1 :
無名武将@お腹せっぷく:
なんかどうも戦った敵が弱かった
気がする。
絶対そうだ。
相手が弱すぎる。
強いやつと戦ってないし。
孔明ですよ!
3 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 15:47
やつはあと二年も生きていれば中覇王に昇進が決まっていた。
若すぎたよ、伯符・・・・・・・・
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 15:49
小覇王でおなかイパーイ
よーし、パパ(ry
7 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 00:02
ぱんちら?
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 00:05
ど、何処?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 00:06
たいした奴じゃないだろ。
孫策か。
個人的にはあんま興味そそられないな。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 01:37
堅がつき 策がこねし 江東餅 坐りしままに 喰ふは権
12 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 01:51
なんでトンファーが武器なんだろ。
一騎当千だとアマ寧の武器がトンファーでw
14 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 07:43
トンマか
15 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 07:52
すぐ死にそうで君主にしたくないタイプ
16 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 21:20
どうであれ、なんにせよ、
孫策が一番だ
んなこたぁない。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 21:48
井の中の孫策
小覇王の顔も三度まで。
20 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 21:54
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 22:00
古錠刀は周喩の武器だろ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 22:09
>>21無双ではそうだが
演技ではちがいです。
孫家の武器だよ。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 22:22
乳でかすぎ
24 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 22:22
どこの誤爆だよお前
孫策乳でかすぎ!
27 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 00:18
チュパチュパ
チュパチュパ
28 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 10:06
なんつうか、行動に傷がつく前に死んじゃったから
評価が高くならざるをえん人だな。
実際、統一狙えたかもしれないし。
小説版だと男なんだよな
31 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 14:14
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 14:53
33 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 16:41
大橋との間に子供っていたのかな?
>>33 少なくとも娘が一人。リックンこと陸遜と結婚したよ。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 17:33
>>33 孫紹という息子がいた。孫策が死んだ時は
多分0〜2歳ぐらい。成人してからは孫権に
冷遇されたらしいけど,理由は知らない。
一体何をやらかしたんだろうね。
知ってる方がおられれば教えてください。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 17:35
>>21 孫堅の武器だよ。小説読んだらそう記述してある。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 17:37
孫瑜の両親はだれ?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:19
いろんな意味で早く死ぬしかない男だとは思う。
こんなに酷薄なやつも珍しい。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:37
>>21 大体何で周ユが武器を持ってるんだ
もう少し考えろ無双厨
将軍なら武器くらい持ってるだろ
前線で戦わなくても
41 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 18:51
孔明殺そうとした時もね
どうでもいいことだが、電車の中で
ソンサク×シュウユについて熱く語っている女2人組みが居た
無双の影響は恐ろしいね
43 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 19:10
>>38 根拠が分からない。孫策ってそんなに酷薄か?
孫紹は冷遇と言うよりは権力の場から意図的に遠ざけてたような感じもするんだが。
>>43 その人はいろんなとこで孫策残虐説を叫んでるんだよ。
江東の豪族を武力で圧迫しまくったのが気に入らないらしい。
パンチラアニメの主人公にされたり、日本ではさんざんだな。
>>46 圧迫しまくったのなら酷薄と思わざるを得ないじゃないかw
漏れも酷薄説を支持する。
孫策に対する批判は正史の注ぐらいしか出てこないけど、
出展は呉側・・・(ある程度)信憑性がある。
他の孫家の面々のことも考えると、血筋は争えん・・・と思うんだけど。
>圧迫しまくったのなら酷薄と思わざるを得ないじゃないかw
意味不明じゃないかw
51 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 14:32
49の言い方はともかく孫策はなるほど項羽のような性状だと思うよ。
干吉の話は信憑性薄そうだからおいとくとしても
厳輿の殺し方はちょっと頂けない。殺しを楽しんでいる風がある。
許貢といい陸績といい、地域豪族を上手く懐柔するという事が出来なさすぎる。。
そういや魯粛も孫権の代になってから仕えたんだったよね?
52 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 14:37
孫堅、孫策、孫翊、孫権、孫魯班、みんなちょっとなにがしら問題児ってのも面白い
ほんと血が濃い一族だ。
孫武もそういや命令違反した侍女をぶった切ってたな。殺伐としてる点では共通してるのかな。
孫策は、酷薄を通り越してキチガイだろ。
気に食わないって理由だけで、投獄したり処刑したり、サディストなんだよ。
張昭のような重臣の諫言を入れる度量もないしな。
張昭が孫策に諫言と言うのはどれのこと?孫権ではなくて?
いや、ちょっと記憶に無かったので・・・。不勉強ですまない。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 15:08
少女漫画的文法で彼のファンになっている女性の方々は彼のこういった側面についてはどう感じているのだろう。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 15:12
脚の筋を斬るぞ!
良くも悪くも孫策は覇王だな。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 17:23
永遠の小覇王孫策
孫策酷薄説は「劉備は人を食ったんだぞ」とか言ってるのと同じくらいアホくさいな
残酷じゃない英雄なんて、夢物語の世界さ!!
孫策と闘った人物といえば、陳登がいるね。
曹操配下として広陵を守っていた陳登は、二度に渡る孫策の侵略を撃退し、毎回万を
越える数の首級を獲ったという。
一戦目は奇襲、二戦目は火計と虚勢の計により、寡兵でもって孫策の大軍を打ち破っている。
で、その陳登は陶謙軍出身。その陶謙軍で武官筆頭格だったのが曹豹。
つまり、曹豹>陳登>孫策、ということだ。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 23:58
前半部分のマトモさがたった最後の一行で崩壊するカタルシスよ。
ふむう。さすがは曹豹・・・
乳でかすぎ。
だがそこがいい
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 15:22
弟も面白いっつーのに。
無双厨逝ってよし。少しは政治的な駆け引きにも目を向けろ。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 20:12
生き延びたら生き延びたで
きっと「弟に継がせていれば」とかい
ろいろ言われんだよな。
武に優れた策。
治に優れた権。
そのどちらも欠けてなかったら天下は孫家の物となっていたと信じます。
Σ( ̄ロ ̄;
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 21:01
孫策歌手デビューしてたよ
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 21:03
赤壁の時もっと派手に机破壊してほしかった
でも母怖いからね
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 21:05
策じゃないよ、堅だよ。
>>70 無双厨のつもりはないが。
おまい人には色々考え方が違うと言うのが分からんか?
叩 か れ て や ろ う か ?
頭のおかしい人は放置で。
そろそろ孫朗について語りませんかw
近頃は無双厨発言をする奴のほうが痛々しいな
気のせいか?
気のせいだ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 18:04
孫策、ふむうたしかに奇略が功を奏し力は持った
だがもともと父の盛名という力を借りてのこと、まだ小さい
87 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 18:09
88 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 18:10
まだ小さいとか言うと乳でかいとか言ってくるキモヲタ出現するからヤメテ
90 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 20:47
A-じゃねえだろ
オタにゃちがいないが
キモオタなのはおまえだけ
93 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 21:46
94 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/12 04:36
>>93みたいなことを無職のヒキが自信たっぷりに言うなんて
2ちゃんじゃないと見れないおもしろさだよな。笑った。
は道
96 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/13 01:27
>>53 正史でそんなことしたか?演義ではう吉が気に入らないってこと
で民衆の前で殺したけど。
許貢のこといってるなら,自分に謀反を起こした家臣を投獄して
処刑するの当たり前だろ。そうじゃないと示しがつかない。
スレッドの内容=孫策の支持率=糞
孫策の素晴らしさがわからんやつは頭骨をえぐれよ
殆どの人間が頭骨をえぐる結果になるな。
確かに
孫策って漢だよな
一応呉だろう
103 :
でらえもん調査局ヽ(`Д´)ノ ◆CJMS06S/xs :03/12/14 01:33
お前ら、クリスマスの予定は?
>>101-102 ワロタ
しかし、孫策っつーのは暴れん坊だわな。
劉備はゴロツキだけど。
106 :
でらえもん調査局ヽ(`Д´)ノ ◆CJMS06S/xs :03/12/14 06:45
『煮解賭 ( にげと ) 』
明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
107 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/14 14:27
魯粛もごろつき
>気に食わないって理由だけで、投獄したり処刑したり、サディストなんだよ。
三国武将ほとんどやってることじゃん。陸遜でさえ意味の無い
虐殺してんだしw意味無いだけこっちのが悲惨だがNA−
109 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 08:41
特に激しくもないだろ。
民衆に対してはなんもしてないしな。
覇王という呼称(あだな)=項羽を指すのは、当時の常識。
で、項羽は江南の地の人々からすれば、北に対するアンチテーゼ・対抗意識・独立心
などからいって、褒め言葉ではあっても決して悪い意味にはならない(大阪の人が秀吉>
家康と言うようなもんだ)。
したがって、小覇王(若き項羽)なんてあだなを付けられた孫策は、相当、当時の楚呉越
の人々から恐れられ、かつ期待されていた英雄だったと思われるよ。
逆に、活躍期間が短く、かつ後を継いだ弟が後に皇帝になった手前、評価が押さえられて
いるところもあるのだろうが(そこがまた、かえって過大評価を煽り立てる原因にもなって
いる。周瑜と同様にな)
113 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 12:17
早死にした強い香具師は
評価が高くなるね。
クロフネしかりタキオンしかり。
残酷さとか鬼畜っていうことを非難の材料には出来んってこった。
三国武将なんてみんなそんなもんなんだから。
ただ孫策が加太評価されやすいってのはわかるさ。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/19 01:43
1001と同じ匂いがする。
ホシュ
117 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/19 10:50
1001って誰ですか?
119 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/20 17:28
醤油は本当の敵と戦ったらすぐあぼーんしたし
孫策も
本当の敵って何?
ザビ家ではないのか?
勝ちたいんや!!
猛呉
孫家の本当の敵って、劉表と黄祖だよな(あと、強いて挙げれば袁術か?)。
別に曹操や劉備と戦わねばならない理由はなかったわけだし。
そういう意味で、孫家のなかで最も政治・戦略的に正しかったのは張昭なんだけどね。
張昭と周瑜を最も重用し、孫権に「後見人」として残した孫策の見識は評価されるべき。
>>123 孫策の死から曹操の荊州侵攻までの間の正しさだろ。
その後はどう考えても周瑜や魯粛らの戦略・政略が正しい。
>124
張昭(徐州派)は呉の国そのもの(孫家ではなく)の存続の観点で思考したのであって、
リスクをとらないという政略は合ってもおかしくない。常識的には周瑜・魯粛の策はリスクが
高い暴挙。よって「どう考えても」というのは言いすぎ。
もちろん、結果論で言えば周瑜>張昭だったのはそのとおりだと思う。
ただしあの当時、曹操陣営の補給線がのびきっていて「鶏肋」状態だったのを見切れる
ほどの人物は(少なくとも呉では)周瑜以外いなかった。
多分、周瑜は「うまくいけば曹操は戦わないで(戦えないで)退却するかも」という予測は
高いパーセンテージでできていたと思うよ。
周喩・魯粛に非は無い。
全ては孫権の性格と、呉という連合国家体制が悪い。
>>125 赤壁前夜の呉では状況がギリギリすぎて解りづらいけど、たとえば魯粛が劉表の弔問に向かった時、
曹操の荊州侵攻がもう少しもたついたらどうだったか。その場合でも張昭たちは降服をすすめたと思う。
官渡以降、曹操に降服するというのは状況に関わらず諸勢力にとって一番現実的な案だった。
でもそれを言ったら、どこもかしこも曹操が来るのを待っているだけの存在になってしまう。
そういう意味で、張昭らの案は正しいとか正しくない以前に、政略とは言えない類にものだと思う。
曹操の数十分の一の戦力で、かつ一回でも決戦で負けたら滅亡、っつー状況の中で
采配振るうってのは、ものすごいプレッシャーだったろう。
日露戦争のときの参謀長児玉源太郎みたいなもんだよ。
児玉は戦後、精神消耗によって早死にしたらしいから、周瑜の早逝は案外、そのへん
に原因があるのかも。
#孫策本人の話から脱線しているのでsage。
>>127 それは、孫家(孫権)の側から見れば、ね。
呉の土着勢力からすれば孫権の首差し出せばそれですむところを、そういう安易な
解決策をとらないで何とかする方法を模索していたと思われるよ。>張昭ら
でなければ、曹操が旧劉表の勢力を攻略した時点で内部崩壊してもおかしくないだろ?
張昭はむしろ安易な道に走ろうとする他の豪族連中をうまく懐柔して頑張ったほうだと
評価していいと思うけどなあ。
で、結論として(曹操の勢力拡大の臨界点が読めた)周瑜と(読めなかった)張昭で
最終意見が食い違ったということなのだから。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 18:21
呉、孫策に詳しい皆様に質問したいのですが・・・。
孫策、孫権の字(あざな)に使われてる「伯」「仲」は、兄弟の順をあらわしているという
話を聞きました。
でも、「伯」って、確か2番目ですよね・・・長男は「公」じゃないんですか?
孫策って、実は次男坊だったんでしょうか?
131 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 18:23
はっきりとした決まりはないが・・・
関係無いが「実力伯仲」とかの伯仲はこの二人からきたのだと最近知った('A`)
>>129 張昭たちは孫権を生き長らえさせるということしか考えていなかったようにみえる。
彼らは孫策という君主に惚れ込んだんであって、孫権の天下を思い描いたことはなかったんじゃないかなぁ。
孫堅の代からの連中には孫家という発想があっただろうけど、張紹らにとって孫権は孫策の二代目というだけで、
首がつながったまま傀儡の刺史にでもなれればそれでいいやという程度の気持ちしかなかったかと思われる。
張昭が孫呉政権を内部崩壊から守ったという点は評価できるんだけど、それも孫策の覇業の事後処理という感じ。
結果論としては「(曹操の勢力拡大の臨界点が読めた)周瑜と(読めなかった)張昭」という分類になるけれども、
その前提として、思考を孫権の覇業という段階に移行させていた周瑜(&ほぼ純粋な孫権麾下といえる魯粛)と、
(先代の孫策が切り拓いた地としての)江東を守ろうとした張昭、という食い違いがあったんだと思う。
劉備陣営はそれこそ、劉備ひとりを引っ担いでどこまでも流浪する心構えが出来ていたわけだし。
孫策スレがいつの間には張昭の善悪を語るスレになっとる(;゚∀゚)=3
善悪を語ってるわけじゃないやい。
ばーかばーかちんこ!
ヽ(`д´)ノウッセーお前なんてウンコのくせにー
>>135
137 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 20:03
無双の 孫策 うぜえええええええええええええええええ
自意識過剰 ロリコン 態度悪い 自分が最強と勘違い
強姦 痴漢 猥褻 干吉を殺した残虐男 フセイン同類
138 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 20:15
まあ孫策は三国統一の器ではないということで
139 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 20:30
平野綾が最強
140 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 20:36
コーエー=光栄
>>130 伯は本家の長男の意、2番じゃないよ
2番目は仲、3番目は叔
季や幼は末っ子の意
>>132 違うよ
便乗質問
孫策や孫権の幼名って残ってないの?
145 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/21 22:25
何て萌えるスレだ
全部読んじまった
長男次男は年が近いから実力も近いってことに由来している。別に孫家カンケーなし。
曹丕の文章にも「伯仲の間」って言い回しがあるし。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/24 23:07
そういえば孫策が厳白虎の弟である
厳與を斬った理由が残酷だというか
気違いっぽいって以前言われてたけど
どんな理由で斬ったの?
なんだか、厳與が「私は身のこなしが素早い」とかなんとか自慢してて、策兄が「どうせ口だ
けだろ、大したことねえよ」ってノリで戟で一突きしてみたら、本当に大したことなく逝っちゃっ
た、って感じだったと思う。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/25 00:54
>>149 サンクス。っていうかそれ孫策悪くないよね。
そんな事言われたら誰でも試すし。馬鹿なのは
厳與だ。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/25 09:14
馬鹿兄弟>厳白虎、厳與
「私は動きが素早い」とか迂闊なことを厳輿が言ったので手戟で一突き。
あぼーんした厳輿を見て一言、「なんだ、ウソか」って感じじゃなかった?
最初から殺すつもりだったんでしょ。
残酷というか、かっこいいエピソードだと思われ。
袁紹も曹操も劉備も、若い頃(10代〜20代)は相当の悪ガキだったそうじゃないか。
人殺し、花嫁強奪、あだ討ち・・・いわゆる無頼漢だったわけでしょ?
孫策もそんなもん。こいつが人並みに生きて30歳以上になったら、彼らに匹敵する大
親分(豪族)になってたろうよ。当時の「君主」なんて、金で国から官爵を買って多少
儒学や法学をたしなんだ無頼漢の親玉、って感じだったろうからさ。
そうでなきゃ、周瑜や江東の二張のような名家・知識人連中が家来になるわけがない。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/25 17:37
このスレに書いてあるレスを読んで質問。
孫策がただ気に食わないっていう理由で投獄
したり,処刑した人物ってウ吉と許貢以外に
いる?孫策がサディストって言われる根拠がよく
分からない。
>>154 許貢だって「ただ気に食わないっていう理由」といえるかぁ?
孫策は別に残酷じゃないだろう。
日本の革命児は降伏した武将を皆殺しにしたり
髑髏に金箔(漆?)を塗ったりしたし、孫策の
した事なんざ取るに足らないのと違いますか?
呂布とかに近いイメージがあるんだが、どうな
んだろうか。
つーか三国志で殺した殺さないで残虐とかなんとかいえるかよ。
孫策が好青年ではないにしたとしても、特別残虐だとは思えねーけどなー
158 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/25 19:49
孫策は国のために干吉を殺したのだよ。
気に食わないから(?)殺害といったら、「呉録」に記載してある高岱の
エピソードとか。
でも、これぐらいだったら他の人でも・・・
三国武将はみなそのくらいのことしてるよ。
孫策だけが特別残虐だったわけじゃないが、もう少し寛容になるべき余地は充分にある。
「他の奴もやってる」で済むなら、恨みなんて買うはずがない。
つーか于吉を処刑したなんてのは眉唾にも程がある与太話だ。似たような話は残ってるが
それと、厳輿を殺したのは厳白虎の降伏を認めず、士気を削ぐつもりだったんじゃないのか
その場の勢いもあったかも知れんが。
だなー。于吉は話は出典が出典だし、本伝とも矛盾してるから与太話と斬って捨ていい
だろう。
許貢はしょうがないだろー。つうか許貢が背信行為を行ったんだし、孫策を責めるのは違う。
高岱に関しては、ちょっと迂闊だったと思うけどな。
本伝を読む限りかなりの好男子だよ、彼は。
演義だと半狂人なんだけどなー。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/26 17:19
孫策が気違いなら晩年の孫権
なんてどうなるんだよ。
跡継ぎ問題で陸遜と対立
して,孫覇に跡を継がせるために
陸遜に詰問の使者を何度も送って
憤死させたんだろ。すげえサディスト
っていうか異常者だぞ。
孫策は若くてあれだからな
年取ったらどんなことになっていたか
さらに評判悪くなんなくてよかったよ
そういえば
陸遜も理由のない虐殺してるよなぁ
理由が見当たらないだけに
なおさら酷いな
ついで、か…。
陸遜のは兵士のガス抜きと思われ
あほか
孫策の残虐シーン。
@郭嘉の孫策評。殺したのはすべて英雄豪傑。
A厳白虎の使者・弟の厳輿を惨殺。
B讒言に乗せられて高岱を殺害。(孫策伝注『呉録』)
C道士・芋吉を殺害(孫策伝注『江表伝』『捜神記』)
D孫策は呉郡会稽一体を平定すると、その地の実力者を次々誅殺した。(孫ショウ伝注『会稽典録』)
・・・取り合えずちくまの6巻まで調べてこれだけ出てきた。
>>170 @曹操の参謀に言われたくない。
Aカスの弟はカス。
B于吉の話とそっくりでいかにもうそ臭い。
C高岱の話とそっくりな上に、政治的には正しい判断。
Dこれが問題。だが、そうすることで地盤を固まったとも言える。
>>171 Dについてだけど、孫策の登用を避けて北(曹操)に走った名士が意外と多い。
これが影響してると考えると、必ずしもこれで地盤が固まったとは言えないんじゃないか?
むしろ孫権の代で懐柔して固まったんだと思う。
地盤が固まって無かったから暗殺されたんだし・・。
>>170 A結果的には正しかったとも言える。
C芋吉にワラタ、がこれは99%嘘話。
>>171 むしろ高岱の話から于吉の話ができた可能性もある。嘘臭いとも言い切れない
>>174 A戦闘の結果殺すことになっても使者を殺しちゃあかんと思うし、
殺し方が陰湿で残忍だ。
C孫策は自分より名声のある者を(自分に従わない場合)
嫉んだり殺してたそうなので、于吉の件もその延長線でありうるかと。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/28 13:36
うるせー女だ。
>>175 >戦闘の結果殺すことになっても使者を殺しちゃあかんと思うし
公孫越
>>175 A敵の士気を下げるために殺した、と考えた場合は?
相手の士気が低いほうが味方の損失が少ないのは当たり前。
それに、残忍はともかくどこら辺が陰湿なのかよく分からんが。
C于吉はその当時、もし生きていたとしたら100歳以上になる高齢。
当時の平均寿命から考えて、実在していたとは思えない。いたとしたら当然偽者。
たとえ、于吉を名乗る人物を本当に殺していたとしても「人心を惑わす偽道士を殺した」と
いうわけで、悪い事をしたとは言いきれない。
ついでに言えば、于吉の話が載ってる「江表伝」「捜神記」は
デタラメだらけのトンデモ本として有名
トンデモ本がトンデモ本として成立するには一定の事実が必要。
この場合、孫策ならこういうことをしてもおかしくない・・・という
前提条件が成り立つほど孫策は当時の人に思われてたのではないかな?
>殺し方が陰湿で残忍だ
そういう手前の糞表現をいれるなよ
>>179 孫策は民衆には歓迎されたが土着の有力者には憎まれていた。
そういう勢力が孫策を貶めるために、
>>171で書かれているように
孫策の失策を利用して民衆向けの挿話を創作したという可能性はある。
それにしても、酷薄説の出所って女性向けの同人小説か何かなんじゃないか?
誰々が残忍だとか酷薄だなんて言い方は、歴史を考える上ではフツーしないだろ。
民衆には歓迎・・・って文字通り受け取らない方がいいかも。
向こうは征服者に対してそういう対応をとるのが伝統だから。
略奪や虐殺から逃れるために。
略奪やらなかったから民衆に歓迎されたんじゃないの。
民衆に歓迎されるために略奪しなかったんでしょ。
孫策の場合、それは徹底していた。そのかわり豪族をいびり倒したわけで。
>>183-184 中国の民衆って侵略受けても基本的に抵抗せず、
まず敵を歓迎するのよ城を挙げて。
それに気をよくして略奪を逃れれば相手は名君、されたら無道。
日本がくれば日本の旗を振り、共産党がくれば共産党旗を振る・・・
伝統的にそんな感じ。
最初に歓迎ありきだから歴史の記述も額面通り受け取れない。
だいいち中国の歴史の常套文句だよw
186 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/29 13:35
むしろ逆では?
>>181 そういった側面が取りざたされないでなんとなく
同人のお約束キャラ(例えば周瑜を陰とみなした時の陽とするような)
に落としこまれている印象を受けるが。
お家騒動を防ぐ為に、孫権の時代からそれとなく貶められていた可能性もある。
孫策の孫もその為い殺されたんだし。
逆に言えば、孫策を慕っていた人間がそれだけ多かったって事だろう。
>>187 呉側の資料だけ見ればその可能性もあるが、
魏のほうにも(その傍証が)あるからなぁ・・。
豪族や名士が孫策に冷遇されてたのは間違いないだろ?
で、孫策による豪族や名士の冷遇(たまにあぼーん)という周知の事実が
孫策=酷薄などという南京大虐殺ばりのデマに置き換わったのはナゼだ。
>>189 >>孫策による豪族や名士の冷遇(たまにあぼーん)という周知の事実
いや・・・周知されて無いだろ?
周知されてないから、
孫策は素晴らしい名君だったと持ち上げる孫策厨が出てくるw
孫策=酷薄説はそのアンチテーゼとして出てきたんじゃないか?
@孫策は名君だったか?
「姿も顔も美しく、談笑を好み、性格は自由闊達、人を用いるのが上手かった。
そのため、人は皆彼の為に進んで命を投げ出したいと思った」(正史)
というわけで、部下から好かれ、慕われていたのは間違いない。
しかし、功績と言えば江東の一部に版図を広げたことと、有能な人材を招いた事。
実際に行った事はそう多くはない。20歳そこそこの若さでそれだけやれたのは十分に凄いが。
というわけで、夭折した事への同情による判官びいき、もしも生きていたら?という期待、
孫策はこの二つによって、実績よりも過大評価をされがち。
結論、孫策は名君ではなかった。なれた可能性はあるが。
A孫策は酷薄だったか?
自分の部下や降伏してきた者に対して広い度量を示す一方で、
高岱や許貢を殺害するなど、自分の意に沿わない人物に対する仕打ちは酷薄と言ってよい。
あちこちから恨みを買いまくった事だろう。
だが孫策は、恨みを買った人間なら当然すべき事=身辺への注意を怠った為に殺された。
気に食わない人間を殺すくらい、他の人間(孫権とかな)も散々やっている事だが、
平和な世の中に育った人間からすれば「殺されるくらい恨み買ってたんだろ?」という
結果からのイメージが先行、酷薄さが誇大に受け取られがち。
結論、孫策はその当時の人物として、騒ぎ立てるほど酷薄ではない。
@とAのまとめ。
孫策は味方も多いが、敵も多い人物だった。
かなり高い資質は持っていたが、@+己の武勇に奢って自信過剰であり、
Aへ対し当然発生する反撥への備えを怠った。ぶっちゃけアホ、死んでも仕方がない。
運良く生き残れていたら名君になった可能性は高いが、この自信過剰っぷりからして
暗君と化す可能性も低くはなさそうだ。
〜厨って表現が使われてるとそれだけでどうでもよくなるな。
まさに狂犬野郎。
だが、それがいい。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 02:26
>>192 だから許貢は孫策に叛意があったから仕方ないって。
今の自分くらいの年齢で
江東を延々と転戦してたとか考えると凄い
>>196 自分に叛意のある人物を用いた人だっているよ。
そんな事言ってたらきりないかw
199 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 13:21
孫策が存命であれば、諸葛瑾、魯粛、陸遜あたりは幕下にいなかったんじゃない?
200 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 13:24
誇張されてる分反発も多いわけだ。
同人女に表層的な部分だけ汲み取られてなんだかおかしい事になっているが、
よくよく考えれば三国志演義の孫策からそう逸脱したキャラクターでもないと
思われる。
>>199 魯粛は元々孫策の取り巻きだよ〜
孫権に代わって北に行こうとしたのを周瑜が引き止めたんだよ。
>>190 孫呉の豪族対策のことすら知らないような人たちにゴチャゴチャ文句言う方が悪い。
上を見ろよ上を。下ばっか見てくだらねーことばっか言ってっからうんちなんだよ。
お前のような奴が初めてのデートで三国志の話をするのだ!
>199
陸遜はいなかったかも?
地元の豪族避けてるよね
204 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 18:43
年増になると感情が論理を超えてしまうから可哀相だね。。
職場でいい加減煙たがれながら「ここは私の居場所じゃない、本当の私は〜」
なんて甘ったれた事言ってられるのもいまのうちだよね。
>>203 陸遜は居ないと思う。
父親が孫策に恨まれてたからね・・。
しかし、孫策死後とはいえ、父親を恨んでた人物の娘を娶るってのは
どんな気分だろうね。
>>178 「人心を惑わす偽道士を殺した」というわけで、悪い事をしたとは言いきれない。
お前DQNか?w
すげーわらった
陸駿って孫策に恨まれてたの?
伯父の陸康のこと?
208 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 19:17
江表伝を否定してしまうと、呉ファンにも辛い展開になりはしまいか。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 19:53
孫策は陰険だね
>205
陸遜の乳のこと知らなかったので
調べてみたがわからなかった・・・
ていうかぐぐってる最中に陸遜=陸議っていうのをはじめて知った(しかも有名くさいし)
211 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/31 20:48
父の従兄弟ね
調べてたら年越してしまった。
孫策が陸康を恨むって、袁術のごたごたに巻き込まれて
陸康を孫策に討たせたってとこ?他にエピソード有り?
孫策が陸遜を恨むっていうより
陸遜が避けるよねこれ。よく他の国にいかなかったな。
やっぱり地元が良かったんだろうか。
つか、陸遜って孫策の娘と結婚させられたんでしょ?
エグいね・・・孫権必死だな・・・。
>>214 袁術は陸康に兵糧を借りようとして断られ、
孫策も陸康に侮られたことがあって恨み在り。
それで袁術が孫策に討たせた。
トウ謙も孫策が大嫌いだったそうだが、”小癪なこわっぱ”だったんだろうなぁ。
>191-193
孫策に神性を求めすぎな気がする。トータルで十分名君なんじゃないの?
つってもあなたの定義する名君像がわからんから、
それに照らして逸れるってのかもしれないけど。
>己の武勇に奢って自信過剰
>ぶっちゃけアホ、死んでも仕方がない
たった夭折したという事実だけでここまで罵られるのもどうかと思うぞ。
裏打ちするエピソードがあるなら聞きたいが(刺客に襲われて夭折以外にね)
あと高岱や許貢の件の解釈の方が、よっぽど悪意の過大評価な気もするが、
いかがなものか。
最後に遅レスですまんかった
夭折したという唯それだけの事実でここまで罵るのもどうかと思うぞ。
>>214 >陸遜が避けるよねこれ。よく他の国にいかなかったな。
>やっぱり地元が良かったんだろうか。
陸家の長になったんだから、やっぱ無責任なことはできんでしょ。
>>216 >>191-193じゃないけども・・・
孫策のやったことは領土の拡張と有能な人材を招いたこと。それだけ。
評価が定まるのはこれからの事なんだけど、定まる前に死んでしまった。
しかも火種をいっぱい残したまま。
その火種を放置したまま遠征(許都攻撃?)に取り掛かり、その前に刺客により横死って
名君とはとてもいい難い。短慮過ぎる。
陳寿の評、軽佻で性急・・・が
>ぶっちゃけアホ、死んでも仕方がない
・・・になるんじゃないの?
>孫策のやったことは領土の拡張と有能な人材を招いたこと。それだけ。
孫策の場合、全くの0の状態から始まったんだから
「それだけ」というのもどうだかねぇ・・・
とくに孫家なんて家柄が悪いから、ほぼ孫策個人のカリスマ(というか軍才)のみで
人が集まったんだよな。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/02 15:27
あたしゃ同人女のコバルト文庫的理想化が無ければどっちでもいいよ。
陳寿の評でズバリだと思うし。
>>220 そりゃ言い過ぎだっぺ。
兵にしろ人脈にしろ、孫堅が築いた部分も大きいっしょ。
孫策の能力にケチを付けるつもりはないけど、
さすがに過大評価って気が。
孫堅の築いた軍閥は彼の死で一旦解体されている。
それを再構築しそれ以上の陣容にしたのは凄いよ。
しかもあの若さで、あんなに短期間で。
>領土の拡張と有能な人材を招いたこと
普通はこれだけで十二分に名君。
まあ、曹操が凡庸で劉備がチンカスで袁紹はゴミとか、
そういう評価だったら孫策もそこそこの人物でしかないが。
>>222 殆ど孫策は孫堅の遺産は使ってないよ。
叔父の孫賁から借りた手勢と、周瑜が身銭で集めた軍勢。あとは負けたときに袁術がしぶ
しぶ貸してくれた軍勢で全てでしょ。
人脈も袁術の下にいたときに、惚れ込んでくれた人たちが大半。
ま、董卓に立ち向かった勇将の息子、ってくらいのイメージは利用できたけどな。
韓当黄蓋程普は遺産だな
227 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/02 19:17
あと地元の信望? ちょいと弱いかこれは。
>>225 母方のおじさん呉景を頼り募兵→
袁術から父の兵を返してもらう
の順番じゃないの?
それら遺産のお陰で袁術の指揮下で活躍して独立の機を窺えたと思うけど
>218
荀ケとか一族まとめて引っ越してなかったっけ(うろ覚え)
>>224 誰もそこまで言ってない。
孫策は普通に英雄。しかし、名君の条件(思慮や度量など)を満たしてない。
224の中では凡庸の上のランクが名君なのか?
>>226 >韓当黄蓋程普は遺産だな
なによりも最大の遺産といったら周家とのつながりだろうな。
孫堅が周家とお近づきになってなければ、孫策と周瑜が出会うこともなかったろう。
>>231 確かに。
しかし孫家の後継ぎが孫策のような天才でなければ、
周家との繋がりも遺産と呼べるものにはならなかったはず。
>>231 逆に言えば遺産といったら人材ぐらいで
(その周瑜や程普達さえ最初からいたわけじゃないし)
地盤や官職、軍隊といったものは何にもなかったっけ。
20かそこらのくせに大したもんだ。
とにかくかっこよさでは孫策が一番ってのは確かだな。
>>230 度量は充分だと思う。
・・・思慮はもうちょっと欲しかったけどな・・・
名将だが名君ではない。
いや、孫堅の遺産は洛陽で拾ったギョクジじゃないのか?
あれで袁術が兵を貸してくれた、と思っていたが。
それとも、ギョクジを拾ったのは演義だけで信憑性の無い話なのか?
正史読んだ事無くてごめん
確かに「身の安全への配慮」は足りなかったよな。
だからこそ君主自ら一騎打ちという珍事が起こるのだが。
あの時点で孫策を君主と言っちゃうのもどうか、思うよ。
ゲームの影響受けすぎ。
身の安全への配慮は禿同だけどね。
玉璽は演義ネタ、もしくは噂程度。「洛陽で拾った」以降出てこない。
(呉が晋に降伏するときにすら出てこない)
>>240 孫堅伝の注で、袁術が皇帝を名乗る時に孫堅の妻から強奪した、とある
後漢書徐璆伝に
袁術が敗れた後、徐璆が国璽を得て許に還した、とある。
どうか、思うよ
>241 242
うわーごめん
>>240 気にするな。
裴松之は「そんなことあるわけない!」と一刀両断にしてるからな。
玉璽ネタは与太話だよ。
蜀で「襄陽で玉璽ハケーン!」とか言ってるのは何故だろう・・・
当時から「孫堅が玉璽Get」という噂があったんじゃなかろうか・・・
孫堅→袁術までは、ほぼ噂としては確定していたんだろうね。
それが真実かどうかは、魏呉蜀の誰にとっても関係ないし。
蜀の漁師が玉璽発見の記述もあるよ
>240
>>246>>248 玉璽じゃないだろ?
玉璽って始皇帝が作らせたヒスイのハンコだよ。
金で出来てたら玉璽じゃないw
>>250 何と勘違いしているか知らんが、
蜀で劉備即位の時に話に出てくる、襄陽で見つかったというのは「玉璽」だよ。
襄陽男子張嘉、王休献玉璽,璽潜漢水
ギョクジー
何をもって国とするかによるが、孫策存命時代の呉は確かに国を
成していたとは言い難い部分もあるから、名君(というか君主)
とは定義しにくいかもしれない。
しかし、性急で軽佻だったから夭折したということを取り上げて、
だから名君じゃないでしょ?っていうのもちょっと違う気がする…。
辞書をひいてみると
名君……人民の信望が厚い、賢く優れた君主
とある。
皆が命を投げ出して働きたいと願う程の人なら、条件は満たして
ないだろうか。
軍規を厳しくして、略奪とか犯さなかったらしいし。
つか、なんかしつこくてすまん。
いち孫策好きとして「ぶっちゃけアホ」「死んでもしょうがない」
との評はどうにも遣る瀬ないわけだ。
これが覆れば、名君だろうが名将だろうが拘泥しない。
過大評価抜きにして、孫策は優れた人物だったということを言いたいだけ
なのかもしれない。
最後までごちゃごちゃすまんかった。
>>254 「ぶっちゃけ」とか「w」とか使われてると苛立ちが増すよな。
優れた人物ではあるだろうけど、優れてるからって名君だって訳じゃないし。
部下から散々諫言くらっておきながら、ホイホイ外歩くのはアホだと思うけど。
>>256 そりゃそうなんだけど、孫権も散々諫言されながらホイホイ外歩いてたんだよね。
しかも、コイツは兄貴と親父という前例を間近で見てるのにね。
結果オーライでその件については孫権は叩かれないんだよな。運が良かっただけなのに・・・
誰だって自分が出歩く時に100人近いお供を連れなきゃならんなんて言われたら
嫌だと思うけどね。
曹操と劉備は我慢できそうだけど・・まぁ、その辺りが差なんだろうかね。
孫権の時は国がしっかり固まってたから襲われなかったんだろうな。
孫策はその逆、としか。
ただ「諫言くらったのに〜〜したからあほ」というのは勘弁。
いや、それが違うという例が思いつかないから何ともいえないんだけど・・・
何となくね。内容薄くてごめん。
ろくに護衛もつけずに外出したり、
または護衛がついていけないほど先走ったりするようなヤツだからこそ
人望を集めたような側面もあったかもしれないけどな。
豪胆なヤツだ、というような評判になって。
ここにいる奴も、多かれ少なかれ孫策のそういうところに惹かれてるんだよな。
>>259 孫権のときは国がしっかり固まってた・・・んじゃなくて孫権自身が固めたの。
孫策が中途半端に版図を広げた所為で江東が反乱の巣窟になって、
孫権がそれをひとつひとつ潰すなり、懐柔していったんだって。
名君で在るか否かはこういった過程を踏まえて判断できるものであって、
経営の部分に手をつける前に逝ってしまった孫策に対しては、判断の仕様が無い。
人材に対してもそうだよ。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/03 15:02
264 :
無名武将@お腹せっぷく:04/01/03 15:03
生き延びてナンボだろう。
ある意味無責任といわざるを得ない孫策と比較すれば
孫権は結果論としてマシというべきであって、
昨今の孫策>孫権みたいな風潮はどうにもコミック的ゲーム的な
見方ではなかろうかと。
>>262 二大勢力による天下分け目の戦い(官渡の戦い)に間に合った孫策が異常なの。
曹操の天下がほぼ確定した官渡以降ではのんびり江東の地盤を固める孫権の方法しかなかったけど、
孫策は代替わりしてゼロから始めておきながら、超短期間で天下統一の可能性にまで届いたんだよ。
本来、乱世では天下統一を一直線に目指すのが正しい。
地盤を固めたり経営に手を出したりするのは全土を平定してからのこと。
覇業の途中で経営に手を出した曹操はそのせいで袁紹に遅れを取ったし、
地盤固めに精を出した孫権は柴桑会議において君主より土地を優先されそうになった。
そもそも名君=政治というのは
>>262の思い込みで、君主とは統帥権を保持する国家の代表者。
従って、軍事的な北上を目指した孫策こそ乱世における君主としては正しく、
極論すれば地盤を固める過程なんてものを踏まえる必要はまったくないのだ。
その観念を覆して、統一しないまま経営に乗り出す方法を模索したから、天下三分という発想が意味を持つんじゃないか。
すぐマンガの影響とかゲームの影響って言い出すヤツほど正史読んでなかったりするんだよな。
ツッコミ所が多いので釣りかとも思うのだが…
>>265 >乱世では天下統一を一直線に目指すのが正しい
ゲームならね。孫策なり孫権なりが江東の地で支持されるのは、
彼らが天下を統一してくれるからじゃない。
財産なり生命なりを守ってくれることが第一。
それが保障されないうちに天下統一なんて無理。支持が得られない。
あと、孫策の北上は許を落として皇帝を連行するためで、
一気に天下統一するためじゃないよ。
>覇業の途中で経営に手を出した曹操はそのせいで袁紹に遅れを取った
曹操と袁紹の勢力の関係をよく考えてみよう。逆ならまだ分かるが。
曹操は皇帝を迎えていても、一気に全土を平定するとかいう状態ではなかったと思うよ。
>地盤固めに精を出した孫権は柴桑会議において君主より土地を優先されそうになった
曹操に従うほうが自分達の安全を守れそうだったんだから仕方ない。
君主を見限るんじゃなく、スポンサーを降りる、という方が近いんじゃない?
>統一しないまま経営に乗り出す方法を模索したから、
>天下三分という発想が意味を持つんじゃないか
天下三分は最終的に天下を統一する発想じゃん。
天下三分についてはともかく他は同意
全土を統一するまで経営に手を出さないなら、支持が得られず
基盤も固められず、兵站も維持できない
つまり何も出来ない
245年の孫権暗殺事件は、どうやってことなきを得たんだ?
自分で調べろと言われそうだが、曹操って分かってるだけでも
どれくらい暗殺されかけたんだろう。
トリビアの種みたいな話だな
>>269 そういう危難を完全に避けるには「運」という漠然とした概念でしか呼びようのないものもあるんだろうな。
保守
このスレ面白いね。
ステレオタイプでしか見られなかった孫策に興味湧いてきたよ。