山本勘介は実在した?

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1某山本
無責任に立ててみました
 自らの力で福を掴んだ男、平慶彦様が2get!
          / _.. - ''    ..:  .:.::ヽ 
         /:, '       ` 、  .:.:::::',  
        i:'       __   .. ` 、.. .:.:::', 
        !    ,,:='''´    : .  : .:.:::::,!_
         !,,:=、    _,,,,,_,   :  ` 、r',r ヽ 
          ! _.. ;   ´ ̄    : .   ! iヽ :|   
        l'´- /   -、       :   ! ー 'ノ
        !  r_  r=ノ    . :    :r-ィ'
  >>3 俺の後ろでブロックでもしてろ(プ
  >>4 あ、お前いたの?(w
  >>5  うらやましいか?(プ
  >>6 ノロマ野郎め、悔しかったら追いついてみろ(w
   >>7 一生ねため。ひきこもりども(フ
はぁ?正統カリフだぁ?馬鹿いってんじゃねーよ!世の中弱肉強食、軍事センスの
ねぇ野郎はうせろや!ああ?選挙違反だだからどうした!ってシーア派なんか組織
してどうすんの?ねぇ?マジどうするつもり?フサイン一人死んだからって大げさ
なんだよ開祖以来毎年戦争してんだからようそんくらいでマジギレすんなって!
4無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 17:16
実は西田敏行だった
5無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 17:24
義経はチンギス・ハーン
6無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 17:25
弁慶は耶律楚材
7無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 18:40
耶律阿会喃
【三戦板住人は・・・】
戦国ヲタ 三国ヲタ 横山ヲタ 肥ヲタ 無双ヲタ 腐女子 日本史ヲタ
中国史ヲタ ガノタ 世界史ヲタ 信長の野望ヲタ モンゴルヲタ 
嫌韓厨 嫌中厨 売国厨 能力数値化厨 ムコーニン 孔明 その他のコテ
荒らし ネタヲタ フォモ ショタ ロリ 妄想ヲタ 豪傑信者 武将信者
格闘技ヲタ ベイスターズヲタ 古典ヲタ 戦記ヲタ 園田ヲタ 甘ヲタ
曹洪ヲタ 劉禅信者 蜀漢敵の如し 知ったか魏厨 無双呉厨 蒼天厨
一騎当千パンチラ厨 自治厨 あほな抗争が永遠に続く厨 損権厨房
人形劇厨 火縄銃厨 連弩厨 曹操の漢詩知ったか厨 曹豹厨
だいたいさぁムコーニンとかいって必死すぎんだよね〜!まぁさぁリアルじゃ
居場所が無いからしょうがないんだろうけど。でも学校で「2ちゃんって知っ
てる〜?俺さぁ〜2ちゃんの三戦板じゃ大物なんだぜ〜」って壁に向かって
話すのはやめろよ、孔明をヲタペットにすんのもやめろ、美少女説を真に受け
てんじゃねーよ。
霊感・山勘・第六感
ttp://www.sigeharu.com/~airh/up/img/134.mid
11139(イザーク):04/01/13 00:29
マジレス
武田晴信の使者に山本管介なる者なら実在。(過去の北海道新聞より)
12無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 00:48
>>11
名前を当て字で書いた書状は多く、他に該当する人間がいないことから、
山本勘介は山本菅介と見て問題ない。

やべえマジレスしちゃったよ_| ̄|○
13無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 08:41
>>11
甲陽軍鑑に出て来る山本勘助は虚像だったことが証明された史料だよな。
14無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 08:49
>>13
釣れますか?
15無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 08:55
>>14
13はマジレスだけど?あんたこそ釣れますか?
市川文書で山本管助なる人物の存在を確認できたことが
武田家には「軍師」山本勘助なる人物など居なかったことを証明したのは皮肉としか言いようが無い。
軍評定は譜代家臣の家老層の合議制でおこなわれていたわけだし、そのような席に勘助のような浪人上がりが出られた訳も無く
市川文書で証明されたように、実際の彼は軍師から程遠いただのパシリだったんだろうね。
事の詳細が菅介の口から伝えられる事に
なっていることに着目したまえ。
この手の使いはただの下っ端にやらせるものではないよ。

>>16
どうでもいいが『甲陽軍鑑』の勘介像を全否定するならば、
勘介が浪人上がりかどうかなんて分からんことになるぞw
でもって武田家には小幡虎盛・多田満頼・原虎胤・横田高松など
浪人上がりの重臣が結構いたりするんだな。
18無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:16
>>17
当時の史料に山本菅介なる人物が市川文書にしか出てこない段階で
彼が武田家の重臣って線はありえないだろ。
19無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:17
そうか軍使は使いっ走りなのか。
真田幸隆はとんだ使いっ走りだったわけだな。ほほう。
>>18
織田家でいう堀秀政クラスかな。勘介は。
織田家ほど文書の数が無いのでかなり無理のある推定だが。
>>19
軍師などという役職はないぞw
全くどんなスレも煽り合いにするんだな・・・

お前らは戦国時代が好きなんじゃなくて
戦国時代に詳しい自分が好きなだけなんだろ?
要は自分の知識が他人より優れてないと気が済まないってだけなんだろ?

日本史板に帰れよ。
お前らのせいでどんどんここが過疎化してくじゃねえか。
2321:04/01/13 09:24
・・・と思ったが、「軍使」は確かにパシリだなw
24無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:26
>>20
へー、菅介が堀並の所領と地位を持っていたというのか。で、どこだ?
>>21
同意。
故に信玄の軍師としての山本菅介が江戸期の講談だということになるわけだが
それを裏付けしたのが市川文書だろうな。
>>25
軍師という役職は無いが、良い知恵を出せる人間が
後世にそう呼ばれるのだろう。
そして『甲陽軍鑑』は「江戸期の講談」では断じて無いぞw
>>24
山県昌景の江尻以前の領地を挙げろ言われて挙げられるか?
28無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:34
>>26
譜代の中の家老階級の合議で評定を個なっていた武田家で
ろくに史料に登場しない浪人風情が出席していたとは考えにくいだろ。
29無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:38
>>28
史料と言えば『甲陽軍鑑』に腐るほど出てるぞw
これを否定するのであれば「浪人風情」も否定せねばならん。

でその「家老階級の合議で評定」とやらは、具体的にどのクラスまでなら
出られるのかね?
30無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:43
>>29
菅介が譜代でないのは確かだろ。
「家老階級の合議で評定」秋山山県内藤栗原今福跡部小山田等
31無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:44
武田の家政や風習は、多くが甲陽軍艦からの推察で語られている。
その家政をもって甲陽軍艦の史料価値を云々するのは、奇妙というほかない。
反論ある?
32無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:48
>>30
甲陽軍鑑を否定するなら、山本家が累代の家臣である可能性は
普通にあるのでは?
新参者であるとする根拠もなくなってしまうんだから。
33無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:49
>>31
そうか?武田の家政や風習と武将の存在とは全く異なる議論だと思うが。
他家の史料、文書等に一切記述がなく、甲陽軍鑑にしか登場しない武将を信じるほうがはるかに奇妙だとしか思えないが?
34無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:51
>>31
いかにもその通りですね。

山本勘介と言えば、『萩藩閥閲録』の山本家の覚書と言う奴に
勘介の息子が毛利元就に仕えたという話がありますね。
>>34
それは市川文書にでてくる軍使菅介の息子であって軍師勘助の息子じゃないだろ。
36無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 09:57
>>34
>『萩藩閥閲録』といい、長州藩が享保一○年〈一七二五〉藩内諸家の文書、系譜を調査・編集したもので、その巻三○に載る「和智氏系譜」は、長州藩士和智次郎兵衛の提出したもの)

江戸期に書かれた講談だろう。
結局、信玄の軍師とやらは当時の文書に一切登場せず江戸時代に書かれた史料にしか登場しないわけね。
38無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:02
>>35
「山本勘介」と「山本菅助」をどう区別するんだい?

>>36
萩藩閥閲録は一級の史料ですよw
江戸時代はみんな講談ですか?
>>37
そりゃ軍師なんて役職は無いんだから、軍師として登場するはずがない。
40無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:05
書状を預かり詳細の伝言を託されるんだから、
山本菅助はとりあえず信玄の側近あたりでしょう。

側近がどの程度主君に入れ知恵できるものか知らんけど。
>>38
勘助と菅介とでは軍師と軍使ほどの差があるだろ。
徳川幕府治世下での史料である以上信憑性は低下する。
おそらく萩藩閥閲録は幕府にはばかって甲陽軍鑑を参考に編纂したんだろうな。
42無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:07
身分の低い菅介なる輩はいたんだろうけど、当時の武田家や他家の史料に名を残す程の武将ではなかったんだろ。
43無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:09
>>39
市川文書いがいでは登場すらしないわけだがな。
>>41
>勘助と菅介とでは軍師と軍使ほどの差があるだろ。

どうでもいいけど市川文書は「山本菅助」で甲陽軍鑑なり閥閲録なりに
出てくるのは「山本勘介」だよ。混ざってますね。
まあそんなこと言い出したら坂本龍馬が四人ぐらいになるけれどもw
あと閥閲録の事を随分好き勝手言ってるけど、ただの文書集ですよ。
>>44
だからこういうことだよ。
市川文書の山本管助なる人物を山本勘助とするならば
武田家には「軍師」山本勘助なる人物など居なかったことを証明されたわけで
それは皮肉としか言いようが無い。
信玄側近で信玄の私的な相談相手という程度の扱いで。
>>46
もっと身分が低い何かだよ。
ろくに当時の史料に登場しない素性がよく分らない信玄の軍使が妥当な評価。
>>45
織田信長が佐久間信盛や明智光秀をパシリにした事があるぐらいで、
市川文書で勘介の地位をどうこう言うのは無理。
>>47
側近ってそんなに史料に出まくりか?
>>49
全く史料にでないってのはおかしいだろ。
少なくとも敵対国は調べるだろうしな。
51無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:29
馬鹿だなあ。勘介は信玄お抱えの忍者だよ。
足を引きずってるだの片目だの向こう傷が何十個だの書かれてるのは、
実は偽装工作。
「山本勘介=物凄い形相」だと広めておいて、実は普通の人物。
これだとまずバレない。
だから伝聞では広まっても、確実な記録には残らない。
当時の家臣なんかも、仮に勘介の事を知っていても決して書き残したりは
しない。だって忍者だから。
江戸時代になって始めて、勘介が忍者としてだけじゃなく、参謀としても
優秀だったことが明かせるようになったわけ。
>>50
それだと上杉家や毛利家の文書に信長側近がことごとく網羅されるのか?w
史料にたった一度だけパシリとして登場する輩を信玄の軍師とするほうが無理があるだろ。
>>52
丹羽柴田秀吉光秀は知れているわな。あたりまえだろ。
>>54
どこが側近やねん。部隊率いる人間は知られるだろそりゃw
>>55
では側近の定義をあげてみろ。
>>51
そうか。山本勘介は忍者だったから当時はほとんど誰もその存在を
知らなかったけど、後に武田家の内部事情を記した甲陽軍鑑に
おいてのみ、おおっぴらにその存在を書くことができたわけか。
って飛び過ぎだろ・・・・
58無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:35
まともに考えれば>>53が結論なわけだがな。
>>56
身辺に仕え雑務全般をこなすといったところか。
60無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:37
山本勘介は実在するのです、私たちの心の中に…

って、サンタクロースかよ!
>>59
軍師山本とは程遠いな。おい。スレ違いだね。
そもそも「軍師」って言葉がヤバイよね
63無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 10:58
そもそも、目立った出方をしていない人間なんて山ほどいるのにな。
各史料に名前が出ないのなんのといってる奴に聞くけど
栗原詮冬が、出仕から退任まで、どういう業績があって
どういう事をやっていたのか教えてみてくれよ?
あと、躑躅ガ崎館のどこの間に詰めていたとかさ。

当時の事なんて、詳細に検討できるだけの資料がないんだよ実際のところよ。
>>63
勘助は無さ過ぎ
65無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 11:06
そういや、前田利家が信長の軍使として、秀吉のところに伺候していたっけなぁ。
利家って足軽雑兵の類だったんだね。
>>65
利家なんて軍師と呼ばれるほど身分が高くないだろ。
67無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 11:16
>>65
実際、利家は身分が低いよな。
>>65
足軽雑兵とは違うが、出仕した頃は50貫だったというから、
下級の武士だな。

>>66
軍師と軍使を勘違いしているな。
史料に残りやすいのは、なんといっても軍勢を率いて活躍した人物である。
これは敵味方問わず記録に残りやすい。
また吏僚や代官など、政治の実務に携わる人間も、文書などに
名を残す可能性が高い。ただし、政治関連の文書、特に内政に関する
ものは、滅亡した家などでは残りにくい。
武田家は新府城が灰となっただけにこの点では厳しい。
「山本菅介」の働きが確認できるのは、唯一前線への伝令役としての
ものであるが、菅介が日頃から軍使などを務めとしていたならば、
むしろもっと記録が残っていてしかるべきだろう。
この仕事はむしろ臨時のものだったのであろう。
だが一方で、伝令の信頼性を担保するためには、君主が信を置ける
人間であり、かつ相手からもある程度知られている人間で
ある必要があるだろう。
面識も無い下っ端が書状を携えて現れて、詳細は口頭でなどと
言われても信用できるものではないからだ。
となると菅助は全くの無名の人物ということでもなさそうである。
少なくとも忠誠心と記憶力と口の堅さが信用できるレベルであることが
家中において知られている人物ではあったはずだ。
では菅助とは、普段何をしていた人物なのだろうか。
(以下次号)
70無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 12:48
啄木鳥戦法って島津の釣り野伏せみたいなもん?
71無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 14:27
横光の「隻眼の竜」と「武田信玄」じゃあ
全然扱いがちがうけどな
72変質社:04/01/13 14:54
お市タソは架空の人物ですぁ?
>>69
>では菅助とは、普段何をしていた人物なのだろうか。
きまっとるじゃないか。
信玄公の夜のお相手をしていた。
74無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 17:06
ただいま時空警察が調査に向かっています
ところで晴幸の出典はどこよ?甲陽?
完全な創作だとすればむしろ多いに納得だな。
76山梨工作員:04/01/13 19:29
つーか近所に山本勘助生誕碑があるんだけど。
場所はJR身延線源道寺駅下車徒歩20分ほどの住宅密集地・山本地区。
生家の吉野家は古い家屋と立派な石垣があって一際目立つ。路駐スペースがある。
先祖は菅原氏に繋がるそうだ。

吉野家って牛丼じゃないぞ
山本勘介は讃岐出身で(三州浪人ではなく讃州浪人だ!)で
大内氏に仕えていたが、家族を残して出奔した。そして後に武田家に仕えた。
ただ家族を西国に残しているので、あまりおおっぴらに行動すると家族に
危険が及ぶ可能性があり、武田家では裏方に徹していた。
だから当時の史料に名が上る事がほとんどなかった。
後に家族は大内氏の滅亡後、毛利家に仕え安泰の状況となっていたので、
やっとこさ『甲陽軍鑑』でその活躍が明かされたのである。
・・・・・・・・・・・・・というような説があった。
個人的には結構納得する部分もあったな。
>>76-77
全部講談だろ。
讃州浪人を三州浪人とき間違えたとすること自体何の根拠もないただの願望に近いな。
8067:04/01/13 20:07
んで晴幸は?
>>78
講談の意味知ってる?w

>>79
讃岐にも山本勘介の伝承があるらしい。イノシシ取りの名人だったが
イノシシの逆襲で目と足を負傷したと。
啄木鳥戦法って後世の創作っぽいよな
別働隊に迂回奇襲されたら、普通別働隊に討ってかかるだろ
普通の挟撃作戦を派手にしただけじゃ?
>>81
これでしょ。三河の加茂でも、山口の勘介イノシシ伝説と同じような、伝承が伝わっている。とあるな。
山本は甲陽軍鑑によると三河国牛窪の出身と明確に地名まで書かれているが讃岐にも牛久保なんて地名があるの?
http://216.239.57.104/search?q=cache:PBe8ySyAqhkJ:www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-yamamotokansuke.htm+%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%8B%98%E4%BB%8B%E3%80%80%E8%AE%83%E5%B7%9E&hl=ja&ie=UTF-8
84無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 21:02
> 「軍使」には、単なる特定の瞬間における状態を示す使い番の意味と、近習・旗本として
> 君主の傍におり、状況に応じて物見・使い番・軍監・小部隊指揮・奉行などをこなす
> 優秀な将校を示す場合の二種類があります。
>
> 織田家においては、堀秀政や森兄弟、猪子兵介などがそれに当たり、武田家においては
> 若き日の真田昌幸(武藤喜兵衛)や曾根内匠助昌世などが有名です。
> 山本勘介(菅助)も、こうした武田家の将校のひとりであり、忍者伝説や軍師伝説から
> 考えて、単独行での物見・探索に優れていた人物だと考えられます。
> また、その任務の性質から、表に出て軍を指揮することはありませんが、信玄直属で
> その探索した内容を信玄に直接報告し、地勢や敵情を知っていることから時には兵の展開
> などについて、信玄より意見を求められることもあったのでしょう。
>
> さらに、信仰にも似た信玄の偉大さや武田家遺臣の誇張など、様々な伝承・嘘・事実などが
> 入り混じって、後の世の「山本勘介」像が作られました。
> よって、山本勘介という人物を掘り下げていくと、軍師か使い番かの白黒二元論的な極端な
> 存在ではなく、その中間の「優秀な情報将校」という姿が浮かび上がってきます。
> 戸田氏の「戦国武将考」研究論文より
>>83
実は讃岐出身だった説では讃州と三州の混同を利用して出自などを
うまく誤魔化したことになっているから、讃岐に牛久保という地名が
あるかどうかはどうでもいい問題になのでは。
サムライの起源はサウラビってくらい無茶苦茶だな。
無茶苦茶じゃないニダ
88無名武将@お腹せっぷく:04/01/13 23:07
>>87
日本は韓国の領土であるーと同義。
日本史板ならともかく三戦板なら甲陽軍艦準拠の勘助でかまわないんじゃ?
でもゲームで武田武将強すぎ
90無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 01:01
>>89
妥当じゃない?
むしろ周りが弱すぎ
>>83のリンク先を読んで思ったこと。
武田家臣団が清和源氏に祖を求めるのは当然。

1.ほとんどが武田・小笠原系の支族
2.功臣に名跡を継がせる例が多い
3.一族意識を高めて収束を図りやすい

このような要素はいくらでも挙げられるよ。勘介とは関係ないが。
「実在していない」という証明は不可能だよ。
まあ、市川文書が「軍師として実在していた」という証明にもならんが。


もし「山本勘介なんて実在してなかった」という確かな証拠や記憶があるなら、
「甲陽軍鑑」が書かれた時点で、武田の残党が「ウソを書くな」騒ぎだして、
徳川が発禁にしたんでないの?

93無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 04:03
>>84のソースってどこにあるの?
94無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 13:23
95無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 13:25
つーか「実在した」でいいだろ。
こんなくだらない事で揉めんな。
これに「必ずしも軍師ではなかった」を追加しときゃ文句ねえべ?
そもそも軍師という立場・役職自体がほとんど後世の創作なわけで
98無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 14:16
>>97
すべての家中でね。武田に限った事じゃない。
>>92 >>96 あたりが妥当だな。
山本勘介(管助)なる人物は実在した。
市川文書によってそれなりの「軍使」であることが証明された。
 
で、信玄の軍師とか側近中の側近とか忍者出身とかいうのは
創作の可能性が限りなく高い。

終了。
100無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 14:36
>>99
側近であった事を否定するのは難しいだろうよ。
戦国から江戸期にかけては、家中の職制的には低い身分であっても、
近習して様々な意見を具申するものも結構いた。
>>100
だからと言って近習だったと断言も出来ないわけで。
春日源の例を出してみても山本を繋げることも出来ないし
102無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 15:03
>>101
>>99は近習であったことも限りなく否定に近く発言しているからね。
>>102
だな。キリ番で結論を言った>>100の知略はまさにキツツキ戦法よ!
では「かんすけ」の素性の話題はこれくらいにして、忌み名の晴幸についてかんがえよう。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
104103:04/01/14 15:16
>>100じゃなくて>>99だった・・・
キリ番だったら完璧だったのに1レス早く言ってしまう>>99の爪の甘さが
まさにキツツキだな。
>>96
実在したのは菅介で勘助ではないだろ。
106無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 16:11
プッ
107無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 16:14
>>105
んじゃ、西郷が坂本良馬って書いたりしてるのはどうなっちゃうのか説明してよ。
漢字の使用が厳格になったのは戦後に入ってからで、
戦前までの日本人は、音が合ってれば漢字のあて方にはひどく寛容だった。
勝海舟の氷川清話にも、千葉重太郎と千葉十太郎、という文字の両方が見えるが、
そのことでつべこべ言ってる君みたいな奴はいなかったよ。
勘違いの助けとなる菅介
山本勘助がそれなりの側近なら所領の保証書にあたるものとか残ってるんじゃ?それとも軍使は全て陪臣?
110無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 17:20
>>109
武田の全家臣分残ってるんだったら、勘助のもあるだろうよ。
で?全家臣分残っているのか?
存在否定派がえらく必死なようですね
前の方のログだと特に
山本勘助の書状もっているうち知っているが、公表すると財産として
税金を払わなければならないから公表しないっていってたぞ。
あと、家康の部下の本多正信直々の書状も有るぞ。
俺は何でも鑑定段にでれば良いのにと言ったがやっぱりばれると税金取られるから
出ないと言っていた。
由緒有る家っていいね〜〜。
113無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 17:46
( ゚Д゚)<うそだあああああああああああああああ
>>110
つまり無いの?
無いなら例によって存在の傍証すらないという状態が続くが
115無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 20:35
>>114
んじゃ、高坂昌信のはあるの?
高坂昌信なんて本当はいなかったんじゃないの?
116無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:29
>>115
高坂昌信がいなかったら軍師山本勘助は絶対存在しなかったことになるな(藁
が、高坂昌信については所領についての文書から、男色浮気(!)関係の誓詞まで古文書がけっこうあったりする
118無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 21:35
春日弾正じゃなくて?
119無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 22:08
そうか!
軍使が誤って軍師と伝わったんだ。
じゃあ高坂のタイプミスが原因で勘助が発生したでFA?
121無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 22:15
120 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2004/01/14(水) 22:14
じゃあ高坂のタイプミスが原因で勘助が発生したでFA?
山本勘助の地位は甲陽軍鑑によると板垣信方の推挙で足軽大将に
所領もはっきりしない軍使とはさすがに違いすぎるよな
そういやコーエーの武将ファイルには、勘助は
真田幸隆と馬場信房をモデルにしたなんたらかんたらって書いてあったな
(烈風伝の武将ファイル)
124無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 23:21
>>122
一説には穴山家と吉野家は姻戚関係にあって
その縁を頼って来たらしい。
その人が存在するか否かは、それを信じる人間しだいである
126無名武将@お腹せっぷく:04/01/14 23:35
スパイ兼・連絡係兼・ブレーン。

だとしたら、記録が残らなくても不思議じゃない。


ところで記録がダブっているんだが、
ジョニー大倉というのと西田敏行というのは同一人物だったのか?
昭和時代に実在したのか?
しかし服部半蔵・滝川一益・和田惟政等は陰働き+武将としての功績もあるわけで
>>127
むしろその連中の陰働きの方が後世に相当創作されてるわけで。
伊賀甲賀の出身だから忍者だ!なんてのは空想ですから。
>>128
いや、陰働き=忍者って感覚が既に・・・
記録に残る陰など無い。記録に残らないから陰なのだ。
>>126
神保家がどうしようもなく好きなんだが、
コーエーゲーで神保家に架空のスパイ兼・連絡係兼・ブレーンのスーパー能力新武将を登場させて
「スパイ兼・連絡係兼・ブレーンだとしたら、記録が残らなくても不思議じゃない。だからこいつは実在した!」
と言い張って周りに迷惑かけたいんだが、いいかな?
132無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 16:59
演義マンセー蜀厨VS正史マンセー魏厨のようなスレだな
>>132
戦国の正史も演義も糞も無い
三国厨の下らない争いを持ち込むな。
134無名武将@お腹せっぷく:04/01/15 17:20
>>133
実在否定派は、「史料による明確な裏づけがとれない」を理由に存在を否定し
実在肯定派は、「情状酌量の余地があるだろ!」を理由に存在を肯定。
おれにはこう見えたんだけど、このやりとりは正史厨VS演義厨そのもの。
>>134
別に小説の内容で争ってるわけじゃないが
第三者として高見の見物をした気になってる
マヌケな>>134が一番厨臭いw
137無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 02:08
>>134
実在否定派と肯定派の争いなの?

実在するか否かは、本人またはモデルになった人物が実在したことで決着ついているだろ?
今の争点は、実在したけどその実像は「軍師か否か」じゃねーの?

オレ的には、>>84の「情報将校」説が妥当な感じ。
そもそも戦国時代に「軍師」なんて役職はない。
強いて言うなら、占い師のような連中の事を指す言葉だ。
だから「勘介は軍師か?」と聞かれたら答えはノー。ドイツ語だとナイン。
ただし「軍議の席で良い意見を言う奴」だとか「君主からその頭脳を
見込まれていて助言を求められる奴」だとか、そういう存在だという事は
あるかもしれない。
139無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 04:44
どうも何が論点か?で分かれる様だな。

「もしヤマモトカンスケが川中島でキツツキの戦法を提案し信玄が採用したなら」
ヤマモトカンスケには軍師的・参謀的役割・能力があった

・・・で、いいんでないの。


それ以前に、信玄は戦略戦術において、部下の言にどれくらい耳を傾けていたのか?
新田次郎の小説だと「信玄は即断即決の人」になってたが。
勘介の、築城技術者としての役割の方はどうだったん?
実は全部馬場信春の功績ちゅう説もあるけど、もともと武川衆の
そのまた一人という出身で、軍功の積み重ねで出世した
馬場信春が、そんなもんを何時の間に習得したのかわからんし、
師匠がいるなら誰よ?って事になるし。
勘介から伝授されたという話の方がスンナリ分かるって感じ?
141無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 09:35
>>138
役職としての軍師はないけど、どこの大名にも軍師はいたよ。
知恵袋的な側用人や茶坊主、僧侶や儒官など。
名が残るほど大物ではないが、それでも裏で武田氏を支えた人々を総合して実在の人物に投影したのが軍師・山本勘助と考えるのが妥当か?
この場合投影される人物自体のエピソードが残ってないほどやりやすかろう
143無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 11:42
>>142
根拠は?
>>143
「甲陽軍鑑」は元々軽輩から出世した高坂昌信が書いたもの。当然元の自分と同じ身分だったような者に親近感があろう
が、同時に武田家のことを書いたものなので、名のある武将を差し置くことはできない
さらに、「軍師」山本勘助が甲陽軍鑑のみという点から憶測した(笑
145八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/16 12:11
>>144
軍師というのは、職制ではなく立場、というか身のありようの事だと思うので、
その意味で勘助が軍師と後世呼ばれても、何の不思議もないと思います。
それは、献策が用いられる事が多かった人である事を、わかりやすい単語で表現した、
という程度の事かも知れませんしね。

実際、身分がきわめて低い本多正信を近習させ、よく意見を重用した
家康や、化外の人物でありながら、ことあるごとに師礼を取り意見を聞いた
太原雪斎と今川義元の関係などにも見て取れる事ではないかと思います。
>>145
個人の憶測を以て論を諭すべきではないと思うがこれ如何
147無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 12:47
うるさい
148八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/16 12:48
>>146

全くその通りだと思いますよ(笑)
もうすでにこのスレッドでくどいくらいに出ていますけれど、
山本勘助については、史料があまりにも乏しすぎて、未来永劫、
存在か架空か、どんな立場で何をした人か、という結論は出ないと思います。

ですから、今ここでこういう話をしている人たちは、みんなそれをわかった上で
お話ししているんじゃないかと思いますが。

正信と家康、雪斎と義元の例のほかにも、こうした戦国期の軍師の例は
あると思います。
そういえば、秀吉と信長にもそのようなにおいがありますね。
もっともこれは講談のフィクション臭いですけれど。
しかし多くの(講談の元になるような)軍師は、正規の職制・家臣団に組み込まれた上で相談役のようなことをしていた
山本勘助の場合、正規の家臣団の一員としての立場が、ふたつのみの資料であまりに隔たりがありすぎるから、どうしても創作がほとんど、と思えてしまう
講談くさいってのは、江戸期になってから三国志演義や水滸伝が流入してから。
それらの影響をうけて、機略を縦横にめぐらす軍師の存在が必要になったのでは。
それと、三国志演義の物語が
序盤…個人の武勇
中盤…諸葛亮の登場
終盤…諸葛亮と司馬懿の戦い
と、まあ大雑把な流れだが、ここに曹操や劉備の勢力の大きさとリンク
してくる。つまりは、勢力の拡大→軍師の活躍、武から知への移行がされている。
物語の流れから、「影響力の大きな軍師」という存在が必要になり、作られた
存在とも考えられるね。

武田の勢力の伸びている最中に活躍した人物であるとするならば、それは
三国志にたとえるならば、



山本の位置付けはもしかしたら簡雍とか孫乾とかかもしれない。
(^∀^)ゲラゲラ
152無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 21:23
実在しない派は低脳しかいないみたいだなw
153八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/17 21:30
そういえば、
「ほかの史料に全く見えないんだから勘助は想像上の人物だ」
と、華高らかに学説を開陳していた先生に限って
市川文書が出てきたとたん
「居たにはいたけど、ホラ見てごらん、ただの軍使にすぎないんだよ」
とかいってるような気がしますよ。
気のせいかも知れませんけどね。
勘介は実在しないよ
するよ
軍師山本勘助が実在していたとしても市川文書の山本とは別人だろ
立場も役目も違いすぎる
この辺の合理的説明にお目にかかったことが無い
山本勘助なら昨日まで隣に住んでたよ。
158無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 22:07
>>156
市川文書での山本の立場と役目はどういう記述がされているのですか?
159チャンコロ:04/01/17 22:18
いい加減な記録や証言で構成されている日本史はほんとに滑稽ですね。
160無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 22:22
>>156
答えられないということは知ったかぶりでいいかげんな事を書いただろw?
161無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 22:29
156は恥ずかしい香具師だな(藁
既レスも呼んでない馬鹿が多いな。おまけに一時間も待てないのかよ(禿藁
市川文書の山本官助は「山本官助口上あるべく候」とあり、つまり軍使
一方甲陽軍鑑のそれは宿老板垣の推挙で足軽大将からはじまる中途組みとしては異例のエリート
わかったかな?
まさか軍使と足軽大将の違いもわからない香具師ばかりじゃないよねぇ?(ゲラゲラ
164無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 23:08
↑一人笑いしている奴って、見ていて痛いな
165無名武将@お腹せっぷく:04/01/17 23:49
恥ずかしい香具師だよな>>163
166無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 00:13
>>162
「詳細は誰某に伝えさせる」という類の文書を、
例えば信長で調べてみると、
後半で大活躍の堀秀政始め、大物だと佐久間信盛や明智光秀まで、
超有名武将の名前まで出て来るんですね。
軍使を務めたから身分が低いだとか決め付けるのは馬鹿ですよ?
167無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 00:17
>>164
本人はそれで勝利宣言してるつもりなんだろw
168無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 02:30
なんか一人だけ変な奴がいないか?

・ヤマモトカンスケは実在した。(当時は漢字の当て字は適当)
・「軍使だった」事は、「軍師ではなかった」事の証明にはならない。
・「軍師という職業名は無かった」事は、「軍師的役割ではなかった」の証明にはならない。
・だから真偽はいまだ謎。


これでいいだろ?
>>168
構わん
170無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 02:44
話がずれてすまんが
「山本官助口上あるべく候」の
「べく」は「口上があるでしょう」という推量の
意味にとればいいの?
いや「べし」って意味が多いから正確に分かりたいもんで。
軍議の内容だの家中での話し合いだのなんぞにまで踏み込んで書いたような
史料というのは、どこでもごくごく限られるのであって、甲陽軍鑑にしか
勘介の活躍が無いからというのは、あまりにも適当な理由付けだな。
むしろ甲陽軍鑑がここまで語るということが重要だろう。
甲陽軍鑑に脚色や意図的な改変や年代の間違いなどがいくつもある
というのもまた事実だが。
>>171
公的な立場の違いのほうは?
これは別に各家の資料がまともに残っていれば大抵わかることなんだが
仮に実在したとしても信繁以下の武将を死なせ、自分も討ち死にせざるを得なかったヘタレ作戦立てたダメ軍師
174無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 10:55
勘助の実在を信じている奴がどれほどの馬鹿が良く分るスレだなw
175八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/18 11:02
実在を否定しうる論拠はなく、単なる学説の一に過ぎないと思うのですが。
特に、自信が子孫であると信じている人たちが、今日でも暮らしているわけですし。
>>53が結論だろ。
>>175
その無関係な話で反論したつもりの馬鹿か?
178無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 11:04
>>175
そいつらに先祖は武田家の軍師どころかただの使いだったことを教えてやれw
179無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 11:19
このスレッドでは「軍使」が卑役であるという前提に立ってる人が多いが、
江戸期と戦国期では情勢もだいぶ違うんだけど、本当に
軍使全般が卑役だと断言出来るの?
>>179
優秀な若手が軍使になったのは事実
が、軍師=軍使ではない
なんども既出だが、仮に信玄側近にして相談役の特別な軍使だったとしても、甲陽軍鑑でみられる「山本勘助」とは違いすぎる
しょっぱなから足軽大将、つまり前線部隊長であって、軍使を受けるほうだろ
そりゃ合戦前の軍議で多くの提言を出したかもしれが
181無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 11:57
>>180
その程度の差異は、信長公記と太閤記の間にもあるし、
三河物語でも、身分の誤記はあったと思った。
なぜ勘助の事例にだけこれほど執着するのかはわからないけど、
日本の史学が戦後の一時期おかしくなって、巷間説はすべてフィクションとして
切り捨てた頃学者になった奴らが隠居するまでは、このままおかしいのが続くのかなと思ったりする。
>>181
具体的に出してくれ
さすがに側近・情報将校と実戦指揮官とを履き違える記述があったか?
それと軍使にしろ軍師にしろ山本勘(官)助の場合、同一人物とみなせば対立する二つの資料の他に証拠がない
>>181
執着っていうか討論したくなきゃこのスレにこなきゃいいじゃん・・・
184無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 12:48
>>182
じゃあ、横田備中高松の出自について、なにか史料でも残っているのですか?
>>184
話そらししかできないなら最悪板でもいけば?
>>184
近江佐々木氏の系図とか残ってますが何か?
さらに横田備中は女婿が同じ地位を継承していて、この点に関する矛盾がない。>>184は思いつきでいったのか?
188無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 13:02
栗原詮冬は?
189無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 13:04
山県昌景が飯富の弟ではなかったとする説だってあるし
高坂弾正が高坂家を継いだとするのは誤りだという説だってある。

これだけの重臣でもこういう説が出てくる程度にしかわかっていない家中の事を
さもわかったようにどうこう言うのは奇妙としかいいようがない。
>>188
粘着厨か?自分で調べて「官(勘)助と同じ矛盾があるぞ!」とか提示してみろや(藁
栗原詮冬は国人として、また武田家に信虎〜勝頼に仕えた氏臣として名があるぞ
で、地位等矛盾があるか?
191無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 13:11
>>190
何に名があるの?
192無名武将@お腹せっぷく:04/01/18 13:14
山梨には、高坂町はないけど 春日町はあるんだよね。
春日町は春日弾正にゆかりの土地。
軍神としての勘助は?
>>180
足軽大将が前線部隊長?そりゃ変だな。
山本勘介は甲陽軍鑑では足軽大将だが、足軽大将ってのは甲陽軍鑑では
旗本を固める信玄直属の部隊のことですよ?
信玄直属で使い易い立場にあるからいろいろな仕事に回されるわけでね。

>>182
二つの史料はつながりは見えないけど、対立するものでもない。
詳細を伝える役目ってのは、>>180の言うような「優秀な若手」
に限られるものではないから。
織田信長が降伏後の真田昌幸に馬の礼を言わせるために
滝川一益を使うぐらいだからね。

>>193
そもそも甲陽軍鑑ですらそこまで持ち上げてないでしょ。
まあちゃんと読んだことがあって批判してる奴の方が少なそうだが。
また議論になってんの?
ヤマモトカンスケの実像はいまだ謎だってみんなちゃんと認めてるだろ?

このスレをループさせてる奴って1人だけだよな?
>>195
煽ってるのと反論してるのとで二人はいるだろ。
両方同一人物。
>>194
根本的勘違い厨が沸くのもループ状態の特徴だな
199無名武将@お腹せっぷく:04/01/20 04:23
もう勘助論はやめて組織論やらね?
狭義では軍師とは、「一軍を率いて戦をする(ライン)のではない、大将の相談役のみ(スタッフ)。」
てのはどーよ。
市川文書で、山本管助が書状届けた市河藤若とは何者?
注進状披見
仍景虎至干野沢之湯進陣 其地へ可取懸模様 又雖入武略候無同意 剰備堅固故
長尾無功而飯山へ引退候哉 誠心地能候 
何ニ今度其方擬頼母敷迄候 
就中野沢在陣之砌 中野筋後詰之義 預飛脚候キ
則倉賀野へ越上原与三衛門尉 又当手之事モ塩田在城之足軽為始
原与三衛門尉五百余人真田江指遣候処 既退散之上不及是非候
全不可有無首尾候 
向後者兼存其旨 塩田之在城衆ニ申付候間 従湯本注進次第ニ当地へ不及申届可出陣之趣 今日飯富兵部少輔所へ成下知候条 可有御心易候
猶可有山本菅助口上候 
恐々謹言

 六月廿三日  晴信 花押
  市河藤若殿
>>199
>もう勘助論はやめて組織論やらね?
バカ一人
スレ違いだろw
最近発刊したばかりのPHP文庫「真田幸隆」。

勘介は、直々の使者として、また城の縄張りや法度などに
創意工夫、経験が生かされてもきた。が、ライバル幸隆ほどには
手柄と誇れるものは何もなく、あせる勘介・・。

なかなか面白い今までになかった勘介像だった。
204無名武将@お腹せっぷく:04/01/23 01:42
>>203
(・∀・)イイネ!!
人間臭い勘助。俺は支持するよ。
今度読んでみるよ。
管助じゃなかったっけ?
206無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 10:22
>>192
香坂(高坂)は信濃系だろう。
207206:04/02/22 10:23
高坂は信濃系の苗字という意味です。
208無名武将@お腹せっぷく:04/02/24 13:43
高坂は、死語子孫が改姓してさかのぼって昌信を高坂にした可能性だってあるしな。
209無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 10:09
あれだ、信玄がキツツキ戦法を考案して実行した。でも失敗した。
こりゃあ信玄の名が落ちるってんで急遽、山本勘助なる人物を捏造。
んで全部こいつのせいにして、なおかつこいつは死んだことにしようと。
信玄とその側近達の捏造だ。
日本全国調べまわれば
何人かいるだろう。
「軍師山本勘介」っていう人物像はいつ頃誕生したの?
212無名武将@お腹せっぷく
>>209
ばかだな、信玄も想像の人物なんだよ。