【鶴翼】三戦討論、陣形の意味について語る【魚麟】

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1無名武将@お腹せっぷく
三国志や戦国の野戦においての陣形の効果を討論しましょう。
小説・ゲーム・史実を問わず、それぞれの陣形の持つ効果・弱点はもちろん
打開策や兵法なども交えた、本格的なスレにしたいです。
とりあえずネタ振り
魚麟・鶴翼について語ってみましょう。
2無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:39
魚鱗
3無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:45
魚麟は突撃専用、
鶴翼は包囲専用、
終了。
4無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:51
魚鱗だってのに
七夕だってのに
6無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:55
>4
気にする事なかれ
7無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:56
7月7日に7ゲト
8不埒な野望 ◆2/0e3Mx1WE :03/07/07 21:57
烈風伝の陣形システムは最悪
9無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:57
陣形の効果なんて科学的な根拠はほとんど無いでしょ
あんなものは風水の一種だろう
10無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 21:59
霍弋だけは意味あると思うよ
11無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:00
魚鱗は兵が少ないよう。
鶴翼は兵が多いよう。

ところで疑問。
川中島で兵が少なかった武田が鶴翼を陣だったのはなぜ?
12無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:02
>11
堰月使うべきだよな。
13無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:07
>>12
残念だが字が違うようです
>>11
あの展開自体、架空らしいからあれだが、
きつつきで敗走してくるところを包囲殲滅だからあれでいいんじゃん?
15無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:12
そもそも、山の頂上に陣取っている軍勢が下から登ってくる
きつつきの攻撃で敗走するものなのか?
もしも謙信が気づかなかったとしても、普通に迎撃するだけじゃないのかな?
16無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:12
>13
スマソ
17無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:12
>>11
おびき出された上杉勢を受け止めるために最初は平陣、
上杉勢は車懸りを使ってきたので鶴翼に移行、ってことじゃなかった?
18無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:20
>>17
上杉は車懸りの陣っていうか到着した順に次々と軍勢を
出してきたわけでしょ?
なら鶴翼でわざわざ陣を薄くする意味がわからない・・・
19無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 22:44
>>18
自陣をえぐって行く相手の側面を突かせる為でしょ
まあ創作臭いが
20無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 23:02
>>17
 そもそも、戦闘の途中で陣形の再編などできるのだろうか?スキをつくることになるし。
やはり、武田本陣ははじめから鶴翼の陣を組んでいたのではないだろうか。
だからこそ、貫通力に勝る車懸りの陣に対処しきれなくて前半戦は武田が圧倒的に不利になり、
多大な犠牲者を出した、ということじゃないかな。

 
朝鮮出兵で日本軍の素早い陣形展開に明軍が驚いたとかなんとか
22無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 23:21
>>15
 謙信曰く、「戦は機と勢」。
辺りは真っ暗闇。敵はこちらが見えるが、こちらは敵が見えない。
敵はどれくらいの勢力か不明。こちらは寝込みで、戦う心構えも
できていない。・・・こんな中でイキナリ弓矢だの鉄砲だのを
撃ちかけられて、敵が本陣に突入してくれば大混乱になるのは必至。
ならば、ここは一度退いて、陣を立て直すなり撤退するなりするのが
自然と言うもの。とてもその場で迎撃などできないと思うよ。
そんなに簡単に夜襲が成功するなら百日も対陣したりはしない
24無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 23:37
>>11
 武田の兵が少ないっていうのはどういうことだろう?
色々説があるのでなんともいえないが、
   武田本隊 約8000人
       VS
   上杉本隊 約8000人
と把握しているんだけど。  
25無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 23:50
まぁ、配置場所によって効果が違うだろう。
鶴翼ってのは、相手を包囲して両側から包み込むようにして攻める陣形で
対鶴翼を攻める場合、片側から攻めるのが有効策じゃなかったっけ?
魚鱗はどちらかと言うと防衛用の布陣だったかと。
北方三国志には、そう書いてあった。
騎馬隊を使う場合はどうなんだろうかね?
26無名武将@お腹せっぷく:03/07/07 23:54
 「車懸りの陣」について・・・どんな陣形だったと思う?なんでも
上杉謙信発明のオリジナル陣形で、貫通力にすぐれ、陣形戦では
最強だったといわれる。その形態は、
 @本隊をはさんで左右両隊が助け合って車の轍のように
  たたみかける、というもの。
 A本隊を中心にして各隊が車輪が回るように波状攻撃を
  仕掛ける、というもの。
 B(例外)そんな陣形はそもそもなかった。
色々説があるけど。
27無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:00
 車懸りの陣は貫通力があるから、縦に薄い鶴翼の陣に対して
強い、ということだったな。
28無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:03
>>26
車懸りの陣の予想としては、多分騎馬体が半永久的に攻撃可能な兵法だと思う。
そういう手段となると、相手前衛を徐々に崩すと言う意味で、
防がなければ(打開策が無ければ)徐々に突破されるという内容じゃないかな。
例えば、平地で片翼から騎馬隊で突撃して、円を描きながら削る。
ぶつかり方としては、横からになるはず。
あくまで予想ですので、ソースきヴぉんぬとか出さないでください。
29無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:03
>>24
8000VS12000じゃないっけか?
30無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:04
八門禁鎖(あってるかな?)の陣って、どういう感じなんだろうか・・・
入り口と出口を見極めれば突破可能らしいんだが
31無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:08
陣形を見たときにどこから攻めたくなるか、そういう攻撃側の心理効果を狙ってる
んじゃないかなぁ。攻撃側でも防御側でも同じだけど。
突撃型の陣形って、中央に多く兵士を配置しておくことで、左右の折衝面が膠着状態に
陥っても先端部分に兵士を注ぎ込むことでどんどん押していくということなのではないの?
32無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:15
>>30
創作。

でさー三方が原の戦いも信玄は大軍なのに魚鱗の陣・・・
人生常に背水の陣
34無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:35
>>23
 あの長対陣は、お互いに動静を探ってにらみ合っていたからだ。
事は上杉軍が妻女山に陣を張った事に始まる。高坂昌信率いる隊は海津城
に篭っていて、妻女山はこれを見下ろす位置にある。初めはこれが有利
だったのだが、信玄率いる本隊が茶臼山に陣を張ったことで妻女山は
「死地」になってしまった。上杉軍は北(越後方面)の善光寺に後詰部隊
をのこし、南(信濃方面)の妻女山へ行き来して兵糧などの補給線をつくって
いた。しかし、妻女山から見て東の海津城と、北西の茶臼山を結ぶ斜めの線
によって補給線は寸断されたことになる。妻女山から降りて北へ移動しよう
にも、八幡原の平地で見通しが利き、しかも武田の形成した線を通って
いかなければならない。つまりは挟み打ちになる危険性がある。だから、
そもそも上杉が妻女山に陣を張ったこと自体、武田には解せないことだった。
>>32
そう。
反して徳川軍は何と鶴翼陣。
本来ならば両軍反対のはずだが、、、まあ
総大将の性格がでたってことで面白いっちゃ面白い。
今は無きにげろいへやすに詳しくかかれてたな、、、三方が原。
37無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:50
>>35
三方が原で武田が魚鱗なのは兵が坂を下ってるって見せたかったから
小部隊に見える魚鱗にしたんじゃないっけか?
38無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:06
孫子では、究極は無陣であり、臨機応変に対処せよ。
みたいなことが記述されてた様な気がするが、
コーエーゲーなんかでは最悪の陣なんだよな、まあそれを表現するのは難しいだろうが。
39無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:10
>>32
始め魚鱗に構えて第一線の部隊だけで徳川軍を受け止める。
敵が第一線にしっかり喰い付いたら温存してある第二線の武将が
両側に展開して鶴翼に変化、包囲殲滅する。
始めから鶴翼では幅広く布陣しているのが見え見えなので家康も
軽々しく攻めてはこれない。
40無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:19
鳳天舞の陣
>>39
だだっ広い平地で戦闘が行われ、物見がいなかった、
という仮定においてなら、まさに理想的だな。
42無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:28
まあ武田軍の方が二倍いたのだからどうやっても勝てそうっちゃ
勝てそうだけどね。
もし馬鹿正直に祝田の坂を降りていたら後ろから攻撃喰らって
負けたかもしんないけど。
43無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:38
そう見せかけて誘ったんだろ信玄は。
44無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 01:40
その通り!
そういえば三増峠でも荷駄を先に行かせて囮にしてたな!!
戦国時代の合戦話って
何処までが真実で何処まで講談レベルなのか分からん所がある
姉川の一件のように大名の自己宣伝的な意味合いも無いとはいえんし
46無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 06:00
 鶴翼の陣って、別な言い方すると、「く」の字に曲がった長蛇陣だよね。
長蛇陣は、「常山の蛇勢」がのぞましいとされる。頭が攻撃されれば尻尾が、
尻尾が攻撃されれば頭が、真ん中が攻撃されれば頭と尻尾両方が助けに行く、
というもの。
 上杉謙信の車懸りの陣は、片翼を踏み破る形態だったけど、もう片翼が
援護にくることを許さなかったあたり、ものすごくすぐれた陣形だと思う
んだけど。
47無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 06:11
 >>45
 たしかにそうだけど、それ言ったら始まらんでしょ。ロマンもない。
48無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 06:12
 おれは個人的に、謙信の性格からして川中島の合戦における
信玄との一騎打ちもあったと思ってる。
49無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 06:17
 なんで川中島は武田側の観点からしか語られないんだろう。
確かに、目的達成という面では、武田勝利だけど、戦の内容は
とても勝利とはいえなかった。前半戦の陣形戦においても完全に
武田の負けだし。
その展開は虚(ry
>>46
謙信は車懸りの陣なんて敷いてないだろう
陣形を採りあげているにもかかわらず、何故に信玄や謙信ばかりで語られて
いるのか疑問ではある…。

「車懸かり」が話にでてるけど、これって武田側がそう認識しただけでは?
上杉軍が、濃霧の中を戦闘態勢を維持したまま縦列行軍で進み、中途で武田軍
を右手に確認し、逐次反転して敵陣へ突入した、というのが実情であって、結果的
もしくは武田側の一方的な認識で車懸かりとされたに過ぎないんじゃないの?
要するに>>18にあるような経緯であって、間違っても>>26のAではない。

上杉軍はあらかじめ戦闘隊形をたもったままで行軍していたようだから、武田側の
劣勢の原因は、上杉軍の行軍から攻撃への移行のすみやかさにもあったと思う。
…で、話が少しずれるけど、『甲陽軍鑑』(というだけで2chでは叩かれるけど…)に
面白い記述がある。

「唐(当時の日本の、中国の呼称)の軍法、一に魚鱗、二に鶴翼、三に長蛇、四に
偃月、五に鋒矢、六に方円、七に衡軛、八に井雁行、是よきと申せど、皆合点仕ら
ず候」 (中途一部削除)

…(つまり、わけがわからん)と、ある。
戦国時代は陣形も体系的ではなく、地形や戦力、構成、主要兵器の比率などに
左右されて、確たる呼称のない陣形の方が多かったろう。
結果的にみて、合理性を重視して組んだ陣形が兵書の呼称と合致した、という
あたりが実情なのではないかと。
長くてウザくてごめんよ。
日本で陣法が重視されなかったのは、広い平地で戦うことが少なかったからじゃない?
>>54
仰るとおり、その点も考えてますた。
単に「地形」と書いたけど、大軍を展開できる平野部って、そう無いんだろうしね。
56無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 23:54
>>52
まず、なぜ上杉VS武田かっていうと、やっぱりそれだけ有名だし、激しい
戦だったからでしょう。後には戦の教科書とも言われているし。

で、上杉は濃霧の中を行軍していたのだろうか?私のみた資料では、逆に
はちあわせをしたくないから、八幡原に出たところで、一定の所に
とどまっていて、夜が明けて(6時くらいといわれる)お互いに存在を
確認してから上杉軍が突撃した、ということだったけど。
57無名武将@お腹せっぷく:03/07/09 01:04
>>53
まあ実際の感覚としても、「横に広がれば鶴翼」「縦に厚く構えて魚鱗」
ぐらいの認識はあっても、偃月・鋒矢なんかはどないせいって感じだし
密集体系で方円は有りかもしれないけど、衡軛だの雁行だのはね・・・
保守
59山崎 渉:03/07/15 12:27

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
時折書物で見かける車懸かりの図解は、本隊の周りを複数の部隊がぐるりと囲んだ
形をした物だったと思うけど、アレは江戸中期の人が想像で書いたものらしい。
実際には現代軍のように、特定の陣形を持たずに地形に合わせて部隊を配置する
というのが車懸かりの正体だったらしい。
そういう内容の事を数年前にテレビ番組でやってたよ。
>>51の立場は…
そもそも「車懸かり」って、方円の派生系のようなものだから。
謙信が陣として敷いていないものを、勝手に陣と名付けるなよw
つまり実際には「車懸かり」という「陣形」はなかったんだね。
65無名武将@お腹せっぷく:03/07/18 23:28
無かったというより、結果的にそうなったんじゃないのか?
いや、意味分かんね。
しようとしなかったのに、結果的も糞もあるかいな。
67無名武将@お腹せっぷく:03/07/18 23:41
>>66
上杉は時間が無かったから戦場についた順に軍を
出していったが、これが結果的に車懸かりの陣に
なったということ。
レベル下がってないか
69無名武将@お腹せっぷく:03/07/18 23:53
>>68
なんのレベル?
上げてくれ。
ニフラムが唱えられなくて困ってる。
レベル幾つまであげるべきですか?
71無名武将@お腹せっぷく
とりあえずLv4で。