1 :
無名武将@お腹せっぷく:
ダメな3代目の代表格、毛利輝元。
けなすなり、ほめるなりしてチョーダイ
3 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 16:26
幕末まで続いた長州藩の基礎を造ったのは評価する。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 16:26
広島に居城を移したことは?
5 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 17:33
1558年安芸の居城にて
幸鶴丸をひざの上に乗せて「よしよし、爺がな、幸鶴丸を8州の太守にしてやろうぞ・・・」
とあやしていた。
尼子晴久も相手が輝元なら余裕で勝てたにちがいない
治世の名君、乱世の凡君じゃな
8 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 22:29
関ヶ原において領土を減らす羽目になったのは、無能そのもの。
少なくとも、毛利の命運を賭けるのに、吉川広家と小早川秀秋、安国寺の
好き勝手にさせてしまった。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 22:41
漏れ地元だけど、テルモトより元就が好き。
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 22:50
>>6 でも晴久は、新宮党を粛正した。
吉川家を滅ぼさなかっただけ、輝元のほうはまだマシかも。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/19 22:54
>>8 だな、大体何にもせんなら、不参加でも良かったんじゃないか?
12 :
無名武将@お腹せっぷく :04/03/19 23:53
>>11 関が原前に家康は輝元を敵にしないよう書状を送ってるし、輝元からしたら秀吉死後
秀頼をともに補佐し忠誠を誓い、義兄弟までなった家康が裏切ろうとしてると聞けば
義に厚い彼なら当然立ち上がるだろう。
確かに隆景・元就にはかなわないが関が原後の彼の手腕には素晴しいものがあるのも
忘れちゃいけないと思う。
頑張ってあんなに増やしたのにな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
だいたい毛利家は国人の連合で成り上がった大名。織田などと違いかなり特殊。
その国人の制度ではいくら主家の当主でもさえ好き勝手な事はできなかった。若くして
当主になり、他の国人にもなめられたと思うし、その中では頑張ったんじゃない?父譲りの正義心と
祖父譲りの天下への欲望のなさは悪い方向に働いたかもしれない。むしろ元就が毛利家のシステムを
変えてやってたら、あと広家のような馬鹿がいなかったら、両川が続いてたらなあ。
関が原戦役で、いきなり人が変わったかのようにアグレッシブになってたらどうなったんだろう。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 03:46
>>14 すまんけど、どっちかと言えば織田の方が特殊だと思うんだが…
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 08:01
>>14 だから、豊臣政権に下ったのは、賢い選択。
やたら領土を広げるよりも、多少は減らしても現在の領土を公認して
もらって、その代わり領土内の支配権は完全確立。
問題なのは、関ヶ原における振る舞い。
>>12のように、「義兄弟までなった家康が裏切ろうとしてると聞けば
義に厚い彼なら当然立ち上がるだろう。」って事なら、実際にそうしない
といけない。
それなのに、輝元自身は大阪城にこもったままで、しかも関ヶ原の毛利
本隊は何もせず。(すべて吉川広家のせい)
結果的に毛利が滅びようと、関ヶ原で「もしかして勝てたかもしれない?」
というような働きができれば、後世まで賞賛されただろうが、吉川と
安国寺の勝手な判断による行動を、全くコントロールできなかったのが、
輝元。
>17
家名を断絶させるのは絶対的な悪事に類しますが。武士の倫理観として。
それと比べれば一花さかせて滅ぶなどというのは。
結局7氏の評が今のところ一番実態に近いのじゃないかい?
こないだのNHKの「その時歴史は動いた」だと、
関ヶ原後の領国経営の建て直しは良かったみたいだから
なおさらそういう感じだね。
で、税がクソ高いので一揆が起きますた。
江戸時代、一揆は毛利領に限った話じゃあるまい。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 23:20
学校とかじゃさ、江戸時代は税が厳しいので一揆が
乱発したみたいなこと言ってるけど、実際どれくらいあったの?
第一、一揆が起きた時の藩主?は斬首でしょ。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 00:28
>>22 斬首って、百姓じゃあるまいし・・・
大名であれば、重罪の場合でも切腹だぞ。
一般の武士でも、斬首になったら、とんでもない恥だ。
ちなみに、一揆を起こされて、それは藩主が悪いという判決になっても、
切腹になんぞなりません。
せいぜい改易程度。
>>23 まあめったに改易にはなりませんが、
島原の乱を引き起こした原因を担ってしまった松倉氏は斬首されたようだが。
大概は藩主乱心で隠居とかになります。
上杉鷹山の改革とほぼ同じことを大阪の陣以前からやっていたのは凄い
生まれる時代を完全に間違えていたよなこの人。
まあ今川氏真みたいなもんか
現代に生まれてたらセリエAにでてただろうしw
いきなり香ばしい方が出現しましたね。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 15:19
>>26 何かいつも氏真=蹴鞠が超得意みたいに言われるけど
それって本当なのか?
敵討ちしようとして蹴鞠が云々だからな・・・
まあやっぱ強かったんじゃない?
しかし能力は大内義隆>毛利輝元>今川氏真と思うのは
俺だけ?
関ヶ原の何もしなかったっていう選択肢だけど
考えあっての選択じゃなかったかなあ。
黒田如水が、中央でゴタゴタやってる間に勢力拡大を狙うみたいにさあ。
大阪城動かなかったのも、西軍って誰が寝返るか不安要素タップリじゃない。
中部・甲信・東海あたりで泥試合でもやってれば、
敵味方もはっきりするし、その間に秀頼から討伐令でも引き出せるかもしれないし。
ダメ君主じゃあないと思うのですよ。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/21 18:21
>>30 例えそういう考えであっても大阪篭城しなかったのは痛い。
普通なら西軍総大将まで勤め檄を飛ばした自分が無罪の筈ない
と勘ぐるだろう。
吉川広家を独断専行の罪で体裁だけ蟄居とし、島津や立花とか
と語らって長期戦に持ち込む。そして朝廷よりの休戦の仲裁を依頼し
て西軍諸侯の所領の安堵を確約させるくらいせんと。
>>31 でもさ、泥試合の中で判明するであろう味方が、1日で壊滅しちゃったよね。
宇喜田や小西・大谷とかさ。
島津や立花と共闘っても、島津は関ヶ原で戦ってないよね。
退却で華々しい活躍したけど。
もともと家康寄りだった島津が、これ幸いと対毛利先鋒にたつかもしれないよね。
立花は戦上手だけど、小大名だし。
大阪に篭城すると、援軍見込めそうにないじゃない。
その中、吉川が「自分が本領安堵の確約とってあります。」
なんてこと言われたら、家康の心証良くするために撤退するのが、賢明じゃないかな。
豊臣のように「援軍のない篭城は愚策」を実証しなかっただけでも
ダメ君主じゃあないと思うのですよ。
>>32 つーか元就だったら簡単に総大将引き受けないでしょ。
それに戦になる前に謀略で東軍の中に疑心暗鬼撒き散らして分裂図れば
戦にせずに家康屈服できたはずだし。
まあ、元就は11ヶ国の太守になったが、
元々は小さな国人領主にすぎなかったことを考えれば、
周防・長門二ヶ国残ったのは僥倖なのではなかろうか。
元就の脛に大きく噛り付いた結果に
毛利家に危機があって領国の半分を削らなくてはならなくなっても5ヶ国残る
それからさらに半分が減っても2ヶ国残る。それでも吉田の国人領主のころに
比べればずっとよい。だから守勢に徹して天下を狙おうとは思ってはならぬ
元就の言葉
38 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/22 23:41
まあ、いくら輝元がダメダメだったとしても、ペコペコ政宗よりはよほど漢だったわけだが。
そうかなぁ・・・
40 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/23 00:26
>>38 負け犬になってどこが漢だよ?
毛利だって結局、徳川に頭下げに行ったんだろ。
毛利なんかより島津の方が男だろ。
釣りなら別スレで
元就の遺言も何も、あれは秀吉侵略時点で意味はないことは、元春もいってる。
家康とともに大老のトップで、秀頼と天下を託された人に天下の戦に巻き込まれ
るななんて不可能。
44 :
無名武将@お腹せっぷく :04/03/23 23:43
二国残ったというけど、家康は島津征伐しない限り秀就と会わない。(結局中止)
国が三分の一となっては財政は赤字。さらに旧毛利領に入った大名への未払い米
の請求。城造り。家臣はめちゃ多い。(広島に入った福島がその武家屋敷などの多さにびっくり
したくらい。)はっきり言って改易。生き残ったのは輝元の貢献が多大といことでは?
確かにミスしたかもしれないが、過去がどうこうでなく、生き残る道をつくったのも事実。
しかし関ヶ原の時の毛利の動員能力はあれが精一杯だったのか?
どうせやるんだったら根こそぎ動員して激しく家康を滅ぼすべきだったと思う。
三成などに主導権を渡さずじっと時機を見て、
上杉と先端を開いた瞬間を狙い済まして全力で兵を挙げれば、十分勝てたんじゃないか?
「毛利幕府」までいったかどうかはわからんけど。
いやぁリストラしたっしょ
みんなで農民になろう!
毛利輝元
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 19:08
>>45 やる気の問題。あっさり大阪城から退去したのも同様。
>>44 財政破綻からのスタートだったもんで、仕方なく藩政改革と蓄財に励んでいたら
気がついたら日本一の金持ち藩になっていて、幕末では最終的な勝者に。
何が幸いするかわからんもんですなぁ
51 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/24 20:41
>>50 地理的に有利だから大陸や半島と密貿易やってたんじゃないの?
藩民は税の安い他藩を羨ましがりまくってたけどな
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/26 21:02
>>45 領地も守らないといけないし、遠征じゃ数も限られるんじゃない?
54 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/26 21:05
>>50 幕府から睨まれてる存在だから、難しいと思う。幕府は長州にひどい。
下関の利点は大きいけど。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/26 21:11
>>44 江戸時代の長州藩士の精神は元就時代を誇りに思うところからあって、
長州征討で幕府に楯突こうってのも、厳島合戦の勝利が心にあったというし。
毛利はしぶといからね。
>55
家中一同ダテに東向き(関東向き)に足を向けてねてないですな。
>>55 ぶっちゃけ2世紀の精神なんて残ってる訳が無い
勝者の後付
2世紀前、ね
関ヶ原の恨みはあったと思うけど(重税は継続中だし)、厳島はどうかしら。
「我等は厳島で勝利した栄えある毛利家臣の末裔ぞ」と気勢を挙げる効果はあったかな?
そういえば輝元が主人公の小説が出たね。
傾国の烙印とかいうやつ。
61 :
無名武将@お腹せっぷく :04/03/28 18:13
名将ではなかったかもしれないけど、そんなに凡庸ではなかったのかな?領国経営はなかなかだったみたいだし。
安国寺がいなければなー。
領国経営はなかなかだった奴なんてごまんと居るけどな
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 21:34
iyaiya
いや、輝元のように財政危機を切り抜けたのはそんなにはいない、と思う。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 21:42
いういうお
66 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/28 21:43
ghghjこgmfxstv
よめます?
>>64 それは殿様のおかげでなく益田の才覚だろ
その益田を配下にしたのは元就、
やはり祖父の遺産じゃないか。
それを言ったらきりがない。
それに、改革の方針を認可して、
臣下の能力を発揮させるのも名君の器量というものだし。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/30 01:23
自分が輝元の立場だったらすげー迷ってただろうな。じいさんは天下の争いに首を突っ込むなと言ってけど
中立なんか無理だろうし、徳川についても後から難癖つけられそうだし。
決断するのむずかしくない?
>>67 祖父や父の遺産をロクに生かせずに殺してしまった戦国大名はうじゃうじゃいたのだが
上杉景勝と似たようなもんか?
>>70 臣下が有能だと自動的に君主が無能だったという評価になるんかよ。
懐疑的すぎじゃないか?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/31 21:32
まあ築くのより、それを守る方が難しいからね。
大勢力を指揮するのは並大抵ではないし、それを若いころから背負い、
毛利の大将と天下にその名を残したのだから、その点でもっと評価していいと思う。
島津忠恒 西 薩・隈・日 605,000 → 薩・隈・日 605,000 封土依旧
上杉景勝 西 奥羽ノ内 1,200,000 → 出羽 米沢 300,000 -900,000
毛利秀就 西 安芸他六ヶ国 1,205,000 → 周防 長門 369,000 -836,000
佐竹義宣 西 常陸 水戸 545,700 → 出羽 秋田 205,800 -339,900
秋田実季 西 出羽 秋田 190,000 → 常陸 宍戸 50,000 -140,000
宇喜多秀家 西 備前 岡山 574,000 → 所領没収 −−− 遠流 八丈島
長宗我部盛親 西 土佐 浦戸 222,000 → 所領没収 −−− 浪人
前田利政 西 能登 七尾 215,000 → 所領没収 −−− 浪人
増田長盛 西 大和 郡山 200,000 → 所領没収 −−− 追放 高野山
宮部長熙 東注@ 因幡 鳥取 200,000 → 所領没収 −−− 身柄預 奥州南部家
小西行長 西 肥後 宇土 200,000 → 所領没収 −−− 斬首 享年不詳
石田三成 西 近江 佐和山 194,000 → 所領没収 −−− 斬首 享年41歳
織田秀信 西 美濃 岐阜 135,000 → 所領没収 −−− 出家 高野山
立花宗茂 西 筑後 柳河 132,000 → 所領没収 −−− 浪人 のち復帰
小早川秀包 西 筑後 久留米 130,000 → 所領没収 −−− 隠居
77 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 22:29
てか本当に無能なら外に潰されてるか、内部崩壊してるはずだし。
あんな大勢力を無能が堂々と背負えないし。劉禅と比べてよ。
偉大な武将より劣るかもしれないけど、そこらの武将よりはるかに器でかくない?
78 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 22:33
79 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 22:42
120万石+銀の蓄えは大きいと思う。
先代までの基礎と、両川の支えがあるだろ?
>>77 肥ヲタが
劉禅君を馬鹿にスンナ!!
暗愚なのは臣下だろ(きょういとか)
輝元はちゃんと自分で出陣してるし。
劉禅には部隊を指揮する能力もなかったんだろうな。
>81
国力を考えずに北伐を意地で続け、国自体が文字通り刀折れ矢尽きるまで
消耗させ城下の盟に至らしめた臣下は確かに阿呆だが、できる家臣におま
かせできる度量の君主が名君であるのと裏返しで阿呆を掣肘できない君主
も阿呆という評価にならざるを得ないわけだが。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 22:42
>>80 基礎といっても毛利の基本は国人一揆から。元就&両川があったから従ったが、毛利が弱体すれば
何時裏切るかわからない輩はいっぱいいる。20かそこらの甘い若造が当主となれば・・・。重臣
も元就の頃の家臣の二世達。それに両川は元春、隆景の二人がいてのこと。しかし、元春は隆景に
嫉妬し、秀吉に従うのが嫌で引退。隆景のことは言うに及ばず。結局、秀吉によって両川は崩壊してる。
広家がいくら頑張ろうが元春の足元に及ばない。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 22:46
>>81 大名として一番大切なのは家の存続。
同情とかしてるんじゃない?
86 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 02:48
毛利輝元は、孫権に似ているかも?
87 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/07 20:27
酒をたしなめられるところとかかw
いやあ家に山口郷土の歴史っていう小学1年でもらった本があったんですよ。
それをみてみたら
毛利家の藩積額っていうのがあって1644年には銀3682貫になってて
藩の1年分の収入に当たるものすごい借金をしていたらしいです。
ちなみにこの本は
大人が一年食べる量を1石(180g)として 米1石=30匁 1貫=1000匁=3.75`c
で計算されてます。
一揆の割合というのものってて1693〜1722年に全国で118の一揆が
起こっていますがそのうち長州で17も起きてるらしいです。
あとの年は30年ごとに2.3回程度で収まってます。
防長百万を作るのも大変でしたね。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/08 21:29
しかし、自立精神旺盛の国だな
税金の絞り方が上手かった ってとこか
92 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/09 14:01
まぁ秀吉が両川を崩壊させたし広家が奮闘するんが、生臭坊主に邪魔され、秀秋が暴走し毛利をぶちこわしにした
93 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/10 22:01
広家は隆景死後暴走しまくり。
あんたに毛利は背負えないのにね。
何を言ってるのやら
,、、,
〈 l
| │
l レ'',ニ、''‐、
、,_l,_ レ′. ヽ ヽ
,r ''" ̄ ̄\`''t‐‐ ',. ',
(``'''''''''''''''",」-iヽ | |
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iェェ、 ,zェュ | レr、l . l `、
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', └- -' .,' '‐<ュ,
l ___ / >>i_
‐-ヽ  ̄ /ィ /'/l
ト、,__,、ィ',.ィ'" / .|
. ト.、,,'ー‐‐'´,、r'" │
| ``T"´ |
96 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 02:37
おのれ金吾!
才能のなさを努力でカバーしたっていう感じが強い。
そういう意味では十分そこそこの人だったと思う。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/11 23:08
>>97 才能もあるだろうけど、それより実績と経験のなさが彼の弱点だと思う。
彼は祖父から完成した毛利を継承し、父や祖父から当主とはを深く学べなかった。
そのわけもわからない中で失ってはいけない大きいものを背負い生き抜いたのだから、
そこらのただ才能がある風な武将より、大きく深い人物だと思う。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 18:47
>>98 97は広家のことを言っているんだと思ったが・・・
輝元なのか?
輝元だと思うが
101 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 19:57
広家は才気走ってると思うんだが・・・
102 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 19:58
結論、輝元はバカ
103 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 20:01
曙ってどうよ?
104 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 20:08
優柔不断は毛利家の伝統
105 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 20:11
てか元就以前の毛利の話をしようよ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 20:14
えっ、曙は?曙の話は?
107 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:04
108 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:38
うん
109 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:46
三浦さんと心中。それでも一人出張中で生き残って繁栄するのだから怖い。
それてゴキブリ並にしぶとい毛利の波乱万丈な運命が・・・
110 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:47
結論、毛利はゴキブリ
111 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:50
毛利=ゴキ=両津=タフ
112 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 21:51
毛利両川=うざい
113 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 22:02
そのゴキブリを潰そうとした 鎌倉幕府 江戸幕府
に頼った 足利幕府
に負けた 江戸幕府
が作った 明治維新
114 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 22:03
明治=天皇マンセー!
両津だから権力にぎるとバッドEDを迎えると
>115
明治日本→軍国化→8月15日。本当にBADENDだから洒落になってない。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 21:42
確かに、てかそれ以前にだんだんと政府内外で長州の存在がよく思われなくなったし。
元就の三本の矢が教科書から消えたのもその影響ともいえるかも。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/14 23:10
まあ実際戦争にいかせないとこだけはいいな。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 19:22
輝元とか後年の毛利見てると
本当毛利って有能な部下のおかげで成り立ってるね。(村田清風とか山川教科書にもでてるし
あと福島正則が酒好きなのでいつも使者が酒飲まされたりしたってのは本当だろうか・・・?
120 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/15 20:40
>>119 というより我の強い家臣が多い。輝元も敬親もその点で苦労しているし。
隆景の様にうまく導いてくれる家臣は少ない。
関が原で意見が二つに分かれたり、広家の独断など、それが弱点になっている。
敬親はうまくつかったといえると思う。
>>105 時親はどうだろう、三浦合戦いらい埋没した感のある毛利一族で京都六波羅評定衆に
名をつらねた人物、また一族を安芸の吉田に集結させ元春を当主にすえて
自身は河内の加賀田郷に隠棲し近くにいた楠木正成に兵法をつたえたという伝承があるそうだが。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 17:26
ぬおおおお!!!!
管!!!!
は邪魔だな。
もっと毛利に主君ダメでも役に立つ味方がないと。
時親って毛利初代だっけ?
124 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 17:50
しかし佐野道可事件については頭悪いとしかいいようがない。事後処理の悲惨さに柳生宗矩が呆れたっていうし。 あと二の丸誘拐事件もあるしなぁ… 結局は無能でしかもエロ親父という印象ないな。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 17:53
×印象ないな ○印象しかないな
>>116 維新後は薩摩が実権掌握だよw
桂小五郎とかは維新後は閉職に追いやられ愚痴りながら逝ったらしい
>126
その薩摩も西南の役で大打撃を受けている。
また長州閥の実質的首魁、山県狂助は明治国家の姿が歪むほどの影響力
を行使している(天皇を明治憲法の文言どうりの絶対権力者としての実態
をもたせるべく暗躍したのはヤツだ)。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/16 20:08
>>121 毛利は大江の出だからね。源義家に兵法教えたのも毛利の先祖だし。
それに大江流の兵法は日本独自のもので、毛利も継承していた可能性が高い。
>>116 どうも明治政府と第二次大戦の帝国軍がごっちゃになってる模様w
明治大正前期、日本軍とは世界で一番規律正しい軍隊と世界で評判。
>127
、、良く明治以降の歴史を学び直したらどうかね?
「帝国軍」て何(藁)?SWじゃあるまいし。
「皇軍」もしくは「大日本帝國陸海軍」というのならわかるがな。
また名義「皇軍」実態「国民軍」のタテマエで建軍された「皇軍」だからこそ
その名と実を統帥権を梃子に乖離させられた訳で、その種はアンタの脳内に存
在するスバラシイ無謬なる明治大正の軍に既に存在している。その種を蒔いた
香具師の中の大物が狂助だというとるんだがナ。
つーかしょっぱなから完璧な制度ができるわけないだろ。
さかのぼればいいってもんじゃない。
種を蒔いたとか詮無いことを言うな。
>131
このスレが何か忘れとりゃせんか?
皇軍について語るのが趣旨ではなく輝元、関連して「毛利」の話だろうが。
その毛利の元家臣がそういう負の貢献をしてしまっているって事がスレ趣旨
的にはキモな訳だが。
あとな。完璧な制度?そんもの天地開闢以来ありゃせんわい。何がしかの瑕疵
があるモノを運用で実情に合わせカバーしていくのが人間の知的活動の領分で
あってソレに失敗した愚か者又は運の悪い奴(誰かの巻いた種を刈らされる役
回りのまわっきた奴)が大日本帝國のように亡ぶのだよ。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/17 02:07
>132
>大日本帝國のように亡ぶのだよ。
そうだ。亡ぶのだ。
日本は朝鮮に敗れたのだ。
秀吉のときも敗れたから、2度目だ。
>>132 五十歩百歩。
そういうことを言うんだったら輝元の話に焦点を絞れよ。
脱線を始めた張本人の一人にそんな偉そうに語られるとは思わんかったわ。
もう毛利どうでもよくなってるなw
まとめると輝元は頑張ったボンボン
正解です
138 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 07:50
>>136-137 頑張っても無能には変わりないよ。頭良かったら、家臣の嫁さん拉致ってその家臣殺したり大阪の陣に大阪方に勝手に家臣送りこんでばれたからってその一族殺したりしねーよwやってる事が無茶苦茶やん。隆景も脳卒中になるわけだ罠ww
無能なりに頑張ったボンボン
>138
誤謬のない武将などまず存在せんだろう。軽率な行動が目に付くのは事実だが。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/18 09:37
>>140 一介の武将ならまだ目をつむれるけど、大国の主がそういう事件を起こし、さらに事後処理さえ満足に出来ずに他国にまでその失態を晒すのは許容範囲を越えてると思うのだが…
なかなか知ってるのに改行しらない携帯君なのがおしい。
でも姉さんとか宗鱗とかヨメ奪った割に能力高いのは何でだろう?
>141
そのへん言い出すと信長なんかも阿呆という話が成立できるんだがな、、。
わざわざ兵力真空地帯でのんびりしている所を事もあろうに部下に急転直下直撃
され自身は死亡。しかも家も猿や狸のおなさけで生き残っただけのレベルにあっ
という間に没落。家名の名誉ある存続を絶対の正義とする武家社会にあってコレ
なんかかなり痛いポカですよ。
誰にでもミスはある。そのミスだけに注目すると後光に照らされる仏像と同じで、
人物像というシルエットはうかんでくるが、実際の事績というその人物の全体の
ディティールが見えにくくなる。是々非々で全体をみていくべきだろう(そうで
ないと輝元という食材はちと食いにくい食材なのは事実だが。ツッコミ所満載で)
>>142 馬鹿もやってるが、武将として凄い事もやってるから
秀吉が金吾押し付けるのが悪い
>>145 そうだな!秀包が小早川を継いでいればなあ
秀カネは石田と家康のどっちに好感を持ってたんだ?
148 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 02:34
毛利輝元>>>越えられない壁>羽柴秀次>>>小早川秀秋>>>>>伊達政宗
隆元が生きていれば、毛利は天下取れたかもね。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 17:17
隆景、元春、隆元の三人のトリオを長もちさせることが出来たら毛利ももう少しバランスがとれましな状態になったかも。隆元が早く死にすぎた。輝元の教育時間がもう少し稼げたと思う。
その分元清が頑張ったけどな。
元清も早死に気だが。
隆景・元春が本気で毛利本家を守り立てようとするのは隆元死後なんだよね
生きてる間はかなり我侭言って隆元を悩ませていた
隆元が死んだことによって生きていた時には隆元にフォローされていた所が
破綻をきたしてきたから両川が一応協力しようとしたわけだ
155 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/21 21:19
五大老 徳川家康
前田利家
宇喜多秀家
上杉景勝〔小早川隆影も死後〕
毛利輝元
156 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/22 22:26
隆元は褒賞に関しても公平、大内の旧家臣を雇うなど内政面に関しては元就を
はるかに上回るし、隆元の死後、財政面、国内情勢が悪化したからね。
秀吉に屈服する前、輝元の代になってから毛利の領土って少しは増えたの?
本家の領土は和平交渉で減ったはず。
>>157 備中以外は直轄でなく当地の勢力を屈服させて勢力拡大させてる
(備前、美作、因幡、伯キ、但馬、播磨)
当然支配力は弱いので裏切り者が続出したが
160 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 18:32
やはり隆元は優秀だったな・・・
ノブヤボじゃ内政力も親父が受け継いでる希ガス
「将星録」の毛利三兄弟は凄まじい高能力値だよね。
隆元が生きていれば、輝元もしっかりと親父の背中を目に
焼き付けて、毛利をもっと強大にすることが出来たやも知れぬ。
でも何かの本で読んだけど、その当時の隆元の評価って
「生まれつきふがいなく無才能で〜なんたらかんたら」だったような。
毛利好きの漏れからすれば、勿論隆元は優秀だったのFAで文句無いんだけど。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 20:47
確かについ最近まで隆元の評価は低かった。毛利の当主として認めない学者などが多かったときもあるし。
彼らによって毛利の系譜から消されたこともある。彼らは当然偏見に満ちている。
今は実際の記録から彼の手腕の高さが立証され、その証拠にこんなに彼の名が出てくる。
戦国の重盛というより、戦国の時頼と評したいね。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/24 20:53
隆元が不幸なのはいつも当主ながら、恐ろしい謀略を計る父がいつもそばにいて
父の発言力が自分よりでかいこと。隆景も元春も他家にいるし、父に注意されるくらい
のびのび自由にしてたし。
7:12】元春の笑い声で起床。まだ眠い。顔を洗う。昨夜も親父のボヤキを夜遅くまで聞かされた
【7:22】朝食中も親父がぼやく。頭が重い。イヤになる。
「毛利の家を良く思うものは・・・」親父のボヤキだ。うるさいんだよ。俺はカウンセラーじゃないだ当主なんだよ。
「気を付けて!」うるせぇんだよこの元保が。
【7:35】ダルいボヤキ継続中。庭ではうるせぇ犬がわめいている殺すぞ。
【7:43】「助けて〜!」輝元が叫んでいる。俺にどうしろっていうんだよ。
【7:50】輝元救出。元長に苛められたらしい。うだつの上がらない奴だ。
【8:03】今日は曇りだ。気分が盛り上がらない。早く布団に入りたい。
【8:46】隆景がニヤニヤしている
【9:30】早朝ボヤキ終了。
【9:40】一服。
【9:45】お腹がすいた。親父がまたぼやく。また頭が痛くなる。
【10:11】みんなで談笑。元春の笑い声にみんながいらつく。
【11:20】尼子 登場。
【11:22】「よ〜く来たな、元就!」 相変わらず元気な奴だ。つうか俺は無視か?
「やめろ〜!石見銀山を返すんだ!」本当はどうでもいい。元春早くこい。
【11:40】新宮党に襲われる。強い。強襲されて家中が動揺する。
【11:42】「父上ー大丈夫〜!」元春だ。タイミングが良すぎる。どこから見ていたんだ?つうかやっぱり俺は無視か?
【11:43】「離反工作よ!」さようなら、新宮党、こんにちは毛利両川。元春がニヤニヤしている。
【11:45】「いくぞ〜!三本の矢!!」ただの長い長い長い長い教訓状だ。
「毛利を良く思うものは・・・・・・」このボヤキには飽き飽きしている。つうか今朝も言っていた
【11:49】戦闘終了。「大丈夫?」格好だけ聞いてみる。
【11:53】隆景が来た。「父上!助けに来たよ!」遅すぎる。帰れ。うだつの上がらない奴だ。お前まで俺を無視かよ
【12:30】帰宅。屋敷前で親父がまたボヤキだした。隆景がニヤニヤしてこっちを見ている。
いやがらせか?殺すか?
このスレでアソパソマソ日記の改変を見ようとは・・・
169 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 09:33
隆元もこれなら早死にしてしまいますなあ
170 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 17:57
隆元は病死や暗殺というよりノイローゼによる自殺ではないか?
と思えてきた。
両川の絆を強める為に元就自ら・・・
>>164 自分と同意見の人がいて嬉しい。
最後の一行がいい味をだしてる。
ところでここは何スレ?私は誰?
ああ、そうか。清水宗治だとばかり思っていたよ。
__
i<´ }\ , - 、
ヽ.._\./ .ンく r-兮、 __
∠`ヽ.! / ヾニEヲぐ ,ゝ-> さすがゴッグだ
/_`シ'K-───‐-、l∠ イ 隆元がストレスで死んでも
l´__,/l\、_ ̄0¨0)゙@Yヘ, -┤ なんともないぜ
. l'___|⌒ヾ''ー==、ーr='イ i二|
/ .」 i /./7r‐く lー!
. f. ヽ‐i人.∠'< _i. l,.-ゝ.
トiヘヘ「ト〈 `X トレi7__|
〉ト:トハj`! i. / トー┤lルj,リ
/‐+----+‐l iー--i---ヾ'〃
. l_i____i__| |___i,__i_|
(つД`)
178 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/26 18:38
このスレにもゴッグの恐怖が・・・
まあ隆元ガンガレヤ
酒害による早死の家系なんでしょ?
まぁ是非もなし
180 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 22:35
隆元スレになってきたな。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 01:09
隆元の死が後の輝元に多大な影響を与えたからね。
正確な口上はよく覚えていないけど、毛利家で幕末まで二百数十年毎年正月に行われていた儀式。
当主「東上の件はいかに?(徳川を倒す機は熟したか?」
家老「未だその機にあらず」
は、輝元の遺言だったのかな?
だとしたら、関ヶ原に出陣しなかったことがよほど悔しかったと想われるけど。
うわあ、臥薪嘗胆の故事を思い出すね
臥薪嘗胆の臥薪が史記や呉越春秋に無いみたいに
後世の長州人が作りあげたのかもしれないな。
ところで54万石あった国を36万石と幕府にいってるが
3分の1程度はばれなかったのか気になる。
>>184 石高は秀吉時代のものがずっと適用されていたし、前田も事実は120万以上だものね。しかも秀吉は毛利の検地を免除(自己申告で良し)という特典を与えた。
>>185 ああそうか、家臣が聞いて、殿様が答えるのか。
>>186 やっぱ毛利は特別扱いか・・・
にしても100万石作るのも大変だな。
やっぱ清風は偉大だな・・・
188 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 18:54
こんな暗君のどこを再評価?(げら
毛利家には一目おく価値のある君主は一人もいない。
毛利に名君無し!
191 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 20:29
糞スレあげまーす。
まあ、中国地方人ごときは分を弁えとけってw
193 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 20:31
まあ、こんなカス大名滅んで当然だったわけだが。
生かされてよかったね。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/28 23:00
1分に一度は毛利アンチかよ。東北厨シネ
釣られるならうまくやれよ
元就以外は
なんで毛利叩いてんの?会津藩?
なんか笑える
198 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 14:23
毛利ごとき叩かれて当然
むしろ不丘してる奴の言動のほうが不思議すぎて笑える
叩くにも値しない、が正しいと思うが
どっちも必死だな
201 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 14:47
ぬるぽ
で、結局地盤からは出ていかなかったのか?
秀吉にも負けてる。
>>182 幕末最後の征東開始の年の儀式では
「機は熟せり」という言葉で締めたとか。
あと諸隊のどこか吉田郡山の元就の墓所に立ち寄って倒幕開始の報告を
行ったそうです。
執念深いというかなんというか…。
いや、執念深くていいじゃん。毛利のヘタレなイメージが一新。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 00:06
まあ一発屋っぽい大名よりマシだが
道三のことかーーー!
>>197 そう言えば、会津人はいまだに根に持ってると言う噂。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 05:26
会津が根に持つのはむしろ薩摩の方じゃないのか
毛利厨は薩摩を叩く→寝返りまくり美味しいとこもってく
会津厨は薩摩を叩く→寝返りまくり美味しいとこもってく
土佐厨はタリラリラ〜ン→厨房も殿様もどっち付かず
212 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 10:09
そうせい公は最期まで自分が将軍になれるものだと思いこんでいたとかいなかったとか
213 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/01 11:34
>>189 名君がいないという点では、仙台藩も優るとも劣らんぞ。
初代藩主は名君じゃねえのか
>>208 今の会津若松市長は「萩市と和解しないこと」を公約に当選しました
根に持っているどころの話じゃありません、朝鮮人もビックリの恨の精神です
そりゃ凄いな・・・
毛利が幕府への復讐を果たしたように、いつか復讐するのかもしれないな。
>>217 会津人は戦国時代からケツが軽いから大丈夫
// /;;;;;ヽ;;;;
. li_ _ <;;;;;;;;;;;ヽノ
ヾ,.。、 '゙,。、`. ',;;;;;;;;;;;l
. i`フ `''´ l;;;;;;/,i
..i ゝ ,、) l;;/ィ/
', iニニヽ `'! l、
',ヽ三ノ,' . ' ,r ',
ヾ;.ニ, ' ノ.// ヽ、
,.r‐'lヾ‐'´// /
↑会津って戦国期はこいつだったんでしょ?
違う。葦名だよ。
まあ二階堂盛義の子が養子になって葦名を継いでるけど。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 02:27
2chにおける広島出身者の特徴
01:事実に対して仮定を持ち出す
02:ごくまれな反例をとりあげる
03:自分に有利な将来像を予想する
04:主観で決め付ける
05:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
06:一見関係ありそうで関係ない話を始める
07:陰謀であると力説する
08:知能障害を起こす
09:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
>>222 名君かどうかはよくわからんが、決断力不足だったことは確かだな。
秀吉も2人の優秀な重臣(片倉景綱、伊達成実)に免じて命を助けたし。
>>223 なんで毛利輝元スレで広島出身者叩いてんのw
そもそも現在の広島出身者は江戸期を経て・・・
広島・三次=浅野 福山=水野・阿部
で、幕末は毛利とは反対に近い立場だべ?
幕末浅野家は毛利のお陰で随分領内が騒乱して迷惑したし
広島が戦場になったりするのではと想定されたりと
色々大変だった。福山藩は親藩だし・・・
まぁ信長の野望でしか知らない人には分からないか
関ヶ原以降の日本の歴史はフォローしてねぇもんなw
>>212 島津久光だろそれw
秀頼いる状況で輝元がどうやって将軍になるんだよw
>>225 迷惑もなにも芸州浅野はもともと長州シンパですが?
鳥羽伏見で幕府軍があっけなく負けるまでは朝廷を広島へ移転することに
なっていた。維新幕府側によって行われた粛清人事の対象になっていない。
本来は薩長土肥の中に芸も入るはずだったが土壇場で芸州はヘタレて積極
的に兵を出さなかった。その苦い経験が浅野当主による私学の積極援助の
土台となり…となって行くのですがその辺の歴史はご存じないようですね。
>>226 そうせい公は輝元ではなく敬親
将軍になれると思い込んでいたのは島津久光で正解
>>227 結局ここは毛利、浅野関係なく広島出身者を叩くスレですね
>>229 広島出身者が他県の知ったかを叩くスレです
ギギギ・・・
なんで広島出身者が由縁もない毛利輝元を擁護すんの?
まぁ大量虐殺した前田家マンセーしたり
原住民を弾圧しまくった山内家マンセーするのと比べたら
分りやすいけど
ピカの恐怖
234 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 21:48
輝元と敬親って能力に大差ないな。ただ家臣の能力がちと
235 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:33
毛利輝元は関ヶ原以降、藩を立て直したとかで再評価が進んでいるらしいけど、賛成できないな。
単に家臣が優れていたから再建できたんでしょ。
部下にまかせるのも指導者の手腕のうちという考え方もあるが
輝元の場合はちと違うと思うよ。
本人はやはりボンクラだったけど周りのフォローが良かっただけという感じかな。
236 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 22:37
ちゅうか自分の代より以前に合議制な家風で
自分より見識ある謀臣が意見対立しちゃってるって事だけで(広家・安国寺)
随分評価が下がっちゃってる輝元・・・それも輝元の自己責任ですか?
輝元の統率力不足ということになるんだろうな
239 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 01:07
でも安国寺は遠ざけろと隆景が遺言で言ってたし、せめてあれはなんとかならなかったのかな。
広家も少し自意識過剰で暴走気味な感じするし。隆景のような絶対的な優れた家臣はいなかった
ろうからね。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 10:28
漏れが以前に広島にいたとき
子供有名歴史人物漫画で家康と並んで「毛利輝元」なる
歴史漫画がありましたから・
広島にとって輝元は身近なのでしょう。
平宗盛とイメージがダブる。
大好きです。輝元公
>>242 元就は神。輝元と三兄弟は俗に言う郷土の誇り。
輝元は広島生まれで毛利の本拠地を吉田郡山から広島に移した。それまで漁村だった
太田川の河口に広島の街を開いた功績は小学校の社会科の授業で教えられている。
広島出身者にとっては元就から輝元までは身近な存在。
それ以降はまったく縁がない。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 14:44
そして我ら山口の人が大内→毛利となってしまったと
今でも山口は大内色が強いような気がするけどなぁ
萩や岩国あたりは毛利だが
広島ンにとっては
毛利元就・英雄
両川 英傑
輝元 逝ってよし
広家 知らない
安国寺 知らない
浅野 味噌
まぁ俺ってばほとんど備後っ子
備後守護というと山名ですな。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:26
備前岡山だと
元就・三本の矢の人
両川・知らん
輝元・いたっけ?
宇喜田・知らん
池田・岡山城主
249 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:32
俺広島県人。友達に聞いてみました!!
毛利元就:三本の矢
両川:なにそれ?
輝元:は?
元春:酒か?
隆景:三原城の親父
安国寺:暗黒爺?
250 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 20:39
酒か?にワラタ
251 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 21:09
日本史勉強した人なら、隆景・輝元くらいは知ってておかしくないと思うが。
何気に高校の資料集の国人一揆の例としても毛利の書面の写真あるし。
まああの分野はテストに出にくいが。
そして質問の中にすら登場できない小早川秀秋
253 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 22:19
>>251 隆景なんて日本史に出ないだろ?
秀秋ならトモカク
254 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 22:52
めちゃ五大老じゃん。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 22:59
日本史的に
元就=下克上の典型
輝元=西軍大将、五大老
隆景=五大老
両川=戦国大名の戦略の一つ
みたいな?
256 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/04 12:06
両川体制って、なにかこう、そそるものがある
元就時代のツケが次代になって返って来た、と>両川
>>258 両川は成功だろ。別段落ち度はなかったろ
問題はさらにその次代の
安国寺・元清・広家・秀包・秀元・・・秀秋
この辺が問題なんだろw
ちなみに歳の旧いのから並べてみた。こうみると
元清タンにもしっかりして欲しかったね
安国寺・広家は能力自体は高いと思うんだがな
他の人は金吾以外知らない
>>260 能力自体は高そうだけど、お互いの相性が最悪。
ってか安国寺が中央政権にどっぷりハマっちまって
毛利家の外交僧の立場を逸脱しちゃってんのに
毛利家の政治顧問の立場で有り続けたのが痛過ぎ
安国寺に出て毛!って言える立場の香具師や状況も
毛利家になかったから仕方ないとも言える。
まぁ秀吉にうまい事やられたって感じだな
今の日本みたいだな
吉川広家。才能・能力は十分に及第点。主家への忠義心もある。
ただし、一番大事なところでミスをした。そのことで家中では奸臣呼ばわり、
後々まで長州藩内では吉川家は村八分。
人生って恐いよな。
安国寺って最初から毛利を滅ぼす気だったんじゃない?
アレは銀山城の安芸武田の遺児って話だし。
信長の天下の極盛期に、信長の早死に、その後の秀吉の台頭を予言した神だからありえない話ではないな
>>264-265 創成に参加してない毛利家より
創成に参加した豊臣家のほうが
可愛くなっただけの事だな
まぁそんな香具師に家政を左右されたのが毛利家の不幸
>>263 そうそう3万石(6万石とも)領地がありながら広家以降は陪臣扱い。
幕府的には一万石かつかつの大名より下扱い。
それが300年も続くとは恨みは深い。
それを取り去ったのは最後の藩主敬親。
それだけでも、家臣の進めに従ったにせよ行えたのは評価したい。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 00:30
浮田でもよかたよな?
広島人て関東から来た毛利を崇拝してるの?
安国寺の跳梁を許したりとか器量に疑問は
あるけれどもあの肖像画はカッコイイと思うね。
毛利博物館?に逝けば見られるのかな?
小早川隆景は毛利の血を守る為に秀吉からの秀秋(甥っ子)の養子
縁組に対してこう言ったんだよ
「殿下、某は子がおりませぬ故、わが小早川家に願い仕る」ってさ
こうして毛利の血は守られたっていう話
末っ子は上見て育ってるから要領と機転が利くって
ことですか?
275 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 12:14
俺にはこう見える
/;;;;;;;;;;;;;\
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/,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
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〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
/j/ ヾ、
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r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノ ハ // / |
ヽ____)ノ \// / |ヽ、∧
毛利輝元:毛利家の当主。
戦で負け続け謀略は露見続きで、先代からの親藩や忠臣を戦で失った上、同盟国は次々降伏、
領国を削られたりと苦難続きだが、持ち前の明るさ(能天気さとも言う)と、
そのあふれる知性?で混迷する中国地方を照らしている(多分)。
そのお茶目なキャラクターから、某プロ野球チームの監督の前世ではないかと噂されている。
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
毛利家臣:戦国らしからぬ発言に絶望にくれながらも輝元公と毛利家を支える献身的な家臣。
癒し系なのか哲人なのか馬鹿なのか。輝元公の七色の発言に突っ込みを入れるのにも疲れているようだ。
「今日は負けないよ」→「出陣しねぇだろ・・・」はお決まりの黄金パターン
276 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 12:15
>275
禿AA厨うざい氏ね
278 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 12:31
毛利厨が釣られてますな。
○長州厨
失礼な、長州は毛利が叩かれても痛くも痒くもありませんよ?
,r'''''ヽ,
/ ,. ノ
i ゙t‐r"
. ,ィ''''',゙,゙''ヽ! | |
/ / ヽ | _.i__ノ,,,,,
. ,' .,' _,、゙k,'´ `' ̄ \
i i 人_ `''''ー―‐'''''.ヽ
. | | /::::/  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ,
. | | i゙:::::| ,__ __ !
| | . i ニヽ ``' = -‐'i"
| | i l r' ゙ `''マi:ェ.、 , zェ!
! | ヽ'、 ‐ ' '、ー |
. L! | lト、, ,:r _ i │
. └‐┘,、ィ/ ! ;. ' ,r‐‐‐,‐ュ,.|
___/ / \. ヽ ' " '''゙ー` /
|  ̄`ヽヽ ノ::l∠__
|''‐.、,_ `'`-、,‐---;,i:::::}
. | `‐、  ̄ ゙;::l、
| ``'''''''''''''"´゙ ヽ
282 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 14:55
祖父から「お前は野心を持つな。10ヶ国失ってもその方がまだマシ。」
と言われた人物が、戦国期を通じて他にいただろうか?
>>282 そこまで物事を正確に見抜ける偉大な祖父が他に居なかっただけでは?
結局、家は幕末まで残ったんだからたいしたもんだ。
>>282 どっかの四代目にも聞かせてやりたいセリフだな。
/ヽ
. / ヽ
/ ヽ
. / ヽ
,,___/ .,,,、、、ヽ
.'''''',ー- ム,,-‐''" `''‐.、,
',,__`'''''''''ー――''"|
/:;`''''''ー――‐'"ヽ
,'::;'. ヽ
|::| __ヽ
,r-、 ‐'゙゙゙゙''' ''゙___|
|i´' -=エン .、'┴'、
',ヽ!. ', i
ゝ,_ ,r'' | ,'
. ハ _,,,二'ニ、, ,' 倅の事じゃな?
. ノ ヽ、 ''゙゙ ̄ ̄ ゙,'
_,、ィlT| \. /__
. | |',ヽ `'‐.、,,,,,,ノ ヽ
| | ',ヽ 'i 'i:', ヽ
>>269 隆景&元清同年没・・・・こりゃだめぽぉ・・・
安国寺・63?
輝元・47?
広家・39?
秀包・33?
秀元・21?
秀秋 ・18?
関ヶ原時の年齢、こんな感じ?
>>283 自分の孫の事とはいえ、元就の慧眼は評価されるべきだな。
輝元の、そこそこの内政力と、外交と采配の手腕の駄目ぽさをしっかりと見抜いていた。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/05 22:16
>>273 詳しくは黒田如水が隆景に秀秋の養子論を言って帰った後、有無を言わずに申し出たらしい。
九州の如水が天下を狙うとすれば間に毛利があるし、如水自身にも利益はあるから信憑性があり
先手を打ったのだろう。いつもは慎重な隆景のこの早い決断。
そもそも安国寺と隆景の差は、豊臣政権の中枢か(私欲)、主家毛利か(忠誠)。
防長2箇国に減封された後は、
租税を73%に引き上げ(豊臣政権で66%、徳川幕府直轄領で40-50%)、
更に検地で実際より高く石高を見積もり、
その上に副産物や諸々への税まで課したとは、、、、
幕末までに実高100万石と言われる潜在的な生産力はあるとはいえ、
民は大丈夫だったのだろうか?
290 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 02:35
むしろ家臣の方が悲惨だろ。何気にそんな状況ですら以前と足利さんの世話
は引き続きしてたらしいし。
291 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 04:07
元清VS宇喜多直家・・・元清勝利
元清VS羽柴秀吉・・・桂広繁の救援に向かい秀吉軍の囲みを解く
元清VS山中幸盛・・・元清勝利
こうして見ると中々・・・虫けらとは言えんな
輝元の失策で思い付くもの
備中高松城…清水宗治の救出に失敗。
関ヶ原の合戦…西軍総大将として各地に激を飛ばし策を講じるが敗北。
大坂夏の陣…真田幸村らに粉砕される。
秀吉や如水は輝元を重要な戦場では重用せず、
兵站や普請をさせていたが、適材適所を考えての上だったのだろう。
>>291 佐井田(斉田)城攻略に2度失敗してるし
広繁の件も、広繁の独力で追い返したという話もあるんだが
まあそこそこ有能なのは確かだけど
294 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 16:33
秀秋って秀吉に殺されるのを恐れたおねが小早川家に押し付けただけ出羽?
俺の祖先は毛利(正確には益田)に年貢を直訴しに行って殺されマスタ。
まあそれは別として秀元といったら
関ヶ原後輝元に大阪籠城進言したり
福島正則改易の時兵を出したり
後年、家康に佐竹義宣らと一緒に茶会にでたりと
何かと毛利に名を残すが・・・
こいつ関ヶ原でなんで山降りなかったんだろうorz
>>295 吉川が道をふさいでいたから。
その後毛利の実権を握った秀元が吉川をどう扱ったかは周知の通り
そんな吉川をどかすことができなかったかいつも疑問に思うが・・・
むりだったんだろうな。
しかし輝元が大阪を去るように広家が領地は
家康に内通してるから大丈夫とか言ったのは本当だろうか?
298 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 19:33
それが本当なら秀元は信用されてないのか?
299 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/06 20:04
秀元は体裁的には輝元の養子とはいえ毛利元就の妾腹の家系として
両川の家系であった広家よりは立場が弱かったんでは?
まして広家は毛利の他の宿老も抱えてたと言うし
「秀秋タン裏切ると勝ち目ないから、この場は様子見しよう」
とでもいえば秀元も強気には出られんかったんでは?
まあ輝元が安国寺と吉川を天秤にかけて
安国寺を選んだ事が関ヶ原の結果なんで、
そこから輝元のへたれが篭城したところで
何かを期待するのも間違っている気がする。
29万石が残っただけでも御の字ではなかっただろうか。
そういや輝元は総大将か。
>>289 その税率は嘘と思って間違いないよ、
そもそもそんなに税をとって、米を一体誰が消費するっていうんだい?
悪名高い安国寺恵瓊だが、安国寺に従ってりゃ毛利は主権取れたんじゃないのか?
毛利信者は両川を成功だとぬかすが、元就の悩みの種だった事をお忘れなされてるようだ。
小早川隆景が一番イタイ。アントニオ・サリエリみたいなモンだ。
恵瓊に嫉妬して国を衰退させた第一人者にしかみえない。
人に好かれやすい人物で、評価も高くそこそこキレル男らしいが、遺言が「恵瓊に踊らされるな」。
つまり『元就の素養を一番受け継いだ』と言われている自分以上の天才を認められなかった売国奴。
近年でも隆景は人気があるが『悲運の天才』みたいに思われてるからだろ。
養子だろうが息子が宗家を裏切った責任ってないの?
元春はまだましだとは思うが、広家はお察しくださいだな。
広家は後年評価が見直されているようだが、不戦申し入れするならば、
毛利宗家の説得が先じゃないのか?降伏したところで徳川の犬だろう。
意見が取り入られないなら宗家の方針に沿うべきだ。どこが忠臣なんだか
両バカが力を持たなくなった徳川の世でやっと
毛利宗家は優れた内政家として開花したわけだ。めでたしめでたし
>>302 120万石時代に集めた家臣。
今の年金制度と同じだな。
隆景は天才というより韓国を破った英雄
大韓民国のことですか?
↓
>>303 , --- 、 /⌒ヽ
く ヽ、 // :
> __ _ヽ // :
, -===>_-X-_<=-、 // :
<__`i´-イレノ__iイレル、_> // :
i リ´し' ij'iリi. .// :
|ノi i _ iリイ .// :
ル/ ルi` -, イy'iノ. // :
i ⌒ヽTヽ ,- ( ヽ :
'v´ ヽ--ヽ,イノ :
Lヽ、_´ _ ノ/ :
/-=y---y、 :
// Y Yi :
,く___X,____,X> :
` 〜 i 〜i〜i〜〜´ :
「 ̄i ̄i / ' ̄y ̄ ヽ、 :
i  ̄ ) ̄) r' ゝ :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| :
米は金属の様に永続的に保存できるものではない。賞味期限内に喰わなければ腐ってしまう。
租税として大量に徴収しても結局、誰かがその徴収した分を全て喰わねば腐ってしまう。
そしてその米は武士階級だけで消費しきれるような量ではない。
結局のところ農民も米をしっかり食べていたってコト。
教科書では農民は白米など喰えず悲惨を極めていたと記載されてくことが多いが、それはウソ。
農民が米をしっかり食わねば消費が生産に追いつかない。
…というような話じゃなかったかな?
毛利隆元・・・( ´∀`)
吉川元春・・・(゚Д゚)
小早川隆景・・・(゚∀゚)
穂井田元清・・・(・∀・)
椙杜元秋・・・(´・ω・`)
出羽元倶・・・(-_-)
天野元政・・・ヽ(`Д´)ノ
末次元康・・・( ´_ゝ`)
小早川秀包・・・(`・ω・´)
元就は子に恵まれてるな、何のかんの言ってボンクラいねぇもんな。
>>307 関ヶ原後の毛利や上杉の事は有名だから自分で調べてみよう。
>>311 その徴収されたはずの米はどこでどうやって消費されたんだい?
…って話。米は保存が利かないので全部食ってしまうしかない訳だが当時の人口比を
見れば分るように武士階級や町人だけでそれだけの米を食い尽くすのは無理。
わざわざ金かけて大阪まで運んで蔵屋敷で毎年大量の米を腐らせててのかい?
つまり税が酷かった云々の有名な話はウソってことになる。
四つ成り=40%というのが相場らしいが
コンビニなんて食える弁当平気で捨ててたりする。レストランなどでもそういう残飯
はでる。先進国のそういう残飯を合わせれば何人の人間が飢え死にせずにすむ事か
生産された食べ物が全部人の口に入るとは限らん。
>>310 椙杜元秋・・・(´・ω・`)
出羽元倶・・・(-_-)
天野元政・・・ヽ(`Д´)ノ
末次元康・・・( ´_ゝ`)
誰だよ!
>>316 決定的に影が薄いそれぞれ元就の5,6,7,8男。
5男元秋と6男元倶は早世している(それぞれ享年34、17)
7男元政(享年41)8男元康(享年42)は関ヶ原にも参戦していて
後に毛利藩の一門として分家を立てている。何気に蒼天録にも登場済み。
他に元就の落胤との疑いがある二宮就辰〈ヽ ̄ゝ ̄〉
というのもいる。
こちらは内政面で実績を残している
結局、
>>312は人間は米だけで生きていけると言ってるのかな?
大坂の蔵屋敷は何のためにあったのかな?
米は白米としてだけ消費されるのかな?
>>311 残念ながら長州本藩の藩士は4000人ちょっとくらいしかいません。(幕末までこの数字です)
人口は国高が倍増した江戸末期で60万人程度ですから、当時は半分の30万人くらいでしょう。
(まあ前田家で一万強ですから、多いほうではありますが)
殆どが帰農してます。
そのリストラした藩士にも禄に給料を払えず、半知という(給料半額)信じられない事が毎年のように起きていました。
米が貴金属と同じように永久に保存できると勘違いしてる人が多いね。
米は結局最後は食うしかないだろ?
米はどんなことをしたって数年でイタむんだ。
喰えない米には一文の価値もないんだ。
でなきゃ大事にとっといて毎年蔵屋敷の中で腐らせるのか?
腐らせるためだけに毎年々々、農民から米を徴収してたのかい?
ちなみに腐らせるほど米が余ってるならいくら待っても捨て値にしかならんよ。
大阪まで運んでくる船賃にもならん。
>>321 収穫→余剰米は即売却→換金。
誰だ?お城に延々貯蔵してると思い込んでる馬鹿は?
>>321 城下で米を藩の御用商人に売却
↓
船で大阪に運ぶのは藩の商人
↓
藩は関係ない
毛利の莫大な借金を見るといまの日本のようだな
相場の仕組みが分からないのか?
米は商品だということが理解できてないのか?
米があまるほど大量に存在するなら値段なんかつかないんだよ。
そんなに大量に米が存在するなら換金自体が不可能。
逆にその米を引き取ってやるから金よこせの世界になる。
現代の我々普通は1日1合も米を食わないが
(夕食にしか米が出ないとして)、
当時の人はどんくらい食ってたのだろう。
戦時中でさえ、建前とは言え1日一人云合の配給があった
という話を聞いた事がある。
普通一日一合喰うだろ。
一食半合。二食をご飯だとして一合。
食料品以外の産業も国高に入っている藩あるけど、比率としては僅かだし、
食料品の内訳も、東北なら兎も角、西日本ならその多くが米。
よって農民も米を沢山食べてる。
武士と町民あわせて人口の1割強程度だしね。
>>89 参照、借金について書いてある。
どうも毛利領の税が高いというのは、地元民の子孫の間にあっては
通説として存在している模様。
年貢を多く取る理由は、武士が食うためで無く、借金の返済のためらしい。
日本全体を考えた場合、米が不足するという事は一見無いようだが、
毛利領だけを考える場合は、農民が米不足にあうと言う現象もありえるのでは?
一石は千合で、約150s。
一石が一年で一人が消費する量と考えられた。
一日あたり2.74合。
5石以下の扶持で家族を養なう下級武士も大勢。
>>329 それは毛利だけじゃないの。
遠方に大名は、収入の半分を参勤交代やら江戸滞在で空費させられている。
その為どの藩も莫大な借金を背負っている。
毛利なんてまだマシなほう、東北の大名は、飢餓移出までおこなって借金の返済をしている。
日本全土の話しなんだから、そんな重税をとっていたら、どうしても余ってしまう。
そして日本全国で消費するのは、武士と町民とその家族、人口の1割強なんだからどうしても多いでしょうが。
それに農民だって米を売って金銭を得ているんだしね。
そもそもそんな無茶な税がとれるって事は、どれだけの人を雇える事になるのか分かっているの?
50%とれるだけで、人口100万人ならほぼ同じ数の武士と町民を養う事が出きるってことだぞ。
人口の農民に対する割合が、五割か六割になってないとそれはありえない。
毛利で一揆が多かったのは、税が重いというより、検地が多かったから。
江戸中期以降、増徴を伴う(利率のことじゃないよ)検地を行ったのは毛利だけなんだよ。
そのぐらいめずらしく、また生産力の増加が著しかった。
税が高いって言われるのさえ嫌なんだ。
余ったといわれる米がどこに行ったのかは気になる。
331氏の話だと、例えば年貢で5割取られて、そのうち食われるのは1割、
残り4割。明かに収穫米の4割は、食い手がいないわけだよね?
あるいは農民は飢えていたかもしれない。上のほうに出てる、
人口30万で石高30万石だとしたら、5割取れば確実に農民は飢えている
(年間半分しか米を食えない)事になるけど。
けれど、飢えるような農民に米を買うような余力は無いわけで、結局、市場
流通米だか備蓄米の消費は出来ない。生産高の4割にもなる大量の余剰米
はどこへ消えるのだろう。
そういや防長一揆では山口防府の6万人の農民が参加したらしい。
藩の米倉があるところとはいえやっぱ税がきつかったようだな。
ちなみに現在の山口防府の人口の合計が約25万人らしい。
1800年頃のこの地方の人口はどれくらいだったんだろうか?
おまえらお米スレたてたらw
337 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 20:38
>>330 てか米だけで生きられないし、それを売って物を買うわけだからね。
>>335 だからそれは検地に反対して行われた事。
普段の税が不満で起った事じゃないの、別に安かったとは思わんが、利率で文句を言ったわけじゃないの。
なお参加者は一説では、防長全土あわせて13万とも言われている。
ついでに全土での明治初期の人口は、60万人ほど。
(江戸期に長州で独自に行われた戸籍は不完全で正確な人口がわからん)
>>338 一揆は生活が苦しいから起こすんだよな?
税が高くなる事も検地をされる事も農民にしたら一緒だろ
税率に文句イワナイなら検地しないで税率だけ変えるね。
これまで過小に台帳に記載されてきた耕地の本当の面積がバレて
税が増えるから反対したってことだろ?
全住民の2割が一揆に参加ってよほどのことだろ
生産力の向上を目的とした検地なんだから、隠してた耕地が記帳されるのはあたりまえ。
既存の耕地だって過大評価されて記帳。場合によっては二重に検地されたこともあるらしい。
検地官への賄賂だって横行してるわけだ。
検地が多かったっていうのは、搾り取りたかったから他ならない。
こんな長州が、農民の納得できる税率を設定しているとは思えないね。
税率、検地どころか体制に不満なんだ。
検地は一揆のきっかけになりはしたけど、理由はそれだけじゃないよ。
まあこれが幕末の資金源になるわけだから、人によっては善政だと見えるのかな?
>>339 所得隠しがあるのと、税率をあげるのは違うだろ。
別に報告制じゃないんだから、それをどうこう言うつもりはないが、
生産力が増える事により、収入が増えるのと、生産力が変らないのに増税するのは違うよ。
結果的に同じでも、意味が全く違う。
収入が増える事により税金を多く払う事と、所得税や消費税があがるのは違うだろ。
>検地が多かったっていうのは、搾り取りたかったから他ならない。
>こんな長州が、農民の納得できる税率を設定しているとは思えないね。
完全な妄想。補足できる資料でも持っているのか?
高率の税率をかけられなかったから、検地をおこなっているんだよ。
ついでに度々っていってもね、江戸時代通じて4、5回くらいだよ。
50年に1回確定申告したぐらいなもんかな。
ついでに体制に不満だったら、四ヶ国艦隊砲撃事件や長州征伐などで、長州藩の為に必至に戦ってないって。
幕府や東北諸藩のように雪崩をうって民衆が媚びを売っている。
幕末においては他の諸藩では多発していた一揆が、長州ではたった四件しか起ってないし、
検地をおこなう時以外は、それほど一揆がおこっていたわけじゃない。
つーかんな高率の税を払えるって、いったいどんな生産力があるわけよ。
7割っていう税が本当に実施されているのなら、長州藩においては農民の人口は三割きってもやってけるぞ。
そもそも中世の生産力でんなもんが賄えるとおもっているのか?
>>344 生活の質が上から下まで一緒なら君の言う通り
長州の武士は貧乏で有名だよ。移ったときに給料が5分の一に減額され、
その後も財政が厳しいと給料半額が度々実施されていた。
藩士の多くが借金を重ね、見かけた藩が、代りに借金の返済をしたくらいだね。
上士などは数そのものが少ないから、全体に与える影響なんて微微たるものだし、
余り贅沢をしたって話は聞かないなあ、まあ藩校やその分校を各地に建てたりして色々金を使っているのは事実だけど。
そして長州の農民は寺小屋などに積極的に通っていて、そんなに貧しい印象をうけないんだけどねえ。
ちなみに幕末の寺子屋の普及率は全国二位。(県単位)
商品作物の栽培なども盛んにおこなわれているし、どっちかというと民衆は豊な部類に入るかと。
だからこそ集団で蜂起するということが出来るんだしね。
なんで幕末まで不満が維持されてるかのような受け取り方してんだ?
藩財政の窮貧打開が目的だった長州は農民に優しい政策ではなかったんだよ。
幕末でも天保大一揆って半端な規模じゃない一揆起こしてるし。
維新の原動力ともいえる一揆を毛利信者は御存知だろ?
長州の貧乏下級武士が幕末に封建体制を壊すために
動いた理由がわかってきた。
輝元が原因だな。
>>343 >収入が増える事により税金を多く払う事と、所得税や消費税があがるのは違うだろ。
収入が増える事により税金を多く払う事=検地
所得税や消費税があがる=税率
収入が増える事により税金を多く払う事のどこが納得できないの?
多く払う事が納得いかないんでは?
自爆ですか?
>>351 検地がなければ生産力が上がってたのがバレないのでこれまでどおり安い税で済んでた。
検地を行われて所得が増えてたことがバレた。支払う税の総額が増えた。
だから検地反対!!
50年に一度くらいしかやってないうえに他藩ではやってないんだから抵抗感も大きいだろ。
防長そのものは貧しい国ではない。
なのに一揆を起こさなければならない年貢の取立てだったと。
消費税反対騒動を思い出してみろ。
金額的にはたいしたものではないが全国的に大騒動になっただろ?
結局はアレと同じということだ。そういうところは今も昔も変わらんのよ。
よしおまいら、消費税率が7パーセントを超えて
タバコが今より20円高くなったら一緒に一揆を起こしますよ。
唐傘連判なんぞしゃらくさいことはせずに漏れが筆頭になってやる。
>>347 ん?そんな意味で言ってないぞ。
遠方の外様諸藩と違いがないと言っているんだ。
そしてんな高率の税はありえないとね。
常識で考えろ常識で。
>>351 そう言ったつもりだが?
>>355 たばこ吸わねぇから関係ね。
むしろどんどん高くなって喫煙者いなくなれ。
358 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 10:27
>>357 アホか?
喫煙者のおかげで消費税が5%ですんでるのに。
煙草税とガソリン税と酒税の税率を知らんのか?
それがどうした。
喫煙者の病気に国民の保険料が使われるなんて納得いかないのもいいところだな。
吸殻もポイポイ街中で捨てやがって。
その掃除にも国民の税金かボランティアの善意が使用されてる。
服なんかに穴を空けられたことがどれくらいあるか。
消費税0%にしてタバコ税をあと200%も引き上げれば景気も回復するだろうよ。
防長の生産力はどんどん上がった。
しかしそれでも財政は苦しく1831年に起きた天保大一揆の後
藩債額は銀92026貫(この年代は米一石は銀100匁の相場らしい)
にもなっている。
天保の一揆の原因としては物産会所といわれる
米以外の防長の四白(和紙、蝋、塩)を
藩が強制的に安く買い上げようとしたらしい。
その中でも塩は租庸調で塩を払う国だっただけに
1800年代では生産高は播磨に次いで2位となってる。
こういう農民の貴重な収入源を安くとられるへんから爆発が起きたと思うよ。
藩もすでに大内時代から続いた山口銀山がそこをついてるし
結局他を増やすしか方法がないから新田開発をしていたんだろうね。
もう読む気も起きない経済スレ
>>356に矛盾を教えるより、チンパンジーに相対性理論教えるほうが楽
>>359 服に穴が開くのはオマエの注意力に問題があるんだが
362は文意が読み取れないアホですな。もう一度343と351を読み、その発端の338、339あたりから読みなおす事を進めますね。
まあそれでも読み取れないなら、小学校からやりなおした方がいいですね。
それとも晒し上げるか。
服に穴〜の話がこじれてるのはシチュエーションの相違?
歩きタバコの場合だったら362がリアDQNだな
365 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/10 18:21
>>360 んでそんな財政きつかったのは何でだろうな?
そんな大内みたいな派手な生活をしてた訳でもないし。
税率182.5%に相当する年貢を要求した事があるってさ。
毛利では常識ですか?
30万の給料で税金に55万
まあ煙草が一箱千円になっても買うアフォはいるってことでFA?
>>365 馬鹿みたいな話だが、貯蓄していた為。
毛利家は財政が特殊で、江戸中期に撫育方が作られ、その収入が独立した会計になっていて、
これは有事の時以外使われることがない。その結果天災などが起きたとき以外全て貯蓄に回され、
特に1800年頃になると、撫育方の収入源である商業の方が調子がよかったから、
そっちに収入の大半がとられて、一般会計の方に税収が回らなかった。
100万両近く借金があったんだが、同時に100万両近く貯蓄があったそうな。
あとその頃天災が相次ぎ、特に酷い水害があり、100万両近くの出費を強いられたのが大きいかと。
この時は幕府に願い出て、参勤交代で隊列を組まず、藩主が単騎で国元に帰るというほど酷い状況だった。
まあそのおかげで、幕末の膨大な活動費を捻出しつつも、領民の負担が重くならず。
会津のように一揆が続発するような自体は避けられたわけだけどね。
369 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/11 08:41
>>367 シンガポールじゃ1箱800円位だから吸ってるのは
外国人か飲み屋の姉ちゃんか会社のエロイ人くらい。
どうせなら・四国九州でも攻め込んで、
地域王国でも作れば良かったのに。
東から織田が攻めてきてんのに
んなこと出来るかよ
>>368 おおサンクス。
そういえば長州って全国の一揆数が1890起きてるけど
長州はそのうち50くらいだって。
多いのか少ないかはしらんが。
いつの時期かわからないけど、50っていったら、江戸時代を通じてかな。
幕末は4件しかないそうだし、けど江戸時代全国通じて1890ってのは少ないよなあ。
まあ日本の江戸末期の実高は3000万石、長州は100万石
やく30人に一人は長州人ってこと。
1890÷30=63
つーことは、平均より多少下って程度じゃないかな。
天領は参勤交代などがなかったため、税がかなり安かったそうだし、
町民(打ち壊しは無視しているのかな?)武士など含まれない人も多いだろうから、
そのあたりも考えれば、かなり少ないほうかも。
やっぱり輝元はぬるぽ
ねえねえ、ところで輝元は名君なの?そうでないの?
並
戦国大名としては暗君。
小早川はシャーナイとして吉川くらい抑えれin関ヶ原
乱世の暗君
治世の凡君
最低だな(w
最高ですよぅ
こいつがヘボかったお陰で秀吉は天下を取れたわけだからな。
あながち間違ってもいないな
>>383 あながちそうとは言い切れん
ヘボはヘボでも武田勝頼みたいな突撃大将だったら
毛利家自体がアボーンしてた可能性高い
ヘボではない。単に凡人なだけ
僕達と同じだよ
>>384 勝頼はへぼどころか優秀だろ。
なまじ有能だったばかりに家を滅ぼす結果になったが。
386 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 00:35
386get!!
387 :
無名武将@お腹せっぷく :04/05/16 00:38
386だったら切腹
>>385 優秀で家滅ぼして
ヘボだから家を残せた
もう判断基準はどこですかw
>>388 向き不向きの問題。
単に家を守るだけなら中途半端に有能な人間より
凡庸な人間の方がいいってのはよく言われる話。
>>389 つうか家も残せず自分が生き残る事すらできなかった香具師が
どのつら下げて有能ですか?
391 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 08:36
武田勝頼 vs 毛利輝元
392 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 10:04
カツは穴山が長篠を避けるよう言ったのにダメポだな
393 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 10:07
どうして毛利厨って頭悪いの!?
最後の勝者は織田でも豊臣でも徳川ではなく毛利と島津。
武田!?家を潰したボンクラなんぞ話にもならんな。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 11:23
俺は輝元ごときよりも有能
399 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 12:16
統一朝鮮誕生。南北間のありとあらゆる垣根が取り払われた当然の結果として
第二の漢江の奇跡が起こる。GNPはあれよあれよという間に世界一かつ全世界の
九割を占め、数年で精強な軍隊が作り上げられる。そして日本を軍事制圧。
過去の侵略戦争の罪として、テレビ中継で天皇の公開処刑。天皇の家系は全て処刑、アイコはワニに餌。
生き残った日本人は、人としてでは無く奴隷として朝鮮人の為だけに尽くします。日本人は奴隷がスローガンです。
※ いましておくこと ※
日本人であるとこを捨てる・朝鮮語を学ぶ・坊主にする・額に奴隷と刺青する・
これらの準備をしておけば、来るべき日にワンランク上の奴隷として扱いましょうかね。
嫌朝鮮や朝鮮に差別的な人間は、悔い改めておくように
コピペか?
401 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 12:49
あんちゃん これが見えんのんか?ダイナマイトじゃ
おどりゃ信二ー シゴゥしたるけんのー
ピカッ
403 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 12:58
>>399 3年後の現実。もう今更何をしても手遅れ。
あんちゃん
>>403の様子がおかしいのぅ 何があったんじゃろう
>>404 信二ー
ピカのせいで頭がおかしくなってしまったんじゃ
人間ああなると終りじゃ
お前ら今度は毛利じゃなくて広島にターゲットを絞りやがったなw
>>407 このスレの流れは
輝元叩き→毛利叩き→広島叩き→山口叩き→幕末の話題→江戸期の経済
のループですw
410 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 23:13
410get!!
>>408 ご希望にこたえて
毛利家って肥のゲームでも武田・上杉・島津とくらべて弱いよな。
中国十カ国ってのはもっとつよくてもいいと思うんだが・・・
COMに史実通り動いてもらう必要性から、弱めに設定してある。
だから大抵の場合毛利は中国地方制圧後停滞する。
413 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/17 20:28
>>411 肥ゲームの毛利は充分強いよ
使える武将もきちんといる
風雲とか最強
将星でも強い
というか武田・上杉より強かったらやばいじゃん
414 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/17 20:45
肥の武将評価はけっこう講談とかによってると思う。
だから武田・上杉・真田あたりが強くなる。もしかして毛利が主役の講談とかってないの?
>>411 元就を最強の知将に設定しているから、
毛利家をあまり強くしすぎるとゲームバランス的にまずいからじゃない?
暗殺マンセーの天昇記なんか元就一人いればで天下ねらえたしね。
毛利、戦国終盤安易に周辺国切り取れるしなぁ
417 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/17 21:40
山陽・山陰十カ国のうち、毛利の直轄地ってのはどれくらいなの
安芸の一部だけかね
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ヽ____)ノ \// / |ヽ、∧
「祖父の遺言がなければ毛利が天下を取っていたんだよ。
コーエーは、そのあたりをもっと考慮して欲しいね。」
おめえ今日は出陣しねえだろ・・・
あんたは誰の遺言に縛られて最下位なんだ・・・
422 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/18 00:43
423 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/18 15:21
ゲームの話でスマン
毛利輝元でやったら能力低ぎて使い物にならんかった。
結局、最初から最後まで安芸備後から動かさずに天下統一させてしもたw
元春「輝元が投手・・・そのようなこと認めるわけには参らぬ!
輝元をねじ伏せてくれるわ!!」
吉川元春が不満を訴え、謀反を起こしました。
ゲームでは隆景のほうが謀反しやすいような気もするが・・・
>>426 ・・・ゲームだったら隆元居なかったら
輝元、在野で出るもんなぁ・・・
で、史実準拠で輝元、元就死亡で輝元起用したら
両川キレるもんなぁ・・・
酷いよ、結束、毛利のウリなのに
そこがKOEI
結束がないから元就が心配して忠告しったていうこと。肥は間違ってない。
三本の矢イベントのあとの謀反だったら許せないが・・・
430 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/20 20:44
確かに自分の家のことに夢中だったからね。
>>429 普通に三本の矢の後に謀反起きるよ
隆元死亡→輝元在野で登用→当主で
かなりの高確率で両川ブチギレ
マジで・・。
肥のゲームに家督相続の優先順位っていう考えはないのか?
あるわけないだろ
今川家を松平元康が相続するのは有名な話
435 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 21:19
ちなみに烈風伝マスターガイド(PS)によると跡継ぎ優先順位が
大名の長男→長男の兄弟→長男の息子らしいんで・・・
でも孫が後を次いでも別に問題は無いと思うけどなぁ
436 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/22 21:26
三法師がついできれる信雄・信孝みたいなもんか
信長の兄貴の存在が・・・
ひどくな〜イ?
嵐世紀だと長男→長男の長男→親父→長男以外の子って感じになってたと思う
439 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/24 04:53
普通に考えれば長男の長男が長男の兄弟より正統なんだろうが、
いろいろ特殊なケースもあるだろうし、
所詮コンピュータゲームに人間関係の機微なんか表現できん。
元就から数えて隆景、元春は1親等。
輝元は2親等か。あきらめろ輝元・・・
隆元が元就より先に死ぬ事を前提に話してるんだ
ほら親父が長生きしすぎだし
毛利家臣にはもっと長生きしてるやつがいぱーい・・・
445 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/27 19:01
輝元 長
秀元 長
元清 長
長
446 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/28 12:30
毛輝
毛利モリモリ モーリモリ
ブリッ
何で俺 毛利輝元の名前見ると勃つんだろ
精神異常者
長州フェチ
age
454 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/09 14:16
ここ最近中国地方大名のレスが減りすぎ。
ここと尼子スレが落ちたら中国地方統一スレでもたてたほうが・・・
大内、宇喜多もね
456 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/10 19:35
>>455 宇喜田スレはこないだ立ったが即死した。
458 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/13 15:33
大内ですら2年かかったのに陶たんどくじゃあ・・・
>>1(411)
初期の戦国群雄伝だと、野望を除き輝元はオール90前後という高い数字だったと思われ。
両川もそのくらい、ただ他の武将はあまり強くなかったが、
織田家臣団より1歩劣る程度で、使えないことはないくらいだったな。
雑魚になったのは、武将風雲禄から。
武田以外は全般的に弱まっているけど、あれは酷い、どれかが70を越えているものすら殆どいない。
その時、歴史が動いた!
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ヽ____)ノ \// / |ヽ、∧
「ついに毛利が天下の下知を下すときがきた! 広家、秀秋、秀元よ。 徳川を討て!」
. . .... ..: : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
身の程を知ってください
463 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 18:01
まあ彼がヘタレだったから戦争しなくてすむのかも
464 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 15:25
キッくぁわひろうぃぇ
【7:35】もとはるおじちゃんのわらいごえでめがさめる。かおをあわう。はもみがく。
きのうもはやねだからきぶんがいい。そういえばおじいちゃんなにかいいたけだったけど
なんだったんだろう?
【7:43】あさごはんたべていたらおじいちゃんが
「てるもとはなさけない」
っていうからおさけをもってきてあげたらかんげきのあまりことばにつまってた
ちょっとてれくさい
【8:03】おじいちゃんが
「もうりのいえをよくおもうものはかちゅうにもおるまい」といった
そんなにぼろいとはおもわないけど、
「ぼくがこのいえをたてなおしてりっぱないえをたててあげる」っていったら
おじいちゃんかんげきのあまりなきだしちゃった
【8:46】にわでおいぬさんがないてたからあそんであげた。おじいちゃんはおばあちゃんと
おとうちゃんのいえいとおはなししてる。ほんとうになかよしさんなんだね。
【9:30】つかれちゃったからおねむだお
【11:45】ねてるあいだにやまなかのおじちゃんがせめてきたけどもとはるおじちゃんが
やっつけてくれたお
【11:49】おじいちゃんがもとはるおじちゃんとたかかげおじちゃんをよんで
「いっぽんのやはおれやすいがさんぼんのやはなかなかおれない」
っていってたけど、ぼくはいっぽんおやもおれないよ、ていったら
3にんともはしりだしちゃったよ。みんないつまでもげんきでいてね
読みにくい
>>465 でも禿藁
(じかいはかいぎょうにきをつけよう、てるもとくん)
次回は改行に気をつけよう、輝元君
隆元が早死して輝元が長生きした秘訣がここに
輝元はひらがなキャラなんですね。
__
|
_ _ |サボーンの矢
(● _ ●) / __
 ̄
>>465 若様、この隆景めが漢字になおしてあげましょう。
【7:35】元春おじちゃんの笑い声で目が覚める。顔を洗う。歯も磨く。
昨日も早寝だから気分がいい。そういえばおじいちゃん何か言いたげだったけど何だったんだろう?
【7:45】朝御飯食べていたらおじいちゃんが
「輝元は情けない」
って言うからお酒を持ってきてあげたら感激のあまり言葉に詰まってた。
ちょっと照れくさい。
【8:03】おじいちゃんが
「毛利の家をよく思う者は家中にもおるまい」と言った。
そんなにボロイとは思わないけど、
「僕がこの家を建て直して立派な家を建ててあげる」って言ったら
おじいちゃん感激のあまり泣き出しちゃった。
【8:46】庭でお犬さんが泣いてたから遊んであげた。おじいちゃんはおばあちゃんと
おとうちゃんの遺影とお話してる。本当に仲良しさんなんだね。
【9:30】疲れちゃったからお寝むだお。
【11:45】寝てる間に山中のおじちゃんが攻めて来たけど元春おじちゃんがやっつけてくれたお。
【11:49】おじいちゃんが元春おじちゃんと隆景おじちゃんを呼んで
「一本の矢は折れやすいが三本の矢はなかなか折れない」
って言ってたけど、僕は一本の矢も折れないよ、て言ったら3人とも走り出しちゃったよ。皆いつまでも元気でいてね。
平和なお日記じゃのう。若様。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/24 02:04
信長が生きてたら2-3年で滅亡だったな
>>473 そんな事、言い出したら、世界は変わりまくるわ。
■
_ ‖ _ \ / ⌒ ⌒
(● _ ●) (― ‥ ―) 。 。
∩
輝元公 ´__`
元春公
隆景公
476 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 19:08
情に厚く領国統治に優れていたみたいなんで印象としては徳川秀忠に近いかな?
まあ、当主としての能力は持ってると思うのですが。関ヶ原のことがあるから
ダメみたいな評価があるね。この時代は最後にコケちゃうと無能とか凡庸とか
な評価になりますね。北条氏政も凡将のように言われるし。
輝元は長年領内で独立状態だった国人領に検地を断行していき、また赤間関の支配に力を入れ、
交易や海運の収益をあげている。さらに居城を吉田こ郡山から広島に移し、大国を統治する大名にふさわしい城下町を築いている。
関ヶ原後も家臣は苦しい中残ったり輝元に呼び返されて萩に戻ったりしてるし。
決して凡将じゃないぞ!
477 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/10 21:29
もーりけってすごいいえなんだねww
478 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 01:28
幕府に命じられたのかどうかよくわからんが
萩に城を作ったのは失敗だな
俺だったら大島を城にする!
文殊山に七重の天守を建て全島を水軍城にする
479 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 01:36
萩は幕府からの命令だったと思う
480 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 01:43
とりあえず,確定してるのは、
日本人=周防人>長州人>(超えられない優劣)>芸州人>その他>うんこ>会津人
481 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 08:30
age
482 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 12:55
>>480 日本人=周防人>長州人>(超えられない優劣)>芸州人>その他>うんこ>会津人>>南部人>>>>仙台人
483 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 13:46
>>476 >決して凡将じゃないぞ!
はっきり言って「愚将」だよ。元就の偉業をご破算にした、情けない
男。輝元は戦国武将としては優柔不断で、定見が感じられない。こういう
態度は家康が最も軽蔑するところで、関ヶ原の役後は完全になめらている。
「輝元」と「島津」「上杉」 に家康が対した態度を比較してみればよくわかる
が、後者には家康をして少なからず敬意すら抱かせている。何よりも「軍家」と
しての威圧的な気合いと凄みが、だ。
毛利は、前田のような外交力もなく、赤子の手をひねられように領地没収と削減
となった。領国統治なんてのは、大名として当り前のことで自慢にもならない。
「冒険をしない」という定見が感じられるぞ。
まあ関ヶ原は失敗だったな。
でも一度の失敗で全部ダメっつーのもどうかと。
領国統治なんて当たり前と言うが、あそこまで厳しい状況をしのいだのは
それなりに評価してやらないとかわいそうだろ。
輝元を否定する訳じゃないが、「平和の時代」に向いた大名なんだよ。
リーダーシップには欠けてるし、本人も「戦国」は生きづらかったろう。
五大老まで務めながら、利家が死んでからも精彩がない。三成にはう
まく担がれて大坂城へ入城するものの、そこで引き籠もってるしさ。
関ヶ原以前も以降も、家康からは「人畜無害」って扱われ方だろ。
機動部隊の「南雲忠一」って感じで、大局で判断ミス犯してる。
領地だって完全没収の所を、吉川広家の尽力で36万石残せたわけだし。
486 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 19:50
>>483 >領国統治なんてのは、大名として当り前のことで自慢にもならない。
その当たり前のことすらできない大名もいたし、輝元は成果も上げてる
ことだし評価してあげてもいいのでは。戦闘もだめ、内政もだめというのが
「愚将」でしょう。
関ヶ原もあれはあれでよかったとも思う。大阪城に籠城したところで勝てていた
とは思えないし、むしろ改易になってたかもしれないし。東軍についてたら
加増されてただろうけど後で難癖つけられて改易になってたかもしれない。
幕府ができて固まった頃だと抵抗しても無理だろうし。
まあこのへんは武士としてたとえ玉砕しても立ち向かうのがいいという人と
とにかく家を残すのがいいという人によってだろうけど。
私は家を残すほうが好きなので輝元とか前田利長とか好きです。
まあ幸村なんかも好きですが・・・
なぜか明治に名が上がって借金返せたって結果万々歳だな
488 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/11 21:14
結果的に毛利が日本統一して今に至ってるんだから、評価は最高に決まってる。
鎌倉ー室町ー江戸ー長州(毛利)←おれらの世
489 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 07:00
>>486 >大阪城に籠城したところで勝てていたとは思えないし、
輝元は「籠城して徹底抗戦すべき」か「明け渡すか」と城内で意見を求
められたとき、はっきり意志を示していない。この辺が、輝元って結局何を
したい人なんかな〜、というイメージを強くしてる。
輝元は、狸親父の家康の「大坂城を退去したら領国は安堵する」との言葉を信
じて素直に城を退去してしまう。ところが大坂城に入った途端、家康は急に「羊」
の顔から「狼」に態度豹変。あれこれ難癖をつけられた上、「所領没収!」と宣告
される。完全な約束違反なのだが、それに従う輝元。なすすべなし。
結果的に何とか「家」は残せたけど、この時点で家康に次ぐ全国No.2の
大大名の家格だったわけで、政治的な立ち回り方もへたすぎる。
490 :
名無しさん@お腹せっぷく :04/07/12 09:16
関ヶ原のことって輝元よりも吉川広家のほうが悪いんじゃない?
当主輝元は西軍につくと決めてたのに兵を動かさなかった。これって
命令違反だよね。吉川のおかげで助かったけどね。
バントの命令だけど無視して打ったらタイムリー打ったみたいなもんかな?
長州=毛利?
勘弁してよ。
>>489 >関ヶ原のことって輝元よりも吉川広家のほうが悪いんじゃない?
吉川広家は、輝元に何度も忠告してる。「家康には勝てない」と。
にもかかわらず、結局安国寺に丸め込まれた輝元。広家はやむにやまれず、
家康と裏交渉をして実際の戦闘では「中立」を保ったので、毛利は完全削減
を免れた。「吉川のおかげで助かった」といえる。
>バントの命令だけど無視して打ったらタイムリー打ったみたいなもんかな?
指示を出したのが「長島監督」と思われるので、広家は独自に状況判断した
って感じだろう。
しかし毛利が全力出して西軍で戦ったら
どうなってたかわからんと思うのだが・・・
494 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/12 13:57
>>492 それは結果的にはそうなったけども大将が決めたのだから不満でも
それに従わないといけないんじゃないの?
でもほんとに吉川が動いてたらどーなってたのかな。
495 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/12 18:32
毛利軍はあちこちに人やら兵を分散しすぎだよな
大坂城に輝元
大津に元康と秀包
関が原に秀元と広家
何してるのかよくわからない秀秋
大勢力だから大量動員できるのかもしれないが。。。
東西どっちが勝っても日和見と言われて縮小のヤカン
秀頼の周りにヤリ手が居ればの話だが
>>495 小早川秀秋って 自分は毛利一門 と言う意識はあったんだろうか。。。
俺は無かったと思う
もしあっても非常に微量かな?
499 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/12 22:35
俺もないと思う。
秀秋が継いでから隆景以来の譜代家臣はいなくなったらしいから
秀秋の配下はほとんど秀吉に付けられた者達、前の領土から連れてきた者
みたいだし。
そういえば関ヶ原当時、15万石くらいだろ。
石高=兵力というわけじゃないだろうけど、
どうやって一万人以上の兵力を動員できたんだ。
↑スマソ。小早川秀秋の話でつ
太閤検地で筑前34万石じゃなかったか?
そうだっけ。勘違いでした。
それにしても大陸遠征がなかったら毛利家の兵力はもっと増えてたかもしれないよな。
いくら元就に天下にかかわるなと言われても、絶対無理だよな
504 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 12:40
よく吉川広家が根回ししたため、周防長門が安堵されたからと広家を擁護する
論述が多いが絶対に絶対に絶対に絶対にありえない。あのとき、あのとき、あのとき
南宮山から下ってくだってくだっていればあー。西軍大勝利、総大将の毛利家は既存の8カ国
に加え畿内を中心に100万石加増。秀より様の後見にー。そして関白か将軍になって毛利政権
樹立。周防一国とえらい違いでしょうがー。広家擁護派は絶対パープリンですうー。
505 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 13:36
〉472 ワラタWW おまい、頭いいなぁ。
>>504 秀頼の後見に三成がいるので
そうはいかんざき
と思われ。
どっちにせよ家中の方針も統一できない奴が天下取れるわけ無いよ
足利尊氏とか。
(別に輝元に天下を取る素質があったとは毛頭思わないけど)
509 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 22:12
吉川広家のおかげで毛利は生き残れたという主張がチラホラ
あるけど、
漏れから言わせれば不戦したら毛利をそのまま生き残らせる
という言葉を信じた時点で輝元の足元にも劣る器量
と思います。
漏れから言わせれば、どうみても輝元が安国寺の主張に乗ったのは
間違いではない。
あの時点で家康の上杉征伐を放置か黙認した場合豊臣の名で
諸侯に呼びかけ軍事動員できる前例ができてしまう。
まして利家亡き後、秀頼後見と天下政務代行を兼ねてる
事実上の天下人に近い家康。
上杉が屈服すれば家康は東国を固め後顧の憂い無く
残る二大老の宇喜多、毛利を料理にかかるだろう。
その段階になっては毛利に勝ち目は薄い。
家康が五大老の各個撃破を狙ってるのは当時の情勢から見れば
明白なんだし。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 23:06
>>509 確かに広家は朝鮮侵攻以来、武断派の大名と仲がよかった。だが自分が本気で毛利を支えたいなら
無駄な対立や独断に走るわけがない。輝元だって、家康が甘くないことを知ってるし、上杉、前田
の次の標的は自分と自覚してたはず。だから立ち上がったのに、その主君の意思を計れない広家は
愚か。
511 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 23:10
三成に権限はない。たかだか五奉行の3,4番手が大大名に何が言えるか。
実際大坂城にきてほとんどの西軍武将は黒幕を知り、やる気なくし、しかも
三成は謹慎中。
512 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/13 23:13
毛利の大坂城篭城はあくまで講和を有利にするためだと思う。
ただ家康がいい条件をだしたためこれがなくなっただけで。
513 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 01:27
その良い条件も、但書きがついていて家康が後で難癖つけて改易なり
転封なりできるようになってたんだ。その文面の意味をきちんと
解釈できなかった輝元は甘いといわれても仕方あるまい。
だがたとえ秀秋の裏切りがなく西軍が勝っていたとしてもその後の
政権は短命に終わっていたと思う。
関白 小早川秀秋
征夷大将軍 毛利輝元
左大臣 石田三成
こんな感じだと思うけど上杉、島津らを抑えられるとは思えない。
秀頼はシカトかよ!
>>513 一番の功労者になるであろう上杉を政権外に置く発想が判らない・・・。
輝元が上杉征伐の理由を上手くこじつけて転封or第二次上杉征伐
できるほど話が上手く無いか('∀`)
517 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 20:43
政権が短命?そうかな5年から10年くらいかかるだろうが
安定させるのは不可能ではないと思うけど。
上杉が東国メイン、毛利が西国メインで棲み分けするだろう
から東の鎮定は上杉主導で行なうだろう。
徳川家も秀康が家督継いで一応残ったろう。
んで小早川秀秋タンだけど関白ではなく内覧に任命するのが
落しどころでしょ。内覧なら関白代行の役職として申し分ないしね。
そして毛利はどうなるかはわからんけど大老筆頭で満足して
昼行燈に・・くらいかな?
518 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 21:02
>>517 >東の鎮定は上杉主導で行なうだろう。
無理だよ、最上風情に手こずってる上杉には。
多分五大老五奉行制はそのままだろうから面子が変わるだけではないかとおもう
五大老 (筆頭)毛利輝元、上杉景勝、宇喜田秀家、伊達政宗、小西行長
位だろうか、伊達が入れるかどうかは微妙、積極参戦した有力大名がいればいいが
島津は貢献すくないし、長曽我部あたりかもしれない。
小早川秀秋は秀頼政権には邪魔者なので仮の関白みたいに祭り上げられて消されるかも、
どっちにしても長くは無い、断絶したら小早川家は秀包が宗家を継ぐことに毛利と密約するだろう、
徳川家は関東の一カ国に減封され秀康に家督が譲られるだろうな。
いえてる。問題は徳川亡き後の関東を、上杉が統治できるかだな。
そもそも、東を上杉、西を毛利ではまた東西対決が起こるだろ。
西対東ってのは鎌倉に幕府が開かれて以来変わらない構造だよな。
ヘタレ同士の決戦
522 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/14 22:55
秀秋タンは三成からの誓文でやっぱ関白でしょ。
で輝元は一応征夷大将軍、でも家康みたいに源氏長者の官位はもらえず
政権のトップには成れないかな。
結城秀康は家康に反抗心があったので西軍に寝返りもありそう。
徳川という名でなく結城で家康の血が残ったかもね。
最上はお家騒動で勝手に自滅するだろうから、東国はやはり上杉主導に
成るだろうけど輝元の下ではいられないはず。
結果、安定政権はできず10年は戦乱の世が延びたような気がする。
>>522 そうなったら中世への逆戻りだよな。
もし、歴史に必然性があって、方法はちがっても同じ方向に流れるのなら、もう一度大戦争が起こって誰かが一人勝ちになるというのが漏れの予想。
本筋からずれるけど、歴史のIF考えるのは難しいよな。
個々の戦争は時の運とかがあるけども、どうしても変えられない大きな流れというものがあると思う。
例えば、戦乱に飽き飽きしていた民衆が強い指導力を求めて、信長を天下人に押し上げたのではないだろうか。
もし、信長が桶狭間で氏んでも、その代わりの人物が近世への扉を開けたのではないだろうか。
そして結論が :考えるだけ無意味
525 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 06:57
>>509 >上杉が屈服すれば家康は東国を固め後顧の憂い無く残る
二大老の宇喜多、毛利を料理にかかるだろう。
同じ豊臣ながら、前田は利家が死去した後も、機転をきかせて徳川に恭順、
人質まで出して幕末まで100万石を維持してる。利家夫人も相当腸が煮え繰
りかえっていただろうが、淀殿のような意地をはらず、さっさと方向転換
した。家康はブラフをかませるが、それに真正面からのらず、うまくかわ
して120万石残せる目もあった。
>>525 結局それって結果論だと思う。
関ヶ原で秀忠軍が真田に邪魔されて遅れるなど確実に家康が勝てるという
訳でもなく、やり方や運によっては西軍が勝てる要素もあったのだから。
それに淀殿をこの場合の引き合いに出すのは不適切かもしれない。
というのも淀殿の場合の望みは豊臣の再興で1大名に甘んじることじゃない。
もし、前田家と同じやり方をしたならば1大名に落とされて大幅に石高を削られ
領地替えで大阪城から追い出されていただろう。
前田家はその時さえ我慢すれば当座の危機を凌いで現在の地位は保たれるのに対し、
淀殿の場合は以前家臣だったものに対して頭を下げて臣下として使えることになるのだから
やはり比較が違うと思う。
527 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/15 22:47
正直、吉川広家の尽力で2ヶ国残ったと言うのはどうかと・・・
むしろ広家の努力はマイナスの結果。
家康としてはあの時点で毛利の領地を全て取り上げる気はさらさらなかったはず。
いくら毛利がヘタレとは言え、滅亡となれば全力で戦うっしょ。
そこで家康は広家を利用。
関ヶ原の功績を考えるとこちらもしょぼい報酬と言うわけには行かない。
寝返り組みを徳川方に組み込まなければならないからな。
そして防長2カ国をくれてやるときに広家に脅しをかけ、毛利に領土を献上させる。
結果、毛利+吉川の領土は最小となり、家康は笑いが止まらんかっただろうな。
528 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/16 00:19
輝元はもうすこし早く子供が生まれていればなあー。そうすれば秀秋を
押し付けられず、小早川も秀包が継いでいたかも?そしたら小早川も頼りに
なったのに。
でも秀吉の両川分断作戦によって今度は秀秋を小早川家に押し付けたかも?
家康の戦後処理能力は最強だと思われ
家康こそ智謀100にふさわしい
531 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 00:35
>>527 確かに、一番騙され使われたのは広家だね
532 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/16 00:46
家康も毛利が西軍でよかったかもね。東軍についてたら加増しなきゃならない。
福島たちに与える領地が必要だったからね。
加増しても、どーせ難癖つけて直ぐに減封か断絶だでや
534 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/16 01:05
広島城を無断で修理したとか謀反の疑いかけられて改易になっちゃったかな。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 01:20
家康「福島や小早川はサルの一族じゃ、取り潰すことは規定路線、毛利はおとなしくしてれば残してやるつもりじゃよ」
536 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/16 07:57
>>532-535 でも毛利が東軍という段階で西軍自体が成立しなくなる罠。
毛利やその他の大名がそのまま生き残り、家康があれほど強い力
を持ちえたかどうか。
そういった点では上杉がキーパーソンかもね。
万一にも上杉との戦に苦戦すれば家康の威信は地に落ちる罠。
上杉が最上に苦戦したってのがあるが、あれと逆のパターン
にならんとも限らん。なんせ直江も上杉領に引き込んで
ゲリラ戦とかイロイロ画策してたと聞くし。
そして家康が上杉を攻めあぐねた挙句、その段階で豊臣家の仲裁で
講和なんて事になれば、徳川の天下取りは絶望的になるでしょ。
万一に講和の仲介をするのが前田家で、利家未亡人の返還をするとかに
なれば家康の2年間の苦労は水泡に帰すし
たられば使えばどうとでも
538 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 00:04
じゃあ三戦板来るなと小一時間(略
確かに毛利が東軍だったら関ヶ原そのものが起こってない。
西軍全軍足しても徳川勢はおろか毛利勢よりも兵力少ないし・・・
ってことで単なる清洲会議の再現になってただろう。
ってかみんな輝元に多くを望みすぎ。
比べる対象が家康・秀吉を筆頭に元就レベル以上の香具師ばかりじゃん。
比べるなら武田勝頼、織田信雄、徳川秀忠、北条氏直、大内義隆、今川氏真等だろ。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 02:01
>>538 いや、輝元はその期待に答え得る器量人。
現実は非情である
541 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 07:39
家康は輝元が大坂城を退去するひきかえに、「所領の現状維持・安堵」
(120万石)をほのめかしたが、すぐに態度を豹変、「輝元イジメ」を始
めている。榊原康政、本多忠勝、井伊直正に曰く、
「これから島津攻めをするが、で、その先鋒は毛利輝元にやってもらうかの〜」
それってうまくいったら恩賞をあげることになるわけで、
むしろ温情的措置では?
もう島津相手に成功した気でいやがらぁ
家康だって十分な兵力を整える(諸将に命じる)義務があるだろ。
先鋒に適当に任せて、失敗したら征伐中止、ってわけにはいかないんだから。
毛利先鋒で島津攻め完了できるなら毛利が天下取れるよ
546 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 13:27
徳川四天王の井伊直政は、関ヶ原時、島津隊に腕をぶちぬかれ
ており、「日ノ本最強の兵」島津の恐ろしさを肌身にしみている。
関ヶ原後、3家を評した世人の噂。
上杉捨て身、毛利哀願、島津強訴
547 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 14:28
島津家だけは領土を減らすことなく戦後交渉を成功させている。義久のおかげ
。朝鮮出兵においても日本軍が全滅しなかったのは義弘のおかげ。上杉は男ら
しいだいたい売られた喧嘩を買っただけだ。毛利は・・・。
>>547 毛利も朝鮮出兵のとき活躍したじゃん
小 早 川 隆 景 が。
あ、関ヶ原の時は死んでたか。
549 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 15:58
隆景が生きてたら関ヶ原なんて起こさせなかっただろうよ。秀吉の時みたいに
時代を見きわめていち早く臣従したさ。輝元はいいように利用されただけ。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 16:12
なんか島津を評価するスレになっとる
551 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 16:12
>>547 島津が戦後交渉を成功させたのは、後を疲れる心配も無い九州の最南端という地形も大きかったと思うけどね。
552 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 16:41
>>547 ところが後にその成功したはずの戦後交渉が大きな足枷になるんだけどね。
いわずと知れた参勤交代や各地の普請。
というか輝元の立場なら誰がやってもたいていはダメだと思うのだが・・・
偉大な先代と、それを支える家臣団のあるところで成功を収めた当主って誰がいる?
家臣の信を得ようと無理な拡大戦略を取るか。(武田家・尼子家)
主導権を家臣に渡してしまうか。(今川家・大内家・毛利家・北条家)
そもそも家臣がそれぞれ好き勝手に独立してしまうか。(織田家・豊臣家)
553 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/17 16:48
確かに地形はあると思う。
輝元が大阪城に籠城してたら島津は危なかったんじゃない?
黒田如水、鍋島、加藤清正に攻め込まれてたでしょう。
あの時は立花の城も落とされて次ぎは島津だ!ってときに東軍勝利の報告が
きたんだよね。
>>553 東軍勝利の連絡が鹿児島に到着したのはその前かと
島津攻めの先鋒を減封後の毛利が務めるのは酷すぎる話だろ。
間違いなくいじめだな。
557 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 17:20
地形が全てだよな。
と思ったが、秀吉の九州攻めの時はあっさり攻め込んでるんだよね。
直前の小牧長久手の戦いで秀吉は大軍だったのに少数の徳川に散々やられてる。
その割に島津相手で苦戦もなければ諸将が警戒した様子もない。
ちなみに根白坂の決戦で島津4兄弟の大軍を壊走に追い込んだのは小早川隊だ。
558 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 17:44
>>556 毛利家の「所領安堵」を誓紙で約束した家康だったが、その舌の根が
乾かぬうちに、輝元へほのめかしたことは、恐喝じみている。
@重臣から人質だせよな
A沿道の城は明け渡せよな
B島津征伐の先鋒は、輝元、あんただよ
C上記@〜Bを実行しなきゃ、息子の秀就
に、わし(家康)、面会せんからね。
わかったかの? 輝元殿…
家康はマゾでもないのにいじめられ続けて
その鬱憤がたまってたんだよ
小早川隆景ってバリバリの武闘派なのに勘違いされやすい香具師だよな。
そんなとこが周瑜かぶってみえる
561 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 22:31
毛利の120万石は、先代の元就が苦労して築き上げもので、上杉のように
秀吉から「加増」されたわけでもない。豊臣に恩も義理もない。
その意味では、山内一豊など、秀吉に若い頃から目をかけてもらい、大坂
に足を向けて寝れないはずなのだが、小山軍議では真っ先に家康に忠誠を誓
っている(笑)。この変わり身の早さで、関ヶ原は「参加」していただけで
土佐20万石を拝領するという抜け目のなさを発揮。ある意味、これが戦国
という生き方のサンプルだろう。
一豊からすれば、輝元は、安国寺にまんまとかつがれた、目出度い奴だと映って
しまう。同様に、吉川広家も「裏切り」ではなく、あくまで現実的に対処したに
過ぎない。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 22:37
>>549 反論するが隆景が健在だったら毛利は家康に組してたとか
おっしゃる意見があるようですが漏れは正反対
隆景だったら率先して西軍に組してたと思います。
家康に協力して例えば徳川の天下になった場合
一時的に恩賞を受けても隆景亡き後に
毛利がヤバイ事になるのは自明のことでしょ。
家康の律儀の看板を真に受けるほど馬鹿とも思えん。
利家亡き後の家康の専横とかが史実どおりに起こったとしたら
尚更の事
自分の目の黒いうちに徳川を潰すか弱くしないと毛利がヤバイ
くらい小早川隆景程の人物なら百も承知と思いますが・・
輝元ですら解るような事、広家のような“おまぬけさん”
にはならんでしょ。
毛利が天下の覇権を握るには家康を打倒するしかないだろう。
戦国(末期だが)の男と生まれたからにはNo.1をねらうのは本懐と言うべきもの。
問題は戦い方が腑抜けだったと言うことで。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 22:41
家康は自分の目指す封建社会のため明らかに毛利が邪魔でな難癖をつけようとしてた。
広家はそれに乗せられた形。家康は輝元と義兄弟となり、関が原前に手紙を何度も送り、
自分の正当性と、毛利と友好を唱え、揺さぶったと思える。ただ、毛利本隊の実権を渡された
秀元を差し置いたこと、その本隊さえにも危険が起こっては、弁解の余地はない。
565 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 22:43
>>563 むしろ生き残るために家康を倒さなければならない状態だったと言える。
566 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 22:44
>>561 にも意見あり
>>輝元は、安国寺にまんまとかつがれた、目出度い奴だと映って
>>しまう。
輝元が狙ってたのは家康の後釜詰まり実質的な天下人でしょ。
一豊のような小大名と判断を同一視するのはどうかなぁ?
元就の遺言がどうとか広家がぬかしてたようだか
確かに豊臣家の執権の座につけば豊臣の名を借りた毛利の天下
も不可能ではなかったでしょ。
>>566 >輝元が狙ってたのは家康の後釜詰まり実質的な天下人でしょ。
輝元の願いは、あくまで毛利領の維持・保全だったはず。
あの時利家でさえ、家康の横暴に、異議をとなえるのが精一杯
だったんだから。
↑藻前この頃疲れてるだろ
569 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 22:58
なぜ毛利家は羽柴家にくっしたのかな?隆景生きてるのに。なぜ勝てなかっ
たのかな?隆景自身が毛利の天下は無理だと悟ったんだよ。中国大返しの時
だって隆景ほどの男がまんまとだまされるわけが無い。秀吉が後継者争いに
勝つことがわかってたからあえて追撃しなかったんだ。後々変な恨みもたれ
ないように。だから隆景が生きてたらあえて家康にたてつこうなんていう行
動はとらない。輝元は家康の実力を知らないあふぉー。
別に、単独で家康とガチで戦うわけじゃない。
千載一遇のチャンス到来に野心が顔をのぞかせたんじゃないか?
いや、全然千載一遇じゃないか。
しかし輝元に野心があったとすればラストチャンスだから、
つい動いてしまったとか?
572 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 23:09
>>569あの時は毛利は背後に大友の紛争を抱えてたし
織田家の天下布武のターゲットだったんだから落しどころが
必要でしょ。
まして毛利って有力土豪の寄り合いに近いままで上方に
追撃できる余力は無かったでしょ。
その前に上方への追撃で吉川元春と意見が対立するとか
方針も定まり難い。
んでも、この場合毛利は単独じゃない家康の非を鳴らし
毛利の律儀を表立って掲げて(羽柴家にくっしたのかな)
この際もその表看板掲げてたが豊臣の家老として
謀反人家康を打つという名文で天下の諸侯を動員する
働きかけができる。
しかも相当西軍が(見た目だけは)有利だったし
573 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 23:15
>>569 家康は他の大老を凌ぐ正二位内府。実力差は庶民でもわかる。
ただ豊臣と徳川なら話は別。輝元は豊臣代表に近い。
574 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 23:20
豊臣代表にさせられた。
575 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 23:23
>>572 確かに毛利の体制に限界を感じたのかもしれないし、下手に攻め上るより
これに乗じて領内を押さえ、復旧し、背後の問題を解決し、大きな戦に備えるほうが無難。
山陰、山陽、瀬戸内の三つを抑えれば、新勢力に対抗できる。
576 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 23:40
戦争に勝った場合の輝元の立場を考えれば
大老筆頭そして秀頼後見として大阪には定番です。
まあ輝元養女の毛利の姫が秀頼正室になると思われ。
そして代打の関白予定の小早川秀秋ってば隆景の
養子であると共に輝元の義理の息子でもある。秀秋の
奥さんは輝元の娘なんだから世継ぎができたら彼の孫
になる。
秀秋系と秀頼系の双方の豊臣の血筋が輝元の外孫になる罠。
んで宇喜多秀家が輝元に逆らうかといえば、宇喜多秀家と吉川広家は
確か義理の兄弟になる関係だったはずだし、秀家は
自分の嗣子と毛利の姫を婚約させて喜んでたくらいだからな・・
577 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 23:41
↑輝元の娘は毛利一族の娘を養女にして秀秋に嫁がせたのね。
578 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/18 00:33
こうして見ると輝元は決してダメ孫ではないね。
関ヶ原のことで評価が低いのだろうけどこんなに色々な意見がでるほど
難しい判断だしね。相手も家康だし。
ホントのダメ君主ってどんな武将だろ?
武田元繁
580 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 00:39
斉藤君(道三じゃないよ)、今川君(義元じゃないよ)。
581 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/18 00:48
確かに家康や信玄のように一度や二度の敗戦ではさして評価に傷はつかない。
最後にこけた場合だけ、「愚将」のレッテルを貼られてしまうのね。
今川義元、朝倉義景、北条氏政、武田勝頼もそういわれることがある。
それでは信長は?最後は家臣にやられるのに・・・
582 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/18 00:55
山名豊国かな
583 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 01:08
ノブりんの場合はそれまでしたことがあまりにすばらしかったから
。天下統一の基盤をつくったことがうつけにしてはよくやったと評価
されたんだぎゃ。
584 :
名無しさん@お腹せっぷく:04/07/18 01:16
信長はそうでしょうね。
だからその最後のことだけじゃなく全体的にみてほしいよね。
585 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 01:31
蘭○掘ったことも含めて全体的にね。まーみんなしてるか。
↓過去ログ読まないアンチ広家の繰り言
588 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 01:44
ありませんよーゴメンチャイ。
589 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 07:10
輝元は、徳川秀忠と比較した方がいい。大坂城に引き籠もっていた
「優柔不断」男と、戦いに遅刻した「礼儀正しいが、泥人形」のような男。
いずれも、武将としては「失格」だ。
戦後の統治能力については、輝元・秀忠とも、それなりに評価はできる。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/18 22:50
>>589 比較も何も、一人は西日本の大勢力の当主、西軍の盟主。
重さが違いすぎないか?輝元の優柔不断な決断と、秀忠の甘さを同じ天秤で量るのはいかがと思う。
それに西軍の盟主が大坂城で秀頼を補佐してるのにはまだ正当性が感じられる。彼にはその責任があるし。
591 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 20:59
輝元の場合「優柔不断」というよりも
家中が国人領主の寄り合い所帯に近い(これは他の大名も近いが)
点に加え元就自身が
毛利両川の後見を行なわせた・・この段階で二つの系統が
毛利に生じ、当主としてのリーダーシップよりバランサーの役割を
輝元が担わなければならなくなった。
一代で徳川を大身代にした家康のリーダーシップ(悪く言えば専横)
比べて輝元が優柔不断に見えるのは当主としての家中での立場もあったろう。
ただ三成の西軍に乗って家康が上手く打倒できていたら
輝元は大老奉行の仲裁役と統治能力はもっと上手く発揮できていたかも
しれない。
592 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 21:27
まあ本家の後見は福原貞俊で、外は元春、隆景みたいかな。確かに輝元はおいそれと独断に
走れなかった。石山本願寺を応援したのも彼の本心からではないだろうし。それに毛利本家
に他家が主導権持つのはうまくないし、両川も難しい立場だったろうね。
593 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/19 22:39
農業=米になったのは明治以降だよ
>>594 話の脈絡はわからないけど、詳しく教えてけれ
>>593 禿同。
それは毛利家に限ったことではなく、戦国大名一般に言えることだな。
しかし、そのなかで主導権を握れなかった輝元は暗君とまでは言わなくても、
名君とはいえないだろう。
どういう話の流れなんだかさっぱりなんだが…
598 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 23:06
まあ関が原の時の毛利は、孔明死後の蜀みたいなもんだ
599 :
かしま源吾:04/07/20 23:46
流れ教えれ!!!
わかった!もう勝手に書く!!
吉川広家は糞だ!!!
あいつのせいで、一大名に転落した!!
あいつさえいなければ、秀元は勇敢に関が原の野を駆け巡って勲功第一だった!!
ついで言えば、毛利名人も高橋名人になんか負けやしなかった!!!
600 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/20 23:57
確かに秀元は勇敢かつ豪快。もともと跡継ぎになる男だし毛利一筋。
それに比べ広家は豊臣に人質に行ったりと武断派大名と仲良くなって
毛利より中央を見てる気がする。亡き元春も一番かわいがってただけに可哀想。
こいつは秀吉のもとに送らんとツッパリ隆景に毛利のためと泣く泣くだして結局親不孝者。
小早川秀包とはえらい違い。
元長が生きてたら良かったのにな
602 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:28
元長ってどんな人?
603 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:38
元長は元春の長男だがあんま目立たなかったなあ。多分元就の初孫だっけ?
まあともかく親想いな息子、九州征伐で父に代わって、吉川軍の指揮を執り最中に死んで
広家に後のことを任せた感じだったかな。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:41
なるほど馬鹿な弟にバトンタッチしたために関が原であんなことに・・・
605 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:47
広家は小さい頃は元春に愛され期待されてたが・・・。
606 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:50
元春は中国大返しの時、真っ先に「急ぎ急ぎ、馬を乗り殺せよ!」って感じに秀吉を追撃を主張したのにな。
南宮山でじっとしてて、父親の血が騒がなかったのかな?
607 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:51
毛利家は吉川元長や小早川隆景、毛利元清が早く死んだり、秀秋を押し付けられたり
不運続きだな。
それに比べて家康は人質で苦労したが今川義元が討たれたり、信玄の病死、
本能寺の変で信長が死に、自身もなんとか逃げられたり、秀吉、前田利家が相次いで
死ぬと今度は豊臣家内部で奉行派と武功派の対立があったりと運がある。
実力もあるが天下を取るにはこういう運も必要なんだな。
608 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 00:54
んだね。取り巻きもよかったんでしょ・・
なんか歴史って没個性の奴が天下とる例が多いかも・・劉邦とか劉備(地方統一だけど)とか。
609 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 01:06
てか、広家は人質で大坂に居るとき秀吉にも可愛がられたし、かぶれたんだよ。
610 :
板部岡江雪斎:04/07/21 01:08
秀家とは大違いだね・・
611 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 02:14
秀家=広い絵
毛利は結局、元就どまりだな。後は緩やかな衰退の一途。
>>612 つうか
徳川系大名以外はどこの大名もそんなもんでねぇの?
没個性なんて言ってるのは司馬シンパだけ
>>608 >んだね。取り巻きもよかったんでしょ・・
取り巻きを発掘するも,側近として重用するのもトップの大事な能力。
あくまでも広家を抜擢したのは輝元って事か
617 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 22:20
抜擢というより、広家は吉川家の当主だからのし上るのは普通なこと。
618 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/21 23:28
>>607 そもそも隆元が早くに死んだことが・・・毛利の中核になれるのは隆元以外はいなかった。
元就では年寄りすぎたし輝元では若造扱い。
年齢面以外でも、元就は策略用いすぎて決して全面的な信用は持たれなかった。
輝元は逆に周りの勢力と苦労を共にせずに大名スタートだったからこちらもダメ。
結局隆元の死で、両川体制しか選択肢がなくなり、肝心なときには機能不全に陥っていた。
実際は毛利家が無くなろうがどうでもいい所で広家が毛利家を庇ったんだね
620 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 00:31
逆。毛利家はなくなりはしない状況で広家が意味なく毛利家をかばった。
誰か言ってたけど家康は毛利家をなくせる状況になかった。
豊臣が健在、島津伊達上杉前田も今だ健在。
毛利側とて兵力の損失はほとんどなし。
なのにあえて圧倒的に不利な条件を進んで受け入れた理由が全くわからん。
621 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 03:32
>>620 >なのにあえて圧倒的に不利な条件を進んで受け入れた理由が全くわからん。
要は、輝元は完全に家康の罠にはまったということ。軍事的には十分対抗
できる力があるのに、家康の甘言を丸飲みしてしまった。
大坂城西の丸を退去した後の輝元は、疑心暗鬼にかられノイローゼ状態
になっている。彼は、黒田長政と交渉する吉川広家に対して、その斡旋
の労をねぎらいながらも、焦りと不安をのぞかせている。
「急度おいで待ち存じ候」「千万千万口惜しき躰に候」
(慶長五年9月25日の広家宛書状)
家康が関ヶ原の野戦に勝った時点で、輝元は政治的に完璧に敗北してる。
軍が無傷で残ってても無駄だね。
関ヶ原の毛利家は、
まず負けて、然るべき時ではないときに兵を退いた
624 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 14:59
関ヶ原で毛利が動いて勝っても天下は収まらない
もしかしたら家康に挽回され、それこそ滅亡かもしれない
戦乱が長引いたら九州から脅威が迫るし
毛利家は確実に生き残る道を選んだ
隆景の輝元折檻は、家臣への機密情報漏洩で殴り倒した以外はどんなのがあったんですかね?
626 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/23 15:26
>>271 光の国から僕らのために来たぞ我らのウルトラまん
628 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 09:28
輝元折檻って甲陽軍艦に似てないか。
実はコピペと置換え
630 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/24 23:13
>>620 輝元だって家康が毛利家を潰す機会をうかがってる事はわかってる。実際家康、秀忠は
何かにつけて多くの大名を潰してるし。関が原は彼の大きな賭けだったが、西軍の負け
を知って絶望を感じたと思う。だから、そんなとこを家康につかれた形だろう。輝元も
共に豊臣家を託された家康ならとか頭によぎり、家康を怒らせないよう動いたと思う。
謙信→信長折檻
信長→家康折檻
信長→秀吉折檻
光秀→信長折檻
秀吉→光秀折檻
家康→秀頼折檻
632 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 01:53
信玄→昌信折檻♂
戦国大名の折檻について語るスレ?
一瞬男色スレかとオモタ
そういえば正則の機嫌取るために
正月のはじめに挨拶にきて正則が大酒をやたら飲ますから
酒に強いやつをおくらないといけないとNHKであったな
正則自体はべつに悪政をしいたわけでもないし
家臣の扱いもいいが
どうも正信にはめられたり家康の家臣に切腹強要したりと
外交関係は下手な奴だ。
636 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 16:38
ふぇぇぇぇぇぇぇええぇぇえウェええぇぇぇぇうぇえぇぇwwっうぇうぇwwWwwwWw
637 :
無名武将@お腹せっぷく :04/07/25 16:54
あんな馬鹿に恐れ多くも毛利の拠点広島はでかすぎる。
638 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/25 19:51
毛利輝元に中国はでかすぎるがな。
おしい人を亡くしました。
中国の蓋であられましたのに。。。
細かいことを言うようだが、そういう時は普通
「あらせられました」って言うんじゃないかな。
そうでした
無学でスマソ
広島ンは毛利をマンセーしとらんど
カープやサンフレすらしないのに
なんで広島捨てた奴をするのだ?
捨てたと言うより追い出されたのでは…
>>642 江戸時代治めてきた浅野の立場ないやん。
じゃあ広島県人は浅野マンセーなのか。
…なんかつまんないね。
647 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/27 01:03
安芸の人間は毛利マンセーだけど。
それこそ「サンフレッチェ(3本の矢)」「カープ(鯉城=広島城)」というくらいに。
備後の人間はシラネ。
ってか冗談抜きに浅野の立場がない状況。かわいそうなくらいに。
安芸→毛利マンセー。浅野は味噌
備後→歴史マニアの一部は水野勝成や阿部マンセー。
一般は毛利をなぜかマンセー。浅野は味噌
>>648 備後はわかるが安芸がへんだよな、
そんなに浅野は悪政だったのか?
赤穂とえらい違いだ。
地味なんじゃない?
ジミだよね
特に有名な名君とかもいないし
>>649 藩祖が地味なんよね
毛利元就と浅野長政じゃぁ・・・
つか、広島城自体が毛利輝元の築いた城を浅野家がそのまま使ってたわけだし…
地元広島の自称浅野藩校由来の学校にいってたんだが、
だれも浅野氏なんて気にもとめてなかった感じだったな
どこそれ?
広島に26年住んでて知らない(w
浅野といえばやっぱ味噌w
>>657 あれ?
浅野ってキリシタン大名だっけ?
>>657 名前から勘違いされやすいのだが修道学園は藩校らしく儒教系の学校。
といっても古典の授業でしか儒教なんて出てこなかったがw
広島市内でキリスト教系なのは学院の方。
鶴学園もキリストだったな
どーでもいいか。。。
広島って地名も毛利氏が付けたんだよね。
確か、広島の広は大江広元の広という説があった筈。
>>653 正則君は他にも
本丸上段をメチャクチャにしてくれたのと
北側と西側に外郭を作ってくれた
だからそのままじゃないな
>>664 福島が間にいたことだれも広島の人は知らないんだろうな・・・
あのまま福島が居着いてたら・・・
今の広島県民の県民性変わってただろなぁ・・・
てか、福島は元和の世になって城を改修したせいで改易になったわけだが…
歴代広島(浅野)藩主は学問好きが多かったが
特定の道徳をおしつける政策はしなかった。
そのかわり、備後表(畳)安芸木綿、塩、鉄、
新田の開発を行い急速に豊かになった。
また江戸時代後期には農工商の子弟に藩の学問所への
入所を赦したりと商工民へ寛容な政策を取ったため
広島城下は栄えたそうな。広島藩のおおらかな支配に
よって古代からの吉備気質がより積極的な陽気なものへと
かわってった
だってさ。福島だとどうなってた事やら
>>668 どっちにしても昭和20年の8月6日を境にその気質の人たちは駆逐されてしまうわけですが。
いまの市民にその面影はなさそう。
>>669 そんな事ないよ
その日からもっと陽気になったさ
>>671 周辺部の人たちはね。
城下町時代の地域は爆心地に近いわけだが。
輝元→→→はだしのゲン
>>672 なんか論点がズレてるな。
原爆の被害と県民性をそうまで関連付けたいのかW
675 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/05 21:23
なんだかすっかり落ち着いたみたいなのでここで一言。
関ヶ原の後に家臣が無禄でもいいからと付いて行ったりしてるみたいだし
そんなに凡人ではなかったと思う。優しいというか情に厚く、内政に力を
発揮した人。
なんか父・隆元に似てるかな。
隆元をスケールダウンしたみたいだな。
676 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 00:08
>>683 輝元が家臣の奥さんを横取りしようとして、その家臣が自害したって云う話知ってる?
(´-`).。oO(>676はどこにレスを付けたかったのだろう)
>>676 過去にのってることをループさせるとは・・・
>優しいというか情に厚く、内政に力を 発揮した人。
織豊系の強固な支配体制が作れなかったために
優しくせざるをえなかったんじゃ?
広島城を作っても家臣の定住化は進まなかったし、
領地替えや検地はすんなり実行できなかった。
秀吉には「毛利は家臣の言いなりになる悪習があるから
何事も手遅れになる」と怒られてもいる。
関ヶ原での家臣の領地減、地域との切り離しで
家臣の発言権(わがまま権)が大きく減り、
そのおかげで政策に実行力(強制力)が出たと考えると
負けてよかったような気がする。
勝って関東に国替えとかの方がいいじゃん。
領土が増えても国替えという時点で家臣団崩壊のヨカーン
この時代の人の土地への執着はすごいからね
>>688 秀吉に輝元が叱られるエピソードは初めて聞いた。
685 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 09:42
その話は信憑性あるの?
本とかには出てこないけど・・・
686 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 09:52
政治家としては一流なんじゃない
俺
689 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 11:18
輝元って地味なんだけどなぜか好きなんだよなー。
ゲームでも元就よりも輝元が大名になったときのシナリオをよくやる。
顔グラか
別にイケメンじゃないだろ、顔グラ。いつも眉毛がへの字になってて、
(´・ω・`)
に近い愛着を感じるのかもしれない。
692 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/08 14:55
次の信長の野望では政治が70ぐらいはあってほしいな。
>>685 よくある話しで島津・大友でも似たお話があります
おそらくガセ
もしかしたら全員本当かもしれんぞ・・・
まっ義隆公はそのような女関係ではそこまでもめないが・・・
>>694 そのかわり男関係ではもめま うわ何をkじb、あうぇfう゛ぃうんmわ
>>690 そう顔グラだよ。嵐世記とSFC版武将風雲録がかなりツボ
肖像画自体も大好き。毛利博物館とか行ったことないけど
あの肖像画ポスターになって売ってたりはしないの?
>685
九州出兵時に特に遅れたためと広島県史にあった。
元を何から引っ張ってきたのか覚えてないので
693の言うとおりガセかもしれない。
698 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 00:28
あげ
699 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/10 20:37
>>676 この頃のエピソードってウソっぽいのも多いからね。
前田利常だっけ?鼻毛伸ばしてたのは。幕府の警戒を解くのに苦労してた
だろうけど鼻毛はウソでしょう。
だって鼻毛って手入れなんかしなくたってそんなに伸びないし・・・
>>707 漏れの身近に、鼻毛野郎は結構いる。
幕府に警戒されるのを、恐れてるんだな。きっと'(w
704 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/12 12:10
秀吉も頭の毛はなかったけど
鼻毛はのびてだんだよ。
それで出世したんだよ。
705 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 00:51
スレの流れを止めよって
706 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 03:51
↓鼻毛野郎
707 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/15 09:57
鼻毛野郎なんているわけないだろう!
鼻毛野郎って何ですか?
すごい遅レスだけど、広島で浅野氏の話は聞かないんだが、ひとつだけ、一瞬思い出させてくれるところがあるよ・・・
それは本通電停からパルコのほうへ向かって歩くとき、マック手前にある和菓子屋さんに
「g a y 臭 浅 野 四 十 二 万 石」と思いっきり書いてあるじゃん・・・
帰省するたびにああ、そうだったなあ、と思い出させてくれる。
まぁ、富み栄えて、幕末には思いっきり隣の藩に影響されて、でも名前は残せなかったけれど、
それもしゃーないんじゃないの。
>>709 まあ、世間的には
浅野=播州赤穂
のイメージが強いんだろうな。
赤穂藩浅野家は分家なんだけどな。
711 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 12:20
浅野味噌もウマイヨ
712 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/17 14:26
大谷高校の龍神生一て知ってる?
713 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/20 13:14
tinko-
714 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/21 22:02
へんなことをいいよって
715 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/22 08:39
「裏切り者」と毛利家から冷たい視線をあび続けた吉川広家。
その「岩国藩」がようやく認められたのが1868年。
江戸時代、終わってるわけだが(笑)
可愛そうに
ほいじゃが幕府は岩国領をほぼ藩と同じにあつかってたんじゃなかったけ?
宗家なんか見捨てりゃよかったのに
岩国城には立派な天守閣があるが、それは昭和になってから作られたニセモノである。
本物は一国一城令のために破壊されており、現在は石垣だけが残っている。
てことは、岩国領は長州藩の支庁扱いだったってことじゃねえの?
720 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/23 06:16
吉川広家は、ツメが甘かった。
東軍の黒田長政相手に裏交渉したわけだが、この男は「ファルージャ
のクベイシ師」のような海千山千のブローカーだ。家康の「証文」を
長政から引き出せなかった広家は、「口約束」を当てのない信じたよう
なもの。家康が、戦後いかに「工作員=黒田」を厚遇したかをみれば、
広家の甘さがハッキリする。
ボンボンだかねぇしゃーないよ
昔の日本人は、一揆とか反骨心が凄いなぁ。
しかし、一藩も倒れない辺りダメダメだな。
藩政自体が、そこまで悪くはなかったということだろ。
悪くても普通の悪政レベル。
724 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 08:41
いっき(一揆)って「年貢を軽くしろ」とか「借金の帳消し」とかその程度の
ものだったんだろ。藩主
が要求に応じないときは、幕府まで訴えに行く。あ
くまで、政府を倒そう考えは無
い。それなのに幕府は、首謀者を
たいほしようとする。幕藩た
いせいはかなり過酷なものだったようだ
727 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/24 18:03
いもがくいたいようだ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
O 。
, ─ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
________ /,/\ヾ\ / という信者
|__|__|__|_ __((´∀`\ )< の妄想
|_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ \ だったのサ
||__| | | \´-`) / 丿/ \______
|_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/ = 完 =
誤爆か?
730 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 21:23
毛利は元就以降苦労人だらけだな
731 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/09 22:44
元就が大風呂敷広げたから大変だよ
733 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/10 20:23:07
家康狸の大風呂敷に負けたのさ
その苦労人の家系なのにそうせい公は…
傍流じゃん奴は
苦労人って後天性だよね
737 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 13:34:55
まあ江戸時代が大変だろうな。
改易とかによくあわなかったな
738 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/11 18:54:02
秀就にあてた手紙なんか読むと自分が優柔不断だという自覚はあったみたいだな
>>737 分家は一度改易になったぞ。
しばらくして再興したが、時代が吉宗のころだったからかな。
家光までの時代だと
隙があったり無嗣だとかんたんに断絶だし末期養子も認められなかったからな。
まあ関が原の苦い経験が家を持たせたのだろう。
江戸時代は、萩の本家と支藩の間で養子を出し合ってるからな。
萩藩と長府、清末、徳山支藩の関係は、いわば将軍家と御三家みたいなもんだな。
てことは、岩国の吉川家は越前松平家みたいな存在か。
木1本で改易・・・。
輝元泣けてくる。
かわいそうだから太閤じゃついつい魅力90まであげてしまうよ。
輝元よりかわいそうなのなんかいっぱいいるよ
744 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/15 00:40:53
大宝寺のことかーー
魅力ある無能でいいじゃんよ>輝元公
>>745 魅力ない無能なら幾らでもいるからな。政宗、義光、盛親・・・・多士済々。
少なくとも、宇喜多秀家よりは輝元の方がマシだと思うけどな。
秀家は父直家時代には鉄の結束を誇った家中を分裂させてるし、
叔父春家と忠家は毛利の両川みたいな役割を果たしていたが、
いとこの詮家は宇喜多姓を捨てて坂崎を名乗ってる。
1,000姫事件の香具師って宇喜多いちぞくだったのか?
知らんかった
あわや改易の輝元さん。
家臣に助けられたのに逆切れ。
輝元と光成じゃ、絶対に天下は治まらない。
第二次戦国時代突入間違いなし。
光成に担がれた時点で毛利アボーンは決定してた。
750 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/18 23:55:05
まあ石田じゃしかたないな
751 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/19 22:07:44
はあ…まさに凡愚が似合いそうな大名…けど好きだな
752 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 22:55:10
天下取る気なら、本能寺の時に秀吉倒して中央に出てた
753 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 23:58:15
全然準備してないのに無茶な遠征しても火傷して終わるだけのような気がするが。
秀吉だって、光秀打倒に邪魔が入るのは困るとしても、
ちょっと毛利がつついたくらいであっさり雲散霧消するほどやわな勢力じゃない。
毛利の戦歴で一番惜しかったのは、木津川口の敗戦じゃねえの?
あそこで事前に鉄甲船の情報を入手して対策を立てておけば、
荒木村重の謀反に乗じて摂津まで出ることは可能だったと思われ。
755 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 00:27:57
あれは兵糧を運んできただけであって、
軍勢を上陸させようとしてたわけじゃないぞ。
軍勢の徴集が亀より遅い毛利に
どーやって天下取れと?
757 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/21 15:45:26
木津川の海戦はどの程度負け戦なのかな
童門冬二の小説小早川隆景だと
鉄工船出現も毛利の兵糧入れは食い止められなかったって書いてあったけど
ちゅうかマジで豊臣のパシリにしかみえんぞ・・・
そのくせして
759 :
無名武将@お腹せっぷく :04/09/22 01:22:25
木津川口の敗戦は毛利にとって政治的にそれほどの被害はなかった。もともと毛利は一向宗徒の
部下の願いなどもあってやっただけのこと。面目は本願寺救援だったから、ある程度目的は
果たしたし。本願寺降伏は時間の問題だったから。だいたい敵地で負けただけで毛利の瀬戸内の
領域はなんの影響もない。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 22:38:30
>>759 それは違うだろ。木津川口の戦いまで、戦況は毛利優位に推移していた。
別所長治が秀吉に叛く。毛利は丹波の波多野とともにこれを支援する。
↓
毛利方が上月城を落とし、尼子氏滅亡。
↓
荒木村重が信長に叛く
この時点で木津川口の戦いが起こり、以後の戦況は逆転する。
荒木村重が有岡城に封じ込められる。
↓
別所長治も三木城に封じ込められる。毛利の支援も力及ばず。
↓
宇喜多直家が毛利を裏切り織田方に付く。
↓
波多野秀治が織田方に降伏する。
↓
荒木村重逃亡。
↓
三木城開城。
↓
本願寺大阪を退去。毛利が本格的に劣勢になる。
761 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/22 23:04:52
それにだ。毛利が本願寺を支援したのは、「将軍様」を引き受けてしまったせいだろ。
毛利が本願寺を支援したからこそ、別所も荒木も織田に叛旗を翻した。
支援するならするで、もっと本格的に出兵すれば良かったものを、中途半端に兵糧を送るだけだったので
多くの武将を犬死にさせたのは、関が原の時と一緒と言えるかもな。
>>支援するならするで、もっと本格的に出兵すれば良かったものを、中途半端に兵糧を送るだけだったので
多くの武将を犬死にさせたのは、関が原の時と一緒と言えるかもな。
木津河口に織田の水軍が集結していて、制海権が取られているのに大軍を海路で送れるのか?
鉄鋼船に制海権を抑えられて、陸戦部隊が兵糧不足になったのが文禄・慶長の役だったわけなんですけど。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 02:24:31
>>762 >木津河口に織田の水軍が集結していて、制海権が取られているのに大軍を海路で送れるのか?
九鬼水軍の鉄甲船は運動性に問題があったので、木津川の制海権を取られていても大きな問題ではない。
雑賀衆と協力して淡路島の制海権を押さえていれば何とでもなる。
荒木と別所が毛利方に付いてる状態なら、尼崎くらいまで楽勝で大軍を送れるだろ。
それで、高槻城が織田方に降る前ならば、陸路でも石山本願寺にたどり着く事は可能。
実際、一向一揆がほぼ鎮圧されて、武田も上杉も織田の脅威になり得ない天正六年冬の時点では
摂津で織田と毛利が決戦しても織田方が有利だとは思う。
それでも、織田と本気で戦うなら、この時期が最後のチャンスだったと思う。
>>九鬼水軍の鉄甲船は運動性に問題があったので、木津川の制海権を取られていても大きな問題ではない。
前のレスでも書いたとうり、運動性の低い亀甲船に制海権を奪われて、それが致命傷になったのが文禄・慶長の役なわけなんですけど。
>>雑賀衆と協力して淡路島の制海権を押さえていれば何とでもなる。
淡路島をとってどうするの?対岸から織田軍をみているだけですか?対馬から朝鮮半島を見ているようなもの。
>>荒木と別所が毛利方に付いてる状態なら、尼崎くらいまで楽勝で大軍を送れるだろ。
それで、高槻城が織田方に降る前ならば、陸路でも石山本願寺にたどり着く事は可能。
豪族連合の毛利家に中国大返しでもさせる気ですか?
>>実際、一向一揆がほぼ鎮圧されて、武田も上杉も織田の脅威になり得ない天正六年冬の時点では
摂津で織田と毛利が決戦しても織田方が有利だとは思う。
それでも、織田と本気で戦うなら、この時期が最後のチャンスだったと思う。
それはまちがってないと思いますが、豪族連合の毛利家ではしようがなかった。
毛利がそのときにすべきことは、織田との同盟だったと思う。
それと、織田を利用した家中の体質改善だったのではないだろうか。
実際に本能寺の変の後に、毛利家がとった策がそれだったわけです。
>>764 >前のレスでも書いたとうり、運動性の低い亀甲船に制海権を奪われて、それが致命傷になったのが文禄・慶長の役なわけなんですけど。
亀甲船は別に運動性低くないよ。そりゃ子早船よりは悪いだろうが。
鉄甲船(安宅船)は木津川口を封鎖する役にしか立たないので、大阪湾全体の制海権は奪われてないと思うが。
>淡路島をとってどうするの?対岸から織田軍をみているだけですか?対馬から朝鮮半島を見ているようなもの。
海路しかない文禄・慶長の役と違って、淡路の岩屋城を基地にしていれば雑賀衆への輸送ルートは確保できるので
雑賀衆を使って陸路で石山本願寺に物資を輸送する事は可能。
>豪族連合の毛利家に中国大返しでもさせる気ですか?
てか、毛利家の基本戦略として、輝元と隆景が山陽ルート、元春が山陰ルートで攻め上ることになってたし、
実際、三木城の支援で輝元や隆景は播磨まで出兵している。
>それはまちがってないと思いますが、豪族連合の毛利家ではしようがなかった。
>毛利がそのときにすべきことは、織田との同盟だったと思う。
>それと、織田を利用した家中の体質改善だったのではないだろうか。
>実際に本能寺の変の後に、毛利家がとった策がそれだったわけです。
そもそも毛利が織田と敵対したのは、足利義昭が備後鞆に上陸して小幕府を開いたために、
豪族連合の毛利家は、体面上、義昭を擁いて織田に敵対しないと諸豪族が離反する恐れがあった。
豪族連合だからこそ、織田と同盟するためには体面を維持できる理由がないと不可能。
本能寺の変は、毛利の名声を維持したまま織田と和睦する千載一遇のチャンスだったわけで、
天正六年の時点で、どのように毛利が織田と同盟しろと?
播磨に大軍送ってるときに
背後で宇喜多が寝返ったら大変なことになると思ったんじゃないの?
上月城のときにすでに宇喜多は怪しかったから
あと、背後で大友に寝返る奴もいて周防長門の兵を出せなかったのもある
大軍送っても補給が続かないんじゃないの。
篭城兵と違って現地調達の可能性もあるので
小規模な軍勢なら送れるかもしれないけど。
768 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/23 21:20:25
突然の過激レスだ…このちょーしで1000めざそーぜ
769 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/24 21:26:07
何度もいうけど連戦の毛利に幾内進出の余力なし
ならば毛利の家を残すため天下とりそうな奴を見定めて、大毛利の力を与えて天下を早々にとらしめる
隆景の方策はよくできてる
関ヶ原はアホ
萩城もアホ
優柔不断がいけないんだ。頑固さで滅んだ北条はもったアレだが
>>764
確かに本能寺の変以外に毛利に生き残るタイミングはありませんでしたね。
ただ疑問に思うのは
>>海路しかない文禄・慶長の役と違って、淡路の岩屋城を基地にしていれば雑賀衆への輸送ルートは確保できるので
雑賀衆を使って陸路で石山本願寺に物資を輸送する事は可能。
それを防止するために石山本願寺の包囲を織田軍はしていたのではないでしょうか。
木津川口の戦いは、陸路を封鎖されたため兵糧不足になった本願寺が、毛利に海路で兵糧を送ってもらっていた。
それを阻止すべく織田軍は水軍を派遣する。というものですよね。
頭の中でごちゃごちゃになってませんか
>>鉄甲船(安宅船)は木津川口を封鎖する役にしか立たないので、大阪湾全体の制海権は奪われてないと思うが。
ということは織田軍はなにも戦略的なことはしていない、ということになります。戦略的価値のない場所に兵を置く織田も馬鹿ですが、
そこに攻撃を仕掛ける毛利はもっと馬鹿ですね。
773 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 12:07:39
良スレ
あげ
織田の水軍も鉄甲船以外の船がいないわけじゃないから、いくら戦術的優位があるとは言え
毛利方の水軍だって船団を組んでまとまって行動する必要がある。
まとまってると敵に察知されやすい。
いくら機動力があっても、取れる航路というのはある程度決まっているので待ち構えることは可能。
だから、たとえ足が遅くても要所に配置されるとかなり都合の悪いことになる。
訂正
>>773
確かに本能寺の変以外に毛利に生き残るタイミングはありませんでしたね。
ただ疑問に思うのは
>>海路しかない文禄・慶長の役と違って、淡路の岩屋城を基地にしていれば雑賀衆への輸送ルートは確保できるので
雑賀衆を使って陸路で石山本願寺に物資を輸送する事は可能。
それを防止するために石山本願寺の包囲を織田軍はしていたのではないでしょうか。
木津川口の戦いは、陸路を封鎖されたため兵糧不足になった本願寺が、毛利に海路で兵糧を送ってもらっていた。
それを阻止すべく織田軍は水軍を派遣する。というものですよね。
頭の中でごちゃごちゃになってませんか
>>鉄甲船(安宅船)は木津川口を封鎖する役にしか立たないので、大阪湾全体の制海権は奪われてないと思うが。
ということは織田軍はなにも戦略的なことはしていない、ということになります。戦略的価値のない場所に兵を置く織田も馬鹿ですが、
そこに攻撃を仕掛ける毛利はもっと馬鹿ですね
>>782
主語や接続詞が抜けていて、読みづらい。
織田の水軍も鉄甲船以外の船がいないわけじゃないから、いくら戦術的優位があるとは言え
毛利方の水軍だって船団を組んでまとまって行動する必要がある。
だが、まとまってると敵に察知されやすい。
また、いくら毛利水軍に機動力があっても、取れる航路というのはある程度決まっているので織田軍が待ち構えることは可能。
だから、たとえ足が遅くても鉄甲船が要所に配置されるとかなり都合の悪いことになる。
宇喜多が裏切る可能性は無い。
宇喜多が、織田に寝返った理由は、
織田が天下を取るという方針を打ち出していたから。
三村すら、自力で葬れない宇喜多に毛利連合に単独でしかける体力は無い。
778 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 14:09:46
鉄甲船なんてなかったというのが近年の説。
「鉄の船」というのはあくまで
「鉄の男」とかと同じで比喩表現なんだが。
近年の説と言えばなんでも説得力が増すと思ってやがる。
780 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/26 14:44:40
>>779 しかしさあ、どこにも鉄甲船を明らかに肯定する記述なんてないんだよね。
唯一の証拠が多聞院日記の「鉄の船」という記述なんだからね。
もしも言われているような鉄張り戦艦があったのなら九鬼家の記録とかあちこちに
ベタベタ話しが載ってると思うんだが。
「鉄甲船」という名前じゃなかったかもしれないけど、
大砲積んだでかい船を造ったのは事実なんだろ?
あるいは鉄張りじゃなくて牛皮だったかもしれないが、まあそんなのどっちでもいいよ。
>>777 単独で対抗できなくても織田の力を借りれば十分対抗できますが
783 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 21:46:16
九州はどうなん?輝は
784 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 22:01:42
長い議論お疲れ。
毛利家が減封されないようにするためにはどうすればよかったのかな?
輝元が秀就を殺して切腹すれば
減封されることはなかった
786 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 22:13:21
>>778 そうなの?
よくNHKなんかでの歴史番組でも使われる鉄張りで大砲が舷側から出ている
大船の出典はないのかよ?
NHKのまったくの捏造か?
だったらNHKに抗議しなきゃいけないぞ
昔、マガジンでやっていた「信長」では、信長が天下統一後に鉄甲船で外洋にでようとしてたw
あまりにひどい作者の無知
788 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/27 22:39:53
>>787 キモオタ発見
漫画に何マジに批判してんの?
アホかw
>>788 横山光輝氏もあんたは馬鹿に出来るのか?
>>786 どういう船だったのか詳細がわかってないのだから、
想像図の一例としてそういうのもありなんじゃないのか。
マジでひどいぞ、あのまんが。
なんだか気持ち悪い男の友情書くし・・。
789は文盲
794 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 07:52:01
>>784 結果的に毛利家は適当な大きさに減封されたから、末長く反映したと言える。
毛利輝元が凡庸な君主で結果的に毛利家は幸せだった。
795 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 20:20:21
そーだね。
東軍側以外の大名で、長州より石高が高いのイパーイいるけど、西軍では薩摩だけだね。
薩摩は地理的関係で助かったけど、毛利くらいだとそう遠くないしね。
米沢の上杉家は一時断絶で30万石から15万石に半減されてるけど、
毛利家は江戸時代に断絶の危機とかはなかったのだろうか。
796 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 20:32:37
毛利輝元=お人よしで凡庸
吉川広家=毛利家のために策を練ったつもりが騙されたバカ
小早川秀秋=関ヶ原随一の大活躍、東軍勝利のヒーロー
だけど毛利家の血筋ではない
毛利家は元就だけで、終わっていた家だったのかな?
797 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/28 20:34:01
>>795 御三家に習ってか三支藩(長府、徳山、清末)をつくってたからね。
宗家が嫡流絶えたときがなんどかあったがすぐにそちらから補充。
岩国吉川は支藩扱いされてない。(かわいそうなわけだが)
清末は長府の別れの支藩だから萩宗家からみたら孫支藩にあたる全国的には珍しい藩。
ここまで用意周到なのもかつて秀秋押し付けられそうになった教訓が生きてるのかも。
政治は幕府の仕組みや規則にならって万治制法として1660年に完成とあるな。
清末は秀元のわがままで作った藩だろ
それだけ本藩の支藩に対する統制力が弱かったって本で読んだ
徳山とは初期の頃から仲悪かったらしい
801 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 16:33:31
ただ秀元は関ヶ原の時を思い出すとあんま恨めないな
幕末の長州藩について書かれた本では、岩国も支藩扱いされてるものが多い。
803 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 19:54:32
俺の田舎ではいまだに、本家だの分家だのという言葉が出てくるのだが、
けっこう仲悪かったりする。でも血縁てものは腐れ縁で、冠婚葬祭は互いに
助け合ったりする。
本藩、支藩の関係はそんなものだろ。
804 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/29 20:29:41
ちなみに岩国は支藩扱いではなかったため、
経済的には非常に有利で臣民ともに裕福だったとか。
>>800 徳山は初代就隆が輝元の溺愛で甘やかされてたぶぶんがある。
一族融和のために長府からきた奥方を離縁したりして長府の怒りを買ったりした。
就隆からすれば毛利嫡流の輝元の息子の自分より一時養子になっていたとはいえ
傍流に過ぎない秀元が宗家に次ぐ地位なのが気に食わないのではなかったのだろうか、
後の徳山改易の原因の「松ノ木」事件はそのころの確執が尾を引いている。
ま、
錦帯橋と白ヘビで有名な岩国の方が、
本物の支藩よりよっぽど大名っぽい訳だが。。
>>805 そうそう婚姻問題もあったんだった
あと確か・・・秀就が幕府に普請手伝いを命じられた時
助けを求められた就隆が拒否したりしてなかったけ?
元ネタの本を探してみたが見つからなかった
資源ごみに出したのかも(´・ω・`)ショボーン
まぁ、支藩作りの周到さを見ると、
吉川岩国を支藩扱いせず、半ば独立させたのは、
何かあったときに、単独で残り、
血脈を守るという意味もあったかもと深読みしてみる。
810 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/30 18:47:02
義隆様のほうが輝元よりハアハアできない?俺だけ?
そこか…無理な話題作ったりage多様してみんな頑張ったな。このスレは普通に話題がでていいな
813 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 00:59:23
つか熱心杉だな。大内スレとくらべて
814 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/01 18:24:34
前にも書いたけど輝元って九州のほうに積極的に兵送ってたのでしょうかね・・・
元就は最後の最後で大友にやられてたけど・・・
>>814 対織田戦で九州どころではなかった。
そのころ立花宗茂が立花家に婿入り。
816 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 09:24:17
やっぱり大友も毛利も外敵が大変だったか…
817 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/03 12:13:28
本能寺の変を伝える密使が
羽柴軍じゃなくて、毛利軍のところにちゃんとたどり着けばよかったのにね。
俗説でしょ。
とりあえずあの時の毛利は秀吉が帰ってくれりゃそれでいいくらいの感じだったし。
別に和睦が成立するまで全く情報が入ってこなかったわけじゃないのに、
結局条件でゴネることすらしてない。
たとえ秀吉側の使者と同時に毛利側の使者が辿り着いていたとしても影響ないと思う
(秀吉側の使者は考えられるほぼ最短時間で到着しているので先を越すのは不可能)。
まあどっちにしろ秀吉>光秀は本能寺の時点でほぼ・・・
820 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/04 19:52:30
島津スレこのスレと違って荒れまくりに笑った
821 :
秀元:04/10/04 20:02:51
凡愚のスレだから
のんびりしているのさ
今あがってる奴だな。こっちはかなりまたーりかつ充実した名スレだな
825 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/05 22:11:44
益田タンカコイイ!
826 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/06 18:36:23
幕府にさそわれたっていうけど他にどんな人が誘われた?
828 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/07 18:24:33
てるもとスレだから息子じゃない?益田も江戸になると直訴くらって大変だったが
829 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 08:58:39
皆さん博識でこのスレ面白いのですが、輝元や輝元以後の毛利について書かれた
お勧めの本紹介してください。
830 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/08 19:46:14
輝元系の本てあまりないなあ…
小説だけど「傾国の烙印」というのが出てる
832 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/09 16:48:51
題名からして…
833 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/10 15:59:11
ウンコッコ
>>830 架空でよければ
「毛利制覇の野望」
とういうのがあるが、架空だからなO| ̄|_
毛利の天下なら誓いの三矢で体験済みです
ゲームネタが混じると、
途端にスレのレベルが落ちるな…
837 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 11:47:45
838 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/11 21:21:47
伊達の鈴木だっけ?違うかな…
オレだよオレ
840 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/12 22:54:02
しかし随分レスのばしたな
親父が下手に長生きしていたら
ドキュソ化していた可能性があるな。
祖父、父と比較されまくったらおかしくなる
842 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 00:53:47
大丈夫。結局ぱしり
843 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 14:14:26
◆毛利輝元が単なる凡人ではなかったことを示す事実◆
@関ヶ原敗戦で大幅改易になり知行が大幅削減、あるいは知行なしで農民に落ちてもいいからと
家臣がついていったこと。
毛利家は、実質的には元就一代で築いたもので、安芸出身の譜代を除けば、ほとんどの家臣が
「新参」あるいは国衆として外様的な立場にあったにもかかわらず、である。
さらに言えば、前後の状況からして、いったんは周防・長門を安堵されたが、いつなんどき
徳川氏に難癖つけられて改易されてもおかしくないという将来が不安定な状況にもあったにも
かかわらず、他家の誘いを断って輝元に従った家臣が多かった。
これは元就の恩顧だけでは説明できず、輝元の人間的な魅力があった証拠である。
A周防・長門に移り、萩・指月山に城を築く際にも、人足を雇う資金がない輝元のために、多くの
家臣が自ら土木工事に参加して人足の代わりを務めた。
844 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 14:15:20
843続き
B慶長15年、輝元が改めて周防・長門の検地を行なった際に、家臣たちは自分の負荷アップや
領民の反感を避けるため、ある程度は隠し田などを見逃し甘めに行うのに、「御家のために」と
家臣たちはかなり細かく行い、53万9286石7斗8升5合という値をたたき出した。
慶長5年の関ヶ原敗戦時の検地では29万8480石2斗3合であることを考えれば、かなりの
アップ。
これには幕府もびびって、「こんな厳しい検地のやり方を認めると、他の大名たちにも影響して
国内騒乱の元にもなりかねない」と、わざわざ申告額の7割だけを認めて36万9000石余り
とした。
大名の石高アップは、幕府の命じる軍役や建設の負担額の根拠となるので、むしろ領国経営が
きついぐらいの値を認めて、一揆などが起きればそれを根拠に毛利家を減封・廃絶も可能なのに
それを認めるのをためらわせるぐらいに、家臣たちは検地をきびしく行なった。
これも輝元への忠誠心がなせるワザである。
これらの事実は、江戸時代と違って「ダメな主人を見限るのが侍だ」という戦国の風習が残っていた
時代にもかかわらず、譜代・新参全ての家臣が輝元を強く支持していたことの証しである。
能力的には凡将だったかもしれないが、人格の魅力においては元就にも勝るとも劣らない人物であった
ことを示す証拠といえるだろう。
偉大過ぎる程偉大な祖父、その統治が毛利家にそういう家風を
造りだしていて、それに乗っかっただけの様な気も駿河。
農民にとっては最悪な殿様だな
847 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/14 21:14:59
けど防長の四白とかはよかったよ。物産会所はいけなかったが
niya
849 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 16:44:06
元就の威信はまだ生きてたってことかね。
850 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/16 21:22:29
もとなり自体は信用できんからやっぱり長い物にはなんたらだったのがいつの間にか…
851 :
無名武将@お腹せっぷく :04/10/18 18:20:58
ホントのところ能力的にはどうだったのか?能力とかは育ってきた環境にも
よると思うし。早くに家を継ぐも自らの決定権はなく、偉大な叔父さんの助けを
を借り、叔父さんが死んでやっと思い切りふるまえると思ったらいきなり関ヶ原
だし・・・
どうしたらよかったのかな?
俺にもできる!と思って強硬に進めるべきだったのか
その場合滅亡する確率のほうが高いけど・・・
秀元につがせる
突然 宍戸元続に家督を譲り家中を混乱させる
854 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/18 21:22:21
秀元がもう少し早く生まれていれば・・・
毛利隆元を魔界転生させる
856 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 07:06:46
なんだか
>>843の理屈を見ていると
昔、光栄ゲームパラダイスとかいう雑誌で「劉禅は本当は優れた人物であった」とかいう主張の投稿があって、
最後に「劉禅が皇帝の地を追われ配流の地に行った時にほとんどの家臣はついていった相当な人望であろう」
とか結んでた電波な文を思い出した。
この人は「人望」の意味を間違えてるよ。
確かに劉禅は孔明とかキョウイとかより比べものにならないほど「人望」はあったろう。
だがそれはあくまて元ショクの二代目皇帝であり、開祖・劉離の嫡子であったという意味の人望だろう。
関ヶ原で秀頼が出陣したらたちまち家康の首は飛び豊臣の新世紀が開けただろうと言われている。
つまりこの時点で幼児だった秀頼の方が老カイで百戦錬磨の家康より「人望」は遥かに上だったという事だ。
人望とか人徳なんてものは人の能力を示す物ではなくあくまで立場・地位を示すものなんだよ。
専念に一度の奇跡の大天才の農民よりは
大馬鹿の王様とか天皇の方が「人望」は上。
857 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 07:07:54
専念は千年の間違いね
>>851 というか、傑出して優秀な人物なら
そうならず、決定権を強く持った形で跡目を継ぐと思ふ。
>>856 >>843は極論だけど、今度は逆の極論に振れたな‥
859 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 16:48:27
853だとたしかにびびるなw
>>866
織田信長が家を継いだとき独裁体制でしたか?
武田信玄、上杉謙信、毛利元就など名だたる戦国大名は皆、豪族連合の長。
トップの力が弱いのが中世であり、戦国時代なんだろ。
まあ866ガンガレ。
862 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/19 20:27:50
全部が理屈どうりというわけでもないだろ。
人望は、”忠誠など”とは別物だろ。民の人望が厚いのは自分の求めてることをする人。
上に仕えるのは大抵は、忠誠、従順してるだけ。馬鹿領主が人望が厚いとは違うと思う。
秀元が早く生まれてたら何?
どう変わったって?
誕生日が変わった
865 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 20:07:19
奴は終始抗戦派ぽいようで立場が悪かった。もし当主なら広家に指図されないという妄想
866 :
863:04/10/20 20:47:12
秀元は当主になれねーよ
早く生まれたって秀就生まれるんだし
867 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 21:01:37
まあ輝元も43で生んでるところが妄想の原因の一つだな
868 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/20 23:10:23
秀元が早く生まれてたら秀秋を押し付けられずにすんだのでは?
輝元に跡取りがいないことに目を付けた秀吉(黒田)が送り込み、小早川が
毛利に他の家の血が入るのを防ぐために自分のとこにもらい受けたんでしょ。
もっと早く生まれてたら、秀元が輝元の後継者になり秀包が小早川を継ぐ。
その後、秀就が生まれるにしても少しはましな両川体制ができたかも・・・
>>876
両川体制はいつかつぶれなくちゃいけなかったんじゃないかと思う。
両川体制ってどうにも中世的なんだよね。
主従関係が明確になってなくて(分権的)で。
スルーパス飽きた、いらね。
>両川体制はいつかつぶれなくちゃいけなかったんじゃないかと思う。
>両川体制ってどうにも中世的なんだよね。
場合による、そもそもいつかって何時だよw
来年あたりじゃないか?
もうはじまってるよ
873 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 00:58:37
てか両川体制自体、小早川隆景と吉川元春という忠誠心高く優秀かつ知名度の高い二人だからこその
話で、この二人が抜けた時点でもはや両川体制は名ばかりなのは明らか。それなら直属の優秀な官僚
をより用いたほうが無難ていうのが道理では?あくまで両川体制はまだ未熟だった輝元の補佐に過ぎ
ないと思うし。続ける意味もない。譜代にも福原貞俊のように補佐できるやつはいるし。
口羽とか優秀そうなオーラはでてるがいったい何をしたのか…
875 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 02:13:28
岡山人公認:岡山人の1日
朝6時起床
ぽっとん便所でふんばる
赤穂線に乗車、岡山駅に到着
ちっちゃくかわいい西口の改札をくぐる
8時崇拝するままかりフォーラムビルに一礼
8時30分尊敬する神戸人の営業所長と働く
10時林原駐車場に営業車をとめ一息、立ち並ぶ高層ビルと恐竜の夢を膨らます
12時お昼はままかり弁当をかき込む
13時仕事をサボって岡電のMOMOに乗車。100円。
14時取引先の大阪商人に「岡山人は日本のユダヤ人やからかなわんな」と警戒される
15時おやつはきびだんご
16時仕事でミス、広島支社の重役に怒られる「ぼっけえきょうてえ」
17時帰宅のため会社を出るが寄り道する
17時30分崇拝するクレドに一礼
路線価格の下落した高島屋前を歩いてにぎわいに貢献する
18時00分崇拝するももたろう像に最敬礼と一礼
西大寺の家に到着
外の下水道工事のうるさい音に邪魔されながらもテレビで阪神ナイター観戦
22時ナイター終了後、2ch、お国自慢板で仙台をたたくが、真実と繁華街の写真で負けて撃沈
0時元阪神監督で倉敷出身の星野仙一の写真に敬礼、
自分もいつかあこがれの関西で活躍する日を夢見ながら就寝
いやでも岡山駅は無駄にでけぇよね
しかも新宿駅のほうが迷いにくいってなんだよ
まぁ岡山県人は自分達よりさらに田舎者に対する扱いを
改めない限りいつまでも広島県人にすら勝てませんよ
877 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 07:43:17
しかし輝元の時代はもはや戦国時代なんてほとんど終わってたし、
毛利元就の嫡孫である事や、両川が輝元を盛りたてたといった事情があるので、
「輝元が優れていた」なんて事にはならないと思われ。
ようするに幼君だった輝元を隆景、元春はじめ周りが盛りたてていた状況が
惰性で毛利家に伝統として続いていたのだと思われ。
毛利自体が優れてる訳じゃない。部下任せ主義が優秀だった。
879 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 12:30:47
毛利の党首で優れてたのは元就だけ。
あとは輝元の無能ぶりから端を発した部下まかせ主義の伝統が
毛利を良い方向に導いた。維新に至るまで。
880 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 15:57:11
まあ、勝頼みたいに無理しないでよかった。
元就の言ったとおりに家はのこったし・・・
しかしこのスレなかなか続いてるな。
みんななんだかんだで輝元好きなんだな。
>>880 元就好きと輝元好きがいるからこそ(ry
882 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/22 16:21:13
>>880 いや、拡大の余地が大きい毛利こそ勝頼みたいに猛進撃すれば
よかったと思うんだが。
もちろん東に。
>>878>>879 織田家が部下まかせ主義をしても(ry
元就が、そういう風に持っていったんだろ〜が。
>>880 仮にそうしても毛利に天下取りの明確なビジョンはないので必ずどこかで破綻する。
じぃちゃん腹減った
887 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/25 07:35:33
なるほど
そうせい侯の原形は輝元か。
889 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 02:00:27
村田清風は日本史で赤マークつく奴なのに知名度がいまひとつ
890 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 22:12:23
あと少しで1000だな。
ここらで盛り上がる議題がなんかないかな?
891 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 22:47:29
なぜか武断派な秀元の子孫なんだろ?そうせいは
そうだな・・・・
文禄・慶長の役での毛利家のエピソードなんかない?
893 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/26 23:33:45
文禄・慶長の役での毛利家は輝元が病気で秀元が率いたことや小早川、吉川
が活躍したことぐらいしかよく知らないな。
吉川軍の活躍は安国寺によって評価されなかったみたいだけど・・・
どうも吉川とかは農民の耳とかもとってたぽいな
>>889 あと10年遅く生まれてて周布ばりに派手な死に方でもすりゃ有名になったかな?
896 :
某スレの痛い1 ◆hLtPF.kGRM :04/10/27 00:29:24
>>892 エピソードと言えるか知らんが
文禄の役においては日本軍の25%を毛利勢が占めたらしい
>>893 文禄の役では輝元も渡海してるはずですが・・・
後方支援だけしてるw
それに比べて吉川広家・小早川隆景、秀包は最前線で苦労したそうな
碧蹄館では明の大軍を立花宗茂らと破る大功を挙げてますな
>>891 ちなみに広家は武断派に属します
加藤清正たちと仲良かったいいますし
広家が同じ前線で戦った清正や黒田長政と仲良くなるのも当然ですな
そして安国寺坊主は三成たち吏僚派と懇意
豊臣家の派閥争いは毛利家にまで影響を及ぼしてんだねぇ
897 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 00:43:08
そういや安国寺えけいっていうのはどうしてあんなに発言力があったの?
どこから来たんだ?いつ頃毛利家に入ったんでしょう。
なんか嫌いなんだけどどうにかなんなかったのか。
あっすまんそういう意味で武断派とか言ったわけじゃなかった。まっいっか
まあ秀元も築城とかしてるから結構な権限はあったようだな
外交僧として秀吉や信長にも面識があったからな
特に秀吉に目をかけられたのが大きい
毛利に出入りするようになったのは
師匠の恵心が毛利の外交僧をやってたから
901 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 01:04:13
名門武田の御曹司
秀元は山斎とか嘉明と一緒に家光の茶会にでてる。割と扱いがいいような気も。
安国寺恵瓊 ?-1600
安芸守護武田信重の遺児
毛利家の外交を担っており、信長と対面した時の印象を、
「信長の代は三年から五年は持つだろうが、やがて仰向けに転ぶ(横死する)だろう。秀吉はなかなかの者だ」
と国元に送った書状の中で述べ、本能寺の変を予言したことで知られる。
関ヶ原の戦いでは、毛利輝元を西軍の総大将に推し、自らも南宮山東麓に陣したが、
東軍に内応していた同じ毛利家臣である吉川広家に阻まれ、参戦することができなかった。
戦後は、京で捕まり三成らと共に京の三条河原で斬首される。
なんかどの資料見てもいつ頃から毛利家の外交僧になっていたかわかんないなぁ
でもこいつが余計な権力つけたのは間違いなく問題でしょうね
904 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 01:49:43
結局は秀吉のお気に入りだったのかな?安国寺は。
信長が死ぬという大きな予言が当たったからみんなに「この坊主すげえ」って
思わせ、秀吉に目をかけられ、調子にのったんだな。
905 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 01:56:38
「宗瑞」、「幻庵」と隠居してからの名前が二つあるけど、詳しいことをご存じの方居られますか?
伊勢長氏と北条長綱のことか?
>>903 小早川隆景がいたころは押さえがきいてたんだが。
やはり隆景が死んだことが大きく影響でてますな。
908 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 17:18:22
山口県の毛利博物館で2000年に「毛利と関が原」という特別展示が行われた際に当時の毛利家の内情を伺わせる文書が展示されていた。
それは、石田三成と増田長盛の連名で輝元に宛てた書状で「毛利秀元の所領は、石見か出雲かがよいだろう」という内容のものである。
時期は輝元の実子秀就が誕生し、養嗣子の座にあった秀元に分家を立てさせる頃と思われるが、出雲は吉川広家の所領であった。実際には、秀元
の所領は周防山口となったが、吉川広家の心中は複雑だったと思う。
吉川広家は自分よりも若く、武勇に優れ、輝元の信頼の厚い秀元に毛利家における自らの地位を危うくする者として、嫉妬心に近いライバル心を燃やしていたのでは・・・
さらに先ほどの書状の送り主はかの石田三成であり、そういった心情からも吉川広家
は東軍方に付こうと思ったのであり、ホントに家の事を考えてたのか?
前述した2000年の毛利博物館で展示された吉川広家の微妙な立場を示す資料としては吉川広家が毛利輝元に当てた誓詞で「元康と仲直りし、家中仲良くやっていきます」と
いう内容のもので、詳しい時期については憶えていないのだが、展示のテーマから考えても関が原の合戦にかなり近い時期であったと思う。詳しい経緯はわからないが
吉川広家は末次元康との間に何か争いごとを起していたようで、吉川広家は毛利家中で重要な位置にはあったが、あまりにも「おれが、おれが」という思いが強すぎたのだと思う。
手紙ほど優秀なソースはないからな。しかし広家も損な輩だな
910 :
某スレの痛い1 ◆hLtPF.kGRM :04/10/27 20:07:27
>>909 ほんと広家は損だよ
彼の失策は家康の魂胆を見抜けなかった
この一点だけ。まぁあまりにも大きい部分ではあるが
おまいはこのスレの1じゃなかったらややこしいからコテはずせよ
まあ伊達スレの1ぽいですからそこんとこで判断を・・・
んで次スレは毛利総合スレに名前戻した方がよくないか?
たしか以前に2スレくらいあったはずだしこのスレだと
輝元や長州の政治以外の話には総合のときとあまり変わらないし。
913 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 22:52:33
まあ結局7,800で落ちたけど良きスレであったな。
914 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/27 22:52:45
あと100か・・・
ノブヤボでの輝元の能力値について語ってみる?
関ヶ原後に藩を立て直すのに水田開発したり、広島城、萩城とか造ってるから
特技は開墾と建築はあってもいいかな。
群雄以外はぼろぼろなのが泣ける
>>905 輝元→幻庵→宗瑞 の順で改名したと思うが。
>>911-912 あ、ごめんね
もう固定ハンきどりだからさ、失礼しました
そうだよね分かりにくいもんね
>>914 あと年貢取り立てもつけといてくれ。
過酷な年貢を取り立てて収入倍増な特技だ。
しかし年貢自体は高くないはずなんだけどなあ
頼む、年貢や米の話はしないでくれ・・・
また過ちをくりかえすつもりかー・・・
921 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 18:19:17
輝元もじいさんにまけないくらい手紙残ってない?
922 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/29 18:27:46
>914
関ヶ原後の毛利家の財政立直しは輝元の功績というより家臣たちの技術と努力による功績なんだが。
まあ輝元も家臣たちにまかせて見守った功績がある言えないでもないが、
輝元自身に開墾だの建設だのいう技能があるとは思えん。
>文禄・慶長の役での毛利家のエピソードなんかない?
碧蹄館で戦った敵2万はかなりの強兵だったです。
ちなみに有名な泗川の戦いで島津が戦った3万7千(20万は俗説)は
半数が盗人や乞食を強制徴用したポンコツ編成でした。
慶長13年、息子の毛利秀就が家康から「松平姓」を賜った際に、
大喜びしている輝元の手紙が残っている。
松平長門守に任ぜられるの通り、大慶満足このことに候、
此方に於いての悦びの段、後推量あるべく候
素直というか、何というか…
多分、幕府の目を欺く元就の策が時限(ry
926 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 01:14:08
>>922 そんなこと言ったらほとんどの大名の特技も・・・
前にやった「そのとき歴史が動いた」での輝元の言葉
「他国の者を心やすく使うことで 家中の者の心を遠ざけてはいけない
家中の者に気遣いがないのはあまりに当世風でありすぎる
毛利家は今どきの大名とは違うのだ」
やっぱ毛利家ってまとめるの大変だったのかな。
このときの番組見てたけど輝元のことを見直したな。
みんな、関ヶ原のことであんまり輝元をいじめないようにしてくださいね。
能力ってのは側近の能力まで含めたものだと思う。
または、それらの案件に対し理解があるため配下の者が仕事をしやすいとか。
929 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/30 05:54:19
毛利家は今どきの大名と違うのだ。
この一文に、毛利の強烈なまでのプライドを感じるのは俺だけだろうか。
>>925 なっなんだ(ry
そういえばうちの親父の本に本能寺は
毛利元就の策が発動したっていう小説があるぞ。
帯が金だしなんかすごいけどつまらなくて挫折。
>>930 なんだその小説・・・孔明以上に恐ろしい・・・
秀吉の一日天下とふってて全3巻。吉岡道雄(隆?)みたいな感じの人の作品だったと思う
>>923 毛利本隊じゃなくて小早川隊+立花隊だが
そう、このスレを立てたのは「そのとき・・・」をみたからでした。
>>950さん次スレたておねがいし(ry
そろそろタイトル考えますか。
むしろ毛利元就のスレないよな?
もう毛利総合スレとかでいいよ。
どうせもう一個はまた別の趣旨だし
尼子スレがあっても毛利スレがないのは変だと思うし。
937 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 18:12:23
次スレ目前で止まるこのスレage
つまり次スレはいらないってことだsage
うむ、次スレはいりませんな
関ヶ原で領土を減らしたから無能
↓
領国経営をみると治世の名君
↓
一揆多杉、年貢高杉
↓
んなこたない、食いきれない米どうすんだ
以上のループに加えて、たまに両川のことや隆元早死や毛利家中は国人の集まりだか
らという話題がでるだけだし
せいぜい新たにありうる展開としては、この手のスレにありがちな自称毛利家orその家臣の
子孫っていう嘘臭いやつ(本当は領地に住んでた水呑百姓の子孫)が登場してくるくらいでしょう
1000取り合戦にも早いのでこのスレはここでお開きにしましょう。
↓以降の書き込みは無しで
940 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/01 20:51:56
結論としては毛利輝元は総合的に見て見るとまあまあだったということで・・・
でもまぁ妥当だろ
平時ならボチボチ
でも非常時を乗り切る程の能力は無かった
ちょっと小心な普通の人だったんだよ
943 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/02 00:09:29
徳川秀忠と同じようなもんだね。
まあ、あれでよかったんじゃない?幕末の歴史も面白いことになったし・・・
2代目ってのは大抵初代が無理無茶非道をやってるからあまりオレがオレが
ででしゃばるとろくな事にならんので、じっと我慢で自勢力の養生にあたる
位の方がいいのはいいのよね。秀忠とかティベリウスみたく。
輝元にとって不幸だったのは本来その役目だった隆元が早々に退場しちゃっ
た事と中央に無理無茶非道の初代が健在でブイブイ逝ってたのにカチあった
事につきる。
946 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/02 21:23:58
もうこのスレも終わりのようなのでちょっと一言。
ループでスマンが・・・
やはり関ヶ原のときの吉川広家の行動に不満が残るな。ホントに家のことを
考えてたのか?安国寺がきらいだからエケイの意見に賛同したくなかっただけでは?
初めから西軍は負けると思い込み独断に走ったのはやはり不満だ・・・
947 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 01:22:59
>>946 うん。やはり広家は豊臣武断派と仲がよかったし、安国寺&三成らを毛嫌いしてたのは事実。
広家は豊臣に人質に行ってた経緯もあるし、自分を毛利だけにとどめず、天下におきたい
というのもあったと思う。まあ三成らを口だけと軽視し、盟友のいるとこ選んだだけかも。
948 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 08:42:26
輝元が有能だったとは思えんな。
結局「失地王」だしね。
しかし氏政や勝頼のように
頑張りすぎて滅ぶよりはマシか。
949 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 08:45:07
輝元が有能だったとは思えんな。
結局「失地王」だしね。
しかし氏政や勝頼のように
頑張りすぎて滅ぶよりはマシか。
950 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 08:55:19
輝元が有能だったとは思えんな。
結局「失地王」だしね。
しかし氏政や勝頼のように
頑張りすぎて滅ぶよりはマシか。
951 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 18:28:08
948 無名武将@お腹せっぷく New! 04/11/03 08:42:26
輝元が有能だったとは思えんな。
結局「失地王」だしね。
しかし氏政や勝頼のように
頑張りすぎて滅ぶよりはマシか。
949 無名武将@お腹せっぷく New! 04/11/03 08:45:07
輝元が有能だったとは思えんな。
結局「失地王」だしね。
しかし氏政や勝頼のように
頑張りすぎて滅ぶよりはマシか。
950 無名武将@お腹せっぷく New! 04/11/03 08:55:19
輝元が有能だったとは思えんな。
結局「失地王」だしね。
しかし氏政や勝頼のように
頑張りすぎて滅ぶよりはマシか。
952 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/03 19:55:34
だから、輝元は普通だったと。まあまあだったということで結論がでましたよ。
953 :
:無名武将@お腹せっぷく :04/11/04 00:56:43
輝元+広家+安国寺=毛利没落期
輝元+隆景+元春+福原貞俊=毛利最盛期
元就+隆元+元春+隆景=毛利成長期
955 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 16:44:25
まあ、ホントのダメ男だったらいくら大きな領地を持っていようと両川が
いようと五大老にはなってないだろうと思う。
956 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 18:14:16
広家が悪い!!!
こいつさえ関が原で空弁当使わなきゃ毛利家は10ヶ国の覇王に返り咲き、豊臣家執権として天下を掌握するはずだったのに・・・
悪いのは絵Kだよ
958 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 19:39:39
家康だろ
あいつが何もしかなかったら関が原は無かった訳だし
959 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/11 20:23:42
関ヶ原のとき最初は輝元も出馬しようとしてたんでしょ?それが増田長盛が謀反しそうだとか
でいけなかったとか。これって実は広家が流した噂では?
輝元は西軍につくと決め、兵を秀元に託し、大坂城で秀頼の保護。輝元もまさか
一日で決着がつくとは思わなかっただろうに・・・それも毛利動かず。
広家も三成、エケイが嫌いとか家康には勝てないとか言ってないで輝元が西軍についた
からには「俺が西軍を勝たしてやる!」ぐらいの気持ちで戦って欲しかったな。
いい位置取り、どうなるかわからない戦況だったのだから・・・
960 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 00:40:26
961 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 22:54:11
早速行ってきました。気になったのが、
芸州吉田の絵図で、
私が知っている山の形と随分違っていました。
あれは外出でしょうか?
962 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 23:19:14
関ヶ原で西軍が勝っていたら毛利家の領土はどれくらいになっただろうね
すごいことになりそうだけど
なぜ広家は毛利家の為と考えて東軍に寝返っていたのだろう?
よう考えたら毛利家のためになるわけないだろうに
つーか、西軍勝ってもその後はグダグダの内部分裂起こす事は明白なので
論功行賞が、はたして実行出来たのか、行われたのかを考えると非常に厳しい。
本能寺後みたいに、家中における唯一共通の敵を倒すっていう訳にはいかないしねぇ。
広家の家康への内通も、広家の独断ではないしね。
実際は、福原やらの他の反安国寺派の重臣級と話し合い、輝元にも意向を伝え
秀元もそれを承諾してたっぽい節があるしねぇ。
964 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/14 23:48:34
毛利が西軍を貫いたとしても、その場合わざわざ関ヶ原のような陣取りはしないだろうから
どちらにしても家康勝利していたと思ふ。
単純に家康の後ろからつけば〜とか言ってる奴はアフォ。
家康に勝つ自身が無かったから広家も内通したんだろう。事実東軍が勝利。
965 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 00:40:56
>>964 って、そりゃアンタ論理破綻してるよ
広家が内通していたから東軍が勝利したともいえるわけだし
966 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 07:28:57
毛利が西軍を裏切らなければ、関ヶ原のように一日で決着がつくような戦はせずに
川中島の武田上杉のように睨み合いが続いたような希ガス。
でもそうなると九州や奥州が不安になるし、大阪城を占拠されているぶん家康超不利。
そんな状況ならそもそも関東から出てこないかもしれんが。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 07:33:01
毛利は本能寺の変の時にもチャンスはあったよな。
968 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 07:55:48
というか石田三成VS徳川家康の時点で勝負は付いてる。
そうでもない
スマン言い換える、石田三成VS徳川家康の時点で勝負は見えてる。
そうでもない
973 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 18:13:49
どちらかというと
毛利の西軍参加はエケイの馳走ではなく吉川広家も含めた
毛利家全体の合意事項だったと思うが・・
理由は明白
家康の天下取りの野望は誰の目にも明白で
前田、上杉と五大老は各個撃破されつつある・・黙認してても
難癖つけて、毛利追い落としにかかるときが来るのは
明白だった。
だから毛利としては西軍につく以外に選択肢はない。
これくらいは広家にも解ってたはず。
ただ・・小早川秀秋内応は当時三成にも噂で聞こえるくらい
有名な話でこの不確定要素が多すぎ。
毛利を生き残らせるために最悪の可能性を考慮しての保険として
広家は徳川に渡りをつけていたと・・。
で西軍が勝っても徳川をつぶせるはずはなく絶対講和の話になる
その際に広家がそ知らぬ顔で交渉役に立つという筋書きだったのでは?
と、ちと深読みしてみる。
974 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 18:16:41
でも輝元の大阪城篭城がなかったのだけは残念だ。
これがあればだいぶ盛り上がったろうし
大阪の陣に悲劇を持ち越さなくてすんだはず。
975 :
:無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 21:37:43
輝元はあくまで勝機があったから攻めたわけで、もはや勝機のない、無意味な戦いを避けようとしたと
単純に見える。たとえ大坂に篭っても家康相手に勝てるはずなく、毛利側の被害も相当考えられるし、
何よりこれを機会に家康に毛利を消される可能性も高い。だとしたら、毛利の盟主として、この判断は
妥当ではないか。
976 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 21:55:47
いや大阪を舞台にした長期篭城にもちこめば家康の方が不利だろうと思う。
少なくとも西軍があそこまで過酷な大削減にもちこめたかどうか
奥州では野心満々の伊達が家康の不在に間に南部制圧に専念し
最上攻略越後併合に専念した伊達と和解してしまうかも知れず
(実際1月も続けば)そうなったら
前田だってどうこう言いつつ北陸制圧に積極的な面も否定できない。
家康が西でてこずっていたら自力で大版図を切り取ってしまう状況はあった。
九州の黒田、島津やらも巨大化したろうし
ちょうど小牧長久手で家康に敗れた後の秀吉が九州統一を目前にした島津の
脅威を考慮して背後に家康北条の脅威を受けるのを避けるため大きく妥協
したように和解にもちこめばいいほうで・・
ましてその後は家康が大老筆頭に居残っても
大老の毛利は健在、毛利や徳川並に巨大化した前田、伊達、島津、やら黒田
やらが割拠したりで天下どころではなかった状況もありえたかと・・
977 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 22:01:02
>>976 大坂篭城してる時に、毛利本領はどーすんだよ?
黒田は、「東軍として」他の東軍の中小大名と協力して北九州を押さえようとしてただけ
大坂内部だって、長期の篭城できるような状況じゃねーし
秀頼に他意無しと言われたら終わりジャン
978 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 22:01:10
輝元の大阪城篭城は、家康にとっては嫌なことだったに違いない。
仮に輝元が籠もる大坂城を攻撃した場合、膠着状況に陥るのは必至で、
その間に再び豊臣恩顧の大名が動揺し、形勢が変わるかもしれないという
懸念を家康は抱いていた。
そこで家康は、輝元に猫なで声で、「大坂城を退去すれば、本領を100%安堵
する」という甘い条件を提示し、まんまと和議を結んだ。
それが、罠であり、まったくのデタラメだったことが直に判明するわけだが。
大阪城を攻めるって事は、豊臣家を攻撃することになるからな。未だ豊臣の大老の家康にとっては絶対避けなきゃいけないことだ。
しかし毛利輝元は成り行きで総大将になったような男だから、はじめから天下を狙っていなかったんだよな。
980 :
:無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 22:26:55
>>978 いや罠とはわかってただろう。でも、大坂に篭れば何とかなるかもとかそんなこと言ってられない
だろ。彼は毛利の当主であり、毛利家と下の者たちを守らねばならないのだから。博打はした。それ
はもう負けたのだから、今は安全な道を選ぶべき。いつ毛利領に九州勢が入ってくるかもわからない
家康の世になったのだから、逆うのは良くない。篭城していい条件が来る保障もないし。
981 :
:無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 22:31:34
>>979 家康がいずれ毛利を潰す前に毛利が先手を打ったのが実状だろ。家康の理想の社会では
毛利のようなものはいらないし。まあ関が原前にそれを煽ったのは三成だけど・・・
982 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/15 22:39:53
>>980 >いや罠とはわかってただろう
NO。輝元は、家康の言葉を本当に素直に信じてたんだよ。
(ここが輝元らしいというか、いい人と言われる所以)
和議に当たって、井伊直正らへの誓書で、輝元は感謝の言葉を述べ
ているが、以下のようなもの。
「我らの心底を内府様にお取りなし下され、まことにかたじけない。
我らの分国を相違なく安堵されること、これまたかたじけなく…」
萩の博物館で毛利輝元展やってますよ。
関ヶ原後、徳川の沙汰が来るまでの間余程怖かったせいか、
毎日祈祷やらせてた資料とか。自分とこの家臣が信用できないからか、
やたら黒田官兵衛や本多正信に相談してた資料とか。
やっぱり立派じゃないなあ。
984 :
無名武将@お腹せっぷく :04/11/15 23:51:07
俺は輝元はよくやったほうだと思うよ。関ヶ原だって難しい決断だろうし・・・
他の武将でも同じ状況になったらどうなってたことやら・・・
家を残していろいろな資料とかも引き継がれ、博物館で輝元展もやられてるんだし。
博物館には小さいけど輝元像も造られたとか。
がんばったよ輝元。俺は好きだなあ。
985 :
:無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 01:38:02
>>984 同感。まあ彼と他の武将と一緒にしちゃ駄目だよね。彼は大勢力の「当主」であるから。
お家存続の重みを背負って常に君主として判断しなければならない。彼が家康、元就の様
な器でないなら尚更重い地位だし。若くして当主になり、つらい境遇の中でも戦国の変わ
る時代に成長し彼なりの結果を出したと思う。憎めないボンボン。
むしろ関ヶ原後の一連の対応があったからこそ家を残せたんだと思う。
徳川にとって気に入らなければ将軍の弟ですら改易を食らってる。
輝元が当主の時期は、改易だけで90以上、転封も数知れずと言う時期だ。
そんな中、形だけでも徳川最大のライバルだった大名が幕末まで生き残れたのは、
ひたすら恭順の意思を示し続けたからに他ならない。
みっともなかろうが立派じゃなかろうが、充分よくやってるよ。
同じ厳封でも上杉の方が立ち回り全てで勝っているな。
小早川や吉川の合戦中の裏切りという汚名は如何ともしがたい。
上杉、前田、毛利と同じ五大老でも明暗がはっきりでてる。
988 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 06:12:37
>>986 >ひたすら恭順の意思を示し続けたからに他ならない。
「お家存続」が至上命題なら、開戦前に平身低頭した前田家が一番ベスト
ということになる。
毛利は家康と戦い、そして負けた。石田、小西、安国寺は斬首。総大将に担
がれた輝元も、その責任からは、本来は斬首もしくは全所領の没収をくって
も文句は言えない状況だった。その辺を見透かしたように、輝元が神妙にな
っているところへ、「ついては島津を征伐するが、毛利家にはその先駆けを
して頂きたい」との通達が家康から届く。(三成処刑後の翌日)
書面には、暗に全所領を没収するかもしれないとも、ほのめかされていた。
これを知った輝元は「討ち死にしてもいいから徳川と戦う」と徹底抗戦を叫
んでいる。それに対し、吉川広家は「お家存続が大切です」と輝元をなだめ、
徳川との外交交渉に必死になって奔走した。
毛利派は広家を裏切り者と呼ぶが、毛利が存続できたのは、広家のおかげだ。
マッチポンプじゃないか。
まあ全力で徳川に当たってたら勝っていた、とは言い切れんが。
990 :
無名武将@お腹せっぷく:04/11/16 09:03:01
>>987 この頃の小早川はもはや両川じゃないような。隆景が死んだ後は家臣のほとんどが
いなくなり、毛利家とも疎遠だったみたいだし。吉川は独断で内通してたのでは・・・
前田とかも結果的にはよかったけどその順番によってはどうなってたか。最初に前田
じゃなくて上杉征伐があったらどうだっただろうか。
上杉はよく残ったなあという感じ。このちょっぴり残すあたり家康はさすがだな。
俺も輝元は頑張ったと思うよ。元就みたいなのはそんなポンポンと出ないでしょう。
だから英傑と言われるんだろうしね。輝元が凡庸だったら他の多くの武将も凡庸になるんじゃない?
温厚、無垢、鷹揚な人だったみたいね。それだけでも充分だよ。
世の中には短気で心の狭い自分勝手なわがままな人もたくさんいるのだから。
人が良くて人望に厚いのは同意できるけど
当主としては無能では無いにしても凡庸、優秀とは思えないなぁ
元就に、機密を簡単に漏らす等、頼りないとか言われっちゃってるし。