【関白】 関ヶ原で西軍が勝利した場合 【激怒】

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741さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/05 13:01
日本各地

烏丸光広  鎮西情勢は安定っと。
松木宗信  四国は不気味な沈黙っと。
徳大寺実久 山陰道は安定っと……、帰るか、いやまだ早いな……。

【各地で武家に接触、情報収集。】
【九条兼孝からの協力要請の書状を持っています。】

松木宗信 従四位下左少将
中御門流松木家の三男坊。

徳大寺実久 従四位上右少将
権大納言花山院定熈の長男。つまり忠長の兄。母方の徳大寺家を継ぐ。妻は織田信長の娘。
742石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 22:20
【京・西陣】
山崎の陣が固まったのを見届け、石田正澄は少数の手勢とともに京に戻っていた。
家臣 殿、例の品、用意できております。
正澄 大儀。見せてみよ。
家臣 ははっ、これに。
赤い錦地に金糸銀糸も絢なる見事な刺繍の旗。そこに描かれるは日月。
また、十六枚の花弁が美しい金の菊が描かれた旗も。
まさしく朝廷の御旗、錦の御旗である。それがつづらに無造作に入れられ、幾十枚と・・・
正澄 あのお方はいかがされておる。
家臣 昨日は興奮を鎮めるため、御酒を召し過ぎられていたようにございます。
正澄 であろうな。わしもあのお方の存在を知らなければ、上杉攻めの先鋒となっておったであろう。
こちらにお連れいたせ。
743石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 22:20
≪しばし後≫
熊沢 おおお、御父殿か。首尾よう進んでおられる様子。見事よ。
正澄 畏れ多いことにございます。そのように過分なるお言葉・・・
熊沢 明日か。ついに、明日なのだな・・・
正澄 然り。明日です。このように平らかにお言葉をいただけるのも、今宵まて。
明日がすべての始まり、そして一つの終わり。
熊沢 ふふふ、酒をもて。御父殿も付き合え。
正澄 ははっ。ありがたき幸せ・・・
熊沢 上杉を征夷大将軍、御父殿を左大臣で間違いないな。
正澄 ははっ。豊臣家と偽朝の討伐の勅をお忘れなく。
熊沢 ぬかりないわ。ささ、もそっと飲め。
正澄 御所はこの西陣といたします。
熊沢 うむ。良かろう。恨み雪ぐにはここからでなくてはならぬわ。
正澄 主上、三種の神器は用意いたしました。
熊沢 どのように・・・
正澄 安徳天皇とともに没した鏡と玉が、吉祥でしょう、浜に打ち上げられこれをまず手に入れました。
剣は主上がお持ちであったはず。これがそうです。(用意されていたものを出す)
良いですか、神宝たる神器は、帝以外、今後目にすることはありません。
つまり、これらが三種の神器ですぞ。
熊沢 だ、大胆な・・・。
正澄 よろしいですか、これが千年後には本物となります。南朝こそが、正しき朝廷なのですぞ。
熊沢 わわ、わ、わかっておる。この剣は我が家が守っていたのだな。
正澄 ささ、御酒をお飲みくだされ。
744石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 22:21
【翌日】
雅楽がおごそかにこだまし、この西陣の御所には荘厳にして気高い風が流れていた。
顕官(ともかく上杉、石田の家臣、石田派の旗本、佐竹等々に様々な官位が与えられ、また、貧乏公家どももかなりな数が集められていた)が綺羅星の如く居並ぶ中、
中央の玉座に、熊沢が座った。ここに、後継南朝が成立、再興。
同時に上杉景勝は征夷大将軍、石田正澄は左大臣職就任が宣せられた。
国家の簒奪者たる北朝と豊臣家討伐の綸旨が出され、錦の御旗が上杉、石田らに下賜され、
これにより、石田・上杉勢の立場は一夜にして官軍となった。
745織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:36
【尾張清洲】

筒井家の不出兵による。国境沿いの警戒に徳川遺臣の扇動、そして上杉の蜂起。
清洲城では留守居の百々が病床ながら頑張っていた。

家臣「伊勢松阪の氏家志摩守様、遠江の丹羽備中守様到着なされますた」
百々「うむ」

氏家志摩守行継と丹羽備中守長昌はそれぞれ伊勢松阪城主氏家行広と遠江浜松城主丹羽長重の弟であり両家中でも重要な地位を占めていた。
そして秀信なき後の美濃の小大名の中でも筆頭格の稲葉貞通が加わり秘密会議が行われた。

氏家「当家は筒井に石田に挟まれているゆえ」
丹羽「直江山州は伊豆まで来たり、駿河も時間の問題でしょうな」
稲葉「大垣城に増兵しておるがとてもとても・・・」

百々「さすれぱ皆で降服してしまうかの」
一同、笑う。
746織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:37
百々「まずは筒井をなんとかして伊勢口を固め、残りは美濃口を抑えよう」
氏家「志摩の九鬼にも同心を頼もうぞ」
丹羽「三河や信濃から駿遠への増兵は?」
百々「ほぼ無理じゃな、三河はまだ牢人の蜂起が収まったばかりじゃし信濃の兵は削りたくない」
稲葉「直江も房総を抑えてない分、関東より攻め上ることもないと思うが…」
百々「備中守殿、遠州兵を駿河まで押し出して危うければ退かれよ」
稲葉「そして美濃じゃが、国衆の七割は固いが三割が面従腹背の気がある」
百々「戦後加増の手形を。倍とは言えぬが勝てば欠地が沢山出よう」
氏家「負ければ(にやり)」
百々「知るか(にやり)負ければ不渡り手形よ」

【駿河へ遠州兵3000が増援、前田家留守兵と駿河口を固める】
【美濃衆8000大垣城付近に展開、尾張よりも留守兵を援兵として派遣(大将津田秀政・塩川頼面)】
747織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:39
織田秀信「で、領国には戻らないので?」
加藤清正「景勝めと一戦交えねば血が治まらぬわ!」

里見義康「南蛮造りの船とは凄いものよのう」
正木時茂「これが百艘もあれば天下をとれますぞ」

【諸国連合軍、陸路および海路で姫路城へ入城】
748無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 22:51
【天龍寺】

石田正澄が熊沢天皇を擁立し、後南朝を開いたという話は
またたく間に洛中に広がっていた。
政治にかかわらぬことを建前とする寺社でも、今回のことは
さすがに皆驚きの色を隠せず、堂内もその話題で持ちきりであった。

修行中の若僧に助けられた老人は、徐々にではあるが容体を回復し、
食ものどを通るようになった。

「なにやら房内の僧ども騒がしきようであるが、何事ぞ?」
その老人は若い僧に尋ねた。すると僧は、
「なんでも、石田様という武家が、新しき帝を吉野より擁立し、
上杉殿に征夷大将軍の宣下が出されたとのことで、その話で
朝から大騒ぎです。」と答えた。
「何?石田、上杉が新帝を奉じた?それはまことか?」
解せないといった顔つきで、老人は問い返した。
「はあ・・・。あくまでも噂ですので・・・。」
僧の答えもややあいまいなものであった。
「・・・・・・。」老人は黙り、しばし目を閉じた後、
「そこもとには命を助けてもらい、恩は海より深い。感謝いたす。
命からがら大覚寺から出てきたかいがあったというものよ。」
「大覚寺?」僧はいまいちぴんと来なかった。上杉公が院の警護を
しているとだけは、近くの寺だけあって聞いてはいたが・・。
「大覚寺からとは?上杉様の家中の方でしたか?」
「貴殿の寺の住持を呼べ。されば話も分かろう。」
口の利き方を知らない老人だなと思いつつも、僧はその求めに応じ、
住持のおわす塔頭へ向かい、老人のいる広間を出て行った。
749織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:59
【伊勢安濃津城】
中坊というケチな老人が失脚したあと井戸若狭守という男が筆頭家臣となった。
母が筒井順慶の姉にあたり筒井定次・筒井定慶とは従兄弟である。

井戸「大殿、どちらに転んでもいい面はできませぬが片方とはまだ戦はしてませぬ」
定次「しかし、のぅ」
家臣「取り込み中失礼いたします。松阪の氏家様から使者が…」
井戸「来たか・・・」

定次「おぬしはっ・・・」
井戸「父上!?」

使者として井戸若狭守覚弘の父である井戸若狭守良弘がそこにいた。
表記上非常に紛らわしいので後者を里夕斎と斎号で表記する。
彼は筒井家に仕えていたが故あって関ヶ原直前には細川家に仕えていた。
藤孝の下で田辺城に篭った後は藤孝と共に配流されていたはずだが・・・
750織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 23:02
里夕斎「氏家内膳の使いで参りました」
井戸「氏家様は関白に同心せよと?」
里夕斎「いえ、上杉・石田に肩を貸さないようにと」
定次「それによって余はどのような得をするのじゃ?」
里夕斎「天下を見わたすお立場になりましょう」
井戸「!!!」
定次「何故じゃ」
井戸「上杉に降っても良くて現状安堵、しかし上杉が滅んだあかつきには頭を取る大老が残っていません」
定次「なるほど。関白は死に体、毛利は幼少、宇喜多ではまとまらぬ。か。面白い」
井戸「大殿・・・」
定次「氏家に伝えよ、伊勢一国に大和か伊賀を認めるなら考えよう」
里夕斎「………わかりました。戻って報告いたします」
定次「里夕斎、上杉に虚仮にされた分は晴らすつもりだ」
751無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 23:09
【天龍寺】

若い僧は住持のいる塔頭に向かった。
「老師にお目通り願いたいという客人がおりますが」
塔頭はきれいに掃き清められ、墨染の衣をまとい、齢六十を
過ぎてはいたが、眼の奥に鋭い光をたたえ、背筋をぴんと張り、
とてもその年齢には見えない風貌の人であった。
「して、客人は?」
「坊の一室におわします。」
樫の木でできた杖を右手に住持は、老人のいる一間へ向かった。
襖を開け、「失礼いたす。」と言って、住持は老人の姿を見るなり、
眼を大きく見開き、驚いた。
「な、なぜあなた様がこのような粗末な坊へ・・・・。」
「これ、何をしておる、この方はな、」
「まあ、まあ。」老人は住持を制した。
752上杉#:04/04/05 23:54
上杉「期せずして将軍位などというものを拝領したわ」
水原「当家は尊皇の志篤い家柄だったはずですが・・・」
上杉「かわらんことよ。足利尊氏公の例もある。双方から官位を頂いたところでなんの不具合があろうか」
水原「・・・御意」
上杉「これで石田の裏切りを心配する必要はないな。だが、筒井のせいで余は大坂でますます恨まれる存在とあいなった。
   そろそろ決着を付けるときだな」
水原「大谷公の領地は狭いですな(にやり」
上杉「うむ。人は多いがな」
753上杉#:04/04/05 23:59
その2
上杉「ところで公家はどの程度参列した?」
水原「貧しき者共がほとんどでしたな。大半は理由をつけて欠席したとのこと」
上杉「市中の警邏を強化せよ。来なかった公家は見つけ次第捕縛せよ。大逆のかどでな」
水原「・・・御意」
上杉「畿内の支配者が誰なのかわからせてやろう。新時代の到来を天下万民に示す好機じゃ」
【10すれ以内に京の公家を捕縛します。逃げるなら今w】
754無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 00:23
【天龍寺】

「わけあって、このようなみずぼらしき姿を晒すことを許せ。」
「何をおっしゃられ遊ばしまするか。かようなぼろ寺でよろしければ
ごゆるりと・・。」
「京は上杉に将軍宣下があったという事はまことなるや?」
「噂にござりまするが、新帝を吉野よりお迎え奉り、石田木工頭を
左府に、上杉侯を将軍に推したとのことが京童の口の端に上っています。」
「???・・・・!」
老人は事態が一瞬飲み込めなかった。
「上杉め・・・。石田を抱くとは、ほう・・・。ときに、住持、この文を
貴殿に託したい。仁和寺宮と、八条宮にそれぞれ、くれぐれも内密にな。」
それと、京をふたたび兵火に巻き込めぬようにせねば。」
「私ごときがそのような大役を、辞退いたしとうござります。」
「表立って動いては都合が悪い。その点、貴殿なら、僧形ゆえ、寺に入るに
も差しさわりがなくよろしい。」
「はあ・・・。」

老人が住持に託した密書とは、次のようなものであった。

「洛中を再度兵火に巻き込むはまかりならず。三州、武蔵、すなわち
新帝と称する偽者を担ぎ上げ、海内を恣にせんとする者を討つべし。
                             御名」

院の密勅が、仁和寺宮と八条宮を通じ、織田家、浮田家にもたらされた。
(ということにしてくださいw)
洛中の堂上地下、百姓に対しては、戒厳を布く。洛外への出入りを禁ず。

【洛中は禁裏により、「戒厳令」布告(w】   

755石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/06 01:11
【京】
布告 本日をもって改元し、本年を『正道』元年といたす。

布告 これより偽朝より下された官職はすべて無効とし、偽朝に出仕することを禁ずる。
これに背いたる者は、天により罰せられる。財のすべてを没収する。

布告 偽朝より下されていた官職と同等の官職を、願う者に与えることとする。
望む者は、京都奉行に申し入れること。追って沙汰を下すものなり。

布告 公家領、744に参列しなかった者については没収。新帝のものとする。

復興なった旧御所を取り壊し、西陣の新御所の材として用いる石田の手の者。
上級公家の屋敷地を次々と没収。744に参列した公家に分け与える。

上杉公に使者
大坂の金銀、京の町衆・公家衆に撒きたく、適当な量をいただきたい。
伊豆の上杉軍は、特になんの抵抗もなく伊豆国を平定したが、その直後から
酷い目にあった。なんと食料がなくなったのである。

直江「どうしたのじゃ、何故食料が来ぬ!わしら三日も何もくうてはおらぬ!」
上杉兵「それがその・・・伊豆国境で山賊に皆兵糧を奪われてしまうので」
直江「山賊ごときにやられるのか!完全武装で護衛しろ!」
上杉兵「武装していても、やられます・・・相手は徳川遺臣です・・」

伊豆へ上杉の兵糧が来ると、峠に大量の浪人が現れるというのだ。
「そこな兵糧車止まれ。我々は徳川三河家臣で兵糧改め役長谷川修理である。人呼んで鬼の修理とはワシの事じゃ。神妙に致せ」
「同じく家臣桑原三十郎だぁ。おめえらそんな格好で護衛しているつもりとは可愛いもんだなぁ・・・オレは斬るぞ、斬られりゃあ痛いぞ・・・」
「同じく家臣津金陣兵衛胤久。おまえら関東で散々悪さをしてかっぱらってきた兵糧だろ?みんなそこへ置いていってもいいあじゃん」

そして、護衛は討たれ、兵糧は奪われるのだという。
上杉兵は次々に逃亡しはじめた・・・徳川遺臣のゲリラは苛酷である。
直江は本多富正を問い詰めたが本多はボケているので全く話にならず、山狩りをやっても地理不案内な上杉兵を
翻弄するかのように遺臣達は姿を消した。

伊豆の上杉兵5万は、もはや役立たずであった・・・
757上杉#:04/04/06 07:53
直江「なくならねぇよW」
兵「は?」
直江「いや、こっちの話じゃ。それにしても伊豆は狭いのう。謀反人を次々捕らえられるわい」
兵「まこと」
直江「伊豆、箱根の要害化を進めよ。宇喜多が残した徳川金をいくらでも使え。鹿野川と山中城を重点にな」
758上杉#:04/04/06 16:44
かつて徳川に恐れをなした相模の大守蜂須賀が上杉に同心したのは言うまでもない
759石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/06 22:05
伊豆・上杉家の陣

蹴鞠ポーン、ゴホゴホ

蹴鞠じじいこと、今川氏真である。西陣の帝に頼まれてのう・・・。
今川旧臣をまとめつつ東海道を下ってまいった。
見知ったる北条旧臣にも連絡を取ったによって、関東・東海であばれさせてくだされ。
歴史浅き徳川旧臣の数なぞ知れておる。
(三河時代の数倍となった東海の太守時代、さらに倍の関東の主。もとの本来の家臣は一部)
直江と申したな、小僧。関東・東海、この者どもとともにまとめよ。
【今や飛ぶ鳥を落とす勢いの今川公、南朝にお味方(w】
760無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 22:08
じじいそれこそいつの時代なんだよ書けば官軍じゃねえんだよ
武蔵某所

松平家信「直江山城は伊豆で引きこもりになったのか」
近藤五郎「そうみてぇだな。あいつもココ(頭)が足りねえ抜け作だあよ。なんだって伊豆なんかに5万も連れて行くかなあ」
松平「今頃ウツダシノーとでもいうておるであろうよ。長谷川・桑原・津金の三匹も良く働いておるわい」
近藤「あとはおらたちががんがりゃあ、飢え過ぎだかした過ぎだかしらねえ東北の山猿は野垂れ死にだぁ。
    純之助、逝くぞ」
声をかけられて青年はニヤリと笑った。近藤純之助、元は毛利派の長である。
純「父さん。これからですね、僕達の力を見せるのは」
近藤「ああ、まずは荷駄をおそうべえか」

【武蔵国で近藤親子に率いられた徳川遺臣が上杉軍の荷駄を襲撃中】

松平「・・・・もう一つやることがある。今川なる爺を切り捨てる。あれは故安国院様が敵である」

【今川氏真を仕事人が付け狙い始めました】
762石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/06 22:43
>760
そう文句を言うな・・。
今川の臣の多くが徳川の臣となった如く、落ち目の大名家からは心は離れておるよ。
ほとんどが様々な大名家に仕え、大多数は関東を治める宇喜多の家臣となっていよう。
宇喜多が内政もしておったこと、キチンと書いておる。
関ヶ原からはもう数年が経過しておる。武士も食わねば死ぬ。死なぬためには仕官しておるよ。
まあ、文句を書くより否定するネタを気楽に書いて楽しめ。
763 ◆zAnbFVoD9M :04/04/07 01:03
うっひゃひゃひゃw。もー目茶目茶やん。話的には「関白あぼーんにより政権が内部
崩壊、戦国逆戻りえんど」で終わってもいいかもしれん。
・・・つーか豊臣守るべき石田が上杉につくとなると大谷小西が連動して・・・もうわけ
わからんなw。

【越前】

豊臣秀秋遺臣達はとりあえず両家(宇喜多、上杉)と距離を置くべく越前に兵を戻した。
加賀越中は既に四将の命ずるままに動ける(そもそもそう仕向けたのは他ならない関白
だったが。そもそも彼は激務の為松野とともに大阪にでずっぱりで全て任せきりにしてい
た。・・・ただし、既に薬で精神に歪みが生じてた秀秋があえてそうしむけたふしもある)し
越前等畿内の将兵は何れかにつくために大阪へ、あるいは播磨(だったっけ?)へ向かい
東へのフォローができないためである。とりあえずの防衛として越前の城を借り受け(関白
直参の将兵、しかも隣国の将なのでまぁ大丈夫だろ)丹波から抜けてきた難民の救助に
力を注ぐことにした。・・・莫大な糧秣があるからこその偽善である。無論現状把握の為で
もあった。

脇坂  「三隻の南蛮舟。一隻は安芸で炎上(織田さんだったっけ。松野は上陸した時点
     で燃やしてしまってるよ)一隻は大阪で上杉が捕獲。そして我が船が若狭湾に」
朽木  「秀鏡殿は大阪へ戻れただろうかのう(上杉さんわしら別に関白幽閉なんてして
     ねっすよ)」
小川  「朝廷は読めぬな。権威がどれかも掴めぬほど状態が泥沼じゃ」
赤座  「錦の御旗が両方に。太閤秀頼と関白秀鏡。大老宇喜多と大老上杉。それぞれ
     につくであろう織田徳川と石田小西大谷・・・」
脇坂  「我が軍はどちらにとってもきつい兵(約5〜6万)。手を取り合って叩きに来るとも
     思えぬ。一方的になれば勝ち馬に乗る。こう着状態ならば・・・」

津軽遺臣、塙、御子神、初鹿野といった者が情報収集に飛び回る。今の状態どちらにも
つけぬ。
【関白遺臣軍、自領前で静かに時を待つ】
764さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:06
後南朝の擁立……。
それは最早過去の亡霊ですらない。ただ歴史の中においてのみ語られるもの。
ましてや南朝の忠臣でもない。おのが野望の為に歴史の歯車を引き戻す道具として。
京の民は、いやこの国全てがその行為を憎んだ。
彼らはこの国の民として、決してやってはならない事をやったのだから。
一時は勢いのあったその軍勢も、少しずつその数を減らしていった。
彼らの末路は、平将門……。

【偽帝擁立、官位僭称などにより、賊軍は完全に支持を失う。】
【上杉、石田ら、官軍どころか開闢以来の大悪人に。】
【彼らの協力者も次々と離反、その勢いは目に見えて衰えている。】
765さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:08
八条宮邸

どかどか

九条兼孝  何事? おお、幸家か。
九条幸家  宮様、父上、大事ですぞ!
(かくかくしかじか)
智仁親王  な、な、何〜……。
九条兼孝  武力を背景に皇位のすげ替え、いや、皇朝交代やな。信じられん事をするの。
九条幸家  何を呑気な……。
猪熊教利  とにかくここは危険です。洛外へ……。

【智仁親王、九条兼孝、逃亡。猪熊が案内するため発見はほぼ不可能。】
766さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:20
追加

そこへ>>754に遭遇。

智仁親王  ふむ。
九条兼孝  我らも勧修寺を追いかけましょう。

智仁親王  (う〜む、院は無事なのか?)
767さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:34
洛北・西園寺家別邸

西園寺実益 くっ……。
花山院定熈 阿呆な事をする。
西園寺実純 やはり……、気が触れておったのかの。

大覚寺門前

近衛前久  輝虎……、そなた誠に毘沙門天ならば、そなたの不義不忠の世継ぎを打ち殺したまえ。

【近衛・西園寺ら親上杉派公家、完全に手切れ。】
768さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 12:00
仁和寺

二条昭実  宮様、ここは大覚寺の上杉軍とあまりに近こうございます。とりあえず醍醐寺へ。
良仁親王  この院宣はどうするのじゃ?
二条昭実  今はとりあえず宮様のお身体が大事です。

【仁和寺宮、二条昭実、御土居を迂回して洛東醍醐寺へ入る。】

禁裏・仮御所

「旧」御所解体の布告が出されていたが、誰も壊しに来るやつはいなかった。
当然である。誰もそんな事を進んでやりたくない。
石田家臣とて、主君(?)のばさら趣味に付き合い切れないものを感じている。

鷹司信房  で、偽帝の方に参列した不埒者どもは?
広橋兼勝  公卿は言うに及ばず、堂上で行った者はおりませぬ。
鷹司信房  ただ地下で貧しい者らが加わっただけじゃな?
広橋兼勝  左様。地下でも小槻、壬生ら大物は行かなんだようで。
鷹司信房  やれやれ、事が済んだら地下の待遇改善でも考えねばな。
広橋兼勝  はあ?
鷹司信房  とりあえずここは引き払うぞ。

【堂上衆は御所から退避。】

そのころ相国寺

僧侶   こちらの御方は……、あれ?

【重体の主上の姿が消える?】
769さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 13:17
時間は少し遡る

九条幸家  では最後じゃ。これを伏見宮の叔父上へ。
かぶき者  お任せあれ。
九条幸家  ふう、しかし大丈夫なのかな?
猪熊教利  ご安心を。このような戦の時、山伏や高野聖らはかえって怪しまれるもの。
九条幸家  そこまで言うなら信用しよう。さ、こうしてはおれん、すぐに父上のところへ。

豆知識

伏見宮邦房親王 二品中務卿
幸家の祖母(つまり二条四兄弟の母、こいつら同母兄弟らしい)は伏見宮家出身。
後に摂家と宮家の関係は悪化していくが、このころはそうでもない。

【九条幸家、散々書状をばら撒いてから退京。】
【多くの者が偽帝政権に非協力的なので、書状が押さえられる可能性は低い。】

というか押さえられてもあまり問題はないか。
770さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 13:46
……数日後

豊後臼杵

烏丸光広  あ!

鳥取

徳大寺実久 い?

道後温泉

松木宗信  う……。

備後鞆

花山院忠長 え?

姫路

大炊御門頼国 おお〜……ってこうしてはおれん、勧修寺殿も来られたことやし……。

【勧修寺光豊、姫路城に入る。(なお大坂付近で足止めを食っていた土御門久脩を拾って同行)。】
【宇喜多殿、石河殿、他姫路の諸侯方、たのんまっせ。】

西国の大名に院宣、八条宮綸旨、仁和寺宮綸旨が飛び交う。
それぞれが独自に出されたものだが、少なくとも目的は一致していた。
石田の暴挙は、結果として朝廷を一つにした。

【西国諸侯へ院宣、綸旨。】
【内容、洛中にはびこる賊徒畜生どもを討ち果たすべし。】
771さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 14:27
あと、特記事項は……。

>>結城秀康殿へ書状

仁和寺での日々から幾許も経たぬ内、再び洛中は無法者の手に渡った。
今ひとたび義兄殿の御力をお借りしたく候。
義兄殿の如きまことの人こそ洛中を守護するにふさわしく。
心強く思いて候。

ゆうきりの 雫をあつめ 菊の花
……

結城前宰相殿

     式部卿智仁親王(花押)

>>織田秀信殿

貴公の祖父、余が岳父故相国は戦国の世に廃れし朝儀を復興せる大忠臣也。
戦国を終わらせるは相国が願いにて。
余も朝臣として、上杉石田ら逆賊と戦いたく候。
くれぐれも御力添え願いたく候。

織田中納言殿
      
       前左大臣 藤原昭実(花押)
772さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 14:45
>>771
訂正
直筆に「親王」って書くわけねえな。

ある日、石田勢陣所付近に多くの高札が立てられた。

「洛中の『賊軍』将兵に告ぐ。」

今からでも遅くないから官軍へ投降せよ。
抵抗する者は全部逆賊であるから斬殺する。
お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。

無論すぐに撤去されたが、将兵の動揺は計り知れず、賊軍から逃亡する兵は後を立たなかった。
さ た け な に あ つ く な っ て ん だ
774さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 15:13
えらく移動と情報伝達が速いように思われるかも知れませんが、一応説明すると。
石田軍が「偽帝」擁立と洛中の鎮撫(?)にそれなりに時間をかけていると推定されるため、
それと同時進行で、公家衆が書状を書きまくり、あまつさえ荷物をまとめることは可能でしょう。
てなわけで、現時点で西国の公達衆へ書状が渡っているものとします。
あと、一応密書ですが、別にばれても構わんのでかなりの数が書かれています。
全部押さえるのはまず不可能。てか捕り方も民衆も非協力的のはず。
775石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/07 22:28
まてまて、それほど、武家は忠臣揃いでもないし歴史を知ってもおらんよ。
それにな、西陣南帝の死から、まだ100年と経過してはおらぬ。
明治天皇すら南朝が正統と認めたほど、南朝の正当性はある。
密書はバンバン出してください。南朝こそ正しき皇統ですんで(w
大明に攻め入る命令ほどには、武将の心が離れるとも思えぬわい。
この時代、人はかなり利により動いておるし、命に従う。
少し前まで、御所は壁の修理もできぬ有様よ。

あとな、高札を音もなく立てられるとは思わぬ方が良い。
以前、宇喜多の本陣前に立てたうつけもおったが、咎められぬわけがないわさ。
陣の周囲、この状態で無警戒な武家、どこにおるか。
もそっと楽しめ。遊びぞ、遊び。
増田公のシステム化は、ネタへの文句の応酬を避けるためであったとワシは思うておる。
またいつか、増田公と戦国板で遊びたいものよ。

【石田家】
大徳寺にて石田三成の葬儀のお知らせ。
諸将に参列の呼びかけが(w
(弟は、わしが毒を飲ませた。誰にも知られておらんがな、くけーっけっけっけっけっ)
木工、いや左府よ、大儀であった。
777石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/07 23:09
ふひゃひゃ、誰か知らんが任せる。
無責任に逃げるなよ。石田の死後もやり通せ。
776、石田は西陣南帝として認めます。
これ、木工、いや左府よ、死後とはいかに?
まずは新帝として宣旨を出す。皆の者、従うべし。

わが理想は百姓昭明、協和万邦。皇道楽土、海内安穏。
よって、まず国教を神道と定め、それ以外の信仰は法度とする。

779石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/07 23:42
>>778
後醍醐帝を顧るまでもなく、帝室と仏の教えとは深きつながりあります。
また、下々が仏の教えを信じていることもあり、778の沙汰は後々に時が満ちてから発布いたしましょう。
>>779
何も仏を信じるなというているのではない。
わが皇祖皇宗は国を高天原に肇め給いし時、八百万の神々の
加護を得た。それゆえ、神道を最上のものとするは当然のこと。
 もちろん、仏の道を尊重しつつも、あくまで国の基は神道に
よってこれを決めるというだけのことじゃ。心配するな。
即位に際し、以下の三か条を発布する。
一、神道に従い、万機は公論によって決すべし。
一、位階は廃止し、天皇以外はこれをすべて対等の地位とす。
一、位階に変わり、五つの爵位を西洋の例に倣い、設ける。
  すなわち大公爵、公爵、伯爵、子爵、男爵。現下の大名小名は
  すべていずれかの位階を授ける。
                             御名御璽
782石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/08 00:20
神道を根幹にしていながら、なぜに南蛮の(この時期に確立していたのだろうか?)の位を?
781については、しばし日の本に即しているかを調べた上といたしたく。

>>782
左府よ、どうだ、俺の案は?
酒が入っているとどんどん思いつくぞ。はははは。
もっとも、もし今言ったことを断行すれば、われらはたちまち
斬首ものさ。
 人心を得られるよう、政を進めていくためには是が非でも、そちが
不可欠。一切は任せる。
【丹波亀山】

秀康はじっくりと兵を練り、難民を救済し、柵を並べていた。
その間にめまぐるしく変わる各地の情勢を調べ、どのような動きを取るのか考えている・・・
秀康の前には伊豆中老・町奉行、松平家乗と笑路本願寺執事・安藤対馬法橋重信が居る。

秀康「残八郎よ、良くやってくれた。伊豆で直江5万の兵が釘付けになったか、本多のタヌキもようやっておるわい」
家乗「ありがたいことに今井宗薫様が船を仕立ててくださりまして、道中なんの心配もござりませなんだ」
秀康「駒子(秀康の妻)も子供もみな元気で安堵したわい。しかしそちがお千まで連れてくるとはおもわなんだ」
家乗「お雛様のように愛らしい姫様を、奥州の山猿の手などにむざむざとくれてやるわけにはいきませんからね」
秀康「そんなに可愛いかな?尼寺から抜け出してきたから髪が尼そぎ※になっているから可愛くみえるだけなんじゃないの」
安藤対馬法橋重信「いや拙者から見ても姫様は可愛いですよ」
秀康「・・・幾ら可愛いからといって小娘の話で熱くなるでない!」
安藤「殿さん殿さん!あんたがいうたんやないか」

※子供の髪型。要はシャギーの入ったオカッパです。
785さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/08 09:17
公家衆の撤収完了。
あと気掛かりは、天竜寺のあの御方。

【上杉石田らとその一族の官位剥奪。】
【偽帝の布告はこれを一切無視。】

>>775
一応反論など。

>>武家は忠臣揃いでもない
織田相国と豊太閤は、少なくとも表向きは大忠臣。
彼らの朝威厳復興政策で、この時代の多くの人々は、素直に朝廷に尊崇の念を持っています。
この時代は戦国の世でもなければ、幕府もないのです。

>>西陣南帝の死から、まだ100年と経過してはおらぬ
??
小倉宮はどう贔屓目に見ても即位してませんが。

>>明治天皇すら南朝が正統と認めたほど
つまり、それ以前は南朝は正統と認められていない、忘れられた存在だったのです。
人々が南朝を意識し始めるのは、少なくとも徳川光圀以降でしょう。

もう「御所は壁の修理もできぬ有様」という時代は過去のものです。
786 ◆zAnbFVoD9M :04/04/08 22:07
ある意味書いたもん勝ちな場所なので南朝が良しならそれでもいいけどね。
お互い引かなきゃ進まなくなるのは前回の教訓。
どっちの意見も正論になるし。そーゆー世界やし。否定して話が止まるくらいなら
次の手を進めたほうが流れる。
子供の喧嘩にならないでくれればそれでいいさ。権力持とうがあっさり覆される
のも覚悟してたほうが良し。
>>775
・・・おれはあれはパス。
【越前】

情報の錯綜が続く中。整理する暇がある分北陸路は平穏なのかもしれない。奥州で
の毛利が仕掛けた徳川残党の反乱は文字通り一人残らず駆逐された。ついで蝦夷
より松前軍が最上領に来襲も守将の守りで突破ならずとも撃破されたとも。
関東では直江山城が伊豆を拠点として防備を固めた。食料などで一部徳川残党に
よるゲリラが多発。イタチゴッコが続いているらしい。両名とも痛み分けと見る。
信州は豊臣シンパの拠点(石河、真田)。東海道を今川が兵を集めつつ進行中。
ただし徳川も黙っているわけではなく(あのおっさんの能力考えるに)被害甚大か。
近畿は上杉が固めるも土地勘ないのが不安。豊臣領だったので城の外は敵しか
いないという笑えない展開もある。どれだけ南についたかは未知数。播磨あたりで
宇喜多(徳川織田)主力の大軍、大阪上杉軍(東北諸大名含む)と対峙。
中国毛利は壊滅、四国長宗我部動きなし。小西大谷北九州にいるも身動きできず
か。毛利(後藤)によって立花滅亡も毛利に鍋島が来襲。後藤家滅亡、島津動きな
し。北陸(旧秀秋軍)も動きなし。
脇坂  「情勢が不透明。何れにせよ両軍ともに兵力が多すぎる。一度戦わないと
     この状態はかわらんかもな」

【無理やりまとめてみる】
【丹波亀山】

>771
安藤「松平殿、これは綸旨にござる」
秀康「なんと、畏きこと・・・」(押し頂いてから読む)
松平家乗「して、なんと」
秀康「(感激して泣きながら)わしに京都の守りを頼むとある。なんとかしなければならぬなあ」
秀康「・・・綸旨を頂いた以上ぐずぐずはしては居れぬ」

松平秀康は亀山から矢継ぎ早に命令を下した。

・近江国友2万石野村直隆、近江国内にて1万7千石樋口雅兼に書状を送り協力を要請。
・大和の小大名たちに書状を送る。
・紀伊平井1万石鈴木重朝(雑賀孫市)に協力を要請。
・摂津の小大名を味方に付けるべく説得を行う。
・丹波衆(小野木・谷・生熊・別所・高田)らに近江大溝を攻めさせる。
この軍は谷出羽守衛友が率いる。総勢2000。

秀康は丹波衆を集め、協力を要請した。
秀康「丹波の国の方々よ、よう集まって下された。ご存知の通り近江石田家は太閤様の
股肱三成殿の家で、忠義の家であったが、弟を妬む極悪非道の正継なるもの、
弟御を謀殺し(注:ウソ)、御家を乗っ取ったうえ、太閤様の恩義を忘れ秀頼様をないがしろにし、
あまつさえ偽の帝を押し立て民衆を苦しめておる。」
谷「(涙を流しながら)なんということじゃ!とても人とは思えぬふるまい」
秀康「そこでじゃ、おのおの方には近江湖西辺りでしばらく戦っていただきたい。何も主力とぶちあたることはない、
後方を撹乱するだけで良い。というより敵が来たら逃げ、敵が去ればまた戦うというようにやっていただけないだろうか」
高田豊後守「しっかと承った!湖西の北から琵琶湖の南まで、もちろんこの高田豊後が荒らしまわってご覧にいれますぞ!」
秀康「さすがは行商で鍛えた豊後殿、いうことが大きいことよ。上杉石田の逆賊を滅ぼした暁には、存分に領地をいただけるよう
拙者が取り計らうゆえ、よろしくお頼みもうす」

・・・無論、谷衛友と高田豊後にはあらかじめ金銭を与え軍議の席で威勢の良い発言をするように頼んでいる。
二人の大名がやる気なのを見て、他の三者も目の色変えて従軍を申し出る。
【近江大溝城】

「厭離穢土欣求浄土」
「進者往生極楽退者無間地獄」
徳川と本願寺の旗を靡かせながら、谷出羽率いる2千の兵は近江へ入った。
谷出羽の子・谷衛利はニヤニヤしながら馬を乗り回している。
谷出羽「そちはそれほど嫁殿が好きかね」
衛利「それはつれて来てしまったくらいですからね」
谷衛利の妻遼子「ハハハ、こちの人としたら」
家臣・山田朝右衛門「・・・若殿にはいやはや呆れましたな、のろけながら戦とは」

余談ながら、この一族、実は揃いも揃って猛将ぞろいであった。
谷出羽守は加藤清正を押さえつけた大力を持ち、秀吉に従って三木城攻めで活躍した
猛将であるし、衛利・山田は居合い抜きの名手であった。妻の田村氏(遼子)も大力で鳴らした大女である。

大溝へ入った谷出羽は目を丸くした。城に兵士が居ないのである。
谷出羽「これはまたどうしたことじゃ・・まあよい、この城結城前宰相が内、谷出羽守衛友が落としたり。ホレ朝よ、旗を立てよ」
朝右衛門「ははッ」

谷家のアゲハチョウの紋が大溝に翻った。なお、近江では朽木城を小野木氏が、宇佐山城を別所吉治(重宗の子)が攻略。
近江湖西はほぼ松平氏の勢力下に入った。又、これを見た近江国友2万石野村直隆、芦浦観音寺4万石観音寺詮舜、
甲賀9千石山岡道阿彌といった小大名は松平に同調し、石田家は関ヶ原前の石田三成領17万石を確保するに止まった。
しかしこれら小大名は全部合わせても4千という小兵力であり、エアーポケットのようになった近江を部分的に制圧したに
過ぎなかった。しかし秀康はこれを存分に利用する・・・
秀康、大溝の谷からの知らせを受け、各地に書状を発する。

羽柴秀秋家臣朽木宛
「朽木殿の旧領は我が兵が只今占拠しております。
羽柴家の兵を説得し旧領へ御帰還のほどを。城を預かる小野木にこの書状を見せれば
旧領朽木3万石お返し申し上げます。近江は既に拙者の手に落ち上杉石田は滅ぶ事必定。
そのまま羽柴兵が大津より京へ攻め込めば一番手柄間違いなし、早急に兵を動かし下さい
秀康花押」

宇喜多宛
「当方の兵は既に近江を平定致し候、後は山崎に残る逆賊を平定するのみ、
姫路より兵を動かせば勝利は目前でございます。
なお当方の所領きぼんの件、当分は棚上げと致します。今は逆賊を平定する事に力を注ぎましょう
秀康花押」

式部卿智仁親王宛
「既に義兵を諸侯に発せしめ、近江を平定いたしましたゆえ、逆賊を平げる日は近い
と思われます。いましばらくお待ち下されたく」

筒井家中井戸若狭守覚弘宛
「逆賊は民衆の支持もなく、もはや山崎に少数の兵を遺すのみ。
当方は近江平定致し候、甲賀も既に我が方につきました。早く旗幟を鮮明にされることを望みます」