>>41 松姫は八王子に逃れる際、勝頼の娘・貞姫(幕臣・宮原義久正室)と盛信の娘・督姫、
それに小山田信茂の娘・香具姫(陸奥国磐城平藩主・内藤忠興側室)の3人を伴って
いたらしく、3人の遺児は信松尼となった松姫に育てられていたようである。
信松尼を経済的に支援したのは徳川家に仕官した武田遺臣たちであり、その中心と
なっていたのが信玄、家康に重用された大久保長安だったという。
なお、盛信の子としては信基、信貞、督姫(母は武田信廉女?)と晴正(母は福知氏)
がいた模様。このうち二男・信貞は、武田家滅亡に際して油川氏を頼る。家康と対面し
た際、処罰を恐れて油川氏の子として申し出たため、史料上は油川氏と記載されてい
る。関ヶ原では東軍に加勢。後に子孫が仁科盛信次男の家系を名乗ることを願い出て、
これを許されて武田姓となる。
また、督姫は貞姫、香具姫と異なり生来病弱であったため、婚姻することなく出家して
おり、29歳の若さで没している。
なお、嫡男?の信基はおそらく「寛政重修諸家譜 清和源氏義家流」の仁科氏の頁に
記載のある信久と同一人物と思われるが、生没年などは不明。
晴正についても詳細は不明。