幸村だとか直江だとか言ってるうちは、まだまだケツが青い。
二十を超えたら家康に萌えい!!
2 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:19
俺16だけどもう家康で抜いてるよ。
やべぇこんな老けた16歳いていいのかなw
おまいつ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:25
,, /ヽ
/ ヽ i ',
/: ヽ,」. ',
/:: _ i
/:: 。 ! _,.. -,'ニニ=
t;:''ニ二,'''‐ 、_ i::: ゚ l--‐;:'ニ-'''"
``''‐ ニ,'‐-+- ∀ l ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
``'i‐ | < 新スレ乙〜〜
|::: | \________
|::: |
i:::. !
';::::. l
';::::.. i
ヽ:::::::................:::. ヽ
__,. ‐'":::::::::;:--‐‐、::::. ',
`''-、;;;;;;: ‐'" ヽ::. l
ヽ,l
彡
...::::::::::::::::::::::::::::...
::::::::::::::::::::::::::::::
5 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:26
6 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:33
あたいが家康に萌えたのは十一のときだあよ。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:44
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:49
9 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 02:54
志村けん
10 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 03:28
家康の前でうっかり武功自慢をして恥をかいた、清正萎え
11 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 05:44
秀吉の面前で
「殿下は私に勝っておらぬ!」
と厨な発言をする家康、萌え。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 14:22
秀吉の面前で
「殿下に陣羽織は着せませぬ!」
と厨な発言をする家康、萎え。
志村光安に萌えてるオレはまだまだでつか?
>>2は、家康の脱糞画像でご飯三杯はイケるそうです。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 14:47
16 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 15:05
「論語」って読んでみたら面白い
17 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 15:54
餓鬼は信長・秀吉・家康に燃える!
有名所に惹かれるヤシは餓鬼!!!
18 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 16:30
おいおい、俺たちは一般人の言うところの有名人なんてどこまでだかわかんねぇよ。
九鬼、斉藤利光、稲葉、山中鹿之助、里見、姉小路、松永辺りはマイナーズだろ?
三戦なら全員超有名でいいやろ
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 21:46
せこい政権ながら200年以上戦争起こさなかった政権を作ったのはたいしたもんだ。
今のDQN好戦ウヨ政治家なんか見習って欲しいもんだね。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 21:47
200年以上戦争がなく平和ボケした
幕府軍は長州藩に敗れました
23 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 21:49
おかげで明治にはいってから戦乱の世の中になりますた>長州
うんこ
25 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 21:54
せこくて泥棒気質の長州人が天皇のためとか言って京都での放火・略奪のたぐいを正当化したから、
その後のカルト日本帝国があるんだよね。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/13 21:56
まあ20〜21世紀が世界史上平和だと思っているヴァカはさすがにこの板にはいないだろうな。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/18 21:10
>>10 諸将が集う場で猿君が若き日の武功自慢。
で、調子に乗って自分の事を「日の本一の・・・」なんて言ったりしたものだから、
家康さんがうっかりガチトーク。
で、猿君も一瞬切れてドレッシングルームに引っ込んじゃったんだけど、
大人気ないと思い直してリングに戻り、家康さんとがっちり握手。
という話。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/18 21:12
>>餓鬼は信長・秀吉・家康に燃える!
>>有名所に惹かれるヤシは餓鬼!!!
有名どころの話を知ってる様で、意外と知ってないのが三戦板住人。
日本史板にはこないでね(は〜と
30 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/25 16:37
家康=我慢・辛抱・忍耐
の象徴。天下取れて良かったね
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 23:01
徳川家康は「ホトトギスが鳴くまで待つ」ような人では無かった?
広忠あっての家康だよ。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 23:15
>>32 >徳川家康は「ホトトギスが鳴くまで待つ」ような人では無かった?
むしろ、家康も秀吉と同じく「鳴かせてみしょう」という気がする。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/27 01:26
強い信長に逆らえずに信康を切腹させ、
弱い秀頼を攻め立てて殺す。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:20
山岡荘八小説並に好人物である可能性は?
>>35 信長が信康を切腹させた?w
おまえ戦前の人間か?
38 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:24
桶狭間、姉川、三方ヶ原、長篠、伊賀越え、
長久手、小田原攻め、関が原、大坂の陣・・、
戦歴は凄いね。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:28
でも戦国期の大名だったらそのくらいって気がしないでもないけどね。
三方ヶ原の戦いは家康に大きな変革を与えたと思うけどさ。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:37
家康って豊臣家を残すつもりあったのかね?
41 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:38
あるはず無いだろ。
後の世に禍根を残すようなことをするはずない。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:39
43 :
無名武将@お腹せっぷく :03/06/30 23:41
家康は寿命で死んだの?
44 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:43
家康の豊臣にたいする転封話なんて、
ブッシュがフセインに亡命すれば戦争を
しかけないってのと同じで、自分は戦争
をしたくないけど、むこうが断ったから
仕方ないって幹事で言った話にしか見えない。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:43
46 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:44
大坂から移って臣従を決め込んだら
豊臣家を残したかな。
秀吉の織田家に対する扱いみたいに。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:45
秀吉の織田と家康の豊臣は違うだろ。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:53
>>46 あの当時の徳川サイドの見解は、
秀頼が幼少のうちは、江戸か伏見で家康の世話になって、成人したら判断次第では取り立て
もできるだろう。国政を執り行うべき器じゃないなら、国を2、3与えれば良い
って感じだったらしい。
49 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:55
>>48 これのソースは伊達政宗が今井宗薫へ宛てた手紙「観心寺文書」だって。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:56
>48
でもそれって領地没収じゃないの?
52 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:56
53 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:57
54 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 23:58
>>48 この理由じゃあなぜカネの問題で、徳川が豊臣を滅ぼしたかわからんのだが。
>>44 どうせ応じるわけがない、と踏んで吹っかけた話じゃないの。
大坂城を退去するということは、いよいよ豊臣が徳川の風下に立つという
ことなんだから。
>>54 淀殿始め強硬派が転封に応じず、大阪城から離れなかったから。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:02
>>56 大阪城を離れなかったから滅ぼしたのか?
これじゃあますますブッシュとかわらないな。
それになんで離れる必要があったんだよ。
国政を執り行うべき器じゃないっていっても豊臣家臣がいるだろ。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:04
>>57 転封した、ブッシュってなんだよ?w
なら秀吉もブッシュだな。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:06
>>58 ブッシュはフセインに亡命したら戦争をしかけないって
言っただろ。
徳川は豊臣に大阪城をはなれれば戦争をしかけないって
言ったんだろ。
同じじゃん。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:14
>>62 織田信雄が転封を拒否したから、改易してるだろ。
豊臣なんて百姓上がりは今川とか吉良みたいな高家にもならないし、
一世を風靡して覇者になった打ち上げ花火なんだから残す気ないでしょ。
幕府だってまだ安定してなかったし、禍根は断つに限る。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:25
>>63 あーしかし織田信雄は戦争しなかったよな。
とりあえず徳川家康は豊臣家を滅ぼす気満万だったってわけだ。
しかし、織田信雄が関東転封を拒否しなかったら、家康はマジで奥州まで飛ばされてたのかな?
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:28
>>66 そりゃ、信雄は合戦をしなかったからな。
秀吉が信雄に転封を命じるのも、家康は秀頼に転封を命じるのも全く同じことには代わりが無い。
おまえの自論なら秀吉も間違い無くブッシュだな。
>>66 あの当時の徳川サイドの見解は、
秀頼が幼少のうちは、江戸か伏見で家康の世話になって、成人したら判断次第では取り立て
もできるだろう。国政を執り行うべき器じゃないなら、国を2、3与えれば良い
って感じだったらしい。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:31
>>69 これのソースは伊達政宗が今井宗薫へ宛てた手紙「観心寺文書」だって。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:32
まぁ漏れは秀吉がブッシュでもどうでもいいわけで、
家康厨が豊臣滅ぼすことを正当化しようとしてることが
イやだったわけだから、まぁ目的は果せて良かったよ。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:34
>国政を執り行うべき器じゃないなら、国を2、3与えれば良い
>って感じだったらしい。
家臣がいるじゃん。
それに秀吉の遺言で大阪城から出るなってのはどうなるの?
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:40
74 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:41
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:42
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:44
>>75 説明済みだろ。
むしろ不正だという論拠がないが?いや、マジレスすまんね。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:45
>>73 いや71が言ってるのは、
秀頼が国政を執り行うべき器じゃなくても
豊臣家臣が切り盛りできるってこと。
それに国政を執り行うべき器じゃなかったら、
国を2、3与えられても意味ないじゃん。
おかしいと思わないか?
78 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:45
>>77 豊臣家臣が何故国政を執る地位にあるのかね?
79 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:47
>>76 なぜ豊臣家が大阪を離れる必要があるんだ?
また離れないから取り潰すってのもおかしくないか?
少なくとも形式てきに
豊臣>徳川では無いにしても徳川>豊臣ではないだろ。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:49
>>78 主君が幼少だったら家臣が主君を助けるのが当たり前じゃないのか?
また主君が国政を執る地位が無かったらほかに国に移されたとしても
誰が国政を執るんだ?
81 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:50
>>79 >なぜ豊臣家が大阪を離れる必要があるんだ?
豊臣家が存続する為に他ならないが?
それ以上の意味があるわけない。
徳川(松平)家って本当に藤原系なの?
83 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:51
>>80 関白でもなんでもない豊臣家に国政を取る権利がないだろ。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:52
まさか、当時の徳川の主君が秀頼だなんて言っているわけじゃないんだろ?w
87 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:54
>>83 国政ってのは石高65万石の領地のことを言っているのだが。
>>87 伊達政宗がいっている国政は、日本国の国政のことだよ。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:56
伊達政宗が今井宗薫へ宛てた手紙「観心寺文書」
おおよそわし達の願いは秀頼様がご幼少の間は江戸か伏見で内府様のお蕎麦においておとなしく
成人したならば、その時はどのようにでも家康様のご判断次第でお取立てもできるであろう。
いかに太閤秀吉の嫡男であっても日本の国政を執り行うべき器の人でないと言え康が判断したなら
ば、二、三ヶ国の国を与えればよい。このまま大坂に置いていたならば機会を得て、世のいたずら者
がでてきて秀頼様を主人と仰いで担ぎだし謀反を起こしかねない。その者たちのために何もご存知
ない秀頼様が腹を切らなければならなくなり、そうなれば太閤様の亡魂も浮かばれますまい
90 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:56
>>85 そんなこと思ってませんよ。
>>86 徳川がかってに豊臣の領地をかえるのにどこに政党セイがあるんだ?
43のじゃ全然納得できないんだよ。
伊達政宗が今井宗薫へ宛てた手紙「観心寺文書」
おおよそわたし達の願いは秀頼様がご幼少の間は江戸か伏見で内府様のお側においておとなしく
成人したならば、その時はどのようにでも家康様のご判断次第でお取立てもできるであろう。
いかに太閤秀吉の嫡男であっても日本の国政を執り行うべき器の人でないと家康が判断したなら
ば、二、三ヶ国の国を与えればよい。このまま大坂に置いていたならば機会を得て、世のいたずら者
がでてきて秀頼様を主人と仰いで担ぎだし謀反を起こしかねない。その者たちのために何もご存知
ない秀頼様が腹を切らなければならなくなり、そうなれば太閤様の亡魂も浮かばれますまい
92 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:57
>>91 このわたし達の願いは≠ニあるから、政宗は徳川サイドの総意を代弁しているんだろうね。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:06
>徳川がかってに豊臣の領地をかえるのにどこに政党セイがあるんだ?
征夷大将軍だから?
95 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:14
問題はいつのまに徳川の天下になったかってことだよな。
関ヶ原後に勝手に豊臣家直轄領を勝手に分配したのは謀反
じゃないのか?
96 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:21
謀反ではないです(キッパリ
97 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:21
尾張が徳川のものになるのは関が原直後の所領分配?
98 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:23
99 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:27
100 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:28
101 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:29
>>99 つまり戦略というなの謀反ね。へんに徳川を美化しないほうがいいぞ。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:32
>>102 どうしてこうアフォとかが出てくるんだろう。
別に謀反はすばらしい戦略だと思うよ。
いっきに権力を手に入れることができるんだからね。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:36
>>104 おまえめちゃくちゃだ。論拠も何も無く謀反ってなんだよ?アフォだろ。
どうしてお前見たになアフォは存在するんだろうな。間抜けな司馬弛緩の影響か?それてもカルト皇国史観か?
107 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:37
>>105 主君の領地を勝手に自分のものにして、それから十数年後には
主君だった豊臣家に命令し、逆らわないらといって攻めるしまつ。
謀反じゃなくて下克上かな?それともお家のっとりのほうが正しいか。
徳川家康はすばらしい戦略化だよ。
108 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:37
109 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:38
戦略化じゃなくて戦略家だった〜(^^;
110 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:39
>>107 関が原で東軍は勝利したんだから、恩賞を貰うのは当然だ。
大坂では豊臣家は徳川の主君ではない。
一体、これのどこが謀反だ?アフォか。
>>110 大坂の陣では豊臣家は徳川の主君ではない。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:43
>>95 豊臣家直轄領に手を出したっけ?
恩顧大名を次々取りつぶしていったり、味方に引き込んだりしていっただけだと思ったが。
もともと豊臣家の直轄領は60万石くらいだろ?
113 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:44
>>110 関ヶ原で東軍は西軍に勝利したね〜。
その大義名分は豊臣家を石田に担ぎ上げられた秀頼を助け、豊臣家
をしっかりとした道に導くことでしょ。
これは君が
>恩賞を貰うのは当然だ
って言ってるのからもわかるように、この時点で西軍が負けたとしても
豊臣家>徳川ってのがわかるよね。
でも恩賞を貰ったんじゃなくて奪ったんじゃないかな?
謀反じゃなくて戦略だった(w
>主君の領地を勝手に自分のものにして、それから十数年後には
関が原で勝ったので大老家康がみんなに褒美を出した。
>主君だった豊臣家に命令し、逆らわないらといって攻めるしまつ。
征夷大将軍徳川家康に従わない浪人達とその主を討ち滅ぼした。
戦略というか、至極当然のなりゆきだろうな。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:46
>>113 事実を歪曲して徳川を謀反人にしたい基地外がいるようだな。
>>113 論拠のない決め付けレスだな。レスが欲しいのかね?
117 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:52
関白と将軍ってどっちがえらいの?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:53
>>114 >関が原で勝ったので大老家康がみんなに褒美を出した。
ふ〜ん。豊臣家の蔵入地200万石を徳川家の天領にしてるね〜。
自分の領地に配るの?
それに豊臣家を守るためにあいず征伐、関ヶ原行ったのに、数十年
後に自分で滅ぼしてやんの〜。
>征夷大将軍徳川家康に従わない浪人達とその主を討ち滅ぼした。
この時点で豊臣>徳川になってるわけだけど、なんで〜?
関ヶ原のときは大老としてなのに〜(w
119 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:55
>>117 そりゃ関白。
つーか悪い。眠くなってきたから寝るよ。
また明日暇だったら遊んでくれ。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:56
www
121 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:56
>>118 将軍になったのは関が原のあとだ。
てか、こては常識だぞ。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:56
基地外逃走〜
124 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:58
>>121 あ〜さすがにそりゃ知ってるよ。
>この時点で豊臣>徳川になってるわけだけど
これ間違い。不等号逆だった・・・。
とりあえず家康は豊臣の内紛を利用して天下とった
ってことはおまえらも認めるんだろ。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:59
いぇい!
126 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:00
>>122 三方が原でも徳川家康は逃げてるじゃないか〜
三十八計逃げるにしかずだっけか?
とりあえずこのさびれたスレを伸ばしてやったんだからさ〜。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:00
>>117 どっちともいえんだろうな。
もっとも、家康は政体将軍になった時、豊臣は関白ではなかったけどな。
てか、こんなことも知らんやつは向こう5年はロムってろ。
>>124 関が原は、三成が害意をもって豊臣家大老家康に挙兵した謀反だろ。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:03
ようするに関ヶ原は家康が正しかったと
>>126 そうか、親切でやってくれてたのか、あとでお返しに豊臣関連スレに乱入してあげるよ。
執拗に毎晩も毎晩もね(♥
130 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:04
>>127 しかし家康は勝手にほかの大名と婚姻を結んでるよな。
また三成の謀反で西軍大名の領地をけずり、東軍にあた
えるのはありだとしても、堺、佐渡などの重要地や蔵入地
を豊臣から徳川がとったのは納得できんな。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:05
>>130 勝手に婚姻を結んだら謀反か?ばかばかしい。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:06
133 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:08
三成の謀反は戦略じゃないの?
135 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:09
>>131 いいや。そこは謀反ではないだろ。
しかし禁じられているのに婚姻を結んで親戚を増やすってことは
謀反の疑いがあると思われてもしかたないんじゃないのか?
しかも大老筆頭が。
疑いをかけられるようなことをした徳川は悪くないのか?
あと後半のほうの反論もよろ。
つか眠いんだっちゅ〜(ry
136 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:11
>>133 三成は名目上西軍総大将を大阪城においてたわけだから
謀反といえるのか?
>>134 正義は無いと思うよ。無用の戦をおこしたわけだからね。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:11
>>135 アフォか。大老に対して挙兵した時点で、三成一党はれっきとした謀反人だよ。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:13
>>136 大老を利用し大老を攻撃した謀反人フィクサー三成だよ。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:15
毛利とか上杉とかは謀反人なんですか?
>>139 上杉討伐は豊臣家の命だから
謀反人というか、豊臣家からみれば討伐対象。
毛利は謀反人に利用された可愛そうな人たち。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:16
>>137 135の>そこは謀反ではないだろ
ってのは家康が婚姻を結んだことにたいしてだからな。
で、大老ともあろうものが遺言によって禁じられた婚姻
を結んだわけだから三成が危険と感じてもとがめること
はできないだろ。徳川家康の自業自得。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:18
>>140 しかし実際徳川家康は豊臣家の直轄領を奪っているわけだが。
この事実は忘れてはならないよね〜。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:22
なんか、豊臣派が盛り返したなぁ〜
徳川派は、調子に乗って三成まで謀反と言い出したのが…
三成が謀反と言ってしまうと、徳川の豊臣家臣としての立場を問われてしまうからな
145 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:27
そうはいっても豊臣派にだれも援護にきてくれなかったわけで・・・
漏れは一人だったわけで・・・(TT
146 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:30
明日もがんばれよ(w
147 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:32
148 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:36
>>144 何処が盛り返しとるんだ?
俺も、三成は謀反人だとおもったぞ。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:39
>>142 そりゃ、豊臣家に対する謀反を起こした三成を討ち果たしたわけだから、直轄領からも褒美はでるだろう。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:39
>>147 39、41、44、45〜
ってかんじだな。じゃ。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:42
>>150 なんだ。やっぱり、秀吉厨だったのかよ。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:43
>>149 褒美といって、豊臣秀頼の許可はとったのか?
さらに褒美といっておいて主家を上回る石高を得る。
これをのっとりとわないでなんという?戦略か?(w
さらに数十年後にその豊臣家を滅ぼしていることを忘れるなよ。
マジでじゃ。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:43
婚姻は謀反でも何でもないだろ。
そもそも遺言守ってるほうがイカれてる
チカラが弱まった豊臣家が崩壊するのは目に見えている
いわば「日本のために必要な下克上」うまく言えんが。
>>152 大老が代わりに国政をおこなうから当然だろ。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:45
>>152 豊臣家が滅亡したのは転封に応じなかったからだろ。
いうなれば自分から滅んだようなもの。自業自得だ。
156 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:47
>>153 ふぅ〜。粘ったかいがあったよ(^^
「日本のために必要な下克上」
この言葉・・・
つまり謀反だ。のっとりだ。裏切りだ。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:48
>>156 俺は153じゃないから、自論を展開する。
間違い無く謀反ではないだろうな。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:48
>>156 どこが謀反だ?言ってみろ?153が言ったから〜か?w
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:49
いぇい!
>>148 いや、考えても見なされ
家康が豊臣に属すればこそ、三成は謀反人と言える訳よ
でも、実際は関ヶ原が終わって少しして、将軍に就いているだろう
こうなると話が変わってくるわけ
謀反人を討った忠臣が、主君より上位になったら…もう忠臣とは言えまいて
三成を討った豊臣の忠臣が、豊臣を討つ、なんてのは矛盾がある訳よ
だから、徳川が豊臣に対して謀反人でないと言うのなら、三成に触れるべきではない…と思うのだよ
161 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:53
関が原で大老に挙兵した謀反人三成を討つ、そのご大老が恩賞分配。
幕府開設後、大坂の陣で謀反人浪人衆と担がれた主を滅ぼす。
一体、どこに謀反があるんだ?根拠の無い決め付けレスは止めたまえ。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:53
付き合ってくれて有難う〜。
もう漏れはやり遂げたかんいっぱいだ〜。
戦略だと大老としてだのいろいろと話は出てきたが
>「日本のために必要な下克上」
墓穴をほったな(w
日本のため?ええそうですね。豊臣じゃあ天下は乱れたでしょう。
それに才能ある家康が農民のガキなんかのために身をささげるなん
てこともできんでしょう。
しかし裏切りは裏切り。下克上は下克上と。
じゃあに〜。
163 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:55
>>160 将軍就任は勅命だぞ。
勅命を蹴る奴があるか。
>>162 だから、どこが謀反だよ?お前のレスは論拠がないんだよ。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:59
謀反
自分が代わって君主になろうとして
兵を起こすこと
下克上
地位のしたの者が上の人をしのいで勢力を
ふるうこと
実際問題すでに豊臣の勢力を凌いでいたわけだから
下克上には該当しない。もちろん謀反にも。
豊臣家の人間の痛い勘違いじゃないの?
166 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 02:59
徳川派が勝ったか(w
167 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:01
さすがに、家康を謀反人と呼ぶのは厨房くらいで、まとな歴史愛好家ならそこまでは呼ばないだろ。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:03
おっとたくさんレスがついていた・・・
>>157 一度徳川は豊臣に臣下の礼をとったわけだ。謀反じゃないとしても、
ちぁらのある家臣が知からの無い主君を追い払ったのだから「下克上」
を行ったといっても差し支えはないだろう。
>>158 うん。まぁうれしい。
>>161 まず婚姻を結んで誤解えおうけるようなことをして関ヶ原をおこす
原因を作ったな。まぁそれはよしとして・・・
関ヶ原後 三成をうった。大老が恩賞分配もいいだろう。
しかし十分西軍の大名取り潰し減封の領地で東軍大名の領地は
まかなえた。
問題は豊臣家直轄領を徳川が65万石以外すべて奪ったこと。
これは主君にたいするぼうとくと思わないか?
170 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:07
>>165 169参照のこと。
>>168 そりゃあ家康を謀反人と呼ぶのは厨房と暇人ぐらいだと思うよ。
まとな歴史愛好家なら勝利者を賛美するからね。
ところで、謀反と謀叛の違いについては述べないのか?
秀吉崩御直後の家康なら謀叛には値しそうだが
>>161 ちょっと待ちなされ
>幕府開設後、大坂の陣で謀反人浪人衆と担がれた主を滅ぼす
豊臣のために謀反人を滅ぼした徳川が、幕府を開くというのが矛盾なんだよ
何故、豊臣のために謀反人を討った者が、主君より上位に就いたのか?
ここを説明しないと、三成を謀反人とする意味がないのだよ
だから漏れは、三成には触れない方が良いと言ってるのだよ
>>163 その通り。勅命ですな
で、何故、勅命があったのか?それは根回ししたからだよ
まさか朝廷が善意で、将軍位を与えたとでも言うつもりなのかな?
>>168 >さすがに、家康を謀反人と呼ぶのは厨房くらいで、まとな歴史愛好家ならそこまでは呼ばないだろ
まあ、これは分かる
だが、それを証明するために三成を謀反人というのも厨房くらいと思うわけだよ
いっとくが漏れは、豊臣派でも徳川派でもないよ
173 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:12
>>171 そんなん知らんもん。
とりあえず漏れはマジで寝るからあとは適当にやってくれ。
じゃ。
謀叛と言う言葉が出てきただけでも漏れはうれしいさ〜♪
175 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:19
>>172 中立の人も来てくれたか・・・
家臣として三成をうったはずなのに、うった後将軍につくのは
本末転倒ですよね。
では〜。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:19
>>173 おつかれさまでしたりせっとぼたんおして
でんげんをきってください ただしくせー
177 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:20
178 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 03:30
もともと制度的に豊臣の覇権が固まっていたわけではないからな。
婚姻の裁定にしても、裁定主体が大老か奉行かはっきりとはしていなかったので、
その辺りを家康につけ込まれた、と。
豊臣のために三成を伐ったわけではなく、自分の覇権確立のために「豊臣のため」を
口実に三成を伐ったんだろう。
豊臣政権末期は不人気だったから、家康に覇権がうつったのも当然といえば当然の成り行きだな。
後世の人間の感傷はまた別だろうが。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 10:36
ところで家康って麦飯で、どうやって太ったの?
隠れて豪華な食事してたんだろな。
秀吉とか信長は隠さないでやるけど、家康はこういう陰鬱なところが嫌いだよ。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 10:47
>>180 隠れて食べてた根拠すらないようじゃ、話にならんだろ。基地外。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 10:55
>>172 >豊臣のために謀反人を滅ぼした徳川が、幕府を開くというのが矛盾
それが矛盾であるなら、豊臣政権の存在も幕末の薩摩も長州も矛盾であるな。
>>180 君の想像力に乾杯だ。
副食物とか、量とかについては考えなくて良いのかな?
もちろん、史料に基づいてだが。
それとも、家康は人前では麦飯しか食べなかったという記述がどこかにあるのかな?
あるなら是非その史料について(稀覯本なら所在地も含めて)教えてもらいたいものだ。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:00
>>179 三成も自分の既得利権を守る為に大老に対し謀反を起こしたといえるな。
>>182 荘園の存在から、院政、鎌倉・室町の両幕府も付け加えておいて欲しいな。
荘園:私有地の存在は律令制に対しての土地制度についての矛盾。
院政:律令制に対しての政治制度についての矛盾。
幕府:律令制に対しての政治制度についての矛盾。
>>184 まあ、戦後処理の表向きはそうだろうし、確かにそういう見方も成立するな。
権力の奪取を含む体制の変革はどれも矛盾や下克上的要素を含むだろう。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:32
自分の息子を見殺しに出来る香具師は、
他人の息子秀頼を殺しても屁とも思わないよ。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:41
>188
わかってんのか?
戦国時代だぞ
190 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:46
「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう・・・」
と言う家康は逝って良し
191 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:47
>>191
御用学者の意見でしか?
193 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:51
194 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 11:53
>>190 家康の時ほうが秀吉の時より年貢が低いぞ。
そういえば比叡山焼き討ちも、地層を調べたら大規模な火事はなかったらしいよ。
>>191 どういう理屈なんだ?
>>193 その事実とやらを説明なされ
>>194 豊臣は七公三民
家康の頃は、七公三民
同じだが…
なんか昨日の夜よりレベルが低いな…
夏の陣のあと、秀吉の墓まで壊さなくても良かったのにねえ。
>>190 言うだけなら構うまい。
>>196 大規模な外征は農村に負担をかけるだろう。
長期的な平和を実現した方が農村の負担も軽くなると思うのだが。
非人制度作ったの、家康だよね?
>>198 >大規模な外征は農村に負担をかけるだろう。
>長期的な平和を実現した方が農村の負担も軽くなると思うのだが
この手の理屈は、豊臣の天下を脅かし諸侯を挑発し
会津征伐や関ヶ原の、一方の雄である家康が主張できることではないのだが
外征は駄目で、内戦は良い…とでも仰られるつもりかな?
農民に対する負担は、どちらも大きいことには変わりないだろう
平和とやらを、一時的にとは言え乱した張本人…家康もその一人だと言うことを忘れてはいけないよ
>>199 それ以前からあったろう。身分制度が固まった中で、被差別民の固定化も進んだだろうが。
現在、被差別部落民(「部落民」)と呼ばれている私たちの先祖は、
少なくとも中世にさかのぼるさまざまな被差別民衆だったと考えられています。
江戸時代、浅草に幕府の下にあって東日本全域の被差別民衆を支配した
「弾左衛門」(だんざえもん)という人がいました。
平安後期から鎌倉初期に摂津国から鎌倉に移り住み、鎌倉幕府を起こした源頼朝によって
被差別民の支配権を与えられた。その後江戸に移り住み、江戸近在の被差別民を
支配するようになる。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/tkburaku/history/
202 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 12:23
>>196 秀吉は百姓を土地にしばりつけ年貢を納める道具として酷使したが、家康は百姓の保護に努めている。
>>199 んなわけない。
実際には東日本ではなく西日本に部落が多いことが政治起源説とは矛盾するな。
>>200 反日で終った関が原と朝鮮出兵では規模が違い過ぎるだろ。お前馬鹿か?
>>200 長期の外征の方が負担が大きいことは分かるだろう。
しかも、失敗してる。
無用の外征しかも長期戦より、強力な政権確立に繋がる短期戦の方が評価できる。
強力な政権の確立による、平和の確立と維持の功の方が大きいだろうな。
質の違うものを同一視するのは乱暴だな。
戦争なら皆同じ、というのは思考停止に過ぎない。
205 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 12:26
>>196 家康の対農政策には一定の生活基準を保証する主眼があったが、秀吉のそれには一切ないからな。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 12:28
>>190 それは百姓は財が余らぬよう、不足が無いように治めるべきだという意味だ。
>>202 一体、どの様な保護をしたの?
家康の頃は、大規模な城塞の建築、河川の改修など
豊臣期と同じようにインフラ整備を行ったため莫大な金が必要だった
>>203-204 …何いっとるんだ?
関ヶ原が反日で終わったのは、あくまで関ヶ原での戦闘のみだ
それまでに会津征伐から、家康の大坂入りまで
兵が徴用され兵糧が浪費されなかったとでも言うのか?
まさか戦争が反日だけだったという者がいたとは…レベルの低さに呆れかえる
さらに家康と三成の相克が、あれ程早く決着が付くという保証もなかったのに
さも、必ず早期に決着が付くと言わんばかりの発言…
平時に戦が起こることの危険性は無視と言うことなのかな?
>>204 >質の違うものを同一視するのは乱暴だな。
>戦争なら皆同じ、というのは思考停止に過ぎない
戦争の質の違いは分かっている
だが、農村の負担に関しては
外征であろうと内戦であろうと負担がかかることに変わりない
自分は
>>198に答えて
>>200の返答をしただけで、戦の質まで口を出す気はないよ
>>205 >家康の対農政策には一定の生活基準を保証する主眼があったが、秀吉のそれには一切ないからな
それは、一体どういう物だったんだ?説明してくれよ
210 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 12:51
>>203 >反日で終った関が原と朝鮮出兵では規模が違い過ぎるだろ。お前馬鹿か?
馬鹿は、おまいだ
関ヶ原は、あくまで主戦場だけのことで、北は東北、南は九州
全国規模で戦闘が起こり、それに各地で一揆も起こっていたのを知らないのか?
会津征伐以降のことは全国規模の戦争で
一歩間違えていたら内乱に突入しかねない物だったのだよ
211 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:00
>>209 天正17年7月
領内に七か条定書を交付し、統一的な徴収法を示す一方で、農民を酷使しないように命じている。
家康の政策は一定の率の年貢で農民の生活を安定させた。秀吉の政策に比べ大きな進歩といえる。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:02
>>210 いや、間違い無く馬鹿はお前だw
半日で終った関が原と朝鮮半島全土で長期にわたって継続された朝鮮出兵とはあまりにも規模が違うだろ。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:03
>>211 天正って、豊臣政権期じゃねーか
徳川政権期の事を挙げろよ
214 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:05
>>213 家康の領内の話だから、間違い無く家康の対農政策だろ。馬鹿なこと言うな。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:06
>>212 反日で終わったのは関ヶ原での戦闘だけだろ
一局地戦だけをもって戦争を語るのか?
>>207は無視するのか?
216 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:06
秀吉は手加減なく百姓から搾取しつづけた悪魔
家康は百姓の生活の安定させた偉大な統治者
217 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:07
>>214 で、その家康が天下を握るや、豊臣と同じ七公三民の重税を課すようになるわけだw
218 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:07
>>215>>207 ばかばかしくてスルーしたんだよ。
関が原は明らかに朝鮮出兵ほど長期でも大規模でもないだろ
219 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:08
豊臣派にすごい厨がきているな。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:09
>>218 知らなかっただけだろ
九州や、東北、北陸の事とか、一揆のことを
国内で全国規模の戦争を、規模が違うと言って誤魔化すなんて…
223 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:11
>>221 戦争の規模は国の疲弊と密接な関係があるだろ。
ごまかしはおまえのほうだな。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:12
よほど、大規模で無益な海外出兵だった朝鮮出兵にふれて欲しくようなだw
あれほど、日本を疲弊させた無益な戦争はないぞ。
朝鮮出兵はボケ社長が晩年に自ら乗り出したゼニ失い事業。
会社が傾いただけで社員はいい迷惑。
正直、豊臣派、徳川派どちらもイタイ
関ヶ原が大規模で、内乱の可能性を持っていたのは事実だし
朝鮮も多大な浪費に終わったのも事実
だが関ヶ原を反日で終わったと主張してる
>>203>>212が一番イタイ
さすがに徳川派も、これに同調するのはよした方がいい
>>221 三成軍を誘引して野戦に持ち込むというのが家康の描いたプラン。
大体、野戦が1ヶ月も2ヶ月も続くか?。
地方の連中はそりゃあ続くと思っただろうがな。
しかし、会津征伐軍と三成軍の戦闘が終息してしまえば、地方の連中
に戦う理由はなくなる。
>>227 せっかく
>>203>>213に同調するなと言ったのに…
会津征伐が6月16日に家康大坂出兵で
9月16日に関ヶ原の合戦なわけ
戦争自体は6月16日から9月18日の佐和山落城までだ
野戦だけが戦争じゃないと言うことだよ
229 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 13:30
質の違いから今度は規模の違い…
冷静になれよ。
どう見たって、戦起こした被害はかわらんだろ。
しかも210がちゃんと全国規模の内戦状態だったことを教えてやってるじゃないか。
関ヶ原は反日なんて馬鹿スレだけは止めとけ
話を元に戻すが、家康って陰険じゃね?
三河一向一揆の時もあるしさ。
あれも美化できるのか?
>>229 朝鮮出兵は国家事業だろ、あれ。
まあ、どれだけ賛同している人間がいるのかは別にして。
しかもそれなりの年数をかけての海外戦争だろ。
だが、関ヶ原の合戦に伴う国内の混乱状態は、主君・秀頼の命ずる
ところの会津討伐軍VS反家康軍の駆け引きと、それに便乗した地域
紛争。しかも3ヶ月プラスαの。さらに秀頼に弓を引けば、反乱軍に
なることを誰もが承知のうえでやっているわけで。
明らかに性質が違うものじゃないのかね。
>>230 じゃあ、根切りをやったら美化されるのか?。
>>231 もうよせ
性質の違いは誰も否定してないぞ
豊臣派の奴も、しっかり外征と内戦という形で区別してる
豊臣派は、その上で国内における大規模な戦争のため、内乱に突入する可能性もあったと言っている
その可能性は否定できる物じゃないよ
そもそも戦争の規模云々は
>>203の「反日で終った関が原と朝鮮出兵では規模が違い過ぎるだろ。お前馬鹿か?」
と言う、電波発言からで、もう、この話題はこれくらいで切り上げるべきだよ
>>226 歴史は可能性より実際の結果とその後に与えた影響を重視すべきじゃないのか?
たら、れば、論を事実と混同するのはどうかと思うぞ。
関ヶ原戦役と朝鮮出兵を比較して、本当に同列に並べるのか?
それに、軍事的負担は策源地からの距離によって増大する。
輸送も食糧を消費する。海外への出兵の方が負担が大きい。
>>233 内乱に突入する可能性を云々するより、長期戦に持ち込まずに片を付けた家康の手腕と
その他の条件に着目した方が良いんじゃないか?
それとも、全ての歴史的事例について可能性について語るのか?
桶狭間は失敗する可能性があった、対明智戦は長期化する可能性があった……馬鹿馬鹿しい。
>>234 >歴史は可能性より実際の結果とその後に与えた影響を重視すべきじゃないのか?
>たら、れば、論を事実と混同するのはどうかと思うぞ。
>関ヶ原戦役と朝鮮出兵を比較して、本当に同列に並べるのか?
>それに、軍事的負担は策源地からの距離によって増大する。
>輸送も食糧を消費する。海外への出兵の方が負担が大きい。
誠に、その通り
ただ戦争の性質を考えるに、関ヶ原は全国規模で戦が起こり、一揆まで誘発した事実は無視できない
さらに内乱勃発に到らなかったのは、家康の力量による物であって
戦争の質には関係がないことだ
応仁の乱などと同じように、内乱の危険性のある戦争を
家康が優れた能力によって押さえ込んだというのが、「関ヶ原における結果」なんだよ
後、自分は
>>226で朝鮮と関ヶ原を同列には語ってないよ
>関ヶ原が大規模で、内乱の可能性を持っていたのは事実だし
>朝鮮も多大な浪費に終わったのも事実
あくまで、双方の戦争に、上記のような事実があると言っただけだから…
>>233 最後に確認しておきたいのだが、貴殿らが指摘する「内乱」とは
「秀頼に弓を引けば、反乱軍になることを誰もが承知している」
ことを前提とする「内乱」で良いのかな?。
>>235 >内乱に突入する可能性を云々するより、長期戦に持ち込まずに片を付けた家康の手腕と
>その他の条件に着目した方が良いんじゃないか
その通りだよ
でも
>>203の電波発言の後、戦争の規模だの戦争の性質に、話が取って代わっただろ
「戦争の性質」から考えるに、内乱突入の可能性はあった、ということなんよ
>>236 >>238 農村に与えた負担が発端だったんじゃないのか?
それを語るのに可能性を語っても仕方がないだろう。
戦争の性質を考えるにしても、可能性を重視するより他に考慮するべき点が多いだろう。
関ヶ原の際の一揆にしても、越後の上杉遺民一揆や南部の和賀一揆なんかは、
それぞれ上杉や伊達という朝鮮出兵の影響が比較的少ない大名が関与してる。
他のケースについては疎いが、農村にどれほどの影響を与えるものだったのか、
個別の事例を挙げて考える必要があるだろう。
規模、場所、その後の年貢への影響などが分かればいいが、それは難しいにせよ、
ただ一揆が起こったとだけ語っても仕方がないだろう。
織田信長は八公二民
豊臣秀吉は七公三民
徳川家康は六公四民
>>237 自分は、どちらかと言えば、応仁の乱に近い形の内乱になると思う
豊臣家にあれ程の戦争を押さえる力がなかったという事実があるため
戦争が膠着すれば、内乱に陥る可能性を否定できない理由の一つなんだよ
つまり
>「秀頼に弓を引けば、反乱軍になることを誰もが承知している」 ことを前提とする「内乱」で良いのかな?。
秀頼など僮でも良いとぬかす奴が出てくる。そんな規模の内乱になると思う
>>239 >農村に与えた負担が発端だったんじゃないのか
その通りだけど、誰も規模については触れていなかったのだよ
外征も内戦も、農村に負担がかかることには違いはないって主張だったし
それが規模や性質の方に流れたのは、
>>238で説明したとおりだよ
>関ヶ原の際の一揆にしても、越後の上杉遺民一揆や南部の和賀一揆なんかは、
>それぞれ上杉や伊達という朝鮮出兵の影響が比較的少ない大名が関与してる。
>他のケースについては疎いが、農村にどれほどの影響を与えるものだったのか
この辺は、ややこしすぎるよ
とは言え、大規模な戦争が起こってる最中の一揆だから
関ヶ原を語るときに無視する訳にもいかない
この様な、複雑な情勢を利用し収束させた家康の力量は言うまでもない
後、自分は、家康の力量を認めた上で話を進めている。その事を解って欲しいなぁ
>>242 了解。
と、いうか自分として気になることは述べさせてもらったので、
別にこれ以上どうということはない。粘着気味になってすまんね。
家康の力量については評価する方向で一致しとるね。
>>243 解って頂けて、とても嬉しい
スレタイの「徳川家康の魅力が解らない香具師は餓鬼だね」
通りの話題に戻るけど
自分は、家康の魅力は信長、秀吉ら天才肌と違い
「辛酸をなめても忍従し、色々な環境下において成長を遂げていった」
こういった努力型なところが、餓鬼には解らない魅力の一つだと思うよ
>>244 自分から言えば当然の事
「徳川家康の魅力が解らない香具師は餓鬼だね」 これならば、まだしも
敢えて言おう
家康、秀吉、信長の力量を評価できない香具師は
カスであると!!!
――――――――――――――――v―――――――――――――――
_,..----、_
/ ,r ̄\!!;へ
/〃/ 、 , ;i
i,__ i ‐=・ァj,ir=・゙)
lk i.l /',!゙i\ i
゙iヾ,. ,..-ニ_ /
Y ト、 ト-:=┘i
l ! \__j'.l
」-ゝr―‐==;十i _,r--――、
.ト、.j.!レ' ̄三! >ーr‐r‐r‐< _,.r<"「 l_____
____,..r--r=ヾヽj,r―'"≦__ ̄ ̄r―'"\\ \r",.-、, \
∧ ト-'‐'"三へ>ト-‐'"~ ゙i / \\(_.人 ヽ._ ヽ
レ'へ._ノi 「 \ ゙l //./",「 ̄/ / / ヽ-ゝ. \ /
レ'// .l l ! ! i/./ ./ / / / ,( \ ノハ
レ'/ .! ! i ゙'!  ̄ ∠, / ヽ._ ,ター '",〈 !
/゙" ,r'" .l‐=ニ゙,「l ! 「 ̄!. /./ ー==' .l.ト、. -‐'"/!.ト,
確かにな、家康の手腕なんかは俺も評価するな。
だが、豊臣攻めやらの陰険な手口は好きになれんなあ。
秀吉は死ぬ間際に密かに家康を枕元に呼んで、
「そなたの才能は、信長様の十倍も優れている。必ずや日の本を安定させてくれるだろう。
秀頼が補佐するに値する男なら、もりたててやってくれ。しかし、その器量がないよう
なら、遠慮しないでそなたが取って代わってくれ」
と云い残したんだよ。
だから秀頼が成人するのを15年も待ってその器量を見極めたんだよ。
太閤の遺言を忠実に実行したわけだ。さすが家康は律儀だよね。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 18:07
>>43 ノンノンノン!
真田幸村による猛攻撃によって本陣も総崩れになり
輿に乗って後退してる時に槍で突かれて死亡。
以外は近くの南禅寺とやらで埋葬。
南禅寺に家康の墓あり。
死んだ家康の代わりに家康にそっくりな小笠原秀政が
「信濃は・・・」ともっともらしい一言を言って
戦死したことにして家康を演じさせた。
そして世間が戦後の落ち着きを取り戻した1年後に死亡ということに。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 18:56
お〜今日もこりずに徳川派はがんばってるのか〜
と思ったらもう終わってるのかんじだな・・・
251 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 18:58
252 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 19:04
254 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 19:22
家康に征夷大将軍に就任された時点で豊家の負け。
武家の棟梁になったことで、主従関係は消滅したと権威的には思われただろう。
新恩給与と本領安堵を家康が取り仕切った時点で、実質的に諸大名は家康に従っていた訳ではあるが。
それ以降、豊臣家が家康の命に逆らえば、即討伐できる。
頼朝以来の武家の伝統だからやむを得ないことではある。
久々に覗いて見たんだが、結構繁盛してたんだな・・・。
家康を正統に評価しようとする人が、結構いるのが意外。
三戦板だよな、ここ。
>>254 三国志で劉備が孔明に言った言葉を変えたもの。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 20:52
このスレ1日だけで200も伸びたな
259 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 20:59
夏の陣のとき家康何歳よ?
譜代の家臣はほとんど代替わりして
若い者ばかりでその中で
陣頭指揮してる家康はすごいね。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:01
世良田二郎三郎の立場は?
261 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:07
74歳
262 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:13
戦国時代を一日だけ見せてもらえるとしたら、
やっぱり関が原決戦を眺めて過ごすよな。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:15
>>259 勢い込んで大坂まで出張ったけど、
その後は意外とやる気がなかったみたいよ。
殺る気満々だったのは、むしろ秀忠。
264 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:17
やる気のない家康は考えられん。
265 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:19
>>263 そう「殺る」気満々だった秀忠。
そりゃあ関ヶ原での遅参を挽回する千載一遇の好機だもの。
でも、功に逸って味方が前進しすぎたため、秀忠本陣も西軍の攻撃に
曝されるハメに。
その時、七人斬りをやってのけたのが柳生宗矩。
>>265 「このままマッタリ包囲しておこう」
「攻撃は年明けでいい」
などと申しておったそうでござります。
秀忠クンのやる気の凄さは有名だよね?
268 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:25
秀忠が勇むのはわかる。
じゃあ家康が本多忠朝や松平忠直をけしかけた話は?
>>263 家康は全軍に「食糧は3日分で良い」と指示を出しているよね。
つまり今回はサッサと決着をつける腹積もりだった。
野戦から一気に城攻めに入るというね。やる気がなけりゃあ秀忠に
任せるでしょ。
>>268 夏の陣ね。
あの時はあんまり士気が上がらなくて
藤堂勢と井伊勢の所にとばっちくりが全部いっちゃったんだよ。
で、忠直クンが怒られて・・・
>>271 冬の陣についてはマターリ路線でしょう。
大坂城を包囲するのも、砲撃してネズミを巣から追い出して講和に
持ち込むため。
マターリ、マターリとね。
273 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:31
ああ、冬の陣の話か。
まあでもやる気がないっていう表現はなんか違う。
こもられたらやっぱりどうにもならんな、さあてどうするか。。
って戦略をじっくり考えてた、こんな感じでしょ。
>>273 まあ、秀忠クンと比較して、という意味で受け取ってくれれば。
「殺る気」な彼が、結構好きなんで。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:44
おれは秀忠が怒られるのが好き。
視察はお辞めくださいと諫言するも、
何がわかろうぞって怒られるのも、
東海道を慌てて上り、各大名を混乱させて
たしなめられるのも、好きW
>>273 最初から包囲戦を想定していたよね。だから事前に攻城用の大砲を
発注していたわけだし。
>>270 忠直はそのおかげで大坂城一番乗りを果たしたけど、そのために
家康が真田勢の突撃を受け、そして…
>>275 救出された千姫を「なぜ秀頼と共に自害せなんだ!」と怒鳴りつけ
ながら、それでも涙を流しながら抱擁してしまう秀忠も好き。
278 :
263で1でもある:03/07/01 21:50
>>270 >>家康が真田勢の突撃を受け、そして…
やめなさい(w
でもそういう話も、嫌いじゃない。
>>276 反転した越前兵が真田軍を討ち取り、家康は事無きを得たとさ。
めでたし、めでたし。
280 :
263で1でもある:03/07/01 21:53
そう言えばこの間テレビで、
千姫に宛てた家康の手紙が(夏の陣後)紹介されていたが・・・。
なんつーか、どうにも砕けられないお人なのだなぁと、改めて思った次第。
それでも一生懸命に言葉を綴る文面に、ちょい感動。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 21:54
嘘ついたからって言っても、
西尾〜に褒美やらないのはちょっと可哀想じゃないか?
>>282 二説なかったけ?
西尾無言説と西尾べらべら説。
でも、千姫を救出した坂崎出羽守も可哀想だよね。
「救出した者に千姫を嫁がせる」と言われて頑張ったのに…。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 22:14
でもなかには「どうせネタでしょ」とか
思ってた武将もいたとかいなかったとか・・
ネタにマジレスしたようなものか…鬱。
287 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 23:41
>>284 坂崎は仲人を頼まれただけだったような?
小説や漫画だと必ずと言ってよいほど暗殺されてますが、なんで?
>>288 表向きは謀叛ということになっているけどね。
千姫を貰う約束を反故にされたことに端を発し、坂崎が本多家に輿入れする
千姫一行を襲撃しようと企んだそうだが…ホンマかいな??
なんか急に伸びてますねこのスレ
>>289 実際にそんな放言をしたらしいね。
んで、お取り潰しがいやならって家老に吹き込んで首を取らせたとか聞いたよ。
ソース判んないけど。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 14:55
豊臣の体制があのまま続いてたら
日本はあんまりよくならなかったような
気がする。
>>292 ここは豊臣の悪口を言うスレじゃない
スレ違いは(・∀・)カエレ!
294 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 16:46
脱糞男の事か?ありゃ、する事も鞍壷も汚いから好きちゃいますねん。
>294
たわけ! これは腰に付けた焼味噌じゃあ!!
296 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 16:57
しかしお館、食う勇気はなかったろう?
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 17:03
家康の心理
信玄>信長>自分≒秀吉>三成>>>>福島正則
>>298 信玄が攻めて来ても信長についていったんだから、こうだろ。
信長>信玄>自分≒秀吉>三成>>>>福島正則
>>299 家康の“焼き味噌”は下痢じゃないってw
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 17:55
どうなんかな、家康は信長>信玄と見てたのか?
信長の方が上だが、自分の性格的に師匠は信玄って所か。
303 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:23
時代にもよるんじゃないか?
若い時は信玄を敵としかみることは出来なかったが
年とってからは信玄を改めてみなおしたとか。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:37
305 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:40
信長>信玄>雪斎>自分≒秀吉>三成>>>>福島正則
306 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 18:40
>>303 年取った家康が信玄のどこをみなおしたんだ?
>>306 領国経営なんか信玄のそれを踏襲している点が多いし、「武家諸法度」なども
「甲州法度次第」を参考にしたと思われる点が多い。
年を取った家康、ということではなく、武将としての成長過程、特に本能寺の変
以後の拡大期において、という意味なんじゃないのかな。
それでいて宗教政策などは信長・秀吉路線を引き継いでる。
色々と学んで、良さそうな部分をそれぞれ取り入れたんだろう。
>>308 むしろ、信玄路線よりは信長、秀吉路線を引き継いだもの方が多いよな。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 20:50
まぁ全部ひとりで決めるわけじゃ無いし
ブレーンが他の良いとこ取りするのは普通だよな
でも信玄に影響は受けてるな
信長の経済政策を見ていると徹底したフロー型、秀吉・家康のそれはストック型
と明らかに分かれるね。どちらが良いのかは別として。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:01
>>307 >>「武家諸法度」なども「甲州法度次第」を参考にしたと思われる点が多い。
こらこら、武家法のテキストでちゃんと貞観政要っていうがあるの。
基本はみんな、それ。
家康は信玄を見習ったって言う香具師は昔から多いけど、何を元にして言ってるんだ?
頼朝を尊敬していたというのは出典がちゃんとあるけど・・・、?
313 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:04
戦略が似てるからじゃないの?
え、どこが?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:09
たぶん「ふ〜ん」で終わるようなことだとは思うが、
武田信玄は上洛(?)の時篭城してれば絶対有利だった
徳川家康をおびき出して壊滅させた。
徳川家康は関ヶ原合戦のとき篭城してれば絶対有利だった
石田三成をおびき出して壊滅させた。
戦争の前に入念な調略を行い戦争の前に勝つ。
私は、徳川家康が「ホトトギスが鳴くまで待つ」ような人でも無かったと思います。
むしろ、家康も秀吉と同じく「鳴かせてみしょうホトトギス」だったと思います。
みんなは、どう思いますか?
>>315 >石田三成をおびき出して壊滅させた。
いくらなんでも、これは違う。
>戦争の前に入念な調略を行い戦争の前に勝つ。
これは信長も秀吉もしてるよ。
てか、以上の戦略をとると信玄の影響ってのもなんだかな。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:14
同感。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:16
>>317 やっぱり人生で敗北した人の影響は計り知れないものがあると思うけどな。
>>317 西軍を大垣城から関ヶ原に誘引した…とも言えなくもないが、俯瞰で
見れば、西軍の包囲の中に東軍が突っ込んでいく形だよね。
包囲しても側面が動かなければ意味はないが。
信長もそうだけどさ。
そもそも、信玄が画期的な発見・発明・新戦術の使用などをした事実があるのか?
漏れは聞いたことないんだけどね。
>>313はいい香具師みたいなのでイジめたくはないんだが...
322 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:28
>>321 >画期的な発見・発明・新戦術の使用などをした事実があるのか?
孫子を手本にしてるから信玄が編み出したってのは無いんで無い?
でも重要なのは使うべきところで使えるってことじゃん。
>>321 信玄堤などの治水・灌漑事業や軍用道路、狼煙網の整備…弱いね。
金山衆の軍事利用…これもどうだろな。
領国経営や城砦の整備はどの大名だって多かれ少なかれやっている
わけだし。
324 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:40
敵をおびき出してたたく「かんらかん」
>>319 >>やっぱり人生で敗北した人の影響は計り知れないものがあると思うけどな。
結局そういう・・・、物語なんだよね。
「敗北することで何かを学んだ」という美談に仕立てて膾炙するのが一番口当たりがいい、と言うのか。
それが悪い事だとは言わない。
「歴史学の常識」なんて物を振りかざすだけじゃあ、
過去を辿る事の意義ですらどうかなっちゃう訳だし。
だけど三文仕立ての物語では、家康の真の魅力が見えてこないんじゃない?
326 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 22:50
家康の真の魅力とは?
一言で言えば、徹底したリアリスト。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 23:02
しかし天下を取るものはほとんどがリアリスト。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/02 23:04
つーかリアリストじゃなきゃあ、大名(政治家)は勤まらん。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:19
徹底したリアリストにしちゃ三方ヶ原は痛いな
ま、いろんな事考えて出てったとしても
あの負け方はやりすぎ。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:22
>>330 恐らく関ヶ原後のことを言ってるんだと思うけどね。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 01:22
↑三方が原ですた・・・
>>330 若気の至りということもあるでしょ。何事も経験だからw
334 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:21
自領をなすがままに蹂躙されててさ、
誘っているのはわかったとしても目の前を素通りしてる
おれでも出陣するっつーの
335 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:26
そして糞を漏らす
336 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 02:30
武田と真正面で対陣したときは怖かったろうなあ
>>335 長丁場の戦いでトイレにも行けなかったろうしねw
>>336 というより、生き長らえて逃げる時の方が怖かったんじゃないかな?。
>>335 >>337 家康曰く、糞ではなく味噌だそうです。
>>336 出陣前に酒を飲んだらしい。飲まなきゃやってられなかったらしい。(「覇王の家」より)
>>330 もし、篭城していたら家臣の心が離れて滅亡 それならば、出撃すべし
という考えだったらしい。
まだ、「その時歴史が動いた」が「堂々日本史」だったころに、そう説明していた。
それに、戦法もそれほど無謀ではなかったらしい。
三方原台地の崖下に沿って縦隊で進軍してくる武田軍を
鶴翼の陣で迎え撃ち、武田軍の先頭を個々に包囲して順次撃破していく戦法。
ただ、信玄は家康軍の出撃を見るや、直ちに軍勢を台地の上に移動させたため、
家康の、台地を一種の壁として利用する意図が挫かれたばかりでなく、
徳川軍に対して圧倒的に有利な陣形を取ることができた、ということ。さすが信玄です。
しかし、家康といえば、小牧・長久手の戦いがもっとも面白いと思うのだが、如何だろうか?
340 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 17:34
まぁ家康が信玄に敗北したことで信玄を尊敬した部分はあるだろうな。
信長>秀吉>三成>>福島正則<<加藤清正<<家康<雪斎<信玄
これくらいで結論にしろや
>>340 前半同意
井伊の赤備え などは家康の武田信玄への憧れを象徴している
後半
信長、秀吉と家康は比較できないと言いたいのでしょうけどね。
じゃあ、雪斎と信玄は何で比較できるのかと。
>>339 小牧・長久手の何を論じるの?
あの戦いは色々な要素があるからね。
陣地そのものを互いに前進させる戦例としては、日本初(もしかしたら世界初)だし、
追撃戦ではなく、追尾戦という珍しい戦いもあるし。。。
ただ、睨み合いの時に、最初に動くと危険というのは、珍しいことではないんだよね。
川中島の戦いの時のキツツキ戦法
賎々岳の戦い etc
両軍が睨み合ってる時に、
一部の軍勢を割いて相手の背後に出ようとするのを「中抜き」というのだけど、
これをやって成功させられるのは、天才だけといわれている。
信長が代表例
人間を簡単に記号で計れるわけない。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 18:52
>>341 いや、信長タイプと信玄タイプに分けただけ。雪斎ははずしてもいいな。
344 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 20:34
>>341 >>井伊の赤備え などは家康の武田信玄への憧れを象徴している
ちゃう。
朱の使用が、当時のファッションモードの最先端だっただけ。
呂蒙も赤備えだよね。流行はめぐる、というのは本当だったのか。
346 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 20:49
>>344 ただたんに武田の旧家臣を井伊が多くかかえていたからじゃないのか?
朱(赤)て縁起の良い色だからでしょ?
348 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 00:29
349 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 01:58
もしも現在に家康がいるならば日本はどうなるだろうか?景気、北ちょん問題
350 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:00
鎖国して経済発展させず、農業王国なって200年近く
現行のまま・・・
351 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 02:04
>>350 家康の天下って結局日本が世界へ進出する機会をなくしただけだよな。
方針はあったと思うが
キリスト教の禁止は秀吉が先鞭をつけているが。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 12:01
>>349 土地や株を買い占めて、経済対策するだろう。
鳴くまで待つんじゃねーの?
357 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 12:04
358 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/05 13:58
>>354 キリストのことじゃなくて、大きな船作るのを禁止したり、
武器の開発をやめさせたり、鎖国したこと。
>>358 だから、いわゆる「鎖国」は家康の代では行っていないんだが。
朱印船貿易も行われていたし、1609年(慶長14)諸大名の500石積以上の大船保有を
禁止してからも幕府と繋がりの深い商人は行っていた。
貿易の統制、諸大名の軍備の制限と鎖国は別物。
貿易の統制は朱印船貿易、糸割符制度と組み合わせて考えるべきだろう。
家康は三浦按針(ウィリアム・アダムス)を政治顧問、外交顧問として優遇している。
今の時代で言うと、内閣に外国人の大臣がいるみたいなものだな。
二元政治を行ったからこそ、個人的な顧問を上手く使えたということも考えられるな。
家康没後、家康の元で個人的に活躍していた人々は、その役目を制度化された役職に
譲っていったわけだし。
何にせよ、政策は継続性と変化の両方を細かく見ていく必要があるだろう。
簡単に家康=鎖国と結びつけて考えるのは短絡的だな。
大臣までいくかね
同時期の欧州や、古代の中国ならそうした例も少なくないぞ
異なる文化圏の人間を徴用した例はそれほど多くないと思うがな。
しかも、征服王朝ではない例は。
八重州の由来はヤン・ヨーステンが住居を構えたからと聞いたよ。
ところで八重州って、なんて読むの?
まんま、「やえす」か。
半蔵門は、服部半蔵
大手門は、大手道灌
半蔵門を出て一直線に進むとそこは甲府。
有楽町は織田有楽斎からきている。
六本木は上杉や「木」にかんする名前の大名家屋敷が6件あったことから、六本木と言われるようになった。
>>360 大臣というより内閣の諮問機関じゃないのか。
恒常的・組織的な権力・職分がないんだもん。
アドバイザーだったら外人民間人有名人いてもおかしくない。
学芸大のほうに五本木てのもあるな。
誰か由来知ってる?
一本木蛮
>>359 >>1609年(慶長14)諸大名の500石積以上の大船保有を
>>禁止してからも幕府と繋がりの深い商人は行っていた。
最近知ったんだが、「大船」じゃなくて「軍船」なんだってさ。
特に商船に関しては、規定がなかったらしい。
詳しくは、永積洋子辺りの著作を参照されたし。
>>375 サンクス。いや、有り難い。
これで鎖国と家康を安易に結びつけるのが危険だということがさらによくわかる。
何が危険なのか ∩( ・ω・)∩サパーリ
煽りにしては低質だな。それとも日本語の読解能力が低いだけか。
まぁ確かに危険じゃないな。
381 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 21:26
>サンクス。いや、有り難い。
>これで鎖国と家康を安易に結びつけるのが危険だということがさらによくわかる。
この文章では言語的にも内容的にも疑問符が付いておかしくない。
鎖国は秀吉時代からの一つの流れであった訳で、家康もそれを継承していた。
だから家康≒鎖国と考えるのは概ね正しい。
>>381 具体的に示せよ。その、鎖国の流れをな。
それから、あんたの論理で行けば、秀吉≒鎖国とも言えるのかね?
なら、家康≒鎖国と取り上げるのも恣意的だな。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/11 21:34
>>382 秀吉も似たようなものだろう。
ただ彼は貿易を制限するつもりは無かったろうが。
>>383 論拠ってどのあたりの?
みんな、もっと効率的に修飾語を使うんだ!\(o ̄∇ ̄o)/
>>384 ・鎖国は秀吉時代からの一つの流れ
・家康もそれを継承していた
・家康≒鎖国
これの
>>384 博多を自らが握るなど、秀吉も諸大名の貿易は制限して
自らがコントロールしたかったように見えるが。貿易の制限=鎖国なのかね?
>>384 貿易ならば徳川はポルトガルと断行したが、秀吉は朝鮮、明と断行したよな。
鎖国とは、日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し、
対外貿易を長崎でのオランダ商館と中国船との貿易だけに制限した状態をいい、
これが成立したのは寛永期だと思うのだが。
>>386 おそらくキリスト教の布教が問題な訳で。
秀吉はバテレン追放令とか長崎で信者を殺したりしたでしょ。
同じく家康はキリスト教が入るのを防ぐ為に鎖国という政策路線をとった、と。
だからキリスト教反対=秀吉、家康
弾圧路線=秀吉 鎖国路線=家康
>>387 そりゃ徳川より石高の低い豊臣家は貿易に頼るでしょ。
>>388 それは戦争のせいだね。
>>390 その弾圧路線と鎖国路線の中身を具体的に示して欲しい。
どういう政策をもって鎖国路線と評価しているのかな?
宗教統制と対外姿勢は別物だと思うが。
不受不施派への対処の例もあるし。
>>390 原因が戦争だろうが、結果として豊臣は明との貿易を制限どころか断行したわけだ。
>>391 え?普通にキリスト教を禁止したり、高山右近とか国外追放したでしょ。
だからキリスト教の布教を禁止するコトが弾圧から鎖国へと転化した訳で
時代の流れとして弾圧から鎖国へと変わっただけ。
>>393 秀吉は明を支配する為に戦争、あるいは貿易の拡大などを求めて戦争を
行ったわけで、その行為自体は鎖国とは繋がらないのでは。
>>394 だから、その鎖国というのは寛永期に行われた政策を指すわけで、
家康時代のどの政策を鎖国政策か聞いているんだが?
もしかして、自分の印象で鎖国を語ってないか?
家康が行ったのは、貿易の統制、軍船の制限、宗教の統制で
貿易の統制、宗教の統制は秀吉時代からの継続的な性格。
貿易を統制したが、海外への渡航などは制限していない。
これをもって、安易に家康を鎖国と結びつけるのは事実と異なるんじゃないか?
>>394 >貿易の拡大などを求めて戦争
これは良く聞くが、なにか根拠がある説なのかね?
ぉぃぉぃ、あまりイジメすぎるなよw
>>395 ですから弾圧→鎖国という形へ変化する過程な訳で。
>>396 継続をする上で、秀吉のように地盤の弱い政権で無いから
鎖国という路線へと近づけたと思いますが。
>>397 人が信じるにはそれ相応の根拠があるものです。
よく聞くならば私以上によい回答をしてくれる人に頼んでください。
>>399 だから、その鎖国というのは寛永期に行われた政策を指すわけで、
家康時代のどの政策を鎖国政策か聞いているんだが?
>ですから弾圧→鎖国という形へ変化する過程な訳で。
回答になってないぞ。
>鎖国という路線へと近づけたと思いますが。
鎖国が秀吉時代からの目標、あるいは既定路線だと主張するつもりならその根拠を述べようや。
秀吉や家康が鎖国を目指していた根拠は?
>人が信じるにはそれ相応の根拠があるものです。
では、その根拠を示そうや。あるんだろう? 根拠が。
その論法で行けば、オウムの連中も、パナウエーブの連中も、それ相応の根拠があったんだろうな。
>>400 なんでそんなに噛み付くか分かりませんが
根拠は先に述べた部分と重複しますし、それを回答と思うか思わないかは個人の差でしょう。
>鎖国が秀吉時代からの目標、あるいは既定路線だと主張するつもりならその根拠を述べようや。
>秀吉や家康が鎖国を目指していた根拠は?
キリスト教を嫌ってました
>>人が信じるにはそれ相応の根拠があるものです。
>では、その根拠を示そうや。あるんだろう? 根拠が。
続きの文章を消して前の文章だけ抜粋するなんて不思議なことはしないでくださいよ。
>>400 >なんでそんなに噛み付くか分かりませんが
根拠も示さず、勝手な推論を述べるからさ。
>キリスト教を嫌ってました
こんな物が根拠になるかよ。ではどうして、寛永期になるまで鎖国が行われなかったんだ。
宗教の統制(対策)は信長以来の統一上の課題だったわけだ。
で、焼き討ち、刀狩りなど経て、諸宗本山本寺の諸法度などの形で統制が行われる。
その過程で、統制に服さないものとして、不受不施派やキリスト教が出てきて、
キリスト教は信者も多く、影響が大きかったので、禁令が出された。
で、それで上手く行くかと思ったら、島原の乱が起こった。
大阪の陣以来の内乱だ。
実際には、宗教一揆ではなく、松倉家の苛政に対する一揆だったが、
結束のために宗教色が出た。
で、幕府はそれに過剰反応を示して、徹底した鎖国を行ったと。
家康、秀吉が鎖国まで考えていたというなら、その根拠を示そうや。
鎖国というのは>389のことね。
>>402 >根拠も示さず、勝手な推論を述べるからさ。
そちらの根拠も事実の上に推論をかぶせているように思えますが?
>こんな物が根拠になるかよ。ではどうして、寛永期になるまで鎖国が行われなかったんだ。
それ以前に鎖国の路線にあったと思います。
>キリスト教は信者も多く、影響が大きかったので、禁令が出された。
影響が大きかったのは分かりますが、信者数はそんなに多くないでしょう。
全盛期で2、30万だと言われてます。今でも日本の一割以上を占める
浄土真宗に比べれば大いに少ない。もちろん為政者たちが必要以上に
恐れていた嫌いはありますが。
>で、幕府はそれに過剰反応を示して、徹底した鎖国を行ったと。
それ以前のキリスト教に対する行いが誘発したとも言えますよ。
元和から寛永にかけては、幕府の統制の強化が重視され、
様々な方面への軋轢が生じた。
1629の「紫衣事件」もしかり。
寛永元年(1624)スペインと国交を断ち、
寛永12年(1635)にいたっては日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止した。
これも国内の統制強化と関連づけて考えるべきだろうな。
>>404 >そちらの根拠も事実の上に推論をかぶせているように思えますが?
焼き討ち、刀狩り、諸法度は具体的な政策だがね。
そちらは具体的な政策を述べたのかい?
さっきから質問していたんだが。
>それ以前に鎖国の路線にあったと思います。
何度も繰り返すが、鎖国の路線という曖昧な表現はやめて、具体的な政策で示してくれ。
宗教統制が鎖国なら宗教統制について語る。信長以来の路線だ。
貿易の統制が鎖国路線なのか? なら、秀吉時代や信長の堺への支配と関連して考えるべきだろう。
こちらが具体的な鎖国の政策として示しているのは>389。
鎖国路線という曖昧な言葉で片づけないで、具体的な政策を分析して欲しい。
>今でも日本の一割以上を占める浄土真宗に比べれば大いに少ない。
浄土真宗は分裂させた上に、幕府の統制に服してる。
>それ以前のキリスト教に対する行い
具体的に書いてくれ。
>そちらは具体的な政策を述べたのかい?
>>390>>394はダメですかね?
>浄土真宗は分裂させた上に、幕府の統制に服してる。
これは何を言うのですか?
>>それ以前のキリスト教に対する行い
>具体的に書いてくれ。
何回書かせる気ですか?
私の意見はキリスト教追放という流れが秀吉の代からあり、
その追放をするという具体的な政策がだんだんと鎖国へ近づいた。
これはあなたの示した根拠からも考えられるコトだと思いますが。
落ちるので、最後に意見を書いておく。
家康個人は鎖国>389を行うつもりはなかったと思う。
個人的顧問としてのアダムスの登用、朱印船貿易、糸割符制度など貿易を統制することで、
利益を得ることは考えていただろうが。
行うつもりであれば、海外渡航の禁止、在外日本人の帰国はもっと早く行えただろう。
宗教統制の一環として、一連のキリスト教対策を行ったが、これは他の宗派に行ったものと
同種の行為だろう。
鎖国という一連の政策は、家康後の幕府体制の確立とその強化の中で行われていったもので、
家康個人の思惑とは別であると考える。
よって、家康≒鎖国という見解には反対である。
>>407 レスが付いたので答えておく。
>>390は答えになっていない。
鎖国路線の内容を聞いている。
>>394が鎖国路線の内容(宗教の統制が鎖国路線)であるならば、
宗教の統制は信長以来の路線であるので、そちらの言う鎖国路線は
信長以来ということが考えられるが、それで構わないのかね?
>これは何を言うのですか?
東西本願寺の存在と、諸宗本山本寺の諸法度の遵守。
>私の意見はキリスト教追放という流れが秀吉の代からあり、
>その追放をするという具体的な政策がだんだんと鎖国へ近づいた。
単に事実の把握であれば同意。
もともと議論の出発点が家康と鎖国を結びつけて考えることの是非だったので、
それについて議論をしていたつもりだったが、違っていたようだ。
自分の見解は>408に書いた通り。
>>407 個人的な感想だが、そちらは鎖国を広い意味で捉えているように感じた。
鎖国路線なる曖昧な言葉も然り。
家康個人は、貿易の統制をしたが積極的に外国人を顧問に迎えて貿易を行った。
これが鎖国路線とまとめて良い物かどうか、疑問を感じる。
個別に見るならば、宗教の統制は信長以来の課題であり、継続された路線だが、
具体的な鎖国政策>389は、家康死後に生じたものと考えている。
ここで皆が何を語りたいのか理解できん。所詮お前らの語ってることは作家や学者(?がつくが)の受け売りばかりなのですね。
暇なひきこもりばかりでウザイですよ。
反論する必要ありません。反論したところであなた方が私より知識がたあるとは思えないのです。反論した時点であなた方を無知なひきこもりと認定します。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>411 なにが言いたいのかまったくわかりませんが・・・
そもそも2CHにいる必要ないのでは?
414 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 17:13
それ以前に、
>>411はネタスレに来て、真面目に何をしようと言うのだろう?
416 :
こおろぎ│・ω・):03/07/13 18:05
おまいもネタだろがw
418 :
こおろぎ│・ω・):03/07/13 18:13
この世はすべてネタ
419 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/13 18:15
残念ながらくそスレになりました
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄