【沈着】李典マンセー!!【最速】

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( ´∀`)おっと最速は司馬懿たんか夏侯淵たんでつね

それはさておき曹操軍の初期のキーパーソン李一族(・∀・)イイ!!

各勢力の優秀ないぶし銀を語りませう
渋いといえば郭図
2
3公孫3 ◆3getah9E9Q :03/11/25 01:41
  ∧_∧
 ( ´∀`)
 (  H  )
 |||∪          (´´
 (_(_)    ∧∧   )      (´⌒(´
/  /   ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄            ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ_∧________
  ∧_∧         今だ!3ゲットォォォォ!!
 (    )セーフ!
⊂    つ
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 (__)_)
4無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 01:55

  ∧_∧
 ( ´∀`)
 (  H  )
 |||∪          (´´
 (_(_)    ∧∧   )      (´⌒(´
/  /   ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄            ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ_∧________
  ∧_∧         今だ!4ゲットォォォォ!!
 (    )セーフ!
⊂    つ
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 (__)_)

5依頼者 ◆netaz1u/w6 :03/11/25 02:18
スレ立て依頼を聞いてくださった>>1さんありがとうございます( ´∀`)
6無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 03:29
いぶし銀か…
そうだな、霍峻とかどうだ?
7無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 03:34
馬タイが街亭で敗れた後、兵をまとめてきっちり引き上げた王平に一票。
8無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 03:35
(・∀・)ニヤニヤ
9無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 03:36
俺は王基に一票
10無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 12:00
劉敏(;´Д`)ハァハァ
11無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 13:30
呂岱…
最近メジャーになりつつあるが、やはり「陥陣営」高順ですな
王平とか高順とか漏れも好き。
鐘会さいこー
丁奉萌え
16無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 02:01
MVPは賀斉だろおまいら
17無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 02:16
紳紳
18無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 20:05
羅憲
19編集部のM:03/11/26 20:26
セクシー度で意外に順位が高いのは審配(「月刊三国志」8月号より)。
肉体派武将の中にあって濡れた姥桜(?)の魅力に票が集まった結果と言えるだろう。
今後の活躍から目が離せない。

何でここまで満寵が挙がってないんだー!!
司令官としては夏侯淵とかの数倍上のレベルだと思うんだけど何故か地味・゚・(ノД`)・゚・
>>6
ああ。最近読んだけどさりげにすげえよな。城を1年近く守り通し、わずか
数百の精鋭で一万近くの軍を撃破、大将の首を取り、
張魯の誘惑にも乗らなかった。でも40で逝去。彼がいなければ、蜀攻め
危なかったんじゃないか?
羅憲も呉から半年守った上、陸抗の3万の軍にも屈しなかった上、
おそらく数千の兵士だったらしいから相当だけど、
その意味の重さでは、霍峻の方が上だと思う。
>>20
>>夏侯淵とかの数倍上のレベル
そこまででは無いと思う。
於扶羅
ちんとー
24レタス ◆netaz1u/w6 :03/11/28 18:15
劉磐とかはいかがでしょう。
タダの賊に成り下がったDQNですが、権坊は太史慈を派遣して抑えさせたほどの勇猛ぶりだったとか…
凌操は一応甘寧ネタで出てきますが、かなり雑魚扱いされてるっぽいところが(・∀・)イイ!!
実際は先陣特攻タイプで相当強かったらしいですね。

あと、韓当は一兵卒から特攻部隊の隊長に成り上がったりしてるところがいいかな…

>>23
陳登(・∀・)イイ!!

VS策兄用の抑えで活躍しましたからね…と言いたい所だが、
ヤツの凄いところは死に方だろ

刺 身 食 っ て 虫 湧 い て 死 亡 !!

ワサビなかったんだな…

>>20
個人的に李典と同じくらいかと思うなぁ

うーん、満寵は司令官としては司馬懿レベルと言っても過言ではないと思うとです。
彼が曹休の後任として揚州方面の司令官になってからは、
陸遜をはじめとする呉の諸将達に全く付け入る隙を与えていないし、
呉軍の水運の利を一気に奪い去った合肥新城築城も彼の提案です。
前任の曹休、後任の王淩辺りと較べてみると彼の優秀さがよく分かると思います。
揚州方面司令官になる前も、樊城防衛戦で曹仁を助けて見事守り切っていたり、
石亭の戦いでも曹休が罠にハマる危険性を看破していたり、
卓抜した戦略眼を持っていた将軍であることが覗えます。

夏侯淵は、戦を戦略レベルでなく戦術レベルで考えすぎるきらいがあるところと、
陽動作戦にあっさり引っ掛かりすぎてる辺り、
司馬懿、満寵クラスと較べるとちょっと落ちるのではないかと。

李典は部隊長クラスの戦指揮しかしておらず、
方面軍司令官としての手腕が未知数なので何とも言いがたいです…。
26レタス ◆netaz1u/w6 :03/11/28 22:42
>>25
おお、レスがあるw

言われて見ればくくりが「司令官」ということでしたか。
数軍を預かる司令官としてなら当然李典より上かと思われます。
よく見ないでレスしてしまって申し訳ない。
李典と同じくらいというのは、「トータルとして見て」の意見でした。

>>23
それじゃ「チョウコー」と一緒じゃねーか!
どっちだよ?しっかり漢字で書けとは言わんが判別できるように表記汁!
ま、いずれにしても優秀かつイマイチメジャーになりきれてないけどな。
ひょっとして「釣り」か?
>>24
も、そういうことは確認してからレスした方がいいぞ。以上。
陳湯
隴西の守護神 郭淮
諸葛亮在世中は司馬懿の部下として活躍。
蜀の軍権が姜維に移ってからは、陳泰と共に姜維の北伐を連年防いだ名将
諸葛亮やその後を襲った姜維にとって最大の邪魔者は曹真・司馬懿といった司令官よりも郭淮だったと思われる。それほど郭淮は堅く蜀の侵入を阻止したのだ。いわゆる第一次北伐は馬謖の失敗で蜀の敗北に終わったが、
郭淮はこの戦いで馬謖の副将・高詳を討ち、蜀に荷担した羌の唐[足虎]を討っている。翌年の諸葛亮の出陣の際には形勢不利と見て撤退し、さらにその翌年、陽谿で魏延に敗れたが、彼の敗戦はこれくらいのものである。
翌年(231)の諸葛亮の侵攻で兵糧不足に陥った際には羌族を手なずけて兵糧を充足させ、3年後諸葛亮が斜谷で司馬懿と対陣したときには、
諸将の反対を押し切って司馬懿に「諸葛亮が北原を奪う前に先手を打って防塁を築くべきである」と進言し、果たして防塁建築中に蜀軍が現れてこれを迎撃した。さらに諸葛亮の陽動作戦を見抜いて陽遂を死守する働きを見せた。
 その後も幾度も蜀や羌の侵入を防いだ郭淮だが、その中でも最大の試練は247年の羌族大反乱とそれを利用して侵入してきた姜維の猛攻の連携攻撃だろう。隴西の餓何・南安の焼戈(この二人は小説「三国志演義」では餓何焼戈という一人の人物になっているが)
・金城の伐同・西平の蛾遮塞・涼州蛮族の治無載が一斉に反乱を起こし、時を同じくして蜀の姜維が攻めてきたこの事件も彼の冷静な判断が光った。まず姜維を迎撃し、餓何・焼戈を斬った。
次に陽動作戦を用いて治無載を破ると、すかさず治無載の妻子を人質にすべく西海に赴く。その途中に治無載に遭遇してこれを破った。だが、郭淮は敗走する姜維・治無載らを追わず、陰平にいた蜀将・廖化を討つべしと主張し、
これを破ったため、この事態を全く予期していなかった姜維は大いに狼狽して撤退。それをまた夏侯覇に追わせ、散々にうち破った。まさに数十年間この地を守り抜いてきた郭淮の面目躍如といった場面だったろう。
 その後も幾度となく蜀や羌の侵入を防いだのち、郭淮は車騎将軍に任命されている。これほどの高官となっても彼は西部戦線に駐屯し続けた。これほどの長きにわたって最も重要な西部戦線を守ってよく防ぎ、
しかも西部戦線でしか軍功のない将軍というのは郭淮くらいしかいない。まさに彼は魏の対西部戦線エキスパートであったといえよう。
>>29
こういう詳細ってすごい好き
横山三国志しか知らない俺には新鮮です
そんな俺は慎重派の王平ファソ
3127:03/11/29 01:59
陳登:イイ!というのはレタス氏に禿同で、正史見る限りすごい名将なワケだが…
光栄には武力関係で虐待されているケースが多いなw
陳到:漏れの記憶違いでなければ、趙雲より先に一軍を任されたワケで、
(もっとも公孫サンのもとでは単なる護衛ではなかっただろうけど)
そういう意味ではそこそこ重用されていたはずだが…
光栄よ初期の三国志シリーズでは出てこないぞ!
陳湯:スマソ、知らんのだが。漢方か何か?ネタじゃなければ正直解説キボンヌ。
漏れの好きな渋めの武将は[赫β]昭かな。って結構有名人か…
出番少なくて可哀相だったから、バリバリ活躍させているぞ、光栄よ。
郝昭はいいですね!演義でも正史でも彼はカッコイイ!
あそこまで攻城戦の様子がはっきり書かれてるのも珍しいんじゃないかなあ。

陳湯は対匈奴戦線で活躍した漢代の将軍ですね。
当時、中央アジア方面に強大な勢力を持っていた西匈奴の郅支単于を
戦場で討ち取るという大功を挙げています。
満寵、郭淮が推されてるのに、牽招と田豫は放置ですかそうですか……
34レタス ◆netaz1u/w6 :03/12/01 09:30
>>31
陳到って劉備の予州時代に子飼いになったらしいけど、
それ以前はなにやってたんだろうね
しかし余裕ある国の武将が、守りを受け持てば
よほどの失敗が無い限り守り抜けると思って
しまうのは蜀ファンのひがみかね?
♪つばめよぉ高い空から教えてよ〜
馬謖以外の馬良の弟はどこにいる?
>>35
なんとなく気持ちはわかる
戦争ってのは国力だけで簡単に計れる程簡単なもんじゃねーっつーの。
兵法というものを知らん奴だな。
>>38どれほど簡単で無いか具体的にいえる?
>>39
戦争ってのはな、国力以外の部分でも、天の時、地勢、その国の軍制、内情、
兵の強弱、兵科、将軍の器量、戦略、戦術の妙、所有兵器の発展etc、
そういったもろもろの要素が関わってくるものなの。
国力だけで単純に計れるものだと思ったら大間違い。
ちゃんと兵法書とか読んでもの言ってる?

第一、国力でいえば、長年漢を苦しめ、武帝の時代までは漢を臣従に近い状態に置いた
匈奴なんて国力で言えば漢と較べて激低だっつーの。
結局国内統一後国力を増大させた漢が武帝の時代
匈奴を鎮圧させた(=国力が強い漢が勝った)のでは?
それまでは内政に忙しく外征する余力が無いからの選択でしょ。

戦争は国と国との総力戦であり高い国力を持つほうが
有利だといってるわけですが、あなたの言い分だと
戦場で勝ち続ければ最後は勝利できると見受けられます。

話を蜀の孔明・姜維にたとえますと、人口で数分の一でしかない
蜀が外征を行うに当たってまず兵数の点で不利があり、
ついで補給の点で不利があり、さらに相手に防御陣地があり
攻撃の際の不利があります。
自分に多大な僥倖を求め、相手には最低の能力しか考えないの
ならば外征は成功するかもしれませんが。
>>41
そうだね。武帝の時代は漢が勝ったね。
でも、劉邦の時代、匈奴の国力は漢の五分の一だったにも関わらず、
ボコボコに負けて漢にとって屈辱的な不平等条約結ばされてるでしょ?
これについて、明確な説明くれなきゃ>>40の反論にはならないよ。

>戦争は国と国との総力戦であり高い国力を持つほうが
>有利だといってるわけですが、あなたの言い分だと
>戦場で勝ち続ければ最後は勝利できると見受けられます。

国力だけで決まるものではないと言っただけで誰もそんなこと言ってないんですが。
勝手にあることないことでっちあげないでね。

>話を蜀の孔明・姜維にたとえますと(後略

…要するに兵が少ない方が外征を行い、相手がそれなりの備えをしている場合、
守備側がどうしようもない凡将で、
攻撃側が余程の強運に恵まれなければまず成功しないって言いたいの?
そういった不利を覆した戦例なんて歴史上に山ほどあるんだけど…。
あ、あとちょっと追加。
動員兵力についてだけど、これは領土との相関関係もあるし、
その国の軍制とも関わってくる。
もちろん魏の兵力が蜀に較べて多いのは確かだけど、
単純に人口比をそのまま兵力比に当てはめない方がいいよ。
未だに戦は国力が全てだと思っている国力厨がいたのかw
>>43の典型例は北朝の北周と北斉の関係とかかな?
>ボコボコに負けて漢にとって屈辱的な不平等条約結ばされてるでしょ
>>41にて、それまでは内政に忙しく外征する余力が無いからの選択でしょ
具体的にいうと呉楚七国、韓信など後方に不安があった

>国力だけで簡単に計れる程簡単なものではない
>兵法というものを知らん奴だな
これは兵法によって国力差を覆せる意図で
言われたのではないのですか?

>不利を覆した戦例なんて歴史上に山ほどあるんだけど
失敗した例のほうが少なければうなずきますが、
それとそのときの成功例に凡将とと幸運が無かったと言い切れますか?
はあ…、もう相手すんのめんどくさくなってきたが一応。
前回のカキコで何で分からないかなあ…。

>それまでは内政に忙しく外征する余力が無いからの選択でしょ
その根拠は?
平城の恥の起きた経緯を本当に知ってる?
外征する余裕がないからって国力で劣る匈奴側の不平等条約に
何で大人しくうんって言わなきゃいけないの?
当時の中華思想とかを知っていれば、この条約って中国にとっては
すっごく受け入れ難い条約だってことぐらいすぐ分かるでしょ?
あと、後方不安で何で呉楚七国が出てくるのか分からない。
呉楚七国の乱がどういう経緯で起こったか知らないで言ってるでしょ?
呉楚七国との関係に言及するならもっと勉強してから言及した方がいいよ。

>これは兵法(後略

いやー、単純に戦争ってもんを本当に知らない発言だなーと。
少しでも知識ある人なら普通>>40に挙げた事ぐらいは考えるのが当然だからね。
あと、そういう意図で言ったわけじゃないけど、
兵法によって国力差を覆す=局地戦で多く勝利する になるのが分からない。
兵法=局地戦の戦術のみ じゃないよ。そこんとこもっと勉強しようね。

>>失(後略
そうだねえ、んじゃ数ある戦例の中ですっごく分かりやすい例を。
まず一つにマケドニアとペルシア帝国の戦い。
国力でいえば、ペルシア帝国の国力ってマケドニアの数十倍。
でも最終的にはアレクサンドロス大王率いるマケドニア軍がペルシア帝国を滅ぼしましたが、
当時世界帝国として名高かったペルシア帝国の諸将達は
みなどうしようもない凡将だったんですかそうですか。
戦の経緯とかちゃんと見ればペルシア帝国の将軍が
凡将ばかりじゃないことぐらいすぐ分かるんだけどね。
48まとめ:03/12/02 05:09
戦争は国力の多寡で決められるものではなく、兵法があれば
たとえ小さい国力でも大きい国力に勝つことは出来る。
それは匈奴が漢に勝った事、アレクサンドロス大王が
ペルシア帝国に勝った事をあげられる。
わかりましたか皆さん?
最初にあった国力が高いほうが有利に対する
アンチテーゼの説明がなされて無い点、
匈奴やアレキサンダー大王がどのように兵法を
介在作用させたかを述べてない点で論として浅薄
の感が拭えませんな。
これだけだと小さい国力が勝った例を挙げただけに留まっている。
50無名武将@お腹せっぷく:03/12/02 12:57
まあ知ったかしたい年頃なんですよ
戦争は国力によって勝敗が決まるものではない。
これは正しくて間違い。戦争の計画は正しく自国の状態を
把握し、その身の丈にあったもので無ければならない。
つまり国力によって戦争は制限される。
兵法はこの場合広域に言わせてもらうと国力が小さい場合
大きいものとの差をなくす、大きい場合はさらに差を広げる
努力をする事。当然ここには局地戦で勝ち続け、相手に戦争
継続の意志を放棄させる事も含まれるし、状況を作って
相手に戦争そのもをあきらめさせることは最上といえる。

で、これまでのレスを見ると
>>38>>40を参照して局地戦以外を連想させるキーワードが無いのに
(かろうじて天の時・戦略・etc?)>>47に於いて兵法=局地戦の戦術
のみじゃないよ、といってしまうあたり論としては劣悪。
匈奴と漢について誕生間も無い王朝が巨大事業を起こすと、たちまち
衰亡する事は秦・隋で証明されてる。むしろ兵法を語るとしたら、
不利な条約を結んででも王朝の存続を選択した漢の方を褒めるべきである。
アレクサンダーだけど彼が故国マケドニアを出征してから
何度自国に戻ったか?外征による戦につぐ戦のかれが
兵法は国力差を覆す=局地戦で多く勝利するのではないという
言った後の例として適当かどうか一考すべきですな。
52レタス ◆netaz1u/w6 :03/12/05 07:59
兵法はどっちかって言うと戦術よりも戦略を重視してるな。

どんだけ戦争をしないで自分を有利にするかが重要ってこった。
53無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 08:12
>>35に対してのレスが>>38としたら、>>52をふまえて
烏丸、羌、匈奴、公孫越、孟達、呉と団結して
魏に当たれば勝て可能性があったのに
と書けばここまで無駄なリソース使わなくてすんだであることよ。
誰か頭の可哀想な人のガイドラインでも張ってやりなさい。
>>54さん、とりあえずこちらへお願いします

http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1060963580/
56レタス ◆netaz1u/w6 :03/12/05 21:34
杜襲はどうだ
57無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 21:58
匈奴対漢、マケドニア対ペルシアみたいに異質な軍事文化の衝突と、
同じような編成の軍隊を持つ三国での戦争は同列に語れないような気が。
58無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 22:20
路昭のがいいにきまってる
>>57
同意、内戦と異文化戦争はまた別の見方があると思う。
60無名武将@お腹せっぷく:03/12/05 22:29
そういう話は禿しくスレ違いの予感なんだが…
61日本史男:03/12/06 01:01
あのさあ、今までなんで誰も7につっこまないの?
街亭でまけたのは馬謖だよって(鬱)
>>61
ネタ板でマジレスw
64レタス ◆netaz1u/w6 :03/12/07 16:29
もし、馬良と馬謖が逆だったらどうなったんだろうな
65無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 16:31
http://www.cgi-game.com/sangoku/index.cgi
↑三国志NET

http://amigo.mail.goo.ne.jp/freemail/index.ghtml
↑フリーメールはこちらから

神空国への仕官お待ちしております
66無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 00:01
>>64
夷陵の戦いで劉備討ち死
67無名武将@お腹せっぷく:03/12/09 16:23
いまさらなんだが、ここのスレタイって…
李典の話はどこ行ったんだ
69無名武将@お腹せっぷく:03/12/10 14:47
>>1の言うとおり
李一族がいないと曹操軍は成り立たなかった。
70レタス ◆netaz1u/w6 :03/12/13 07:40
地元(山陽あたり)に影響力をもってる李典の一族が曹操の部下になる。

曹操「(゚д゚)ウマー」

さらに李典一族がわざわざ魏郡に引越し

曹操「(゚д゚)ウマー」
71無名武将@お腹せっぷく:03/12/15 02:46
ということは、李典は相当リスペクトされていたということか
72レタス ◆netaz1u/w6 :03/12/19 09:40
重要人物だったかと
73無名武将@お腹せっぷく:03/12/25 09:25
李典ってけっこうすごいんだな
74あぼーん:あぼーん
あぼーん
75レタス ◆netaz1u/w6 :04/01/05 21:30
あけましておめでとうございます
76無名武将@お腹せっぷく:04/01/05 23:34
【チンコのレス】

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  \/
  〓
 【チンコお守りレス】このお守りを見たあなたは超超超幸せ者!
2週間以内に必ず彼氏・彼女が出来るよ!
すでにいる人は超〜ラブラブ みんなが幸せになりますように…
そのかわりこのコピペを1時間以内に、5つ別のスレに貼り付けてね・・
でないと、あなたはインポや性病になります。
77無名武将@お腹せっぷく:04/01/12 17:14
インテ李典
78無名武将@お腹せっぷく:04/01/16 19:49
王凌が(・∀・)イイ!!
李一族って李典の他誰か有名な人いるの?
曹操のエン州討伐(VS呂布)の時に
侠客の李乾が呂布配下の薛蘭と李封に殺され
李乾に従っていた李典はその子(李整)を補佐して
薛蘭と李封を討伐している。李整はその後亡くなり
李典が中郎将となって李整の軍を引き継いだ。と、あるな。
何気に陳就が好きだ
マンセーだもんな。
呂範も地味に良将だと思いまつ
陳登とか田疇とかがたまらん。
王平とかな。
臧覇も。
臧覇は名前が駄目。
はぁ?
89無名武将@お腹せっぷく:04/01/31 02:44
陳登(*´д`*)ハァハァ
真のマイナー名将は張任
超人はマイナーじゃないだろ。
張任はマイナーだし、名将じゃないな。
しかし蜀後期の武将は良いの揃ってるな・・・

張翼とか王平とか。
わくわくするよ。
張翼の前に馬忠と張嶷を挙げるべき
位階でいえば句扶だろうけど
95無名武将@お腹せっぷく:04/02/04 10:04
張嶷(・∀・)イイ!!
王平→北の要
トウ芝→東の要
馬忠→南の要

何より性格が笑える。いちいち真逆
能力も上手いこと戦争・外交・内政に分かれてるし
>>96
馬忠に対する「内政」って表現がなんだか……
ふつうは鎮撫とかいわないか?
チン撫
99無名武将@お腹せっぷく:04/02/04 21:16
李典スレハケーン!
横山三国志で最初に好きになったのは李典。
凄さがなくていい。それでいてチョクチョク登場。
ひげも良い。漫画の話だが。

李典は






慎重すぎて曹操の怒りを買ったことがある。

徐晃も慎重だったらしいが演義でのエモノが大斧なせいか
猛将ってイメージ
101無名武将@お腹せっぷく:04/02/09 13:46
age
演義じゃ顔良に打ち負け、文醜にはからかわれてるしな>徐晃
武器マニア李典
>>103
意味がわからんのだが?
>>104
蒼天航路での設定
学問好きで戦争嫌いってとこまでは正史の通り
でもなぜか武器マニア
106無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 19:16
(・∀・)イイ!!
>>105
その設定って、ネタとしか思えん。作者、アホ?
108無名武将@お腹せっぷく:04/02/19 22:07
満寵は官渡戦前に汝南太守に任じられた頃、
袁紹を支持する汝南の20以上の城砦を




兵「500人」で陥落、平定している。
>>107
自作のからくり武器を使って猛将甘寧と互角にやり合う李典
アホ設定だがおもろいよ
ちなみに投石機は官渡の戦いの時から李典のお気に入り

>>108
反対勢力を集めて一網打尽(だまし討ちに近かったのかも)って
かのドラキュラのモデル、ブラド・ツェペシュみたい
>>1
たった今
スレタイが李典の字「曼成(マンセイ)」に懸けてるんだな。
と分った漏れ・・
1111:04/02/21 11:22
>>110
( ´∀`)ようやくきづいてくれたか
みんな気付いてたんじゃ…
前に同じようなスレたってた様な気もするし。
ちゅうか同じ人が立てたスレと思ってた
李典スレはこれで3つ目くらいじゃなかったっけ?
何スレ目かは忘れたが、ほとんど同じスレタイだというのは覚えてる
117レタス ◆netaz1u/w6 :04/02/26 14:31
前に立ててた人がいんの?
118無名武将@お腹せっぷく:04/02/26 14:49
マンセー
>>117
幾度か
120レタス ◆netaz1u/w6 :04/02/27 05:08
しらなかったよ、ごめんな
121無名武将@お腹せっぷく:04/03/03 20:48
>>120
しょうがねえから赦してやるよ
特殊な工法で激しく砦作り
(;´Д`)ハアハア
>122
城壁に大砲仕込んだりしたむちゃくちゃな砦になりそうだ。
>123
そして亀を飛ばすんだな。w
125レタス ◆netaz1u/w6 :04/03/17 22:06
李典マンセー

李典のために捕手
126無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 22:46
部曲を率いてまだまだ弱小勢力の曹操陣営に入った、
李典の親父さんがもっと評価されてもイイと思うのは漏れだけか?
127無名武将@お腹せっぷく:04/03/17 22:56
…すいません、親父さんじゃなくて叔父さんでした。
取りあえず、吊ります。

 ∧||∧
(  ⌒ ヽ 
 ∪  ノ
  ∪∪
128レタス ◆netaz1u/w6 :04/03/20 00:20
>>127
ドンマイ!

そして復活しる
129レタス ◆netaz1u/w6 :04/03/22 01:41
すいません、引越しのため一週間ほどこれません

保守宜しくお願い致します
>126
李典の叔父さんって雄雄しい性格としか知らないです。
でも何で曹操についたんでしょうね?
商人が群雄に投資するのとは訳が違うでしょうし、曹操の何を見込んだのかな。

そして、軍閥をもった豪族のぼっちゃんなのに、争いが嫌いで本が好きな李典って
なんとなく可愛いと思った。
131126:04/03/27 17:10
どうも。
曹操陣営についたのは曹操の群を抜く行動力を見込んで、だと脳内軍師が申しております。
一介の武官でありながら、諸侯に働きかけ、反董卓連合軍を作った実績を評価したのでしょう。
案外、名門・袁紹などの選択肢を考えながらも、距離など現実的な事情があったかも知れませんが。
でも選択を誤れば李一族滅亡、いう大変な時代ですし、
その辺の微妙な逸話など小説なり漫画なりで作られれば面白いと思います。

おっしゃる通り、李典は坊ちゃんなんですよね、どうも成人した立派な武将としてしか
イメージがありませんでしたが。
本を好んだのは、君主の影響を受けているかも知れませんね。
>130
>でも何で曹操についたんでしょうね?
李氏がえん州の大姓だった以上
州府内の顕官を占めていて当然。
曹操に率先して仕えたというよりも、
代替わりした社長に代わらず仕えるってかんじ。

呂布がえん州に乗り込んできたときに
曹操に味方した理由はよくわかんね。

>130
>本を好んだのは、君主の影響を受けているかも
左伝はきれいごとっぽい内容の本だから、
曹操の好みの本じゃなさげな気がする
133130:04/03/30 19:00
>131
>選択を誤れば李一族滅亡、いう大変な時代ですし、
>その辺の微妙な逸話など小説なり漫画なりで作られれば面白いと思います。
面白そう!と李典が好きな自分は思いますが、マニアックな本になりそうですね〜。
なんとなーく徐州の陳親子を思い出しました。

>132
>代替わりした社長に仕えるってかんじ。
そうか!言われてみればそのほうが地方豪族っぽいですよね。
呂布は評判が悪かったから、エン州に入れたくなかったのかもしれませんね。
(曹操の評判がよかったかどうかはともかく)
当時の豪族の事を考えると、曹操の為に一族皆でギョウ(でしたっけ?)に引っ越した
李典てやっぱりすごいかも。
つか、ギョウ行きは当然官渡の後で曹操が中原の覇者になるのが
確実視されている状況だから、そんな大決断でも無かったんでわ?
大都会に行くべ、ってカンジか?もちろん豪族と土地の結びつきのことを
考えれば故地を捨てるのはそれなりの決断なんだろうケド
慎重居士の李典が博打で一族の命運を決めるとは思えん
李典と張遼が仲悪かったのって
自分の出身地を襲われたからって本当ですか?
そうらしい
呂布軍に李一族は結構な数、殺されたとか
おそらく土地は荒らされ、小作人も逃亡。所領の経済基盤が滅茶苦茶に
なったんじゃなかろうか?そんなこんなでギョウへのお引越しはある意味
当主として必然の選択だったのかも
否定はできないが、どこにそんな記述が?
叔父さん殺されたという一文しかなかったと思う。

>135
それもあると思うが、性格合わなかったんだろう。
張遼なんかは蒋済に「あんた人の話聞かねーしな!」(意訳)とか
言われてたぐらいだったような気がするし。
>138
「人の話聞かない」まで言われてるとは。w
もしかして下に優しく同僚にキツイ関羽タイプ?

張遼と李典は人が止めないと喧嘩するくらい仲が悪かったらしいね。
いい年した大人が…ってちょっと思う。
でもそれが微笑ましかったり。

このスレは勉強になりますね。
ところで楽進と李典はどうなんだろ
官渡直前の配置でセットで許に詰めていたようだが
李典キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!!!
142138:04/04/01 21:24
>139
すまん。間違えた。蒋済ではなく胡質だった・・・

>140
官渡直前、李典はえん州の離狐太守だったので、そこいたはず。
李典って官渡のときまだ10代だよね。
それで太守か。
李典をマンセーしたくなった。
真面目な官僚って感じだったんだろ。
チョウリョウが現場主義で肌に合わなかったんでない?
>143
215〜217年が没年ぽいので、それから考えて
官渡の時は19〜21歳。
この年までに、県令→+中郎将→太守
後漢でも屈指の昇進スピードだと思われ(この時点までは)

以下ちょっと失速だけどな
>145
他人との衝突が嫌いで、勲功を争わなかったから
将軍になった途端出世が遅くなったのかもしれませんね。
最終的な封地も少ないし。
>146
上がつかえていたってのもあるかも。
李典もあと数年長く生きてりゃ、昇進チャンスが
2回〜3回はあったわけだが。
148無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 18:29
保守
149廖化:04/04/23 20:33
>>93
張翼を挙げるなら廖化も挙げるべき。同じ車騎将軍として
第一、蜀末期というのは姜維の北伐に従軍したような人だと。
張嶷、張翼、廖化とかかな
>>143
廖化はどうなるんだろう。太守ではないけど、黄巾の残党を10代前半でもうやってることになる。
張翼や廖化は剣閣守備戦の時もう90前後だったとか。蜀の人材不足を物語る彼らの働きを見てるとハラハラする。
150無名武将@お腹せっぷく:04/04/23 20:55
廖化は実は別人だという話
>>149
>黄巾の残党を10代前半でもうやってることになる

それは「演義」での話であって、実際には蜀滅亡時には古希あたり。
二人説もあるし、荊州で関羽に従軍もしてないよ。

それに廖化は長寿だけど、それほど事績が多くない。
張翼や張嶷は蜀末期の良将ではあるけど、廖化は少し見劣りする。
>>151
廖化は蜀滅亡に際して同僚に、
「我々はもう齢70を超えて云々・・・」
とか言ってたはずだから、まあ老将としては全うな年齢だったね。

重要なポストの人間なはずなのに情報がないという点では
句扶や呉懿とかと同様か。ほんと史官ぐらいちゃんと置いとけよ、蜀。
>>152
全くおいていなかったわけでもないんだけどね。
あと胡済なども、軍籍の高さのわりによくわからない人物かも。