【武田】2万5千で上洛できっかよ【信玄】その9

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407無名武将@お腹せっぷく
馬というとすぐに騎馬隊かよ・・・
408あほげ:03/10/19 02:47
じゃあほかに何があんだよ!?農耕馬か?
宝のもちぐされ
410あほげ:03/10/19 02:52
なにが?
山岳地帯の戦闘において、速やかに軍事資源を輸送する荷駄隊の存在は
絶対不可欠な存在。
戦闘用の騎馬もさることながら、山岳地帯での運用に適した軍馬の大量投
入が可能であればこそ、迅速な移動、兵站確保が可能となり、それが根底
で武田軍の戦闘力を支えていたという見方もできる。
騎馬軍団といっても編制上の主力はやはり足軽であったわけで、騎馬隊だ
けが独り歩きし過ぎてはいないか?
武田兵は一人で織田兵の五人と互角なので・・・というネタがあったと思うが、
同じように、武田騎馬兵は一騎で織田兵五人と維持費が互角という展開も出来そうだな。
(騎馬兵=騎乗侍1・口持ち1・槍持ち1・騎馬2)

いや、明の官制の本を読んでたら、馬1の維持費が兵の2倍だったので・・・
尤も口持ち辺りは0.5でもいいかもしれないが・・・・・
413シーマンズ:03/10/19 11:11
そういえば、信玄にちなんだ大掛かりな祭りが来年あるそうな・・・
何の記念だろぅー
414無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 16:27
信玄没後431年記念?
415無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 16:37
>>413
山梨の信玄公祭りじゃねえの?毎年やってるぞ、それなら
投石じゃなくて投糞で
417あほげ:03/10/19 20:44
>>411
一人歩きも何も武田の騎馬隊が強いから当時の人が

最強とかって囃し立てて武田=騎馬隊ってなったんじゃないんですか?
騎馬隊ってのは、騎兵というより騎乗の士を指してて、
つまり甲州武士が強いってことじゃない?
419あほげ:03/10/19 20:56
>>418
たしかに!
甲州自体土地がやせてて物が無かったから兵卒も必死だったから結果
強かったのでは?
420北条高広:03/10/19 20:59
戦いに敗れたヤツが配下に加わらないと思ってた>>1はすげえなある意味w
騎乗士は今で言うと「装甲指揮車」の様な物だと、ある本に書いてあった。
422無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 21:20
9も続いたスレの現スレ>>1に文句を言う>>420ってどういう意味においても凄い馬鹿ですね
422=1
424北条高広:03/10/19 21:47
>>422
まぁ、一応フォローしとくけど、>>20くらいに1がいたから
言ったんだけどな。
>421
ソースきぼん。
と、それとは別に漏れがいってる騎乗の士ってのは、
士官クラスの武士身分を指すと思ってくれい!
426無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 23:27
>>417
そもそも武田の騎馬隊などと言い出したのは江戸時代だよ。
その江戸時代でも、武田流軍学は下馬して戦う軍学だったわけで、
武田の騎馬隊なんてのは酒飲みの与太話か御伽噺の類だね。
427無名武将@お腹せっぷく:03/10/19 23:52
>下馬して戦う軍学
これがいまいちわかりません、教えてください
426ではないが、
戦国時代は騎馬武者は降りて戦うし
武田家由来の軍学者も降りて戦うものだと言っているってのが
下馬して戦う軍学ってことじゃないかな?

もちろん武田騎馬軍団の存在が損なわれるものではないが
429無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 00:27
おそらく「最強騎馬軍団」という言葉を使っている香具師は、ナポレオンの騎兵隊みたい
なイメージで戦国時代の馬上兵のことを考えているんじゃないの?
横列の密集陣形でドカ〜ッと敵の一角を切り崩していくような・・・
そこまでの組織的な騎兵の運用はなされていなかったんだけどね、戦国時代には。

>>421
>騎乗士は今で言うと「装甲指揮車」の様な物だと、ある本に書いてあった。
鉄砲や弓矢で容易に撃破される装甲指揮車・・・でも、言いたいことは分かる。
戦国時代に用いられていた馬は体重200キロ強だから、甲冑を着た馬上兵を乗せたら、
そんなに速くは走れなかったし、足軽とほぼ同程度だったようだ。
「乗り崩し」などの戦術があったというが、それも騎兵隊の集中運用というより、進撃速
度があまり変わらない騎兵と歩兵の直協作戦という形だったらしい。
430無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 00:39
なんで役に立たないのに騎乗用の馬連れてくの?
役に立つからこそ連れて行くに決まってるだろ

よく歩兵と同じ速度という話があるが、あれは行進用に騎馬を「急ぎ歩き」くらいにしている時の話。
本当に走れば人間よりかなり早い。しかしそれやると30分もすれば使えなくなるので普段は使わない。

騎馬をゆっくり使うとかなり長時間使えて役立つのは、人間を乗せるだけじゃなく、荷物なども同様。
後はステータス。
432無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 00:58
>>427
甲州流では、基本的には騎馬武者は侍大将や組頭などを除いて
全員下馬し、馬は後方に置いておいて、徒歩で鑓を取って戦うものと
教えていました。

>>429
軍学でも強襲や追撃のためには騎乗するものと教えています。
しかし一方で、これは部下に手柄を立てさせるためだとも教えています。
要は、足軽よりも重い装備を付けるが故に、迅速に行動し、戦果を拡大
するためには騎乗が必要だということですね。
「馬上の鑓は犬鑓」とも言っており、騎乗した場合の戦闘能力に関しては
期待していなかったようです。

仮に騎馬武者だけで行動した場合、NHKがポニーにおもりを載せて
行った実験の結果から語る人が多いですが、これまたNHKが
木曽馬に鎧武者を載せて実験した時は分速で350m以上いってました
から、武装して徒歩で行動する足軽などよりは相当に速く行動できたはず
ですが、当時の騎馬武者にはもれなく中間や小者などの従者がセットで
つきますから、徒歩の者に合わせざるを得ないといった所だったのでは
ないでしょうか。
433無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 01:00
>>431
江戸時代の話ですが、荷馬は米一石分の荷物(150kg)を積んで
一日50km以上歩けたそうですよ。
体重からすると驚異の運搬能力ですね。
史上最強騎馬軍団を率いた武田信玄公を称えるスレ1
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1064595349/

また建ってたんだな
>>433
移動距離については、馬を引く人間にそれだけの能力がないからその分だけ差
し引かれてしまう。
しかし、搭載力で言えば、人間の約5倍と言われているし、山岳機動に適した軍
馬を多数揃えていれば、甲斐・信濃などの山岳地帯でも目的地に迅速かつ大量
に軍事物資を輸送することができることになる。軍事拠点の設営や増強、補給が
速やかに実行できれば、それだけ有利な状況で敵と交戦することが可能になる。
>>435
馬を引く人間にも能力はあるだろ
江戸時代の駅伝マンなど、一日中走ったり、何キロ走破とかの話もよくあるし
つうかww2の日本兵でも、40〜60kgを背負って、20〜40kmを歩けって決められてるくらいだし、
江戸時代の人間が運搬馬の口取りをして50kmを歩けないとは思えない
438無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 02:09
明治時代になっても、一人で東京から日光まで人力車を引く車夫とか
いたぐらいでね。
>>436
飛脚なんて大した重量物持ってないだろ。

>>437
山岳機動のことを言っているのだが・・・まあ、それはさておき・・・
>つうかww2の日本兵でも、40〜60kgを背負って、20〜40kmを歩けって決められてるくらいだし、
それは中国大陸の平野部での行軍だろ。
しかも50kmを移動できる馬に対して、20〜40kmということは既に10kmも差し引かれているだろw
それと口取りとはいえ個人装備もあるから、ww2の日本兵と荷重自体に大きな差は無いはず。
440無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 02:12
●●●マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その8●●● http://natto.2ch.net/mass/kako/1011/10115/1011522150.html
387 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/02/21 23:49 ID:FEi+B6dZ
作業服を着ていれば盗聴工事をしてもバレにくいですからね。
通行人が見ても普通の工事だと思うし。屋根のぼっててもわからないでしょう。屋根の修理かな?ってね。
排泄行為とか入浴を盗撮されると嫌だね。あれはどうかと思うよ。

732 名前: 投稿日: 02/03/12 19:46 ID:aN/JDfka
4月のドラマを2ちゃんのドラマ板でチェックしてみると、盗聴ドラマらしき番組
がいくつかある。野島某が脚本を書く「ゴールデン・ボール」は、怪しい。こいつ
が盗聴を利用して俺の書き込みを追跡しているのは、知っている。盗聴に頼らない
で発案するのが怖いのか、あるいは、ジンクス担ぎか。繰り返すが、電話/web
/メール盗聴で得た俺の個人情報をヒントにしておきながら、俺の人生観や趣味を
否定する内容であった場合には、番組をぼろくそに叩いてスタッフに呪いをかけま
すので、あしからず。ほとほどにしておけよ、日テレ。今年は、戦争モードだ。
441無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 02:17
>>439
「人力車」「ベルツ」あたりで検索してみ。
人間の可能性の素晴らしさが分かるであろうw
>>439
つうか、別に>>433は山岳機動の話じゃないだろ
>>433の江戸時代の例では、運搬人は当然無装備と思ってたぞ
だから重装備でもそんなに歩けるという例を出したのよ
443無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 02:24
馬の口取りと言えば、ボーヴォワールの『ジャポン1867年』も
忘れてはならんな。
彼は馬に乗って日本を旅したが、日本の馬丁たるや、一日60キロから
最大80キロも徒歩で付き従ったという。
444無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 02:26
>>431
>>433
はどう見ても馬一般の事を言っているのであって、
勝手に山岳機動にからめて自滅してるのが
>>435
だなw
どうやら435は、ぱっと見では突然なれど、
実は>>411などの山岳での話の続きのようで、
だから話が多少食い違ったようだな
つまり昔のことにこだわりすぎだとw
447無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 03:27
何か論旨から逸れてるな…
要するに、武田軍を語る場合に、戦闘部隊としての騎馬隊(それすら下馬での戦闘が主流
だったが…)ばかりが取り沙汰されるが、実は優れた軍馬を大量投入しての機動力と輸送
力こそが武田軍の強さを支えていた、と言いたかったんじゃないの?
448無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 08:44
>>447
その発想は、残念ながら「騎馬隊」の呪縛から逃れられなかった人間が
苦し紛れに武田と馬を結びつけたものに過ぎないね。
>447の発想は、別に珍しいものではないし、よく言われることでもある。
ただしその場合は武田家に限る話ではないだろうから、
武田家が武田騎馬軍団などと恐れられる説明にはなっていない。

むしろ信玄が長足などと恐れられたから、
武田+怖い+馬多用=強くて怖い武田騎馬軍団、となったと言うほうが
説得力があるかもしれないが、
そもそも武田騎馬軍団という呼称そのものには説得力など求められていない気もする。

似たような話に、徳川は団結軍団と言われるが、
別に団結力が他家より強いわけで、同様に徳川家の法螺や誇張だと思われる。
訂正

別に団結力が他家より強いわけでもなく
451無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 09:12
「武田の騎馬隊」なんて事を言い出したのが誰かってえと、
結局は小瀬甫庵が「織田の鉄砲隊」の対極として「創作」した
ってところじゃないの。
根拠を無理に求めようとするようなもんじゃないよw
だいたい馬の数だけなら北条あたりの方がずっと多いんだし。
甲信は馬の産地と言っても、関東ほどじゃないよ。
452無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 09:12
>>448-449
別に弁護するわけじゃないが、>>447>>411あたりの山岳機動の話をなぞった
だけじゃないの?
最後に「・・・・・と言いたかったんじゃないの?」という形で締めているし。
細かいこた置いとけや
>>453
部分、部分だけを抜いて語らせないための用心だろ。
毛利兄弟軍団
織田鉄砲軍団、または長槍軍団
羽柴迅速軍団
北条評定軍団
武田騎馬軍団
そんなモン、そんなモン。
457 :03/10/20 11:17
後北条氏の軍役1571年7月着到状より
知行約60貫文の中級武士
騎馬武者  1人
徒歩武者  4人(名字持ち)
足軽    10人(名字なし)
458あほげ:03/10/20 16:26
>>451
馬の量が多いから騎馬隊が恐れられてるんじゃなくて
馬の扱いが他家よりうまいのと質がいいから恐れられてたんじゃないですか?
本来臆病な動物である馬を戦闘用に調教するのは、馬自身の性格にもよるが
なかなか技術がいるらしいし。
甲斐・信濃は「牧」が多かったというし、そういう専門集団を数多く抱えていたの
では?という仮定はできる。
傾斜地を苦手としない馬を多く保有していたとしたら・・・という仮定もできる。
あくまで量よりも質という意味なのだが。
460あほげ:03/10/20 18:05
>>459
その通りですね!今でも山梨の田舎の方では馬調教してますしね!!
461無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 00:05
>>460
じゃあ北海道は凄いんだろうな(藁
>>451

そこまで言い切るならソースきぼん
463無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 03:16
徳川の時代が長かったから、徳川、武田の兵が強いとされているのは
わかりましたが、織田の兵は何故弱いとされているのでしょうか、
相対的な問題かも、武田が特殊で、織田は特長無しだから
弱くしとけってなかんじで
464無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 03:22
あと、武田のニンジャってどんなもんだったのんですかね、
昔、甲州ラッパって勘違いして武田のかと思ってた=)
>>463
一つは、織田の勝率はイマイチなこと。有名どころ100戦60勝で残りは引き分けかまけ程度。
対して武田などは(とあるレスでは)60戦57勝(引き分け含む)、残りは負けだとか何とか。。
尤も織田は戦しまくり・負けても何度でも勝つまで挑んむ、という点で大成長したのだが。

もう一つは、織田は金持ちという点ではなかろうか。
「あいつらは都会もん(金持ち)だから、弱い」というレッテルは、いつの時代でもあるし。
小田原攻めの豊臣の陣中が宴会などでチャラチャラしていると詰った人とかもいたし。

もう一つあるとすれば、確かに君が言うような相対的な特色の持たせ方かもしれないね。
「弱兵を、数を頼りに、天下を取った」って、ドラマチックで使いやすいだろうしね。
466465:03/10/21 04:19
上の勝率の話は、信長と、信玄ね。
467無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 04:38
宮部四郎兵衛(北条家) 284貫400文
馬8 鑓17 弓1 鉄砲2 指物1 旗3 手明4 計36
7.9貫に一人、騎馬率22%

池田孫左衛門(北条家) 191貫600文
馬6 鑓12 弓1 鉄砲1 指物1 旗2 手明3 計26
7.4貫に一人、騎馬率23%

大井左馬允(武田家) 貫高不明
馬4 長柄18 持鑓3 弓4 鉄砲1 甲持1 小旗1 指物1 手明5 計38
騎馬率11%

小田切民部少輔(武田家) 貫高不明
馬6 長柄19 持鑓6 弓6 鉄砲6 小旗3 計46
騎馬率13%
468無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 04:39
>>465
信玄は引き分け含むで
信長は勝ちのみ集計では
何の意味も無い。
469無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 05:01
>>464
・商人・医者・馬喰などに変装させて諸国に潜入させた。
・各国に最低一人以上のスパイを潜ませていた。
(『曲淵宗立斎言上書』)

・信濃から召抱えた「すっぱ」70人のうち、30人を甘利虎康、
  飯富虎昌、板垣信方に10人ずつ預け、村上義清、諏訪頼重、
  小笠原長時の領内の潜入させた。
(『甲陽軍鑑』)

・吉田の浅間神社の富士御師20人が「すっぱ侍」だった。
(『吉田御師由緒覚書帳』)

・祗園寺を保護していた。祗園寺の文書には「遠国への使、相勤むべきこと」
  というものまで存在し、祗園寺に仕える修験者をスパイとしていたようだ。
470465:03/10/21 05:04
>>468
信玄については、俺が集計したものではないからなんともいえないが、
別に信長も引き分けを含めても、その率は信玄には勝てないよ。
大事なのは、何度も挑むという信長の執念深さ・方法の点であって、
結果として勝率を落としても、その成果は大きいと言うことだ。

しかしこの勝率なども事実には違いはなく、弱兵・負けが多いと言われたら、
そういう捉え方もできるということだ。
471無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 05:11
勝ち負けって普通に兵力・指揮官・戦術といった問題で決まるんであって、
人間の能力にさほど差があるとも思えない。
まあそりゃ現代の都会のサラリーマンと田舎の農家のおっちゃんを
比べたら明らかに前者が劣るだろうが、戦国時代にそこまで差は
ないだろう。
信玄の有名な格言に
「弓矢の儀、取様の事、四十歳より内は勝つように、四十歳より後は負けざるように」
とあるけど、まあこれが本人の言かどうかは別にしても、やはり
信長に比べて経済的余力に乏しい信玄は、大きく勝つよりも負けずに
こつこつ勝つ事を好んでいたという傾向はあるようだ。
472無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 05:26
『甲陽軍鑑』は「武田の騎馬隊」をむしろ否定してるよね。
長篠では馬なんて乗りまわせない、三方ヶ原のような開けた場所でも
いきなり馬で乗りかけたりはしないとも書いている。
この書き方からして、小幡景憲が『甲陽軍鑑』を世に出した頃には
既に「武田の騎馬隊」という話が、特に長篠合戦とセットで
流布していたことが窺える。
『甲陽軍鑑』は1621年の写本が見つかっているから、それ以前の
執筆だろうけど、小瀬甫庵の『信長記』はさらに10年早い。
江戸時代に書かれた信長ネタの本のほとんどが甫庵『信長記』を
ネタとしているように、『信長記』はずいぶんと早くから、
広く読まれていたようだ。