【国士】   韓信   【無双】

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かっちょいいですよな
2
3無名武将@お腹せっぷく:03/06/15 10:54
>>1
いいね
俺も好き
まず>>1が語れ
でも板違い
概ね許されているはず
ま た 無 双 ス レ か
【国士無双】   韓信   【でも股夫】 のほうがよかった
9無名武将@お腹せっぷく:03/06/15 11:29
韓信の天才的兵法は、人間が考え出せるものではないという。
彼の頭脳は現代のコンピュータに匹敵するものだったらしい。
まさに国士無双。しかし彼の容姿はひどく貧相だったようだ。
そりゃ、史記なんて小説鵜呑みにしたらそうなる罠
いんてるはいってる?
いや、俺はAMD派
韓信の用兵は孫子兵法に忠実。
本当に孫子通りに忠実に戦うとどうなるか、という例。
孫子に忠実とナ。
例えば?
15無名武将@お腹せっぷく:03/06/15 19:37
背水の陣考え出したのこの人だよね。
張良、韓信、陳平、ショウ何なんてのが仲間にいればそりゃ中国統一もできるわな。
16無名武将@お腹せっぷく:03/06/15 19:40
項羽の背水の陣とどう違うんですか?
項羽の背水の陣はひたすら死力を尽くして戦わせるため。
韓信の背水の陣は死力を尽くして戦わせると同時に、背水の陣に城兵まで引き寄せられたところを別働隊が城を奪う。

なお、韓信の背水の陣については漫画「ベルセルク」でグリフィスが同じ事をやっている。
イメージつかめない人はアレを見ればどんな感じか分かるのでは?
なぁ、背水の陣ってどこまで史実なのかな?
偶然って可能性もあるよな。

本軍が河に追い込まれそうになったから、
別働隊が城に突撃しただけとかさ。
19無名武将@お腹せっぷく:03/06/16 00:20
なんか良スレですな?
ただでさえ兵力で負けているのに、
偶然別働隊を出していて、
偶然城に向かっていて、
偶然城がカラになった、と?

パトレイパーの松井さんだったかな?
偶然も3つ重なれば必然だと言ったのは。
確かに松井さんですけど、それとこれとは話が別では?
「幾つかの偶然」の反対は「構想通り」とは限らないと思われ。

そもそも、広武君の策が取り上げられなかったことを探り出したスパイとは何者なんでしょう。
漢中から出でて1年ほどしか経っていないはずなのにスパイを潜り込ませているとは、
韓信はどんな手法を用いたんでしょうか。

とはいえ、迂回作戦を戦術の一環として行おうとしていたのは間違いないと思います。
22無名武将@お腹せっぷく:03/06/16 02:07
偶然なら別働隊は何の為に存在してんだよ(w
ワザワザ少ない兵力を割いて別働隊を編成してるのは
策があったからに決まってるだろ。
>>22
奇跡的ないし稀有な事象に対して賢しらぶってケチつけたがる香具師は、
相手にしない方がいいと思われ。
そういう香具師ほど、憶測でしか…
25'∀`:03/06/16 07:29
                          l⌒l⌒P
                       [二二]    >>1逝ッテヨシ!
                       (;Д;,)⌒ ̄`ヽ、
                       (  ー\  _」_,∠⌒`ヽ
                        \   、 ( ノ  、ー'⌒`   \
.      ‐┼‐  /              \ (_ノ   )、__,-―_\
     ┌┼┐ |ー┬‐            /'`    く \
     ├┼┤ |  |             / /、     >   ̄>
     └┼┘ |  |           ≠  / \_/〉─く__ノ
     ―┼―/ │          ≠   /   (_/
       |  /  |          ∠__ ノ
>>21
>広武君の策が取り上げられなかったことを探り出したスパイ
これは、趙側が篭城していたかどうかを探っただけなのだから別に不思議じゃないッスね。
斥候が離れたところから城の様子を伺うだけ。
別に、城内に入り込んで広武君の策の詳細まで調べる必要はありません。
このときの韓信としては篭城されているかどうかが問題だったから。

ちなみに漢は趙攻めの直前に韓信が率いていた精兵を漢王の下に組み入れた上で、
韓信(と張耳)に数万の兵(広武君いわく数千)を与えて趙へ遣わしています。
要するに韓信がこのとき率いていたのは魏や代を討った時の練度も士気も高かったであろう精兵ではなく、
新たに組み入れられたお互いになじみのない兵だったのです。しかも数でも負けていました。
それゆえ、そんな兵に死力を尽くさせるには孫子の言う「死地」へわざと追いやるしかなかったのでしょう。
楚漢スレ乱立やめろ
無双の糟スレよりはるかにマシだ。
>>28
確かにそうだが史記は板違いなんだよ。
板違いスレは一つでいい逆ギレやめろ。

呂布赤兎VS項羽鳥騅
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1050424537/l50
項羽と呂布、どっちが強いの?
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1049596913/l50
なんで同じようなスレ立てんだよ。
項羽と劉邦を語る Round2
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1043711582/l50
一つでイイじゃねーか。
板い違いなんだから少しは遠慮しろよゲスども
たしかに、一番下のスレで語ってやるべきだよな。
どちらも寂しい状況なんだし、盛り上げるためにも。
31無名武将@お腹せっぷく:03/06/16 11:58
自治厨ウゼェ。
32無名武将@お腹せっぷく:03/06/16 12:34
統一後うまく立ち回っていればなぁ
殺されなかったろうに
うむ、感心感心。
34怨霊:03/06/17 00:02
韓信の場合、相当うまいこと劉邦と呂后にゴマでもすらんとダメだったろうね。
背水の陣といい斉での対龍且戦といい、ほとんど魔法のような戦い振りは劉氏にとっては脅威に映るだろから。
もしくは仙人修行でも始めるか。
>>34
てか、何しようが絶対ヌッ殺されてたよ。
普段から野心の臭いをプンプンさせてる様な漢だからな。
>>35
実際に会ったのか?
>32
王になった時点で運命は決まっていた。
うまく立ち回っても数代限りだろうな
みんなそうだし
39無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 00:49
もし韓信が斉の国を建て、三国志みたいになったらどうなってただろう?
韓信、広武君李左車、カイ通ぐらいしか主だった人いないけど、張耳も味方になりそうだし
天下とってたかなー?
>>39
とりあえず蜀に引きこもってる劉邦の勝ち目は薄いな。
ただ項羽や韓信は寿命がきたら跡継ぎが不安。
時間との勝負だと思われ
蜀じゃない
42無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 01:09
劉邦が一番年いってるから漢がやばいんでないの?
感じとしては、魏が項羽。蜀が劉邦。呉が韓信で結局中立的な韓信が一番うまくやるんじゃん?
43無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 01:11
>>42
劉邦はブレーンが凄くないか?
44無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 01:18
45無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 01:25
確かにブレーン凄いだが戦においては韓信にかてるやつは居ないと思う。
もちろん韓信がいないから項羽にも勝てないだろうな
>42
魏が項羽、蜀が劉邦、呉が韓信だぁ?
劉邦は関中持ってるぞ。
しかも、あの時代の関中は人口も多いし生産能力も高い。
動乱が続いた関東を根拠にする、
項羽&韓信より地勢的には有利なはず。
47無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 02:02
>>46
関中は始皇帝が都を置き全国から商人を集めて大都市になったので
あって、それ以前は辺境の蛮地。しかも項羽に破壊されたから以前
ほど価値はなし。あの時代もっとも豊かな土地は韓信の斉じゃないか?
48無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 02:19
>>46
地勢が有利って・・・?
韓信が助けに来なかったら項羽にやられてたじゃん
項羽の戦は電光石火の動きをしていたから持久戦なんて案はないねー
>>48
史記程度読んだ?
軍事力でしか語れないあたり、さすが三戦厨だよ。
各君主の外交感覚、政略に通じた謀臣の存在、各国の後背地、外交戦略、匈奴の動向などなど…
このあたりは無視なんだからどうしようもない。
>>50
そうですね、どうしようもないですね。








三戦板に立ててホザクおまえが1番どうしようもないけどね
三戦板に立てて?
53無名武将@お腹せっぷく:03/06/24 23:04
>>50
無視してるわけじゃないが無視しても構わないほど項羽、韓信は凄い将だったんだよ。
いくら謀略に優れていても、いくら連合軍を作っても韓信が居なけりゃ劉邦は死んでたよ。
>>49
読んだけどなにか? 
>53
漢中、関中、巴蜀に籠もれば、
韓信と項羽が手を組まない限り
簡単には負けないと思うのだが・・・
匈奴にぬっ殺されます
匈奴に関しては、韓信の方が危なくないか?
>>51
勘違い?
自分は>>50だけど、>>1ではないのだが…。

>>54
同意。
洛陽を国都と定めようとしたのを、張良が関中こそ変事に際して要害となる、
としていたわけだし、漢中、巴蜀の地勢的優位性も大きいと思う。

でも、燕の臧荼や趙の張敖、彭越や江南の共敖、呉芮なんかもいるんだし、
安易に三国におさまるとは思えんけどね。
背水の陣って、実際は計算されつくした必勝の計略なのに、
現在の日本では自分を追い詰めて必死になるって感じの意味になってる。
中国でも同じ意味なんだろうか?
>>58
ああ、たしかに現代人が認識してる背水の陣って、項羽が鉅鹿で秦軍を破った
際の方を指してるよなぁ。
背水の陣が計算された戦術?
こういう香具師は、桶狭間の役を奇襲だったと鵜呑みにしてるんだろうな。プ(w
>>60
どうせ小説しか読んだ事ねーんだろ
ゴミのくせに知ったかすんなって(w
62怨霊:03/06/25 20:13
三国鼎立っぽくなったにせよ、>>54>>57の言うように
斉一国だとキツイだろうね。

あの時代は秦が他の六国全て滅ぼした直後。
潜在的にはそんくらいの力の差があると思うよ。
漢が旧秦領をガッチリ掴んでいるうちは優位は動かない。
あと韓信に従っていた曹参や灌嬰ら劉邦の将の動向にも注意。
彼らには韓信のお目付け役的な部分もあったかも。
>>60
赤龍王読んでから言えよ馬鹿
項羽が楚恋しさに漢中を離れちゃったのがそもそも痛かったのう。
まさに曰く「楚人はモッコウ(サル)が衣冠をつけただけ」ですな。

なんつって劉邦も楚人と大して変わらんがな。

>>61,>>63
日頃、原文で史記を読んでますが、何か?
>>65
それが?
読んでるから考察や意見も正しいとでも主張する気?

せめて「淮陰侯列伝」くらいは読んで。
>64
だって、楚の出身だし。
周囲の献策を入れる器があったかって差だろうな。
>>65
嘘付け、クズが。
漫画しか読んだ事ないんだろ?
>>65は読解力ゼロ
>>65
お前の壮絶な反論を皆が待っている
71無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 21:38
コイツはどこで兵法を学んだんですか?
>>64 関中じゃないのか?
73無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 00:39
まあ背水の陣は韓信が若いころから河をいじって考えた自信作だからねー
計算はし尽していたと思うよ。
でも、広武君李左車がいたら看破されてただろうし、
ある程度の相手にしか通用しなかったんじゃないかな
>>70
うむ、釣られてみようw
戦術を問うなら、実際に模擬戦闘でもやってみてからにした方が良いぞ。

まず、敵より少数なのに軍を別ける事はよろしくない。
野戦において、敵より少数であれば軍を纏めて敵の中核を狙うのがベストでしょう。
孫子も「則我專而敵分,我專為一,敵分為十,是以十攻其一也」という。
(我らが集まり、敵が分かれること、我らが集まって一になり、敵が分かれて十になる、
 これ、十を以って一を攻むる事なり)

ただ、仮に「十万対三万」と「十万対二万五千」で大きな差が出るか、というと大きな差
まではでないと思う。だから、牽制のために少数兵を迂回させることは戦術的に正しい
行為で、彼が非凡な周到さを持っていたことを示しているでしょうね。

とはいえ、別働の少数兵は牽制のためにすぎず、それ以上を望んだとしたら、その将
帥はあまりにも無知だと言えないでしょうか。なぜなら、もし敵が砦に主力を残し、別働
隊がその主力に飛び込むことになるのです。また、広武君が自論を固持して砦を守備
していたら何とする事か。おそらく大勢が討たれてしまい、一割も戻ってはこれないでし
ょう。そんな少数兵を虎穴に飛び込ますやもしれぬ作戦を、果たして"名将"とも言われ
る彼が採ったのか。
実際に砦を開け放ってしまった陳余の台詞はともかく、韓信が「きっと壁(砦)を空に」な
どと言った筈がないでしょうよw 司馬遷らのこうした与太話を信じるのも程ほどにした
方がいいな。

もちろん、趙軍が砦を何故か開け放ち、空き巣にしたのは確か。
ですから、砦が空き巣であることを察知した間諜や、砦を奪った別働隊の将官は賞賛
するに値しますよね。その原因も陳余らの酷い不手際に過ぎないんですけどね。
素人がサバゲーやっても、根拠地を空き巣にするなんぞ滅多に無いぞw

で、翻って見てみると、一連の戦闘が終わって仮に砦を奪えていなかったら、果たして
趙軍を破ることができたのか。史記や漢書を見ても「(趙軍は)壁に漢の赤旗が立って
いるのを見て大いに驚き、趙王や趙の将軍が捕まったと考え、混乱し遁走した」ですよ。
この「混乱し遁走した」切欠は別働隊が砦を奪ったことのはず。

韓信と張耳は負けなかった、潰走しなかったことが素晴らしかっただろうに、計略だとか
問うのはどうでしょうね。
>>74-75

すんません、俺の読解能力がないんでしょうか?
それともあなたの文章能力がないんでしょうか?
あなたの言いたい事がまるで伝わってこないんですが。
77怨霊:03/06/27 23:57
まず韓信は趙の司令官が儒者陳余だと知っており、また堅壁清野の作戦が取られなかったのを見て喜びました。
自分の計略に引っかかりやすそうな陳余が更迭されていない事がわかったからです。
韓信は相手を見てからこの作戦を立てたのです。

韓信は別働隊を出すと、本隊は敢えて背水の陣を構え、それから出陣しました。
そこでわざと旗などを棄てて逃げ出し、背水の陣に戻ります。
趙の城兵は、旗を奪いつつ韓信の本隊を追います。ここで趙は城をカラにします。
これは、趙の司令官の性格まで読んだ上での韓信の作戦の内です。
広武君なら確かに城の守りをもっと固めたかもしれませんが、上述のように韓信は趙将はそういった軍略家ではないと確信しているのです。
韓信は情報を正しく分析したと言えるでしょう。

わたしゃサバゲとか知らんですが、例えば根拠地からちょっと離れたところに1000円落ちてたら拾いに行っちゃいませんか?
たとえ守るのが自分ひとりだったとしても。
まして、楽勝ペースだと思えばなおさらでしょう。
韓信は自分自身と旗などの物資をその撒き餌に使ったのです。
んで別働隊は城を取り、趙兵に負けたと思わせることに成功しました。
最初からこういった一連の作戦が無ければ、そもそも別働隊が出ているはずないですね。
敵より少数なのに軍を別ける事はよろしくないですから。

また数の上では別働隊を出そうが一つにまとめようが正攻法で勝てる相手(自称二十万)ではありませんでした。
だからこそ陳余もあなどり気味でした。
しかし相手の慢心を逆用して撒き餌で城から引きずり出し、数の不利を背水の陣による死地効果でカバー。
兵法の教科書に出そうな高等戦術です。そんな教科書見た事無いけど。

あと、この時韓信は劉邦に精兵を明け渡した後で、数万の兵も集めたばかりでした。
まともにぶつかったら誰が相手でも韓信に勝ち目は無いでしょう。
この背水の陣にしても一か八かだったのです。

長文&文章能力不足失礼。
>>76
抽象的な表現と引用だけで済ませてるから。
確信がなきゃ数で劣勢の軍を三つに分けて別働隊にするなんて無謀きわまりないよ。
一かバチかという心境もあっただろうが、それなりの自信もあった様な気がするな。
>>76
すまん、オレの文章能力が無いのは確かだw
最後に総論を書いておいたんですけど、最初の段落に要旨を書いておくべきですた。
ほんま、スマソ... 最後の短い総論を読んでも判らないでしょうか?

>>78
抽象的な事柄が多いのは勘弁してw
比較するのはおこがましいですが、あの孫子だって抽象的な表現ばかりだし...

>>79
韓信と陳余が率いた軍は「数万」だから二〜三万ですよね。
敵が七〜八万だとして、砦に残るはずの兵を少なく見積もって一〜二万とすると、
本気で砦を落とそうとしたら一万は最低でも欲しいような気がします。
こうした数から言っても、彼が本気で砦を奪おうと考えていたとは...

>>77
あ、ギラン好き?の怨霊タソだ!(・∀・)
えぇっとですね。漏れも「敵の司令官のタイプを考える」ことはとても重要だと思います。
思うのですが、それに溺れて「敵が砦を空にする」と確信するのは考えが飛躍しすぎではありませんか?

>根拠地からちょっと離れたところに1000円落ちてたら拾いに行っちゃいませんか?

確かに、ひとりだったら行ってしまう方が多いと思います。
かく云う私も貧乏ですから行ってしまうかもしれませんw
とはいっても、趙軍は「ひとり」ではないのですから、
趙軍が最初から全軍を出動させるはずと考えるのは横暴ではありませんか。

結局のところ韓信が狙ったのは、砦を別働隊に窺わせて、
砦に帰る趙軍に「砦が狙われてるぅ!」と焦らせることが本来の目的だったと思います。
予想外に砦が空で奪うことができ、さらに敵が勝手に潰走してくれた。
そんなところではないでしょうか。
81怨霊:03/06/28 09:07
>>80
あのスレの方でしたか。

確かにこの戦いはでき過ぎているような感じも無いでもないですな。
半ば創作と考えるのも分からないでもないです。
ただ、80の
>砦を別働隊に窺わせて
と74の
>敵より少数なのに軍を別ける事はよろしくない
が矛盾します。
兵力差を考えると、本陣急襲を警戒させたところで攻めてくる敵の数が10万から8万になるくらいで韓信に勝ち目が無いのは変わりません。
要するに別働隊を出す意味があったとは思えません。
韓信が勝とうとしていた以上、わざわざ危険を冒して兵を分ける行為は城を取る目的のためと考えるのが自然でしょう。

また陳余側の思考としては、
「兵力差は数倍、楽勝!」→
「なんだコイツ背水の陣してるぜバカめ」→
「攻めてきたけどすぐ敗走しやがった。混乱してるみたいだし、ここで総攻撃して一気にけりをつける!」→
「お?なんだか手ごわいな。今日一日で落とすのはムリか」→
「あ?なんで城が取られてるんだ!?どうしよう負けたもうだめだー」
みたいな感じじゃないかと。
戦争は早めに片付ける方がいい、という常識に陳余は従ったのです。

陳余が城を空けなければ韓信が惨敗するのは明らかで、そこを指して一かバチかと表現しました。
韓信としても100%成功するという確信はなかったでしょうが、だからって別の手段を選ぶ戦力的な余裕はなかったのです。
韓信の戦闘前の自信ありげな態度はポーズでしょう。
ただ、陳余の性格だとかまで考慮して一番可能性がある作戦を選んだのです。
>…が矛盾します。

あ、それはですね。74でも書きましたし、後にも書きますたが、
本気で砦を窺おうとしたら、それ相応の兵力が要る。
少なくとも一万は必要になるでしょう。
その場合、敵より寡勢なのに軍を別ける事はよろしくない。
ただ、少数で牽制の兵を出す分には理に適っている。
と相成ります。

前提である「本気で砦を窺おうとしたら」が理に合わないことを
明示したまででした。
これらは理論的に矛盾・衝突しないんですよ、実は。

とりあえず、納得できない方も多いと思いますけど、
理解していただけたと信じて、漏れはここで打ち止めにしますわ。
怨霊タソも、また会ったらよろしく。コムズカシイ会話は抜きにしてねw
83無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 10:39
結局、自分の言い分が劣勢になったから逃げるって事か・・・。
それなら最初から根拠の無い主張などしなけりゃいいのに。
84怨霊:03/06/28 11:16
韓信は対魏王豹戦では船を使わず別働隊を渡河させるという奇策で勝利。
対趙は圧倒的な兵力差(練度や士気も含めて)を覆して勝利。
対斉でも趙の時同様に徴発したばかりの兵を率い、楚将龍且を河水を利用して分断、勝利。

韓信の戦勝はどれも劣勢を奇策で勝利しており、あまりに鮮やかです。
ただそれは韓信が常に兵数で負けているのに攻め込むという圧倒的に不利な状況で戦っていたためです。
圧倒的有利な状況なら史書に特筆されるような策は使わず勝っているでしょう。
韓信の華麗な戦歴は、むしろ辛い立場の連続だった事の証明でもあります。

そしてこの韓信の勝利のおかげで、劉邦は項羽を孤立無援にし挟撃できたのです。
この韓信による項羽挟撃戦略は韓信自身が献策したものでした。
韓信は戦略眼も大したものです。

ただ劉邦があそこまで苦戦し、何度も自分の兵を劉邦に献上して自分が苦労するはめになるとは思っていなかったかもしれませんが。
ナポレオンとかみたいにコンプレックス強そう。
才能あるけど見た目がね・・・ってな感じ。
99の岡村さんが軍略の天才みたいなもんか。
岡村って外見そんなに悪くないと思うが。
チビだからコンプレックスあんのか?
>>74-75のレスを読んでると、模擬戦やらサバゲ云々言ってるわりに、史料や
兵書の表面を撫でてるだけに思えるのは自分だけではないと思う。

>>77にある陳余が儒者である事、また韓信が趙側の情報を集め、李左車の献策が
退けられていた事実を知っていた事に関して、まったく言及していない。
陳余を知悉する張耳からも、韓信は陳余の情報を訊いていたと考える方が自然。
現実問題や実務に疎い儒者(ここでいう陳余)であれば、兵書の常道を鵜呑みにする
と予測を立てても無理はないと思える。

また、背水の陣をかまえて戦う漢軍に対して、何故か趙軍が城を空にした、とあるが、
戦場となった地形をまったく考慮していないようで、唖然とする。
また、隘路と背水という条件が、物資を放擲して趙軍を誘い出すための絶好の要素を
満たしているのだが、>>74-75はサバゲを嗜むようだが、本当に戦いを理解してる
とはとても思えない。
本拠を空にしても問題ない条件下での追撃、という現実も無いわけではない。
それから、わざわざ『孫子』を持ちだして兵力分散の愚を説いてるが、韓信麾下の
軍卒は寄せ集めなうえに兵力差が隔絶していたといっていいわけだし、仮に正面
決戦を行って中央突破を狙おうにも、数倍の相手が包囲を試みようものなら勝負は
みえている。
練度の低い弱卒であれば、尚更ではなかろうか。
兵力の分散と集中は表裏一体であって、敵を分散させられるから寡兵でも集中する
価値がある。

完全に計算された戦いとも言い切れないが、僥倖によって齎された勝利だとは、
絶対に思えない。
僥倖によって齎された勝利なんて言ってないよ
なんだろうかな。こんな人がいるのか。
>>87-88は何を基にした考えなのですか?

>本拠を空にしても問題ない条件下での追撃、という現実も無いわけではない
>兵書の常道を鵜呑みにすると予測を立てても無理はないと思える

酷すぎだよ...
そんな条件、無いだろう。そんな予測を正しいと言える訳が無いだろう。
どんな条件よ? なんでそんな後先考えない予測を立てるんだよ?
「本当に戦いを理解してるとはとても思えない」などと言ってくれたからには、
是非とも具体例を出してくださいね。そんな無謀な戦い方をしたからこそ成功した例を。

>戦場となった地形をまったく考慮していないようで

趙軍が城を空にすることと地形は全く関係がないだろう。何を言っているんだ?
地形を問う以前の失敗を趙がしていた、と言っているに過ぎないだろう。

韓信好きなのは別に構わんけど、斜め読みして穿った解釈をするのはやめてくれ。
せっかく最後としたはずなのに。
91無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 17:59
それは最初に>>60みたいな浅はかな文章を書いてしまったからじゃないの?
同一人物かただの擁護か知らんが、最初から穿った解釈してるのはどちらなのか。
ちなみに、俺は>>87-88じゃないよ。
同一ですよ。
正直信じてる連中がこんな多いとは思わなかったさ。浅はかだったねぇ
最初はネタフリのつもりだったんだけどw
93こおろぎ│・ω・):03/06/28 18:22
楽しいネタフリだな
出たな、偽の偽
95こおろぎ│・ω・):03/06/28 18:50
裏の裏は表
96無名武将@お腹せっぷく:03/06/28 18:53
重てーよ
なんだ、>>60はネタだったのか。
本気で僥倖によって齎された勝利だと
思ってるバカなんていないよねw
三戦住人って本当態度でけーよな。
ネタフリという単語を知らないバカが一匹
>>98
2チャネラーは態度デカイのがデフォルトの人格設定だから、
あんまり気にすんなよ。
韓信いいよねえ〜
天下取りの野心もあるけど自分を認めてくれた劉邦に義理立てして
なおかつ自分は帝の器じゃないってのも自覚してるところが
共感、最後の悲劇的結末に同情してしまう。
外貌が悪いのでバカにされていたのもポイント高し。
102無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 22:22
でも処刑してなければいづれ反乱起こしてそう
103無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 14:07
>>101
>天下取りの野心もあるけど自分を認めてくれた劉邦に義理立てして

言いかえれば自立心を欠いていたと言える
韓信の政治的判断力・決断力の無さが伺える
将として特化していただけの人物
>将として特化していただけの人物
それで十分凄いんだけど
age
106怨霊:03/07/05 18:12
あ、本物だ。

質問。
本当は趙との戦いではチビリそうなほどビビッてたんでしょ?
107 :03/07/05 18:35
あまり好きではないな。この男。
レキ生を見殺しにし、頼ってきた鐘離昧も
自己保身のため殺す。終わりよくないのも
当然。負けた田横のほうが余程ましかと。
108無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 19:04
>>107
は?鐘離昧は自害だろ。
韓信はずっと匿ってたんだぞ。
109 :03/07/06 10:34
>>108
殺したと同じでしょ。
漢王に差し出そうしたんだから。
それに比べて希布は良い人物
に匿われたかと。
自殺に追い込むのも殺害、ってね
鐘離昧は言ってみりゃNo.1のWANTEDだった人物だから、
そりゃ匿い続ける事は無理に決まってるだろ。
112無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 18:54
                       
113無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 11:51
三戦板に因んだエピソードを紹介すると
曹操の軍才は韓信に例えられてたそうだ。
その曹操が我が韓信と誉めてたのは張合β。
114無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 04:35
 >113
 張合って、一騎打ちの強い武将で指揮官というイメージがあるので、個人的には結構意外なエピソードだ。
 俺の中の韓信って、義経のように、戦術能力はすごいけれど政治は苦手な人というイメージ。
115無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 05:02
韓信大元帥
116無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 07:11
>>114
おいおい、一騎打ちが強いって、
演義じゃないんだからさ(w
>>116
演義厨は放置よろ
118山崎 渉:03/07/15 11:54

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
119無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 12:35
>>116-118
無双厨だろ?
120韓信(本物) ◆QWGDDLo2Oc :03/07/17 04:15
age
121無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 04:25
っていうか曹操は韓信のうまれかわりだしね
決め付け厨も放置よろ
決め付け決め付け厨も放置よろ
深夜になんでこんなにレスがつくんですか
っていうか小泉は馬謖のうまれかわりだからね
126無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 11:22
それじゃあ孔明は誰になるのかな。
森か?(たしかに宰相経験者だが…)

田中真紀子は、何后(何進の妹)あたりかな。馬謖とは関連してないけど
性格的に。
>>121
総合力では曹操の方が大分上だと思うけどね。
>>127
元ネタは〜(・∀・)ナイショ!
129無名武将@お腹せっぷく:03/07/18 06:30
結局司馬懿の天下
130無名武将@お腹せっぷく:03/07/18 20:02
っていうか司馬懿は司馬仲相のうまれかわりだしね
平和だなぁ。
平話だなぁ。
134レキ商:03/07/23 23:46
兄貴を帰せ!
清盛がつき、頼朝がこねし天下餅。座りしままに食うわ義時
子ども向けの中国の歴史とか、世界の歴史系のマンガでは
結構無視される人物だーね。韓信。
137無名武将@お腹せっぷく:03/07/24 09:51
>>136
まあ、
ナポレオンでいえば部下の元帥や
チンギス・ハーンでいう四駿四クみたいなのも
それらでは出ないしね
軍人蔑視かね?
138レキ商:03/07/29 00:43
コイツのせいで俺の兄貴は煮殺されたんだ!悲惨な最期も当たり前だ!
139無名武将@お腹せっぷく:03/07/30 23:37
伴野朗の【国士無双】どうよ?
古本屋で見つけて読んだが…
     

                                …つまらん
140あぼーん:あぼーん
あぼーん
141無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 15:11
関心ないのか?
韓信関連でネタ振らせて下さい。

鐘離昧と鍾離昧、どっちが正しいのかわからなくなりますた…・゚・(⊃Д`)・゚・
このスレでは鐘離昧で書かれていますが、Googleで検索したら
   鐘離昧 約14,100件
   鍾離昧 約15,900件
ちなみに
   鐘離バツ 1件
   鍾離バツ 約3件

彼の姓は“鍾離”?それとも“鐘離”?
鍾離
144あぼーん:あぼーん
あぼーん
145無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 00:54

   ,、___,、    ドキドキ
   \i i i/ ∧ ∧
    )=( ( ゚Д゚) 。○(ソースは?>>143
     l  `ノ=っっ
    ヽ=   ,|
      ̄U'U
>>145
か、、可愛い(つд`)

ソースはおたふく仕立ての史記・漢書・三国志など。
検索したところ、鐘離という姓の人物は一人もいなかった(と思う)。
147142:03/08/17 01:20
>>146サンクス。
自分の持ってる信用できる本でもみんな「鍾離」だったから、
ようやく確信できた!という感じで嬉しい限りザマス。
鐘離があんなに検索で出るのは変換しやすいからですかねぇ。

…一部で噂の伴野朗の【国士無双】では
“鐘離”が混ざっているのを確認しますた( ´,_ゝ`)プッ
>>147
「混ざってる」ってのが余計に哀しいな。
いっそ全部だった方がマシだ。
マークシートで全部1にすれば25点、みたいな感覚か
150147:03/08/19 01:04
一応、確認したのは有楽出版社のもの(第5版w
祥伝社で出版されたものを読んだ猛者はいませんか?
151無名武将@お腹せっぷく:03/08/19 03:20
ここまで凄まじい功を立てたのに、あまりに報われんよなあ・・・。
報われない人物としても、全時代通してトップクラスじゃないか?
どうしてもわからないことがある。
韓信が斉王になって半独立状態になったときも、劉邦が派遣した曹参や灌嬰は
そのまま韓信の下に留まっている。 彼らは韓信が独立志向を強めることに
対しての抑えにならなかったんだろうか? それに、斉王になった頃から劉邦の
救援要請に対してもあまり応じなくなってきた韓信に対して、何も言わなかった
のかな? やはり保身を図ったのかな。
153無名武将@お腹せっぷく:03/08/19 19:38
アフォが
>>152
史記を読んだ印象では、曹参は斉平定後も掃討戦を行っているようだから、韓信
の側にはあまりいなかったのかもしれない。
>>152
考えてみれば、韓信が独立した方が、曹参や灌嬰の立場って上がるのでは?
独立したとき王との仲が悪ければ命に関わるから、
下手に意見できなかったとか。

…こういうのを保身っていうのだろうか。
抑えになったかどうかは…わからないや。スマソ…
韓信の抑えになるぐらいの地位なら、
一緒に粛清されてるよ。
>>156
な〜る。
>>152
だいぶ前の記憶なんで、信憑性に欠けるけど…

曹参は、韓信の斉平定後は、項羽が討たれるまで斉にとどまってたはず。
だから国相の様な役割として、政情が完全には安定していない斉の統治に
携わってた可能性が高い。
もしかしたら、劉邦の内意をうけて韓信の監視も兼ねてたんだろう。
のち、項羽との戦いが終わるに及んで中央に復帰し、劉邦の長子である劉肥
が斉王に封じられると、自身も斉に赴いてる。

灌嬰の方は、斉平定の後は、項羽の派遣した竜且を討ち取り、佐将の周蘭を
捕えてる。
更に、韓信より淮水北岸域に派遣され、数人の楚将を討ち取るほか、楚領の
大半を征圧してる。
どうやら灌嬰の方は曹参とは全く役割が異なってるみたい。

その後はあまり関係ないけど、項羽の追撃、燕王・臧荼、代王・韓信とそれに
与する匈奴、鉅鹿で叛乱を起こした陳[豕希]、江南の英布などの討伐で軍功
を立て続け、呂氏族滅にも貢献。
最後は太尉、次いで丞相となって歿する。
劉邦麾下では最高の軍司令官かも。
>>158
内容はそれであってると思う。それからショウ何の死後、その遺言で中央で
丞相になった。 
言われてみれば、確かに曹参は斉の地と関係が深いね。斉王の肥の下でも斉の
丞相を勤めたということは、韓信時代の経験で、かの地の内情に詳しかった
からだったのかもしれない。

そういえば、司馬遼氏も「項羽と劉邦」の中で灌嬰の能力を高く評価してた。
それにしても、絹を売り歩いていた普通の商人にそれだけの軍才があったと
いうのは面白い。
>>159
まさに、豊臣秀吉・斉藤道三(こっちはわからんが)
個人的に戦国〜楚漢の時代の面白いと思うのは、登場人物の出自が極めて多彩である点。
元王族・貴族、盗賊・山賊・人殺し、商人、漁師、屠殺人、農民、学者etc…
他の時代、というより他国史でもこういう時代はあまりないのではないか?
>>161
確かに少ないな
>161
楚漢はともかく、戦国もそうなの?
>>163
結構いるよ。戦国というか、春秋時代に、奴隷から秦の宰相になった百里渓
は有名(渓の字が違うかも)。
>>164
そうなのか。
知識は横山史記を読んだ程度だからピンとこなくて。

でも、支配者は王侯貴族だよね?
で、各国で王族の血縁による支配が続く時代に終止符を打ったのも始皇帝という秦の王。
陳勝ら農民が一斉蜂起したものの、秦を滅ぼしたのは項羽という、これまた由緒正しき家柄の人物。
ところが、最終的に400年にもわたる漢を築きあげたのは農民あがりに劉邦なのだから面白いね。
>>164
敢えていえば、百里奚の出自が虞の大夫だったのは周知だろうけど、
『春秋左氏伝』に、鄭荘公に伐たれた許に、「百里大夫」という人物が
存在してるんで、由緒正しい貴族の家柄かもしれないね。
出自といえば、韓信も食うにも困ってたほどの極貧野郎だったんだよな。
>>167
韓信が南昌の亭長の下に寄食していたときに、亭長の妻が韓信を煩わしく思って
早朝に飯を炊き寝床の中で朝食をとり、韓信に食事を与えず、韓信がその意を
汲んで怒って出て行った話が笑えて好きだ。
そりゃ何ヶ月も何もしないでタダ飯くう奴が家にいたら誰だって嫌がらせも
すると思うのだが、そこで怒った韓信って…
169無名武将@お腹せっぷく:03/08/20 23:43
>>168
当時は妻に頭が上がらないってのは恥
>>168
妻=女 に頭が上がらないのが恥ってこと?
>>166
晋の隣国にあった国の大夫だったかな。虞か何か。
172無名武将@お腹せっぷく:03/08/21 00:47
>>164
百里渓は羊5頭と引き換えに秦に買われた人物だからね
奴隷になる前は虞と言う国の宰相(春秋前期は沢山の諸侯が乱立したらしい
から虞と言っても東京23区の一区にも満たない領土の可能性は高い)
史記列伝の英雄達はいろんな職種の人が多いね
唇亡びて歯寒しka

虞は地理上、かなり重要な土地だと思うよ。
>>172
春秋期の初め頃、諸侯の数は800ほどもあったというし、なにしろこの時代の
国の概念は一国一城みたいなもので、面というよりも点、といったほうがちかい。
大国でも二、三の城邑を所有するにすぎないし、現代の様に国土の面積が
ある程度の国の規模を示すわけでもないし。

>>173
虞は唇に喩えられるカクと南北で黄河を挟む様に存在してる国で、晋が黄河の
南岸へ進出するには是非にも抑えたい位置にある国。
北方は狄が蛮拠してるし、頭打ちに近い状況だったのかも。
最近じゃ香乱記の影響で、項劉スレでも取り上げられてるな、韓信

項羽と劉邦を語る Round2
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1043711582/l50

ここと住人かぶってそうだけど、参考程度に。
176無名武将@お腹せっぷく:03/09/18 13:34
楚漢期待上げ
最近誰もいないのか?

みんな項劉スレと伴野スレに流れたのか?((゚Д゚;)))