【御所様】足利一門総合スレッド【公方様】

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70無名武将@お腹せっぷく
>>67
江戸幕府では高家に列せられ、範以が今川家を相続し、高久が品川家を興
している。
なお、今川家と東条吉良家は幾重もの婚姻を結んでおり、吉良義定(義安嫡
子)の正室は今川氏真女、吉良義弥(義定嫡子)の正室は今川範以女。
また、今川範以の正室は吉良義安女。
71無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 22:36
足利銀行・・・いかにも破綻しそうな名前だ
72無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 22:38
なお、吉良家について補足しておくと・・・
長氏(足利義氏長庶子)以降の吉良家の血脈だが、
長氏―満氏―貞義―満義―満貞と連なり、ここで満貞の弟・尊義から枝分かれ
して東条吉良家が興っている。
また、>>61にある通り、満氏の弟・国氏から今川家が興っている。
以後は満貞―俊氏―義尚―(義信)―義元―義堯―義郷―義昭(義郷弟)と血
脈を保つが、義昭が三河一向一揆戦で徳川(松平)家康に敗れて逃亡したため
滅亡。
一方、枝分かれした東条吉良家だが、
尊義―朝氏―持長―持助―義藤―義春―持清―持広と血脈を保ち、宗家から
義安(義郷弟/1536〜1569年)が養子に入る。
以後は義安―義定―義弥―義冬と連なり、『忠臣蔵』でお馴染みの上野介義央
に至ることになる。
73無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 22:41
さらに補足だが、吉良義央の正室は上杉定勝女・三姫。
したがって、義央の子・綱憲は定勝外孫として上杉家に入ったことになる。
その縁により義央の3人の娘はいずれも綱憲の養女となっている。
吉良家は赤穂事件により義周(綱憲の子)の代で改易となるが、義央の弟たち
が東条家として命脈を保っていたが・・・
東条義叔―冬貞(義叔弟)―義武(柘植兄正の子)―義孚(柘植影正の子)
東条義孝―冬重(義叔弟/御書院番)
の系譜が存在したが、義孝―冬重系は断絶、義叔―冬貞系も柘植家から養子
を迎えるなどしているため直系の血脈は絶えている。
なお、義孚の時代(1732年)に吉良復姓を許され、義孚、義勝、義渡が御書院
番を務めている。
>>68
明治に断絶したのでは?
>>72-73
長文乙。参考にもなるよ
75無名武将@お腹せっぷく:03/12/01 22:52
>>72-73
吉良義弥の庶子・岡山弥清(?〜1670年)の正室は品川高久(氏真庶子)女
であり、弥清の子・氏堯が今川直房(範以嫡子)の養子となっている。
どこまでも絡み合う今川家と東条吉良家・・・

>>68
今川家は明治時代に無嗣断絶したようだね。
ならば庶流の品川家の方はどうなんだろうか?