1 :
無名武将@お腹せっぷく:
ホントだよ
2 :
やる気満々マン:03/08/10 11:28
3
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 11:29
3
………へぇ…
とリビア
7 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 11:48
嘘を言ってはならぬ
( ´_ゝ`)つ〃∩ フーンフーンフーン
9 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 18:37
10 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 18:38
もっと詳しく言えよ
そう思われる根拠は?証拠は?
わーすごい初めて知ったこりゃびっくりだ( ´_ゝ`)
>>10 若いころの劉備は引っ張りだこの
カリスマ傭兵。しかし、夷陵の布陣
はとても痛い布陣、これはわざと負けた
としか言い様がない。
二つ目の理由は劉備の心境、二人の
義弟が相次いで死んで、もうどうでもよく
なって死にたくなった。そして彼はどうせ
死ぬんだったら派手に死のうとおもって
呉討伐の兵を挙げて、夷陵でわざと
負けたってわけ
>>12 だったら敗戦時に逃げないで死ぬだろが。
更に負けた後にわざわざ馬鞍山で態勢立て直そうとして
さらに数万の死傷者を出してる点をどう説明する。
>>13 >死ぬんだったら派手に死のうとおもって
ここを読め、派手に死にたかったんだ
>>14 だから死にたかったんなら、
何でそこで死なずに白帝城まで逃げたんだって
13の前半で聞いてるんだよ。
>>15 せめて死ぬ前に三峡の美しい風景を見て死にたかったんだよ
>>17 まあ聞かれた事には
答えないといけないからね
17さんこれからも来て下さいね
ネタさえ供給してくれれば来るさ(笑
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 20:44
劉備がわざと負けたというよりは、陸遜がわざと勝ったわけだが・・・。
ネタにもならん
23 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 21:27
俺はこの時の謀臣は、劉巴だと思っている。
彼は、優遇されているのに、控えめな態度
だったというから、もし積極的だったら、と思う。
劉巴が夷陵に参戦していたという記録はないがね。
夷陵の敗戦の年に病死している劉巴が、
参戦していたというのは健康的に難しいんじゃないかなぁ。
糞と判断して良いか…
その劉備に負けてる呉将達は何?
27 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/11 06:49
参戦の記録はないが、永安で劉巴に向かって
黄権を失ったが、馬忠を得た。と語っている
ところから、劉備の近くにいたと思っている。
>>27 漏れはその記述を見て逆に、
敗戦時に劉巴が劉備の側にいなくて劉巴と馬忠が会わなかったので、
後で劉備が劉巴に「こういう奴を見つけたんだ」と語ったもんだと思ってたがな。
夷陵敗戦後、永安に重臣連中が集まってたのは確かだから、
夷陵に参戦してなくても永安に劉巴がいたところで不審はないし。
とは言え、劉巴の夷陵への関わりの記述はこれ以上無いし、
どちらも決定打に欠けるな。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 00:28
>>29
決定的なものは無いんだけど…
222年、劉備が永安にいた間が、半年位もあって困るのだが、
1〜6ヵ月の間に病死する人間が、わざわざこないというのが理由。
諸葛亮の場合、劉備が病気にかかってから翌年到着しているが
李厳が222年に到着したのは、劉巴の後を継ぐためか?
あぼーん
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 22:42
資本主義になった翌日、私は妻とともにキューバへ向かおうとした。
天候の良い10月だというのに、成田空港は閑散としている。
職員は卑屈な作り笑いを浮かべ、持たされた携帯電話がまるで
牛の鼻輪のように太陽光を反射していた。
「労働者が休暇を楽しめる時代は終わったんだよ」
昨日まで国営企業である日本航空に勤めていた斎藤さんが、吐き捨てるように
私たち夫婦に言った。
「ええ、でも私たちは人民旅行証明書を持ってるんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、党が勤労者のために発行した証明書
兼クーポン券を振りながら優しく言った。
「証明書の判子を御覧なさい。共産党千葉県委員会はもうありませんよ」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言ってほくそ笑んだ。
職員たちは私たちの証明書を一瞥し、軽蔑の眼差しを向けた。
「あんたらそれで飛行機に乗るつもり?」
職員はすぐに向こうから来たブルジョワらしき男に卑しい作り笑いを浮かべて
応対を始め、私達は取り残された。
青空のなかをアメリカ帝国主義の軍用機が横切っていった。
実は夷陵の前に劉備は死んでいて、実際に指揮をとっていたのは劉禅だった。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/26 21:29
age
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/06 09:26
無双スレあげんな
>>32 最近糞コピペを繰り返しているのはお前か!!いい加減にしろよ!!
【】
青い血 ⇒ 幼児がラーメンを食べた「あっ!おいちぃ」
悪魔の足跡 ⇒ 登山者が言った「あっ!熊の足跡!」
悪の十字架 ⇒ コンビニが閉まっている客が言った「開くの十時か・・・」
37 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/06 13:30
劉備は、呉と手打ちするためにわざと負けるつもりだった。(勝ち逃げでは
収まりがつかない)魏と渡り合っていく上で、呉との同盟はどうしても必要だったからだ。
そのため、劉備はわざと駄目布陣を敷いて適当に負けておくつもりだったが、彼の誤算は
呉に陸遜という切れ者がいたことだ。陸遜の火計によって予想を超えた被害をこうむり、
劉備自身命からがら逃げ帰る事になった。
こんな感じでいいですか?
37の補足が少し。呉との同盟が必須なのに荊州奪還に踏み切った理由。
劉備には漢室再興という大義名分があった。劉備にその大義名分を実現しようと
する意志があったとするなら、荊州の奪還は必須であった。益州だけでは到底、
天下統一、漢室再興など不可能だから。これが第一の理由。もう一つは、殺された
関羽・張飛と義兄弟の誓いを立てた以上、敵討ちをしないわけにはいかなかったから。
義兄弟が殺されたのに敵を討たないとなると、劉備の名声が落ちる。これは避けたい。
もちろん劉備自身、苦楽を共にした兄弟の無念を晴らしたい、という気持ちもあった
だろうけど。これが第二の理由。
劉備はわざと関羽を義弟にした
劉備は、死にたかったんだろう。
関羽、張飛の居ない世で天下を統一しても…と。
わざと負けるメリットに比べてデメリットがでかすぎ。論外。
従軍した主だった将軍はほとんど全滅に近いもんなあ。
後漢末〜三国〜晋初に至るまでで、これほど一方的な敗戦ってないでしょ。
できるだけ多くの将兵を道連れにして
あの世でまた関張と旗挙げしたかったんだよ
45 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/07 04:44
なんかね必死でしょ
最近の劉備って
のAAキボン
何にせよ迷惑な話だな、劉備
諸葛亮が劉禅を傀儡君主にするため、劉備派を全滅させた
本人は白々しいこと言っているが、法正は彼が毒殺した
諸葛亮は初めから呉と通じており
関羽と劉封の死は計画的なものであった
劉備の死後、速やかに国交を回復したのはこのためである
入蜀後、自分より高位についた糜竺は弟を種にいびり殺した
間違って馬良まで殺しちゃたんで罪滅ぼしに馬謖を重用した
48 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 05:07
小泉総理が再選された翌日、私は散歩に出かけた。
まだ晩夏だというのに、既に木々の枝に青葉は無く、かさかさと葉が音を立てて
一斉に落ちはじめている。
動物たちの表情には失望と諦めが満ち、植物の葉に溜まった酸性雨が異臭を放っていた。
「人間が自然を慈しむ時代は、終わったのだな」
昨日まである大きな外人宅で飼われていたポチが、狂ったように私に言った。
「そうだよ、これからはこれまで以上に動物と植物が、いや強者と弱者がいがみ
あう時代なんだよ。」
普段は滅多に話に加わらないサルのヤッシーが、ポチの肩に手を置いてにやりと言った。
「空を御覧なさい。粉塵が立ちこめて太陽はかすんでるでしょ。生物に満ち足りた環境
は百害あって一利無し。」
曇り空のなかををカラスが横切っていった
49 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 12:58
なんか「菅原道真は藤原氏のために、わざと大宰府に流された」(愚管抄)と同じノリだな。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 12:45
赤壁はガチ
あぼーん
52 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/09 20:58
age
赤壁で曹操が負けたのもわざと?
いや、あれはガチ
でも官渡はわざと
実は陸遜は劉備だった
いや、陸遜は孔明で呉なしでは魏を倒せない
とし、わざと負けた
つまり孫権が劉備だったのか
蒼天では劉備にこう叫んでほしい
「兄弟のために天下を捨てていくんだよおおお!!」
60 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/20 01:53
あげ
61 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/26 16:54
赤壁はガチ
62 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/12 07:54
敵は取れずに返り討ちなわけですが
カリスマ傭兵で引っ張りだこ、ってのはいいなあ。
まあ、なんつうか、歳も歳だったわけだし、
痴 呆 て た の で は?
んなわけねーだろ
いや、ありえるよ
66 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/27 04:10
んなわけねーだろ
67 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/07 07:19
age
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/16 15:05
赤壁だけはガチ
69 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/16 15:41
んなわけねーよ
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/16 15:48
つか、普通に劉備が戦下手だったんだろ。
1がいってる通り下手ではないよ
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/17 14:39
赤壁はガチって・・・
赤壁って戦ってないじゃん
風土病が蔓延したため魏の撤退でしょ?
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/17 15:29
この手のネタスレにマジレスする香具師がいるとは…
>>72 ガセネタで塗り固めてある番組"その時歴史が動いた"では
「三国志最大の激戦はこうした幕を閉じた」で締めくくられていますた。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 07:54
史家ではなく小説家を呼んで歴史を楽しむ番組に
史実がどうのと言うのは正史厨ですよ
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 09:55
劉備は技と医療で負けた。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 10:12
「この布陣…こたびの戦、諸葛亮先生はおいでではないのか?」
諸葛亮が劉禅を傀儡君主にするため、劉備派を全滅させた
本人は白々しいこと言っているが、法正は彼が毒殺した
諸葛亮は初めから呉と通じており
関羽と劉封の死は計画的なものであった
劉備の死後、速やかに国交を回復したのはこのためである
入蜀後、自分より高位についた糜竺は弟を種にいびり殺した
間違って馬良まで殺しちゃたんで罪滅ぼしに馬謖を重用した
79 :
無名武将@お腹せっぷく:03/12/18 12:52
しかし、確かに、あんな簡単に国交が回復するものなのかと
子供の頃、演義を読んで考えていたことがある。
夷陵戦後
80 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>79 荊州奪還派のほとんどが死んでしまったからね
もう呉と争う必要がなくなったのさ
呉にしてみても同じ