劉備は激怒した。
かの邪知暴虐の劉封と孟達を除かねばならぬと決意した。
劉備は、我慢を知らぬ。劉備は、出会った人を不幸にする呪いのアイテムなのだ。
仁ばかりを優先し、諌言を聞かずに暮らしてきた。
けれども、義兄弟に対しては人一倍敏感だった。
曹操は激怒した。
かの邪知暴虐の臣楊修を除かねばならぬと決意した。
曹操には、自分より優れた臣を認めることが分からぬ、自分が一番という方式で来たからだ。
劉備を仕留め損ね、孔明に弄ばれてくらしてきた。
けれども、自分より優れた臣に対しては、人一倍敏感だった。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/05 12:45
「ああ、広野君」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ」レキ食其は走りながら尋ねた。
「曹参でございます。貴殿のご主君漢中王の家臣でございます。」
その若い軍政司も、レキ食其の後について走りながら叫んだ。
「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。
もう、あの男をお助けになることは出来ません」
「いや、まだ陽は沈まぬ」
「ちょうど今、あの男が死刑になるところです。ああ、あやつは遅かった。
おくやみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ」レキ食其は胸の張り裂ける思いで、
赤く大きい軍旗ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「やめて下さい。陣中を馬で走るのは、やめて下さい。いまは
ご自分のお命の一大事です。あの男は、ハンカイの仲裁を信じて居りました。
刑場に引き出されて、もう正気を失っていました。元帥が、さんざん
あの男をしかりつけても、あしたは来ます、とばかり訴え、強い悔悟を
感じつづけている様子でございました」
「それだから、走るのだ。命じられているから走るのだ。
間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。殷蓋の命も問題ではないのだ。
私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいお方の為に走っているのだ。
ついて来い!曹参殿」
「ああ、やはりあなたは気が狂っていたか。それでは、従者と走るがいい。
ひょっとしたら、罪に問われぬものでもない。走るがいい」
もう、どうでもいいという、武将に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣食った。
私は、これほど努力したのだ。
蜀を滅ぼす心は、微塵もなかった。
神も照覧、私は精一杯に戦ってきたのだ。
賊が撤退を相談するようになるまで戦ってきたのだ。
私は不忠の徒ではない。
ああ、出来ることなら私の胸を断ち割って、一升枡ほどの胆をお目にかけたい。
鶏卵大とも言われているこの胆を見せてやりたい。
けれども私は、この大事なときに、企てが露見し精も根も尽きたのだ。
私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと殺される。私の一家も殺される。
私は鐘会を欺いた。中途で倒れるのは、初めから何もしないのと同じだ。
ああ、もう、どうでもいい。
これが、私の定まった運命なのかもしれない。
夜、食卓であつものを一さじ、すっと吸って魏王様が、
「けいろく」
と幽かな叫び声をおあげになった。
「撤退命令?」
あつものに何か、捨てがたいものでも入っていたのかしら、と思った。
「ああ、小覇王は悧巧だ。自惚れているが(そこがまた)よい。
我々は、ちゃんと死ぬる覚悟で居る。暇乞いなど決してしない。ただ、――」
と言いかけて、太史慈は足もとに視線を落し瞬時ためらい、
「ただ、我々に目をかけたいつもりなら、採用までに三日間の猶予を与えてください。
たった一人で行動する主君に、旗本を持たせてやりたいのです。三日のうちに、
我々は村で結団式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます」
「ばかな」と程普は、嗄れた声で低く笑った。
「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」
「そうです。帰って来るのです」虞翻は必死で言い張った。
♪サッチャンハネ、コウツウジコデ、ハネラレタ、ダカラ、カオガトレテ、
ドッカトオクヘ、トンデチャッタ♪悲しいね、さっちゃん♪
さっちゃんは即死で死んじゃったの。このレスを見た人は…
さっちゃんが0時に行ってあなたの首をかまで切り取っちゃうよ♪
いやなら、さっちゃんが行くまでに、9回違うスレにレスを送ってね♪
あ、さちゃんの顔は、こんな顔だから、
探してくれるのもイイよ♪オネガイネ…。
http://www.operaou.com/image/cmail/rei0204.gif BCC BCC BCC BCC BCC
これマジだよ!!信じなかった私の友達は首を狩られて死んじゃったし
われ、山にむかいて、功を挙ぐ。
――演義、第九十五。
師匠より兄が大事、と思いたい。
師匠のために、などと古風な儒学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、
何、弟よりも、その兄のほうが偉いのだ。
少くとも、私の周囲においては、そうである。
まさか、師匠が故人になってから、後事を託せられ、
丞相になろうなどという図々しい虫のよい下心は、
まったく持ち合わせてはいないけれども、この師は、その朝廷において、
常に皇子たちのご機嫌ばかり伺っている。皇子、といっても、
私のところの皇子たちは、皆まだひどく幼い。
長男は十七歳、次男は十四歳、三男は十一歳である。
それでも、既にそれぞれ、父親を圧倒し掛けている。
186 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/27 22:05
age
ここらで余は、余の態度をはっきりきめてしまう必要がある。
余の国がそろそろ崩れかけて来たのを感じるからである。
余は帝業の完璧からだんだん離れていっているように見せつけながら、
いつまたそれに返っていっても支障のないように用心に用心を重ねながら
酒色に耽って来たのである。駆けだしの将軍をそのまま
消さずに置いたところからみても、すぐにそれと察しがつくはずである。
しかもその将軍を、ゆるがぬ理想を持つなどという金科玉条の鎖でもって
兵卒の胸にむすびつけて置いたことは、これこそなかなかの手管でもあろう。
もはや余を推戴する必要はあるまい。
余は帰りたくないのである。
書こうか。余の赤児のときの思い出などでもよいのなら、一ネタにつき五六日ほど
掛かったとしてもよいのなら、
>>186だけでも丁寧に丁寧に読んでくれるというのなら。
よし。いつ成るとも判らぬこの司馬氏の覇業の門出を祝い、郤正と三人で
つつましく乾杯しよう。落涙や望郷はそれからである。
余は生れてはじめて地べたに寝そべったときのことを思い出す。
雨あがりの夜空。雨あがりの黒土。梅の木。あれは、きっと古井戸である。
母のやわらかい両手が余のからだをそこまで連れだし、そうして、
そっと余を地べたに寝かせた。余は全く無心で、二声、か三声、うめいた。
だしぬけに余の視覚が、地べたの無限の彼方からの敵襲を感じとり、
余に両手の温もりを残したまま、母は古井戸の無限の深みへと飛び込み、
さっと全身が凍りついて、ぐずついた。
余は火がついたように泣き喚いた。名状できぬ孤独感。
これはすべて嘘である。余はただ、雨後の激流にかかっていたひとすじのおおきな
橋を覚えているだけである。
ひとの幼名というものは、
それがふさわしい名前であるなら、
くわしく聞かずとも、ひとりでに判って来るものだ。
余は、余の父親から聞いた。
ぼんやり昔話に耳を傾けていると、
その追想の言葉が余の好奇心をくすぐる。
たとえば、アマン。
わるい名前は、なんの反応もない。
いくど聞いても、どうしても呑みこめなかった名前もある。
たとえば、アト。
(長い割につまらなくてごめんなさい。続きはありません)
憤怒age
むかし幽州の地、楼桑村に劉備玄徳という草履屋がいた。
四十七歳で、はじめて一子を得た。男の子であった。阿斗と名づけた。
生れるとすぐ大きい打撲を負った。
玄徳はそのしつけの厳しすぎたのを気に病み、
意見を述べにやって来る家臣の者たちへ肩身のせまい思いをした。
玄徳の懸念はそろそろと的中しはじめた。
阿斗は甘夫人の乳房にもみずからすすんでしゃぶりつくようなことはなく、
趙雲のふところの中にいて口をたいぎそうにあけたまま
諸葛亮の宮廷への出仕を何日でも待っていた。
張飛の虎髭をあてがわれてもそれをいじくりまわすことはなく、
ゆらゆら動く魏延の後頭部を退屈そうに眺めているだけであった。
朝、腹をすかせてからもあわてて寝床から泣き出すようなことはなく、
二時間ほどは眼をつぶって泣いたふりをしているのである。
かるがるしき物事の決断をきらう劉氏特有の精神を持っていたのであった。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/17 16:38
age
焼け死ぬる思い。苦しくとも、苦しと一言、半句、叫び得ぬ、人跡、未踏、
中華の世はじまって以来、前例も無き、底知れぬ火焔地獄の采配を、涙でごまかしなさんな。
王化? ウソだ。正義? ウソだ。徳治? ウソだ。友好? ウソだ。
拘束? 釈放? 饅頭? みなウソだ。
桃江の藤は、強度千倍、烏戈の藤は、数百倍に鍛えられ、
その身の丈の如きも、長者で最長九尺、幼者で五尺余と聞いて、ただその風土にのみ、心がおどる。
オレモ人ノ子。生キテイル。
論語は、所詮、儒者への愛である。乱世に生きている人間への愛では無い。
賄賂と権力。清流の士は、だまりこみ、そそくさと身を潜む。
史記、荘子、孟子、老子、韓非子、商子、管子、荀子、そんな学問なんかより、
ひとりの楽女の微笑が尊いという司徒王允の勇敢なる実証。
中郎将とは、徐栄の官名である。人間さえ人間でなくなろうとした時代である。
(以下、岩波版と新潮版とが混在しています)
孫権、沈鬱な面持ちで登場。
権「降伏か、決戦か、それが問題だ。
どちらが立派な生き方か、
気まぐれな後世の批評家が放つ指弾にじっと耐え忍ぶのと、
怒涛のように押し寄せる大軍に立ち向かい、勇敢に戦って部下と共に果てるのと。
死ぬとは――歴史から消えること、
それだけだ。
そう、消えれば終わる。江東の歩みも、この肉体が受けねばならぬ定めだった無数の傷も。
死んで消える、ただそれだけのことなら、これほど幸せな人生もありはしない!
消えても、たぶん評が下される。そう、それが厄介なのだ。
己の血脈をこの大地につなぐ役目を解いて死の眠りについたとしても、それからどんな評価が立ち起こるか、
それを思うと後継者の指名ひとつためらわずにはいられない――
こんな悲惨な世の中にかくも長く英雄豪傑が耐えているのも、この煩悶があればこそなのだ。さもなければ、
一体、誰が世を騒がす賊に、権力者の不正に、驕れる官軍の蔑みに、
叶わぬ恋の苦しみに、お上の沙汰の意味もない遅延に、巡察官どもの職権濫用に、
大志を抱く人間が優柔不断の連中に養われる忍びがたき雌伏に、耐える者がいようか?
荒縄のひと断ちで、暗君と決別して忠臣になれるというのに、
一体、誰が国家の重責を担って、辛い外征で汗水たらし、血を吐きながら、泣きながら斬る者がいようか?
ただ死後に一抹の不安が残ればこそ。
旅立ちしものの、一日として戻ってきたためしのない未知の洛陽、
帰心の鈍るのも当然、見たこともない大軍に要らぬ苦労をするよりは、
慣れたこの世の快楽に、うずもれていたほうがまだましという気にもなろう。
こうした妥協というやつが、いつの世も人を悪評にしてしまう。
決起当時の生き生きした血の色が、簒奪の青白い野望で硬く塗りつぶされてしまうのだ。
乾坤一擲の大遠征も、江の流れに乗りそこない、統一のきっかけを失うのが落ちか――
尚香「兄上、その後、母上のご容態はいかがでいらっしゃいますか?」
権「これは遠方よりのお訪ね、痛み入る。達者だ、達者だ、お達者だ。」
尚香「どさくさにいただいた三郡、とうからお返し申し上げようと思っておりました、
いま、ここで、どうぞお受けとりくださいませ。」
権「いや、受け取れぬ。はじめから与えた憶えはない。」
尚香「いいえ、お貸しくださいました。そのことはよく御存じのはず。
おやさしい心を持ったお味方の念書もいただけて、
それでいっそう心強いものに思えておりましたのに。
その方も亡くなられてしまったからには、お返しするほかありませぬ。
恥を知る者には、くださった方と険悪におなりになれば、
どんなに貴い贈物も空しいものになってしまいますもの。
さ、兄上、どうぞこれを。(懐中から劉備の親書を取り出し、カドが落とされた机に置く)」
権「(敵方の軍師の妻をおもいだし)ははあ! では、わが妹よ、お前は、頭のたりぬ女か?」
尚香「えっ?」
権「それとも器量自慢か?」
尚香「なぜ、そのような?」
権「いや、教養があって、しかも器量よしとあれば、その二つはたがいに相容れぬものだと思ってな。」
尚香「わかりませぬ。美しい女には誠実こそ何より似つかわしくは?」
権「いや、とんでもない。なまじの美しさで、天下の豪傑を苦もなく不忠者に貶める。
美人を自分の後宮に入れて寵愛するとなると、容易なわざではないぞ。
こんなことを言えば、昔なら常識はずれの奇矯な言だったろうが、
今では世の中がれっきとした証拠をいくつも見せている。俺もかつてはお前を愛していた。」
尚香「まことに、わたくしもそう信じておりました。」
権「俺のことなど慕ってはいけなかったのだ。古い狸親父に美人を娶わせようとしても、うまく行くわけはない。
五十路の天命を悟らせる気づかいもない――俺はお前を愛してなどいなかったのだ。」
尚香「それなら、わたくしはたいへんな思い違いをしておりました。」
権「甘(露)寺へゆけ。遊び人を生み増やす必要がどこにある?
俺自身はどうやらまともな人間のつもりでいるが、それでも
いっそ兄が死んでくれなければよかったと思うことが山ほどあって、慚愧の念に堪えない。
俺はひどく碧眼で、酒癖わるく、読書家だ。そればかりじゃない。気分のおもむくまま
とっさに誰に死罪を言い渡すか知れたものじゃない。どうして殺すのか思いめぐらす暇も、
どんなところに流すのか想像力を働かせるひまも、いつ執行するか、その見さかいもなしに。
こんな男が皇帝の座にしがみついていれば、耄碌どころの騒ぎではない。
われわれはみんな黄巾党だ、男など誰も信じちゃいけない――甘寺にゆくがいい……
(唐突に)母上はどこにいた?」
尚香「お屋敷に。」
権「しっかり戸締りして宮殿に来させるんじゃない。余計なお小言は家の中だけで沢山だ。
じゃ、これで失敬する。(立ち去る)」
尚香「(宗廟の方に跪き)ああ、父上、兄上、あの方をお救いくださいまし!」
権「(狂乱の態で戻ってきて)おい、もし復縁するなら、持参金がわり、この呪いの言葉をくれてやろう――
いくらお前が尾生のように貞潔で屈原のように清純であろうと、非業の水死はまぬがれないとな。
甘寺にゆけ、さあ、ゆけ、じゃ失敬する……(なおも往きつ戻りつしながら)どうしても再婚したいなら、
阿斗以外にするがいい。すこし利口なやつなら、蜀の後主なるものにはなりたがるまい。
それは頭に角をはやした化物にさせられることだからな。ゆけ、甘寺に、今すぐにだ、じゃ失敬する。(走り去る)」
尚香「天よ、あの方を正気にお戻しくださいまし!」
権「(再び戻ってくる)お前たち女が粉黛を塗りたくるというのは聞き知っている。
せっかく天から授かった世継ぎがあるのに、わざわざ別の公子をかつぎあげる。
嫉妬に狂う。私利に走る。嘘っぱちの口をきく。国に尽くしたものに驢馬と綽名をつける。
あげくのはては、国にとんでもない混乱を巻き起こしておいて『(太子に)就けなかったの?』などとぬけぬけと。
畜生、もうやめろ、おかげで俺は気が変になるんだ。もう外戚などいらぬ――
すでに生まれている奴はしかたない。ま、生きていてもよかろう、二人を除いて(峻・糸林)はな。
が、ほかのものは、いまのまま生涯ひとりでいるのだぞ。さ、行ってしまえ、甘寺へ。(退場)」
尚香「ああ、あれほど得難い思い出が、このように無に帰してしまうとは!
皇帝にふさわしい秀でた顎鬚、臣下にもおよぶ深い御教養、刀匠も恐れをなす誤った剣の使い道、
呉の国の運命を担い、一国の大器とあがめられ、長江の艦隊、外交の手腕、
あらゆる才で讃美の的だったお兄様が、あんなにもみじめなお姿に。そして、私は、
この尚香は、兄妹のなかでもいちばん辛い、憐れな境涯、
なまじあの快い皇叔との蜜の月日に酔うただけに。
気高く澄んだ理想のお話は、耳をくすぐる琴瑟の調べ、それも狂うて、いずれ、この耳に、ひびわれた鬨の声を聞かねばならぬ!
ひときわ優れた目鼻立ちのお姿が、戦乱の毒気にふれて、見る見るやつれてゆくのを、ただじっと眺めているだけ!
ああ、こんな悲しいことが!
昔のお二人を見た眼で、今のこのなりゆきを見守らねばならぬとは!(祈る)」
うんこ
201 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 21:08
まんちょー
202 :
無名武将@お腹せっぷく:04/07/22 21:32
関羽はひどく赤面した
親殺しの無節操で子飼いの時から戦ばかりしている。
温侯にある時分、長安の西門から飛び出して一週間ほどで城を落とされた事がある。
なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
別段深い理由でもない。城壁の櫓から顔を覗かせていたら、元同僚の一人が大音声に、
いくら威張っても、そこから撃って出る事は出来まい。弱虫やーい。
と挑発したからである。
赤兎馬にまたがって落ちのびて来た時、陳宮が大きな声を出して
李カクごときに撃って出て城を抜かす奴があるかと云ったから、
この次はすかさず乗っ取って見せますと答えた。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/03 22:55
ネイシン? しかし、媚でも売らなきゃ贅沢しておれないんだよ。
きれい事を言って、僕を誹謗する能臣よりは、
死刑! と言ってのける奸雄のほうがありがたい。すっぱり斬れ。
けれども今は、めったに、死刑! とは言われないものだ。
サケくさく、未練がましい為政者どもよ。
仁義? 所謂尊王攘夷の本質は、そんなところにありはせぬ。
王道? 冗談じゃない。史書は語っているよ。
自分たちへの禅譲のために、相手を滅ぼす事を。殺す事を。
帝ね! という僭称でなかったら、何だ。笑わしちゃいけねえ。
しかし、僕たちの陣営にも、ろくな奴がいない。
白羽扇、背後霊、主戦論者、老犬、うそ泣き、ゴマスリ、山の上から強弁。
粛清! という讒言の必要性さえ、めったにない。
北伐。姜維の北伐は、ヤケクソだ。
ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。
いっそ、ひとりで死んでほしいわい。
裴元紹は激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の羅貫中を除かなければならぬと決意した。
裴元紹は正史には登場せぬ。裴元紹は、周倉と同じく架空の元黄巾賊である。
都合上意味もなく、趙雲に斬られて來た。けれども羅貫中の不公平さに対しては、人一倍に敏感であった。
ああ、あ、黄巾賊から足を洗い、周倉と共に山賊たちを束ね、
ここまで生き抜いて来た裴元紹よ。真の勇者、裴元紹よ。
今、ここで、趙雲に斬られて死んでしまうとは情無い。愛する友は、
おまえが死んでも気にすることなく、やがて英雄として祭られることになる。
おまえは、稀代(きたい)のかませ犬、まさしく羅貫中の思う壺(つぼ)だぞ、
と自分を叱ってみるのだが、全身萎(な)えて、
もはや芋虫(いもむし)ほどにも前進かなわぬ。
孫権「ねえ、ろばーさん、劉備のお耳はどうしてあんなに大きいの?」
諸葛瑾「それはね、次の宿主の情報をいち早く集めるためだよ」
孫権「ねえ、ろばーさん、呂蒙のおめめはどうしてあんなに大きいの?」
諸葛瑾「それはね、三日後に会う男をじっくり観察するためだよ」
孫権「ねえ、ろばーさん、ろばーさんのお顔はどうしてそんなに長いの?」
諸葛瑾「それはね、お前が言ってるだけだろ!」
そう言うが早いか、この邪な諸葛瑾は赤ずきんちゃん(の次男)に飛びかかり、すっかり食べてしまいました。
私は、その男の草廬を三度、訪れたことがある。
一度目は、その男の、小間使い、とでも言うべきであろうか、
十歳前後かと推定される年の頃の童子にあって、
その子供が大量の私の肩書きにさいなまれ、
(それは、その当時の官位、封地、それから、皇室の血縁だったかと記憶している)
庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、
暫く困っている様子である。
暫く? けれども、無骨な武人たち(つまり、兄嫁などに関心を持たぬ武人たち)は、
可笑しくも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空お世辞にも聞こえないくらいの、
いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の困惑顔に無いわけではないのだが、
しかし、いささかでも、放浪についての辛酸を舐めて来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、記憶力に乏しい子供だ」
とすこぶる不快そうに呟き、馬鹿息子でも払いのけるような手つきで、
その童子をほうり投げるかも知れない。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 14:35
「ばかな。」と孫策は、しわがれた声で低く笑った。「とんでもない嘘をいうわい。逃がした小鳥が帰ってくるというのか。」
「そうです。帰ってくるのです。」太史慈は必死でいいはった。「私は約束を守ります。私を3日間だけ許してください。部下が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この揚州に劉ヨウという刺史がいます。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/06 14:38
私の無二の主君だ。あれを人質としてここにおいて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、あの主君を絞め殺してください。たのむ。そうしてください。」
それを聞いて孫策は、残虐な気持ちで、そっとほくそえんだ。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/16 05:42
age
214 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/29 15:27
age
215 :
無名武将@お腹せっぷく:04/08/30 19:53
結局一番おもしろいのは7だな
かれは年をとっていた。
ふるさと陳留に義兵を挙げ、ひとりで不覚をとって日をおくっていたが、
一城も獲れない戦が八十四戦もつづいた。
はじめの四十戦はひとりの参謀がついていた。
しかし一城も獲れない戦が四十戦もつづくと、
許、王階の両人は、もう主人がすっかりチャオバオになってしまったのだといった。
チャオバオ(曹豹)とは四川語で最弱の部隊を意味することばだ。
参謀は両人の忠告にしたがい、べつの将と手を組んで戦に出かけ、
最初の数年間で、肥沃な土地を二州も手にいれた。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/05 14:19
age
――玉のような子が生れました。男の子でした。蜀中が喜びに沸きかえりました。
けれども産後の黄夫人は、日一日と衰弱しました。
宮中の典医が寄り集まり、さまざまに手をつくしてみましたが愈々はかなく、命のほども危く見えました。
「だから、だから、」 黄夫人は、寝床の中で静かに涙を流しながら父親に言いました。
「だから、あたしは、子供を産むのは、いやですと申し上げたじゃありませんか。
あたしは妖術使いの妻ですから、自国の運命もぼんやり予感する事が出来るのです。
あたしが子供を産んでも、きっと後で、わるい事が起るような気がしてならなかった。あたしの予感は、いつでも必ず当ります。
あたしが、いま死んで、それだけで、わざわいが済むといいのですけれど、
それどころか、子供だけでは済まないような恐ろしい予感もするのです。」
「そんな事は無い。そんな事は無い。」 と黄承彦は病床の枕もとを、うろうろ歩き廻って、矢鱈に反対しましたが、
内心は、途方にくれていたのです。初孫誕生の喜びも束の間、いまは、娘の原因不明の衰弱に、魂も動転し、夜も眠れず、
ただ、うろうろ病床のまわりを、まごついているのです。
「死ぬなんてばかな事を言ってはいけない。」 と大いに不満そうに口を尖らせて言いました。
「夫も君を、どんなに愛しているのか、わからないのか。」 とも言いました。
「生きていてくれ!」 と呻きました。「死んでは、いかん!」 と叫びました。
他に何も、言うべき言葉が無いのです。
「ただ、生きて、生きてだけ、いてくれ。」 と声を落して呟いた時、その時、
「ほんとうかね。生きてさえ居れば、いいのじゃな?」
という嗄れた声を、耳元に囁かれ、愕然として振り向くと、ああ、黄承彦の白髪は逆立ちました。
娘婿が、北伐帰りの諸葛亮が、すぐ背後に、ひっそり立っていたのです。
「何しに来た!」 黄承彦は、勇気の故ではなく、あまりの恐怖の故に、思わず大声で叫びました。
「妻を助けに来たのじゃないか。」 諸葛亮は、平気な口調で答え、それから、にやりと笑いました。
「知っていたのだよ。亮さんには、此の世で、わからない事は無いのだよ。みんな知っていましたよ。
お義父さまが、呉軍の都督を迷路の出口に連れ出して、得意がっていなさる事は、とうから知っていましたよ。
呉で、一気に、なり上がりものになられる気だったら、わしだって黙ってはいなかったのだが、
そうでもないらしいので、わしも今まで不問に付してやっていたのだよ。
わしだって、両国が仕合せに暮したほうが、遥かに望ましいさ。
けれども、妻はもう、だめなようだね。お義父さまは知るまいが諸葛の家と結ばれた人間は、
お互い愛しあって子供を授かると、死ぬか、でもなければ、
世の中で一ばん醜い顔になってしまうか、どちらかに、決まっているのだよ。
妻は、その事を、はっきりは知っていなかったようだが、でも、何かしら勘でわかっていた様子だね。
子供を産むのを、長年ためらっていたからね。可哀そうな事をしてしまったわい。
お義父さまは、一体、娘を、どうなさるつもりだね。見殺しにするか、それとも、
龐統のような醜い顔になっても、生かして置きたいか。
お義父さまは、さっき、どんな事があっても、生きてだけいておくれ、と念じていなさったが、どうかね。
龐統のような顔になっても、生きていたほうがよいのかね。
龐統だって、若い頃には、周瑜にも決して負けない眉目秀麗な男だったが、
従兄弟の龐山民がわしの小姉を可愛がって子供を授かって、わしの兄から死ぬか、生きていたいかと訊ねられ、
龐山民は何としても生きたかったから、、生かしておくれとたのんだら、兄は、祈祷をして、龐山民の命を助けてやったが、
なぜだか、龐統があのとおりの美事な顔になりましたよ。どうだね、さっきのお義父さまの念願には、嘘が無いかね?」
「死なせて下さい。」
220 :
無名武将@お腹せっぷく:04/09/20 17:39:03
age
迷いの多い生涯を送って来ました。
自分には、名門の風格というものが、見当つかないのです。
自分は河北の辺境に拠りましたので、霹靂車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。
自分は高櫓の階段を、上って、降りて、そうしてそれが敵陣をのぞき込むために造られたものだという事には全然気づかず、
ただそれは主戦場の全容を異国の遊戯場みたいに、快適に楽しく、パノラマにするためにのみ、築造せられてあるものだとばかり思っていました。
しかも、かなり永い間そう思っていたのです。
高櫓の上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん息抜きのできる遊戯で、
それは家臣の献策の中でも、最も気のきいた献策の一つだと思っていたのですが、
のちにそれはただ弓兵が敵陣を射下ろすための頗る実用的な櫓に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
また、自分は同じ頃、自軍で地下掘子軍というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、
地上の軍と戦うよりは、地下の軍と戦ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
三男は子供の頃は病弱で、よく寝込みましたが、看病しながら、呂布、弟の世話、田豊の進言を、つくづく、つまらない問題だと思い、
それらが案外に実用的だった事を、五十歳ちかくになってわかって、乱世のきびしさに暗然とし、空しい思いをしました。
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、
そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「兵糧欠乏」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。
へんな言い方ですが、烏巣が燃えていても、自分でそれに気がつかないのです。
自分の周囲には、伏兵のかたまりが十隊あって、その中の一隊でも、味方が出会ったら、その一隊だけでも充分に
親子の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。
つまり自分には、英雄の嗜みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。
自分の理想の観念と、世のすべての人たちの理想の観念とが、まるで食いちがっているような予感、
自分は、いったい幸福なのでしょうか。
自分は小さい時から、実にしばしば、仕合せ者だと人に羨まれて来ましたが、自分ではいつも零落の思いで、
かえって、自分を仕合せ者だと言ったひとたちのほうが、比較にも何にもならぬくらいずっとずっと磐石なように自分には見えるのです。
ホシュ
224 :
無名武将@お腹せっぷく:04/10/02 20:41:02
age
戦局がそろそろ膠着状態になって来た頃、甲冑みたいなものをまとった男が、謹慎中の自宅へやって来て、
私たちに路用の金と、それから作戦の要項を書いた紙を渡した。
命令の文を見ると、私たちはその翌日から二人きりで長江の下流の敵陣へ潜まなければならなくなっていたので、
思わず私の眼から涙があふれた。
「放逐には、してもらえないのでしょうか」
涙がとまらず、すすり泣きになってしまった。
「丞相から、じきじきに命令が下ったのだから、必ず、偽降でなければいけない」
とその男は、強く答えた。
私たちは行く決心をした。
その翌日は雨で、私たちは司令部の西山の麓に整列させられ、まず都督の訓示があった。
「合戦には、必ず勝つ」
と冒頭して、
「合戦には、必ず勝つが、しかし、諸君らが呉君の決定通りに結束しなければ、作戦に支障をきたし、荊州のような結果になる。
必ず、決められたことの方針には、従ってほしい。
それから、この陣にも、間諜が紛れているかもしれないから、お互いに注意すること。
文官もこれからは、武官と同じに、軍部の中へ入って職務をするのであるから、陣内の様子は、絶対に、他言しないように、充分に注意してほしい」
と言った。
山には雨が煙り、文武とりまぜて五十ちかい群臣が、雨に濡れながら立ってその話を拝聴しているのだ。
群臣の中には、司馬徽門下の臥龍鳳雛もまじっていて、みんな悲愴な泣きべその顔をしていた。
二度、三度、軍議へ行くうちに、幕賓待遇の諸葛亮たちが私の姿を、いやにじろじろ見るようになった。
ある日、私が同士集めをしていると、文武官が二三人、私とすれちがって、それから、そのうちの一人が、
「あいつが、埋伏か」
と小声で言ったのを聞き、私はびっくりしてしまった。
「なぜ、あんな事を言うのかしら」
と私は、私と組んで同士を集めてまわっている甘興覇さんにたずねた。
「単身赴任だから」
甘興覇さんは、まじめに答えた。
「あなたも、あたしは失敗だと思っていらっしゃる?」
「いいえ」
こんどは少し笑って答えた。
「それがし、荊州人ですわ」
と言って、その自分の弁明が、われながら馬鹿らしいセンテンスのように思われて、ひとりでくすくす笑った。
ある東南風の強い晩に、私が朝から仲間の人たちと一緒に首尾はこびをしていると、総司令官の若い周郎が顔をゆがめて、私を指差し、
「おい、君。君は、こっちへ来給え」
と言って、さっさと松林のほうへ歩いて行き、露見の不安と恐怖で胸をどきどきさせながら、その後に連れて行かれると、
林の奥に盛大な装飾の出来たばかりの祭壇が築いてあって、周郎はその前まで行って立ちどまり、くるりと私のほうに向き直って、
「毎日、つらかったでしょう。きょうから一つ、この大国の見届人をしていて下さい」
と白い歯を出して笑った。
「ここで、祈っているのですか?」
「ここは涼しくて静かだから、この祭壇の上で(永遠の)お昼寝でもしていて下さい。もし、退屈だったら、これは、お読みかもしれないけど」
と言って、着物の袂から一つの文書の束を取り出し、てれたように、地面の上にほうり、
「こんなものでも、読んでいて下さい」
文書の表には、「fromサイカ」 と記されていた。私はその文書束を取り上げ、
「おそれいりましてございます。味方うちにも、丞相のすきなのがいまして、いま、烏林に向かっていますけど」
と申し上げたら、開き直りしたらしく、
「ああ、それ。苦肉の作戦なのですよ。今頃じゃあ、たいへんだ」
と首を斬ってしんみり言い、
「とにかく、きょうからここで見届人という事にして、あなたの曹丞相も、あとで自分が並べに来てあげますから、楽しみに、待っていらっしゃい」
と吐き捨て、急ぎ足で戻って行かれた。