三国時代のその後を語ろう

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1無名武将@お腹せっぷく
280年に、呉が晋に併呑された後の時代についてあまり触れられることは無い。
そんな、晋〜東晋を語りつくそう。
そして、五胡の異民族も語ろう
2無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 21:02
チンチンしゅっ!しゅっ!しゅっ!
3無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 21:02
五石散て流行したの?
4郭攸4:04/03/05 21:03
何だっけ・・・晋の後、内乱が起こったり・・・
南宋とか五胡十六国とかだっけ・・・
次に統一王朝が出来たのは隋だったと思ったが。
記憶ボロボロ
>>1
中国の歴史なんて興味ねーよ。
だいいち、赤壁の戦いって100万の軍勢で戦ったとか言ってるけど、
そんな大人数をどうやって数えてどうやって指揮できるんだよ。西暦200年の時代に。
しかも10万の軍勢に負けるし。
木像をリヤカーに乗せて敵の軍師を欺くテク。
騙されたヤツ、バカじゃねーのか?普通に気づけよ(w
チャンコロって誇大妄想癖があるから、大嫌い。バカだし。
そんなチャンコロのでっち上げの歴史を盲目的に支持するここの奴等もみんなバカ。
7無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 22:29
>>5
西晋が滅亡後、五胡十六国時代へ突入(五胡;鮮卑・匈奴・ケツ・底・キョウ)
その後、北魏の華北統一後、南北朝へ突入

南朝
東晋(司馬エイ) >> 宋(劉裕) >> 斉(ショウ道成) >> 梁(ショウエン) >> 陳(不明)

五胡十六国
1;前趙(匈奴)2;成漢(テイ)3;前涼(漢民族)4;後趙(ケツ)5;前燕(鮮卑)6;前秦(テイ)
7;後燕(鮮卑)8;後秦(キョウ)9;西秦(鮮卑)10;後涼(テイ)11;南涼(鮮卑)12;北涼(匈奴)
13;南燕(鮮卑)14;西涼(漢民族)15;夏(匈奴)16;北燕(漢民族)

南北朝
南朝 宋(劉裕) >> 斉(ショウ道成) >> 梁(ショウエン) >> 陳(不明)
北朝 北魏   ___西魏___北周___隋
         |_東魏__北斉__|

で、隋が統一
>>7
乙。
八王の乱が最大の原因で、異民族を使ったのが致命的だってことだな
9無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 22:38
晋崩壊して五胡十六国が興るまでの過程が分からないんだけど。
どうして異民族が突然侵入したの?大陸を統一した晋なら楽勝じゃん?
三国時代の魏だって上手く立ち回っていたのに
>>6
あのさ、それって100万人とか演義だから
>>8
むしろ、匈奴とかを内地に移住させた曹操とかが災いの種を蒔いたわけで
おっす、オラ赫連勃勃(嘘)。
その辺の歴史については三崎良章「五胡十六国」が詳しいぞ!
13無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 08:21
>>11
匈奴を内地にすませるようになったのは
曹操が生まれるずっと前のAD48年だよ。

まぁ五胡十六国の最初の一国はこの匈奴がそのまま独立した「北漢」だが。
1413:04/03/06 08:24
>>13の続き

その匈奴の「北漢」を建国した劉淵を主人公にしたのが
「後三国演義」。劉淵が蜀の劉備の志を継いで漢帝国を再建する話。
まったく血縁でもなんでもないのにねぇ。>劉淵
16無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 10:08
ここに居る厨房は劉淵の事しってるのかなぁ?
オフラの孫で、劉豹の子供だよ。ちなみに漢人ではない。匈奴だよ
1713=14:04/03/07 01:40
>>15-16
まぁ「演義」ですから。
「後三国演義」は劉淵が漢王朝の子孫の漢人という設定。
18無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 03:06
>>8八王の乱でそれぞれの王が他の王を倒すために、
異民族の力を借りようとしたわけ。
そしたら異民族が力をつけて覇権を狙うようになったわけ。
19誘導:04/03/07 03:09
世界史@2ch掲示板
http://academy2.2ch.net/whis/
20無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 08:06
三国志9に匈奴がいないのは何故だ?
21無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 08:47
>>14
>>15
劉禅の養子?かなんか名乗ってなかったっけ
22無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 13:19
司馬衷と賈南風を戦犯として告発する!
23無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 18:51
>>22
司馬衷は心神喪失状態なので無罪

24無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 19:30
米が無ければ肉粥を食え
25無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 19:40
>>25
米がなければ菓子を食え
>>25
その場合はパンのがいい気が……
27無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 19:59
ってか何で匈奴なのに劉姓なの?
>>27
漢から公主とかもらってたから、らしいよ。
29無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 20:14
確か、劉淵の父か祖父が劉豹
で、その父がオフラ、でその父が右賢王キョウ渠(キョウキョ)、その父が南匈奴王の屠特若シ逐就(トトクジャクシチクシュウ)
もともとオフラはそうそうと仲がよかったし、もともと匈奴系は漢王室と有効状態だったから、劉性でも、いいんでは?
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4497202011/250-7885836-2227424
この本によると、
>於扶羅の活動した二世紀後半の時期と二七〇年代後半と考えられる劉豹の死の
>時期の差が大きいことなどから、おそらく於扶羅の子ではなく、南匈奴単于との
>直接の関係はなかったといえる。
とのこと。
>>25
独りでやってろ
32無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 21:54
北匈奴がフン族なんだっけ?
33無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:05
この時代、複雑すぎて省略される事が多すぎる。
もしかすると三国時代より楽しいかもしれないのに
34無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:07
三国時代のその後

三国時代→晋→いろいろあった→中華人民共和国
35無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:32
隋〜唐は漢人政権じゃないのかね?
五胡十六国、北魏、東西魏、北斉、北周、隋、唐は非漢人
37無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:36
>>35
一応漢人だけど、楊堅や李淵は血筋的に西魏の皇帝家(鮮卑系)と縁戚関係がある
38無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:38
真の漢人による統一政権って漢と明ぐらいです。
39無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:39
そうだね。真の漢人による統一政権は漢と明ぐらいだもんね
北宋は?燕雲十六州が入ってないからダメ?
41無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:39
西晋を滅ぼした劉裕は?晋に居たことから、漢の末だと思うんだけど?
あ、でもあれは庶民の出だっけ
42流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/03/07 22:40
>>35
漢人政権の定義はともかくとして、隋の楊氏も唐の李氏も鮮卑系王朝の北周建国以来、
武川鎮軍閥時代からの軍人貴族の出だから、それらの一族を漢人としない説はあるね。
43無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:41
じゃあ殷とか周はどこの民族なの?
4438:04/03/07 22:41
すみません。>>39も同じこと書いちゃった・・・
>>41
劉裕は南半分だけじゃん
4638:04/03/07 22:43
>>43
漢人かもしれないけど、中国全土(華北・中・南)を支配した統一政権とはいえないので省きました。
47公遜淵 ◆A91YS3fPv2 :04/03/07 22:43
>>36
北燕、前涼、西涼は?
・゚・(ノД`)・゚・
48無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:45
>>43
たぶん漢帝国ができてから始めて漢民族ってよぶようになったんじゃない?

詳しい人きぼんぬ
49松茸狩り ◆KINOKOrY32 :04/03/07 22:48
漢人といっても、日本人みたいに数千年の純血じゃないからね。
いいかげんなもんだよ
50無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:49
>>48
その通りです。漢によって全土が統一されたことにより、「漢人」というカテゴリーが出来上がった。
それまでの殷・周・春秋戦国の諸国も系統的に漢人であっても、地域ごとに言語や文化・風俗が違うからね
51無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:49
漢以前に、劉氏を名乗っている人物が少ないことから
近代中国で劉を名乗っている人は、高祖の末裔なのかしら?
52無名武将@お腹せっぷく:04/03/07 22:52
極端な事を言わない限り、〜〜民族政権ってのは難しいかと……
住んでいる人が漢人でも君主が鮮卑系だったりするからね。
何を定義にして民族政権って言うの?
53流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/03/07 22:56
>>47
一応、その3つは十六国に入ってなかったっけ。
54公遜淵 ◆A91YS3fPv2 :04/03/07 23:03
>>53
いや、入ってたような気がするんだけどなぁ。。
世界史の教科書にもきちんと記載されてたような。。。

記憶があやふや。。。
55流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/03/07 23:09
>>54
いや

36 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:04/03/07 22:34
五胡十六国、北魏、東西魏、北斉、北周、隋、唐は非漢人
    ↑

ここに含まれてるんじゃないかって話ですね。
あと、十六国以外でもテキ魏、前仇池、後仇池などのマイナー政権もありますw
56流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo :04/03/07 23:17
ああ、スマソ、それら、よく考えたら建国者が漢人でした。
>>55の発言は無視してくだされい。
>49
隼人、蝦夷は?縄文人は?
渡来人も相当入っているし。
>>57
島津も長曾我部も秦姓だから渡来人だもんな
>>58
しかし、それは定かではない。
>>49
時代による
大量に人が渡来してきた頃から始めるか、飛鳥奈良以降とか。
61犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/03/08 00:37
西晋〜五胡十六国期の醍醐味と言えば、何と言っても
三国時代末期の功臣たちが、政争で呆気無くポコポコ
と消されていくところだろう・・・。衛瓘とか、文鴦とか。
中国と聞くと、辮髪と金柑みたいなの乗っけてるやつ
どっちを想像する?
63犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/03/08 00:40
あと、八王の乱〜永嘉の乱前後での司馬氏の
族滅っぷりは、どうにかならんのか、アレ。(汗
劉禅の子供も、一人生き残っただけで死んだし。
献帝の子孫もな
陳留王になった曹カンとか孫皓はどうなったのだろうか……
俺は曹霖がどうなったのか気になる。
67無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 11:43
霊帝の子孫が日本人だって本当?
そして誰も居なくなった
>67 大霊界の人ラスィよ
70無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 22:09
史記に出てくる犬ジュウは三国時代に居たの?
鮮卑に吸収された?
71無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 23:07
白帝社の『中国歴史人物選 西晋の武帝・司馬炎』をおすすめする
三国時代の裏事情、そして西晋崩壊の悲劇が余すところなく活写され
実に興味深かった
司馬炎は呉が滅んでから、典型的な暴君になったからな〜
でも、西晋が崩壊し始めたのはいつ頃から?
賈充の豚娘が、晋をかき回した頃でしょう…
大陸の常備兵10000人位しかいなのも驚く
7413=14:04/03/09 02:57
>>70
1)犬戎は東胡や燕に滅ぼされて消滅、というのが最有力な説。
2)実は東胡に臣従していただけで、東胡が匈奴に征服された時、
東胡の本体は烏丸になり、東胡に隷属していた犬戎は自立して
鮮卑になった、というのが第2の説。
7571:04/03/09 06:03
>>72
同書を読むと、呉を滅ぼすあたりですでに腐敗が始まっていることの気づく
本格的に表面化するのは、司馬炎死後諸王たちが権力の亡者になり、不毛な争いをはじめる
所から
76無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 11:25
親族に強権を持たせて、重臣を威圧されようとしたのがまずかった。
それに司馬炎自体、名君じゃないしね。本当は司馬昭が簒奪予定だったんだけど
途中で急死しちゃったからねぇ〜。
魏が漢から帝位を奪った話と似てる
265年 司馬炎帝位につく
280年 呉滅亡、以後司馬炎遊楽にふけって衰退の原因を作る
290年 武帝(司馬炎)死去、恵帝が後を継ぐ
   諸皇族が権力を求めて内乱勃発(八王の乱)
   皇族の1人司馬潁が匈奴の劉淵を配下にする。
   これにより劉淵が力をつける。(劉姓は高祖劉邦から娘をもらったのが由来とかなんとか)
   ※このとき司馬潁に陸遜の孫(陸抗の子)無実の罪で処刑され絶滅
304年 匈奴の劉淵が漢王に即位、西晋打倒・漢復興復興をスローガンに勢力拡大開始
306年 恵帝死去、弟の懐帝即位後乱は終息へ   
310年 劉淵死去、息子の劉聰が後を継いで即位
311年 劉聰が洛陽襲撃。陥落し懐帝捕らわれる(2年後に死亡)
316年 劉聰が長安襲撃。懐帝の後を継いでいた愍帝を捕らえる(永嘉の乱、西晋滅亡)
※この戦乱で劉禅の子孫絶滅
318年 劉聰死去、一族の劉曜が帝位を奪い国号を前趙とする  
329年 漢の武将(羯族出身) 石勒が前趙を滅ぼし華北全域を制圧、後趙を建国
   石勒死後、石虎が跡を継ぐが石虎の死後はその子供達が帝位を争って殺し合い
   最後に勝ったのは養子(漢民族)の石閔
349年 石閔は漢民族の軍隊を率いて羯族の大虐殺開始(このときの死者20万人とも)
350年 石閔、漢民族国家を標榜するため国号を魏とする。
352年 魏、鮮卑族によって滅ぼされる。  
78無名武将@お腹せっぷく:04/03/10 14:04
>>77
劉禅の子とか絶滅したって書いてあるけどどうして?
異民族から、特に殺意を持って殺されたの?
陸遜の子孫についても詳細きぼん
三張二陸両潘一左
>>65
とりあえずそいつらは天寿をまっとうできたらしい

>>77
あの国では王朝交代時に大量虐殺が起こるのが常
長安にいたせいで戦乱にまきこまれて全滅、てことでしょ
孫皓の子孫も絶滅したはず

晋書では、劉淵が即位したとき、「追尊劉禪為孝懷皇帝」した、
って記述があるけど、これは劉禅のことかな?
>>79
ちくま7巻
83無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 21:17
>>81
そうです
84無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 21:25
甘寧の子孫も活躍してたな確か。
干禁とかその辺りの人はどんな活躍をしたんだろう?
85地黄八幡 ◆zCwbZdVavI :04/03/11 21:33
三国志はよくわからないんで
文字間違ってるかもしれないが
トウガイって奴が一番好きだな
86無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 21:35
荀ケの子孫で、荀灌というのがいるな。
この時代では、例外的に活躍したエピソードを残している女というだけかもしれないが。
何で、遠く離れているのに「晋」にしたんだろ?
呉でもよくね?
>>40
北宋はモンゴル系のようです
>>87
なんで?まさか東晋のことを言ってるのか?
呉がまだあった時に西晋は成立したんだが。
漢族はモンゴル系じゃなかったけ?
>>43
殷はどこだろうな。
周は間違いなく、漢民族じゃないだろ。

尭は東夷だ、
>>91
そうか?
黄河上流に住んでいるから、ギリギリ漢人じゃない?
混血もありえるだろうが
北宋はモンゴルでなくトルコ系な。
94無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 22:00
○○系って何?
顔が中東なの?
「現在は中華人民共和国に至る」
でいいやん。
五胡十六国の中に、含まれていない国もあるな。
典魏とか
97無名武将@お腹せっぷく:04/03/11 22:17
西晋の勢力範囲ってどれくらい?
けいしゅうを含まない呉と同じくらい?
>>97
西晋は中華統一してるだろう。
東晋は最初はそんなものだったけど、だんだん勢力圏を広げていった。
最終的には益州南部と荊州、揚州、交州を手に入れたんだっけ?
>>98
すまん、東晋だった。
>>92

周は古羌だな。
斉も田氏以前は、羌が支配してたと考えてもいいとおもわれ。
古羌?
あと、斉はどうして?地理的に遠すぎると思うのだが
>101
とある羌人の釣り人が大功のご褒美に
斉の地を封じられたからだ。
103無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 11:00
竹林七賢ってひきこもりのサークルだろ?
>>103
アホかw
彼らの略歴を追えばずいぶん世俗なやつらだってことがわかる
お前と一緒にすんなwwwwwwww
あいつらがヒキに見えるのは退廃的な思想部分だけだ
>退廃的な思想部分だけだ

この時点でアウト。もはや世捨て人
106無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 12:36
>>50
殷や周は「漢人」ではないでしょう。
殷の時代、周は西方の異民族国家だった訳だし、周の時代には
南方の楚は異民族国家であり、漢王朝の創始者・劉邦は楚国の
領域の出身。
「漢」が成立して、民族としての「漢民族」も成立したと
みるべき。

百歩譲って、周は漢民族に含めるとして、殷は絶対に含める事は
できない。
後世の漢民族としての風習は、全て周を始祖としている。
殷は呪術国家であり、周以降の王朝とは、文化的連続性が無い。
107無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 12:39
>>51
南北朝時代の宋を建国した劉裕は、
「同じ劉姓ですから、『漢』を名乗っては?」
と勧められたのだが、
「俺が漢王朝の血筋である訳がないだろう!」
と、笑って却下した。
108無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 12:45
>>106
漢民族の特徴は、誇張が大好きで、偽物を作るのが得意で、ずる賢いんだよなぁ〜
中国4000年の歴史といっても、漢人政権なんて微々たるものだし
>>107
ヘェ〜そんな事があったのか。
匈奴のくせに漢を名乗った人も居ると言うのに……
109無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 09:25
時々でてきて激しくデタラメ書いてく奴がいるなw
まあ>>109の出鱈目さには誰もかなわないだろうがな
111無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 10:12
>>79
陸遜の孫の陸機は「広辞苑」にも載っている。
>>79
歴史から離れて、古典詩集なんかを読んでると、いきなり陸機の名前がでてくることが良く
ある・・・
(株)陸運工機のことか?
>>113
死ぬほどワロタ
115無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 20:08
三国時代の武将は辞書に載っていないけど、その子孫が辞典に載っている場合があるんだよな。
劉姓の人間大杉
116無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 22:02
五胡が進入してきたときの、漢人の扱いってどんなだったの?
奴隷とかにされていたんでしょぅか?
117董卓:04/03/17 22:10
そんなことはどうでもいい!!!!!!  ∧ ∧
わしに従え!!!!!!凡愚ども!!! (())
                   ( ´∀)
                   (⊃ ⊃)
                   //|\\
                   (_)(_)
118無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 22:14
フンが侵入してきたときのゲルマン人と同じ
>>116
張賓、王猛
120無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 14:48
江南の地に移り住んだんだな
121無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 15:14
八王の乱をきちんと整理して理解するのは、果てしなく不可能に近い気がする。
何回説明されても全然飲み込めんわい。
にしても、匈奴とか鮮卑はよく攻め込めたもんだ。
ここら辺の経緯を説明して欲しい
殷と周の最大勢力範囲
ttp://plaza26.mbn.or.jp/~pata/insyu.html
匈奴は後漢の初期(AD48)という、ずっと前から山西省に移住してたんで、
八王の乱(AD300)の時にあらためて侵入してきたわけじゃない。
いわば独立(AD304)しただけ。
鮮卑が入ってきたのはさらに遅くAD350じゃないかな?
その辺りに居たとしても、漢人が大多数だったはず。
漢人はなにしてたの?
126無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 21:05
肝心なときに漢人は(ry
127無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 22:40
事実、漢人民衆はゴミ。
奪われ、殺され、焼き尽くされ、あらゆる点で愚民。豚の集まり。
牧畜が盛んな異民族に敵うわけが無い
三世紀の末に上書された江統の「徙戎論」には
「関中の人口は百万、そのうち半ばが夷狄である」としています。
このように関中を初めとした中国北部は黄巾以来の戦乱による
人口減少によりその多くが荒野と化し、その地へと
北方の遊牧民族が流入していました。
129無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 04:53
>>127
ってことは今日本が他国の侵攻を受けたときもお前はゴミの一員というわけか
130無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 02:48
烏丸て、結局どうなったんだろうねえ。
五胡時代の鮮卑の中には、末裔らしき部族が見当たらないが。
烏丸は曹操に征伐された後、曹操の騎馬隊に編入されたんじゃなかったかな。

あとアヴァールは柔然の子孫という説と烏丸の子孫という説とがあった
ような気がする。

でもほとんどは四散して鮮卑に同化しちゃったんじゃないかしら?
132無名武将@お腹せっぷく:04/04/01 23:58
まじかよ……
中国って昔からいろんな所に迷惑かけてたんだな
烏桓は近親血族の共同体じゃないからなぁ。
別の組織に組み入れられるに応じてアッサリ雲散霧消しますよ。
漠北の諸部族は堅牢じゃないし意外と脆い。
134無名武将@お腹せっぷく:04/04/03 12:18
スレ趣旨と逆になんだけど、王導の先祖って三国時代に活躍していたの?
135無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 13:22
>>87
「三国志」って孔明が死んだところで終わりだと思っていない?
>>134
直接の先祖は王祥。魏で三公(太尉)までなってる。
一族としては孫堅に殺された荊州刺史王叡、鮮卑の大人軻比能を暗殺した幽州刺史王雄なんかがいる。
王雄は王衍の方の先祖。
137無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 13:32
女真族の先祖が鮮卑なんでしたっけ?
138無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 20:14
>>136
王祥って「三国志\」に出ていたよね?
>>137
ちがう。鮮卑と同じ時代に邑婁ってのがいてそれが女真の先祖。
鮮卑語はモンゴル語にちょっと近い。女真語はツングース語系。
鮮卑は遊牧民。女真は初期は狩猟民、後期には狩猟も遊牧も農耕も。
>>139
たしか、靺鞨とも勿吉とも呼ばれてましたね。
沿海州あたりには粛慎がいたようで当時の日本と交易があった模様。
これらはみな採猟民族だそうです。
141無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 00:41
楊喜(項羽の四散した死体を持ってきた人)>>>>>>>楊震(漢の大尉)>>>>>>
>>>>>楊彪(あいつ)>>>>>(何世代後)>>>>>楊堅(隋皇帝)>煬帝(暴君)
142無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 20:49
>>141
死体皇帝楊家かw
そういや厨房の頃、中国の歴代の統一国名を暗記したような
全く覚えていないが
>143
結構簡単なんだが覚えていないのか・・・
最初は夏?
>>144
テンポが結構良くて、覚えやすかったのは記憶にあるんだけどね
147無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 22:10
宋と明が似たような印象でこんがらがる
14849:04/04/27 22:35
殷周秦前漢新後漢三国晋南北朝隋唐五代北宋南宋元明清中華民国、中華人民共和国
>>148
それ・・・統一王朝じゃないのも混じってるぞ。
三国と南北朝、五代と南宋。下手すりゃ中華民国も除外されるような。
早覚え、もしもしかめよの節で

いんしゅうしんかんさんごくしん
なんぼくちょうずいとうごだい
そうげんみんしんちゅうかみんこく
ちゅうかじんみんきょうわこく
>>150
それ、どんぐりころころで覚えた。
>150
ガイエの創竜伝で覚えた・・・リア厨の頃の痛い思い出だorz
153無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 05:58
>>147
宋は学者と商人の国。明はドキュンと商人の国。
154無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 22:09
>>147
宋はまだポジティブ、明はもうだめぽな感じでネガティブ。

と言ってみるテスト。
明は商人が冷遇されてなかった?
太祖洪武帝の祖法とかで代々重農主義をとってたような。

明は宦官と戯曲家の国のイメージがあります。
三国志演義なども明代にほぼ完成されたようですし。
後漢や唐と違って、外戚と結んだ悪辣な宦官が現れなかったので。
156の補足。
現在政治で活用されてる「内閣制」も明代の永楽帝時代に登場してます。
明後期になると、有能な宦官が多数出て廷吏と共に怠け者の皇帝の代わりを
務めるようになりましたから。

自分としてはネガティブなイメージはないと思うよ。
明は商業の大層発達した時代です。
概説書でいいからちゃんとお勉強してね。
明代の朝廷は民間の海外商業行為を許してないよ。勘合符が必要な官製のみ。
なぜ、後期倭寇が発生したのか考えてみ。ほとんどが密貿易。
もっとも、国内は河川を利用した漕運業者はいたが、民間経済が本格的に盛んに
なるのは清朝になってからだよ。
どんな入門書読んでるか知らないがお勉強しなおしてね。
永楽帝の時代はかなり商業が盛んだったと思うが?
泉州が明代に没落したのは海禁が原因なのは確かだが。
民間の海外商業行為禁止と、商業の発達は必ずしも矛盾しないよな。

入門書以前に国語のお勉強かな。
162犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/05/01 17:39
>>159
>民間経済が本格的に盛んになるのは清朝になってからだよ。

石見産日本銀とポトシ産メキシコ銀の流入で、
既に明末(嘉靖年間頃)から、半ば強制的に
経済が沸騰常態だったと見聞きしたが、如何に。
三国時代から離れすぎだろ
164ジャイアニズム:04/05/02 10:22
限度を知らない連中ばかりだからなあ
所でなんで海外貿易を禁じていたの?
166無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 13:57
三国時代と比べればたしかに明でも清でも「その後」にはちがいない。
けして三国時代の「その前」ではない罠w
167無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 15:13
>>1
下限を決めた方が良かったな…。
俺的には隋の天下統一によって、後漢末以来の分裂が終わるまでに限定すべきだと思うが。
板違い
三国時代が21世紀にも続いてたらどうなってたと思う?
魏、呉、蜀のどれに日本は味方すべきだろ。
170無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:43
>>169
マジレス。
絶対にありえない話だから予想できない
>>162
インフレ状態と景気高揚を一緒にしては危険。
景気が良いなら民衆の不満が高まるのは激しく矛盾。
173無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 00:01
>>169-170
絶対にありえないということもないだろう。

その場合、漢民族というのは蜀の少数民族の名になってたろうな
174無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 00:38
>>169
中華民国建国後の軍閥政治は似たような感じだったよ。
175無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 08:48
>>169
日本はアメリカと同盟しているので三国は放置
176無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 09:55
>>169-174
そうすると、華北に共産党政権、江南に国民党政権、
四川省に漢族(=少数民族)の独立国「大漢民国」で鼎立かなw
177無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 22:15
>>174
それって所謂「現代版三国志」か?ま、いまさら現代でもないが。

江南の汪兆銘、四川の毛沢東、華北の蒋介石ってか
>>169
呉に決まってるじゃん
179無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 10:31
>>177
なんですか、それは?
180無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:00
漢人と非漢人ってどこで区切るの?
個人的には異民族出自でも精神的文化的に漢化すれば「漢人」と称していいと思う。
隋の楊氏や唐の李氏は漢人とみなしていいでしょ。
北魏のタクバツ氏なんかは姓からして異民族だし、当初は弁髪に胡服、公用語も鮮卑語だった。
孝文帝の代になって、結髪・漢服を義務づけ、公用語も漢語、姓も漢族風に一字姓になった。
(タクバツ氏は白氏と名乗るようになった)
この時点で鮮卑族は消滅し、漢族に同化されたとみなせるのかも。

ただ、北魏滅亡後の次の王朝(名前失念)は孝文帝以来の極端な漢化を嫌って
いくぶん先祖返りしたようだし、
唐代の有力者に「宇文」氏がいるけど、これは鮮卑族そのままの姓。
つまり唐の初期ですら鮮卑の色彩は残ってたわけで、
華北の漢化が完了するまでにはずいぶん時間がかかったのかもしれない。
>(タクバツ氏は白氏と名乗るようになった)

元氏だろ
182無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:08
ごめんそうだった。
唐の李氏は漢の名家の出身と称し、
ある高僧に「陛下は鮮卑族の子孫です。」と言われて激怒している。
この時点で精神的に漢民族なんだよなあ。

自称東京生まれ東京育ちの人間が、地方を馬鹿にしまくってたところ
「君のお父さんは高校卒業後、青森から夜行列車で上京してきたんだろ。」
と痛い所を突かれてキレるのと同じ。

劉淵も漢王室の復興と称していたのだから、漢化してたのかもしれない
早くから内地に住んでたし、当然漢文化にふれてたわけで、
見た目も、われわれがイメージするキョウドとは明確に異なっていたのかも。
唐の李氏は太宗が歴史マニアになって南北朝期の歴史書の編纂をはじめた時
に自分の先祖の系図を捏造したのがバレバレだったんで、本心では自分が
鮮卑の子孫であったことは自覚していたことになる。

劉淵は中国の域内の匈奴だし、匈奴単于と漢皇帝の両方の血をひくのも
事実だから、両方のプライドをもっていた。
たしか、鮮卑をひたすらおそれる晋にたよられた時に
「鮮卑なんて乞食どもは我が匈奴の奴隷みたいもんだから心配すんな」
とかいってたとかなんとか。
185無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 15:58
>>169
モンゴルに征服される。
または欧米列強の植民地になっている。
いろいろあって現在に至る。

糸冬 了
>>186 清水義範かよ!
こっち↓もよろ

三国時代以後の漢の末裔
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1081319977/l50
189無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 12:37
見た目こそ人間だが、その中身たるや獣と同じ野蛮な遊牧民に征服された
いんしゅうとうしゅうしゅんじゅうせんごく しんぜんかんしんごーかん
ぎーしょくごーせいしんとうしん そうせいりょうちんずーい
ごーこじゅうろくほくぎーとうぎーせいぎほくせいほくしゅう
ずーい(2回目)とーうごだいじっこく
そうきんなんそうげんみんしん

アーループースいちまんじゃーく(だったか?)の節で。
高校で覚えさせられたけど、これは今でも覚えているな。
「夏」が抜けていたりと結構不完全ではあるけれど。