・何でこのスレが無いのかとずっと疑問に思ってたのだが。
・徳川家康より、織田信長の方が俺は好きだ。
・人をくったような描写は無視しましょうよ。
>・人をくったような描写は無視しましょうよ。
特性を無視してどうする
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 19:01
山岡作品群を読んで家康、秀吉、信長の良いイメージが確立された。
しかし現実は人を喰ったり、たらしたり、執念深い奴らだ、三英傑は。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 19:10
「徳川家康」を読んだが信長、秀吉がしんでから途端につまらなくなるな。
やっぱあれだね、家康の忍耐ぶりはなんかうっとおしいな。
性格的にむかつく。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 19:23
しょうがないから天下をとった、家康。うそつけッ! 山岡家康は清廉の武士のように描きすぎ!
6 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 19:31
>>5 そうだよな。
「太閤の意思を受け継ぐ」だの何だの自己正当化しすぎなんだよ、家康が。
関が原だって一方的に三成が喧嘩売ったことになってるし。
こいつは家康マンセーだからつまらん
しかもアンパンマン以下の勧善懲悪
吉川英治>>>>山岡
だからと言って狸爺で書かれてもなぁ。
秀吉が死んで、「よしっ。わしの天下だワハハ」とかなってもなぁ。
陰険な爺が主人公の小説って、どうよ?
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 21:57
山岡家康だと、武田信玄は笛の音に引かれて撃ち殺されたことになってたけど、
一番つまらん死に方だな。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 22:35
>>5 おい
そのいい人家康が狸家康の演技とは考えられないか?
だとすれば荘八は天才
山本周五郎も家康好きだったみたい。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/29 13:24
山岡信長だと笛の計略は信玄に見抜かれていた。
信玄はちゃんと見抜いて、
座る場所も変えてたのだけれど、
鉄砲の音にビックリしての卒中だったよ。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 20:54
「織田信長」にの信長が
滝川一益を見出すシーンってあったっけ?
覚えが無いのだが。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 18:22
要するに高度成長期のリーマンや中小企業経営者向けの安っぽい小説。
今だったら、新人賞も取れないレベル。
家康が善人 意外の文句が出ない良作
20 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 23:08
>>16 簡単ながらあったと思うが。
初仕事で舌先三寸で服部右京介から城を奪取して皆の度肝を抜いた。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 08:48
>19
それはそうだね。
安っぽいというのは、NHKの朝ドラ、あるいは北の将軍様マンセードラマ
的ってこと。大衆を従順に啓蒙するのにはよい作品。
しかし、現実を知る人間からみれば、バカ話に過ぎない。
佐和山城を小さい城とか、敵をいたずらに矮小化する手法も、いただけない。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 08:52
>19
それはそうだね。
安っぽいというのは、NHKの朝ドラ、あるいは北の将軍様マンセードラマ
的ってこと。大衆を従順に啓蒙するのにはよい作品。
しかし、現実を知る人間からみれば、バカ話に過ぎない。
佐和山城を小さい城とか、敵をいたずらに矮小化する手法も、いただけない。
現実を知る人間
今「源頼朝」読んでんだけど、
「信長・家康」(秀吉はまだ読んでない)と、
書き方が違うよな?明らかに。
何か信長とか家康の教訓めいた台詞が無い。
(人間とはそうなるとあーなる、人間とは悲しい物で・・・とかその類)
戦国小説は気合入れました、って事?
司馬遼やら横光やらよりもこれまた古い小説につっこむ無粋な奴が集うスレはここですか?
これを「経営虎の巻」として愛読してたってのはいつの世代だ?
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 14:10
まあ、もはや山岡家康像は時代遅れ
漏れは山岡家康が初めてだったから
狸爺やら悪役的扱いの方に違和感があるな。
バカ・・・今はレオtロブームなんだよ。
空気読めばかたれ。
基本的に、当時は日本は平和憲法を受け入れてすぐという状況。
今までの信長、秀吉像と異なる平和を愛する英雄像が必要だった。
そこで山岡は、戦前の体制においては朝敵、狸爺と嫌悪されていた
家康に目を付けたらしい。
山岡自身、実像の家康と作品の家康との乖離は承知の上だった。
三河という田舎で今川,織田の二大勢力に翻弄され、多くの悲劇を
経験しながらも徳川二百五十年の泰平をもたらした家康の姿は
戦後、冷戦体制のもとアメリカ,ソ連の二大国の間で翻弄された日本の姿
そのままを投影したものであり、それだけに大きな支持を受けたそうだ。
現在となっては長大で退屈な代物という気もしないでもないが、
やはり一種、国民文学的な地位を与えるべき作品とも思う。