武 勇 伝 は 全 部 ウ ソ ?

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大体、関羽や張飛、呂布やその他の猛将・勇将が強いと言われるのってあくまでも
「軍の統率力・戦のセンス」みたいなもんでしょ?
個人的武勇は、よほど誇張入ってるよね?大体、負け戦でもない限り大将が
先陣きって兵卒たちと一緒に戦うなんてあり得ないし、
武勇も、例えば「関羽=オリンピック選手」「兵卒=普通のスポーツ選手」
この程度の差なんじゃないの
2無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 14:06
このスレ乗っ取るか
オリンピック選手と普通のスポーツ選手ってもの凄く差はあるけどな。
>>1
だから何?
マジで首吊って氏ねよおめーは
別に関羽がホントに強かったかどうか分からんし
顔良斬ったのも真実かどうか。

だいたい関羽だって劉備の旗揚げ頃には30歳前後だろ
壮年期を越えたオサーンに何が出来るかと疑問に思う。
6:04/03/24 14:11
個人的武勇(膂力)のことですね。
>>6
よしよし、えらいな〜。
この次は、もう少し頑張ろうね。
××は身の丈八尺余り、腰回りは十囲もあって、容貌は雄々しく毅然として、武勇は絶倫であった。

武器も矢玉も尽き果てたので、?や斗ほどの石を集めて四隅に置かせた。
××は石を彼らに向かって投げると、当たるところはみな打ち砕かれた。

××は陣地の前に出て、片手で牛の尾を後ろから引っ張って、
百歩余りも連れてきた。賊軍は驚き、とうとう牛を引き取らずに逃げて行ってしまった。

張シュウ征伐に従軍して、先登となり、一万ばかりも首を斬り、校尉に昇任した。

徐他の気色が変じたので、××はそれを悟り、すぐさま徐他らを打ち殺した。

会戦となり、馬超らを大破し、××は自ら首級を挙げ、武衛中郎将に転任した。


こいつの武勇伝に関しちゃ個人的武勇(膂力)そのものだけどなー
9無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 19:08
この時代の武将は、まず兵士を率いて先頭に立つ能力が、重要。
誰もが死にたく無い。死ぬ危険があるのに、突撃するのは恐い。
そういう時に、安心感を与えてくれる、個人的武勇に優れた武将と
いうのは、必須の存在なのだ。
誇張はあるにしても、個人的武勇に優れていないと、武将は
つとまらない。
10無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 19:16
認めないよ、俺は
もう呂布オンリーで話せ
12無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 21:20
>>9
えぇぇぇぇ、まじで?先頭に立って突っ込むの?
命がいくつあっても足りないと思うが合肥の張遼なんかは先頭に立って襲撃したと記述があるけど

本来頭が先頭にたつのは駄目じゃなかったっけ?
淵なんかも曹操に先頭にたつのは将としてあんまり良くないと注意されてて
結局討ち死にしちゃったし
13無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 21:29
本当に個人の武力が強かったのは、ボディーガードしてたキョチョとかじゃね?
「将軍=強い」ってのはある意味社交辞令も含まれており、本当に強かったのか疑わしい
誰かタイムマシン開発して
14無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 21:52
>>12
淵は最高司令官クラスだろ。各部隊長クラスは、先頭に立つのが仕事。
劉備の個人的武勇なんぞ聞いた事は無い。個人的武勇は、関羽、張飛の仕事。

呂布に関しては、「愚か者」だからねえ。
呂布は本当に強かったよ。見に行ったけど凄かった。
>>14
関、張って部隊長クラスか?
17無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 22:37
おれも昨日吉野家でみたよ
18無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 23:29
大将自らが先陣をきるって出る事による心理的効果は
敵味方双方にとって大きかっただろうよ

兵員の士気の高さが戦に占める割合は近代戦より遥かに重かった
・少数の兵で戦い武勇を示した者
張遼・・・八百騎で孫権数万の軍に突撃して勝利し、その名を恐れられた。有名な「張来来」。
張飛・・・二十の兵で長坂橋で曹操軍を威圧追い払う、演義でも屈指の名場面。
甘寧・・・百騎で敵陣に奇襲をかけ、自分の軍は一人の戦死者もなく悠々と帰った。
趙雲・・・数十騎で黄忠を探してる時に曹操軍と遭遇、幾度も打ち破る。有名な空城の計もこの時。
曹仁・・・数十騎で敵に囲まれた牛金を救出。部下から「天上人」と言われる。
・個の武で名を馳せた者
許チョ・・・詳しくは>>8。個人の武でこの男に勝るものはいないと思う。
太史慈・・・黄巾軍単騎駆けや孫策との一騎打ちなど許チョに勝るとも劣らず。
閻行・・・若き日の馬超とはいえ殺す寸前まで追い詰めた。かなりのもの。
関羽・・・張遼と共に敵陣に入り顔良を刺し殺す。関羽が寝返ってくると思い顔良が油断したという記述はない。
・その他の武勇
夏侯淵・・・最高司令官の立場ながらみずから先頭に立って戦い「白地将軍」と呼ばれた。
楽進・・・小柄ながら胆力があり、常に一番乗りを果たした。
で、実際どうなの?
憶測はいいから
>>20
知るかよ
22無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 23:45
>>19
張来来ときたか
農民より良いもん食ってて体大きかったろうし、強かったんじゃないの?
雑魚よりは。
>>22
ごめん。「遼来来」だったな
「関羽=オリンピック選手=小笠原」「兵卒=普通のスポーツ選手=実松」くらいあったんだよ
張飛が一人で880人倒したってウソ?
>>26
ウソ。ほんとは808人。
凄腕の人間にとっては普通の行動でも、常人にとっては神業に見える、と日本の昔の武芸者が言っていた
だから当たり前の感覚で豪傑を測ることはできない
29無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 03:27
曹操の嘘つき話は忠実。
30無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 04:01
一般の兵卒ってのは、まあ多少訓練してたとしても、
基本的にはそこらの百姓のおやじを駆り集めただけの部隊なわけじゃん。

そこにボブサップくらすの人間が大刀振り回しながら
突っ込んでいったら、どうなるか、って話だよな。

「一騎当千」は誇張された表現にしても、10人や20人は
なぎ倒されてもおかしくないんじゃないの。
31無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 05:16
武将がボブサップクラスだったとは限らない
そもそもその頃の人間の体格は・・・(ry
32無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 06:21
>>31 当時、ボブサップ並の体格の人間がいたとは思わないよ。
演義では例えば関羽は九尺(=立間祥介氏の訳によると
当時の一尺は23.75cmだったらしいから、つまり213.75cm)
と記されているけど、これはもちろん誇張だとしても、
重要なのは、人々にはそれくらいに見えた(見えてもおかしくなかった)
ということ。

当時の人間の平均身長が、140cmだか、150cmだか知らないけど、
その中に170cmくらいの人間がいれば、巨人に見えたと思う。

当時、中国は世界でいちばん文明が進んでいて、都市の人口も最大級。
ましてあれだけ国土がデカいんだから、当時の水準からすれば桁外れの
体格を持った武将が次々出てきても、おかしくないんじゃないかな。
関羽が本当に2メートルあった、じゃいかんのか?
どんなに後進国でも一定の割合でデカい奴が生まれてくる
現代より平均身長が低く迷信深い当時なら
それこそ彼らは真の鬼神として畏怖されていたと思うよ

デカいってだけで今とは比べ物にならないほどに
人々の敬慕を集めて歴史に名を残しやすかったのかも知らんよ
2メートルなくても190ぐらいならけっこういそうだ。
サップが刀振り回しながら近づいてきたらマジコエーな
>>36
鎧兜着てるヒゲの長い赤ら顔のサップが刀振り回しながら先頭に立って突っ込んでいくわけだ。

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
38無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 14:32
しかも馬に跨がっているわけだから、
高さ3.5mくらいになってたりしてな。
そんだけ高かったら当てる方が難しいなw
石破が刀振り回して突っ込んできたら怖いか?って話だろ。
たぶん誰もビビらないね。

いや、個人的には怖いんだが。
目がね、いっちゃってるんだよ彼は。
>>40
そうか、だから今川義元は負けたんだな。
42無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 12:40
何回も戦に出てるのに、かすり傷さえ負わなかった、本多忠勝。
まことの勇将なのか、それともただ、大将なのでいつも後方にいただけなのか。
43無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 13:45
項羽はどうよ?自分から真っ先に突撃してそうなイメージだが
『史記』の記述は誇張に過ぎるにしても、それなりの人物だったようだね。
>>43
力自慢の石破