戦国時代と日露戦争

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何でも日露戦争は戦国武将の知恵で戦ったとか
本当でしょうか?
また戦国武将の末裔も活躍したのでしょうか?
100周年記念と云う事で語ってみましょう
2げとー
3無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 00:25
日本海海戦は村上水軍の戦法で勝利した
秋山は伊予水軍の末裔。
>>3
海賊戦法でしたっけ?
豹陣とか
6無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 00:38
>>5
正直くわしくは知らない。たしか敵前で艦隊を反転させたのがその戦法だったと聞いた。
なんかググったら
ttp://www.eonet.ne.jp/~pilehead/kirinuki/asahi021016ep.htm

いい加減に汁アサP
8無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 08:46
あげ
9無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 13:41
因島村上家は、11万4500石余りを領有した海の大名だった。
布刈瀬戸と尾道水道を通る船から通行税を取り、南北朝時代から室町・戦国時代にかけて瀬戸内海を押さえた。
「海上の戦いを制するには、潮の流れを熟知することが重要でした。
史料を調べると、小回りが利く小型船を好んで用いていたことが分かります」
「水軍が編み出した船団の組み方などは一品(いっぽん)流水学という秘伝となり、後世に伝わります。
日露戦争の日本海海戦で、東郷平八郎率いる連合艦隊がバルチック艦隊に大勝した戦法は、これを参考にして生まれたものでした」

一品(いっぽん)流が丁の字戦法ってこと?
それとも単縦陣形のことなんのかな。
10誘導:04/02/11 13:48
日本史@2ch掲示板
http://academy2.2ch.net/history/

# 多少関係があっても他にふさわしい掲示板があるもの、などは移動します。
11無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 14:04
誘導厨ウザイ
>>11
日露時の人間の話題なんだから、世界・日本史が適切だろ、お前の方がウザイよ。

13無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 21:48
思うに日本軍は詰めが甘かったな。あのまま勝ちに乗じてロシア領に攻め込んで、帝政ロシアを滅亡に追い込むべきだったな。
14無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 21:55
真珠湾攻撃でも山口多聞中将が
大破して戦闘不能の軍艦を攻撃するのは武士道に云々、、、って
見逃してたら結局ミッドウェーの時に修理してきて、このまえ見逃した軍艦に自国の軍艦がやられたわけで、

でも日露戦争当時は国内の物資や意欲も限界だったのでポーツマス条約とロシア革命だけで日本は十二分に勝利できているのでは。
それじゃ、大東亜とかわらぬよ。
持久戦になると勝てる見込みがないから早々に講和にもっていこうとしてたはず。
ルーズベルトと友人である金子堅太郎なんかを開戦と同時にアメリカに講和の斡旋で送ってたし。

このセオドア・ルーズベルトってフランクリン・ルーズベルトと血縁だっけ?
16無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:00
孔明が乗り移ったって話は書物で読んだな。
で、相手艦長には曹操が乗り移って・・・。
17無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:01
板違いだろ・・・いい加減にしろ!
18無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:03
日本史板が勝つか
三国志戦国板が勝つか
19無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:04
>>17
旬イクのような奴だな。あまり堅いこと言うなよ。
20無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:06
話がわかんないから話題についてゆけぬ。
つーか戦国武将の末裔はいたのかよ?
>>14
真珠湾攻撃時に空母は停泊してませんでしたが何か?
戦艦はミッドウェー海戦時にはまだ一隻も修理が完了していませんが何か?
巡洋艦、駆逐艦はミッドウェー海戦で敵艦隊と一度も砲火を交えませんでしたが何か?
23無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:10
息子を真っ先に突撃させた乃木大将を小泉は少しは見習ってほしい。
>>22
>>14はヨークタウンの事言ってるんじゃねーの?
25無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:27
日本史板よりは三戦板の方がまともな話ができるから
ここで話した方がいいよ
26無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:28
日本史板は糞板だからそれも仕方ないか
27無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:32
日本史板はただの知識のひけらかし合い。はっきり言って楽しい場ではない。
28無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 22:44
とりあえず>>203を目指すして下さい。
29無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 23:10
>>1
戦国無双やれ
30無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 23:15
>>27
>>22みたいなのがワラワラ出るわけか・・・
31無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 23:17
>>30
な、楽しくなさそうだろ。
32無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 23:19
日露戦争開戦100周年、韓国にロシア将兵悼む慰霊碑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040211-00000414-yom-int

【ソウル=河田卓司】日露戦争の開戦100周年に合わせ、韓国・仁川港を親善訪問中の
ロシア太平洋艦隊の将兵ら約300人が11日、100年前の2月9日の仁川沖海戦で戦死した
ロシア将兵を悼む慰霊碑の除幕式を行った。

慰霊碑はロシア側が作って持ち込んだ。「ロシア船員たちの犠牲100周年を記念して」と、
ロシア語、英語、ハングルで刻まれている。

親善訪問をしているのはミサイル巡洋艦「ワリャーグ」など3隻で、10日夕、仁川港に入港した。

仁川の一部市民団体は、朝鮮半島植民地化の契機となった日露戦争にまつわる碑の建立を批判。
除幕式に合わせて約30人が抗議集会を開き、会場に入ろうとした十数人が警察に連行された。
(読売新聞)2月11日22時2分更新]
33無名武将@お腹せっぷく:04/02/12 21:53
愛は死にますか?
日露戦争と聞いてそのフレーズが浮かんでくる奴はオサーン確定
>>34
わかるオマエモナー
36無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 21:22
フレーズ聞いてもわからないから漏れは若人
37無名武将@お腹せっぷく:04/02/20 21:27
DVD買った俺は?
防人の詩かよ・・・
39無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 13:19
203高地か・・・
十代でオサーンか・・・
もしも日露戦争で織田信長が総指揮を取っていたら・・・もし武田信玄が第一軍軍司令官だったら・・・
ぼたもちくいてえなあ
42無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 14:05
>>40
信玄は案外うまい例えだw
>>41
ぼたもちあるぞ!クソ凍ってやがる!

なかなか>>203にはたどり着けそうにないな、このスレ
バルチック艦隊が着ちゃうぞw
           /;;;;;;;;;;;;;\
         /\;;::::::::::::::::::ヘ
         /,,;;;;;;\.;;;;;;;;;;;;::./;ヽ
         L::;;,__ ヽ、::..ノ;. ..:::ゝ__
        //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;|l
        |l l;;;;;;;;;;;;;:::::::::...   ...:::::::;;;;;;|l
       〔l lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll〕
       /j/               ヾ、  
        l::||::::              |l    
        |/ ̄\  (●)     (●)  ||  <じゃあ第三軍はボクが指揮してあげるよ。勝利は間違いないよね
      r┤    ト::::: \___/     ||     
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__  
      |   _)_ノ    ハ // /    |   
     ヽ____)ノ     \//  /     |ヽ、∧
44無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 16:04
>>53
旅順は陥ちそうにないね・・・
45無名武将@お腹せっぷく:04/02/29 20:53
乃木希典は佐々木高綱の末裔だそうだが・・・
乃木か。
日本史上二番目に多くの日本人を殺した日本人
一番はみんなもよく知ってるあの人
47無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 00:17
>>46
オシエロ
48無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 00:26
長州人の乃木は逝ってよし!
>>46
牟田口か?おれのじいちゃんの兄も死んだが・・・。
50無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 15:24
乃木はただの馬鹿
52無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 18:55
確か日本海海戦は李舜臣の戦法で勝ったはずだよ。
東郷元帥も李舜臣を兵法の師とし研究し
「私など李舜臣の足元にも及ばない」と語ったんだよね。

ちなみに朝鮮での李舜臣を英雄・名将として扱う史観も
日本からの逆輸入でそれ以前は彼は全く評価されてなかった。
>>52
確かに東郷は李舜臣廟に詣でていたはず。
だけど、日本海海戦はマスタープランを練ったのは秋山真之で
彼は小笠原水軍の戦術をヒントに作り上げたんじゃなかったけ?
>5,52
敵前回頭も李舜臣も関係ない。ただし古式の水軍と全く関係ないかというと
そうでもない。
古式の水軍の戦術として先頭艦(普通旗艦が先頭に立つ)を味方の主力を傾
けて討ち、統制の緩んだ敵艦隊を後から順次撃破していくというものがある。
当時の欧州の海戦には戦術という意識は薄く、艦と艦がそれぞれの隊列にあ
って対応する相手と組み討ちしサドンデスになるのが普通だった(最も陸戦
と違い海戦では割に容易に戦場離脱できるから死ぬまでとなる事は少ないが)。
ただしそうなってしまうのにも一応合理的理由がある。何故なら互いの戦列
の対応艦を撃たずにいると、撃たれずにお目こぼし状態になった敵艦が落ち
ついて射撃でき、これが鬱陶しい存在になりやすいからだ(興味がある人は
ジュトランド海戦のデアフリンガーについて調べてみるよろし。その実例に
なります)。
>>54
何隻かでも逃げられたら駄目だったんだよね?
56無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 19:41
乃木は名将だろ?要塞戦で一万数千程度の犠牲者で勝利した男が愚将なわけない
と思うのだが。十年後の世界大戦では旅順規模の要塞を攻略するのに何十万もの
犠牲を払ったことからしてもそれはあきらかだろ?
57無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 19:52
戦下手は有名な話だけど、そもそも乃木は単なる藩閥人事の生んだお飾り軍司令ですよ。
参謀の専門知識にもついていけなかったし、名将だったと語るほどの人物ではないと思うけどな?
それより薩摩出身の黒木が乃木より評価が低いのが納得できない。
↑島津厨
李舜臣の戦法って実際には伝説的な話だけ伝わってて、実態はまったくわかってないんだろ
亀甲船だって創作くさいって説もあるし。それをどう東郷が利用したと・・・?
>>56
日露戦争時と世界大戦時では兵器の質が全然違う
大量殺人兵器が開発され使用されるのは第一次世界大戦からだぞ
そんなんで旅順で4万、奉天で7万の戦死者が出てんだぞ。わかってんのか?
61無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 23:00
機関銃の存在は大きいな
あれがあるかないかで戦争は変わった気がする
>>60
戦死者、そんなに多かったけ?
戦国時代の知恵はどーした?死に杉
さすがにそんなには死んでないだろw
まあ、そーゆー説もあるのかもしれんが
でも一般に日露戦争における日本側の戦死者は10万人程度だったと思う
65森林太郎:04/03/03 23:50
脚気による死者も結構多いよ。
>>60は死傷者の数だろ?
まあ戦国も日露も
石を投げて戦ったのは一緒だ。
後に飛行機ができても
敵の上空で石やレンガやタイヤを
放り投げたそうだが。
やはり人間の武器は
21世紀になっても市街戦で使われている
石ころタソで決まりだ!
弾が切れたからだろゴルァなんて
野暮な反論は勘弁な。

では何事もなかったように次の話題を。
     ↓
弾が切れたからだろゴルァ
 |先生!酷寒の満州だったら
 |凍ったおにぎりで人を殴り頃せますか?
 \__ ____________
      V
    /■\∩
    ( ´∀`)ノ
  _(つ   ノ_
  \ ̄ ̄ ̄ ̄  \
   ||\        \
   ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
   ||  || ̄ ̄ ̄ ̄||
     ||      ||
乃木は名将だよ。その後の欧州地区の戦いで、乃木の戦法がとられてるしね。
71無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 14:59
ガトリング砲をロシア軍が持っていたから日本軍はあんなに死んだんだよ。
海軍力は言うに及ばず(旅順艦隊だけで日本海軍の全戦力に等しい)、陸軍力でもロシアには劣っていた筈。
そういう認識が世界中にあったからロシアに優勢勝ちした時ロシア支配下の国々が歓呼の声を挙げ、列強が驚愕した。
ガトリング砲を配備した旅順要塞を陥落させただけでも評価できると思うが。本当だったら全ての戦力を投入しても陥落出来なかったかも知れないのだから。
72秀吉:04/03/04 16:13
城攻めならワシにおまかせだ。
とりあえず旅順のそばに城を築き、
そこを足がかりに何年もかけて包囲して落とすね。

え、バルチック艦隊が来ちゃう?
じゃあ旅順要塞を水攻めにして落とす。
南極の氷を全部溶かせばいい。
簡単だろ?
>>72
参りました
>>71
それにしたって、わざわざ毎月同じ日に攻めなくてなくてもいいと思う
偶数日の験担ぎで死んだ兵は哀れだよ
75無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 19:09
旅順は日本軍にとってみりゃ初の近代要塞攻略戦であったのは間違いない
それなりの死者が出るのもいたしかたないとも思う
だけど、それにしても戦死者は大杉。奉天は知らんが旅順の死者4万は事実
よって乃木は無能。児玉>>>>>>>>>乃木
>>75
児玉が来て乃木の戦術を変えさせたから落ちたんだよね?
兵士に無謀な突撃をさせながら後方で暖を取ってる参謀を児玉が叱り飛ばす描写が映画にあったな
で、「無理だ」と反対された巨大砲の前進砲撃を実施させて、相手の防御施設を破壊した上で203高地を占拠
旅順港の軍艦を攻撃して海軍の勝利にも貢献
7854:04/03/04 19:38
>60,71
昨今いうところの大量破壊兵器(毒ガス)や航空機、戦車が存在していないだけで
火力と機動性を一定以上でバランスさせた速射砲の野砲や機関銃(ガトリングでは
ない。ガトリングやミトライユースが多用されたのはもう少し古く南北戦争や普仏
戦争の頃)はすでに登場していて存分に威力を奮っている。
因みにWW1でも旅順でも最も猛威をふるったのは大砲による砲撃。ヴェルダンな
んかがその典型。旅順でも最も威力を振るったのは堡塁に対する側面等からの重砲
による火網。機関銃は実はそれの上乗せにすぎない。それに機関銃はロシアの専売
品ではなく日本軍もホチキス機関銃を使用し野戦で使っている。コレがなければ満
州軍は覆滅されていたかもしれない。
>61
まさしく。機関銃を歩兵が持った事で打撃力としての騎兵は全く無価値になって
しまい、陸戦の様相が変わった。
それまでは信長が三段撃ちしようが、英戦列歩兵が密集方陣を組もうが騎兵がそ
れなりの数でわが身を砕く覚悟があれば歩兵を蹂躙する事は可能だったが、機関
銃によりその可能性は欠片も無くなった。
>75
無能といえば無能かもしれないが、当時の世界の水準において飛びぬけて無能と
いう事はない。全く膠着したまま殺し続けたヘイグ、ジョッフル、ファルケンハ
イン、ルーデンドルフといった面々よりは、寧ろある意味有能だろう。それでも
旅順はおちているのだから。
よく解らないんだけど・・・旅順要塞ってそんなに、凄かったの?
とりあえず
児玉>>>>>>>>>>>>乃木
は確定?
81名無し募集中。。。:04/03/04 20:05
正確な数字は知らないけど、旅順の戦死者は1万5千人くらいだそうだ。
日露戦争の死者が1万人だってゆー統計もあるからな
どれが本当なのかワカンネ
乃木信者は何故それほどこいつを擁護すんの?
乃木がいいひとだから?
人格者と名将を混同してはいけない。
家の親類のひいひい爺さんも旅順で戦死してる。
参謀のアホな作戦に修正を要求できるのは司令だけだろ?
任せっきりで、ぼーっとしてたのが実態だろ。
つーか、乃木が人格者ってのも。違うような気がする。
なんか行動みてると子供っぽいというか・・・
地元の英雄なんだけどなぁ。褒め称えたくないなぁ。
>>85
若い頃は戦国のお殿様よろしく女中さんを手篭めにしたことあるらしいね。
87無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 23:59
殉死しちゃいかん罠
立見尚文最強
二〇三高地普通におもしろかった。
金沢弁
90無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 03:46
旅順の日本の戦死者が4万?(プ

三戦板のレベルを表しているな。
日本史板にいけば厨扱い。
>>90
そういうなら正確な数字挙げろ。ただの煽り厨はどの板でも屑に違いはない(藁
なお、戦死者約一万五千、負傷者約四万人が公式記録
92無名武将@お腹せっぷく:04/03/05 19:12
>>79
コンクリート製の現代要塞で、ヴェルダンクラスの要塞です。石や煉瓦とは違います。
未完成でなければ落とせなかったかも知れません。

皆さん司馬遼太郎と吉村昭の読み過ぎのようですな。柴田錬三郎もいるかな?
要塞落とすのが半年で戦死は一万五千四百って名将なんですがね。
児玉源太郎は作戦変更してませんよ。叱咤はしてますが。

逃げられないように包囲しとけばいいじゃん
>>93
すまんが、せめて司馬遼太郎くらい読んでから、また来てくれ
司馬小説を読むとかえって訳分からなくなると思う

オススメはあれだ、PHP文庫の「日露戦争がよくわかる本」
一冊で済むしw
203高地はホラー映画。
坂の上の雲はおもしろいよ
秋山兄弟と正岡子規の青春小説だ
↓そして舞台は旅順から満州へ
↓そして舞台は満州から旅順へ
>>98
だが正岡子規は3巻かそこらで退場する罠
司馬は正岡子規を書きたかったっていてこの本書いたのにな
つまり子規が逝った後の坂の上の雲は蛇足ってこと!?
司馬なら人々の足音を読んどけ
105無名武将@お腹せっぷく:04/03/06 19:04
つまり司馬は乃木が嫌いなのだね?
乃木が好きだという人は自分で勝手な理想像を乃木に投影してるだけ。
実物を知れば誰だって嫌いになる。
>>106
あんただってしらないだろw
108無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 19:40
DVDを見たが・・・漢泣き
>>106は乃木大将の副官だった
>>106は伊地知
>>109-110
おはんら、なますかん
203高地は旅順が陥落して終るが、
こいつら、奉天でも戦わなくちゃならないんだよな
113無名武将@お腹せっぷく:04/03/09 18:08
クロパトキンは第3軍の出現を過剰に恐れていたらしいね。

最も奉天会戦時でも充分に日本軍を圧倒できる兵力があったから何故こんな慎重策を
取ったのか、ロシア軍の敗因は間違いなくクロパトキンの消極性だね。
日本の開戦時兵力(単位は大隊)
156
ロシア開戦時兵力
68
日本奉天会戦時兵力(3月)
240
ロシア奉天会戦時兵力(3月)
379
日本奉天会戦後兵力(5月)
246
ロシア奉天会戦後兵力(5月)
687
疲労をしていないヨーロッパ配備の1線級師団が続々とシベリア鉄道で送られて来ているのがわかる。
114無名武将@お腹せっぷく:04/03/10 20:16
乃木叩きのほうがおもしろいよ
乃木は無能
116乃木希典 ◆SNxb60Ofx6 :04/03/10 20:26
コテハンだから叩きは板違い。
本人が無能なだけならまだ仕方ないが
無能な部下を抱えて庇い立てするなよな
118乃木希典 ◆SNxb60Ofx6 :04/03/10 20:32
わしは近代戦よーわからんから仕方ない。
チッ、使えねーやつだな。
そこまで自覚できてるなら最初に辞退しろよ。
お前なんかが他の有能な大将の方々と肩を並べていいと
本当に思ってたのかよ。
身の程を知れよ。身の程ってもんをよ。
乃木を崇拝する人っていうのは、乃木のどういうところにカリスマ性を見るの?
殉死とか?

おれにはただの無能にしか思えないんだが。
121乃木希典 ◆SNxb60Ofx6 :04/03/10 20:53
やはり詩才であろうな。たまに自分の才能が怖くなることがある。
「ホトトギス」同人でもやってればよかったんだ。
外国人でも惹かれるような所があったっていうしなぁ・・・
どっかやっぱり魅力があったんだろうな。
防人の詩が流れているときに、負傷した日本兵が、戦場を彷徨しているシーンが
涙を誘うな
乃木って実際会った人はほとんど悪く言ってないな。
あまりの抜け作ぶりに殴り倒したくなっただかはり倒したくなっただかという手記があったと思うが
あーあ、とうとう乃木、幼女殺人しちゃったよ。
要塞の攻略ってのは作業だから。
駆け引きがないとは言わないけど、
十分な資材を注ぎ込み、地道に攻略を進めていって、時期が来れば落ちる。
結局旅順を落としたのは乃木であって、児玉はちょうどその時期に来ただけ。
旅順は普通に陥ちたと言うだけの話だ。
うわっ、きついね。
きつすぎる。最悪だね。
嘘つきもほどほどにしろ。

そもそも乃木は旅順を落とす上で「有効な作業」を何一つしていない。
だから乃木の指揮下では30年経っても絶対落ちることはありえない。
児玉の方針転換によって初めてその「有効な作業」がなされた。
そして攻略ができた。
これは事実。
130無名武将@お腹せっぷく:04/03/13 13:06
>>129
どう方針転換したのか教えて欲しいですな。
主攻正面を203高地に変更したとか訳分からんことは言わんで下さいねw
203高地攻撃を決定したのは乃木で、消耗戦の結果、露軍の予備兵力が尽きて
奪取に成功したことは知っているはずですよね。

それから有効な作業がどのくらい時間がかかるかご存知で?
203高地を奪取した第三回総攻撃は地道に坑道掘って永久堡塁の外堀壁と砲座を
破壊できたから実行されたんですよ。児玉が来る前にすでに作業はなされていたんです。
それに児玉は終始乃木の望台攻略方針を支持している。彼が非難したのは乃木に
圧力をかけて第2回と第3回の総攻撃をやらせたり、意味の無い攪乱射撃をさせ、
無駄に弾薬を消費させた参謀本部ですよ。
春とはいえちょっと酷すぎますね、あなたの知識は。
映画「203高地」はなかなかだと思うが。それを史実とごっちゃにされてもねぇ・・・
まぁこのスレ自体板違いな流れになってるがw
132128:04/03/13 16:10
あ、そうそう、「時期が来れば落ちる」のは孤立した要塞の場合ね。
味方戦線とつながってたり、たとえ包囲されていても
味方戦線がすぐ近くまで来ている場合、補充・増援を絶たない限り
下手すりゃ永久に落ちない。

>>130
児玉のやった方針転換と言えば、二〇三高地方面への砲兵の移動が
当初12センチ榴弾砲と9センチ臼砲だけの計画だったところに、
28センチ砲も付け加えるようにしたこととか。
まあ児玉が来て初めて旅順攻略が進展したなんてのはお話の上だけですよね。
まぁ、オマイラが実際に篭城側と城攻側にわかれてやってみないことにはわからんよ。
とりあえず
『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦』別宮暖朗
を薦めておこうかな。
>>134
あなたはもしかして兵頭先生ですかw
136無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 18:22
203高地に永久堡塁の外堀壁と砲座なんてものはない。
破壊なんてできっこないんだが?

ほんと春とはい基地害が多くなってこまりますな。
いい感じでこのスレも荒れてきました。
203高地になくたって、203高地守備隊を支援する近くの砲座が破壊されれば
攻略しやすくなるんじゃないの?
脊髄反射レスやめや。
>>130 
>消耗戦の結果、露軍の予備兵力が尽きて
 まちがい。地区司令官が何条もの予備兵力を投入してきたが、最後の状況を
 読み違えたのが原因。

>有効な作業がどのくらい時間がかかる
「二十八サンチ榴弾砲の大連湾到着後 運搬及び据付などに少なくとも3週間を予定せざるべからず
然るときは之を使用得べきは早くも10月上旬なり 軍は縦令、正攻法を併用して爾後の攻撃を継続
せんとするもかく長時日を期待するの意無し・・・」

つまり8月末の時点で10月には陥落するであろうと言っているが、11月末になっても落ちてないよな。
そりゃ一番強固な箇所(東京にいるときに決めた方針)をそのままひきづっているんだからどうしようもない。
それに比べ、ロシア側は開戦と同時に松樹山や二龍山の堡塁工事を完成状態にもっていったり
柔軟に対応している。
攻撃側にある程度、選択肢があるといってもバカの一つ覚えのように行動をした第3軍はちとね。

>終始乃木の望台攻略方針を支持している
満州軍としては目の前のロシア軍での戦いで手一杯で第3軍に任せてる
旅順攻略まで口を出す必要はあの時点ではありえんだろ。

>意味の無い攪乱射撃
えっと意味の無い射撃は第3軍が行っているのですが?
乃木が無能か有能かはわからないけど、毎月決まった日に攻撃を仕掛けていたってのは本当のことなの?
141無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 18:42
突撃喇叭の話なら聞いたことがあるが。
毎回、鳴らしてから突撃してくるので、そのたび撃退されたとか。
で、多分、同じ日に攻撃ってのもあった気がする。
ロシア側も、それを見越して迎撃してたらしい。
ただ、日本軍に限らずだと思うが、何か縁起のいい日(天長節とか)に
攻撃しるだの、その日までに陥落しるだの言うのは普通にあったらしいので、
一概に判断はつきかねるが。マーケット・ガーデンでも、クリスマスまでに奪取せよ、ってな命令が出てたくらいだし。

ただ、太平洋戦争になっても、突撃喇叭はあったという話も聞いたような
142140:04/03/14 18:45
>>141
親切に教えていただいて、ありがとう御座います。
つまり、乃木個人の問題と言うよりも日本軍の体質故の問題だったのですね。
143141:04/03/14 19:18
>>142
いや、漏れもうろ覚えしかも不確かな知識なんで、
詳しい人待ちか聞くかしたほうが(・∀・)イイ!!

>>139
上級司令部が下級司令部に一切合財任せっきりなわけないだろ。
封建時代じゃあるまいし。
>>141
相手の記念日に攻撃をしかけて面子を潰すと言う方法もある。
陸軍記念日の東京大空襲とかな。
>>140
それに関するオカルト的な解説が「ムー」に載ったことがある。
旅順攻撃の目的が、「艦隊の殲滅、旅順の攻略」でなく、
京都とペテルスブルクを結ぶ線上にある旅順で「特定の日に自軍の兵士を生贄ささげる呪術を行ないロシアを崩壊させる」ことそうだ。
203高地の攻略を最初からしなかったことと、12月に攻略(季節が変わるから)にこだわったのにも意味があるそうだ。
で乃木が三軍の司令に選ばれたのも、有能で人徳があり(出なければ兵士がついていかない)、天皇に忠誠が厚く実直(でなければ勝手に作戦を変えてしまう)、豪胆(発狂してしまう)だからだそうだ。



146130:04/03/14 19:57
>>136
永久保塁云々は望台のことね。申し訳ない。言葉が足りなかった。
>>139
129から読んでもらいたいのですが。
>予備兵力
読み違いにしろ何にしろ、要するに前線に展開する露予備兵力が尽きたことで
奪取に成功したってことでしょ?

>馬鹿の一つ覚え
情報収集に問題があるんですよね。乃木に関わらずの話なんですが。

>児玉
129との文脈で読んでいただきたいのですが。

>攪乱射撃
したのは第三軍ですが、させたのは参謀本部と海軍です。
>>140>毎月決まった日に攻撃を仕掛けていたってのは本当のことなの?
各月に第三軍が行った歩兵突撃前の準備射撃開始時日は以下のとおり。
七月(遼東半島西進)は二十六日に砲撃開始。
八月(第一回総攻撃)は十九日に砲撃開始。
九月(前進陣地攻撃)は十九日に砲撃開始。
十月(第二回総攻撃)は二十六日に砲撃開始。

ところが、機密日露戦史によれば、
「実に過去を辿れば、
○七月二十六日より前進陣地攻撃前進
○第一回八月の総攻撃も二十六日実行す
○十月二十六日総攻撃開始」

と、ある。八月の攻撃開始時日は全然間違っている(二十六日は既に攻撃が終
わっている)し、九月については無視している。
これで「なぜいつも二十六日なのか」と訊いてきたわけだが、正直、ここを読
んでの感想は「・・・イチャモン?」

抑も要塞側は常に準備しているのだから、攻撃準備の行動を起こせば、どうせ
判ってしまうこと。例えば事前の準備砲撃が為されると「そろそろ突撃がくる
か」と相手側に判ってしまうように。しかし、これは仕方あるまい。掩護の砲
撃無しで突撃するにもいかないのだから。

それでも、第三軍は準備砲撃の期間を短縮したりして、突撃時日が察知された
りしないようにしたりしてはいる。しかし、それはそれで砲撃による破壊が不
十分になったりして、色々と問題があるのだが、これは別の話になりそうだ。
26は、数字のみで2+6=8、日本の幸運数の8が出てくる。
他に西洋風だと
2×10+6=26で、2と1と6の数字が出てくる。
並べ替えると216=6×6×6の獣の数字が出てくる。
オカルトですね!
>>146 
いや予備兵力は尽きてません。最後に突入させる時期を見誤ったのが原因。

情報収集に問題があるのは乃木軍の方。当時の日本軍は地図すらまともに
ありませんでしたから、慎重に索敵を行いつつどこの軍も行動をしていました。
大本営もできる限りの情報は軍に与えてましたが、軍には印刷機すらまともに
ありませんでしたから、地図の作成には一苦労でした・・(当時の日本軍に限らないけどね)
しかし乃木司令部は東京で決めた方針をそのまま引きずっています。
更に相手の予備兵力の投入時期と自軍の予備兵力の投入時期を見誤ってる。
これは索敵の不行き届きとしか言いようが無い。

参謀本部にまったく責任が無いとはいえない。しかし第3軍の現場における対応が
極めて官僚的な対応だったのがかなり問題視すべし。

>「最後に突入させる時期を見誤った」
「最後」って何よ。予備が尽きない限り「最後」は訪れないと思うが。
予備が残っているなら今まで通り、改めて兵を繰り出して再奪回すればいいだけのこと。
何度もやってることだ。
203高地を奪われたまま奪回できなかったのが予備
(厳密には203高地にまわすことの可能な予備)が尽きた何よりの証拠だよ。
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1065669576/

相互リンク。今どき乃木さんを無能だなんて主張してる香具師は、少なくとも軍板じゃ素人扱いです。
>>151 
12/5 AM9:15より日本軍が攻撃開始して、AM10:30頃には西南部が一時的に日本軍に占領された。
この時点で第7師団は第11師団の観測部隊からロシア軍の増援部隊が二百三高地東南山麓に
集結中との報告を受けてます。

しかし、スミルノフは指摘したが、イルマン、コンドラチェンコも築城土木作業を阻止する時期を見誤り、
日本側作業を進展させてしまった。というのが実情であって予備兵力が枯渇したというわけではない。

で?予備兵力が枯渇したというのに日本側第11師団からの観測部隊はウソの情報なのですか?
不思議ですね。
154153:04/03/17 07:37
>>152 私は乃木が無能だとは思ってませんよ。児玉や立見が有能で東条が無能なんてことも思ってません。
失敗や成功なんてものはその人の人生の中で色々あるわけで、なぜ成功や失敗してしまったかとか真実を探りたい
だけですよ。
なんか凄い討論が行われているなあこのスレ・・・
>>153
時期を逃したらもう反撃を繰り出せない程度に枯渇していたってことだ。
157153:04/03/17 21:44
>>156 ロシア兵が撤退したのに気づかず、阻止砲火の時期を見誤り、奪回するチャンスを失ったのさ・・。
それで、第11師団からの観測情報を否定する根拠は?
>>157
時期を見誤ったということは何を意味する?
それは、奪回に余分に兵力が居るということだ。
つまり、その余分な兵力を捻出する余裕もないほど逼迫していたと。
これを「枯渇」といわずして何と言う?
…わかった、じゃあ「枯渇寸前」と言い換えよう。それで満足か?
159153:04/03/18 21:57
もちょっと本でも読んでから指摘したら?
論点になってるのは「児玉の方針転換によって初めて」攻略が進展したのか、だろ?
かたや「予備が尽きた」と言い、かたや「ロシア軍のミスだ」という。
「別に児玉関係ない」って点では意見は一致してるんじゃん。
お互い矛を収めなよ。
児島の日露戦争では児玉が来順してから、203高地攻略部隊が
各々どうやったら攻撃できるかどうかの思案が進んだという。
そして別の書籍においては、今までの連続的な大部隊による突撃で
はなく、小部隊ずつによる分散攻撃方針に決まった。これは今まで東北部を
含めた攻撃時に置ける露軍の阻止砲火による反撃をできる限り軽減
させるというものであった。
しかしそれまでの乃木軍においては、大兵力を集中して露軍の火力の
前に犠牲を強いてしまっていた。こういった突撃時における改善はあまり
なされたなかったようだ。
児島はいいとして、「別の書籍」とは?
「児島の日露戦争」は明記してるのに、肝心なのが無記名とは不可思議。
「別の書籍」とは何?
164無名武将@お腹せっぷく:04/03/20 20:54
粘着キター
↑バカキター
166無名武将@お腹せっぷく
戦国時代はーーーー??