「長篠・設楽ヶ原の戦い」ー武田軍の敗因は?その3

このエントリーをはてなブックマークに追加
1武田太郎義信
2無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:40
埋め立て後、移動して下さい
3無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:50
どんな話しだったっけ?
4無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:51
>>993
その場合、普通の合戦程度の(大したこと無い)戦果を挙げるでしょう。

長篠で武田軍が大損害を出したのは、
逃げ道も無く追い込まれた状態で二倍以上の敵から追撃されたから。
織田軍が逃げる状況になった所で、武田軍が大戦果を挙げるような
条件はありません。
5無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:51
江藤
7無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:53
江藤
8無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:53
>>4
なぜ?少人数が大人数を追いかけても損害を与えられない?
戦国時代に限らず、一回乱れだした相手を追えば戦果が挙がるというケースは少なくないと思うが。
そのへん説明をもらえるといいんだけどね。
しつこいぞ、ティンカス
10無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:54
madamada江藤
11無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:55
>>4
「織田軍が武田軍に負けた」ということで反織田的な感情をもっていた諸侯がまた連合を組むという可能性は?
12無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:55
江藤
武田軍は既に混乱状態だったから無理ぽ
14無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:55
>>985
合戦の前半では発揮できていたかも「しれない」。
兵力2倍とはすなわち戦力4倍。
武田軍の「質」が織田軍の1.2倍あったとしても敵戦力は3倍。
軍法だの統制だのでひっくり返る差では無いので
検討のしようがありません。
あとは戦術の問題ですね。
15無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:55
江藤
16無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:55
>>13
いや、仮に織田軍が負けて逃げ出したとして、武田軍の追撃が有効かどうかを考えてるんだが
>>11
浅井、朝倉、本願寺もいないし無理ぽ
18無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:57
江藤次第な気がしてきてしまった
19無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:57
>>14
そうですか(ちなみに兵力の二乗=戦力というのは何?)。
その「戦術」という中に、織田家重臣への離間工作が含まれえたかどうかですね。
>>16
それは絶対にない
長篠に誘い込まれた時点で負けなのだよ
21無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:58
>>20
で、なぜ武田軍がのこのこ長篠へ出てきたかが問題なのであって。
やっぱ勝頼・重臣がみんなDQNだからですか?
22無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:58
江藤
>>14
二倍は間違い
やり方次第では二倍いようがけちらせる
24無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:59
>>20
絶対とは強気だな。
なぜ?
25無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 03:59
江藤
話がループしてんな〜
織田の重臣裏切りとかに騙されたんだろ
27無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:00
>>19
ランチェスター
28無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:00
>>17
上杉、毛利、北条および近畿地方に点在する諸勢力。
武田が敗れた後もしつこく織田家を脅かしたこのたりはどうか。
29無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:01
>>26
ほんとにそんな話があったかと言えば、
信頼できる史料に一つも無いわけで、
想像の世界で楽しむ時にしか使えません。
30無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:01
>>26
その重臣裏切り工作を逆用されちゃった説が正しいかどうかを話してるのですよ。
約8000対約20000
かつ退路を絶たれてしまってどうにもならん
32無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:02
>>28
長篠の時点で織田と結んでいる毛利と上杉を計算に入れるのは妄想家の所業。
北条が遠路はるばる意味あるほどの兵力を投入してくるほどお人よしだと
思う奴は誰もいるまい。
33無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:03
>>29
資料に残った世界だけが歴史ではないでしょう。
資料が見落とす、あるいは歴史を捏造するケースさえあるわけで。
ただ長篠の戦いをシミュレートしてみると、
われわれと同じ人間である武田・織田両軍の間でありえない話ではないんじゃないかと思うわけ。
資料として残ってるかどうかを争ってるわけじゃないでしょう。
信長後記自体、信用出来んよ。悪いけどw
35無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:05
>>33
歴史学では根拠となる史料があるかどうかほど重要なことは
ありませんよ?
「織田の重臣が裏切るつもりだと信じ込んだのだ!」と貴方が
個人的に結論付けてそれを信じるのは勝手ですが、
他人に対して説得力を持たせるのは無理でしょう。
史料に無くて良いのなら、相当に無茶な設定だってできますからねw
>>33
そうそう!んな事言ったら歴史は嘘ばかりになってしまうやね
日本の歴史=ねつぞうの歴史
37無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:07
>>32
別に武田に天下を取らせるための反織田連合ではないですよ。
その時点で最強の織田家をとりあえず倒さなければ、
他の勢力の天下とりはありえない。
戦国期の中国で、秦以外の六国が手を組んだのと同じ。
ただ織田軍が敗れた場合、次の仕切り直しまでに様々な手で反織田勢力が手を結ぶ可能性は否定できないと思う。
直接兵隊を送るばかりが支援ではない。
要するに「織田家と対向できるだけの勢力図ができあがった」ことが大事では?
反織田勢力が天下の人心を得るという意味でも。
38無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:07
>>35
なら、おまいは信長方の資料は必ずしも正しいと言えるのか?

家臣「殿はお若いから今後幾度も機会があります。ここはいったん出直して・・・」
勝頼「だまれ!俺の30歳が二度とあるか!!」
家臣「おおお、なんと大きな心意気。感服いたしました」
勝頼「とつげき〜!」


勝頼カコ(・∀・)イイ!!
40無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:09
>>37
その時点で信長と組んでる連中で
何の寝返りの兆候も確認してないのに
「反織田勢力」として計算はできないでしょ。
41無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:09
>>35>>36
では「昔の誰かが書いたもの」を無条件に信じ込み、
長篠の合戦なら長篠の合戦の状況をシミュレートすることは歴史学ではないと。
「どう考えてもこんな馬鹿なことを同じ人間がするはずがない」
ということが資料に記されていた場合、歴史学者はそれを疑うことをしてはならないのですね。
42無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:12
>>40
「その時点で信長と組んでる連中」が信長の天下を望んでいたと思いますか?
信長に忠誠を誓っていたと思いますか?
そんなはずはありません。
とりあえず、その状態で織田家にたてついたらまずいから従っているだけでしょう?
だとすれば、「武田が勝っていたら」を前提とした場合、
天秤の傾き次第ではそういう勢力は反織田に流れることが当然ありえます。
利で作られた力の関係は、利で動くものだと思いますが。
43無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:12
>>38
なぜ織田限定なのさ?w
武田も徳川も含めてに決まってんでしょ。

>>41
「記述の検証」をするのは歴史学として当然でしょうに。
そういう極論がお好きなんですか?
44無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:13
>>42
とりあえず「武田が勝っていたら」じゃなくて
「武田は勝てたか」だと思うんだけど。
勝った後の話は不毛杉。
45無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:15
>>43
極論を用いたのはあなたが極論を出されたからですよ。
資料があり、その検証がある。ごもっともです。
今はその検証をしているんじゃないんですか?
あなたの云う「資料」にはそうした記述(織田家重臣裏切りどうこう)はないかもしれない。
しかし長篠の合戦で当事者の側に立つと、
ただでさえ不利な武田軍があえて突撃を試みた裏にはそういう事情があったと考えることも可能じゃないですか?
私は検証をしているつもりですが。
46無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:17
>>44
この議論、初めから読まれました?
今「武田が勝っていたら」を考えているのは、前スレ>>975の発言をふまえて、
「武田が勝って天下を握ることができるなら」と織田家の重臣が裏切りに応じる可能性が
あったかどうかを考えているからです。
要するに、武田が開戦にふみきった理由として「織田家重臣の裏切りを信じたから」説が
採用できるかどうかの検証ですよ。
47無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:18
>>45
それは「史料の検証」じゃないね。

>ただでさえ不利な武田軍があえて突撃を試みた裏にはそういう事情があったと考えることも可能じゃないですか?
>私は検証をしているつもりですが。

それは大変に結構なことだけどね。
で、どうやって「裏付け」るのさ?

それなら武田の重臣の心理を「個人的に想像」して「重臣自殺願望説」を
ぶち上げたって正直、変わらんよ。
48無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:21
>>47
これはこれは。
裏づけが困難(というか、素人には無理)ということは承知ですよ。
今それがきっちりできないから、「普通に人間として考えたらどうか」を考えているわけでしょう?
「資料の検証じゃない」とおっしゃるが、では検証とはいかなる定義を有するものですか?
検証が困難であることとその作業が「検証じゃない」こととはイコールではないのでは?
ついでに私は「自殺願望」だとは思っていません。
あくまで武田軍も勝算があったはずで、その勝算の中身として裏切り説が説得力をもつんじゃないかと
考えているだけです。失礼ですが、勝手に飛躍されても困りますね。
49無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:21
>>46
だとしたら、
「この戦に勝ったら上杉が反織田に回るかもしれない」
「この戦に勝ったら毛利が反織田に回るかもしれない」
「この戦に勝ったら(以下略)」


というあまり確実ではない仮定を積み重ねた挙句に
「よってこの戦で佐久間(別に誰でもいいが)が寝返る可能性はあるかもしれない」
から
「この申し出は本物だと確信できる」
という論理展開になるってこと?
それで突撃かけて返り討ちあぼーんではマヌケすぎると思いますが。
それなら「戦は数だけじゃない!」とかの方が可能性ありそうですね。
50無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:23
>>47
極端な話、「自殺願望説」を立てた心理学者がそれを裏付けようと考えたら
検証になるんですか?どうなんですか?
「武田の重臣ことごとく自殺願望にとりつかれ」なんていう記述はもちろん資料にはないでしょうが。
信玄逝去後引いたのが滅亡の始まりじゃないか?
どの時点で亡くなったか分からないけれども、
少なくと徳川の息の根を止めるまで攻勢を続け
信長の主力を三河尾張で拘束し、他方で反信長勢力
の蜂起(5月頃の予定?)でじわじわ包囲網を狭めれば
史実の通り各個撃破されることもなかったのでは。
戦略としては主力を特定せずに徹底した持久作戦で
時間と兵力を吐き出せ、織田軍がいないところでは
遠慮なく荒らしまわり、来れば引き、引けば攻めるといった
様に行えば支配している土豪たちも少なからず脱落し、
やがて有利な状況で決戦を強いることで決着をつけられた
かもしれませんでしたが、貫目が軽く見られる勝頼に
そういった指導が出来なかったであろうところに武田の
悲劇があったのでは無いでしょうか。
52無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:25
>>49
結論から言えばそういうことです。
あまり確実でない仮定というのは事実ですし。
ちなみに、裏切り説の「確信」まではもっていませんよ。
ただそれが資料にないから「講談話」だと片付けられるのはどうかと思って
さっきから疑問を挙げているだけです。
53無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:27
>>49
あと、問題は、われわれがそれを信じられるかではなく、
そのときの武田軍がそれ(寝返りの可能性)を信じたかどうかです。あくまで。
結果としては武田軍は開戦に踏み切っています。
そこにはそれなりの計算があったでしょう(突撃アボーンだったかもしれませんけど)。
その「計算」の中身を考えていくと、城攻めの要領と同じで、
「中から火を出して崩し、外から攻勢をかける」という方法はいちばんポピュラーじゃないですか?
54無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:27
>>52
貴方が確信したかどうかじゃなくて、武田家の首脳陣がそれで確信を
持って突撃できるほど馬鹿なのか?って話よ。
55無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:30
>>54
>>53にも書きましたがまさにその通りです。
実際武田軍は戦いをしかけているわけで、そこからは、「計算」の存在が推定されます。
で、私は「武田軍はこう考えたんじゃないか」と思うが、みなさんはどうですかとお尋ねしている。
56無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:30
>>53
>その「計算」の中身を考えていくと、城攻めの要領と同じで、
>「中から火を出して崩し、外から攻勢をかける」という方法はいちばんポピュラーじゃないですか?

内応ってのはほっといても自分たちが負けそうだから
そうそうに寝返って味方すれば功績になるってのが
一番ポピュラーだよね。

普通に信長に従っていれば勝ちは間違いないでしょ。長篠の状況考えたら。
そんな状況で寝返りを申し出る奴がいるって時点で納得しないでしょ。
武田側の方が。
57無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:31
>>47
検証の定義求む
58無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:33
>>57
ほい。

けんしょう 0 【検証】

(名)スル
(1)真偽を確かめること。事実を確認・証明すること。
「誤りがないかどうか―する」
(2)裁判官などが推理・推測などによらず、直接にものの形状、現場の状況
などを調べて証拠資料を得ること。
「―調書」
→書証
(3)〔論〕〔verification〕判断・命題の真偽を実地に確かめること。特に
科学では、ある仮説から論理的に導出される結論を、実験や観察の結果と
照合し、当の仮説の真偽を確かめること。論理実証主義においては、ある
命題が観察命題の集合から論理的に演繹可能であることをいう。

59無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:34
>>56
三国志で言えば赤壁の黄蓋ってところですか。
「そんな状況」かどうかを、「武田が勝っていたら」というシミュレートで考えているのですが。
もちろん、「沈みそうな船から逃げ出す」式の内応は最もポピュラーですよ。
その意味では確かに言い方はまずかった。
ただ、堅実な賭けよりまさに博打の要素の強い賭けの方が成功した場合のメリットも大きいです。
そのメリットの大きさと、寝返った場合の武田軍の勝つ可能性、及びその後の天下の趨勢を考えたと思われるのが
当時の織田の武将です。
だからさっきからシミュレートを繰り返しているのですが。
60無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:36
>>58
どうも。
ここでは裁判官の検証とは明らかに性質が違うことをしています。
要するに、「直接」じゃない部分で頭を使わなきゃならんわけで。
そのとき、「仮説」を考えることは、レベルの差こそあれ、検証になるんじゃありませんか?
61無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:36
>>48
「それは史料の検証じゃない」と言ったのに、
史料に無いものを検証してるんだって言われても困りますなw

「論理的に納得できる事」イコール「全て真実」じゃないんですよ?

問題は貴方が自分自身で「論理的に十分納得できる」と確信した、
とある説があったとして。
それを「裏付けられるのかどうか」なんですよ。
戦場築城が終わっている陣地に突撃を敢行してる
理由として何らかの内応の約束(信長の計略)があり
それを信じたからではなかろうか
佐久間の寝返りだよ
64無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:38
>>59
「赤壁の黄蓋」が演義だけの話なんですけど・・・
65無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:39
>>61
いやいや、「検証できたか」じゃなく「検証中であると言えるかどうか」を
お聞きしたのです。
「資料の検証」といったって、資料に全てが克明に書いてあるわけではない。
その足りない(あるいは足りないんじゃないかと推測される)部分を仕方なく資料からはなれて
考えるのも歴史学で云う「検証」ではないのですか?
もちろん、歴史を考えているのではなく資料そのものだけを対象とするというなら、
資料にないものを検証するなどというのは矛盾でしょうけど。
66無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:40
>>64
状況として、です。
不利な方から有利な方への鞍替えという点では、黄蓋の裏切りの話と同じですよねと。
何も黄蓋の裏切りの話が真実であることを前提にしなければならない理屈ではないと思いますが?
67無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:41
>>62
武田軍がそれを信じられるだけの状況だったかどうかだよ。
68無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:42
>>62
その場合、攻撃を開始したのに明らかに相手が動いていないんだから、
「日の出から午後2時ごろまで」攻撃を続ける理由がないのでは。

「内応が無ければ勝てない」が、「内応があるから勝てるだろう」と
武田軍が戦に望んだのだとしよう。
ところが戦を始めても「内応するらしい素振りは全く無かった」
わけだよね。
それでも何時間も攻撃し続けて無駄に体力を使い果たし、
追撃されてより大きな損害を受ける一因となったわけだ。
それはおかしいだろう。

やはり武田軍の攻撃行動そのものに、武田軍の考える「勝つための秘策」
が隠されていたのでなければ、8時間も戦い続ける理由がわからん。
69無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:46
>>61
あなたが資料に重きをおくのも、私がいろいろと考えてみるのも、
結局は「長篠ってほんとはどうだったの?」という「真実」に一歩でも近づきたいからですよね?
そのとき、資料が大事だ、推測が大事だと言ってみても始まらない。
それをやりだすとまさに極論です。
私の場合、「資料には書いていないが、武田軍がわざわざ戦端を開いて敗北した(これは資料にありますよね?)
からには、何か勝算があったはずだ」と思います。
その勝算の内容が、資料にははっきり書いていないわけですよね?
そこで「資料に書いていない」ところからスタートして、武田はその場で戦わざるをえなかったという理解に至るか、
「資料に書いていないが、武田にはそれなりの勝算があったんじゃないか」と考えるかで意見が割れているのが現状です。
70無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:47
>>68
俺もそう思う。「勝つための秘策」がないならそれこそ「自殺願望」説にならざるをえないし。
71無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:48
>>68
その「秘策」が織田家内部に対する離反工作だと私は思って
いろいろ言っているのですが、どう思われますか?
72無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:51
>>71
だからその「秘策」が「内応」なら、何も起こらないのに、
そのまま戦い続けるのはおかしいと言ったわけなんですが。
あべこべですよ・・・

家康「うぬう!金吾はまだ動かぬか!これでは長篠の二の舞ではないかっ!」
74無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:54
>>72
ああ、なるほど。これは勘違いでした。
私としては、「最初戦いを始めたのは内応策を信じていたから」であり、
その後しばらくは「内応を約束したやつも機を狙っているのだろう」
と考えて戦いを続け、
「やべ、だまされたんじゃねえ?」と思い始めたときにはもう退くに退けない
状況まで行ってしまっていたんじゃないかと思っているんです。
内応する側にだってタイミングというものがあるし
少なくとも(武田軍側が)優勢にならんと動かない
場合もあるわけだから、少なくともある一定の成果を
あげるまでは多少の損害もやむ得ないとの判断だったんでは無いか?

>>68勝つ為の秘策のひとつとして内応をあげたのだが不満ならば
68なりの秘策をあげるが良い。
7674:03/11/29 04:56
>>72
補足です。
現に戦後、武田が背を向けたとたんに連合軍は追撃をはじめたわけですよね?
とすると、やはり「退くに退けない」まま損害を出しつづけた期間というのはあったと思います。
7774:03/11/29 04:56
>>75
私の言いたいのもそんなところです。
78無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:58
仮に内応の話が事実ではないとして、
だとすると武田軍が何を思って戦端を開いたのでしょうか?
私は内応策しか思いつかないのでしつこく内応を推しているのですが。
79無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 04:59
>>76
武田側は部隊を入れ替え入れ替え戦ったとされているのだから、
織田軍が押していくつもりなら、その時点でとっくに付け入られて
いるでしょう。
やはり「退くに退けない」のではなく、「積極的に攻撃を続けた」のだと
思いますが。
80無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:00
>>79
ならば余計、「なぜそこまで?」という疑問は強まります。
よほど強く自分たちの勝利を信じていたか、あるいは自殺願望か(笑)。
前者だとすれば内応かな、と自分は思うわけであります。
81無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:00
>>75
半分の兵で敵陣地を攻撃して優勢を確保する。

・・・・・・・・・・・・・・無理。
もしも織田・徳川軍を一時的にも退けられたら、
こちらも堂々と退却できる。勝ったとも言える。被害も少なく済む。勝頼の求心力も上がる。
83無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:01
「武田側が優勢になったら内応しますね」
では約束してないのと一緒だよな。状況として。
むしろ内応する奴が現れて始めて敵が混乱し、優勢になるのではないか。
一時的に退けるほどが出来なくても、敵を痛撃できれば、
姉川みたいに追撃戦を放棄させることも出来るかもしれない。
85無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:03
>>82
それが武田軍が戦いつづけた理由ということですか。
「堂々と退却」しているうちに大損害を食らいそうです。
勝ったというのは苦しいでしょう。武田の場合、「絶対に退かない」というのが名声を支えてきた鉄則ですから。
勝頼の求心力ですか・・・・・それは、この判断が成功した場合だけですね。危険な賭けです。
86長坂光堅:03/11/29 05:03
どうしても信長を叩いておきたい勝頼率いる武田軍は、
織田方の誰かを引き抜こうと画作し寝返り工作をはじめた
佐久間、柴田、明智クラスの寝返りの約束を取り付けるが、
この寝返り工作そのものが実は信長の罠だった。
まんまと餌に食いついた武田軍の運命はいかに?
87無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:03
>>85
すまん。武田軍って昔から退きまくってる。
88無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:04
>>83
「武田軍が優勢になったら」というよりは、
「乱戦になって、織田の同僚達が目の前の武田軍に集中し、
味方の動向にまで気を配る余裕がなくなったら」裏切ります、って感じじゃダメ?
それもダメだということなら、全ての内応は開戦と同時にやらなくちゃならないことになるけど。
89無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:06
>>87
これは知りませんでした。
戦略的撤退ではなく真の敗戦による撤退ですか?
いつの話か教えてください。
90無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:06
>>86
という感じだったんじゃないかと想像します。
てか、唯一の後方拠点である鳶巣が破られて、
戦わざるを得なくなったのでは?
92無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:08
>>88
別に小早川秀秋みたいに、戦の終盤で寝返ったって、それが十分な効果を
持つ状況ってのはいくらでもあるけどさ。

基本的に圧倒的劣勢にある側は、そこまで持ち込めずに負ける場合のが
多いと思うんだよね。
だからそういう限定状況を付帯するような内応では勝ちの確信には
成り得ないと思う。
それなら、兵力劣勢にあってなお優勢に持ち込める「秘策」が
あったってことになるよ。
93無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:08
>>91
鳶巣落城と設楽が原への出撃って時間的にどんな感じ?
信玄晩年は不利ならあっさりと引きます
95無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:09
>>85
「退けられたら」と言っているのに、退けられた相手に追撃される
はずがあるまいよ。
96無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:09
>>93
いろいろ。
鳶巣落城は真夜中
設楽原突撃と言われているのは朝

だったかな?フオローを
98無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:11
>>92
勝ちの「確信」までもてていたかどうかはちょっと疑わしいかなと思いますよ。
おそらく、「ここで勝負しないとジリ貧」というのも確かにあったでしょう。
しかし内応というのはそこまで「ありえねー」話でしょうか。
武田軍は「圧倒的」劣勢だったのでしょうか。
もちろん、他に内応より確実っぽい秘策が思いつけば、私も文句なしにそれに賛同しますが。
>>81
半分というのはどこから来てる?
我々は後知恵で双方の数を知りえるが戦場においては大まかな
把握しか出来ないこともあり、ましてや相手を軽視した場合、
正確な数字も意味を成さなくなる場合が往々にあることを
忘れてはいけない。
100無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:12
>>94
まあ体勢を立て直せば勝てるっていう確信がある場合ばっかりだけどね。
その場合は撤退しようがなんだろうが家臣も納得するし、
無理に戦われた方が損害増えて嫌だわな。

あくまでも、体勢を立て直せば勝てる確信が必要だが。
昼前は武田優勢
午後は穴山と信豊が逃げて味方ソウ崩れとなる
102無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:14
>>95
なるほど。相手が追撃に出られないようになるまで叩いておく、ということですか。
私としても、「騙された」と気が付いた後の戦いは、「少しでも安全に退くため」
の戦いだったと認識しています。
103無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:15
>>97
『信長公記』だと鳶巣山攻撃が辰の刻。
真夜中は何が言う所?
104無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:15
>>101
信豊は最前線に布陣していたのでは?
どうやって逃げるねん
確かこの話は、穴山が鳶の巣に行こうとした頃に「すわ退却か!負け戦だ逃げろー」って
崩れたって話じゃなかったっけ?
106無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:17
>>102
「騙された」と思ったのであれば、
その後何時間も戦うより
とっとと逃げるべきでは?
明らかに火力に勝る相手が陣地に籠ってるのを追い払える可能性なんて
体力に余裕のあるうちに逃げて逃げ切れる可能性より
よほど低そうだが。
107無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:17
>>101
新田次郎がその資料を引用してなかったか?
108無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:18
>>106
「とっとと」が難しいんじゃないの?だから殿が必要なんでしょ?
>>106
とりあえず相手に向き合ってる時のほうが被害は少ないでしょ激戦でも
いや、確か御親類衆は後ろにいたはずだ

>>107
良く分かったな
111無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:20
>>105
『甲陽軍鑑』の、穴山が戦わずに逃げたという話を、
それを事実とした上で好意的に解釈するという
技で編み出された説だったな。
内応するにも初手からいきなり翻っても回り囲まれて
意味を成さないでしょう。少なくとも武田軍が味方陣地
を突き破るぐらいの勢いがなければ内応するほうも
おちおち出来ないし、また武田軍もその認識じゃないかな。
だいたい城の内応だって落城寸前というのが多いでしょう。
113無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:21
>>108
土塁だの柵だのを連ねてすっかり籠っていたとしたら、
野戦での追撃と違って、隊列を整えて出て来るだけで随分と
手間かかると思う。
114無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:21
>>106
>>108が言われているように、私も「引き際」にてこずって損害を増やしたと考えます。
さらに、仮に内応の約束があったとした場合、
あまりにあっさり見切りをつけて退却しては、「武田は内応を迫っておきながら、そうして作った味方を
敵軍の中に残して逃走した」ということになってしまい、よろしくありません。
いずれにせよ、内応があったという仮定のもとならば、あの戦い方はある程度まで説明がつくのではないかと。
もちろん乱戦の最中、どこかで武田軍が戦術上のミスを犯したとは思いますけど。
山県、土屋兄クラスが早々と戦死し、真田兄弟も戦死。
殿は馬場で織田軍に突っ込む。
その間、内藤は連合軍の前に立ちふさがって戦死。
甘利信康も自害した。
116107:03/11/29 05:23
>>110
いや、それ読んだから、影響されて内応賛成派なのよ俺。W
117無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:23
>>112
そんな条件だとしたら、優勢を勝ち取るために別な「秘策」がなきゃ
内応に乗れないって。
>>112
単に内応というだけの話なら、
特に城攻めではいきなり裏切るのも多いっしょ。
119無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:24
>>113
しかし連合軍は実際にはけっこう迅速に追撃に移ってるんじゃないの?
武田の損害がやったら多いのは追撃戦のせいだって聞いたことあるけど。
信豊の指揮で続々と兵を繰り出すが破られ、
そのまま信豊の隊はソウ崩れとなり敗走。
121無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:24
>>110
どの史料でも武田信豊は織田軍と戦う記述がある。
後方にいちゃ無理だろ。
あと『甲陽軍鑑』では穴山しか逃げてないし
『松平記』でも穴山と武田信友しか逃げていない。
(武田信友は長篠に従軍してないけどね)
122無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:25
武田騎馬隊ファンの人はただちに申し出てください。正直に。
123無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:26
>>112
落城寸前まで追い詰めたら、内応を打診するよりも
降伏勧告をするかそのまま攻め落とすでしょ。
小勢ながら堅固な城ってのが一番内応の対象になるのでは。
124無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:26
信豊は典厩信繁の息子?
一条隊や小山田隊が最後まで頑張ってたが、
信廉や穴山、信豊等は堪え切れず退却していったはず
この戦で武田騎馬隊が死滅しちゃったから、武田は滅びた。

>>122
ノシ
127無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:27
>>119
それは地形のせいだな。
武田軍にはどうせ迅速な撤退はできない地形だから、
体力減らして意気消沈してから退却するより
元気なうちに退却すべきだったと思うな。
>>124
そう、次男。長男は病死。三男は長篠で戦死
129無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:28
>>125
根拠を示さねば・・・
>>119
最近の研究では退却中に戦死した者がほとんどだとか
つまり織田軍を確認した数日前からとっとと退却しとけって結論?
132無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:30
>>117
ちょっと考えたんですが。
設楽が原は狭い盆地みたいなところですよね。
そして織田軍は柵をかまえ中にこもって密集している。
しかも意識は前方の武田に集中しています。
そんな中、中核にある武将がいきなり裏切って味方を乱し出したらすごいことになりませんか?
もしかするとただの挟み撃ちよりもよほど効果があるかもしれません。
とすると、武田軍の役目はとりあえず柵に向かって突撃し、
連合軍の意識をひきつけるための壮大な「囮」だったとは考えられないでしょうか。
内応という不確かな作戦で使うにはあまりに危険な策ではありますが、
武田軍が内応に確信をもっていればいるほど使うことが予想される作戦でもあります。
>>129
何だよ、こんきょって?
134無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:31
>>131
結果としてはそうなると思う。
ただ、武田軍がそういう状況でそれでもノコノコでてきたのはなぜか、
それ自体を考える議論だよ。
>>132
とすれば、その内応者とは??
>>121
武田信友はでっちあげ。
なら逆に信豊が逃げてないと言う根拠はある?
137無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:34
>>133
何を以って戦の展開をそう断言するのかってことだよ。
138無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:34
>>135
残念ながらそこまではわかりません。それこそ素人なので。
講談に出てくる佐久間かも知れませんが。
ただ、武田がその可能性に賭けるほどの大物である必要はあります。
それも、部隊の配置の上で謀叛の効果の大きい武将。
もちろん信長とソリが合わないとか、そういう要素も入ってくるでしょう。
139無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:35
>>136
従軍してないんだから逃げられるわけないよね。

「逃げてない根拠が無いから逃げたんだ」では何でもありになるよw
断言?断言って何やねん?
この議論に断言出来る事なんて何一つないがw
141傍観者:03/11/29 05:36
とりあえず「W」をつけるのやめませんか?
それが入ると感情的になりますし、相手に失礼です。
せっかくきちんと意見をぶつけあっているのに、もったいない・・・・・
142無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:36
>>132
うん。
だけど武田側がそんな約束を信じる理由が分からないよ。
143無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:37
議論の収まりがつかなくなるから、内応に賛成か反対か書いてから意見を書くのはどうよ?
もともとそういう話だったんだし。
144無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:37
>125 :無名武将@お腹せっぷく :03/11/29 05:26
>一条隊や小山田隊が最後まで頑張ってたが、
>信廉や穴山、信豊等は堪え切れず退却していったはず

とりあえずネタ元を教えてくれないと話しになりませんよ。
突撃主張派と言われる長坂も戦場にいないんだから。
根拠、根拠とか言ってたら何も語れないじゃないか!

勝頼「ふうむ、織田が出てきたか、、、して信長は?」
家臣「出てきております」
勝頼「出て来おったか、これぞまさに好機。最後の好機と心得よ!」

とつげき〜!
147無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:40
>>145
根拠も無いのに「○○が逃げたから負けたんだ!」と言われて
「ハイそうですか」と言う奴がいるかい?
>>144
しつこいな〜、ネタ元はさまざまなほんだよ
>>147
じゃあ、君の根拠って何さ?答えてくれ
150無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:42
>>142
答えになるかどうか不安ですが、一応。
@武田軍は「ジリ貧」を恐れていた。つまり長篠では決戦に出ざるをえないというある程度のプレッシャーはあった。
 従って、多少不確かな情報にもすがらざるをえなかった面はあるかもしれない。
A織田軍の作戦が極めて巧妙だった(戦前からこれを見越して君臣仲の悪い振りをしていた、とか)。

要するに、武田側が「信じたい」気持ちを持っていたこと、そしてそこに織田軍の策略が
見事にはまってしまったこと、だと思います。
あとは、長篠ではその日の朝まで雨が降っていたそうですから、鉄砲の威力を若干あなどっていた
ところがあったかもしれません。当時の火薬は粗悪で、湿気にたいへん弱かったらしいので。
151無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:42
>>148
だからどんな本よ?
小説か?古文献か?誰が書いた何てもんだ?
穴山が逃げた話は『甲陽軍鑑』他あるが
信廉と信豊は聞いたことが無い。
納得するためには根拠を聞かせてもらわねば。
152143:03/11/29 05:42
無視っすか・・・・・・
153 :03/11/29 05:42
>>143

私は何らかの内応があった上で誘い込まれたと思います
154無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:43
>>150
雨は前日の夜にはやんだのでは。(『改正三河後風土記』など)
155無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:44
>>153
武田軍がそれを信じるだけの状況であったかどうかが議論の対象になっていますが、
その点はどうでしょうか?
156無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:44
>>150
「ジリ貧を恐れていた」を事実とする場合、
内応なんざなくてもとりあえず勝負という発想になる可能性も
ありますよ。
>>154
確か、そうでしたね
>>151

たぶん、この人がしつこく言ってる
穴山、信豊、信廉が退却した話しは新田の小説だと思います
159無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:47
>>154
私が読んだのは、「朝」といっても深夜から早朝にかけてという「朝」でした。
そのへんの表現が微妙かもしれません(新田次郎を読みました。文献じゃなくてすみません)。
しかし梅雨の季節でもあり、湿度が高かったのは事実ですね。
織田軍は火薬の心配をしていただろうし、武田軍はそれに賭けた部分があったんじゃないかと。
160無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:48
>>159
武田軍にも相当数の鉄砲持った奴がいるんだから、
賭けるも何も・・・・・・・・・・・・分かるだろ。
だって信長が出てきてるんだよ。
やるっきゃないでしょ。
ここで帰って後日ちょろちょろしても、また信長が出てきてくれるかどうか分からんし。
そんなときに万が一勝って、総大将の柴田などの首を取っても、大して変わらん。
信長の首を取れば、大きく変わるかもしれない。

この一事だけでも武田の頑張りの動機にもなるでしょ。
162150:03/11/29 05:49
>>156
まさにそのとおり。
ただ、ジリ貧も程度がありますから、
「今やっておかないと二度とチャンスは来ない」
というほどのものではないという微妙な状況を想定しています。
ある程度「今やらないと後々きついかも」というのはあったところへ
内応話が持ち上がったので、火薬のこともあわせ、
「じゃあ行くか」となったんじゃないかと思っています。
あそこで武田軍が素直に退却した場合、武田に絶対勝ち目がないとまでは言いにくい気がして。
>>160
甘利が指揮する鉄砲隊ですね
164無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:51
>>162
いや、信長は少なくとも武田軍有利の状況なら出てかなくていい。
信長は時期を待てば勝頼の二倍でも三倍でも動員できる。
信長を誘い出す為に奥平家が守る長篠城を包囲し続けた
しかし、実際に誘いこまれていたのは逆だったとさ
166無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:51
防水技術の差というのはないでしょうか。
あとは火薬そのものの質の差。
当時は火器の技術がぐんと上がっていた頃。
鉄砲への着眼が遅れた(といわれる)武田家の鉄砲と、
早くから鉄砲に目をつけ、しかも鉄砲製造の先進地(近畿の方)を押さえている織田家のそれ。
そこに差が出てきた可能性はあると思います。
167無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:52
>>163
鉄砲なんてあらゆる部隊が持ってます。
168無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:53
>>165
わざわざ信長が三好やらと戦っている時期を選んでの出陣だから、
当初の目的に信長は無いはず。
せいぜい家康どまり。
169無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:53
>>164
すみません、その先を説明してください。
170無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:54
>>166
まず武田家が鉄砲への着眼が遅れたということは無いし、

何より鉄砲は流通商品だから。
171無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:54
>>168
当初は信長が出てこられないと踏んで三河の領土狙いで出陣、
家康の要請で信長が出てきたらぶったたこうという意図があったとは考えられないか?
172無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:55
>>170
ちなみに武田家における火器の技術は連合軍(というか織田軍)と同等程度だったの?
173無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:56
>>170
鉄砲技術が進んでいるところ(堺とか国友)を押さえてしまえば、
そこから出てくる最先端の火器は外へ出さないというのも可能なのでは?
>>167
アホ、甘利の指揮とかいてあるだろう
175無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:58
>>170
>>173が言ってるけど、あの信長ならそのぐらいのことは抜けめなくやったんじゃ?
武田も鉄砲は早くから目を付けてたヨ
177無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:58
>>171
そういう目的であるならば、
北信・上州あたりの諸国人衆が連年の負担に耐えかねて従軍拒否をして
フル動員ができなかった時期、しかも上杉謙信が春日山にいて防衛のために
ある程度の兵を残さねばならなかった時期
に出陣する必要がないだろう。
やはり信長が西にいて出て来れない間に三河で地盤固めというのが
当初の目的では。
178無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:59
>>174
だからなんで甘利?
179171:03/11/29 05:59
>>177
当初の目的についてはそんなとこで。
信長が出てきて殺れそうだったらやったろかという感じ。
180無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 05:59
>>178
話の流れからして甘利かどうかはどうでもいいような気が・・・・・
181無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:01
>>173
根来や雑賀でも作ってるし九州では普通にあちこちで作ってるし
高野山ですら作っていた形跡があるし
信長が西から東への商品流通をそこまでコントロールしていた
形跡も無いし。
いや、甘利は鉄砲奉行だから代表して名前出しただけだろ。
どうしたの?落ち着けよ、おまい達!
183無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:02
>>181
そうですか。
じゃあ火薬の話は抜きで。
184無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:02
>>179
だからそういう虫のいい事を考えられる時期だとは思えんのだが・・・
>>181
なかったっけ?確か鉄砲を買い漁ってたと聞いたが、、、?
186無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:04
>>184
だったらどうして武田は信長が出てくると聞いて即リターンしなかったんだ?
むしろ信長が出てくるのを誘き出すために長篠城で待ってたんじゃないの?
そもそも甘利が鉄砲大将だっちゅう話からしてあやふやだけどな・・・
>>187
そうなのか?
189無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:06
現実の武田軍の行動とここでの議論をかみあわせると、
武田軍全員DQN説が最有力になってしまう悪寒。
あらえっさっさ。
虫のいい話というか、実際に出てきたんだから、チャンスではある。
逆に大軍が来ても、それが柴田などが大将なら、無理もしなかったかもね。

信長だって毛利輝元が出てきた時はチャンスだと思ったと思うよ。
191無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:07
>>183
鉄砲はともかく、硝石の入手には腐心していたけどね。
史実では甘利信康は鉄砲の玉が尽きて自害したらしいが
193183:03/11/29 06:09
>>191
私は新田次郎を読みましたが、その中に、
どこぞの山の中に火薬作りの村みたいなものがあって、
武田の忍びが何人も火薬の秘密を盗みだそうとして殺されたとか(どうでもいいラブストーリーつき)。
それで、「武田の火薬は織田の火薬に劣っていたんじゃないか」
と考えたんです。
何かしゃべり場になって来たぞ
他人の意見否定ばっかりでつまんなくなって来た
>>186
そのころの状況として取ったり取られたりを繰り返していたわけで
土豪の信用を繋ぎ止めるためにすこし織田徳川の機動兵力に打撃を
与える必要があったのではないかな
196無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:10
伏見城での鳥居忠元いわく。
「弾が尽きればこのじじいの歯を抜いて弾にしますわい」
萌え。
197無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:11
>>195
それだけの理由でそこまで危険なことをするかね?
負けたら兵力も信用もがた落ち。
>>196
その歯も鉛で出来ていたら、鉛中毒に危険があるなw
199無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:13
>>194
もともとは「内応策があったかどうか」の話だったと思うのだがどうだい?
200194:03/11/29 06:14
>>199
すっかり話がそれちゃいましたね。残念です。
火薬とか鉄砲は大名支配外でしょ。
基本的のそういう技術集団は不干渉だったと思うが。
202無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:15
>>186
信長に出てきてもらうのが目的なら、信長が三好と戦ってるタイミングを
選ばないでしょ。出て来れない可能性があるんだから。
それに兵力面で不安のある時期でもあったんだし。
信長をおびき出すために長篠を攻めたんじゃなくて
長篠を攻めてる間に信長が出てきたんでしょう。
だからと言って、とっととリターンすりゃただの負け戦だからね。
小説・覇風林火山では穴山が鉄砲隊を指揮するのだが、、、
204199:03/11/29 06:16
もしよければもともとの話をちょっとしませんか?
私はそもそも内応策ありの仕掛け人なので、一応けりをつけたいのですが。
205無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:17
>>203

    r、r.r 、i.    /          ̄l 7     なんだってー
  r |_,|_,|_,| ,!ヘ. / ‐- 、._   u    |/     
  |_,|_,|_,|/ |〃、!ミ:   -─ゝ、    __ .l                なんだってー
  |_,|_,|_人 (^i;    L(.:)_ `ー'"〈:)_,` /     なんだってー
  | )   ヽノ゙i u       ´    ヽ  ! 
  |  `".`´ :!             ,,..ゝ!             なんだってー
  人  入_ノ 、    r'´~`''‐、  / \   \ \ メ / )`) )    なんだってー
/  \_/\:ヽ   `ー─ ' /   \\ . \ メ ////ノ     
      /   ヽ、:..、  ~" //   ヽヽ メ /ノ )´`´/彡  
     /      ` ー┬─ '"´     i i  /   ノゝ /      なんだってー  
    /          |      Y  | |/| 、_,,ィ '__/,;'"´``';,._  
    /  y         |      ヽ_/  \ _/  |ニニニニ|    なんだって
>>202
逆だろう
207無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:18
>>202
なるほどね。
とすると、「出てこないと思った信長が出てきちゃってびっくり。
でも面子上今さら尻向けられないし」って感じ?
信長は確か国友に援助とかしてると思うよ、って、そこは独占的に支配してたからだろうけど
>>204
同じく内応ありと言う仮定で話を進めたかったので私はOKです
210無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:19
>>208
鉄砲生産地を押さえることのメリット。
@最先端の技術を押さえられる。
A商人の手を介さず買えて安い。
B他勢力へ鉄砲が流出するのを防げる。
どうだろう?
211203:03/11/29 06:19
>205
ちょっとした息抜きだろ。勘弁してよ(笑
212無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:20
関ヶ原の時にゃ国友に石田三成が大筒を注文し、
徳川家康が鉄砲を注文していたが・・・
独占支配なんて無理なんじゃないの?

その理屈で言ったら毛利が山陰からの鉄の流通を止めたら誰も武器を
作れなくなって毛利の天下に・・・
213199:03/11/29 06:20
>>209
じゃあ固定名でお願いしていいですか?
私は199で行きますので。
OKならそちらから話をはじめていただいて結構です。
214194 ◆SZj9jkeSuw :03/11/29 06:22
>>213
分かりました。やりましょう
>>212
最初の頃は徳川は豊臣の仲間だからOKなのさ
大坂の陣のあと徳川が独占とかしちゃったもんだから、
怒って焼かれたりしただろ
216199:03/11/29 06:24
では。
まず、結果として武田軍が戦端を開いたのは事実です。
ゆえに、「何らかの勝算があったから戦さを始めた」か、あるいは「すでに戦さをはじめざるをえない状況に追い込まれていた」
あるいは「自殺願望だった」の三つの選択肢が考えられます。
三つめは論外ですが、二つ目もちょっと極端です。
私は一つめの仮定にたって、武田軍における「勝算」の内容を考えているのですが、前提についてどうですか?
内応策はあったと思うが信長側の策略であり
勝頼としては無くても今までどおりの手段で
打ち倒せると思っていったんでは無いか。
内応というの副次的な理由で決定的な策は彼が指揮する
武田軍団そのものであり、また父信玄が落とせなかった
城を落としたという自信ではなかった。
誤算はその場の戦闘が一気に敵陣を突き破る戦いではなく、
射撃戦であり柵一つはがすのに一進一退を繰り返し、
次第に数が劣勢であった武田側が先に破綻を
きたしたのではなかろうか?
その後の撤退戦で勝頼を逃すために個々に戦場に留まったために
数多くの重臣が死んでいったと思われる。
218無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:35
>>217
えー・・・・・とりあえず>>214の方じゃないですよね?別に構いませんが。
極めて通説的な(世間一般のという意味)理解ですが、
果たして武田軍は「普通にやっても勝てる」と踏んだのでしょうか?
私は数の面から言っても状況から言っても、そこまでの自信は持てない状況だと思うのですが。
219無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:35
勝頼が有海原深く踏み出したのは、信長と睨み合いをするため。
決して、戦うためなんぞじゃない。
何故かと言えば、勝頼の目的は長篠を取ることだったから。
信長と満足に戦えるような状態には、とてもじゃないが、ない。
信長ちゃんには、できれば大人しくお帰りいただきたかったのだ。
そのための最良の戦術は、持久戦である。
信長と長篠城との間の位置に、自らも陣地を強固に構えて陣取るのだ。
いくら信長が大軍でも、陣地への攻撃では数の利は減少する。
となれば、どちらも自分からは攻撃を仕掛けづらくなる。
どちらも攻撃しなければ、睨み合いが始まるのである。
その期間は、せいぜい数日で良い。
長篠はもう落城寸前である。後方に残した兵だけでも落とせるだろう。
長篠が落ちたなら、信長は戦略目標を失う。
目の前の勝頼陣地を攻めても無用の損害を出すだけでしかない。
これはもう、帰るしかないだろう。
かくして、勝頼の戦略目標は達成されるのである。
220199:03/11/29 06:36
すみません。>>218はネーム199です。
221無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:36
>>217
とりあえず、布陣した場所に陣城を築くのはよく行われたことだし、
陣地戦の主力が射撃武器になるのもみんな知ってることだろ。
222199:03/11/29 06:37
>>219
するとなぜ武田軍は戦さを挑んだのですか?
あと、長篠城の戦略的な意味を教えてください。
223199:03/11/29 06:39
>>221
ただ連合軍の柵は何重にも複雑に組み合わされ、迷路のようになっていたそうです。
ゆえに、一つ越えても次にどう行けばいいのかわからず、
そこを、迷路の構造をよく知っている連合軍の兵に撃たれるとか。
224199:03/11/29 06:44
おや?もしかして私一人ぼっちですか?
225無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:44
>>223
そんな複雑な構造では、追撃に出るまでに時間がかかるっしょ。
『長篠日記』なぞは明らかに江戸中期以降の「作品」なので、
あまり信用ならん。
常識的な陣城であったと解して良いのではないか。
ただし、敵正面には陣城よりさらに前面に、柵を構築したはずである。
陣城を築くだけならこれは「常識」なので史料には記されない。
(だが、弾正山へ行ってみれば、階段状に掘削された痕跡があり、
陣城の構築は確実なのである)
なのに、「柵」だけが特筆されているのである。
これは陣城のさらに前面に、それこそ特筆されるぐらいの柵を並べていた
事を示すだろう。
226217:03/11/29 06:45
>>221
知ってるから通常通り仕掛けてみたが、
意外と信長の陣が固かったということですが
反論でしょうか肯定でしょうか?
227199:03/11/29 06:45
>>225
ちょっとわからないんですが、織田軍が布陣してから合戦までどれぐらいのタイムラグがあります?
228199:03/11/29 06:47
できれば固定ハンドルで願います。
そうすると相手の意見をちゃんと理解できると思うので。
229無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:47
しかるに、では何故合戦となったか。
これこそ信長の秘策である、別働隊による長篠城の救援である。
本来ならば、後詰決戦に勝利して後に長篠城を救援するというのが
常識的な手順である。
だが、後詰決戦は味方の城を助けるために行うものなのであって、
それ自体が目的化してはいけない。
後詰決戦を行わずに長篠城が救援できるなら、損害も少なく済み、
信長にとって最良の展開である。
ふと敵の布陣を見てみれば、主力は自分の目の前にいる。
後方を守る部隊は、それほどの数ではないはずだ。
これを急襲し、長篠城の救援のみを達成する手段は無いものか。
230無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:48
>>226
知っているのなら
「誤算はその場の戦闘が一気に敵陣を突き破る戦いではなく」
なんて書かないでしょ。
231217:03/11/29 06:48
よく言われる信長の三段撃ちですが、
陣地の構造が三段構造かまたはそれに
準じる多段構造だったのではないか
ということです。
232無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:48
>>227
5月18日着陣
5月21日合戦
233無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:50
>>231
陣地が三重でそれぞれに鉄砲を配したのでは
後方の二列は戦闘に参加できん。
せっかくの鉄砲を3分の2も遊ばせておいて陣地が破られた時に
備えるぐらいなら、全部を一列目に並べるだろう・・・
234199:03/11/29 06:50
>>231
武田軍は当然、騎兵の進行に邪魔な柵を抜こうとしたと考えられます。
ですからあまり単純な構造の柵ではすぐ織田軍が裸になってしまいます。
複雑であるかどうかはともかく、多重構造は間違いないと思います。
騎兵・・・w
内応説支持派の人は、何時、誰が、誰に内応(あるいは内容を装った策)を仕掛けたと考えているのか
教えて欲しい。
例えば、佐久間信盛なら武田側から仕掛けたのであれば追放時の折檻状に載っていそうな気がする。
追放や戦死を免れた武将であれば、武田滅亡時に降将などの口からその話が伝わらなかったか。

織田方が謀略として行ったのであれば、一歩間違えれば本物の内応になりかねない策なので、
信用できる武将が行ったか、信長の目の届くように行ったと思う。
いずれにせよ、なんらかの史料に残るような気がするのだが。
237199:03/11/29 06:51
>>232
ありがとうございます。
となると、3日間で迷路のような柵を作り、しかもその迷路の構造を雑兵にまで叩き込まなければ
ならないことになりますね。
やはり織田軍陣地迷路説は無理でしょうか?
238無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 06:54
>>237
迷路にしなくても武田軍の攻撃ぐらい防げるから大丈夫だよw
武田騎馬隊は柵を抜こうと頑張ったんだけど、
馬って基本的に毎日柵で仕切られてるものでしょ。
だから馬力が出なかったんだよ。
躾がよすぎたんだよね。
武田騎馬隊の意外な盲点を突いた信長の作戦勝ち。
240199:03/11/29 06:58
>>235
騎兵という表現はおかしいですか?
>>236
誰が、とははっきり答えられません。申し訳ないですが。
一つ考えられるのは、武田からオファーがあり、オファーを受けた武将が信長に申し出(下手に隠すと後でばれたとき疑われるので)、
信長がそれを逆手にとろうとした、というパターンです。
そうすれば、もともとは武田から行った話なので、織田方からいきなり
「謀叛したいんですけど」
というよりは武田が信じやすいでしょう。とりあえずその線はどうですか?
241217:03/11/29 06:58
>>233
陣のすべてに配することは無いかと思いますが
まず敵正面には槍と弓をおいて第二の陣に鉄砲謡を配し、
第三陣は本陣にするといった形で十分かと思いますが?
242199:03/11/29 06:59
>>238
そうですか?
あまり単純な構造だと、一度陣地に踏み込まれたが最後蹴散らされる、
ということになりそうな気がしますが。
243無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:01
>>241
それは、どういう形の布陣図を想定しているんだい?
前に味方がいたら、鉄砲撃てないよ。
前にも書いたけど、
その戦前の三日間の中には闇にほおむられた初戦があり、
設楽原決戦前の戦で織田の先鋒隊は武田軍に敗れたと書いてある本がある
245236:03/11/29 07:04
>>240
何時、誰に仕掛けたのかが気になるところ。
長篠へ織田が出撃した前なのか、後なのか。
武田方が提案したなら、条件は何だったのか?
誓詞はどうしたのか?
信長に申し出たのであれば、誓詞あるいは書状を提出したと思われるが、
それは何故記録に残っていないのか?
何故、武田方は内応を信じたのか?

当てにならない内応を信じて決戦に臨んだのであれば、
やはり戦国武将としては不覚だったのではないか、と思う。
逆に織田方が上手く欺いたのであれば、その詳細が気になる。
その辺りはどう考えているのか教えて欲しい。
246199:03/11/29 07:04
>>244
すみませんが、その話を詳しくお願いできませんか?
たとえ柵やら陣やらがなくても、別に織田が蹴散らせられるとは限らないでしょ。
確かに武田騎馬軍団は強いが、織田の長槍隊もつおいし。

>>244
そりゃあもう既に読み違いだったと終わった話じゃないのか?
248無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:05
>>244
わしはそれを細川藤孝宛書状の誤読であると切り捨てる。
>>247
武田も半分は長柄なんだが・・・
柴田勝家、明智光秀ないし、後は良くある佐久間説。
またはまさかまさかの羽柴を裏切りを演出しようとしたとかかな
251無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:06
幸いにして、敵が後方の拠点としている鳶巣山は、北からの攻撃には
川を前にあて堅固であるが、南からの攻撃には手薄とならざるを得ない
立地である。
南からこれを急襲すれば、わずかな守備兵は北側にいる敵長篠城攻囲部隊の
方へと逃げることになる。
これを追ってそのまま敵長篠城攻囲部隊へと攻撃を仕掛けるなら、
敵は鳶巣山からの敗残兵の収容と敵の殺到が重なり、隊列も組めずに
敗退する公算が高い。
そうなれば、長篠城の救援は成功である。
勝頼は、戦略目標を失って、何らかの行動を起こさざるを得なくなる。
>>248
それ前も突っ込まれました。
そうなんですか?詳しく教えて。
253217:03/11/29 07:08
>>243
当然味方が前にはいれば討てませんが、
地形的に段差があるところやなけれ踏み台や
障壁の上にたたせるなどするなどで
人工的に高低差を作り出すとか考えませんか?

鳶巣戦死者
川窪信実、香坂昌澄、三枝守友など
255194 ◆SZj9jkeSuw :03/11/29 07:10
すいません、寝そうでした、、、m(_ _)m
256199:03/11/29 07:11
>>245
とりあえず肝腎の「なぜ記録に残らなかったか」です。
もちろん未発見の資料に記載があるかもしれませんが。
ごく単純な意見ですが、現在われわれが目にしうる資料は、多かれ少なかれ「正史」の
色合いを帯びていると思います。
つまり、多少なりとも時の権力者を意識して書かれたものではないかと。
そういう記録に、「信長公は敵の謀略を逆手に取り、相手を騙して完勝した」
と書くよりは、「あの武田家と正面から渡り合いこれを破った」
と書く方が自然だと思います。どうでしょう。

257無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:11
>>252
信長が長篠から送った、細川藤孝宛書状。

「去る十七日、牛久保と云う地より人数押し出し候。長篠との間三里余に候。
敵の備えは節所たりといえども、十八日、鉄砲放を押し詰め候。
通路も合期すべからず候。却て擒り候。此の節、根切り眼前に候。」

もとは漢文調なんだが、一般にはこんな感じで読み下すかな。
二行目の「鉄砲放」が問題やね。
これを「鉄砲を放った」と考えた人が、「戦闘があった」と思った。
それだけだな。
本当は「鉄砲放」で鉄砲足軽のことなんだけど。
258199:03/11/29 07:12
>>255
何かみなさん議論につきあってくださるようですよ。
259無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:12
>>253
素晴らしい新説だから、自分で弾正山にいって
そんな地形がどのぐらいあるか調べりゃいいよ。
で、発表してくれ。
内応内定の可能性が高いのは、ずばり徳川の家康。

徳川は織田が援軍出さないと怒っていたので、武田と既に交渉をしてた。
しかし織田が来たもんだから、武田と結ぶことはやめたが、
せっかくなので交渉は続けたふりをして、勝頼を騙した。

その後天下を取った家康は「神君・君子」であり「誠実無比」であるとされ、
評判悪くなりそうな内応計画記録などは完全に抹殺されてしまった。
261無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:13
>>256
その割には、松永久秀の城にニセの援軍を送り込んで勝ったとか
堂々と・・・
>>256
いかにも信長がやりそうな事ですね
263無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:14
陰謀論を語り出したらキリが無いなあ・・・
264199:03/11/29 07:15
>>261
そこが問題です。
長篠の合戦の記録がある資料と、偽の援軍の資料とは一致していますか?
そうだとすると微妙になってきますが。
家康説はあり得そう。
私がこれまでにみたのは小説を含めて佐久間、羽柴の内応でした
266199:03/11/29 07:18
権力者に都合の悪いことが書いてあり、しかも権力者が抹殺し損ねたようなものは、
後の世にこれを発見することがきわめて困難になるはずです。
そう考えると、権力者による記録の抹殺という線もないではないかと。
たぬきならやり兼ねないな〜
勝頼も家康が裏切ると約束すれば、、、
268無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:19
>>265
開戦後真っ先に山県昌景が徳川軍に攻めかかってるけど・・・
269無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:21
>>268
あるいは徳川裏切りの疑念を織田から払拭するための工作?
270236:03/11/29 07:22
>>256
他の疑問も肝心だと思うのだけれども。
信長主導なら、徳川の記録には残っていてもおかしくないのでは?

>>267
>勝頼も家康が裏切ると約束すれば、、、
三方原であれだけ奮戦したのに?
どう見ても後世の後知恵のような。
271無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:22
>>269
つか、合戦当日な、信長は家康の陣所にいたんだよ。
272194 ◆SZj9jkeSuw :03/11/29 07:23
>>257
しかし、太田が書いた信長公記は毎日の状況が詳しく書いてあるにも関わらず、
何故か初戦があったとされる日には全く触れられてないんですよ

空白の一日

ここに何かあるとは思いませんか?
273236:03/11/29 07:23
>>269
鳶の巣山も徳川勢を中核とした部隊が落としているんだけど。
274199:03/11/29 07:24
>>270
とりあえず、ですよ。
徳川が内応に関する記録をつけていたとして、同盟者の信長が残させたでしょうか?
それ以前に、疑いを招くようなことをあの用心深い家康がやったでしょうか?
275無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:24
>>272
毎日の様子と言っても、どこどこまで移動した、とかじゃねーか。
18日に布陣して21日までは別働隊の出発除いて移動して無いのに
何を書くんだ?
276236:03/11/29 07:25
>>274
後から書くことはいくらでも可能。
まさか、全ての史料が合戦直後に書かれたとは思っていないとは思うが。
277194 ◆SZj9jkeSuw :03/11/29 07:25
ちなみに>>272は学研M文庫の日本戦史と言う本からで、
河合英郎氏の見解です。
>ここに何かあるとは思いませんか?

おまいさんは昔この話を振っていた本人か?
おなじこといっとるな
279194 ◆SZj9jkeSuw :03/11/29 07:28
何もなくても毎日の移動の様子が書かれているんです。
しかし、何かを隠すように丸一日だけ書かれていない
と言う事は?
280194 ◆SZj9jkeSuw :03/11/29 07:29
>>278
だから、同じだと言ってるだろう
281無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:30
>>279
軍隊が移動すりゃ何もなくないってのw
移動も戦闘も無い日に何書けっての?
『信長公記』は日記じゃないんだからね。
282236:03/11/29 07:30
>>256
あと、徳川はその後の甲州経営や家康の信玄への尊敬心も含めて考えると、
武田が敗れたのが謀略のせいなら逆にそれを書くような気もする。
何もなくとも様子は書かれている
しかし、一日だけない
284無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:32
>何もなくとも様子は書かれている

嘘。
>>279-280
たとえ何かがあったとしても、今は関係ないだろ?
それともそこに内応やら秘策やらの話が隠されているんか?
286199:03/11/29 07:33
>>276
それはそうですね。
しかし「後から」ということを強調すると、信長の圧力も消える代わりに、
長篠の合戦に対する人々の関心が薄れてくることが想像されます。
内応云々があったかなかったか、それは些事であるとされ、
いちいち調べなくなるのではないかと。
また、「後から」を考えるなら、逆に、江戸時代に入ってから内応話が出てきたから当てにならないという意見も、
むしろ江戸時代になったからこそ封じられていた記憶が解かれた、と解釈できます。
だから、そこに闇に葬られた初戦があるのでは?
と河合氏は書いている。興味内の?
288無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:35
>また、「後から」を考えるなら、逆に、江戸時代に入ってから内応話が出てきたから当てにならないという意見も、
>むしろ江戸時代になったからこそ封じられていた記憶が解かれた、と解釈できます。

長篠合戦から150年もして初めて出てきたような話では・・・
覚えている人は死んじゃってるしw
>>284
何が嘘なの?君はちゃんと読んだのか?
290無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:35
>>287
興味無い。
勝頼自身が合戦前日に何事もないと書状を書いている。
291236:03/11/29 07:35
>>286
>また、「後から」を考えるなら、逆に、江戸時代に入ってから内応話が出てきたから当てにならないという意見も、
>むしろ江戸時代になったからこそ封じられていた記憶が解かれた、と解釈できます。

書いた人間の素性や経緯がはっきりしている史料に残っていればまだ信憑性があると思うけどね。
150年経ったから書いたとは考えてみないの?
>>290
初戦で勝ったからこそ何事もないでは?
294199:03/11/29 07:37
>>288
そんなに後の話なんですか、内応話が出てきたのは。
だとすれば単純に関心が薄れた、という気がします。
そもそも昔の人には「後世に正確な歴史を伝えよう」あるいは「歴史を正確に再現しよう」
という意識が今ほど強くあったのでしょうか。私にはそうは思えませんが。
295無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:37
>>289
当たり前だろw

>283 :無名武将@お腹せっぷく :03/11/29 07:31
>何もなくとも様子は書かれている
>しかし、一日だけない

長篠の地形の描写などは日付を限定するものじゃないし。
日付入りで軍に何の動きも無いのに軍の様子だけ記述した場所なんざ、無い。
>>294ないですよね。だから、曖昧な記述が多いと
297199:03/11/29 07:39
>>292
言い出しっぺの私もそう考えたいところではありますが、
江戸期に入ってすぐならともかく、長篠から150年後=18世紀に入ってから
ですから・・・・・書かれるならそれまでに何かかかれているかと。
298無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:39
>>294
子孫が書いた家譜なんぞになると、相当無茶なことでも平気で
書いてます。後世の「言い伝え」はあてになりません。
何故、戦前なのに何も動きがないと言い切れるんだ?
準備してる時期に何もないのはあり得ない
300199:03/11/29 07:41
>>298
というのは、やはり「古い資料は正確さに欠ける」ということですか?
>298
なら、長篠自体信用なんだろう
302236:03/11/29 07:42
>>294
>そもそも昔の人には「後世に正確な歴史を伝えよう」あるいは「歴史を正確に再現しよう」
>という意識が今ほど強くあったのでしょうか。私にはそうは思えませんが。

中国的教養の持ち主にとってはある程度常識。新井白石とか徳川光圀とかね。
そうでなくても、合戦の様子や記録を参加者に聞いて残しておこうという傾向は
多かれ少なかれどこの藩にもあった。
先祖の武功、というのがアイデンティティだったこともあるし。

バイアスがかかっているのは当然なので、相互検証は必要だが、
我々の想像よりは手掛かりになる。
303無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:44
>>300
「時間的に後で書かれた史料ほど、一般には信憑性に欠ける」
304199:03/11/29 07:44
>>302
「我々の想像よりは手掛かりになる」かどうかは水掛け論になりそうですね。
305217:03/11/29 07:44
>>243-259

  \┃
   \
     \┃
      \
        \┃
         \_________

こういう地形じゃなければ



       ┃   λ┃    ┃
________________┃______┏┫_______λ┃_____________________

このように台か障壁上に通路をつくって
高低差を作るといっているのであり
ずいぶんと出回っている説でもあります。
306無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:46
>>305
それじゃあ一列目を誤射するよw
307236:03/11/29 07:46
そもそも、当時の武田方がどの程度その状況を理解していたのかが分からないので、
後世の視点から「合理性」だけを追求して推論を展開するのがどこまで妥当かは謎。

武田内部で意見対立があり、決断を延ばしているうちに撤退機を逃したのかも知れない。
集団極化が起こって、主戦論が主流になったのかも知れない。
織田方の実力を過小評価して交戦を選んだのかも知れない。

ま、色々と考えられる。
史料があれば細部まで相互比較して検証していけばいいかと。
308199:03/11/29 07:46
>>303
その事件から遠ざかるから、ということですね。
しかし一方、すでに述べたように、事件から近ければ近いほど時の権力者によって
記述が歪められる(あるいは、筆者自身が権力者への尊崇から筆を曲げる)
可能性も高くなるのではないでしょうか。
いろいろな可能性が考えられるため、資料の問題は>>304にも書いたように
水掛け論になりそうな気がします。
>>305
なんなんなら、一般的に言われている
三列で交代しながら撃ったでもいいんじゃない?
その段差をあんまり離すと、鉄砲自体が役に立たなくなるし
310236:03/11/29 07:48
>>308
根拠がある話と単なる想像は同一視できないよ。
仮にも歴史を語るなら、そこは区別した方がいい。
史料同士の相互検証はきちんと行われているわけだからね。
311199:03/11/29 07:49
>>307
その通りです。前スレで私も似たようなことを書きましたが。
そのうちの一つとして、
「後世からは『信じてんじゃねえよ』と思われるような内応策を信じて、
武田軍が特攻をかけてしまった」
というのを推しているのです。

それはともかく、後世視点の合理性の追及は確かに危険ですね。
後世の人間が納得するストーリーが勝手にできてしまう恐れがあるので。
もしかすると、自信満々の武田軍が自信過剰で勝手に自滅した、というのが真相かもしれませんし。
312199:03/11/29 07:50
んー、根拠がある話と単なる想像とは、
それぞれ何を指すのですか?
313無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:51
>>308
例えば太田牛一の『信長公記』は、その当時に書いた日記やメモの類を
後になってから編集したものだが、個人的に書いていたものまで君主が
規制できるもんかね?
100年以上も経ったらみんな死んじゃって事実なんて出てきようがないしね。
314199:03/11/29 07:53
>>313
太田牛一という人物、信長とはどのような関係にある人ですか(できるだけ正確に)。
主君からの規制はなくとも、すでに書いたとおり、
自分から勝手に(つまり信長を尊敬しているために)意識して歴史を曲げてしまう可能性があります。
315236:03/11/29 07:53
>>312
前者がこれまで歴史学者が資料を基に出した仮説、後者が>307で適当に書いた仮説。
史記では
始皇帝の地下宮殿を詳しく書き
それに関わった人はみんな殺されたとも書いてるんでしょ
で、その地下宮殿が実際に出て来ようとしている
不思議だ
317236:03/11/29 07:55
>>316
直接工事に携わった人達と計画に携わった人達は違うし、
史記にはその後項羽が暴いてるとも書いてあったような。
318199:03/11/29 07:55
>>315
私も大学に身を置く者ですから、その点はわきまえているつもりです。
それで、歴史学者が立てた仮説の中に内応の話はないのですか?
学者が調べても考えないような説なら、私もさすがに放棄しますが。
319236:03/11/29 07:58
>>318
>それで、歴史学者が立てた仮説の中に内応の話はないのですか?

自分はあるかどうか知らない。

ま、こういうものは主張者が探すものだと相場は決まっているので、
頑張って探して、見つかったら書誌情報と一緒に教えて貰えれば有り難い。
そうすれば、それが叩き台になるだろうからね。
320無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 07:59
>>314
>太田牛一という人物、信長とはどのような関係にある人ですか

被官関係。信長直臣。
始め馬廻、後に奉行。
321199:03/11/29 07:59
司馬遷は自らの足で人々の話を聞くため歩き回って史記を著しています。
その意味で、史記にはリアルな「野史」の側面があると理解しているのですが。
322236:03/11/29 08:00
>>318
それから、歴史学者が立てた仮説だから正しい、
立てていないから正しくない、ということはないので、
きちんと根拠に基づいて立論するのは大いに歓迎。

別に学者が調べていないからといって放棄する必要はないと思うよ。
>>317
一応、秘密のために工事者を殺したんだろ
しかしその後ちょっとした官史でもかなり正確に聞けたほどの話なら
だだもれやんw
324199:03/11/29 08:03
>>319
そうですか。
私が読んだ小説(新田次郎)が佐久間裏切りどうこうを記していたので、
むしろ一般的な考え方かと思いました。
どこまで資料・研究に基づくものであるかは不明ですが。
いずれにせよ、ここでの議論はそうした「たたき台」がなければ発展の難しいものだという点には同意です。
>>320
信長にかなり近い人物ですね。
だとすると意識的に信長を美化した可能性が考えられませんか?
信長公記を読んだことがないのでわからないのですが。
325無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 08:04
http://love.2ch.net/test/read.cgi/ex/1069599979/l50
夜にこいつの>>365の加担頼みます。リンチ状態なもんで。
おまえら毒男の力を貸してくれ。


326199:03/11/29 08:06
>>322
いやいや、ここで私が「放棄」と言ったのは、
私自身がただの歴史小説好きで、「頭の中だけで考える合理性」を追及しているに
過ぎないからです。
もし学説の中に内応を肯定するものがないなら、
それは私よりよほどきちんと調べた学者の結論ですから、
自分が異を唱えることはできない、と思うだけです。
信長公記はネット上にもどっかにあったよ。
オリジナル訳文だったと思うが。
全文載ってるかどうか知らないが。

読んでみるとよい。
328無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 08:06
>>324
『信長公記』が絶対でないのは当たり前のことだが、
長篠合戦を真面目に語りたいならそれぐらい読めよ・・・
読んでから「意識的に信長を美化した可能性が考えられませんか?」
とか言ったらどうよ?
俺が「そんなことは無い。牛一はあくまでも冷静で冷徹だ」と言ったら
「じゃあ牛一の書いてることが全てですね」とでも言うのか?
329199:03/11/29 08:09
>>328
その指摘はごもっとも。不勉強な身で議論に参加する失礼はお詫びします。
ただ、そんなこと言いませんよ(苦笑)。
信長公記の中に他には特に信長を美化する傾向がないというなら、
牛一はそういう人じゃなかったわけで、私の意見は否定されるべきでしょう。
それだけをお聞きしたかったのですがね。
330無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 08:09
>>327
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shisaku.html

な。まだ巻十五は途中。
注を入れたりして親切だが、訳はあまりあてにしない方が無難。
331199:03/11/29 08:11
というわけで、みなさん長々とありがとうございました。
>>328さんのおっしゃる通り、頭の中の推論だけで、いろいろ勉強されているみなさんと
議論をすること自体が大変失礼かと思いますので、
私はこのあたりで抜けさせていただきます。
そりゃあ美化しまくりなわけだが。
後の主君は秀吉だし、信長は神ですよ
ただし、美化だろうがなんだろうが、その正確さが問題なわけで、そういう部分で評価されているわけで
334無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 08:14
>>333
美化されてる跡が見えれば正確さには疑問があるというのも歴史学のルールの一つじゃないの?
まあ、「美化されてる」という言葉自体、事実には使わないわけだが。
>>334
例えば
○月×日 信長公により誰々が討たれた。
信長公に逆らうものは皆こうなるのである。
これは天がそうさせるからである。

なんて書かれてるものを見て、一番の問題は、その日付や出来事がほかのものと照らし合わせて
あってるかどうかでしょ。で、ほとんど裏が取れるような書は、信じられると。
美化なんておまけっしょ。
いやー久々に熱く語ったよw
夜、漏れが何気に書いた事から議論が伸びた伸びた
久々に2ちゃんで議論するのが楽しかったです
でも、ここまで来ると既に水かけ論になってしまってる
219 :無名武将@お腹せっぷく :03/11/29 06:35
勝頼が有海原深く踏み出したのは、信長と睨み合いをするため。
決して、戦うためなんぞじゃない。
何故かと言えば、勝頼の目的は長篠を取ることだったから。
信長と満足に戦えるような状態には、とてもじゃないが、ない。
信長ちゃんには、できれば大人しくお帰りいただきたかったのだ。
そのための最良の戦術は、持久戦である。
信長と長篠城との間の位置に、自らも陣地を強固に構えて陣取るのだ。
いくら信長が大軍でも、陣地への攻撃では数の利は減少する。
となれば、どちらも自分からは攻撃を仕掛けづらくなる。
どちらも攻撃しなければ、睨み合いが始まるのである。
その期間は、せいぜい数日で良い。
長篠はもう落城寸前である。後方に残した兵だけでも落とせるだろう。
長篠が落ちたなら、信長は戦略目標を失う。
目の前の勝頼陣地を攻めても無用の損害を出すだけでしかない。
これはもう、帰るしかないだろう。
かくして、勝頼の戦略目標は達成されるのである。
>>219歴史群像あたりの説かな?
もう一歩進めるなら長篠に織田徳川軍着陣次第長篠城を落として
引き返す後ろを痛撃する予定だったとし。
ぎゃくに長篠城兵に味方軍が来たこと知らせるためと
包囲中の武田軍をけん制するため高台に上る必要から有海原
に登り、その後方で陣地を構築する時間を稼いだ。
また有海原の戦闘は擬態による退却で陣地正面に
武田軍の主力をおびき寄せ、またその戦闘により
武田軍の神経を鳶の巣へ回る別働隊からそらし、
長篠城の負担を軽減させる目的であった。
とすれば納得できた。
信長のメリット
長篠城が落ちても強固に作った陣により
たとえ退却の段になっても信長本隊は
安全圏まで逃げ切れる時間を稼げること。
長篠城の延命を図れたこと。
武田軍撃滅のチャンスが生まれたこと。

勝頼のメリット
長篠城陥落は時間の問題であること。
長篠が落ちれば信長撃滅のチャンスが出来ること。
たとえ落ちずとも時間を稼げば多方面に戦線を抱えている
信長に不利があること。
また長篠城を落とせばたとえ引く際にも十分な安全を
取って引くことが出来ること。
実際は鳶の巣砦落ちたことで長篠城を落とす機会をなくし
作戦に破綻が出たことで、ここに留まることはやがて糧道も
絶たれ立ち枯れになる恐れが出たため、目の前の信長陣を強襲し
一気に引き返す作戦に切り替えたが、信長軍へ追撃を
あきらめさせるだけの損害を与えるどころか、ずるずると
消耗戦に落ち込み、さらに鳶の巣・長篠より包囲を破る動きをおこされ
この手当てに部隊の抽出が前線部隊には退却と映り、急速に
戦線が悪化止むを得ず退却するも壊滅的な打撃を受けて逃げ帰るより
手が無かった。といったところでしょうか。
342寝言:03/12/05 07:36
>>283-335までぐだぐだだなぁ
これはちょっとというのピックアップすると
>>316 >>317が始皇帝が自分墓を作ったというのは
それこそ膨大な人力を使用してることから人口に広まるのは
避けられないし、ジェノサイドを行っても必ず何人かは生き残るもの
である点を考えればその存在と位置は大体つかめるし、盗掘中かその後に
書記官や歴史官が書いて、資料としたのではないかな
>>223 長篠の屏風では鉄砲隊や弓が前面に置かれてる、
重要な鉄砲部隊を槍や弓が届くところに置くかな?
後ろにおくんじゃないかなーと思ったら>>243至極当然だが
では後ろにおいてなおかつ撃てる工夫を考えないのでしょうか
ここに現代教育の歪を感じたり感じなかったり。多分この人は
失礼な発想ですが信長にあっさりやられるタイプでしょう。
>259ではなぜか切れてる様子、ここにも現代教(略
実際敵が迫ったら鉄砲隊は引いて槍、太刀組みが前出る
という形になるので回転率上げるには柵を壊そうとする
敵には槍で対応さらに盛り土などで高さをつけて
射撃したほうがよくないですかねー?
>>306の意見もあるが後続を狙えば射線にかからないし、第一
味方を積極的に討つやつはいないでしょ。
このぐらいの知恵が無いと戦国を生き抜くには甘いと思うなぁ
やっぱり現だ(略。
まぁ結論としては鉄砲は前面の柵から離れた盛り土の上に
ということで♪
343無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:07
信長公記は正しいよ。
確かに筆者が信長を尊敬する人物のため、美化はあるのと、
筆者がその場に居ずに伝聞で書いた部分は正確ではないし、
まあ、せいぜいが信長に都合の悪いことを小さく書いたり、
都合の良いことを大きく書くくらいはあるかもしれんが、
甲陽軍鑑みたいな大きく事実をねじまげたり、
ある事ない事ゴロゴロ書いてるものとはまったく次元が違う。
344無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:11
>343
証拠もないのに良くもまあ胸張っちゃえるよな。
その神経がすごいと想う。
日本史板追い出されるわけだよ。
345無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:17
しかし「設楽原の戦いの前に武田と織田との間で前哨戦があって、その戦いで武田が勝ってた」
なんて影も形もないようなデムパ説を肯定する前に史書の信用性を否定しようとするとは無体な話しだなあ。
あんまり根拠のない自論を肯定するために事実をねじ曲げようとする方がよっぽどなんだかと思うが・・・
346無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:18
祐筆のメモってそんなに信用性無いかな
343じゃないけど信長公記って割と
信頼性たかいものだとおもってたが。
おおおせっかく書いた長文が消えたぞ!くそ!
348344:03/12/05 08:36
>345
>あんまり根拠のない自論
もなにも、このスレに書いたのはこれが初めてだった。
349無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:36
>>339
なんか久々にレスついてるよ。

>>219歴史群像あたりの説かな?

なんでやねんw

>もう一歩進めるなら長篠に織田徳川軍着陣次第長篠城を落として
>引き返す後ろを痛撃する予定だったとし。

二倍の敵にゆるゆると退かれたら、まんず追撃なんぞできません。
隊列乱して逃げているわけじゃないんだから。

>ぎゃくに長篠城兵に味方軍が来たこと知らせるためと
>包囲中の武田軍をけん制するため高台に上る必要から有海原
>に登り、その後方で陣地を構築する時間を稼いだ。

鳥居強衛門の努力は一体w
(次へ)
350無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:38
>また有海原の戦闘は擬態による退却で陣地正面に
>武田軍の主力をおびき寄せ、またその戦闘により
>武田軍の神経を鳶の巣へ回る別働隊からそらし、
>長篠城の負担を軽減させる目的であった。
>とすれば納得できた。

まあ納得してもらおうとは思わんけども、
「有海原での前哨戦」なんぞは全く同意できませんなあ。
まんず当時は「設楽原」という呼び名はなかった。「設楽郷」はあったけどね。
東側の「ころみつ坂」を登った上に広がる台地全部が「有海原」だった。
明治時代の『大日本地名辞書』では設楽原の古戦場を「有海原の古戦場」
と呼んでいるぐらいで、そう昔の命名ではないようですな。「設楽原」は。
だから家康が「ころみつ坂の上、高松山」に陣取ろうが、滝川・羽柴・丹羽
の三人が「同じくあるみ原へ打ち上り」しようが、弾正山と隣接する高松塚古墳
のあたりに布陣したと見て何の問題も無いんですな。
『信長公記』の地名の表現はあれで正解なんですよ。
関係ないかも知れんが
信玄って地名あるなそのへん
352無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:47
信玄台地、ありますな。
353無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 09:00
信長の行動を見る限りでは、最初は勝頼なんぞと戦うつもりは
無かったと思いますな。
長篠城から4キロも離れた極楽寺に本陣を置き、前進させた主力部隊も
長篠城から2キロ以上も離れた弾正山に陣取って。
堅固に陣城を築いてしまっては、これは守りを固めて長期戦の構え。
積極的に長篠城を救援したければ、もっとガンガン前に出にゃなりまへん。
これらの信長の行動は、大軍の出現に勝頼があきらめて国に帰るのを
期待したとしかおもえまへん。
ところが、勝頼の方が前に出てきた。こりはわしは勝頼は睨み合いに
持ち込んでその間に長篠城を落とすつもりであったと考えますが、
今となっては分かりまへんな。(当たり前ですがの)
勝頼が前に出てこなければ、別働隊の編成もありえない。
これは始めからの計画ではなく、勝頼の行動を受けてのものですな。
勝頼が目の前にドッカリと腰を落ち着けていなきゃ、別働隊なんて
出したりしませんな。
だから幻の前哨戦を想定して「武田軍の神経を鳶の巣へ回る別働隊からそらし」
というのは無茶ですな。
信長としてみれば、鉄砲の数を揃え、陣地を堅固にして「不敗の構え」を
取れば、勝頼がとっとと退くにしろ、こちらに戦いを挑んでくるにしろ、
「戦術的な敗北」はほぼ有り得まへん。
勝頼が無視して長篠を攻め続ける場合だけ、別な対応を迫られますな。
それが『信長公記』の、「武田四郎、鳶ノ巣山に取上り居陣候はば、
何共なるべからず候を」という信長の台詞に見て取れるわけですな。
後世のものは創造するしかないから
十人十色の世界が出来上がり、そこで
俺の歴史はこうだが、お前はどうよと
開陳しあうぐらいなら楽しいが、押し付けあう
と余計な摩擦が発生するんだな。

簡単に言うと異論がある場合
「君の考えはそうだけど僕はこう考えるよ」
「僕の考えとはちょっと違うね」としとけば
スレは伸びるが
「それは間違ってる」「嘘だ」「ソース出せ」
とするとスレ自体消滅するって事だナ
少なくともこのスレは死にかけてたよ。
>>354
歴史ネタで「ソース出せ」といわれるのはしょうがないと思うが。
356無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 09:03
>>344
おいおい証拠がないのは
自分で影も形もないデムパ説立てて
その説を正しいことにするために
信用性の高い書物を否定しようとする奴だよ。
ソースを聞かなくても議論は出来ると追うがな
2chの三戦板で何を望むかは分からないけど
>>357
「もっともらしい思い込み」に踊らされるのはゴメンだな。
だから俺は納得できるまでソースを求め続けるぜ。
オタフク!
ブルドック!
マヨラーだからソースはイラン´‐`)
お好み焼きにマヨネーズが合うなんてのは、マヨラーどもの
「もっともらしい思い込み」に過ぎん。
ソースだ、ソース持って来い!
お好み焼きには青海苔と鰹節とソースとマヨネーズ、
全部かけるのがいいんじゃねえか・・・
362無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 09:22
ばかもの!食いたくなってきたではないか。
昼はおこのみやきにしよ。
いやだまされたと思ってつかってみなよ
ここにもそうゆう流れになっているから
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1060963580/
【至高】調味料対決【究極】
364無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 10:59
武田勝頼がほのぼの板に降臨しました。

【武田】俺、勝頼だけど誰か文句ある?【最高】
http://human.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1070379624/
365無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 11:09
ほのぼの板か。あの名スレがある板だな。
すべての説において推測でしか語れないことを考えれば
「それは正しい、これは間違い」なんて断言は出来ない。
ましてや武将の心情・考えなんて誰も知りえない。
歴史の楽しみ方はいままで出ている史書に書かれていない
空白の部分を想像し、補完するところにあり、
それを「デムパ」「捏造」「嘘」と断じる心の狭い方は
歴史の楽しみ方を限定してるのと、否定したほうの
楽しみを奪っている。
行き過ぎると思想統制であり、北朝鮮となんら代わりが無く、
傍目に見て見苦しくあります。
もう少し謙虚に話し合えませんか?
>>366
勝手に空想してる分には誰も止めません。
368無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:46
お好み焼き食いました。おめーら、ありがとうございました。
369無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 01:52
>>366
私も賛成です。
そもそも、歴学者とて、史書にない部分はシミュレーションによって補うものでしょう?
ましてや、素人の集まりの議論です。
史料の名前を挙げえたかどうかが議論を決するなら、楽しみも何もないでしょう。
結局、そのとき相手を打ち負かしたいという私的な願望から「史料」を連呼する人はやはり狭量と言うべきでしょう。
そうではなく純粋に「ソースが必要だ」という人は、他人の話を聞く余裕を持っています。
そこのところを弁別すべきではないでしょうか。
>結局、そのとき相手を打ち負かしたいという私的な願望から「史料」を連呼する人はやはり狭量と言うべきでしょう。

被害妄想マンセー!
何の根拠も示さず断定口調な奴を信用しろと言うほうが無理です。
372無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 02:04
>>371
信用しろ、とは言いませんよ。ただ史料の名前が含まれない意見には聞く耳もたない、
史料の名前を挙げられるから俺の勝ちだ、というかのような態度では、
せっかくの議論の場が台無しになるのではないかというのです。
情報源として史料を重視するのは結構。しかしそれが全てでないことはプロの学者でさえそうでしょう。
「断定口調」がいやだと言うなら、そのことをのみ指摘すれば足ります。
史料の名前が挙げられる人は断定口調を用いることができ、そうでない人は駄目なのですか?
そんなおかしな話はないでしょう。
>>372
「史料」とは言っていない。「根拠」と言っておる。
某スレにおいてこんなやり取りがあった。

>16 :無名武将@お腹せっぷく :03/12/04 04:09
>鉄砲を借り集めた農民が撃てるかというとそうでなく
>やはり3〜5人ぐらいの指揮する小領主クラスか武士が
>扱うものであった。
>武田とかは鉄砲は嫌がって家臣に持たせたりするけど
>織田のほうになると自身が射撃したようです。

>20 :無名武将@お腹せっぷく :03/12/04 04:24
>>武田とかは鉄砲は嫌がって家臣に持たせたりするけど
>>織田のほうになると自身が射撃したようです。

>ソース。

>22 :無名武将@お腹せっぷく :03/12/04 04:36
>軍役を課せられたときに領主は
>騎馬に乗ってその家臣が銃を扱ったのに比べ
>織田は信長の命によって制度化されてたということ。

>なんのためにソースがほしいの?
>前のスレにもあるが否定のためにソースがほしいなら
>逆説のソースを自分で見つけてください。

何の根拠も無く喚き散らしておるだけに見えるの。
こういうのが「ソースソース五月蠅い」などと言っても
ちいとも納得できんよ、ということじゃよ。
>>20は何様ですか?(藁
375無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 02:20
>>373
相手が一定でないようなのでちょっと混乱しますが・・・
そのとおり。
要するに、史料も考察も必要なのです。その二つがともに意見の「根拠」となる。
それを前提として議論をすべきなのでしょうが、その場で言い負かすことができるかどうかという
感情のもつれから、「俺が正しい」「いや俺だ」、となると、
「ソースを挙げろ」「史料が何だ」という際限のない争いになると思うのです。
そこにお互いを尊重する議論のマナーが欠けているのではないかと。
これは史料重視派にも考察重視派にも言えることだと考えます。
>要するに、史料も考察も必要なのです。その二つがともに意見の「根拠」となる。

だったらそれでいいじゃん。
考察とやらも示せない奴多すぎるけどなw
377無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 02:27
>>376
考察「とやら」という言い方は相手を尊重したものとは言いがたいでしょうが、
要するに言いたいことはそれだけです。
ただ私の見る限り、
主にこの理解に反発を見せるのは史料を重視する人の中に多いと思ったので、
思うところを述べたまでです。
考察と言っても、史料の欠片も無い所から考察を始めたらただの妄想と
断ぜられてもしょうがないわけだが。
権威主義の保守的ながちがち頭に対して
わざわざソースを提示して説明しても
労力の無駄よん。
史料を大事にすることと保守的であることは違うわけだが。
381無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 02:31
>378
デンパ妄想いわれ続けて実際にトロヤ遺跡見つけちゃった学者もいるけどな。
>>381
「見つけられたから」凄いんであってね。
こんなところでうだうだ言ってても何も見つからんよw
不毛だからやめろよ・・・
書きたいこと書いて言いたいこと言えばいいだろ・・・
384今はこんな感じだな:03/12/06 02:42
          /\
        /    \/\
        |\   /    \/\
      /\  \ |\    /    \/\
    /    \  |  \  |\    /    \/\
    |\    /  .|       \  |\    /    \ /\
   / \ \/    |             \  |\   /    \/\
 /    \ |    .|                 \ |\    /    \/\
 |\    /|     |                      \|\    /    \
 |  \ //\                             \ /        \
 |   |/    \                      ウワァン!  /\          >
 |   \    /|                 ヽ(`Д´)ノ  /    \      / .|
 |     \ //\               / (  )  \       \   /    |
 |      |/   \        /\ /    < ヽミ3 \     /| /      |
 |      \    /|   /\/    \      \    /|   /          |
 |        \ //\/    \     \     /|  /                 |
 |         |/   \     \    / | /                    |
 |         \     \   / | /                         .|
 |           \    /| /                              .|
 |            \ /                                  |
 |              .|          
別スレかと思うが「ソース出せ」「武功夜話」
「んなもん信用に値しねよーバーカ、デムパとばすなや」
とそれはもう剣もほろろな資料を大切ななされようでした。

すくなくとも武功夜話のその部分は○○のこの部分の記述
と食い違うし、また××ではこうかかれているので、
この様だったんじゃないかな?となればソースを明示しても
よいと思うし、また楽しくもあるが・・・
真偽を確かめるのが楽しいんじゃなくて可能性があったかを
語るのが楽しいのであるよ。それを説自体をつぶしたいだけの
愉快犯の使う手口が「ソース出せ」でそういうの付き合いたくない
というだけ。
夢見がちだな。
ここで何言ってもたぶん無駄だから、これからも
書きたいように書けばいいし、何聞かれても答える必要無いと
思えば答えなければいいし。
388無名武将@お腹せっぷく:03/12/06 03:26
このテの言い争いはどこでもちょくちょく起こってるみたいだね。
中にいるとそのつど猛烈に疲れる話だったりするのだが。
決戦とは強要するものである。
迂回部隊隠蔽のために助攻することや、
誘引するために擬態で逃げることは
至極当然に行われてると思うが、
この場合勝頼が前に出るように
仕向けるために長篠城を落とさせないために
障害となる鳶の巣砦攻略のための偽装と
退却困難に仕向けるよう奥地に引きずり込んだ
一石二鳥の策。さらにわざと負けたことで
織田軍組し易しと慢心させることが出来ていた
なら一石三鳥ともいえる。
勝頼は負け犬
>>390
だからそんな戦いは無いよ。
「迂回部隊隠蔽のために助攻」は当日の夜明け頃、信長が
武田軍の近くまで部隊を進出させていたことがそれに当たる。
(『信長公記』でいう「近々と足軽懸けられ御覧候」という行動)
鈴木眞哉・藤本正行スレはここですか。
>>392
武田軍の近くまで部隊〜
あるんじゃん(w
戦いがどうであれ
誘引した事実が大事で勝負は埒外。
>>394
ちゃうちゃう。勝頼が前に出てきたのが18日か19日で、
それを受けて信長の別働隊の編成があり、それが20日の夜に出発。
で、21日の朝に、初めて勝頼の近くに兵を進めた。
武田軍が前に出てきたのは完全に武田軍の意志。
信長は自分から誘引なんてしてないよ。
>>396
            ヽ、    ヽ     ヽ 、   ヽ
   )ヽ、_,,,..._    ヽ、_,   げえッ───────!!!
   iー-、::_: `、ゝ_,,-  ノ  (    ) 、     )
   ノ::`ー_-_ノ ノ ノ_,-"イ /    ` 、ノ  `i  (   l
,-、 |::::.ヽ _。ヽ:: /_。フ' |ノ   ヽ、      i、   ノ
|6`i/:::. ,,-.―'' /i|.ー-、. |
ヽ ::: i ::    ⌒  : |  <・・オレダマサレテノカヨ
ヽ`l | ::    /ニ`i   /           
 `|:. ヽ、   i_,,,、/  /     ,へ___
  ,|:::._ヽ___/   _//`ー--、ニ=--―,
  | ̄ ̄ ̄ ̄||| ̄|    / / / __     ̄ ̄`¬
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ヽ | // /   / >>396のレス  /
うしろの百太郎か・・・?
399無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 01:42
まずね、仮定して話を進めてる時に決めつけるのはやめようや
必ずしも<お前>が正しい訳ではないのだからw
とりあえず過去レスぐらい読んでから判断しようぜw
401無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 19:50
何が正しくて何が正しくないなんて
誰もわからないこと、気軽にたとえ
嘘だったとしてもいいんじゃない?
402無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 21:32
403無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 19:02
坊やだからさ!!
404無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 23:25
武田勢一万五千vs織田・徳川連合勢四万三千…信玄公無念です。
405無名武将@お腹せっぷく:03/12/12 09:13
>>404
>信玄公無念
はぁ??
http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/

http://www.maromaro.com/

http://www7.ocn.ne.jp/~zerosiki/

軍事・戦略関係の書評ならここらへんだね