1 :
無名武将@お腹せっぷく:
劉禅ってよく愚君の代名詞になっているけど
考え方を変えると
国の事はともかく、民の事を思っている名君だと思うが
どう思う?
2 :
司馬昭 ◆ocEa5z8sLQ :03/04/05 21:32
2
その理由として
@降伏したのは圧倒的な国力差において
徹底抗戦した場合、多くの民が犠牲になってしまう為降伏した
A幽閉後の暴言については
もし司馬昭に「蜀が恋しい」などと答えると
復権を狙っていると判断され
自分のみならず、蜀の民にまで厳しい監視がなされるのは間違いなく
それを回避する為にあえてあのように言ったと思うのだが
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 21:35
>>1 今どき愚帝だと思っている奴は案外少ないのでは?
>>1 それ全部本とかに書いてることだな。逆になぜ宦官制度を復活させたのか
とかなぜ劉 王炎 を殺したのか?本当に劉 王炎 の妻がらみで殺したのか
などに目を見むけるべきでは?
歴史を綴って書物として残せるのは結果論で
いわゆる戦勝国にしか出来なかった筈だから
その国と当時対立してた当事者はたいてい悪くのこるのな
たとえば日本の徳川(勝者)側から残った歴史〜今川の愚かだった云々みたいな
7 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 21:46
>>5 学者じゃないんだからどっかの本から引用するのは当然では?
劉禅など孔明の傀儡にすぎない
自分が相手より善政をしいていると思っていると、降伏しないほうが良い。
民のためになどというのは、相手が自分と同等か、それ以上のやつの場合だろ。
つまり劉禅はどっちにしろ愚君。とまで言わなくてもたいしたことではない。
劉禅の名誉回復スレで散々既出
民が本当に劉禅を慕っていた場合、
降伏して敵の軍政を敷かれて相手の国にのほほんとしているやつなど愚君。
民が劉禅など慕ってない場合、
支配者が誰でも構わないので被害は少ないほうが良い。
結局、民のためになどと言っても、どちらにせよ小者。
つうかあの時代に民のためになどという発想は希薄なんじゃないかな?
民のためというか、配下とその家族のためというほうが普通だと思う。
長嶋一茂>カツノリ>劉禅
劉禅はダメ二世タレントの代名詞!
13 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 23:15
3・2・4・7
後主・劉禅の「国政ぽいぽいPEACE」
(滝野智キャラクターソング「ぽいぽいPEACE」のふしで)
楽しけりゃどんどん追いかけて
うれしけりゃばんばん抱きついて
言うこと聞いてよ 聞かなきゃばってんするぞ
足りないな もっと遊ぼうよ
うるさいな だって決めちゃった
見ての通りだ 漢の君主だ
どんなもんだい 見ての通りよ
国政やりたくなーい
ぽいぽいPEACE せーのバンザイ
北伐、無理してる?
SO PEACE やなことはぽいぽいしちゃえ
問題ない 今日もまた、きっといい日だよ
SO PEACE 愉快だろ
私のポリシー 「困ったらぽいっとね」
悲しけりゃぴょんぴょん逃げ出して
寂しけりゃランラン駆け下りて
いらないいらない そんなのばってん出そう
丞相の遺志は忘れんぼ
おかしいな やっぱ間違えた
なんだよどうした なんだよどうした
能力無いけど 後嗣なんだよ
国政やりたくなーい
ぽいぽいPEACE そうだバンザイ
ずっと我慢してる?
SO PEACE 降伏して 洛陽で笑おう
問題ない すぐにみんなきっと慣れちゃうでしょ
SO PEACE 素直だろ
亡国エナジー「迷ったらさくっとね」
16 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/06 01:27
蜀が滅亡してなかったら劉禅の後は誰が継ぐの?
そりゃ劉禅の息子だろ
18 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/06 01:35
でも、2世ってさクローンじゃなくてあくまでも子なんだし期待されてもねぇ。。プレッシャーかかるし、かわいそうだにゃ
全国の公嗣って名前の人も大変だな。
21 :
魏延ファン ◆vNFYAR5c0g :03/04/06 04:13
凡君ではあったが、愚君では無かったと思う。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/06 04:14
くずはくず
孫皓よりかマシじゃないか?
24 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/06 10:12
滅亡したときの君主が暗愚と言う奴が暗愚。
そして真の暗愚は劉備。
正直三戦板では劉禅は語りつくしたと思う
26 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/06 10:49
【呉質】
死後「醜侯」と呼ばれか可愛そうな人
暴君←暗君←凡君→良君→名君
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
てすつ。
(^^)
33 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/17 20:33
長坂の戦いの時に劉備に頭をたたきつけられたから
暗君となってもしかたがないはず・・・
三国志のことはよくわからんが、
上から見ようが下から見ようが劉禅は劉禅だろう。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/18 01:35
ネタふりでもしようか。伸びるとも思えんが。
もし劉禅が不真面目なふりをしていたのだとしたら、それはなぜだと思う?
36 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/18 01:47
まさか忠臣蔵・・・
斜め後から見てみた。
円形ハゲがあった。
>>35 おれなんかに愛想を尽かしてずんずん魏にくだった方が良いぞー
という配下思いの演技
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/18 02:28
馬鹿になれ
とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ
かいてかいて恥かいて 裸になったら
見えてくる 本当の劉禅が
見えてくる 本当の劉禅も馬鹿だった
まぁ、あれだ。霊帝よりはましってこった。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/18 18:13
霊帝は誰にも超えられません。
官位をみずら売り出した行為は未来永劫誉められるべきです
43 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 06:47
俺は園術もアフォだと思う
44 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 11:46
>38
ここはこーゆーレスを付けるのが正解かと思ってみてみたら
アフォ達がアフォについて語っているだけでスタ。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 18:32
そういえば、「穀物が無いなら肉を食えばいい」とか言った馬鹿が居たな
48 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 18:39
≫47誰?
49 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 18:42
マリー=アントワネットのパンがなければ
ケーキを食べればいいって奴?
\ \v/ /
__ ヽ(`Д´)ノ ___ >>劉禅
( )
/ ノ.ω.ゝ \
パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( )】 ( )】 ( )】 【( ) 【( ) 【( )
/ /┘ . / /┘. / /┘ └\\ └\\ └\\
ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ ノ ̄ゝ
乱世の世に生まれたから愚君、治世の世に生まれれば凡人。
君主にもなってない。
でも治世のときだったら劉禅ピッタリやない?
民に好かれるええ人やったんでしょ?
日逢だって府詩人だって平和な世の中では金儲けの好きな普通のおじさんだった
加も知れないよ。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 19:27
>>47のは司馬炎の息子の名言だよ。
フランス王妃を思い浮かべるけど、時代的にこっちの方が元祖。
じゃあ劉禅も平和だったらお人好しの普通のおじさん?てことか。
でもそんなお人好しのトコ好き〜。
ちなみに日逢と府詩人って誰?
>>56さん凄い!頭良い!
司馬炎は司馬イの息子だよね。たぶん。
曹操は平和時なら自分の会社とか作ってそうだな
>>49 ケーキ云々は、ルイ15世の王女であるヴィクトワール王女が言った言葉なのだそうだ。
ただ、革命当時にはすでにマリー・アントワネットの迷言として流布していたらしい。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/19 23:08
帝王にはロクな奴は居ないな
皇帝がいないと現在日本のようになる?
あの日・・・鍾会討伐軍が成都に突入した日・・・姜維、ケ艾、鍾会、張ギョク
リョウ化、張翼、劉セン(太子)、劉シン(劉禅の息子)、関イ(関羽の孫)、
諸葛尚、諸葛セン、張遵(張飛の孫)、ケ忠、師サン、黄皓・・・・
つーか関羽の一族皆殺しにされてるし・・・お前だけ生き残ってんじゃねーよ劉禅!!
黄皓は、ケ艾が来たときか、洛陽に連行されたときに殺されたのではなかったか。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 12:46
つーか、廖化は洛陽への護送中に病死したのだが。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 16:57
>>50みて劉禅がこれみたら喜ぶんだろうなーと思った
クソすぎ
成都無血開城のところで吹いた
1人の人間としちゃどうかしらんが人の上に立つ器じゃなかったってことだな
まあボンボンだからどうせ人間的にも問題あったろうと思うけど
66 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/20 17:05
>>3 つーか好意的に見すぎ
普通に考えたら
1、降伏すれば生き残る望みがあるから
2、殺されないため
結論:サバイバー劉禅
劉
禅
まあ
>>3は間違いなく自分の意見じゃないな。
どっかの三国志系サイトを見ただけだろう。
>>62に追加してみるテスト。
黄崇(黄権の子)、李球(李恢の子)、ショウ斌・ショウ顕(ショウエンの子)、趙広(趙雲の子)
でも張嶷・廖化は違う。
張嶷は対徐質戦で死んでるし、廖化は病死。
劉備亡き後、諸葛亮の天才振りを目立たせるために
ダメ君主として描かれた。
君主がダメな方が諸葛亮、その跡継ぎキョウ維の力を誇示できる
つまり、
劉 禅 を 無 能 に し た 張 本 人 は 羅 貫 中 で す
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/21 15:35
劉禅が孔明のやる事を全て許せたからこそ、孔明が輝いたとも言われている。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/21 15:45
柳眉が死んだ後の孔明は無能
73 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/21 15:53
孔明さえいなければ義援が輝いたはずなのに・・・
義援さえ生きていれば・・・
魏延がいても孔明がいなかったら蜀はもたなかったんじゃないか?
劉禅は劉備の子に生まれたのが不幸。
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/21 20:39
いや劉禅は楽しい人生送ったと思うよ
不幸でもなんでもねえ
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/21 21:00
人生の中では勝者といえる人生だな。
よくボケし放題で天寿をまっとう
78 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/22 00:43
劉禅の心の広さが、蜀の繁栄に繋がったともされている。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
80 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/22 01:15
不幸なのは劉封だよ
81 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/22 13:06
竜鳳
不幸なのは竜竜だよ
小さい頃から苦労知らず
政治は配下に任せて贅沢三昧
降伏後は平和に余生を過ごす
運のよさという評価基準があるなら
劉禅はまさに三国志登場人物の中でもトップクラスといえよう
>>71 たしかに一門でもない一家臣にあそこまで絶対的な権限は普通は与えないよな。
>>83 幼いころは苦労ばかり(死にかかったし)
政治は実力のある者を信頼して任せ後宮の女官の数を制限し倹約に努める。
降伏後はその溢れる魅力により魏、晋朝にも厚遇される
>>71,
>>84 李厳を左遷したのが我らが主上だとでも言うのですか。
そりはちとムリな御話。
お若き頃の主上はそのような権限を持っておらなんだ。
劉禅が政治に口出ししてると余計に国が疲弊すると思うが。
それなら一切口出しせずに全部部下に任せたほうがマシ。
主上が主導で政権を委ねたのか
臣下が主導で政権を握ったのか
91 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 19:25
>>89 ほとんど口出ししてないので何とも言えないが、費イの死後はもうちっと出したほうが良かったと思われ。
姜維と黄皓対立させて、蜀の勢力二分させたらあかん。
>>91 むしろ、費イの死後に国を任せるべき適切な人物を
見出せなかったのが問題なのだろう。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/23 20:20
義援さえいれば・・・・!!
待て、それについて今日考えたのだが、費イが死んだ理由は暗殺。
だから、後継者まで指名できなかった。良くも悪くも臣下に影響されるのが劉禅。
そういう意味では、費イの暗殺こそが蜀最も痛かった事件か。
もう少し、人格的に諸葛一味の様な思考の人間を後継者に出来ればもう少し耐えて
魏の混乱時まで持たせてから、姜維が北伐開始。と言う風にやれば、あるいは・・
95 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/24 19:35
魏延なんか最初に処刑しとけば良かったのにな。
そうすりゃ孔明の心労も少なくなって、もっと長生き出来たかもしれないのに。
ウゼェ釣りだなぁ、おい
98 :
犬山城 ◆HajBObB/yk :03/05/25 05:58
劉禅譲
99 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/25 06:05
こんなところに劉禅の通知表が!
┏━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓
┃武力┃統率┃知力┃政治┃魅力┃外交┃陸指┃水指┃寿命 ┃
┣━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━┫
┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ ┃ 1 ┃ 4 ┃
┗━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┛
ミチャダメー
(´フ`) (゚Д゚) ──
□ー =│ ──
ハ ┌┴┘<劉禅
劉備
わざわざageたのに、ご苦労様。
>>101 聞いた事あるな、興味深いから少し説明願えないか?
103 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/26 01:42
「太陽と洛陽とどっちが遠いと思うかい?」
「太陽だね。だって洛陽からは人が来るけど、太陽から
来たって人聞いたことないもん」
それが頭良いという事なのか微妙だな
曹さんちの計量王子みたいな逸話でもあればよかったのにね
107 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/26 14:09
まあ、諸葛亮が「素晴らしい才能がある」とか言ってたらしいが。
・・・・・・微妙だな。(色んな意味で・・・・・・)
曹髦や孫皓だって、かなり優秀だったんだからな。
結論から言えば、曹沖だって成人すればどうだったか判らないのよん、ってとこ
「子どもの時、頭のいいのは大人になると案外大したことないんだぜ」
「それなら、おじさんは子供の頃さぞかし頭が良かったのでしょうねw」
ああ言えば孔融、っと。
「ああ言えば孔融」
三国時代、屁理屈の巧かった孔融を謗った故事
>>103 それって論語か何かじゃなかったっけ?
子供が孔丘に「日の沈む所と洛陽どっちが遠いの?」って聞いて、
孔丘が「日の沈む所じゃ」って答えると
子供は「洛陽は遠くて見えないけど日の沈む所は見える。だから日の沈む所のほうが近い」
と言った。孔丘は言い返せなかった。
>>112 その話があるから103の話が上手く例えたことになるんだろ
あぼーん
115 :
無名武将@お腹せっぷく:03/05/31 07:04
age
劉禅は何か書物でも残しておけば良かったんだ
諸葛亮集なんてのがあるのになぜっ!?
良く漢中(姜維)派、成都(黄皓)派って分け方をするのを見るけど漢中の奴等はこぞって降伏したのに対し成都の奴等は結構死んでるんだよね
>>116 てゆうか
剣閣は落ちなかった、でも綿竹は落ちた
だから諸葛瞻と綿竹で戦った連中はあぼーん
でもってさっさと洛陽に護送された連中は生き残って
成都に残ってた連中は鍾会の反乱に巻き込まれてあぼーん
という見方のほうが
漢中=生き残り
成都=あぼーん
より適切じゃない?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/08 05:36
age
119 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 16:23
121 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 16:37
>>119 一年も前のことをまだ引きずってるのか。
いい加減大人になれよ。
一年で住民の質が下がったってことか・・
123 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 17:08
だったら消えれば?
このスレ=ジーコジャパン
125 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 22:20
結論:劉禅は名君
126 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/10 22:21
劉禅=ジーコ
劉禅が可哀想…
自分が劉禅の立場なら、
どんな人生を送ったのだろうか・・・
131 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/14 08:52
age
132 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/14 09:34
あげ
134 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/14 18:32
謀反が起きなかったということは
評価できる事。
でも、ある意味劉禅だったから蜀がある程度もったという見方もできるんじゃないか?
たしかに人を見る目もなけりゃ指導力も0と見事なカスっぷりだけど、ただ一点家臣を
信じ切って徹底してまかせきっているのはいい。これが曹丕のような猜疑心の固まり
だったり、袁家の兄弟のような権力欲だけの小才子だったら、諸葛亮のような有能で
信望のある家臣は殺されまくって、余計に滅亡を早めるんじゃないのか?
まぁ、費イの死語その「疑わずに任せる」ってのが裏目に出るわけだが。人を見る目が
0だからなぁ。
劉禅に大した力はありません
任せたも糞もありません
能なしなのに俺が俺がと出しゃばって、集団を破滅のズンドコに突き落としたトップなんざ
リストアップしたら電話帳が作れるくらいいますが。旧帝国陸軍の首脳部とか。
あの糞っぷりを知ったら、劉禅はまだ可愛げのある能なしだと思えるよ。
君等さあ、劉禅の事を勘違いしてないかい?
劉禅君はさあ、大きくやった事といえば降伏ぐらいなものですよ
それも、家臣の言を聞いてのこと
蜀の皇帝なんだけどホンとに目立たない男
いわば、彼は能無しであるかもわからん
何せ実績がない あ、これが能無しの証拠かw
劉禅が魏に降伏したら「自己保身のために幕僚や民を裏切った最低の腐れ君主」だけど
劉備が魏に降伏したら「民を救うために私欲を捨て汚名をかぶることもいとわなかった名君」なんだろうな
んなこたぁない
>>137 比喩なのは分かるが、それは電話帳を舐めすぎだ
>>141 分かるなら何故つっこむのかと・・・(ry
143 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/19 22:53
age
突然、今までの事を後悔して、重用していた黄皓を斬り捨て、
徹底抗戦すると言い出す劉禅。
結果、籠城戦で成都に多大な被害が出て、民にも恨まれて降伏。
無能なだけならまだしも、無駄な抵抗をしたと後世叩かれることになった。
>>135 人を見る目はそこそこあったんじゃないのか?諸葛亮よりは
黄皓だって民を苦しめたわけじゃないし
てことはやっぱり姜維は有能だったという事なのか、性格に問題があっただけで
>>144 ところが鍾会、姜維の反乱の黒幕が劉禅だったって話もあるんだよ
信憑性は薄いと思うが
146 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/22 19:33
age
劉禅ってなんだかんだで保身が上手いよな
そりゃ、劉備の息子だし
下手に保身がうまいから嫌われたんだな
嫌われた?! 漏れは微笑ましく見守られた印象があったyo
>>150 後世での話じゃないの?
劉禅が今の中国で嫌われてるのは毛沢東の影響?
まぁ、劉禅が好かれる世の中は間違ってると思う
>>151 え、現代中国人が嫌いなの? 劉禅を?
保身がヘタなら自滅と言われ、保身が巧けりゃ嫌われる、ってことか。
なんだかなw
154 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/26 03:52
age
内政手腕はともかく神輿の才能はあったみたいだな
ほとんど反乱されてないもんな
>>153 本当だよ
成都武候祠において劉備、劉禅、諸葛亮、関羽、張飛は別格として像が祭られてたのに劉禅だけ壊されたくらい
元々劉禅が諸葛亮を尊敬して作らせたのが始まりなのに・・・ってこれは勉県での話だが
毛沢東が「阿斗にはならないように」とか演説したのが致命的だったな
あえて、劉禅の名誉を回復しようとするのは三戦板ぐらいだからな
今後、嫌われつづけるであろう。それに、劉禅をどう擁護しても
暗君から凡君ぐらいが関の山だし。
凡君よりやや上だと俺は見てるが…
諸葛亮神話の元を作ったのが劉禅ならその最大の犠牲者も劉禅ってことか。
>>158 それはわからんよ
三国の正当性は時代によっても変わったし、劉禅の評価も多少は違ったりする(まぁ、いい評価は与えられていないがw)
現代中国での再評価は望めないかもしれないが永い目で見ればいつかは変わるかもしれない
陳寿だって清代になるまで評価低かったはず、よく調べているだけが高く評価してたってだけで
161 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/29 15:15
age
毛沢東にダメって言われた事は、
いわば金正日にだめっていわれるくらい徹底されるからなあ。
雀は絶滅寸前に追いやられるし。
蜀の4人では
劉備>劉焉>劉禅>劉璋
ってとこか、
なんかゲーム的だがw
蜀という一地方に限っていえば劉禅>劉備になるのだろうが一般にいわれている蜀ってのは放浪劉備軍の国の事だからなあ
164 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 14:32
>159
同意。まあ、有能ってもんでもないだろうが。
ただ、治世中にたいした事が起きてないってことは、評価できると思うけどな。
>>160 現代中国ではいまだに
劉備=聖人。曹操=悪人。魯粛=凡人。周瑜=狡賢い。諸葛亮=神。
て思ってるんでしょ?
劉焉>劉備>>>劉禅>劉表>劉璋
寧ろこうだろ
劉焉>劉備>劉表>>>>>超えられない壁>>>>>劉禅=劉璋
いや、マジでね。劉焉の居場所は悩むんだけど
劉表はすごいよ
後半生はなんか善人の皮被ってるけど
前半生なんか人を騙しに騙して荊州奪ってるからね
劉禅よりもよっぽど凄い
劉備>劉焉>劉表>劉璋>劉禅>劉瑁
おれだとこうだな 劉表と劉焉は微妙だな
170 :
無名武将@お腹せっぷく:03/06/30 16:34
>>165 劉備:君子
曹操:最近は漢詩の方面からかなり見直されている
魯粛:オロオロ
周瑜:ハンサムにーちゃんwith水軍
諸葛亮だけはちょっと事情が別で毛沢東が自分の北伐を諸葛亮になぞらえたり
劉禅をバカの代名詞に使ったりしてるので国民的英雄みたいになってる
曹操は魯迅が評価してるから無問題
173 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 00:25
劉表も劉禅も、「何もしなかったから暗君」と後世に批判されている点は同じだな。
また、実際には周りには強力な敵がいて、何かしようにもできなかったという点も同じ。
劉表はかなり様々に手を出しているんだけど...
なぜか劉表伝では描かれずに他の箇所に散らばっているために、
気付かれにくいだけなんですよ。
>>173 おいおい
何もせずに劉表があれだけの勢力築けると思ってるのかよw
漢から任命された刺史とは違うぞ
劉表は暗殺しまくりだろう
戦国なら宇喜多みたいな感じ
177 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:31
お前ら、劉禅があんなやる気ないか、考えたことあんのかよ!
いいか、劉禅は張飛の娘を皇后に迎えてるんだぞ!
張飛の娘だぞ? 顔を想像して見ろ。
そう、ジャイ子だ!
物心付いたときから、将来はジャイ子と結婚することが決められていたとしたら、お前らどうだよ!
自分の将来に希望持てるかよ! ぐれるかひねくれるしかねぇだろ! または、のび太君だよ!
な?
だからよ、あんまり劉禅をいじめるなよ。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:32
まあアレだ、蜀滅亡後も生き残ったのがまずかったな。
劉[言甚]は自害したのに、こいつはのうのうと生きてる。
建前だったとしてもこいつのために何万もの人間が死んで
いったのに、それを一顧だにしないで敵国の捨扶持で
贅沢してるというのはまったく弁解の余地がないよ。
民のために降伏したといってもその後自殺だってできた
はずなのに、それもしないんだもんな。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:33
劉禅が262年頃に死んでたら滅亡が半年ほど早まって「劉禅が生きていたら・・」なんてことになったんだろうな(後世で)
その場合劉禅の評価は良かったかもしれないがその代わり(息子)ができるだけかもw
劉禅伝を見ると泣けるほど大赦以外のことをしてない
182 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/01 01:47
腹心があほばっかだからな
本人は本当に何もしらないんだろう
大赦ってのは簡単に出来る人気取りだからねぇ・・。
まともな政策が無かったということだな。
>>177 張飛の娘は二人とも美人だったって正史に書いてあるわい
劉禅は本当に一般的な中華皇帝だったってこった
君臨すれどもほとんど統治せず
基本的には部下に任せるだけ
>>184 それを統治というんでは?
劉禅の場合は任せるっていっても後漢の(2代目以降の)歴代皇帝ほどじゃないけど
統一政権だったら最高の君主かも
>>185 問題は乱世で、しかも弱小勢力の君主だったことか。
187 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/03 23:33
age
>>178 儒教的には自殺って最大の罪なんじゃなかったっけか。
「劉禅のために何万人も死んだ」とはいっても、皇帝ってのはそういう存在なんだし。
皇帝の命と一般民衆の命は別モン。今の常識で考えちゃイカンでしょ。
みなさんガンガン自殺してますよ。
熱心な仏教徒の皇帝だかは自殺しなかったと最近読んだ宮崎たんの本に書いてあった。
>>189 宮崎たん……
一瞬萌えキャラが脳内を駆け抜けていったが、市定先生のことでいいんでつか?
もち。「劉裕」だったかな。
儒教的には、「身体が損傷する死に方」は忌避しますが、自殺そのものはダメではありません。
そのため、高位の者だと飲金、印綬で縊死、飲毒などが手段となります。
>188 皇帝ってのはそういう存在なんだし
それは違うだろ。自分だけ贅沢三昧してて、国が滅びたら
敵にへこへこしていい暮らししてるなんて、戦ってる兵士が
見たらどう思うよ。理屈じゃなくて感情を言ってるわけよ。
>>193 だからその感情の問題で。
「皇帝は天の子」っつう常識を考えれば、そんな感情すら起こらんと思うのさ。
下手に喩えれば、戦前戦時中の日本人の大多数が天皇がのほほんと暮らしてるのを見ても何も思わなかったのと同じ。
責められるのはその下の人間ばっか(東条英機とか)でしょ。
生まれたときから「そういうもんだ」って教育をされれば、自然そう思うようになると俺は思うのさ。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/08 00:11
株価回復祈願あげ
降伏した時点で恥知らず
なんも抵抗しないで降伏ってのは保身のためと思われても仕方ない
保身の何が悪いのか判らんす
秦王子嬰も降伏したけど、それほど悪く言われないなぁ。
子嬰の秦は民衆蜂起で滅びる=天意を失った、と考えられているので、
とっとと降伏したのは良かったと考えられる。
で、蜀漢だが、ここでも天意が重要な要素となる。
もしも劉備から諸葛亮までの行動が肯定される場合で、
A 肯定されたままの状態で武力に屈したのなら、批判される(馬鹿にされる)
B 諸葛亮までは肯定されて、その後の劉禅の治世が批判される場合は
劉禅そのものは非難されるものの、とっとと降伏して良かったとは言われる。
C 諸葛亮までが既に非難される場合は、劉禅はとっとと降伏して良かったと言われる。
皇帝という存在は、自己犠牲こそ美徳と考えられているので、保身など悪とされている。
劉備から諸葛亮までが世に肯定されている以上、劉禅が非難(というか馬鹿に)されるのは当然。
>194
確かに貴方の言うことは正しいんだけど、その当時の
民衆の感情を言ってるんじゃなくて俺の感情を言ってるわけよw
俺が個人的に嫌いだっていうこと。
演義が書かれる以前から劉禅は嫌われてたのか?
>>201 演義がヒットしたのは漢民族がモンゴル支配から抜け出たという時代背景があったとかいう噂
劉禅は武力に屈したわけだからその時代になって初めて嫌われた可能性もなくはないかも
武力のモンゴル民族、徳の漢民族って考えがあっただろうし
でも蜀が正当だという考えはもっと前からあったよ
203 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 15:13
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
205 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/14 23:47
age
206 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 00:19
徳川慶喜が臆病者の誹りを受けてまでも、大阪城から江戸城に逃げて戦争勃発をさけて
その後は、伯爵になろうが公爵になろうが、長年謹慎したような状態で贅沢せずに暮らしていたのと比べると
劉禅の降伏後の態度は潔くはないわな
ちなみに劉禅は優秀な部下がいる間は賢明にも部下のいうことを聞いて善政を施した(というより部下に反対しなかった)
優秀な部下がいなくなると愚かにも佞臣のいうことを聞くようになった
というのはほぼ確実らしい。状況次第で暗君になったりならなかったりするキャラクターだろう。
周りに名臣がたくさんいて、そいつらの意見をよく聞いてきちんと政務に励んでいた徳川秀忠と比べてみると面白いかもしれない
確定てソースは?
208 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 00:56
>207
正史、吉川三国志、横山三国志、三国時代のことを書いている歴史の本など
というよりも、劉禅が実は・・・・・、というようなことを書いているソースがあるという話は聞いたことがない。
誰か知ってる?
どこにもそんな事実は書かれてないが?
彼がやった中で最高なのが降伏ということ
それ以外はほとんどわからない 後主伝の中身も具体的な事は書いてない。
彼が北伐派か、保守派なのかもわからない。
何もしてないから恐らくは家臣のいう事を聞いてたのであろうぐらいのイメージだろ
私が思うに確実というのは少し度が過ぎた表現といいたい
大体、彼はやったことがわからないから擁護も罵倒もできるネタになったんだよ
「ほぼ」と前置きは置いたものの決めつけにも等しい表現はやめれ
以上、劉禅擁護でした
故人を捏造してまで不当に叩くスレは、此処ですか?
211 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/15 04:19
>209
正史に
「後主は賢明な宰相に政治を任せているときには道理に従う君主であったが
宦官に惑わされてその言を信ずるようになってからは暗愚な君主であった。
伝に『白糸はどうにでも変わるものでありただ染められるままになる』とあるのはなるほどもっともなことである。」
とある。
でも、今発見されている資料が全てではないし、これから劉禅に関して今までにないようなことが記された文献が発見される可能性もあるのだから、確かにほぼ確実、というのは適当な表現ではなかった。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>211 だから、それが陳寿さんのイメージなわけですよ
資料に基づいて書いてるわけでわない。
黄皓を重用したくらいだから、後年は厭戦気分が漂ってたんじゃないの?
最初はそれなりにやる気だったと思うが
何度やっても勝てないんじゃ、嫌になるのも分かる
215 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 07:07
age
>>211 陳寿は蜀政権から弾き飛ばされた人だしねぇ
偉大な蜀を築き上げた人(劉備とか諸葛亮とか)はともかく、自分の時代の人間はあんま好きでもなかったんでしょ
自分と接触があった人間(張嶷とかショウ周とか)や黄皓・姜維閥に距離を置いていた郤正なんかの記述が詳細に渡ってるのにも拘らず
他の人間の記述が比較的薄い・否定的なのはそんなとこもあると思われ
「確実な資料」に関していえば先代より後の方がよっぽど豊富だったはずなんだから
217 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 09:47
慶喜、明治政府になってからは、自転車でふらりと散歩していたという記述を
なんかの本で見たことあるがなぁ。
「担がれても俺は乗らんぞ。」
腐敗して自滅した政権の尻ぬぐい担当者はみんな同じような生き方してると思うぞ。
敗戦国の無謀な旧臣がゲリラ活動すると、弱いところにしわ寄せがいく。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 09:59
特にさ、戦勝国に鞍替えした敗戦国の旧臣が人の名前でゲリラ活動してたりするより
見苦しさよりずっとまし。
そうは思わんか?李儒くん?
二十六史はそんなんで蔓延しとるな。晋書以降の話だが。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/17 20:57
>>慶喜、明治政府になってからは、自転車でふらりと散歩していたという記述
多分司馬遼太郎の「最後の将軍」の記述と思われ
幕府の総責任者だったにもかかわらず、大政奉還受け入れて戦争を起こさせないようにした尽力したのが認められて
その後公爵にまで取り立てられた。劉禅がこうした態度をとっていれば潔い君主だったといわれたのにな。
一般的に劉禅が劉備に比べてたたかれているのって、蜀なんかまったく恋しくない、のエピソードのせいでもあるだろうな。
あのエピソードのせいで薄情もの、または父母や旧臣の気持ちにきがつかない鈍感だと思われてしまっているっぽい
>>216 蜀は史官を置いてなかったんだから、記述が薄いのは仕方なかろう。
陳寿は自分の生まれた国が衰亡していくのをリアルタイムで体感した人なわけで、
その衰亡の因を作った人に辛くなるのはある意味で当然だろう。
そして、リアルに接触した人物に関してだけ記録が詳密なのも必然。
それから、別に陳寿は蜀政権から弾き飛ばされてはいないよ。
なんか注釈とごっちゃになってないか?ネタか?w
陳寿はこれでもかというくらい同世代の人間に伝で触れてない、でも諸葛亮伝とかに出てくる劉禅を見る限りは尊敬というか信仰の念が見えなくもないね
皇帝って尊敬よりも信仰だしね
223 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/21 20:54
age
右45度の角度から眺める劉禅様のお姿は美しい・・・
225 :
無名武将@お腹せっぷく:03/07/27 13:24
age
>>224 皇帝陛下を眺めちゃいかん
拝謁するのだ
あぼーん
228 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/08 05:09
age
230 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/12 01:24
共産主義になった翌日、私はブラウザを開いて2chにアクセスした。
まだ夜10時にもなっていないのに、サーバーからのレスポンスがない。
当局によって、閉鎖されてしまったのだ。
「人間が憎しみあう時代は終わったのだな。」
2chで叩かれた斎藤さんが、ほっとしたように独り言をつぶやいた。
「これからはヒッキーは世間にさらされる時代なんですよ」
普段は話をしない靖子(ヒッキー暦10年)がディスプレイに向かって暗くつぶやいた。
2chネラーは行き場を失って、黒光りする練炭を購入した。
「漏れはもう不要だ。もうだめぽ。」
七輪の準備を終えた悲しい表情でヒッキーは言った。
青空のなかをツバメが横切っていった。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/14 00:43
232 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/14 00:46
劉備の実子であるあの蜀の皇帝、劉禅は
倭人の女との間に生まれたことが判明しました。
よって 劉 禅 は 生 粋 の 日 本 人 です。
中国人はこれを受け入れなさい。
へ、陛下!この角度から拝謁させて頂くと・・・失礼ですが・・・十円ハゲが・・・
234 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/14 01:48
>>62 亀レスもいいとこなんだが、関羽の一族皆殺しにされてるのマジ?
抵抗したから?
龐悳の子が皆殺しにしたのです。理由は考えてたもれ
236 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/14 02:39
業者がDQN風な言葉使うのは良心
238 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/14 21:24
ラッキーマンは褒めても貶してもならない。
あぼーん
240 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 21:48
資本主義になった翌日、私は妻とともにキューバへ向かおうとした。
天候の良い10月だというのに、成田空港は閑散としている。
職員は卑屈な作り笑いを浮かべ、持たされた携帯電話がまるで
牛の鼻輪のように太陽光を反射していた。
「労働者が休暇を楽しめる時代は終わったんだよ」
昨日まで国営企業である日本航空に勤めていた斎藤さんが、吐き捨てるように
私たち夫婦に言った。
「ええ、でも私たちは人民旅行証明書を持ってるんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、党が勤労者のために発行した証明書
兼クーポン券を振りながら優しく言った。
「証明書の判子を御覧なさい。共産党千葉県委員会はもうありませんよ」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言ってほくそ笑んだ。
職員たちは私たちの証明書を一瞥し、軽蔑の眼差しを向けた。
「あんたらそれで飛行機に乗るつもり?」
職員はすぐに向こうから来たブルジョワらしき男に卑しい作り笑いを浮かべて
応対を始め、私達は取り残された。
青空のなかをアメリカ帝国主義の軍用機が横切っていった。
右から見た劉禅よりも左から見た劉禅の方が可愛いらしい。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 22:28
久々に横山の60巻読んだが、ムカついて仕方無かった。
晒し首にしてやれば良かったものを。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/17 13:07
東の劉禅、西のルイ16世
>243
似てるね。悪人じゃなかったのかもしれないけど、
結局何も出来なかった(しなかった?)ところが。
初め→若年、しかも孔明がほとんど全権を握るので何もできない
孔明死後→孔明派というか漢中の丞相府の発言力が強くて下手な事できない
更に後→なんとかしたいが益州の名士層と、旧孔明派が勢力として固定されてしまい、
もうそう簡単には解体できない
真の味方は黄皓みたいな宦官くらい
これでどうしろと・・・
>245
それはそうだけど、そこで何かするのがトップの仕事でしょ?
中興の祖と言われる人々はそういう状態から奮起したわけで、
劉禅はそこで諦めたから凡君、暗君と言う評価になったわけだろうに。
凡君はわかるが、暗君と呼ぶ理由としては弱いな。
西の劉禅、東の裕仁
>247
そうかもね。スマソ。
でも、この人って蜀の皇帝なんかじゃなくて、魏の地方領主とか
大商人のボンボンとかに生まれたほうが幸せな生涯を送れたタイプだよね…
>248
昭和天皇ね。2.26での「朕自ら近衛師団を率いて〜」とかあるから、
俺としては劉禅とはちと違うイメージ。でも亡国の皇帝という点は同じか…
250 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 21:21
>>249 いや、劉禅は幸せな人生を歩んだのではないだろうか?
ただ、そのお陰で後世の評価が悪いのでは。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 21:22
鍾離昧は歴代最高の皇帝です
253 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 21:28
>>250 早死にした英雄だけが良い英雄、てところだろう。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/18 21:32
それは極論だろ
>>62は光栄三国志の武将ファイルをみてかきこみますた
>>250 いや、表現が間違っていました。
つまり、地方領主とかに生まれていれば阿斗が馬鹿の代名詞になったり
武候祠に祭られないとか、そういう仕打ちを受けないで済んだのでは…と。
257 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/24 22:35
age
258 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/27 16:25
259 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 11:20
記述がほとんど残ってない事からかなり普通だったんだろうなぁ
260 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 13:15
そうですよね、劉禅のしたことは正しいです。
それにたいして北ベトナムのホーチミンは最低です。
北ベトナムなんて国力も軍事力もない超小国なのに、
超大国アメリカに逆らいました。
アメリカ軍は仕方なく無差別爆撃。多くの民が死にました。
アメリカ軍によってまかれた枯葉剤はいまだに多くの民を苦しめています。
アメリカはベトナムを植民地にする気はありませんでした。
ただ北ベトナムの共産主義が人民を不幸にすると思い、
自由主義の南ベトナムによるベトナム統一に加担しただけです。
それなのにホーチミンは共産主義にこだわり抵抗したため、多くの血が流れたのです。
「多くの民を戦争に巻き込み、殺したホーチミンは犯罪人」
劉禅の降伏を支持する人たちは当然、この意見に同意してくれますよね?
261 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 13:27
アメ公の犬は死ね
262 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 13:31
>>260 あの戦争ではアメリカがベトナムにぐだぐだいう権利は無いだろうがボケ
三国の時とは時代が全然違う。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 14:51
ところで黄皓って何やったの?
264 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 14:54
劉禅に匹敵する暗愚の氏真も蹴鞠という観点でみると
神
265 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 18:34
>>261 皮肉を理解しる。
>>262 劉禅の行為を現代にあてはめて
「国民のことを思うなら、外国が侵略してきても抵抗するな」
みたいな事をいう奴がたまにいるんでそれに対する皮肉。
266 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/28 20:19
>>265 皮肉も何も当時蜀内には抗戦論者はいなかったはずだぞ
当時、実は蜀のほとんどは抗戦論者で劉禅自身も彼らに靡いていましたが、
それを阻止して抗戦論者を黙らせる弁舌で劉禅を説得し、
蜀を降伏に導いたのは他ならぬ譙周先生です。
そういう意味では蜀降伏第一の功労者といえば譙周先生であり、
降伏を称えるにせよ責めるにせよ、まず劉禅ではなく譙周先生を対象にすべきかと。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/29 16:06
>>267 ご高説ごもっともですが、乱暴に言えば?周先生は結局根回しをしただけであり、
降伏を決断したのは結局劉禅だったのでは?
劉禅が駄目と言えば降伏はなかったんでしょう?蜀漢の意思決定がどのように
なされていたのかはよく知りませんが。
そもそも降伏したあと、劉[言甚]のように自殺することも出来たわけで、
それさえしなかったから劉禅が物議をかもしているわけで…私のような素人から見ると
ちょっと論点がずれているように思えます。
ま、こいつが武侯祠に祭られるのは金輪際ありえないけどねヽ(´ー`)ノ
また、ど低脳が糞レスこいて劉禅様の御目汚しをしてまんがな
>>268 そうですね、確かに降伏を決断したのは劉禅です。
しかし、私が言いたかったのは劉禅はあくまで譙周の意見に従った『だけ』で
あるので、徹底抗戦にかなり靡いていた劉禅を、
大局をよく読み蜀を降伏に導いて民を救った第一の功労者として称え、、
譙周について何も言及しないのはちょっと違うのではないかなということと、
降伏を責める場合にせよ、まずは劉禅自身よりも、
他の徹底抗戦論者を黙らせ、劉禅の当初の考えをも変えた
譙周の論に対して反論すべきではないかということです。
また、降伏後に劉禅が自殺というシナリオは、
まず、譙周の意見自体が劉禅のこれ以後の処遇ができる限り良くなることを
第一に考えた意見ですので、(恐らくそれが譙周の劉禅に対する忠義なのでしょう。)
譙周の意見に従った以上、そこで降伏後に自殺するというのは、
譙周の忠義を裏切る事になる行為ではないかと思います。
後継者が劉禅だろうが誰だろうが蜀が潰れて君主が殺されるのは時間の問題だったと思う。
ただ生きたいと願っただけでこうまで叩かれる彼は本当に可哀相だ。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/29 21:40
>>270 抗戦論者というか呉に逃げるか南蛮に逃げるかとかの非降伏策しか無かったと思ったが
>>272 呉や南蛮に一時逃げてでも魏に抵抗するという意味では徹底抗戦なのでは
274 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/29 22:22
>>273 それも抗戦か、どうも俺の抗戦のイメージと違ったもんでスマソ。
>>270 >大局をよく読み蜀を降伏に導いて民を救った第一の功労者として称え、
俺は別に劉禅擁護なんざしていないので、俺に言われても困ります。
だったら、このスレに来ない様に
>降伏を責める場合にせよ、まずは劉禅自身よりも、
>他の徹底抗戦論者を黙らせ、劉禅の当初の考えをも変えた
>譙周の論に対して反論すべきではないかということです。
ここ読めよ
漢中の将は一部を除いて皆さん揃って降伏してますがこれはやはり成都との折り合いの悪さにつけこんだ魏の根回しがあったのでしょうか?
蜀侵攻がそれにつけこんだものだというのは明白ですが
279 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 00:03
>>278 というか負けた将が勝った将の方につくのは普通じゃないの?
張遼とかだって自分が仕えてる人をコロコロ変えてた訳だし
280 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 00:16
>278
成都降伏前に降った漢中の将領って、陽安閑の守将の1人のショウジョくらいじゃない?
漢・楽二城の守将は成都降伏後に開城してるんじゃなかった?
>>278 いや、漏れの言いたいのはそれじゃなくて鍾会が攻めこんだときに降伏した蒋斌達の事・・・
と思ったら蒋[王宛]伝に鍾会が蒋斌に手紙を出している事が載ってたw
捕らえられずに成都まで鍾会についていってる事からして鍾会と通じてたと思っていいのかな?
>>279 張遼の場合は丁原、董卓、呂布が死んでから主を変えてるから違うかも
282 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/01 00:37
>281
蒋斌は成都陥落前に降伏してないハズだよ。
順番としては、
成都陥落→劉禅から各軍に武装解除命令→剣閣の姜維以下、漢中諸城の守将も鍾会に降伏、って感じじゃない?
手紙に関して言うと、当時の士大夫間では国家間の枠を超えて文通するのが普通だったみたいで、蒋斌等が特に特別って訳じゃないよ。
まぁ、そんでも色々な工作はあったろうけどね。
スマソ、鍾会伝見てなかった
確かに漢楽開城は成都陥落後だ
横山だと剣閣の前に降伏してたんだよなぁ・・・ブツブツ
284 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/03 14:38
劉禅は孫子の「戦場に置いて君主が将軍に口出すするべきではない」というのを守ってたに50ペリカ
宮廷では黄皓を任命して好き勝手やったけどな
ソースのない妄想を事実のように語るのはやめてください
287 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/10 01:04
age
288 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 05:10
小泉総理が再選された翌日、私は散歩に出かけた。
まだ晩夏だというのに、既に木々の枝に青葉は無く、かさかさと葉が音を立てて
一斉に落ちはじめている。
動物たちの表情には失望と諦めが満ち、植物の葉に溜まった酸性雨が異臭を放っていた。
「人間が自然を慈しむ時代は、終わったのだな」
昨日まである大きな外人宅で飼われていたポチが、狂ったように私に言った。
「そうだよ、これからはこれまで以上に動物と植物が、いや強者と弱者がいがみ
あう時代なんだよ。」
普段は滅多に話に加わらないサルのヤッシーが、ポチの肩に手を置いてにやりと言った。
「空を御覧なさい。粉塵が立ちこめて太陽はかすんでるでしょ。生物に満ち足りた環境
は百害あって一利無し。」
曇り空のなかををカラスが横切っていった
289 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 20:21
劉禅を悪く言う奴は
劉備の雷恐いよウワーンも悪く言わなければ片手落ちだ
相手を欺くために愚者を演じるのは乱世でよくあること
290 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/21 20:29
>>249 ギエンの問題で部下達が片付けられないようだったら
帝自身が近衛兵を連れて鎮圧に出た可能性はあったよ
斜め45度から見るとけっこう美男子。
実は後頭部に10円ハゲが有る
293 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/26 13:20
陳寿の評は曹丕に対してもその能力を評価した上で人格は批判してるように公正。
その陳寿の評を読む限り、劉禅は君主としてはやはり暗君。
晩年、自己保身のために愚者を演じたのだとすれば頭は悪くないのだろう。
だが、どちらにしろ人の上に立つべき人間ではなかったと思う。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/26 19:39
劉禅の在位は40年くらいか、確か。
歴代中国皇帝でもNo,2くらいの長さらしいよ。
その間、大きな謀叛や、住民暴動も無く、大過無く統治したのは評価しても良いんじゃない?たとえ、部下にほとんど任せっぱなしだとしてもさ。
蜀漢は小国だから、謀叛するような人材すら生まれなかった、なんて意見もあるけど、歴史上、小国であっても小国なりに内紛は起きてる。
乱世の主君には向かなかったかもしれんけど、平穏な時代の皇帝なら、けっこう名君って呼ばれたかもしれないよ。
内乱は結構起きてて、それなりの将が討伐失敗して戦死してたりするけどな
297 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/29 22:09
>296
異民族の叛乱でしょ?内乱とは言わんだろ。
死んでるのは向寵&王詞くらいじゃない?
追加。
蜀漢の地域的な問題からして、劉禅だろうが、誰であろうが、あの地域の為政者は異民族に叛乱起こされるのは常でしょ。
劉禅の資質以前の問題じゃないかな。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/02 12:43
すべては毛沢東が演義厨だったことによる
300ゲト
あぼーん
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/10 02:50
>>294 清朝の黄金時代・康煕は61年、その2代後の乾隆は60年。
乾隆はもっと続けられたけど、祖父の60年を超えるのは孝の道に外れるから
あえて59年で譲ったんじゃなかったか。
ま、漢民族ではないけども。
「清談」とかいって韜晦してた竹林七賢の中にすら粛清される奴も
いたくらい士大夫の締め付けが厳しかった時代だし。
あの有名なセリフは保身のためと考えるのが妥当だろうな。
302は
× 祖父の60年を超えるのは孝の道に外れるからあえて59年で
○ 祖父の61年を超えるのは孝の道に外れるからあえて60年で
に訂正します。自分で書いてて訳わからなくなったけど、たしか
こうだったはず。
>>107 「香ばしき才能」と言いたかったのかもしれん
誰だったか劉禅のことを白い布に例えたヤシが居たな
つまり朱に交われば赤くなるって佞臣に囲まれるとダメになる
典型的な君主だな。まぁ当人自体は至って善人だったのかも
しれんがな。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 00:51
劉禅が親父の今際の際に呼ばれなかったのはなぜ
諸葛亮の死後30年もったというのは
十分なのでは?
「劉禅でなければ40年もったかも」という仮説も立てられるので
やはり30年の中身を検討しないと両者が納得する結論にはならないような
310 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/13 07:28
>307
劉備が永安で重態になった時に漢カ太守の黄元ってヤツが叛乱起こしてたんだよ。
丞相・諸葛亮が劉備に呼ばれて永安に向かったので、皇太子である劉禅は形式上、叛乱鎮圧の責任者にならなきゃならず、成都に残ったらしい。
なるほど。
見込みが無いからとか嫌われてたわけじゃないのね。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/21 20:38
スレの流れに関係ない話しで申し訳ないが、
昔、光栄歴史パラダイスとかいう本に劉禅を擁護する投稿があり、
結果的には無駄な抵抗を止め自分や部下や民の多く命を救った事に対する先見の明や
降伏した後も下手に抵抗せずおとなしくしていた処世術などをあらん限りに絶賛した柳禅マンセーの投稿だった。
しかし、ここまでは理解できないこともないのだが、
どうしても承伏できないのが最後の方の一文、
「彼が降伏した後もほとんどの部下が彼のもとに留まったという相当な人望である」という文だ。
この人「人望」という意味を全て同一視してる。
人望というのはその人物の能力や人徳からなる性質の物と
その人物の立場によるものの二種類がある。
しかも、人望は能力より立場の方が圧倒的に上だ。
例えば関ヶ原の戦いで豊臣秀頼の出陣がもし成功していればたちまち家康の首は飛び豊臣の新世紀が到来した言われる。
つまり関ヶ原時点ではあらゆる能力に秀でた老年の家康よりも何もできない幼児の秀頼の「人望」の方が上だったという事だ。
劉禅の人望とはほとんどが立場によるものであって、能力によるものだとは思われない。
蜀を去った劉禅のもとを多くの部下が離れなかったのは
蜀の元君主、もしくは劉備の嫡子であるからでしかない。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 02:09
主君がどんなにアホでも己の忠義という価値観に殉じて尽くす人間もいるしな
端から見れば人望があると写るかもしれんし
315 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 14:37
勝ち目のない戦いに何度も挑んだり、孟獲を捕らえては放して遊ぶ戦争狂孔明よりも無駄な戦いを放棄する劉禅の方が偉大。
俺が当時の民衆だったら劉禅を支持する。
316 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 15:50
贅沢の限りを尽くししかも平穏に生きたとってもうらやましい人生。
ある意味もっとも幸せな人生を送ったといえる。
滅ぼした国の君主を飼い殺すのは反乱防止の常套手段なのか・・
孫晧の息子は反乱を起こしたけどあれは晋の衰退に乗じたもの?
民を思っていても、民を思ってない国に負けたらどうしようもないな。
民を思うとか馬鹿じゃないの?
>>319 文中、何を省略したのかわからんので、
省略しないで書いてみて
321 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/01 14:43
第2期三国時代の皇帝たちは、
良くも悪くも偉大な親父の一部分を受け継いだだけなんだな。
曹操の息子たちなんて曹操のバラ売りって感じだもんな。
そう言われてみると孫晧って孫権にかなり似てるかもな
↑そうか?