本人が無能なだけならまだ仕方ないが
無能な部下を抱えて庇い立てするなよな
わしは近代戦よーわからんから仕方ない。
チッ、使えねーやつだな。
そこまで自覚できてるなら最初に辞退しろよ。
お前なんかが他の有能な大将の方々と肩を並べていいと
本当に思ってたのかよ。
身の程を知れよ。身の程ってもんをよ。
乃木を崇拝する人っていうのは、乃木のどういうところにカリスマ性を見るの?
殉死とか?
おれにはただの無能にしか思えないんだが。
やはり詩才であろうな。たまに自分の才能が怖くなることがある。
「ホトトギス」同人でもやってればよかったんだ。
外国人でも惹かれるような所があったっていうしなぁ・・・
どっかやっぱり魅力があったんだろうな。
防人の詩が流れているときに、負傷した日本兵が、戦場を彷徨しているシーンが
涙を誘うな
乃木って実際会った人はほとんど悪く言ってないな。
あまりの抜け作ぶりに殴り倒したくなっただかはり倒したくなっただかという手記があったと思うが
あーあ、とうとう乃木、幼女殺人しちゃったよ。
要塞の攻略ってのは作業だから。
駆け引きがないとは言わないけど、
十分な資材を注ぎ込み、地道に攻略を進めていって、時期が来れば落ちる。
結局旅順を落としたのは乃木であって、児玉はちょうどその時期に来ただけ。
旅順は普通に陥ちたと言うだけの話だ。
うわっ、きついね。
きつすぎる。最悪だね。
嘘つきもほどほどにしろ。
そもそも乃木は旅順を落とす上で「有効な作業」を何一つしていない。
だから乃木の指揮下では30年経っても絶対落ちることはありえない。
児玉の方針転換によって初めてその「有効な作業」がなされた。
そして攻略ができた。
これは事実。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 13:06
>>129 どう方針転換したのか教えて欲しいですな。
主攻正面を203高地に変更したとか訳分からんことは言わんで下さいねw
203高地攻撃を決定したのは乃木で、消耗戦の結果、露軍の予備兵力が尽きて
奪取に成功したことは知っているはずですよね。
それから有効な作業がどのくらい時間がかかるかご存知で?
203高地を奪取した第三回総攻撃は地道に坑道掘って永久堡塁の外堀壁と砲座を
破壊できたから実行されたんですよ。児玉が来る前にすでに作業はなされていたんです。
それに児玉は終始乃木の望台攻略方針を支持している。彼が非難したのは乃木に
圧力をかけて第2回と第3回の総攻撃をやらせたり、意味の無い攪乱射撃をさせ、
無駄に弾薬を消費させた参謀本部ですよ。
春とはいえちょっと酷すぎますね、あなたの知識は。
映画「203高地」はなかなかだと思うが。それを史実とごっちゃにされてもねぇ・・・
まぁこのスレ自体板違いな流れになってるがw
あ、そうそう、「時期が来れば落ちる」のは孤立した要塞の場合ね。
味方戦線とつながってたり、たとえ包囲されていても
味方戦線がすぐ近くまで来ている場合、補充・増援を絶たない限り
下手すりゃ永久に落ちない。
>>130 児玉のやった方針転換と言えば、二〇三高地方面への砲兵の移動が
当初12センチ榴弾砲と9センチ臼砲だけの計画だったところに、
28センチ砲も付け加えるようにしたこととか。
まあ児玉が来て初めて旅順攻略が進展したなんてのはお話の上だけですよね。
まぁ、オマイラが実際に篭城側と城攻側にわかれてやってみないことにはわからんよ。
とりあえず
『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦』別宮暖朗
を薦めておこうかな。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 18:22
203高地に永久堡塁の外堀壁と砲座なんてものはない。
破壊なんてできっこないんだが?
ほんと春とはい基地害が多くなってこまりますな。
いい感じでこのスレも荒れてきました。
203高地になくたって、203高地守備隊を支援する近くの砲座が破壊されれば
攻略しやすくなるんじゃないの?
脊髄反射レスやめや。
>>130 >消耗戦の結果、露軍の予備兵力が尽きて
まちがい。地区司令官が何条もの予備兵力を投入してきたが、最後の状況を
読み違えたのが原因。
>有効な作業がどのくらい時間がかかる
「二十八サンチ榴弾砲の大連湾到着後 運搬及び据付などに少なくとも3週間を予定せざるべからず
然るときは之を使用得べきは早くも10月上旬なり 軍は縦令、正攻法を併用して爾後の攻撃を継続
せんとするもかく長時日を期待するの意無し・・・」
つまり8月末の時点で10月には陥落するであろうと言っているが、11月末になっても落ちてないよな。
そりゃ一番強固な箇所(東京にいるときに決めた方針)をそのままひきづっているんだからどうしようもない。
それに比べ、ロシア側は開戦と同時に松樹山や二龍山の堡塁工事を完成状態にもっていったり
柔軟に対応している。
攻撃側にある程度、選択肢があるといってもバカの一つ覚えのように行動をした第3軍はちとね。
>終始乃木の望台攻略方針を支持している
満州軍としては目の前のロシア軍での戦いで手一杯で第3軍に任せてる
旅順攻略まで口を出す必要はあの時点ではありえんだろ。
>意味の無い攪乱射撃
えっと意味の無い射撃は第3軍が行っているのですが?
乃木が無能か有能かはわからないけど、毎月決まった日に攻撃を仕掛けていたってのは本当のことなの?
141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 18:42
突撃喇叭の話なら聞いたことがあるが。
毎回、鳴らしてから突撃してくるので、そのたび撃退されたとか。
で、多分、同じ日に攻撃ってのもあった気がする。
ロシア側も、それを見越して迎撃してたらしい。
ただ、日本軍に限らずだと思うが、何か縁起のいい日(天長節とか)に
攻撃しるだの、その日までに陥落しるだの言うのは普通にあったらしいので、
一概に判断はつきかねるが。マーケット・ガーデンでも、クリスマスまでに奪取せよ、ってな命令が出てたくらいだし。
ただ、太平洋戦争になっても、突撃喇叭はあったという話も聞いたような
>>141 親切に教えていただいて、ありがとう御座います。
つまり、乃木個人の問題と言うよりも日本軍の体質故の問題だったのですね。
>>142 いや、漏れもうろ覚えしかも不確かな知識なんで、
詳しい人待ちか聞くかしたほうが(・∀・)イイ!!
>>139 上級司令部が下級司令部に一切合財任せっきりなわけないだろ。
封建時代じゃあるまいし。
>>141 相手の記念日に攻撃をしかけて面子を潰すと言う方法もある。
陸軍記念日の東京大空襲とかな。
>>140 それに関するオカルト的な解説が「ムー」に載ったことがある。
旅順攻撃の目的が、「艦隊の殲滅、旅順の攻略」でなく、
京都とペテルスブルクを結ぶ線上にある旅順で「特定の日に自軍の兵士を生贄ささげる呪術を行ないロシアを崩壊させる」ことそうだ。
203高地の攻略を最初からしなかったことと、12月に攻略(季節が変わるから)にこだわったのにも意味があるそうだ。
で乃木が三軍の司令に選ばれたのも、有能で人徳があり(出なければ兵士がついていかない)、天皇に忠誠が厚く実直(でなければ勝手に作戦を変えてしまう)、豪胆(発狂してしまう)だからだそうだ。
>>136 永久保塁云々は望台のことね。申し訳ない。言葉が足りなかった。
>>139 129から読んでもらいたいのですが。
>予備兵力
読み違いにしろ何にしろ、要するに前線に展開する露予備兵力が尽きたことで
奪取に成功したってことでしょ?
>馬鹿の一つ覚え
情報収集に問題があるんですよね。乃木に関わらずの話なんですが。
>児玉
129との文脈で読んでいただきたいのですが。
>攪乱射撃
したのは第三軍ですが、させたのは参謀本部と海軍です。
>>140>毎月決まった日に攻撃を仕掛けていたってのは本当のことなの?
各月に第三軍が行った歩兵突撃前の準備射撃開始時日は以下のとおり。
七月(遼東半島西進)は二十六日に砲撃開始。
八月(第一回総攻撃)は十九日に砲撃開始。
九月(前進陣地攻撃)は十九日に砲撃開始。
十月(第二回総攻撃)は二十六日に砲撃開始。
ところが、機密日露戦史によれば、
「実に過去を辿れば、
○七月二十六日より前進陣地攻撃前進
○第一回八月の総攻撃も二十六日実行す
○十月二十六日総攻撃開始」
と、ある。八月の攻撃開始時日は全然間違っている(二十六日は既に攻撃が終
わっている)し、九月については無視している。
これで「なぜいつも二十六日なのか」と訊いてきたわけだが、正直、ここを読
んでの感想は「・・・イチャモン?」
抑も要塞側は常に準備しているのだから、攻撃準備の行動を起こせば、どうせ
判ってしまうこと。例えば事前の準備砲撃が為されると「そろそろ突撃がくる
か」と相手側に判ってしまうように。しかし、これは仕方あるまい。掩護の砲
撃無しで突撃するにもいかないのだから。
それでも、第三軍は準備砲撃の期間を短縮したりして、突撃時日が察知された
りしないようにしたりしてはいる。しかし、それはそれで砲撃による破壊が不
十分になったりして、色々と問題があるのだが、これは別の話になりそうだ。
26は、数字のみで2+6=8、日本の幸運数の8が出てくる。
他に西洋風だと
2×10+6=26で、2と1と6の数字が出てくる。
並べ替えると216=6×6×6の獣の数字が出てくる。
オカルトですね!
>>146 いや予備兵力は尽きてません。最後に突入させる時期を見誤ったのが原因。
情報収集に問題があるのは乃木軍の方。当時の日本軍は地図すらまともに
ありませんでしたから、慎重に索敵を行いつつどこの軍も行動をしていました。
大本営もできる限りの情報は軍に与えてましたが、軍には印刷機すらまともに
ありませんでしたから、地図の作成には一苦労でした・・(当時の日本軍に限らないけどね)
しかし乃木司令部は東京で決めた方針をそのまま引きずっています。
更に相手の予備兵力の投入時期と自軍の予備兵力の投入時期を見誤ってる。
これは索敵の不行き届きとしか言いようが無い。
参謀本部にまったく責任が無いとはいえない。しかし第3軍の現場における対応が
極めて官僚的な対応だったのがかなり問題視すべし。
>「最後に突入させる時期を見誤った」
「最後」って何よ。予備が尽きない限り「最後」は訪れないと思うが。
予備が残っているなら今まで通り、改めて兵を繰り出して再奪回すればいいだけのこと。
何度もやってることだ。
203高地を奪われたまま奪回できなかったのが予備
(厳密には203高地にまわすことの可能な予備)が尽きた何よりの証拠だよ。
>>151 12/5 AM9:15より日本軍が攻撃開始して、AM10:30頃には西南部が一時的に日本軍に占領された。
この時点で第7師団は第11師団の観測部隊からロシア軍の増援部隊が二百三高地東南山麓に
集結中との報告を受けてます。
しかし、スミルノフは指摘したが、イルマン、コンドラチェンコも築城土木作業を阻止する時期を見誤り、
日本側作業を進展させてしまった。というのが実情であって予備兵力が枯渇したというわけではない。
で?予備兵力が枯渇したというのに日本側第11師団からの観測部隊はウソの情報なのですか?
不思議ですね。
>>152 私は乃木が無能だとは思ってませんよ。児玉や立見が有能で東条が無能なんてことも思ってません。
失敗や成功なんてものはその人の人生の中で色々あるわけで、なぜ成功や失敗してしまったかとか真実を探りたい
だけですよ。
なんか凄い討論が行われているなあこのスレ・・・
>>153 時期を逃したらもう反撃を繰り出せない程度に枯渇していたってことだ。
>>156 ロシア兵が撤退したのに気づかず、阻止砲火の時期を見誤り、奪回するチャンスを失ったのさ・・。
それで、第11師団からの観測情報を否定する根拠は?
>>157 時期を見誤ったということは何を意味する?
それは、奪回に余分に兵力が居るということだ。
つまり、その余分な兵力を捻出する余裕もないほど逼迫していたと。
これを「枯渇」といわずして何と言う?
…わかった、じゃあ「枯渇寸前」と言い換えよう。それで満足か?
もちょっと本でも読んでから指摘したら?
論点になってるのは「児玉の方針転換によって初めて」攻略が進展したのか、だろ?
かたや「予備が尽きた」と言い、かたや「ロシア軍のミスだ」という。
「別に児玉関係ない」って点では意見は一致してるんじゃん。
お互い矛を収めなよ。
児島の日露戦争では児玉が来順してから、203高地攻略部隊が
各々どうやったら攻撃できるかどうかの思案が進んだという。
そして別の書籍においては、今までの連続的な大部隊による突撃で
はなく、小部隊ずつによる分散攻撃方針に決まった。これは今まで東北部を
含めた攻撃時に置ける露軍の阻止砲火による反撃をできる限り軽減
させるというものであった。
しかしそれまでの乃木軍においては、大兵力を集中して露軍の火力の
前に犠牲を強いてしまっていた。こういった突撃時における改善はあまり
なされたなかったようだ。
児島はいいとして、「別の書籍」とは?
「児島の日露戦争」は明記してるのに、肝心なのが無記名とは不可思議。
「別の書籍」とは何?
164 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 20:54
粘着キター
↑バカキター
166 :
無名武将@お腹せっぷく:
戦国時代はーーーー??