1 :
無名武将@お腹せっぷく:
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● | おんな──!!
| ( _●_) ミ
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
2 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 19:29
2
肥満の熊に見えた
4 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 19:32
というわけで、このデブについて語りましょう
>>3 あながち間違ってない。戦場でも
馬に乗れなくて輿に乗ってたし。
肥前の熊って名前いつ誰がつけたんだ?
実際問題、鍋島直茂がおらんかったら、どうなんだろ
9 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 21:04
早死?
10 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 21:20
>>8 隆信の父。祖父は馬場頼周の罠にハマってあぼーん。
ひ祖父の家兼が復讐して終わり。
隆信も佐賀から逃亡した折には、蓮池氏にはお世話になってるが、
蓮池氏は隆信にあぼーん。
>10
蒲池だろが。蓮池……って拉致被害者かよ!
龍造寺家兼と隆信が助けられたのは、筑後大身の蒲池鑑盛。
敵方であろうと戦の場以外では、助けを求められたら保護するという義将としも有名。
隆信が騙まし討ちにしたのは、鑑盛の子の鎮並(鎮漣)。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/20 11:49
クマ禁止
14 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/24 20:59
竜造寺。だろ。
かっこよく龍なんて使ってるから検索できなかったじゃねぇか。
ちなみに江里口信常の最後はいつ聞いてもホロリとくるね。
まともなネタふってみっか。
嫁さんと仲が悪かったって本当か?>隆信
龍造寺
竜造寺
どちらが正しいの?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/25 19:21
たしか、奥さんは村中竜造寺本家出身じゃなかったけ?まぁあきらかにマザコン
でわがままでDV振るいそうな隆信の妻っていうのはむずかしそう。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/26 06:07
風雲録で初めてプレイしたのが龍造寺だった
風雲録は武将が何人いても大名の政治力でコマンド回数は決まるようなもの
だから(このシステムがおかしいと思うのだが)、隆信の政治力の低さに
苦労したよ。
直茂は優秀だったが・・・・・
>19
実際、龍造寺隆信は政治力は低い。
鍋島直茂の補佐がなければ、とっくに滅びてるよ。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 17:48
隆信は人殺しまくったりして、冷酷とか言われててさ、どっかのサイトみたら
「あんな育ち方してたんだから仕方がない」
みたいな事書いてあったんだけど、どんな風に育ってきたの?
22 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 18:54
>>21 幼少の頃から、頭脳明晰だったらしく、家兼の命令により、僧侶とされる。が、一方で腕白
だったらしくガキ大将だったらしい(そこらへんは上杉謙信とか島津忠良みたい。)ちなみに、
名前は円月。
ところが、そんな円月の身に降りかかったのが、一族惨殺事件。まぁ出家していたので、巻き
添えをくらわなかったのが不幸中の幸いだったのだが。
多感な思春期にこんな体験したので、疑い深く、残虐(目には目を)になったのは当然の帰結かも
しれない。
で、家兼は生き残った円月を還俗させたんです。そして、大きなショックを受けて
しまった家兼は死んでしまう・・・。で、若くしてしかも突然当主になった訳です。
こんなドタバタも性格形成に影響したのかもしれませんね。
(ちなみに、竜造寺って基本的には少弐の忠臣であったのに、こんな目あったんで、
目に目を式に報復、少弐の宿敵大内と組んで、最後の当主冬尚を殺している。
)
23 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/30 18:59
>>20 政治力が低いのはちょっと疑問です。
ただ、大友戦でも裏切りでませんでしたし。
家臣からの人望は高かったし、(=人心掌握にたける。)
外交センスは良かったので、(毛利を動かして、大友を揺さぶったり、
自分の息子を周辺の豪族の養子にしていくとか)
そこを評価すればもっと高かったのでは?第一、贅沢な火力を持つ兵を
擁していたので、資金稼ぎの能力は高かったはず。
まぁ博多を焼いたのが痛かったかも。
しかし、智謀はもっと高いはずですよ。なんせ、宇喜多なみに暗殺や謀略駆使し
てますしね。ただ、最後が最後だけにね・・・。あれがマイナスになったのかな?
>>24 ただ隆信の問題は、外交・折衝にいたる状況でしばしば感情的すぎる
感がないかな?
たとえば、普通は国人領主が寝返っても、外交材料として人質を生かして
おき、再度の交渉に活かす事が普通なんだけど、隆信は一度の背信で
容赦なく人質からなにから皆殺しにする事例が少なくないし。
状況が悪ければ平気で見捨てたりとかもしてたようだから……
有馬晴信が島津方へ鞍替えした際なんかも、激怒して出陣した挙句は
あっけなく戦死だもの……
竜造寺が隆信の代にはいって負け知らずになったのは事実だけどね。
>>22 ありがとうございます。そんなことがあったんですねぇ。
一家惨殺ってのは、少弐がやったことだったんですか?
よかったら理由とか知りたいです。地元の武将なので。
>25
一家惨殺は、隆信もさんざんしてるよ。
それが、隆信から人心が離れる理由のひとつでもあり、
ひいては龍造寺氏の崩壊につながる。
>>24 確かにそうですねぇ。感情的になりすぎの感がありますよねぇ。あれがなかったら
ほんとに名将だったと思います。直茂は案外、隆信のそういう面を反面教師にして
いたのかも。
>>25 少弐家の腹心中の腹心だった馬場頼周が当主をそそのかし、神代、江上などの
の佐賀周辺の有力豪族から、千葉、有馬、松浦党の肥前の大勢力までを巻きこん
で、及んだ一大謀略だったようです。
馬場や少弐の竜造寺に対する嫉妬に加え、大内に対する内通疑惑があったため
だといわれてます。なんせ、竜造寺は現在の佐賀市郡に強大な影響力を持ってい
て、少弐をしのぐ力ありましたからねぇ。当時から。
尼子の新宮党事件に似たものがありますね。ただ、尼子の場合は、外敵である毛利
にやられることになりましたが、こちらの場合は、結局竜造寺にやられることに
なったのだから皮肉といえば皮肉。
>>26 そうですよね。惨いことたくさんしてます。隆信は。
義理の娘婿である小田兄弟惨殺事件や、蒲池謀殺事件、赤星の人質(まだ幼子
)の磔刑などなど。
特に蒲池謀殺事件は、恩義のある蒲池家のたった一度の裏切りが許せず、
当主鎮並を宴会におびよせて殺害(鎮並は殺されることに気づいていたらしい
けど)、残った一族郎党は、蒲池の親戚田尻に命じて始末させました。
田尻と蒲池はかなり濃い関係だったので、一族郎党同士、親戚、友人関係が
多かったらしい。それを知っていて田尻に踏絵を踏ませたのだそうです・・・。
これが、筑後衆の島津側への内通につながり、赤星磔刑事件で、赤星は
じめ肥後の親竜造寺派が反旗を翻す決意を決め、運命の沖田畷の戦いに
つながっていきます。
もしも、竜造寺隆信に仁愛の心が少しでもあったならば・・・。
ちなみに、彼と直茂は、山陽方面の司令官(申し次)になりたてのころの、羽
柴秀吉と誼を通じようとしていたというエピソードがあります。これが本当
なら島津以上の外交センスがあるといえ、返す返す悔やまれます。
もし、島津を倒していても、秀吉の九州征討におとなしくしたがって、毛利
なみの待遇になって、大老になっていたかもしれません。
でも、歴史にifは存在しない。ただひとついえるのは、彼を半面教師にして
残虐非道なことは慎むということでしょうね。
以上乱文失礼しました。
龍造寺というのは、結果的には、鍋島の前座みたいなものだな。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 12:47
>>29 というか、国盗り型の大名で江戸にバトン渡したのって鍋島くらいじゃないのかな?
まぁ国盗りも、穏やかにしかも、時期が戦国末期だったこともあるかもしれんが。
いずれにせよ、直茂は中々の腕だね。
話題は変わるが、
直茂にとって隆信って大きな存在だったとは思うよ。青年期から兄みたいな感じ
(実際義兄弟だが)で、頭の回転ははやく、勇猛で豪胆で家臣から慕われていた
熊って言われた人だったから、酒色にふけるまでは、すごく尊敬してたと思うよ。
残忍だったけどね。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 16:37
>>14で言ってるように沖田畷の江里口の特攻は
ただ彼が義理堅かっただけなのか
それともそれくらい隆信が偉大だったのか
それともなんか島津に対する私怨があったのか
彼をあそこまで突き動かしたのは何なのか皆さんに聞いてみたい。
>>31 22なんですが、隆信というか竜家への忠誠だと思います。隆信って残忍だ
残忍だといわれますが、家臣には慕われてます。彼のどんな残虐な命令だ
って遂行することをいとわなかった家臣達ですもん。しかも、絶望的な状況
でもついてくる家臣団でしたし。
ちなみに、江里口や円城寺といった竜造寺四天王は旧千葉氏系なんですが、
それでも慕っていたのでしょう。
さらについでですが竜造寺の旗本的存在は、現在の佐賀市と郡部の者たちで
すが、彼らはあの対大友戦の絶望的な状況でも寝返りを考えていなかった
し、家兼や隆信が追放されたときでも、ずっと待ってました。
そんな忠誠心の高い、佐賀の武士の精神が葉隠につながったのかもしれませ
ん。
↑文章がおかしいので訂正。本当に乱文で申し訳ありません。
×江里口や円城寺といった竜造寺四天王は
○竜造寺四天王のうち江里口や円城寺といったあたりは
マジレすでわるいが
私のおさななじみに、円城寺の後裔であるひとがいる。
他にも江里口、成松などあたりまえのように友達の苗字にはごろごろ。
こんなかんじで著名な氏をもつ知り合いがいるひといませんか?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 18:35
竜造寺四天王(江里口、成松、百武、円城寺)のうち江里口さんと百武さんは
しってます。(ちょっと離れた近所)
でも、成松さんと円城寺さんは知らないですね。
ちなみに、一説で四天王に加えられる木下さんは知り合いいますw
あと、納富さん(近所)や成富さん(遠い親戚)くらいですかね。竜造寺の主力
では。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/01 21:49
俺は鍋島一族の墓や城があった佐賀県の小城ってところに住んでるんだけど
同じ学年に
>>35さんが上げた人のほかにも執行とか居ました。
特に多いのが江里口。
ちなみに
>>22さんはコテハンになってもらって色々と竜造寺について教えてもらいたい。
>36
いいとこですよね。山と水がある綺麗な町。
執行はいるね。34号線沿いに鳥栖方面へ車とばしてみたら、執行木工所みたいな会社があるよ。
直接の知り合いでじっさいにいるのは、
江里口、成松、百武、副島、円城寺、今泉、木下、古賀
あたり
>>36 いえいえコテハンなんておそれおおいです。文章も乱雑なただの歴史好きのあふぉ
っす。
小城っていいですよね。肥前の小京都みたいな感じで。僕も蛍を見に小さい頃遊びに
いってました。37さんのいうように山と水がある綺麗な町ですよね。
37さんが執行が鳥栖にあったといってますが、確か江上家の家臣だったので、神崎
郡やらに三養基方面に多いのかもしれませんね。
そういえば、百武彗星ってあるんですが、あの発見者はもしかして賢兼の子孫で
すかね?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/03 15:05
しかし、九州ほど三国志ぽいとこもないな。
天の時-大友(九州で一番偉く、本土勢力の邪魔がなければ最強だったはず。)-魏?
地の利-島津(後ろが平和主義者の琉球。前進あるのみで統一目前だった。)-呉?
人の和-龍造寺(滅亡寸前でも誰一人裏切らない。一時は島津、大友より勢い)-蜀?
かなしいていえば。
なんか龍造寺スレが多いな……。
三国志にあてはめるのは、ちょっと無理があるかも。
北九州、西九州、南九州、それぞれ地の利がありそうだし。
立花道雪、鍋島直茂、島津義弘、と主を凌ぐ程の人材もいるし。
でも、九州探題大友、鎌倉からの名門島津と比べると出発地点は一番低かったかもね。
龍造寺は少弐氏の一勢力だったわけだから。
ほう41氏、三国志ですか。なるほど。
でも、42氏のおっしゃるように、それぞれ、地の利と人の和がありますからね。
また、前半は大友(大内の邪魔がなければ、北部は完全に大友だったでしょう。)、
中盤は龍造寺(なんせ、肥後まで伸びて、反島津の相良なんかと結びつつあった
ので。沖田畷で、大軍を上手く使えたら、島津は最大のピンチを迎えたでしょう)、
そして、後半は島津(もう言うことになしに、攻めまくり九州統一目前までいった)
とそれぞれ天の時を得てましたからね。
でも、ある意味新しい三国志ですね。ドラマとか小説にならないかな♪
龍造寺は所詮はバブルでしょう。
確かに、そうですね。大友と島津が旧財閥系の名門会社としたら、
ここは、新興企業ですからね。勢いにのるのも、衰退するのも
はやかった・・・。
九州は港がたくさんある。南蛮貿易が盛んになってくると、一気に華々しくなるね。
肥前には長崎も唐津もあるが、有馬と松浦がそれぞれ勢力下にしてたんだよな。
松浦を従属させてた時なんかは、龍造寺家も貿易に力入れたりしたんだろうか。
宣教師が、龍造寺群は鉄砲が豊富だ、とか書いてるのを見た覚えがあるし。
やっぱり反キリストだったのは影響あるだろうなぁ
九州のキリシタン土壌を上手く味方に付ければ面白くなっていたかもしれん
新式洋銃隊をもっていたとかいわれますね。資金力はあったと思います。
長崎、博多に近く、そこらへんの商人との付き合いはあったかもしれません。
ただ、実際に2つの港を治めたことはなかったようです。(博多は大友勢力、
長崎は大村の影響)
どのような感じで資金を集めていたかは興味ありますが、なかなか資料が
ないです。吉永正春さんの本をもう一度読んでみるかな・・・
49 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/11 04:57
竜造寺隆信 忠義50 仁愛10 勇気100
ってとこか?
黒旋風「李き」と相性良さそうだ。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/12 14:29
肥前の熊 田曜子ってぇのが昔
竜造寺隆信は、鍋島直茂がいなかったなら何も出来なかっただろう。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 12:54
>>43 他のスレにも書いたが、その名もスバリ「九州三国志」というタイトルの本はある。
ただ、読み物としての魅力に欠ける。物語は、耳川の合戦〜秀吉の島津征伐(星野兄弟の討死)
まで、作者は本業の作家では無いので、前半と後半の物語の感じが違ってかなり「?」
53 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 13:01
クマたんに抱っこしてもらいたいでふ。
鍋島直茂は龍造寺という落ち目の主がいなければただの二流武将。
忠義心だけいただいておきましょうかねw
テェディベアを抱いてスヤスヤ眠る隆信タン
>54
つまりは竜造寺隆信という落ち目の主と、二流武将の鍋島直茂のコンビというわけか。
>54
一流の武将って誰?
58 :
無名武将@お腹せっぷく:04/02/13 17:46
「俺」って誰?
>59
田尻鑑種
62 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/14 17:18
>>61 重複って言っても、そこネタスレみたいなところじゃん。
まじめに竜造寺を語っているところないかねぇ。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 18:10
馬に乗れないというほどの熊様の体重はどの程度だったんだろう
>63
かなりぶざまで醜悪な太り方だったらしい。
66 :
無名武将@お腹せっぷく: