わせた記述もあるけど、
全く他山の石にもできていないあたり、一個人の人間としての器で
みるなら、程度は知れてるといっていいな。
まあ元はヤクザもどきだし……
しかし並々ならぬ武将であったことは間違いないし
関羽くらいしか指揮官が居なかったのがヤクザ上がりの劉備軍団の限界なのかな
蜀は別に人材が無かった訳ではない。
劉備に好かれていた、ナンバー2だから。
荊州人や益州人は完全には信用できないからね。
>>257 歴史上の出来事である以上結果に対して評価を下されるのは致し方ないよ。
傲慢であったが故に人望がなく、
結果荊州を失い自身も死亡という事態を招いてしまった以上、
その点を非難されるのは全く当然のことだ、
仮に傲慢ではなかったとしても守りきれたとは言えない、
などという仮定の話は何の弁護にもならない。
仮に傲慢な面があったとしても、
それによって致命的な結果を招いてはいない劉備、曹操等とはそこが決定的に違う、
というかそもそも比べるべくもない事例だ。
264 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 21:27
曹操も劉備も孫権も、みんな傲慢だよ
荊州人や益州人で、劉備が信用してた
人は法正と呉イぐらいかな?
荊州側にしても、劉備の腹心ならともかく、
益州の事しか考えなさそうなヤツ=益州人の言う事は聞きたくないだろ。
だから荊州の首脳陣に益州系の人間が配置される事はありえない。能力の有無に関係なく。
かといって荊州生え抜きの人間を置くと、劉備としては荊州独立の心配をしてしまう。
だから荊州生え抜きも荊州首脳陣にはしづらい。
となると、残るはもっと前から劉備に仕えていた、全幅の信頼を置けるヤツしかない。
関羽、糜芳、士仁あたりはそういう連中だろう。
そういう消去法で生まれた人事だよね。
蜀の基本戦略からして魏との対立が不可避である以上、
出来ることなら呉とは関係を改善したいわけだ。
無論、それが極めて難しいことなのは明らかだが、
だからといってその為の努力を一切せず、
逆に火に油を注ぐようなことをした関羽の態度が問題であるのは疑いようがない。
言うまでもなく人心を掌握できなかったというのも大問題だ。
結局一州を統括できるほどの人物ではなかったと言わざるを得ないが、
まあ、それだけの人物がそうそういるものでもないし、
仕方がなかったとという面はあると思うが。
このスレの根底には蜀への愛があるな
269 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 22:00
>>267 >出来ることなら呉とは関係を改善したいわけだ。
>無論、それが極めて難しいことなのは明らかだが、
>だからといってその為の努力を一切せず、
>逆に火に油を注ぐようなことをした関羽の態度が問題であるのは疑いようがない。
それは、呉も同じだ。
出来ることなら蜀とは関係を改善したいわけだ。
無論、それが極めて難しいことなのは明らかだが、
だからといってその為の努力を一切せず、
逆に火に油を注ぐようなことをした呉の態度も問題であるのは疑いようがない。
だって、呉は荊州欲しかったんだもん。
赤壁に勝つ前からの呉の長期計画の内だったんだから。
正直、蜀との関係は破綻しても良かったんじゃない?
272 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 22:12
呉は荊州だけでなく、呂泰を漢中太守に任命したりと
蜀全体を取る気でいた。
それは呉にとって、なにか問題があるの?
>>269 ところがそうでもないんだな、
呉としては別に魏に接近して同盟を結んでも大きな問題はない、
それどころか、実際に形式的なものにせよ、
魏に対して臣下の礼すら取っていた時期もある。
呉の戦略としては荊州さえとって磐石の防御体制を得てしまえば、
蜀、魏の侵攻に対しても支えきれる自信はあったし、
事実そうだった。
その為には一時的に魏と協力することくらい、
呉としては至極当然の戦力であったわけだ。
そこら辺の双方の立場の違いを考えれば、
関羽の行動がいかに稚拙であったかは明らかだな。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 22:51
>>274 >蜀、魏の侵攻に対しても支えきれる自信はあったし、
さすがに、魏と蜀の両方と同時に敵対したら呉は危機に陥るだろ?
呼応して攻めて来なければなんとかなる、と考えたのではないか?
そして、魏と蜀が呼応する可能性はまず無い。
>>275 だからそうならない様にするが外交でしょ。
呉はできて関羽にはできなかった。
143さんわかる?
呼応されてもなんとかなるような気もするが。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 22:57
>>276 軍事面では魏が有利だったけど、外交面は呉が有利だったわけですか?
>>265 潘濬も信用されていたとは思う。孫権が大胆すぎるだけ。
>>275 大丈夫でないの?陸遜も劉備と曹丕をほぼ同時に撃退してるし。
陸抗はもっとつらかっただろうけど、守りきってるし。
>>279 有利というより、キャスティングボードを握ってる立場だよね。
呉がどっちにつくかで情勢が決まるような。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:01
>>281 圧倒的な軍事力を持っている魏と、外交面で主導権を持っている呉は
総合的に互角の立場だったわけですね?
>>279 呉は(皇帝を称するまでは)魏に対してはいつでも従属しうる立場だったし、
蜀に対しても同じ。(こっちは従属というよりは同盟だろうが)
皇帝を自称するのが遅かったのは、この利を最大限に利用する気だったからかも。
しかし魏と蜀の間にはそれはありえない。
なにを議論したいか解らないが
それをするのが外交で呉はできたから。
問題なし。
>>274の続き
が、だからといって呉との関係改善の道が全くなかったわけでもない、
呉が荊州奪取を何があっても変更の余地なしの既定方針としていたなら、
もっと早い時期に魏と結んで荊州に狙いを定めていたはずで、
少なくとも合肥方面に触手を伸ばす余地はなかったはずだ、が呉は合肥も攻めた。
思うに、呉には天下を取る意思はなかったと見る向きもあるが、
孫権には中原に打って出るという考えも捨て切れなかった面もあったのだろう。
その場合は後方の安定は重要な条件になり蜀呉同盟が必要となる、
特に直接国境を接する荊州の太守が信頼にたる人物かどうかはもっとも重要な要素、
判断の決め手ともなりえたわけだ。
ところがその情勢で関羽のあの態度、
孫権としては仮に中原に出たくても先に関羽を何とかしなくてはならなくなるし、
何より本国の安定を重視する豪族たちとしても荊州の確保は既定方針、
かくして荊州侵攻は呉にとっての最重要課題となり、
関羽の運命はほぼ決したわけだ。
全部関羽のせいは言い過ぎでも自業自得という批判はまあ無理からぬところだろう。
>>275 当然だ、だが既ににのべたように蜀の建国理念、というかそもそもの存在意義からして、
魏との同盟ないし協力体制の樹立はほぼあり得ない、
故に蜀魏が連携して攻めて来る可能性は極めて低かったわけだ、
逆に魏と呉が共同して攻めてくる可能性はそれに比べれば格段に高く、
荊州の指揮官たる関羽はそのような事情も考慮しなければならなかったわけだが、
残念ながら関羽にはそのような意思は欠如していたようだ。
ま、外交で細かく立ち回って点数を稼ぐ関羽ってのもイヤだしね。
劉備もそうだが、本気かどうかは明らかじゃないけど「漢の再興」という
大義名分を掲げて戦って、あえて外交面で自らを追い込んじゃってる。
そういうとこが人気ある理由なんだと思うぞ。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:10
関羽が呉に譲歩するべきだったのは、たしかに言うまでも無い
288 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:11
蜀から見れば、魏も呉も同じように逆賊だったのでは?
289 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:15
>>288 いや、魏は簒奪志向で呉は独立志向だから
蜀の立場でも、呉は魏ほどの大逆賊では無い。
蜀が呉を破っても魏が従属することはありえないが、
蜀が魏を破ったら呉は藩国として従属するという目がある。
蜀としてもムリして倒す相手ではない。
>>288 帝を傀儡にし蔑ろにする魏の方がより許しがたいわけですよ。
建前上はね。
だからこそ呉が皇帝を名乗った後も同盟を続けたわけだ、
無論建前だが蜀の場合はこの建前がかなり重要だったわけだ。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 23:26
>>291 曹丕には、帝位を簒奪しないで後漢皇帝を傀儡する選択もあったはず
>>286 しかし、イメージで言うなら他国の君主を犬とか罵る関羽もイメージじゃないな、
俺的には、
光輝で三国志に入った口なんで、
漫画でそれまで完璧な人間だった関羽いきなりそういう態度を取ったのに、
違和感を感じた。
まあ、実際の関羽は元からそういう奴だったということなんだろうが。
>>293 そう、吉川の初登場時は慎重で思慮深い香具師だったのに・・・
まあ、とりあえず荊州を失うという結果に、
関羽のいくつかの失策が大きく影響していたのは疑いようがないよ。
それだけが全てではなくともね。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 00:15
曹丕が帝位を簒奪しないで帝を傀儡した場合は、劉備も孫権も皇帝を自称できないはず。
しかし、もし魏が帝位を簒奪しないで帝を傀儡していて
かつ呉が皇帝を自称した場合は、事態が複雑になる。
建前だけでも帝に忠義を誓っている魏と、後漢の領土の一部を簒奪して独立して
帝に正面から反旗を翻した呉では、表向きは魏より呉のほうが逆賊扱いになる。
それでも、蜀の建前では魏の方が大逆賊ということになるのだろうか?
傲慢というのは見方を変えれば潔癖にもなるわけだ。
部下や人民には慈愛の人だった関羽は、また、上司に礼儀正しく同輩には冷淡。
つまり、同情も尊敬も出来ない人物は相手にしないという態度なんだな。
こういうのはむしろ潔癖症な人物が陥りやすい罠。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 00:23
>>297 実際には起きなかったから、疑問形で言われてもなぁ
というより呉は魏、蜀に対してさほど気兼ねする必要がなくなったから皇帝を称したのであって、
曹氏が禅譲を受けないままだったにせよ、呉が皇帝を称する頃には魏や蜀を何とかする自信があることになる。
だから蜀の建前なんぞ知ったことじゃないだろうね、呉は。
ところでそんなに仮定に仮定を重ねて何が言いたいの?
あと、普通「領土を簒奪」とは言わないだろ。「傀儡する」も初めて聞いたけど。
建前と本音は別だからなあ。
根底にある本音は劉備の「天下を取って皇帝になりたい」
という希望であって、簒奪とか逆賊云々の理由はそれに対する
後付けの理由に過ぎないし。
劉協が生きてるのに勝手に漢中王を名乗ることも逆賊行為だよ
よくわからないが143は呉を悪者にしたいのか。
>>301 本音と建前はそれほどはっきり分かれているものではないと思う。
なにせ漢朝が長らく絶対的な権威だったわけだから、劉備みたいな人物は
その臣下として本分を尽くすので十分な気持ちが、かなり後期まであったはず。
魏に簒奪されるくらいなら、いっそのこと・・・
そんな気分がないわけではないが、でも口には出して言えない。
入蜀後の部下とか諸葛亮あたりはもっとリアルに考えてたろうが。
ところが関羽あたりはそのへんの機微がわからず、建前に走ってたような雰囲気もあるな。
そう考えると、あの傲慢ともいえる態度も多少は理解できないだろうか。
>>303 悪者にしたいというより関羽が好きで
呉は興味ない感じ
>>304 私は劉備は第二の劉秀になりたいじゃないかと思ってた。
だから漢中王や皇帝になったと思ってた。
>307
確実に狙っていたと思う。
関羽の荊州北部や許昌方面への調略
が成功したのも、中原の人たちの中に
「漢が再び復活する」
と考えてた奴がいたからじゃないかな、と妄想してみる。
そういう意味で、関羽の軍事行動のタイミング自体は悪くなかったような気もする。
問題はあまりに杜撰な組織管理と破滅的な外交感覚にあるような。
そりゃ、呉との間に起こった摩擦の全てが関羽の責任、てことはないと思うけど。
そのタイミングだって諸葛亮の作戦では、
漢中との共同のはず。関羽が先走った行動では。
しかし、タイミングについては一応本国との意思疎通はあったんじゃあなかったっけ?
あったはず
漢中で劉備が曹操と対峙してた時だから
牽制か曹操のいない隙を狙った行動
俺の書き込みは
>>249が最後なんだけどなぁ・・・
>>312 分かった分かった、
まあ、結局荊州を失ったということに関しては、
関羽の責任が極めて大きかったという事実に変わりはないんだから、
もう、どうでもいいよ、
このことに関してはあんたも納得済みだろ。
蜀側で誰の責任になろうが、とりあえず呉が一人勝ちしたのは間違いない。
>>313 お前は本当に負けず嫌いだなw
あと、まじで
>>249 以降は俺じゃねえよ。
お前の相手は飽きた。
それじゃあな
なんだ、このヤロウ! こっち見てんじゃねぇよ(・∀・)ウケケ
>>143 お前が最後まで名無しに戻らないから悪いんだろ
荒らすつもりがないんならもう黙ってろよ
>>316 お前もくだらない
まぁ、
>>249以降は皆おおむね内容のあるレスつけてるから、
そこに
>>143が加わってなかったのは明白だな。
>>315 負けず嫌いって言うか事実の確認だがな、
関羽に責任ありってのは結局最後にはあんたも認めていただろ?
どんなに多方面から検討したってこの事実に変わりはない。
実際、荊州の総責任者で、外交・人事面で大きな過ちを犯し、
結果荊州を失い自身も死亡したという事実がある以上。
関羽の責任は問われない訳にはいかない、ごく当然のことだ。
まあこの程度の自明のことをわざわざ念押しして繰り返したのは
しつこ過ぎたかなとは思うが。
>>314 呉の一人勝ちとするのは短略的。
てか過去ログよーく見れや。
うむ、本当の一人勝ちは魏だな。
>>314 荊州の獲得は呉にとって最重要問題ではあるが、荊州から蜀を駆逐した
ことで魏の打倒がほぼ不可能になったともいえる。
直接・間接的両方の可能性で。
魏のひとり勝ち、というのは三国時代終焉をみたうえでの結果論かもしれない
けど、自分としてもそういった結論に達してしまうなあ。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/19 22:44
>>323 呉の最後は自滅に近い形でもあるわけだが
仮に呉健全に国を運営していた場合呉は魏に確実に滅ぼされただろうか?
魏の侵攻を何度となく退けてきた実績を考えると
魏の打倒は不可能になったかもしれないが決して
魏の一人勝ちが確定したとは言えないのではないだろうか?
>>324 呉があの地域に閉じこもって命脈を保ったとしても、
それを「勝ち」とは言えないと思うが、
それを言ったら実際に三国で最後まで残ったのは呉なんだから、
呉の勝ちと言えるわけだが、
それもなんか違うと思うし。
要するに、
中華人民共和国の一人勝ち
328 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/20 16:16
関羽の死で激しく鳴いた。
だから関羽討伐などやめれ
>>328 どういう鳴き声なんだ?
クマー、とか、モナー、とかか?
330 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 11:00
≫329
グモォッ?グモォォー である。
関羽が外交できなかったから見通しが甘いとかいうのもかわいそうだと思うな・・・。
そういうのは政治家、軍師の仕事だろ・・・。
なぜ軍人にそういうのまで求めるんだ。
要はしっかりした補佐官を派遣してなかった国(孔明)が悪い。
>>331 なんでそこで諸葛亮がでてくる?
そもそも後漢末から三国時代に文・武の職掌の明確な区分なんてないよ。
全くの武人肌でも、郡や県の統治を委ねられれば行政を管掌してる。
>>331 喪前は都督とか総帥とか方面司令長官と、普通の将について考察して来い。
司法、行政なんかの権限は、ある程度の規模の軍になれば普通にある。
もちろんある程度の制限はあるがな。
>>331 だからこそ、関羽は一方面の総司令官の任を務められる人物ではなかったということなのよ。
それから、しっかりとした補佐官というが、
関羽は士大夫層に傲慢であるという大きな欠点があるからね、
しっかりした補佐官がいてもその意見を聞き入れたかどうか分からない、
挙兵当初からの仲間ならともかく、新参の荊州・益州出身者では難しいだろう。
というか、この欠点さえなければ、
少なくとも史実のような最悪の事態は免れた可能性も高いと思う。
ちゃんと荊州人士きっての俊英・潘濬をサポートに就けてた。
潘濬の能力は、降伏後に呉の太常(九卿の一つ)にまで昇進したことからも折り紙付き。
これを活かせなかった責任の一端は関羽にあると言えるんじゃないだろうか。。
やはり方面軍司令クラスの人材じゃなかったんだろう。
・・・ただ、関羽って魏将の列伝読むとボロボロに勝率悪いのに「名将」扱いなんだよな。
これ、すごく不思議。
>勝率
戦争には状況があるからな。
以前
>程c:「関張は一万に敵する」
>直前に楽進や徐晃に敗走させられた人物を何故そんな高評価するのか不明。
>もし、事実だとしたら「一万の敵を破った味方がいるのに一万の敵を恐れている」
>ことになり、訳が判らない。
なんてことを言ってるやつがいたが、逃げるが勝ちって言葉もある。
関羽が名将って、いわゆる前時代の呂布みたいな武勇における名将って意味なんだろうな
別に軍勢の運用とかそういうのじゃなくて
338 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 18:39
関羽には軍事のみの権限を与えておけばよかったんじゃないの。
内政・外交等は、孫乾のような人物が刺史として担当として。
339 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 18:58
関羽の司令官としての手腕は、
少勢で魏の八軍を破って曹操に遷都を考えさせたくらいだから、
名将と呼ぶにふさわしいと思うよ。
というか、ほとんどの戦は関羽(劉備)側が少数だろ。それで負けが多いから名将でないというのは無理があるよ。
>>338 誰であろうと刺史に任命しちゃうと、官位が孫権劉備と同格になってダメポ
やっぱり司令官ともなると、局地戦の強さだけじゃなくて
政治情勢を見てどう動くべきか判断する事も必要なんじゃないの
蜀を破りながら魏との同盟があてにならない事を悟って
深追いしなかった陸遜と比べるとどうしても見劣りしてしまう
育ちがいいからな陸遜は
関羽はその名前が戦略的価値を持ってたんだよ。馬超と同じ。
>>344に同意。
物語初期、或いは後漢時代の歴史記述で「劉備」と書かれた部分は、
関羽・張飛も多分に含まれていると思われる。
おそらく、ここで関羽は評判を積んだのであろう。
また、風貌やカリスマ性はこの時代はまだまだとても重要。
曹操配下時代も都にて多くの人物に会ったはず。
群雄割拠時代はどうしても“武”が物を言い、
特にその中で最後に残った劉備(軍)は旧世代/武世代の象徴。
関羽はその筆頭家臣として大きな武名と自負を持つ。
そして劉備政権はその性格を引きずったままだった。→関羽死す
公孫サンも陶謙も呂布も劉備も、
武力に頼み士太夫層を軽視したため、滅んだりダメージを被った。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 12:42
このスレは関羽を論ずるスレに非ず。呉の荊州侵攻について論ずるスレだ
関羽も夏侯淵も優秀な軍人だったが優秀な司令官ではなかったってことでいいかな。
一軍の将としては優秀ではあるけど三軍の将帥としては不足、ってあたり。
両者とも重要な拠点を失陥したということで
大局的に見れば、両者の置かれている立場がいかに困難であったかということがわかると思うがな。
重要かつ守るのが困難な拠点をまかされたという時点で、二人が優秀であるということは証明されている。
それだけその二人は当時、主君や同僚から高く評価されていたということ。
>>352 >重要かつ守るのが困難な拠点をまかされたという時点で、二人が優秀であるということは証明されている。
………
「重要かつ守るのが困難な拠点をまかされたという時点」
これだけで優秀と判断することは出来ないと思うが…
もっと明確な根拠を提示してもらいたい
何レスか前に、多角的に人物を見ろと言っていた香具師がいたんだが…
ただ要地を任されたという一事で優秀とするのは、暴論の極みと思われ
夏侯淵の方は実際に武功あげまくってるじゃん。
根拠も何も、そこを任されているということは、
最もふさわしい人物と認められてたってことでしょ?
わざわざ不向きな人を配置するほど、魏や蜀の首脳がアホとは思えないけどな。
他にいるなら他の人にしてたんじゃない?
夏侯淵にしろ、関羽にしろ任命権者の曹操や劉備が
「最良の人選」だとは思っていなかったんじゃないかな。
それぞれ欠点があり、任命権者はそれを知悉していたので。
ただ、他に適任者がいなかったのだから仕方がない。
それぞれ「お目付役」(関羽=潘濬、夏侯淵=張コウ・郭淮・杜襲ら)を
つけて、欠点をフォローできるように苦心していたと思う。
>>355 それが違うのよ
>>354の方が言ってるように、夏侯淵には長安という要地を任されて
馬超を相手に守りきった上、その勢力を打倒したという実績があるのですよ
実績や地位が考慮された上で漢中を任されたのです
一方、関羽は荊州まで一度も大権を任されたことがありませんでした
関羽が荊州を任された理由は、このスレや前スレでも語られているように
関羽より地位と軍人としての名声があり、
なおかつ劉備の信頼の厚い人物がいなかったことが大きな理由と思われます
劉備の元にも実力的に荊州を任せるに相応しい人物はいます
さんざん名前が挙がっている、諸葛亮と潘濬ですが
劉備の入蜀の段階で、彼らの地位や軍人としての声望は関羽より劣り
劉備に仕えて日の浅い彼らが、関羽を差し置いて荊州を任されることは考えにくいでしょう
地位や名声といったしがらみに囚われずに、要職を有能な人物に与えられるのなら
三国の君主の苦労は相当軽減されたことでしょう
諸葛亮や潘濬じゃ、いざ合戦となったときにダメでしょ。
能力のほかに、信用できるか、が選ぶ要素として重要だろ。
独裁者劉備は荊州との縁が深い連中に荊州任せる気はなかっただろうよ。
反乱とか起こされても困るだろ。
独裁者って・・・
>>357 しがらみの部分だけど、関羽は荊州の守りなんかより、劉備と一緒に益州や漢中を攻める方を望んだと思うけどな。
諸葛亮や潘濬が任命されても特に問題はなかったんじゃない?
>>358 駄目か駄目でないかは何とも言えませんが
君主である劉備を除いて、
蜀には文武に置いてバランスがとれている人物が、諸葛亮と潘濬くらいしかいないのですよ
法正や蒋エンもバランスがとれていますが、入蜀当時では諸葛亮と潘濬より非現実的でしょう
>関羽は荊州まで一度も大権を任されたことがありません
カヒを任されたじゃないか
独裁者だよ。
三州牧(実質二州だが)を兼ねた奴なんて劉備ぐらいだぞ。
荊州にしたって名目上にしろ主は劉備で、関羽も潘濬も代官みたいなものだ。
荊州の軍事権を荊州人に持たせてしまうと、主である劉備が荊州をコントロールできなくなる恐れが大。
だから劉備は実力があっても諸葛亮や潘濬のような荊州系の者に軍事権をすなおには与えないだろうな。
>>361 そうは言っても、要職を任せるに地位や声望を無視することはできんでしょう
敵味方に声望があり、盪寇将軍という高位で、劉備挙兵からの臣下である関羽を差し置いて
他の人物の抜擢なんて、そう簡単には出来ないですよ
張飛を差し置いての魏延抜擢が、周囲を驚かせたのも当然というわけです
>>363 あれは…下ヒの守備を任されただけで、一州を預かるのとは比較できませんよ
>>366 >あれは…下ヒの守備を任されただけで、一州を預かるのとは比較できませんよ
そりゃそうだが、無い州は預けられん
少なくとも徐州でも新野でも劉備が別働隊を任せたのは関羽だった。
>>367 言いたいことは分かるけど…
貴方も、私が敢えて「大権」という言葉を使ったわけも理解していただけるでしょう
一州を預かるほどの大権を与えられたことがないのは、事実なのですから…
そういった要職に就いて実績のある人物が、入蜀当時の劉備には劉備当人の他一人もいなかった
しかし誰かに荊州を任さなければならんでしょう
そして、その当時では地位や名声、劉備との信頼等から
関羽の他には選択肢がなかったと考えるわけですよ
魏との合戦は不可避と見て、武勇と指揮能力の高い関羽が選ばれた、と見るのが妥当なような気がするけどな。
諸葛亮や潘濬は呉や部下とはうまくやっただろうけど、魏を相手に合戦できるほどの力はないだろうし。
ついでに法正も性格に難があったのでは?どこか一郡を任されていたら、張飛のような末路をたどったんでは・・・
諸葛亮のような調整力を持ち、関羽のような武勇を誇る人なんていないような気がする。
ここでの定義によると、優秀な人なんていないって結論になるような。
>370
当時の蜀朝の荊州総督はすんごく難しい役職だと思う。
統率力・調整能力・軍事的指導力・戦略的な判断力、いろんなものを要求されるし。
魏や呉にだって、勤め上げることが出来る人物がそうそういたとは思えない。
夏侯淵よりも関羽のほうが難しい立場ではあるな
魏蜀随一の名将でも短期間すら荊州を守りきることはできなかったのに
呉は滅亡まで守りきったことから結果的に呉にとって荊州獲得は正解
>>373 イリョウ前後のリクソンの動きは見事しかいいようがないしな
でも当初の計画だと襄陽まで確保する予定だったんだよな。>呉
376 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 15:21
夷稜の役は実は呉の最大の危機だった
陸遜が劉備を完膚無きまでに叩き潰し尚且つ取って返し魏の侵攻も防いだ
もしここで呉が劉備に負けはしないもののてこずっていたら
魏との2面戦争となり呉は滅亡していた可能性が限りなく高い
よって陸遜はすごい奴
378 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 15:45
やっぱりりっくんはすごいんだ
確かに一連の呉の動きは見事だったな
あれで三国のうちのナンバー2の座を占める事が出来た
まあその後、魏よりも先に政治の乱れがやってきて、その状況を上手く利用しきれなかったわけだが
380 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 20:06
魏、呉、蜀が実質的に滅亡したのは・・・
魏:249年(司馬氏に実権を簒奪された)
呉:258年(孫綝の反乱で孫亮が廃位された)
蜀:263年(劉禅が魏に降伏した)
私は、こんな感じだと思う
ただ魏(晋)の場合はその後も活力を失わなかったってのが呉と違う点だな
382 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 20:50
呉は孫綝を抹殺して復活したぞ
383 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 20:52
復活したかなぁ?
ただの内部抗争だったとも思える
>>381の「活力」という言い方をすると蜀って滅亡寸前まで結構活力を持ってたように思えるな
独立した勢力としての滅亡と、王朝(皇統)の断絶がごっちゃになってないか?
>>380のいうのは滅亡っていうより、国として「もうダメぽ」になった、ってことか?
>>385 だったら蜀は孔明が死んだ時点でもうダメぽだと思うが。
王朝(皇統)の断絶という意味なら
>>380は正論ですね
実質的ではない、孫綝の専横と司馬氏のクーデターが
同列に語るレベルじゃないだろ
389 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 00:36
もし曹叡が長生きしていても、結局は司馬氏のクーデターで廃位になったと思う
曹丕が60まで生きていれば何ら問題なし
曹丕と曹叡、どちらかが長生きしてれば違ったかも知れない。
孫権が長生きしてれば違ったかも知れない。
>392
「耄碌する前に早死にしてれば」の間違いじゃないのか?
394 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 00:56
>>393 孫権が耄碌しても、孫亮や孫休よりマシだろ
395 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 00:58
>394
耄碌して、後継者指名で最悪の結果(重臣たちの粛清&幼君即位)を招いた。
たとえ、凡庸な君主だろうがまともな人間が補佐する体制を残せれば良い訳で。
孫登が長生きしていれば、が正解。
孫登が長生きしていれば、が正解。
いやいや
そこでk道栄ですよ。
彼を殺さずに荊州を任せてたら蜀が中華を制してたでしょうな。
>>398 はいはい、乙。
いい加減、ひとつ覚えのネタで飽きないか?
400 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 12:55
孫堅>孫策>孫休>孫亮>孫権>孫皓
402 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 14:54
耄碌してりゃいいんだよ
耄碌←これなんて読むの?
もうロクでも無い事ききますね
404 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 15:19
405 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 22:15
>>376 魏が侵攻した時、陸遜は、劉備と交渉中で動けなかったはず。
防げたのは、朱然の働きのおかげだと思う。
この時の朱桓の言葉を見ると、曹仁って、呉の人から凡将だと
思われていたみたい。
>>405 結局、蜀魏の侵攻で最も功績があったのは陸遜と朱然だからね。
曹仁に対する評価が低いのは、赤壁後の南郡での戦いに起因している
ように思うよ。
え、朱然って趙雲に一突きで殺されたんじゃないの?・・・とボケてみるtest
曹仁vs周瑜って俺の中ではあの時代1、2を争う名勝負だと思ってる。
>>407 知っててわざとだと思うけど、戦死していないし、曹真・張コウ・夏侯尚の
侵攻を防いでます。いちおう、ね。
息子の朱績もなかなかの出来物。
411 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 01:27
背中に出来者ができて死んだのは曹真だっけ?
休
あそこで曹仁勝ってたら天下は統一されてたとか
414 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 02:59
ネタスレにしようと必死なのか
>>413 南荊州の重要拠点である南郡を保てると保てないじゃ全然違うしね。
劉備の蜀入はもちろん荊南4郡を落とすことすらできなかったかも。
案外韓玄等が功臣として史書に名を残したりして。
朱然は江稜で獅子奮迅の働きですな。
ふっとばす 初めて見たわ。
420 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 14:54
>>418 もうろくにご飯も食べてないから、もうろくして、もうろくなレスも出来ないのでは?
421 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 21:33
呂蒙は関羽討伐について、方法論などについては文句をつけられないが
果たして結果やその後の影響などに(善悪を述べる前に)考えたことがあるのか?
呉はその後長い間の独立を維持できたのだから、後の影響と言う意味でも呂蒙の荊州取りは正解だし、
呂蒙もそういう結果になると考えたからこそ荊州取りに着手したんじゃないか。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 21:51
>>421 その後のイリョウで呉が魏呉の挟撃を受けて滅亡と言うわけでもないし
ケイシュウ取りは正解だと思うぞ
それからウン10年先に滅亡したっての直接原因でもないだろう
424 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 21:54
さらに孫呉政権でそういうことの結果を充分検討・吟味したとも考えにくい。
もし検討したのなら正史に何らかの記述があってもいいのだが…
劉備の東征に対して呉は、確かに勝ったが、どうも後手に回った感がすることは否めない
予め検討していたなら、この東征も予測範囲内であり、対策は充分なされていたはずだ
江南に割拠するのが目的なら荊州取りは正解だろうけど、
もし、カンヌとリョモウが共同で北進してれば
ひょっとしたらひょっとしたんじゃないかという気はするな。
あと1年同盟が維持されてれば曹操も死んで状況は変わったんじゃないかと。
まだやってるのか・・・^^;
結論でなさそうだし議論のために議論するのは
不毛だと思うんだけど。
議論だけを楽しみたいのならそれはそれでいいか・・・。
>>425 呉の目的は、江南に割拠した上での天下取りなんだから、江南割拠に必要な荊州奪取は何に代えてもやるよ。
呉の国是みたいなもんだもん。
それに、曹操が死ぬのは関羽や呂蒙が争う段階では確定事項ではないんだから、425の最後の1行は考慮の対象にならん。
希望的観測で兵を進めないでしょ。
「来年当たり金総書記が死ぬに違いない」とか言って外交したりはしないだろ?
>>425 同僚とすら不仲な香具師と、共同作戦など出来るか!
そもそも若い頃の孫権が劉備を京で飼い殺しにしていればこんな苦労はしn(ry
難しいところだな
あのまま荊州奪わなかったら三国の中で逼塞していきそうだし
430 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 22:25
431 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 22:29
>>428 言いたいことはわかるが、劉備が素直に飼い殺されるタマだろうか。
かといって始末しちゃうと公孫サンと劉虞のような結末に。
>>432 あの時期なら出来たと思う。
さすがにずっと飼って置くのは無理だろうが、数年の間に荊州と益州を手に入れてしまえば
劉備一党に出奔されてもさしたる苦労は無い。
もっとも周瑜があと十年くらい、少なくとも五年程度は余命に恵まれてくれないと無理な話だ
が。
呉の国是みたいなもんなら、何故に関羽の娘との縁談を持ちかけたんだ?
435 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 22:53
>>434 1 懐柔 関羽、ひいては荊州を孫権側へ取り込む
2 人質 攻めない代わりに人質取って事実上影響下に
3 断ることは計画のうち、非礼があったとして開戦理由に
438 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 23:02
>>436 ただの婚姻でそこまでの効果は期待しないだろうよ、
最終的にはどうか知らないが。
やはり普通に考えるなら、
呉には荊州方面を同盟強化で安定化させ北上を狙うというプランも、
戦略の一つとしてはあったのだろうと思う。
その可能性は関羽自身の手で崩されしまった訳だが。
439 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 23:11
いやぁ、そんな事より、別冊宝島のムック本「三国志2戦争編」での
劉備と関羽は兄弟というより同盟関係に近かった説は実際の所どうなんすかね?
>>427 それだけではなく425の視点は蜀にしか向いていないな。
>>439 俺はそれ読んでないけど、割と聞く説。
その考えだと色々合点がいくよね。
あと、張飛がそうだったという説もたまに聞く。
でも山口久和の劉備論が一番説得力あると思う。
>>440 呉ヲタの視点も呉にしか向いてないだろ。
延々と続きそうな流れだけど、そこはかとなく
>>426に同意。
まあ議論を楽しみたいからここに来てるわけだし・・・
なにも絶対無比の結論が出るなんて思ってないしね
というか、
この板で結論が出ないから不毛って・・・
かなり的外れな指摘だと思うが。
だいたい、不毛ってなんだよ?
オレの頭が薄いからって酷い言い草じゃねーかよ!
>>427の呉の目的は、江南に割拠した上での天下取りなんだから、江南割拠に必要な荊州奪取は何に代えてもやるよ。
呉の国是みたいなもんだもん。
と関羽の荊州を治める能力が欠けていた
この二つがだいたいスレの意見で多いんじゃないの
蜀の立場
荊州と蜀を取って関中と中原に攻撃する
そのためには荊州を自分で抑える必要がある
(割譲はあっても江陵など要地を明け渡す事はありえない)
呉の立場
江南を全て抑えた上で中原への進出を狙う
荊州、特に江陵近辺の領有が必須
(これは魯粛の長期計画)
しかし軍事力や支配権の問題で一旦は劉備に委ねざるを得なかった
孫権と関羽の縁談なんてのは、一度は一触即発の緊張状態になったことを考えると、
そのあとにそれを水に流そうというポーズ(本心ではないだろう)を孫権が取ろうとしたのだろう。
呉としてはその時は江陵奪取は時期尚早だと感じたということだ。
しかしただでさえ劉備のいない荊州には付け入る隙があるのに、関羽は北上してしまった。
関羽の北進が独断なら関羽のせい、本国からの支持なら蜀全体=劉備のせい。
同盟を信用したことが「せい」か?
現代の倫理観で言えばそうかな。。。
まあ千載一遇の好機を領土問題で逸した蜀と呉双方逝ってよしってとこだろう。
おかげで魏は曹操の死から禅譲までなんの障害もなく突っ切れた。
>関羽の北進が独断
同年七月の孫権の合肥攻めと歩調をあわせたという説もあるぞ。
それほど千載一遇でもないし好機ってわけでもないけどな。
>>451 俺もそう思う
曹操が遷都を考えたことが原因なんだろうけど
シバイとか魏の家臣は戦って負けたんじゃないからって
全く動じてなかったし、呉と劉備勢の同盟の危うさも理解してたようだし
>>450 どっちもとてもじゃないが同盟を信用しているとは思えないんだが。
呉は劉備が荊州返還の時期に関しての返答に不信感を抱いていたし、関羽は関羽で婚礼
の使者を罵ったり、呉の備蓄基地を襲ったりしてる。
関羽の北進は「同盟を信用していた」からではなくて、「どうせ攻めてきやしない。攻めてき
たって鎧袖一触だわ」と呉を舐めきっていたからではないか、と。
>>453 >関羽の北進は「同盟を信用していた」からではなくて、「どうせ攻めてきやしない。攻めてき
>たって鎧袖一触だわ」と呉を舐めきっていたからではないか、と。
司令官を陸遜に交代させたうえでへりくだった手紙を送ったりして積極的に
関羽が荊州を留守にするよう工作してるじゃないか。
>>454 それはそうだな。
しかしあんな手紙に舞い上がってしまう関羽もいかがなものかと・・・
456 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 19:41
それが関羽の限界だった
だって孔明から「髭殿」って誉められただけで
舞い上がっちゃう香具師ですから
自尊心をくすぐられちゃったんだろう
>>455 関羽殿は孔明に髭と呼ばれて舞い上がってしまうような奴ですよ・・・
459 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:25
呉ヲタが関羽を叩いてオナニーをするスレはここですか?
460 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:36
呉ヲタってネクラな奴が多そうだなw
461 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:40
関羽叩く前に孫権はどうなんだ?酔った勢いで家臣を殺しまくってたんだろ。
まったく・・・・・。少し気に障る事書かれると怒っちゃってさw
463 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:44
単なる人殺しの呉皇帝に比べれば関羽のほうが百倍立派だろ。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:49
本当に不毛なスレだな
465 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:52
はぁ!?劉備こそただのムシロ売りでしょ?
蜀ヲタって本気で漢皇帝の血を引いているって信じてそうだなw
>>463 そんなに怒るなよ。確かに後半の孫権はあまり好きじゃないな
なんてたって神君様を殺したんだから・・・・・
467 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 20:57
>>465 プッ
孫権こそ孫子の血を引いているとか、アホ丸出しなこと言ってなかったか?
468 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:02
まあ、蜀ヲタが何を言っても
国力 呉>蜀
面積 呉>蜀
存続した期間 呉>蜀
だからw
469 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:09
うわあああああん呉ヲタがいぢめるぅ!うわあああああああん
470 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:10
うええええええん
471 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:11
うおおおおおおん
472 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:13
うああああああん
473 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:13
うきぃーっ
474 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:14
うへへ
475 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:19
うほっ
476 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:20
あわわわわ
477 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:20
シェーッ
478 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:24
ぎぎぎぎ
うんこ我慢してたら下痢気味のが出ちゃった
お前らパンツ洗うの手伝ってよ
480 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:26
がはっ
481 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:27
481
482 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:33
オナラプー
483 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:35
うんこちんちん
484 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:36
485 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 21:38
下痢ピー
よーするに
孫権が晩年耄碌したのは
関羽の呪いってこと
が結論ってことにしとけ
陸遜も憤死させてウマ−
487 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/29 22:23
関羽が降臨したのかw
雷禅がもうちょっと優秀だったら蜀は曹操たおせtkなな?
GWだなぁ
ところで雷禅って?
492 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 10:36
雷禅が若い頃は一人でも魏と呉を潰すことができた
壮年になったら無理なのか、雷禅。
幽助のおとっつぁんだっけ?
495 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 13:54
幽助の先祖じゃなかったっけ?
関羽は中途半端に切れてたから、軍師を付けないのが痛点。
つーか、馬謖みたいのが側にいれば無敵なのに
構ってあげると、レスが伸びます
499 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 16:55
雷禅が若ければなぁ・・・
500 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 17:50
>>439 アクセス規制の為、超遅レスでスマンのだが。
関羽と劉備の関係は同盟に近かったというのに異議を申す。
ひとつは、関羽の千里行は、同盟っていうドライな関係で成せる業なのか?
ということ。
もうひとつは、義兄弟の契りっていうのは、本当であっても可笑しくないと思うけど。義の漢の代名詞とも言える関羽だし。俺は義兄弟の桃園の誓いがあって
それを貫いたというのを信じたい!ということ。
雷禅と曹操だとどっちがつよいですか
502 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 19:00
若い頃の雷禅なら雷禅だけど、年とってからなら互角じゃないか?
503 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 21:03
今日は呉ヲタはオナニーしないのか?
504 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 21:14
孫権厨房
505 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 21:15
ああ、スレが変な方向に・・・
506 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 21:18
しょうがないよ。低俗な叩きをやるスレは荒れるのが常識。
今は黄金週間だから多少の事は我慢しなさい
508 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 21:46
このスレに常駐しているアンチ関羽は、伊達スレにいるアンチ政宗と同一人物なのかな?
このスレを荒らしてるやつは自演だけど
有名な黄金厨の実物が生息するスレはここ?
511 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 22:14
アンチをやる奴は低脳
>>508 アンチ関羽なんてこのスレにはいませんよ。
>>513 全部読んだわけじゃないけどさ、それらしい書き込みはいくつかあったよ
516 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 22:52
アンチ関羽スレはここですか?
この荒らし前も別スレとか同じようなやり方で荒らしてたな
情けないほど進歩のない奴だな
呼んだか?
iニ=ニi、
/,r__l
l l‐ァ、lrァ!
,イ,j、ー__‐,l、
/ ノ`ー' .l ヽ
/ /i!シラミ|_,`>、
,ヽ、/リ'|シラミlリ l!`
/⌒ ィ . |シラミ| ); `ヽ
/ ノ^ 、 |シラミ|。_人 |
! ,,,ノ爻\|シラミ|_ノr;^ > )
( <_ \ヘ、l シラミ/__rノ/ /
ヽ_ \ )ゝヽ/、_ア〃 /
ヽ、___ ヽ.=┬─┬〈 ソ、
〈J .〉、|. 関|, |ヽ-´
/"" |.. 羽|: |
レ :|: | リ
/ ノ|__| |
| ,, ソ ヽ )
.,ゝ ) イ ヽ ノ
y `レl 〈´ リ
/ ノ | |
l / l;; |
〉 〈 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽnm
519 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 23:07
521 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 21:18
呂蒙は関羽討伐について、方法論などについては文句をつけられないが
果たして結果やその後の影響などに(善悪を述べる前に)考えたことがあるのか?
さらに孫呉政権でそういうことの結果を充分検討・吟味したとも考えにくい。
もし検討したのなら正史に何らかの記述があってもいいのだが…
劉備の東征に対して呉は、確かに勝ったが、どうも後手に回った感がすることは否めない
予め検討していたなら、この東征も予測範囲内であり、対策は充分なされていたはずだ
>>521 コピペに頼らず自分の意見を言え
しかもその内容も後手に回ったとか東征に対して対策されてないとか
演義のイメージに近い思い込みで書いてあるぞ
蜀と魏が組むことはありえない
単独では蜀は魏に敵わない
その状況で蜀が攻めてくるとは思ってなかった
あるいは攻めてきても十分打ち払えると思っていた
525 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 10:28
>>523 正史でも同じだよ。
>>524 勝てる相手だから、勝ってしまえばそれでいいというほど単純なものではない。
526 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 12:17
>>525 荊州をやすやすと奪える好機を見逃せと?
あそこで三国中のNo.2になれたからこそ最後まで生き残ったんだと思うが?
結果だけを見れば明らかなのにね
呉は一体何を失ったの?
荊州に攻め込むのが予測範囲外だったとしたら孫権は先制したって事でしょ
もしも荊州健在中に東征が行われてたら、もしもを考えればいくらでもあるけど結果では呉は好転してる
反撃も、曹丕の南征も防いでる
ベストな手段とは言い切れないけど否定する人はもっといい手段を挙げてからにするべきでは?
>荊州健在中に東征が行われ
蜀には魏を差し置いてまで呉を攻める理由がない。
荊州を奪わずに、蜀と連合してあのまま魏を攻めたならどうなったか?
呉が動かなくても関羽は一敗地にはみまわれそうなんだよな・・・
関羽健在のまま曹操の死っていうイベントを迎えてたら、それでも呉は魏に尻尾を振ったかな?
>>521=525
どうして呉が東征に対して検討も対策もしてないと言い切れるんだ?
関羽生存時、死亡後の同盟中ですら国境地帯はお互い常に警戒していたぐらいなんだぞ
実際に軍事衝突や兵の増強問題でかなり不穏になることもあるのに
劉備の精鋭軍に白帝城に近い巫や秭帰クラスの地点を奪われただけで
対策なんてやってないっていう考えがでる時点、演義の劉備の快進撃から来る
イメージで語ってるとしか思えない
532 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 13:16
関羽の生死に関係無く、呉に荊州を占領されたからには
劉備は東征せざるを得ないのでは?
>>530 >>尻尾を振る
諸葛亮が外交で呉に好意的に接したこと行動を
諸葛亮が呉に尻尾を振っていたと野次るようなもんだぞ
劉備の東征は予め、江陵で固く守っておけば
どうとでもなるって踏んでたんじゃないの
裏を返せばそれだけ荊州は呉の国防にとって重要な場所だったんだろう
>>531 俺も検討も対策もしてないとは思わないが、
諸葛キン伝の感じからすると北方の脅威を持ち出せば全面戦争は避けられると考えてたんじゃないだろうか。
確かに夷陵の戦いには大勝したけれど、おかげで蜀の北進に気を配る心配のなくなった魏に
222年から曹丕が死ぬ226年までの間、三度も攻められてる。
劉備の東征ってどの程度の規模だったの?
演義のイメージ通り蜀上げての出兵だったのか
それともたいした出兵ではなかったのか
そこらへんによってまた違ってくると思うんだが
537 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 14:20
>>536 動員兵力4万
当時の蜀の将官級の人物はほぼ全滅。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 15:21
陸遜伝では呉は5万を動員してる。
占領直後とはいえこれだけ揃えられて、対策とかが無かったというのはムリないか?
むしろロバからの手紙を含めて、硬軟両端の対策が万全だったとさえ言えそうな気が。
荊州を攻めずに蜀と共同して魏を攻めるとなると、合肥か徐州を攻めることになるな。
徐州は守るに難いから奪ってもすぐ奪い返されそうだが、もし合肥を攻撃して
占領に成功したらどうなったんだろう?
542 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 17:36
呉の合肥攻めはいつも失敗していたが、これは孫権が指揮していたためと思う。
呂蒙や陸遜に任せれば合肥は落とせたんじゃないかな
543 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 17:38
それもあると思うけどやっぱり長江越えはものすごい高い壁があると思う。
呉は局地戦においては強い
だけど大規模な作戦になると豪族集団だから弱い
みたいなことが書いてあったな 三国志新聞に
このはやさで大喬たんの膣チラ写真きぼんぬ
このはやさでは無理だ
547 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 18:27
三 ニ
シャッ 三ニ 三三ニ シャッ
再び『時を加速』させた───ッ!!
/// ∧∧ ∧∧ ヽヽ
ヒュン /// Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) ヽヽ - ― ニ´_ゝ`)
三ニ /// と |っ ニ- ―ニ -ニ三三
ニ-三 | 〜 三ニ三 ― ニ-三三
三三 し`J - ―ニ―三三
548 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:33
549 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:53
長江を渡って合肥を占領したって、維持できるわきゃねーだろ。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:57
それは早計すぎないか?
551 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 20:04
劉備が呉に攻め入った隙に、魏が蜀に攻め込んだら
どうなっていたのだろう?
蜀滅亡
553 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 20:09
>>552 じゃあ、魏には絶好の好機だったのですね?
漢中には魏延が控えており、一筋縄ではいかないだろうが、
劉備も引きあげるだろう。
しかし、それでは魏にとって一番面白くない結果となる。
魏は蜀呉が争い、お互い戦力を浪費して漁夫の利を得ることが一番ありがたい。
555 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 20:13
>>554 >劉備も引きあげるだろう。
それは、ちょっと疑問だな・・・
556 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 20:23
>>553 魏は蜀に攻め入るも呉に攻め入るも絶好の好機だった
全体的に見ていると魏は地理的に厳しい上にたいした魅力もない
蜀の地に食指があまり動いてないから
呉攻めに行ったのは妥当だったろうけど
そこは名将陸遜の絶妙な判断によって阻まれましたとさ
557 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 20:31
>>556 しかし、蜀を制圧すれば呉を圧倒できるよ
>>554 お互い消耗どころか稀に見るワンサイドゲームだったからねぇ・・・
>>556 司馬イとかはヤメロっつったのにね。
曹丕はこと呉攻めに関してはことごとく判断を誤るな。
>>557 蜀くらい取られてもなんとかなるよ。
西稜と江稜さえがっちり守ればどうにかなる。
確かになんで魏はあそこで呉を攻めたのかな・・・
臣下の礼を取りながら太子を人質に出さない呉に対する懲罰、という名分はあるけれど
560 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 20:55
>>557 後に魏が蜀を制圧した後呉を制圧するのに20年近くかかってるし
それも呉の自爆の要素が強い
圧倒はできるだろうけど、それなら魏にとって絶好の好機だったら
呉に攻め込んだ方が得るものが大きいでしょ。
呉を制圧できれば蜀なんてゴミみたいなもんだし。
で、結論を言うと陸遜は神!!
孫晧みたいなDQN君主が即位しなければ、
五胡の襲来まで持ちこたえた可能性は十分あるしな
一時的に蜀とは仲違いしても、荊州を抑えて長江上流に
蓋をした呉の戦略は間違ってないと思われ
562 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 21:14
もし魏に孫晧みたいな君主が即位していれば、どんな結果になっただろう?
563 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 21:18
孫晧を孫亮と同じように廃位にできなかったのだろうか?
晋がただ放置プレイしてただけだろ
566 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 21:28
純粋な疑問なんだが
よく呉が荊州を獲ったから魏の勝ちが決まったというけど
蜀+荊州 呉 VS 魏
でも
蜀 呉+荊州 VS 魏
でも
どっちでも同じだと思うのだがその辺どうなん?
どっちでも同じだから魏の勝ちが決まった、ってことじゃ?
つまりは関羽の北進のときに、荊州を奪わずに魏に攻勢をかけるべきだった、とか
むしろ、後者になって良かった面の方が大きい
>>566 蜀と呉が戦力を消耗したせいでかえって魏との差が開いてる。
呉の最終目標は「江南独力での独立政権樹立→天下を窺う」であって、はっきりいって蜀のことは眼中にない。
むしろ周瑜が企画したように、隙があれば長江を攻め上って天下二分に持ち込めたかもしれないくらい。
逆に、劉備と一緒になって曹操を倒せても、成果は半分しかもらえないことになる。
そういう意味で、呉には関羽が北上した段階で協力する価値も必要も義理もない。
眼中にないというか、積極的に妨害してるが・・・
このはやさで大喬たんの膣チラ写真きぼんぬ
574 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 21:55
呉は蜀と魏を争わせて漁夫の利を狙う作戦だったからな。
機を窺っているうちに蜀は滅亡・・・
>江南独力での独立政権樹立◎
>天下を窺う×
まあ第一目標は達成できたわけだな。
やっぱり陸遜の偉大さは群を抜いてる!!
576 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 21:58
陸遜は戦術、戦略両方に優秀だが・・・
機を窺いすぎて天下への望みも自分の地位も失った。
戦略的にはやっぱ魯粛が一番か?
家柄は陸遜が一番
578 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:01
>>567 仮にそれで魏を凹ますことが成功しても
呉にとっては魏が蜀に変わるだけで圧倒的に不利な立場に立たされる気がする
実際は関羽は公明さんに凹まされたし。北上しても厳しかったと思うが
その点がっちり荊州を奪取した判断はそう悪くない。
後の蜀の侵攻は呉の責任じゃなくて蜀の自爆だし
荊州奪取で正解だったと思いますよ。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:02
赤壁の戦いのとき、劉備は呉に逃げ込んでいたのだから
表向きだけでも劉備を呉に組み入れる絶好機だったのでは?
問題は襄陽を取れなかったことだな。
司令官と副指令がちょうど死ぬって運なさ杉
>>571 妨害って、荊州取った事?
あれは>江南独力での独立政権樹立
に必要なこと。
蜀の方は、元々の天下三分計画がそもそも長期間に渡る独立を意図するというより、中原を攻め取るための地盤作りという面が強い。
しかも孫権を倒すのはムリだから同盟するべき、という考え。
呉との関係決裂→侵攻を止められなかった時点で、蜀の三分は破綻していたのだ。
582 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:05
魯粛は劉備派だから結果的に死んでよかったのかも知れん
583 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:06
>>579 周ユの天下2分の計では劉備陣営を組みこんでいく感じだったはず
だけど中国一の反骨野郎の劉備を下に置くなど誰であろうと不可能です。
584 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:08
>>582 魯粛は劉備を魏の牽制として使うつもりで、頃合をみて荊州を奪うつもりだったらしい。
あの有名な「呉下の阿蒙にあらず」の逸話は魯粛が呂蒙に荊州攻略の戦術を聞いた時のことだったらしいよ
585 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:09
>>583 劉備を徐州方面で対曹操の最前線に配備しておけば良かったのでは?
586 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:09
>>582 魯粛は劉備派とかそんな甘っちょろい思考回路はしてませんぜ
魯粛の三分の計だって二分への流動的な計だし
劉備派とかそんなこと無しに天下の大勢を読み取り最善の手を打つでしょう。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:09
>>584 要は魯粛は劉備を利用しつくして捨てる気だったと。
>>587 そして本人こそ死んだが、おおよそ思い通りになったわけだよな。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:13
呉って魯粛の戦略のレールに沿ってるだけかよ・・・
孫権は劉備の扱いについて魯粛を批判してたと思うが
592 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:14
もし魯粛が生きていれば、関羽討伐は無かったかも・・・
>>588 さぁ、そればかりは分からんね
魯粛の大局観や外交戦略は他の誰よりも上に行っていたから
そうだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれないし
594 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:15
魯粛だったら関羽が宛辺りに迫ってから後方を襲うんじゃないの?
関羽が曹仁に勝ってたらの話だが。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:17
魯粛が生きていたら、いずれ蜀も手に入れていただろうな。
596 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:18
つまり魯粛はもはや我々凡愚には予想も付かない奴だということでよろしいですか?
597 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:19
魯粛なら、関羽と共闘して魏を制圧にかかるだろう
魏を完全に制圧してから、蜀と決戦に挑むと思う
598 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:22
魯粛がもう少し長生きしていたらどうなったかね?
あの関羽の北伐を荊州奪還の好機と見ただろうか?
まあそれ以前に関羽が北伐を実行しない公算も高いが
みんな魯粛、魯粛連呼しすぎ!!
600 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:25
>>598 >魯粛がもう少し長生きしていたらどうなったかね?
魏も危なかっただろう、滅亡する可能性もあったと思う
601 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:26
途中からネタスレになってるな・・・
602 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:30
魯粛=太公望だな
603 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:39
604 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:39
ROSYUKUが二人おれば我が軍は負けておった
605 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:42
魯粛は当代きっての英傑だった。
606 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:01
>>579 周瑜はその気だったが孫権が却下したらしい
607 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:04
もし孫策が長生きだったら、どうなっていた?
608 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:04
あれは猪武(ry
609 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:05
劉備は恐ろしい男だからね。離れを貸して母屋を取られる、ということになりかねない
610 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:06
劉備に関わる奴は皆悲惨な末路を遂げているという
611 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:06
>>607 孫策が史実の孫権と同じ運命を辿ると思う
612 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 23:56
孫策は曹操攻めの途上に亡くなった、
だから長生きした場合、そこから導き出せる答えは一つ!
大敗して弱体化
実は魯粛が一番の過激派だよな。
誰よりも孫権を帝位に付ける気マンマンだった・・・
過激派っつーか、タカ派だな
タカ派じゃないな、積極派といったらいいものか。
曹操の南下に対して真っ先に抗戦論を唱えたのは魯粛だっけ?
それとも周瑜?
618 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 06:18
魯粛は、温厚篤実な人柄で書かれることが多いけど
実際はとても過激な好戦派だよ
忠臣というよりも、自分の御輿を頂点に頂かせる野望に
燃えていた育成ヲタク
閑羽が北上したならば、間違いなく後方から襲っているだろう
619 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 06:20
>>617 魯粛
ほとんどの重臣が様子見しようと言ってた中、一人頑張って
徹底抗戦を叫んだ
しかも会議の最中、重臣一人一人に詰め掛ける程の剣幕
>>619 魯粛は会議中は発言せず、席を立った孫権に直訴したんじゃなかったっけ?
>620
それ蜀よりの演義を元にした横山漫画の魯粛だ
622 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 09:32
魯粛はキングメーカーか?
會權得曹公欲東之問,與諸將議,皆勸權迎之,而肅獨不言.權起更衣,肅追於宇下
【孫権は曹公が東に軍を進めようとしているとの情報をを得て、部将たちとどう対処すべきか
議論した。みな、曹公を迎え入れるよう孫権に勧めたが、魯粛ひとりは何もいわなかった。
孫権が手洗いに立つと、魯粛はその後を追って軒端まで出た。】
>>621 あれ?それ横山だったっけ?
記憶がごちゃまぜになってるな
>>623 と思ったらこっちに書いてあったな
魯粛が圧倒的劣勢の議論中はずっと黙ってて
便所に立った孫権捕まえて
他の重臣は家柄いいから降服しても大丈夫だけどお前さんは家柄悪いから
どうなるかわからんですぜとハッタリ噛ましたんだっけ確か。
スレ違いSage
626 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 18:42
>>591 所詮孫権では魯粛の長期的戦略が理解できず目先の利をえらんだのさ
すっかり魯粛スレになってるし(w
香具師はまだ十代〜二十歳の孫権に「こんなチンケな戦果で満足すんな! さっさと皇帝
になって漏れを宰相にしてくれよ」ってな態度で接してたんだよな。
三人の戦略は
周瑜→劉備一党を切り離し、劉備は贅沢させて天下の事を忘れさせ、関羽と張飛は前線で
使っちゃおうぜ
魯粛→とりあえず劉備を矢面に立たせ、利用価値無くなったら攻勢に出ましょ
呂蒙→いいから領土拡張だ! 劉備も曹操も倒してしまえばいいじゃん
と、こんなモノか。
意外とこの時期の孫権ってどっちつかずで決断力無いんだよな。
>>596 若き日の魯粛は近所から既知外だと思われていたので、その感想は間違いではない。
まあ、魯粛の武略は濡須でも証明されているからね。
629 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:25
軍師の才能は、
周瑜>魯粛>陸遜>呂蒙
こんな感じだろう
>>627 呂蒙の時期が丁度魯粛の考える劉備に利用価値が無くなった頃だったんじゃないかな。
で、呂蒙になってから荊州取れたからって、孫権は魯粛の策の真髄を忘れて批判ですよ。
で、問題は魯粛が生きてたならば同じことをしたかどうか?ですよ
魯粛なら関羽が勝つか負けるかするまで待ったんじゃないかな。
それは魯粛にしか分からない。
>>577 周瑜のほうが上、陸遜は地方貴族にすぎんが、周瑜は高級官僚を立て続けに出した名家
孫策と知り合ったのは、いうなれば疎開先の出来事。
>>631 劉備の入蜀後には相当の勢いで関羽に噛み付いてるからなぁ。
劉備、関羽があの態度を取り続けてたらやったと思うよ。
・・・つうか、呂蒙に荊州の攻略手段訊ねてるくらいだし・・・
635 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 21:44
良スレage
魯粛がストッパーだったら近鉄が首位だな
637 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 22:24
魯粛であろうと、いずれは劉備と衝突したと思う。
ただし、呂蒙のように、そう短兵急に荊州討伐に踏み切ったかどうか?
呉に対する、魏への矢避けに巧く劉備を使っているし
孫権を帝にさせるべく、魯粛は一生懸命だった
これを踏まえたら、関羽の袋小路な状況を見たら
遠慮なく攻め取っていたと思うよ
ただ諸葛孔明の考えと一緒で、蜀を利用したと思うから
関羽の首までは取らなかったと思う
恩を売って領土を確保し、中原への攻勢を強めていただろう
呉の情勢も、赤壁から一転して好戦派が権力を増やしてるから
なんのかんのと魯粛の計は当たっていた
呉の悲劇は魯粛の死後から始まってる
陸遜は書生と武官に馬鹿にされ、武官との対立がひどくなり
そうして君主に文句を言って首を斬られる悲惨な末路
呉は好戦派の中でも猪武者な武官ばかりが蔓延ったため
次第におかしくなっていく
これが後に呉が滅びる原因にもなったわけだけどね
蜀も呉もアンポンタンな臣下とインチキ占い師に滅ぼされる所なんか
そっくりだ
魯粛が生きていたら主君の教育もしっかりやると思うから、案外
歴史が変わっていたかも知れない
諸葛謹の息子がアレじゃなかったら、もっと何とかなっていたかも
そう考えたら残念でならない
639 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 23:00
魯粛が、あと10年生きていたら
魏は、呉と蜀に攻め滅ぼされていたかもしれない
>>638 よくわからないけど、
>>陸遜は書生と武官に馬鹿にされ、武官との対立がひどくなり
つーのは何?
孫和派、孫覇派の対立とか、有力豪族に対する孫家政権の牽制とかの
理由なら知ってるけど、武官との対立ってのがよくわからん。
てか「武官」って何を指しているのかがわからない。
あと「猪武者な武官ばかりが蔓延」って具体的に誰のことだろう。
ご教示願いたい。
ここ、関羽スレのはず・・・
なんでロシュクになってるの?
教えてエロイ人
643 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 00:03
猪武者な武官とは甘寧や周泰や徐盛だな
この速さでお市タンのしみつきパンちゅきぼんぬ!
>>641 関羽に関してはかなり結論がでた感があるからねぇ
多少脱線してもなかなか面白いんじゃないですかね
もう一つ、関羽の話題になるとまず確実に関羽つるし上げスレと化し、今度は荒らしが沸いてくるから。
仕方ないけどな、蜀にとっての関羽と魏にとっての夏侯淵は失地の責任者で張本人だから。
呉ヲタしかいないからね。それも仕方ない。
しかし魯粛は脚色しやすいんだよな。
実権持ってから死ぬまでが早すぎるから行動が見えなさ過ぎ
649 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 01:33
>>643 呂蒙も入るでしょ
張り切ってたら失敗しそうになり、んで仮病つかったり
なかなか向こう見ずなお茶目な面も猪っぽい
あと、孫権の甥っ子の何て言ったっけ
あれも猪武者
魯粛は荊州3郡を口先だけで手に入れた。
呂蒙は荊州2郡?を武力を持って手に入れた。
いや別に深い意味は無いよ。何か韓信とレキイキの話を思い出した。それだけ。
>>627>>629 その考え方は明らかに可笑しい
呉の国家戦略に採用された魯粛はともかく
周瑜や陸遜より戦略面で、呂蒙が劣ると考えるのは早計という物です
こと防衛戦略においては、他の三人を凌駕するのが呂蒙ですよ
呂蒙は、北方防衛の要である濡須に堡塁を築き難攻不落とし
揚州に突き刺さった魏の領土、皖城を落とし
江陵と夷陵を確保して西方の防衛を安定させた
これらの土地が呉の防衛に置いて、如何に重要であったかは改めて語る必要もないと思う
つか、濡須、江陵、夷陵(西陵)を要衝とする防衛戦略は滅亡まで変わらなかった
>>651 呂蒙は荊州5郡を切り取ったんだよ
魯粛の戦略は壮大だが具体性が欠ける
しかし、呂蒙はその戦略に具体性を持たせ上で実践することが出来る
魯粛と呂蒙は、呉のベストコンビと思うよ
>>638 > 関羽の首までは取らなかったと思う
ここだけ疑問。
もし、関羽生かした場合の処遇だが、どうなるのだろう。
1.捕虜として幽閉、ころあいを見て処刑
2.条件をつけて蜀側に返還
歴史にIFはないかも知らんが、呉としては1.になるのかな?
>>651 魯粛が口先で手に入れた郡なんてないよ
呂蒙が武力で南部3郡を切り取って、その後の話し合いで1郡返した
656 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 07:01
>>653 間違いなく幽閉だろうね
蜀を泳がせて、魏をつつかせ、呉に兵を向かせないための駒にしただろう
劉備も贅沢で呉に閉じ込め、劉備軍の猛将を操ろうとしたくらいだ
上でも出たけど、魯粛がもう少し長生きしてたら呉の歴史は変わったと思う
書生時代は変わり者で有名だったけど、士官してからの人脈の広さは
呉においても随一だった
諸葛謹とか呂蒙とか色々拾ってきた人を見る目もあるしね
関羽が命ごいしたのならともかく、そうでないなら幽閉など無理。
それは失礼に当たることだから呂蒙や甘寧などが反対する。
というか、魯粛もそうだろうし。
658 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 07:25
名のある武将をぞんざいに扱うと呉の名が汚れる。
そういう愚は犯さないだろ。
いままで陸孫マンセーだったけど
なんか魯粛マンセーになってきた
そういや関羽って処刑?戦死?
おまえも処刑
関羽vs虞翻を見てみたかった
捕虜とか処刑とか言ってるけど、
実際は捕虜になったとは書かれていない。
関羽伝でも「臨沮で斬首された」としか書かれてないし、
呉書のほうでもその場で切り殺したとしかない。
こんな危険なやつは逃がすか、殺すかしかない。
殺さず生け捕りなんて被害が大きくなるだけで
現実的ではない。
664 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 12:26
そういや孫権は魯粛の後継者に厳oを指名したけど
どうして子明を指名しなかったんだろう。
665 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 12:28
(・∀・)ニヤニヤ
だから、史実とかじゃなくて
もし、関羽を生かす場合は?
というIFの話なんだが。
下手に逃がしたら曹操の関所破り時みたいに
将兵をヌッコロされかねないからな
殺すしか選択は無かったと思う
捕虜にしたら結局あまり変わらないと思うが
かといって逃がしても厄介だし
まあ関羽生存ならもう一度蜀と同盟を組みなおせる公算は高くなるけど
671 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 16:04
捕虜にすれば、取引の材料になるよ
いや、取り引きってどういう取り引きするのさ
673 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 17:11
関羽を返還する条件として、
荊州全域を呉が領有することを蜀に認めさせれば良いと思います。
呉は非難の的だな
675 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 18:51
677 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 19:06
678 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 20:04
>>673は正論!
強国である魏の脅威から守り抜くためには、
それくらい凶暴に振舞う必要がある。
凶暴に振舞う相手が弱小の蜀かよw
680 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 20:07
681 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 20:10
でも人質とって領有権認めさすなんてどっかの自演テロリストと変わら(ry
マジメな話、そんなことしなくて現に荊州は呉の物になってるんだから
そんな神経逆撫でするよりも、素直に解放したほうがいいんじゃないの?
あくまで人質とかにするよりは、ね
682 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 20:14
>>681 魏なら、強国だから政治的な意味で素直に解放する選択もあるけど
呉は、魏に比べて弱小だから軍事力を駆使してテロ紛いな凶暴さを示す必要があるだろうな・・・!?
>>681 >でも人質とって領有権認めさすなんてどっかの自演テロリストと変わら(ry
>>673はそこらへんをネタにしたつもりなんだろうが、なんかマジレスしちゃった奴が
空気をおかしくしてるな
684 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 20:29
旧ソ連が無法者の如く凶暴に振舞ったのは、アメリカに対抗するためだよ
>>673が言いたいのは、これと似たようなものだよ
あの時代にそれは出来ないだろ
「我は蛮夷なり」の楚ならともかく
ちなみに蜀は約束を守らない事では有名だからな。その辺も考慮しろな。
人質なんてムリ。
橋玄が自分の子供を人質に取られた時、子供の事を気にせず犯人を攻めたんだぞ。(子供は死んだ)
もっと前の例では劉邦は人質の父親を見捨てた。
劉備は関羽を人質にしてもそれには乗ってこないと思うし、孫権もそれが分かだろうから荊州とは引き換えにしないだろうね。
688 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 20:53
捕虜交換の材料には使えても、さすがに荊州とは交換できないと思うよ
てか既に荊州が呉の領土になってる状態から何を交渉するんだ
交換するも何も、関羽が捕虜になった時点で荊州は奪われていたわけだが。
ああ、687は「関羽返すから荊州に攻めてこないで」という意味。
>>691 たとえ劉備が納得したとしても、関羽が逆上する悪寒・・・
>>691補足
で、呉が仮に関羽を捕虜にして「関羽返すから荊州に攻めてこないで」と言っても、
もしくは「関羽の命が惜しかったら荊州攻めてくるな」と脅しても、
劉備は「私情で国を左右できん」などと言い訳しつつ攻めてくるだろう。
劉備本人はともかく、劉備の下の荊州出身者が納得しないから。
カンウが攻めた時に、呉は徐州豫州を攻めれば公孫辺りと通じてエンショウの残党とかも放棄すれば一気に幽州まで行けるかもしれない
でもって、蜀が刑州北部を取り馬超のおかげで涼州を取り長安を取って洛陽は呉で弘農の決戦とか妄想してみる
695 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:02
>>694 魯粛が生きていたら、もしかしたら可能だったかもしれない
徐州で分断されてマズーって事態になりそうなんだが。
697 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:07
目先の小利にこだわった呂蒙は馬鹿
どこが小利だよ
>>694 妄想にしても少々リアリティ無さ杉
それにそのとおりになったとしても勝つのは呉だな。荒れ果てた関中持ってるのと、豫州や青州や洛陽近辺を持ってるのとでは価値が違う。
700 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:19
荊州→小利=魏の圧倒的優位は変わらない。
男なら小覇王の遺志を継いで、北上して天下狙わんかい!
いや、ずっと荊州領有を国策にしてきたんだから、北上する方がよっぽど目先の利に惑わされた行為だ。
702 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:27
小覇王はあの世で嘆いていただろうな・・・
703 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:36
荊州領有という国策自体が、守勢を基本とした情けない目標だ。
機を見て柔軟に方針を変えて北上すべきだった。
呂蒙は頭が固い。
南郡を得ることで後背の憂い無く北上できるんだから問題ないんじゃない?
>>703 蜀と共同で北上すること自体が、他力本願な情けない作戦だ。
自力で北上して中原を取れるような地盤を整えてから北上すべきだ。
703は頭が固い。
706 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 22:59
>>705 いくら地盤を固めても、魏との国力兵力差は埋めようが無い。
結局は単独での北上など不可能。
よって、あの機に北上すべきだった。
呂蒙は時勢を見誤った。
>>706 それを言うんだったら劉備こそ曹操が涼州討伐いっている間に
蜀なんぞきりとってないで北上すべきだった。
いくら地盤を固めても、魏との国力兵力差は埋めようが無いのだから。
関係ない蜀に攻め入ってもたもたしているもんだから
劉備、孫権、馬超と三方から攻めいる機を失ったのだ。
708 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 23:13
いきなり劉備の話を持ち出されても・・・
孫策、周瑜の亡きあとの呉は去勢された犬。江東に引き籠もり守勢に撤するなど情けないかぎり。
関羽と歩調を合わせた所で、今まで散々失敗してきた北上が
成功するとも思えないけど
710 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 23:29
孫策にしろ周瑜にしろ目標は中原に覇を唱えることだった。
江東に割拠するなんて国策自体、魏を破る術を見いだせず方針転換した縮小目標。
>>710 >江東に割拠するなんて国策
孫策の遺言だべ
曹操、強すぎだね〜
713 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 23:38
>>711 孫権にその器量がないと見て、そう遺言したわけだ。
それを覆してこそ男。
714 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 23:41
孫権に実力が無かったとしても、周瑜が生きていれば
北上して中原を狙っただろう
周瑜は蜀を狙いました。
で、長生きしてたら蜀取れたかね〜
>>714 その周瑜が生前に孫権に示した策が
「荊州そして蜀を手に入れ、襄陽を拠点として北上する」だよ。
う〜ん、リアリティは全然なささすぎですねw
>696さん
刑州北部からカンウが睨みきかせてれば徐州もそうそう分断されないんじゃないかなと思うんですが。
蜀と違って呉は何度も魏に大規模な南征を起こされてるのに
地力をつけずに北伐を繰り返したらすぐ滅ぼされるよ
それに北伐の回数は蜀も呉も同じぐらいの数だろ
関羽との連携という点について問題はいくつかあるけど、その一つは
関羽の能力を信用し切れない
という事だと思うが。
実際には心理的にも翻弄され、背後を突かれて敗れているわけで、その程度だと元から思われていたとすれば、蜀と同盟して北上するプランが魅力的だとしても「蜀側の大将が関羽では勝てないジャン」と呉が考えたかもしれない。
>>717 それとは別に劉備を呉に留めて、関羽・張飛は私のような者に率いさせてくれとも言ってるな。
>>720 さすがに呉はそこまで関羽の軍事能力を過小評価はしてないよ
いつ暴走して攻撃してくるかわからないといった信頼のなさを警戒してた
>>721 うむ。蜀に攻め入る策を示す前の話だがな。
関羽・張飛を使う策では同時に劉備は梟雄だといっている。
つまり同盟相手としては全く信用していないわけだ。
724 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 00:11
関羽の軍事能力を過小評価していたなら、関羽を処刑していたかどうかは疑問だよ
信用できないなら信用できないなりに利用しましょうというのが>魯粛
信用できないから裏切らないうちに殺してしまいましょうというのが>呂蒙・陸遜
信用できないから配下との仲を引き裂いて無力化しましょうというのが>周瑜
>>726 陸遜はそこまでタカ派とは思えないんだが。
蜀も荊州なんか呉に渡して
さっさと長安攻めればいいんだよ。
そうすれば涼州も取れるし、
劉備、関羽は目先の小利にこだわった馬鹿。
まぁ蜀も譲れない事情はあるんだが、結果論からいうと
>>728の言うとおりだな・・・
>>728 涼州を取ったら返すといってたじゃないか。信じなかったのは孫権の勝手だ。
>>730 その理屈はおかしい。
外交は相手を信じるのではなく、
相手を信じ込ますのだ。
>>730-731 その時に荊州の一部を返還して
涼州を奪った時に南郡を返還するって
言えばだいぶ違っただろうにねえ
733 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 01:00
益州に劉備が入って固めてしまった以上、益州・荊州を取って魏に対抗するというのは実質不可能となった。
そうなると、
劉備が漢中で勝ち、関羽が許昌を脅かしたときが、呉にとって中原に出る最後の機会だった。
しかし呂蒙は荊州を取り、守りを固める道を選んだ。
結局はそれだけの器量の無い小人物だったということか。
>>733 関羽が援軍の除晃を打ち破って、連動して劉備と呉が北伐を開始してたら
魏の最大の危機になったかもしれないけど
実際はすぐに関羽が除晃に負けて、劉備は漢中での睨み合いが終了しただけの状況じゃあ
最後の機会というほどのことじゃないよ
呂蒙が器量の無い人物ねぇ・・・・・
>劉備が漢中で勝ち、関羽が許昌を脅かしたときが、呉にとって中原に出る最後の機会だった。
美味しいところを全て蜀に持っていかれることを
容認できるのならばそのとおりだろう。
呉は(劉備亡き後の)蜀と違って魏を打倒できればそれでよし、というわけじゃないのだよ。
江南限定レベルの名門の陸家は天下を取っちまったら立つ瀬が無いからな
江南豪族的には、江南に独立政権を立てるのが自分らが安全かつ繁栄する最良の方法。
中央に吸収されては安全ではあっても繁栄という点がアヤシイ(中央に搾取される)。
で、安全確保のためには荊州(特に江陵)も抑えたい。
陸遜あたりの考えはそんな感じじゃないかな。
寒門武人の呂蒙は孫権に認められる(孫権の意思を忠実に実践する)のが唯一の道だしね
>>738 正史の陸遜伝読んでないのか?
自分の私益や安全を守ることに固執せず
忠義を貫いた姿勢を陳寿は最大の賛辞を送っただろうが
741 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 01:48
曹叡が長生きしても、結局は司馬氏の反乱で禅譲を迫られたのでは?
>>740 まあ、その性格のおかげで仕える君主から殺されるんだけどね
丞相になっても君から信じられてたのって蜀の諸葛くらいじゃないのか
劉備はともかく劉禅はそうかもね
>>740 おいおい、俺は陸遜の人格を問題にしたわけじゃないぞ。
「陸遜あたり」と書いてるダロ。
江南の豪族の多くが孫権の覇業に協力した理由、目的を考察したんじゃないか。
孫権に協力した江南の豪族の一人、しかもその中でも有力者として陸遜を挙げただけだ。
陸遜個人の人格は問題じゃない。
それに、呉のために忠義を尽くして戦う事が結局は一族や子孫にとっては利益につながるんだよ。
共同して北上の最大の問題点は、
日ごろの言動から関羽が全く信頼出来ないってとこだろう。
呉はあのときに魏を倒す必要は無い
「蜀が天下を取るにはどうしたら良かったか?」みたいな議論で
方法の一つとしていつもあげられる「引き篭もり作戦」
呉はそれを実行しただけじゃないのか?
結局、魏晋の乱れよりも先に自国の乱れがやってきてしまって駄目だったが
結局のところ呉の策にひっかかり守備兵を割いた関羽が迂闊だったんだな。
呂蒙自身もいっているように、本来南郡をしっかりと守っていれば
呉は手も足も出せなかったわけなんだから。
スレが伸びてると思ったら、「呉は徐州を攻めるべきだった」なんて
電波全開の主張とは・・・・。守れない土地を奪ってどーすんの?
なんで呉が蜀に迎合するような国策をとらねばならぬのか理解に苦しむ。
劉備だってすぐに荊州北部に出兵せず蜀に進出して
地盤作りしたろ、相手が非協力的で簡単に取れる領土かつ土地が魅力的なら
攻めるのが定石だろ、荊州奪取は孫呉にとって兄から宿願なんだから
陳登には守れた土地でも呉は守りきる自信が無かった・・・
攻めてくる方角が全く逆じゃねぇかw
>>749 なんやかんや言っても蜀視点っていうのは知らず知らずに刷り込まれているですね。
>>751 地勢を考えろ
後、陳登舐めるな
>>753 >地勢を考えろ
勢力の大きさもな、ってわけで
陳登>呉
755 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 14:32
>>664 この後継者指名に魯粛の戦略が垣間見えしていると思う。
そもそも厳oは文官で馬にすら乗れないほど、軍事に関しては門外漢な人物だ。
それに対して当時、呉で軍事の才が一番著名だったのは明らかに呂蒙であり、
呂蒙を指名するのが極一般的だ。それにもかかわらず厳oを指名したのはなぜか?
それは呂蒙ではダメで、厳oならいい、という何らかの事情があったからだ。
その事情が荊州問題だ。
呂蒙は生粋の軍人であり、しかもその才は自他ともに認められている。
なるほど、彼なら魯粛の後を継いで呉の軍勢を統括するにふさわしい。
いや、その点に関しては魯粛以上だ。
しかし、この呂蒙が呉の軍事のトップになったら、間違いなく蜀に対して強硬手段を取るだろう。
そうすれば呉は荊州を取っても蜀との対立は決定的となる。
そうなれば一番喜ぶのは誰か?魏だ。
そう、荊州問題は戦略的にその取扱い方が難しく、一気に爆発する可能性を持っている。
呂蒙は軍人としては一級で、その戦術は呉随一だろうか、こと戦略に関しては大したことがない。
呂蒙にこの難しい荊州問題を処理させるには力不足と判断したのだろう。
PS.だからといって厳oというのもどうかと思うが…
陳登厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
江北出身(魯粛と共通)の厳oに白羽の矢を立てる
↓
厳o、馬にも乗れないので断固固辞
↓
孫権「そこまで言うなら、じゃあ次の人事はこっちで自由にやらせてもらうよ」
↓
寒門の呂蒙大抜擢
↓
江北派、断った手前文句も言えず・・・
こんな流れじゃない
758 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 15:13
>>749 違うぜ。
徐州にこだわった話をしてるんじゃない。
呂蒙の江東に籠もるという方針転換が是か否かについて語ってるんだ!
それは孫策や周瑜が心血を注いできた中原進出の宿願を無にするものじゃないのか?
孫策が生きていたらこう言うだろうぜ
「とんだチキン野郎だぜ、呂蒙!」
>>755 ?
何をもって呂蒙の戦略が大したことないと言ってるんだ
呂蒙の戦略によって、呉は曲がりなりにも自主防衛が可能となったんじゃないか
濡須の強化や、江陵、夷陵の確保は呉にとって大したことではないのか
呉が、濡須や江陵に拠って幾たび魏の攻勢を凌いだか知っているでしょう
いや、それよりも魯粛自体が長江流域に割拠することを唱えていて
呂蒙の戦略と対立することがないのは明白なのだが…
魯粛は「関羽は忌むに足らず」といっていたが
呂蒙は「関羽は英雄で今のうちに対処しないと後で後悔してもどうにもならない」といっていた
その差
>関羽は英雄で…
プw
呂蒙って臆病者だなぁ・・・
またアンチが湧いてきたか・・・
「関羽は英雄」だが「忌むに足ら」ない
765 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 16:28
呉が一緒に北上してれば魏に勝てるようなら
孔明の北伐ももっと簡単だったろうな
766 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 16:29
>>761 ↑
やっぱアンチいるじゃん、このスレ。
767 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 16:31
>>758 孫策が生きていた頃ならば呉単独で曹操を攻めるのも手だ。
何しろ曹操は袁紹と争っていたからな。
だが、北方を制圧し後顧の憂いを無くした後ならば話は別。
>>758 スポンサーの意向には逆らえないんだよ。
その点、魯粛→呂蒙の荊州占領計画はスポンサーの意向にも沿っているし、孫氏の宿願、中原進出の足がかりや地盤固めとしても重要。
当時の呉からみた関羽って
>>764みたいな感じだったんだろうな
勇将ではあるけど付け入る隙は十分有る、みたいな
>>769 関羽自身兵を率いた経験に乏しいからな。仕方ないけど。
どこかで経験不足が露呈したり、性格が災いすると考えていたのかも
しれないな。
そして北上の際に見事に付け入られてしまった、と
772 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 17:52
>>758 周瑜は天下二分論だろうが
孫策は馬鹿だから無謀に中原進出しそうだけど
天下の情勢が変わってきている中で孫策がどう思うかは知らんがね
>>772 孫策だっていきなり中原を手に入れようとしたわけではなく
まずは献帝を江東に迎え入れようとしたわけだ。
猪武者である孫策ですら徐州方面から侵攻して
中原に覇を唱えるなんて無謀なこと考えなかったというのに
ここにいる誰かさんときたら……ハァ