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無名武将@お腹せっぷく:
天正伊賀の乱(第一次)で織田信雄軍に内通した名張郡の土豪、下山甲斐守の最期
はかなり悲惨だな。
信雄は天正7年9月に甲斐守の進言を受けて南部の名張口、北部の馬野口から伊賀
に侵攻したが、地の利を知り尽くした伊賀国人衆に撃破されてしまう。
激怒した信雄は甲斐守が罠に嵌めたと判断し、甲斐守を捕縛して退却するよう指示を
出し、長野左京亮が甲斐守を捕縛して退いた。
このため名張口では甲斐守を奪回しようとする国人衆の追撃を受け、殿の澤源但馬、
秋山右近将監がこれを撃退した。
また、馬野口の殿も追撃を受けながら、日置大膳亮、柘植三郎左衛門尉が防戦にあ
たったが、三郎左衛門尉は酒気のため思うように動けず?鬼瘤の難所で討死してし
まう。
信雄は捕縛した甲斐守を監禁すると共に、秋山右近将監は家臣上津江新坊を「甲斐
守の女婿である」という理由で殺害している。
甲斐守は獄中で一切食を取らず、監禁から28日を経過してなお死なずにいたが、つ
いに自ら舌を噛み切って死んだという。