孔明死後の姜維の北伐は無駄だったのか?【第二次】

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胡済の昇進は時期が不明で、この征伐が影響したかは不明だろ。
むしろ、政治的な意図による昇進かもしれんわけで。
胡済昇進を以て推測を進めるのはちょっとどうかと思うが。
939無名武将@お腹せっぷく:04/06/15 23:52
>937
陳寿自身の姜維評はかなり的を得てると思うよ。
有能だけど、兵事を弄び過ぎた、と。
段谷の件は、やっぱり不明な点が多い。
普通、胡済の責任が大なら街亭にならって姜維降格、胡済斬罪くらいやりそうなもんだけど、実際は姜維の降格だけ。
胡済を処分しない理由があったんでしょう。姜維自身は過ちを認めて降格を自ら求めてるんだし。
940無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 00:08
>938
ま、そうなんだけどね。
ただ、段谷の責任が胡済が主で姜維はその被害を受けた的な意見があったので。
941無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 00:24
姜維のホントの責任は段谷での敗北後漢中の防衛部隊再編成して
防衛力弱めたことにあるんだがな・・
>>940
段谷の責任の多くが胡済にあると言ったつもりは無かったんだが。
そう感じてしまったのなら、俺の文章が稚拙だったって事だな。スマソ

自分は、守勢派が姜維の力を削ぐために何か仕組んだ可能性もあるんじゃないかと思っただけ。
あとは、段谷の敗戦を以って姜維を批判する人の多くが、
胡済については触れないように感じてたから、それもおかしいんじゃないかと思ってね。
姜維の後釜に据えられる予定だった閻宇ってすごいのか?
>>943
次々と馬忠の後任を務めたが、風格、功績ともに馬忠には及ばなかったとある。
姜維ほどの能力はないんじゃないか?
軍政家っぽいな
戦績ってあるのでしょうか?
まじめな奴だったのは間違いない>閻宇

ただ、抜群の能力があるなら姜維以上に出世していたはず。
>>945
具体的な戦績は、少なくとも三国志と斐松之の注の中には無い。
948無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 07:35
呉が混乱した時に呉の重臣の要請で永安の兵力増やした時に永安都督に任命されてんな、閻宇。
将として有能かどうかよりも、攻勢派の漢中軍閥を抑える為に
中央と息の通じてる閻宇を姜維とすげ替えようとしたんじゃないかな
950無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 12:34
>>933さん
胡済とは「約束した」「しめしあわせた」と正史には記載されています。
素直にこれを解釈すれば、事前連携はしていたということではないでしょうか。
胡済が一方的に通告だけされて対応できなかったorしなかったと
無理に本文を捻じ曲げるのはかえって真実から遠のくのでは?
それと、当時の胡済は督漢中ではなく鎮西大将軍ですね。
それにもし、真実がそうであったにせよ936さんがいっているように、
陳寿が姜維を憚って、正史の記載を捻じ曲げなければならない理由が見当たりませんが。

それに胡済の昇進問題に関しては、いつ昇進したか不明。
正史を読めば段谷の敗戦はその責任は胡済にあるとしていますので、
段谷後の昇進はあり得ないのではないでしょうか。
もし、それ(姜維降格、胡済昇進)が蜀本営の見解だったのであれば、
なおさら大っぴらに正史に「姜維の独走により、段谷にて敗北」と記される類のものでは?
あるいは、段谷での敗北の同年の立太子の恩赦で、
斬罪されるべきところを助かって降格というパターンで
その後恩赦の嵐で姜維の大将軍昇進と同時に昇進という流れかもしれないし。
あれだけ人材が枯渇していた蜀では、胡済を斬ることはできなかったんじゃないでしょうかね。
951933:04/06/16 21:50
>950
姜維との連携および処分・昇進については、俺の憶測なんで、950さんの意見に対してもなんら反論はありません。
ただ、当事胡済が督漢中だったと思う。
蜀漢の職務制度は詳細が不明の場合が多いけど、ライ降都督と漢中都督だけはかなりはっきりした流れがある(両者とも重要だからでしょうが)。
漢中都督について言うと、諸葛亮の北伐中(と、蒋エンの漢中出陣中も?)に中断したくらいで、空位だった時期が無いので、王平の死去後、時間を置かずに胡済が任命されていると思う。
おそらく、督漢中・鎮西大将軍だったんじゃないかな。
それと、胡済の昇進の時期だが、おそらく259年でしょう。
この年前後に漢中防衛システムの解体があったこと、259年に張翼らが左右の車騎将軍に任命されているので。
張翼らと胡済は年齢・閲歴が相当近いこと、防衛システムの解体は大規模な人事異動に繋がるだろう、と言う理由からです。
>>951
昇進の時期はその辺りだろうな。
姜維もその頃大将軍に返り咲いたし。

段谷での胡済の動きに関しては>>950に同意。
やはり陳寿が記述を捻じ曲げる理由が見当たらない。
953無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 22:46
防衛システムの解体は段谷での敗北で多数の死者と負傷者、逃亡兵が出た事による
攻撃兵力低下を補う意味もあるがそれ以上に中級指揮官を多数失った事による
人事的な再編成の意味合いも大きい。
恩赦の嵐は多数の逃亡兵を呼び戻すための対策で段谷において死者以上に逃亡兵
による損害が大きかったのを示している。
この時代の戦いというのはそもそも戦死者はごく一部であって農民に毛が生えたような
兵士が逃亡することによって決着がつく。
全滅とはすなわち兵士が皆ちりじりに逃げ誰もいなくなったことを指す。
段谷においてそれでも多数の死者が出たことは逃亡兵のことを考えると計り知れない
被害があったであろう。
>>953
ケ艾伝によると、段谷で斬られた将は二桁にのぼるとあるな。
それだけ斬られりゃ再編も必要か
>>954
でも「国淵伝」にあるように、戦果でことに魏は水増しが多いとされているから、
それほど酷すぎる人的損失でもなかったのかも。
国淵伝の、10倍に水増しするのが習慣って記述に当てはめると、
段谷で斬られた兵は数百、将は数人って事になるな。
高貴郷公紀の詔勅には斬殺・生捕り合わせて5桁とあるから、
10倍としても生捕りを含めると4桁にはなる。
そこを踏まえて考察すべきなんだろうけど、正直にそれを当てはめると
逆に損害が軽微すぎる気がする。

諸葛亮の北伐においても、祁山での司馬懿との戦いでの戦果が明確に
記載されている部分があるんだけど、これもどう解釈するか、ってのがある。
「蜀書」では少なくとも三千ほどの戦果であるとあるのに、「晋書」では
「亮宵遁、追撃破之、俘斬万計」とあって、魏軍の戦果が斬首と捕虜を
合わせて万にも達したとあって、これはあきらかに魏の水増し。
958953:04/06/17 11:39
段谷での死傷者の魏の水増し記録は当然。
しかしながら逃亡兵による損害において
行事があったわけでもないのに恩赦を連発したのは
そうでもしないとどうしようもない状況に陥ったことを示す。
通常歴史学において、数字的な部分の記録は正確さに欠くことが多いので
戦争による損害を量るにその戦争後のその国の政策に注目する事が多いが
この段谷においては一目瞭然、防衛部隊ひっくるめての再編成に加えて
ありえない大恩赦までくりだしていることは
その損害が大きかったことの証明である。
959田躊:04/06/17 16:09
てゆうか田続が蜀にいたら余裕で長安とれたし
段谷後に三年連続で大赦を行っているし、人事の再編もあった事などから、
段谷において、戦闘での直接の被害はそうでもなくても、
全体の被害が小さいもので無かったのは確かだな。

姜維が悪かったのか、ケ艾が凄すぎるのか、胡済の背信が悪かったのかは分からないが、
歯車が完全に狂ったのが段谷の敗戦って事は確かだな。
961無名武将@お腹せっぷく:04/06/18 07:39
958でとどめさされたな姜維派
まさにここが姜維派にとっての段谷
>>961
姜維派だとか、蜀将スレの下らん争いをこっちに持ち込むなよ。

ところで、姜維の目指した涼州の魏からの分断、これが成功したとしたら、
魏蜀の差はどれだけ縮まったんだろうか?
参考までに諸葛亮没後の蜀の大赦一覧

234年:大赦 237年:大赦 243年:大赦 246年:大赦 249年:大赦 251年:大赦
254年:大赦 256年:大赦 257年:大赦 258年:大赦 261年:大赦 263年:大赦
964無名武将@お腹せっぷく:04/06/18 22:50
というより、涼州を獲ることが戦略的に位置づけられているかどうかということの方が問題。
涼州自体はその頃はあまり価値はなかった。生産力も低かったし、異民族が跋扈していて、
直接的支配と柵封体制の併用的な統治の仕方。

孔明は、第一次北征に顕著だが、明らかに関中以西が魏に背いたというアナウンス効果を
狙っていた。ようやく治めた涼州が一遍に蜀にひっくり返るのは、当初から孔明が意図して
いた劉邦の再現として最大限の効果を見込める。それには街亭の隘路を押さえることが最
重要な戦略的課題であった。ほとんど落ちていたろう西を完全に押さえるまで魏軍を押さえ
る事が出来ないと、そのような戦略的な効果が霧散してしまう。

姜維の場合、果たしてそのような戦略的な意味での構想があったかどうか、かなり疑わしい。
たとえば住民を移住させるのも人口の少ない漢中では意味があったのかもしれないが、その
土地を荒廃させる訳だから、孔明が企図したような意味とは逆になってしまう。羌人などの異
民族に期待しすぎて痛い目に遭っているし。対する魏にとっては、仮に蜀を不利に追い込める
なら、涼州を放棄してもさして国力には響かない。
>>964
孔明も第一次北伐では住民の移住を行ってたはず。
呉だって海を越えてまで人狩りに行くくらいだから、
そういった行為は当時としては普通だと思うが。

それに姜維自身が隴西の分断を語ってた様だから、方法の是非はどうあれ、
戦略目標として涼州の分断を考えていたのは確かだと思うが。
966無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 00:47
姜族巻き込むのが狙いだからそれを狙ったのに関しては
姜維の狙いは普通にいい狙いだろ
967無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 11:02
>965
孔明の場合、街亭の敗戦後の撤退の時だけで、その理由も周辺住民が敗戦軍である自軍を襲わないようにするための人質的な部分もあったようだ。
定説はそのようだな。

姜維の場合あやしいのは、関中西部緒郡を恒久的に占領する意志があったのかどうかが
問題だろう。自領にするのは相当に困難だが、それを実現するための手だてがあったのか
どうか。
969無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 12:57
屯田の準備してないから戦争目的の戦争だろ
>>969
屯田の準備をしてない=戦争目的の戦争、なのか?
そんな理屈では、孔明の北伐も五丈原に屯田した時以外は戦争目的の戦争になるような。
屯田といっても諸葛亮の北伐時に失敗したという前例があるから、
姜維があまり有効性を見いだしていなかったという考えもできる。
972無名武将@お腹せっぷく:04/06/19 16:26
姜維は短期で攻めきれる自信があったのかな
そもそも孔明が体力尽きてなかったら五丈原はどうなってたんだろ

屯田失敗したから撤退しかなかった。蜀から持参の穀類が育たなかった。
孔明の失敗をその目で確かめていたからこそ、軽装の兵による機動戦という方法に賭けたのかもな。

涼州に拠点を持つ事が出来た唯一のチャンスは、王経を狄道に包囲した時か。
結局陳泰に阻まれたが。
>軽装の兵による機動戦という方法に賭けたのかもな

まあそれでも蜀の国力では大変な浪費なんだが・・・。
涼州→長安と、漢中→長安じゃ兵站維持の困難さが違うと思う。
漢中からの侵攻では地に足がついたものになれないから、
まずは羌族と協力しつつ涼州に拠点を築くってのは悪くないように思う。

そうなると方法だが、姜維が北伐を開始した時点で涼州をひっくり返す
にはどのような方策が必要だったろうか?
涼州から長安まではもの凄い距離があるよ・・・・・。
>>977
距離はあっても桟道を使った補給をする必要が無い分楽になると思うんだが。
それに、涼州に拠点を持てば、漢中・涼州の二方面からの侵攻も可能になると思う。
少なくとも戦略の幅は広がるんじゃ。
馬超の暴れっぷりをみると、涼州からの方が姜維の機動力戦術が生きると思う。
やはり間に秦嶺山脈が挟まれる漢中―長安間では進軍、撤退、補給共に
困難だしね。
ただ、涼州が奪われたとなると魏も本気を出してくると思うし、漢中みたいな
天嶮の要害がないから逆に魏の大軍の攻撃をモロに受けやすい。
むしろ涼州は郭淮の十八番としてる地域でもあるわけだから、
姜維が戦術を駆使して戦って局地戦で勝利しても、戦略的に追い詰められ、
結局敗れて益州に撤退、ということにもなりかねん。特に姜維以外の人材が
いない状況では涼州まで間口を広げるとリスクが高そうだ。

涼州―長安間は攻めやすく守りづらい地形だと言えるが、漢中から長安を
攻撃するよりは当時としてはまだチャンスがあった、のかな?
一方向しか攻め手がないのと
複数の攻め手があるのとでは立てられる戦略の幅が全く違うだろう
どちらかを囮的な役割にさせたり多方向から同時に進軍したり。
涼州―長安間が有効というよりは選択肢があることが有効というべきかな
むしろ長安とったあとの維持が大変だな
キョウドやセンピに呼応して南下して貰わないと大兵力で長安こられたら
ひとたまりもない。
そこで姜族以外の遊牧民に顔の利く人間がいたかというとどうなんだろう
なんかいないっぽい
よってだめぽ
ケ艾の話によると、姜維は王経を破った時は水路によって進軍してきたらしいが、
漢中―隴西間に大軍が移動できるような川ってあったっけ?
イ水?
白水だっけ、益州を南北に流れて長江に注ぐ川。
あれを遡ったのかな?
昔に比べれば、姜維の評価も上がっては来たのか?
俺が正史なんて読んでなかった頃だが、ネットでの姜維評ってかなり酷かった記憶がある。

何処のサイトかは忘れたが、「インテリに取り入るのが上手いだけの無能」とか、
「姜維はガラス玉、価値が無いのに光って見える分たちが悪い」とか散々だったような。
演義とのギャップに驚いて極端に走る香具師が多かったとは思う。
ちょっと反論するとボロクソに叩かれたからな、その頃はw
986無名武将@お腹せっぷく:04/06/22 07:05
イヤむしろ下がってるだろ
評価が具体的になった分、否定しづらいからな。