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無名武将@お腹せっぷく:
9代義根は1805年(文化2)阿波を去って京に移住、
再び足利を称し、等持院など足利家所縁の諸寺から
援助を受けて生計を立てた。
明治維新後、主家を持たない浪人であったため
華族はおろか士族にもなれず平民籍に編入される。
11代義孝はこれを不服として岩倉具視に華族への昇格を訴え
1879年(明治12)公家出身の押小路実潔が名家の末流を華族に
取立てるよう三条実美に提出した請願書にも足利家は含まれていたが
南朝を正統とする政府の方針と合わなかったこと、華族の増設に
否定的な意見が多かったことなどから、結局実現せずに終わった。
哀れ阿波公方家。