実は裏切っていなかったが、
信長が勘違いしたのだよ。
誤解を受けた原因は父の久政の不穏な動きで、
誤解されちゃった以上はもう仕方なく、
反信長で逝くしかなかったのだよ。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/05/29(日) 21:57:56
age
563 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/05/29(日) 23:47:53
つうか君達、長政を飾り立てようとした徳川の策動に引っかかってない?
家光の爺ちゃんだもんな。
近江国は琵琶湖に流れ込む河川が大小数多いので、治水政策が米の生産高は言うまでもなく水上運輸の死命も制する
ここで
早く続き書けよ。
>>悪い、寝落ちした
ここで久政は高時川流域に井堰を作るなど手を尽くしている。
また用水で争いの絶えない在地の土豪達に分け入って、そのまま被官化していく巧みさも見られる。
久政が凡庸な人物とはどうしても思えんのだよ。人物評価次第で話が随分変わってこない?
569 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/04(土) 03:09:28
確かに…。
南近江には、六角が居るし東には斉藤道三
そして西は足利幕府の権力は失墜…大混乱中
北の朝倉と仲が良いとはいえ…まだまだ安心出来ない状態だったハズ!
その中を生き抜いた久政の能力は、もっと評価しても良いと思う。
久政は秀忠や義詮などの「守成の二代目」タイプ。
「創業の一代目」と「安定の三代目」をつなぐ役割なんだよ。
つなぐも何も親父の路線放棄して六角に屈服してるしなあ・・・・
京極氏を血縁に取り込んだのは亮政の功績だけではないといってみる。
長政を「安定の三代目」と呼ぶのも何か抵抗が…
創業の初代
ぶち壊しの二代目
滅亡の三代目
576 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/06/10(金) 22:38:16
>>571 一時の事。結局は打ち破ったんだから問題ないっしょ。
創業の初代
雌伏の二代目
悲運の三代目
流転の四代目
明暗の五代目
>>576 長政が従順だったらそのまんまだった気が。
それはそれで信長が付け入る隙も無く平和かもしれんが。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/11(土) 00:45:37
信長は「ハァ!長政空気嫁!」って思ってたんだろうなぁ
580 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 17:30:56
久政がネックだな・・・。
581 :
勇魚 ◆Cl39TXJnDE :2005/06/12(日) 19:04:05
ここまでの流れから、緊迫した代替わりの局面を乗り切っている久政はかなり有能と思う。
長政の内政面での事績ってあまり知らないけど、何か有るかな?
戦はともかく実権がどれだけ委譲されていたのだろうか。
長政さまハァハァなんだけど、このスレ読んだことで
盲目信者とは一線を画す見方ができるようになったなぁ。
ホント勉強になりまつ。
ここまで美化されて伝わってるのも、家光や娘たちのお陰なんだろな。
イパーン人は何が史実か見極めることすら困難なわけで
伝聞や、記録を元にした小説・漫画・映画・ドラマなんかで
勝手にイメージ作ってるわけで。
ROMってたけど、惜しげもなく知識を披露してくれるおまいらに感謝。
>>582 表面じゃなく、真実を検証するのって、大事だと思うし、
そうしないかぎり、極端な話感情論になるからねぇ。
日本と韓国、中国の歴史とか、きちんと検証しないといけないのがよくわかる。
当事者以外の国の資料なんて、特に信頼性が高いとか。
お馬はポコポコ
585 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/07/12(火) 17:51:39
bokoboko
あの段階での織田領は濃尾と伊勢半国、それに代官支配を許された
大津、草津、堺の二国半三都市のみ。まだ充分に倒せる可能性のある
勢力。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 11:34:40
朝倉とのつきあいが長かったからか?
588 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/03(水) 17:46:24
TENKA FUBU信長の長政は
足利義昭にそそのかされて裏切ったのだが。
久政の代に六角に屈してるぐらいで、朝倉との付き合いなんてのは
ほとんど認められないでしょ。
長政も朝倉の援軍を受けたのって実は姉川の時が始めてじゃねえか?
織田信長が悪い
>>
亮政の時に対六角で朝倉とも敵対してるが
久政の時に六角の影響下に入ると、六角と朝倉との友好関係から
浅井と朝倉の関係も修復したと思われる
結局積極的な支援は姉川が始めてって事か。
1526年時点では両者は何の交際もなかったからね。
むしろ敵対していたとみるべきかな
朝倉と浅井が特に友好関係に無かったのに
信長の朝倉攻めで唐突に長政が裏切ったのは
違和感がないか?
唇破れて歯涼し
596 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/08/29(月) 00:46:09
朝倉との関係はよう知らんけど、
やっぱり信長が長政に構ってあげないからでしょう。
上洛に協力しても六角の領地は信長のもの。存在を無視!
朝倉を攻めるにも声がかからず。存在を無視!
正直、あんまりにも無視されるから腹が立ったんじゃないかと。
信長としては名門朝倉相手にするのに浅井が後ろに居て無傷として置いておきたかっただけかもな
同盟が無傷ってのはやっぱ心強いし、相手も心が折れる
浅井が北近江で目を光らせてれば近畿の牽制にもなるし、イザ武田が攻めて来ても浅井と一緒に撃退も可能
そういう感じで使われるのが嫌だったのか、単に領土伸ばせなくなりそうで鬱になれたのかで裏切っただけなのかもなぁ
601 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/05(月) 00:15:18
age
しかし、信長に対抗しても湖南と岐阜とではさみ討ちにあうってことがわからなかったのかな?
なぜ裏切ったのかは、久正の威光もあったのかもしれんな
市が信長に裏切りをしらせてなかったら勝ったかもね
いくらなんでも小豆の袋はネタなんじゃないかと
>>602 小豆は多分ネタ
長政は金ヶ崎あたりで信長を確実に討てると思ってたんだと思う
浅井長政って、金ヶ崎以前から親父に対してクーデターかますわ同盟は破るわ領土広げまくりの野心家。
隠居なんて甘いこと言わずに、親父は殺しておくべきだった
と、後に長政は後悔します。
実際問題、親父なんて大した力ないのでは。
六角に従ってた親父を隠居させて
独立したんだからな!
金ヶ崎で信長の補給部隊を久政が独断で攻撃したって話を
聞いた事がある。どこまで信憑性があるのかわからんが。
久政が独断っつぅより家臣が久政を担ぎ出した可能性は否定できない
久政を隠居させたのも家臣が長政を担ぎ出してやった事だし、浅井家は家臣の権力が相当強かったんじゃまいか?
浅井家は大名というより土豪の盟主という感じですね
京極氏の被官から江北を押さえる過程で赤尾氏らを従属させますが、
磯野氏あたりは独自に六角氏と交渉を持つなど、配下を押さえ切れていないのが
浅井家の特徴・弱点だったようです
家臣の権力が強いというよりは大名としての拘束力が弱かったのでしょう
浅井家が一種の国人連合で、浅井家当主はその盟主的な存在に過ぎないとすると、
戦国を生き抜こうとする大名としては致命傷だな。
612 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:23:40
>>610-611 この当時は殆どの大名クラスが、国人・豪族の盟主的な存在なんですけど・・・。
613 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:50:31
よう分からんのだが、ではどのような組織なら理想で、実際にその理想的な組織造りなりを
した大名というのはどこの誰なんだ?あの時代の特殊例である織田家以外で教えてくれ。
国人を家臣にうまく統制化した大名に毛利・大友・島津・北条・武田・今川・蘆名がいますが何か?
織田家は何も特殊じゃない。
ただ、うまく統制できたのは組織的なものではなく、大名個人の政治的手腕とカリスマによるところが大きい。
だからこそどの大名も代替わりがおこるつど、規模の大小はあれ騒動がおきる(後継争いが全くなかった大名
は後北条氏くらいのもの)。
そして織田家はたしかに特殊ではないが、家中であそこまで絶対的な独裁権力を確立したのは信長の他にいない。
他家では、信玄でも謙信でも元就でも国人勢力の統制と懐柔には非常に気を使っている。
大和で差出出せーといったら反乱起こる絶対権力。
618 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 12:50:43
ただ朝倉の次は浅井家という恐れがあっただけじゃん。
619 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 12:54:11
>>1 アミダ、もしくは花びらを一枚づつ「裏切る・・・裏切らない・・・」って千切ってくやつ。
浅井亮政 浅井久政 浅井長政
↑はかなり優秀だった。
たしかに、戦国時代は国人や豪族のあつまりだったようなものだね。
武田は小山田氏や穴山氏などの豪族をまとめるのに苦労してたみたいだし。
集まりのようであり、中央集権のようでもあり。
武田家だって、小山田の領地からも武田家が棟別銭を徴収していたのだから。
上杉謙信も国人衆の統制には散々手を焼いたからね。
謙信の強いカリスマがあってもそんな状態だったんだから、
浅井家については推して知るべしって事なのか。
ただ、浅井が織田と敵対した理由に国人・豪族の意向が強く
あったとして、姉川以降、織田に寝返った連中も多かった。
強い者に従うのが習性なのかもしれないが、これは長政の力量
とは無関係なの?
家格の違いだろうな。
627 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/12(月) 19:56:05
繋ぎ止めておくだけの材料が弱かったのでは?個人の能力云々よりもそ
の時の情勢の問題が大きい気はするけど。
上杉謙信が、上洛したり、上杉姓継いだり、関東管領なったのかは
越後国内の支配統治の権威付けする為
>>627 >その時の情勢の問題
を招いたのは、長政の力量不足とも言えると思うが。つまり金ヶ崎で
信長を討てず姉川で敗れ、志賀の陣でも・・・。
そのうちに旗色が悪くなったから国人連中が浅井を見限って織田につく
のももっともな話だよな。
つーか、謙信にカリスマなんてあったのか?
ちゅーか戦国時代って名門の家が多いな。
鎌倉時代から続く家がらとかが、多いし。
むしろ本当の意味での新興勢力ってどれくらいいたんだ?
浅井、宇喜多、斉藤はすぐ思い浮かんだが。
本当の意味って?
634 :
632:2005/09/14(水) 15:44:58
先祖の素性がはっきりしないとか、本人の出自がよくわかって
いない大名家って言いたかった。
毛利氏も安芸の小領主に過ぎなかったから、そういう意味では
新興勢力かもしれないけど、大江広元の子孫って事は鎌倉から
続いているわけだし。
松平家は?
>>635 源氏の子孫と捏造できるぐらい古い
新興勢力って後北条、羽柴(豊臣)あたりは確実かと
津軽はどうなんだろうな
>>632 斉藤は守護代家の斎藤氏を乗っ取ってるから、新興勢力ではないだろ
だったら織田信長も新興勢力では?守護代家の奉行の一人
長宗我部、北条(政所の伊勢氏で今川の支援受けてるから微妙だけど)、松平
これはどうなの?
長曾我部氏の祖先は秦氏の流れで信濃の土豪とかいうね。
松平氏は幕府の奉公衆に名を連ねてる土豪なんだけど、出自は不明なのかと。
>>632氏の定義が曖昧なんで、起点をはっきりしないとね。
>>638 それは知らなかった。松平ってそうだったのか…
乗っ取りの場合は新興勢力扱いでいいだろう。
>>637 北条早雲については、室町幕府の侍所別当を担った伊勢氏の一族、備後守護伊勢氏の
流れというのが現在有力な学説だったと思う。
東国下向して今川の家督争いを仲裁したのも、当人の私的なものというよりは幕府の
意向だったとか。
亮政の出自ははっきりしてるの?
直種の子で京極氏の被官。
出生がよくわからん大名家って事だろうか?尼子ってどうだったっけ?
まぁ大体が源氏、平氏、藤原氏の流れに大体は絡んでる場合が多いわな。
尼子は佐々木源氏の後裔を名乗ってるけど、比較的に系図は信憑性高いってね。
豊臣って藤原氏では?信長は平氏らしいね。
徳川はどうかわからんな・・
徳川は源氏だろう。
幕府をひらけるのは源氏のみ(平家もだっけ?)
豊臣秀吉は藤原氏だったので幕府をひらけなかった。
>>614 武田と島津は出来なかっただろ。
特に武田の滅亡原因は。
徳川は偽源氏
藤原名乗ってるじゃん
葵を使っているのだから、賀茂神社の人だろ。
木瓜使っている織田が、織田剣神社の人だから。
豊臣の藤原ってのは養子か何かで得た苗字じゃないっけ?
姓の話じゃないの?
秀吉は平だったが、二条昭実と近衛信輔(近衛前嗣の嫡男)が関白職を争った際に(関白相論)
喧嘩するなら俺にくれと、近衛前嗣の猶子となって藤原長者となり関白に就任しますた
でも由緒ある五摂家、藤原長者にさせ続けるわけにもいかず、豊臣の姓を与えましたとさ
征夷大将軍は源氏じゃなくともおk
幕府は征夷大将軍じゃなくとも開ける
松平家の系図が百歩譲って真実ならば、源氏を名乗れるはずないんだよな。
賀茂姓ならわかるけど。
あれっ?葵の家紋って本多家の物じゃなかったけ?
657 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/09/20(火) 01:06:33
おまいら浅井氏はどうなってるんだ?
浅井=そば・うどん板
朝倉=スロットサロン板
織田=ニュー速VIP
謙信が上杉姓をなのったのは、憲正が是非にと頼んだからでは?
憲正ははじめ佐竹に上杉をなのってくれというたが断られたからでは?