1 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :
ヽ( ̄ー´∀`)ノ
ヽ( ̄ー゜∀゜)ノ
アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
質問してこいや、ボケ!
上のAAは俺が師とあがめるコテハンのAAだYO!
曹洪だろうが馬忠だろうがダレでも来い!
2 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 19:37
2get!
アヒャヒャヒャ
3分か
だめだこりゃ!
5 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 19:39
質問しろや、ゴルア
6 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 19:41
ビコーペガサス
7 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 19:42
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 19:45
孫尚香っていつ死んだの?
自己紹介@2ch掲示板
http://etc.2ch.net/intro/ # 固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでもあり板以外では、原則として全て削除または移動対象にします。
10 :
セクースイーツ ◆9Ce54OonTI :03/11/17 19:46
放置を覚えろ。オレモナ
13 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 19:49
>>10 まじめに答えてくれると思ったのに、お前が師ね
14 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 19:51
>>8 孫権が劉禅をラチれと命令したときに、劉禅ラチる。その時、趙雲に劉禅をとり返されたのが最後の記録。
257〜263だと思われ
15 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 19:52
16 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 20:01
他に質問は?
17 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 20:09
馬超っていつ死んだんすか?
いろいろ説があるようですが…。
三国志より日本史・世界史全般の方が面白い
孔明ってどういう性格なんですか?
20 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 21:20
>>17 たしかにあるね。
正史には錦馬超だなんて呼ばれてないし。222年(蜀の地建国翌年)に死んだのが
有力とも言われるが、実際のとこはどうなんだろ。トウカンの戦いの後は目立った記録もないし。
>>19 ぐうたらでめんどくさがりだったらしい。黄月英に尻に敷かれたとも。
しかし、才知は十分で才能で得するヤシだね。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 21:28
よく「徳の劉備」って言われますが、徳って具体的に何ですか?
部下や民草に優しいって事?
22 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 21:49
>>21 徳は人徳のように自分以外から得る自信の元や、信頼を言う。
つまり人からの信頼は三国志の人物でもダントツだったろうな、劉備は。
息子はアホだが・・・
なぜ劉禅がアホだといえるんですか?
>>21 辞書引けば載ってるようなこと質問すんなよ
25 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 22:15
>>23 まず、第一に即座に降伏という行為が前帝の劉備との器の違いを民にみせつけたよな。
しかも、民のことを考えずに]常時のように金を自分の楽のために使ってたっていうし。
姜維のことも恩人とも思っちゃいないようだsなあ。
劉備も諸葛亮に皇帝になるようにいったのに諸葛亮は劉禅をかばいつづけたよな。
ある意味本物のアホは孔明かもね
26 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 22:17
>>25 う〜ん反論がでそうな意見だなぁ祭り狙ってるの?
27 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 22:17
>>26 別に狙ってないYO。
劉禅に対してこう思ってるだけだからさ・・気にいらないなら忘れてくれ。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 22:24
29 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 22:28
30 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 22:31
姜維って名臣?それとも戦争馬鹿?
31 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 22:36
>>30 名臣だろうね。忠実すぎるよ。孔明に対して。劉禅の保護もみんなあきらめてた時に一人きばったしなあ。
天水では才知を発揮できないんで不満もたまってたし、いさぎよく蜀に降伏出来たんじゃない?
最後まで闘って死んだからある意味、関羽や張飛以上に義に厚い男なのかもね。
無双の姜維は美形過ぎて萎えるよな。別にどうでもいいけど・・
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 22:46
>>31 ありがとうございます。
姜維の最期は悲惨でしたね。
私は「戦争馬鹿派」だけど、心情的には名臣認定してますw
姜維の北伐は国力を衰弱させる元凶であり結果的に姜維が蜀が滅亡させたのでは?
それでも、名臣ですか?
34 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 23:00
>>33 確かに無理して北伐はいけなかったよな。
けど、それは蜀を守りたいからこそしたんだろうね。
本人でも気づかない内に・・・
良く言えば最後まで可能性を捨てずに。
悪く言えばあきらめ悪く蜀を救おうとしたんだろう。
蜀の武将は国を守りたいがために無理するやつが多いような・・・
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 23:05
馬謖ってどうよw
姜維が常時涼州方面を荒らしてなかったら、
もっとしっかり征蜀の準備ができちゃうので、
もっと早く蜀に攻め入られて滅んでいたと思うけどな。
他の時代を見ると、蜀は中原がよっぽど混乱してないかぎりそんな長続きしてないし。
次第に増強されていく魏に対し、蜀は土地・民の上限が限られてるから
兵を休めてもすぐに魏に対抗できなくなる。
つーことで、
姜維は少しでも蜀が長続きするために軍事行動を起こしてたんじゃないかと思うんだけど、
>>34どう?
37 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 23:08
>>35 典型的なマヌケ。手柄欲しさに深追いしたのはガンダムのジーン級にマヌケ。
山頂に陣て・・王平も止めたのにねえ。
渇きで死に掛けたとこを孔明にバッサリ。泣いて斬ったって本当かな?
かなり怒って斬ったという説もあるしな・・・
蜀のダメ武将の一人だな、うん。王平可哀想。
38 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/17 23:14
>>36 なるほど。確かにねえ。
蜀も領地が魏ほどなかったしなあ・・・
姜維は孔明が認めるほどの才知を持つから部下もいい策を出してくれると任せっぱなしで
何も考えなかった奴が大半だしなあ。魏は武将も強く兵も多いし、なにより孔明がいないから司馬懿の策にもうまく対応できなかったんだろうね。
姜維についてはいろいろ語れて意見が分かれるなあ、うん。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 23:20
[广龍]統について出来る限り教えてください。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 23:25
孫権ってなんで政権を維持できたの?
曹操は宦官の孫だけど、一応親父が大尉になっている(一瞬だけど)。
劉備は一応皇室の血を引いている(限りなく薄いけど)。
孫権は・・・親父&兄の代での成り上がり。
しかも、赤壁時に「俺は家柄がいいから、曹操も無碍にはしないけど、あんたはダメだよ。殺されるよ」by魯粛
って言われてる。
*つまり実力社会の三国時代も家柄は重要だった。
なのに、皇帝にまで成っている・・・なんで?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/17 23:37
やっぱりホウトウがいきてたら蜀は歴史をかえていたかな?
\ /
\ /
\ あぼーん /
問い合わせても \ /
見つかる可能性は \∧∧∧∧/
ほとんどありません。< 削> ( ̄ー ̄)ニヤリッ
< 予 除>
───────< の 対>──────
< 感 象>
1: あぼーん (14) < !! >
/∨∨∨∨\ 過去ログ倉庫にも
/ \ ありませんでした。
/そんな板orスレッド \
/ ないです。 \
/ \
43 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 13:38
44 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 14:54
>>39 ホウトウ・・だよね?
179年〜214年(216年という説も)
孔明は臥龍、ホウトウは鳳雛って呼ばれてた。
成都攻めの時に劉備の馬に乗っていたために間違われ敵に射抜かれあぼーん。
主な業績は
赤壁の時に船を鎖で繋いだのが有名。
また、兵士達に敵の意表をつく方法や退却時に優先すべき事を教えたとも言われる。
また、孔明と杯を交わす時も多くあり、彼の内面もよく知っていたという。
>>41 うーん・・・孔明の相談役として働いたんじゃないかな。
でも孔明のほうが策を良く思いつくし、ホウトウは赤壁の時に魏の兵から恨みを買ってるから
狙われやすくなったし、成都攻めのときに生き残ってもすぐに死んでしまいそうだなあ・・
無事に生き延びたら五丈原の後は姜維と一緒に北伐に力を入れたかも・・・
45 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 15:03
>>40 やはり、孫家は長沙の太守で広く名の知れた家柄だしなあ。
パパは江東の虎の異名を持つ突撃野郎で海賊退治なんかもよくしてた。
孫策も広く孫呉の脅威を見せつけたわりに弟は引っ込み気味。やっぱり跡取りの問題もあったから仕方なくしたんじゃない?
民も孫策と周瑜が死んだときはあきらめてたんじゃない?孫権よりもまだ、陸遜とかの方が向いてそうだ。
孫権は合肥で偉い目にあって結局反撃も大それたものでもない。(甘寧の夜襲くらい)
やはり、合肥で退いてあきらめたから、呉の国は長く続いたんだろうね。
でも自分の後継者を決める時は政治に全く手をつけなかったから結局、孫権は我を通すことなく呉の国は3代で滅ぶ。
周瑜が生きていれば少しは続いただろうに・・(魯粛とかも)
46 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 15:21
>>14 じゃあやはり孫夫人はあくまで「政略ケコーン」であると開き直っていたのかなあ?
拉致なんだよね?自分の息子のようにかわいくなって連れて行こうとしたわけじゃなく
47 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 15:32
麦城の戦いの前後関係
・なぜ雲長は攻め入ったのか。
・なぜ呉は魏を援助したのか。
・なぜ蜀から裏切り者が出たのか。
多々説があるようですが、あなたの見解でよろしいので教えてください。
48 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 15:49
>>46 夫人は劉備が好きで2人で蜀の地も抜け出しかけたとい説もあります。あくまでも劉備。
呉の国が魏にコテンパンにされ、心配のあまり蜀の地を出るということはよくあったそうだ。
>>47 ・なぜ雲長は攻め入ったのか
蜀はもうだめぽな状態になってたために関羽はなんとしても守ろうとしたんだろうな。
周倉や廖化もやる気になってたし、関羽の武なら耐えれると思ったんだろう。うぬぼれるといいことないな・・
・なぜ呉は魏を援助したのか
魏はあとあと、友好関係をもっとかないと徹底的に潰される恐れをもったんじゃない?
広大な領土、膨大な兵の数、有能な将が多いなど、負ける要素いっぱいだったし。
・なぜ蜀から裏切り者が出たのか
命が惜しいのが最大の理由だと思われ。麋芳なんか特に関羽を嫌ってたしね。
フジシンだっけ?そいつも同じ。どうせなら魏に良く使いを送る呉に下ったほうが安定すると思ったんだろうね。
堅-策-権-亮-休-皓では
>>40 家柄〜
あなたは国王になっているので、生かしておくとまた再起や
担ぎ上げるものも出てくる可能性があるため、それを恐れて
まず殺されるますよ、私(魯粛)は家臣であるため殺される
ことは無いでしょう。といったのでは無いでしょうか、
降伏する唱える者(あなたの家臣共)はまたいつかは
その地位に返り咲くことも出来るが国王となったものは
必ず処刑されます、戦って死ぬか、降伏して死ぬか、
戦えば生きることも出来ますが、降伏すれば死が待ってます
何を迷いますか、と開戦論へ決めさせるための説得でしょう。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 15:56
呉は4代からあとは、どうでもいいからな・・・
厨房が逝ったときに呉は終わったよなw
>>36 あの北方からの侵攻に対する堅固な防衛システムが機能しているうちは、
例え大兵力で魏が侵攻してきたとしても、そう簡単に打ち破る事はできないと思うのですが。
(そもそもあれが機能しているうちは大兵力の効果的運用が不可能ですし)
実際、あの魏の大侵攻が始まったのも、蜀という国家の組織としての破綻も
無関係ではありませんが、姜維本人の建議による防衛ラインの無力化
(事実、防衛線の放棄によって漢城、楽城まで易々と迫られた後に、同地が別軍によって
包囲無力化され、その隙に主力軍の内部侵攻を許すという事態となっている。)
という面が大きいでしょう。事実、魏が大規模侵攻作戦が実行されたのも、
その姜維による防御線放棄の直後の話です。
>>50 孫休はいろんな意味でビッグだぞ!
どうでもいいとか言うな!w
よくわからんが、ホウトウが赤壁のとき、
舌先で曹軍の船を鎖でつながせたのって演義じゃなかったっけ?
シュウソウも演義上の架空人物じゃなかったっけ?
あとソンケンは、家臣の人心を掌握する術にたけていて、非常に彼らに気をつかった。
そういう意味ではトップにたつ者として一流だった。
プラス、名家として影響力のあったチョウショウが、彼の後見人となったことも大きい。
>>40の言うとおりソンサクが死んだ当時は、ソンケンが跡をつぐべきなのかどうか、
はたしてうまくやっていけるのかどうかで相当紛糾したらしいけどね。
呉はもともとが地方の成り上がり者たちによる寄り合い所帯で
体質が魏や蜀とはぜんぜん違うんで、
ソンケンのような成り上がりでも政権を維持できたんだと思う。
俺の勝手な想像なんだけど、
ホウ統は劉備の身代わりになって死んだというコトは
ありえない事ですか?
体の部分が欠けていた説にしても、顔の説(俺は否定するが)にしても、
彼自身醜かったってのは自覚しているはずだし…
後々、彼に対して不満がる人間は出ると思う。
だから劉備の蜀取り前にいなくなるのは丁度良いとか思って…
だめかな?
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 18:32
ここの基本は演義なのか?正史なのか?どっち??
55 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 18:39
孫家4代目以降の可哀想な方々を語るスレになりました
56 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 18:45
>53
ありえんな。
ホウトウは流れ矢に当たって偶然戦死しただけ。
不具者、醜かった云々ってのは信頼できる資料にゃ一切出て来ないと思うけど。
まぁ、演義準拠ならどのような想像も勝手だが。
>>55 可哀想な人達とか言うなよ!
確かに孫家の休太郎さんは頭の方がちょっと可哀想な人だけどさーw
58 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 18:46
>>1を見ると明らかに糞スレだがまともに返答してるのにビクーリ
何で蜀記述すくないん?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 18:58
>>59 >>1さんが出てこないので代わりに答えちゃいますが、
蜀には歴史を記録する史官がいなかったというのが主な原因ではないかと。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 19:27
関羽が地元で起こした、不始末って何?
64 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 19:32
質問 三国志で最強の武将といえば呂布、関羽、張飛
最高の軍師といえば孔明、司馬懿、周瑜などが定番ですが
では司馬懿が死んでから晋が天下統一までの
最強の武将と最高の軍師は誰?
武将は蜀征伐最大の功労者 ケ艾
軍師は孫酷によって国勢が衰えているなか晋のヨウコと互角に戦った
陸抗だと思うのですがどう思いますか?
66 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 19:51
>>65 確かにトウガイは大きい働きをしたよね。俺もトウガイから姜維、鐘会くらいだと思う。
軍師はどうだろうなあ・・・陸坑もすごいけれど。というか陸抗くらいしか大きい働きした軍師はいないだろうな。
余談だが朶思大王は南蛮軍の軍師なんだろうか・・?
セクース雛氏だと思ってハァハァしながら来たのは漏れだけですか?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 20:21
69 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:26
董卓の部下であなたの頭の中で有名な武将を教えてください。
華雄タン以外で
70 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 21:32
李粛(呂布の友人。呂布を董卓軍に引き抜いたヤシ)
リカク(シスイ関を守ってたりもした人。)
李儒(董卓が誇る軍師。)
牛輔(意外と几帳面という説がある武将。ぎゅうすけと読んでしまいがち。)
呂布とかは省いた。ていうか蒼天の董卓、イカス。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:35
李カク 楊奉 郭 李儒
趙岑 樊稠 王方 牛輔
高順 李粛 張遼
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:43
呂布はほんとうにあんなうらぎりものだったの?
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:44
三顧の礼って本当に有ったの?
74 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 21:45
>>72 董卓の思想が気に入らんから斬った。そんだけ。孤独なヤシ
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:46
76 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 21:46
>>73 作品によってはないものもある。
でも、ほとんどの作品によるとあったようだ。
劉備が根気強くたずねなかったら成都で劉備はあボンかも・・ホウトウが助けたかも知れんが
77 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 21:48
>>75 劉備の闘わずに和平を求めるという考えが気に入らなかったという説もある。
呂布としては自分の武芸をとくと周りの奴らに見せたかったんだろう。
董卓のときは目に余る酷い政治のせいでついていけなくなり、斬った。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:52
袁術ってどんなやつ?あなたのおもうがままに答えていただいてよろしいのでお願いします
79 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 21:53
>>73 出師の表にも有るからね。
ただし、「年下の自分に丁寧に接してくれた」や「誘ってくれた」の意味で名詞的に「三顧の礼」って単語を使ったって説もある。
俺的には、自分の才能を発揮したいと思っていた孔明が、自分から劉備に合いに行ったと思う。
その時の劉備の紳士的な態度(?)に青年の孔明は感動したのでは?
80 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 22:14
馬食はアホっていうけど、盲角を7度降伏させるべきと進言したのは馬食でしょ?
81 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 22:21
とりあえず徐行って一騎打ちで顔良に負けたよね?
82 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 22:28
>>80 しかし、その案が上手くいき、調子こいた馬謖は失態。失望させてくれた。
>>81 作品によって違う。伏兵にあったり、奇襲だったり。でも負けた。
徐晃はそんなに強くないというイメージを持たせる事件だった
83 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 22:29
諸葛亮の叔父の諸葛玄は何処で死んだの?
徐晃と徐質は親子ですか?
85 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 22:34
>>78 袁家で一番好きだったりする。蜂蜜の〜の遺言も好きだ。
袁紹とケンカさえしなければ、袁紹みたいに猛威を振るえたろうに・・・
部下だった劉勲とかにいい顔されてさ・・哀れな奴だ、うん。
袁譚も手厚くもてなせばよかったのに・・
86 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 22:39
>>83 朱皓と太守の座を巡る戦いで荊州北で戦闘。破れる。その後、移り住んだ家(荊州の田舎)で病死。
>>84 ノンノン。違うよ。まあ、親子という説は出てるが作中にも表記なし。
姜維にあっさりと殺られてしまったよ。廖化は倒したのにねえ
87 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 22:41
かなりまともな質問スレだったりする
では、
「よし、これでもうお前に教えることはなにもない。
さあ、この大斧と「徐」姓を受け取れ。
今からお前はこの徐晃の後継者、徐質として生きるのだ!」
とか言って大斧を継承したのでしょうか?
89 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 22:45
90 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 22:48
>>88 徐晃はその時、すでにあぼんしてて大斧は曹丕が授けたとも言われる。
徐晃は曹家のみんなから愛されてた。
91 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 22:52
>>89 その説もある。でも豫章はその時、すでに朱皓に制圧されていたので逃げ場をなくした玄は病死したとも言われる。
しかし、豫章から隆中に移り住んだってのもあるしな・・どうなんだろう。
張遼の本名って何でしたっけ?
93 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 23:08
>>92 山田・・・じゃなくて聶遼(じょうりょう)。
漢の時代に悪徳貿易を働く聶壱の子孫であり、被害者の逆襲を受ける恐れを持ち
張に変えた
94 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 23:10
なんで三国志には「林」って姓が少ないの?
呉の林恂くらいしか見当たらないよ。。。
南方に結構多い姓なのに。
ついでにいうとその聶壱は武帝の時代の対匈奴戦勃発の原因となった
軍臣単于だまし討ち作戦の発案者でもありまs
結局速攻でばれて軍しn単于には逃げられてしまいましたけどねれww
97 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/18 23:12
>>94 多いのは張だよな。林か・・・何故少ないかは知らんが林恂の他にも林トウっていなかったっけ?
98 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 23:13
>>91 アリガd (・∀・)ノ
謎ですよね。その辺は
あんたら知識すごいな
おいらはレスの漢字が読めないよ・・・
ところで、武将って9尺だの8尺だの誇張されて馬鹿でかく記されてるけど、
実際はどのくらいだったんでしょうねぇ?
101 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 23:41
>>100 確か、兵馬傭の兵隊の像の平均身長が1.8Mだったと思う。
これは秦が各地から集めた精鋭部隊だから、参考程度にしかならないけど。
それと、劉備の先祖「劉勝」の遺跡発掘で発見された「金縷玉衣」は1.88M
この辺を考えると、誇張って程でもないかも?
102 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 23:46
三国時代の1尺=23cm
8尺=184cm
9尺=207cm
蒋済ってけっこう酒好きって聞いたのですが本当?
>>101
マヂすか?
栄養状態とかどうだったんだろうか?
しかし、9尺て・・関羽でかすぎ
そりゃ見た奴はただものじゃねーなって思うわな
>>104 でも、多少の誤魔化しは当然あったかと。
*曹操の件もあるし
ソレと9尺ってのは、、、中国では10尺って言うと孔子の事を指す場合が多いんだよ。
だから、関羽とか「聖人」って言われている香具師には9尺が多いんだ。
「孔子に近い」って事でね。
嘘かほんとか知らないけど華北の人達の平均身長は
古代から170cm代を切ったことはないって聞いたことがあるよ。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 00:18
108 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 00:20
>>107
自分の事をなw
あわわ、絶対うそっぱちだと思ってたらそうでもなかったのか
うーん
110 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 00:35
司馬遷は孔子の次の聖人は自分だと信じていた電波
112 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 00:48
>>110 阮籍との事を言ってるのかなぁ?
俺は蒋済が酒好きって記述は知らない
明日の>>1の活躍に期待だな
113 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 00:53
>>108、111
自序で否定してるだろ
ちゃんと読めよ
わざわざ自分で否定しなけりゃならない時点で尋常じゃないと思うが。
というか自分で否定してる事が証明にならんのは2ch(特に三戦板)と同じや。
>>114 をいをい
自序を読んだことがあるのか?
それに司馬遷が自分が聖人だと名乗ったソースは?
まさか、ソースも著:司馬遷なのか?
116 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/19 14:26
>>103 蒋済は「軍師が酒を飲むと機転が聞かなくなる」
みたいなことを言っていて、酒は愛していなかったと言われている。
しかし、曹丕が「父のころからよくやってくれた」みたいなこといってねぎらうので酒を一晩中飲み明かした
という説はある。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 15:49
呉の呂蒙宅の隣の家には誰が住んでたの?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 17:06
119 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 17:58
ジジイな将軍に大して「老将軍」とかって言うのは侮辱にはならないの?
普通に使われてるけど
120 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/19 18:52
>>119 黄蓋とかは仲間から「肝の座った老将」と呼ばれた事があり、それから呉の中では「老将」=黄蓋みたいなヤシ
っていうのがかたまったという説が。黄忠は嫌ったらしいけどね。そういえば黄忠も黄蓋も黄のつく老将だな。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 19:39
書籍、ゲーム等、お勧めの三国志作品を教えてください。
(コーエー以外で)
逆に、コレだけはお勧めできないっていう作品があれば教えてください。
122 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/19 19:46
>>121 書籍:吉川栄治の三国志、演戯
漫画だと、横山光輝の三国志、蒼天航路。
ゲーム:天地を喰らう
お勧めしないもの
個人的には北方三国志。
いくつか読んだあとに読めば面白いかな?
なんでゲン兄貴の三国志はダメなの?
俺読んでねえけど
124 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/19 20:51
初めて三国志の小説を読むときは北方は細かい点をところどころ省いてるから
おおまかな流れとして吉川から触れるといいと思う。北方も面白いんだが。
>>103 「魏略」の「清介伝」にこんな話がありました。
時苗(字を徳冑)という人がいました。この人が最初赴任してきたときに、
蒋済のもとに挨拶をしようとしました。ところが、日頃酒好きの蒋済は
ちょうど飲んでいたらしく、ベロンベロンに酔っ払っていたため面会が
できませんでした。時苗はこのことで頭にきて、木を彫って人形を作り、
「酒徒蒋済」と書いて、その人形を矢で射たそうです。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 23:01
>>125 凄いね(・∀・)ノ
で、諸葛亮の好んだ「梁父吟」って結局何が言いたいの?
晏子の計略を誉めたの?勇士の心意気を誉めたの?
それと、なんで諸葛亮は「梁父吟」を好んだんだろう・・・
127 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 23:09
>>126 この歌の主題は「二桃三士を殺す」の部分。
晏子は三人の士に二つの桃を与えて功比べをさせたのですが、
競い合った挙げ句、結局は三人とも自害。
三人の臣を始末することが、はじめから晏子の策略だった、ということで、
易々と人に仕えるのは危険である、とい警句も含んだ詩らしいと聞いています。
諸葛亮が人前に出るのを極端に嫌っていたというのも、こういった故事が
故郷にあったことと関係してるかもしれません。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 23:53
>>138 故郷ってか、お父さんの赴任地でしょ。
しかし、その時諸葛亮は何歳なんだ・・・
まぁ、父の面影も見ていたかもね
130 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 00:00
白煽羽って何の毛?
131 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 09:29
あひる
132 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 21:04
馬良っていつ死んだの?
133 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 21:30
>132
222年の夷陵の戦いの時。
戦死か戦傷死か病死かは不明。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 21:34
あげ
136 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 15:00
蜀にヨーロッパ人はいましたか?
137 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/21 17:08
138 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 17:25
呂布はモンゴルの方とかトルコの方とか
定かではない
140 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 19:12
>>139
なんだよこの漫画!
>>139 信じたくはないが、このヨーロッパ風の顔つきをしたヤシが馬超なのか?
馬超なのか?
天地を喰らうの呂布はだめですか
143 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 19:20
なんかベルセルクみたいだな・・・。
144 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 23:53
ところで、「貴様の肉を生きながらに喰らってやる!」とか言ってるけど、
憎い相手の肉を喰うってことは本当に行われてたの?
劉備が人肉振舞われた話は有名だが
>>144 水滸伝にはその手の話が多いですね。たぶん多少はあったんじゃないのですか?
また、三国志でも臧洪が袁紹に攻められたとき、兵糧がないから
妾を殺して将兵達に食べさせたそうです。その他にも飢饉とかで
互いに相食みとかよく記してますね。気味の悪い話ですが。
>>145 憎い相手を喰らう、ってのは元あたりで入ってきた、いわば異民族の思考なんじゃないかと
思ってみたり。
飢餓からやむなく人肉食、とはまた違う事だし。
三国志の時代のときの刺青ってどんなものがあったんでしょうか?
また、項羽と劉邦の時代に英布が黥をいれられたそうですが、
これって、横山では額にあざのような模様で、赤龍王では目の上下に
変な線?みたいなものでしたが、どっちが正しいのでしょうか?
148 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/22 11:04
>>147 三国時代の刺青は今みたいにダイナミックに彫らず、腕に竜などの刺青を彫ったといわれる。
関羽も腕に青龍の刺青を入れたっていう説もある。
項羽の時代ではたぶん額。目の下は彫ろうとして失明したヤシが実際いるから額か腕に彫る事になってる。
目の下に彫る奴は度胸のある奴として知られるよ
ありがとうございました
150 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/22 13:18
151 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/22 14:11
使者を斬るとやっぱダメなんですか。恥ずかしいんですか。
152 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/22 16:03
>>151 使者がかわいそう。
横山三国志にも]常時の使者で何進にやられた人いたね。かわいそうだった。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/22 16:43
ひーっ、なんとおおせられる!
グサッグサッ
あぼーん
>>1さんよ、
最初は「あーあ、また糞スレかよ」とか思ってたけど
良スレだな、ここは。
これからもがんがってくれ。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/22 20:17
諸葛瞻のお母さんは誰?
記述が見当たらないYO
156 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/23 00:34
>>155 残念ながら不明。
複数あがっているが名前葉出てこない。捨て子とかいう説まであるくらい。
誰か補足キボンヌ
157 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 02:34
宦官のチンコは資源ごみ?
158 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/23 10:19
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 10:59
孔明は赤壁で矢を集めるとき、なんで火矢じゃないって考えたんですか?
燃えやすい服を着てるし、危なかったと思う。
160 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/23 13:29
>>159 孔明が集めた矢は水気の多い場所で戦って死んだ兵たちから取ったといわれる。
囮を放ちわざと弓をそこに集め回収し撤退。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 16:55
わざわざ霧の濃い日選んでいったじゃないか
湿度が高くて火はつかない(本当に火がつかないかどうかはシラネ
162 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 17:05
そういや孔明の矢については説がゴロゴロあったな
163 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 17:11
そのゴロゴロを教えてYO
164 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 17:22
俺が知ってんのは
魏の将を味方につけ矢をもらった
>>160-
>>161のやつ
船を削って作った(ありえねえ)
魏の倉庫からパクった
これだけさ
つか創作だ
秀吉の一夜城のようなもの
船に矢が刺さって傾きそうになったという大げさな話を
後世の作家が孔明の挿話の一つにしただけ
166 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 19:22
167 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 11:49
フハハハハハハハ
168 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 12:19
関羽の髭は何歳から生え始めたんですか。
169 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/24 13:05
>>168 17から猛烈にキタらしい。
幼いころから毛深かったという。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 18:40
泣いて馬謖を斬るってさ、
公明さんはなんで泣いたの?
>>170 得意の占いで、馬謖を斬る孔明も近いうちに死ぬことを予知できたからです。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 18:46
173 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 18:55
孔明か・・・
175 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 19:12
>>172 そんな冷たい言い方せずにちゃんと教えてやれよ。
176 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/24 19:36
>>170 部下を手にかけることは孔明は嫌だったの。
けど、またこんな失敗されたら嫌だし斬ったの
177 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 20:16
馬謖のために泣いたの?
劉備に言葉を思い出して泣いたの?
人を見る目がなかった自分に対して泣いたの?
178 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 20:18
>>177 男の涙のわけを訊くなんてヤヴォだぜベイベー。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 20:32
どうかんの氷の城は春にはどうなってたんですか
180 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 20:40
>179
溶 け ま す た
181 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 20:49
182 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 20:57
183 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 21:58
夏候dは目は美味しかったんですか?
184 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 21:59
>>183 × 夏候dは目は美味しかったんですか?
○ 夏候dの目は美味しかったんですか?
185 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 22:03
| (3) 15版 毎 朝 新 聞
| ──────────────────────────
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ┌‐──── ┐
| | ( ・∀・) | | ガッ | | | | | .| _「l__「「」|
| | と ) | | | | | | | .相 | 'ーi r─i| |
| | Y /ノ 人 | ── 次. | ノノ . ノノ. .|
| | / ) < >__Λ∩ | | | | | .ぐ. | ~ ^´ . |
| | _/し' //. V`Д´)/ | | | | | .糞 ! .|
| | (_フ彡 / | ── ス |. |
|. └───────────┘ | | | | レ . ! |
| ガッされる
>>1容疑者─ 24日 ...| | | | に | 「「」 /7 |
| ──────────────── .怒 .| ノ ' |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |. り |. |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |. .の .└───‐ ─┘
| ──────────────── .声 ────────
| | | | | | | | | | | | :: | | | | | | | | | | | | | |. も | | | | | | | | | | |
| | | | | | | | | | | | :: | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| ──────────────────────────
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | ̄痔には ̄| | | | | |
186 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 22:07
なあ、夏侯惇って「候」、「侯」?
俺は後者だと思ってたが勘違いかな?
187 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/24 22:07
>>184 たとえ、まずかったとしても夏侯惇は文句も言わずに食べる。
まずそうだと思うよ、俺は。
>>185 やめれ
188 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/24 22:08
>>186 後者のほう。まあ、気づかない人もいるけど
189 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 22:25
| (3) 15版 毎 朝 新 聞
| ──────────────────────────
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ┌‐──── ┐
| | ( ・∀・) | | ガッ | | | | | .| _「l__「「」|
| | と ) | | | | | | | .相 | 'ーi r─i| |
| | Y /ノ 人 | ── 次. | ノノ . ノノ. .|
| | / ) < >__Λ∩ | | | | | .ぐ. | ~ ^´ . |
| | _/し' //. V`Д´)/ | | | | | .糞 ! .|
| | (_フ彡 / | ── ス |. |
|. └───────────┘ | | | | レ . ! |
| ガッされる
>>1容疑者─ 24日 ...| | | | に | 「「」 /7 |
| ──────────────── .怒 .| ノ ' |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |. り |. |
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |. .の .└───‐ ─┘
| ──────────────── .声 ────────
| | | | | | | | | | | | :: | | | | | | | | | | | | | |. も | | | | | | | | | | |
| | | | | | | | | | | | :: | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |
| ──────────────────────────
| | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | ̄痔には ̄| | | | | |
190 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 22:29
>>189 このスレにレスついてるからって嫉妬すんなw
191 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 22:46
192 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 23:03
GBA版三国志って、SFCの三国志の何時のバージョンの移植だっけ?
193 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 06:17
劉備は優しいから好かれたそうですが、他の君主と比べて
どのくらい優しいんですか?優しさがわかる事件などもあったら
ぜひ教えてください。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 06:25
>>193 そうだなぁ。俺暇なんで教えるよ。
これは演義の話だから、歴史的事実じゃないかもしれないよ。
劉備が初めて諸葛孔明に会ったとき、かの有名な天下三分の計を授けられた。
自分が天下の雄になれる秘策だったにもかかわらず、劉備は色をなしてこう言ったのだ。
「それは長く天下の民を争乱の巷に置いて苦しめる策ではありませんか。
私の望みは万民の平穏な暮らし。そのような策は用いられません」と。
劉備は民思いの男でした、というお話。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 07:20
人に優しいんですね。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 13:48
劉備軍が攻める時、だいたい略奪をしたものは罰する的な命令をだしてたと思うけど、
これってほかの軍ではどうだったのかな?
あの時代の戦争って、勝った方が略奪して民を蹂躙してってのが当たり前で、
劉備軍はそういう悪事を働かなかったからみんなからアレされたのかと思ったんだけど
197 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 01:52
三国志とかで、一番お気に入りの台詞やエピソードを教えて下さい。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 02:05
>>197 「俺が天下を裏切ろうとも、天下が俺を裏切ることは許さぬ」by曹操
200 :
三国志ではないけど:03/11/26 05:23
万物は変化する、もとより休む時はない。めぐり流れて移り行き、突き詰めると元へ帰ることもある。
体と気は次々と続き、変化しつつ連なっている。[その理は]深微無窮、到底言い表す事も出来ぬ。
『不運のすぐ後に幸運があり、幸運の後ろに不運が潜む』
<中略>
そもそも禍と福とは、糾える縄と同じだ。
運命を語ることは不可能である。誰にもその終局はわからない。
水は弾みがつけば激流し。
矢は弾みがつけば遠くに届く。
万物はグルグル回りつつ、ゆらぎ、突き当たって互いに転じさせる。
雲が立ち昇れば雨が降り、交錯して絡み合う。
大いなる轆轤が物を乗せて回る、その形は想像を絶し、無限である
天の働きに人の計慮の入る余地はなく、道はそのはからいに人があずかる事はない。
<中略>
小さな知恵は自らをいとなみ、ひとを賤しみ我を第一にする。
達人は大観する。あらゆる物そのままでよしとする。
貪欲な男は私財に身を捧げ、烈士は名誉に身を捧げる。
勢いにほこる者は勢いに死し、追い詰められた人は、東西に奔走する。
大人は何にも屈せず、10万回の変化にも同一を保つ。
<中略>
生あるがゆえに自らをたっとしとはせず、空虚を養って自由である。
徳のある人は煩いなく、運命を知れば憂い無い。
大体の事柄は塵芥と同じだ、何を疑う事があろうか。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 05:37
202 :
三国志ではないけど:03/11/26 05:40
>>201 書き忘れた。スマソ
前漢の賈生です。
史記「屈原・賈生列伝」より
203 :
中国思想スペシャル:03/11/26 05:51
じゃ俺も便乗して(←するな)。
「俗世からきれいさっぱり足を洗い、志高清遠に生きるのはよいことだ。
しかし私は、あくまでこの人間社会の中で生きていきたい。
汚れて醜い世の中かもしれないが、そこから目をそらさず、少しでも世の中をよくするための
努力を続けていきたい」
老荘隠者に感化された弟子の子路に対し、孔子が言った言葉。論語より。
>>193 優しいかどうかはわからない。
つか、劉備のやってることみると優しいようには見えない。
でも立派な風采と振る舞いで人をひきつけたってことは書いてあるよ。
205 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/26 16:52
206 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 19:26
戦場で四輪車を乗り回す行為はなんでダメなんですか。
現代では、どんな行為に該当しますか。
(漫画で孔明が敵武将に怒られていました。)
208 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 19:29
>>306 往来妨害罪に当たります。
気をつけましょう。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 20:32
あの、他スレで夏侯淵が「娘返せ」と言っているのを見かけたのですが、
これはどういう経緯なのでしょうか。
何か裏がありそうですが、教えてくれませんか?
>>209 実の娘ではなく親戚の娘らしいけど、
張飛がその幼女、夏侯氏を拉致監禁して、あげく子を生ませた。
その子は阿斗の妻になった。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 20:39
>>210 何ですと!?
そんなことしたんですか!?っていうかいつ張飛がそんなことを!?
幼女って書いてありますけど、養女ですよね?そうですよね?そうって言えゴルァ!!
・・・・・・すみません、取り乱しました。
じゃあ劉禅の奥さんは夏侯淵の孫なんですね。血はつながってないけど。
ちなみに関羽は関羽で、呂布の将だったヤツの妻が美人だから欲しいぜ、
とか思っていたが曹操に取られたという話がある。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 20:45
>>212 えろえろですな・・・・・・・
そんな話は秘本三国志の中だけかと思ってたのに。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 20:48
>>215 張飛は炉なんでしょうか?
やれやれって感じですね。教えてくれてありがとう。
むしろ張飛がロリです
217 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 20:52
あ、言い忘れましたが私は炉じゃないですじょ?
ただ張飛がそんなひどいことをしたなんて信じられなくて・・・・・・・
いや、ほんとに炉じゃないですじょ?
218 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/27 00:18
曹操も二喬を愛するくらいだし張飛がロリでも驚かん
219 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 00:22
有名な呂布じゃなくて、もう一人の呂布って
どんなヤシだったけ?
どうにも重い出せん…
221 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 12:43
二喬って小喬だけロリに描かれるよな。なんかの本でもそうだし、無双なんて・・
222 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 18:09
孫尚香の名前の元ネタは何?
>>212 で、補足するとその女には連れ子がいた。後の秦朗(だったと思う)。
ちなみに妻を曹操に取られた秦朗の父は後に張飛(またかyo)に殺害されており、
はっきり言って悲惨の一言。
曹操は「私ほど妻の連れ子を大切にする者がおろうか」などとほざいておったらしい。
なお、「秘本」では関羽は呂布の妾であった貂蝉を所望したが、
曹操は「関羽が秦朗の母を所望した」と勘違いしたことになっている。
>>222 正史じゃねーの?「演義」では「孫仁」と記載されている。
ひょっとすると逆だったかも知れないが、
コーエーが当てずっぽうにつけた名前でないことは確か。
>>210 ついでに言うと張飛の娘「二人」が劉禅の妻になっている。つまり姉妹。
つーか、姉は許婚状態の時に若死にしたらしい。
享年10歳位と聞いているので、夫婦関係があったとすればそれこそ炉だ。
もっとも、このとき劉禅も14歳ぐらいだったらしいけど。
>>224 当時の医学・出生率・罹患率・食糧事情・衛生事情など考えれば、赤ん坊の生存率などたかが知れている。
そんな環境なのだから、とっとと子供を作らせねばならない。ロリとかなんとか言ってる間もなく、
初潮を迎えたら子供を作る体制にしなければ、家名が残せなくなってしまう。
単純に現代人の年齢の感覚で考えたがる人がロリコン。
>>225 正解
キテない内にヤッてしまうと危ないという噂だが…
そんな女児とヤッたことはないから分からんけど、10才ならビミョーだし
それが死因だとすると…阿斗ってやっぱり…
>>226の言ってる当時の考えも女性の平均年齢sageに貢献してたかモナー
成人では出産時の母親が最も危ないわけだし
京劇に出てくるのは知っていたが、京劇っていつ頃成立したものなのだろう。
成立時代によっては、「名」か「字」かはっきり分からんし。
まあ常識的には「字」だろうけど。
(三国時代、女性の「名」を知っている他人は夫ぐらいなものだから)
京劇と漫画を一緒にすんなと言われそうだが、
創作って意味では「Y夏」や「仁」と同レベルってこと?
「正史」の破虜討逆伝、呉主伝、先主伝の本文には記載がない(見落としがなければ)。
横道にそれるが、正史で記載されている女性は郭女王(←曹丕の後妻ね)ぐらいか。
これとて「吉利」(←曹操のことね)みたいなモノかも知れんし。
まあ裴松之の註や引用文献、十八史略まではチェックしてないわけだが。
京劇の成立そのものはわりと最近。ここ100〜200年程度。
その元になる川劇(四川方面の劇ってことだね)など各地に散在する
いろいろな劇の特徴の集大成が京劇だから。
巷間の、いわゆる村芝居なんかの歴史は辿れないほどあちこちに
散らばってるし、台本も全部が全部明文化されているわけじゃないし。
講談師の台本や劇の台本の集大成が三国志演義なんだけど、
集大成であるからには切り捨てた部分ってのも多いしね。
その「切り捨てられた」部分の中に、その女性の名前があったかも
しれない。そう考えると、伝統芸能になっちゃったけど昔はマンガのような
位置付けにあった村芝居の台本でもあったわけだから、一緒にすんなとは
いえないんじゃないかな。
ここからたどって行けば、まあなんかしらの引用元にたどり着けるかも
しれない。逆に、裴松之の註や引用文献、十八史略からじゃあ難しいかもね。
少し訂正
講談師の台本や劇の台本の集大成が三国志演義なんだけど、
集大成であるからには切り捨てた部分ってのも多いしね。
その「切り捨てられた」部分の中に、その女性の名前があったかも
しれない。それが、村芝居の中にのみ保存されて、一部地域の
村祭りのお芝居にしか出てこないで、京劇の成立まで世に現れなかった
ということも充分に考えられる。
一番大事なことがまるっきり抜けてて吃驚した。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 01:05
屯田法を考えたのは袁紹っていうのは本当ですか?
232 :
セクースイーツ ◆jH3Q3bIrRM :03/11/30 10:23
>>231 袁紹は農作にはそれほど力を注いでないので違うかと・・
233 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 11:33
先生!今日のジャパンカップ1〜3着を教えてください!
劉備軍が攻める時、だいたい略奪をしたものは罰する的な命令をだしてたと思うけど、
これってほかの軍ではどうだったのかな?
あの時代の戦争って、勝った方が略奪して民を蹂躙してってのが当たり前で、
劉備軍はそういう悪事を働かなかったからみんなからアレされたのかと思ったんだけど
235 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 12:32
237 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/30 17:21
>>231 おっぱじめたのは曹操軍だったと思いますよ。
もともと屯田なんてのは国力(人口)に余裕がないからこそ始める苦肉の策であって、
だとすれば袁紹軍よりは曹操軍が始める方が自然ですね。
>>231 ちょっと補足。
単に人口が少ないのもありますが、戦地での自給自足も目的です。
孔明も五丈原でやっていたと思います。
曹操の民屯の導入はむしろ余剰人口を巧く利用する為の策に思えますけど。
反乱、戦争→人が逃げる
→県から人が減るので税金取れない、兵士徴発できない
→流民は増える
→豪族が囲い込んで荘園形成
→荘園からは税金・兵取れない
→荘園と同じことを国でやろう→民屯→国による流民囲い込み
>>240 そうそう、だいたい背景はそんな感じですよね。
ただ、曹操の場合は大量の青州黄巾系流民を養う手段としての側面もあった気がしますが。
蒼天航路ではそういった一面から曹操の民屯が書かれていた記憶があります。
反乱、戦争→人が逃げる
→県から人が減るので税金取れない、兵士徴発できない
→流民は増える
→豪族が囲い込んで荘園形成
→荘園からは税金・兵取れない
→青州黄巾を国で囲い込んでそのまま兵士に徴発→兵戸のはしり
243 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 13:00
李儒についてなんですが後漢書には出てくるけど三国志には出てこないってことは知ってるんですが、
それは董卓とは全く関係ないってことなんですか?と言うか李儒は何をした人なのですか?後漢書の記述を教えてもらえるとありがたいのですが
香具師の意味教えて
245 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 14:24
諸葛亮が私欲のためになんか汚いことやってたって話ないですか?
あまりにも忠義の臣なもんで逆にあら探ししたくなる
>>243 後漢書の李儒の登場シーンは弘農王暗殺のシーンだけです。
それだけしか登場シーンがないキャラを董卓の知恵袋まで
昇華させたのは羅貫中の見事な筆力。
>>246 ありがとうございます。
で、質問です。
某無双の中で袁術が劉勲に世話になったと言ってるんですが思い浮かぶのは袁術死後に妻子を受け入れたことぐらいしか思い浮かばないんですが他になにかあるんでしょうか?
呂布と張バクと陳宮はどのような関係なのでしょうか?呂布の配下なのかただの同盟相手なのか?
あと張白騎の元の名前は何でしたっけ?
無双厨ですみません
248 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/04 00:43
>>244 奴→ヤツ→ヤシ→(変換)→香具師
俺も最初わかんなかった、いわゆる2ch語
俺の答えはスルーで全部教えろだって?
ちったあ自分で調べる気はないんか。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/08 22:16
後漢末の時代も挨拶は にーはお だったのだろうか
教えて
すまんが劉封の息子劉林についておしえてくれ
劉勲については他に無いです。
陳宮と張[之貌]は呂布の配下です。共に曹操側の者です。
これでいいですかね?
>>251 教えていただいてありがとうございます。
礼儀も弁えずすいませんでした。
>>256 ありがとうございました。
>>257 どっちも同じヤシですが。どういたまして。
陳宮や張[之貌]については人によっては解釈が違うので
自信で調べたほうが面白いと思われます。
がんがってください。
皇甫嵩の息子は皇甫堅寿と書いてるサイトと
皇甫堅・皇甫寿の二人いるって書いてるサイトがあるけど
どっちが正しいんですか?
>>259 後漢書を見る限りは「堅寿」で一人だね。
すいません。途切れてしまいました。
名が二文字なのは後漢時代の命名基準にあってるんですか?
263 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 18:38
>>262 王莽が禁止した影響は残っていたと思うけど。
禁止ではないからね。OKでは?
264 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/11 22:59
あのさあ、リュウヒョウが死んで次男が後継いだじゃないすか
長男はどうなったのです?
あと、いつまで荊州劉家は生き延びたんすか?
265 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/13 20:17
へっ?