【権六】 柴 田 勝 家 【修理亮】

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1権六ちゃん
秀吉によって封印されてしまった彼の業績を語り合おう。
俺の車を修理してくれ
3無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 19:43
やだぷ
贓物晒し出し切腹シーン動画キボンヌ
福井出身ですけど最近朝倉より柴田勝家のほうがメジャーになりつつある
どうも良いイメージが無いのは秀吉の所為なのか?
7権六ちゃん:03/10/02 19:52
>5
そうなんだー。

利家と松のときの勝家はかっこよかったね。
8無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 20:18
しずがたけは モリマサがいう事聞いていれば勝てたかな
9あぼーん:あぼーん
あぼーん
10あぼーん:あぼーん
あぼーん
11無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 23:48
ageてみるか…
頭が悪かったのが哀れ
13無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 00:07
そんなことないだろ
秀吉が悪人に仕立て上げたんだろ
14無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 00:09
ヽ川σ_σ||ノミュン
15柴田理恵:03/10/03 00:10
あたいを呼んだ?
草加は(・∀・)カエレ
17無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 00:48
>>13同意
初期の頃から偉い人だったから、頑固と言うかなんと言うか、
多少偏った面は有っただろうが、それほど意地悪だったとは思えんね。
・・・そう思うと権力者による史実の歪曲って怖い。
18無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 01:03
信長の野望でも 出るたびに政治力とかあがってきてるしね。
それに 馬鹿だったら信長に重用はされないだろう。
げっゴキブリっ!
20無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 20:46
北陸征伐軍の司令官だよね 与力は前田利家・佐々成政等か結構凄い面子が下にいたんだな 相手が謙信だからかなやっぱり
21無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 20:47
Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)エッナニナニ?
22無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 20:54
修理亮って何?
スレ違いだが、魔界倶楽部の柴田勝頼って関係あんのかな?
元新日のおやじも柴田勝久だし・・・
24無名武将@お腹せっぷく:03/10/03 21:13
>>22
官位だろ

>>23
気になるなw
25無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 02:23
本能寺の変の時の勝家は何万石?
26無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 02:27
>>25
120くらいじゃん?前田、佐々も加えれば
27無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 02:32
いや 勝家だけだったら
28無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 02:47
47万石だっけ?
29無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 03:16
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30無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 05:09
甕だっけか?割ったっていう詳しいエピソードキボン。
31無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 06:52
観音寺城に篭城してる時に援軍が来なくて 兵糧も尽きた時に
最後の水甕を割って「もう兵糧は尽きた。敵陣を強行突破だ!!」
と兵の指揮を上げ 城から脱出。

こんな話しだった気がする。
32無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 19:59
歴史にもしもは無いがもし謙信が急死しなかったら勝家等だけで上杉軍と戦えたんだろうか?
33無名武将@お腹せっぷく:03/10/04 20:25
無理じゃん。
一向一揆も沈静化してないし手取り川では負けてるし。
のぶなが自ら出張ってきて総力戦じゃないかな。
>>32
余裕だろ。
謙信はいい時期に死んだ。
おかげで名声に傷がつかなくてすんだ。
>>34
確かにそうかもね。

俺は勝家にしずがたけで買って欲しかった…
36あぼーん:あぼーん
あぼーん
37あぼーん:あぼーん
あぼーん
38無名武将@お腹せっぷく:03/10/05 20:51
勝家達だけで謙信に勝てるとはとても思われないと思われ
39あぼーん:あぼーん
あぼーん
秀吉sだけで毛利にも勝てないと思われ
北の庄城は名城です。
42無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 00:29
>>41
とっくの昔になくなりましたが
43無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 19:32
しゅりのすけって、信長が後継いだとき歯向かわなかったっけ?
弟を担いで。
44無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 19:41
>>43
今さら何を・・・虚しかるべし・・・
45無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 19:56
「親父殿ーーーーーっ!!」で済むかヴォケ!!
この前田のホモ侍め!!
46無名武将@お腹せっぷく:03/10/06 22:25
天正六年の年始頃はかなりひやひやしてたんじゃないの? 雪とけたら謙信が出てくるかもってさ
出てきたじゃん。手取り川だろ。
>>47
そもそもそんな戦などあったのか?
>>48
知らないのか?
秀吉が勝家の援軍で越前まで来たのに帰っちゃって
信長に謹慎くらったんだよ。
まぁ 戦っても勝てなかっただろうから秀吉の判断が正しかったんだろうが
上げてみる
51無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 07:49
確か「世に棲む日々」で、高杉晋作は秀吉よりも勝家のファンだったとか書かれてたな
>>51
詳細キボンぬ
53無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 15:08
大河の勝家は新しかったな。
>>53
そうだなかっこよかった
長らく織田家主席家老を勤めた人物があの能力というのもな。
謀反人の前科があるにもかかわらずあそこまで重用されたのも、
一つには彼が譜代だったこと、さらに本人の能力が大きいと思うがね。
譜代だっただけで追放された香具師は枚挙にいとまないのに。
56無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 10:57
>>52
晋作は少年時代「常山紀談」が愛読書で、自分は信長に似ていると思っていた。
で、信長の家臣でも特に勝家がお気に入りだったらしい。
けっこう前に読んだので詳しくは覚えてないが、晋作が特に感心した勝家のエピソードと、
秀吉と比較しているくだりがあった。
57無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 13:03
松平健で柴田ファンになった奴いるんだ
>>56
詳細キボンヌ
59無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 21:56
天正六年て1578年だろ? そりゃ勝家等は緊張しまくりだろ 昨年に謙信に加賀でやられてるから
6030:03/10/12 01:24
>>31

激しく遅レスだがサンクス。
甕であってたのか。

後、権六殿の華々しい槍働きって何になるのかね?
漏れ的には墨俣築けなかったり、石山合戦で負傷したり、手取&しずがたけの敗戦とかの負け戦イメージ付きまくりなんだけど。
鬼柴田の由来とか無いの?
61無名武将@お腹せっぷく:03/10/12 01:27
>>60
六角だか一向一揆だかにお城を囲まれた時、
最後に残った甕を叩き割って兵士の士気を高めて出撃。
敵を追い散らしたという逸話があるが・・・
62電波姫 ◆a.TgNskvck :03/10/12 01:29
私の家の近く一帯は柴田の出らしいよ。
だから柴田姓の人が沢山いる。
中学校 一学年に5人はいたなぁ(笑
63電波姫 ◆a.TgNskvck :03/10/12 01:35
だから 柴田という男は勝家・・というあだ名が自動的についた(笑
俺らのときは柴田という苗字のヤツは「勲」というあだ名だったな
65電波姫 ◆a.TgNskvck :03/10/12 01:44
柴田勝家は名古屋の西区、名東区あたりが出らしい。
・・ということで私はそのどちらかなわけだが・・(笑

・・ということで柴田勝家は好きだ(笑

>>64「勲」ってだれ??(笑
何やった人??
>>62
何県のどの当たり?
長崎の五島列島も柴田が多いらしい。
>>65
元巨人の盗塁王だろ?
68無名武将@お腹せっぷく:03/10/12 12:36
メロン記念日の子って子孫なの?
6930:03/10/12 15:05
>>61

やっぱり「甕割り柴田」のエピソードが一番有名なんですかね。
北陸方面の軍団長に任じられる前は主にどんなところで活躍してたんでしょうか?
>>69
織田の合戦のほとんどに参加してるだろ。
そのなかでもやっぱ六角とか観音寺での戦いが有名だろうな。
衝撃の事実!!桶狭間の合戦に勝家は出陣してなかった!!

まじで!?
信長公記では権六は書かれていないんだよね。
桶狭間のところがすっぽり抜けてる。今更というネタでもあるけど。
信長公記で抜けてるって 桶狭間での勝家の記述がってこと?
それとも 信長公記には勝家の記述が一つもないってこと?
>>74
勘違いされるかもと思ったんだけど、ごめんなさい。
勿論、信長公記全体には何度も権六は登場します。でも、桶狭間には全く登場しません。

記述を追うと、前後が信長の弟・勘十郎(信行と伝わる)の件なので、
桶狭間当時はまだ勘十郎方(後見?)として動いていたのかもしれませんね。
柴田勝家がいなかったから、桶狭間のときは織田方の兵がやけに少なかったのかな
77無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 19:07
しかし柴田勝家も親の代まではどこの馬の骨とも知れぬ木っ端武者の家だったのに、
勝家一代、30そこそこで家老格にまで上り詰め、後に天下の覇権を争ったというから恐ろしいものがあるな。

まぁ羽柴秀吉をはじめ、織田家中の人材はそんなのばっかだけどなー
78無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 19:24
ゼークト流では・・・
【勤勉で頭の良い者】  参謀として起用。勝つための作戦を立案できる。
【怠け者で頭の良い者】前線指揮官として起用。生き残りのため的確な指揮を執る。
【怠け者で頭の悪い者】命令された事しかできないが全ての障壁を打ち破る。
【勤勉で頭の悪い者】  軍隊から追い出すか銃殺する
となっているが、権六さんはどこに属するんだろうか?
手取川合戦も言われてるような大規模な戦闘だったかは怪しい。
秀吉が越前まで出向いたってことは元より、勝家や謙信が戦闘に参加したとは考えにくい。
80無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 23:00
>>78
一番目か二番目だろう。
佐久間は三番目か四番目。
乞食や浮浪者集めて軍隊作った信長を最初は馬鹿にしていた。
だって、領地を大事にする農民兵が精神的に強いからね!!
でも田植えと稲刈りはさすがにな・・・
信長んとこは弱くても年中OKだからなぁ

どいつもこいつも、一戦まじえての戦負けというより、囲まれ
続けてだもんな!!
浅井長政なんて「卑怯なり、信長めー」って自害したんだよ
兵隊が弱くても戦略が大事ってのがよく分かる一面さ!!
やっぱり信長は偉いんだってつくづく思ったよ
どこを縦読みするのですか?
83無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 00:09
林さんは【勤勉で頭の悪い者】だったのね…
84無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 00:15
勝家は【(仕事に対してではなく政治的に)怠け者で頭の良い者】
信長は【〜で頭の悪い者】に容赦ないタイプだな
勝家は保守タカ派。姿勢は強硬だが、主張は手堅い。
86無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 02:45
パソコンのいじれない頑固なおっさんぽいね。
清洲会議後

三法師 近江で2.5万石
信雄 伊勢尾張で85万石
信孝 美濃で58万石

勝家 越前その他で112万石
長秀 若狭その他
秀政 佐和山20万石
恒興 有岡・大坂・尼崎・兵庫等
秀吉 播磨・山城・河内・丹波で93万石
一益 伊勢で5万石

こんなもんなのかな?
勝家もやりようによっては秀吉に負けることも無いようなもんだがな。
88無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 02:57
そうそう
謙虚に学べばいいのに
「そんなもん使えなくても云々」いってて下に抜かされるタイプ
勝もそんな感じでスタートから後ろに居たような秀吉なんぞに出しぬかれた
89無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 03:14
>スタートから後ろに居たような秀吉なんぞに出しぬかれた
織田家臣全員そうじゃねーか
ある意味信長も
90無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 04:03
カネばら撒いて人心掌握とか、そういう芸当のある人間ではなかったよね。
結果、ばら撒き型の猿にしてやられた・・・なんか国会みたいだなw
長浜には佐久間盛政を入れて、全滅するまで粘ってもらう。
毛利・長曾我部・高野山・根来雑賀なども「勝家の大人の魅力」で味方に引きずり込む。
上杉とも根性で和睦し、佐々勢も賤ケ岳に投入。

これで勝てる。
かもしれない。
勝家配下で最大の石高持った前田利家の寝返りが敗因だろうから
まず、これを何とかしないと。
>>91
スゴい曖昧な切り札だな(笑)

>>90
だって日本だしね。
今も昔も変わらずってことかもね。
94無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 16:23
>>90
角福の政治抗争みたいだな・・・でも、実際そんな感じだったかも
95無名武将@お腹せっぷく:03/10/14 18:18
凄い厨な質問ですが、権六(勝家)とか又左衛門(利家)とか五郎左(長秀)・勘十郎(信勝)っていう呼び名って何ですか?
最初は幼名かと思ってたんだけど違うみたいだし。官命でもないですよね。
教えて君でスマソ。でもずーっと気になってしょうがないんですよ。
TVとか小説とかも何の説明も無しにフツーに出てくるし。
勘十郎は家名じゃないかな?
五郎左衛門は五郎+左衛門のこと。左衛門は左衛門督か、その管轄下の役人のこと。

俺も詳しくないので誰か訂正&補足きぼん
>>95-96
権六とか又左衛門というのは通称。
勝家とか利家というのは本名、諱(いみな=忌み名)と言う。
そもそも本名を諱と言うのは、昔は他人が濫りに本名を呼ぶ事をタブーとした
習慣によるもの。普段は忌んで使わなかったために諱(=忌み名)と言う。
したがって、普段は「○○越前守」だとか「○○又左衛門」などの官命や通称
で呼んでいた。ちなみに「水戸黄門」は「水戸中納言」の唐読み。
こんな補足でいいの?
又左の又って何だろう?
権六は権六郎?
9995:03/10/14 19:30
>>96,97

すごい分かりやすい説明ありがとうございました。
罵倒されるかと思って若干ドキドキしてましたw
特に忌み名関連の話は納得ですね。それで通称呼びですか。
ひたすら戦国ものの作品に官命とか通称呼びが出てくるのにも納得しました。
まあ自分は羽柴筑前とか、これとう日向・松永弾上とかの呼び方には凄い萌えなんですけどね。
・・・勘十郎も通称(通り名)でいいのか。うろ覚えでスマン
烏帽子名じゃないの?
それは信勝や信行他の話では?
>100
通称…通り名。自称することもあるし親などから貰うこともある。
仮名…「けみょう」。その家に代々伝わる名前。一族の子が宗家を継いだときに改めたりする例が多く見られる。
諱…「いみな」。名乗り。原則として公式な場・書面などでのみ用いられる。一字書出や官途状での使用がいい例。
烏帽子名…烏帽子親から何らかの由緒を以て頂戴した名前。「偏諱」は名乗りに限定するが、信長が蒲生氏郷に与えた「忠三郎」は烏帽子名の好例。

「又左」の「又」…諸説あるが、重複の意味を表し、初めは次男以下を指すために用いられた。「またできた子」の「また」。
「権六」は「権六郎」?…正直わからん。

間違いがあったら訂正ヨロ。
むむ!
105無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 13:03
織田家での格

柴田勝家>丹羽長秀>>>>羽柴秀吉>滝川一益>明智光秀

多分こんなもん
106後藤又兵衛:03/10/16 13:09
羽柴>明智>柴田>丹羽>>>滝川でしょう。
滝川ってそんなに低いか?
北条との戦いで上野を失い、清洲会議に出遅れるまではそれなりの地位に
あったと思うが?
滝川は信長のお気に入り。
滝川はかなり上だな。信長の正月の茶席の席次からは滝川<羽柴。
柴田=滝川>羽柴=明智>丹羽>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>池田
柴田・羽柴・明智は方面軍、滝川・丹羽は遊軍。
信長の最晩年に滝川は信忠の補佐、丹羽は信孝の補佐。
軍事司令官と一門衆補佐役は求められるものが違うのでどっちが上かっつーのもあまり意味無い気がする。
滝川・丹羽は信長が家督を継ぐ前のかなり早い頃から随従してきた長年の家臣だが、
柴田・羽柴・明智は家督を継いだ後に信長に仕えることになった家臣という違いはある。
柴田ら三人は一軍の司令官に抜擢されたとはいえ、信長の死後その跡を相続するはずの一門の補佐を命じられるほど深い信頼は置かれてないということか。
一益スレからのお客さんかなw
109の意見はどうだろう。
むしろ 一軍を任せられるほどの安定感がないからこそ一門の人間をおいて
その補佐というかたちをとったんじゃないかな。
>>110
ただ単に戦が巧いからでは?
(その事を安定感といったのかはわからんが)
人間的に好き嫌いや信頼は2の次で効率最優先じゃないかな
ところで、勝政と勝豊の関連性を教えてくれ。
確か、勝政が盛政の弟だったような………
餓鬼 滝川左近
114無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 22:23
勝家じゃあ若き日の景勝には勝てても謙信生存時の上杉軍には勝てないでしょ あの頃の景勝は家督争いや内乱でとても信長と渡り合う状況じゃ無いし、晩年の謙信は既に信玄、氏康という二人の大物の死により積極的に西へ進んで行けたし本気になれば北条も潰せたと思うぞ
>>114
本気で言ってないよね?
改行も出来ない香具師だ。ほっとけ
>>114
正常な日本語で書け
118無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 23:00
佐久間盛政の軍令無視が戦局の明暗を分けたように言うが
その戦局を分けるような人選を行った勝家がそもそも軽挙であった
とする吉川新書太閤記に篤い一票。
>>118
なんだ賤ケ岳か?
佐久間なんか大した問題じゃないだろ、前田に比べれば。
120無名武将@お腹せっぷく:03/10/16 23:46
>>119
「親父殿ーーーーーーっ!」で済まされる問題ではないw
121無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 03:56
最近、DQNや荒らしより、改行も知らない携帯香具師の方が腹立たしく感じる
122無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 04:14
>>94
その両者の狭間で第三の男として生き残り、最終的には首相に登りつめた
小渕はちょっと凄い。
だからあいつは話題取りや宣伝が巧みで、
NTT株などの「強者が目を付けてない利権」に鋭かった。

すれ違いスマソ。
123無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 04:18
>>121








携帯香具師対策はこれで。
124無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 04:19
負け組の悲しさか・・・
一門、そしてその後情報、ほとんどないよね・・・
125無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 04:37
こんなものが出てきましたが・・・信じていいものやら・・・
ttp://www.d5.dion.ne.jp/~toppy/rekisisanpo/14katuie.htm
以下は引用

>柴田勝家子孫の墓(立串)
>The Shibata's cenotaphs
>
>柴田勝家には,正妻於市の方との間に三男一女がある。
>長子柴田掃部頭,次子滝川豊前守,三子政子,四子は出家し平戸に
>真宗光明寺を開いた僧空性である。
>柴田掃部頭の長子,次子の兄弟は,越前国より流浪の末,平戸光明
>寺の住職,空性(叔父)を頼って来る。長子は出家し平戸に残るが,次
>子勝厚は出家を拒み,慶長18年(1613)従者8人と共に藤の首に上
>陸。製塩のかたわら漁業を営んだと伝えられるが,その住居跡など当
>時を物語るものは未だ見つかっていない。8人の従者の家は「家来8軒」
>また「8軒家」とも呼ばれていた。
>柴田氏は,領主よりカマス網の権利を得たばかりか士分としての待遇
>を受け,主従の深い係わりは長く続いている。また,武門の出身という
>こともあり代々武芸に励み,歴代の中には剣術の奥義を極めた者もい
>たという。
>代々にわたって代官,村役人,医師などの有力者との縁を結び,6代目
>には似首に分家を出し,その分家もまた,小頭役を務め,網家徳を与え
>られた。柴田家の本家筋を「母家」と呼ばれ,江戸の後期には鯨組まで
>も経営した。
>墓地は,第2次大戦後改修をしたらしく,その折り,古い墓は壊して埋め
>込んだ模様で,江戸中期のものが残されている。
126無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 05:23
柴田掃部頭はググッてみたけど何も出てこなかった。
そこで滝川豊前守でググッたところ「忠征」のみがヒット・・・まあ、当然か。

☆滝川豊前守忠征(1558〜1635)☆
滝川一益の没落後は豊臣秀吉に仕えた。
小牧の役において尾張・蟹江城を守備し、徳川・織田軍と交戦。
関ケ原の役においては西軍に属したものの、敗戦後、所領を没収されることなく徳川家
に仕えている。以後、伏見城普請奉行の経験を買われて駿府城普請奉行を務め、大阪
の陣にも従軍している。
ちなみに1628年、豊前守は名古屋城築城の余材で臨済宗妙心寺派・大林寺を創建して
おり、以後、滝川氏代々の菩提寺となっている。

しかしながら、忠征の父は「木全忠澄」(戦国人名辞典)となっているので・・・>>125のそ
れはガセなんじゃないかと・・・
ちなみに勝家には権六勝敏なる実子??がいたようだが、賤ケ岳の役後に捕らえられ、
斬首されたようだ。
127無名武将@お腹せっぷく:03/10/17 05:30
ちなみに平戸の光明寺は現存しているが、住職さんの苗字は「柴田」ではない・・・まあ、当然か。
>>103
通名の話ですまんが、確か本多忠勝は三代続けて通名「平八郎」だったよな。
小早川も確か「又四郎」で続いたんじゃなかったか?
>>120
激しく同意。大河ドラマなんかだと秀吉・利家主体で書かれることが多いから
「悩みぬいた後、与力の勝家よりも秀吉との友情を取った」と言われるけどなあ。
結局、信長への忠誠心は強くても、政治の出来なかった、あるいはその政治力に比して
場違いに大きな石高と兵力を持ちすぎたが故の悲劇なんだろうか。
1582の6月に清洲会議で、その一年後には北ノ庄で自害だろう

>柴田勝家には,正妻於市の方との間に三男一女がある。

市と作ったとは思えない
本来の正妻との間に息子がいないというのもおかしな話なんだけどな。
そういえば、信長の正妻も秀吉の正妻も石女だったっけ。
>>129
浅井が滅びたあたりから関係があったのなら考えられなくも無いが…

…あるはずないよなぁ。
>128
仮名みたいだけど、それ。
>>131
太閤立志伝3のオリジナル主人公がそんな感じだったね。
勝家には実子はいたの?
平戸とか長崎に落ち延びたのは本島のようだ。
長崎の五島列島に柴田勝家の子孫の落ち延び伝説がアル
>立串(たてくし)村には柴田勝家の孫二人が従者八人を連れて藤の首から上陸し、
>漁業に従事するかたわら製塩業も営んだという記録がある。

孫ってだれだろ
136あぼーん:あぼーん
あぼーん
137無名武将@お腹せっぷく:03/10/18 13:35
>>134-135

>125 :無名武将@お腹せっぷく :03/10/17 04:37
>こんなものが出てきましたが・・・信じていいものやら・・・
>ttp://www.d5.dion.ne.jp/~toppy/rekisisanpo/14katuie.htm
>以下は引用

>柴田勝家子孫の墓(立串)
>The Shibata's cenotaphs
>
>柴田勝家には,正妻於市の方との間に三男一女がある。
>長子柴田掃部頭,次子滝川豊前守,三子政子,四子は出家し平戸に
>真宗光明寺を開いた僧空性である。
>柴田掃部頭の長子,次子の兄弟は,越前国より流浪の末,平戸光明
>寺の住職,空性(叔父)を頼って来る。長子は出家し平戸に残るが,次
>子勝厚は出家を拒み,慶長18年(1613)従者8人と共に藤の首に上
>陸。製塩のかたわら漁業を営んだと伝えられるが,その住居跡など当
>時を物語るものは未だ見つかっていない。8人の従者の家は「家来8軒」
>また「8軒家」とも呼ばれていた。
>柴田氏は,領主よりカマス網の権利を得たばかりか士分としての待遇
>を受け,主従の深い係わりは長く続いている。また,武門の出身という
>こともあり代々武芸に励み,歴代の中には剣術の奥義を極めた者もい
>たという。
>代々にわたって代官,村役人,医師などの有力者との縁を結び,6代目
>には似首に分家を出し,その分家もまた,小頭役を務め,網家徳を与え
>られた。柴田家の本家筋を「母家」と呼ばれ,江戸の後期には鯨組まで
>も経営した。
>墓地は,第2次大戦後改修をしたらしく,その折り,古い墓は壊して埋め
>込んだ模様で,江戸中期のものが残されている。

だそうな。
>>137
それは信用できない。
お市との間に子どもが出きるわけない
139無名武将@お腹せっぷく:03/10/18 21:00
>>138
何でそんなに必死なの?
>>138は浅井長政
141138:03/10/18 21:08
お市はセックルなんてしません!
142無名武将@お腹せっぷく:03/10/18 21:31
>>141
してねーだろうな。
勝家はジジィだし、たとえ元気だとしても三十後半のババァとはやらんだろ
戦国のヘプバーンですよ?お市ちゃんは。
144無名武将@お腹せっぷく:03/10/18 22:44
少なくとも3男1女を作ってる時間はないよな >>勝家とお市
前妻や側室の子供ならば、ありえないとも言い切れないけど
子孫の改竄だろう
主家筋だし 秀吉に対抗するための結婚だし 若い方がいいだろう
その時代の30代後半なんておしとねすべりでもおかしくない
勝家は側室が12、3人いたんだっけ 
幼少の男子が実子かもといわれてるだけだし

勝家と市との結婚を生前の信長が考えていたという設定の小説を見かけることがある
でもそれはないと思うこれについてどう思いますか?
146無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 00:44
>>142
確か>>137は信用できない箇所がある。
@物理的にお市の方が4人の子をもうけるには無理がある
A滝川豊前守(忠征)の父親が勝家である可能性は低い
しかし・・・
A.側室の存在を打ち消すための記載であるとしたら・・・
B.側室の名が不明であるので、正室を以て母親としたなら・・・
信憑性のある部分もあるので丸っきりの否定はしたくないのだが。
>>146
よく考えろよ。
お市と勝家の政略結婚は1982年の清洲会議後
そして1983にはしずがたけ
一年で4人も子ども作れるわけないだろ。
おそらく側室もいただろうが子どもがいなかった可能性が高い。
佐久間から養子をとっているし養子の勝政、盛政は討ち死に、打ち首で
安政は徳川に仕えている。
その他の子どもについては記述がない。
実子がいたなら養子を取る必要はないだろう。
勝家は盛政に家督を譲るつもりだったのではないか。
148無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 09:19
小説の柴田勝家を読んだが斬新だった。
晩年には信長への忠誠も心では無くなっているし
秀吉は進化した?猿一族で人類の為に戦うしw

まあ確かに叡山などの暴虐、(自身も似た事やってるが)
林、佐久間などの昔乍らの家臣の追放。
足向けて寝るななどの命令書。
(受け取った方は信頼されているのか不安になる)
自身と争った秀吉の謹慎処分のみで方面司令官に用いられるなどの
面目丸潰れ。
与力は信長子飼いの前田、佐々などだし。

勝家って警戒されていたのか・・・?
みっちゃんにあっさりアボンされるのぶちゃんに
警戒などというものがあるとは思えない
勝家に対してのは嫌がらせでしょ
だってみっちゃんにすら様々な嫌がらせをしたって言われてるのぶちゃんなんだもん
嫌がらせ因果応報の構図

信長は個人的な嫌がらせをして、個人的にアボンされる
秀吉は配下を競わせる方向の嫌がらせをして、死後家中まとまらず
秀吉は国家的な嫌がらせをして、後世ではすっかり国民的不人気となってしまった
訂正

家康は国家的な嫌がらせをして、後世ではすっかり国民的不人気となってしまった
>小説の柴田勝家を読んだが斬新だった。
詳細きぼん
153無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 15:57

あえて子孫がいるとすれば・・・佐久間になるのか?

154無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 19:00
服部家は半蔵だらけ
いや 子孫は柴田だ。
しかし 実子がいないとこを考えると 養子のほとんどは策間だな
156無名武将@お腹せっぷく:03/10/23 09:09
>>148
やっぱ信行謀反の時のことを根に持ってたんだろうな>信長
手取川の合戦って実際にはなかったんでしょ?
158無名武将@お腹せっぷく:03/10/23 11:00
>>155
柴田の姉の血縁ではないっけ?<佐久間子孫
勝家は、漢だな!
160 :03/10/23 13:09
>>157
最近はなかったと言われてるな。論文も色々出てる。
何せあったと書いてるのが「歴代古案」と悪名高い「北越軍記」だけw
手取川での大規模激突はなかったと見るのが妥当でしょうな。
>>160
ないというか お互いにらみ合いで合戦はしなかっただけなんじゃん。
勝家は秀吉の宣戦離脱の戦力減により退却で 謙信も深追いせずに
越後に引き上げた。
そんな感じでしょ。
162無名武将@お腹せっぷく:03/10/23 18:48
戦線離脱した秀吉はその後、ほとんどお咎めなしで戦列に
復帰してるよね。
何でだろ?
>>162
おとがめあったじゃん。
謹慎処分。
その場はお咎め程度で、すぐ使いなおすってのが信長の手なんじゃないか?
ただし使い道がなくなった時がコワイ…
秀吉が手取川まで援軍に行ったという史料がそもそもない。
当然勝手に退却したことを咎められて謹慎を受けたという史料もない。
>>165
太閤記などにはない話だったの?
どっから出てきたんだろ・・・
167166:03/10/24 00:55
つーか信長公記にも載ってるじゃんか・・・いやん
>>166
太閤記は史書じゃないから……
おそらく初出は上にも出てる北越軍記。
これも史書とは呼び難い。小幡景憲の甲陽軍鑑みたいなもん。
>>168
保庵太閤記は別ね
あ、ほんとだ、長公記に書いてあるわ。
すまぬ、うろ覚えで書いちゃいかんね……
で 結局手取り川はあったの?なかったの?
対陣はあったけど、巷間言われているような大規模な戦闘は
なかったということか???
173 :03/10/24 09:30
>>172
対陣にしても大規模な対陣があったかは疑問というのが一般的見解。
174無名武将@お腹せっぷく:03/10/24 10:31
秀吉は半兵衛が
謹慎を、
反省する態度で部屋にこもっているより
休暇を楽しむ様に過ごされる方が警戒されない。
と進言したのを受けてどんちゃん騒ぎしてたそうな。
信長は密使の報告を受けて謹慎を解いたそうな。
これから 何かを語る時はソースと資料を提示してくれるとありがたい。
>>175
言い出した人間が率先してやるべきなんじゃないの?
>>175
ソースを出せ!
178175:03/10/24 12:50
>>175
・・・・・・・・・・・・・・・ホントにそれでいいのか?
勝家と市って・・・・・Hしたのかな?

浅井長政の使い古し(3人も連れ子居るし!)だけど

顏が良かったから気に入ってたのかな??

締まりは良かったのかな??…(*´д`)アハァ…?・
181 :03/10/24 23:29
>>174
そりゃ、創作だよ。
>>174
それって竹中半兵衛の小説で読んだ気がするな
江戸時代の文献で見たことがあったような気がする。
読み物だがね。
おどろきしばた
age
なんかヤングサンデーかなんかでやってる但馬の国がテーマで蝶野が脚本のまんがあるじゃん?
あれで 勝家がまたやな奴役で登場したよね。
まったくいいかげん勝家を悪役にするのやめろ
と 言いたいこの頃
187無名武将@お腹せっぷく:03/11/07 20:43
>>184
零さんが・・・こんなところに・・・
188 ◆DOQNIC1RWY :03/11/08 01:52
形式とは言え初夜である。花嫁は主人の夜伽をせねばならない。夜伽とはいえ、形式上のもので
添い寝、あるいは枕を並べて眠るだけでも名分は立つものである。
新郎は61歳。新婦は37歳。生き恥を晒しつつの再婚は華やかに行われた。仲人に新婦の甥が立つ。
明らかな政略結婚である。しかしながら列席武将たちの羨望は穏やかならぬものがあった。
新婦は戦国一の美女お市の方。新郎は織田家筆頭宿老柴田勝家。

「お疲れになったでありましょう。まあお座りなされ。」
新郎の老人はかつての主君の妹に優しく声を掛ける。寝所を隣にした勝家の私室で礼服を脱ぎつつ、
小姓に酒と肴を申し付けた。小姓は手回し良く酒と肴を届け、頬を赤らめつつ退室していった。
勝家は上座からお市の真向いに座り直す。
「申し訳ございませぬ。無粋な家でございますゆえ、何卒ご辛抱を...」

勝家は固い男である。お市とはすでに17年ぶりの再会であったが乳呑児の頃から知っている。
お市は杯をゆっくりと手に取り、無言のまま勝家に差し出した。
勝家は無骨な自身を繕うように、かつ慌てた様を隠すように照れくさいさまで杯を手にした。
(儂もまるで小童のようじゃな) 自嘲を込めつつ鷹揚と杯を手にしたが、
「姫御、もう誰もおりませぬゆえ・・・」
やはり形式に則った関係を勝家は保とうとしていた。
189 ◆DOQNIC1RWY :03/11/08 01:53
「おまえさま!」
・・・(御前様?   ・・・)

「主の妹であろうと本日から、私はおまえさまの妻でございます!」
お市の瞳に殺意と思しき火が灯る。勝家は少したじろぎつつも応える。
「いかにも。この修理、本日よりは姫御の亭主となり申した。」
歴戦の猛者、甕割り柴田。女は苦手だが、姪か娘かを諭すように老いての余裕を持って答えた。
「姫御。御前様はおやめ・・・
「お黙りなされ!鬼に多弁は似合わぬ!」

凛とした声である。旧主信長に一喝されたように感じ、思わず勝家も萎縮し、下座へと滑り転げた。
しかしお市は続ける。
「御前様は鬼の柴田権六ではありませぬか。なぜわたくしを・・・
言葉を詰まらせ泣き始めた。言葉が少ない。かつての家臣を再婚の相手にあてがわれ、屈辱なのだろうか。
女の泪は最も苦手だ。(参った・・・)
「何卒ご辛抱下さいませ!」
勝家は深く頭を下げ、自分も目頭を熱くする。(お気の毒な立場だ。)
首を垂れたままお市との距離をゆっくりと離す。一間ほど離れ気配を消し、灯りを吹き消した。
くるりと後ろを向いて壁に凭れかかり眠ろうとした。主を守るかの如く。

音のない刻が流れた。勝家は朝を待ちつつ必死に狸寝入りを続けている。


190 ◆DOQNIC1RWY :03/11/08 01:56
「おまえさま」
優しい声が暗い部屋に小さく響く。
「・・・ひ、姫御?」
寝惚けた振りで勝家が眼を開く。

夜目に慣れた勝家の眼には、蒼く耀く肢体が映った。戦国一の美女と称された政略結婚の新婦。
一糸まとわぬ戦国の美女が、目前の暗闇に立っている。勝家は混乱した。夢でも見ているのか、不忠に過ぎる。早く覚めよと。

「おまえさま、市は十年も独りでした。せめて今宵だけはお情けをいただけませぬか?」
そう言って ふっくらとした胸を勝家の顔に押し付け、両腕で勝家の頸を抱え込んだ。
勝家は驚くばかりである。噴出す汗を拭こうにもどうしてもいいのか分からない。混乱している。
「動かぬ夫を犯すのであれば、不貞ではありませんね・・・」
娘ほどの新妻はかすかに嘲うように、勝家の袴を剥いだ。勝家は動かない。

あと一枚の下卑た布を目にしたとき、お市は脇差を手にした。勝家は少年に還ったように冷や汗をおぼえた。
お市は妖しく微笑みつつ勝家の股間に脇差を擦り付け、褌の右紐を切った。しかし勝家は動かない。

お市はスッと立ち、灯明に火を点す。素早い動きだが静かだった。室外の小姓に聴かせるように。見せ付けるように。
眠った振りをする勝家の一物を手に取る。この時点で言い訳は無効になった。還暦を迎えた勝家の一物は堂々と脈打ち、
却ってお市の挑発を逆手に取ってしまった。蒼く光っている・・・

「ああっ!!!!」

お市は今まで十年守り通した貞操を一気に吐き出すように、怒張にむさぼりついた。愛しい、愛しいっ!
「ずりゅっ、ぶ、ずずずず、ぶちゃっ」
ゆっくりと、黒髪を勝家の下半身に絡ませつつ舌を怒張に押し付けた。下品な音を聴かせるように。
勝家はもう耐え切れなくなっていた。前妻を亡くしてから十四年、武将盛りの年齢を武将としてのみ過ごしてきた。
「な、なりませぬっっ!!!」
「う、うううっっ!!」  !!!   「ごぼっううっっ!!!」

勝家はお市の口で果てた。白濁を右唇から垂らしつつ、お市は勝家の唇を吸った。
191 ◆DOQNIC1RWY :03/11/08 01:57
もうどうでもよくなっていた。
「お市いいいいっっっ!!!」
壁にお市を立たせて熟れた肢体を眺める。燈籠に照らし出されたお市の体は白く反射していた。
豊かな双胸は中央を争うようにより合い、薄く色づくその中央は ピンッ と重力に反して逆立っている。
初老の歳を感じさせない気高いくびれ腰をも備え、若草のように繁る秘部は、毛先まで濡れ光っている。
何より微笑むその容貌は、おんなのいくさを望む微笑。白濁を右唇から垂らしながら。

右腕で荒く、細い肢体を手にし抱きしめた。利き手の左手で荒々しくお市の胸を掴む。が。
大きな勝家の掌に余る、しっとりとした柔かい胸が優しく弾けた。お市が挑発的に囁く。
「権六、臆したか?」

「いいえ、姫御こそ、お覚悟はよろしいかな?」ニヤリとわらう勝家。
表情とともに勝家の怒張は余裕を取り戻していた。
見れば筋骨隆々、老人の身体ではない雑兵を、勇者を、かつての夫を相手に戦を重ねてきた。
槍の名手である逞しすぎる体がそこにあった。

「もう抗えない・・・」

お市は己の本能に委ねるように勝家に縋りついた。
ゆっくりと、濡れを確かめるように勝家は腰を入れる。が、今度はお市が腰を引いた。痛がったのである。

「姫御、それではこの修理をやり込めるにはまだ若うござるぞ」
勝家は傍らにあった徳利を傾け、お市の尻に酒を振った。後ろ向きになった腰を両手で抑え、勝家は哂う。
滑りがよくなった勝家の先がお市を貫く。
「あううううゅっっ!!!」

熟女の、しかし限りなく処女に近い戦国の美女の声が、明け方まで北庄に響いた。
192無名武将@お腹せっぷく:03/11/08 02:01
何か凄いことになってるなage
193 ◆DOQNIC1RWY :03/11/08 02:10
あげないでください。小心者なんで。
頑張ってみたんですけど、感想とかは勘弁してください。貼ってみたかっただけですので。
194無名武将@お腹せっぷく:03/11/08 12:11


  そ こ に 愛 が あ っ た の か ! ! ?

195無名武将@お腹せっぷく:03/11/09 01:35
あったと信じたいな。続きまだか?
がんがれ
197無名武将@お腹せっぷく:03/11/09 08:49
>>191
>熟女の、しかし限りなく処女に近い戦国の美女の声が、明け方まで北庄に響いた。

長政と引き離されてから10年ほど「処女」でしたからね、市姫さまは。
殿方の肌に触れるなんて久々・・・という感じだったんでしょ。
198無名武将@お腹せっぷく:03/11/09 19:18
>>186
まったくだ、柴田勝頼(新日若手)をどう使うかが楽しみだったのに。
ほす
200無名武将@お腹せっぷく:03/11/13 02:38
200をげっとしておこう
201無名武将@お腹せっぷく:03/11/15 01:08
降臨待ちあげ
北の庄城って安土城より立派だったとフロイスが書いているが
本当なのか?
203無名武将@お腹せっぷく:03/11/18 04:44

福井城=7層5階
北庄城=9層7階

だっけ?<天守閣


でも、信長時代の天守閣と、徳川前期の天守閣では
大きさがねぇ・・・。
石垣は・・・素人目に見ても、西洋美意識で見ても、
福井城のほうがきっちりとしてるように見えるかも。


大きさではなく豪華とか。
太閤瓦みたいに、安土城コピーとかだった、ということはないのかね?
(あくまであのギラギラ安土城をイメージ)
柴田がしっぱいした。「しばった!!」
ぐふっ
…(*´д`)アハァ…?・
福井城は勝家じゃないだろ。
北の庄はしづがたけで炎上しとるから 現物はない
208無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 10:26
なんだこいつ・・・>>207



207よ、お前さんがもしも、まだ若年で、最近歴史に興味を持って
楽しくいろんなことを覚え始めたばっかりなのだったら謝る。
ついでに勝豊以外の一族調べてきて。
209無名武将@お腹せっぷく:03/11/19 19:28
勝家の北陸時代の事考えてたんだが天正六年の上杉謙信の大動員が気になる 関東出兵? 本気か?上洛が本心じゃないのかな?
上洛は無理だろ。
大体、謙信にそんな野心あったんか?
なんだこいつ・・・>>208

北の庄と福井城の違いもわからないなんて…
>>210
天下に号令する野心は無かったかもしれないが、

昔のように足利幕府の権力を取り戻そうとはしたハズ
柴田勝家に関する資料で一番信頼性の高い資料ってなんだかわかりますか?
215無名武将@お腹せっぷく:03/11/20 23:33
>>211
「みんな知ってることをあえて突っ込む馬鹿、それは>>207
という意味だと思われ

城地は微妙に被りつつ、微妙にずれている。
「と、言われている」実は北の庄城はよくわかってはいない。
北の庄城は、福井城や町並み建設、その後の都市開発で埋もれ、
破壊され、現在はよくわかっていない。
時々再開発工事の時に、北の庄城遺構と思われる石垣が出土する程度(当然埋め戻し)

だけど、現存の福井城天守台と、安土城天主台、
安土城推測画(かなり妄想)と、江戸城再現画、
古文に現れる安土城、北の庄城、福井城、福井と同時期の江戸初期天守、
これらを比べていくことで、北の庄城天守閣を「推測」できる。
というかそれしかない。
あ、あと丸岡城天守も参考資料かな。
北の庄もその他の櫓なんかはあんな感じだったのでは?

丸岡城って、瓦じゃないんだよね。
資料ってさ 史書とかでしょ
信長公記には勝家はどんな記述されてるの?
218無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 02:06
「豊臣秀吉、天下を獲る」に出てきた、六平直政の柴田勝家は、性格悪かったな。
219無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 02:38
中尾彬の柴田勝家は極道だったな。
>>217
どんな記述って・・・ 例えばどんな?
221無名武将@お腹せっぷく:03/11/25 03:19
皮膚炎がひどくていつも陣中には水浴び用の水を携帯してたとか?
>>221
まじで?
223無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 19:10
>>222
マジよん。いつも痒がってたらしいわよん。
224無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 19:11
>>222
ちなみにナポレオン=ボナパルトもそうだったらしいわよん。
勝家やナポレオンみたいに戦争ばっかりしてると、蒸れ蒸れになって皮膚に悪いのよん。
225無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 19:25
甕を割ったときも、実は自分のために水浴び用の水だけはとっておいたのかも・・・・・・・
>>225
そんな権六は嫌だw
痒いってのは大谷吉継の話じゃないの? それとも権六さんもそういう病気に?
228無名武将@お腹せっぷく:03/11/26 23:54
>>227
大谷吉継は「痒い」なんてものじゃすまない病気だったと思う。
権六さんは「痒い」ですむ皮膚病だったと思う。まあ、酷い汗疹みたいなところ?
鬼柴田記 読んだことある人いる?
あれ2巻でてるの?
>229
PHP研究所から出た工藤章興『鬼柴田戦記』だな。2巻まで出ている。
いい!
232無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 19:23
柴田勝家はいい人だ。
233無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 19:25
>>232
そうかぁ?俺、このまえあいつに筆箱壊されたぜ?
>>233
マジで?
235無名武将@お腹せっぷく:03/11/28 19:42
>>234
マジよ。「先生に言いつけたら甕割るぞゴルァ!」とか言われて何もできなかったよ・・・・・・
>>230
おもしろい?
237無名武将@お腹せっぷく:03/11/29 18:44
柴田はねホモだから気をつけてね、下社城時代なんてなんでもありだったんだから・・・
>>237
きりの無い事言ってんじゃねー!
去年の大河、本編はともかく松平の勝家は良かった。
同感

感動した!!
241無名武将@お腹せっぷく:03/12/16 17:23
前田勝家
前田亘輝