3
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/31 22:52
保守
晴政の時代に南部氏が一大勢力を築いた事は知っています。
ただ、全国を見渡せば、それほど強勢でもなかったかなと言っているだけですよ。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/04 00:12
>>9 違います。
九戸政実の外交戦術くらい違います。
同族の癖してなにやってんだか
まぁ、その少し前の南北朝時代の時点で同族間で争うと言うのは何も違和感がなくなってしまったのではないでしょうかねぇ。
南部とか、それより古い時代からあるわけですし。
保守
南部は騎馬で見たら全国屈指でしょ?質でいえば多分武田以上。
ただ、一族のまとまりが欠片ほども無かっただけで・・・
南部が弱小なら僅か十数人しか兵のいない花巻城を落とせなかった
伊達は超弱小になっちゃうし。
南部で騎馬・・・
>>15 知らんかった? 南部は元々関東武士だった上に日本最大の馬産地を
もっていたから三戸南部の直参だけで1千騎用意できた。
おそらく戦国中期では東北最強だよ。馬鹿殿が出てくるまでだけど・・・
>>16 そういえば櫛引八幡宮の流鏑馬なんかその名残かも。
当時はほとんどの家に馬がいたから数は集まったろうね。
>>16 バカ殿の時代にも北のじいさんがいるじゃないか。
ある意味最強だよ?あのじいさん。
南部が一時強かったのは分かったがスレタイのもう一方、津軽はどうなん?
紅皿欠皿(べにざらかけざら)の話も遠野郷に行なわる。
ただ欠皿の方はその名をヌルポという。
ヌルポは空穂(うつぽ)のことなり。
継母に悪(にく)まれたれど神の恵ありて、ついに長者の妻となるという話なり。
エピソードにはいろいろの美しき絵様あり。
折あらば詳しく書き記すべし。
しかし東北の戦国時代は政宗・義光以外はほとんど領地の変動がないんじゃないか?