【関白】 関ヶ原で西軍が勝利した場合 【激怒】

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1 ◆TytvlYFY12
【あらすじ】

毛利秀元が大坂城で諸侯会議を開くが、関白秀秋等と対立。その最中石田三成が
不死身の生還。佐竹義宣が暴漢に襲われるなど、てんやわんやで空中分裂。
関白、上杉、毛利、宇喜多ら大大名が、綱引きを繰り広げる中、薩摩坊津で爆破事件、
東北及び佐渡で一揆、淡路で農民暴動等不穏な状況が続く。
そこに、沼田で一揆発生。宇喜多家と真田家が険悪の状況に陥る中、毛利秀元が凶刃
に倒れ死去。佐竹家領唐沢山も不穏な状況に…
そんな中、石田三成が強権発動。松平家を糾弾するが、秀康はこれに反発。使者を斬る。
尚、演習と称して大坂城へ入城。そこで、関白秀秋に引退、家領の返上を申出た!
関白激怒、小西逆切れ、大坂城には次々諸侯が集まる。どうなる豊臣、どうなる天下。

新規参加者を募集します。

歴史知識の有無は特にないです、法度は以下の通り

 ・歴史知識を誇らないこと、多少の間違いや矛盾は笑って受け入れる
 ・戦術スレではない
 ・ドラえもんは禁止

参考スレ「くしかつや三成・3」
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1066309966/
2 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:22
過去スレ

【新装】関ヶ原で西軍が勝利した場合【復活】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1059837358/

【戦乱】関ヶ原で西軍が勝利した場合その弐【勃発】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1062936038/
3 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:23
大名仕置一覧

羽柴家:越中・加賀の国主 88.7万石(小早川秀秋が羽柴姓に改姓、総石高に付家老の小川・脇坂・朽木・赤座家を含む)
木下家:大和の内 30.9万石(但し、木下家一門での総石高)
浅野家:但馬の国主 11.9万石
毛利家:伯耆・出雲・岩見・隠岐・備中・備後・安芸・周防・長門・豊前の国主 190.1万石
小早川家:筑前の国主 43.8万石(小早川秀包が死亡後小早川元倶が毛利家の意向で相続)
上杉家:陸前・羽前・越後の国主で伊豆に飛び地(1万石) 183.6万石
宇喜多家 :武蔵・上野の国主 125.1万石
堀尾家:上総の内 13.8万石(宇喜多寄騎)
生駒家:上総の内 12.3万石(宇喜多寄騎)
中村家:上総の内 11.8万石(宇喜多寄騎)
前田家:陸中の内 50万石
佐竹家:下野半国・常陸の国主 82万石
岩城家:下野半国 21万石
石田家:近江の国主80.4万石
島津家:日向・薩摩・大隅の国主 74.1万石
小西家:肥後の国主 55.8万石
長曽我部家:阿波・土佐の国主 49.8万石
鍋島家:肥前の国主 46.4万石(平戸5万石削除済み)
大谷家:美作の内・備前の国主 40.3万石
平塚家:讃岐の国主 15.7万石
戸田家:美作の内 6万石
加藤家:下総の国主 37.3万石
増田家:伊予の国主 35.9万石
4 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:23
秋田家:羽後の内 30万石
筒井家:北伊勢 29.3万石
九鬼家:志摩・南伊勢の内 12.2万石
氏家家:南伊勢の内 10万石
織田家:尾張 52.3万石(一族含む)
立花家:筑後の国主 28.2万石
真田家:信濃の内 27.6万石
石河家:南信濃 27.1万石(一族含む)
丹羽家:遠江の国主 26.8万石
田中家:甲斐の国主 23.5万石
宮部家:豊後の内 21万石
長束家:能登の国主 21万石
蜂須賀家:相模の国主 20.4万石
前田家:駿河の国主 16.1万石(前田玄以)
最上家:陸後の内 15万石
大友家:豊後の内 10万石
里見家:安房の国主 7.3万石
松平家:伊豆の内 5.1万石(松平秀康)
宗家:壱岐・対馬の国主 3.3万石
5 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:24
<if歴史>
関ヶ原における東西両軍激突の直前、東方より敗将・織田秀信がわずかな手勢で池田陣に攻撃を仕掛ける。
これがすべての始まり。突然の後方奇襲に池田軍は混乱。
日和見を決め込んでいたはずの長宗我部、毛利らが一気に東軍に襲いかかったため、東軍は大混乱。
西軍前衛の総攻撃と同時に小早川秀秋も西軍に参加。東軍前衛の田中、筒井も裏切ったため、勝負はあっという間に決した。
一方、東国。伊達、最上と矛を交えていた上杉軍は、最上勢の裏切りに助けられて伊達軍に完勝。
堀の籠絡にも成功した上杉軍は佐竹の援軍を得て一気に南下を開始、結城秀康に勝利し、江戸城下に迫った。
このころ中山道を退却していた秀忠軍は真田の活躍でほぼ壊滅。
九州においても大友や中立から転じた加藤清正、島津らの働きで、黒田如水を滅亡に追い込んだ。
勢いにのった西軍は豊臣秀頼を総大将とする東国遠征軍を編成。
小田原攻めでの田中勢の奮戦などにも助けられ、徳川一党を滅亡にまで追い込んだ。
戦役は1600年から1601年春まで続いたという。
6 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:26
死亡組
徳川家康・秀忠→戦死or自刃
前田利長→切腹(家督は前田利政)
細川忠興→戦死(家督は次子細川興秋)
福島正則→自刃
黒田長政→処刑(黒田孝高は戦死・一門皆殺し)
池田輝政→戦死
加藤嘉明→戦死
藤堂高虎→処刑
京極高知→戦死
山内一豊→処刑

家康の男子らは
結城秀康…生存
徳川秀忠…死亡
松平忠吉…死亡
武田信吉…死亡
松平辰千代(忠輝)…生存→島津家
徳川五郎八(義直)…生存→秀康
女子は仏門へ

本多正信・井伊直政・榊原康政・本多忠勝はじめ徳川家臣の有名どこはだいたい死亡。
7 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:27
生存組(判明分)
結城(松平)秀康→伊豆五万石へ減封
加藤清正→下総一国の加増 ※西軍に転じる。
浅野、前田、蜂須賀→三成に改易されそうになるも北政所、宇喜多の横槍で生き残る。
田中吉政→甲斐一国の加増。返り忠後、メイクミラクル!!
筒井定次→伊勢安濃津に転封後、隠居
最上・相馬・蒲生らは減封して上杉与力?
堀尾・生駒・中村は宇喜多与力
里見義康→微減封
織田有楽→所領没収。
古田織部→所領没収。
細川幽斎→所領没収。島流し中
大野治長→所領少なめ(東軍)
伊達家→壊滅。片倉景綱、伊達成実など名だたる諸将は討ち死にも当主はどうやら逃げおおせたらしい。
堀秀治→西軍に返り忠も、許されずに東北八戸に。上杉ヌッコロヌ。家老堀直政は織田家へ
森忠政→織田家預かり
8 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:29
空席大名一覧

鍋島勝茂   肥前46万石(親島津系)
加藤清正   下総37万石(親宇喜多系)
増田長盛   伊予36万石(親関白系)
木下勝俊   大和31万石(親関白系)
秋田実季   羽後30万石(親上杉系)
筒井順定   伊勢29万石(親毛利系)
立花宗茂   筑後28万石(親島津系)
丹羽長重   遠江27万石(親上杉系)
田中吉政   甲斐24万石(親宇喜多系)
宮部長煕   豊後21万石(党派無関係)
長束正家   能登21万石(親関白系)
岩城貞隆   下野21万石(親佐竹系)
蜂須賀至鎮  相模20万石(親上杉系)
前田玄以   駿河16万石(親関白系)
最上義光   陸後15万石(親上杉系)
浅野長政   但馬12万石(親関白系)
氏家行広   伊勢10万石(党派無関係)
里見義康   安房 7万石(親上杉系)

カッコ内はあくまでも目安です。
その他、お好きな大名家が御座いましたら要相談で…
9 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:31
各家家臣団は自己申告といことで。それでは仕事行ってきまふ。
10 ◆TytvlYFY12 :03/10/22 06:43
参加大名

石河貞清(石河一族)
石田三成
石田正澄
上杉景勝
宇喜多秀家
織田秀信
大谷吉継
公家の人
小西行長
佐竹義宣(天海)
真田昌幸
長宗我部盛親
羽柴秀秋
松平秀康
毛利秀就(輝元・秀元死亡のため)
大友吉統
九鬼嘉隆
島津忠恒
前田利政

使用禁止されてるキャラ
豊臣秀頼・淀の方・徳川家康(死亡)
11上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/22 09:32
乙ーさすが保守守
12上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/22 14:03
島津復帰希望
13小西行長 ◆Qhqeqrb.dU :03/10/22 22:02
お疲れ様>1

小西家の兵はすべて二の丸より下げます。
14無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 22:07
島津役空いてないの?
松平家の家臣団・現状

<大坂屋敷>
大坂家老 長谷部梅庵(采女、石田家臣殺害の責任をとり出家謹慎中)
大坂詰付家老(庶務担当) 岡見念仏坊治広(長谷部謹慎のため臨時で政務を執る、剃髪)
小十人組頭(親衛隊長) 尾上一刀軒刀舟(子連れ狼の人、剃髪)
<伊豆>
嫡子 松平忠直
執政後見人・韮山城代 本多富正(当主謹慎に付き政務代行)
家老・伊東代官 中村主水
平家老・山川朝貞/高屋越後
中老・町奉行  松平(大給)家乗
中老・勘定奉行 津金胤久(康朝と書いていましたが誤りですた)
中老・寺社奉行 伊達宗綱
<武官>
軍監・中村主水
御先手組頭 植村家政・西尾仁左衛門
小十人組頭 中村大次郎
<その他>
当主の友人・本願寺教如(光寿、秀康と意見が合わず出奔)
門徒・安藤重信/恩善寺正玄
出入りの商人・今井宗薫/谷宗臨
<松平秀康入道浄光の家族/伊豆>
妻・三谷駒子
子供・松平忠直/直政/喜佐子
16 ◆zAnbFVoD9M :03/10/22 22:52
>1乙。

【大坂城】
石田、大谷、小西。石田派の面子がそろい、関白を見据える。
物怖じせず、まっすぐに。

秀秋  「(ふるふると拳を震わせる)・・・そなたらは・・・」
盛親  「(ぼそ)黙ってここは引くべきですな。石田、小西そして大谷では何を
     言ったところで柳に風」
秀家  「喧嘩するにも三家を潰す理由がないかと思われますが」
秀秋  「(・・・くそっくそっ!!摂津め、奴さえここに入りさえしなければこんな
     ことにはならなかったのだ!・・・兵もおらぬ。城もなし。美濃殿の六千
     もことここに至っては無駄・・・上洛中の会津公に上方の乱れを見せる
     訳にもいかぬ。・・・その上ここでわしが討たれ、治部が実権を握れば
     会津公の大義が揺らぐ。・・・朝廷があっさり毛利に近衛を許したのは
     耳の早いあの方なら聞こえておる筈。・・・借りを作るにもいい・・・しかし)」

こんな無茶を許せというのか。三成め、不敵に笑いやがって。摂津も何だあの目
は。行部においては外堀から埋めおってからに。次は何をしでかすかわからぬ。
・・・このまますますと思うなよ。必ず潰してやる・・・

秀秋  「(搾り出すように。目は血走り唇は悔しさから端が切れ鉄の味が広がる)
     ・・・この混乱をまずは抑えるが最良・・・。罪については後に吟味いたす。
      許した訳ではない。肝に銘じるがいい・・・。主馬、民部と上衛門尉、大蔵
     に急ぎ参城せよと。大隈と・・・あと宗も呼べ。来るかどうかは解らんが薩摩
     もだ。政の草案、対外での草案をまとめる。あと安房が大坂に来ておる。此
     度の一揆について聞くことにする。石河」
石河  「は」
秀秋  「摂津がこれでは話にならん。七手衆と集めた優秀な兵で此度の会議の警
     備を委ねる。右京大夫の件がある。気を抜かず勤め上げよ」

明日はおりませぬ・・・。
17上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/22 23:45
【近江・関ヶ原】
上杉軍2000、甲冑を脱ぎ、狩衣を着て関ヶ原の石田家関所を通る。

石田兵「なにものぞ!」
上杉兵「会津公、御家来を連れて大坂に参る途中である!」
石田兵「何者もとおさん!第一多すぎるぞ」
上杉兵「HAHAHA!!!
さまらがごとき小身とわが会津上杉家を同列にあつかうとは無礼なり!先の大老上杉公の行列であるぞ!!!」
石田兵「むむ」
・・・にらみ合い

上杉景勝「天下の大動脈である東海道を不法に留めるとは何事ぞ!うぬらは謀反人かぁああああああ!!!!!」
一喝、石田兵黙る

上杉景勝「わかればよろしい。では失礼」

【上杉家二千が関ヶ原を通過。さっそく猛ダッシュで東海道を移動します】



18上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/22 23:46
一方、大和・・・・
水原率いる10000は本願寺さまの手引きで順調に伊勢を抜け、大和にはいりましたとさ
伊勢高田専修寺

本願寺教如「正玄、京の山科・瀬田が封鎖されたと申すのか」
恩善寺正玄「参拝客から聞きました。唯一開いているのは山崎のみとのことで、瀬田の唐橋は焼け落ちたそうです」
教如「若し戦になった時、山崎は地獄絵図となるであろう・・庶民の事も考えぬ輩のせいで、また罪のない人々が
   死ぬのか・・・なんという・・ん?待てよ。丹波口は開いておるな」
正玄「さようでございますな」
教如「ふむ・・安藤を呼べ」
安藤重信「何事でございますか」
教如「その方、これより丹波へ赴き丹波口を封鎖するもの有らば命をかけて押しとどめよ
    但し、武家は通すな。庶民の逃げ道を確保する為じゃ、頼む。この書状を示すのじゃ」

門跡御文

京より丹波への街道、万人に開かれたる仏法の道なれば何人といえども封鎖する事まかりならぬ
南無阿弥陀仏

従二位門跡藤原光寿(花押)

安藤「わかりました。命に代えても押しとどめます」
【安藤重信が丹波へ向かいました】
大和今井

上杉軍水原親憲の到着に、大和の国今井町は久しぶりに沸き立った。

「会津中納言様じゃー」
「中納言様、わしらをお守りくだされ」
さわやかな歓迎の声が、澄みきった青空にこだまする。
今井の町に集う町衆たちが、今日は天使のような無垢な
笑顔で、重厚な上杉兵を歓迎している。銭金勘定に長けた心身を包むのは、前掛けに揉み手の番頭さんスタイル。
利益が入れば和讃を歌い、気に入った大名には武器弾薬を盛大に売るのがここでのたしなみ。
もちろん、大名にひざを屈するような弱腰の商人など存在していようはずもない。

大和国今井寺内町。
至徳3年(1386)創立のこの町は、もとは戦乱を防ぐためにつくられたという、
伝統ある本願寺系環濠集落である。
大和の国。飛鳥の面影を未だに残している緑の多いこの地区で、仏に見守られ、
堺の今井兵部宗薫が支配のもと、大きなモノから小さなモノまで、うまいものならなんでも揃うあきんどの園。
時代が移り変わり、南北朝から政権が三回も改まった慶長の今日でさえ、
大名と対等に渡り合う海千山千の町衆が大量に存在する、
という仕組みが未だに残っている貴重な寺内町である。
21毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/23 00:20
>>865

 小幡勘兵衛「ふむ、もう少し兵が欲しいところだが院の心証を良くしておくか、
       にしても聞かぬ名だな姉公路とは(苦笑、禁裏に何がおこっている
       のやら・・・」

【堅田口方面へ2000を派遣、関所を設置】

【姉公路家へ使者】
 ご内意うけたまわった。指揮のほうはあくまで豊家の奉行である小幡判官
 が勤め、連絡はこの大蔵が承る。

【関白家へ使者】
 会津公を通過させて良いのか、また叡山に対する処置はどうするのか
 ご指図を。。

        小幡勘兵衛
22院 ◆hnohUcpUS. :03/10/23 00:25
【御所】

姉小路:毛利殿を洛中の警護に当たらせ、まずは上上でござりまするな。
院:  阿呆を申せ。所詮、一時の便法よ。
姉小路:お上、何と仰せで?
院:  京の警護を確かに依頼したが、京を孤立させるようなやり方で
    警護などしたら、町衆や市井の民が戦に巻き込まれる恐れは大
姉小路:では、先に上杉殿は一瞬遅かったと言うのは、いかなるご内意に
    ておっしゃられたのでありましょうや?
院  :会津中将が大輔より早く入京しておれば、次の天下人に戦わず
    して、なり得たであろう・・。しかし、かくなる上は、雌雄を
    決してからの話になった・・・。京中でもし戦など起こせば、
    双方逆賊とみなす。まずは上杉にも早急に上洛を催促せよ。
姉小路:これ以上兵を入れれば、一触即発。洛中が先に戦場になる恐れ
    なしとせず。恐れながら、麿は反対でおじゃります。
院  :(にやりっ。)是が非でも反対か?
姉小路:こればかりは。(きっぱり)
院  :されば、やむを得まい。そちにはしばらく大原へ行ってもらおう。
    (院は手持ちの兵を呼んだ。)
姉小路:お上、お上、何をーー!何となされるーーーー!!
   (兵に姉小路が連行されていく)
院  :(しばらく念仏のひとつも唱え、来世を祈るが良い・・・。)

【姉小路、洛北大原へ事実上の幽閉です】

上杉中将へ密書を。
「大坂謁見後、直ちに上洛すべし。まつろわぬ逆賊あらば、直ちに
斬リ捨てて構わず。なお、右近衛大将・左の馬のかしら、いずれも
会津殿の御意に委ねたく。             花押  」
 
23特別侍従:03/10/23 00:25
新スレ乙
24院 ◆hnohUcpUS. :03/10/23 00:26
改めて、新すれ乙であります。
25大谷吉継 ◆I.8nk3m2zM :03/10/23 09:59
新スレ乙でござる。

【大坂城】
怒りに震える関白に、吉継は言上する。
吉継「大坂にて会議ですな…。では、先の一件も片付けておきましょう。
   松平、佐竹両家の調査は全く進んでおりませぬゆえ、早急に使者を遣わし、
   事の次第を調べさせて参ります。
   ただ、公的な使者という証明のみが足らず、関白様のお墨付きを頂ければ
   使者も安心して勤めることが出来ましょう。
   事の重大さは分かって頂けていると思いますが」

(関白殿、宜しくお願いします)
26上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/23 13:08
上杉軍2000、山科口の関所前に到着

毛利兵「ここは京奉行の命により、関白様のお許しがでるまで通過はまかりならん!」
上杉景勝「はぁ?京奉行?なんじゃそれは、そんな職なんぞないわ、このうつけめが!」
毛利兵「おそれおおくも先の大老・毛利秀元さまがお認めになられた職を愚弄いたすのかぁ!」
上杉景勝「ほう、逆賊の子分か。あやつが大老を僭称した逆賊であることは先年すでに関白殿下によって認められておる。
       証拠に、関白に書状を出してからすでに二十日以上が経過しているそうではないか。(時をさかのぼっているそうだからなw)
       でもまだ関白からは何の返書も来ぬ。それはあたりまえだ。おぬしらはそこらの山賊と変わらんからじゃ。京奉行なんぞというものの手紙なんぞ、
       どこかの気狂いのたわ言として、とっくにゴミ溜めにでもすてられておるわ。
       それを、この後に及んで、なにが『秀元さまがお認めになられた職』じゃ、このたわけが!」
毛利兵「ぎぎぎ」
上杉「がはははは。それにな、お前らより先に余は関白様より大坂城に上れとの命を受けておる。ほれ、これがその書状じゃ!」
(前スレの>678の表文・つまり来てくださいというところ。弟の件は当然別文書になっておる)

毛利兵「むむむ・・・・」
上杉景勝「というわけで我らは大坂に向かう。文句はあるまい。それともここで山賊討伐と洒落込むのも一興かもしれんなぁ。どうじゃ皆のもの?」
毛利兵「通れ・・・」
上杉兵「HAHAHAHAHA」

【上杉軍が京奉行兵を山賊よばわりしたあげく、通過しました。京入りしましたが、御所には寄らず、なおも伏見口に向けて進む構えです】

27小幡勘兵衛:03/10/23 16:52
【上杉通過の方を聞き】

 小幡勘兵衛「ほう、山賊退治とな?相変わらず理屈をこねるのお
       血の気があまているなら逆賊討伐といくか」

 上杉兵「HAHAHA!ちょろいもんだな毛利は!」
 上杉兵「ん?なんだ前方の兵は?」
 上杉兵「む!あちらからも」

    小一時間後

 上杉兵「ぐはあああああ」

【油断していた上杉兵は壊滅。2000のうち1700あまりが帰らぬ人と
 なりました。】
28小幡勘兵衛:03/10/23 17:27
【関白家へ】

 会津中将が豊家の関所を強引に突破し、謀反致しましたゆえ
これを誅しました。中将は手傷を負いどこかへ落ち延びた様子。
29織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/10/23 17:30
【大坂城大手門】

城番「かいもーーーん」
秀信「ミ・д・ミほしゅほしゅ」

【織田秀信と兵六千、二の丸へ】
30織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/10/23 18:05
【織田秀信家家臣団】
木造大膳亮具康…大坂付惣家老。折衝担当。従五位下左衛門佐。
百々越前守綱家…国家老筆頭、政務担当。従五位下。
大崎玄蕃長行…家老。軍務担当。
堀監物直政…家老。上杉担当(w

本多政重…客将待遇。
塩川兼満…勘定方。
その他、津田昌澄、池田由之・元信兄弟

当家預かり…織田有楽・森忠政・名前を出せない某親子etc…

一門の大名
織田秀雄(尾張犬山城主、清洲城二の丸で生活)
織田信包(大坂城定府、秀頼の守り役)
織田信高(高級直参、宇喜多の演説にぞっこん)
織田信貞(高級直参、兄弟の中でも随一の数寄者)
31上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/23 21:24
京・伏見付近
高笑いを見せながら颯爽と馬を走らせる上杉軍の周りを突如として、
毛利の伏兵が襲う・・・。
ダダダアダアアアアアアアン・・・
「ぐわあああああ」
一斉射撃に虚を突かれて次々と落馬する上杉兵。
続いてわらわらと槍隊が現れ、上杉軍を包囲にかかった。
「小さく固まれ!分散してはならぬ!」景勝の大音声に兵は統制を取り戻し、一点集中による包囲網の突破を図る。
しかし、山賊と罵られた小幡の指揮もまた鬼気迫るものがあった。
この戦いに投入された毛利兵は三千。京奉行配下のうち堅田に配置された二千以外のすべてが投入されていた。
「ぐわわわあああ」天下にその名を轟かせた上杉家の将兵が京洛の地で必死の戦いを続ける。
三時間近い戦闘だった。、
負傷した景勝を守りながら、激烈な包囲のなか、それでも上杉兵は包囲網を突破することに成功した。
毛利軍も多大な犠牲を被ったことは言うまでもない。相手は上杉なのだから。

離脱後、上杉軍は脱兎のごとく大阪を目指した。戦場には両者の屍が3300体以上転がっていた・・・
32上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/23 21:40
※大坂到着直前、追っ手を振りきった上杉景勝は書状を書いた。
大和にいる水原宛
「指揮官となるべき上士を大勢失った。ついては下士よりこれはという人材を見つけだし、
 至急、軍編成に着手せよ。多少大坂入りが遅れても構わない。ゆめゆめ京の逆賊を討伐しようなどとは考えるな」
会津の直江宛
「総動員を命ず。四万の兵を率いて至急東北道、東海道を下り、大坂に入れ。道中、諸将に非礼のないよう」
院に書状
「天朝と関白様の命にて移動中の当家に対し、毛利が攻撃してまいりました。判断はお任せいたす」

諸侯に檄文
「先年、大老を僭称し国政を壟断した逆賊・毛利秀元の残党が京にて騒乱を起こした。関白殿下の命により、
 上洛途中の余を大兵でもって襲った者である。奴らの謀反は明白。そして今後、関白殿下、秀頼公、
 そして何より天朝に対して、弓を引くこともまた明白である。余は非力なれど、
 この事態を見過ごすわけにはいかぬ。たとえ一人であろうとも逆賊を討つため不惜身命の覚悟でことにあたるつもりである。
 志ある諸将よ。ともに逆賊毛利を討とうとは言わぬ。しかし、志あるものがこの国に多いことを余は知っている」

佐竹公に書状
「毛利謀反。徳川討伐戦以来の盟友たる貴家のご助力を賜りたい」
宇喜多公に書状
「時はきた。逆賊がついにその凶刃をむき出しにした。判断はお任せいたす」
関白に書状
「毛利の配下が京奉行を名乗り、余の命を奪わんとしたばかりか、恐れ多くも京洛の地において、戦を起こしました。
 無職の余はただただ関白殿下の英知にすがるのみですが、願わくば逆賊を討伐したく、思います」
織田公に書状
「貴公は京を無事に通過なさったようでなにより」
33上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/23 21:47
会津盟約に参加していた北東北の諸将(与力とも言われる)
堀、最上、秋田、真田
にも佐竹公と同じ内容の檄文が出されました。

【甲斐】
武田信清
「おおおお、なんということじゃ!至急兵を大坂に向かわせるぞ!」
本庄
「ついてきたいものはついて参れ!わしはかつてお主らの敵であったが、
 お主らの旧主の子息に晴れ舞台を用意してくだされ!!!!」
豪族
「おおおおおお!!!!!!」
【甲斐・上杉軍、甲斐豪族を糾合し、一万にふくれあがる】
【※田中さんの兵は荒らしてません。田中さんにはスレその2で仁義きってます】
34上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/23 21:50
書状を書き終えると、
上杉景勝は甲冑に包帯すがたのまま、大坂城につきました。
「開門!会津より関白殿下の命をうけて参った」
守備兵「おお、その姿は、いかがなされた!」
【守備兵より大坂にいる諸将に上杉ぼろぼろの格好で到着との知らせが届きました】
35上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/23 22:07
上杉景勝は血まみれの姿でそのまま大坂城二の丸の千畳敷に入った。
この日も石田引退騒動を巡って豊臣家の首脳たちがケンカじみた口論をくりかえしていた。
すべてのものが我が目を疑った。
あの自信満々で威張り散らしてばかりいた前大老が見るも無惨な姿で肩を落としていたからだ・・・。

上杉の入城を今か今かと待ち望んでいた関白・秀秋がすぐに駆け寄った。
秀秋「景勝!」
上杉「おおお、殿下、、、わざわざもったいのおございます・・・」
秀秋「いかがいたした!体は無事か?」
上杉「京洛にて毛利の賊の奇襲にあい、このざまでございまする」
秀秋「すでに書状はもらっておる。しかし、戯れと思うておったぞ・・・」
上杉「それがしは無念であります・・・、先年の大坂会議の時、
   殿下の申すように、あの逆賊めを討ち果たしておれば・・・」
三成、大谷、宇喜多、ちょうそかべ、小西「・・・」
【諸将、わしも混ぜてやw】
36比叡山 ◆jAxpXUZwVc :03/10/23 22:33
比叡山では事の顛末に動揺をきたしていた。
”わぁーどうすんじゃーっなんで毛利がー。”
んなわけで密使飛びます。
 隠居の佐竹義宣より景勝公そして佐竹岩城相馬に
密使をださせまつ。内容は「毛利めがとうとう馬脚を表した次第
事ここにいたった以上佐竹一門は上杉公に同調いたします。我らが
兵馬は御存分に逆賊征伐に使用されたし」
 大阪表には石河宛に天海より密書
「比叡山は特定の武家を入れぬよう座主様がご配慮なされたが
その英断がことごとく毛利に踏みにじられた。事ここにいたった
以上我らは上杉全軍の上洛を要請し加勢いたす所存
当山にお預かりしておる右京大夫殿より佐竹一門の兵馬は上杉殿に
一任いたすよう書状も出させました。なにとぞ豊家より御認可賜り足し」
 同様の内容を座主様より関白殿下にも提出。
37比叡山 ◆jAxpXUZwVc :03/10/23 22:42
隠密に天台座主様より院に密使天海が飛びます。
「まさか毛利が兵馬を入れるとは言語道断。事ここに至った以上
院の英断に一任いたします。ただし院にまだ賢明なる御判断が
おつきとあらば・・・ある公卿(暗に西園寺)に賢明なる書状を
添えて(暗に毛利討伐の密勅)を携えたまい上杉公にお渡しする事
進言いたします。これおもって愚僧の浅慮のお詫びといたします。」
38比叡山 ◆jAxpXUZwVc :03/10/23 22:45
天台座主様再び御所に参内します。毛利の番兵に対し
「うぬらの所業に頭を痛めし今上を慰めるための参内じゃ
よもや否とはいうまいのう」
 んで再び御所に参内します。
  【なにとぞ再び面会のほどを、今殿】
39石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/10/23 22:49
心の奥底・・・
チッ、半端に叩きおって・・。奥州・関東の勢が上杉に・・・
ウゼェ、マジウゼェ・・・・ 
秀頼様にとっては、秀就殿と上杉とでは、上杉こそが邪魔というに・・・・
この騒ぎで真田殿が助かるのはありがたいか。うむ、ここはひとまず・・・

石河 おおお、そのお姿は、上杉様、なんと、なんといたしたことに・・・
上杉 石河殿、よもや毛利もこのようなことをいたすとは。
石河 ・・・ さて小西殿、貴殿の先般の殿下への言葉、覚えておるか。
小西 ・・・
石河 関白殿下に向い、こともあろうに小僧・若造と申しておった。
小西 ・・・
石河 治部殿を城に入れた。これは、罪とせず認めることも可能やも知れぬ。
   しかし、その言葉は何もなしでは済まぬな。
小西 どうせよと申される。
石河 小西家の兵が8000ほど城内に入っておろう。どうだ、罪を償うため、上杉様の下知のもと、
   働いて、その功をもって罪を償う好機といたしては。
小西 ・・・・
石河 石田殿。突然の動員、天下を騒がせたは落ち度に違いありますまい。
石田 ・・・
石河 小西殿とともに、その兵を使ってみてはいかがにございましょう。
石田 ・・・
石河 上杉様、この騒ぎの後のことですが、論功行賞は関白殿下が成される。
   それが天下の筋というもの。言うまでもないことにございますが、念のため申しますぞ。
【石河、こんな提案をしてみました】
40石田三成 ◆wSfU4SmFXA :03/10/23 23:28
三成「な・なんと!上杉殿が。。。。」
上杉景勝が毛利の兵に京にて急襲に合い、景勝が命からがらに
大坂にたどり着いた事を聞いた。
大谷「佐吉よ。敵は誰じゃ?」
三成「上杉の手勢には手出しをするなと近江には伝えておる。」
小西「ならば毛利が敵か!」
三成「敵は福岡におる」
小西、大谷「!!!!!」
三成(心の中で。「こけたか。。。」)
三成「某、今宵はいささか気分が良い。今よりせっくすをしようかと
   思っておる。暫くは一人にしていただけぬか?」
41長曾我部盛親:03/10/24 21:45
(ふーん。まあええ。)

盛親「会津殿、逃げ帰ってきた訳か。まさか敗を気取るために登城されたのか。」
上杉「(小童が)何。所詮戦場にでない小僧が。」
盛親「我が家は血の臭いには慣れております。ただ…」
上杉「ただ?」
盛親「まあ。ええ。戦況を述べれば幸いじゃ。」
(ここで、関白以下諸侯を見る。具体的に腹が据わっているのかを斜め見をするためにw)
42禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/10/24 22:35
>>38
お上におかせられましては、ここ数日来の洛中の
上杉・毛利両軍の衝突と座主のお使いをわざわざ煩わせて
しまうこととを御軫念遊ばされています。
 事ここにいたって、再び膝を交えるはやぶさかではないが・・・。
との仰せです。
43毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 22:47
【いくさ終わって】

 小幡勘兵衛「ふむ・・さすがは会津中将思ったより手ひどくやられたな
       しかしまあ豊家の兵であったのがなにより(注1」

【小幡勘兵衛 御所付近に兵を移動、七口を固めます】
44毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 22:53
【朝廷筋へ】

 会津中将が豊家の番所を破り(注1、聖上の地をあらしめました。
仙洞におかれましてはなにとぞ逆賊討伐の直をいただきたく願いまする

     大江大蔵大輔元康

注1)京奉行はスレの中でも暦とした手続きを踏んでいる。
   政治的に関白公と意見が対立しても(決着はついてないが
   行政はうごいている。
   現にもともと京奉行配下はみな豊家の兵、毛利兵は後から
   きただけ(過去ログ参照
45毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 22:55
【叡山へ】

 会津中将が豊家の番所・兵を切り狼藉を働いた。
叡山においては騒ぎにまどわされぬよう要請します。
くれぐれも総見院様のおりのようなことがおこりませぬよう
願っております。

    豊家奉行・小幡勘兵衛景憲
46毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 22:56
【広島】

 家臣「どうなされるので?」
 後藤又兵衛「よいよい」

【本国は動かず】
47毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 22:57
【太宰府】

 小早川元倶「どうするのだ?」
 母里太兵衛「のんびりしましょうな」

【今日もひたすら内政】
48毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 22:59
【大坂安治川沖】

 久しぶりに見る毛利水軍に民衆は様々な噂を立て野次馬していた・

 【吉川元氏より豊家へ】

  ただいま上洛致しました。

しかし、沖からの動きはまったくなかった。

【安治川沖 毛利水軍待機】
49毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/10/24 23:02
【諸侯へ書状】

 今日にて会津中将、”豊家の番所・兵”を切り大坂へ向かう。
情勢難しく諸侯は軽挙妄動せぬよう、すべては毛利が引き受けます

【新領地の内政に精一杯の諸侯を最大限気遣う書状を出しました】
50比叡山 ◆jAxpXUZwVc :03/10/24 23:19
「・・・・・少々慌てすぎたのう。まあよい。暫くは
眠って過すほかあるまい。   」
 御所を退き毛利家に以下のごとき返書をしためます。
「当山にて分に過ぎたる所業これあるも、決して私欲にあらず。
京の安寧を御守りいただくを条件に、当山では一切の事柄への
手出しを控えます。
 毛利殿に置かれましてもよろしく御承知のうえ配慮のほどを
願えれば幸いと存じます  」

 そして俗世の垢を振り落としながら国家鎮護の根本道場は
再び静かなる日常へと戻っていった。
51院 ◆hnohUcpUS. :03/10/24 23:42
【御所】
洛中で起こった上杉・毛利の衝突に院は激怒していた。
「上杉も毛利と一戦交えるつもりはなかったであろうに。
毛利もかなり派手に立ち回って・・。天下一の大たわけじゃ!」
 かくなる上は、仕方あるまい・・・。

大坂表小早川・宇喜田両名に密書

洛中にて兵を用い、騒擾を起こした不逞の輩、ただいま
大坂城内にありとのこと。厳正なる処分を豊家として行
われたく。(花押)

(ここからは小早川・宇喜田しか読めません。)
今般禁裏警護を騙り、上杉中将を襲う賊徒あり。この者らは
朕が命による上杉の上洛を妨げたる逆賊なり。よって、賊徒
を見つけだし、征伐を命ず。         (花押)

【事実上の朝敵征討の密勅を発しました。】

52禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/10/25 00:04
【禁裏】
院が毛利追討の院宣を出したと言う噂は、たちまちの
うちに禁裏にも伝わった。
 直ちに朝議が召集され、公卿が集まり、応仁の乱のような洛中で
の戦を避けるにはどうすべきかが議題になっていたはずだが、公卿
自身の保身の話ばかりが先に立ち、一向に結論が出なかった。

朝議が混乱した合間を縫い、一人の公家が聖上に拝謁した。

某公家:「院宣どおりなら、まず火の粉が降りかかるのは
    禁裏でありましょう。ここは本意ではあらしゃい
    ませぬが、山にいったん移るが良策でおじゃります。」
帝  :「院も何をお考えか・・・。上杉を取り込むなどという
    たわけた事を遊ばされさえせなんだら・・。院の愚策に
    巻き込まれたくはない。毛利には禁裏の警護を厳重にさ
    せようぞ・・・。して、禁裏の兵を襲ったのは誰か?」
某公家:「それは、言うまでもなき事。」
帝:  「このまま見過ごせば朝威にかかわる。」

毛利大輔に密書
「禁裏の衛士を襲いし不穏なる逆賊を断固成敗すべし。刃向かう
ものはすべて朝敵と看做す。             (御名)」
53大友義統:03/10/25 00:06
さて……、最近まったく音沙汰の聞こえてこない大友親子は何をしているのか?

京都・嵯峨

義統 う〜んう〜ん……。
医師 食あたりにございますな。昨夜は一体何をお召し上がりに?
紹忍 最近はやりの鯛の天麩羅を二匹ほど……。

これが悪化して、義統は長期療養を余儀なくされた……。

【大友義統、京で療養中。公式行事はすべてキャンセル。】
54ナレーション:03/10/25 00:15
>>52 禁裏が毛利に勅を与えたことはすぐさま大坂にも伝わった。
   京はまさしく平治・保元のおりのような体裁をもよおしてきたのである
55大友義統:03/10/25 00:17
で、息子の方はというと。

豊後臼杵にて

義乗 やーれやれ、畿内があれほど恐ろしいところとは思わんかった。
親次 しかしよろしいので? 殿を京に残してきてしまいましたが。
義乗 なあに病人に切りかかるような無粋なマネが京の地でできるものか。
親次 はあ。

義乗 (しかし、家督相続御礼にはもう一回上洛せにゃならんな……)。

【義乗、いつのまにか帰国。(もちろん許可は取っている)。】
56無名武将@お腹せっぷく:03/10/25 16:20
毛利の横暴を流さず受け止めた上杉に比べて、後出しに終止する毛利のなんと浅ましいこと
毛利公を非難するのはよせ。
彼は無類の忠臣だ。
58宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/10/25 20:07
>>16の後

秀家「関白殿下、御英断に御座るわ…松平家、佐竹家の詮議については大谷殿に
    任せましょう。」

上杉家と毛利家が交戦し、上杉景勝が大坂城へ入城する。
>>39の発言を受け
秀家「うむ、治部少と弥九郎殿に名誉挽回の機会を与えてくれるのじゃな、儂も賛成
    しよう、今すぐとなれば小勢しか持たぬが、一隊をだそう。」

関白秀秋殿に耳打ち
秀家「…ああは言うたが、相手は大諸侯の毛利じゃ、こちらも相応の準備を調えねば
    なりませんぞ、先帝の密勅(>>51)はもろうたが、じっくりと足下から固めて行き
    ましょう、先ずは京都奉行の小幡を罷免し、毛利に詰問使を送り時間を稼ぎま
    しょうぞ」

(上杉家対毛利家の是非について、関白殿下の判断に従います)
59宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/10/25 21:29
秀家「さて、足下を固めるとして…」

関白殿下への提案 (修正案)
1.近江は蔵入地、代官に石田正澄
2.三成隠居で隠居所に有馬(五千石)と伊豆(一万石)
3.石田家の家士全員を豊家直臣とする
4.石田隼人正殿は、元服後に大名に取り立てる

新職制の一例
加賀家→秀頼様後見として行政全般を担当、増田・長束・前田の三奉行が補佐
石田家→近江代官に正澄、山城代官に蒲生郷舎(嶋左近と舞兵庫は行方不明?)
石河家→秀頼様の守役と七手組(畿内と伊賀の旗本衆)の軍事権(98万石相当)
木下家→秀頼様の教育係と大坂代官
      豊臣家方面軍指令、越前・若狭・丹波・丹後(蔵入地)の軍事権(107.4万石相当)
織田家→豊臣家方面軍指令、三河・美濃(蔵入地)の軍事権(88.1万石相当)
大谷家→豊臣家方面軍指令、因幡・播磨(蔵入地)の軍事権(58.9万石相当)
小西家→豊臣家水軍指令、淡路・紀伊(蔵入地)の軍事権(39.2万石相当)

*軍事権は秀頼様(関白か宇喜多と奉行衆)の命令が有った場合にのみ行使できる
*七手組を除き、方面軍は常設軍では無いので、出兵の際には非常招集が必要
*上記の職は豊臣家が任命し、秀頼様が元服した際にその権能を失う物とする
60無名武将@お腹せっぷく:03/10/25 21:32
適当が売りのスレに規律を持ち込む馬鹿は消えろ
適当とはデタラメの意ではない
アホは消えろや
62宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/10/25 21:54
秀家「秀秋殿、この騒動でお忙しいとは存ずるが、儂の話を聞いて貰いたい…
    真田が善からぬ事をしでかしおったのだ」

秀家「沼田での一揆未遂や岩櫃城に籠もった猪俣の反乱、これらは全て真田が
    企んだ陰謀なのだ。これは当家に対する明らかな敵対行為であり、豊家
    (秀頼様)の天下を乱す所行で御座る、大戦(対毛利)の前に当家も後顧の
    憂いを絶っておきたいのだが…」

根拠
1.一揆を起こそうとした村々に真田の手の者(忍者)が出入りしていた。
2.一揆に必要な武器を真田が商人より買い込んでばらまいた(参照>>336 >>368
3.真田の援軍をあてにして牢人共が真田の勝手知ったる旧城岩櫃に籠もった

秀家「是非とも真田めを裁いて頂きたい。もし、真田がその罪を償わぬとあらば…
    当家と当家に同心してくれた諸家(加藤・堀尾・生駒・中村)で真田を攻める、
    その手はずは既に調えてある、後は秀頼様のご命令一つなのじゃが」
63 ◆zAnbFVoD9M :03/10/25 22:29
うおお・・・なんじゃこのすすみぐあいは・・・

京都からの凶報。継いでひどくやつれた会津公。知らせの取捨を終えて呟く。

武蔵殿。勘違いをなされてはいけませぬ。此度京で会津公を襲った賊は「逆賊」
秀元の残党に過ぎませぬ。秀元を何度も言いますが我ら豊臣は認めておりませ
ぬし、京都所司代という職制など存在しませぬ。ついでに言いますが九州探題で
したか?それも効力のないものでござる。悪の根源が誰ぞに征伐されたときにで
も素直に撤兵しておれば混乱もなかったのですが。何を勘違いしたのやら。で、
朝廷の誰ぞに担がれた挙句に権力を持ったと勘違い。そんなところでしょうな。
実際毛利本家から小幡何某へ返事や何やらがあったとは聞きませんから。例え
朝廷のお墨付きがあろうがたかが三千弱。今ここにある兵でも対処できましょう。
会津公には兵の再編もありましょうから城で待機を。此度の戦の指揮は武蔵殿に
お任せいたす。美濃殿もその軍に入ってくだされ。丹波からはわしの六千もなだれ
込みましょう。・・・。行部もその軍に加わるがいい。摂津、治部は謹慎・・・としたいが
遊軍を作れるほど余裕はない。あとで少しでも心象を良くするためにもせいぜい働く
がいい。・・・さて賊退治に詰問状もいりますまい。征伐する理由を述べて叩くだけで
良いでしょう。・・・京都が燃える?そんな覚悟もなく兵を入れるほど公家も馬鹿では
あるまい。朝敵?院宣ならわしももらっておる。それに武家の頭領の意見を無視する
ような朝廷なら潰したほうがいい。京都でとち狂った逆賊秀元の残党三千を討伐する。
それで充分。
64 ◆zAnbFVoD9M :03/10/25 22:41
>>62

真田親子ならば大坂城下におるはずじゃ。戦後にも詰問・・・あるいは使者でも
送るといたそう。根拠は確かに真田のものであると言えそうですが・・・真田殿が
「難癖じゃ。明確な証拠があるのか。武器を買ったのは事実じゃがそれは盗まれた
ものでわしらも被害者じゃ。とち狂った浪人どもがわしらの土地感ある城に篭った
だけで叩かれてはたまったものではない。もしかして宇喜多の自作自演ではない
のか」・・・といってしまえる苦しいものでもありまする。武蔵殿のいう「外堀を埋める」
作業がまだ足らぬようにも思えまする・・・確かにあのものに知恵比べをいどむのは
厄介このうえないですが。使者や詰問ならばしましょう。・・・ただ、勝てますのか。
勝たなくてはいかんのでございます。

宇喜多さんへパス。豊臣宗家を使うからには覚悟がいるよということです。恥をかか
さないで欲しいわけですわ。相手があの表裏卑怯のもの(字あってたっけ)ですんで。
65いし ◆NnBHBM9A.E :03/10/25 23:07
【石河宗林】
垣見一直・蒔田政勝・熊谷直盛・西川方盛・松井藤助の五名が、大坂に参集した豊臣の兵を代表して城に登ってきた。
そう、前々スレの金切裂衆である。彼らの直率する兵は2000ほどか。
直臣の中では古株であり、秀吉近臣であった彼らは、かなりな人望を持つ。

石河 よう参られた。また、豊家のために骨折ってくれた様子。ありがたい。
垣見 頼まれたとおり、動員準備していたが、これほど早くその時が来るとはな。
熊谷 で、どうするのだ。兵数で五万ほどは動員がすぐにでもできるぞ。
石河 今、城内に一万ほど。城外に一万ほどが集まっている。関白殿下の指図で動いてもらうことになるが、
    貴殿らには一手の将として動いてもらうことになろう。
熊谷 腕がなるわい。
石河 貴殿らに、その五万の直臣兵を集めてもらうことになると思うが、しばし待たれよ。
    なに、殿下の裁可をいただくまでのわずかな間よ。
【ということです。この者どもと計7万の兵を関白殿下の指図でお願いします。】

石河 七手組の衆に頼む。それぞれの兵を城に入れてもらえるか。(一万ほどになりますかな、加増受けたであろうこのスレでは)
七手衆 うむ。わかった。そちの下で動くのかどうかは、関白殿下の指図を待つぞ。
石河 勿論。そなたらの主君は秀頼様のみ。そしてその代理が関白殿下なら、我等は殿下に従うが道理。
【七手組にも家臣の動員をお願いしました。】

66長曾我部盛親:03/10/25 23:13
(あえて、横槍ではないなw)

盛親「殿下、幸いではないですかな。」
関白「?」
盛親「いや、幸いというか大坂には兵が多数集結してますな。」
松野「(にやり)」
盛親「豊家忠義のお家がいますな。」
関白「…」
盛親「執権殿と摂津には御先手願いましょう。」
関白「…」
盛親「会津殿も先手で動かされればよろしい。」
松野「しかし、毛利を敵に回すのは貴殿が嫌っていたはず。」
盛親「ふふ。瀬田を焼く者は既に太閤法度にそむいております。」
松野「法度?」
盛親「天下往来妨げぬこと。これで充分では。」
松野「…(宇喜多もしていた。それも含めて言うのか。この男)」
盛親「京奉行の専断。示威にはちょうどいいでしょうが。」
関白「そうすると…毛利の尻尾に対して示威を示せと。」
盛親「左様。尻尾きりに兵を使うのは余剰を当てればよい。」
高田専修寺

教如「安藤は今頃、丹波口へ付いたかな」
恩善寺「先ほど書状が届きました。丹波口へ到着し、太秦広隆寺で避難民に食料を配っているとの事です」
教如「結構な事じゃ。食料や義捐金を寄付して頂いた今井殿にもつたえておいてくれ」
その時・・廊下をダ、ダ、ダ、ダと物凄い勢いで走ってくる僧侶が居た。
一族の願証寺兼祐である。

願証寺兼祐「申し上げます門跡様。上杉勢と毛利勢が京都伏見で衝突、多数の死者が出た由にございます。
        戦を避けた民衆が、丹波へ殺到しているとのこと」
教如「・・・・・始まって、しまったか。・・・わしもこうしては居れぬ!丹波へ急ぐぞ。恩善寺は高田殿(専修寺住職)と伴に留守を頼む
   願証寺兼祐はわしに付いてまいれ。・・・長島の惨禍を繰り返してはならぬ」
願証寺兼祐「はい・・」

願証寺兼祐。長島願証寺の住職の子供として生まれ、1574年の長島城落城の時、からくも逃げ延びた経験の有る
男である。落城の時、彼はわずか三歳であったが、城が焼け落ち、人が死ぬさまは深層心理に染み付いたようになっている。
平和を望む心は人一倍強かった・・・
本願寺をやるなら、本願寺のみにしてや。
別役をわからないようにやるのはともかく、大名や商人は使わんといて。
今井には今井の自由がある。本願寺の家臣とは違うでな。
松平のこともまとめてからにしてな。アンジョウ頼んまっせ。
69豊臣GM:03/10/26 01:05
>>68
ほう。詳しい方ですか。
堺商人役でもいいですぞ。今井役きぼんw
>>60
適当が売りのスレならプレイヤーに設定にこだわる奴がいてもいいことになるな。
つーかこの程度で規律てアンタw
門跡一行は専修寺を立つと、大和へ向かった。大和から大坂を経由して山崎口から京都へ入る以外、ルートは確保されて居ない。
安藤が居る丹波口へは、大坂から摂津を経由して丹波へ入るルートも有るが、いかんせん遠すぎた。

大坂御堂筋
本願寺別院でくつろぐ一行。しかしここからが大変である。難民救済には金が居る。どこかからか金を出して貰わなければならない。
寄付を募る事が大事であった。
教如「・・・いっそ、大坂城へ入るか」
願証寺兼祐「諸侯に寄付を募るのですね。ただ、城門を通してくれるかどうかが非常に問題です」
教如「やるだけやってみるさ」

翌日、教如一行は大坂城へ向かった・・

教如「民衆救済のための勧進に参った従二位本願寺門跡藤原光寿でござる。開門してくだされ」

【開門の許可要求です】
72大友義統 ◆in6S5TZA4c :03/10/26 01:34
騒然とした雰囲気に包まれた禁裏に、毛利元康の案内で、一人の男が参内した。
従四位下左兵衛督大友入道宗厳である。
帝への拝謁も特別に認められ、僧綱と法衣を授けられた。
以後、豊後入道宗厳と称することになる。

同日、宗厳は公家衆にも挨拶回り済ませ、大坂に下った。
畿内の情勢が落ち着き次第、嫡子義乗も再上洛の予定。
73大友義統 ◆in6S5TZA4c :03/10/26 01:54
大友家の構成

当主 大友義統(吉統)従四位下左兵衛督 入道宗厳
嫡子 大友義乗    従五位下侍従・豊後守

一門 大友親家 大友親盛 共に義統の弟
   伊東祐兵 当家預かり

家臣 田原紹忍 筆頭宿老
   吉弘統幸 侍大将
   吉良統栄 侍大将
   志賀親次 竹田城代
   佐伯惟定 佐伯城代

   渡辺宗覚 大砲奉行

その他、中川、早川旧臣など。
74上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/26 06:33
本丸で秀頼の話し相手を務めていた近習・豊臣秀鏡にも上杉遭難の知らせが届いた。
数ヶ月前に突如として湧き上がった会津180万石との養子縁組話に心躍らせていた彼にとって、大きな衝撃であった。

かれはすぐさま上杉景勝がいるという千畳敷へ向かった。
血まみれの景勝が居た。
「おおおおお。なんということじゃ!おのれ逆賊め!!毛利討つべし!!景勝卿の敵討ちじゃ!!!!アニウエさま!宇喜多様!!このような非道をお許しになるのですかぁっ!!」
かつての兄のように、多少軽率な気のある人物だったかもしれない。
しかし、その叫びはその場にいたものの心に響くに足るものであったことも事実だった。

景勝がおもむろに口を開いた。

「関白殿下。多くの重臣が毛利の凶刃の手に掛かりました。
やられたままで黙って見過ごせるほど、当家は大人ではありません。
おそらく知らせが届くやいなや、私を救うため大挙して上洛してくることでしょう。
東北の諸将にも、毛利の非道を訴えております。友誼厚き諸侯のなかにはそれがしに同情するものもあるでしょう。
わたしはたとえ私戦を行った罪を問われようとも、彼らの思いを無にはいたしません。

思えば先年、あやつらは不法に宇喜多公屋敷を包囲し、大いに城下を乱しました。宇喜多公、あの屈辱を忘れましたか?
その後の会議であやつらが関白殿下に対して働いた無礼の数々。関白殿下、逆賊は勝手に死んだのです。裁きはまだ終わってはおりませぬ。
あやつらが秀元亡き後も京に居座っていたのは、なぜか?それは奴らを野放しにしたからです。

この場にいる人々が毛利を恐れているのならば、なぁなぁで済ますのも仕方の無いことです。
しかし、豊臣家が義によって立っているならば、正当な裁きが下されることでしょう。

いずれにしろ、遅くとも一月もあれば東北から会津兵が参ります。その事実には変わりはありません。
【上杉が毛利征討の考えを披瀝しました】



75大友義統 ◆in6S5TZA4c :03/10/26 07:56
でえーい、おちおちキャラ変更もでけんわい。

病気見舞いの御礼と全快報告のため登城しようとした宗厳は愕然としていた。
上杉と毛利のかなり大規模な衝突は知っていたが、まさか事態がここまで……。

北九州には二万からの毛利兵がいるんだぞ。こっちの身にもなってくれ。
とりあえず第二種警戒体制を布きましょか。

【国元の義乗に急報。】
【鍋島家、宮部家、立花家、宗家にも書状、警戒を促す。】

ん、待てよ、ここで毛利が潰れれば当家の借款は……。
いやいや、そんな恐ろしい。今となっては当家にとって毛利は恩人。
しかしこの事態はどうにも……。

【大友宗厳、現在大坂屋敷。】
76島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/26 11:02
【薩摩】

山田「殿、関白殿下より書状(>>16)が届いております。」
忠恒「ふむ。」
山田「して、何と。」
忠恒「何やら上方はきな臭いようだ。当家も上洛せよとの仰せじゃ。」
山田「では。」
忠恒「うむ、上洛いたす。豊久殿にご同行を願おう。そちも供をいたせ。」
山田「御意。して兵士はいかほど?」
忠恒「500もあれば良い。あと立花・鍋島殿らに使者を出しておけ。
   上洛される際は供にご同行願いたい、とな。」
山田「御意。」

【島津一行陣容】

島津忠恒 500 随行:山田有栄、川上忠兄
島津豊久 300
計800

【島津忠恒上洛開始】
77立花:03/10/26 11:34
>上洛される際は供にご同行願いたい
勝手に動くのでほっておいてくれ。
78鍋島:03/10/26 11:34
>上洛される際は供にご同行願いたい
勝手に動くのでほっておいてくれ。
79鍋島家、宮部家、立花家、宗家:03/10/26 11:39
>>75 警戒了解。連絡を取り合い対応しよう。
58 :上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/24 03:54
意味不明

おまえが意味不明。
80nobakasakagenwa waraimono
82無名武将@お腹せっぷく:03/10/26 15:00
arasuna
>>73
10万石でその所領は多すぎと思われ
77.78.79イキでいいのかよw
85いし ◆NnBHBM9A.E :03/10/26 21:35
【石河宗林】
石河 殿下、佐竹殿にも出兵の要請をされるべきかと。
関白 関東からでは大変であろう。
石河 上杉様が兵を出されるのです。佐竹殿もまた、一揆を領内で起こした事、洋船のことと、
    豊家への忠義を示したいとお考えと思われます。
関白 手柄立てても恩賞なくて済むということか。
石河 真田殿にも兵を出していただきましょう。
    先手に小西殿、石田殿、佐竹殿、真田殿を。これだけで五万近い兵となりますな。
関白 さらに上杉殿か。豊家の兵は後詰めと。
石河 御意。ただ・・・
関白 なんだ。
石河 毛利兵を京より退去させるべく使者を遣わし、豊家に落ち度なき手順を踏みたいものと。
関白 退去いたせば攻めぬとでも・・・
石河 いえ。戦に巻き込むことを避けたい故、京より退去をと勧告いたすのです。
関白 退去せねばどうする。
石河 無論、攻めます。それまでに奥州勢も参りましょう。これで京が燃えようと、それは毛利の罪。
関白 ふむ・・・・
石河 九州の勢にも使者を遣わし、毛利に同心せぬように命じていただきたく。
関白 ふむ・・・・
【石河の提言です。殿下、どんなものでしょうか。】
86無名武将@お腹せっぷく:03/10/26 21:37
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その6●●●    http://natto.2ch.net/mass/kako/1000/10003/1000393251.html
783 名前: 郵便屋 投稿日: 01/10/12 07:22 ID:eqc3p.xc
>だからさー、ドラマや小説のネタにして誰にどういうメリットがあるの?

メリットがあるかないか、というより、嫌がらせや脅しが目的だろ。
嫉妬や妬みのようなくだらない理由で嫌がらせする人っていっぱいいるよ。
普通はありえないと思うだろうけど。
変な不祥事が連発しておこることが事件に取り上げられてるけど。
世の中くだらない個人的感情で仕事をする馬鹿な人がいっぱい、いるんだろうと思う。

969 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/11/04 13:30 ID:nZuvB+Z1
>>951
関係者というのは、盗聴された私と親しい間柄にある人や、知人のことです。
たとえば家族とか、電話で話した人、家で話題にした人、友人等です。
家族が知人と電話で話した内容がネタになった事があったり、知人の名前が
ドラマに使われたりします。

970 名前: 967 投稿日: 01/11/04 13:52 ID:v3mAO06V
>>969
あるね。最低だな。最近じゃ不治てれびとか。業界内の遊び感覚でやってると思うね。
87長曾我部盛親:03/10/26 22:41
【大坂城】

(会議は踊りじゃな)

千畳敷からでて、一服する。
そこに、手なずけた茶坊主が・・・
(宮内少様、薩摩様も上坂のよし)
(なんと…これ。薩摩殿に使いできんかな。)
(やってみましょう。口上は?)
(西国に危機が訪れるやもしれん。心しなければ上坂無用。)
(わかりました。)

【島津公。大坂に出てくる前に絡もうぜw】
88石田三成 ◆wSfU4SmFXA :03/10/26 23:13
三成は大谷、小西と3人で本音で話しをしていた。

大谷「佐吉よ。これよりはどうするのじゃ?」
三成「体の具合が思わしくないのでな。もう政権より退く所存」
大谷「それでよいのか?」
小西「近江の領国は全て返すのか?」
三成「うむ。。。。静かに暮らしたい。温泉のある領地を少しばかり頂いてな」
大谷「そうか。そこまで腹を決めているのか。。。」
小西「その領地とは。何処ら辺りを思うておいでじゃ?」
三成「。。。。。まぁ欲は言わぬが。有馬辺りで摂津まで含め50万石くらい
   あればいいかなと思っておる。それ以上はいらぬ」
大谷「欲のない男じゃの。。。。。」
89長曾我部盛親:03/10/26 23:15
>>71

(盛親様、それと…念仏衆が城門に。)
(…そうか。個人的にあいたいの。根来も含めてだがなw)
(さて、城門は塞がれてますな。)
(惣構えは人不足よ。適当に案内せい。)
(何故でございます)
(未だ、豊家は念仏禁止よ。まあ、あえて城門にたった勇気は認めるがな)
(…禁を破るのは宮内少様ですか。)
(ふ。土佐は暗黒の地でもある。そなたらにして見ればな。)
(…)
(太閤は悪戯に下を虐待しすぎたな。それがどうなるか。)

【と、いうことで、前三州刺史殿。適当に大坂城にもぐりこんで会見希望w】
90 ◆zAnbFVoD9M :03/10/27 18:43
>>85
秀秋  主馬、どう思う。
松野  しておいて損は無いかと。豊家に傷がつきそうなことは極力避けるべき
    でしょう。ただ・・・。兵をひたすら集めるは糧秣に若干の不安があります。
     ・・・それ以上に大軍を入れて都が荒れることになれば・・・。
秀秋  ・・・。石河、逆賊への勧告は任せる。好きにせよ。なれどあまりに大掛か
    りな動員は人心の不安を煽ることにもなろう。そこら辺りを調整せよ。

【概ねいいかと。でも大戦争並みの兵力増強は無意味と判断】

>>74
秀秋  秀鏡、もう少し頭を磨け。猪突に心情を吐露するものではない。
秀鏡  拙者に禿になれとおっしゃるか!
秀秋  ・・・。意味が違う。
秀鏡  ?
秀秋  ・・・。ふう・・・。

秀秋  会津公、此度の戦の張本人は秀元を信奉するものらしい。そして毛利
    本家は動いておらぬ。・・・尻尾切りで逃げる算段と思う。・・・戦を興す手
    段を考えて頂きたい。私闘は豊臣は認めるわけにはいかんが正統な理
    由があれば・・・いや作ればいくらでも手を貸すつもりだ。兵をまとめるに
    一月かかるのであろう。是非難癖を考えていただきたい。

>>71
秀秋  本願寺の坊主がなんのようだ。政治に口出しするなら叩くぞゴルァ
兵士  民衆救済とかなんとかほざいておりますが・・・
秀秋  宗教の常套手段よの。金をせびるか・・・。恵利、話を聞いてやれ。金や
    米なら出すなら出させろ。ただし、奴らにやらせるな。二度と一向宗に力を
    持たさぬようにだ。
恵利  ・・・は。
91石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/10/27 20:56
石河 本願寺は准如様が正統と太閤殿下がお決めになり、寺地も京の都に寄進されております。
   教如様には、僅かな米をお与えになられるだけで良いものと思います。
   それはそれとして、殿下の裁可がありましたので、兵を集めます。
   関ヶ原以前に用意されて清洲の蔵米は、今はどうなっておるのでしょうか。
   織田殿が管理されておられるのでしたら、近江に留まっておられる石田殿の兵と運んではいただけぬか。
石田 協力いたす。
石河 豊家の兵は、七手組の兵を始めとして、合計で八万動員いたし、大坂の城には二万を置くことといたしましょう。
   1万石につき、二百ほどの動員なれば、領内も荒れはいたしますまい。
   攻め手の六万の兵も、後詰めといたし、まずは奥州勢と石田殿、小西殿らに働いていただきます。
関白 よい。まかせる。
石河 佐竹殿・真田殿には、万石当り三百人の出兵を命じます。殿下、書状に署名を。
   長宗我部殿、小西殿には水軍にて瀬戸内を制圧していただきたい。
   大安宅船もある。毛利家の水軍に負けることもありますまい。
   九鬼殿、脇坂殿にも働いていただきましょう。殿下、こちらの書状に署名を。
   宇喜田殿。関東で真田殿を攻める用意の兵、半数を西国に割いていただけぬか。
宇喜田 真田殿のことはいかがする所存か。
石河 なにより先にこの戦にございます。水に流して、ともに戦えば誤解も解けましょう。
   宇喜田殿と大谷殿の兵が加われば、よもや不覚取ることはありますまい。
   殿下、九州勢にはどういたしましょうか。
【戦に向けて動き出しました。関白殿下、書状に署名を。宇喜田殿、ここは収めてくだされ。】
92島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/27 21:07
【日向】

佐土原で島津豊久と合流した忠恒一行。
ここで都の間者の報告により毛利家と上杉家の争いを知る。

「ほう、上杉と毛利がな。豊久殿、これは戦が近いかもしれぬな。」
「羽柴、宇喜多両家の毛利への遺恨は根深い。
 そこに来て上杉とのこの騒動。もはや戦は避けられぬであろうな。」
「…どう見る?」
「両川たる吉川、小早川(秀包)は既に亡く、当主の秀就は童子に過ぎん。
 如何な毛利とはいえ上杉、宇喜多を敵に回して生き延びられまい。」
「だが毛利には地の利がある。国内の要害に篭って堅く守れば
 土地勘のない上杉らでは一筋縄ではいくまい。」
「宇喜多がおるではないか。」
「宇喜多は転封の際に東国で数多くの家臣を召抱えたと聞く。
 以前のように勝手知る我が家というわけにもいかないだろう。
 そうなれば…」
「毛利の背後を突く我ら九州勢の働きが重要になるというわけだな。」
「その通り。逆に言えば我らがもしも毛利に組せば…。」
「又八郎。」
「何だ、そのように怖い顔をするな。冗談だ、冗談。
 ともかく此度は島津家にとって千載一遇の好機には違いない。
 精々器用に立ち回ろうではないか。」

【忠恒一行は大坂へ向けて移動中です】
93島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/27 21:07
【つづき】

移動中の一行の元に長宗我部家からの使者(>>87)が。

忠恒「『西国に危機が訪れるやもしれん。心しなければ上坂無用。』、か。
   のう、茶坊主殿。土佐殿はわしと年が近いと聞くがいくつじゃ?」
茶坊主「盛親さまは二十七歳になられます。」
忠恒「ふうん、わしの三つ上か。若いのに気の回る御仁じゃな。」
貴様は更に若造ではないか、と茶坊主は思ったとか思わなかったとか。
忠恒「ともかく、ご口上は確かに承った。茶坊主殿、この太刀を遣わす。返礼として土佐殿に差し上げてくれ。」
そう言って忠恒が茶坊主に差し出した太刀は左文字の銘刀であった。左文字とは
盛親の兄信親が島津家との合戦で戦死した際に佩いていた曰くつきの銘刀である。
(信親の佩刀とはもちろん別物であるが)
この左文字にいかなる意味が込められているのか分からぬが取りあえず頷く茶坊主であった。
忠恒「有栄、そなた茶坊主殿とともに上坂せよ。」
山田「殿は如何なさるおつもりですか。」
忠恒「毛利家に不穏な動きあり、とあれば上洛もままなるまい。
   そなたにわしの名代として関白殿下及び各諸侯との折衝を一任致す。
   大任じゃ、心して務めよ。」
山田「ははっ。」

【行動変更】

島津忠恒→移動中止、豊久ともども日向に留まる。
山田有栄→島津家名代として長宗我部の使者とともに上坂。手勢50人ほど。
>>89

教如は大手門からではなく、高麗屋橋門から内密に入ることが出来たが・・
教如「・・・宮内少輔殿、関白様は何と仰せであったか」
盛親「・・・今しばらくのお待ちを」

この若者も、流石に門跡に対して言う事は憚られた。しかし、幸か不幸か。
その時殿中から下がってきた衛士が、ふと側を通りかかり真相を口にしてしまったのである。
「どうじゃ関白様の小気味良い事。坊主が政治に介入する事まかりならぬ、わずかな米をやるゆえ追い返せ・・
本願寺の物貰い坊主にはくず米でも呉れてやれや、ははははは・・」
むろん、彼は本願寺教如が側に居る事をしらない。

教如「・・・・宮内少輔殿、拙者やはり大坂城には入るべきではなかった、関白様に宜しくお伝えくだされ」
盛親「な、何を申される」
教如「・・・・わざわざ入れていただいたのに申し訳ない。」

【本願寺一行は大坂を退去し、どこかへいってしまいました】
95島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/27 21:27
面倒くさいので簡潔にw

九州各地の諸家に連絡。
「有事近し、九州の諸侯が協力して事に当たるべし」との旨を伝える。
対象大名
・大友、小西、鍋島、宮部、宗、立花
鍋島、立花→賛同を得る(新島津派ですから)
小西、大友→子当主不在のため用件を伝えるのみ(プレイヤーいますから)
宗、宮部→回答を保留(動きが分かりませんから)
96長曾我部盛親:03/10/27 22:46
>>93

茶坊主「という訳で、刀を預かってまいりました。」
盛親「ふーん。よこせ。」
(なるほど。九州征伐の由縁か…兄信親の件をな…)
盛親は鍔を軽く切って結縁をする…

盛親「島津公の代人は山田と申したな。」
茶坊主「そのようで。」
盛親は、裏に去りそして…
盛親「返礼よ、持っていけ。」
なぜか、刀に荒縄。しかし、荒縄には48の切り傷。そして…
切り傷には大きな裂け目があった。それは36番目の傷…
茶坊主「これを届ければよろしいので。」
盛親「そうじゃ。」

【なんか暗号めいてきたね。こういうのもありかと思った今日この頃w】
97長曾我部盛親:03/10/27 22:53
連続すまん。

>>94
盛親「左様ですか。宗門には生臭い場でしたな。」
教如「殿下にはよろしゅうお伝えください。」
盛親「門徒は苦労がこれからも御ありでしょう。いつでもお頼りくだされ。」
教如「ありがたく。では。」

盛親は苦虫を噛み潰す風。
(民草の動きを封じる鍵は野に放たれたな。ふ。まあよいかなw)
98石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/10/27 23:28
京都奉行職に就いているとしている人物に書状。
内容 
京の往来を邪魔した罪については追って沙汰する。謹慎の上、沙汰を待つように。
上杉家に狼藉を働いた者のすべてを神妙に差し出すよう。
これらが誠実に行われない場合は、征伐いたすのでそのつもりで。

毛利宗家に書状(関白殿下が内容を許可した後に出されます。必要なら直してください。)
内容 毛利家に不幸多く起きた様子。詳しき報告が成されていないので、報告をお願いいたします。
小早川家の家督相続について、豊臣家の指図に従うようお願いしたい。
毛利宗家の家督相続について、豊臣家に願い出るようにしていただきたい。
毛利秀就殿幼少につき、撫育は大坂にて豊臣家の庇護のもと行うようにしてはいかがでしょう。
以上、関白殿下よりのお指図にございます。早々に手配し実行されることを祈ります。
秀就殿の上坂を何より急いで行っていただきたい。兵は不要。心配であれば、大谷殿の兵に警護をさせるので申し込まれよ。

吉川元氏殿に書状
貴殿と近臣のみで天満寺にて沙汰をお待ちください。
船のすべてと兵は国許にお戻しを。
『今日にて会津中将、”豊家の番所・兵”を切り大坂へ向かう。
情勢難しく諸侯は軽挙妄動せぬよう、すべては毛利が引き受けます』
豊家の受けている報告と違う様子。関白殿下の使者がそちらに行くまでお待ちを。

【こんなとこでどうでしょうか、関白殿下。使者などの全ては、殿下の許可があって後に出ます。
いけなければすべて差し止めてくださって結構です。すべてに従わなければ、その時に・・・】
99大友義統 ◆in6S5TZA4c :03/10/28 00:16
>>95
そのご趣旨は理解致しました。
されど当家は毛利にも恩義があり。
願わくば穏便なる仕置きを図らん。

【当家はとりあえず平和的解決を望む。】

あと、宮部家は豊家直臣より、宗家はほぼ完全に中立と思われます。

>>83
10万石はあくまで表高。
当家は臼杵、佐伯、岡を実行支配しております。
100越前康介:03/10/28 09:12
せっかくだから100GETしようぜ!
101 ◆zAnbFVoD9M :03/10/28 20:32
>>91
>>98

・・・八万か・・・。たかが三千相手に・・・というのは建前で実際は毛利討伐の尖兵
というところか。城内だけで二万猶予。人心の不安は消せぬか。・・・まぁいい。
・・・毛利に勝算はないとみても何もせず黙ってやられるとは考えられんな。毛利
・・・いや村上が安宅船を作ったとかいう話も聞く。ただ、奴らの動きも流動的、や
りようもある。油断はできんが負ける対決ではない・・・。それに、吉川。吉見。口羽
赤穴尼子。・・・毒を使うときやもな・・・くくく・・・(以上秀秋思考終了)

秀秋  「(秀秋、花押を記す)豊臣の意思であること、関白が認める」
石河  「はは〜」
102石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/10/28 22:22
★関白殿下許可のもと、豊臣家の正式な命として以下の書状をそれぞれに下す。
佐竹殿への豊家書状
一万石につき三百の兵を出すこと。佐竹殿は大坂に上り、指図待つように。
兵はひとまず近江佐和山近くで留め置くよう。

真田殿への豊家書状
一万石につき三百の兵を出すこと。在坂の兵は真田家屋敷近くより指図あるまで動かぬこと。
安房守どのは城に入り、兵は野江村(京街道の近く、備前島の北東)で沙汰を待つべし。

九鬼殿
水軍をもって木津川を守備すべし。萩島を使って良い。脇坂殿と協力し、小西殿の指図通り動くように。

脇坂殿
水軍をもって木津川を守備すべし。萩島を使って良い。九鬼殿と協力し、小西殿の指図通り動くように。

垣見一直・蒔田政勝・熊谷直盛・西川方盛・松井藤助に命ずる。手配通り、兵を動員すべし。各人に一万ずつの兵を預ける。
関白殿下の指図を待つように。兵は惣構え内に入れ、休ませて指図を待つべし。

>>98の書状が出された。
103宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/10/28 22:53
大坂城
>>63を受け
秀家「豊家と主家(毛利家)に逆らいし、小幡攻めの采を取る事承った!」

満座の衆と京の小幡攻めについて協議します。
秀家「秀秋殿には景勝卿と共に大坂の守りをお願い致したい…次(対毛利)に備えて
    頂きたいのですよ。
    治部少、弥九郎殿、秀信殿…お働きに期待しておりますぞ。
    石河殿、我が手勢は少数ゆえ七手の衆より五千ばかり借りられぬかな?」

秀家「…(これが終われば、次は真田だ…)…」

諸将配備(案)
大坂城…関白・上杉・石河家→大坂城の守備、兵の再編、毛利攻め(?)の準備
征討軍…先鋒→石田家(二万)
      本隊→宇喜多家(千+五千)豊家の旗を掲げる
      右翼→織田家(六千)
      左翼→小西家(八千)
予備軍→大谷・浅野家は国許に帰り、戦備を調える…
104上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/10/28 23:20
秀鏡「毛利の軍勢が西進してるという。
    京奉行にも毛利が兵を送っているという。
     毛利すべてが逆賊である!」
105島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/28 23:38
【日向】

大友家(当主在坂)よりの使者が到着(>>99)。

使者「大友家より返信。意見は承るが当家に同心はできぬとの事。」
豊久「ふん、予想通りだな。大友がいま大名の地位にあるのは毛利のおかげだからな。
   毛利の恩赦を願うのは仕方あるまい。」
忠恒「それもあるだろうが…何より仇敵の我らと行動をともにしようとは思うまい。」
豊久「最初から無駄足だったということか。しかしその方が我らにも好都合だな。」
忠恒「然り。我らにとっては彼らに使者を出した、という事実があれば良い。
   これで島津は如何様に動く事にも名分がたつ。」
豊久「で、結局協力を得られそうなのは立花、鍋島の両家だけか。」
忠恒「宗家は小西家次第だが…まあ摂津殿が大坂におるし積極的な同心はないであろう。
   戦力的には鍋島、立花の協力があれば十分だ。」
豊久「しかしまだ毛利征伐がおこるとは限らんぞ。間諜の話では奉行衆の中には
   秘密裡に毛利との和平を画策する動きもあると言うからな。」
忠恒「なあに、動かぬなら戦になるよう我らが動かしてしまえばよいのさ。
   我らは準備さえ怠らなければ良い、しばらくは中央の動静を伺うとしようか。」

【大友家の使者の申し出を了解しました】

>大友公
島津的には宗は縁戚関係から小西と立場が等しく、宮部は中の人が現れるまで中立という解釈です。
もちろん現在島津派とされる立花、鍋島も中の人が現れたら陣営鞍替えもありえます。
(とはいえ単純なかぶりもの作戦は勘弁w)ま、中の人たちがあらわれるまでの暫定的な組み分けということで。
あと一つだけ確認。吉統が入道したということは、大友家の立場としては切支丹禁制で宜しい?
【大坂】

山田有栄、大坂に到着。

さて、島津家名代として前三州刺史殿にお会いしたいのですが
何処へ行けばお会いできますでしょう。
刺史殿は謹慎中のご身分ゆえ何かと憚られる事もあると思われるので、
静かな場所で茶でもご同席したいのですが如何でしょうか?

>長宗我部公
返礼への対応しばし待たれたし。現在謎解きに対応中でござるw
107織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/10/29 06:26
>>91>>103

承知つかまつった。ただちに国元で動員して運びましょうぞ
関ヶ原の直後に多少使ったが、なぁに。こないだの米相場の儲けて米蔵一杯になっておる。
糧米用の城でも築城しなければ思っていたところ。
108長束正家:03/10/29 07:08
参加したいのですが。
>>106(山田)殿

松平秀康入道は、現在大坂城下・玉造の屋敷に居ます。
お話が有るようでしたら、なんなりと。
110人事係 ◆j9lCIaXDC. :03/10/29 12:30
>長束殿
熱烈歓迎、奉行系の人数が不足してたのですよ。
出来ればトリップつけて、いろいろ書き込んでみてください。












111大友義統 ◆in6S5TZA4c :03/10/29 17:17
>>99
訂正 実行支配 ×
   実効支配 ○

>>島津公
宗家については了解。
鍋島、立花は、>>8の色分けによったのだと思いますが、いずれも親島津とは思われず。
立花は史実なら毛利に近いですし、鍋島は過去スレから考えてもさっぱり動き読めず。
まあ、貴家が動けば同心はするでしょうからあまり問題は無いでしょう。
宮部家は、古参譜代であることを考えると、豊家直臣の衆と仲がいいかと。
それから確認事項についてですが、当主の出家入道は切支丹とは直接関係がありません。
当主は禁教の方向ですが、嫡子義乗はそうでもありません。
将来は親子喧嘩があるかもしれません。

あと、領内通過の許可と宿舎、糧秣を提供しておきます。

【大友家、島津家の軍事行動を消極的容認。】
112大友義統 ◆in6S5TZA4c :03/10/29 18:13
なんか変な文章になってもうたな。
意味は伝わるだろうか……。
あと軍事行動じゃないな、(建前は)単なる上洛だし。

臼杵城にて
義乗 (書状を見て)フッ、父上もえらく弱気だな。
親盛 しかし現に毛利討伐となればどう致す?
義乗 それこそ我らの望むところ。叔父上、毛利兵の動きは如何?
親盛 安心せい、毛利から借りた兵はあらかた豊前にお引き取りいただいた。
吉弘 毛利領内で不穏の動きがあるとかで、割とあっさり撤収致しました。
吉良 中川、伊東らの旧臣の召抱えも進んでおります。当家の兵力に不安はありません。

ドタドタ

家臣 も、申し上げます。伊東祐兵様が面会を願い出ております。
義乗 おお、丁度よい。すぐにでもお通ししろ。

【大友家、領内は磐石。】

>>長束殿
参加歓迎いたします。
ところで、>>16にある大隈ってひょっとして私のことか?
だったら長束殿、当家の屋敷に寄っていきませんか。
今一人で登城するのはちょっとコワイ。
(大蔵ってのは長束大蔵大輔でまちがいないよな)。

【大友宗厳、相変わらず大坂屋敷。】
113大谷吉継 ◆I.8nk3m2zM :03/10/29 19:02
>>88
吉継(50万石で少しばかりとは…まあ後生だ、黙って頷こう…)

※胸の内です。

>>103
国許に帰って良いのかしら…?
114長曾我部盛親 :03/10/29 22:45
>>106
情勢変わったなー(苦笑
両睨みの暗号でしたが、やめましょうか。
とういことで訂正。
>荒縄には48の切り傷
これ、88に訂正するは。
115島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/29 23:06
【日向高鍋城】

小姓「大友家より再度の使者(>>111)が到着いたしました。」
忠恒「うむ、通せ。」

使者「大友義乗様は領内通過の許可と宿舎、糧秣を提供したいと仰せです。」
忠恒「ははは、義乗殿は気が早いな。まだ戦になると決まったわけではなかろう。
   …申し出は有難くお受けいたす。義乗殿には宜しく伝えられよ。」
使者「ははっ。それではこれで失礼いたします。」

忠恒「豊久殿、二度目の使者は吉統の倅の独断かのう。」
豊久「さあな。どちらにしろ頭の切れる奴がいたということだろう。」

【大友家からの再度の使者の申し出をとりあえず了承】
116島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/29 23:09
>大友公
各家への使者は「有事の際の協力」を求めただけですので…。
島津領内は非常事態宣言のおかげで臨戦状態にはありますが、随伴の兵は800だったし。
とてもじゃないが上洛なんてできませんわい。
島津家は二度目の使者を義乗殿独断の意向と解釈したけど良かったですかね?

>鍋島、立花はいずれも親島津とは思われず。
鍋島家は島津家と友好関係にあるので過去ログで確認よろ。
(前当主直茂が息子勝茂に島津との同盟を認める発言もあり)
立花宗茂もこのスレ内では飲み友達という設定なのでw
史実だとこの三家は三すくみ状態でとても面白い関係なんだけど
このスレでは現状こういう関係なので理解よろ。
もちろん今後、中の人次第でどうとでも代わるし、寧ろそれは望むところ。

それと宮部家の旗幟についてですが、個人的には中の人もしくは奉行衆から
具体的な動き(ネタ)があるまで断定は待ちたいですな。
史実的には宮部家は奉行衆ではなく、豊臣本家に近い家柄だし…。

最後に確認事項の回答は了解。
117お客様相談室:03/10/29 23:46
大友様、島津様
こちらにお部屋をご用意させて頂きました。
ごゆるりとおくつろぎ下さりませ。

【くしかつや三成・3】
ttp://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1066309966/
連投スマソ。これで最後。
>>117
揉めてはおらんぞw

【大坂】
【玉造屋敷】

山田有栄は宇喜多家の玉造屋敷に松平秀康を訪ねた。

「お初にお目にかかります。島津家臣山田民部有栄と申します。」
「うむ。」
(・・・世間話・・・)
「それでは失礼いたします。過分なもてなしを頂き、まことに感謝の極み。
 ぜひ返礼を致したいので、お暇なときにでも是非島津家の屋敷にお立ち寄り下され。」

ということなので松平殿、気が向いたら島津家の屋敷をお尋ね下さると嬉しいのですが。
119小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/10/30 22:28
島津様
当家も豊家忠臣の貴家に協力するに何ら否定的材料はありません。
ともに豊臣家の家臣として、忠義を尽くす気持ちに変わりはありません。
立花様や宮部様、鍋島様、大友様・・・も同様と思います。
当家も、豊臣家の臣として皆様とともに忠義尽くす所存にございます。

九州の諸大名に似た内容の書状が出ました。
(小西の贈答攻勢は九州の諸勢にもおこなわれていましたので、友好度は高いです。)

島津公に特使
坊之津にて当家船舶が沈んだそうにございますが、情勢をお知らせください。
必要であれば、豊家にお頼みして代官に下向していただき、調べていただきます。

大友様
上方不穏にございますが、我等ともに九州の平安のために働きましょう。

母上様
母上様のお仕えするお方にお願いして、関白殿下との関係の修復を取り計らってくださいませんでしょうか。
120島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/31 00:59
【大坂の小西公へ書状】
事故の詳細は以前伝えた通りである。
尚、この事故について執権石田殿より島津家の裁量に任せると認可済みである。
(過去ログで確認よろ)
真相は当家が必ず解決致す故、貴殿は安心して関白殿下への忠勤に励まれたし。

【小西家からの有事(毛利攻め)の協力申し出を了解しました】
【但し、特使の件は執権の書状を見せた上で拒否】
121島津忠恒 ◆X7M9O2x/96 :03/10/31 01:02
>【但し、特使の件は執権の書状を見せた上で拒否】
これは特使に書状を見せた、ということね。
執権直筆の認可状です。本物よw
122無名武将@お腹せっぷく:03/10/31 19:58
毛利が書き込みせん限り展開しようがないな。
123無名武将@お腹せっぷく:03/10/31 21:55
逃げてんじゃねーぞ真田!
10月が終了したら、真田はオレがやる。文句言うなよ。
124長曾我部盛親:03/10/31 23:24
(大坂には長居無用だな)

盛親「帰国致します。」
松野「それは残念。」
盛親「大坂は邪念が強すぎる。奉行の衆にもいっておけ。」
松野「何を?」
盛親「淡路の所轄をお主と奉行で線引きせい。」
松野「・・・」
盛親「奉行どもが何を言っても、押さえ込めねば関白の輔弼ならんだろうw」


【長曾我部盛親帰国】
>>123

まあ、もちけつ。

真田殿は、宇喜多殿と漏れのカキコ待ってんのよ。
忍者の強さと、一揆衆の知ってる事に関して。
【沼田付近】
(真田、というキーワードは無しの方向で話が進みます)

一揆衆が揉めている所に一人の武士が現れた。
岩見 「おう、皆こんな時間にどうした?それにその持っている物はなんじゃ?」
横目で皆を見回す一揆衆
一揆衆 「・・・。」
岩見 「おおそうか!祭の出し物の関ヶ原模擬戦じゃな!大殿もさぞお喜びになられることであろう。」
笑顔を庄屋に近づける岩見。
岩見 「んん〜〜??」(原哲夫風)
庄屋 「ひっ!」
がっくりとうなだれる庄屋。
庄屋 「もう薄田様には何もかも隠せねえだ・・・。」
村の衆 「そうだ、そうだ、あの若もん薄田様に差し出して、おれらの罪を軽くしてもらうべ。」
岩見 「ほう、何の事かな?」
村の衆い 「実は・・・実はおらだづ訳の分かんねぇ浪人に騙されていただ。」
村の衆ろ 「訛りもおらだづに似てて、ころっと騙されちまっただ。」
岩見 「一揆・・・か・・・。」
庄屋「そうでごぜえます・・・。」
村の若者 「おらは嫌だ!ぜってぇ侍になってやるだ!」
岩見 「まあ、落ち着け。この件に関しては儂が預かる。上手く上に話を通しておくゆえ、明日、この現場にいた者達は沼田城に来るように。」
一揆衆 「ははぁ〜〜。」
後に控えていた、進藤と兵卒はほっと胸を撫で下ろした。
進藤 「一揆は収まった・・・。早く大殿に報告せねば・・・。」
【岩見が一揆を説得しました】
【秀家の元に一揆収束の早馬が出発しました】

沼田城への帰り道。

岩見 「やはり真田、であろうな・・・。」
進藤 「岩櫃はどうなされますか?」
岩見 「いや、当初の作戦通り、国境に沼田総勢を以て陣を敷く。」
進藤 「こちらから仕掛けるおつもりで?」
岩見 「いや、ただの準備じゃよw
     明日の仕置きは進藤殿に任せる。全員無罪で武器は押収、でよいな?」
進藤 「はっ。」
128岩見重太郎:03/11/01 01:49
>>123>>125

+激しく自演+
129無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 02:21

これすらも自演
130宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/01 11:32
大坂城

>>113
秀家「左様、ご両家は山陽・山陰の要(強調)で御座るゆえ、早々に
   国許に帰り戦備を調えていただきたい。
   特に形部殿には瀬戸内への手当もお願いいたす。」

石河殿の方へ向き直り
秀家「真田殿には手柄を立てて貰わねばならぬ…国許を空(強調)に
   する位の大動員を掛けさせてはどうかな?」(ニヤリッ)
131宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/01 12:16
…時間進ませますぞ…

大坂城千畳敷の間
宇喜多秀家を筆頭に美麗な戦装束(儀礼用)に身を包んだ者達が畳みに
座している、一際目立つ装束は尾張中納言であろうか。(w
小姓「上様のぉ〜おなぁ〜りぃ〜」

場の全員が頭を下げる中、淀の方や侍女達に囲まれた秀頼が席に座る。
関白「一同、面をあげられい、秀頼様よりお言葉を賜る…」
コクンと小さい頭をうなずかせ、秀頼が声を出す。
秀頼「みな たいぎである よきにはからえ」
全員「ははっ!」
秀家「過分なお言葉を賜り、恐悦至極に存じます。
   豊家に逆らい、天下を騒がせた逆賊(小幡)めの首をねじ切って御前に
   お持ちいたしますれば、今暫しお待ち下さりませ!」

謁見を済せ秀頼と淀の方が大奥へと帰って行く。
関白「此度の征討に際し、秀頼様名代の証として千成瓢箪の馬印を
   持っていかれよ、後で馬印・旗奉行に届けさせる」
秀家「忝ない」

*千成瓢箪ダメだったら豊家の旗で結構です
132いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/01 12:41
【石河宗林】
石河 ハハーーーっ
関白 先手は、石田殿、小西殿、真田殿で良かったかな。
石河 その総大将として宇喜田様が。城内の石田殿の兵すべて、小西殿の兵すべてを出していただく。
   真田殿の兵3000も出していただく。京の賊には過分ですが、豊家の力を公家に示すためにも大兵を繰り出すは良いことかと。
小西 千成瓢箪の下で戦うのは、なんとも心強いものにございます。
   関白殿下、この小西の忠義、信じて下さったことありがたく思います。
関白 (・・・)豊家のため、働くことをのぞむ。
石田 大坂には二万もの兵で参っております。半数は城に残しておきたいのですが。
石河 治部殿、御城には豊家の兵が満ちています。二万すべてを出していただきます。
   国許より、琵琶湖方面からの手当てもお願いいたしますぞ。
関白 毛利家より秀就殿はまだ参らぬか・・・
石河 安芸から船で移動すれば数日あればよいはずですが。上洛を拒むことはないと思いますが。
関白 であればよいのだが・・・。
石河 上杉殿、貴殿の国許からの兵は、しばし先となりましょう。此度はしばし養生ですな。
上杉 宇喜田殿、石田殿、小西殿、お頼みいたします。
【京都回復の兵が城を出ます。大谷公は国許入り?】
   
133宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/01 12:48
謁見を済ませた後、京の都全域(含む御所…)に避難勧告を出します。

宇喜多家の指揮下に入る豊家旗本衆(五千名)を前にし、秀家が演説をぶつ
秀家「諸君!此度の征討は愚劣なる逆賊に対する裁きの鉄槌である。
   秀頼様が放たれた浄化の火に、必ずや彼らは屈するであろう!」
旗本「豊家に勝利を! 豊家に勝利を!」
秀家「クククッ、圧倒的ではないか我等の戦意は…」(w
134いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/01 13:28
石河一宗が手紙を読んでいる。 室は宇多頼忠の娘

文面
二カ月ほどのうちには一度貴殿のもとに遊びに行きます
ですが婿殿、その前にかならず一つ、手柄を立て、秀頼様にご覧に入れますよ
治部の七光りで大名だ奉行だなどと、豊臣に笑われたくはありませんからね
では、お目にかかる日を楽しみにしています

石河一宗、目より涙
義父殿は、手紙でも下のわしに丁寧だな・・・・
治部殿が兵挙げたは、義父殿の弔い合戦のつもりであろうか。
我が兄上は、本当の敵がわかっているのか・・・。

石河宗林、大坂の茶屋で酒を飲んでいる
石河 店主っ
?? それは私におごらせてもらおう いいかね
石河 忍びの者だな
?? ふふふ、さすがですな備前殿 わかりますか?
石河 においだな 真田の手のもの?
【えと、遊んでみますた】
135大友宗厳 ◆in6S5TZA4c :03/11/01 14:36
ひええ〜、宇喜多公、何か憑いてる。

大友家大坂屋敷にて

宗厳   大仰なことでござるな。たがたが京奉行ごときに。
さる公家 あれは大きな馬揃えじゃ。その力を日の本に、こと禁裏に見せつけるための。
宗厳   して、この隠居にどのような御用向きで。
さる公家 それやそれ。何やら薩摩隼人が動きよったって聞きましての。
宗厳   これは……。お耳の早いことで。
さる公家 ほっほっほっほ、博多のあきんどが知らせてくれましたのや。
宗厳   このままでは京だけではなく博多も焼けるでしょうな。
さる公家 さて、大友さんはどないしはります?
宗厳   ……。
さる公家 そら困るでしょうなあ。
宗厳   されど勅命とあらばいたしかたありませぬ。
さる公家 院宣ならもう出とりますが。
宗厳   それがしが言いたいのは、帝でござる。
さる公家 はて?
宗厳   恐れ多くも御叡慮はいかが相成っておりますのでしょうか?
さる公家 ……つまり、院宣だけでは不足やと?
宗厳   そうは申しませぬ。ただ院宣と綸旨の中身が異ならぬとも限りませぬ。
さる公家 (こいつ……以外に鋭いな)。

いったん切ります。

>>116
とりあえず了解しました。
そういや確かに酒飲んでるシーンがあったな。
136大友宗厳 ◆in6S5TZA4c :03/11/01 14:57
続き

さる公家が帰ったあと

紹忍 まだ毛利が助かる目はありそうですな。叡慮次第ですが……。
宗厳 いや、もはや助からぬだろう。関白上杉は遅かれ早かれ毛利本体討伐の院宣を引出しにかかる。
紹忍 されど……、当家は毛利に大恩を受けております。ここで毛利を助けねば変節のそしりを受けましょうぞ。ましてや討伐に積極的に動いたとなれば……。
宗厳 ……。

宗厳 (とりあえず義乗には島津と共に上洛させるか)。

【国元に書状、義乗に相続御礼名目で上洛させる。】
【島津家に書状、国元の大友家主力は当面島津と行動を共に。】
137大谷吉継 ◆I.8nk3m2zM :03/11/01 16:53
>>130
では、帰ります。

吉継「分かりました。大坂には息子・吉治を残しておきますので、
   火急の際はかの者まで連絡されますよう」

吉継「…というわけだ」
吉治「心得ました」
吉継「五助も残して行く」
吉治「ははっ」

【大谷吉継、国許へ帰還します】
138大友宗厳 ◆in6S5TZA4c :03/11/01 18:26
一つ忘れとった。
>>119
了解しました。
しかし本丸表の剣呑な状況は何とかなりませんか。
様子伺いに下向して来た公家衆が怖がっておりますぞ。
139宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/01 20:51
石田家へ
大軍に兵法無し、敵にいかなる奇計奇策があろうとも、力で打ち破るが
男児の本懐、貴家の奮闘に期待しております。

織田家へ
御所と院の守りをお願い致す。
貴家の武威を持って、我等に非協力的な公家共の度肝を抜いてやって下され。

弥九郎殿へ
小幡めを取り逃がしては面目が立ち申さず、今宵の内に老ノ坂等へ
一隊を差し向けられたし。
大坂を去った本願寺教如は、畿内各地を義捐金集めのためにかけまわっていた。
そして・・

京・丹波口太秦・広隆寺(本願寺難民救済事務所)
菅笠に法衣の中年の僧侶が駆け込んでくる。顔は日焼けで真っ黒だ。
・・・各地を奔走していた教如であった。
教如「なんとか現時点の難民救済が出来る程度の銭は集めて来た」
安藤「それはなによりです。わたしも避難を手伝って居ますが、明日の暮らしにも困る人が多いので大変ですよ」
願証寺兼祐「・・・長島の時のような、民衆虐殺だけは避けなければ。小幡殿は今は鳴りを潜めていますが、
        この先どうなる事やら」
安藤「(>>133の避難勧告を皆に見せて)門跡様、これからがむしろ本番ですよ」
教如「・・・わかった」

【丹波口で本願寺が難民救済を行って居ます】
>>118
秀康「あい分かった。島津屋敷に答礼に赴く。」
尾上刀舟「謹慎の身にてござれば、駕籠を用い人目に付かぬように訪問されては・・
      万が一の為を思い、拙者護衛を務めまする。殿に危害が及ぶようであれば水鴎流波切りの太刀を・・」
秀康「ははは、尾上は心配性だな。それでは駕籠で参ろう。護衛もそちが務めよ」

秀康は島津屋敷へ入りました。とりあえず山田殿と世間話をして居ます。
願証寺兼祐って何者?
真言宗と浄土真宗ぐらいの区別はしてくれ。
144上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/02 01:23
(大坂城)
気合の入る宇喜多を見て
「これで仇うち騒ぎを起こさずに済んだ。まことにかたじけない。当家の兵はみな移動中ゆえ、余ハ大坂の守りの一助になる所存。
 ご武運をお祈り申し上げる」
145石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/11/02 02:17
京都・大文字屋
大文字屋宗味があわただしく立ち動いている。
金・銀・証文・茶器・・・
莫大な富を持つこの男は、いくつかの寺に謝礼を支払い、その財を分散してあずけることにした。
蔵はもちろん、池も茶室もある広大な邸宅の庭にも、金銀は埋められた。
当人と家人は、吉田兼見の屋敷に避難。(とっても仲良しなのです。商人とはいえ、宇多源氏という血筋もありますし、
京都の町衆の総代でもあります。当家に大根などを届けてくれたりもする仲です。)
>毛利の中の人
役作り等大変だろうがそろそろ中に入ってくれ
不在が続けば滅ぼされても文句は言えんぞw
>>96
>>114

「ほう、土佐殿からの返礼。それがしにとな?」
重箱を開けてみると傷のつれられた荒縄で縛った刀(業物)が。
「ふむ…。これではせっかくの銘刀が使えぬなあ。」
と、裂け目を千切り、刀を取り出す。
「うむ、これで良い。いかな銘刀でも鞘から出せぬのでは意味がない。」
有栄、使者の怪訝な眼差しに気づく。
「ははは、使者殿、それがし土佐殿の返礼を無にしてしまったかもしれませんな。
 いや、許されよ。何分薩摩の無作法者ゆえな。」

「さて、土佐殿が国へお帰りになるそうな。
 島津家からの餞別でござる。土佐殿にお渡しくだされ。」
そう言って山田が使者に手渡したもの、種子島二丁と僅かばかりの硝石。
そして山田直筆の書状が添えてある。
一家臣の分際で、しかもこんなものが島津家からの餞別の訳がなかろう、
と思いつつもとりあえず餞別を受け取った使者であった。

書状の中身
「種子島二丁、お送りいたす。一丁は盛親様に、もう一丁はご自由に。」

【長宗我部家に種子島二丁と硝石を餞別として送りました】
今日はもう時間がないので松平殿への対応はまた今度にします。
自分からネタふっておいて申し訳ない。
149無名武将@お腹せっぷく:03/11/02 15:06
駄スレさらし上げ
駄スレなら沈めろや、カス
「えーん、仲間に入りたいけど、バカだから入れないよーー」
悲しい人生だな……
151長曾我部盛親:03/11/02 22:25
>>147
(それでいいですよ。ごるぁ毛利少しは動けよw)

徳島へ戻って返礼の品届く。
種子島二丁。奇妙な品をしげしげと…

盛親「一丁は自由にしろと申したのか。」
中内「そのようで…」
盛親「島津の当主め。切れ者だな…」
中内「?何故でございます。」
盛親「ふ。知らんでもええ。」

(さて、一万五千では非力よ。西国が強力するにはどうするか…暴れ馬を制するには…)
152無名武将@お腹せっぷく:03/11/02 23:43
駄スレさらし上げ
153いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/03 00:42
京都にて
大文字屋宗味 これこれ、番頭さん。
番頭 なんでございましょ。
宗味 京の民人が難儀しておるのを、本願寺さんがお助けしておるそうやないですか。
番頭 偉い方々ですなあ。
宗味 うちからも、銀で10貫目ほどを寄進してきなさい。
番頭 どちらにでございますか。
宗味 そうですねえ。六条と広隆寺と、両方に10貫目ずつお届けしておきますか。
番頭 旦那様も、珍しく偽善めいたことしはりますなぁ。
宗味 打ちこわしにでもあったらたまりませんからね。お米も20俵ずつお届けしておきますか。
番頭 へえ。教如ハンに寄進なんかして、問題になりはしませんか?
宗味 関白殿下が大坂で米を寄進されたそうです。まあ、大丈夫でしょう。
【本願寺さんに、銀と米を寄進しました。】
大文字屋からの布施を、教如は伏し拝むようにして受け取った。
教如「ありがたい。番頭さん、旦那様によろしくお伝えくだされよ。弟の方にもよろしくいっておいて呉れ。」

安藤と兼祐は顔を見合わせた。以前の教如はかなり尊大なところが有った。関ヶ原よりこのかた、
何度も生死の境をくぐり、檀家に助けられ、反面権力者から馬鹿にされ、本願寺と言う組織から叩きだされて以来、
教如はひどく人が変わっている・・・
安藤「・・・なにやら、越後に流罪になった後、関東で田植えをしていた親鸞さまに似てこられたようで・・」

【教如は大文字屋の布施を受け取りました】
155無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 18:05


         日 本 ブ レ イ ク 工 業   VS   武 田 騎 馬 軍 団

                                         .__
                                         |風|
                                         |林|
                                         |火|    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                                         |山|    |  
   ;;(⌒〜          ブレイク!ブレイク!      _∧ .∧(oノヘ| ̄     <  御旗楯無、御照覧あれ!
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156武田信廉 ◆kq4kTAKEDA :03/11/03 18:54
誤爆か? 騎馬軍団であれば、もそっと落ち着け(w
157無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 20:07


         日 本 ブ レ イ ク 工 業   VS   武 田 騎 馬 軍 団

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   ;;(⌒〜          ブレイク!ブレイク!      _∧ .∧(oノヘ| ̄     <  御旗楯無、御照覧あれ!
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お得意のAA定期保守上げ荒らし
復活と共に表れるとは迂闊ですな もう少し間を開けないとバレバレだぜい
159 ◆zAnbFVoD9M :03/11/03 20:46
・・・何時になったら毛利はウゴキマスカw?

松野  「・・・と、土佐殿が申しておりました」
秀秋  「淡路の守備、そなたに任すことになりそうじゃな」
松野  「なんと・・・」
秀秋  「実際毛利の動きが読めん。土佐(盛親)はあの性分だ。隙見せれば
     翻るのも仕方なし」
松野  「この状況をむしろ楽しんでおるようにも見えますな」
秀秋  「・・・戦国は終わったはずだったが・・・。内の敵をどうするか」
松野  「石河が必死にまとめようとしておりましたが・・・」
秀秋  「戦の後にでも摂津、治部の二人を政から外す」
松野  「七手の連中がどうでますか・・・」
秀秋  「政だけならば民部や大蔵、右兵衛でも行える。軍事ならば武蔵公に
     任せればいい。会津公も我が弟が継げばいい」
松野  「・・・会津公、まとめられますかな」
秀秋  「・・・正直わからん。ただ今のままあの連中がのさばれば我が家は必
     ず滅びるだろう。ならば家を守る為に動くくらいの賭けは当然だ」
松野  「・・・」
秀秋  「・・・戦には流れ矢というものが不幸にも多い。そうだったな」
松野  「・・・成る程・・・」
【関白家、いらんこと考えてる模様(流石にこれは他の人には聞こえません)】
160無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 21:46


         日 本 ブ レ イ ク 工 業   VS   武 田 騎 馬 軍 団

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161無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 22:36
このスレ痛すぎ
下げてるスレを追いかけての粘着荒らしほどには痛くないw
163無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 23:29


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業務連絡

※荒らしには声をかけないように。
165無名武将@お腹せっぷく:03/11/04 00:25


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【島津屋敷】

島津屋敷に来訪した松平主従(>>141)を出迎えます。

しばらく世間話。

「ところで、某は銘刀を収集いたしておりましてな。
 某の自慢の一品を是非三河守殿に見ていただきたい次第。」
「ほう。」
「これでござる。」

秀康の目の前に出されたの短刀の名は相州行光。
今は亡き徳川家康の愛刀であった。

「これは…貴殿、これを何処で手に入れた?」
「これは内府公が本多正純に自らの遺志とともに託した刀でござる。」
「何だと。」
「辰千代様が密かに逃げ延びたとの噂は秀康殿も密かに耳にしておいででございましょう…。」

【山田有栄が松平秀康に辰千代の所在を告げました】
【つづき・一部蒼天航路風】

「辰千代が薩摩に…。で、それを何故わしに教える。」
「秀康殿が恥を偲んで生きながらえているのは何のためでございましょうや。
 ただ病に身を朽ちさせていくためではございますまい。」
「回りくどい言い方は好まん。」
「では単刀直入に申し上げましょう。我らには豊臣打倒の意思あり。
 内府公の血縁たる秀康殿のお力を我らにお貸しいただきたい。」
この言葉に秀康に随身してきた尾上が激昂する。
「秀康様が断腸の思いで生きながらえたは徳川の血を絶やさぬため!
 それに秀康様にとって太閤は父君であり、秀頼公は弟君である!
 貴様らの企みに乗り不義を犯すわが主君ではないわ!!」
「…聞いたふうに義や忠を並べ立てる前に、己のへその下で考えられるがよい。」
「…。」
「わからぬか!?
 島津家が乱世の表舞台に誘っておるのだ!」

「…もしわしが否、と申せば?」
「ここまでお話した以上、秀康殿には是可否でも首を縦に振ってもらわねばなりません。」
山田の合図とともに何処からか忍者衆があらわれて秀康主従を取り囲む。
「伊達が家臣、世瀬蔵人。以後お見知りおきを。」
「ふっ、協力とは名ばかり。体のいい脅迫か。」
「恨むならご自分の体に流れる徳川の血を恨まれよ。
 所詮徳川の縁者が平穏無事に過ごす事など夢のまた夢でござる。」

【山田有栄が松平秀康に返答を迫りました】
【注意・この会話を聞いているのは松平主従のみ。忍者、間者の類は存在しませんw】
松平公、暴れん坊将軍になるのは無しよw
相当数の手だれの忍びと島津家臣がいるものだと思ってくらはい。

これから色々と裏で悪巧みしようぜってお誘いですw
豊臣打倒はあくまで方便なので、その点は奉行衆並びに重役連もお目こぼし頂きたい。
169上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/04 02:41
聞かぬ振りをいかにするかが
このスレの勘所です

後だしも手際が鮮やかならば、古の真田公のように尊敬されますがなw
>>167

秀康「ふはははは、豊臣打倒はわしも望むところである。ま、退かれよ。尾上も逆上するな。
    ところで、弟は今どこにおるのですかな?」

【秀康は島津側の申し出を受け入れました】
171無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 22:40


         日 本 ブ レ イ ク 工 業   VS   武 田 騎 馬 軍 団

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172宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/06 00:03
一方そのころ、上州岩櫃では…

山麓中腹の岩櫃城に籠もる猪俣勢(五百)対し、宇喜多軍(九千)も万全の態勢で
包囲を完成させていた。

西山「…山の中程に見えますのが本丸に御座る、そして、あの堰き止められた川の
    向こう、ここからでは見えませぬが、どうやらあの辺りにも敵の兵が伏せている
    気色に御座る。」

宇喜多陣中の物見櫓では各家の使者を招き入れ、戦況分析が行われていた。
加藤家侍「ふ〜む…しかし、一度は廃城(前スレ578)となった岩櫃城を最低限とは言え
       修復した手際の良さと言い…」
堀尾家侍「近くを流れる川を堰き止めた工事(前スレ613)と言い…」
生駒家侍「天正十八年の主家滅亡より十余年、所領も持たぬ猪俣風情が単独で出来る
       事ではありませんなぁ…」
中村家侍「左様、左様、後ろで糸引く誰ぞの影が見えますなぁ…」

互いに目配せし、頷き合う使者達
長船「事の次第を貴殿等の主にも、よろしくお伝え下され」
使者「見聞きした事を報告すれば、当家は早速にも援軍を出す事に御座いましょうぞ」

宇喜多宣言(前スレ614)の確認に来た使者達が得心(?)し、各家より援軍が出ました。
加藤家より加藤清正が五千六百名を率い江戸城に向かいます
堀尾家より堀尾忠氏が二千百名を率い江戸城に向かいます
生駒家より生駒一正が千九百名を率い江戸城に向かいます
中村家より明石景行が千八百名を率い江戸城に向かいます
(宇喜多派閥連合軍総数一万千四百名)

田中家に密使が向かいます。
173無名武将@お腹せっぷく:03/11/06 02:42
オナニーレスつけた後は石田を罵倒。おめでたいことだ・
174自意識過剰:03/11/06 21:56
125 :岩見重太郎 ◆JAL.PfQg6Y :03/11/01 00:11
>>123

まあ、もちけつ。

真田殿は、宇喜多殿と漏れのカキコ待ってんのよ。
忍者の強さと、一揆衆の知ってる事に関して。


175いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/07 02:36
茶屋での続き

真田忍び 石河様はどう動かれるおつもりにございましょう。
石河宗林 そうよな、京都回復の兵には付き合うつもりよ。
忍び 伺いたいのは・・・
石河 ははは、わかっておる。宇喜田殿に同心するが豊家の臣としての務め。
忍び 我らに勝ち目は万に一つもありませんな、それでは。ははははは。
石河 何を言うておる。真田家にも勝つ手はあろう。
忍び お教えいただけますか。
石河 勝つ側に立てば良いのよ。上野に背後より攻め寄せれば勝てよう。
忍び 兵数の差は・・・・
石河 勘違い召されるな。豊家の臣としての務め果たせと言っておる。
忍び !!
石河 そうよ。一揆討伐の側に立てばどうだ。城も簡単に落とせよう(w
忍び しかし・・・・
石河 上野での民の信用は失うであろうが、首謀者の口がふさがれれば、言い逃れもできよう。
忍び 酷薄にございますな・・・
石河 宇喜田公も、真田家の出兵に否やは申せまい。いや、関白殿下に許可を求めればよい。
忍び 早速、御館様にお伝えいたします。
石河 遅ければ、諏訪より当家も押し寄せる。戦場では会いたくないものよ。
忍び これにて御免。
【波乱はありましょうが(w 真田さん、早いところお戻りを】
176無名武将@お腹せっぷく:03/11/07 22:16


         日 本 ブ レ イ ク 工 業   VS   武 田 騎 馬 軍 団

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177石田三成 ◆wSfU4SmFXA :03/11/07 23:48
突然三成は兵を引き連れ大坂城を後にする事にした。

三成「小西殿。石河殿。大谷殿。某は有馬へ行く事に致す。
   この体を蝕んでいる病が体をむしばぬ前に。。。
   とめて下されぬな。某の大きな仕事は終わった。豊富の
   天下は1000年続くであろう」

三成はそれだけ言い終わると兵を引き連れ有馬へと向かいました。
この後、石田三成が歴史の表舞台に出てくる事は2度と無かった。
家臣の新蔵とお君の婚儀の仲人を寝床で勤め、有馬、伊豆にて
養女たちと共に静かに幸せに暮らしたと伝えられている。
享年は本人の意思により定かにされてはいないが、自らの死を
豊富政権を守るために自らの死を隠したのであろうと伝えられている。

関が原で徳川を打ち滅ぼし、無欲を最後まで突き通した石田三成。
歴史の表舞台から姿を消しても豊富の権勢の中で彼の名は永遠に
語り継がれる名であったことは間違いないであろう。
178石田三成 ◆wSfU4SmFXA :03/11/07 23:52
>>171 豊臣家は関が原の数年後豊富家とも呼ばれていた。
詳細は定かではない。
179上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/08 03:20
ばかうけw
180長曾我部盛親:03/11/08 23:22
(伏線でも作っておく)

土佐を任された桑名は、伊予に向かった。

桑名「…渡辺殿。右衛門殿の命により伊予の諸軍事監察する。」
渡辺「何を言うか。増田家の政を他家にまかすなぞできるか!」
桑名「タワケ!伊予という地にありながら、水軍も束ねない、要地を治めない。それでは豊家に
   奉公している奉行の家臣にしては無能と謗り受けてもやむなしだろうが!」
渡辺「・・・では聞く。長曾我部家は当家に害無しと誓えるか。」
桑名「増田様は大坂で忙しい。その手助けよ。」
渡辺「おい、害なしかと聞いておる。」
桑名「害はない(にやり)」

【長曾我部家、伊予諸軍事権獲得。】
181無名武将@お腹せっぷく:03/11/09 16:59
窮地に追い込まれるとさっさとスレから逃走

182岩見重太郎:03/11/09 21:22
          ,,―‐.                  r-、    _,--,、
     ,―-、 .| ./''i、│  r-,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,―ー.    ゙l, `"゙゙゙゙゙ ̄^   \
    /   \ ヽ,゙'゙_,/   .゙l、         `i、   \ _,,―ー'''/  .,r'"
.,,,、.,,i´ .,/^'i、 `'i、``     `--‐'''''''''''''''"'''''''''''゙     `゛   .丿  .,/
{ ""  ,/`  ヽ、 `'i、                        丿  .,/`
.ヽ、 丿    \  .\                      ,/′ 、ヽ,,、
  ゙'ー'"      ゙'i、  ‘i、.r-、      __,,,,,,,,--、     / .,/\ `'-,、
           ヽ  .]゙l `゙゙゙゙"゙゙゙゙ ̄ ̄     `'i、  ,/ .,,/   .ヽ  \
            ゙ヽ_/ .ヽ_.,,,,--―――――ー-ノ_,/゙,,/′     ゙l   ,"
                 `             ゙‐''"`        ゙'ー'"


183 ◆zAnbFVoD9M :03/11/09 23:05
・・・だから何時になったら毛利はウゴキマスカw?
流れ的につぶさんわけにはいかんのやけど。

>>180

大坂に拠る長盛に書状が届く。

増田  「(・・・何をするか読めんのが恐ろしい。だからといって戦ではわしに
     勝ち目はなし。だから国許の整備に全てを賭けた。民の支持があれば
     少々のボロは跳ね返せるもの。もともと四国それぞれが特徴ある国、
     自立心さえあればわしの器量云々より土佐者なんぞに・・・という反骨
     の心が勝る筈。・・・つーかそう考えないとおっそろしくて隣で寝ることも
     できん。了だけで戦が勝てるわけもなし。さて・・・)」

渡辺へ
      土地鑑も土佐の連中には適わんし、兵力でも自力でも無理。水軍自体は
     わしらもそこそこやれるし土佐衆にどうこう言われるでもないがことこの伊予
     の水軍衆はかなり厄介そうだ。やらせておけ。不安なら兵の訓練やなんやら
     してもいい。刺激や挑発でもしない限り土佐がここで動くことはあるまい。
     右衛門尉花押
増田  「(・・・あくまで今の状況だがな・・・)」

【増田、長宗我部の行動を事実上容認】

      
     
      
184長曾我部盛親:03/11/09 23:30
>>183
ありがと。

桑名は迅速な指示を出す。
桑名「豊家の指示である。水軍衆の頭は従うように。」
菅「確かに豊家の指示である。」

桑名「おそらく、伊予はこれで…」
菅「しかし、因島がどう動くか…」
桑名「讃岐しだいでしょうが…ほぼ瀬戸内は握ったと考えてよろしいかと。」
菅「…三ツ星も動けまい。逆に九州諸侯は動きやすくなったという訳か。」
桑名「ここで動けば破滅なことは解っているはず。」
菅「確かにな。山陰・山陽で台八車を転がすのも手間が要るな」
桑名「駄目押しいたします。この書状を菅様名で…」
菅「ほう。宮内少様も芸が細かい…」

大坂表宛書

瀬戸内の封鎖にたる勢力を長曾我部家用意いたし候。
讃岐は寄り親大谷刑部少の意向あれど、長曾我部家意向甚だ大なれば従うべしと心得る。
尚、九鬼家諸軍を淡路に向けるべし。

菅弾正。花押

桑名「豊家直参ですからな貴殿はw」
菅「…太閤ご恩は忘れていないが、西国筋を巻き込む戦乱はごめんじゃw」
185いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/10 00:52
>>102で関白殿下許可のもと、九鬼などの水軍を大坂水域の守備につけていますぞ。
長宗我部様と水軍衆の働き、期待大です。
淡路に九鬼さんを送るのに反対しませんが、毛利様の兵が大坂近くにおりますので、
毛利様の動きを待ってからにしていただけますか。
186上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/10 17:50
1603年秋、石田三成挙兵、小西呼応に端を発した騒乱は、
関白の大激怒を招いたものの、石河の取りなしもあり最悪の事態は免れたかに見えた。
しかし、石田の挙兵に前後する形で上洛の軍を発した上杉景勝が、同じく上洛途上の毛利の支援を受けた京奉行に襲われたことで、情勢は急展開。
怒り心頭に発した上杉景勝は全国の将に毛利打倒の激を飛ばし、これに呼応する形で佐竹ら親上杉諸大名も兵を挙げ、大挙して上杉の待つ大坂に向かった。

これに対して、関白と執権の関係正常化を企図する石河らは、在坂諸大名総出による京奉行討伐戦を提案。
宇喜多を主将とする討伐軍がすぐさま編成されたほか、これまで不気味な動きを見せていた長宗我部もこれに従う構えを見せた。
こんな中央政界の事情をあざ笑うかのように、毛利は自慢の水軍に瀬戸内東上を指示。
上洛途中の軍も依然東進を続けたままだ。詳細は不明だが、誰もが毛利対豊臣の戦になることを予感していた。
また、島津ら九州諸将も不気味な動きを見せ始めていたほか、上州では、一揆討伐戦が進行。結城は動乱を前にひとり謎の笑みを浮かべる。
諸将の思惑が幾重にも交錯する中で、毛利の動きに注目が集まっていた。
(・・・まとめてみたけどさ、結局、毛利次第ってことw
 毛利、スレ主宰者なんだから、責任もってでてこんかーいTT
このままじゃ終わるぞ)
187織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/11/10 18:22
>>177
石田三成が城から発とうとすると大手門の前に馬に乗った秀信が一人待っていた。

三成「これは尾張中納言様」
秀信「どうしても政務は取れぬか」
三成「とめて下されぬな」
秀信「そうか‥‥治部殿、別れにあたって頼みがある」
三成「なにかな」
秀信「隠居するのに大軍はいらぬ。兵を置いてけ」
三成「・・・それは無理な話でござる」
秀信「(近寄って小声で)いま流行の那古屋嬢にそちの身の回りを世話をさせようかと思うたのだか…」
三成「中納言様、兵をお預けいたす」
秀信「あと家督をそなたの嫡子に譲ると一筆も欲しいですなぁ」
三成「それも容易い事」

こうしてわずか供廻りと去っていた三成だがその中に尾張訛の女性が何名かつき従っていたという。

【秀信、大坂石田軍の兵権を掌握。すぐに豊臣家に移譲】
188織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/11/10 18:24
関白殿下へ
 旧石田兵の大将として石田治部の縁者を近江より呼ぶべきかと

佐和山城石田重家へ手紙
 貴殿の父君が領地返上を申し出て何処かへ去った。
 隠岐守入道や木工頭と相談の上へ至急大坂へ来い

佐和山城石田正澄へ手紙
 石田家存亡の危機、手を打たれよ
189宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/10 23:18
備前島宇喜多屋敷

秀家「しかし、治部少が兵を連れたまま隠棲すると聞いたときは吃驚したぞ」
本多「左様で御座りますが、何とか無事に明日の出陣を迎えられそうです」
薄田「これも尾張候の機転のお陰ですな」
秀家「うむ、まことよの」

『征討軍』
先鋒→石田家(主将石田重家、副将蒲生郷舎  兵数二万)
    小幡軍主力と戦闘予定      
本隊→宇喜多家(主将秀家、副将薄田兼相  兵数千五百+三千+五千)
    豊家の旗を掲げ、ひたすら示威行動(w
右翼→織田家(主将織田秀信  兵数六千)
    御所等と公家屋敷を警護(豊家に非協力的な公家屋敷は無視)
左翼→小西家(主将小西行長  兵数八千)
    西国街道の守りと、追撃軍として待機
190宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/10 23:21
備前島宇喜多屋敷

秀家「さて、小幡攻めが終われば次は毛利であろうのう」
本多「御意、されど毛利攻めの前に…」
秀家「うむ、真田の事よの…兼相はどう思う?」

岩見殿ターン
191上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/10 23:58
征伐軍が編成されたころ、避難を理由に景勝は伏見に住まわされていた妻・甲斐御前を大坂屋敷に呼び寄せた。
また、大和方面に進出していた12000もすでに大坂に到着。
大坂城留守居を命じられた景勝の元にあった。
景勝は矢傷や刀創が思いのほか重く、屋敷にて安静していた。

豊臣秀鏡は、日に一度は、上杉屋敷に見舞いにきていた。
冷や飯食いを強いられていた彼にとって、上杉は明日への希望の象徴であった。
上杉にとってもそれは同様であった。

一方、佐竹軍二万、会津軍四万、東北軍一万らはぞくぞくと白河の関にて集結。
関東に入ろうとしていた。また、武田信清率いる甲斐義勇軍一万は、信州上諏訪に到達。
武神・諏訪大明神に必勝祈願を行った。
武田氏ほろびて早20年以上とはいえ、武田ブランドの名は衰えを知らず、この地でも大歓迎を受けたという。

【上杉軍はねてます・もういいかげん引っ張るところまで引っ張り尽くした感があるなw】
192石田正澄 ◆SCk4/SqenA :03/11/12 01:38
石田家の残軍のうち、1万を率いて琵琶湖を京に向った石田正澄。
大津に上陸し、兵を整える。
蒲生大膳、河瀬織部、杉江勘兵衛、千田采女、佃宗右衛門などを配下とする、石田家の精兵である。
関白秀秋殿に書状にて動向を伝えつつ、京を伺う。
193宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/13 01:14
…征討軍出陣の日…

この日、大坂の街は熱狂に包まれた…人々は久々に観る豊家の軍装の華やかさに
胸躍らせたのである。

ドン、ドドッドッ、ドン ドン、ドドッドッ、ドン…勇壮な太鼓の音に合わせ、美々しく着飾り、
隊伍を整えた軍勢が意気揚々と進む。
豊家旗本衆の中から選び抜かれた偉丈夫達(見栄え重視)が、天にも届けと桐の旗を
高々と掲げて行進する。

光り輝く千成瓢箪が辺りを金色に染め、白銀の南蛮甲冑を身に纏う秀家が悠々と馬を
進ませる。
付き従う軍勢(宇喜多兵)は装束を黒一色で統一し、飾り気の無い実用一点張りの当世
具足に身を包む。
其処には、勇敢である事を何よりも好む指揮官の美意識があった。

隊列が大坂城正面に差し掛かった時、秀家が片手を挙げる。
秀家「秀頼様に敬意を表す、皆、鐙外せ!」
本多「全騎、鐙を外しそうらえ!」
伝令「各々方、鐙を外し召されぃ!」
武者達は鐙を外して馬を歩ませ、彼等の主人(秀頼)に最高の敬意を捧げた。

【都に向け、征討軍が出陣しました】
194石田正澄 ◆SCk4/SqenA :03/11/14 11:17
大津に陣を敷いた石田軍1万は、次々と大量の米を荷揚げした。
大津路・粟田口近くに五千を進め、青蓮院を間借り(七口の外です)し、
その地で京の民への米の配給を始めた。
京の米価は再び高騰をはじめており、京を封鎖し、
そして戦の原因を作った京奉行と毛利家に対し、民は大きな不満を持っていた。
石田家の名声が大きく上がったのは言うまでもないことであろう。
石田兵五千の接近に、傷つき、兵数も減らしている奉行軍は動揺を見せた。
毛利家の兵は、本家の救援があることを信じ、それでも持ち堪えてはいたが、
豊家の兵で京の守備についていた者どもの動揺は大きなものであった。
さらに、千成瓢箪を掲げた豊臣軍が大坂を発したという話も伝わるに及び、完全に恐慌状態となっていた。
また、二千ほどで京の全ての出入りを抑えられるわけもなく、京洛内との連絡も取れ、
豊臣の兵は、大徳寺に入るよう指示を出した。それに応えた兵数は三百を数え、まだまだ増加中という。
京の市中では町人から悪し様な言葉を投げかけられ、兵数が減少し心細さを増すばかりの小幡軍であった。
町人の石田方への人気。そして数万の兵を繰り出した豊臣家に、朝廷も恐怖を受けていたことは間違いない。

京都回復は今回の騒動の単なる一局面に過ぎない。
二百万石を超える毛利が、矛を収める様子もなくただただ静観しているのも不気味である。
関白・石河ラインが出した書状は、秀就の人質化、さらに毛利領の相続に関し、豊臣家が指図するというもの。
かつぐ神輿を奪われることを、簡単に肯んずるとも思われず、まだまだ予断は許せぬ状況である。

石田家・大津方面軍1万 
うち五千は前進し、鍛冶池周辺と青蓮院に駐屯。指揮は蒲生大膳、河瀬織部。
残る五千は大津にて後方待機。指揮は石田正澄。

関白秀秋様に書状で状況を説明し、指示を待つ。
宇喜田殿に書状で状況を説明し、連絡を待つ。

(北政所様は、確かお茶会で大坂でしたっけ。本願寺さんあたりとお茶していたような記憶が・・・
京都におられないのはとても助かります。質にされては手が出せない・・・)

195石田正澄 ◆SCk4/SqenA :03/11/14 11:22
ちょっと訂正
蒲生頼郷・大膳父子と、父も加えます。父あっての大膳ですな(w
196さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/14 19:29
朝廷は蜂の巣をつついたような大騒ぎ。
しかし……。

洛中某所

○科言経  粟田口からの石田兵は万を越ゆるとか。こら、あきまへんなあ。
鳥丸○宣  さよう、はや毛利軍はおしまいでっしゃろなあ。
広橋○勝  近衛公から聞きもしたけど、薩摩も兵を出して上ってくるそうな。
○修寺光豊 はい。大友の隠居にも確かめとります。
日野○資  ……毛利は東と西から挟み撃ちですかのう。
広○兼勝  おやおや、それは気の早いお言葉……。
土御門○脩 しかし……、仮に毛利が朝敵として討伐された場合、その後をどう致します?
日○輝資  ?
土○門久脩 はあ、豊臣上杉は京から賊を追い払った忠臣となります。当然官位のことを……。
○野輝資  !
土御○久脩 関白内大臣秀秋公を従一位太政大臣、中納言景勝卿を従二位権大納言に……。
烏丸光○  これは……、かねてからのお話をすすめねばなりませんなあ。
山科言○  では伝奏の広橋さんに……。
○橋兼勝  (やれやれまた大坂か)まあ洛中の騒ぎが収まりましたなら。

秘密会議につき、一部伏せ字でお送りしております(w
197織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/11/14 19:43
>>193
宇喜多が黒ならば織田は赤であった。
ただ宇喜多隊士ほど全将兵の装備は統一されてなく
秀信率いる本隊のみが赤を基調とした具足を身につけていた。
赤地に黒で染め抜かれた木瓜紋の旗がそれに沿う。
近習の池田由信が馬上で秀信に尋ねる。
池田「全隊の装備が揃ってないままでよろしいので?」
秀信「当家は御所の警備だ。総大将ではない。通常の軍装で結構」
木造「(これで普通かよ…)はっ」
本多「華は大将の宇喜多公の担当でござるからなぁ」(宇喜多家の本多とは別人)
秀信「森殿、細川殿ここで貴殿らが功あれば再び諸侯に返り咲かれようぞ」

【織田隊六千、客将として細川興秋親子・森忠政として参戦】
198さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/14 19:54
さて、割とまったりしている上級公家(土○門だけは格下かな)と比べて、若手はというと……。

これも洛中某所

ドンチャンドンチャン。

花○院忠長 酒じゃー、酒持って来おい。
烏丸光広  ふふっ、これが石田治部お気に入りの桃色どんぺーりか。
飛鳥井雅賢 ふん、所詮は新しがりの武家の好みやのう。やはり酒は米に勝る物なし。
花山院忠長 酒も良いが女じゃ、女。
猪熊教利  いつもいつも遊び女ばかりでは興がないからのう、今宵の女は良いぞ。
飛鳥井雅賢 ほう、見せてもらおうではないか。
猪熊教利  ようし、(パンパン)。

ガラガラガラ

花山院忠長 !!!
烏丸光広  ほう……。

つづく?
199さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/14 19:56
しまった、実名が出てしまった。
まあいいか。
200さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/14 20:35
そして、最も深刻な顔をしているのはこの三人

三たび洛中某所

九条兼孝 どうやら院が上杉の後押しをしているようだな。
二条昭実 院も上杉に力をつけさせたいのだろうか?
鷹司信房 いや、院にそこまでのお考えはあるまい。
九条兼孝 しかし院のなされようは、かつての後白河院のようじゃな。
鷹司信房 ……。
九条兼孝 二の矢とするには毛利は豊家に近すぎた……。
二条昭実 やはり坂東武者か……、源平の再来じゃな。
鷹司信房 近衛の力を借りねばならのか。
二条昭実 悔しいが、そうじゃな。近衛親子は上杉と……島津にも顔が利く。
九条兼孝 しかし、今一度源平を起こさねば、我ら藤原家の……御堂関白様以来の摂家の威信を……。
二条昭実 関白……職……。

連続カキコ失礼アンド200ゲット
201禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/11/14 21:43
【禁裏】
(大坂方の洛中出兵で、毛利を担いだ禁裏側は瀬戸際に立たされていた。)

某公家A「これは、いけませぬ・・。」
某公家B「さすがに、麿らのもくろみは、うたかたと消え去るので
    おじゃろうか・・。聖上にこれでは申し訳が立たぬ。
    しかし、種仁様を擁立したのは、間違いでおじゃったか・・。」
某公家B「しっ。誰が聴いておるかわからぬ。うかつなことを口にするで
    ない。錦の御旗はいまだ、こちら側にあるのじゃ。」

【帝側の公家はとりとめないやり取りに終始。w】 
202いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/14 22:07
【石河宗林】
石河家として、石河貞清と兵500を京都攻めのために出兵。
とはいえ、他家の後方よりゆるゆると(w

その頃信濃諏訪では
武田の旗に対し拒否反応を示す者も少なくなかったが、それらを押さえ歓迎とも取れる迎え方をした。
食事を用意し、休息のための宿も用意し通過を許した。
諏訪にて兵3000のみを動けるようにしていたが、さらにさらに5000を動員。
和田に兵2000を置く。残る3000は深志と大町に置き状況を見る。
他の城にもそれなりの手当てをしつつ、真田家と宇喜田家の動きを待つ。
203いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/14 23:21
石河家より宇喜多様に書状

当家より兵500を京都に向けお出しいたします。
何かありました時にはお助けいただきたい。
204宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/14 23:56
>203石河家に返信

安んじて参陣あるべし!
205長曾我部盛親:03/11/15 22:20
(さて、どうするか…)

盛親「菅殿。因島にちょっかいだしてみーや。」
菅「彼の地は村上水軍の…」
盛親「だからよ。因島がわが手に下れば、そのまま瀬戸内は我が家に落ちる。」
菅「同時に…毛利の戦意無しを示せるという訳ですかな。」
盛親「毛利も出張った割りに、お家大事か。示せる妥協をするには瀬戸内がな…」
菅「わかりました。宮内少様にはお手元の水軍全て預からせてもらいます。」
盛親「一時、商は麻痺するのー。やむなしか」

【長曾我部家、瀬戸内を封鎖。続いて因島包囲。並びに因島へ書状】

書状

素直に明け渡せw
このままでは、「長曾我部家」も桐に従うぞ
206長曾我部盛親:03/11/15 22:41
淡路

長曾我部水軍の長、池は盛親の指示を受け取る。
(うむ。封鎖か…さて九鬼様の助力を受けねばならんな。)

池「九鬼様。大坂湾は封鎖せねばいけませぬな。」
九鬼「あの餓鬼、少々痛めつけねばならんか。」
池「血気にはやっても益がない。」
九鬼「ほう…」
池「ここは潮が厳しいので、船舵は当家の船師が承りましょう。」
九鬼「それは、助かる。」

【九鬼水軍、大阪湾封鎖w】
207 ◆zAnbFVoD9M :03/11/15 23:38
こねたでしのぐべ。
しかし年末になると今度はおいらもかきこ減るんやけど・・・。

【丹後〜丹波】

朱色に染められ胴には小金に光る千成瓢箪。兵数一万弱(実数兵六千)の行列にも
関わらずその派手さに周囲のものは度肝を抜かれた。そんな中に黒を基調にした目
立たぬ鎧で固められた百足らずの足軽。手に手に長槍を引っさげ明らかに他の兵と
一線を画す猛者ども。その中央に屈強な男が一人。傍にはこの隊の総大将が馬上で
会話。

脇坂  「丹波口より北から京へ。もっとも大半は丹波で逃げ来る小幡の残党狩りが
     主よ」
塙    「つまんねぇですな」
脇坂  「わしとてそれを黙ってするだけの使い男にはなりとうないでな。だからそなた
     を副将で呼んだ。奇襲、鉄砲などに秀でると聞く」
塙    「いんや。おれの得物はこの槍と杯ですぜ、気のせいでねえですかい」
脇坂  「(殿が雇った浪人はどいつも性格に・・・まぁいい・・・)戦いたい性分は理解し
     ておるつもりよ。だからそなたの隊を京へ放り込む」
塙    「百で三千弱とやりあえってことですかい?」
脇坂  「周りは豊家の十万が囲む。随時各家から兵が送られることになろう」
塙    「そりゃまずいみてえですな」
脇坂  「流石に気後れか?」
塙    「ええ。ものの数刻もありゃあ三千なんぞおれだけで皆殺し、下手うって豊家の侍
     もまとめて斬っちまうかもしれんので」
脇坂  「・・・」

【加賀羽柴軍、進軍中】
208石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/11/16 00:51
目立たぬ甲冑の兵500が宇喜多隊の後方をゆっくりと進む。
石河と家臣・下石頼安が馬上並びつつ会話を

下石 殿、殿が兵をお出しになるとは意外にございますが。
石河 はは、商売だけではなまるでな。
下石 一つだけお伺いしてようございますか。
石河 何だ。
下石 殿はどうしてここまで豊臣家にこだわり忠義立てされるので。
石河 そうだな、太閤殿下がわしを認めていたからだな。
下石 代官としてでしょうか。
石河 飛騨と木曽の材木。信濃の蔵入り地。領地も過分なものをいただいた。
下石 わかりません。もともと殿の家は、美濃にて12万石の領地をお持ちであったはず。
石河 鏡島の領地か。わしの領地が12万石。弟に1万2千、兄上に5万3千石。過分であろう。
下石 さほどの加増にも思えませぬが。
石河 ははは、では本当のことを申すか。殿下はな、ワシの商才を愛してくれた。
下石 ???
石河 商売をな、褒めてくれたのだ。それだけよ。木曽の川筋の影響力も認めてくれた。
下石 わかりませんなぁ。
石河 まこと、商売を褒めてくれたのが嬉しかったのだ。真実、それだけよ。
下石 殿は不思議なお方ですなあw
【石河主従、京へ】

大坂城本丸には光元と貞政が1000の兵と残っています。
209宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/16 01:25
征討軍各隊へ早馬が走ります

羽柴隊(脇坂)へ
山陰方面をお願い致す。

石田隊(重家)へ
戦機あらば何時でも戦端を開かれよ、初陣のご武運を。

石田隊(正澄)へ
洛外への手当をお願い致す。

織田隊へ
御所・院の警護(掌握?制圧?)をお願い致す。

小西隊へ
山陽方面をお願い致す。

石河隊へ
洛中への手当をお願い致す。
210大谷吉継 ◆I.8nk3m2zM :03/11/16 11:13
やること無いので、斥候飛ばします(笑

吉継「上方も風雲急なり」
戸田「いかがなさいましょうか」
吉継「毛利の動きを調べよ」
戸田「はっ」
吉継「兵糧を買い入れておけ。もし余るなら上へ送り届けることも出来る」
戸田「財政が厳しくなりますぞ」
吉継「良い。豊臣あっての我が家である。
   それに…佐吉に余計な心配をさせたくない。ゆっくり養生して貰わねば」
戸田「治部殿は引退するそうですが…」
吉継「佐吉以外に誰が今の日ノ本を差配できようか」
戸田「…」
吉継「此度の戦、見ものだな」

【大谷家、マターリしています】
211上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/16 21:39
大坂城・
宇喜多らの出征を見送った後、上杉景勝は体調不良を押して、登城。関白・秀秋公に面会する。

景勝「此度は、わが願いを聞き届けていただき光栄のきわみ」
秀秋「うむ」
景勝「秀鏡様をわが養子に恐れ多くも迎え入れる手はずが整ったこともまた、感謝のしようもございません」
秀秋「貴公の忠義を思えば当然であろう。これで加賀家と上杉家は親戚。これからも豊家のために尽くせよ」
景勝『御意にございます。ところで、、、某はこの年まで世継ぎを作らなかったわけですが、これは大変な失敗でございました」
秀秋「ほう」
景勝「関白殿下もまだお若いとはいえ、世継ぎがおりませんな。先々のこともなるべくご考慮いただくことが天下の安寧につながるかと」
212長曾我部盛親:03/11/18 23:12
(病休前プレイ(苦笑))

盛親は体調が優れない…
大酒飲みが良く陥る飲水病。その自覚を感じていた。

盛親「(関白より先に逝ってしまうかもしれんな。)」
盛親は重臣達を招集した。

盛親「ワシは療養に入る。ここに少兵輔に取次ぎを任せる。」
中内「情勢緊迫のなか、殿が静養止むなしとは…」
盛親「くれぐれも言っておく。当家は四国の太守たる家。指針を残しておく。
   …ゆめゆめ.従うように。」
重臣「は。」

長曾我部家指針

当分、西国筋の動きに関しては、静観第一。
水軍動きを要すれば、現状維持にかかるべし。

ただし、桐が掛かる時は、全力で三つ星を影で援助すべし。
三つ星を消す次第は避けよ。

京のお歯黒衆絡みの時は、
貴筋たる家を後援せよ。ただし我家は「始皇帝」の末裔たること心得よ。
213 ◆zAnbFVoD9M :03/11/19 21:39
(; ´∀`)イツニナッタラモウリハ(ry

>>211

秀秋  「・・・なに、あと五年もあれば本道になろう。我ら加賀家はその補佐さえ
     できればあとはどうにでもなる」
景勝  「それは・・・」
秀秋  「弟が継げば血がなくなることもなし。それに木下は兄が継いでおる。主馬
     等の家臣は又豊臣直臣としてそれぞれ土地をもらえばいい」
景勝  「・・・」
秀秋  「得物もすっかり働かなくなってどれほどになるかな。用を足すことでさえ
     酒を断ってからはすくのうなった。加賀家がなくなっても家臣も驚くまいよ」
景勝  「ご冗談を」
秀秋  「・・・ま、それはそれで。養子云々については色々他からも言われてはおる。
     土佐は毛利の倅・・・今は大名殿らしいがな・・・をもらえといった。主馬は兄
     貴を、津軽の連中は・・・まぁ、津軽の都合の良さそうな男を連れてきておる」
景勝  「・・・ほぉ・・・」
秀秋  「会津殿にもこれはという者はおりますかな?張り合わせるも一興(けらけら」
景勝  「・・・」
秀秋  「女酒なき今楽しみはそれを勝手に楽しむのが日課でしてな(けらけら」
景勝  「(・・・やはり頭に異常がでておるのやもしれんな・・・)」

適当なところで上杉さんへパスw 
214上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/20 04:12
(続き)
秀秋「はりあわせるものがいますかな?ゲラゲラ」
景勝「・・・意中の者はおりますがな。今はまだ資格無しといえましょう」
秀秋「ゲラゲラゲラ、さようか。して、その名は?」
景勝「まだ資格なしですから、もうしあげられませんな。ところで、今、天下で立場の危うい有力大名といえば、毛利、上杉、そしてもう一つ・・・」
秀秋「佐竹か?」
景勝「ああ、それをいれると四つですな」
秀秋「ぬ、ならどこじゃ」
景勝「加賀豊臣家」
秀秋「ぬ!」
景勝「毛利が滅びれば、残る害毒は上杉だけだと愚か者どもはさっそくいきまくことでしょう。
    それとは別にあやつらが邪魔で仕方ない存在といえば、やはり殿下でありましょうな。
    わしの赤心が理解されないのと同様に、殿下自身の澄んだお心を愚かものどもは理解できんのです。
    恐れ多くも殿下亡き後、加賀家の旧臣たちがそのまま直参に格上げされるなどとは思わないことです。
    石田の挙兵に小西が呼応した件、ゆめゆめ忘れないように・・・。あやつらから身を守るためにわれわれは一心同体であるべきなのです」
秀秋「貴公、もしや・・・」
景勝「養子が実家にもどることは多々ありますからな。まぁ考えてみてくだされ」
215毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/11/20 20:38
〜状況〜
 上洛する上杉軍を急襲、大きな戦果をあげたものの、大坂より討伐令が
下り、諸侯が京を囲むことになる。軍略というそれまでになり分野の開祖
を自負する(史実ではもう少し後のこと)小幡勘兵衛はいったい何をちま
よったのかと世情では噂される。

しかしながら京の情勢はそう単純なものではないようだ。
人質の心配をされていた高台院はさいわい大坂におり難をのがれたが、比叡山
では隠居した佐竹右京大夫が不気味な沈黙を守っており、積極的には大坂には
荷担していない。
また小幡配下の兵は多くは京奉行すなわち豊家直属の兵であり、動揺もなく
よく小幡の指揮にしたがっている。
意外だったのは伏見城番の兵1000でる。
彼らは関ヶ原で燃え墜ちた伏見城の修復と警護をかねて伏見付近に駐屯して
いたのだが、小幡の檄に素直に従い行動を共にしている。

これは小幡の調略の成果もあるが、現関白体制への不満も大きいと見える。
京都奉行配下や伏見城番の多くは石田三成を筆頭とする奉行体制の行政運営
としての安定性を認識しており、関白家や大老政治の目指す方向に危惧を覚
えたのであろう。そういう彼らが毛利に従うの矛盾しているが、あくまで京
都奉行として行政の実務に携わってきた小幡に共感したのであろう。
216毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/11/20 20:41
隠密同心「いよいよですな、昨晩はよく眠れましたか?」
 小幡勘兵衛「それがおかしなものよ、枕元に源三位頼政公が血まみれの姿で
       見下ろしている夢をみたわ」
 隠密同心「それは・・・・」
 小幡勘兵衛「目指すものは違っても同じ京で兵を挙げた者同士、一足先に
       迎えに来たのかもしれぬな」
 隠密同心「そのようなことを・・・・」
 小幡勘兵衛「よいよい。生き残れぬことは覚悟の上、交互のことは又兵衛殿
       が良きに計らうであろう、乱こそがそれがしの生き甲斐、華々
       しく散ってみようぞ」
 隠密同心「死して屍・・・」
 小幡勘兵衛「もとより拾うものなしじゃ、しかしなタダではしなぬぞ」
 隠密同心「どこまでもお供を・・・・」

【七口の兵2000全て御所付近に集結】
【瀬田の大橋焼き落とし以降京は軽いパニック状態です。どちらの軍であれ
 歓迎されないでしょう】

【小幡軍に錦の御旗が立ちました。>>52

兵「聖上のお言葉じゃ!逆賊を討ち滅ぼせ!!!」
217さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/20 21:58
>>216
マズイ……。
これはまずい。
下手をしたら御所が丸焼けになりかねんぞ。

鎧の小札がこすれ合う、馬がいななく、旗が風をはらむ、足袋が乾いた土を踏む。
そして、ときの声。
洛中の騒々しさが、静寂を引き裂きながら、大内山にも響いている。
その中を、一輌の牛車が足早に駆けていく。
牛車の主は、九条兼孝。
従一位内覧左大臣、藤原氏の氏長者その人であった。

(洛中の毛利勢は小勢、このままでは犬死にぞ。一体何を考えている?)
(錦の御旗があるからといって勝てるとは限らぬ。承久、元弘の先例もあれば。)
(朝議を開き、その場で主上に勅を取り消して頂くか、新たな綸旨を。さもなくば……。)
(場合によっては主上には叡山にお移り頂く。確か今あそこには右大臣がいるはず。)
(万が一綸旨と院宣が対立すれば……、治天の君たる院の御意向を第一とする……。)

【九条兼孝参内。参議以上の全公卿に召集。】
【ただし右大臣菊亭晴季には、比叡山にて主上をお迎えする準備を指示。】

【小幡勘兵衛に書状、御所周辺からの退去を勧告。また先例を引き合いに出し錦旗返上を暗に求める。】

もっともこの混乱では公家衆は一体何人集まることか。
218毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/11/20 22:27
>>217

小幡勘兵衛「長袖共は今も昔もかわなぬな・・・・」

【朝廷筋に書状】
 数の問題ではありませぬ、きっと聖上のご威光は四海にとどろきましょう
 現に御所回りの兵の多くは豊家の兵。
 今はただ心穏やかに吉報をお待ちあれ。

【御所回りの検問強化】
【今上側強行派(小幡に好意的)なものは通し、曖昧な態度の者は
 退去か軟禁する】
219織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/11/20 22:33
緋縅の鎧に引立烏帽子をつけた青年大名に少しニヤリとする。

ふむ、並みの者なら「うぬぬぬぬ…」と指を加えて引き返すのであろうな。
毛利家の京大将も中々知恵者がおるのぅ。
惜しむらくは世の中に二種類の阿呆がいるということを知らぬことじゃ。
常識で考える阿呆と常識が通じない阿呆。
同じ阿呆なら…と言ったのは誰であったかな。


【親豊臣と目される高級公家数名に早馬で書状。もちろん金を包んでw】
書状要約<毛利に勤皇の志なし。豊臣と織田は悪いように決していたしませぬので是非お力を>
220いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/20 23:17
【石河宗林】
京の動きは、大文字屋を通じ石河に伝えられていた。
古田織部の、武将としての的確な情勢判断も加わり、かなり正確なものが流れていた。
石河 木曽に早馬を飛ばせ。
下石 なんと伝えますか。
石河 木曽の材をともかく切り出せとな。
下石 では、美濃の川衆にも伝えましょう。
石河 察しが良いな。京に使えなくとも、伏見に使えば無駄にはなるまい。
下石 太閤殿下に命じられて伏見まで木材を運んだ日々を思い出しますな。
石河 飛騨を失っているのが痛いな(w
下石 欲の深いお方よ(w
石河 おだてるな、わはははは。
下石 洛中に入るは容易い様子。
石河 わかっておる。兵200を入れ、古田殿の下知に従わせよ。
下石 大徳寺にも兵が集まっております。
石河 そちらは動かさずに守らせておけ。大切な寺だ。
【兵200が古田の指揮下に入った】

石河兵は300に減少し、ゆるゆると進む。
221いし ◆NnBHBM9A.E :03/11/20 23:28
小幡勘兵衛殿に使者
使者口上 御所の門前、警護の者にとめられ、大音声にて
「豊家の臣であらば降られるように致されたい。千成瓢箪を押したて、豊臣家の軍勢が向っておる。
兵に告ぐ。小幡勘兵衛殿は京の奉行として認められておらぬ。関白殿下、石田公、宇喜多公、上杉公が認めておらぬ。
毛利殿のみが命じたのみ。豊臣家は、小幡勘兵衛殿を奉行としてはおらぬ。
降らねば、豊家の敵として裁くこととなる。早々に降り、家名を傷つけぬようにいたすが良い。」
【動揺する内容だと思いますぞ・・・。 兵は現実的であり、その上で降る方に理があります。】
222 ◆zAnbFVoD9M :03/11/20 23:36
モウリキター

【大坂城】

>>214

秀秋  「・・・。ま、それもよかろう」
景勝  「・・・」
秀秋  「わしが死んだ後の世など知らんわ(けらけら。会津殿がどう動くか楽しむも
     一興。どうせ秀鏡に政治なんぞできんしな。主馬にも話はつけておこう」
景勝  「恐悦至極」
秀秋  「主馬は豊家のことも多少は考えようがあとはよってきたものども。後の得と
     なれば・・・丁度隣国同士、あとはそなたの懐刀に任すもいい(けらけら」

そんななか>>216の知らせが届く。錦の御旗の所在も含めて。

秀秋  「知るか。旗ならあとで院宣だしたやつにでも新しく創らせろ。あるいはこちらも
     それ相応の御旗を創って出しとけ。千成瓢箪に歯向かう武家は誰であれ血祭り
     にしてやるだけだ」

【止めるならどうぞ上杉さん(確か上杉は朝廷と親しかった気がするし)】

223さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/21 00:43
廟堂の奥深く、常の御殿。
帝の御前にて九条兼孝は静かに座していた。

(まったく予想通りの反応……。小幡勘兵衛、思うたより大根役者よのう。)

辺りを見回す。この場にいるのは、親毛利派の公家ばかり。それもみな落ち着きを失って青ざめている。
兼孝は改めて上座に向き直った。
「主上様、綸旨撤回の件、改めまして……。」
そう一言念を押して、静かに御前より退出した。

御殿の縁を歩きながら、兼孝は考える。
(御所を焼く……、いっそ丸焼けに焼けてしまうか?)
(構わぬではないか、焼ければまた建てればよい。)
(何を……馬鹿な……。)
(どうせ焼くなら中まで……隅々まで……。)
224宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/21 00:47
【都へと続く街道の宿場】

征討軍の将兵はこの地で小休憩を取り終えた。
武者大将「騎馬の者は、馬の沓を外しそうらえ」
足軽大将「新しき草鞋・足半の紐を締め直せ」
鉄砲大将「鉄砲衆は火縄を切りそろえ、火口に火を熾せ」
旗奉行「よ〜し、各々旗指物を掲げぃ」

手際良く戦闘準備が調えられて行く
秀家「豊家に逆らう者共に情けはいらぬ! 先鋒の石田隊より順次出立せよ」
部将「ははっ!」

えいっおう、えいっ! 掛け声勇ましく征討軍が進む
【征討軍本隊も入京しました】
225さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/21 01:20
その頃……
西園寺派(親上杉)や中立の公卿は、小幡軍のピケ戦術により、次々と参内を阻止されていた。
そこへ、織田家からの書状>>219が届く。

諸卿からの返答

武家のことは豊臣が決めるべし。豊臣が毛利を逆賊とするならこれを支持する。
今や主上、内覧は逆賊が虜なり。これを救い出して、忠義を尽くすべし。
左大臣が主催の朝議を妨害せし小幡が逆心は明らかなり。云々……。

正二位権大納言  藤原輝資(花押)
正二位権大納言  藤原兼勝(花押)
正二位権大納言  藤原光宣(花押)
従四位下左衛門佐 安倍久脩(花押)

そして

「御所にひるがえりし錦旗はつくり物なり。豊家諸軍におかれては心安く洛中へ進まれるとよろしかろう。」

従一位 前左大臣 藤原(二条)昭実(花押)

>>宇喜多公
本陣はどちら?
伏見? それとも東寺?
宇喜多殿遅れてスマソー!

>>190 続き

馬上にて会話が続いている・・・

薄田 「岩見様お一人で十二分でしょうなぁ、それがしを殿の側に置く位ですから。」
秀家 「うむ、一揆は収まったと聞く・・・。」
薄田 「それに・・・」
秀家 「それに?」
薄田 「岩見様は上方で戦が起きるのが分かっていた。
     だからそれがしを殿の側に置いたのです。」
秀家 「ま、まさか。さすがに重太郎といえども未来の事など・・・。」
薄田 「ではそれがしがここに居る理由は?
     岩見様は今回は野戦が起きるであろうと。そこでそれがしです。
     市街地戦なら鉄砲の雑賀殿だったでしょうな。」
秀家 「・・・(絶句)」
薄田 「真田はさすがに岩見様お一人で全滅、というわけにはいきませんな。(諸事情により)
     準備は進めています。ここは真田攻めを準備しておいて、真田が手を出すのを待つのが良策かと。
     いや、真田攻めの大儀はありますが、奴が城から出てくる時が機会だと、岩見殿は言っておりました。」

>宇喜多殿 たーん
227無名武将@お腹せっぷく:03/11/21 20:40
諸事情によって無理なんじゃねーよ
ありえないの。わかれ、いい加減に。
戦がわかってたら、兵を連れて来いや、バカタレ。
228織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/11/21 22:41
秀信「よし細川玄蕃殿、森右近殿に伝えろ。禁裏にて帝を閉じ込めている
毛利勢を倒し囚われの帝らを助けよ。救出を第一の目標とせよ。」
客将として織田の一手をそれぞれ率いてる森・細川親子に指示を送る。
それぞれ副将として織田家臣の津田昌澄・織田九右衛門がつく。

細川興秋「ときは今」
津田昌澄「天が下しる五月かな」
細川興元「コラ!皐月でも無いのに暴言を吐くでない。行くぞ」

森忠政「おぬし、背後に気をつけろよ」
織田九右衛門「はっはっは、拙者はおなごにしか背後を取られませぬ」

余談だが後に九右衛門は女に刺殺される。かぶき者らしい最後であった。
禄は四千石。母が織田氏。秀信のまた従兄弟にあたる。妹が忠政の室でもある。

【織田の先手二千が毛利兵に最終勧告の上、攻撃開始】
【石田重家に伝令「兵を一部こちらへ向かわせよ、敵を包囲して一匹足りと逃さぬようにな」】
【宇喜多本陣・大坂城に>>225を伝える使者を「錦の御旗は偽者・毛利兵、御所を楯に」】
229さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/21 23:19
御前を退出した九条兼孝は、控えの間にて硯に向かう。
しかし、しばらく考えて筆を止めてしまった。

(どうせ小幡に中身を覗かれるのだ。やめておこう。あとは弟達がうまくやってくれれば……。)

【九条兼孝、軟禁状態。】
230宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/21 23:51
>>226
秀家「うむ、儂も真田から戦を仕掛けてくるのを待って居ったのじゃが…
    我等に大義ありといえど、宗家は毛利との大戦を控えておる、
    ここで儂が真田との戦で疲弊すれば毛利が喜ぶだけじゃし、何より
    時が惜しい。
    真田が豊家の裁きに従うなら、無理に戦をせずとも済むのじゃが」
本多「左様ですな、誰ぞに仲立ちでも頼みますか」
秀家「されど、真田が裁きに従う保証も無い、何時でも戦できるよう心せよ」
薄田「承って候、真田攻めでは我が沼田勢の働きを存分にお見せ致しましょう」
秀家「うむ、期待して居るぞ」

伝令「申し上げます!織田様より早馬が届き、…(>>228)…と」
秀家「うぬぅ、小幡め!御所が貴様の墓となろう、各将に伝令じゃ!」

征討軍行動
宇喜多隊→本陣をお土居の中(洛中の大寺院?)へ
石田(重家)隊→聚楽第跡地まで進軍

織田隊へ伝令
御所の被害もやむなし…
石田(正澄)隊へ伝令
洛中まで兵を進められたし
小西隊へ伝令
戦場へ急がれたし
石河隊へ伝令
勧告が済めば早急に本陣に移られたし
231さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/22 00:37
洛中に兵を進めた宇喜多勢のもとへ、公卿衆も相次いで陣中見舞いに訪れた。
中でも一番の大物は、醍醐三宝院門跡義演大僧正と前内大臣鷹司信房の兄弟であった。
彼らは、応対の武士や、同じように陣中見舞いに駆けつけた公家や町衆らにあることを触れ回っていた。
「錦旗は毛利がこしらえた物なり」「しかし、毛利にはまことの勅命が下っている模様」
義演と鷹司は面会順番待ちの間も活動している。

>>宇喜多公
面会キボンヌ
それから本陣は洛中最南端の東寺がよろしいかと。
232上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/22 01:58
そのころ

会津残留上杉軍4万を中核とする北関東、東北連合軍7万白河の関に集結。
総大将に直江山城を仰ぎ、南下を開始する。

直江挨拶
「いまこそ、三年前の会津会盟の真価を発揮するときが来た!われら東北諸軍、全力を上げて逆賊毛利を討つ!!」
諸将
「おおおお!!!」
直江
「まずは関東に進出し、中仙道を進んで我らが盟友・真田公との合流をめざす。大坂に入った暁にはわが主君の下に奥羽諸侯の威力を天下に知らしめようぞ!!」
諸将
「おおおおお!!!!」
直江
「いざ、出陣ぞ!!」
【当然のことながら、直江らは真田と宇喜多の揉め事については一切耳に届いておりません】
233上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/22 02:18
同じ頃
大坂城
上杉「松野殿を当家に・・・。なかなか面白い話では、ありますな」
(中略)
秀秋「新しく旗を作れ!」
上杉「公家の皆様方は愚かにもワシと毛利を同列に扱ったうえ、さらに無礼にも両者を天秤にかけ、痴れ者ゆえに毛利に味方するという爆裂愚か者ぶりを示しました。
    すべては京の皆様方の邪な心のなせる業。ワシの上洛は、野心家どもの本性を映し出す鏡であったわけともいえましょう」
関白「うむ。錦の御旗はあとでつくらせればよいわ」
上杉「このような浅はかな振る舞いを、帝が指示したとはおもえませんな。そもそも、関白殿下の承認なくして錦の御旗もなにもあったものではありません。
    偽天朝軍どもは存分に討ち果たすべきです」
関白「当然よ」
上杉「ただ、、、宇喜多殿では荷が重過ぎるのも事実。仮に任を果たしたとしても、武家が横暴を働いたと思われないとも限りません。義を示すため、ここは関白殿下か秀頼君のご親征あるべきかと」
関白「うけけけけ。豊家と朝廷を争わすというのか」
上杉「織田右府公は志半ばにして斃れましたが、豊家がその正当な後継者であるならば、そろそろ真の権威がどちらにあるかを京の皆様方に存分に知らしめる時期かと。
    菊と千成瓢箪、どちらが重いか、天下万民にみせつけてやりましょうぞ」
(関白さま、たーん。毛利公もご帰還あそばされたし、暇つぶしも潮時かなw)
234小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/11/22 02:24
小西軍団八千が整然と京に入る。
先頭を進む三百の槍隊。やり先がキラキラと日の光に照らされ、
行列を見送る町衆の顔に眩しき輝きの痕を残す。
いまや、都は御所(内裏で良いのだろうか?)を除きすべてが豊臣正軍により掌握された。
小西は陣を本國寺に置く。小幡攻めへの備えでないことは誰の目にも明らかである。
兵の半数をここに置き、残る半数を率いて御所に向う。
下京の町家からは、進む兵に声援が飛ぶ。すでに町衆は勝者を嗅ぎ取っている。
小西軍が御所まわりで陣を敷いたのは甘露寺屋敷の前。
その時を静かに待つ兵。クルスの旗が、都路を通る風にはためいている。
兵には厳命が下されている。決して御所には銃砲を向けてはならぬ、と。
小西軍の眼前を、公家衆の家の者であろうか、荷駄とともに女衆が列を成して通る。
兵どもの好奇の目が女衆に注がれるが、声を掛けるような兵は皆無であった。
織田家の一銭切りよろしく、洛中に入る前に徹底して兵には法度が伝えられていた。
御所を囲んでより丸一日。日が暮れようとしている。
夕暮れを背に、宇喜多殿の陣に小西行長が入る。
宇喜多 万を越える兵で囲んでいますが、御所に攻め懸けるのは気が引けるものですなあ。
小西  はい。どうにもやり辛いものです。
石田家伝令(重家隊) 石田家の兵、聚楽亭にて待機しておりますが、兵五千のみは御所に進め
    主・重家とともに宇喜多様の下知を待っております。
小西  宇喜多様、織田様もすでに仕度は出来た様子。いかがいたしますか。
宇喜多 (あとはよろしく)
【小西軍、兵を御所近くに進め、宇喜多隊とともに時を待つ】
235さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/22 02:40
おやすみ前にネタ一発(>>198の続き)

戦が起ころうが何だろうが、ばさら公家の宴は続く。

キャハハハ 
ドンチャンドンチャン

花山院忠長  おうおう、そなたは××中納言の娘か、親父に似ず可愛いのう。
女官某    嫌ですわ少将様
烏丸光広   おや、そちは大人しいのう。ほれ、身どもに酌をせや。
女官某    ……。

大炊御門頼国 しかし藤井の少将よ、どういうカラクリを使ったのだ?
猪熊教利   ふふふ、それはな……。
236さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/22 02:41
花山院忠長  よいではないかよいではないか。
女官某    あ〜れ〜
烏丸光広   よいではないかよいではないか。
女官?    ……。
烏丸光広   ! そなた、童子か?
飛鳥井雅賢  !?
猪熊教利   (慌てて)おい、そなた、どこでまぎれ込んだ!
花山院忠長  よいではないか、女子ばかりでは飽きがくる、たまには稚児もよかろうて。
猪熊教利   何を呑気な。この場のこと明るみになれば、我らは破滅ぞ!
女官?    ……w。
烏丸光広   む、そなた……?
女官?    (絹を払って顔をあらわにする)……資朝卿……何卒お力を……(にやり)。
猪熊教利   げ、げぇぇー。
飛鳥井雅賢  な、な、なっ……。
烏丸光広   幸家卿……何故このような……。

花山院忠長  ほうれほうれ。
女官某    ああん!
大炊御門頼国 やかまし(ゲシ)。
花山院忠長  きゅう

またつづく?
玉造松平藩藩邸

松平浄光「戦となったか・・そして、石田は隠居か・・」
岡見念仏坊「殿、ここは関白様にお願いして宇喜多殿に陣借り致し、先日の会稽(恥)を雪ぐべきかと」
松平「うむ、よかろう、関白様へ書状を書くゆえそちは使者に立ってくれ」

関白様
先日より愚弟秀康儀、石田家の使者が無礼を致したゆえ切り捨て、謹慎しておりましたが、
このたび御家に弓引くもの出でて山城を乱すとのこと、恥を雪ぐべく手柄を立てたいと思います。
一軍を率い、宇喜多様に陣借り致したいと思っておりますゆえ、
お許しをいただけませんでしょうか。
愚弟秀康謹んで申す 花押

家臣・松平家信「わしも先の関ヶ原では江戸で留守居をしておったがこの度は不覚は取らぬ。九戸政実攻めで
      挙げた功名に劣らぬ手柄を挙げて見せようぞ」
西尾仁右衛門「屋敷の小者を加えても手勢はわずか100名ですが、一心なれば100万の大軍にも劣りませぬ」

【松平家は宇喜多軍に合流する許可を提出しました】
238宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/22 10:44
【征討軍本陣(東寺)】
>>231
諸事に慣れた家臣が義演大僧正と前内大臣鷹司信房兄弟を取り次ぐ
旗本「ひそひそ…」
本多「うむ、早速お通しせよ」

間借りした書院に鷹司兄弟を案内する。
書院の上座には豊臣秀頼より預かった千成瓢箪が鎮座し、その下座
にて秀家が鷹司兄弟に相対する席を勧める。

秀家「ようこそお越し下された、此度の戦(小幡攻め)では公家衆もさぞ
    難儀を被られた事でしょう。」

>>さる公家殿どうぞ
239宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/22 11:22
【征討軍本陣】(238の前)
>>234
秀家「明朝より総攻めを行う、重家殿は一番手じゃ存分に手柄を立てられよ。
    今宵中に兵(二万)を率いて持ち場に着かれよ、儂も今宵中に聚楽第跡
    (御所まで1km)に兵を移す」
伝令「ははっ!」

石田家の伝令が小走りで去り、幕舎には秀家と行長が残った(側近含む)
秀家「今宵の内に秀信卿が今上をお救いする手はずとなっております。
    弥九郎殿は京の民草に被害が及ばぬように気を配って頂きたい」
小西「分かりました、被害が大きゅうならぬよう手配しましょう」

ふとため息を漏らす
秀家「京に兵を入れ、御所に攻め掛かる…我が所業は千年の悪名となりましょう
    …されど…誰かが被らねばならぬ悪名なればこそ、秀頼様に代わって
    儂が被らねばなりませぬ…」
小西「八郎様…」(…やっぱ殿下の教育が甘かった?…)
本多「殿…」(…ふ〜む、何とか方法を考えねば…)
薄田「…」(…戦場ではあれほど勇敢なのに、不思議な御方よ…)

秀家(ナルシー)は自分に酔ってます(w
>>関白殿、松平殿、動かれるのでしたらお早めに
240さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/22 15:45
>>238
鷹司 これはこれは、陣中にも関わらず、かくも丁寧なる御応接、痛み入ります。
秀家 何を仰せられますやら。こちらは何か無礼があってはと心配で……。
義演 (ならあのでかい千成瓢箪は無礼ではないのか……。いや、秀家卿には他意はあるまい。だから始末におえん。)
鷹司 ところで……お聞き及びと思いますが、御所に翻りし錦旗のことはご存知ですな。
秀家 前線の織田殿はじめ、あちらこちらからあの旗は偽物であると報告が届いております。
義演 確かにの、あの旗は朝廷から下ったものではない。小幡らが偽造したものじゃ。
鷹司 されど、旗の一つもこしらえとうなるだけの拠り所はあるようなのです。
秀家 と、申されますと?
鷹司 毛利にも勅命が下っておるようなのじゃ。

>>宇喜多公、ターン
241石田正澄 ◆SCk4/SqenA :03/11/22 21:11
宇喜多家伝令 「急ぎ御所を囲む列に加わるべし。急がれたい」
石田正澄 「承った」
【石田正澄軍5千が動く】
石田 「須藤権衛門はおるか」
須藤 「はっ、ここに」
石田 「宇喜多殿より督促が参った。急ぎ洛内に入る。サイは振られた。鴨川は渡らねばならぬ」
須藤 「先手曾根高光の千は、すでに用意できております」
石田 「うむ。高野越中の千、高橋権太夫の千を続いて進ませよ。
     佃宗右衛門に五百をあずけ後方から進ませ、我らは千五百で出る」
須藤 「目指すは・・・」
石田 「内裏である。大津にも伝令を。兵を京に進ませよと」
【史実で田中吉政の家臣と戦って死んだはずの者は、生きていたことにします。お許しください。】
242宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/23 10:03
>>240

秀家「それが(勅命)真ならば、悲しい事で御座るな…」
鷹司「…(宇喜多はんなら、すでに知っているはずでは?)…」
秀家「故太閤の頃より天朝を敬い、陰日向にお護りして参った豊家に
   対する仕打ちとは、とてもとても思えませぬな」

上座の千成瓢箪を眺める
秀家「それは恐れ多くも今上の名を騙った、一部の不届き者の仕業に
   御座りましょう…そうに違い御座らぬ…もしも…」
秀家「そうそう、秀頼様と八条宮様は義兄弟にあらせられましたな」(ニコッ…)

>>さる公家殿どうぞ
243無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 14:22
195 :岩見重太郎 ◆JAL.PfQg6Y :03/11/22 08:49


頭が悪くて、弱っちい犬ほど
足下でじゃれついて、哀れな声で鳴く。

 い い か げ ん う ぜ ー ん だ よ

 ワン って 鳴 い て み ろ よ

244無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 16:44
ワン
245さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/23 17:27
>>242

義演 (少し慌てて)別に豊家を朝敵とするものではあるまいて。
鷹司 おそらくは単に禁裏守衛を命じただけでしょうな。賊は暗に上杉をを指しておるのでしょう。
秀家 いずれにしても偽勅に御座りましょうな。
鷹司 少なくとも、内覧も蔵人頭も預かり知らぬ勅がまっとうであるはずはありませぬな……。

義演 そうそう、八条宮殿下は仁和寺におられる。
鷹司 あそこには八条宮、仁和寺宮両殿下はじめ、我らが兄二条昭実ら諸卿が集まっております。
義演 八条宮殿下は豊太閤が猶子でしたな。故徳川内府の横槍がなければ、今頃は高御座に……。
鷹司 兄上!
義演 構わぬではないか。そう言えば仁和寺様は、かつて五奉行が一致して皇嗣に押しておりましたな。
秀家 ……。
義演 おかしなことじゃのう……。筋目なら仁和寺様、流れならば八条様、されど今上はただ院の後ろ盾……。

いくら坊主でもこれ以上言わすとまずいからこのあたりで。

>>宇喜多公たーん
246無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 19:52
>>岩見重太郎 ◆JAL.PfQg6Y
頭が悪くて、弱っちい犬ほど
群れてでかい声で鳴くわけだが。
犬は群れる習性のある動物なわけなのだが
248 ◆zAnbFVoD9M :03/11/23 20:39
>>233
秀秋  「(・・・主馬が上杉に?わしは山城(直江)が我が領土の隣だからわしの
     家臣と連絡もとりやすかろう、という意味なのだが)・・・主馬はまぁしばら
     く淡路で土木作業やもしれんがな。土佐の酒豪の提案だがしばらく毛利
     とやりあうことになる・・・」

出馬の件

秀秋  「一応千成瓢箪と血族武蔵公でも充分だとは思うが・・・」
景勝  「何か不安でも?」
秀秋  「大坂にずーっと駐屯しておる軍がおってな・・・」
景勝  「・・・」
秀秋  「たかが三千、だが率いておるのがあの六文銭(けらけら。ここで秀頼様
     になにかあると洒落にならぬし、わしが死んだ場合を考えるにここで死ぬ
     と家臣連中も後見がないから不安だしな」
景勝  「それならば真田公とわしは・・・」
秀秋  「仲がいいとは風聞で聞く。ついでだ、真田に今回の関東での無茶を聞い
     てみてくれんかな?」
景勝  「・・・」
秀秋  「(声をすぼめる)正直な、関東でもめとる暇などない。だが武蔵公の性格
     だと・・・罠でも踏み潰すお人だから。上手いことまとめて欲しいのよ」
景勝  「・・・」
秀秋  「まぁ、このままだと京での騒動は出馬も何もないうちに終息するだろうが
     な(けらけら」
249 ◆zAnbFVoD9M :03/11/23 20:48
>>237

・・・常に騒ぎにかかわりたがるのう・・・隠居しようが徳川の唯一の生き残り
(当然島津のとこの生き残りは知りません)にあっさり死なれて残党に暴挙
を興されるのは願い下げなのだが・・・。とはいえほっていてもあの刃傷沙汰
では死罪、か。・・・どうせその後も毛利とやり合うならいい駒になるか・・・

秀康へ

やるからには手柄を立てよ。京都、そして後の戦での手柄がそなたの命、
藩の命に直結すると思われる。努力せよ 秀秋花押

武蔵公へ

つーわけで徳川の唯一の生き残りが陣借りしたいとのこと。たかが百、どうこう
でもないでしょう。参戦させてあげてくだされ。

250無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 20:55
ワン
251上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/23 21:04
>248
関白「真田の件なんとかしてくれ」
上杉「あれは風聞ではないのですか?」
関白「どうやら本当らしい」
上杉「これは困ったことになりましたな。当家と真田家は先の大戦の際に手を取り合って戦った仲。当家が不当にも逆賊の扱いを受けた際も、
    小山から単身わしのために身を引いていただきました。此度の大坂入りの際にも、一揆が多くて困るという要請から重臣と兵3000を諏訪の地に待機させておりまする」
関白「だからなんとかせいといっておる」
上杉「取り潰しになるお考えか?」
関白「・・・」
上杉「穏便に事を済ます算段ならばいくらでもつけましょう。しかし、取り潰しを命じるならば、引き受けられませんな。直江が今、毛利討伐のために佐竹公以下7万を率いて南下しているのは
   ご存知の通り。何故七万あつまるのか。それは先の大戦で結ばれた会盟がまだ生きているからです。これは義を重んじる当家にとって、何よりも重いものであることをお忘れなく、、、」
関白「謀反もありうるのか?ケラケラ」
上杉「穏便にすませれば良いのですよ。たとえば、大坂の真田親子に大至急京出兵を命じられた上で、武蔵公に全軍大坂入りを命じられ、毛利討伐の大将に任じるとか、、、
    関東のことなど忘れさせてしまえばよいのですよ」
関白「ケラケラケラ、おぬしが毛利以上の危険人物だと、石河が申しておったが、まことその通りよ。天下が欲しいのか?ケラケラケラケラ」
上杉「否。今、わしの存在が危険なことは事実でありましょう。疑われておることも承知しております。ゆえに弟君をわが養子に迎え、豊家と当家のきずなを磐石のものにしておきたいのです。
   大身には大身なりの苦労がありましてな」
関白「ケラケラケラ。おぬしは内府ではないというわけか。ケラケラ」
上杉「秀鏡さまが当家の跡継ぎになれば、これはそっくりそのまま関白さまの旗本となりましょうぞ。加賀家が古の関東公方がごとき地位に着けば、豊臣家は磐石、加賀家も磐石」
関白「うひゃひゃひゃひゃ。そのためにも毛利の領土が必要であるわけか。うひゃひゃひゃ。たいした策士よ。お前本当に景勝か?」
上杉「内府は律儀者といわれておりましたな・・・とにかく、真田公の件をどうするか、ご存念をお聞かせ願いたい」
   
252 ◆zAnbFVoD9M :03/11/23 21:16
>>251

秀秋  「会津公。わしはそなたと真田の仲でなんとかしてくれといっておる」
景勝  「・・・」
秀秋  「潰すつもりであらばそもそも仲のいいそなたに頼む訳がなかろう。わし
     は面倒なことは嫌いだし毛利とのことで武蔵公もこれから忙しくなるであ
     ろ?そのときにでも真田に十二分に手助けさせれば・・・あの性分のお方
     だから(けらけら」
景勝  「・・・」
秀秋  「あの真田の腕だ、証拠などいくらでも逃げられよう。それ以上に戦果を
     たてればそれでよい」
景勝  「・・・」
秀秋  「会津公、わしも真田は敵にはしとうないのよ。徳川の二の舞にはなりとう
     ないでな(けらけら」
253無名武将@お腹せっぷく:03/11/23 21:17
ケラケラケラケラ
254上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/11/23 21:35
>252
上杉「では、真田殿を京の逆賊討伐に参加させるということを既定方針とした上で、かのものに話をつけてまいりましょう」
関白「うむ。頼むぞ」
上杉「毛利討伐令の準備お忘れなきよう。さもなくば、東北軍七万と大坂在陣の13000がそろって私戦をしに行く羽目に陥りますからな」
関白「能書きはよいから、さっさと真田公をなんとかせい!ケタケタケタ」
上杉「御意」

(大坂城から上杉が退去し、そのまま大坂真田屋敷に向かいます。たしか親子と三千の兵隊がいたはず)

真田屋敷
上杉「たのもー、上杉じゃ!」
兵隊「ははーーー。しばしお待ちを」
(新真田公、初お手合わせよろしゅう)
255宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/24 00:39
>>245
秀家「まぁこの話はいずれまた…明日の戦が終われば解る事もありましょう。」
鷹司「ふむ、左様であらしゃいますな…」
秀家「御所周辺は危のう御座る、今宵は此処にお泊まり下され。誰かある」
小姓「はっ此に」

小姓が鷹司兄弟を客間(寝所)に案内します。

>>さる公家殿、密談ありましたら続けてどうぞ
256宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/24 00:46
>>249
心得て候、脇大将として本陣に来て頂くか、仁和寺にて八条宮様の警護に
あたって頂く所存。

>>松平殿どっちでも好きな方をどうぞ
257さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/24 07:02
>>255

鷹司 あいやその儀は御無用、我らもこれより仁和寺へ向かいますゆえ。
義演 これから焼け出される公家女房衆もおりましょう、寝所はそれらのために……。

義演 (いくら勝手知ったる東寺とは言え、戦陣のど真ん中で寝られるか!)

では会談はこの辺りで切ります。他に用件あらば仁和寺へ来てください。
親王門跡公卿オールスターがお出迎えします(w

【陣中見舞いの公家衆は仁和寺、大覚寺、釈迦堂など洛西諸寺院に退避。】

これで洛中に残る反毛利公家は、御所の九条内覧と……。
258無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 15:20
195 :岩見重太郎 ◆JAL.PfQg6Y :03/11/22 08:49


頭が悪くて、弱っちい犬ほど
足下でじゃれついて、哀れな声で鳴く。

 い い か げ ん う ぜ ー ん だ よ

 ワン って 鳴 い て み ろ よ


259結城晴朝1341:03/11/24 16:12
わし、暇見て時々入ってもいいかね?
なんせ、秀康殿に結城性を返上されてしまってな。
下野・久下田城にひきこもり、水谷勝俊ら旧臣たちと
囲碁などして寂しくしておるのよ・・・
跡継ぎがおらんでな、由緒ある結城家を断絶しかねん。
どこぞによい若武者はおらんか・・・

>>249
>>259
岡見「関白様よりの返書が参りました。出陣の許可下りましてございまする。
   武蔵様よりは脇大将か仁和寺守護かどちらかを選べとのお話」
松平秀康「うむ、わかった。手柄を立てるとすれば脇大将を於いて他に有るまい。
      これより東寺本陣へ参る。馬引けぇ」

摂津玉造より山崎を越え、秀康東寺本陣へ入る。
途中、京都の辺りで生計を辛うじて立てていた松平浪人岡部宣勝らが加わる。
岡部「御家の大事と聞いて飛んでまいりました。痩せ浪人ではありますが
   腕はなまっては下りませぬ、旗本にお加え下され」
秀康喜んで迎え入れ、兵は150となった。

秀康「武蔵殿、この戦に我ら一門存亡を懸けておりまする。
    なにとぞ、お引き回しのほどを」
 ワン ワン ワン ワン
262無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 18:25
岩見さまはワンダフルだワン!
263無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 18:27
岩見さま、また衆目オナーニしてほしいんだワン!
264結城晴朝1341:03/11/24 21:23
晴朝「これ勝俊、勝俊はおるか?」
水谷「はっ、御前様。それがしはここに」
晴朝「うむ。これより近隣諸国を回る旅をしようと思う。
よき若武者に出会えれば、養子に迎えようと思うがどうであろう?」
勝俊「それはようございますな。
されど、御前様には、もはや娘が居りませんが如何いたしまするか」
晴朝「それよ。まずは上野小泉へ参ろうか。あそこにわしの甥が蟄居しておる。
関白殿下に素直に従っておればよかったものを北条に付いたばかりに
開城・蟄居となったのじゃ」
勝俊「富岡重朝様ですな」
晴朝「うむ。あれよりしばらく会っておらぬが、たしか年頃の娘がおったはず」
勝俊「されば、まずは養女に致したうえでご養子をお迎えなされば・・・」
晴朝「そうじゃ、他に手はあるまいて。
それに結城宗家に娘を養女に入れるのじゃ。重朝にも問題あるまい」
勝俊「善は急げと申します。早速旅支度をば整えさせましょう」
晴朝「うむ。ところで秀康殿にも使者を立てておけ。
伊豆のほうにも寄らせてもらうとな。どうにもよき者見つからぬ場合、
秀康殿の子をもって結城家を継がせたいとな」
勝俊「はっ。そちらは、多賀谷殿にまかせましょう」
晴朝「いや、旅には政広を連れてまいる。
勝俊、おぬしにはこの城を守ってもらいたいのじゃ。
このところきな臭い噂が世間に蔓延しておるようじゃからの」


こうして結城晴朝・多賀谷政広主従は旅に出たのである。
あわせて松平秀康の下に、晴朝の使いが立ったのだった。



265さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/25 21:58
誰もいないな。
開戦前夜。

洛西、御室仁和寺。
宇多法皇以来の真言宗の名刹。六ヶ寺ある真言門跡の一つである。
ここには先頃からの洛中の混乱を避けて、多くの公家衆が集まり、さながら朝廷が移動したような感がある。
だがその主座たるべき帝はここにはいない。

鷹司 ……と言うわけで、宇喜多は本気で御所を焼く気だぞ。
二条 くっ、兄上の言う通りにしてみたが……。一体兄上は何を考えているのか。
義演 それにしても……壮観じゃのう。御所の公卿がことごとく越してきておるのか?
二条 いや、親毛利の連中は通されておるからな、もっとも、一旦入らば出られぬようだが……。
鷹司 ……いずれにしろ兄上の身が危ないのう。何とかせねば。

【二条三兄弟、メンバー交代して密談続く。】

補足
仁和寺宮
後陽成院の第一皇子良仁親王のこと。たぶん十五歳くらい。
本来東宮に立てられるはずが、今上帝に(徳宮)皇位を奪われ、仁和寺門跡とされる。
まだ剃髪はしていない。
ちなみに、史実でも弟政仁親王(後水尾院)に皇位を持っていかれている。
266宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/26 22:22
【征討軍本陣】
>>260

秀家「いやいや、よくぞ参られた秀康殿」
秀康「拙者は、この一戦に松平の家運を賭けており申す、よろしく
    お願いしたい」
秀家「堅苦しい事を申されるな、我等は共に秀頼様をお支えする
    義兄弟である、何の遠慮が要るものか」
秀康「忝ない」
秀家「さて、着陣早々だが、本陣を聚楽第跡に移す、貴殿も直ぐ
    に移られよ」
秀康「承知した」

征討軍本隊(九千五百名+百五十名)
→東寺から聚楽第跡へ
【征討軍は夜間中に本陣を聚楽第跡に移します】
267長曾我部盛親:03/11/27 22:56
(意外に動いてないねw)

中内「さて、殿が療養してるから。どうする?」
宮田「淡路が抜けておりますな。」
吉田「このままでは三星が滅びかねません。」

中内「うむー。動きは最小限にしておくかわりに…」
池 「最小限で最大の効果を。難しいですな。」
中内「そうさな…少し手を打つか。」

【長曾我部家、淡路に進軍。総数500.表面上小幡攻めの為としておきます。】
【同時に、讃岐平塚家に恫喝。以下】

こりゃ、おんし何やってんじゃ!
豊家につくすんだったら、さっさと兵出せおんどりゃ!
大谷どんの所にはせ参じろ。何?領国保持だと?
ワシが守ってやるから、さっさと行けやボケw

以上の文は、生臭くw讃岐に伝えられますw
268 ◆zAnbFVoD9M :03/11/28 18:42
本人動かず脇坂隊も移動済み。あとは宇喜多さんが攻め込むのを待つだけ
でんな。大分前に振られたネタを・・・

【大坂城】

一人の老婦人が登城した。

秀秋   「アヒャ・・・!?・・・こ、これはまんかかさま・・・」
北政所 「二人で話があります。お人払いを」

秀秋   「・・・摂津を許せと申されるか。無茶苦茶・・・」
北政所 「あの子があそこまで激怒したのはあなたにも責任があるでしょうに。手足を
     自分でもいでどうするおつもり?」
秀秋   「手足は自分の首をしめたり尻を蹴り上げたりしないものでしょうが」
北政所 「あらあら、ならばあの手足はあなたのものではないのでしょうね。関白では
     なく治部の手足。必要がないのはどちらでしょう」
秀秋   「(ムキー)わしに消えろと申されるか!?」
北政所 「今の家臣はそうなりかねないといっています。そして跡取りはしっかりこのお
     城であなたが育てています。無駄に暴れれば斬られかねないのはわかるでしょ
     うに」
秀秋   「そのために武蔵様と力を合わせ、会津公とともに排除しようと・・・」
北政所 「一緒でしょう?家臣に無視されては」
秀秋   「主馬や安治が裏切ると申すか!」
北政所 「会津公が近づく理由。毛利があなたを邪魔とする理由。・・・人として生きるを
     捨て薬を手に考えているそなたならわかりましょう」
秀秋   「・・・人には感情というものが・・・」
北政所 「都合の悪いところでころころ自分の立場を代えては人は従いませんよ?」
秀秋   「・・・・うううう・・・・うがぁううう・・・」
北政所 「非があったのは事実、だけどここは堪えなさい。上で生き続けたいならば」

【北政所、秀秋を説得(成否は不明)】
269 ◆zAnbFVoD9M :03/11/28 18:50
で、今度は

小西摂津守に文←あえて肩書きで
(要約)
一度は聞きました。だけど私は怒っています。秀秋が身分不相応にも
関わらず関白となり、かなり無理をして政をしていた間、自分をいくら
正当化しても彼を手助けしなかったのは事実でしょうに。三成とあなたが
仲むつまじいのを知っていたにも関わらず城の中に入れ、頼みとしたの
を裏切ったのも事実でしょう。誰だって苦しいのに自分だけ逃げ出した
ようなものです。・・・今後貴方との付き合いは考えさせていただきます。

【事実上小西は北政所から見放されました】
270小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/11/29 09:47
ショボーン 

仕方あるまいな。治部との友誼、これに代わるもの、天下にない・・。

母に書状
ありがとうございました。今後もつつがなくお過ごしを。

北政所様に書状
佐吉を信じております。今も昔もこれからも。
関白殿下にお伝えを。良き政治をお取り下さいと。
271宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/11/29 11:43
その日は静かに始まった。

聚楽第跡に桐の旗が所狭しと立ち並び、陣の中央には金の千成瓢箪が。
伝令「申し上げます! 織田中納言様より今上救出の手筈(>>228)を調えた
   との連絡に御座います!」
秀康「憂いが一つ減りましたな。秀家殿、今こそ好機!」

床几から立ち上がり、諸将を見渡す。
秀家「豊家の意向に従わぬ『逆臣(毛利)』の手先、小幡に裁きの鉄槌を下す!
   世の中に『秀頼様に刃向かう以上の大罪は無い』事を教えてやれ!」
薄田「貝を吹け! 鬨の声を上げよ!」

法螺貝が鳴り、攻め太鼓が打たれる。
千五百の声が四千五百となり、九千五百が洛中に響く鬨の声を上げる。
秀家「いざ掛かれぃ!」

【征討軍VS小幡軍、戦闘開始】
272 ◆zAnbFVoD9M :03/11/30 22:30
動かんね・・・まぁ毛利さん待ちなわけだが。


【京都北】

塙  「・・・逃げ来る連中が減ったな」
足軽 「既に戦が終わったと?」
塙  「ちげぇよ馬鹿。逃げれる連中が居なくなっただけだ。・・・始まるな」
足軽 「そりゃいそがんとやべぜのでは」
塙  「おうよ、雑務は御大将が丹波の山奥で引き受けてくれるっつーありがてえ
   話でぇ。とっとと恩賞を斬りとってくるぞてめぇら!」

加賀羽柴軍、北より登場。小数なれど士気高し。
273さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/11/30 23:48
閑静な内裏に響く様々な音。
それが、誰にもそれとわかるほど大きくなる。
鍛えた鋼と鋼が打ち合わされる音。火薬が破裂し鉛玉を飛ばす音。
「始まったな……。」
慌てる公家衆を尻目に、九条兼孝は動かない。
「大臣……、主上の御動座を……。」
「下がれ!」
「し、しかし……。」
「小幡めは吉報を待てと言うておるではないか、え?」
「……。」
「下がって待っておれ。よいな。」

【御所内に未だ動きなし。】
274いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/01 01:13
石河宗林、兵300と本陣に到着。
同時に古田織部と兵200も到着。

石河  宇喜多公、遅くなりました。こちらは当家の客人、古田殿。
宇喜多 おう、お久しぶりに御座います。
古田  内府に味方した身で生き長らえるとも思いませんでした。
宇喜多 お働き、期待しております。
石河  少兵なれど、当家の精兵にございます。
宇喜多 これは心強い。
古田  いよいよにございますな。
宇喜多 うむ。千成瓢箪の下、見事に賊を討ち果たしましょうぞ。
石河  真田公は参られませんでしたか。
宇喜多 仕方ありませんな。
【石河隊500、宇喜多殿の本陣に合流】
275毛利秀就:03/12/02 00:56
宇喜多軍との先頭直前の布陣

【伏見城跡陣地】
  伏見城番1000(すべて豊臣家旗本)

【御所】
  小幡以下京奉行配下2500
    (うち毛利兵500)

276毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/02 01:04
【伏見周辺戦闘】

 伏見城番1000の奮戦はすさまじかった。圧倒的な兵力差のため、
実際の戦闘はふた刻ほどであるが、その最後は京の民衆に深く印象づけ
られた。うち捨てられた「千成瓢箪の旗印」が戦闘の激しさを物語って
いた。
京奉行配下もそうであるが、在京旗本の多くが小幡と行動を共にした。
奉行体制を崩す、関白や大老体制にかねてより反感をいだき、今また
政治によって京を攻めるという現体制に彼らは反旗を翻したのである。
同じ官僚機構の仲間である石河の説得には心揺れ、またその配慮に感謝
はしたが、それ以上に現体制を打破したいという思いが強かったのである。

277毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/02 01:10
【民衆の反応】

 >>276は京の民衆にとっても同じことであった。
政治的に現京奉行を認めぬと兵を繰り出したところで、1年にわたり
京の民政を担当し、善政を引いてきたのは紛れもなく小幡勘兵衛であり、
豊臣の兵は自分たちの故郷、そして都を焼き払う侵略者にすぎない。
大坂の政治的駆け引きや御所の派閥争いなぞ民衆にわかるはずもなく、
ただ目に映るのは、攻めるも豊臣の兵なら、傷つき倒れる兵も豊臣の
兵を見て、太閤びいきの京の民は悲しみ、そして攻めかかる宇喜多兵を
憎んだ。。
278毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/02 01:14
【宇治】
 残兵をまとめた伏見城番兵の最期の地は宇治となった。
源平のおり、以仁王と共に平家打倒の兵をあげ破れた源三位頼政
が最後を遂げた地である。

ここで彼らは橋を焼き払い、最後の一線を試みた。
攻めかかるは、かつて彼らが関ヶ原最大の功労者として尊敬した石田兵。
政治の無情さを感じながら、彼らは燃え落ちる宇治平等院と共にその姿
を消した。

【伏見城番1000全滅】
279毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/02 01:23
【御所周辺】

応仁の乱よりの記憶がよみがえるような光景だった・・・・

小幡勘兵衛の元には御所での戦闘をさけようとする各方面より
使者が往来した。しかしすべての使者を丁重にもてなしながらも
まったく耳を貸さない勘兵衛を尻目に、決起にはやる宇喜多軍
総攻撃のもと戦闘は始まった。
圧倒的な兵力差ではあったが地の利を生かした小幡軍、今までその
才を発揮できなかった勘兵衛がここぞとばかりに暴れまくった結果
戦闘は長時間に及んだ。
宇喜多軍は大将の戦意とはうらはらに、どこか攻めきないでいた。
兵にとっては相手は昨日までも同胞なのである。勘兵衛は少ない毛利
の兵は御所内に入れ、三つ星の旗印はいっさい持ちなかった。
京の民衆が感じるように、豊臣家の内乱、そして御所を軽視する豊臣家
を演出した。そしてそのもくろみは十分に果たせた。。
そして戦闘は最後の時を迎える、次なる波乱を残して。
280毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/02 01:31
【慶長の乱始末記】
 小幡勘兵衛は最初から勝つつもりなどなかった。意識して民衆に
対する演出を優先し、相手の血気をさらに高めるようにしむけた。
民衆にとっては宇喜多軍は解放軍ではない。都を焼き払う侵略者に
すぎなかった。そして彼は歴史に名を残す。

燃えさかる御所の中、多くの公卿が逃げまどいそして、死んでいった。
最後の時のため待機していた毛利兵は宇喜多軍の猛攻に対して戦闘より
も御所封鎖を第一の任とした。
若き血気に走る大将は勝利の美酒に酔っているであろう。
この混乱の中では誰もが自分の身を守るのが精一杯であった。
それはたとえ聖上といえども例外ではない。

【御所は落ちた】

もちろん戦闘の中で誰が誰を殺したなどとわkるはずがない。
しかし、民衆・公卿はそう思い、後の歴史にこう記した。

【宇喜多軍 聖上を戦闘の中殺害】
281毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/02 01:40
【小幡軍本陣】

 勘兵衛は満足であった。。
 自分の演出が存分に効果を現すであろう後日を思い描き、
 自分の軍略を試す機会をもてたことに。。。

 民衆を敵に回し、御所を焼き払った豊臣家の混乱はしばらくは
 続くであろう。

 聖上亡き後、大狸の院がどうでるかも楽しみであった。
 西国は素直に豊家に従わないであろう。土佐のうつけが
 あれほどの器量人であったことはうれしい誤算であった。
 関東の混乱はいうに及ばず。。
 考えただけで楽しくなる。

 「乱であるからこそ才が生きる、あと10年早く生まれたかったわ」

 勘兵衛はそうつぶやくと静かに腹を切った。。

 「又兵衛に太兵衛よ、儂は思うように最後を飾れた、貴殿らの武運を
  祈っておるぞw」

【小幡勘兵衛景憲 御所内にて果てる】
282上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/02 02:37
真田屋敷を訪ねたものの、留守のため引き換えした上杉景勝は
屋敷で御所炎上の報を聞いた。表向き無表情だったという。

(関白様・・・余の忠告を退けたことを後悔してもしきれまい・・・)

直江に書状
「別命あるまで鎌倉で待機。真田は盟友なれど上方で混乱が起きているゆえ余計な動きはまかりならん。くれぐれも軽挙は慎むこと」
武田に書状
「諏訪の地を離れ、早急に上洛あるべし」

283いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/02 02:38
石川宗林

京の町衆総代、大文字屋宗味は忙しい。
小幡の手の者がお上に手を掛けたと、あちらこちらで話し続けた。
死人に口なし。お上に手を掛けた毛利兵が、宇喜多兵に討たれたという話を繰り返し繰り返し。
噂はすぐに塗り替えられ、民衆の怒りも、方向を変え始めた。
米が高くなったのはいつからか。小幡の京入りからである。
これをなんとかしたのは、石田、石河の米であった。
それを思い出せば、怒りが毛利に向けられたのもうなずける。

お上の死。これは事実なのであろうか。
逃げたとは考えられないのだろうか。
京の町は、情報が錯綜し、混乱していた。

後日、内裏造営の木材を手早く調達した石河は、莫大な利を懐に入れたと言われている。
284禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/02 21:59
【内裏】
宇喜田軍が放った火は、御所の西側から大きく広がっていった。
女御部屋から清涼殿、紫宸殿に広がり、内裏一帯は灼熱の海と
化し、まさに地獄絵図さながらの状況が繰り広げられていた。

帝  :宇喜田め・・。千年の平安の都を灰燼に帰するつもりか・・。
   (周囲は逃げ惑う下人や堂上たちの声)
この場にいた公家が、先に登場の貧乏公家、中務通福であった。
中務 :院の横暴を排そうと、あなた様を煩わせましたが、一朝の夢に 
    終わるようですな・・・。はははははは!
帝  :縁あって宮内少輔に請われ、院のご寵愛も受けたかと思いしが、
    そこは近世髄一の大天狗。天狗の団扇であおがれて、少々気を
    おごらせてしもうたか・・。所詮はわしは捨て駒じゃったのだ。
中務 :お互い、院に毒饅頭を盛られたわけですな。はははは。
帝  :そちは、わしの真の姿を存じておるな?
中務 :ふふふ・・。それは涅槃に持っていかねばなりません。恐れながら
    お言葉が多すぎるかと・・。
(と、ここで宇喜田勢の雑兵多数が二人のいる場所へ)
帝  :むむ、敵の兵か。宇多院以来の例かと思うたが、もう後がない。
    わしは帝である。中務よ、わしの御霊は御室へ祀れ。ふん!
  (「帝」は短刀を喉元へ突き立てた。)
中務 :来世も貴殿のような主人にお仕えしたいものでおじゃる。えいぅ!
  (中務の顔がこの世のものと思えぬ、鬼か化け物のような形相になった)

二人のいた部屋はそのとき、大きな炎に包まれ、雑兵たちも近寄れなかった。
帝は自身の出自を秘したまま、壮絶な最期を遂げられた。

 
285禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/02 22:10
>>284
一部訂正
>わしの御霊は御室に祀れ
⇒阿波に祀れ
>帝は自身の出自を・・・
⇒「帝」はご自身の出自を・・・
286無名武将@お腹せっぷく:03/12/02 22:48
燃えさかる内裏。
煙や火の粉すら立ちこめ始めたその一室に、九条兼孝は端座していた。
膝の上には金銀拵えの大太刀。後鳥羽院の愛した長船の名工、さて何という名前だったか。
気だるい。
だが、あの「主上」の最後を見届けるだけは、やっておかねば。
太刀を杖がわりにゆっくりと立ちあがる。
煙の向こうに様々な顔が浮かぶ。
正親町院。陽光院。
両親。養父。
別れ別れとなった兄弟たちの顔が浮かぶ。
そして二人の息子。幸家、増孝。

「おもうさん、おもうさん!」
「……幸家?」
「お助けに参りました。」

つづく
287織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/12/02 22:52
密かに秀信は本多正重率いる救出の決死隊百人を戦闘のどさくさで潜り込ませていた。
帝の救出には失敗してしまったがかろうじて左大臣九条兼孝ら数名の公家を保護することに成功した。

本多「かくなる上は清水より飛び降りて・・・」
秀信「よい、過ぎたことだ。おぬしが落ちても今上はよみがえらぬ」
288織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/12/02 22:55
>>286
ΣΣミ・д・ミレス見てなかった・・・
>>287はスルーでお願いします。
289さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/02 23:16
名前を入れ忘れた……。

>>286の続き
嬉しかった。ただ息子がこの場にいることが。

九条兼孝 そ、そなたがなぜこの場に……。
九条幸家 ですから、お助けに参りました。

見れば幸家、見なれぬ立烏帽子に赤糸威しの大鎧という出で立ち、手にした太刀は血と煤に汚れている。
そして、この若大将を取り巻くのもまた、御所を彩る公達らである。
彼らもまた、幸家と同じかそれ以上に血と埃に汚されている。
その中から一際精悍な顔立ちの公達が一歩前に進み出て、兼孝に跪く。

猪熊教利  前の少将卜部の教利で御座りまする。御所の外までの道案内を致します。
九条兼孝  そうか……、大儀じゃ。
猪熊教利  はっ。
九条兼孝  ふむ、我が天命は未だ尽きぬ……。おう、そうじゃ。
花山院忠長 は。何なりと。
九条兼孝  帝を、帝をお救いするぞ。

まだつづく。

>>288
すんません。九条には過去レスで保険をかけておりましたので(w
御所の北、相国寺あたりでお会いしましょう。
290上杉 ◆j9lCIaXDC. :03/12/02 23:26
宇喜多秀家公に戦勝祝いの書簡
「逆賊討伐成功大儀也。今上が逆賊の手にかかったことまことに遺憾なれど、
 この後に及んでは是非も無し。大坂に晴れ晴れと凱旋なされば、秀頼公はかならずや、
 貴殿の武威を満天下に顕彰いたしましょう。しかるのち、あなたを総大将として、
 一気に逆賊毛利をば討伐する暁には、かならずや余も力をお貸ししましょうぞ」

関白宛書状
「不穏な空気を消し去るためにも、ここは一つ大々的な戦勝行事を執り行うがよろしいかと」
石河宛
「不穏な空気を消し去るため、宇喜多公の凱旋式を、いにしえの大秦国が如き規模で行うがよろしいかと。
 余は前大老・中納言として秀頼様に言上つかまつるつもりである。準備されたし」

291いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/02 23:34
古田織部、復帰の一歩のためーーーー

>>289
煙渦巻く御所に、命顧みず飛び込んだ武者が一人。
茶人としてのみ名を知られる古田織部その人。
美濃にて代官として領地あずかっていた豊臣奉行の名はあまり知られていない。
石河宗林の親友にして、奉行仲間、武人としての働きもある。
続く兵は、土岐氏の美濃時代からの兵。
帝を追い求め、御所に突入した猛者どもである。
守備する毛利・京奉行兵の銃弾を受け、兵200が突入し、生還できたのは60名のみ。
が、帝をお救いできたことわ思えば、ムダとは思えぬ犠牲である。
古田織部、武人として名を轟かす瞬間であった。
【古田と兵、帝一行は、脱出劇の後、相国寺にて一休み】
【松平軍の情勢】
宇喜多軍に従軍した伊豆兵150は少ない人数ながら良く闘った。先陣は浪人岡部宣勝隊50騎。
右備植村家政。左備尾上一刀軒。秀康は宇喜多本陣に居るため、松平軍の指揮は同族松平家信が執った。

しかし戦闘中、意外な事が起こった。御所の西隅から火の手が上がったのである。
松平家信「何者じゃ、御所に火を放つとは憎いことじゃ、いずこの者じゃ」
尾上「五三の桐の旗を指したものでござりまするーッ」
松平「・・・宇喜多兵がそのようなことをするはずは有るまい、近くへ寄って見て参れッ」

松平の塩辛声が響いたその時であった。火を放った兵は自ら火中に身を投じた・・
松平「し、しまッた、取り逃がしたかッ、この上は御所様を助け参らせよ」

しかし時既に遅かったのである。

293さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/02 23:56
続き

まろの玉の緒永らえば
帝は生きてる方がいい
帝を置いて逃げ出した
臆病者の九条公

兼孝の口をついて出たのは和歌ではなく、なぜかわらべ歌であった。

常御殿
一時は天を衝く勢いであった炎も、時がたつにつれ、かなりおさまりつつあった。
しかし、それは燃えるものが少なくなっているのであって、いずれ屋根から崩れ落ちるのである。

兼孝 中務殿、しっかりなされよ! 傷は浅うござる。
中務 九条公……、私よりも主上を……。

御簾の向こうから花山院少将が姿を現す。鎧姿の胸に抱えられた貴公子が一人。その細い首筋からは朱色い雫。

教利 まだかろうじて息はありますが……、何とも……。
兼孝 そうか……。
教利 ここは危険です。すぐにでも外へ。
兼孝 うむ。

一方、ばさら公家のリーダー参議烏丸光広らのグループは別行動をとり、三種の神器の回収に成功。
その後本体や、古田、本多の決死隊と合流した。
御所から相国寺への抜け道は、猪熊教利が案内したが、こんな大人数で動いて見つからないわけがない。
多くの将兵の犠牲を払いながらも、虫の息の帝と三種の神器を相国寺に遷すことに成功した。

【帝、神器、中務、九条、御所を脱出し相国寺へ。しかし帝は絶望か?】
294宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/03 00:11
(帝の去就は今殿に一任して…)

興奮し、勝ち鬨を上げる征討軍
秀家「御所からの延焼を防ぐのじゃ! 急げ!」
旗本「はっ!」
薄田「投降してくる者に危害を加えるなよ、負傷者の手当も急げ」
武者「承知仕った」
本多「秀家様…ゴニョゴニョ」
秀家「うむ、そうせい」
本多「御意」

京にて『豊家が度々降伏勧告をおこなったのに小幡が聞かず、あまつさえ今上を
御所に閉じこめ、自暴自棄になって悪逆非道を行った』という噂を流します。

大坂城へ
来た!見た!勝った!と報告(w
松平隊へ
仁和寺に向かい、八条宮の警護にあたられたし
石田隊へ
消火活動をおこなわれたし
小西隊へ
洛外の治安維持活動にあたられたし
織田隊へ
洛中の治安維持活動にあたられたし
石河隊へ
炊き出し等で住民慰撫活動にあたられたし
(豊家の正義、毛利の非道を恣意的に噂にして頂きたい)

征討軍本隊は負傷者の手当をおこない、敵味方を問わず死者を弔います。
数日は御所と聚楽第跡に陣を敷きます。
295さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/03 01:01
相国寺・書院

書院の縁側から南を眺めると、御所から上がる火の手がよく見える。
御所が、燃えているのだ。
左大臣九条兼孝は、つい先刻まであの中にいたのだ。
奇跡的に傷一つ負わなかったが、大分煤に汚れてしまったので、装束を狩衣に改めている。
他の公家達はそれすらもかなわない。みな鎧を解いていないのだ。

九条兼孝  はかないのう……。(九条兼孝の無常値が上がりました。)
九条幸家  父上……、おもうさん、おもうさん。
九条兼孝  幸家か……。そなたには……、世話になったな。
九条幸家  何をおっしゃられますやら。それよりも、主上のことですが……。
九条兼孝  どうだ? 正気はもどられたか?
九条幸家  (黙って首を振る。ちなみに彼もいまだ鎧姿。)

【宇喜多公に使者。口頭で連絡。】
【残党の襲撃あるやも知れず。至急相国寺に兵員を派遣されたし。】
【主上を救出するも重篤、御動座は不可能。】
296 ◆zAnbFVoD9M :03/12/03 16:19
なかなか書けなくなってきた・・・。
えーと・・・

【大坂城】

御所炎上、主上絶望?の報告が大坂に入る。次いで京の民の怒りを買った
というよろしからぬ事実と小幡何某の策の全貌もおぼろげながら流れる。

秀秋  「・・・・くけけけ!やってくれおる、たかが一侍風情が」
松野  「殿。しかし民を敵に回して生き残った王はおりませぬ」
秀秋  「石河が既にその辺の火消しにまわっとるのではないか?目端や風聞に
     商家出身は聡い」
松野  「・・・確かに」
秀秋  「お上が一人二人死のうがかわりがおらんわけでもあるまい。院殿に後を
     任せ適当に継承させりゃよかろう」
秀秋  「御所を建てかえる費用やらなにやらも出してやれ。戦勝の祝いを盛大に
     せよとは会津公の提案、派手にやれ」
松野  「民に対しては?」
秀秋  「即座に火消しをはじめておるから後に治安をしっかりまとめておれば不満
     は消える。・・・一時的にはな。将来的に謀反軍が・・・ま、毛利に例えるがそ
     の際に裏切るのは止められんだろうよ。せっかく直ってきた京を又火の海に
     するか、餓鬼の砂遊びよのう・・・ひひひひ」
松野  「・・・では京の民への慰撫や布施は・・・」
秀秋  「当然やれ。つき返すような骨のある奴が大量におるとは考えられん。人は
     欲には正直なものよ。・・・逆に徹底的に拒否、大暴れするような奴・・・まさか
     いまやる阿呆もおらんだろうがそいつは逆に怪しい」
【大坂、京の事後処理に資金援助を決定】
297 ◆zAnbFVoD9M :03/12/03 16:32
続き

松野  「毛利については・・・」
秀秋  「奴らに黙って正義面させてやるほどお人よしではないでな・・・」
松野  「・・・ヤリマスカ?」
秀秋  「内から乱れさせる。やられたほうはたまったものではない。やったほうは
     最小限の費用で済むありがたい策。わざわざ見本としてやってくれたのだ
     こちらもやってもばちはあたるまい?」
松野  「・・・既にはるか前より手筈はできております」
秀秋  「一箇所に集まったとか国替えをやったとか聞いたが・・・」
松野  「無論いきなり国を大混乱にはできますまい」
秀秋  「そんな混乱必要な〜し(・∀・)。五年間ほど国内鎮圧に謀殺させてやるだ
     けのこと。その旨を連中も理解しておるな?」
松野  「は」
秀秋  「ならじっくり痛めつけてやるか・・・手筈は銀山爆破なんてどうだ?三家老
     口羽の裏切りも毛利をがたつかせるには充分」
松野  「吉見も動きましょう」

298 ◆zAnbFVoD9M :03/12/03 16:39
続き 

秀秋  「公儀粛清もやるぞ。一千ほど寝返ったそうだしな」
松野  「まとめて不満分子を消せたというふうにとりましょう」
秀秋  「石河を中心に七手組に任せろ。豊臣の為ならわしでもあっさり殺せる
     やつを、だ」
松野  「・・・は。豊臣の軍令には絶対服従というやつらですな」
秀秋  「(・・・同じネタやられたらかなわんからなアヒャ)そうだ」
松野  「・・・で、会津公の毛利逆賊の軍令は?」
秀秋  「何万か知らんが大坂に来ておるようだ。そのあとにでも会津公から催促
     が来るだろう」

【いまのところここまで】

299禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/03 21:37
【相国寺・中書院の間】

荒れ狂う火の海から大坂方に救われた帝と思しき人物と何人かの公家は
相国寺に収容された。ただ、救出された時は着の身着のまま、顔は煤で
真っ黒、衣服はほぼ焼けてしまい、救出した公家や武士らは誰が誰か見
分けが付いていなかった。そもそも、帝に直接拝謁した者が、誰もいな
かった。
 とりあえず、大坂方は焼け出された者たちの容態の回復するのを待つ
ことにして、傷の手当てに専念した。

【この回つづく】
>>294
秀康「わかりもうした。これより仁和寺へ向かいます。ところで岡部」
岡部「は、なんでござるか」
秀康「御所様は烏丸卿、古田織部殿、本多殿が護衛しておられるそうじゃが、傷を負っておられると聞く
    そちが連れてきた浪人に、誰か医術の心得の有るものは居らぬか」
岡部「フーム・・・ああ、貝原久兵衛というものがおります、但し内科(漢方医学)専門で外科はどうかわかりませぬが」
秀康「ないよりはましじゃろうがッ、つべこべ申すな、久兵衛を呼べ」
貝原久兵衛「お呼びですか、殿」
秀康「うむ、そちは傷ついた人を治せるか」
貝原「寿命が尽きていなければ、延命させる事は出来ます」
秀康「よし。ならばよい。尾上とそちは相国寺へ急行せよ。帝が苦しんでおられる」

【医師の貝原久兵衛と尾上一刀は相国寺へ移動、救護に当たります】
【松平本隊は仁和寺へ向かいます】
301毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/03 21:52
【慶長の乱 別記】

 先に宇治で全滅した伏見城番兵を率いていた組頭の名は嶋修理介友勝。
石田三成家を差配する家老・嶋左近の次男である。
彼は河内の内に5000石を知行する高級官僚である。父親の威光もあるが
彼自身の才もあり、将来は豊家の奉行との声もあったほどである。
その彼は他の城番兵のように単純に大老体制への反発や小幡への同調だけで
死地へ赴いたわけではない。
平等院の灰燼の中に消え去った今、本当の心情をはかり知ることはできないが、
若き身で豊家の一手を担うものとしては、あれだけ豊家のためにと関ヶ原で死力
を尽くしたもの同士がみにくい政治的駆け引きをするのがやりきれなかったし、
それを利用しようとする大名や朝廷も腹立たしかった。
彼にとっては関白も毛利も宇喜多も朝廷も皆、信じれなかった。
そういう弱さを小幡に結果的に利用されたのは、若さ故仕方なかったかもしれない。
いずれにせよ、石田治部隠棲後に左近の息子が乱に与する。
豊家の未来を暗示しているようである。
302さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/03 22:22
相国寺・中書院(あったのか?)

九条兼孝 ふうむ、医術の心得とな。
九条幸家 はあ、もっとも漢方のみということですが……。
烏丸光広 何を申されるか! 軽輩の侍ごときに御典医のまねごとなど……。
九条幸家 その典医が、この混乱でどこに行ったかわかりませぬ。
烏丸光広 ううむ……。
九条兼孝 猪熊の少将、そなたの随身に宮中の医師がおらなんだか?
猪熊教利 はあ、よくご存知で。しかしかの者も漢方で御座りますれば。
九条兼孝 そなた、その者とともに見張っておれ。
猪熊教利 は!
九条兼孝 (龍顔は煤に汚され、玉体は炎に嬲られた……。どの道この御方はこれ以上帝位には居られない……。)

【医師貝原久兵衛が到着。】
【九条兼孝の無常は上がりっぱなし。出家も近い?(w】
303無名武将@お腹せっぷく:03/12/03 22:46
>>1
富士合戦→箱根死守戦→江戸冬の陣へと進行します
304長曾我部盛親:03/12/04 22:32
【阿波祖谷1】

盛親は飲水病に効能があるとされる、祖谷の湯治場に逗留していた。
長曾我部家中でも、彼の所在を知っているのは三人しかいない。
その三人から、書状が立て続けに送られてきた。

土佐 中内一友
小幡戦死の風聞あり。西国筋動揺。引き続き水軍により哨戒。
当家水軍、伊予水軍現在因島。

阿波 吉田康俊
京での戦、一文字三つ星の旗なしとの事。当家家臣団に公儀に不審の者多し。
淡路は極秘。

京 斎藤福
京にて争乱。御所炎上。主上安否不明。
石河宗林たる者、木材による巨利を得し模様。

(・・・やはりこうなったか。勘兵衛景憲、桐に手ひどい痛手を与えたようだな。西国筋の不安定という
 恐るべき遺産よ。上方には釘を刺しておかねばならんな。)
305長曾我部盛親:03/12/04 22:39
【阿波祖谷2】

関白殿下及び公儀宛書状。

先に京奉行小幡勘兵衛景憲を、武蔵中納言殿を中心とする徒党が討ち果たしたという風聞あり。
領民、家中の動揺を押さえるのにいささか難儀をしております。
某、此度の件に疑念があり。以下につき明確な回答を頂きたく筆をとりし次第。

一、天下泰平の為、此度の擾乱私闘か否か。示し願いたく求め候。
二、洛中どころか御所炎上の失態。これ公儀の威信を甚だしく貶める所業なり。責、誰に有りしかお尋ね
いたし候。
三、洛中復興の為、当家としては領内の木材等を献じようと考えておりましたが、風聞では石河
某なる者、洛中火事において木材の売買で巨利を得たとの事。もし、この石河なる者が公儀奉行
石河殿と関わりある者ならば、公儀の名に傷がつくのは必定。これについての詮議を求めたき候。
洛中復興は天下普請たるべき事なれば、此度関わりし家を普請に当てるべきと考慮するが如何か。

主上崩御の風聞有り。心痛の極み。事の正否が判じ次第、上洛し候。

宮内少輔盛親 花押

【上杉公はじめ各諸侯にこの書状の写を送り、公儀に送付した旨書付します。】
306上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/05 00:07
書状をみて
「大たわけめが!!忠臣面してるが、禄でもないな石河は・・・豊臣家の顔に泥を塗りおって。
 あの蝙蝠めも痛いところをつく。着想はよいがな。瓦版屋なら大層出世したであろうが、大名としては失格じゃな。
 角が立ちすぎる。関白様と相談の上、今後は要警戒じゃ」
【上杉景勝は大激怒しております】
307軒猿 ◆j9lCIaXDC. :03/12/05 00:09
京の民で噂があがっております。
「火をつけたのは石河勢らしいぞ」
「なんとあの材木屋か。焼け出されたワシらにも木材を売りつけおって・・・」
「宇喜多様がかわいそうでならんわ」

報告を聞いて、上杉
「・・・(宇喜多を守るためじゃ)許せ。石河の後任には石田木工でもつければよろしかろう」
【石河が悪者にされてますwwww】
308いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/05 01:09
だからさー、まだ材木届く時期でないのになーーー

もーいーーわい

石河 この噂、なんとかならぬか・・・
疋田(大文字屋です) 広まり方は尋常ではありませんようで
石河 当家の材木、ただで朝廷の禁裏周辺の民にくれてやれ。くそっ、せっかくの儲け話が・・・
疋田 ただですか。大文字屋では出来かねますな、義兄様。
石河 なぜだ。
疋田 ただ働きはイヤにございます。大文字屋の名折れ(w
石河 であるか。当家の者どもでやるとするか。
疋田 義兄様、損して得とれですぞ。
石河 うーむ。虎屋さんに申して、菓子をあるだけ買ってくれぬか。できるだけ安くな。
疋田 いかがするおつもりで。
石河 公家の女房衆にでも配るわい。
疋田 毎度(w
【関ヶ原で負けた場合、潜伏予定にしていた虎屋に恩も返しましたとさ(w】

※石河家の人気、一段とアップ。くっそーーーーー(w
309いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/05 01:12
石河 当家の材木、ただで朝廷と禁裏周辺の民にくれてやれ。くそっ、せっかくの儲け話が・・・

朝廷と だよ。

関白殿下、指示へのレスは明日以降で許して。
310上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/05 01:28
一連の話をきいて
上杉「石河め、宇喜多公よりも己の保身をとったか。あれは狸じゃ。いつか禍根を残すな」
【このねた終了・つーか時間軸ムシの悪ノリ失礼w】
311宇喜多:03/12/05 11:02
【御所焼け跡…】

消火活動や治安回復への対応に慌ただしい征討軍本陣に使者(>>295)が駆け込む
使者「左大臣九条兼孝様よりお言葉におざりまする、宇喜多中納言にあらしゃい
   ましては、至急相国寺に兵を派遣し主上を御護り奉るようにとの事」

捜索隊から『今上行く方知れず』との報告を受け、消沈していた秀家は驚喜した
秀家「天晴れ、天晴れ!、本多(正重)、織部の大手柄ぞ!」
本多「…(この天佑を生かすには…)…」
薄田「殿、ここは我等にお任せあれ」
秀家「うむ、頼んだぞ」

秀家→馬廻り千名と陣中医(外科)を従え、相国寺へ急行
薄田→豊家旗本衆と協力して消火・治安回復活動
本多→聚楽第跡に仮設陣屋(軍政)を開設し、半日毎に大坂城へ報告

大文字屋に商談
「大寺院に設置する救護所にて食糧・薬・古着を被災民に『秀頼様からである』
 といって配給せよ、これが当座の分である」(宇喜多より銀子150貫)

関白殿下に言上
「そうそうにご配慮(支援)頂き感謝の極み、情けなき事ながら我等では公家衆
 まで手が回りかねます故、豊家(秀頼)より朝廷にお手当(援助)頂きたく。
 また、八条宮様へもご配慮あってしかるべきかと。」
312さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/05 12:50
>>309

九条 石河が材木を献上? どういう風の吹きまわしじゃ? まあええわ。

【朝廷は献上の材木を受け取りました。石河家に対し感謝の意を表明しています。】

>>311

九条 おお、秀家卿が自ら……、さっそくお会いしよう。

【面会モードに入りますか? Y/N】
313禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/05 20:58
【相国寺】

救出された者たちの容態は一向に回復しなかった。
御所炎上のときに煙と熱で大きな火傷を負ったのがその原因で
あっただろう。

【相当重症ということで・・。】
314院 ◆hnohUcpUS. :03/12/05 23:22
【洛北・大覚寺】
戦の帰趨は当然、院のもとにも一報が入った。
院:「なんと・・・・。御所が全焼、種仁が生死不明?御所が丸焼け・・」
   ・・・・」
院は予想以上の結果になったことに、ただ呆然とするばかりであった。
院:「大坂方も派手にやりおって・・・・。しかしこれでは皇祖皇宗に
  申し訳が立たない。御所が全焼、聖上が不明とは開闢以来あった例が
  ない・・・・。うーむ・・・・・・。」
小幡勢が予想以上の奮戦を示したことが院の叡慮を超えていたのである。
院:「まずは洛中へ戻って、実情を見たい。輿を用意せよ。」
「輿と言われましても、戦火の余燼が残る洛中に今入るのは危険でござり
ます。恐れながら、この際は伝奏を遣わすべきかと。」
院:「堂上連中が好き好んで戦火の跡に行くと思うか?そんな肝の据わった
  やつがどこにいると申す?おお、いたわ、いたわ。よろしい。では、
  ごにょごにょ・・。」
「承知仕りました。・・・殿にはかようにお伝えいたします。」

【臨時人事異動】

 西園寺実純 

 上記ノ者勅勘ヲ解ク
 併二正三位二叙シ内大臣補兼武家伝奏事務取扱二任ズ
315さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/06 00:25
仁和寺

>>314の口宣案が届く。

二条 ったく、院も勝手なことをする。
鷹司 良いのか? 内大臣は豊臣さんに譲ろう思うて空けておったのだぞ。
二条 わしは知らんぞ。まあいずれ頭に前がつくじゃろうな。
義演 それにしてもこれで実純は本家(右大将実益)の官を越えたな。別家を建てさせた方が良いのではないかの。
二条 そうじゃな……。ん……。
鷹司 どうした兄上?
二条 大覚寺? 院は案外近くにおられるぞ……。

【二条三兄弟♪】
316長曾我部盛親:03/12/06 23:57
(公儀もまとまな回答無しか…ならば)

伊予:伊予水軍含めて哨戒中
阿波:実質支配下に置いた淡路を中心に長曾我部軍5千集結

さて、三つ星が動くかどうか挨拶に行くか。

【広島に使者。以下文面で】

先に、お家小幡討伐に及ばん
仮に、小幡反すれども、貴家荷担無しなら某とともに上洛すべし。
海は支配し、山は貴家のまま。
故殿下の総無事令。但し書きのまま

軍令ままで。上洛すべし

【四国は阿波、土佐。そして淡路は軍令下におきます。】
【さ、いっしょに上洛すんべ毛利どんw】
317宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/07 00:10
>>312【面会モードに入りますか? YES】

馬から飛び降り、足早に中書院へ向かう
秀家「帝!帝は何処におわします」
九条「おぉ、秀家卿、まずは此方へ、近う近う…」
秀家「帝のご容態は如何に?」

九条「…(>>313)…」
秀家「お労しや…」
秀家「おのれ毛利(小幡)め!、豊家(秀頼)に逆らうだけでなく、恐れ多くも帝に
    まで仇なすとは!」

【今殿、公家殿どうぞ】
318禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/07 00:25
【相国寺】
大坂から宇喜多中納言一行が早馬で到着した。
馬から下りるや否や、宇喜多公は中書院に駆け込んでいった。
宇喜多「ああ、なんとおいたわしきお姿に・・・。言葉が継げぬ・・。
    小幡め、不忠千万の極みである!・・」
宇喜多公はつい声を荒げてしまった。すると、一人の負傷者の眼がすっと
開いた・・。
「ここは、・・・・・・・・・・・。」
開いたのもつかの間、その者は再び深い眠りに入っていってしまった・・。
319禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/07 00:32
【相国寺・つづき】
傍らに付いていた薬師(くすし)が先ほど眼を開けた者を見た。
「む、いかん!」あわててその者の顔をさすり、意識を起こそうとした。
「だめじゃ、今また眠ってしまってはいかん、起きなされ、起きるのじゃ!」
必死の呼びかけもむなしく、その者が再び息を吹き返すことはなかった。
薬師は腕を取り、脈を計った。
「残念ながら、脈がござりませぬ・・・・・。」やりきれない表情で呟いた。

【中務通福、御所とともに散る】
320いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/07 01:09
石河宗林

関白殿下あて書状
粛清の必要はないものと考えます。
都の民への救済、お任せを。
321さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/07 01:30
相国寺つづき

>>317
花山院忠長 秀家卿……落ち着いて下され。
飛鳥井雅賢 帝のみならず、ここは容態芳しくない者ばかり……。ご静粛に。
宇喜多秀家 う……む……。

>>319
九条兼孝 くう……、中務殿……。
(主上の正体を知っているやも知れぬ者がまた一人……。)

【故中務通福に、従一位准大臣を贈ります。】

しばらくして……。
大覚寺から西園寺実純、仁和寺から広橋兼勝、勧修寺光豊の三伝奏が到着。
九条親子、烏丸光広とともに、会談の準備を整えた。

【今殿、宇喜多殿、どちらでもどうぞ。】
322院 ◆hnohUcpUS. :03/12/07 01:55
【鹿苑寺】
(時間がやや戻ります)
院の内意を受け、侍従が西園寺の下に遣わされた。
勅勘を受けている間、彼は北山・鹿苑寺で自適の日々を送っていた。

侍従 :「院におかせられましては、今般、帝がかようなことにおなり遊ばされた
   以上、貴殿に事態収拾の任に命ずとのことです。」
西園寺:「院のご内意は謹んでお受けいたしたいが、内大臣補佐は大坂が
    うんとはいうまい。それに、麿よりむしろ適任がおろうに。」
侍従:「「しかし、院におかせられましてはぜひ貴殿にとのご叡慮です。」
西園寺:「武家伝奏はともかく、内大臣補では荷が重い。院のご内意を受けて
    動かねばならぬなら、閑職のほうが動きやすい。」
侍従:「貴殿のご内意は一応承っておきましょう。」

後日、院はこれを一応天聴に達せしめた。したがって、西園寺は内大臣補ではなく、
筆頭侍従に任ずることに決められた。のちに、西園寺が「頭侍殿」と呼ばれる所以
である。
 閑話休題、院の内意を受け、西園寺は相国寺へ向かった。

【西園寺を筆頭侍従に補任】
323上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/07 05:34
上杉景勝「宇喜多殿を迎えにいくとするか」
【上杉が大坂駐留軍のうち5000を率いて京都に向かいました】
324禁裏 ◆hnohUcpUS. :03/12/07 15:48
【相国寺】

亡くなった中務は、居合わせた宇喜多公や
公卿らの手によって荼毘に付された。
参列した者からはすすり泣く声が聞こえ、あるいは終始うつむいたままの
者が多かったという。院の弔辞を八条宮が代行して読まれたが、宮は嗚咽
して、しばしば絶句されたが、涙をこらえて、無事読み終えられた。
 「中務殿に弔意!」
宇喜多公の好意により、公の率いる鉄砲隊が弔砲が撃ち、秋風荒ぶ京の街
に大きく響き渡った。


そのさなかである。一人の負傷者がやおら目を開けた・・・。
「ここは、どこじゃ・・・。」
325宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/07 17:41
【聚楽第跡…征討軍本陣改め洛中復興仮設陣屋】

御所を初め洛中の消火作業も終了し、戦災住民への避難誘導(大寺院へ)一段落した頃
本多「これを関白殿下にお届けするように」
旗本「御意」

宇喜多発、大坂表宛
「逆賊小幡を討ち果たし、秩序再建の目途も立ち申し候。
幾万もの猛々しい兵を都に留め置くは、今後の為によろしからず、
幾日か後に全軍を大坂に帰還せしめたく候。
ついては後任を木下勝俊殿にお願い申し上げたく候。
彼を京都守護職(臨時)に任命し、補佐として…(三成派の実務家数名)…殿達を当地に
派遣して頂きたく候」
【相国寺】
中務の弔いを終えて、西園寺は御所での負傷者が収容されている
部屋へ向かった。
「誰も周りにはおらぬな・・。」
部屋の襖を開けると、負傷者の一人が西園寺に向かって話しかけた。
「すまぬ、ここはどこじゃ?おお、西園寺殿では!」
「そなた、何者じゃ?ここは洛中相国寺である。」
「相、相国寺?」
「そなたが御所炎上で救い出された者か?それにしても何故麿の名を
知っておる?」
「おとぼけ召さるるか。朕じゃ。種仁じゃ。」
「・・・(阿波公方か・・・!)種仁とは?」
「西園寺よ、そのような口を利くとは、いかに戯言といえど、許しがたいぞ」
「恐れながら、種仁様とおっしゃる皇族は私は存じ上げませぬ。それに、帝
位を騙るは大逆でござろう・・。」
「無礼を申すな。わしは院のご落胤。院の内命により高御座に上ったのじゃ。」
「(阿波公方がい、院のご落胤だと・・?そうだったのか・・・・。
 お上は一言もおっしゃらなかったぞ・・。だからか・・。)」
西園寺は驚愕した。そして頭が混乱していた。
(しかし、それなら何故阿波などに養子に・・。臣下が帝位を践めるのか?)
帝であることを主張したが、何せ、火傷を負い、髪は焼けて、以前のお姿とは
全く別人のご様相であらせられた。そして、決定的だったのは、帝に拝謁した
ものが先のいくさで次々と命を落としてしまったことであった。大坂方で玉顔
を拝し奉ったものが皆無に等しかったのである。
 西園寺は無言のまま、踵を返し、部屋から退出した。そして・・・
「恐れながら帝の名を騙る大逆な者あり!兵はおるか!兵はおらぬかー!
不届きな逆賊を捕らえよ!」 

327いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/07 23:20
石河宗林
古田を伴い宇喜多殿と面談

石河 疲れました。
秀家 大儀。古田殿のお働きも評価されましょう。
古田 ありがたきお言葉。
石河 しかしながら、あのような雑説がすぐに流れるとは。毛利家の者どももなかなかどうして。
秀家 豊家の忍びも散らしましょう。
石河 お願いいたします。
古田 一つ、気になることがございます。
秀家 何でしょう。
古田 真田公が戦場におられなかった様子。出兵を命じられていたと。
秀家 そこよ・・・。
石河 機会は与えました。殿下と秀家様のご判断で、取り潰しもやむなしかと。
秀家 ・・・・。
【真田家、関白殿下のご判断で決着付けましょう。】
328さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/07 23:28
>>326
ドカドカドカ
官人1 何事でおじゃりますか?
西園寺 (かくかくしかじか)
官人2 はあ、それは災厄に遭うて気が触れたのであらしゃいませんか?
官人3 さようさよう、捨て置かれませ。
官人1 いや春でおじゃりますな。
ドカドカドカ……。
329上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/08 02:56
上杉軍5000入京

上杉(思えば、余がこの地で山賊ごときに苦杯をなめたことがすべての始まりであったな)
夕刻には聚楽第に到着。
宇喜多に面会を求める。
石河と面会中との報を受けるが、知らぬ顔で乗り込む。

ちょうど、真田問題について、石河が切り出した直後だったという。

得意げにしゃべる石河は気づかない。しかし、宇喜多は気づいた。
石河「ですから。。。関白殿下が。。。」
宇喜多「・・・」

景勝「失礼してしもうたかな席をはずしましょうか?」
宇喜多「おおお、これは景勝卿、わざわざご足労いただきかたじけない」

見事な配慮の人ぶりをみせる宇喜多。

景勝「大勝利おめでとうございます。大坂も戦勝の報に沸きかえっておりましたぞ。宇喜多公凱旋の暁には盛大な祝いの行事を執り行う所存。
    早急に帰還なされい。みな首を長くしてまっておりますぞ」
【宇喜多どの、ちと用事がw】
330いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/08 20:23
石河宗林
(うるさい男が来おったわ。見ておれ。いつか蔵入りに・・・)

石河 これはこれは上杉様。お体はもうよろしいので。
上杉 これ、この通り。
石河 それはよう御座いました。私はこの後、町衆と茶会ありますゆえ。
上杉 さようか。茶道楽もほどほどにな。
秀家 上杉様、茶の湯の場で、町衆の協力を取り付けておるのですよ、石河殿は。
上杉 で、あるか。
【石河、退室】

古田 上杉殿は何ゆえ、貴公に厳しいのだ。
石河 あれはな、わしの美貌に嫉妬しているのであろう。
古田 (・・・・)
石河 ははは、冗談ですよ。今日は晴屋さん、十二屋さん、松屋さんとの茶会です。
古田 わしは、戦よりもやはり茶の方が良いな、ふっふふふ。
石河 宗味も、もはや貴殿の弟子ですからなぁ、ははははは。
【石河、京の町衆を通じ、豊臣家よりの世論形成】
331宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/08 23:20
少し時間は遡り…

中務の弔いを済ませ、早い目の夕餉を摂る公家衆
そこへ足音高く、鎧直垂装束の秀家が現れた
秀家「方々に申し上げる、輿を用意させました故、明朝
    大坂にお発ち願いたく、今宵の内に準備の程よろしくお願い申す」
九条「急な話におじゃりますな」
西園寺「それは、どういう子細でありますかな?」
秀家「今後について話し合う為で御座る」
広橋「麿達はその為に参ったのじゃが?」
勧修寺「さよう、さよう」

ニコリと笑い一座を見渡す
秀家「拙者は過分にも従三位中納言を頂戴しておりますが、豊家の一家臣
    に過ぎません、大事な話は大坂城にて関白秀秋殿と話して頂きたい
    のですよ、それに秀頼様への戦勝祝賀もまだで御座りましょう?」
九条「うむう…」
広橋「…ヒソヒソ…」
勧修寺「…ゴニョゴニョ…」
西園寺「…(どちらにせよ、今少し時間はあるな、でわ…)…」
その後>>326 >>328
【今殿、公家殿どうぞ】
332宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/08 23:55
>>327
秀家「岩田欲しさに、真田が先に手を出してきたのだ、許すわけには行かぬ!」
(*秀家はそう思っている)
古田「されど、故太閤により大名同士の私闘(合戦)は禁じられております」
石河「次に大戦(毛利?)を控えておりますしなぁ」
秀家「うむ、法度を守らす立場である儂が法度を破るわけにはいかぬ…」
バキッ、握りしめた扇子が折れた

石河「では?」
秀家「うむ、秀秋殿と本家の判断に従おう」
古田「まさか無罪放免とはいきますまい」
秀家「…」

>>329 >>330があって)
秀家「勝俊殿に後事を託せれば直ぐに大坂に帰りましょう」
景勝「ふむ」
秀家「まぁ、先ずは勅使(?)にご足労願い大坂へ下向(>331)して頂きましょう」

【上杉殿どうぞ】
333さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/09 00:38
>>331
九条 ううむ、主上がかような様子で内覧が京を離れるのはどうも……。三伝奏に委ねたいと思うが。
広橋 左様でであらしゃいますな。左大臣におかれましては主上のお側に居られるべきかと。
九条 うむ、何なら我が名代として息幸家を遣わそう。

【九条兼孝の代わりに幸家を大坂へ向かわせます。】
334上杉 ◆j9lCIaXDC. :03/12/09 02:03
聚楽第跡
上杉「そうとうご立腹ですな」
秀家「む、聞こえておりましたか」
上杉「いや、ほとんど。むしろこれですな」(と言って床に落ちている折れた扇子を指さす)
秀家「うははは。あやつはゆるせません」
上杉「・・・。関白殿下から頼まれたことがありましてな」
秀家「ほう」
上杉「恐れ多くも関白殿下は、貴殿に毛利討伐の総大将を任せたい考え。しかるに宇喜多公は、
   逆賊毛利よりも真田公への私怨で頭が一杯である。これをなんとかせいとな」
秀家「ぬ。あやつはわが領土に・・・」
上杉「ここはワシの顔に免じて、水に流してはくれまいか。大国毛利を討つには貴殿の力が必要」
秀家「それは真田公があなたと盟友だからいっておるのではあるまいか?」
上杉「それも、あります」
秀家「あっさり言いますな」
上杉「それにだ。真田公は先の大戦で秀忠軍を遅らせた上、さらに帰路ではこれを壊滅するという戦功を建てておる。
   これほどの功臣をだ、確実な証拠もなく手討ちに出来るなどとは考えられん。これは関白殿下のご内意でもある」
【宇喜多殿ターン】

>>330
宇喜多公たちとの会談を終え、西園寺は寺の中の
一室を借り、しばらくそこにとどまることにした。
(あの阿波公方は何とかせんと、ほんまにまずいでおじゃるな・・。)
幸い、西園寺は懐に短刀、そして不穏きわまる洛中の情勢を聞き、刀を
持ってきていた。
 それらを身に付け、彼はふたたび負傷者の収容されている部屋に向かった。
(本当は家来あたりに・・・。まあよいわ。わししか事実は知らんのやから)
>>335
急ごしらえの医者・貝原は奮闘していた。父が元々漢方医で有ったとは言え、彼は父に学んだものをベースにし、
民間薬や南蛮医学をも見よう見まねで取り込む実践家であった。
これまでの宮中の典医達に無い知識と、懸命さが彼を支えていた。今日も、帝のご傷病をはやく治すため、
伊吹山の山伏から手に入れた新薬を煎じ、傷薬をこしらえている。

と、そこへ西園寺が・・
貝原「なんでござるか西園寺殿、今、帝におかれましては絶対安静でござるゆえ、先ほどお話をされてからはぐっすりとお休みです。
    お話でしたらわたくしが承りますゆえ、しばらくお待ち下さい・・」

【貝原久兵衛が西園寺を遮りました。なお、貝原は帝の事情について何も知りません】
337宇喜多:03/12/10 00:16
>>334

秀家「…我が領民を騙し、賊徒(猪俣)を煽動した真田を攻める事が私怨と?」
上杉「左様」
秀家「確かに真田を攻めるよりも、毛利を誅罰した方が秀頼様のおためになり
    ましょうな…毛利討伐には喜んで参陣仕ろう…」
上杉「うむ」
秀家「されど…いかに貴公の盟友に大功ありといえど、他領(上野)に謀を
    仕掛け、軍役(小幡攻め)にも応ぜぬ者を無罪放免にせよとは…
    余りに一方的な…失礼、忘れて下され、秀秋殿が秀頼様のおために
    命じた事、従いましょう」
上杉「うむ」
秀家「…これが…謙信公が生涯を懸けて護ろうとした正しき義なのですな…」

【上杉殿どうぞ】
338長曾我部盛親:03/12/10 00:22
【四国始末記1】

土佐、阿波は既に手中に収め、淡路・伊予も間接的ながら支配下に置いている。
しかしながら、愚鈍を気取るために行った酒害が盛親の身に破滅を齎していた。

(大坂へ向かう船上)

盛親「…毛利は動かんな」
中内「左様。動きません。さすが三星かと。…殿」
この時、盛親は気だるい身持ちから、直、血が逆流してさめる面持ちがした。
昏倒する盛親。
それを、見て船中が騒然となる。

中内「船を返せーーー」


339長曾我部盛親:03/12/10 00:34
【四国始末記2】

船を返してから長曾我部関係文献は語らない…
しかし、公儀に対しては以下の文面が出されたのみ。

宮内少盛親、重病につき一子右近兵衛に相続願わしゅう。

一方、阿波において「阿波帝及び征夷大将軍御りょうえ」なる儀式がしめやかにおこなわれた。
平成の代になって平島家当主が語る。
「いや、由来は知りません。口伝で祖先っていうがですが、帝になったちゅうことで。当家は14代様の末裔
ですし、併せてっちゅうか合祀しとるんですは。」

しかし、当主の重い口ぶりに歴史の重い影を感じたのは筆者だけだろうか。
(取材 ○○)
340毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/10 01:22
【村上武吉と瀬戸内海海賊衆との密談】

 「・・・というわけじゃ、もう西国筋は豊家の下知には従えんという
  声であふれておるわ」
 「そうじゃの、わしらをまとめる土佐様もあのとおりじゃ・・・」
 「そうよ、しかしなわしらは自由な海の民、それされ保証されれば
  天下様がだれであろうと、かまわぬのよ」
 「・・・ほう、してわしらは誰についていけばいいのかの?」
 「このまま西国筋の動揺が続いて、青臭い奉行に押さえれると思うか?」
 「・・・なるほどの・・・」

【密談終了。村上水軍瀬戸内海の自由を獲得、表だっては何もしません】
341毛利秀就 ◆A30VZTENKA :03/12/10 01:25
【広島城内】

 ー先の長曾我部よりの書状を見てー

家臣「どうなさいますか?」
後藤「捨て置け」
家臣「は?」
後藤「今の京・大坂は青臭い若造と長袖の野心家どもがしきっておる
   いずれも理屈を理屈と思わない奴らばかりよ、相手にするのは
   疲れるわ」
家臣「では、どうするので?」
後藤「安治川の元氏にまかせておけばよいわ」

【後藤又兵衛、広島にて鼻毛の手入れ】
342いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/10 01:55
あまり知られていない歴史がある。
石河光元、宗林の兄であるがこの人物、関ヶ原では西軍として戦った。
その時の城は叶堂城。そう、豊臣家が水軍の拠点として淡路に築いた城である。
彼は、叶堂城を新しき拠点として新規に築城した。豊臣家水軍とのつながりは、記録がないが、
かなりなものであったと予想される。
豊臣家の譜代代官として五万石を領した官僚系大名であるが、その事跡はあまり知られていない。
ただ、その側室を家康に送ったことで、石河の名は、尾張に残った。
悲しいかな、正室・浅井井頼の娘の産んだ嫡男のその後は、史実から消えている。

さて、話を当スレに戻そう。
淡路を離れたとはいえ、その影響力はいまだに残っている。
毛利家の動きが、石河に素早く伝わっていたのはこのおかげである。
石河光元は関白に言上した。
「毛利は巨大です。窮鼠猫を噛むの喩えありますが、200万石越える鼠は虎と同じにございます。
しばし、様子を見て、秀就公をお迎えするように、可能な限り尽くすべきと存ずる。」

豊臣家の官僚としての自負と、浅井家とのつながりを背景にした発言である。
たかが、5万石ほどの大名であれば、何もなければ関白は一顧だにしなかったであろう。
一応、話のみは、関白も聞いたようだ。
【石河光元、西国での戦闘回避のために動く】
343上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/10 04:47
>337
秀家「不識庵云々」
上杉「この無礼ものめ!西国の土豪あがりのぽっとでの分際で不識庵さまの義を騙るとは百年はやいわ!!」
宇喜多「!」(あららキレてしもた・・・)
上杉「おぬしの顔をたてて黙って聞いておったが、もう我慢ならん。
    真田が扇動した証拠でもあるのか?公儀に訴えたのか?なにもしておらぬではないか!領内の不届きを棚にあげて、真田公に罪をかぶせるとは言語道断。
    つけあがるのもたいがいにいたせ!!!」
というなり席を外して帰りましたとさ
【禁句ですよ、宇喜多どの・・・】


>>335
「海原と申すか、いかに貴殿が名の聞こえた典医といえど、
そこを退かねば斬って捨てるぞ!そもそもそこにいるのは・・・」
 西園寺は刀の柄に手を掛けた・・・
>>344
貝原、微笑して
「西園寺殿、ここは殿中でござる。刀を納められよ。殿上人に刀は似合いませぬ。
・・・どうしてもというのであれば、拙者もお手合わせ致してもよろしいが」
といいながら静かに立ち上がった。右手にダラリと鞘がついたままの刀を下げている。
いわゆる下段の剣の構え、西園寺が打ち込んでくれば瞬時に対処し、足を薙ぎ払う構えであった。

346 ◆zAnbFVoD9M :03/12/12 21:58
なかなかカキコできねーなー・・・
なんか好き放題やった挙句に逃亡せんとしてる西国の不届き者がおる
みたいやけど。ふざけんな。おいらは今回なんも馬鹿できてねーんだぞw。
ふてぇ野郎だ。絶対苦労しょわせたるw。

【大坂城】

石河の報告を見終え、薬を飲み干す秀秋。最近飲む回数も量も増えてきたな。
何時死ぬか楽しみよとひとり笑う。

石河に→毛利に譲歩は無用・・・少なくとも豊臣は頭を下げない。此度の一件について
     聞いておけ。・・・ま、証拠なし、奴は逆賊秀元の家臣で煮ても焼いても関係なし
     という文が届くだろうがな。届く文を会津へ渡す。戦を正当化したいはずだから
     難癖を考えるだろ。朝廷への配慮とかをついでに任せる。院と又話をせねばなら
     んかもな。

会津と武蔵の喧嘩別れはまだ報告されてないのでスルー。

【御室仁和寺】

松平秀康本隊は仁和寺を警備することとなり、八条宮様をお守り申し上げている。
秀康隊は先日の御所での戦い(後に禁門の変と呼ばれることになる)で毛利家隠密奉行・内藤勘解由次官の首を挙げ、
有る程度の勲功は挙げたものの、目標としていた小幡を討ち取る事は出来なかった。
これから起こるであろう毛利攻めに対して、秀康と松平家信・岡部宣勝は戦略を練った・・
秀康「とりあえず余りにも手勢が少ない。130人(20人が戦死・負傷)ではのぅ・・」
岡部「国元より補充を致すのがよろしいかと」
家信「そうじゃな、内藤の首級を以って宇喜多様の陣中へ参り、増援の許可を求めようぞ。使者はわしでよいかな?」
松平家信は前紀伊守、今の松平家では数少ない従五位の官職を持つ人物である。戦歴も小牧長久手以来という古つわものであり、
人柄も申し分ない。使者にはうってつけといえた。

【松平前紀伊守家信が内藤の首級を持ち、増援の許可を武蔵殿に求めます】
【化野念仏寺】

本願寺門跡教如は、広隆寺僧から抗議を受け、浄土宗念仏寺へ難民救援の本部を移していた・・

教如「ここも安住の地とは言えぬが、同じ弥陀の誓願を頼む身であるゆえ、広隆寺よりはよかろう・・」
幸い、諸国から門徒が集まり、救援活動は軌道に乗りつつあった。
雑賀衆の生き残りだった、雑賀浩浩房重満。鉄砲を捨て、人々のために生きようとしていた。
本福寺のお雛坊こと、本福寺恵祐尼。堅田から親と伴にやってきて、みんなのアイドルになっていた。
安藤宗恩房重信。教如を支え、事務方として動いた。元武士として、護衛も務めた。
真徳寺兼祐。亡くなった人々の、読経に追われていた。経文の「朝には紅顔、夕には白骨となる身なり」という所へ来ると、いつも泣いた。
加賀の学僧、下間法橋頼拙。わざわざ雪深い北陸から、駆けつけてきた。
恩善寺正玄。兼祐とともに、葬儀を担った。

・・後世、浄土真宗を復興したとして「化野六輩」と言われる人々はここに誕生した。
彼らは「非僧非俗」を旨とし、ひたすら難民救済と仏教の普及に務めた。
・・施しの粥の鍋の周りにたくさんの焼け出された人々が群がっていた。
「はーい、ならんでならんでーッ、ちゃんとみんなのぶんありますからー」と、お雛の恵祐(彼女は
教如から法名を授かった)が叫んでいる。浩浩房重満が大きなしゃくしでひとびとの茶碗に粥を注いでいた。
吐く息が、皆白かった。

「このままでは、冬になった時家が無い人がたくさん出る」浩浩房重満は、悩んだ。
焼け出された人々は、5千人に及んでいた。(田口トモロヲ風に読む)
349上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/12 23:44
上杉景勝はつぎに手兵すべてを引き連れて、洛北の院在所を訪ねた。

兵を外にならばせ、一人入る上杉。
「頼もう」
(中略)
勝手に上がりこむ上杉。
すだれの向こうに妖怪が見える。
京を地獄に陥れた張本人。これはすだれをはさむ両者にいえることかもしれない。

上杉「ごきげん麗しゅう。逆賊・景勝、参上つかまつりました」
院「ほー」
上杉「天兵たる毛利公の兵はどこかへ消え去りましたなあ(ニヤリ」
350院 ◆hnohUcpUS. :03/12/13 00:15
【洛北・大覚寺】
>>349
だいぶ前に参内を要請したはずであるが、出羽よりここまでは
日の本と南蛮と同じくらいの距離があるのかのう。(w
 それに、何者かが帝を騙り、そちを追討せよとの偽勅を出したよう
じゃな。わしは洛中の人心を紊乱する逆賊を討てとは申したが、上杉を
討てとは一言もいってはおらぬ。もし疑わば、過去の朕が言を参照するが
よい。
 ときに、京内は宇喜多中納言の尽力により人心もだいぶ安定してきた。
貴殿は何用があって、ここに参ったのじゃ?

【上杉殿、たーんです】
351上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/13 00:38
上杉「決まっておるでしょう。仇討ちですよ。くくく」
院「・・・!」
352院 ◆hnohUcpUS. :03/12/13 00:59
>>351
仇討ちとは・・・誰の仇討ちじゃ?
このわしをたとえ討った所で、今度は貴殿が第二の小幡になろうぞ。
洛中にはいま、かような戯れ歌がはやっているらしいぞ(w

 もう瓜は 小畑に植えすぎ 間引きせず
 憂き田の中に 今日は収めり

よくよく、考えることだ・・・。越後のえなか武士か、
毘沙門天の生まれ変わりか、それは貴殿の心ひとつじゃ。
ふふふふふふ・・・。
353上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/13 01:41
上杉「ほう・・・汗が出ておりますぞ。どうかなさいましたかな?それに何を勘違いされておることやら」
院「ぬ・・・」
上杉「憂き田には 稲を植えすぎ 鹿とかな 早秋 鎌倉 神は八幡」
院「なんじゃそりゃ!この田舎者め!!」
上杉「それがし、無骨者にて、、、これでは狂言の類ですな」
院「坂東のサルめが、、、」
上杉「京はまだまだ治安が悪うございましてなぁ。当分拙者が水も漏らさぬ護衛をいたしましょうぞ」
354今 ◆hnohUcpUS. :03/12/13 01:55
院:「まだまだ京は不穏な情勢が続いておる。貴殿の警護とやらも
 何らかの方便にはなりえよう。われわれは洛中をここまで追い込んだ
ある意味「戦犯」じゃ。閻魔大王に二人打ち揃ってこの雁首差し出そうぞ。
 小幡と三人で、髑髏を杯にして、酒でも酌み交わせればええな・・・。
はははははは・・・。
【院、上杉侯によって大覚寺に幽閉される】
355豊臣秀頼 ◆wzlubUsJEo :03/12/13 03:12
むずかしいはなしはわからぬが
今よ、余におなごを世話せぬか?

上杉よ、余におなごを世話せぬか?
それともお主は男色か?

宇喜多兄上よ、お豪が怖いか?
余と共に豊臣のために子孫繁栄に励もうぞ!

通信手段のないこの時代に秀頼は画期的な通信手段として
伝書鳩を使いこのように主たる面々と連絡を取る事に成功した!!!

まさにこれこそありそうなIF!!!!
この現実を曲げるような御仁は余が許さぬ!

だってIFだから。。。。。

余は皆に対して平等な人間。しかし自分に対しては
蜂蜜に砂糖をかけたような甘い人間。余の存在を認めるかどうかは
参加者に一存しよう。たまにまったりと出てくるゆえに。
356上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/13 19:49
・・・後世に女狂い天下様としてしられる萌芽が見られた最初の出来事だった。
これは三十年後の内緒話だが、
諸大名は興を買うためにつぎつぎと生娘を大坂に献上。
唐土の始皇帝や董卓もさありなんというほどの女狩りぶりで、
女が一人もいない村がいくつも出現するほどであったという。
一方、大坂は秀頼に捨てられた女であふれ、男女比率が崩壊。
各国の若武者たちの格好の初舞台地として後の世まで知られるようになったという。
そんなわけで後に●●による天下奪取物語はこの時の命令がすべての始まりだったのだ。
・・・と話にのってしまったが、元にもどそうw

さて、院を監禁した上杉公。
おもむろに部下に旗を掲げるように命じた。
豊臣家の旗であった。出所はわからない。毘の旗とともに並べられた。
そして、関白に手紙を出した。
「京は不安定ゆえ、宇喜多公の援軍に参った次第。なにぶん大急ぎであったため、
 事後承諾となったことをお許しください。なお公儀の旗は先の大戦で使用したものを使用しまております」
と書いた。
「後は、策士の胆次第だな」
一言つぶやくと、四千を率いて市中を行軍しはじめた。
先頭には豊家の旗がたなびいていた。

 

  
357内藤勘解由:03/12/13 21:06
私の首を挙げしは結城前宰相か。

「死して屍拾う者なし」
【相国寺】
貝原は刀(注:抜いていません、鞘が付いたままのものを手に持ってダラリと下げているだけです)を
持ったまま、更に西園寺に問うた。

「殿中にて抜刀するのは御法度ではござらぬか。そもそもこちらにおられる公卿方は明日をも知れぬご病身、
誰を害するのかわかりませぬが、殿中闇討ちは帝の御心にも反すると思います。それとも院宣でもお持ちなのですか」
西園寺「黙れ黙れ、余は正三位内大臣補兼武家伝奏事務取扱西園寺実純である。汝の如き無位無官の者に指図される言われはない」
貝原「・・・私も従六位下兵衛尉です。六衛府の面目にかけても殿上人をお守りいたすのが我が職務」
そういって袂からパラリと令状を出した。確かに従六位下貝原右兵衛尉源利貞、と有る。
貝原「・・・結城前宰相家に仕える前は、さる源氏の受領の家に仕えておりまして、その時に拝命したものです」
なるほど、確かに平安以来六衛府は帝をお守りする職であった。
貝原「帝の御所在がわからぬ今では、院宣か何か書状がなければ通すわけには参りませぬ・・
   唐土には許仲康なる衛士が君命なき公卿の参内を断り、帝に嘉納頂いた故実もござります。何卒お引取りを・・」
>>358
西園寺「ここは洛中相国寺である!殿中ではござらぬ!」
とはいえ、さすがに西園寺も貝原の構えを見て、切りかかるような
馬鹿ではなかった。抜きかけた刀を納め、貝原に言った。
「病人のいる部屋で刀を抜きかける方がうつけでおじゃったわ。ハハハハ。」
そういい残して、西園寺は部屋から出て行った。
360さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/14 13:08
どーでもいいが大覚寺は洛西じゃて。

仁和寺

鷹司 上杉め、あやつには親父の一分ほどの尊皇の心もないのか。
二条 院の幽閉とは……、平の相国以来のことじゃな。
義演 入道相国、北条執権、伊勢政所、織田右府……、この一族には……。
鷹司 む? 上杉は勧修寺流ではないのか?
義演 謙信も景勝も実家は長尾じゃて。
鷹司 そうじゃったか……。まあ確かに平氏という連中には……。

ドタドタ

西洞院 平氏がどうかしましたかな?
三兄弟 !!!

西洞院時慶 従三位参議
桓武平氏高棟流。堂上平氏の総本家だが、彼自身は飛鳥井家からの養子である。
分家した子供が多く、平松、長谷、交野の各家が分かれている。
『時慶卿記』の作者としても知られる。

かなり長期間活躍しているが、官はずっと参議のままである。

【対上杉リーサルウェポンその一、ついに登場。役に立つのか?】
361さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/14 13:21
>>359
縁側を歩く西園寺、そこへ九条が擦れ違う。

西園寺 これはこれは、まだお休みでは……。
九条  あまり妙な真似はせんようにの、内府殿。
西園寺 !? いや、既に内大臣の儀は辞退申し上げておりまする。
九条  明日は早いのじゃろう? もうお休みになっては如何かの、右府殿。
西園寺 !

【九条の頭の中では組閣人事が進行中。】
【361のつづき】

九条卿の最後の一言が、西園寺の脳裏に強く焼きついていた・・。
(右府とな・・・。九条の奴、麿を総見院や菅公のようにするつもりか・・!?)
「大体、奴は御所の焼失に何ら責なしとは、どういうことだ・・?
こっちは勅勘をこうむっていて、動くに動けずじまいであったのに・・。」
 だんだんとはらわたが煮えくり返り、彼の顔は怒りで真っ赤になっていた。
(そうはさせるか・・。)
西園寺は夜ながら、数人の従者を伴い、早馬で院のおられる大覚寺へ向かった。
しかし、このとき大覚寺がどのような状況に置かれていたか、西園寺の耳には
何一つ伝わってきていなかった。
363さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/14 19:34
あ、あかん。
西園寺には潰れて欲しく無いのじゃ。

つづき

洛西嵯峨野方面へ向かう道、妙心寺付近

馬を急がせる西園寺実純の視界に、一台の車が入る。
(あれは我が家の紋?)
足を緩めて近寄ってみると、急に中から声を掛けられる。
「おお、実純ではないか、最近家にも帰らず参内もせずどうしておった? 母上が心配しておったぞえ。」
どうやらこのへぼ兄貴、何の事情も知らないらしい。
「まあよいまあよい、実はの、二条公から急な呼び出しを受けての、そなたも一緒にということじゃった。」
実益が御簾の向こうから手招きする。
「ちょうどええわ。共に参ろうぞ。」

【右大将実益、ついに登場。こんなんでいいのか?】
>>363
実純「あ、兄君。こんな夜遅くどこへ?」
実益「二条殿からのお召しがあってでおじゃるな、今から
   そちらへ参ろうとしたところじゃが?こんな夜遅くとは
   こちらの科白じゃ。」
実純「じつはこれこれしかじか(ごにょごにょ)でおじゃってな」
実益「バカを言いなさんな。帝が騙りなどとは、開闢いらいそないなことが
   あらしゃったか?気でも触れたか?ハハハハ・・。」
実純「兄君、相国寺には魑魅魍魎がここ数日とどまっております。ここは
   麿にお任せあれ。二条三兄弟、この機に乗じて・・。
実益「バカを申せ。摂関家とわれら清華家は、もともと錦鯉と真鯉のような
   もの。過分に出すぎた真似は、家のためにならぬぞ。」
実純「真鯉が錦鯉になってはいかんとおっしゃられるか。同じ春日の流れを
   組みながら、片方は・・」
実益「そこまでにせい。誰が聞いているか分からぬ。相国寺には魑魅魍魎も
  おれば、白塗りの熊まで出ると殿上人の間で昨今噂になっておるわ。
  うかつに動けば、今度は貴様が小幡になろうぞ。」
実純「・・・・・。わかり申した。兄君のおっしゃるとおりにしましょう・・。」

【西園寺兄弟、相国寺に向かう】 
365織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/12/14 21:26
さて御所の件が終わった後、秀信は床に伏せた。
重病なのか国元へも帰らず洛外のある寺にいるということしかわからなかった。
鎮圧中に負傷したとも戦後まもなく反豊臣の刺客に襲われたとも様々な説が飛び交った。
中でも民衆のあいだで唄われたのは「♪織田氏殺すにゃ刃物はいらぬ、京で茶でも飲ませとけ」
これは秀信の祖父信長も京で茶会をした翌日に暗殺されたことから連想したようだ。

池田由「しかし前日に茶を飲んでた事が漏れますとは」
木造「うむ、内密にアレをやるには茶会が一番じゃ。まさかこのような事態になるとはのぅ
    ワシは兵を大坂は移す。おぬしら頼むぞ。細川候と森候はいかがなされる?」
森「私は残ろうと思う(織部の叔父貴が京にいるらしいしな)」
細川「拙者も右近殿と同じ考えだ(公卿に父上の恩赦を働きかけてみるか)」

【木造率いる織田兵の大半は大坂城へ撤収、秀信面会謝絶】

秀信「くぅ…国元へ・・・まだまだこんなものでは……通用せぬわ・・・」
366上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/14 21:44
相国寺
上杉軍が厳重な警戒態勢をしくご当地に一台の車が近づく。
兵がいう。
「何者か?」と。
【今やんでも公家どんでもどちらでもええw】
367院 ◆hnohUcpUS. :03/12/14 22:15
>>366
誰何した上杉の兵に対し、車を引いていた従者は一喝した。
「頭か高い!恐れ多くもこの車は院のご名代、八条宮智仁殿下が御車に
あらせられるぞ!」

【上杉殿、どーぞw】
368上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/14 22:19
それをきいた守将・水原。
平伏し、発言。
「これはこれは。昨今治安が悪うございましてな。我らは院の警備をしておるのですよ。それにしても大変失礼をいたしました」
【車通行許可おりる】
369院 ◆hnohUcpUS. :03/12/14 22:45
【大覚寺】
院が幽閉されている大覚寺の一間に八条宮が通された。
智仁「なにやら、ものものしき警護であらしゃりますな。」
院「美人と同じ。がーどが厳重なのじゃ。昨日の藩屏が今日は敵に
 成り代わったわい。まあ、御所を焼いた責が巡り巡ってきたわけじゃ。
 ハハハハハハ。」
智仁「とりあえず、お体だけはご壮健の体、何よりであらせ給います。
  九条公の文によれば、主上のご容態はひとまず安静であらせ給うとのこと。」
院「何じゃ、いまさらかようなことをそちは言上に来たのか?だいたい、主上など
 おらん。賊軍が種仁を帝だとおだてて担ぎ上げただけのこと。大友皇子と
 同じことよ。」
智仁「!では、主上とは・・・。」
院「さよう。はじめから認めておらぬし、三種の神器も渡してはおらぬ。
  それに、種仁はわしの落胤という噂が流れているが、あれは阿波公方の
  後裔じゃ。」
智仁「あ、阿波公方の後裔・・・!何故そのような者を!院といえど、何故
   に、何故に・・・・。」
院「すべては、有力な武家を一つ一つ自滅させ、後白河院の昔の例に戻すのが
わしが悲願じゃ。そちはそのとき登極の儀をと思い、今般は自重させたのじゃ。
今は武家も混沌とし、このようなときに譲位とあらばかならず大坂は太閤遺児の
将軍職を要求してこよう・・・。それまではわしは死ねぬは。たとえ御所を焼いても
実があればよい・・。」
智仁「お上・・・・。(絶句)されば、一日も早く、ここから脱出を・・。」
院「たまには三食監視つきのところも悪くない。おかげで、健康を取り戻したよ。
 はははははは・・。」
八条宮は院の天顔を拝し、御座所をあとにした。
(上杉も横暴なことをする・・。)
【八条宮はあっさりと帰りますw】
370上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/15 02:40
上杉軍が護衛?する相国寺。
出てきた八幡宮に深々と一礼する上杉兵。
水原はまたもニヤケ面を隠していった。
「宮さま。院もさびしいでしょうから、近臣の方をつれてしばしばこちらに通ってくだされ」

一方、食事係のものに命令を出す。
「毒殺の恐れあり。今後はわが軍が院の食事をまかなう」
この命令は院のもとにも即座に伝わりました。
院は大層お怒りになられたとか。
371 ◆zAnbFVoD9M :03/12/15 21:16
【京?】
上杉家が豊臣の御旗を立て、街を練り歩く。それを木の上から傍観する連中が
いる。丹波より裏を襲うつもりであったが、小幡の大根ぶりにあきれ隊の停止を
決めた男である。
塙  「・・・会津もせっかちよ・・・。これで毛利は朝廷を救う軍ちう大義を得る」
兵士 「ではとめねぇんですかい?」
塙  「会津にとって朝廷には信用ならんからな。・・・次の策をどう獲るのかが
   見物よ」
(一方大坂)
秀秋  「・・・」
当然関白にもこの動きは届いた。
松野  「・・・いきなり豊家の旗を・・・」
秀秋  「院が軟禁されたか。これでわしは無官に逆戻りよ(けらけら」
松野  「朝廷は魔窟です。つぶしたつもりが実は手玉に取られた武家は数知れ
     ずにて・・・」
秀秋  「上杉にとって豊臣との絆は生命線。考えがなければ使わんだろうよ・・・」
そんななか一つの考えをすみに置く秀秋。
秀秋  「(・・・朝廷は確かに魔窟・・・)」
薬の効きもあるのか。涎をたらし、口を開き。小さな、しかし明らかに異常な笑い声。
秀秋  「(いっそ・・・つぶしてしまおうか・・・ひひひっひひひ)」

372院 ◆hnohUcpUS. :03/12/15 21:44
【洛中】
院への拝謁を終え、自邸に戻る車中で、八条宮は一人黙考していた。
「院は上杉にだいぶやられておるな。それが証拠に、ずいぶんお痩せ
遊ばされ給いてあらしゃったわ。このまま上杉の掌中にあれば、飼い殺し
もいいところじゃ・・・。」
「院がお隠れになれば、おそらく政仁に神器は渡る・・。そうすれば豊臣は
かならずや禁裏の勢力削減に向かうであろう・・。昨日の小幡、今日は上杉
とは、まあ武家の考えることは相変わらずじゃ・・。」

 宮は院から手渡された一通の文を開けた。そこには
「浮田を頼め。さもなくば貴殿が朕の名代として、上杉追討令を発せよ」
とあった。
 文面を読み終わると、宮の額から汗が大きく噴出していた・・。

【八条宮、どうする?アイフル?】
373宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/15 22:05
上杉 「つけあがるのもたいがいにいたせ!!!」
秀家 「…(儂に我慢せよと言いおきながら、貴殿は逆上かw
     ちくと嫌みを言っただけなのにのぅ、まぁ共に偉大すぎる先代を持つ辛さよの…)…」
【秀家は好意的に勘違いしております…】

長曽我部家と織田家に病気見舞いを贈ります

関白殿下に言上
景勝殿に大覚寺(院)警護の許可をお願い致しまする。
朝廷より戦勝祝賀の勅使(三伝奏)が向かわれます、お会い下され。
大坂に軍を帰したいのですが、後任(>>325)はいつ?

松平殿に返事
洛中は落ち着きを取り戻しつつあります、むやみに兵を連れてくるべきでは無いでしょう
今は八条宮様の警護にお励み下され、宮様警護に兵(五百名)を向かわせましょう。
(あまり目立たぬ様、少しずつ功をお積みなされ…)
いずれ毛利攻めの下知ありましょう、その時は共に兵を上坂させましょうぞ。

化野念仏寺に使者(匿名希望)
此度の戦乱で亡くなった者達(小幡、内藤を含め)に経を上げてくれぬか
些少ではあるが、これは布施として取っておいて貰いたい。
【被災者救済に米百石と銭四百貫を寄付】

武家三伝奏の大坂下向に護衛(三百名)を付けます

秀頼様へ伝書鳩
お豪はスッゲー怖いッス!
(この密書がお豪とか、淀の方に読まれませんよ〜に…w)
374宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/15 22:14
関白殿下に密書

今上が御退位あそばされた場合、次の帝には八条宮様こそ相応しいかと…
武家伝奏の方々とよろしくお話下されますよう…
375さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/16 19:58
さあて、時間を進めますえ。

>>331の)翌朝 相国寺

飛鳥井雅賢 大坂かあ、どないなとこなんでしょうね。
花山院忠長 さあ? あとで広橋卿に聞いてみるか?
飛鳥井雅賢 いやあ、そこまでは。どの道この目で見るんやし。
花山院忠長 そらそうやな。

烏丸光広  おお、ここにおったか。すぐ出立するぞ。

花山院忠長 従四位下左近衛権少将
権大納言家雅の長男。ばさら公達の一人。たぶん十五歳くらい。
史実では官女密通事件で流罪となり、そのまま死去。家督は弟が継ぐ。
この世界では、はっきり言って単なる不良のボンボン。

飛鳥井雅賢 正五位下蔵人侍従
権大納言雅継の長男。祖父雅庸は武家伝奏を務めた。
公達衆の中では最年少。おそらく十一歳か十二歳。よって>>198は別人と思われる。
マスコット的存在(しょた系)を目指す(w

【三伝奏プラス有象無象(よけいなもの)、相国寺を立つ。】
376無名武将@お腹せっぷく:03/12/16 21:38
これは此の世の事ならず 死出の山路の裾野なる 
西院河原の物語 聞くにつけても哀れなり 
二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬみどり子が 
西院の河原に集りて 父上恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は 
此の世の声とはこと変り 悲しさ骨身を通すなり 
かのみどり子の所作として 河原の石を取り集め 此れにて回向の塔を組む 
一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 
三重組んでは故郷の 兄弟我身と回向して 
昼は一人で遊べども 陽も入相のその頃は 地獄の鬼が現れて 
やれ汝等はなにをする 娑婆に残りし父母は 追善作善の勤めなく 
ただ明け暮れの嘆きには むごや悲しや不びんやと 
親の嘆きは汝等が 苦患受くる種となる 
我れを恨むること勿れと 黒がねの棒を差し延べて 積みたる塔を押し崩す 
其の時能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給ひつつ 
汝等命短くて 冥途の旅に来たるなり 
娑婆と冥途は程遠し 我れを冥途の父母と 思ふて明け暮れ頼めよと 
幼きものをみ衣の 裳のうちにかき入れて 哀れみ給ふぞ有難き 
未だ歩まぬみどり子を 錫杖の柄に取り付かせ 
忍辱慈悲のみ肌に 抱き抱えてなでさすり 
哀れみ給ふぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩
377上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/16 22:50
上杉の包囲はなおも続いている。
連日兵を連れまわして京洛を練り歩く上杉景勝の真意は不明。
ただし、院への抑圧が高まるごとに、当然ながら情報も筒抜けになる態勢ができつつあった。

この日、行進を終えた上杉は陣所に戻ると関白宛てに書状を書いた。

「院が毛利を炊き付けたことはもはや明白。院旨やら官位の贈呈やらと証拠は山のように出てきております。
 しばらく監視いたす所存ですが、あるいはさらなる策謀をはかるやもしれません。その場合の処置は、関白殿下にお任せいたします」
書き終えた後、しばし建物を眺め、
「圧迫もころあいだな。死なれては困る」
こうつぶやくと兵に食事の量を元に戻すよう指示した。
さらに軍に警戒を強化するよう命じた。

378上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/16 22:56
その2
同時期、下諏訪宿を進発し、中仙道を進んでいた武田信清率いる会・甲混成軍が近江・関ヶ原に到着した。
一方、待機命令が出ていた直江率いる東北連合軍は、毛利討伐の激に応えた衆を吸収し、兵力は八万を数えた。
初秋の鎌倉八幡宮にて神事を行った彼は、再び次の命令を待った。
焦れる大軍をなだめすかす術を彼は知っていた。
当然であろう。あの直江山城なのだから。 
379院 ◆hnohUcpUS. :03/12/16 23:24
【大覚寺】
上杉公に軟禁された院は以前と比べてご容体がすぐれなくなっていた。
ここ数日の気温の変化が激しかったのが原因か、ついに院は倒れられて
しまった・・・。

【院、急性肺炎で倒れられる!】
380さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/17 20:00
さて、三伝奏その他を送り出した九条兼孝は、西園寺実益と共に仁和寺へ向かった。
洛中の混乱が収まった今、御所へ帰っても良さそうなものだが、これ見よがしにと洛中洛外を闊歩する上杉軍に恐れをなしているのだった。
何よりここには、仁和寺宮、二宮幸勝王、三宮政仁親王、そして皇弟八条宮がいる。

「しかし面倒じゃのう。早いところ皆を禁中に戻さねば。」
(洛中ならば宇喜多、石河らの影響力の方が強い……。)

上杉侯へ書状
此度貴卿におかれては大覚寺入兵院の幽閉云々京童らが騒ぎ立て……。

(要約)
・院に仙洞御所へ御戻り頂きたい。
・あんまりつわものに京の町を跋扈させるとろくなことにならんで。
・て言うか何がしたいねん(w

従一位 内覧左大臣 藤原兼孝(花押)
381さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/17 20:31
仁和寺

二条 ううむ、やはり西洞院では軽いな。上杉になめられる。
義演 かと言って西園寺に任せるわけにはいくまいて。今出川などは論外じゃ。
鷹司 やはり頼らねばならぬかのう……。
二条 やむを得ぬ。

そこへ>>379の知らせ。

二条 上杉め……。

【上杉が院を飢えさせた、いやいや毒を盛ったのだ……。公家衆に様々な噂が広まっています。】
382京の民 ◆UhRF0Y9wWE :03/12/17 21:36
(三条大橋)
こたびの戦で、家を焼かれた者が多数続出した。
三条大橋のたもとにはそうした者たちが集まり、小屋を建て、
雨露をしのいでいた・・・。
民・い「侍と麿どもがあらそったとばっちりをなぜわしらが・・・。」
民・ろ「どこのお侍かしらねえが、最近では家があっても食い物や女子供
   まで取られてしまうそうだ・・・。」
民・は「物騒なことを言いなさんな。どこで侍が見張ってるか分からん。
   かかあと娘は今どこでどうしているやら・・・。うう・・。」
民・い「こんなところでぐじぐじ言っていても仕方ねえ。いっそ、この際
    侍さまにうったえてみねえか?」
民・は「お侍さまに?よせよせ。鉄砲で撃たれておしまいだぜ。」
民・ろ「ん?なんだかきな臭えな・・・。ん?橋が、橋から火が上がっているぞ!
    大変だ!」
民・い・ろ「えっ、どこに?うわ、大変だ!?逃げろーーーー!!逃げて=−−!!
     逃げてーーーー^^^−−!!!」

(三条大橋から大きな火の手が上がっています。放火と思われ)
383いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/18 00:38
鎮火

焼けたことのあるこの橋、防火のための水桶が、橋の上にいくつも設置されていた。
そして、それを守る豊臣の兵。
火は、すぐに消し止められてしまった。
石河が鎮火に働いたと、もっぱら京では評判です(w
384上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/19 02:12
九条様に返書
「拙者は草深い越後の出にて、文でのやり取りはむずかしいことこの上ありません。
 どうやら誤解もあるようですし、お望みのことあらば、大覚寺前の当家の陣所までお越しくだされ」
385さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/19 19:20
>>384の返書を読む九条兼孝。

九条 よう言うわ。それにしても大臣を呼びつけるとはええ根性しとる……。

【九条兼孝、仁和寺へ入る。】

鷹司 おお、兄上、無事で何よりで。
九条 ははは、死に損のうただけじゃ。
二条 それにしても我ら兄弟が揃うのもひさしぶりじゃのう。
九条 そうじゃな。されど酒を酌み交わすのはまだ早かろう。
義演 うむ……。

【とりあえず情報交換。】
【二条四兄弟♪】

九条 上杉にはとりあえず西洞院を送るか。

【参議西洞院時慶を大覚寺に向かわせます。】
386さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/20 20:31
丸一日誰も書き込んでねえ。まあいいか(良くねえ)。

【仁和寺秘密会議】

情報交換終了。

二条 ううむ、譲位避け難しか……。ならば……院が虜とされておる今こそ……。
九条 否。せいては事を仕損じる。上杉に力でこられては我らに勝ち目なし。
義演 左様。ここや釈迦堂は宇喜多勢が守護しておるが、大覚寺はあり一匹通さぬ構えじゃ。
鷹司 とにかく……、院を見捨てる形にはなるが、御所へ戻るぞ。

【洛西諸寺院に疎開していた公家衆が御所へ戻ります。】
【洛中駐屯の諸将方、警備よろ。】
387織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/12/20 21:55
もぐもぐもぐ・・・味噌煮か。雉か?
池田由「いえ、近くで取れた鳩でございます」
そうか、やはり八丁味噌はうまいのぅ。国が懐かしいわ。
池田元「その鳩の脚にこんな密書がついておりました」
……ほうほう。

宇喜多家へ返書。
 ご迷惑をかけて面目ない。
 あと、細君の愚痴は書状に残さないほうがよいですぞ。
 まあウチの愚妻は姑の割には奇跡的に物分りがよくて・・・
388いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/20 22:30
都の騒乱の後・大坂真田屋敷

石河宗林 何をしておられた、いったい。兵出せば助かろうほどに。
真田昌幸 いきなり手厳しいのう。宇喜多ごとき小僧の下で、働けるか。
石河 あれは豊臣をこれから支える男ぞ。何を申すか。
真田 ふんっ、豊臣が安穏としていられるようになったは、この真田の働きあってこそよ。
石河 そなたは太閤に恩もあろうに。何を今更言うておる。
真田 沼田はな、その太閤殿下に認めて貰うた地よ。宇喜多に取られるは惜しいわい。
石河 もう無理よ。戦国の世は終わったのだ。
真田 どうする、この真田を。
石河 そこよ。わしはそなたを買っておる。
真田 まだ価値はあるかう・・。
石河 そなたは隠居いたせ。減封でなんとか残そう。
真田 任せるわい。上野からは引かそう。
石河 承った。しばし大人しくしてくれよ。
真田 うむ。大坂の城に、信繁とともに無腰で参るわい。
石河 紀州に流すが良いな。
真田 仕方なかろう。

石河、真田を説得し、大坂城に入る。
関白殿下、なにとぞ寛大な処置をお願いいたします。
当主隠居、減封にて旧安国寺恵瓊領にいかがでしょうか。
389いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/20 22:38
石河 さらにな、当家の兵で上田を接収するぞ。一筆いただく。
真田 どーもならんのう。
石河 これでよし。

石河の兵、上田城に入る。

石河 真田家、決して滅ぼしはせんよ。おまかせを。
真田 頼むぞ。信繁の娘、そなたの子に娶わせる約定、まだ生きておるのかな。
石河 あと3年お待ちいただく。
真田 うむ。毛利公か。信繁に働く場を作ってやってくれ。
石河 あれは使える男か?
真田 保証する。典厩様の面影ある。あれは誠もある。頼むぞ。
石河 うむ。誓おう。

ということです。関白殿下、宇喜多公、くれぐれもよろしく。
390長束正家:03/12/20 23:39
あえて大坂城に登城
すぐさま、奉行衆そして関白家中松野に招集命を下す。

豊家の主体たる貴殿らが何をやっておる。
直に大坂に参集せよ。
当面、豊家は縁故衆がなすべしかと思うが、大政は奉行にあるぞw
治部が引退した以上、某が庶政を担う。
玄以が江戸滞在なれば・・・
京における諸雑務は石河に命じる。
大坂雑務は松野に命じる。

以上。秀頼様の命である。

391いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/20 23:43
【信濃・上田】
石河の兵が、真田家当主の書状を携えて上田に入ったのは389より20日後。
大過なく、北信濃の要地は豊臣家によりおさえられた。
また、上野との国境には、石河の兵が立ち、宇喜多兵を一兵も入れることはなかった。
さらに、上野での一揆は収束し、真田の手の者は、皆、宇喜多家に投降した。
これにより、真田の関与は証明された。

真田家の潔い態度と、家康に逆らって手に入れた上野の領地への執着は大名衆には悪い印象は与えなかった。
かなりの大名が、真田への同情を表明した。
そして何より、豊臣の威信を傷つけていない現状が、真田への関白の態度に影響を与えた。
上杉の存在もまた、大きなものであった。

関白殿下、お指図をお願いいたします。
392長束正家:03/12/20 23:51
大坂城

関白秀秋様に面会

長束「領地も隣になりましたな」
関白「・・・なぜこの時期に来た。」
長束「この時期でなければと・・・」
関白「ひゃひゃ。奉行なんちゅう亡霊がしゃしゃり出てくるか(けほけほ
長束「殿下、内裏が無くても豊家はそんざいできますか。と聞きます。」
関白「なぬ・・・」
長束「手前、治部少が引退ゆえ奉行の責務がござる。」
関白「…」
長束「上杉の件、宇喜多の件。果たしてどうなさる。」

じゃ関白様久しぶりにターンw
393長束正家:03/12/21 00:13
(さて、どうするか。いずれにしろ長袖には繋ぎするしかあるまい。)

近江甲賀衆…
かつて、水口を治めていたとき以来の周知の衆。

長束「繋ぎを求める御仁あり・・・」
甲賀「誰でしょう」
長束「先に帝の怒りおった山科。今は大坂にいるはず。」
甲賀「寺子屋師匠ですか。」
長束「うむ。垢が付いてないぶんよろしい。」

長束大蔵少から伝奏へ。

山科様。不慮の怒りにて内裏駆逐されていくばくや。
内裏の肉たる不穏の噂なれば信用にあたわずw
武家たる豊家なれば、伝奏を選ぶ故、
山科家を右大臣家、並びに関白家で用いたく候。

394さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/21 12:27
大坂へ下る道中、山崎。

>>393の書状が三伝奏に届く。

広橋  はて? 山科さんとはつい先日会うたばかり……。
勧修寺 洛西で学者や文人墨客を集めて茶会三昧と言う話が……。
西園寺 どうなっておるのじゃ?

使者へ回答
前権中納言山科言経卿は京にて健在。その大坂の寺子屋師匠なる人物の身元を至急改められたし。
また、豊家にて伝奏を選ばれるとのこと、我ら三名に御不満あらば朝廷筋に申し上げられるべきなりや。
さらに山科家を右大臣家関白家で用いるとの事、山科は公家にて武家にあらず。いかに関白家と言えど君臣の契りは結ぶことかなわず。
右大臣家とあるがこれは今出川家並びに西園寺一門を指すものか、他の武家か。

いずれにしても奇怪至極な書面なり。

【三伝奏プラス有象無象、まもなく大坂へ到着。】

人物紹介

広橋兼勝 正二位権大納言
藤原北家日野流。武家伝奏を務める切れ者の公家官僚。
性格は強引非情とされるが、それは彼の権勢を妬むが故か。

勧修寺光豊 従三位参議
准大臣晴豊の子。三代に渡り伝奏を務める家柄。

史実でも共に江戸幕府の武家伝奏を務め、とりわけ広橋は内大臣まで昇りつめ、「出頭無双」と呼ばれた。
395院 ◆hnohUcpUS. :03/12/21 13:24
【八条宮邸】
院が倒れられたとの知らせは八条宮の耳にも既に達していた。
智仁「上杉は本気やな・・・。よくまあ、あんなところにのこのこ
  出向いたものよのう・・。そういえば・・。」
院から渡された文があったことを思い出し、文庫から取り出した。
智仁「かようなものを持っていれば、次に捕われるはこの智仁・・。
   こわい、こわいわ・・。」
そうつぶやくと、宮は火鉢に院から下された文をくべてしまった。

【院が渡された文は宮の心の中に永久に秘められましたとさw】
396さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/21 14:01
さて、八条宮も無事に自邸へ帰ったな。

疎開していた公卿は、宇喜多ら諸将の警護の下、順次御所へと戻って行った。
また八条宮は、仁和寺警護に馳せ参じた結城秀康の功を特に賞したという。

【公家衆が御所へ戻ります。当面は旧東宮御所を仮の御所とします。】
>373

秀康「うむ。武蔵殿のおっしゃること一々最も。当分は仰せの通りといたそうぞ。
   また、仁和寺警護の兵を差し向けて頂ける事まことにありがたし」
松平家信「それではお返事を申し上げてまいります」

【松平家は申し出に従いました。宇喜多家に感謝しています】

>396
八条宮「そちの忠節、覚えておこうぞ。食事も吟味したものを出してくれたうえ、酒も旨かったぞ」
秀康「ははッ、ありがたきお言葉。あの酒は我が領土伊豆の特産でして」
宮「三河守の忠義、わしは一生忘れぬ。礼状をつかわすぞ」

秀康は感激し、礼状を押し頂いたと伝えられている・・

秀康「さて、我らはどうしようかな。仁和寺の警護も終わった」
岡部「これより毛利攻めも有りますし、しばらくここで情勢を見ましょう」

【松平家は仁和寺にとどまっています】
398上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/21 21:32
大覚寺
景勝「貴公に用はない。オヤカタをつれてまいれ」
時慶「ぬおおおお」
【追い返されました】
399上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/21 21:42
大覚寺
景勝「これ下郎。これを八条宮に渡たしてこい」
ポイと投げつける。
時慶「無礼ものめ!麿は参議ぞ」
景勝「いいから渡して来いと申しておる!」

書状
「お伺いしたきことがありますので、大覚寺までお越しください」

景勝「ついでにこれもそれぞれにわたしておけ」

○広橋兼勝、勧修寺光豊、九条、二条、そのた諸々(公家どの操作キャラ)に同様の書状
時慶「うぬがごとき下賎のものの言うことなど聞くと思うてか」
景勝「任意で呼んでるうちが華と思われよ。いいからいってこい」

【公家殿たーん】
400小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/12/21 21:44
関白殿下・宇喜多公・上杉公に書状

領内不穏の噂あり。至急戻る。

【大坂・船場】
乗船急げーーーー

乗船終わり次第出航っーーー

数刻後、小西兵8000は大坂を去る

毛利家・長宗我部家に瀬戸内通過の書状を出しつつ移動し、小西兵、無事領内に戻る。
401長束正家:03/12/21 21:46
>>394
(ふーんすげない書状よ。だが解った。)

会津殿へ書状。
大蔵少として貴殿に詫びなければなりません。
豊家奉行の不甲斐なさ。これ万死に当たります。が・・・
貴殿の兵は長袖にあてるのか、君に当てるのかいささか解りかねます。
そこで、奉行の一人石河を貴殿の陣中に参らせます。
金吾様の意は禁裏の意。
ただし、豊家の意かどうかを論じあらされましw
軍解除なんてことは申しませんが、次の要求を致します。

中納言景勝並びに権大納言広橋を大坂城に招集する。

右件のごとし。

年寄 長束大蔵小正家 

402小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/12/21 21:54
毛利家に密使派遣

背後は気にする必要なし  以上
403上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/21 21:56
長束に返書

「余の行いは全て関白殿下のご内意にあらせられる。貴殿の命がヒデヨリ様のご内意と申すのであれば、主筋であるこちらの命に従わねばならぬが、
その場合、まずは貴殿の申すとおり、貴殿が責任をとって腹を切るが筋であろう。さらに石河なる下賎のものを恐れ多くも不識庵様の栄光を受け継ぐ当家の陣所にいれることなど罷りならん。
そもそも、おぬしの文は草深い越後育ちの余にはなんのことだかさっぱりわからん。ついては直接話を聞くゆえ至急京は大覚寺まで出向くように」  
404ある公家 ◆k83bhYUwAc :03/12/21 21:57
【大坂・高麗橋】
京の戦火を逃れた一人の公家がいた。
その公家は身分を隠して寺子屋を営んでいた。
この男、子供に読み書きを教える傍ら、「刀剣友の会」なる
団体を作り、名刀の収集に掛けてもその道では知られた存在であった。
405さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/22 21:45
>>399

西洞院 面目次第もおじゃりませぬ。
九条  まあええまあええ。奇態なる役を押し付けて済まなんだの。
西洞院 は……。(退出)。

九条  さあて、そろそろやるかな。

【公卿に召集をかけました。】

九条  ん、小西軍がいないようだがどこ行った?

九条兼孝 前関白 従一位内覧左大臣 藤氏長者 「太閤」
摂家の一つ、関白二条晴良の長男。同じ摂家の九条家を継いだ。
父から九条、二条両家の荘園の回復を託されるも、太閤検地により頓挫。わずかな所領を安堵されたのみだった。
秀吉死後左大臣に復帰。内覧として事実上の朝廷トップとなる。
性格は沈着冷静、と言うより鈍感。御所が焼けてもけろりとしている。(そういう設定)。
406宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/22 21:55
【沼田、岩櫃騒動記】

○月☆日 岩見の説得により沼田での一揆は未然に防がれる
○月○日 猪俣一党が岩櫃城を占拠
○月×日 占拠から2日経過、宇喜多軍(上野衆)が包囲を完成させる
       同日、岩見率いる別働隊(沼田勢)が国境に陣を敷く
○月△日 占拠から5日後、援軍第一波着陣(江戸衆)
○月◎日 占拠より10日後、加藤家を主軸とする連合軍、岩櫃到着
       各家と連絡を密に取り、部隊の連携移動や大筒(国友砲)の実戦投入など、
       攻城戦と言うよりも大掛かりな軍事演習の体をなす
×月○日 大坂及び石河家より使者が訪れる
       同日、真田家との和平を受け入れる

証拠品を押収した後、猪俣を初め首謀者等を即日処刑
城外に供養塔を建立する

岩見 「皆々様のご助力真にもって忝なし、主に代わりお礼言上申し上げる」
加藤 「なんの、これしきの事で礼などいらぬ、ワッハッハ」
堀尾 「では、某達は国許に帰りまする」
生駒 「以後もよろしゅうに」

宇喜多と各家は軍を解散しました
407さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/22 21:55
仮御所(旧東宮御所)

公家い 貴殿のところにも……。
公家ろ この分なら全ての公家に届いておるやろうな。
公家は おそろしや。院もお倒れになったと聞くしのう。

【上杉からの書状に、公家衆の間に動揺が広がっています。】
【しかし、とりあえずは九条ら首脳部の方針を伺う模様です。】
408宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/22 22:07
【宇喜多家人事異動】

武蔵の国
明石全登→江戸城代兼武蔵川越城主
戸川達安→武蔵忍城主
花房正成→武蔵鉢形城主
岡 家利→武蔵八王子城主

上野の国
岩見重太郎→上野総代兼沼田城主
本多政重→上野厩橋城主
長船吉兵衛→上野箕輪城主
409小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/12/22 22:22
大坂へ報告
九州の諸大名、豪族。想像以上に毛利公よりの者多く、予断許せませぬ。
当家、豊家の捨石となる決意で、諸大名を慰撫いたし、その時となれば、
死を賭して働く所存にございます。
当分は領内を整備し、城の用意をしてその時に備えます。

小西家、領内の諸城の整備と領内慰撫に力を注ぐ。
410上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/22 23:42
長束ら奉行衆、関白殿下に書状
「宇喜多領上野に発生せし一揆について、
どのようなご存念か?」
411 ◆zAnbFVoD9M :03/12/23 00:05
年末の大仕事が終わっても今度は大掃除だこんちくしょうめ。
かきこは激減しますスマソ
>>373
秀秋  「・・とまぁ京でちと働いてくだされ兄上」
勝俊  「(・・・既に妖怪のような面構えだな・・・)承り候」
秀秋  「両北畠を配下に回す。元は貴族だったらしいし昌教のほうは腕が
     立つ」
勝俊  「・・・石田の実務派云々と書かれておるようですが」
秀秋  「職務放棄した者の部下なぞ使ってどうする」
勝俊  「・・・」
>>388
秀秋  「ほぉ〜会津公より話が早いな。よし、任せる」
秀秋  「(・・・使えるのはいいが早すぎるな。京の火消しも・・・使え過ぎるは
     身を滅ぼすぞうひゃうひゃ)」
【関白、石河の動きの早さに危機感を覚える】
>>393
秀秋  「・・・使えるなら勝手に使えばよかろう(けらけら。ただし無能ならば
     とっとと斬り捨てるぞ」
>>400
秀秋  「・・・許可も聞かずに土地恋しさで逃亡か・・・(むかむか。よぅく覚えて
 ↓    おくぞ・・・」
>>409
秀秋  「・・・土地をからにして必死で京の治安を整えているはそなただけでは
     ないぞ(むかむか。捨石?(失笑。貴様の話など信用できるか。毛利が
     危険であろうとなかろうと潰すという路線は変わらんわ。戦が済めば必
     ず次を考えておくか・・・ヤソとかいうのを信じてたな・・・(にやにや」


412 ◆zAnbFVoD9M :03/12/23 00:07
>>377
松野  「・・・無理矢理捏造も可能ですな」
秀秋  「兵にものを言わせてぶん取るか。会津公らしい(けらけら」
松野  「あとは討伐令だけですな」
秀秋  「まぁあせるな。そのような催促はどこにもかかれとらん。まずはこの院の
     使い方だな」
松野  「殿・・・」
秀秋  「とっとと殺してしまうか?(けらけら。どうせかわりもいくらでもだせように」
松野  「・・・おそれながら・・・」
ここで>>392へ。(最初から大坂にいるので>>390は無視)
長束  「上杉の件、宇喜多の件。果たしてどうなさる」
秀秋  「豊臣が無茶をやるのが不満か?」
長束  「その豊臣を支えるものは・・・」
秀秋  「そんなもん力と秀頼公の存在しかなかろう」
長束  「・・・な・・・・」
秀秋  「権威だ?内府との戦で役に立ったか?昔鎌倉を統治しておったのは源氏
     血統を潰した北条。さらにいえば朝廷にも喧嘩売って潰したであろう」
長束  「・・・」
秀秋  「この考えはよ〜〜〜く頭に刻み込んでおけ(けらけら。・・・で、会津公は考え
     があっての動きだろう。朝廷贔屓(けらけらの家柄だしまぁ任せてよかろう。武
     蔵公も非などあるまい。あの逆賊が京からの退去に従わなかった。それだけ
     のことよ」
長束さんへターン

こんだけかな?・・じゃ。
413 ◆zAnbFVoD9M :03/12/23 00:12
増えてる・・・

>>410

<秀秋返書>

詳しくは知らんが(包み隠さず話す)。武蔵公はあの性格。一応関白のわしに嘘は
つかんであろう。石河の話だともうかたがついたとも聞いておる。会津公の顔も立て
んといかんからな(けらけら。微減といったところであろ。それよりも今は次の敵の
ことでわしは忙しい 関白花押

おやすみ・・・
414石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/12/23 00:28
>>411を受け

早速の裁可、ありがたし。

石河 畏くも関白殿下の沙汰である。真田殿に申し渡す。
真田 ハハーーーッ。
石河 北信濃の領地は豊臣家にて接収。当主昌幸殿は引退して紀州・九度山にて蟄居。
   信之殿には、旧安国寺領因幡11万石をあらためて下げ渡す。
   信繁殿は、質として大坂にてお暮らしいただく。(小声で そなたとの繋ぎよ)
真田 ハハハーーーー。
石河 横槍入らぬうちに急がれよ。銭はわしも送るほどに。ちと、ゆっくりいたせ。

★上州の乱、完全に収束です。
415石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :03/12/23 12:20
関白殿下と大坂にて
石河 北信濃には、田丸直昌、関一政の両名を代官として送りたく、許可をお願いいたします。
殿下 両名、どのような者だ。
石河 はっ、太閤殿下より信濃蔵入りをまかされた時、我が補佐として付けていただいた者。
   信濃に顔も効きましょう。海津と飯山に所領を持っていた時期もあります。
殿下 うむ。好きにいたせ。ふひゃひゃ
石河 今一つ。古田織部殿に、上田をあてがっていただければと。
殿下 あまり指図するものではないぞ、ふひゃひゃ
   わしは関白である。そちの人形ではないぞ。
石河 (畳にひたいを擦り付けて)ハハーーー。
殿下 太閤ほどな、わしは鷹揚ではないぞ。
石河 ハハーーー。
殿下 さて、どうするか・・・
(大掃除のところ申し訳ありません。関白様のターンでつ)
416さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/23 23:09
時間は少し遡る……。

仮御所にて

九条 ……殿にこの書状を大至急。
下人 は!
九条 ふ〜う。
?? 来たぞえ。
九条 …………。
?? ………………。
九条 早!
近衛 人を呼びつけておいてなんじゃその態度は。

近衛前久 前関白太政大臣従一位 准三后 入道龍山
藤原氏の総本家。朝廷の大ボス的存在。
現在は隠居の身だが、その知略はいまだ衰えていない。息子信尹の関白職就任を目指している。
二条四兄弟とはかつて関白職をめぐり対立していたのだが……。

なお、上杉謙信と彼との関係は海音寺潮五郎『天と地と』に詳しい。

【九条兼孝と近衛前久が何か密談しているようです。】
417広報室:03/12/23 23:20
『NPC有力大名一覧』
参加者募集中で御座いまする

佐竹家:下野半国・常陸の国主 82万石
島津家:日向・薩摩・大隅の国主 74.1万石
前田家:陸中の内 50万石
鍋島家:肥前の国主 46.4万石
加藤家:下総の国主 37.3万石
増田家:伊予の国主 35.9万石
秋田家:羽後の内 30万石
筒井家:北伊勢 29.3万石
立花家:筑後の国主 28.2万石
丹羽家:遠江の国主 26.8万石
田中家:甲斐の国主 23.5万石
岩城家:下野半国 21万石
宮部家:豊後の内 21万石
蜂須賀家:相模の国主 20.4万石
418お客様相談室:03/12/24 00:06
>>417は参加スタイルの一例であり、その他役柄での参加もお待ちいたしております。


得意の権謀術数を駆使し目指すは王政復古の公家プレイ     
マイナーながらも郷土の誇り、小封だって善いじゃないかの小大名プレイ
惚れた主君を天下人に、内助の功だよ陪臣プレイ
わいは日本一の商人になるんや!戦国繁盛記の豪商プレイ
人々の心に平穏を、さあ一緒に祈りましょう…宗教プレイ
419遊女ぷれい:03/12/24 00:18
昨夜のお客はん激しかったなぁ・・
東国のお侍さんは荒いから嫌いや

上杉家、評判悪し
420さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/24 20:57
公家プレイもええもんやで。

仮御所・臨時朝議

九条  !"#$%&?*……。
現代語訳(w
御所丸焼けの責任とって左右大臣そろって辞任するよ〜ん。
ついでに人事異動やりま〜〜す。

太政大臣 従一位 藤(近衛)前久  太閤准三后  復帰
左大臣  正二位 藤(近衛)信尹         復帰
右大臣  正二位 藤(西園寺)実益 右近衛大将  昇進
(中略)
権大納言 正二位 藤(広橋)兼勝  武家伝奏   
権大納言 正二位 藤(姉小路)公慎 左京大夫左兵衛督検非違使別当 復帰昇進
権大納言 従二位 藤(西園寺)実純 侍従武家伝奏 
(中略)
権中納言 正三位 藤(三条)公広  侍従     昇一階
権中納言 正三位 藤(九条)幸家  侍従     昇一階
(中略)
参議   従三位 平(西洞院)時慶
参議   従三位 藤(勧修寺)光豊 武家伝奏
参議   従三位 藤(烏丸)光広         昇一階

(その他殿上人の人事抜粋)
従四位上右近衛権中将    大炊御門頼国
従四位上左近衛権中将    花山院忠長
従四位下左近衛権中将    鷹司信尚
従四位下左近衛権少将兼侍従 猪熊教利
つづく
421さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/24 20:59
つづき
近衛親子の復帰、二条三兄弟そろって退陣、西園寺一門の躍進、若手の登用……。
この人事に隠された九条兼孝の真意は?

【朝廷で大幅な人事異動。】

院殿へ
ご不満あらば綸旨などお願いします。

さあ、もう一度宴会行って来ます。
422小西行長 ◆WcuDt/3XiY :03/12/25 22:53
小西行長は熊本城の強化に取り掛かった。
加藤清正の築いた堅固なこの城に、新たな壕、出郭、・・・
糧食の備蓄もおこたりない。新たな井戸も掘り、弾薬も買い集めた。
そして長宗我部に密使を送る。
「矢は一本であっても折りたくないものだ」
書状にはそのように一言あるのみであった。
423上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/26 13:08
関白殿下に報告
「御所焼失事件以降、帝の容態が思わしくないにも関わらず、昨日、朝廷内で公家どもが不遜にも豊家に何の断りもなく、官位の変更をいたしました。
 これ大逆の芽也。すでに小幡事件に関連して主だった公家に出頭を要請しておりますが、いまだ是に応じず。此度の官位変更事件ともども一斉に摘発するがよろしいと愚考いたします。
 宇喜多公による戦勝後、治安回復のために出動した当家ですが、「正式な命なし」などとぬけぬけと申す輩がはびこっております。関白殿下の正式な命をうければ、仕事がやりやすくなるのですが、
 いかがでしょうか」

424さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/26 14:08
>>423
書面の詳細は知らんけど雰囲気はこっちにも伝わってるよな。

朝議を終え、公家衆が三々五々退出していく。しかし、摂家当主のみ残ってさらに相談を重ねていた。

一条内基 どうするのじゃどうするのじゃ。
九条兼孝 どうとは?
一条内基 上杉はえらい剣幕というではないか。(←そういう風に伝わっているらしい)。
九条兼孝 何に対して?
一条内基 此度の除目(人事異動)でおじゃる。
二条昭実 はて、これは異なことを仰せじゃ。故豊太閤以来、武家関白であっても公家官位は公家にて扱うもの。
鷹司信房 主上御不例に際したことが不忠と言うなら甘んじて受けまするがの。
九条兼孝 されど身どもが辞めなければ、それはそれで不忠呼ばわりでしょうなあ。
鷹司信房 困ったものですなあ。ほっほっほ……。

近衛信尹 (やっとわかったわ。九条め、麿らを楯代わりに……。)

一条内基 前関白左大臣 従一位
一条家当主。二条四兄弟の宿敵だが、長く政権から遠ざかる。
子に恵まれず、後に後陽成院の皇子を養子に迎える(一条昭良)。

>>上杉侯
>>423はいくらなんでも言い掛かりがひどすぎまっせ。
小幡の乱に二条兄弟はほとんど無関係ですし、人事異動はほとんど必須です。
まあわかっててやってるんでしょうけど(w
425さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/26 14:28
つづき

二条昭実 院の幽閉、内覧の使者への侮辱、故なく公卿の呼び出し……、上杉が傍若無人極まれり……。
鷹司信房 そう言えば……、しかしせがれは幸家とはあまり仲が良くなかったが……、まあええか。

【二条昭実が大坂へ出発。宇喜多侯護衛お願いしまつ。】

義演僧正 あまり坊主がしゃしゃりでるものではないな。
菊亭晴季 これで大威張りで比叡山に居座れる……。

【それぞれの根拠地へ戻ります。】

近衛前久 輝虎が何と言うかのう……。
鷹司信房 とにかく宇喜多殿に会うて次第を申し上げねば……。

【上杉侯、宇喜多侯、改めて面会きぼん。】
426宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/27 00:09
【相国寺】

旗本 「申し上げます…(略)…如何されますか?」
秀家 「失礼の無きようにお通しもうせ」

朝廷よりの使者を書院に案内します
(相変わらず座敷の上座には千成瓢箪が鎮座ましますw)

秀家 「これはこれは、してご用件とは?」

【さる公家殿どうぞ】
427さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/27 07:08
>>426

鷹司  秀家卿、主上の御容態は……。
宇喜多 ……。
鷹司  はあ……。さようで……。ところで……。

ここで上杉の所業を述べ立てる。院の警護、実態は幽閉食事も制限。無礼なる公卿呼び出し。洛中で兵を行進させるなどの示威行動……。
八条宮、西洞院などの証言も取り混ぜ、かなり信憑性は高いと考えられる。

鷹司  実のところ……、上杉殿は正気を失っているのではという声も……。自らを田舎者と卑下したり、かと思えば卑しくも公卿を下郎呼ばわり……。

【宇喜多殿たーん】
428宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/27 21:43
【相国寺 書院】

鷹司 「院の警護とは名ばかり、実態は幽閉も同然ですぞ!」
秀家 「ふ〜む、しかし上杉家は先代謙信公の頃より尊皇の志し厚いと聞きますが
     …食事制限とは何故でしょうな」
鷹司 「…(そないな事を言いたいんとちゃいます)…」

鷹司 「それにな宇喜多はん、上杉殿は我等公卿を気安く己の陣屋へ呼びつけ、
     兵に都中を練り歩かせているとか、なんとも無礼な事とは思いませぬか!」
秀家 「呼びつけるのは確かによくありませぬが…景勝卿は拙者と同じく権中納言、
     さらに近衛左大将の任にもあるはず…無礼と仰るが、公家衆と我等武家の
     官位には差があるのですか?」
鷹司 「いやその、…オッホン…(貴殿には難しいであろうがの…)」

ナイスタイミングで茶が運ばれてくる
秀家 「ところで、新しき除目があったとか」
鷹司 「うむ、左様でおじゃる」
秀家 「八条宮様と豊家や関白殿下へのご報告はもう済みましたかな?」(ニコニコ)
上座で光り輝く千成瓢箪…

【さる公家殿どうぞ】
429織田秀信 ◆TytvlYFY12 :03/12/27 22:00
【大坂・織田屋敷】
国元尾張から家老堀監物が大坂に小勢でやってきた。

木造「・・・な訳なのじゃよ」
堀「それは国元にいたワシらにも責任があるな、すまぬ」
木造「しかしいったいわざわざ監物殿が上坂するとは」
堀「国元は百々と長尾がおれば大事はまず無かろうし、いよいよ西国のほうがな」
木造「うむ・・・」
堀「てな訳で京の殿の御機嫌を伺ってくる」
木造「大坂に居るじゃないのか!?」
堀「ここはそなたがいるから大丈夫じゃ」

【堀直政が兵100を連れ、上洛へ】
430さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/27 23:18
>>428

鷹司  (こりゃ何言っても無駄か?)知っての通り公家官位の扱いは公家に任されておるはず。
宇喜多 ……。
鷹司  無論、関白殿下には報告申し上げる。通常なら伝奏が大坂表へ下向するのじゃが、此度は二条昭実が先行する伝奏を追っておる。
宇喜多 ……。
鷹司  八条宮殿下への報告云々と言われるが、そもそも宮におかれては朝議にも加わっておられる。むしろ報告あるべきは仁和寺宮様ではないかの。
宇喜多 ……。
鷹司  公家と武家に官位の差無しと仰るが、ならば同格の者、あるいは目上の者からの使者に対する礼儀というものがあろう。それを知らねばそれこそ越後の田舎者じゃ。
宇喜多 ……。
鷹司  ところで……、上杉侯が左大将と言われたが……、左大将は久我前内府以来空位。上杉侯は前中将だが大将には任官しておらぬ。そのような話どこで聞かれた? よもや上杉侯が自称しておるのではあるまいな?

【宇喜多殿たーん、回答が予想しにくいので全て無言としています。】
431上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/28 05:04
【大覚寺】
上杉「下種どもは一向にこぬな」
水原「ですな」
上杉「そろそろ最終手段を使うべきか」
水原「関白殿下に宛てた書状の返答をまったほうがいいかと」
上杉「直江もそう言うだろうな」
水原「ですな。山城殿がこられる日が待ちどおしいですな」
上杉「京の民は余を物狂いと噂しておるそうだ。大方不識庵様にすがってノコノコ越後まで来た公卿が昔懐かしさに流しておるのだろう。
    だが勘違いしてもらっては困る。すでに新しき権威は立ち上がったのだ。いまさら亡霊の手伝いなんぞ出来ぬ」
水原「殿は変わられましたな」
上杉「余は変わってはおらん。だが、上杉家は変わった。余が太閤殿下の下風に立ったときと余が内府を打ち破ったとき。二度だな。
水原「ははははは。これは至言ですな」
上杉「多少しゃべりすぎた。これはおぬしの胸の内に留めておけ」
水原「御意」
上杉「義とはな、つまりは筋よ」


432上杉景勝 ◆j9lCIaXDC. :03/12/28 05:06
そのころ、武田信清率いる別働隊10000(会津軍3000.甲州義勇軍7000)が到着。
大覚寺に入る。
一方、直江は八万のうち、二万を会津へ帰還させ、連合軍六万で東上を開始する。
433宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :03/12/28 20:53
>>430
(*景勝の左大将任官の件ですが、前に院と関白から内意を貰ってたからもう
任官したとばかり思ってました、俺の勘違いだね御免ちゃい)

鷹司 「…(ふむふむ、どうやら宇喜多はんは、こう思ってはるみたいやな)…」
秀家との会話で鷹司卿は次のように感じた。

1.院と帝がハッキリとした意見を出さない(だせない)のに除目してもいいんですか?
2.政治(公家関係)については関白殿下に前もって話しがあってしかるべき
3.八条宮様こそを大事に扱って損はないと思いますが…
3.もちろん豊家(秀頼様)もねw(三代続けて関白出してますし、それに…)
4.中将景勝卿については特に悪く思っていない…

【あまり回答になってないですが、さる公家殿どうぞ】
434さる公家 ◆in6S5TZA4c :03/12/28 22:32
>>433
う〜ん。
うまく会話形式で答えられないな。

1.御所丸焼けの引責辞任とその後任人事という必要事項のため。
2.あくまで公家人事は豊家には事後承諾でよいという先例がある。問題あらば今後は事前承認に切り換える。
3.八条宮様を次の帝に? 順序から言って次の帝は仁和寺宮様では? 確かかつての五奉行も押していたはず。
3.言うまでもないこと(w
4.では景勝卿の無礼を見過ごされるおつもりか。

【どうぞ、と言いたいですが、しばらく消えます。次を最後にお願いします。】
435 ◆zAnbFVoD9M :03/12/29 10:55
・・・無理矢理掃除は終わらせたぞ・・・目の前で収拾車が去っていったがな・・・
ゴミの中年始を迎えそうだ・・・・

【大坂城】
>>423

松野  「・・・これはまた・・・」
秀秋  「会津公の怒り収まらずといったところかな(けらけら。下手をすれば本気で
     長袖を撫で斬りにするやもな」
松野  「で、正式な命を出して欲しいと・・・」
秀秋  「まぁ勝手にやってた小幡が消えたしな。兄者(木下勝俊)に任せれば良いと
     も思うたが好きにやらすとしよう」
松野  「兄上殿には?」
秀秋  「会津公に補佐してもらうということにすればよかろう。武蔵公には次の戦への
     準備がある。東北からの大軍もある。連携などで手間取らぬ為にも播磨辺りで
     練兵をしてもらおう」
松野  「会津公に従ってきた連中ですが。動きますかな」
秀秋  「連携を整える為であって主君は会津公でも武蔵公でもはたまたわしでもない
     であろう。豊臣に歯向かうものの討伐が名目で豊臣の地に上がりこんできてお
     る。それにな、京に数万で固めてもあまり意味がなかろう。せいぜい五千で軽く
     対応できよう。それ以上はいても無駄なだけだ」
松野  「は」

【豊臣宗家より上杉家に京都警護役の任が下りました。ただし京に入れる兵は制限され
ています。監督官は木下勝俊(名目上の上官です)】
【豊臣宗家より宇喜多家に播磨での軍指南の命が下りました。事実上対毛利戦の大将
の任です】
436 ◆zAnbFVoD9M :03/12/29 11:00
>>415
【大坂城】

古田に何かあるのか?まぁ・・・いいだろう。ただしもし古田が何か問題を起こした
ときはそなたも同罪として取り潰す。良いな。

【容認。ただし取り潰しについても厳しい命が下ります。関白に鈴がつけられたと
思って下さい。】
437宇喜多:03/12/29 18:19
【相国寺 書院】

会談が始まって如何ほどの時が過ぎたであろうか
秀家 「…(成る程のう、公家の方々は斯様にお考えか…)…」
秀家 「あい解り申した、されど拙者、此度は征討軍総大将としての任だけを
     受けておりますれば、申し訳なき事なれど表向き(政治)の話しを
     する権限が御座らぬ、表向きの話は、やはり大坂におわします関白
     殿下とお話し下され。
     上杉家の洛中巡検については罪無き民草に被害及ぶことがないよう
     征討軍総大将として、しかと申し入れておきましょう。」
鷹司 「左様でおじゃりますか、では洛中巡検の件、確かにおたのもうしますぞ」
鷹司 「…(宇喜多はんだけでは、やはり不安やな…これは三伝奏に頑張って
     もらうしかないのぅ…)…」

【鷹司と宇喜多の会談終了】
438宇喜多:03/12/30 20:57
【聚楽第跡】

仮御所や被災者用長屋の建築が急速に進む洛中、中でも聚楽第は豊家の政庁として
真っ先に復興された。かつての賑わいを取り戻しつつある聚楽第に桐の紋を打った
一団が入城する。
旗本 「申し上げます、木下様お越しに御座います」

秀家 「久しぶりですな、勝俊殿」
木下 「貴殿もご健勝で何より、それがし、京都守護の任を受けて参りました。
    秀家殿には関白殿下よりお言付け(>>435)がありますぞ」
秀家 「ほうほう、それでは帰還を急がねばなりませぬな、秀康殿や石田、石河
    両家にもお伝えもうそう」

寺の一室で事務方による引継作業が行われた
本多 「これが仮御所建築の工程表、これがお救い小屋の場所を記した物、これが
     復興に使ってもよい資材の目録に御座る」
北畠 「うむ、確かに」

【京都守護の引継が行われ、征討軍は帰還準備をしております】
439いし ◆NnBHBM9A.E :03/12/31 01:03
石河宗林

石河 畏くも関白殿下の沙汰である。
古田 ハハーッ(w
石河 古田殿に申し渡す。此度の騒乱における働きにより、上田城と領地5万石を取らす。
古田 ありがたき幸せ。
石河 田丸直昌、関一政殿、信濃蔵入り地の代官を申し渡す。
田丸 ハハーーッ。
関   ハハーッ。
石河 両名、古田殿とともに、北信濃を治めるよう、協力いたし、励むように。
古田 でだ、上田は治めるに難しい地だぞ。真田殿は領民に溶け込んでおった。
石河 真田公とはわしが親しい。田丸、関殿も彼の地には詳しい。安心いたせ。
田丸 織田殿の治世のような顔ぶれですなあ、はははは。
関  うむ。これより先、協力しあって、天下の安定に尽力いたしましょうぞ。
石河 真田公の国替えに対し、最大限の協力をお頼みいたす。
古田 上田貰ったがな、わしは京におるぞ。
石河 それは困る。一度は国入りしてくれ。
古田 ならば一度だけ入ろう。あとは家臣にまかせてわしは都で暮らすぞ。
石河 信濃ではおかしなことは起こるまい。わしの家臣も必要なら出そう。
古田 任せるよ。
【上田城主・古田織部、正式に上田を所領とする。】
440織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/02 23:54
関白殿下へお手紙

殿下が眼を血走らせながら政(まつりごと)をしてるのに寝込んでしまって申し訳ない。
病もだいぶ回復したので年明けにも登城し殿下や上様に年賀のご挨拶を行く所存にござる。
それと先の京の鎮圧で当家の兵を指揮した森忠政殿と細川興元殿の諸侯復帰を是非ともお願いしたい・・・
御所は火になりましたが両者の働きはさすが武辺の家の者。
茶一辺倒の者と違い、来るべき次の戦でもきっと功をあげましょうぞ。
森右近には故地の美濃金山、細川玄蕃には三河あたりがよろしいかと。
では新春に馳走できることを願って。
                       ひでのぶ 花押
441織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/02 23:56
【京・某所】

堀「思ったより元気そうでなにより」
秀信「まあ食べ物のおかげだ。食べ物の恨みは食べ物で晴らさんとなぁ。もぐもぐ」
堀「食といえば殿の名で市井で炊き出しをしております。焼け石に水でしょうが・・・」
秀信「火の件は余にも責任がある。真の保守とは果たして何なのであろうな・・・」
堀「平和とは犠牲の上に成り立つものです。上に立つ者にはあらゆる犠牲を踏み越える強さが必要なのです」
秀信「・・・つらいものだな」
堀「つらいと感じるのは殿が稀代の名君だからです」
秀信「名君とは総見院(信長)様や明神(秀吉)様のことだ。余にはなれぬ」
堀「不足の部分は我ら家臣が補います。右府様も豊太閤も良き家臣がいたからこそ…」
(堀直政、秀信教育中)

【織田兵、織田家の旗を立て京の庶民に炊き出し】
442宇喜多:04/01/04 10:56
【新聚楽第】(改装して籠城戦用に特化、規模は小さくなりました)

洛中が年の瀬と復興で賑わう頃、城壁で隔てられた此方(新聚楽第)では荷造り
が慌ただしく行われていた。城内には真新しい櫓や粗壁が目立つ。
秀家 「秀頼様への(年賀の)御挨拶は遅くなりそうだな」
本多 「申し訳御座りませぬ、石田隊を含め四万の兵が一度に動きますれば
    いま暫しのお時間を」
秀家 「うむ、大軍を指揮するは、何度やっても難しいものよ」
薄田 「いやいや、御当家は故太閤の薫陶が有る分、手際が良い方に御座りますぞ」
木下 「毛利攻めが真なれば、これは関ヶ原並みの大戦になります、今から少しずつ
    準備をした方が宜しいでしょう」
秀家 「ご助言いたみいります、早速そうしましょう」
薄田 「御意」
本多 「本国に早馬をだしまする」

【征討軍は正月明け頃に大坂へ帰還します】
443宇喜多:04/01/04 11:34
【宇喜多家より使者と早馬が出ます】

国許へ早馬
「毛利攻めの采を取る事になった、総大将として諸侯に軽んじられぬ人数を
 上洛させるように」
明石 「徳川の遺産もそろそろ底が見えそうじゃわい(苦笑)」

加藤・堀尾・生駒・中村家へ使者
使者 「年明けにも毛利討伐の下知がありましょう、我が主秀家は貴家と共に轡を
     並べる日を心待ちにしておりまする」
当主 「しかと承った、我が軍の活躍にご期待あれとお伝え願おう」
使者 「ありがとうございまする」

【関東連合軍上洛準備開始】
総数四万二百
内訳…宇喜多家二万五千(岩見・雑賀・戸川・花房・岡隊)
    加藤家七千五百、堀尾家二千八百、生駒家二千五百、中村家二千四百
444宇喜多:04/01/04 11:54
【宇喜多家から使者が出ます】

大谷家に使者
使者 「大谷様に姫路城、山陽道、瀬戸内への手当をお願いいたしたく…」

小西家に書状
「弥九郎殿にデウスの加護あらんことを、御武運を」

浅野・真田家に使者
使者 「毛利からの侵攻に備えて頂きたく…」

大坂城に使者
使者 「淡路の守りを固め、堺に軍需物資集積の手筈お願いいたします」
445宇喜多:04/01/04 12:04
秀家 「そうそう、なぜか他人事の様に思えぬので、八丈島に流された細川幽斎殿
     へ米塩、筆紙、酒を贈って差し上げよ」
本多 「御意に御座います」

【秀家から幽斎に差し入れがありましたw】
446無名武将@お腹せっぷく:04/01/07 23:19
頭悪い
447無名武将@お腹せっぷく:04/01/07 23:21
家臣「未来の国から申すものがやってきました」

秀家「なに?未来とな?とおしてみよ」

○○「こんにちは、僕ドラえもんです。」
秀家は最強のドラえもんをゲットした
448 ◆zAnbFVoD9M :04/01/09 02:01
・・・忙しい・・・

>>440

美濃中納言宛

年末での仕置大義。なれど此度の内乱勝って当然のところの不始末、朝廷の
手前復帰や加増といったことは出来ず。名は覚えておくゆえ次の戦にて武名で
勝ち取られよ。身体には気をつけるが良い  関白花押

【大坂城】

年始の挨拶もそこそこに。中国四国北九州等々の軍地図が広間に広がり軍略
行程糧秣の差配等で奉行衆の動きも早い。
ここは路が狭く海路が良いとかここそこの誰々は対抗するほど馬鹿ではないから
通れるであろういやそれは見通しが甘すぎる・・・と喧喧諤諤の激論が続く。
既に毛利の謝罪の時は過ぎている。好き放題やったつけは自らの破滅でこたえて
やらねば後々まで豊臣がなめられる。京での大火の落とし前もつけさせる。
逆賊毛利討伐へ向けて、大坂ははじめより血のにおいが漂い始めている。

秀秋  「・・・準備は整っておるな」
松野  「・・・多くの毛利家臣から従属、寝返りの手筈もこれに・・・」
秀秋  「ずうっと練っておった細工。使うときが来たな」
松野  「は。一気に毛利を骨抜きにしてみせましょう」

【豊臣、宗家の威信をかけて毛利を潰すことで統一】
449さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/01/09 19:26
復活しますた。

三伝奏並びにそれを追って来た二条前関白、その他有象無象が大坂表にて合流、情報交換。

二条昭実  (かくかくしかじか)
広橋兼勝  なんと、まあ……。

ざわざわ

九条幸家  とまれ、関白殿下にお会いしよう。すべてはそれからだ……。

二条昭実  (これでは勇み足であったのは兄上ではないか)
九条幸家  (かえって武家に口実を与えたかな?)

二条昭実 前関白左大臣 従一位
関白二条晴良の次男。二条四兄弟の次男。豊臣秀吉の直前任の関白である。
近衛信尹との権力争いにつけ込まれ、関白職をさらわれてしまう。
良くも悪くも典型的な公家政治家であるである。

九条幸家 正三位 権中納言行侍従
前関白兼孝の長男。摂家の次代を担うプリンス。
史実では徳川秀忠の義理の娘(崇源院お江の方の連れ子)を娶り、徳川シンパの公家として活躍する。
ここでは、ばさら公達衆と手を組み、何やらたくらんでいる模様。
450さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/01/09 19:36
関白殿下、面会キボンヌです。
院殿も加勢に来てくだされ。

で、議題は裏317のとおり
・今上帝譲位と新帝即位の件
・御所、公家屋敷の復旧
・洞院家再興と所領(千石くらいいっとこ)の寄進
・源氏長者を足利家から久我家へ返還
・武家官位の取り扱い
・細川幽斎の赦免(古今伝授)
に加えて、
・公家官位の関白承認システムの構築
・今回の除目の承認
・大規模な式典などの自粛要請
を追加します。

いかがなもんでしょ。
451さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/01/11 19:34
おーい
誰もおれへんのか?

京・大覚寺

の門前の僧坊

近衛前久 景勝め、いつまで待たせる気かの。まあ、のんびりするか。

【公家の親玉、マターリ。】
452 ◆zAnbFVoD9M :04/01/12 23:39
だからこの時期は忙しいんやって・・・

>>450
【大坂城】

前田玄以 「・・・この忙しい時に公卿様がそろいで何事でしょうかな」
増田長盛 「民部、この算段は甘いぞ」
長束正家 「上衛門尉のこの水路も無茶であろうが。昨今瀬戸内の海衆はろく
       に従っておらん。荷駄を奪われれば敵地で餓死するぞ」
増田    「・・・だからといって陸路だけでこれだけの軍を食わすのは至難の
       技だろうが・・・伊予讃岐は豊臣の地、ここから随時渡せれば・・・」
長束    「土佐殿が素直に渡すと思うか?既に毛利の連中と話をしたそうで
       はないか。してやられるは必定ぞ」
増田    「上手く手柄を与えさせればいいだろうが。四国くらいくれてやれ」
長束    「それで済む男でないのはお前がよぅ知っておるだろうが」
前田    「(・・・こりゃ長引くのぉ・・・)関白様だけではちと不安にて拙僧がお供
       仕りましょう・・・」
増田長束 「(喧喧諤諤・・・・)」
453 ◆zAnbFVoD9M :04/01/12 23:59
>>452続き

【関白の間】

・・・おそらくそれなりの身分の方と心得るが何分某は関白とはいっても無位無官
の身なれば。失礼をするのをお覚悟いただきたく。

で?此度の件、わしにどう答えよ、と?・・・あの大火で帝が倒れ、次期帝を立てねば
ならんというのはわかる。そういえば武蔵公が意見があったな・・・そのものに代える
のもいい。そちらの望む帝かどうかは知らんがな(けらけら
御所や屋敷の復旧については承った。・・・此度の不始末の発端がどこであれ(ちょっと
強調)帝の屋敷を燃やした事実は変わらぬでな。石河・・・(いやあいつばかりにやらす
と力を付け過ぎるな・・・)・・・いやいや、それなりの者をあてて復旧にあたらせる。
問題はここからだな。洞院家の再興、源氏長者の返還。これについての我らの利とは
なんだ。そなたらの方についても。武家官位?わしは無官にてどうとでもしようが(けらけ
ら・・・そうもいくまいか。武家のものは武家の仕事であるのが普通であろうな。細川殿
については不幸なことだが今は又きなくさい段階、東の者を赦免するには時期尚早。
・・・除目といえば会津公がわしに激怒して文を送ってきたぞ。あの状況でよく強行した
のう。だれが贄になるのかの?会津公はことのほか怒っておったぞ(ニヤニヤ。式典につい
ては一応理解した。今回の件で加増や恩賞を得た大名はおらん。これでよいか。
(久家さん、パス)


454宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/01/14 23:41
【新聚楽第】

京都守護職として赴任して来た木下勝俊は、都の治安を回復すべく
新しく『臣千組』(豊家直臣より選ばれた千名)を編制した。

臣千組組頭…相馬、松原、篠原、野村、山野、新井、今井、伊藤、鈴木、中島

新聚楽第→木下勝俊と豊家旗本衆三千名
仮御所→豊家旗本衆五百名
相国寺→豊家旗本衆五百名
洛中・洛外→臣千組千名
455宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/01/14 23:48
本多 「帝のご容態思わしからず、大坂への凱旋行進は自粛したほうが
      およろしいかと思われまする」
秀家 「うむ、一理あるな、そうしよう。」
薄田 「御意に御座る」

石田・松平・石河家に使者
「粛々と大坂へお発ち下されませ」

(一度、大坂城へ帰りましょう)
456織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/15 22:05
>>448を受けて細川・森への秀信書状

てな沙汰だ。今後も物心両面で援助するゆえ
次の機会を待とうぞ。
秀信(まさか名は覚えとく、なんて両人には教えれぬ。なぜなら二人は殿下の…)

忠政「うーむ、沙汰無しか。織田公からの借兵にも限度があるしな、次の西国攻めへ向けて兵を集めないといかんですな」
興元「右近大夫殿、してアテは?」
忠政「……無い。筆頭家老の各務兵庫は関ヶ原の敗戦の傷心でにわかに逝ってしまったのだ」
興元「当家も筆頭の臣松井佐渡守は九州で黒田と共に死亡しましたからなぁ」

忠政「ならば、義兄殿に一筆お願いしてもらうか」
興元「ならば、義弟殿に一筆お願いしてもらうか」
興元・忠政「(二人とも気づいて)にやり」

【細川・森が旧臣・牢人を集めています。表向きは織田家として徴募しているためさほど目立ちません】
457織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/15 22:07
【京・新聚楽第】
木下勝俊「くぅ、最近の弟に物言うのはすっかり怖いが奥も怖いしなぁ」
【大和・木下延俊居城】
木下延俊「くぅ、最近の弟は物言うのはすっかり怖いが室の実家も(以下略」

実は木下勝俊の妻は森忠政の姉であり
木下延俊の妻は細川興元の妹であったのだ。

二人の兄からの書状を読んで関白秀秋もおもわず苦笑した。
だが関白には返書を一々書いてる暇はあまりなかったのであった。
458宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/01/15 23:23
>>457
>…怖い…奥も…

秀家 「…くぅぅぅ、分かる、分かるなぁその気持ち…」

【備前島宇喜多屋敷】
お豪 「くしゅん」

…w
459さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/01/16 23:28
>>453
無位無官って、あーた、関白は大臣でないとなれませんぜ。
関白秀秋公は二位の内大臣ですよ。

大坂城会談は一段落

広橋 これは……、関白殿下はどこかお悪いのか?
二条 ともかく回答は頂いた。わしは京へ帰って宮様三公と相談する。貴公らはどうする。
広橋 我らは残ってもうしばらく交渉してみます。

【二条昭実、京へ帰還。三伝奏は引き続き大坂へ逗留。】
460宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/01/17 01:08
【大坂】
帝のご容態に配慮し、征討軍は粛々と大坂へ引き揚げた。
仰々しい凱旋ではなかったが、それでも数万もの軍勢が整然と並び、大路を行進して行くさまは
豊家の威信を高らしむに充分であった。

大坂に帰った秀家は、真っ先に豊臣秀頼と羽柴秀秋に反乱鎮圧の報告(自粛して簡素に)を行った。
備前島の屋敷で秀家を待っていたのは、中村家に付け家老として出向中の明石景行であった。
明石 「謹んで新年のお祝いを申し上げます」
秀家 「うむ、そなたも息災でなにより、して用件とはなんじゃ?」
明石 「ははっ、(中村)一忠様も御年十五になられました、つきましては元服の儀をお願い申し上げたく
      参上仕りました。」
秀家 「左様か、一忠殿も十五になられたか。さぞや立派な若者になられたであろう。よし、一忠殿が大坂
      に着きしだい元服式を行おうぞ」

後日、宇喜多秀家が烏帽子親、加藤清正が加冠の役、明石景行が理髪の役、堀尾忠氏が烏帽子の役、
生駒正俊が鏡台の役となり、中村一忠の元服式が執り行われました。

関白殿下に言上
「中村一忠殿が元服しました、元服祝いに亡父中村一氏殿と同じ従五位下式部少輔に任じて下さりませ」
461石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/01/18 23:13
石田軍三万は近江に戻った。(京の隣りですから)
石田正澄とその手勢1000のみが大坂に挨拶に出向いた。

正澄心中
弟の考えはもうわからん・・・
どう申し開きすれば良いものやら・・・・

大坂城本丸

石田 上様並びに関白殿下、石田正澄、挨拶に参上いたしました。
関白 石田家の者が、よう本丸に上がれたものだ。そちの弟は、謀反人であろうが。
石田 誤解にございます。三成めも殿下の手足として働くべく兵を起こしただけに御座います。
関白 毛利攻めで働きなくば、取り潰すのでそのつもりで働くのだぞ。
秀頼 働くのだぞ
石田 ありがたきお言葉、心して上様並びに殿下に忠義尽くします・・・。

【石田家、薄氷上】
462無名武将@お腹せっぷく:04/01/22 10:57
もう尾張ポ
463 ◆zAnbFVoD9M :04/01/23 22:40
>>459
いや、前に調べてもらったテンプレでは不明になってたもんで。てっきりなくてもなれ
るんだなと。勉強になるや。母方の関係しらんヴォケ関白か。やってる本人が無知
なだけだが丁度いいや、そうしてしまえw

【大坂城】

松野  「・・・久家たちとの折衝はどうでしたかな」
秀秋  「茄子と胡瓜がならんでおったと思っていたわ」
松野  「(・・・衣の色だけか・・・)殿、ちなみに拙者はどう見えますかな」
秀秋  「けらけら、一応人の姿に見えるぞ。しかくいいしのような素肌とさんかくの
     目玉がようわかる」
松野  「・・・まさか・・・」
秀秋  「ん〜〜・・?ああ秀頼様だけは顔を忘れぬよう気をつけておるゆえ大丈夫
     だ。他は最早人に見えんがな(秀秋、すっかり白くなった髪の毛を抜く)」
秀秋  「けらけら、みよ主馬、わしは頭に白い蚯蚓を飼っておるみたいじゃな」
松野  「(・・・あの妙薬を飲み続けると出るという幻覚か・・・)殿、そろそろお薬を控
     えるのも必要かと・・・」
秀秋  「けらけら、そんなことができるものか。あれを飲まんと腕から虱が、鼻から
     脳味噌が噴出してくる。わしに死ねと申すか、主馬」
松野  「(・・・・・限界か・・・・・秀鏡様あたりを据えるか・・・)・・・いえ、殿が望むなら
     何も言いますまい」
秀秋  「けらけら、当たり前じゃ。関白のやりようにけちをつけるものは許してはなら
     ん。・・・でだ、二十六日に正式に毛利討伐令を出す。準備を怠らぬようにし
     ておけ」
【とりあえず期限をつけてみますた。毛利さん役の行動がどうあれそろそろ動きます】
464いし ◆NnBHBM9A.E :04/01/24 22:16
大坂城・山里丸の茶室

石河 女房衆の話では・・・あれだそうだが、そなたはどう見ておる。
松野 あれとは・・・ お見通しか。長くはなさそうだな、どう見ても。
石河 毛利をやるなら、早めた方が良いのではないか。直臣衆は、かなりやる気になっておるぞ。
松野 水軍がな・・・
石河 九鬼も長宗我部も使えば良かろう。命じて、背くことはあるまいが。小西も使えば良い。
松野 あてにしていて裏切られるのがもっとも痛手となる。
石河 石田の兵を山陽の中心とし、山陰に上杉。加賀殿と大谷殿は後詰めとすればどうじゃ。
松野 九州から攻める者が欲しいものよ。
石河 島津も立花もおろうが。関白の命令あらば動く。
松野 勝った後な、殿下が・・・ 貴殿はどう動く。
石河 木下の家で加賀は継げば良かろう。協力いたす。石田は九州に飛ばし、政治から遠ざけよう。
松野 関白は・・・
石河 上様におなりいただくしかあるまい。が、加賀家は後見として本丸に。
松野 貴殿、何を考えておる。
石河 上様大事。これだけだ。織田殿と仲よういたせ。御袋様(茶々)の御一門だぞ。
松野 貴殿には伝えておこう。毛利攻めは今月うちにははじめるぞ。
石河 では、中国一円に、豊臣家より書状をまこうではないか。
『毛利攻めに参加せぬ者は所領を没収する。毛利攻めに参加し、豊臣家に忠義尽くした者は、所領安堵』
とな。秀就殿の上坂を、今一度うながしておくか。
松野 だな。
【毛利家に秀就殿の上坂をうながす手紙が再度でました。】
【毛利家の領内に、『秀就殿が上坂しない場合、直接豊臣家に忠義つくしてもらう。
秀就殿が大坂で知行地の確定受けない場合、豊臣家に忠義つくさぬ家の所領は、これを安堵しない』
という密書が出ました。毛利領内の者は、かなり動しているようです。】
465織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/25 22:09
織田秀信が大坂に戻ったころに新年の参賀をするべく諸国の大名が続々上っていた。
屋敷に戻り、翌朝登城するとある大名と鉢合わせした。

織田秀信「これは浜松宰相殿」
浜松宰相丹羽長重。遠江一国二十数万石を領する青年大名である。

織田秀信「国元の家臣に聞いたが宰相殿が再建した浜松城は実に素晴らしい出来と聞いておる」
丹羽長重「いやあ、少し改修しただけでござる。それにしても中納言様には新年の餅を贈っていただいてなんと礼をすれば…」
織田秀信「宰相殿だけでないぞ。他の海道筋や美濃の諸侯、伊勢の筒井中将や氏家内膳殿にも届けた」
丹羽長重「これはいつか馳走しなければなりませぬなぁ(にやり)」
織田秀信「いやいや、でもその時が来ればよろしくお願いしますぞ(にやり)」
466織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/25 22:10
織田秀信「上様、殿下には新年の賀を奉りましてうんぬん・・・」

豊臣秀秋「大儀である」
豊臣秀頼「たいぎである」

織田秀信(やはりあの面は尋常にあらず、これは長く持たんかもしれぬ)
467織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/01/25 22:11
【大坂織田屋敷】

秀信が登城してるころ屋敷では織田家家老級会議(w が開かれていた。
参加者:織田家老衆、織田信包
ただし百々綱家は病のため国元で留守番

木造「まず二月以内、早くても月が変わってからとワシは見ておる」
堀「概ね同意だ。ただ使える兵はどれほどか」
大崎「足りん。調練はしたがまだまだ鈍い。それよりも指図する侍大将が不足じゃ」
木造「山路久之丞のような巧者も仕官させてみたが先を考えると若いのがたくさん欲しいな」
堀「ないものねだりをしても仕方ない。池田兄弟や津田昌澄など殿の側近衆を配するか」

信包「差し出がましいが一言。出陣中に去るお方が身罷られることもある。すぐに反転できるような陣割を考えとくことじゃな」
一同「・・・」
468 ◆zAnbFVoD9M :04/01/26 23:25
【大坂城】

秀頼様  「・・・・」
秀秋    「殿下には正月もろくに話もできず申し訳ござらぬ・・・しかるに・・・」

秀元なるものが大坂を混乱させ、その家臣が京での災いを起こした事。
毛利家の京での不始末について返答がないこと。
秀就上洛についてもあくまで無視を決められたこと。
会津公を逆臣とし襲わせた久家の拠り所が毛利らしいこと。
何よりも豊臣家を軽んじること甚だ激しいこと。

秀頼様 「そちにまかせる」
秀秋    「ははー」  

以上形式的作業終了。あくまで太閤殿下の決定とする形をとる。(わしでは肩書き
でさえ軽んじられるからな・・・)

1月26日。大坂、京都、尾張、金沢に富山。高札が掲げられる。

「逆臣毛利、豊臣への不忠言語道断。よって討伐令を布告する」
全国へも書状が届く。・・・とはいえ既に東国諸大名は既に播磨に。近畿豊臣主力も
又既に準備が整った段階である。これも又形式的なものとはいえ、この時点で遂に
豊臣は毛利を滅ぼすことを内外に布告したといっていい。さぁどうする西国の雄。

【予定通り、大坂が宣戦布告を発令】
469宇喜多:04/01/27 11:15
【大坂城】

既定事項であったとはいえ、毛利討伐令が正式に布告された事により大坂城は
緊張に包まれた。
前もって準備していたため、軍事総大将任命の儀、出陣報告の儀は滞りなく行われ
今は豊家に関係の深い諸侯のみが大広間に残っていた。

秀家 「秀頼様に弓引く逆臣、毛利秀就を成敗して参ります。吉報をお待ち下され」
関白 「うむ、頼みましたぞ秀家殿」
秀頼 「たのんだぞ、ひでいえ」
秀家 「それでは、色々と支度が御座りまする故、これにて失礼仕ります」

城内廊下の柱に縋り、忍び泣く秀家の姿があった。
秀家 「うっううっ(…秀秋殿…なんと痛ましい姿であろうか…)」
秀家は秀秋の姿に、亡くなった実父・養父の姿をだぶらせています。

一方その頃、大坂城の一室では秘密会談が行われていた
本多 「それで、軍事総大将の権限で御座るが、秀頼様の代官として諸侯を
     統率し、対毛利戦の戦略(動員、将帥の任命、侵攻ルートの選択)
     を差配しても宜しいのか?」
岩見 「また、何をもって毛利討伐の成果とするのか…毛利氏の殲滅か?秀就
     及び重臣の首か?毛利の軍としての戦闘継続意欲の喪失か?降将へ
     の対応は前線にお任せ下さるのか?」
松野 「…」
470いし ◆NnBHBM9A.E :04/01/27 22:16
石河宗林
城内廊下の柱に縋り、忍び泣く秀家の姿があった。
あほうめ・・・
石河 宇喜多公、何を・・・
秀家 ううう、殿下のお姿を見れば、わかろえほどに・・・
石河 甘いですな(きっぱり)
秀家 甘いですと・・・
石河 天下を見なされ、天下を。殿下おらねば、誰が天下を見守。りましょう
秀家 ・・・
石河 戦の総大将は、貴殿であった。我等豊臣の臣下は、殿下と秀家公に・・・
秀家 ・・・
471 ◆zAnbFVoD9M :04/01/29 03:37
>>469

松野  「・・・毛利を殲滅するにはちと厄介だ。あれだけの大国だとこちらの被害も
     馬鹿になるまい。持久戦ともなれば補給線を絶たれる危険性もあるし何より
     死ぬ気になった兵を相手にはできん」
本多  「・・・では重臣および当主の首ですかな」
松野  「此度の戦、みせしめの意味合いが強い。そこらは徹底せねばな」
本多  「降って来たものたちについては」
松野  「・・・昔尼子はわざと重臣を下らせ、相手を油断させたところで叩いたと聞く」
本多  「・・・」
松野  「だがそれは降る対象に魅力があったればこそ。ここで降る者は沈み行く船
     から逃げ出す鼠が道理。補給線、及び拠点に配備させず最前線で働かせれ
     ば良かろう。差配はまかせる。・・・が多少なりとこちらも手は出している」
本多  「・・・嘘か実か。そこが不安ですが」
松野  「そこらは明確にするさ。・・・でなければ奴らの命賭けの豊臣へのつてを捨て
     ることになるからな」
本多  「・・・で。大将の権限ですが」
松野  「豊臣本軍だけでも毛利を圧倒している。東国の大名とのつては会津公に任せ
     るが利巧とも思うが、あくまで全軍の指揮をとりたいならこちらから話をつける」
本多  「我が武蔵が差配を務める・・・そう理解いたしますぞ」
松野  「(会津は豊臣との血も繋がる。それに総大将にならなくてすむ分気楽に動ける
     筈。・・・どうせ軍が暴れたとかなんとかで勝手に手柄をたてんと突撃するだろう
     が、そのあとの手配は山城がやるだろう。・・・頷ける筈だ)・・・そうとって頂いて
     結構」
472いし ◆NnBHBM9A.E :04/01/29 03:44
石河宗林・独白
ぬるい、あまりにぬるい。殿下が・・・後、あれが柱では北の虎に食われて・・
ぬるいとはいえ、あれに頼るしかないというのも・・・・・
治部の近江、宇喜多領飛び地にでもできぬものか・・・
毛利攻めでは手柄立ててもらわねばならぬな。

長束、増田殿ら、奉行衆にも働いてもらわねば・・・
473宇喜多:04/01/29 23:50
【毛利討伐軍幕僚本部(?)】

毛利家へ正式な軍使(安国寺の僧侶)を派遣
軍使 「拙僧が最後の使者となりましょう、なにとぞ御公儀の意向に従われませ
     さすれば毛利家も御安泰に御座いましょう」

毛利家非主流派(ぎりぎり家督相続権がある位)に密使
使者 「御貴殿が豊家に忠義示すことだけが、毛利の家名を保つ術に御座る」

吉川家(野心がありそうな若者に)に密使
使者 「ひたすら大毛利の心棒たらんとした、貴家の真心に対する今の仕打ちは
     如何でござろうや…御身の考え一つに御座るぞ」

小早川家(穏健派の家老)に密使
使者 「関白殿下をお頼り為され…」
474宇喜多:04/01/29 23:59
【毛利討伐軍幕僚本部(?)】

近畿圏の豊家旗本衆に動員令
「御城に集結し秀頼様に馳走あるべし!」

東北諸侯に書状
「山陰道鳥取城に向かわれたし」

東海諸侯に書状
「山陽道岡山城に向かわれたし」

真田・浅野・大谷・増田・宮部・立花・鍋島家に書状
「国境を固め、毛利に備えられたし」
475織田:04/01/31 11:53
>>474
は、ただちに備前岡山へ発ちまする。
476 ◆zAnbFVoD9M :04/02/01 10:22
毛利はいつデマスカ(・∀・;)?

>>464

石河が去った後。思案にふける松野。

松野  「(・・・どうも譜代と戦への心構えの差が不安よの。豊臣の命令ならば従って
     当然の雰囲気、ここからわしは疑ってかかっているのだが。西国には厄介な
     若者が二人おるからな。・・・もし再び自らを富まそうとするなら、毛利討伐の
     この際に毛利方として戦い勝利し、権威を失墜させるしかもう好機はないだろ
     うからな。・・・まぁ徳川の形見は武蔵殿が見ておるから徳川の後継云々で出
     ることはないだろうし、毛利を押していた長袖は朝廷によって廃される。権威
     や御旗はないからその点では心配はしていないが)」

しつこいが豊臣は徳川のもう一人の後継が薩摩にいることをしりません。

松野  「(薩摩か・・・朝鮮での大暴れを間近に見た分には厄介な相手よ。勝には変わ
     らんがいくら被害がでることやら。しかし関ヶ原でもやむなく西についた人間。
      はなから豊臣を崇めるつもりはないと見ておくべきかもしれん。・・・我が殿も
     関白になったからといって石田を頼ったことは全くなかったからな・・・)」
松野  「(・・・だがあれは出てくるには遠すぎる。立花鍋島大友辺りが食い止めよう。
      戦力を見ても多くても五〜六万だろうしな。問題は・・・)」

地図に書かれる土佐の文字。松野の淡路派遣の推薦。しかし増田が言う毛利討伐へ
の布石ともとれる瀬戸内の連中との会談。どちらにもとれるのが彼を困惑させる。
首を何度も振って雑念を追い払う。何れにせよ見切り発車しかない。
477長曾我部盛親:04/02/01 22:47
久びさにかいてみるw

盛親は酒害の静養も兼ねて、湯治・・・
しかし、情報は当主右近兵衛秀盛より先につたわる。

(・・・)
盛親「なんじゃい。」
(は、畿内はこのような・・・)
盛親「ふはは。殿下はあせっておるの。」
(しかし、参星攻めは)
盛親「瀬戸内の海を纏めらん桐には勝眼がないぞ。」
(あの島は松野殿が)
盛親「松野がどれだけ気をもつか。逆に・・・」
(?)
盛親「参星攻めがどれだけ愚か。止められるのも奴しかおらんしな。」
(・・・)
盛親「殿下も弱冠過。わしも参十にいたらぬしな、血もたぎる。」
(参星の主はまだ/・・)
盛親「まだ、血をしらぬわらべが総大将か。」

盛親は湯ケムリの向こうになにかを見ていた・・・


478宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/02 00:28
【毛利討伐戦準備中】

豊家動員
七手組→全員を召集し大坂城へ
旗本衆→畿内を中心に召集した約五万を拠点防衛に配置
(内訳…木下家与力に一万、浅野家与力に五千、九鬼家与力に水軍衆五千
      姫路城の石田重家と蒲生郷舎指揮下に五千、佐和山城の石田正澄指揮下に五千
      洲本城の津野親忠指揮下に五千、山城新聚楽第・若狭小浜・和泉堺にそれぞれ五千ずつ)

羽柴家へ
殿下は七手組と共に大坂城へお入り下され、羽柴軍は後詰めとして何時でも遠征できるよう準備して
大坂城外に駐屯して下され

石河家へ
兵を率い、大坂の治安維持等にあたって下され

氏家家へ
兵を率い、紀伊小雑賀の防衛をお願い致す

九鬼家へ
豊家水軍衆と共に海上輸送に万全を期して頂きたい
479宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/02 00:51
増田家へ
伊予沿岸部の防衛に全力を尽くされたい

長曽我部家へ
来島・尾道の攻略をお願いする…

九州諸侯へ
九州毛利領攻めと関門海峡封鎖をお願いする

小西家へ密書
九州諸侯の後詰めとして、今暫し宇土に駐屯して頂きたい
(弥九郎殿、八郎を信じて下され…)

山陰道進行軍 大将…上杉景勝 軍監…松平秀康
先鋒…浅野家と豊家旗本衆、真田家、松平家(軍監)
本隊…上杉家と東北諸侯(佐竹・前田・秋田・岩城・最上家)
後詰…木下家と豊家旗本衆(出石城駐屯)、長束家

山陽道進行軍 大将…宇喜多秀家
先鋒…大谷家、平塚家、戸田家
本隊…宇喜多家と関東諸侯(加藤・田中・蜂須賀・堀尾・生駒・中村・里見家)
後詰…織田家と東海諸侯(筒井・丹羽・前田家)
現時点での参加者はどれぐらいいるのでしょう?
敵役のリアクションが無いので見ててもつまらないのですが、
まだ続くのでしょうか?
481さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/02/04 21:04
止まってるなあ。

御所

九条 毛利攻め、か。
鷹司 こちら(朝廷)への話は、何も無しですか。
二条 今のところは、な。いずれ伝奏に話があろうて。

九条 (毛利が泣きついてきたらどうする。まあいいか。)
482長曾我部盛親:04/02/04 22:16
本気で毛利攻め?信じられんなw

>>479

盛親「馬鹿が」
書状を火にくべる。
(宇喜多様は何と)
盛親「来島・尾道の攻略なんぞ夢としか思えん」
(確かに)
盛親「大坂の連中は、何を考えているやら。」
(韓入りの負担。先の戦。これ以上負担は民を塗炭の苦しみに。)
盛親「ふ…豊家が崩壊するかもなw」
(何をおっしゃいます。公儀の意向です)
盛親「よい。だがこの動きは容認できん。」
(確かに。会津公等東国の動きもありますから)
盛親「三つ星は受けて立つしかあるまい。」
(そうですな。彼の地の支配も知らん動きでしょう。)
盛親「小田原とは違うぞ、下手すれば泥縄だ。」
(当家は、この動きには従わぬで良いかと)
盛親「そうさな。どうせ睨まれておる。問題は九州よ」
(難しいですな。)
盛親「ふ。強攻策しかとれん大坂には搦手も用意しておくか。」
483長曾我部盛親:04/02/04 22:40
書状

院宛(さる公家殿も見ていいよw)
「先帝問題は置きます。ですが院の権威を仲立ちとする公儀の暴走を静観されておるのは座視出来ませぬ。」
「公儀は、先の戦を考えず泥沼の戦に突入する動き。当家は勤皇に味方します。」

島津家中宛
「毛利家の騒動は馬鹿馬鹿しいが、四国、そして九州の疲弊を感じていない暴挙。我らが海を越え戦をした。
それは、故太閤の所業に他ならん。毛利の消滅は悪夢にしか過ぎぬ。牽制しか出来ぬと思うが、配慮願う。」

毛利家中宛
「昨今の風聞、穏やかなぬ動き。貴家の申状は当家は理解しており申す。」
「他家の干渉はしたくないが、公儀に以下の告発を出されることを申し述べる。」
「一、当家家臣小幡某が、京にて奉行職を務めておったが何ゆえ討たれたか、公儀の見解を願う。」
「二、先代もしくは先々代の無礼は行状を示して当家にお示しあること」
「三、…無礼の定義お示しあれ」
挑発的な文言は貴殿でおなおしおなされ
484長曾我部盛親:04/02/04 22:46
最後に松野宛

「戦はすればよい。ただし、三つ星相手の本気の戦争なら、西国は敵に回る。」
「おぬしの役は落としどころを探るところよ。それを履き違えると日ノ本が(略
「当家の動きは、おぬしの動きに連動する。くれぐれも判断を料としなされ」
485さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/02/05 19:22
>>483
九条 やれやれ、院は軟禁中じゃて。宮内は一体何をしろというのか。
二条 こんなもの書いて上杉に見られたらどうする気じゃったのやら。
九条 しかし……、この分じゃと毛利攻めは簡単にはゆかぬようじゃな……。

【院宛の書状はどういうわけか二条兄弟のところへ。】
【宮内少輔殿へ返書。】
 院は幽閉、主上は重篤、三公は総入れ替えと朝廷は力を落としています。
 そこへ貴公の御志、誠に力強い限りであります。
【感謝の意と、御所内外の状況、先の大坂表での会談内容などを書き送ります。】
486無名武将@お腹せっぷく:04/02/07 10:38
俺が終わらそうか?
カスだね486は相変わらず
488 ◆zAnbFVoD9M :04/02/08 00:49
毛利さんが来ないね・・・石田云々も来なくなって久しいし。
そろそろおいらも続けるのしんどくなってきたな・・・。
でも土佐さんから来たか。
【大坂城加賀屋敷】
初鹿野  「土佐、長宗我部家より文」
松野   「(・・・ようやくか。湯治などと悠長なことをいっておるからこうなる。大坂の
      力量不足を知っての傍観に何を求めるものやら・・・)御苦労、そなたは馬
      の調練を続けよ」
初鹿野  「・・・おそれながら、我ら武田の末裔、既に何時いかなる時も死兵として
      動けまする」
松野   「ならば足軽鉄砲の調練に回れ。脇坂とわしが淡路に抜ける。軍の総大将
      は実質小川赤座が務めることになる。塙はあの性格、少数精鋭に拘って実
      数が減っておろう」
初鹿野  「・・・はは」
松野   「では行け!手を休める余裕はない」
(書状>>484熟読)
松野  (おとしどころ?・・・毛利が何も返答せず豊臣が譲歩する理由を聞かせて欲し
     い・・・下手に出る策ならとうに立てておる。それに対し何も返って来ないからこ
     の討伐になったのだろうが・・・本気がどういう意味かは図りかねるが・・・恐らく
     豊臣の動きを見れば矛先を大坂に向けるだろうな。・・・ただ、わしらも馬鹿では
     ない。・・・戦わずして毛利は滅ぶ。・・・そうさせたのは毛利自身だ。新顔にいい
     ようにされた旧臣、盟友の形で服した一族。既に離れた海賊。これはいかな荒業
     でも勝つのは不可能ぞ・・・)
松野返書
土佐殿の意見、ありがたく拝見いたした。傍で達観しておった方らしい厳しい意見です
な。そうそう、我らはこれより淡路を整えますゆえ軍を出しまする。これまでの淡路警備
感謝いたす。来るべきまで本拠で英気を養い応えられよ。

松野  (諸侯と大坂の力加減を整えて自国をやりたいようにやるつもりやもな。土佐も
     薩摩も毛利が消えれば流石に大坂に太刀打ちできんし。・・・そこまで短絡では
     ないことを祈るばかりだ)
大阪玉造屋敷へ引き上げた松平軍に、>479の指令が届けられた。

秀康「我が方は山陰道か」
家信「鳥取へ立ちますか」
秀康「鳥取は伯耆国、毛利の領土じゃ…前線基地は浅野家の但馬出石城となるであろうよ」
家信「その旨、会津様に伝えたほうがよろしいかと」
秀康「別段伝えるまでもあるまい、皆わかっていることじゃ。それより戦の支度をせよ。
   …そうじゃ、赤松殿を呼んで参れ。あのお方に我が方の案内をしてもらうのはどうかな」
家信「若ッ、まだお分かりにならんのですか?
   我が藩は色々と憎まれております。単独行動はさけられ、いわれたことだけやらぬと
   御家を滅ぼしますぞ。赤松殿を呼ぶことなりませぬ。この爺がダ、断じて許しません」
秀康「わかったわかった、もうよい…上杉様の陣屋へ参りその指図に従おう…」
大阪留守居役・岡見念仏「若、お取り込み中失礼致します。結城の御隠居様(>264)が
   お世継ぎの件で長逗留しておられます」
秀康「御隠居様が?…それは済まぬことを…とりあえず宴の用意を。御隠居様に寛いで頂かなければ」

【玉造屋敷・酒宴】
490宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/08 19:08
打てど響かず…なんか辛いねぇ

【姫路城】

関東諸侯軍は戦備を調えるべく、ここ姫路城で休息を取った。
陸路と海路で運ばれた物資は姫路城に集積され、その量は数万の軍を養って余りある。
諸侯と軍議を重ねる秀家に書状が届く。

秀家 「…」
生駒 「書状にはなんと?」
秀家 「長曽我部殿の動きが鈍いと…」
堀尾 「ふむ、かの御仁は喰えぬお人ですから…これは…」
秀家 「…ふむぅ…」
加藤 「秀家殿、およそ戦に置いて真に恐ろしきは、多正面に敵を抱えたときに御座る」
岩見 「左様、ここは山陰を矛とし、山陽を盾とすれば如何か?」
秀家 「一理あるな…四国へ渡った兵が伊予より安芸へ攻め込むも良しか…」
本多 「御意」
491宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/08 19:29
上杉・松平家へ使者
「支度が調いしだい毛利領伯耆へ攻め込まれたし」

織田家へ使者(東海諸侯の寄親)
「東海諸侯と共に讃岐へ渡られたし」

淡路洲本城の津野親忠が防備を固めました
播磨姫路城の石田重家と蒲生郷舎が四国・山陽進行軍の補給を担当します

平塚家が讃岐の防備を固めました
戸田家が美作の防衛を固めました
加藤清正を初め関東諸侯(堀尾、生駒、中村、田中、蜂須賀、里見)が四国へ渡りました
大谷家と宇喜多家が岡山城を中心として児島3河川に防衛陣地を構築します
492いし ◆NnBHBM9A.E :04/02/08 23:45
信濃より、兵が大坂に到着。その数、5000。
大坂警備に余念がない。
(一宗に本丸詰めを兵200とともに行わせる)

493織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/02/09 21:01
丹羽長重「毛利ではなく四国へ行くことになるとは」
織田秀信「本当に怖いのは正面もそうだが後の味方よ。宰相殿には後発で渡ってきてもらいたい」
丹羽長重「…つの字ですな」
織田秀信「当主の順定殿はともかく所領に対してちと連れてきた兵が多すぎる。家臣の……が何か企んでるかもしれぬ」
丹羽長重「尾張兵一万五千余に対して一万二千。当家の八千や駿河兵の五千と比べても尋常ではござらぬ」
織田秀信「兵を養うにもまずに国を富ませる事。筒井の隠居は解かっておるのだろうか・・・」

【東海衆4万の兵が二手に分けて讃岐へ渡海。】
【先遣隊二千が讃岐平塚勢と合流、大将丹羽高吉(丹羽家)、副将津田昌澄(織田家)】
494さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/02/09 21:31
大坂城下某所

烏丸光広 はあ、西国筋はおおむね毛利に好意的、と。
謎の人物 さよう、特に伊予あたりはな。
烏丸光広 豊後などは如何ですかな……。
謎の人物 ふふ、隠居の知ったことではないの。
烏丸光広 されど朝廷から、そう、治罰綸旨など出されれば……。
謎の人物 ほう……。
烏丸光広 西国諸侯も寝てはおられませぬのでは。
謎の人物 言い換えれば……、朝廷次第で毛利を助けられるのではないかの?
烏丸光広 ご冗談を! 毛利は御所を焼いたのですぞ。
謎の人物 奉行の小幡が独断じゃろうて、それに誰が火をつけたか真にはわからぬのでは無いか?
烏丸光広 ……。

【この状況なら朝廷が動く余地はまだまだあるかな。】
495宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/09 22:30
【備前 光珍寺】

備前に着いた秀家は光珍寺に詣で、亡父の墓に静かに手を合わせた。
秀家 「…(父上、秀吉様は父上との約束をお守り下さいました。八郎が無事に成人し、
日の本六十余州に知られる大将になりたるは全て秀吉様のお陰に御座います。
今度は八郎の番です、秀頼様を守り立て、秀吉様の御恩に報いとう御座います、
我が武運をお守り下れ…)…」

秀家 「毛利討伐が終われば、もはや戦は無くなりましょう、儂は武蔵野の国造りに励みます。
老師も武蔵の国へお移り下され、寺を寄進しましょう」
老僧 「ほほう、秀家様から寺を頂戴するとは、長生きはするものですな、ふぉっほっほ」

僧達の見送りを後に、愛馬『八丈』(ベルシュロン系原種で宣教師より購入)を駆る。
秀家 「もはや迷わぬ、後は往くのみ!」

宇喜多家は大谷家と共に岡山一帯の防備を固めております。
関東連合約二万六千(加藤清正が主将)も東海連合に続いて讃岐へ渡りました、伊予に向かいます。
496長曾我部盛親:04/02/10 01:51
(予測以上の動きで菅・・・今宵はこれで。いいのかよw

盛親「淡路に松野が…やれやれ」
(屋島の故事を習わぬとは…)
盛親「…まあ、阿波にて丘戦を起こせぬ為の術。本気で解せぬとは思えんが。」
(あの島が、攻めるに安し、守るに固しということを)
盛親「責めるな。丘戦しか知らん連中よ。」
(しかし、関白の右手は封印されました。)
盛親「さて。これからが厄介よ。」
(松野は淡路で苦労しましょう。後は…)
盛親「武蔵中納言よ。備前口で止める策を考えねば…」
(先手の構成を見て考慮します。)
盛親「そうじゃな。右近を大将に100ばかり高槻に出す。」
(…場合によっては見ごろしか。)
盛親「まだ、戦国の習いは続いている・・・」
(御意。)
盛親「…葛城、そして生駒。熊野諸社へとの繋ぎ怠るな。」
(御意…当家が蝙蝠由縁ですなw)
盛親「言うな。大社にも幣帛せねばならんな。」
(はて、それは外宮ですかな、それとも雲まで?)
盛親「曾我部とはそういうものよ。」
(御意。)

【瀬戸内海にて水軍哨戒中レベル4w】
【このレスの後半は関風な陰謀史観的書き方です。つっこっみしたければよろしゅうw】


497長曾我部盛親:04/02/11 22:06
>>494
治罰綸旨より効果的な奴があるでしょうにw

(二条卿よりなにやら)
盛親「…大職冠より藤に相応しい答えよな。」
(…何も院が幽閉なぞと明確にしなくてもよろしいのにw)
盛親「…さて、卿は明確にするか。会津の動きも考慮しろということか。」
(内裏は、灰色でしょう)
盛親「…どうせ、三つ星が動くには先であろう。」
(備前に先手がきております。伊予にも…)
盛親「…伊予は無理じゃ。押せば無理をする。」
(…因島の諸ですか)
盛親「せめて、熊野と通じなければならんのに。」
(当家がこなすと思っているのでしょう…)
盛親「…豊家の欠点は、治部がいないことよ。」
(?)
盛親「奴は、西国諸侯に能を与えることを怠らなかった。」
(…それは、逆説な意味もあります。」
盛親「そんなことはわかっておる。さて、策じゃ」
(…御意)

【続くw】
498 ◆zAnbFVoD9M :04/02/11 23:32
土地鑑ないので淡路がそんなところとはシランカッタ。まぁいいや。じゃ、あれ
使うわ。

【大阪】

脇坂  「淡路に兵を?主馬様、わざわざ火中の栗を拾うようなまねを何故なさる」
松野  「阿波でにらみをきかせるわけにもいかん。しかし瀬戸内が灰色では讃岐
     の平塚が孤立したも同然。伊予は大将があれでは海賊の統制なんぞでき
     はせん。・・・土佐にもできるとは考え難いがな」
脇坂  「しかしだから淡路を抑えたといっても守りに向かず、苦戦は免れぬかと」
松野  「・・・誰も淡路に兵を留める必要はない」
脇坂  「空地にするとしてそこを補給の拠点にでもなさるか。防衛の拠点になるに
     はあの地は・・・」
松野  「だから補給だけさせる地で構わんと言っている。・・・そなたを呼んで指揮
     させる隊はなんだったか?」
脇坂  「・・・(しばし黙考)確かにアレと豊家所有の鉄舟で組めば並みの船など勝負
     もなりませぬが・・・。しかし過信できるものでも・・・」
松野  「東の大名からの授かり物。使って壊しても懐は痛まぬ、また造れる」
脇坂  「・・・淡路の地周りは」
松野  「・・・わしがやる」

【松野、佐竹公からのいただき物を使用】
499いし ◆NnBHBM9A.E :04/02/12 02:19
石川光元(紀伊守)

大坂

松野と脇坂の会話が交わされている部屋に使いが・・・

使い 石川紀伊守様、松野様にお目どおりを願っております。
松野 何だ、忙しい時に・・・  良い、通せ。
石川 淡路に兵を出されると伺った。わしも行かせていただけぬものか。
松野 むう、貴殿は土地勘もあるか・・http://woodone3831.hp.infoseek.co.jp/c-1-3-6-12-siro-KANODO.html
石川 豊家の兵を預けていただきたい。
松野 ・・・・
石川 亀甲舟を破った100匁筒を舟に載せれば、毛利の水軍は破れるものと存ずる。
松野 ・・・・
【金吾っち、石川兄でつ。松野の従兄弟ですな、弟と同様に(w 使ってやってはくれんかな?】
500さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/02/12 19:28
>>497
いやあ、あれはもう使えませんな。またニセ者が出るかもしれませんし。

御所(復旧中)

鷹司信房 宇喜多侯は備前に達したとのこと。
二条昭実 やれやれ、これはほんに朝廷にことわりなしでやる気かの。

九条兼孝 とりあえず、様子を見てみるかの。

【陣中見舞いとして、八条宮使の名目で左兵衛佐土御門久脩を送ります。】
501長曾我部盛親:04/02/14 01:17
(本音:毛利がうごかねーwどうすんじゃw)

(根本的な問いを申し上げます。)
盛親「なんじゃ。」
(殿は、我ら無縁の者もお使いくださいます。)
盛親「…そなたらの無縁云々。聞かぬことにする。」
(それは、どういうことで)
盛親「太閤亡き後、貴殿らはどうなると思う。」
(…難しい問いですが。)
ここで盛親は素裸で湯煙からでた。()付きの者に対峙する礼儀ともいえようか
盛親「無縁か。そちらは故右府に痛い目にあったからな。」
(本能寺を虫変えなさるのか。)
盛親「それは、こちらに煮え湯が来るw」
(・・・なら、触れぬ話。)
盛親「お主も大概にせいよ。…まったく本音を話せない者よな。」
(失礼致しました、太閤逝去の感ですな。)
盛親「関ヶ原はあのような結末じゃ。」
502長曾我部盛親 :04/02/14 01:18
(続き
盛親「治部はあの様。金吾は殿下よ。」
(松野殿に執拗に接触求める方の言葉とは思えませんなw)
盛親「ふふ。祖父が中村から再起を図りしこの家。潰す訳にはいかんw」
(殿に申し上げます。では桐に味方するのが最善かと)
盛親「…確かに最善じゃが。当家は始皇帝の子孫である。」
(!)
盛親「…わかっておれば良い。お主らは大社の絡みがあるじゃろう。」
(…ご賢察のとおり)
盛親「太閤は明神か。ワシは何になるかの。」
(その札付きなところから、菩薩には保証します)
盛親「(爆笑)ま」
(?)
盛親「今の所は予想とおりじゃな。」
(確かに、下策を考えなくてもよろしいかと)
盛親「下策はな、弱者の搦め手でもあるんじゃ。それの使い手の策もあるがなw」
503宇喜多:04/02/14 13:47
【讃岐 高松港】

続々と上陸する関東諸侯軍で高松港は喧騒に包まれた。
下船する人の群れとは逆に船へ船へと向かう集団がある。
右近 「これ船頭、この船は堺に行くか? 堺に行くなら儂等を乗せよ」
船頭 「わいらは確かに堺に帰るけどよ…」

馬上で人足を指図していた武士が会話に気づき割ってはいる。
岡  「何処の家中の者か! この船は我等(宇喜多家)が借り上げた船じゃ、
    船手を預かる代官に断り無く、勝手に使うは許さぬぞ、!」
右近 「これは失礼した、我等は宮内少輔様の家来である。秀頼様に馳走せよとの
    主命を受け大坂に向かう途中じゃ。豊家の為である、乗せてくれ。」

岡平内は『豊家の為』という単語を使われると反論を止めた、豊家第一主義
とも呼ぶべき家風(秀家の秀吉崇拝)が宇喜多家に有るからだ。
岡は忌々しそうに舌打ちすると、右近一行を堺へ乗せていけと船頭達に命じた。
504宇喜多:04/02/14 14:00
【備前の国 岡山城】

現城主である大谷家に遠慮し、二の丸に陣借りしている秀家に知らせが入る。
岩見 「逆茂木や馬防柵の造作、順調に御座ります」
秀家 「そうか、毛利がいつ来るか解らぬ、急がせよ」
本多 「陣中見舞いとして、八条宮様より御使者が見えられました」
秀家 「そうか、失礼無きようにな」

【さる公家殿どうぞ】
505旅の愚僧:04/02/17 02:52
【岡山城下】
寄せ手が籠城の準備とは・・・・八郎殿はやはり戦を知らぬうつけよ、ほっほっほ。
分進合撃といえば聞こえはよいが、遊兵ばかり作っておるは諸侯の嘲笑の的よ。

さて、肥後にでもゆこうかの、ほっほっほ
506無名武将@お腹せっぷく:04/02/17 15:27
「関ヶ原燃ゆ」でも読んどけ。
キモすぎて放置されてんだからほっといてやれよ
508 ◆zAnbFVoD9M :04/02/17 19:15
ちとこのあと一週間位仕事で離れます。この間にでも話が
進んでいるといいんやけどなぁ・・・。

【大坂】
>>499

脇坂  「石川殿、淡路を戦場に選ぶ事自体が難儀を背負い込む元になるのでは
     ありませぬか」
光元  「瀬戸内で黙らせるには淡路と下関を止めればいい。大友鍋島立花小西
     でやれるはず。要は東に攻め込むという意思を捨てさせるが寛容」
松野 「・・・。果たして下関で止められるものかな・・・」
光元  「は?」
松野 「・・・何、最近はぼやきばかりでな。聞き流されよ。石川殿も地周りをして下
    さるならお願いしたい」
光元  「承知」

金吾  「祐忠、直保」
小川   「こちらに。加賀兵先手一万三千何時でも動けまする」
赤座   「越中一万二千同じく」
金吾  「武蔵公の出だしがどう出るかはわからぬが」
(キセルを一息、鼻から血が流れつつ)
金吾  「山陰尼子を揺さぶる。亀井吉川あたりとのつてを上手く使え」
     「若狭には鉄舟を置く。・・・ま、海流やらであまり助けにはならんかも知れん
     が海路から潰されることはない。それよりも陸路の補給を死守することだ。さ
     すればほおっておいても会津公が・・・会津公にたきつけられた東北の連中が
     戦果を上げよう。つまらん話だが消耗戦ならば我らに負けはないからな」
金吾  「・・・後、勘違いするなよ。敵は毛利を牛耳っている奸臣とそれに毒された連中
     だ。・・・そういうことだ」
>>507
キモ過ぎて無視されてる奴ハケーン
510宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/19 21:36
【備前の国 岡山城】

山陽・山陰の地図を前に軍議を重ねる諸将

秀家 「ええい毛利め、なぜ動かん!」
本多 「山陰の上杉公の動きが鈍う御座いますな」
岩見 「此処は一つ、我等が打って出ては如何かと」
薄田 「備中の小城を幾つか攻めて毛利の出方をみましょう」
秀家 「よし、岩見に任す」
本多 「讃岐へ渡った加藤殿等へ例の書状を…」
秀家 「うむ、山陰への手筈もいたさねばなるまい」

岩見・薄田・雑賀隊(約九千)が備中へ向かいました、国境の小城へ一当てします。

山陰方面軍に配置換えと侵攻開始を伝える使者が出ました。
四国の関東諸侯軍に使者が向かいます。
511宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/02/19 21:59
羽柴家へ
使者 「船(>>503)が堺に御座いますれば、如何様にもお使い下さい…」

毛利領内へ布告
「豊家に味方すれば本領安堵、非戦闘員には危害を加えない」

山陰方面軍が配置換えを行いました。
出石城に長束軍、鳥取城に上杉軍が入城します。
先鋒…浅野家と豊家旗本衆、真田家、木下家と豊家旗本衆、松平家(軍監)
本隊…前田家が代将の東北諸侯軍(佐竹・秋田・岩城・最上家)
先鋒部隊は伯耆米子城攻略に向けて進軍を始めました。

関東諸侯軍が伊予に入りました。

長曽我部家へ使者(明石宣行)が来ました
明石 「主より右近兵衛様に書状が御座います」(表面上は当主交代したんだよね?)
内容
「秀頼様の代官として命ず、東海・関東諸侯と合流し毛利領へ侵攻せよ。」
毛利討伐軍 軍事総大将 宇喜多秀家 花押
>511

松平秀康軍は宇喜多家よりの指令を受け、大阪玉造の屋敷を出立。
山城を通過、丹波丹後を越えて出石へ入ることになった。

【山城・嵐山にて行軍中】
秀康「花の都京都も酷く荒れておるなぁ…」
家信「本日はどこでお休みになります?化野念仏寺で投宿されては如何かと」
秀康「門跡様の所は避難民の仮屋が立ち並んで居るであろう、そこへ兵が来たら混乱する」
家信「ハハハ、若もそのようなことをわかるようになりましたか、立派になられましたな」

松平軍は鳥取に到着。

【鳥取・松平家陣屋】
家信「門前に使いが参っております。一人は化野門跡(本願寺教如は最近ではこう俗称されている)
の執事下間法橋頼拙殿、もう一人は東北諸侯軍軍使・津金陣兵衛胤久殿」
秀康「下間殿の用件はわかっておる、戦をやめろというのであろう。申し訳ないがそれはできぬゆえ
   お引取り下さるよう丁重に申し上げておけ。津金は通せ。何事じゃ」
津金「殿、東北騒乱よりしばらく奥州に留まっておりました津金です」
秀康「おお、久しぶりじゃな。先鋒は既に国境へ近づいたゆえわしも明日には出立するぞ」
津金「単刀直入に申し上げましょう、東北軍は海路を通って丹後田辺に上陸しております」
秀康「ふむ、それでは直ぐに合流できようぞ、結構結構」

【松平軍は先鋒軍監として米子へ向かいました】
513無名武将@お腹せっぷく:04/02/21 21:02
毛利・上杉はNPC扱いでよろしく!勝手に英雄物語書いて悦に入っていいよ
オナーニスレageるべからず
515無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 17:27
【最高経営機関より通達】

上杉・毛利の復帰が見込めないので

糸冬 了!
>>515
承知致しました。

短かい間で御座いましたが、良い夢を見させて頂きました…
517無名武将@お腹せっぷく:04/02/22 18:22
このスレワラタw

人が欲しけりゃage進行でやりなよ
おいおい最高経営機関て誰だよ?勝手に終わらすな!
519長曾我部盛親:04/02/22 21:34
言いたいことも判るが…死体スレに顔出すのも暇人よなw
>511
(来ましたな。)
盛親「焦らしが聞いてきたか。」
(当然でしょう。毛利領は広大ですから。)
盛親「…兵衛に言っておけ。500程度で讃岐におっておけと。」
(500ですか。確かに軍役負担はきてませんな)
盛親「熊野に使者。紀伊沖で船を準備させよ。」
(は、他には)
盛親「そうさな、権現系の山に因果を持たせよ(にやり
(ふふ。右府も太閤も根絶やしに出来ないのは)
盛親「そうだな、この国の不思議さを思い知ることだろう。」


520逆転・関が原:04/02/23 19:35
[関ヶ原西軍甲]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的には行った部隊

{北国街道}----------101000
毛利輝元 (30000)
石田三成 (6000)
豊臣麾下 (2000)
毛利秀元 (15000)
立花宗茂 (15000)
上杉景勝 (24000)
伊達政宗 (9000)

{天満山}-----------21000
小西行長 (4000)
宇喜多秀家 (17000)

{中山道}------------5600
戸田重政 平塚為広 (1500)
大谷吉継 (600)
大谷吉勝 木下頼継 (3500)
-----------------------------
【純西軍計】 127600
521逆転・関が原:04/02/23 19:36
[関ヶ原西軍乙]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的に行わず、
戦闘中に東軍に寝返った部隊

{松尾山麓}----------4200
赤座直安 (600)
小川祐忠 (2100)
朽木元綱 (600)
脇坂安治 (900)

{松尾山頂}---------15600
小早川秀秋 (15600)
-----------------------------
【叛西軍計】 19800
522逆転・関が原:04/02/23 19:38
[関ヶ原西軍丙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に西軍として参戦しなかった部隊

{南宮山}-----------14400
吉川広家 (3000)
安国寺恵瓊 (1800)
長束正家 (1500)
長曽我部盛親 (6600)
島津隊 (1500)
-----------------------------
【不西軍計】 14400
523逆転・関が原:04/02/23 19:40
[関ヶ原東軍甲]
主戦場にて対西軍との戦闘を行った部隊

{北国街道方面}-----19200
黒田長政 (5400)
細川忠興 (5000)
加藤嘉明 (3000)
筒井定継 (2800)
田中吉政 (3000)

{天満山方面}-------12600
福島正則 (6000)
井伊直政 (3600)
松平忠吉 (3000)

{中山道方面}--------7800
藤堂高虎 (2400)
京極高知 (3000)
寺沢広高 (2400)

{家康本隊他}-------35000
古田重勝 (1200)
織田有楽 (400)
金森長近 (1100)
生駒一正 (1800)
本田忠勝 (500)
徳川家康 (30000)
-----------------------------
【純東軍計】 74600
524逆転・関が原:04/02/23 19:41
[関ヶ原東軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に東軍として参戦しなかった部隊

{南宮山方面}-------13900
有馬豊氏 (900)
山内一豊 (2000)
浅野幸長 (6500)
池田輝正 (4500)
-----------------------------
【不東軍計】 13900
525無名武将@お腹せっぷく:04/02/23 19:52
西軍161,800のうち、
 正面戦力の127,600(西軍の79%)が戦いました。
 松尾山の19,800(西軍の12%)が裏切りました。
 南宮山の14,400(西軍の9%)が遊んでました。
東軍88,500のうち、
 正面戦力の74,600(東軍の84%)が戦いました。
 南宮山方面の13,900(東軍の16%)が遊んでました。

これは、毛利秀元と島津隊の配置が反対で
かつ、毛利輝元と立花宗茂と上杉景勝と伊達政宗が西軍で参加した場合の想定です。
ちなみに、西軍の正面戦力127,600は東軍の正面戦力74,600の1.71倍の兵力に該当します。
もちろん、この展開なら西軍が有利だと考えられます。
ドラえもん禁止なら……

コウジキによって未来からやってきたキテレツの発明品により、西軍圧勝

終了

以後、この糞スレは放置→廃棄します。
また荒らしが出始めたな・・・まあ上杉・毛利が復帰しないと自然に廃棄なるわな
尾張さみんな尾張さ僕の独り善がり
スレへ繋いだ心の糸は今プツリと切れた
キテレツ「核爆弾〜」

チュドーン!
秀頼「おお!ソナタこそ、豊臣の忠臣ぞ!」
かくして西軍の元、新たな太平の世がきずかれていくのであった……

終了
君、いい加減にやめな。
その性格が社会不適応だって言われるんだよ。
自傷とかリスカとか、そんな性格だからやっちゃうんだよね。
結果西軍が絶対勝つシナリオとしてはあまり大差は無い罠
レスする事に疲れたみたい
嫌いになった訳じゃない
PCの電源つけて置くは
資料はいつもの本棚の中
>>529の結末がさっぱりしていて(・∀・)イイ!
534 ◆zAnbFVoD9M :04/02/25 22:12
いない間にダイナミックに荒れて、まぁ・・・
ただここまで毛利上杉さんが出てこんとなるとそろそろ終わらせても
いいかもしれないとか思う。・・・どうやっても話続かんし、壁に向かって
キャッチボールはむなしいしね。
土佐さんの動き次第でしょうけど。

【大坂】
>>503
>>511
なにかしない限りは無難に大坂に入れるかと。
そして湾内であの巨大な船を見ることになるでしょう。

脇坂  「瀬戸内で暴れるにはでか過ぎるとも思うたが。ま、鉄舟やらが固める
     この巨大艦隊、李舜臣でも突破できまいて(朝鮮の役で調子乗って酷い
     眼にあったからな。今度こそ失態を見せずに、良き領土を得なければ)」

ガレオン船三隻。瀬戸内での大坂の切り札である。
535旅の愚僧:04/02/25 22:26
【広島城下】

天下の大軍が迫っていると言うのに、武具をまとったものすらおらんとは緊張感のないことよ
境目の領主は兵を集めているようじゃが本家がこれでは・・・・

ただし、復仇に燃える東軍残党の牢人衆が城下にあふれ殺伐としておるのう。
おそらくは数万になろうが、なんともやる気のないことよ。
536南宮山の異変:04/02/25 22:38
[関ヶ原西軍甲]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的には行った部隊

{北国街道}----------9500
石田三成 (6000)
豊臣麾下 (2000)
島津隊 (1500)

{天満山}-----------21000
小西行長 (4000)
宇喜多秀家 (17000)

{中山道}------------5600
戸田重政 平塚為広 (1500)
大谷吉継 (600)
大谷吉勝 木下頼継 (3500)

{南宮山}-----------27900
吉川広家 (3000)
毛利秀元 (15000)
安国寺恵瓊 (1800)
長束正家 (1500)
長曽我部盛親 (6600)
-----------------------------
【純西軍計】 64000
537南宮山の異変:04/02/25 22:39
[関ヶ原西軍乙]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的に行わず、
戦闘中に東軍に寝返った部隊

{松尾山麓}----------4200
赤座直安 (600)
小川祐忠 (2100)
朽木元綱 (600)
脇坂安治 (900)

{松尾山頂}---------15600
小早川秀秋 (15600)
-----------------------------
【叛西軍計】 19800
538南宮山の異変:04/02/25 22:40
[関ヶ原東軍甲]
主戦場にて対西軍との戦闘を行った部隊

{北国街道方面}-----19200
黒田長政 (5400)
細川忠興 (5000)
加藤嘉明 (3000)
筒井定継 (2800)
田中吉政 (3000)

{天満山方面}-------12600
福島正則 (6000)
井伊直政 (3600)
松平忠吉 (3000)

{中山道方面}--------7800
藤堂高虎 (2400)
京極高知 (3000)
寺沢広高 (2400)

{家康本隊他}-------35000
古田重勝 (1200)
織田有楽 (400)
金森長近 (1100)
生駒一正 (1800)
本田忠勝 (500)
徳川家康 (30000)
-----------------------------
【純東軍計】 74600
539南宮山の異変:04/02/25 22:41
[関ヶ原東軍乙]
主戦場にて対西軍との戦闘を基本的に行わず、
戦闘中に西軍に寝返った部隊

{南宮山方面}-------13900
有馬豊氏 (900)
山内一豊 (2000)
浅野幸長 (6500)
池田輝正 (4500)
-----------------------------
【叛東軍計】 13900
540無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 22:55
西軍83,800のうち、
 正面戦力と南宮山の64,000(西軍の76%)が戦いました。
 松尾山の19,800(西軍の24%)が裏切りました。
東軍88,500のうち、
 正面戦力の74,600(東軍の84%)が戦いました。
 南宮山方面の13,900(東軍の16%)が裏切りました。

これは、南宮山方面の東軍が西軍に寝返り南宮山の西軍と共同で東軍に攻めかかった場合の想定です。
ちなみに、この時点で西軍は77,900で東軍は94,400になり西軍の兵力は東軍の83%になります。
しかし、この展開でも西軍は少し不利だと考えられます。
541無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 22:56
毛利「おお、キテレツ殿ではないか!」
キテレツ「僕の発明で東軍なんぞボコボコにします!」
チュドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

西軍の元、新たなる(ry
542無名武将@お腹せっぷく:04/02/25 23:02
>>536-540
東軍は、西軍の正面戦力と南宮山勢力に挟撃される形になり
後方奇襲を受けた家康本隊が混乱すれば、西軍にも十分に勝機があると思います。
毛利「おお、キテレツ殿ではないか!」
キテレツ「僕の発明で東軍なんぞボコボコにします!」
チュドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

西軍の元、新たなる(ry
壮大に荒れて居ますなぁ。なんともはや…

【伯州・米子城外】

秀康「拙者が軍監の松平三河である。各々方まずはごくろうでござった」

米子城の外へ布陣しているのは
先鋒・浅野家・木下家・豊家旗本衆と松平家(軍監)。

秀康「真田殿上杉殿は?」
兵「はぁ、それがその…」
秀康「米子城の毛利の動きはどうじゃ」
兵「よくわかりませぬ…兵が居るのか居らぬのかさえわかりませぬ…」
秀康「(…おかしい。)」

【一応先鋒は米子城の側で待機。】


545さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/02/26 16:37
>>宇喜多
スレ遅参申し訳無い。

土御門  宮様より陣中見舞いとして粟田口の太刀一振、柳酒一樽その他……。
宇喜多  これはこれはご丁寧に……。
土御門  さて、此度の戦、関白殿はじめ大坂諸将方に置かれましては……。
(朝廷に断りなしはつれないんでないの?)
土御門  されど宮様におかれましては……。
(とりあえず八条宮の承認ということで)
546無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 03:10
上杉はどこ行った?
547無名武将@お腹せっぷく:04/02/27 19:21
上杉は週明けに復帰する
548無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 10:49
毛利も復帰する?
549無名武将@お腹せっぷく:04/02/28 12:01
心の中で復帰
そして毛利が天下取ります。
550織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/02/29 19:50
【讃岐国】

高松城に入城した秀信に思案してた。

秀信(ここまで迫って微動だにせぬ毛利はまさか・・・)

執政として家中を仕切る後藤又兵衛は元々譜代ではなく豊前黒田の遺臣。
譜代の老臣と内紛を起こして外敵どころではないのかもしれない。

秀信(無用な戦はできるだけ避けねば。しかし一端口火を切ったら徹底的に叩き潰さねばならぬ)


小姓「長曾我部右近兵衛様の兵500が御着陣しますた!」
秀信「ほう…(これはやはり讃岐を空にできぬな)茶の用意を。丹羽宰相と平塚因幡守を使いを」
小姓「(また、茶かよ。飽きねーなーこの殿様は)」
551織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/02/29 20:07
秀信「ご両所方、長曾我部の軍兵も着陣したし伊予へ軍を進めようと思う」
平塚「伊予の部隊と合流していよいよ?」
秀信「いや、まだ機を見る。因幡守殿、前田秀以殿と駿河兵を守備として残しておく」
丹羽「……」
平塚「瀬戸内を哨戒するのには過分ではないかと」
秀信「敵は四国の内じゃ」
平塚「まさか━━が毛利に同心とでも!?」
丹羽「さすがにそこまでは…しかし五百の兵というのも協力的に見えないでござろう。」
秀信「明日の軍議でこの旨、伝えるのでよしなに」

【東海連合軍、高松城を出て伊予へ】
【駿河前田兵5000を讃岐守備のため高松城にて待機】
552長曾我部盛親:04/02/29 22:23
それでは悪戯を…

【伊予】
増田家所領のこの地であったが、昨今増田家に従わない漁労民が増加している。
さもあらん。当主長盛は大坂にて不在。長盛は地縁のある烏帽子息、長曾我部盛親に任せていた。
しかし、土佐衆は水軍衆を掌握した後、何もしなかった。
これには歴史的背景がある。
長曾我部の旗は、四国内では嫌悪される背景がある。
当然、増田家は領内で統治に苦しむ立場にいた。そう「長曾我部の親」とみられた由縁であろう。

(いいのですか。烏帽子親に苦労をおかけして。)
盛親「親父殿は、伊予には向かん。」
(それだけではないでしょう。」
盛親「そうだな。太閤に対する餞でもある。」
(どういう意味です。)
盛親「豊家恩顧の者は封じられた土地の。」
(はい。)
盛親「地を知らぬ統治が多すぎた。主計頭の治をみよ。」
(国衆の殺戮ですか。)
盛親「…太閤の治には欠かせぬのよ。だがな、」
(主計頭はある意味、統治に成功してと。)
盛親「肥後はある意味成功したであろう。それを他国に置きかえれるかがな。」
(殿様は、何が目的です。)
盛親「ふふ。将来は野望家やらなにやら言われるであろう。」
(…)
盛親「どれ、伊予には指示せねばなるまい。」
553長曾我部盛親:04/02/29 22:27
極秘文書

柏発白旗へ
桐の船は襲って結構。ただし、大船を襲わず、兵糧船を襲うこと。

【瀬戸内海にて、豊家の補給関係に「何故か」海賊が多く襲来しますw】
554無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 23:07
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 ||○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。 ||
 ||○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。.||
 ||○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。       ||
 ||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。                ..||
 ||○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを.||
 ||  与えないで下さい。                   Λ_Λ
 ||○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚ー゚*) キホン。
 ||  ゴミが溜まったら削除が一番です。        ⊂⊂ |
 ||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
      (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
    〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  は〜い、先生ぽ。
      〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
        〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
555無名武将@お腹せっぷく:04/03/01 23:36
とりあえずこいつら全員ぬっころして俺が天下統一な
556 ◆zAnbFVoD9M :04/03/03 00:44
【淡路】

海賊の来襲。それが桐の補給路の寸断となれば誰がやったかは見当はつく。が。

松野  「(まだ最前線でやりおうとるわけではない。被害にしても・・・そりゃないわけには
     いかんが飢え死になど出るはずがない。・・・これは土佐の意思表示ととるべきか
     な・・・)」

瀬戸内を自由にとは行きそうになく、むしろ障害でしかないと見るべきだろう。簡単に事が
運ぶと思うな、ということか。南蛮巨船(ガレオン)で叩けば一撃でやれるが能島の怒りを
買う。・・・そもそもそれが狙いであろう。伊予で話をつけたに違いない。とすれば・・・

松野  「(武蔵公の方針通り山陰に頑張ってもらうか。・・・ま、多くの城も戦わず降るで
     あろうし・・・例え最悪全てが全力でかかってくるとしても防ぎきれる地はない)」

【瀬戸内での海賊、一応静観】
【ただし補給船に見せかけた戦舟に屠られる船がでるかもね】
557西軍大攻勢:04/03/04 22:39
[関ヶ原西軍甲]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的には行った部隊

{北国街道}----------23000
石田三成 (6000)
豊臣麾下 (2000)
毛利秀元 (15000)

{天満山}-----------21000
小西行長 (4000)
宇喜多秀家 (17000)

{中山道}------------5600
戸田重政 平塚為広 (1500)
大谷吉継 (600)
大谷吉勝 木下頼継 (3500)

{松尾山麓}----------4200
赤座直安 (600)
小川祐忠 (2100)
朽木元綱 (600)
脇坂安治 (900)

{松尾山頂}---------15600
小早川秀秋 (15600)
-----------------------------
【純西軍計】 69400
558西軍大攻勢:04/03/04 22:40
[関ヶ原西軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に西軍として参戦しなかった部隊

{南宮山}-----------14400
吉川広家 (3000)
安国寺恵瓊 (1800)
長束正家 (1500)
長曽我部盛親 (6600)
島津隊 (1500)
-----------------------------
【不西軍計】 14400
559西軍大攻勢:04/03/04 22:41
[関ヶ原東軍甲]
主戦場にて対西軍との戦闘を行った部隊

{北国街道方面}-----19200
黒田長政 (5400)
細川忠興 (5000)
加藤嘉明 (3000)
筒井定継 (2800)
田中吉政 (3000)

{天満山方面}-------12600
福島正則 (6000)
井伊直政 (3600)
松平忠吉 (3000)

{中山道方面}--------7800
藤堂高虎 (2400)
京極高知 (3000)
寺沢広高 (2400)

{家康本隊他}-------35000
古田重勝 (1200)
織田有楽 (400)
金森長近 (1100)
生駒一正 (1800)
本田忠勝 (500)
徳川家康 (30000)
-----------------------------
【純東軍計】 74600
560西軍大攻勢:04/03/04 22:42
[関ヶ原東軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に東軍として参戦しなかった部隊

{南宮山方面}-------13900
有馬豊氏 (900)
山内一豊 (2000)
浅野幸長 (6500)
池田輝正 (4500)
-----------------------------
【不東軍計】 13900
561無名武将@お腹せっぷく:04/03/04 22:52
西軍83,800のうち、
 正面戦力の69,400(西軍の83%)が戦いました。
 南宮山の14,400(西軍の17%)が遊んでました。
東軍88,500のうち、
 正面戦力の74,600(東軍の84%)が戦いました。
 南宮山方面の13,900(東軍の16%)が遊んでました。

これは、毛利秀元と島津隊の配置が反対で
かつ、小早川秀秋が東軍に攻めかかった場合の想定です。
ちなみに、この展開なら西軍が少し有利だと考えられます。
毛利隊と吉川隊、安国寺隊が離れる理由がないと難しいように見えます。
関ヶ原終わったんじゃないの?
564 ◆zAnbFVoD9M :04/03/05 00:40
・・・。ここまで来ても動かんか毛利・・・。仕方ないな・・・。

宇喜多さんに関白預けておいらが毛利やるか?誰か代わりにやってくれる
という人も居た気がする。
ここまで停滞するとは思わんかった。ぐだぐだになって三ヶ月、とっとと終わりに
するかね。どーするよ意見もとむ。

【大坂】

北畠慶好 「・・・殿のご様子はどうでおじゃる」
北畠昌教 「・・・床に入ってすっかり出ぬようになった。・・・戦がすむまでは
       死なないことにせよ、が殿の命だ」
慶好    「・・・死んでないようにか?薬師を死人にあてがうかの」
昌教    「場合によっては」

【関白、床から出れなくなった模様】
竹原で
光れる鎌を
砥ぐ水は
大江の流れ
溢れるを待て






566毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 20:20
【安芸広島城】

後藤又兵衛は思う
 勘兵衛よ、本懐をとげてさぞ満足であろう。それがしも貴殿のように逝きたい
ものよ。それにしても、武蔵中納言を退けぬとは血迷ったか?下の下じゃの・・・
まあ、おかげで戦の規模が大きくなってうれしいがの・・
567毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 20:24
ひきつづいて又兵衛は思う

 まあこれで少将(島津)にも顔がたったわい。書状が届いたあとに
どうでるか楽しみじゃの。
 離間策をしきりにほどこしているようじゃが、なんのために秀元に
悪人を演じてもらったのかわかってないようだな。きゃつ一人に汚名を
背負ってもらうことのは大老なんぞのためではんく、家中をまとめるた
めであることといったら冥府の秀元もさぞくやしがるであろうな。
568毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 20:26
さらに又兵衛は思う

 なにやら一部の公家すじより書状がとどいておったが、きゃつらに
毛利家がどうなっても、この又兵衛が楽しめればそれでよりなどといって
やったらどんな顔をするであろうかの。。どうころんでも日の本の混乱は
必死。そのときにあわてふためく姿をみてみたいものよ。
569毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 20:42
【大坂へ書状届く】

 こたびの豊家代官小栗判官の謀叛、それによる武蔵中納言による仙洞御所の
焼き討ちという暴挙にもかかわらず、その武蔵中納言を大将に西国討伐とは笑
止千万。こたびの仕打ちには西国大小名こぞって納得がいく儀にあらず。
よって西国の一兵が朽ちるまでお相手いたすゆえ、そう心得よ

 毛利佐渡守
 島津薩摩守
 小早川少将
 大友豊前守
 宗対馬守

【西国連盟 豊家支配より離脱】
【どうようの書状が各大名に送られます】
西国大小名こぞって納得がいく儀にあらず。
よって西国の一兵が朽ちるまでお相手いたすゆえ、そう心得よ
571毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 21:33
【肥後宇土城下】

 島津家軍使

「現体制に与するか、われらと行動を共にするか返答を問う」

【島津軍宇土城を包囲】
572毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 21:57
>>569訂正

 小早川少将 → 小早川掃部頭

 追加
  立花飛騨守
573毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 22:01
【院へ書状】

 大上の君におかれましては・・・ 中略
こたびの宇喜多による御所焼き討ちにもかかわらず、こたびの仕儀と
なりましたることは誠に残念なれど、聖上のご判断なればやむを得ぬ
事にございますが、これよりは永きに渡り戦乱へと続は必定にて、少々
の不便はご容赦願いたい。

 
574毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 22:05
【長宗我部家へ村上元吉より書状】

 こたび佐渡守(毛利)様のお墨付きをもらい、海賊に戻ります
海賊の頭として夢の話をしてみたいですな

【会談を希望】
575小西行長 ◆WcuDt/3XiY :04/03/05 22:05
まちくたびれたぞい

宇土城にて島津家軍使と

小西 よう参られました。此度はいかなる用向きにございましょうや。
使者 「現体制に与するか、われらと行動を共にするか返答を問う」
小西 この宇土と熊本、すでに篭城の用意は整うております。ですが
使者 何でございますか
小西 宇喜多公より、城にて動くなと命受けておりますれば。
使者 宗殿ですら、当方のお味方となっております。ようくお考えを。
小西 島津公にお伝えくだされ。朝鮮、関ヶ原と、ようしていただいたこと忘れませんと。
使者 それだけにございますか。われらと共に動くかどうか、あらためて問う。
小西 使者どの、先般、当家は治部殿との義を重んじ動いた。今、宇喜多公との情を重んじます。
   我等より朝鮮・関ヶ原で共に戦うたお味方に刃向けることはない。それで不満ならば、お相手いたそう。

小西家、島津家使者へ上記の返答を。
宇土・熊本の両城に各一万ずつ篭城。
576毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/05 22:31
>>575

 使者「こうこうかくかく」
 島津「ふむ(ニヤリ)」

【島津軍5000のみ小倉へ北上、残りは国境付近で待機】
577 ◆zAnbFVoD9M :04/03/05 23:40
遅いぞ西の大将、挫けそうになったぞw

【淡路】

松野  「始まったな」
石川   「随分派手に動いておりますな」
松野  「土佐、薩摩に毛利。ま、予想がつく連中だ」
石川   「九州には立花大友鍋島とおりまする」
松野  「・・・で、それがそれぞれ島津の脅威にさらされ身動きがとれん、と」
石川   「・・・なれど小西大谷は健在」
松野  「幸か不幸か彼奴らは豊臣に近すぎた。いや豊臣を守る石田にな。石田は既に
     兄の力量の時代だがあの二人はここで豊臣の呪縛からは逃れられんよ」
石川   「おお」
松野  「・・・だが、二人でも篭城で毛利を釘付けにできれば上出来か。毛利はそれだけ
     の兵員を持っておる」
石川   「ならばこそここで東国の兵員をぶつけるのでございましょう?」
松野  「地の利は奴らに、水は土佐の思惑次第」
石川   「・・・厄介な・・・」
松野  「で、あるからこそここの地だけでも持っておく。死兵四千、時間稼ぎにはなるで
     あろう。大坂を燃やす訳にはいかぬしな」
>569
この檄文は米子城外陣城で待機中の松平家にも届けられた

松平家信「西国連合ですか…」
松平秀康「島津薩摩守を除いて、余り強くもなさそうな大名ばかりが揃ったものじゃなぁ」
岡部長盛「随分と数が少ないという印象を受けますなぁ。とりあえず米子に援軍として来ることのできそうな大名は
誰一人としておらぬ、ということか」
秀康「よし、とりあえずこの文を伯州の諸豪族に飛ばせ」

天をあざむく毛利秀就は、愚かにも我が軍に歯向かい
恐れ多くも宸襟をなやますに至る。檄文を日本六十六州に発して虚勢を張るも、
応ずるものは辺境において中央のまつりごとを弁えぬ宗家・島津家、朝鮮出兵で逃げ帰り
故太閤殿下より改易された大友家、毛利の傀儡である小早川家など弱兵に過ぎず。
伯州は古来尼子殿の土地であった、それが毛利の悪政により長い間虐げられたのではなかったか。

今こそ立て、伯州の民よ。毛利に従い逆賊にくみすることなかれ。
我が陣は米子城外にあり。応じて立ち、ともに悪大名を滅ぼそうではないか?

松平三河守(花押)

【松平家は米子周辺で煽動を行って居ます】
579 ◆zAnbFVoD9M :04/03/05 23:45
【山陰?】

赤座   「兵員充分、指揮系統異常なし。士気すこぶる高し。糧秣十二分」
小川   「練度精鋭、兵装無双、仁義あり」
赤座   「吉川何某、尼子、三村残党、それに吉見に口羽他多数」
小川   「後は毘沙門天の力量次第」

豊臣軍、兵力等では毛利を既に圧倒。並大抵の策では無理そうです。

秀康の前に、若武者が居る。

秀康「そちにも遂にこの日が来たか」

亀井新十郎。父・石見津和野藩主亀井琉球守が関ヶ原で東軍に付き御家断絶となって以来、
「用心棒の新十郎」として諸国を旅して来た男である。剣の腕では松平家中だれも引けを
取る者は居ない。浪人として過ごした後、松平家御先手組に仕官。捨扶持を与えられている。
山中鹿介の甥にあたる。

新十郎「・・・感慨無量でございます。御家再興は私の夢でしたから」
秀康「再興が出来るかどうかはひとえにそちの才覚に掛かっている。しっかりやってくれ」
新十郎「はい、尼子遺臣をかき集めてまいります」
秀康「尼子の師匠連が護衛し、そちが剣の達人とは申せ体には十分気をつけよ」

【出雲に亀井新十郎が潜入。尼子遺臣団の師匠連が護衛に当たります】
【亀井新十郎が出雲で煽動を行って居ます】
581毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/06 00:17
【安芸広島城】

後藤又兵衛思考中

 ふふ見事にでばってきたな、西国だけが敵ではないぞよ

【東北 関東を中心に徳川遺臣蜂起 その数数万
 各地で暴れ始めます】

ということで日曜夜までまた留守です
582織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/06 10:52
秀信「主計頭殿、ここは一つとなって事にあたろうぞ。兵はあっても船が足りん」
清正「さもあらん。武蔵公も承知しよう」
583織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/06 10:53
【伊予今治城】
関ヶ原の後、伊予へ入部した増田長盛は国主としてふさわしい城を
勝山という地に築きはじめた。しかし当然ながら全然できてない。

秀信「天下に知れ渡る武人である貴殿を大将として…」
清正「なんと、それがしごときが中納言様を下においては他の諸侯が納得しませぬぞ」
秀信「しかし軍事ではこの秀信遠く及ばぬ」
清正「ではこの清正めが副将として補佐し仕るゆえ、諸侯らも異存無いな」
諸侯「異議無〜〜し!!」

清正(御輿は軽いほうが捨てさる時に楽ぞ、まあ織田中納言は軽すぎるかもしれぬが)
秀信(怖いのは九州諸侯とも親しい清正が同調すること、とにかくここは結束を強くして…)

【東海諸侯・関東諸侯がまとまって広域諸侯連合wとして再編】
【その旨、宇喜多・大坂城へ報告】
584小西行長 ◆WcuDt/3XiY :04/03/06 11:54
宮部、立花、鍋島が使者を宇土によこした。

大意 豊家に馳走する。しばらくはそれぞれの領内で動きを見る。
小西・宮部・立花・鍋島は、ともに表裏なく協力しあう。
誓書を交換し、反乱軍に与しないことを誓う。
松浦党には旧領回復を約し、味方に引き入れる。

宗家より、徳渕津の近く麦島城に使者が到来。(麦島に陸兵4000が在城。水軍の3分の一が徳渕津に)
大意 宗家の水軍、商船はことごとく明のニンポーに出した。半年は戻ることはない。
義父様と戦うつもりはない。後刻のとりなしを願う。

【九州方面の水軍は、圧倒的に豊臣方優勢となるも、動きは消極的】
【小西・宮部・立花・鍋島。豊臣軍の意思表示をするも、行動は消極的】

毛利さんへ
九州はまとまりませんぞw
585石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/03/06 17:58
石田軍一万五千が伊勢に圧力をかけるべく移動開始。
九鬼家の本領に圧力がかかったことで、九鬼家が動揺しはじめる。
筒井家からも圧力をかけ、九鬼水軍の動き、緩慢となる。

石田家より大坂に使者
「山陰に向うか山陽に向うか、殿下の指示をいただきたい」

石田家では、数万の兵が出陣の準備を終了。

宇喜多殿に使者
「前田家の軍、里見軍、佐竹・岩城の残軍、上杉家の残軍等の奥州勢、
宇喜多家の残軍にて、関東の仕置きを早急に願いたい。」

石田正澄独白
「最後の戦になるのか、動乱が続くのか・・・一つだけ言えることは・・・
また民が難儀いたすということだけだ・・・ 」
586おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/03/06 21:10
>581

この動きは亀井新十郎により、すぐさま米子城外の秀康の元へと届けられる

秀康「敵もさるものじゃわい、しかしこのワシが備えを怠っていると思うてか。
   紀伊を呼べ!」
松平前紀伊守家信「お呼びで…」
秀康「うむ。毛利が我が遺臣を煽動し始めた。数万の兵というが誇張であろうよ」
家信「まあ煽動に乗るものは、小幡勘兵衛の同輩…」
秀康「それよ。既にそれらの主だったものは伊豆韮山に押し込めて有る。
そのものどもに説得工作を行え、紀伊よ、頼んだぞ。
それで相模国・伊豆国での蜂起はおさえられる。
その後は武蔵の国の八王子千人同心を説け。
あれらが蜂起せねば粗方収まる…」

韮山に下向した松平家信の懸命の工作により、相模伊豆での徳川遺臣の蜂起は抑えられた。
家信は引き続いて八王子千人同心の差配、近藤五郎左衛門を説きに向かった…
587おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/03/06 21:32
【武蔵国八王子千人同心差配陣屋】

武蔵の国から1604【謀叛】
あーあーあああー(例のテーマ)

近藤五郎左衛門「紀伊様、おらぁ…おらはよ。若者たちさ抑えることができなかっただよ…」
松平家信「黒板…いや近藤殿、あなたはそれでも差配ですか、毛利の使者を見抜けずに家に泊めて
長逗留させていたとは…」
近藤「おらはその程度の男だ。この間丸太小屋も焼いてしまったしよう、
隠居の身にすがらねばならね紀伊様あんたもたいしたことはねぇな」
家信「(無視して)若者は毛利派と松平派に分かれたのですな」
近藤「そだ。長男で香取に住んでいる新五郎はいい子でよ韮山の殿様を
押したてていこうというとったがよう、葛飾柴又の純之助が頑固な子で毛利派だ」
家信「純之助殿は、叔父の渥美虎右衛門とやらいう者に煽動されているのですな」
近藤「虎右衛門つうのは元々ノラクラ者だったが、江戸城落城以来旅から旅の旅ガラス、
西国筋で女と同棲しては別れ同棲しては別れ、男はつらいとかなんとかいって散々悪いことしてたんだが
最近ひょっこり戻ってきてよ、純をたぶらかしてわるいことをしはじめたんだよ」
家信「ふうむ、とにかく、純殿をば説得せねばなりませんな」

うおー、裏のハンドルで書きこんでしまったー

【葛飾柴又・近藤純之助屋敷】

武蔵の国から1604【謀叛】
あーあーあああー(例のテーマ)

徳川遺臣は、江戸城落城以来さまざまな生き様を見せていた。
郷土に残り農耕に従事したもの。
他家に仕えたもの。
松平秀康とともに苦難の道を歩むもの。
・・・そして、江戸落城の折後事を託された近藤五郎左衛門は、農耕に従事し、武蔵の遺臣のかしらとなっていた。
しかし、五郎の次男純之助は農業を嫌い、渥美虎右衛門の説く毛利の天下取りに賛同。
説得に赴いた五郎と松平紀伊家信に、純之助はこう言い放った。
純之助「父さん。あなたは馬鹿です。
今の徳川遺臣はみっともない。父さんの生き方を、昔のぼくなら尊敬したでしょう。
でも今,ぼくは無意味だと思えます・・・・
人の目も何も一切気にせず,ただひたむきに家族を愛すること。
それだけで良いんですか。今天下は乱れ群雄は割拠している。
そんな中で唯一理想を以って政治をやっている毛利殿につかずに、徳川家御家再興が
できるなんてことがあるもンですか。秀康様は確かに偉い。けれども未だ5万石に過ぎない。
そのことにぼくらは今ごろようやく,少しだけ気づきはじめてるンです。父さん。あなたは・・・・どうかしています」
近藤五郎「純、何わけのわかんねぇことをいっているんだ。足元さみるんだ!御家再興なんて夢みてえなこと考えるでねぇ!」
松平家信「純殿、唐沢山や出羽の末路を見て、まだそんなことをいっているのですか!あなたがたが蜂起したところで、
秀康様に迷惑を掛け宇喜多様の善政を否定することにしかならないでしょう。毛利の煽動に乗ることは愚かなことです!
お父上のいうことを良く聞いてください!」

【松平家は叛乱の首領近藤純之助に思いとどまるよう決死の説得を行って居ます】

>毛利殿
純之助の次の返答どうぞ
近藤純之助の夢の中

関ヶ原で死んだ村田昌太が笑いながら
オメェ、徳川の蜂起なんてヤメレ
もっと楽しめよ〜
ほらっ、殿に謝って許してもらって帰参しろよ〜
オメェ、帰参しろよ〜

近藤純之助 昌太にいちゃん、やめてくれよ〜 やめてくれよ〜
【伯州米子城外】

秀康は悩んでいた。
正直な話、今回の戦は唐沢山問題や石田家使者切捨て事件の
責任を取っての出兵であり、兵数は150人弱に過ぎない。
ここで功績をあげなければ伊豆藩は潰されるであろう。
そして、京都では内藤の首を挙げて点数を稼いだ。
これで安心していたら、今度は遺臣の叛乱である。
あまりうかうかとはしておれないことになってしまったのだ。

秀康「なんとかして点数を稼がねばならぬなぁ」
岡部「付近の小城でも抜いておきましょう。まずは米子の
近隣に有る尾高城・法勝寺城でも落としますか?」
秀康「よかろう。…ぐずぐずしてはおられぬ」

松平秀康軍及びそれに同調する豊臣山陰先鋒隊は米子周辺の小城を攻撃中。
591石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/03/07 12:16
【伯州米子城外】
石田の使者が到着
使者 石田家当主代理、木工頭の使者にございます。
(当主重家は大坂に質として入れた。関白の疑念を晴らすため、最大の質を石田家は出した。)
秀康 大儀。
使者 石田家より貴家に出された使者、当主隼人正、当主代理木工頭の知らぬこと。
    石田家として、遅れましたが謝罪の書状を持参いたしました。
    なお、使者を出した者はすでに処罰いたしました。(出てきても偽者扱いにします)
    当家として、貴家になんの遺恨もないこと、大戦の前にお伝えしたかったと、木工頭の言葉にございます。
秀康 なんと!
使者 ここに軍資金の足しにと、黄金20枚を持参いたしました。お納めくださりませ。
秀康 これはありがたい。

※当家の管理不行き届きになるか。。。
[関ヶ原西軍甲]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的には行った部隊

{北国街道}----------108000
毛利輝元 (45000)
石田三成 (6000)
豊臣麾下 (2000)
毛利秀元 (15000)
立花宗茂 (15000)
上杉景勝 (24000)
真田幸村 (1000)

{天満山}-----------21000
小西行長 (4000)
宇喜多秀家 (17000)

{中山道}------------5600
戸田重政 平塚為広 (1500)
大谷吉継 (600)
大谷吉勝 木下頼継 (3500)

{松尾山麓}----------4200
赤座直安 (600)
小川祐忠 (2100)
朽木元綱 (600)
脇坂安治 (900)

{松尾山頂}---------15600
小早川秀秋 (15600)
-----------------------------
【純西軍計】 154400
[関ヶ原西軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に西軍として参戦しなかった部隊

{南宮山}-----------14400
吉川広家 (3000)
安国寺恵瓊 (1800)
長束正家 (1500)
長曽我部盛親 (6600)
島津隊 (1500)
-----------------------------
【不西軍計】 14400
[関ヶ原東軍甲]
主戦場にて対西軍との戦闘を行った部隊

{北国街道方面}-----69200
徳川秀忠 (38000)
黒田長政 (5400)
細川忠興 (5000)
加藤嘉明 (3000)
筒井定継 (2800)
田中吉政 (3000)
伊達政宗 (9000)
京極高次 (3000)

{天満山方面}-------12600
福島正則 (6000)
井伊直政 (3600)
松平忠吉 (3000)

{中山道方面}--------7800
藤堂高虎 (2400)
京極高知 (3000)
寺沢広高 (2400)

{家康本隊他}-------35000
古田重勝 (1200)
織田有楽 (400)
金森長近 (1100)
生駒一正 (1800)
本多忠勝 (500)
徳川家康 (30000)
-----------------------------
【純東軍計】 124600
[関ヶ原東軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に東軍として参戦しなかった部隊

{南宮山方面}-------13900
有馬豊氏 (900)
山内一豊 (2000)
浅野幸長 (6500)
池田輝正 (4500)
-----------------------------
【不東軍計】 13900
596宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/08 21:42
>>545

土御門一行を勅使と同等かそれ以上に持てなします。

秀家 「左様で御座るか、宮様はお認め下さるか。」
宇喜多主従は相好を崩して喜んでおります

土御門 「されどこの度の毛利はんとの戦のについてお聞きしたい事があります」
秀家   「おお、何で御座ろう?」
土御門 「天下の兵を集めた大戦、始める前に朝廷に一言相談あってしかるべきでは
       あらしゃいませぬか?」
秀家   「この度は主人(豊家)に逆らう不逞の輩(毛利)を成敗する為の戦、わざわざ
       帝のお耳に入れるまでも無き事と思ったので御座る。それに帝の御容態が
       優れぬと聞き、御心安らかに御養生願おうとも思ったからで御座るよ。
       まぁ、ちかぢか御本家より奏上があるとは思いますが」
土御門 「うむむ…」
597無名武将@お腹せっぷく:04/03/08 21:51
西軍168,800のうち、
 正面戦力の154,400(西軍の91%)が戦いました。
 南宮山の14,400(西軍の9%)が遊んでました。
東軍138,500のうち、
 正面戦力の124,600(東軍の90%)が戦いました。
 南宮山方面の13,900(東軍の10%)が遊んでました。

これは、毛利輝元と立花宗茂と上杉景勝と真田幸村が西軍で参戦して
かつ、徳川秀忠と伊達政宗と京極高次が東軍で参戦して
かつ、毛利秀元と島津隊の配置が反対で
かつ、小早川秀秋が東軍に攻めかかった場合の想定です。
西軍の参戦兵力154,400は、東軍の参戦兵力124,600の1.24倍に該当します。
ちなみに、この展開なら西軍が圧勝だった考えられます。
598宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/08 21:52
>>553 556

敦賀港と小浜港より山陰方面軍に補給を行います。
山陽道は姫路を経由して補給を行います。

九鬼水軍+豊家水軍衆に瀬戸内の警戒を命じます、加えて豊家直臣の
堀内家も紀州雑賀水軍と熊野水軍と共に淡路洲本に向かいます。
599宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/08 21:57
>>569

秀家 「ふんっ!西国討伐ではないは、幼君を拐かし主家を壟断する者共を
     懲らしめるだけの事じゃ」

討伐の対象は毛利家の一部である事を明言します。
600宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/08 22:10
>>575

秀家より激励の書状を送ります

要約
「毛利の影響が大きい九州諸侯といえども、本心より家運を賭けて毛利に与した
家は少ないはず、特に隣国の鍋島殿は賢明(狡賢)である、宮部殿、宗殿達と
共に頑張って頂きたい。天下の兵が援軍に向かっていますぞ、今暫しの辛抱で
御座る、弥九郎殿」
601宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/08 22:29
>>581【武蔵江戸城】

明石全登思考中

明石 「ほほう、徳川の残党数万とは豪気な法螺を吹く、ハハハ
     食い詰め者が騒動を起こしたところで何事やあらん、内府に仕えし将は皆
     先の戦で見事な最期を遂げられた、精強を誇った三河衆も松平秀康様に
     仕官して居る、これしきの事で惑わされる程耄碌はして居らぬ。
     我等が関東に移って数年、何も手を打たなかったと思うたか後藤又兵衛よ」
 
明石全登が徳川の残党を名乗る牢人達を蹴散らしました!
宇都宮国綱、結城朝勝、北条氏勝、大道寺直次、関東名族(秀家側近と婚姻関係)
が領内慰撫に巡回します。
602宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/08 22:39
>>583
四国方面軍司令官に織田殿を、副将に加藤殿を任命します。
長曽我部家の後背定かならず、気を付けられよ

長宗我部殿へ
明石 「某がもう一度使者に向かいまする」
明石宣行がこんこんと情理を尽くして長宗我部家(若殿と側近)を説得します。
若者らしく正義感あふれる会話をお願いします(w


石田殿へ
石田家って領土返還したんじゃなかったっけ?
てっきりそうだと思って石田家の皆さんを各地に配置しちゃいましたが…
お任せします
603毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/08 22:40
【東国戦線拡大中】

 東国で蜂起した(別に毛利に与したわけではない、東国が手薄になったから)
徳川方浪人衆の勢いはあっというまに東北から関東に広がり、各地の小城を落とし
ながら広がっていった。。。

【軍を西国に送り手薄になったところがつぎつぎと攻略しています
 いきおいを策でとめることはできません】
604小西行長 ◆WcuDt/3XiY :04/03/08 22:44
>>600
小西 ふふふふふふふふ・・・・(笑っているが目から光るものが)
家臣 いかがいたしました
小西 ふふふ、八郎殿の元服を思い出したわい
家臣 ・・・
小西 甘くお育ちだ・・・故太閤殿下が甘く育てられたのだ、仕方あるまい
    その甘さ、天下がまとまれば良き資質となろう・・。
家臣 当家、いかがいたします。
小西 噂をまけ。当家と気取られるな。そして使者を出せ・・。

【今回の騒動は、毛利家と上杉・宇喜多の私闘で、毛利家がはめられた・・という噂が拡がっている】

小西家と立花、宮部、鍋島家の使者の往来により、以下の方針が。
1 戦がどのような意図で始まっているかわからない。
2 豊臣家への忠義が第一。今は自重して力を温存。
3 どのような結果が出ようと、その後勝者が秀頼様に忠義尽くさねば、その時点で豊臣直臣衆に協力して不逞な輩を討つ。
ていのいい、中立・日和見ですな。

当分、九州から毛利の背後を襲う気配はありません。
マクマホンばり演出を楽しみにしています(w
ガチでやっちゃってくださいな。

605毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/08 23:08
【徳川遺臣会談】

純之助の主張

 五朗の叔父ご、家信殿、考えて見なされ。先の大戦で家運が地に落ち
伊豆で捨て扶持を当てられ、備前の若造の下におかれる日々。

毛利が決して良いとは思わぬ。しかしながら御所を焼き、世上には若造よ
と決して評判のよくない備前(宇喜多)に明日をもしれない関白・・・

その不安定な政権で少々の加増を得るより、ここは東西呼応して、家名を
もう一度高める好機ですぞ!

【純之助熱弁中】
606 ◆zAnbFVoD9M :04/03/08 23:09
【大阪】

秀鏡  「此度の戦はどおなっておる?」
朽木   「東国で徳川の残党と名乗る一団が各地で挙兵しておりまする」
秀鏡  「なんと。いまだ徳川が残っておったと?」
朽木   「・・・多くの兵が西にいっておりますから。なれど安心なされませ。唐突な謀反
     要は毛利の手でしょうがそれまでに布石があった様子はございませなんだ」
秀鏡  「・・・つまり?簡単にもおせ」
朽木   「事前に明確な計画の下起こされた乱ではないということです。勢いだけでおこし
      兵のいない城を襲っておりますがその先がありませぬ。全ての糧秣は西に。ただ
      でさえ今までの戦でほとんど米もない有様。どこへ行っても米も刀もありませぬ。
       つまり、飢餓で死ぬだけ。奪おうにもそこにも米はない。住民も徳川への怒りこそ
      あれ、豊臣の無策をののしると同時に火事場泥棒的なこの謀反軍には殺意しか
      生まれますまい。毛利の策としてはあまりに穴が大きすぎまする」

関東東北の徳川を名乗る反乱、こちらも後がない各地の住民によって駆逐されつつあり。
又、徳川残党に懸賞金をかけることを江戸仕置き人前田玄以が発表。謀反人たちは竹やり
を持った農民たちの格好の飯の種になりました。勢いだけの徳川反乱軍は各地で皆殺し
にあいつつあります。
又、此度の反乱を指揮したのは毛利であることを豊臣が発表。空き巣まがいのやりかたで
自国を襲われた東国諸大名の怒りも買うことになるでしょう。
607毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/08 23:12
【西国は今日も晴れ!】

村上元吉の行動

 いやあ 海賊って楽しいなあ!!!!!
長宗我部殿はどうでるかな? 手強い九鬼がなぜだかしらないが動きが
にぶいので助かるよ!

【瀬戸内海賊団、ゲリラで補給路を攻撃中】
608毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/08 23:21
【筒井家の行動】

 しずかに軍備を整えます

(筒井は毛利方でよかったよね?)
609 ◆zAnbFVoD9M :04/03/08 23:29
>>608
いいんでないかい?よく知らんけど筒井さん使ってた人島津さんになってフリーだったし。
島津さんのこま(徳川の遺児)勝手に使ったら・・・いやいいけど、ここまで減ってるから多役
もありか?

・・・今度は大和で反乱かいw?同じねた続くとやりかえされるぞw。

【瀬戸内】

脇坂  「・・・又やられたか。結構戦船をまわしておるのだが」
兵    「海賊の庭で海賊の主導で振り回されておりまして・・・」
脇坂  「まだ本格的な侵攻には至っていないからいいものの、これでは山陽は地獄
     よの。陸路を増やし、海路にだまし船を増やせ。撒き餌を見分けるほど奴等は
     優秀ではあるまい」

【大阪方、海賊とのやりあいに苦労中】
610宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/09 00:17
毛利さ〜ん、徳川残党が数万も集まれますか? 最盛期並ですよ
将帥は悉く死に絶え、頼りの三河譜代も再仕官で散り散りになり
寄るべき領土も与うべき対価も無いのですが…



宇喜多秀家の発言(例の口調で)
「後藤又兵衛・母里太兵衛らは、主(輝元・秀元)を殺し・天下万民を殺す者で
あるから、彼らの責任は当然、死に値する。
従って、後藤又兵衛・母里太兵衛らは腹を切って死ぬべきである。
また、後藤又兵衛・母里太兵衛らはただ死んで終わるものではない。
彼らは幼君を蔑ろにし私利私欲をもって毛利家の政を弄んだ無責任な悪人であり
秀頼様に忠義を誓う我等が地獄の火の中に投げ込む者達である。」

要約
「悪いのはみ〜んな後藤又兵衛・母里太兵衛達である」(w
611毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/09 00:48
>>610 そのへんは適当だw

それをいったら御所を焼いた宇喜多が総大将で軍がまとまるのもおかしいし
毛利他をいきなり名目なしにせめて抵抗にあって豊家政権ががたがたになるぞw

まあ しょうしょうブランクがあるのでのんびりいきますわ

あ、ちなみに後藤・母里とかは基本的に表に出てないので、いまいち>>610
説得力もたいよ
612毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/09 00:51
【大和】

 筒井家は戦備を整えていますがまった動きはありません。
しかし、新毛利派ゆえに大坂をせめるのでは?という噂は絶えません。

(ところで石田家が九鬼を圧迫というレスがあるが、あえはどういう意味ですか?)
613石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/03/09 09:40
九鬼衆淡路に入る!
報に湧く大坂。

石田軍の圧力を受け、九鬼家より重臣の家族までも含めた質が出され、石田軍とともに大坂に向う。
長宗我部家とともに動いていたのは、長宗我部家が豊臣の臣であったからとの九鬼の言葉を受け、
今後は関白家重臣・松野の指揮下へ入るよう、石田家より指示。
九鬼家の城に、石田の軍五千が分散して目付兼援兵として入り、残る一万は大坂に移動。
筒井家の家臣団と、石田家の家臣団は旧知の者が多い。
石田軍の編成は、大和衆を多く組まれていたため、筒井勢との交流も良好であった。
筒井家に、共に大坂に上るように申し入れたが、準備不足を理由に断られたのが、
どうにも気がかりではあるが、石田家紀州派遣軍の働きはまずまずの結果を得られた。

と、こんな感じでまとめました。
九鬼:関白配下(大坂周辺の水域確保)
筒井:怪しい雰囲気
614さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/11 15:39
>>596
呼び捨て失礼。
土御門久脩はこのまま従軍させようと思います。
まあ、邪魔かもしれませんが(w
615旅の愚僧:04/03/11 22:39
【筑前国 博多】

豊臣家直轄地である博多だが、豊臣家から派遣された代官はいずこへか消え、
いまや無主の地となっていた。
・・・しかし町は活況を呈していた。

なんと遠征軍は補給路の確保を軽視していたのである。(突っ込む人いれば説明するよ)
その結果、博多は遠征軍を相手に密貿易の形で巨利を得ていた。

もちろん、仲介している伊予の太守も懐を温かくしていたがw
アムロ、突っ込みまーーーーすっ!

代官は逃げない。栄達を捨てて逃げる理由がない。
逃げるとしても、近隣諸侯の領地に保護を求めるものと・・・。

遠征軍とは、大坂方?毛利方?
617さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/12 14:21
大坂表某所

そこへ集結していたのは、権中納言九条幸家。そして八人の公達。
三伝奏の姿はない。

九条幸家  (一人一人にそれぞれ書状を渡していく……)。では、お願い致しますぞ。
烏丸光広  また、お会いできるとよいですな。
飛鳥井雅賢 ……。
花山院忠長 ……。

猪熊教利  それでは……。

八人は一斉に立ち上がった。
618さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/12 14:54
そのころ、京・九条屋敷

前左大臣九条兼孝は、沈痛な面持ちで頭を垂れていた。
彼を囲むのは、六人の公家。大坂へ下向した公達らの父親や親族らである。

花山院定熈 (このころ家雅より改名)ううむ……。
飛鳥井雅庸 なんとまあ……。

九条兼孝  弱みにつけこむような真似をしでかして……まさに汗顔の至りじゃが……。

飛鳥井雅庸 お顔をお上げ下され。私の子供らで役立つのなら……存分にお使い下され……。
花山院定熈 うむ……、しかしよりにもよって官女相手とは……、九条様、汗顔は我らの方ですぞ……。

九条兼孝  この重大事ゆえ……お察しあれ。ことが終われば……御子息らを重く用いましょうぞ。

烏丸光宣  それよりも幸家殿です。いかに摂家自ら範を示すとはいえ幸家殿はこの先の禁裏を背負われる御方……。
九条兼孝  ……。

【八人の公達の官女密通事件と、彼らの功績、そしてこれからの行動を、父親達にのみ話す。】
[関ヶ原西軍甲]
主戦場にて対東軍との戦闘を基本的には行った部隊

{北国街道方面}----------23000
石田三成 (6000)
豊臣麾下 (2000)
毛利秀元 (15000)

{天満山方面}-----------21000
小西行長 (4000)
宇喜多秀家 (17000)

{中山道方面}------------5600
戸田重政 平塚為広 (1500)
大谷吉継 (600)
大谷吉勝 木下頼継 (3500)

{松尾山方面}-------19800
赤座直安 (600)
小川祐忠 (2100)
朽木元綱 (600)
脇坂安治 (900)
小早川秀秋 (15600)
-----------------------------
【純西軍計】 69400
[関ヶ原西軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に西軍として参戦しなかった部隊

{南宮山方面}-----------14400
吉川広家 (3000)
安国寺恵瓊 (1800)
長束正家 (1500)
長曽我部盛親 (6600)
島津隊 (1500)
-----------------------------
【不西軍計】 14400
[関ヶ原東軍甲]
主戦場にて対西軍との戦闘を行った部隊

{北国街道}-----35000
徳川家康 (30000)
古田重勝 (1200)
織田有楽 (400)
金森長近 (1100)
生駒一正 (1800)
本多忠勝 (500)

{天満山}-------12600
福島正則 (6000)
井伊直政 (3600)
松平忠吉 (3000)

{中山道}--------7800
藤堂高虎 (2400)
京極高知 (3000)
寺沢広高 (2400)

{松尾山}-------19200
黒田長政 (5400)
細川忠興 (5000)
加藤嘉明 (3000)
筒井定継 (2800)
田中吉政 (3000)
-----------------------------
【純東軍計】 74600
[関ヶ原東軍乙]
主戦場とは遠い南宮山山頂・山麓に布陣していたため、
いわゆる"関ヶ原の戦い"に東軍として参戦しなかった部隊

{南宮山}-------13900
有馬豊氏 (900)
山内一豊 (2000)
浅野幸長 (6500)
池田輝正 (4500)
-----------------------------
【不東軍計】 13900
623無名武将@お腹せっぷく:04/03/12 18:56
西軍83,800のうち、
 正面戦力の69,400(西軍の83%)が戦いました。
 南宮山の14,400(西軍の17%)が遊んでました。
東軍88,500のうち、
 正面戦力の74,600(東軍の84%)が戦いました。
 南宮山方面の13,900(東軍の16%)が遊んでました。

これは、東軍と西軍の布陣が反対だった場合の想定です。
小早川秀秋が戦闘に巻き込まれるので、寝返る心配がありません。
ちなみに、この展開なら西軍が有利だと考えられます。
荒らすばかりでカキコもせんと、つまらん男だな
未練がましくウロウロせんと、消えろ、カス
雰囲気悪くなるんで、煽るのはやめてくだちゃい。
626石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/03/14 17:49
石田勢は、大坂への挨拶の後、陸路山陽方面に進んだ。
途中、大谷、上杉らと合議した後、毛利元清の守る茶臼山城を石田勢三万で囲んだ。
干し殺しの恐怖から、城を抜け出す者が後をたたず、最初の時点で城兵は数百にまで減っていた。
毛利元清の心中はいかばかりであったろう。
言うまでもなく、毛利元清は秀元の父である。その胸中には複雑なものがあったことであろう。
攻囲十二日目。大鉄砲を一日撃ち込み続け、城門を破壊。
しかし突入せず、兵を後退させ城の外周を完全に柵で囲んだ。
いつでも落とせるという力の誇示と、同時に干殺すぞという圧力である。
矢文が射放たれた。
『毛利元清の首で城兵の命は助ける。一日待つが、それより後は、一人とて許さぬ』
秀元の実父の首が翌日朝、石田の陣に届けられた・・・・。
石田正澄はこれを丁重に葬った。
毛利攻め山陽方面軍の初仕事は、前国主の実父の死でその幕を閉じた。

圧倒的な火力、動員力を前に、為す術もなく国境が破られた。
後詰めの毛利兵がなかったのは、悪人とされた秀元の実父の城であったからか・・・。
ただ言えることは、秀元派の武将の心が、一段と現毛利政権から離れたということである。
毛利内部の亀裂は少しずつ拡がっていった。

石田勢の毛利領進攻から13日め、茶臼山城落城。
627毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/16 00:27
【九州戦線】

 それはまさに電光石火のごとき進撃であった。
さしもの名将立花宗茂も備えの無いところから攻められたのでは、
防ぎようがなかった。彼は自刃する前に鍋島という古狸を簡単に信じた
自分を呪った。むろん鍋島は利でしかうごかぬ男である。しかし、今やわれらの
方が有利であるはずあるのになぜ?
しかし、不安は以前より少しはあった。豊家は石田治部あってこそまとまる
ものである。関白の狂気じみた性格をおそれる諸侯は多かったが、今は病床。
宇喜多の人望のなさは周知のことである。しかも彼は御所焼きの汚名を背負っておる
関白の名がなければ誰も下知にはしたがわなかったであろう。
すべてはもう遅い。日の本は長い戦乱へとはいっていくであろう。
勝者など存在しない。
国土は荒れ果て、豊臣も毛利も上杉もすべて消え去るであろう。
そんな世を見ないで良いだけ幸せか・・・・

【立花宗茂 自刃】
628石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/03/16 00:41
ふむう・・・(w   釣り合いが取れんぞいっ! (w

宍戸安芸守隆家の籠る鬼身城攻めに石田勢はかかった。
上杉、佐竹の七万、大谷勢もそれぞれ別の城を攻める。
石田方としては、無理押しは避けたいところ。
まずは遠巻きにし、奥州勢、大谷勢と連絡を密にしつつ毛利の動きを見る。
山陰方面での動きもある。決して守勢には分の良い状態ではない。
現実的な毛利方の武将は、どこまで耐えることができるのか。
ポツリポツリと城に入らなかった土豪らが豊家に降る。

まだ、立花の死は、豊家連合には伝わっていない。
石田勢の毛利攻め開始より、16日め。
【筑後 柳河城】

立花宗茂の遺体を荼毘に付し、立花家の菩提寺へ埋葬を行う。
手早く混乱を収拾すると次の謀略(どっちが勝っても良いよう)に励みます。

勝茂 「父上…この勝茂感服仕りました」
直茂 「戦とはこうするものよ、さてこれからが忙しい」
勝茂 「次は如何?」
直茂 「豊臣・毛利へ使者を出し、我等を高く買う方に味方せねば成るまいて」
勝茂 「承知しました」
直茂 「…(勿論勝つ方に荷担するは当たり前じゃがな…)…」

豊家・毛利家・島津・小西家に使者を出します。
内容はどちらともとれる、灰色のお手紙です…
630石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/03/16 01:55
訂正
佐々部美作守が城番として詰めていたことでヨロ。
当人、死んでるじゃないですか・・。
631上杉#:04/03/17 00:58
山陰道は隘路が続く。
その景色はかつて自身が領していた日本海沿岸地域に似ていた。
大軍を持って次々と毛利方の城塞を落としていた山陰道侵攻軍だが、
その総指揮を執っていた上杉景勝の心が勝利に浮かれることはなかった。
攻撃開始からすでに十六日。毛利軍は二百万石の自力をいまだ表していない。
「何か裏があるはずだ・・・」
景勝がつぶやくが、参軍の水原は「すでに山陽道軍は毛利領深く突き進んでいます。我が軍が功に於いて負けることがあっては
秀鏡様の対面にも傷を付けることになりかねません」と応じた。彼らの中で真の敵はすでに別のところにあった。

順調すぎる戦だった。
もっとも恐れていた毛利水軍だが、日本海沿岸に展開している形跡はなかった。
途中から石田軍が合流したこともあって順調さは北条攻め以来とも言えた。
しかし、不安は残った。左手に高くそびえ立つ山々が見えた。
「敵はこの中にいるのか・・・」
ふと去来した恐れだった。
632無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 00:15
今更カッコつけてもねぇ
よほどお嫌いなようでwww
634無名武将@お腹せっぷく:04/03/18 22:02
俺も嫌い
635石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/18 23:06
オレはあいつ好きだぜ。気持ちのいい男だ。

信濃より、さらに兵が到着した。
古田ら、北信の兵も含めて一万。
総数で、1万5千の兵が集まった。
五千は淡路に送り、一万が山陽に向った。
なお、豊家の兵2万も、石河とともに備中に入った。
士気、兵糧、武備、弾薬の揃った豊家の兵である。
毛利二百万石も霞む、豊臣の正規兵の出陣であった。
そこにかかげられた旗は、七五の桐。
これに逆らうは、逆賊以外にはない。
【岡山城 二ノ丸】

各地の戦況を分析し、毛利領内へ進軍を続ける各家へ充分な護衛を付けた荷駄隊を出す。

本多 「上杉様が動いた事により山陰方面も順調に御座います」
秀家 「うむ、残る気がかりは武蔵と都の一件よ」
本多 「明石殿に抜かりは無いでしょうが、我等も手を付くしましょう」
秀家 「うむ、頼んだぞ。 それと前線の岩見達に援軍を出すように」
本多 「御意!」

岡山守備 → 一万(秀家・本多・岡)
備中侵攻 → 一万五千(岩見・薄田・雑賀・戸川・花房)
637宇喜多 ◆r2XFP1FIhM :04/03/21 15:20
>636は宇喜多ッス

宇喜多家から使者が出ます

土御門久脩に八条宮への返礼(陣中見舞い)を託します
親豊臣系の公家衆(勧修寺家等)へ見舞金を贈ります

松平家へ密使が
「長年の友誼をもってご忠告申し上げまする。昨今、貴家の名を騙る賊徒共が悪事を
 働いておりますが、これを見過ごす事、秀康様にとって宜しからず。
 真の旧臣達に軽挙妄動を慎み、当家に加勢するようお伝え下されませ…」
(ようは、何とかしてって事ですw)

明石全登が中心となり関東諸侯連合による反乱鎮圧軍(毛利討伐は二百人役での出兵
ですから、ほぼ同数の軍を編制できます)を組織しました。
明石 「天下の安寧を乱し、同胞達に塗炭の苦しみを与えた悪魔共を煉獄に叩き落とす!
     失われた領地を回復し、秩序と平和な日々を取り戻すのだ!
     南無八幡大菩薩、我等に神のご加護の有らん事を!エィメンッ!!」(かなり適当w)

姻戚関係にある関東名族の協力も取り付け『レコンキスタ』が開始されました。
見識を深めよ
639さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/22 15:53
>>637
宇喜多侯おちつかれよ(w

>>八条宮返書

土御門久脩 やれやれ、これは暗に帰れと言うておるのかの。
(まあええわ、他の誰かがまたくるだけじゃて)

そして案の上……。

大炊御門頼国 (我々はまあええ、こうして安全なところを通るだけだからな……。)

大炊御門頼国 正三位左中将
権大納言経頼の長男。通称三位中将。
ばさら公達の最上位者。(>>420は誤植です。失礼。)

【土御門久脩帰京。かわって大炊御門頼国が送り込まれてきました(w】
640さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/22 16:03
そのころ、瀬戸内海上の某所。

烏丸光広 はぁぁ〜、ぎょうさんおりますのう……。
田原紹忍 これが……、豊家の力にござる。
烏丸光広 毛利さんは……いや鎮西の侍はほんにこれと争う気かえ。
田原紹忍 さようで。現に二十年近く前、島津が故豊太閤と争うております。
烏丸光広 やれやれ、侍ちゅうものは……。

【烏丸光広、大友家の軍船で豊後へ。】
641まもなく:04/03/23 11:02
反撃の狼煙
642上杉景勝#:04/03/24 02:48
直江「なにーカントウで大規模な反乱だとー!!すぐさま出陣じゃ」
【直江以下留守部隊五万が南下を開始しました】」
643上杉#:04/03/25 20:53
攻撃一月、関東の乱の報が上杉軍に入る。
「かなりの規模ゆえ一旦撤収いたす」
上杉が軍監に告げる。
逆らいようはない。戦場を石田軍に任せ、兵を引く。付き従うのは東国連合軍七万。
士気は高い。
644 ◆zAnbFVoD9M :04/03/25 23:46
【大阪城】

淀  「して、秀秋殿の加減はどうじゃ?」
秀頼「どうぢゃ?」

大阪で昨今顔を出しているのは奉行衆のみとなった。残るは朝廷との橋渡しとして
残された両北畠のみ。

昌教  「・・・・おそれながら」
慶好  「・・・・殿下は生きていなければならぬのです」

二人の言葉に淀が眼を開いた。きょとんとしている秀頼公。二人の武者が続ける。

昌教  「この西国での大戦が済み次第、葬儀を盛大に行うことになりましょう」
淀  「・・・なんと。秀秋殿を看取ったものはおらぬのか・・・後をどうなさるつもり
   だったのか」
慶好  「・・・会津公は関東へ戻りました。おそらく悟っておいででしょう。このまま
     戻らぬなら中央から離れた別天地として東国をまとめる存在となり、西国
     には立ち入りますまい。・・・戻るとすれば自らの地位を誰にも揺るがせぬ
     為、毛利は必ず滅せられましょう。後の会津公の政権を持つために」
昌教  「秀頼様、これから身を挺して守る者はおりませぬ。・・・苦難裏切り全てを
     自らで守らねばならぬでしょう。おそれながら関白は最後は自らを傷つけ
     ながら必死で育てた筈です。何をすべきか、何が起こっているか。どう判断
     するか。・・・これからは御自分でお決めなさいませ」
淀  「そなたたちは」
慶好  「主馬殿よりお言葉を承りました。我等二人、大阪の贄となれと」


645 ◆zAnbFVoD9M :04/03/26 00:01
【淡路】

松野  「・・・わしだけでは殿下が寂しがるであろうが・・・」
脇坂   「・・・主馬殿。豊臣の為に死ぬつもりならば、我等は転進せざるを
      得ませぬが」
松野  「そなた達は強い。上手く後を乗り切るであろう。・・・船と船頭、兵を
     集めてくれ」
脇坂   「・・・死して名を残すための兵、ですか。拙者は」
松野  「二万の指揮をとれ。我等の後をまとめ、手柄とせよ。会津公が関東
     に戻り、今の山陰は小川と赤座が指揮を執っておる筈」
脇坂   「・・・ありがたき幸せ。後の世まで主馬様の働きを我等は称えまし
      ょう」
松野  「・・・南蛮船、使えるか」
脇坂   「強力で癖が多くて厄介なものがござる。船頭も死にたがりが多い
      船がひとつございましたな」
松野  「流石に手早いな。石川殿は眠らせておる。大阪へ戻らせよ」
脇坂  「承知。後はまぁ任せるが良かろう。豊臣譜代大名としてそなたの分
     もせいぜい出世してやる」

【この頃既に豊臣秀秋、逝去。看取るものもなく遺言もなし。狂死とも病死とも】
【豊臣松野軍九千。ガレオン船一隻とともに淡路を出港。後に言う死馬隊である】
646上杉#:04/03/26 00:40
大坂・・・
上杉を筆頭とする東北軍七万が帰還した。
直江軍が鎌倉に入るのとほぼ同じころである。

豊臣秀秋に面会すべく上杉は入城した。
途中、秀鏡に会い、陣所に連れた。

上杉「殿下・・・戻りました」

647石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/27 19:51
驚愕の体で上杉撤退の報を受けた石河。
悩んだ結果、旗本連合軍に演説をおこない、戦意は一段と高揚した。

石河の演説
上杉公と奥州勢が関東の仕置きに戻られた。みな、喜ばれるが良いっ!
毛利の広大な所領、これのうち、どれだけが我等に加増されるか考えるが良い。想像するが良い。
奥州勢が撤退し、石田家は贖罪の出陣。
この戦、我等旗本のための戦とあいなった。
よいか、毛利家にたいしては、石田公、大谷公、宇喜多公、織田公のみで充分に勝てるのは道理。
ここに、我等が加わるのだ。負ける理由がない。我等はかつ。ま〜ちがいないっ!
そも、関ヶ原すら借金で戦った毛利に、長期の戦をする余裕はない。
この戦は、我等に正義がある。石高、兵力、兵糧、どれを取っても我等に劣る所はない。
みな、安心して攻めるが良い。
毛利家は明智殿より戦上手か、否。
毛利家は柴田勢より精強か、否。
毛利家は徳川より強大か、否。
毛利家と豊臣家、天下の主はどちらかっ。そうっ、豊臣家である。
我等豊臣の軍は、これより毛利家に、天下の主が誰か、教えねばならない。
諸君、諸君らは幸せである。
諸君は将来、自分の子、自分の孫に、こう言うことができるからである。
あの戦国の世の最後の戦いに参加し、勝ったのだ・・・と。
えい、えい、えい、おーー
えい、えい、えい、おーーーーー

轟音の如くこだまする豊臣家旗本衆の雄叫び。
石河と旗本衆、姫路にて気合い入れ終了(w
648石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/27 20:18
大坂の秀秋のもとへ使者が飛ぶ
もちろん、上杉家の撤退を関白の命令によって撤回させるようにである。

使者は秀秋に会えずに帰された。

石河 よもや・・・・。

石田正澄に急ぎ面談
石河 お久しぶりにございます。
石田 ですな。
石河 山猿が里恋しく戻られたとか。
石田 手厳しい・・。これで厳しいことになりましたな。
石河 それよりも、殿下について何か・・・。
石田 なにも。
石河 そうですか。で、これよりどうするおつもりで。
石田 時を掛けてじわりと進みますか。
石河 それしかありませんな。水軍も不明瞭。四国も不明瞭。九州も不明瞭。これでは・・。
石田 大坂におわす天下様さえご無事であれば、我等の勝利ですよ。ご案じあるな。
石河 あなたが引かれるかと恐れていました。安心いたした。
石田 無理押しはできませんよ。あくまで慎重に。
石河 山陰に向います。
石田 頼みます。

こんな会合がもたれたとさ。
649 ◆zAnbFVoD9M :04/03/27 23:07
>>646

秀鏡  「・・・(ぽけー)」
上杉  「殿下・・・?」
秀鏡  「・・・俺はどうしたらいいんだ・・・」
上杉  「・・・(まさか・・・)」

会津公、この時点で何が起こったか推測できると思います。
650織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/28 08:50
秀秋「なんとしても毛利を潰すのじゃー」
 :
 :
秀信「はっ!?夢か。よくもまあ、殿下も大坂からデンパを飛ばすのう」

【秀信は秀秋が死去したことを知りません】
651織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/28 08:51
【伊予今治城】
秀信「蜂須賀殿は讃岐へ。万が一の抑えとして四国に動きあらば平塚因州と共に動け」
蜂須賀「御意」
秀信「筒井殿は伊予の守備を」
筒井「それがしめも是非毛利攻めを承りたく存じます」
秀信「しょうがないのう。では二千ほどの兵を軍船に入れよ、順定殿の参軍は認めるが残りの兵は伊予残留じゃ」
筒井「はっ」
秀信「諸君、こたびの作戦は早さを要する。とにかく脇目もふらず盲進してくれ。うかうかしてると全国戦火の嵐じゃ。」
諸侯「御意!!」
652織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/28 08:52

織田秀信率いる諸国連合はついに安芸へ渡海を始めた。
夜陰に紛れて竹原に上陸するというものである。
近隣の村々から買いあげた小船と伊予の増田長次に作らせた軍船で数はなんとか確保したのであるが・・・
さすがに数万の軍兵を運ぶのである。すぐに数刻後海賊と思われる船団が交戦してきた。
兵が数万ならそれを運ぶ船も尋常な数では無い。
しかし攻めるほうも必死なら、防ぐほうも渡海するほうも必死である。
水戦に慣れた里見房州を中心に鉄砲掃射で蹴散らすが数千の兵が瀬戸内の藻屑となった。
数字としてはかなり少ないほうだろう。
毛利の大船団は山陰の沿岸沿いに行ったのか姿を現さなかったのも幸いした。
653織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/28 08:56
竹原にも守備兵はいたが大軍を見てたちまち戦意喪失して逃走・降服してしまう。
まさか備中が落ちてないのにこんなとこにまで豊臣軍が来るとは!
あわてて落ち延びる毛利兵の大半はそう感じた。

加藤清正「小城なんぞに気を取られるな!目指すは広島城一つぞ!」

竹原を落として食事を取って編成を整えると休む暇なく広島城へ向けて出発した。
広島城までの中途、支城から出たと思われる500や1000の小兵を撃退しつつ
竹原より出て二日、ついに毛利本貫の城の包囲をはじめた。
654織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/28 09:04
広島城に使者

本来豊臣に刃挙げし者の末路はお家取り潰しである。しかし貴家が潰れるのは惜しいことである。
よって和議をしたい。次の三条件を提示する。

一、広島城の開城
一、当主若年のゆえ此度の一の責任は奸臣に有り、家老三名の自決(公開切腹)
一、当主毛利甲斐守の大坂への出頭(我が軍と同道)

これらを飲んでいただけるなら城兵の命は助ける所存。
また当主甲斐守も大坂まで責任持ってお送りいたす。

織田中納言秀信 花押
加藤主計頭清正 花押


清正「まさか本気ではないでしょうな」
秀信「いやいや、降ればそれもまた良し。まぁ、これの写しをいくつか城内で落とすように使者に命じたがの」
清正「こざかしいですな(苦笑)」
655上杉#:04/03/28 12:41
関東に進撃した東北軍は突如として鎌倉を出立。武蔵江戸城を囲んだ。
「かかれ!」
直江の采配が光る。兵の大半を反乱鎮圧と毛利出兵に裂いていた宇喜多軍に為すすべはなかく、
攻城七日で江戸城は落城した。
総州諸侯はみな出払っているため、危険はほぼない。
陥落後、現在で言う江戸川を北上した東北軍は
武蔵川越城に向かう途中、反転してきた明石軍と遭遇した。
世にいう荒川河畔の合戦である。
言わずと知れたことであるが、関東における上杉家の盛名は天を衝くものがある。
不識庵謙信の鬼神が如き武勇とあの徳川家にとどめを刺した現当主景勝の存在。
動員された関東武士たちは圧倒的な兵力におびえ、その威信に震えた。
名将と謡われる明石元登ではあるが、勝負は既についていた。
正面からじわじわと押す上杉軍に、必死の防戦を展開したものの、側面から襲いかかった佐竹・岩城軍の猛攻
の前に完膚無きまでに叩きつぶされ、明石は再起を図るべく上州に逃走した。
その後、川越城は降伏。直江はここで軍をまとめ、江戸城に撤退した。
656上杉#:04/03/28 12:49
ここで直江は関八州に広く激を飛ばした。
「成り上がり者どもに死を。下賤の分際で東国武士の誇りを踏みにじった宇喜多を許すわけにはいかぬ。
 豊臣の悪逆非道を許すまじ。忘れるな、娘を備前の山賊共に奪われた悲しみを。
 逆賊徳川を討伐した関東管領家を差し置き、邪な妄動によりて関東に塗炭の苦しみを招いた備前の強盗に
 余は主君の代官として、死を宣告する!忘れるな関東の悲劇を!!八幡大菩薩もご照覧あれ!!!」
 反応はなかなかよかった。
657上杉#:04/03/28 12:54
一方、大坂。
秀鏡より秀秋出奔の報を聞いた上杉は自身の選択の正しさを再確認した。
「おそれおおくも院より御内証をいただいておる。逆賊秀頼と宇喜多を討てとな」
秀鏡「!」
上杉「安心したまえ。お主は我が養子。それに豊臣家を討てとは書いておらん。
   あくまで秀頼めと宇喜多を討伐するのじゃ。すでに兵は続々と城内に入れておる。
   もはや勝負は決した。お主も国元より兵を至急大坂に向かわせよ。ここが正念場じゃ」
秀鏡「・・・」
数時間後・・・
「ぎゃーーーー!!!」
【すれ停滞の元凶である母子が死にました】
※金吾どん秀鏡つかってや。隠居はさせんぞw
658上杉#:04/03/28 13:05
一方、後門の狼の危険性があった前田利政。
上杉とともに兵5千を連れ従軍していた彼にはすべてが知らされていなかった。
かつて豊臣恩顧の一念から兄に逆らい西軍についた男。知られてはなにをしでかすか分かったものではない。
そこで一計を案じた。
「貴殿にはこれより京警備の任を負ってもらう。兵は二百。貴殿以外にこの任を任せられる男はおらんからな。
 しかし、周辺には賊がまだまだうろついておる。ゆめゆめ気を付けられよ」
前田は戦の疲れからこれを了承した。移動中、「賊」が現れた。彼は死んだ。
前田家の兵は故郷に戻った。道中、関東を荒らし回る上杉軍の勢威を知った。
すぐさま義に準じるよりは、中立を保って家名を残すべし・・・。
お家断絶の危機を経験して日の浅い前田家の郎党がそう考えたのは当然であろう。

659上杉#:04/03/28 13:15
ここに至って大坂に在る上杉は天下に高らかに宣言した。
「余は、院より帝に弓引いた逆賊宇喜多を討つべしとの命を受けたものである。
 関白秀秋様は病ゆえいずこかに去り、秀鏡様が後を継いだ。さらに秀頼様は、
 関白出奔の報に意気消沈し、病の床に伏せっておる。これすなわち天下の危機なり。
 畏れ多くも院は天下の騒擾の収束を願っておる。余は秀鏡様の後見人として、
 豊臣家の執権職の地位に就くものである。天下の諸侯万民に告ぐ。余に従い、宇喜多を討て。
 逆らう者は、余が豊臣の名に於いてこれを討つ」
このころ、指揮官の居ない七手組は二の丸に幽閉されていたという。
660石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/28 17:03
大坂城本丸に200とともに詰めていた石河一宗、丹波忍者とも言われている。
妙心寺・石河・丹波にはそれなりの因縁があり、でたらめとも思えない伝説である。

上杉の大坂入りと聞くや、まず上様と淀の方様の影を置いた。
(関白殿下の配下の者もおりますので、簡単に御城に兵はは入れませんぞ)
関白殿下とその支配下の衆、上のランチキ騒ぎ、裁いてくだされ。
さかのぼって、城内に上杉が入れなかった形とするもよし、受けてしまうもよしです。
精兵200が本丸詰めのままで良かったわい(w
661石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/28 17:10
城内に入れなかったのは、兵ね。
本丸には兵を入れぬというのは生きていたはず。
さすがに本丸に兵を無理に入れれば戦いとなりますです。
662毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/28 23:39
【九州の情勢】

 立花宗茂亡き後の鍋島家は不気味な存在であったが、情で動けぬ分交渉も
しやすかった。むろん上方の変や上杉の転身などの情報はまだ伝わってはおらぬが
母里太兵衛の交渉は成功した。鍋島家は旧立花領を接収した後、中立を保つことになる。
これにより、小早川家・宗家が前線に出ることができ、豊後水道から瀬戸内を牽制する
ことになる。一方、小西には島津との交渉の他、大友家を自領にて防備を固めさせることに
より、その中立化を明確なものとした。島津の本軍は毛利領内に入り、今後に備えた。
663毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/28 23:56
【山陰】
 山陰地方は、恐ろしいほど豊臣軍の進軍が早かった。
しかし、これは備えがないのではなく、すべては又兵衛の計算であった。
御所が焼き討ち、関白の病気等、急造の征伐軍は士気は高くとももろいもの。
それ以前に、世を安定させようと思うのもと怖そうとするものでは、失うもの
の差が大きいものであり、それがぎりぎりの線で現れる。
最初から領内で戦をする気の毛利は予定通り、ゲリラ戦を展開する。

そして上杉の撤退により、戦線は完全に膠着する
664毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/29 00:02
【広島城内】
 織田家の使者に対して又兵衛は丁重にもてないした後、返答を返す

【西国を巻き込んで戦を続け、豊家の政権を揺るがすのも一興、なにやら
小細工を労しておられるが、秀元公の死の意味がわかっておられぬようですな
歴史に残る多戦をして、また応仁の頃のように血で血を洗う世に戻すのも結構
お好きになされよ、勝敗を考えぬもののふは怖いですぞw】
665毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/29 00:06
【上杉の動きを聞き】

 ほう会津がまずは大ばくちにでたか・・・これはおもしろい、鍋島も
おそらくは何かたくらんでこようし、後は四国か・・・・
結城の小せがれが動くかとは思ったが、手柄を立て、加増を期待し
収まるつもりなら、少々見込みちがいだったな。狸親父の才をもう少し
受け継いで、野心もあるかとは思っていたがな。

【現時点では専守防衛の方針に代わりはないようです】
666毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/29 00:08
【大和】
 
 大和は上方に非常に近いこともあり、情報に敏感である。
もちろん、今回の騒ぎも漏れ伝わってくる・・・
しかし筒井家は静かに門を閉ざす。ただ変には万全の準備を期して。。。
667さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/29 10:17
一体何が起きた?

西園寺実純 とにかくここは危険でしょう。急いで京へ戻りますぞ。(院の御身が心配じゃ)。
勧修寺光豊 そうですな。(この宇喜多侯からの書状どないしよう?)

広橋兼勝  城内では一体何が起きておるのや?

緊急避難は彼らにとって口実でしかない。
この時、三伝奏の元には妙な噂が届いていたのだ。
すなわち「主上既に崩御」と。

【三伝奏京へ帰る。】
668さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/03/29 11:10
【堺・某豪商の屋敷】

猪熊教利 やはり関白殿下は身罷られたようでございます。
九条幸家 上杉も思いきったことをする。豊家旗本衆は何をしておるのじゃ。
猪熊教利 松野主馬は大船で前線に出たとか。これが関白薨去の何よりの証しかと。
九条幸家 これでは……豊家は上杉に乗っ取られたも同然ではないか。
猪熊教利 しかし、考えようによっては好機にございます。次の関白職を……。

補足
史実では、九条幸家はこの時まだ忠栄と名乗っていますが、ここでは既に改名しています。
669石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/29 21:42
上杉の愚挙、その情報は正確には伝わらなかった。
石河のもとにも、上杉が宇喜多を討てとの激を飛ばしたという以外の情報はなかった。
山陰に進む予定をとりやめ、兵を姫路に留め置き、関船にて十名ほどの共とともに大坂に向った。
死を覚悟の上坂である。
大坂の城門を上杉の兵に囲まれて通ることになるとは・・・・
大坂城内にて上杉と会合す。
石河 いかなる仕儀にございましょうや。
上杉 ・・・・・

上杉殿、あとはよろしく。
670 ◆zAnbFVoD9M :04/03/29 23:48
【瀬戸内】

毛利家の織田家へ当てた文の中に「勝敗を度外視した」というものがある。上方への
挑発か、本気かは解らないが、こと瀬戸内においてこの言葉は松野にふさわしいと
言える。
村上水軍およそ40艘。精鋭として名高い平安からの海賊衆がなすすべなく蹴散らされ
た。南蛮船の強さもあったかもしれない。海賊側に今までの成功からの奢りもなかった
わけでもないだろう。しかし何より船底に穴が開こうが豊臣の御旗を弾かれようが腕を
吹っ飛ばされようが無視して突っ込んでくる九千の死兵にあの海賊が恐れ後退撃滅
していった。セオリーも何もない。海賊側が船を乗っ取られ食われる。食料について
ほとんどないに等しい死馬隊はためらうことなく相手に牙を向け、文字通り「食った」。
この混乱の中海賊頭村上元吉以下名だたる将が討ち死に、瀬戸内の海は血に染まる
形で豊臣の下に下った。そして死の軍団はそのまま安芸になだれ込む。南蛮舟をその
場で燃やし、目指すは安芸本城。勝敗も義憤も無視し、ただ人斬り集団と化した恐怖が
毛利に迫っている。

【金吾の最後の恐怖迫る】
671上杉#:04/03/30 04:09
【大坂城】
上杉「ほう、君側の姦その二の登場か」
石河「・・・上様はいずこへ?」
上杉「安心しろ。すぐに連れて行ってやる」
石河「はよう願いたい」

・・・小一時間後
二の丸に連れて行かれた石河
上杉「では、さらばじゃ」
石河「!」
【扉が外側から釘で打たれました。いわゆる幽閉です】

城外・・・
「ギャー」
石河兵と七手組が次々と首を打たれました。
672毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/30 17:57
【広島城】

 村上水軍壊滅の方には、さしもの又兵衛も動揺を隠せなかった・・。
専守防衛の方針のもと、万全の備えをしていた瀬戸内において、一蹴された
という事実が重いものにかわりはないが、なによりも「相が揃っている・・・」
という報告をどう取ればよいのかが又兵衛を悩ませる。
あの金吾が兵にそこまでの覚悟をさせられるのか?
采ををふるう松野主馬はたしかにそれができよう。しかし、自らを省みず
多大な犠牲を払いながら進軍してくる戦を戦国を生き抜いてきた彼がする
であろうか?
又兵衛は不気味なものを感じ、そしてすぐさま次の行動に移った。

広島城を焼き、電光石火で小倉へと退却を始める。
しかし、それだけ素早い行動を取ったにもかかわらず、清水・井上など
名だたる将を失い、安芸の攻防は幕を閉じる。

3代に渡り、根を張ってきた山陽山陰の毛利王国は簡単には抵抗をやめない
が、軍としての指揮系統はあっても、領国としての毛利王国は崩壊したと
いってもよいであろう。
673石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/30 22:07
二の丸、幽閉中の石河、深夜。

石河 あの山猿め・・・ これで豊臣家も・・・
○○ 何を嘆いておる、貴殿にはまだやることがあろう。
石河 っ!
○○ こんなこともあろうかと抜け穴を用意しておいたのだ。
石河 真田さんっ! あなたは紀州にて・・・
真田 信繁が急を知らせてきてな。一宗殿といざという時に備えておったのだ。
石河 上様はっ?
一宗 兄上、ご安心を。某所に落ちていただいております。影には可哀想なことと・・。
石河 ならば・・・・急ぎわしも。
真田 気付かれる前に出ますぞ。
石河 ありがたい。城内は上杉どもにはまだ把握されておるまい。
一宗 濠を舟で出られます。
石河 見納めか、この城も・・・・
真田 ささ、急がれよ・・・
浅井 わしも同道いたす。
石河 心強うございます。

一行、大坂城より唯一の抜け道により脱出。
上様とお袋様、ご無事。(まだ気付かれていません)
松平秀康率いる軍勢は尾高城・法勝寺城・米子城を攻略。亀井新十郎ら尼子遺臣の活躍により出雲白鹿城も豊臣方に付き、
隠岐の国の海賊達も味方になり、山陰は次第次第に豊臣方になりつつあった。
そんなところへ・・・

>591
秀康、石田家の申し出を了承。
秀康「軍資金ありがたく頂戴つかまつる。これで両家とも遺恨なしということにいたそうぞ」

>605
家信、黙然として一言も口を利かず。近藤五郎秀用、その日八王子へ帰る。
翌日早朝・・・
家信「皆の者、手筈は良いな。・・・討ちこめ」
松平勢は純之助屋敷を襲撃し、純を捕縛。
唐丸駕籠に押し込んで「謀叛の頭目近藤純之助」という札をつけてしまった
純「何をするのですか紀州殿、我らは御家のために力をつくしたのみ!このようないわれはこれなく!」
家信「・・・黙れ愚か者!そちは毛利がここまで助けに来てくれるとでも思っているのか」
純「それは、・・・ないでしょうな」
家信「とにかく!これよりそちは八王子の父の家で謹慎とする!追って沙汰があるまでそこで頭を冷やしておれ」
【松平家信が武蔵の反乱軍の首領を捕縛しました。武蔵方面の叛乱は収束に向かいます】

>637
秀康「既に反乱軍の頭目一人を捕縛、武蔵相模伊豆三ヶ国は平均(平定)致した次第・・・と、こう伝えてくれ
・・・所で会津が謀叛したというのはまことのことか」
密使「まことでござる。河越城は既に陥落いたしました。しかもこのような檄文を(>656)」
秀康「なんということじゃ・・・とりあえず軍議を開く!」
675 ◆zAnbFVoD9M :04/03/31 00:06
>>672
ちっ・・・官兵衛のどちらかを瞬殺してやる予定だったのにw。仕方ねーなー・・・
しょぼい終わり方だがこうなるか・・・。

【安芸小倉境】
毛利軍は松野軍の異常さに気付いたようだ。鉄砲で撃たれても笑いながら突進し槍で
腕をもがれても平然ともう片方の腕で殴り殺す。足を断っても這って追いすがり毛利兵
の足首を噛み砕く。眼に矢が刺さってもそのまま何事もなく突き進む。
・・・気付いたのではない。毛利全軍が半ば恐慌状態に追いやられたのだ。何せ首をもい
でも多少は動こうとする。しかもへらへらと薄ら笑いを浮かべ敵に向け涎をたらし嬉々とし
て襲い掛かる。
「こいつら人間じゃねぇだぁ!!!」
こんな常識外れの軍隊は無い。毛利軍はわき目も振らずただひたすら西へ逃亡せざるを
えなかったのである。井上ににおいては逃亡する味方の兵に踏み殺されている。

結果論としてこの判断は被害を最小限に食い止める最善の策となった。恐怖の死馬隊
はここで最終的に全滅するがそれは毛利の攻撃ではなく・・・見方同士で殺しあうという
信じられない結末を迎える。お互いに自害を、という生易しいものではない。手近に動く
ものを失い、さらに何かの術が解けたかのように死馬隊全員がもがきだし、お互いに何
かの粉を奪い合うようになる。そして指揮をとっていた松野主馬に襲い掛かり殺して奪っ
たのだ。松野が倒れても奪った粉を奪い取らんと歯を突きたて刀を振り回し指を相手の
眼に突き刺した。
地獄というものはこのような世界なのだろう。毛利家重臣児玉何某はこの阿鼻叫喚の
地獄を目の当たりにして体調を崩し亡くなっている。
およそ五日間の間この狂った宴は繰り返され・・・六日目の朝。ようやく静まり返った安芸
平野に死馬隊全員が倒れていた。その姿は一人として原型を留めておらず、皆がありえ
ないほどばらばらになっていたという。豊臣を守るために出陣した軍として、その姿は
あまりにも悲惨であった。
【松野主馬以下死馬隊全滅。ただし毛利家も最早回復不能なまでの打撃を受けた模様】

【米子城】

豊臣家山陰遠征軍の、浅野・豊家旗本衆・真田家・木下家の大名急に招集される。
浅野「何事でござるかな三河殿、火急の用事と聞くが」
秀康「各々方に申し上げる。実は宇喜多殿より密使これあり、上杉景勝謀叛を起こし河越を抜いたとのことでござる」
木下「何ということじゃ・・・毛利が平らぎはじめたときに上杉の叛乱とは・・・」
秀康「とりあえず、安芸の毛利家は小倉へ逃亡したという知らせもあるゆえ、米子城番を浅野殿にお任せ致し
我らは大坂表へ帰還すればよろしかろう、とまあ考えて居るが皆様の存念を伺いたいのです」

そこで立ち上がったのは真田信繁であった。
真田「大坂表は既に上杉の手に落ちております。秀頼君とお袋様は城を落ち延び、我が兄信幸がご守護申し上げておりますが
石河殿の兵も討たれたとのこと」
真田・秀康を除く全員「(絶句)」
秀康「流石は我が弟信幸である。・・・上杉を除くべく中国大返しをするのは今のようですな」
真田・秀康を除く全員「(驚愕)」
秀康「これより我が軍は浅野殿を残し全軍挙げて上方に馳せ向かう!」
木下「しかし我が兵力は浅野殿を抜けば高々1万に過ぎません、上杉7万の兵で大坂に立て篭もっているとなるとちとやっかいでは」
秀康「・・・いや、我が父故太閤殿下が大返しをした時、徐々に味方が増えたように帰還途中で増えるでしょう。
そのうえ毛利が事実上滅んだとなってはこの米子に居てもしかたはない。後は浅野殿と我が家臣の亀井新十郎(出雲白鹿城を
攻略して城代をつとめている)にお任せすれば十分でござろうよ。
まずは京を押さえる。山陰を抜けて丹波福知山城へ入ることとする。一同急げッ」

秀康は既にこの遠征軍の指揮官のようであった。軍議の後、木下は呆然として、こう日記に書き残している
「結城参州(秀康)の胆甕の如きか、威風辺りを払い左右の大名よく仰ぎみる者なし、江戸大納言の再来にて候」
【丹波福知山城】

松平軍1万の帰還はこの山国の城を大きく揺るがす事件であった。ここの城主は関ヶ原役前は
前田玄以であったが、今は豊臣直轄となっていたのである。
秀康「とりあえず、八条宮様、化野門跡と貝塚久兵衛に密書を送るぞ」

上方表に於いて騒乱が発生し、この国を不安に陥れております。
しかし、京の安全を守るべく松平三河が戻ってまいりましたゆえ御安心下さい。
尚、京が不安で仕方がないというお方は丹波福知山へ疎開なされるのもよろしいかと
存じます。丁重なおもてなしを致します。
秀康花押
相変わらずここはスーパー超人の集うスレですね
679上杉#:04/03/31 01:37
架空世界2005年10月号
「上杉家あれこれ」より抜粋

この年の上杉軍の行動については、最近定説が覆されるかもしれない新発見があった。

直江の突然の南下と景勝の山陰戦線からの撤退。
続く、直江の宇喜多攻撃と景勝の大坂占拠。
遠く離れた二人が何故符牒を併せるかの如く動いたのか。

これまでの説では、事前の示し合わせ説が有力であった。上杉の挙兵は周到に準備されたものであったと。
しかし、二年前、茨城県の旧家と京都府の寺院で相次いで文書が発見されたことにより、学会が揺れている。

茨城県の文書は、1601年のもので、筆者は直江。出師の表と題されたその書からは、主君景勝に挙兵を促す様子が克明に描かれていた。
京都府の文書は、1603年のもので、筆者は景勝。稚拙な文体の日記だが、そこには毛利討伐後、宇喜多・石河の主流派が上杉への圧力を高めるだろうことへの危機感と、
それを出し抜いて関白の弟である秀鏡を養子にしたことで家の安泰が図れるとの喜び、そして関白の突然の死去により全てが崩れたことへの焦燥感がとつとつとつづられている。








680上杉#:04/03/31 01:38
ここで歴史を振り返ろう。関ヶ原戦以降の豊臣家の支配は、近畿地方に限定されたものだった。
東には徳川軍を打ち破ったことで東北地方を中心に東の盟主の座をほしいままにしていた上杉家があり、
西には内紛続きながらも関白の命さえ無視する力を保持していた毛利家が聳え立っていた。
それぞれが寄騎とも言える小大名を星の数ほど抱え込み、監視役として近隣に配置された豊臣系大名を震え上がらせていた。
宇喜多秀家が関東に入封したものの、戦前までついに関東入りを果たせなかった一方で、鎌倉を上杉兵が我が物顔で歩き回っていた事実からもこれは明らかであろう。

しかし、雲行きは確実に変わっていた。言うまでもなく、経済力の差が背景にあった。現状ではほぼ横並びの三つの王。しかし、十年、二十年先には象と蟻ほどの差が生まれることは、
歴然たる事実だった。
東西の王がそれに気づかぬはずもない。

つまりはこういうことだ。
直江は、景勝を関東の王にすることで生き残りを図ろうとしていた。煮え切らない景勝が許せなかったともいえる。
景勝は、豊臣の親族たることで生き残りを図ろうとしていた。直江の強硬姿勢は認めなかった。毛利討伐を主導したのも、そのためだったのであろう。
やがては骨肉の争いになったであろう二人の未来は、しかしながら、ある偶然によって軌を併せた。
関白秀秋の突然の死。選択肢は、すでになかった。
681石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/03/31 03:03
姫路

石河の代わりを、関と田丸はよく勤めていた。
そこに石河らが大坂より戻ったのはいつ頃であったろうか。
大谷勢、石河勢、旗本勢。出撃可能兵力で五万を数える勢力に、上様ご無事の報。
石河が以前より根回しを進めていた豊家旗本衆も、各直轄領にて集合を終了し、
さらに五〜七万の兵が下知を待っている。宇喜多勢、石田勢、織田勢が中国から兵を動かせるようになれば、
近畿の掌握もたやすい状態である。地の利が圧倒的に有利である以上、これは変えようのない事実である。
織田方の急襲と、続く関白の手勢の突撃。これにより毛利が心血を注いで築いた広島の城が落ちた。
防長のみを残し、毛利の家臣団もほぼ戦意を消失させた。
織田勢に旗本一万を援軍に送り、近畿の仕置きに豊臣勢は集中することとなる。
動きを止めている宇喜多勢をよそに、天下はめまぐるしい動きを見せていた。
安芸落つの報で九州もどう動くかわからない今、大坂に天下の意志は集中する。
682毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/31 09:04
【西国戦役始末記】

 関白の死を予感はしていた又兵衛も死馬隊の存在は予定を狂わせるもので
あった。

 後藤又兵衛「天下が再び乱れるといったわしの目的は果たせたが、あの金吾
       めに一本取られたわ・・・ 会津が天下取りに動いたというこ
       とで帳尻はあったが、さても悔しい事よ・・」

・現勢力は防長に集結した毛利家臣団 これにもう戦意はない
・小倉を中心に豊前を平定した直轄軍

又兵衛はおのれの野心のために利用した毛利に多少の同情を感じながら後始末
にかかる。

683毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/31 09:09
【宍戸隆家より大坂表に書状】

 こたびの戦は一部家臣の暴走とはいえ、一門家臣団その責を逃れるもの
でなく、領地・官位の返上および、後見役毛利大蔵太輔(元康)の首にて
なにとぞ、幼少の主君秀就様への寛大な処置をお願いしたく、なにとぞご
配慮の儀、ご検討いただきますよう上申いたします

  毛利長門守隆家  花押
684毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/31 09:15
【九州戦乱】

 後世に小説などの題材に広く扱われた戦記に西国戦役後に行われた
九州戦乱がある。

 毛利より独立した豊前小倉の後藤軍に沈黙を保っていた鍋島軍が
戦線を布告したのである。宗・島津がこれに味方し、小早川が後藤に
味方し、各地で大合戦を演じた。戦況は一進一退であったが、中立を
保っていた大友・小西が鍋島方につくことにより、太宰府で母里太兵衛
は戦死する。
そして、小倉城の落城により九州の勢力図は大きく変わるわけであるが、
燃え落ちる小倉城の中で、己の才を発揮することだけを考え続けてきた
後藤又兵衛は何を考えていたのかは今となっては定かではない。。

685毛利秀就 ◆A30VZTENKA :04/03/31 09:19
【九州その後】

 後藤軍の壊滅・母里太兵衛の戦死により九州の状況はこうなった

【豊後】 大友
【筑前半国】 小早川
【肥前・筑後・筑前半国・豊前】 鍋島
【対馬】 宗
【肥後】 小西
【薩摩・大隅・日向・琉球】 島津 
686上杉#:04/03/31 10:59
景勝「ほう、結城が雄たけびを上げながら戻ってくるというのか」
水原「3年前の恐怖を思い起こしてやりましょう」
景勝「うむ。で、いつ叩く?」
水原「守りにくい京では、造反分子が増えぬとも限りません。ここは打って出るべきかと」
景勝「宇喜多こそ真の敵よ。それはならん。それに山陰道のどこに兵がおる?太閤とは違うよ。いずれにしろ京におる武田信清に山陰道の防備を固めよと命じろ。秀鏡からの連絡はまだか?」
水原「まだです」
景勝「本隊は山陽道に進み、宇喜多の後背を衝く。結城の小倅は放置してかまわん」
水原「退路を絶たれたら?」
景勝「その時は南蛮船にでも乗るか」
垣見家純か、蠣崎季広で参加したいのですが・・・・
688687:04/03/31 17:53
やべっ、ageちまった。スイマセン。
689スレ主催者:04/03/31 18:48
>>687 おお新規参加者は大歓迎ですぞ。ログ参照のうえ、話にわってはいられませ。
みながその話に呼応しますので。
690筒井家 ◆A30VZTENKA :04/03/31 19:32
【大和】

 関白死去の噂、安芸の顔を背ける戦、そして上杉の野心。
毛利派といわれながら、これまで沈黙を守ってきた筒井定次が突然動いた。
中坊飛騨守を戦陣に軽兵を堺・大坂へ派兵。略奪のかぎりをつくし、上杉に
呼応した。
天下人秀吉が心血をそそいで気づいた大坂も、自由都市都市として栄えた堺も
あわれ、灰燼と化してしまったのである。
691織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/31 20:03
大坂の凶報はすぐさま織田の本陣にも届いた。
ほどなく加藤清正が秀信のもとへ駆け込んできた。
清正「中納言殿は大坂の件、聞かれたかっ!」
秀信「上様も関白も生死は不明とか」
清正「左様」
しかし秀信は縁者の織田老犬斎から詳細を記した書状を密かに受け取っていた。
老犬斎は淀の叔父である。実は織田一門で最も淀との繋がりが深い男である。

しかし二人は結論出す暇も無かった。毛利が打ってでてきたからである。
さすがに決死の突貫であるがたちまち包み込まれる。
田中吉政「無理に受けるな、流すようにうちかかれぇ!」
丹羽長重「鉄砲隊に斉射させろー」
やがて松野率いる死馬隊も突如参軍する。やがて毛利の先陣突破口を快走していく。
松野「けけけー、中納言殿あとはまかされよー、けけ♪」
秀信「お、おう(目が関白と同じ…そうか、そういうことか)」

秀信らは城下町へ類焼しないように炎上する城の沈静に努めたが毛利の巨城はほぼ灰燼に帰してしまう。
略奪禁止を兵らに徹底させつつ諸将を集め軍議を開いた。
692織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/03/31 22:06
>>683
雑兵「貴様、どこへいく!」
統治下で厳しく警戒にあたる諸国連合の兵に捕らえられる。

秀信「最近は情勢不安なゆえ御使者も道中危険が多すぎる。
毛利家の仕儀それがしが承った。ただちに各戦線へ和議の旨を伝えよう。
兵を防長に送るゆえ毛利秀就殿と毛利家中は武装解除して謹慎いたせ。
態度整然なれば上様もおおいに配慮されよう」


秀信「田中兵部殿、貴殿には毛利領の慰撫をお願いしたい。それと安房守(里見)主馬が乗ってきた南蛮船を抑えよ」
田中・里見「御意」
秀信「残りのものは大坂へ向かって謀反人を討つ!!」
諸将「おおーっ!」

【山陽・山陰の対毛利戦線に和議停戦を伝える使者がいきました】
【田中兵部吉政の兵と増援旗本衆を置いて諸国連合撤退。ただちに山陽道を上る】
693上杉#:04/03/31 22:46
【大坂】
兵「申し上げます!筒井の兵2000が乱入し、つぎつぎと火を放っております!」
上杉「即刻殲滅せよ。わが軍七万をなんと心得ておるのか」

・・・五時間後、全員討ち取られました。被害は最小限です
694上杉#:04/03/31 22:49
直江に書状
「余は一大事ありし時は、箱根にて敵を食い止めよ。五年持ちこたえれば、我らが大願かならずや成就するもの也」
【丹波福知山城】
松平三河1万の兵は、福知山を引き払い丹波亀山城へ入城・・・

一方、化野門跡は保津峡を経由してこれまた亀山へ・・・
念仏寺にいた人々もこれに従う。

なお、この時丹波の国人赤井幸家が旧知の縁によって松平軍に合流した。兵300を従えていたと
赤井家譜にある。

696 ◆zAnbFVoD9M :04/04/01 01:10
一応参加はするけど表立っては出なくなるよ。しんどいから。
金吾松野と勤めは果たしたし。

【山陰丹後】

秀鏡  「・・・そ・・・それはどういうことだ!?」
脇坂  「どういうことも何も。我等金吾様直属の精鋭にて他の何者からも命令を
     受ける筋合いがないということでござる」
朽木  「我が金吾軍中核四万。あくまでこの地の守備と補給を担当するが勤め」
秀鏡  「何を寝ぼけたことを!そなたらの主はとうに死んでおるわ!ならば次の
     当主はわしであろうが!!」
小川  「正確に死が決まったわけではございませぬ。不忠者としてこの場で斬り
     殺しても一向に構わんのですぞ?」
秀鏡  「・・な・・・?」
赤座  「武蔵公と会津公がなぜか大戦をする予感がしますなぁ。食料はどこから
     手に入れるのやら」
脇坂  「どちらも此度の戦、この山陰を中心に荷駄をわれ等に任せておったのを
     忘れたとも思えぬが(にやにや)。両者共倒れですな」
朽木  「しかもわれ等に攻め込めば何故かここに大量に抱え込まれた糧秣が灰
     燼に帰すとか、怖い怖い」
秀鏡  「おまえら・・・食い物であの二人から何を手に入れるつもりだ!?」
小川  「さぁ?我等は安穏に過ごしたいだけですからなぁ。いい餌を期待しますか」
赤座  「ささ、お帰りはこちらですぞ。初鹿野、塙、秀鏡殿がお帰りだ」
秀鏡  「よせ、離せ!下郎めがわしを誰だと・・・ヒアhふぉwlkdmなlkshl・・・」

【四将および金吾軍は秀鏡を主と認めず。秀鏡は文字通りただの張子に】
【精鋭と中国制圧用の莫大な糧秣を確保した軍はどちら側ににもつかず傍観を決める予感】
697松前慶廣:04/04/01 09:43
蠣崎季広と松前慶廣を間違えていた・・鬱
松前慶廣の家臣団
―大坂屋敷―
大坂留守居役 近藤義武(蠣崎忠廣(慶廣の次男)の元服の御理髪役を務めた人。かなり腕はいいようだ。)
御使者番 三関廣久
―大館―
嫡子 松前盛廣(この時はもう既に、家督相続はされているが、後継者を育てるための相続であり、実権は慶廣にある。)
家老 斉藤直政
家老 吉村宣充(侍大将。福島家の家臣の生き残りの一人。)
寺社町奉行 酒井廣種
勘定奉行 厚谷貞政
家臣の名前少なすぎの為、使いまわしスマソ。
新規参入の方、よろしく
蝦夷の地は、活躍しだいで加増チャンス一杯。
上杉めをやっつけておくれ
699ナレーション:04/04/01 15:38
【大坂】

 大坂の政変の噂は瞬く間にひろまり、民衆の不安が広がった。
そこへ筒井軍の乱入と、それに引き続く上杉の乱暴に大坂は地獄と化す。
民家は焼かれ、橋は壊され、略奪・殺戮が大坂を壊滅に追い込んだ。
城下はもはや町の体をなしておらず、流亡の民となった民衆の恨みは上杉
や不甲斐ない豊家へと向いていく。各地には強盗の類が出没し、米が不足し
民はおろか、大坂の兵にもいきわたらないありさま。
まさに大坂では地獄絵図が繰り広げていったのである
700ナレーション:04/04/01 15:56
【防長】

 毛利家臣団では粛正の荒らしが続いていた。宍戸隆家と吉川元氏ら親族衆
を中心に後藤派の残党を徹底的に粛正したのであった。後藤体制には積極的
に協力した両名であったが、毛利の家名を守るためになりふり構わぬ行動に
でたのである。
701ナレーション:04/04/01 16:05
【大和】

 筒井党を実質支配しているのは中坊飛騨守というケチな老人である。
順慶無きあと、嶋・森・松倉とライバルである名物家老を様々手段で
筒井家より追い出し、若い定次を押さえこの世の春を謳歌していた。彼は
豊家や毛利、どちらにも良い顔をし、自分がキーマンであると思いこんで
いた。故に今回の毛利征伐では洞ヶ峠を決め込み、大坂の変が起こると素早
く上杉に呼応し、大坂や堺を壊滅に追い込んだ。権力におぼれ(小さな権力
ではあるが)有頂天になっている彼の思い通りいくほど、今の世上は甘くな
かった。上杉は筒井など必要とせず、ゴミでも払うかのように彼らに襲いか
かった。先陣を自らつとめていた彼はほうほうの体で逃げ帰り、筒井家の醜態
は大和であっという間に広まった。
越智党の残党は活動を活発にし、宇陀三将は筒井を離れ、興福寺よりは厳しい
叱責の声が出てくるありさま。家中よりは中坊避難の声があがり、ついには定次
自ら中坊の罷免を申し渡すことになる。
小さな欲におぼれた中坊飛騨守は失意のうちに亡くなる事になる。
702さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/02 11:15
>>690>>693
堺・公家衆のアジトも丸焼け

九条幸家 ったく信じられんことをする。
猪熊教利 まあ上杉が早めに動いたおかげでさほどの被害はなさそうです。
九条幸家 それにしても筒井は上杉に呼応するとか言うておったようだが?
猪熊教利 さあ……。それよりもこの後どうなさいます? 京へ戻るか、大坂か南都か。
九条幸家 ううむ、とりあえず京へ戻ろか。

【九条幸家、京へ撤収】
703さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/02 11:16
>>690>>693
堺・公家衆のアジトも丸焼け

九条幸家 ったく信じられんことをする。
猪熊教利 まあ上杉が早めに動いたおかげでさほどの被害はなさそうです。
九条幸家 それにしても筒井は上杉に呼応するとか言うておったようだが?
猪熊教利 さあ……。それよりもこの後どうなさいます? 京へ戻るか、大坂か南都か。
九条幸家 ううむ、とりあえず京へ戻ろか。

【九条幸家、京へ撤収】
704さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/02 11:56
ありゃ、二重カキコ失礼

京・仮御所

近衛信尹  先般より玉体にあらぬ噂が流れておると聞く。されど主上は重体なれど相国寺にて御健在なり。
広橋兼勝  諸卿らにおかれては粛々と御務めを果たして頂きたく……。

(ざわざわ)

その夜・摂家当主と三伝奏のみの密談

一条内基 では関白殿下薨去は疑いなしということやな。
九条兼孝 さよう、幸家からも書状がきておる。なにより上杉の行動が示しておる。
鷹司信房 出奔などと……。まあええ、どのみち秀秋は表舞台を去ったということじゃ。
近衛信尹 上杉は院宣など持ち出しておるが……。
鷹司信房 ニセ者と信じたいがのう……。
広橋兼勝 無理やりでもまことはまこと。これを覆すのは容易ではおじゃりませぬ。
九条兼孝 いや、手はある……。
広橋兼勝 ……?

その後

近衛信尹 九条殿……、まさか主上はまことに……。
九条兼孝 生きておいでじゃ。
近衛信尹 ……。
九条兼孝 生きておいでじゃ。
705さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/02 14:13
ちなみに現時点での公卿一覧表

関白内大臣 豊臣秀秋
太政大臣  近衛前久
左大臣   近衛信尹
右大臣   西園寺実益
権大納言  烏丸光宣 広橋兼勝 花山院定熈 豊臣秀頼 西園寺実純 他五人
権中納言  東坊城盛長 三条西実条 三条公広 勧修寺光豊 織田秀信(公家扱い?) 他五人
参議    西洞院時慶 飛鳥井雅庸 他六人
706さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/02 14:18
つづき
前左大臣  九条兼孝 一条内基 二条昭実
前右大臣  今出川晴季
前内大臣  鷹司信房
前権大納言 日野資勝
前権中納言 山科言経
(武家枠) 宇喜多秀家 上杉景勝(いずれも前官礼遇) 
前参議   
(武家枠) 結城秀康 織田信包
非参議   吉田兼見(左衛門督) 雅朝王(神祇伯) 大炊御門頼国(左中将)
      猪熊治芳(修理大夫) 他いろいろ

『公卿補任』をもとに過去スレをみて修正。
もし武家で他に参議以上を持ってる人いたら教えて下さい。
しかし豊臣秀鏡ってひょっとしたら無位無官ちゃうか?
707松前慶廣:04/04/02 17:45
少し話は遡る・・・
松前家の居城【大館】
松前慶廣「何、会津中納言が謀叛を起こし、河越を落としただとー!」
(持っていた茶碗を落とす)
遣いの者「は、はい!直江兼続が江戸城を落とした上、河越の明石全登の軍を荒川河畔で破り、江戸城に撤退したとの事です!」
松前慶廣「全登殿は?」
遣いの者「上州に逃げたとの事です!」
松前盛廣「父上!」
松前慶廣「わかっておる!ったく・・・安芸の次は会津か!・・・盛廣!兵を出すぞ!」
松前盛廣「どちらに?」
松前慶廣「豊臣家に、だ!陸奥を攻めるぞ!」
【松前慶廣、約1000の兵を連れ、陸奥へ出陣】
陸奥って、最上家の領地でしたよね?
【備前 岡山城二の丸】
秀頼の代官として全軍を統括する秀家の下へ各地より続々と知らせが届く。
『山陰方面より上杉家撤退す!』との報に秀家は少なからぬ衝撃を受けたが、
続けざまに届いた『関白秀秋死去!』の知らせに受けた衝撃はその比ではなかった。

秀秋家臣 「関白様がご逝去なされました…」
秀家   「なっ…その話し真であるか…嘘であろう…」
秀秋家臣 「この戦が終わるまで、喪は伏せるようにとのお言葉に御座います…」

悲嘆にくれる秀家であったが、永久の旅路につきし人を追うはならず、ただただ
茨の道を歩み行く。

『松平秀康等山陰勢の活躍により伯耆・出雲攻略!』
『岐阜中納言秀信率いる関東・東海連合軍による安芸広島城制圧!』
『秀秋遺臣(松野)の壮絶な戦い…』

秀家 「ああっ天は秀秋殿の死を悼む間も与えてくれぬのか…」
本多 「殿! 何を気弱なことを申されるか! 秀秋様亡き後に秀頼様をお守り
     するは、殿しか居らぬのでございますぞ!」
秀家 「…そうであったな、残った儂が秀頼様をお守りせねば…秀秋殿と交わした
     約も守らねばならぬしな」
本多 「左様に御座ります」
709宇喜多@反抗します:04/04/02 21:03
織田秀信の仲立ちにより実った毛利との和睦、その席上へ向かう秀家へ悲報が届く。
『直江の攻撃を受け江戸・川越城が落城。明石全登は上州へ退却』
『上杉家(直江)による豊臣(宇喜多)家悪逆宣言!』
『景勝が大坂城を占拠し、羽柴秀鏡と共に院詔を受けたと宇喜多攻めを宣言』
『上杉家による前田利政暗殺、七手組諸将の惨殺!』

そして
『豊臣秀頼、淀親子の生死不明…』

秀家 「あっがっ、秀頼様、秀頼様、秀頼が…」
秀家の体を流れる梟雄の血は三十有余年の時をへ、今開花した…

秀家 「景勝を殺し秀頼様の仇を討つ!」
白装束に着替えた秀家は全軍に指示を発した、石河による豊家旗本衆動員を受け、
最大動員令を発令、豊家600万石の総力を挙げ公称二十万、実数15万の軍勢
(内10万を近畿圏に)を集めた。
強行派(宇喜多系)穏健派(奉行系)異端派(旧毛利系)はわだかまりを捨て
ただ幼君の無念を晴らさんと、意志を一つにした。
710宇喜多@暗黒面?:04/04/02 21:06
【播磨 姫路城】
参陣各家は大坂留守居役の機転により、主君の家族を姫路に落としていた。
難を逃れた家族達が再開を祝う姿が城下の彼方此方であった。
勿論、宇喜多家も留守居役(酒仙堂・曽呂須)の活躍によりお豪と子供達は
怪我一つ負うことはなかった。

さらに秀家が喜んだのは、誇らしげに控える真田信幸と主人秀頼の姿を見た時で
あった、秀家はしばし憤怒の相を解き驚喜した。
秀頼親子を本丸に移し、主君の身(玉)の安全を確保した秀家は各地へ指示を出す。

朝廷へ奏上
『天下を乱す大逆人(上杉)を討伐いたします、何とぞ詔を!』

大坂城で七手組の生き残りが各所に火を掛けました、兵糧蔵は紅蓮の炎に包まれ、
弾薬庫は地上から消し飛び、長期籠城は不可能になりました!

各地の要衝(敦賀・佐和山・洛中・小浜・淡路・小雑賀)を守る部隊へ防衛戦を指示
中部・東国旗本衆(二万)を上州へ、明石は残存する戦力(約二万?)を結集し国境
の要害(あるかなぁ?)を固める

関東諸侯の軍役を解き、帰国させる(姫路→山陰→敦賀→岐阜→中山道→上野)
加藤 「おのれ、直江め! 主人が留守の家を荒らす盗人風情が! 先代謙信公も
さぞやお嘆きであろう!」
毛利家(宍戸隆家・吉川元氏)へ
『貴家の降伏(和睦)を受け入れる、秀就殿に罪は無し、さしあたり周防・長門を
領し、武装解除せよ』

小早川家へ
『貴家の降伏(和睦)を受け入れる、さしあたり現状を領し、武装解除せよ』

浅野・田中家へ
『旗本衆三万と共に毛利・小早川両家の武装解除を行うべし』

大友・鍋島・宗・島津家へ
『さしあたり現状を領せよ』

小西家へ
『軍を率い上洛して頂きたい』(哀願調)

秀秋遺臣(四将)へ
『秀秋殿と生前交わした約により貴家の安泰は請け負った! 長束家と協力し
若狭・越前を固め、京へ進軍すべし』
松平・木下・真田家へ
『京へ進み八条の宮様をお守りすべし』

松平秀康へ密約を打診
『関東・東北にて蜂起した旧臣達へ指示を出し、上杉家に対する反攻を行って頂き
たい。彼等は貴家への帰参が望であろう故、彼等の再仕官を受け入れられるよう
戦後に三河もしくは、数十万石の加増をお約束いたす…』

織田・東海諸侯・石田・石河・大谷・戸田家へ
『正義は我にあり!我等と共に進むべし!』

増田・平塚家へ
『先の軍役に従わなかった長曽我部に備えよ』

長曽我部家へ
『先祖の偉業を無にし、系統を絶やす気か!』
713石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/02 21:47
【備中】
石田正澄は、官僚としての能力を十二分に発揮していた。
日々、所領安堵状を書き、この半月を過ごした。
安芸・広島城以前に降った者には完全安堵。
それ以降の者には、働きを見て後と。
備中のみならず、毛利家の他領の者も、安堵状発給の早い石田の陣に駆け込んだ。
大坂の報が入ったのは、そんな安堵状発給作業の最中であった。
すぐに、宇喜多家からも使者が来訪した。
兵の移動の準備とともに、使者が飛んだ。

毛利家の降った兵を組織し、数千の新規兵をまとめた。
彼らにはあることを約し、備中にて休養を取らせ待機させた。

使者の一人は、近江に飛んだ。
もう一人は大坂。
そして弟への見舞いに。

石田正澄は動き出した。
戦乱に乗じて九州諸国を切り取り、豊家(宇喜多)より領地の安堵を受けた鍋島家
だったが、老直茂は驚くべきことを行った。

豊家へ返書
『主家に背いた毛利・小早川・立花達を討つのは家臣の努めに御座います。
肥前に加え豊前・筑前(半国)・筑後の領有をお認め下さるとの事ですが、
恐れ多い事なので、豊前・筑前の所領は秀頼様にお返しいたします』

勝茂 「何と言うことを申されるのですか父上は! 上杉と手を組みさらに領地
     を増やそうとは思いませぬのか?」
直茂 「よう考えてみよ、上杉は豊臣に勝てると思うか? あれは血迷ようて、
     死に場所を求める者共よ。
     されど果報な漢達よ、毛利・上杉は天下を相手に戦った、むざと窮する
     を好まず、艶やかに、狂おしいほどに咲いて散りよった。
     ある意味武士の意地を通したのやもしれん…もっとも付き合わされた
     者達にとっては堪ったものでは無いがの。 カッカッカ」

愉快げに笑う親父に対し、苛立つ息子は声を荒げる
勝茂 「むぅ、ならば折角手に入れた領土を返すのは何故で御座る、我等は
     武士の意地を通さずともよいのですか!」
直茂 「お前のためじゃよ勝茂…毛利・上杉が力を失えば豊臣の天下は揺るぎ
    無き物となり、誰も刃向かえぬ世がくるじゃろう。
    そんな世になれば外様大名はどうなると思う? この戦に懲りた豊臣は
    強大な力を持つ有力諸侯の力を削ごうとするじゃろう、削ぐばかりでは
    なく、時には取り潰そうとさえするじゃろうな。」
勝茂 「…」
直茂 「我等は此度の戦で自儘に肥え太った、豊臣の家臣達は特に憎んでおる
     事じゃろう…だから自分から領土を返し機嫌を取っておくのよ…まぁ、
     此度の戦で手柄立てた者共に褒美をやらねばならんから筑後位は貰って
     も罰はあたらんじゃろうて、事実よう働いたでな、カッカッカ」
715石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/02 22:47
近江の石田兵が山城に入ったのち、大和に進んだ。
大和の兵を多数抱えている石田家が、大和を取りに動いた。

石田家遠征軍が京に入る。

石田三成死亡の報が入ったのは、ほぼ同じ頃。
石田重家が大坂にて死んだという報も同時に入る。
石田家の全家督を石田正澄が継ぐことを宣言。
重家及び三成の死が、関白の仕打ちであると発表。

備中の投降毛利兵、正澄の残した兵糧とともに各城に入る。


石田正継、上杉家に密使を送る。
『天下を平らかにするため、微力ながらお力添えいたす』

石田正継、関白の石田家への仕打ちを恨み(を無理矢理理由に)上杉家に同心。
京を石田家が制圧。石田家よりの豊家旗本、約三万を集め、ともに謀反(w

石田正澄、後に語る。
「私は弟の影でも弟の部下でもない。一人の武将である」と。

(石田家のある家臣はこう語る)
『道誉ってどうよ』『バサラへの道 十ヶ条』こんなおかしな書物を読み始めていたようです・・・

(戦国乱世にしてみましょうかね、ほひゃふひゃへひゃ)
716石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/03 01:20
いち早く京をおさえた石田軍三万、石田派豊家旗本三万は、京を通過しようとする使者のことごとくを捕縛。
真田家に同心を求めると書状を出す。
京に入らんとする木下勢を、鉄砲でいきなりけちらし、敵対を完全に表明。
大和に1万の兵を繰り出す。かなりな手ごたえを得つつ、和しつつ制圧。
九鬼家にも同心を強要。大坂近海を制圧。
京に入った本軍のうち、一万を近江にもどす。美濃の旗本衆に使者を派遣。
美濃の旗本衆のどれだけが味方することか・・・・。
上杉家に使者を重ねて出す。
旗本衆のうち二万と石田本軍のうち一万とで山崎に陣を敷く。ここに、後詰めとしての上杉兵を要請。
残る兵は京にて休息。
717石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/03 01:33
大谷家

備中からの大駈けを強行した石田家。
大谷領などを通過するさいに、当然のことながら上杉家を討つという理由を掲げた。
騙された形となった大谷家など、後にかなりな不満を生んだ。
それもむべなるかな。大駈けにあたり、多くの馬匹、兵糧の協力を石田家は要請していたのだ。
宇喜多らの激怒と落胆は目をおおうばかりであった。
姫路では、『近江モンは信じるな』という言葉が残っているほどである。
718石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/04/03 15:44
そのころ、信州諏訪

御柱祭りが天下の動乱をよそに開催されていた。
今年の御柱は、過去にない立派なものが選ばれていた。
木曽の材より石河の命令で最上のものが使われた故である。
その御柱が、斜面を下る途中あろうことか縦に真っ二つに割れた。
人々はその不吉さに恐怖し、祭りは途中で中止された。
古老の提案でその二つに割れた御柱を鉄の輪でつなぎ、再開されたのは4日後。
割れた天下が、一つになることの暗示と、むりやりこじつけ、祭りは盛況のまま終了した。
719諏訪大明神:04/04/03 20:02
モミの木だ!しかも諏訪からね
720石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/04/03 20:05
そうか、訂正するか(w ご指導かたじけない。

立派なもみの木としておくんなまし。
721石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/04/03 21:43
しかも、この年はおこなわれる年じゃなかったし・・・
718を全面削除
722石河貞清 ◆NnBHBM9A.E :04/04/04 11:36
【困惑と激怒の姫路城】
石河  参りましたなぁ・・・
宇喜多 上様のご無事の報が届く前でしたから、木工頭も誤った選択をしたのでしょうか。
石河  山崎に陣を敷いたとか。また、九鬼を使い、大坂近海を制圧る兄上が心配です。
宇喜多 数で負けているわけではありません。押し返すのみですな。
石河  奥州石河氏を、伊達旧臣をまとめるべく動かしております。
宇喜多 首尾よういきますかな。
石河  関東への圧力、わずかでも軽くできれば良いのですが。
宇喜多 北陸の関白殿下の軍勢の動きが・・・・
石河  毛利との和議、確定させたものにいたしましょう。
宇喜多 上杉攻めに使い、功あらば毛利に100万石ほど残すとでもいたしますか。
石河  まずは毛利家の宿将と会わねば。
宇喜多 急ぎ大坂に攻め上らずに良いのですか。
石河  火力の揃った兵が山崎を抑えているのであれば、早急な動きは控えた方がよろしいかと。
宇喜多・石河、姫路で談合
723松前慶廣:04/04/04 18:30
707の終わりに追加する話です。
そうそう、なぜ松前家が関白側に付いたか、
話をしなければならない。
【大館】
松前盛廣「父上。何故、我が家は関白側についたのですか?」
松前慶廣「上杉本隊は本領より遠く離れた、畿内に居座っておる。
略奪を行なっても、兵糧はいつか尽き、戦局は豊臣家が有利になるだろう。」
松前盛廣「豊臣家から裏切り者が出たら?」
松前慶廣「その時は、その時よ。ハッハッハー」
松前盛廣(いい加減だなあ・・・)
松前慶廣「関白と屋代景頼に、書を出したら、準備が終わり次第、出発するぞ。」
(関白の死はまだ知りません)
松前盛廣「は、はい!と、屋代景頼って誰ですか?」
松前慶廣「伊達家の家臣だった者よ。今は気仙沼に隠れ住んでいると聞く。
      彼に伊達旧臣をまとさせて、我が南下軍の援軍とさせる。」
松前盛廣「なるほど。誰か!誰かおらぬか〜」
【松前慶廣、松前盛廣、関白に親書を出し、南下を開始。上杉の退路を脅かし、占領が目的。】
石河さんネタパクリすいません。
724無名武将@お腹せっぷく:04/04/04 20:26
【京・天龍寺】

修行僧の朝は早い。まだ陽も昇らぬうちから勤行が始まり、その後に
境内の掃き清め、堂内の清掃など、あわただしいものである。
 今日もいつもと同様に境内を掃き清め、集まった塵を片付けようと
僧が裏手にいくと、一人の年老いた男が倒れていた。

「これは、どうしました?」
僧の問いかけに対し、その老人は何も答えなかった・・。
というより、答えられなかったという方が正しかっただろう。
「もし、ご老人、どうされた、大丈夫ですか?」
反応がないので大きな声でさらに僧は呼びかけた。すると・・。
「ああ・・・。」そうつぶやくと、その老人は目を閉じてしまった。
みれば、頬がこけ、顔は浅黒い。しかし、身に着けている衣服は白い練絹
の夜着である・・。
【丹波亀山城】

松平三河は交通の要衝である亀山に腰を落ち着け、本願寺門徒5000と合流した後は
難民を救援しつつ畿内の情勢を伺っている・・・

>699
大坂からの避難民と、玉造屋敷からの使い・久慈新介から状況を聞く
久慈「屋敷は懸命の消火活動によりなんとか火を食い止めましたが市内は地獄の有様、
河内和泉では戦が有ったとかで、大坂城下の民は摂津より播磨にかけて逃げ惑っております」
秀康「うーむ、とりあえず摂津丹波国境の笑路(わろうじ)城へ本願寺のご門跡にお移り願い、難民救済を
行っていただくしか有るまい。それにしても上杉も筒井も民のことなど丸で考えていないのじゃなぁ・・・」
早速城下の寺に居る本願寺門跡を呼び、しばし旧交を温めた後、秀康は話を切り出した。
本願寺教如「・・・お話は承りました。拙僧、戦には加担いたしませぬ。武家は武家同志勝手にやれば
よろしかろうと思っておりまするでな・・しかしながら民のためとあらば身を粉にしても働く所存。
笑路とやらへ参りましょうぞ」
秀康「かたじけない!門跡様の安全の為にも、赤井をして仮小屋なりとも普請いたし、城も修築いたします」
教如「ありがたいことですな。戦が有るやもしれませぬから、雑賀の鉄砲構えでもこしらえましょうかな」
教如はニヤリとした。この僧、元は石山合戦の時最後まで抵抗した筋金入りの武将である。
配下には雑賀浩浩坊こと小孫市(雑賀孫一の一族)もおり、野戦築城などお手の物であった。

本願寺門徒により、保津渓谷(丹波ー山城国境)・笑路城(丹波ー摂津国境)に土塁に柵という構成の
野戦陣地が造られ、要所を赤井幸家・岡部長盛らが警護。雑賀衆の鉄砲隊も控えて居ます。
>712
宇喜多の使者が摂津より丹波を経由して亀山へ到着。
秀康「よくぞ参られた。我が軍は状況が整うた後京へ攻め入るゆえご安心下されとお伝えくだされ」
使者「・・・状況が整った後とは、今すぐではござらぬのですかな」
秀康「・・・京洛には石田6万武田1万の兵が居る。今亀山1万の兵を動かしたとして勝つ見込みはない。
    それよりも謀略でこの軍勢を混乱せしめ、自ら崩壊せしむるのが上策じゃからな。
   先ずは謀略よ。いにしえの賢人も戦はだましあいであるというておるからの」
使者「ところで、関東東北の遺臣の方々にも上杉に対し抵抗していただけぬかと」
秀康「それは無論行う。但し、遺臣の数が多い故三河一国35万石では少ない。
まあ駿遠参で100万石は頂きたいところじゃなあ、そうでもしないと遺臣も動いてはくれぬよ」

【松平家は100万石の加増を要求しました】
>716
丹波国境で警戒を続けていた岡部は、ある日一人の農夫すがたの密使を捕らえた。

岡部「何、これは石田から真田左衛門殿に当てた密書ではないか」

【石田家の密使は捕縛されました】

木下家が軽々しく兵を動かし、若干の損害が出たことについて亀山では軍議が開かれた。
秀康「木下殿、この度の戦は大事な将棋を指すように一手一手に注意を払わねばならぬのだ
   軽々しく兵を出すと全体の士気に関わるゆえ慎んで下されよ・・・」
木下「面目次第もござらぬ。これよりは三河殿の采配に従い軽挙妄動は固く慎む所存」

諸大名は秀康が烈火の如く怒る物だと考えていただけに、木下を懇々と諭す姿を見て
驚きを隠せなかった。「流石は太閤殿下、故江戸大納言のお血筋、いやまことに大気者じゃ」
と、益々信服したという。
この後、信望のある秀康を慕い、次第に兵力は増え始めた。
これは一つには上杉軍の悪逆無道ぶりが盛んに宣伝され、前田利政の旧臣や山陰の豪族が
上杉を嫌ったためでも有る。
兵力は総勢1万3千、
難民を吸収して膨れ上がる門徒を併せれば1万8千の人数となり、今や
・・・天下の一角
といえるほどの勢力を担ったのである。

728石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/04 22:17
石田正澄より徳川秀康殿に密使派遣

宇喜多家所領、差配いたすおつもりがあらば、お味方いただきたい。
729石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/04 22:19
小川・朽木・脇坂・赤座殿に密使派遣

お味方いただければ所領を三倍にいたす用意がございます。
自由に暴れられてはいかがでしょうか。(ね、悪役殿)
730上杉#:04/04/05 00:07
最上領に上陸を試みた松前軍1000。
しかし、皆さんご存知の通り、松前藩が繁栄を謳歌したのはこれより50年先の太平の世にてのことである。
商品作物育成のためのニシンあるいは清国向けの昆布。これらの需要は未だない。さらに流通ルートも開拓されてはいない。

ともあれ、松前軍は上陸した。大半はむりやりつれてきたアイヌたちである。
賢明にも最上は水際作戦を放棄。いったんは弘前に篭った。
二日で半分が逃げ、四日で四分の一となった。
最上が襲い掛かる。松前はなすすべもなく敗北。
逃げることも叶わず捕縛された。
731上杉#:04/04/05 00:23
直江「痴れ物めが、生かしてやった恩を忘れたのか」

直江軍のうち一万がわずか五万石の小大名である伊豆・松平領に侵攻しました。
山国とはいえ、兵の大半がいらっしゃらない土地。あっというまに韮山城は落城いたしました。

732上杉#:04/04/05 00:31
上杉「ぬう、出陣準備の矢先、早くも宇喜多が姫路まで来たか」
兵「石田木工さま、同心とのこと!」
上杉「大義!」
兵「秀鏡さま、幽閉されたとのこと。加賀家は中立を宣言しております」
上杉「サルの血はサルというわけかっ!」
兵「大阪城が爆破されました!」
上杉「・・・」
兵「豊臣600万石総力を結集したらしいっすw」
上杉「うはははは、小大名どもの寄せ集めに英雄気取りのボンクラ大将の組み合わせか、笑わせるわ」
兵「で、どうなさるので?」
上杉「とりあえず、石田木工殿に大和切り取り自由の文じゃ。時間稼ぎの合間にも直江が東国を固めてくれるはずじゃ」
兵「ははー」


733石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 00:32
島津に上方の情報を知らせる使者が複数出た。
情報は島津に伝わり、毛利の援軍として動いていた軍勢に活気が溢れる。
九州、切取り自由を同時に伝える。
734上杉#:04/04/05 00:43
上杉景勝は水原に兵三万を預け、
自身は戦勝報告のため、京に上った。

死亡寸前の院に面会する。
すでに意識はない。
「逆賊秀頼とその母淀を討ち果たして候。これが印でござる」
院「・・・」
そこにあったのは、少年と女性の塩漬けの死体であった。
「姫路におると聞いて折るが?」とたまらず公家の一人が口を挟む。
「これは異なことをおおせられますな。あれは石河なる逆臣が、御身大事ゆえに仕立てた偽者にござる。
 あんなものに頼らねばならぬとは・・・」と上杉は涼しい顔で答え、謁見は終わった。
735石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 00:46
ははは、切取り自由だらけやないか(w

石田家、732の文を受け、大和平定戦開始。
もっとも、当主の(木下・筒井、どっちよ? 頭の方の領地表に従って、木下にするよ)
木下不在もあり、さらに、石田家家臣団には大和大納言の家臣が多く、大和の土豪もかなりな数であった。
それ故、石田になびく家が多数出た。大和平定は、電撃的に終了した。
兵を大和からも動員し、伊賀から美濃に向う石田家大和平定軍であった。

京では、法華宗の保護を高らかに宣言。京の古き町衆の指示を取り付けることに成功。
見せしめのため大文字屋を打ち壊し、貴重な茶器を押収。金銀の多数を軍費に当てた。
一族衆は京より追い出した。これにより、商人からの(自主的w)矢銭献上がかなりなものとなった。
京は完全に石田家の支配下となる。
>731
上杉侵攻を見越した執政本多富正は、兼ねてからの準備の通りに事をすすめた・・・
兵が国境に至るや会議を開き、衆議一決して降伏。
席上交戦を主張した松平家乗・今井兵部は搦手不浄門より叩きだされた。
そして上杉兵来ると見るや、あっさりと韮山城を開城したのである。
直江「三河者にしては、随分とあっさり降伏したものよの、本多」
本多「当主は上方におりまして宇喜多についたそうですが、わたくしどもは預かり知らぬことにて
候えば、一週間前会議にて伊豆は降伏と衆議一決した所存。交戦派の今井兵部と松平残八郎をば叩きだしましてね」
直江「それ以外の家臣は皆降伏か。それでは兵士と松平の妻子を出して貰おうか」
本多「(あわてて)わかりました今すぐ手配いたします」
しばらくして大汗をかいた本多が戻って来た。
本多「あのぅ・・・実はそのぅ・・・今井と松平が荷物をまとめて逃げた時に秀康めの妻子も付いていってしまったみたいですね」
直江「ハァ?!気づかなかったのか?」
本多「いやあその・・・私も無能でして・・・兵士も我々に愛想を付かしたのかみんな逃げてしまいました・・・」
直江「三河武士とは実に弱いものじゃなあ・・・」
本多「困った事に今井は廻船問屋だものですから堺の方へ逃げてしまいました。妻子もくっついていったでしょう・・・」
直江「どういう馬鹿なのだおぬしらは・・・」

【伊豆韮山城開城】
>736は名前入れ忘れますたが漏れでつ

【摂津尼崎】
伊豆を出港した今井兵部の船は、あっけなく尼崎入りし、これより丹波国境笑路を目指して
家乗と秀康の妻子はトボトボと歩いた。余りにもみすぼらしいので誰も松平秀康の妻子とは思わなかったという。

【丹波笑路】
安藤重信「何者だおぬしらは」
松平家乗「ああ、安藤対馬殿か、わしじゃ、残八じゃ」
安藤「もしや・・・その女子供は」
松平「ああ、もう聞いていると思うが伊豆は落ちたゆえ奥方様とお子様をお連れして落ち延びてきた」
安藤「そうだったか!でかした!とりあえず皆様は笑路の門跡様のところでお休み下され」


738さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/05 11:51
洛外某所

九条兼孝  かくかくしかじか
(大意)
・主上の容態は絶望、回復の見込みなし。
・院は上杉に軟禁されている。救出したい。
・新帝を立てて、朝廷の態勢を立て直したいのでよろしく。

勧修寺光豊 何卒御力を……。

新上東門院 この年寄りでよければ……。

新上東門院(勧修寺晴子)
権大納言勧修寺晴右の娘、准大臣晴豊の妹、そして光豊の叔母。
陽光院誠仁親王との妃。御陽成院、智仁親王らの生母。

【主上退位、八条宮登極の内意を持って、勧修寺晴豊が極秘に姫路城の宇喜多侯へ。】
【新上東門院の了解を取り付ける。】
739さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/05 12:20
八条宮邸

九条兼孝  かつては反対致しましたが事ここに至っては言うてはおれませぬ。
智仁親王  ……。
九条兼孝  無論、筋目は仁和寺宮様、されど成人されているとはいえまだお若い。
智仁親王  ……。
九条兼孝  仁和寺宮様を東宮にすれば、反対する声も収まりましょう。
智仁親王  ……。
九条兼孝  伏してお願い申し上げます。
智仁親王  (助けてくれ〜。)

【九条兼孝、八条宮の説得にとりかかる。】
740さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/05 12:45
>>738
訂正 勧修寺晴豊→勧修寺光豊

そのころ 西国某所

花山院忠長 ありゃ……、戦争終わってもうたか。(ぽーん)
飛鳥井雅賢 そうですよね、宇喜多侯にしてみたら戦争どころじゃないし……。それ!(ぽーん)
花山院忠長 っとと、まあこれでとりあえず死なずに済みそうだな。(へろへろ〜)
飛鳥井雅賢 そうですよね、私も妻を娶らずに死にたくありませんもの。(ぽーん)
花山院忠長 ほお〜、いい話があるのか?(ぺし〜ん)
飛鳥井雅賢 父がうるさくて……、二十で一人身でいるつもりかって……。えい(ぱしーん)
花山院忠長 あれ? お前二十……(べし、顔面)
飛鳥井雅賢 だ、大丈夫ですか……。
花山院忠長 い、いえ、お、御心遣いかたじけなく……(こちら十六)
飛鳥井雅賢 ??

【花山院・飛鳥井コンビ、西国にて情報収集あんど蹴鞠。】
741さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/05 13:01
日本各地

烏丸光広  鎮西情勢は安定っと。
松木宗信  四国は不気味な沈黙っと。
徳大寺実久 山陰道は安定っと……、帰るか、いやまだ早いな……。

【各地で武家に接触、情報収集。】
【九条兼孝からの協力要請の書状を持っています。】

松木宗信 従四位下左少将
中御門流松木家の三男坊。

徳大寺実久 従四位上右少将
権大納言花山院定熈の長男。つまり忠長の兄。母方の徳大寺家を継ぐ。妻は織田信長の娘。
742石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 22:20
【京・西陣】
山崎の陣が固まったのを見届け、石田正澄は少数の手勢とともに京に戻っていた。
家臣 殿、例の品、用意できております。
正澄 大儀。見せてみよ。
家臣 ははっ、これに。
赤い錦地に金糸銀糸も絢なる見事な刺繍の旗。そこに描かれるは日月。
また、十六枚の花弁が美しい金の菊が描かれた旗も。
まさしく朝廷の御旗、錦の御旗である。それがつづらに無造作に入れられ、幾十枚と・・・
正澄 あのお方はいかがされておる。
家臣 昨日は興奮を鎮めるため、御酒を召し過ぎられていたようにございます。
正澄 であろうな。わしもあのお方の存在を知らなければ、上杉攻めの先鋒となっておったであろう。
こちらにお連れいたせ。
743石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 22:20
≪しばし後≫
熊沢 おおお、御父殿か。首尾よう進んでおられる様子。見事よ。
正澄 畏れ多いことにございます。そのように過分なるお言葉・・・
熊沢 明日か。ついに、明日なのだな・・・
正澄 然り。明日です。このように平らかにお言葉をいただけるのも、今宵まて。
明日がすべての始まり、そして一つの終わり。
熊沢 ふふふ、酒をもて。御父殿も付き合え。
正澄 ははっ。ありがたき幸せ・・・
熊沢 上杉を征夷大将軍、御父殿を左大臣で間違いないな。
正澄 ははっ。豊臣家と偽朝の討伐の勅をお忘れなく。
熊沢 ぬかりないわ。ささ、もそっと飲め。
正澄 御所はこの西陣といたします。
熊沢 うむ。良かろう。恨み雪ぐにはここからでなくてはならぬわ。
正澄 主上、三種の神器は用意いたしました。
熊沢 どのように・・・
正澄 安徳天皇とともに没した鏡と玉が、吉祥でしょう、浜に打ち上げられこれをまず手に入れました。
剣は主上がお持ちであったはず。これがそうです。(用意されていたものを出す)
良いですか、神宝たる神器は、帝以外、今後目にすることはありません。
つまり、これらが三種の神器ですぞ。
熊沢 だ、大胆な・・・。
正澄 よろしいですか、これが千年後には本物となります。南朝こそが、正しき朝廷なのですぞ。
熊沢 わわ、わ、わかっておる。この剣は我が家が守っていたのだな。
正澄 ささ、御酒をお飲みくだされ。
744石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/05 22:21
【翌日】
雅楽がおごそかにこだまし、この西陣の御所には荘厳にして気高い風が流れていた。
顕官(ともかく上杉、石田の家臣、石田派の旗本、佐竹等々に様々な官位が与えられ、また、貧乏公家どももかなりな数が集められていた)が綺羅星の如く居並ぶ中、
中央の玉座に、熊沢が座った。ここに、後継南朝が成立、再興。
同時に上杉景勝は征夷大将軍、石田正澄は左大臣職就任が宣せられた。
国家の簒奪者たる北朝と豊臣家討伐の綸旨が出され、錦の御旗が上杉、石田らに下賜され、
これにより、石田・上杉勢の立場は一夜にして官軍となった。
745織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:36
【尾張清洲】

筒井家の不出兵による。国境沿いの警戒に徳川遺臣の扇動、そして上杉の蜂起。
清洲城では留守居の百々が病床ながら頑張っていた。

家臣「伊勢松阪の氏家志摩守様、遠江の丹羽備中守様到着なされますた」
百々「うむ」

氏家志摩守行継と丹羽備中守長昌はそれぞれ伊勢松阪城主氏家行広と遠江浜松城主丹羽長重の弟であり両家中でも重要な地位を占めていた。
そして秀信なき後の美濃の小大名の中でも筆頭格の稲葉貞通が加わり秘密会議が行われた。

氏家「当家は筒井に石田に挟まれているゆえ」
丹羽「直江山州は伊豆まで来たり、駿河も時間の問題でしょうな」
稲葉「大垣城に増兵しておるがとてもとても・・・」

百々「さすれぱ皆で降服してしまうかの」
一同、笑う。
746織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:37
百々「まずは筒井をなんとかして伊勢口を固め、残りは美濃口を抑えよう」
氏家「志摩の九鬼にも同心を頼もうぞ」
丹羽「三河や信濃から駿遠への増兵は?」
百々「ほぼ無理じゃな、三河はまだ牢人の蜂起が収まったばかりじゃし信濃の兵は削りたくない」
稲葉「直江も房総を抑えてない分、関東より攻め上ることもないと思うが…」
百々「備中守殿、遠州兵を駿河まで押し出して危うければ退かれよ」
稲葉「そして美濃じゃが、国衆の七割は固いが三割が面従腹背の気がある」
百々「戦後加増の手形を。倍とは言えぬが勝てば欠地が沢山出よう」
氏家「負ければ(にやり)」
百々「知るか(にやり)負ければ不渡り手形よ」

【駿河へ遠州兵3000が増援、前田家留守兵と駿河口を固める】
【美濃衆8000大垣城付近に展開、尾張よりも留守兵を援兵として派遣(大将津田秀政・塩川頼面)】
747織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:39
織田秀信「で、領国には戻らないので?」
加藤清正「景勝めと一戦交えねば血が治まらぬわ!」

里見義康「南蛮造りの船とは凄いものよのう」
正木時茂「これが百艘もあれば天下をとれますぞ」

【諸国連合軍、陸路および海路で姫路城へ入城】
748無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 22:51
【天龍寺】

石田正澄が熊沢天皇を擁立し、後南朝を開いたという話は
またたく間に洛中に広がっていた。
政治にかかわらぬことを建前とする寺社でも、今回のことは
さすがに皆驚きの色を隠せず、堂内もその話題で持ちきりであった。

修行中の若僧に助けられた老人は、徐々にではあるが容体を回復し、
食ものどを通るようになった。

「なにやら房内の僧ども騒がしきようであるが、何事ぞ?」
その老人は若い僧に尋ねた。すると僧は、
「なんでも、石田様という武家が、新しき帝を吉野より擁立し、
上杉殿に征夷大将軍の宣下が出されたとのことで、その話で
朝から大騒ぎです。」と答えた。
「何?石田、上杉が新帝を奉じた?それはまことか?」
解せないといった顔つきで、老人は問い返した。
「はあ・・・。あくまでも噂ですので・・・。」
僧の答えもややあいまいなものであった。
「・・・・・・。」老人は黙り、しばし目を閉じた後、
「そこもとには命を助けてもらい、恩は海より深い。感謝いたす。
命からがら大覚寺から出てきたかいがあったというものよ。」
「大覚寺?」僧はいまいちぴんと来なかった。上杉公が院の警護を
しているとだけは、近くの寺だけあって聞いてはいたが・・。
「大覚寺からとは?上杉様の家中の方でしたか?」
「貴殿の寺の住持を呼べ。されば話も分かろう。」
口の利き方を知らない老人だなと思いつつも、僧はその求めに応じ、
住持のおわす塔頭へ向かい、老人のいる広間を出て行った。
749織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 22:59
【伊勢安濃津城】
中坊というケチな老人が失脚したあと井戸若狭守という男が筆頭家臣となった。
母が筒井順慶の姉にあたり筒井定次・筒井定慶とは従兄弟である。

井戸「大殿、どちらに転んでもいい面はできませぬが片方とはまだ戦はしてませぬ」
定次「しかし、のぅ」
家臣「取り込み中失礼いたします。松阪の氏家様から使者が…」
井戸「来たか・・・」

定次「おぬしはっ・・・」
井戸「父上!?」

使者として井戸若狭守覚弘の父である井戸若狭守良弘がそこにいた。
表記上非常に紛らわしいので後者を里夕斎と斎号で表記する。
彼は筒井家に仕えていたが故あって関ヶ原直前には細川家に仕えていた。
藤孝の下で田辺城に篭った後は藤孝と共に配流されていたはずだが・・・
750織田秀信 ◆TytvlYFY12 :04/04/05 23:02
里夕斎「氏家内膳の使いで参りました」
井戸「氏家様は関白に同心せよと?」
里夕斎「いえ、上杉・石田に肩を貸さないようにと」
定次「それによって余はどのような得をするのじゃ?」
里夕斎「天下を見わたすお立場になりましょう」
井戸「!!!」
定次「何故じゃ」
井戸「上杉に降っても良くて現状安堵、しかし上杉が滅んだあかつきには頭を取る大老が残っていません」
定次「なるほど。関白は死に体、毛利は幼少、宇喜多ではまとまらぬ。か。面白い」
井戸「大殿・・・」
定次「氏家に伝えよ、伊勢一国に大和か伊賀を認めるなら考えよう」
里夕斎「………わかりました。戻って報告いたします」
定次「里夕斎、上杉に虚仮にされた分は晴らすつもりだ」
751無名武将@お腹せっぷく:04/04/05 23:09
【天龍寺】

若い僧は住持のいる塔頭に向かった。
「老師にお目通り願いたいという客人がおりますが」
塔頭はきれいに掃き清められ、墨染の衣をまとい、齢六十を
過ぎてはいたが、眼の奥に鋭い光をたたえ、背筋をぴんと張り、
とてもその年齢には見えない風貌の人であった。
「して、客人は?」
「坊の一室におわします。」
樫の木でできた杖を右手に住持は、老人のいる一間へ向かった。
襖を開け、「失礼いたす。」と言って、住持は老人の姿を見るなり、
眼を大きく見開き、驚いた。
「な、なぜあなた様がこのような粗末な坊へ・・・・。」
「これ、何をしておる、この方はな、」
「まあ、まあ。」老人は住持を制した。
752上杉#:04/04/05 23:54
上杉「期せずして将軍位などというものを拝領したわ」
水原「当家は尊皇の志篤い家柄だったはずですが・・・」
上杉「かわらんことよ。足利尊氏公の例もある。双方から官位を頂いたところでなんの不具合があろうか」
水原「・・・御意」
上杉「これで石田の裏切りを心配する必要はないな。だが、筒井のせいで余は大坂でますます恨まれる存在とあいなった。
   そろそろ決着を付けるときだな」
水原「大谷公の領地は狭いですな(にやり」
上杉「うむ。人は多いがな」
753上杉#:04/04/05 23:59
その2
上杉「ところで公家はどの程度参列した?」
水原「貧しき者共がほとんどでしたな。大半は理由をつけて欠席したとのこと」
上杉「市中の警邏を強化せよ。来なかった公家は見つけ次第捕縛せよ。大逆のかどでな」
水原「・・・御意」
上杉「畿内の支配者が誰なのかわからせてやろう。新時代の到来を天下万民に示す好機じゃ」
【10すれ以内に京の公家を捕縛します。逃げるなら今w】
754無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 00:23
【天龍寺】

「わけあって、このようなみずぼらしき姿を晒すことを許せ。」
「何をおっしゃられ遊ばしまするか。かようなぼろ寺でよろしければ
ごゆるりと・・。」
「京は上杉に将軍宣下があったという事はまことなるや?」
「噂にござりまするが、新帝を吉野よりお迎え奉り、石田木工頭を
左府に、上杉侯を将軍に推したとのことが京童の口の端に上っています。」
「???・・・・!」
老人は事態が一瞬飲み込めなかった。
「上杉め・・・。石田を抱くとは、ほう・・・。ときに、住持、この文を
貴殿に託したい。仁和寺宮と、八条宮にそれぞれ、くれぐれも内密にな。」
それと、京をふたたび兵火に巻き込めぬようにせねば。」
「私ごときがそのような大役を、辞退いたしとうござります。」
「表立って動いては都合が悪い。その点、貴殿なら、僧形ゆえ、寺に入るに
も差しさわりがなくよろしい。」
「はあ・・・。」

老人が住持に託した密書とは、次のようなものであった。

「洛中を再度兵火に巻き込むはまかりならず。三州、武蔵、すなわち
新帝と称する偽者を担ぎ上げ、海内を恣にせんとする者を討つべし。
                             御名」

院の密勅が、仁和寺宮と八条宮を通じ、織田家、浮田家にもたらされた。
(ということにしてくださいw)
洛中の堂上地下、百姓に対しては、戒厳を布く。洛外への出入りを禁ず。

【洛中は禁裏により、「戒厳令」布告(w】   

755石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/06 01:11
【京】
布告 本日をもって改元し、本年を『正道』元年といたす。

布告 これより偽朝より下された官職はすべて無効とし、偽朝に出仕することを禁ずる。
これに背いたる者は、天により罰せられる。財のすべてを没収する。

布告 偽朝より下されていた官職と同等の官職を、願う者に与えることとする。
望む者は、京都奉行に申し入れること。追って沙汰を下すものなり。

布告 公家領、744に参列しなかった者については没収。新帝のものとする。

復興なった旧御所を取り壊し、西陣の新御所の材として用いる石田の手の者。
上級公家の屋敷地を次々と没収。744に参列した公家に分け与える。

上杉公に使者
大坂の金銀、京の町衆・公家衆に撒きたく、適当な量をいただきたい。
伊豆の上杉軍は、特になんの抵抗もなく伊豆国を平定したが、その直後から
酷い目にあった。なんと食料がなくなったのである。

直江「どうしたのじゃ、何故食料が来ぬ!わしら三日も何もくうてはおらぬ!」
上杉兵「それがその・・・伊豆国境で山賊に皆兵糧を奪われてしまうので」
直江「山賊ごときにやられるのか!完全武装で護衛しろ!」
上杉兵「武装していても、やられます・・・相手は徳川遺臣です・・」

伊豆へ上杉の兵糧が来ると、峠に大量の浪人が現れるというのだ。
「そこな兵糧車止まれ。我々は徳川三河家臣で兵糧改め役長谷川修理である。人呼んで鬼の修理とはワシの事じゃ。神妙に致せ」
「同じく家臣桑原三十郎だぁ。おめえらそんな格好で護衛しているつもりとは可愛いもんだなぁ・・・オレは斬るぞ、斬られりゃあ痛いぞ・・・」
「同じく家臣津金陣兵衛胤久。おまえら関東で散々悪さをしてかっぱらってきた兵糧だろ?みんなそこへ置いていってもいいあじゃん」

そして、護衛は討たれ、兵糧は奪われるのだという。
上杉兵は次々に逃亡しはじめた・・・徳川遺臣のゲリラは苛酷である。
直江は本多富正を問い詰めたが本多はボケているので全く話にならず、山狩りをやっても地理不案内な上杉兵を
翻弄するかのように遺臣達は姿を消した。

伊豆の上杉兵5万は、もはや役立たずであった・・・
757上杉#:04/04/06 07:53
直江「なくならねぇよW」
兵「は?」
直江「いや、こっちの話じゃ。それにしても伊豆は狭いのう。謀反人を次々捕らえられるわい」
兵「まこと」
直江「伊豆、箱根の要害化を進めよ。宇喜多が残した徳川金をいくらでも使え。鹿野川と山中城を重点にな」
758上杉#:04/04/06 16:44
かつて徳川に恐れをなした相模の大守蜂須賀が上杉に同心したのは言うまでもない
759石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/06 22:05
伊豆・上杉家の陣

蹴鞠ポーン、ゴホゴホ

蹴鞠じじいこと、今川氏真である。西陣の帝に頼まれてのう・・・。
今川旧臣をまとめつつ東海道を下ってまいった。
見知ったる北条旧臣にも連絡を取ったによって、関東・東海であばれさせてくだされ。
歴史浅き徳川旧臣の数なぞ知れておる。
(三河時代の数倍となった東海の太守時代、さらに倍の関東の主。もとの本来の家臣は一部)
直江と申したな、小僧。関東・東海、この者どもとともにまとめよ。
【今や飛ぶ鳥を落とす勢いの今川公、南朝にお味方(w】
760無名武将@お腹せっぷく:04/04/06 22:08
じじいそれこそいつの時代なんだよ書けば官軍じゃねえんだよ
武蔵某所

松平家信「直江山城は伊豆で引きこもりになったのか」
近藤五郎「そうみてぇだな。あいつもココ(頭)が足りねえ抜け作だあよ。なんだって伊豆なんかに5万も連れて行くかなあ」
松平「今頃ウツダシノーとでもいうておるであろうよ。長谷川・桑原・津金の三匹も良く働いておるわい」
近藤「あとはおらたちががんがりゃあ、飢え過ぎだかした過ぎだかしらねえ東北の山猿は野垂れ死にだぁ。
    純之助、逝くぞ」
声をかけられて青年はニヤリと笑った。近藤純之助、元は毛利派の長である。
純「父さん。これからですね、僕達の力を見せるのは」
近藤「ああ、まずは荷駄をおそうべえか」

【武蔵国で近藤親子に率いられた徳川遺臣が上杉軍の荷駄を襲撃中】

松平「・・・・もう一つやることがある。今川なる爺を切り捨てる。あれは故安国院様が敵である」

【今川氏真を仕事人が付け狙い始めました】
762石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/06 22:43
>760
そう文句を言うな・・。
今川の臣の多くが徳川の臣となった如く、落ち目の大名家からは心は離れておるよ。
ほとんどが様々な大名家に仕え、大多数は関東を治める宇喜多の家臣となっていよう。
宇喜多が内政もしておったこと、キチンと書いておる。
関ヶ原からはもう数年が経過しておる。武士も食わねば死ぬ。死なぬためには仕官しておるよ。
まあ、文句を書くより否定するネタを気楽に書いて楽しめ。
763 ◆zAnbFVoD9M :04/04/07 01:03
うっひゃひゃひゃw。もー目茶目茶やん。話的には「関白あぼーんにより政権が内部
崩壊、戦国逆戻りえんど」で終わってもいいかもしれん。
・・・つーか豊臣守るべき石田が上杉につくとなると大谷小西が連動して・・・もうわけ
わからんなw。

【越前】

豊臣秀秋遺臣達はとりあえず両家(宇喜多、上杉)と距離を置くべく越前に兵を戻した。
加賀越中は既に四将の命ずるままに動ける(そもそもそう仕向けたのは他ならない関白
だったが。そもそも彼は激務の為松野とともに大阪にでずっぱりで全て任せきりにしてい
た。・・・ただし、既に薬で精神に歪みが生じてた秀秋があえてそうしむけたふしもある)し
越前等畿内の将兵は何れかにつくために大阪へ、あるいは播磨(だったっけ?)へ向かい
東へのフォローができないためである。とりあえずの防衛として越前の城を借り受け(関白
直参の将兵、しかも隣国の将なのでまぁ大丈夫だろ)丹波から抜けてきた難民の救助に
力を注ぐことにした。・・・莫大な糧秣があるからこその偽善である。無論現状把握の為で
もあった。

脇坂  「三隻の南蛮舟。一隻は安芸で炎上(織田さんだったっけ。松野は上陸した時点
     で燃やしてしまってるよ)一隻は大阪で上杉が捕獲。そして我が船が若狭湾に」
朽木  「秀鏡殿は大阪へ戻れただろうかのう(上杉さんわしら別に関白幽閉なんてして
     ねっすよ)」
小川  「朝廷は読めぬな。権威がどれかも掴めぬほど状態が泥沼じゃ」
赤座  「錦の御旗が両方に。太閤秀頼と関白秀鏡。大老宇喜多と大老上杉。それぞれ
     につくであろう織田徳川と石田小西大谷・・・」
脇坂  「我が軍はどちらにとってもきつい兵(約5〜6万)。手を取り合って叩きに来るとも
     思えぬ。一方的になれば勝ち馬に乗る。こう着状態ならば・・・」

津軽遺臣、塙、御子神、初鹿野といった者が情報収集に飛び回る。今の状態どちらにも
つけぬ。
【関白遺臣軍、自領前で静かに時を待つ】
764さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:06
後南朝の擁立……。
それは最早過去の亡霊ですらない。ただ歴史の中においてのみ語られるもの。
ましてや南朝の忠臣でもない。おのが野望の為に歴史の歯車を引き戻す道具として。
京の民は、いやこの国全てがその行為を憎んだ。
彼らはこの国の民として、決してやってはならない事をやったのだから。
一時は勢いのあったその軍勢も、少しずつその数を減らしていった。
彼らの末路は、平将門……。

【偽帝擁立、官位僭称などにより、賊軍は完全に支持を失う。】
【上杉、石田ら、官軍どころか開闢以来の大悪人に。】
【彼らの協力者も次々と離反、その勢いは目に見えて衰えている。】
765さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:08
八条宮邸

どかどか

九条兼孝  何事? おお、幸家か。
九条幸家  宮様、父上、大事ですぞ!
(かくかくしかじか)
智仁親王  な、な、何〜……。
九条兼孝  武力を背景に皇位のすげ替え、いや、皇朝交代やな。信じられん事をするの。
九条幸家  何を呑気な……。
猪熊教利  とにかくここは危険です。洛外へ……。

【智仁親王、九条兼孝、逃亡。猪熊が案内するため発見はほぼ不可能。】
766さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:20
追加

そこへ>>754に遭遇。

智仁親王  ふむ。
九条兼孝  我らも勧修寺を追いかけましょう。

智仁親王  (う〜む、院は無事なのか?)
767さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 11:34
洛北・西園寺家別邸

西園寺実益 くっ……。
花山院定熈 阿呆な事をする。
西園寺実純 やはり……、気が触れておったのかの。

大覚寺門前

近衛前久  輝虎……、そなた誠に毘沙門天ならば、そなたの不義不忠の世継ぎを打ち殺したまえ。

【近衛・西園寺ら親上杉派公家、完全に手切れ。】
768さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 12:00
仁和寺

二条昭実  宮様、ここは大覚寺の上杉軍とあまりに近こうございます。とりあえず醍醐寺へ。
良仁親王  この院宣はどうするのじゃ?
二条昭実  今はとりあえず宮様のお身体が大事です。

【仁和寺宮、二条昭実、御土居を迂回して洛東醍醐寺へ入る。】

禁裏・仮御所

「旧」御所解体の布告が出されていたが、誰も壊しに来るやつはいなかった。
当然である。誰もそんな事を進んでやりたくない。
石田家臣とて、主君(?)のばさら趣味に付き合い切れないものを感じている。

鷹司信房  で、偽帝の方に参列した不埒者どもは?
広橋兼勝  公卿は言うに及ばず、堂上で行った者はおりませぬ。
鷹司信房  ただ地下で貧しい者らが加わっただけじゃな?
広橋兼勝  左様。地下でも小槻、壬生ら大物は行かなんだようで。
鷹司信房  やれやれ、事が済んだら地下の待遇改善でも考えねばな。
広橋兼勝  はあ?
鷹司信房  とりあえずここは引き払うぞ。

【堂上衆は御所から退避。】

そのころ相国寺

僧侶   こちらの御方は……、あれ?

【重体の主上の姿が消える?】
769さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 13:17
時間は少し遡る

九条幸家  では最後じゃ。これを伏見宮の叔父上へ。
かぶき者  お任せあれ。
九条幸家  ふう、しかし大丈夫なのかな?
猪熊教利  ご安心を。このような戦の時、山伏や高野聖らはかえって怪しまれるもの。
九条幸家  そこまで言うなら信用しよう。さ、こうしてはおれん、すぐに父上のところへ。

豆知識

伏見宮邦房親王 二品中務卿
幸家の祖母(つまり二条四兄弟の母、こいつら同母兄弟らしい)は伏見宮家出身。
後に摂家と宮家の関係は悪化していくが、このころはそうでもない。

【九条幸家、散々書状をばら撒いてから退京。】
【多くの者が偽帝政権に非協力的なので、書状が押さえられる可能性は低い。】

というか押さえられてもあまり問題はないか。
770さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 13:46
……数日後

豊後臼杵

烏丸光広  あ!

鳥取

徳大寺実久 い?

道後温泉

松木宗信  う……。

備後鞆

花山院忠長 え?

姫路

大炊御門頼国 おお〜……ってこうしてはおれん、勧修寺殿も来られたことやし……。

【勧修寺光豊、姫路城に入る。(なお大坂付近で足止めを食っていた土御門久脩を拾って同行)。】
【宇喜多殿、石河殿、他姫路の諸侯方、たのんまっせ。】

西国の大名に院宣、八条宮綸旨、仁和寺宮綸旨が飛び交う。
それぞれが独自に出されたものだが、少なくとも目的は一致していた。
石田の暴挙は、結果として朝廷を一つにした。

【西国諸侯へ院宣、綸旨。】
【内容、洛中にはびこる賊徒畜生どもを討ち果たすべし。】
771さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 14:27
あと、特記事項は……。

>>結城秀康殿へ書状

仁和寺での日々から幾許も経たぬ内、再び洛中は無法者の手に渡った。
今ひとたび義兄殿の御力をお借りしたく候。
義兄殿の如きまことの人こそ洛中を守護するにふさわしく。
心強く思いて候。

ゆうきりの 雫をあつめ 菊の花
……

結城前宰相殿

     式部卿智仁親王(花押)

>>織田秀信殿

貴公の祖父、余が岳父故相国は戦国の世に廃れし朝儀を復興せる大忠臣也。
戦国を終わらせるは相国が願いにて。
余も朝臣として、上杉石田ら逆賊と戦いたく候。
くれぐれも御力添え願いたく候。

織田中納言殿
      
       前左大臣 藤原昭実(花押)
772さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 14:45
>>771
訂正
直筆に「親王」って書くわけねえな。

ある日、石田勢陣所付近に多くの高札が立てられた。

「洛中の『賊軍』将兵に告ぐ。」

今からでも遅くないから官軍へ投降せよ。
抵抗する者は全部逆賊であるから斬殺する。
お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ。

無論すぐに撤去されたが、将兵の動揺は計り知れず、賊軍から逃亡する兵は後を立たなかった。
さ た け な に あ つ く な っ て ん だ
774さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/07 15:13
えらく移動と情報伝達が速いように思われるかも知れませんが、一応説明すると。
石田軍が「偽帝」擁立と洛中の鎮撫(?)にそれなりに時間をかけていると推定されるため、
それと同時進行で、公家衆が書状を書きまくり、あまつさえ荷物をまとめることは可能でしょう。
てなわけで、現時点で西国の公達衆へ書状が渡っているものとします。
あと、一応密書ですが、別にばれても構わんのでかなりの数が書かれています。
全部押さえるのはまず不可能。てか捕り方も民衆も非協力的のはず。
775石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/07 22:28
まてまて、それほど、武家は忠臣揃いでもないし歴史を知ってもおらんよ。
それにな、西陣南帝の死から、まだ100年と経過してはおらぬ。
明治天皇すら南朝が正統と認めたほど、南朝の正当性はある。
密書はバンバン出してください。南朝こそ正しき皇統ですんで(w
大明に攻め入る命令ほどには、武将の心が離れるとも思えぬわい。
この時代、人はかなり利により動いておるし、命に従う。
少し前まで、御所は壁の修理もできぬ有様よ。

あとな、高札を音もなく立てられるとは思わぬ方が良い。
以前、宇喜多の本陣前に立てたうつけもおったが、咎められぬわけがないわさ。
陣の周囲、この状態で無警戒な武家、どこにおるか。
もそっと楽しめ。遊びぞ、遊び。
増田公のシステム化は、ネタへの文句の応酬を避けるためであったとワシは思うておる。
またいつか、増田公と戦国板で遊びたいものよ。

【石田家】
大徳寺にて石田三成の葬儀のお知らせ。
諸将に参列の呼びかけが(w
(弟は、わしが毒を飲ませた。誰にも知られておらんがな、くけーっけっけっけっけっ)
木工、いや左府よ、大儀であった。
777石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/07 23:09
ふひゃひゃ、誰か知らんが任せる。
無責任に逃げるなよ。石田の死後もやり通せ。
776、石田は西陣南帝として認めます。
これ、木工、いや左府よ、死後とはいかに?
まずは新帝として宣旨を出す。皆の者、従うべし。

わが理想は百姓昭明、協和万邦。皇道楽土、海内安穏。
よって、まず国教を神道と定め、それ以外の信仰は法度とする。

779石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/07 23:42
>>778
後醍醐帝を顧るまでもなく、帝室と仏の教えとは深きつながりあります。
また、下々が仏の教えを信じていることもあり、778の沙汰は後々に時が満ちてから発布いたしましょう。
>>779
何も仏を信じるなというているのではない。
わが皇祖皇宗は国を高天原に肇め給いし時、八百万の神々の
加護を得た。それゆえ、神道を最上のものとするは当然のこと。
 もちろん、仏の道を尊重しつつも、あくまで国の基は神道に
よってこれを決めるというだけのことじゃ。心配するな。
即位に際し、以下の三か条を発布する。
一、神道に従い、万機は公論によって決すべし。
一、位階は廃止し、天皇以外はこれをすべて対等の地位とす。
一、位階に変わり、五つの爵位を西洋の例に倣い、設ける。
  すなわち大公爵、公爵、伯爵、子爵、男爵。現下の大名小名は
  すべていずれかの位階を授ける。
                             御名御璽
782石田正澄 ◆SCk4/SqenA :04/04/08 00:20
神道を根幹にしていながら、なぜに南蛮の(この時期に確立していたのだろうか?)の位を?
781については、しばし日の本に即しているかを調べた上といたしたく。

>>782
左府よ、どうだ、俺の案は?
酒が入っているとどんどん思いつくぞ。はははは。
もっとも、もし今言ったことを断行すれば、われらはたちまち
斬首ものさ。
 人心を得られるよう、政を進めていくためには是が非でも、そちが
不可欠。一切は任せる。
【丹波亀山】

秀康はじっくりと兵を練り、難民を救済し、柵を並べていた。
その間にめまぐるしく変わる各地の情勢を調べ、どのような動きを取るのか考えている・・・
秀康の前には伊豆中老・町奉行、松平家乗と笑路本願寺執事・安藤対馬法橋重信が居る。

秀康「残八郎よ、良くやってくれた。伊豆で直江5万の兵が釘付けになったか、本多のタヌキもようやっておるわい」
家乗「ありがたいことに今井宗薫様が船を仕立ててくださりまして、道中なんの心配もござりませなんだ」
秀康「駒子(秀康の妻)も子供もみな元気で安堵したわい。しかしそちがお千まで連れてくるとはおもわなんだ」
家乗「お雛様のように愛らしい姫様を、奥州の山猿の手などにむざむざとくれてやるわけにはいきませんからね」
秀康「そんなに可愛いかな?尼寺から抜け出してきたから髪が尼そぎ※になっているから可愛くみえるだけなんじゃないの」
安藤対馬法橋重信「いや拙者から見ても姫様は可愛いですよ」
秀康「・・・幾ら可愛いからといって小娘の話で熱くなるでない!」
安藤「殿さん殿さん!あんたがいうたんやないか」

※子供の髪型。要はシャギーの入ったオカッパです。
785さる公家 ◆in6S5TZA4c :04/04/08 09:17
公家衆の撤収完了。
あと気掛かりは、天竜寺のあの御方。

【上杉石田らとその一族の官位剥奪。】
【偽帝の布告はこれを一切無視。】

>>775
一応反論など。

>>武家は忠臣揃いでもない
織田相国と豊太閤は、少なくとも表向きは大忠臣。
彼らの朝威厳復興政策で、この時代の多くの人々は、素直に朝廷に尊崇の念を持っています。
この時代は戦国の世でもなければ、幕府もないのです。

>>西陣南帝の死から、まだ100年と経過してはおらぬ
??
小倉宮はどう贔屓目に見ても即位してませんが。

>>明治天皇すら南朝が正統と認めたほど
つまり、それ以前は南朝は正統と認められていない、忘れられた存在だったのです。
人々が南朝を意識し始めるのは、少なくとも徳川光圀以降でしょう。

もう「御所は壁の修理もできぬ有様」という時代は過去のものです。
786 ◆zAnbFVoD9M :04/04/08 22:07
ある意味書いたもん勝ちな場所なので南朝が良しならそれでもいいけどね。
お互い引かなきゃ進まなくなるのは前回の教訓。
どっちの意見も正論になるし。そーゆー世界やし。否定して話が止まるくらいなら
次の手を進めたほうが流れる。
子供の喧嘩にならないでくれればそれでいいさ。権力持とうがあっさり覆される
のも覚悟してたほうが良し。
>>775
・・・おれはあれはパス。
【越前】

情報の錯綜が続く中。整理する暇がある分北陸路は平穏なのかもしれない。奥州で
の毛利が仕掛けた徳川残党の反乱は文字通り一人残らず駆逐された。ついで蝦夷
より松前軍が最上領に来襲も守将の守りで突破ならずとも撃破されたとも。
関東では直江山城が伊豆を拠点として防備を固めた。食料などで一部徳川残党に
よるゲリラが多発。イタチゴッコが続いているらしい。両名とも痛み分けと見る。
信州は豊臣シンパの拠点(石河、真田)。東海道を今川が兵を集めつつ進行中。
ただし徳川も黙っているわけではなく(あのおっさんの能力考えるに)被害甚大か。
近畿は上杉が固めるも土地勘ないのが不安。豊臣領だったので城の外は敵しか
いないという笑えない展開もある。どれだけ南についたかは未知数。播磨あたりで
宇喜多(徳川織田)主力の大軍、大阪上杉軍(東北諸大名含む)と対峙。
中国毛利は壊滅、四国長宗我部動きなし。小西大谷北九州にいるも身動きできず
か。毛利(後藤)によって立花滅亡も毛利に鍋島が来襲。後藤家滅亡、島津動きな
し。北陸(旧秀秋軍)も動きなし。
脇坂  「情勢が不透明。何れにせよ両軍ともに兵力が多すぎる。一度戦わないと
     この状態はかわらんかもな」

【無理やりまとめてみる】
【丹波亀山】

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安藤「松平殿、これは綸旨にござる」
秀康「なんと、畏きこと・・・」(押し頂いてから読む)
松平家乗「して、なんと」
秀康「(感激して泣きながら)わしに京都の守りを頼むとある。なんとかしなければならぬなあ」
秀康「・・・綸旨を頂いた以上ぐずぐずはしては居れぬ」

松平秀康は亀山から矢継ぎ早に命令を下した。

・近江国友2万石野村直隆、近江国内にて1万7千石樋口雅兼に書状を送り協力を要請。
・大和の小大名たちに書状を送る。
・紀伊平井1万石鈴木重朝(雑賀孫市)に協力を要請。
・摂津の小大名を味方に付けるべく説得を行う。
・丹波衆(小野木・谷・生熊・別所・高田)らに近江大溝を攻めさせる。
この軍は谷出羽守衛友が率いる。総勢2000。

秀康は丹波衆を集め、協力を要請した。
秀康「丹波の国の方々よ、よう集まって下された。ご存知の通り近江石田家は太閤様の
股肱三成殿の家で、忠義の家であったが、弟を妬む極悪非道の正継なるもの、
弟御を謀殺し(注:ウソ)、御家を乗っ取ったうえ、太閤様の恩義を忘れ秀頼様をないがしろにし、
あまつさえ偽の帝を押し立て民衆を苦しめておる。」
谷「(涙を流しながら)なんということじゃ!とても人とは思えぬふるまい」
秀康「そこでじゃ、おのおの方には近江湖西辺りでしばらく戦っていただきたい。何も主力とぶちあたることはない、
後方を撹乱するだけで良い。というより敵が来たら逃げ、敵が去ればまた戦うというようにやっていただけないだろうか」
高田豊後守「しっかと承った!湖西の北から琵琶湖の南まで、もちろんこの高田豊後が荒らしまわってご覧にいれますぞ!」
秀康「さすがは行商で鍛えた豊後殿、いうことが大きいことよ。上杉石田の逆賊を滅ぼした暁には、存分に領地をいただけるよう
拙者が取り計らうゆえ、よろしくお頼みもうす」

・・・無論、谷衛友と高田豊後にはあらかじめ金銭を与え軍議の席で威勢の良い発言をするように頼んでいる。
二人の大名がやる気なのを見て、他の三者も目の色変えて従軍を申し出る。
【近江大溝城】

「厭離穢土欣求浄土」
「進者往生極楽退者無間地獄」
徳川と本願寺の旗を靡かせながら、谷出羽率いる2千の兵は近江へ入った。
谷出羽の子・谷衛利はニヤニヤしながら馬を乗り回している。
谷出羽「そちはそれほど嫁殿が好きかね」
衛利「それはつれて来てしまったくらいですからね」
谷衛利の妻遼子「ハハハ、こちの人としたら」
家臣・山田朝右衛門「・・・若殿にはいやはや呆れましたな、のろけながら戦とは」

余談ながら、この一族、実は揃いも揃って猛将ぞろいであった。
谷出羽守は加藤清正を押さえつけた大力を持ち、秀吉に従って三木城攻めで活躍した
猛将であるし、衛利・山田は居合い抜きの名手であった。妻の田村氏(遼子)も大力で鳴らした大女である。

大溝へ入った谷出羽は目を丸くした。城に兵士が居ないのである。
谷出羽「これはまたどうしたことじゃ・・まあよい、この城結城前宰相が内、谷出羽守衛友が落としたり。ホレ朝よ、旗を立てよ」
朝右衛門「ははッ」

谷家のアゲハチョウの紋が大溝に翻った。なお、近江では朽木城を小野木氏が、宇佐山城を別所吉治(重宗の子)が攻略。
近江湖西はほぼ松平氏の勢力下に入った。又、これを見た近江国友2万石野村直隆、芦浦観音寺4万石観音寺詮舜、
甲賀9千石山岡道阿彌といった小大名は松平に同調し、石田家は関ヶ原前の石田三成領17万石を確保するに止まった。
しかしこれら小大名は全部合わせても4千という小兵力であり、エアーポケットのようになった近江を部分的に制圧したに
過ぎなかった。しかし秀康はこれを存分に利用する・・・
秀康、大溝の谷からの知らせを受け、各地に書状を発する。

羽柴秀秋家臣朽木宛
「朽木殿の旧領は我が兵が只今占拠しております。
羽柴家の兵を説得し旧領へ御帰還のほどを。城を預かる小野木にこの書状を見せれば
旧領朽木3万石お返し申し上げます。近江は既に拙者の手に落ち上杉石田は滅ぶ事必定。
そのまま羽柴兵が大津より京へ攻め込めば一番手柄間違いなし、早急に兵を動かし下さい
秀康花押」

宇喜多宛
「当方の兵は既に近江を平定致し候、後は山崎に残る逆賊を平定するのみ、
姫路より兵を動かせば勝利は目前でございます。
なお当方の所領きぼんの件、当分は棚上げと致します。今は逆賊を平定する事に力を注ぎましょう
秀康花押」

式部卿智仁親王宛
「既に義兵を諸侯に発せしめ、近江を平定いたしましたゆえ、逆賊を平げる日は近い
と思われます。いましばらくお待ち下されたく」

筒井家中井戸若狭守覚弘宛
「逆賊は民衆の支持もなく、もはや山崎に少数の兵を遺すのみ。
当方は近江平定致し候、甲賀も既に我が方につきました。早く旗幟を鮮明にされることを望みます」