栃木県の戦国大名を語ろう!

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150無名武将@お腹せっぷく
【悲劇の猛将】佐久山兄妹
佐久山家は扇の的で有名な那須与一の兄、次郎泰隆を祖としそれから17代目にあたる佐久山義隆は武力に秀でてその強さ鬼神にも勝る。
妹の佐久山芳紀、当時16歳。容顔並びなき美女であり、しかも兄に似て大力無双その豪勇は天下に鳴り響いていた。
佐久山義隆の妻は那須家の重臣である大田原資清の娘で智将大関高増(資清の長男)と義隆は義理の兄弟であった。
大関高増は弟で福原資孝(資清の次男)の領地が狭いことに同情して義理の兄弟である佐久山家の領地を奪おうと兵を挙げ佐久山城を攻めた。
迎え撃つ佐久山軍200人、対する大関軍300人。
兵の数でも不利な上に奇襲をうけた佐久山軍は防戦一方、本陣めがけて勢いづいた大関軍の配下、大野行秀は佐久山義隆に一騎打ちを
挑むが義隆の怪力で投げられた兵士の下敷きになり、あっさりと討ち取られその強さに驚いた敵兵たちはバラバラに逃げ出すしまつだった。
そのころ、佐久山芳紀はあでやかな鎧を着、三尺ちかい太刀を振り回し女だと舐めてかかった兵士たちを薙ぎ倒し、
いつのまにか形勢は佐久山軍有利に傾いていった。
そこは智将大関高増、不利とわかると父である大田原資清に休戦の調停をしてもらい、和解して戦を終わらせた。
力攻めでは分が悪いと考えた高増は計略をもって佐久山を討つことにした。
うずら狩りでもして、お互いの仲を良いものにしましょうと佐久山義隆の妻である姉に話をもちかけ、義隆を呼び寄せることに成功した。
うずら狩りを楽しんだあと、酒宴をひらいた。
無類の酒好きである義隆は見も心もゆるみ、高増に「もう一献、もう一献」とすすめられ、泥酔して寝込んでしまった。
高増は酒を飲む真似だけして、酒は敷物の間にこぼしていたので少しも酔わず、泥酔した義隆を槍で突き殺した。
義隆がうずら狩りにでかけているころ、佐久山城にいる妹芳紀は高増に金でつられて一味に加わった女中に
「あれあれ、芳紀様、井戸の中に大きな蛇が」という声に「どれどれ」とのぞきこむ芳紀を、後ろから突き落として大石を投げ込んで殺した。
その後、佐久山城は福原家のものとなり、義隆の妻は弟たちの所業を恨み尼となってはかない一生を終えた。