ワレ テキ コロス
(以下馬岱さんの訳)
ご存知の方も多いと思われますが、オレはまた反骨ということになってしまいました。
まぁ、蜀漢の戦略上のことですから仕方がないですよ。
解せんところもあるけれど、実際与えられた北伐という職場であまり結果が残せていないのだから、仕方ないですわねえ。
代わりに上がった姜維さんには、是非頑張っていただきたいものです。
オレも、下で早く結果を残して、皆さんにまた実力をお見せできるように頑張りますよ。
北伐というのは蜀漢の中でも限られた人間しか立つことの出来ない、栄光の戦場なのです。
成都や益州にも素晴らしい官僚はいますし、北伐以上の大変さもあります。
事実、費イさんや蒋エンさんは素晴らしい内政官ですし、彼らはそれだけの自負を持って治めています。
でもね、オレはやっぱり北伐こそ武将の花形だと思うんですよ。
だって、北伐で魏を破らなきゃ、蜀の大義は始まらんのだから。
そして、その栄光の戦場に立てる人間というのは限られているわけです。
自分がその場に立つためには、それだけの結果を残すしかないわけです。
腐らずにやるしかないですからね。頑張ります。
さて、話は変わりますが丞相の弟子、馬氏の幼常の人が処刑されたとか。
なんでも、山頂布陣で大失敗と抗議を受けたとか何とか言ってますが、これはひどいねえ。
馬稷といえば、丞相の弟子でも最も素晴らしい人物じゃないですか。
あの素晴らしい武将の、どこが無能なのか、オレにはちっともわかりませんよ。
何でもかんでも本人の資質がないだ、経験不足だ、孫子の表面しかなぞっていないだと抗議する人たちがいますが、ナンというか、浅墓なんだよなあ。
平和ボケと言えばいいのか、ただの文句付けたがりの人なのか、どう説明したらいいのかわかりませんが、とにかくそれはないよ。
オレの若いころなんかは危険な韓玄や危険な戦いなんていっぱいありましたよ。その中で武将はいかに失敗を回避するかを学ぶものでしょう。
それを武将から取り上げてしまったら、純粋培養の丞相の言いなりが出来上がってしまいますよ。
そういう武将が前線に立ったとき、免疫のないまま魏軍に接したら、そりゃ失敗をすることになります。
山中鹿之助は「我に艱難辛苦を与えたまえ」と言いましたが、武将の教育もかくあるべし、ですよ。
自慢じゃないが、オレは先帝の時代から戦ってますからねえ。これでも強くたくましく生きてるんですよ。
とにかく、馬稷の失敗を本人が無能だなんて言いがかりで(この理由だって、ホントかどうかわかりませんよ。
よしんばほかに大人の理由があったとしても、どっちにしろ将来の蜀の軍事を担う武将たちにいい影響は与えません)、
あの最高の将を泣いて斬るのだけは無しにしてもらいたい。
だいたい、馬稷のヘタレ以上に、蜀には排除しなきゃいかん悪性の腫瘍がたくさんあるじゃないですか。
丞相の戦略は完璧な戦略だと思ってる姜維のおじさんとか、口は出すが結果は出さない楊儀のおじさんとか、
現場に無言の圧力をかけて、逆らうと即抹殺される諸葛亮さん・・・のことはあんまり悪く言えませんが、
とにかく解決しなきゃいけない問題がいっぱいある。それらに目をつぶってヘンな人のヘンな意見にとらわれて民の信頼を失う。
これじゃ、本当にダメですよ、蜀は。まるで商周革命、殷の国の末期を見ているようです。
民の皆様あっての蜀ですが、治めている丞相のなかにはヘンなものもあるんだから、それを見分ける目を持たんと。
蜀漢、そして陛下は長い目で、意見の軽重をしっかりと判断して物事を行うようにせんと、本当に民にソッポを向かれる日が来ますよ。
ただでさえ個性的な将が少なくなってる中、これ以上個性と可能性の芽を摘み取るのはやめていただきたいものです。
長い目、で思い出しましたが、丞相は勝てないねえ。だから言ったでしょう。長安を奇襲せずに何が変わるというんですか。
事実、丞相の時代になってからの勝率は先帝時代より下がってるんですから。
オレは馬稷を責めてるんじゃない、目先の首すげ替えで何とかなったような気になっている蜀漢、丞相に腹を立てているんです。
こんなことなら、オレに腰を据えてやらせりゃよかったんです。
長安を奇襲して失敗したのなら解任もわかりますが、何もせずに敗退してどうするんですか。
兵も困る、陛下も困る、丞相も困る、民も困る、文官も結局結果が出ないで困る。
やはり、オレが睨んだとおりあの丞相の采配は誰も得をしない悪手だったでしょうが。
とにかく、偉い人たちはオレたちが安心して北伐に取り組めるように、もうちょっと深く考えていただきたい。
オレたちがいくら頑張っても、片っ端からそれをつぶすようなことをされたら、正直たまらんですから。
猛省を促したいところです。