>550
三刀谷孝和の件の事はよく知らなかったよ。
で、少し勉強してみた。サンクス!
それぞれのレスは、氏のコメントが大前提って事で。
オレも家康につくな。その策なら余計に。(^。^)
>549
島津征伐を題目に大坂入りするのが目的。普通なら入れないと
思うが、「三成方の方策として島津が挙兵」の前提条件でなら、
三成も大坂に入城する家康を止められない。→→→というか、
九州へ行って欲しいんなら、止めるワケない。
家康としては、九州へ行くと見せかけて入城後、ただそこを動かないのが目的。
戦時下になるワケだから、占拠ではなく、あくまで表向きは軍の本陣。
でも裏では、今までの権力に武力という武器をプラスさせるのが目的。
大坂入り後、改めて会議を招集するのはあくまで豊臣政権をたてているという
名目上の事。権力の委譲は徐々に行うのが目的で、一気に占拠は
反石田派豊臣家臣団を敵に回すだけだから、もちろんゆっくりと。
毛利には宥和でいいと思う。ここぞと立てまくる。上杉宇喜多両大老に関しては、
前記にもあるが、暴発でも、静観でも好きなスタイルで構わない。暴発が一番だが、
黙っていてくれれば、家康としてはさらに挑発を重ねるだけ。
まあ、実際的に宇喜多に討伐軍の指揮は任せられないかも。
いいのは名代としての秀元あたりか。で、軍の進発の影で
島津への宥和政策は進行させる。
(島津反乱のきっかけが結局わかんないけど)
>549
>まあ、今回の話はもともと西軍の東西挟撃策があったとして、
>上杉でなくて島津が挙兵したらどうなったかというifなのだが・・・。
書き忘れた。(まとめ的に)
これに関しては、家康は九州へいくべきじゃない。(遠いから)
が個人的な答えかな。中央から離れるのは絶対に避けるべき。
極端だが、島津の挙兵は放っておいてもいいくらいだと思う。
まあ、そもそも島津が挙兵する可能性がほとんどないしな。
だね。(たくさん書いてきてなんだけど)
島津が駄目なら奥の手。
三成の口先方便でなんとか朝鮮再征伐を決定する。
国家の大老にして、先の戦役では出兵を免除されていた
自称国内最強の徳川君は当然海を渡る。
少なくとも名護屋城までは行く。
あとはそれをみんなで突付く。
鬼才三成ならできる。
>>556 途中まで話を進めてたら、家康の政治的圧力で清正・正則・長政らに加えて
三成まで先遣隊の一員として逝かなきゃならん羽目に・・・ガクガク((゜Д゜;))))プルプル
おまけに、今度こそ誰も止める人間もいないので遠い異国の地でドサクサに紛れて(ry
>これに関しては、家康は九州へいくべきじゃない。(遠いから)
>中央から離れるのは絶対に避けるべき。
これはわかるんだけど、
>極端だが、島津の挙兵は放っておいてもいいくらい
さすがにそういうわけにはいかないのでは?
関ヶ原合戦後なら、ライバルの毛利・宇喜多・上杉が全員敗北しているので、
島津は無理につぶさなくてもいいという判断はできるだろうけど・・・。
>そもそも島津が挙兵する可能性がほとんどないし
それはどうかな?
島津の実力からすれば、5大老の一員になり、
あわよくば島津幕府をうち立てたいと考えても不思議ではない。
(実際に幕末にはそういう行動をとった)
毛利・上杉・宇喜多・佐竹・島津の雄藩連合で徳川を打倒するというプランがあったなら、
ノリノリで参加したかもしれないよ。
(史実においては宇喜多・島津以外の連携は無きに等しかったが・・・)
>>558 あの時期の島津は伊集院の件もあったし、
内部はガタガタとまでは言わなくてもとてもまとまらんだろ。
当主の義久も実際関ヶ原で煮え切らない態度を取ったように
それ程の意欲が見えないし、そもそも家康にも恩義感じてるくらいだから。
>558
う〜ん。
とにかく島津が日本を制する可能性は低いなあ。
京までの道のりが長すぎる。
上杉ら大老との連携も取りようがない。
連携が取れなければ、挙兵後もどれもこれも家康の各個撃破の餌食になる。
だから反乱は無い。
自らの首を絞めるような事はすまい。
西軍参加だって間違いだったのに。
>>558 少なくとも当時の島津にそのようなつもりがなかったのは明白だよ。
もしあったら西軍東軍どっちにつくにしろ、
全勢力をあげて行動するに決まっている、戦後の影響力を上げるためにね、
あるいはこの機に九州制圧戦を再開するか、
いずれもしなかったのはそのようなつもりがなかったか、
出来ない事情があったかだ、
いずれにしろそういう事情であるいじょう、
あの時点でも島津の自主的な挙兵はありえない。