【暴君】董卓の再評価【名君】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1無名武将@お腹せっぷく
董卓は、本当に暴君だったのか?
私は、演義などで董卓の悪評が誇張されているのではないかと疑っている。
そこで、董卓を再評価したい。
だから、みんなの意見を歓迎をするよ。
2無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
3無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
4無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
5無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
6無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
7無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
8無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
9無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:08
2
10無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:09
2
とめどない2の嵐の中、勇敢に3をGet Wild'89!!
>>11
氏ね
13無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:20
GET WILD'90!!
Get Wild'90!!
>>1は蒼天航路を史実に近いと思いこんでいる厨。
うんこスレだな
17無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:50
董卓に悪事がないといえば嘘になるが、演義に書かれている
董卓の悪評が全て信用できるわけでもない。
18T・K:03/04/01 12:55
Get Wild'03!!
信じろ。
>>15>>19は演義を史実に近いと思いこんでいる厨。
21無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 12:59
蒼天航路にも虚構があるが演義にも虚構がある。
>>1>>15>>19は、どっちもどっちだな
22木根:03/04/01 13:02
Get Wild -Club Mix-
23無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 13:12
董卓が悪人であったことは事実だが、演義では誇張されている。
24無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 14:53
董卓が悪人であったかどうか冷静に分析している資料があるなら教えてくれ
25無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 15:01
Get Wild を熱唱するスレはここですか?
紫達磨な体型はどう考えても虚構だな。
奴は西涼軍閥だぞ。
漢王室を蔑ろにした分体型まで醜悪にされてる・・・
27無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 15:06
董卓が肥満であったことは事実だが、暴君であったかどうかは疑問である。
28無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 15:08
洛陽炎上について、連合軍側の犯行だと主張している説があるらしい。
生産力の高い洛陽を破壊してまで、董卓の悪評を広める価値は無い
というか、長安の方が要害で、攻めるには更に困難を伴う。
劉邦が国都を定める際にも、張良がそれを指摘していたはず。
連合軍側の犯行というのは、なにやら疑わしいな。
>>28
>生産力の高い洛陽を破壊してまで、董卓の悪評を広める価値は無い
連合内の過激派による犯行である可能性もないのかな?
32無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 15:34
★賞金が当たる★彼女が出来る★未成年クリック禁止★
http://www.pink-angel.jp/betu/linkvp2/linkvp.html
董卓の行った拷問も当時の中国ではあのぐらい普通だったはず。
皆、顔面蒼白となったみたいなことが書かれているが誇張だろう
まあほら、曹操も演義では結構ないわれようだし
仮にも時の最高権力の廃したんだから評価が落ちるだろ
相国とか自称するし
まあほら、孫権も演義では結構ないわれようだし
仮にも時の人気者の殺したんだから評価が落ちるだろ
関羽とか処刑するし
36無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 21:30
呂布の造反で死ぬあたりがいただけない
董卓の悪行。自らを引き立ててくれた袁隗とその一族をぶっ殺した事。
五珠銭ぶっ潰して経済混乱招いた事。

この二つが悪い事トップ2だと思われ。
皇帝のすげ替えと、年号を戻したことは?
どっちも↑二つよりは劣るかと。
漢の王朝の権威は霊帝が死んだ時点で崩壊
自分史実完璧には知らないのであまり偉そうな事は言えませんが、董卓が悪行を
働いた事は事実だとしても、西涼にいたときのキョウ族が来るたびに自分の家畜
を送っていたとか、恩賞を残らず配下に配っていたとか、名君と思える事も結構
してますよね。人間権力を握ると大分変わりますね・・・
>>40
>人間権力を握ると大分変わりますね・・・
権力を握った人は、妬まれて悪評が誇張されることも多いよ。
っていうか三国志時代は儒教道徳が物事の基本だというのを忘れちゃいかんと思うよ。
43無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 12:19
董卓のことは詳しくないが、曹操には冤罪が多いらしい
董卓は、名の知れた名士を殺したり、名声を妬んで昇進を阻んだり、とか、
けっこう小悪党な事もやってるよな。
張温を殺したのも董卓だったっけ?
孫堅が散々処刑しろって勧めたのに聞き容れなかったんだよな。
45無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 13:06
董卓みたいな生活がしたい。
46無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 13:11
まあ董卓を詳しく語れる人物はこのスレにはいない
47無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 13:25
破天荒な人物なんだよな
この人の失策は間違いなく経済政策がうまくいかなかったことにあるわけだが
48無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 13:30
地方を治める分には名君だったが
国を治める器ではなかったってことだろ
49無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 13:54
>>44
>孫堅が散々処刑しろって勧めたのに聞き容れなかったんだよな。
何のこと?
50:03/04/05 13:59
再評価も何もねーよ、ブッシュ並みの暴君だよ。
51:03/04/05 14:01
死後ロウソク代わりに使われて少しは人の役にたったんだよな
52無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 14:15
三国志演義では、曹操も孫権も悪役だね?
>>49
自分で調べた…。
孫堅がまだ長沙へ赴く以前の186年、西方で韓遂らが叛乱を起こし、漢は張温を
車騎将軍とし、孫堅も麾下に加わって遠征に赴いた際、董卓が遅参したうえ礼に
外れた対応を示したため、孫堅は張温に対し、軍紀に拠って董卓を斬るべし、と
勧めたわけ。
しかもこの董卓、張温の来る以前に叛乱軍を討伐しようとするも、鎮圧できずに
もたついていたっていうから…。
54無名武将@お腹せっぷく:03/04/05 14:46
>>53
それなら、董卓が張温を殺したら忘恩行為ではないか?
>>52
ただし、曹操と孫権では区別して考える必要がある
>>54
それよりもまず袁隗さんを殺したのが重要だろ。

>>55
つまり劉備は哺乳類で曹操は爬虫類で孫堅は両生類だという事だね。
57無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 21:52
董卓は、名士たちの傀儡だったという説もあるらしい
58無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 22:02
>>57
善良な董卓は名士達に利用され、身におぼえのない悪事をすべて押し付けられてしまったというわけか!!
59無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 22:06
>>58
>善良な董卓は名士達に利用され、身におぼえのない悪事をすべて押し付けられてしまったというわけか!!
むしろ劉禅のような暗君だったから、董卓は名士達に利用されてしまったのかも?
小説のネタ的には面白いかもな。
61無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 22:17
>>57-59
それが事実だったとしても、やはり董卓の責任は重大である
董卓は若い頃は中々の武勇の持ち主だったらしいな
度胸もあって中々のカリスマぶりだったらしい
63無名武将@お腹せっぷく:03/04/07 22:25
董卓が後漢王朝にもたらした一連の混乱は以後南北朝時代まで続く
遊牧民族の中原侵入の第一段階にあたる
と宮崎御大が書いておられた
呂布の名誉のために悪役にされたってこともある。
65無名武将@お腹せっぷく:03/04/08 12:05
洛陽炎上については、呂布の独断で実行されたという説があるらしい。
俺董卓に牛丼おごって貰ったよ。いい人だよ。
>>66
本当に「牛」丼だったのかな……
68無名武将@お腹せっぷく:03/04/08 23:05
>>67
「牛甫」丼・・・ぐはぁ!!
牛金丼
(゚д゚)マズー
董卓擁護派ですが何か?
正史と演義しか知りませんが何か?
董卓が暗殺されたあと、民衆は独裁政権から解放されたの?
董卓の以前からずーっと独裁だったんじゃないの?
>>73
でも、董卓が暗殺されて情勢は好転したのでは?
秘密警察が機能しなくなり略奪が横行するようになってしまった
董卓が死んでからは李[イ寉]・郭[シ巳]が好き放題。解放されてなーい。
董さまをいじめちゃだめー
・資産家を殺して財産を接収
・皇帝の墓を暴いて財宝を没収
・敵対勢力の家族を見せしめに殺害
・一族に皇帝しか許されない衣装を着せたりする専横

これで暴君じゃなかったら何者なんだかw
79無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 04:06
董卓の義息となった武将たち。

 李儒は董卓の娘を妻に持っていたがあまり語られないね。

 牛輔は董卓の娘婿。男女別姓の時代のお婿さんだから
 牛輔は董輔と改名しなくてよかったのかな?

 呂布は董卓の養子。この時代、養子でも姓は変わらなかったのか?
>>78
>・資産家を殺して財産を接収
これが事実だったかどうか本当は疑問だよ。
>・皇帝の墓を暴いて財宝を没収
もし皇帝の墓に無駄に埋葬された財宝を掘り起こして貧しい民衆に
分け与えていたなら、むしろ慈悲深い名君ということになるよ。
>・敵対勢力の家族を見せしめに殺害
他の君主も同じことをやってるから、董卓だけが暴君だという論拠にはならないよ。
>・一族に皇帝しか許されない衣装を着せたりする専横
曹操も皇帝を擁立したあとは同じことをやっているから、董卓だけを
槍玉に挙げて責めるのは不公平だよ。
厨房の頃、悪知恵なら孔明以上といわれてたな、李儒(w
82無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 12:37
>>80 だが暴君の根拠はいくらでもあるが・・・名君だったというエピソードがあま
りにもないしね
暴君だからこそ、死体が晒されてるんだろ?
8480:03/04/15 12:43
>>83
>暴君だからこそ、死体が晒されてるんだろ?
たしかに、朝廷側にすれば暴君だったと思うが?
85無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 12:45
董卓が暴君じゃなかったら・・・・小悪党か?
86無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 12:45
>>84
>たしかに、朝廷側にすれば暴君だったと思うが?
それなら、織田信長も朝廷側にすれば暴君だったよ
洛陽から強制移住させられた民衆にすれば暴君だわな
88無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 12:53
>>87
>洛陽から強制移住させられた民衆にすれば暴君だわな
連合軍側でも、一部の諸侯が洛陽で略奪や虐殺を行っていたらしい。
それに、強制移住といっても安全は保障していたという説もあり
それが事実なら董卓のほうがマシということになる。
89無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:00
李儒って架空の人物じゃなかった?
董卓の娘を妻に持っていたそういう人がいたってこと?
90無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:04
>>89 架空ではないが董卓の懐刀であったかどうかは不明、少帝を殺したの
が李儒であることだけは確かなようだ。
>>80
>>・資産家を殺して財産を接収
>これが事実だったかどうか本当は疑問だよ。
いや、そんな「どんな理屈も受け付けません」みたいなレスは反則だろw

>>・皇帝の墓を暴いて財宝を没収
>もし皇帝の墓に無駄に埋葬された財宝を掘り起こして貧しい民衆に
>分け与えていたなら、むしろ慈悲深い名君ということになるよ。
……あのなあ、墓から掘り出したものを民衆に分け与えるはずないだろ。
そもそもそんな動機で墓を荒らす奴がいたら頭狂っとるww

>>・敵対勢力の家族を見せしめに殺害
>他の君主も同じことをやってるから、董卓だけが暴君だという論拠にはならないよ。
曹操や袁紹が決起した時、袁紹の一族をぶっ殺したのは暴君でなくても暗君。
ありゃまだ人質として使える段階だったろうに、殺すんだからな。

>・一族に皇帝しか許されない衣装を着せたりする専横
>曹操も皇帝を擁立したあとは同じことをやっているから、董卓だけを
>槍玉に挙げて責めるのは不公平だよ。
意味合いが違う。
曹操も朝廷に専横を行いはしたが、あれは政治的な理由があっての事で、
董卓みたいに皇帝の車を親族に乗せたりするのは、ただの暴挙。

>>86
信長と董卓は全く違うと思うが。

>>89
李儒は実在。
三国志では董卓が悪玉で反董卓連合軍側が善玉なのに、なぜ
戦国時代では信長が善玉で反信長連合軍側が悪玉なのかな?
信長は董卓ではなく、むしろ曹操だろ。
>>92
反信長連合軍が悪役なんてどこで誰が決めたのやら。
>>93
それなら信玄、謙信、秀吉、家康、輝元、政宗などは?
96無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:39
>>95
必ず誰かが誰かにあてはまるなんて事があるわけないだろ
信長
・京で略奪を禁止。天子・将軍の権威回復に務めた。自らは無官。
 経済面でも有能ぶりを発揮して、商業を活性化させ、領内の治安を高めた。

董卓
・洛陽を焼き、陵墓を荒らし、天子の権威失墜に務めた。自らは太師。
 いらん経済政策で領内に大混乱を招いた。
結局、董卓を暴君でないと主張する根拠は
「連合軍のでっち上げだったかもしれない」だけなんだろ?
99無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:40
>>92
仏教会じゃいまだに信長を極悪人として扱ってますが
100無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:40
最後に天下を取ったのが徳川家だから、江戸時代の書物で反信長連合軍が悪役にされただけのこと
>>98
オウムと一緒じゃないかw
102無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:41
つーかネタスレなんだからマジになるなよ
103無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:42
>>97
曹操は?
曹操
・遷都を行い、荀ケの助言から、朝廷の復興に務める。自らは魏王。
 兵農合体させた屯田システムを韓浩の助言で採用。領内は落ち着いた。
105無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:48
信長の一向一揆虐殺は、曹操の徐州虐殺よりもマシ
106無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:53
反信長連合軍側が主張する信長の悪行

室町幕府第十五代将軍に足利義昭を擁立・・・将軍を傀儡して朝廷の権威失墜
キリスト教の布教・・・宣教師を利用して仏教の権威失墜
比叡山延暦寺を焼き討ち・・・老若男女を全て合わせて三千の人民を虐殺
>>106
>比叡山延暦寺を焼き討ち・・・老若男女を全て合わせて三千の人民を虐殺
他にも、数万にも及ぶ一向宗を虐殺しているよ。
108無名武将@お腹せっぷく:03/04/15 13:58
>>104
できたら孫権、劉備、秀吉、家康についてもお願いします。
劉備
・益州侵攻の際、兵たちに略奪を許した。また、益州人の家族を人質にとり、無理やり自分のために戦わせた。
 益州を支配すると自ら漢中王→皇帝となった。劉備が多くの兵を連れて益州入りしたため、州の経済は逼迫した。
考えてみれば劉備裏切りまくりだからな
公孫サン→呂布→曹操→炎症→劉表→孫権→劉しょう
劉備がやった事で褒められる事は、大義名分が素晴らしかった事ぐらい。
あとは駄目駄目だなw
>>110
別に公孫サンや劉表を裏切ってませんが( ´ロ`)なにか?
113無名武将@お腹せっぷく:03/04/16 14:14
俺はそれでも何度も頼りにされてる劉備の存在が疑問だ
利害無視で大儀や徳なんかで州譲ったりするとは思えん
実はものすごい有能なやつだったんじゃないのか
>>113

仕事が出来る、戦が出来る云々の有能加減では怪しいし、
荊州時代の前に大義を掲げていたかどうかも疑わしいし、
儒教的な人徳を兼ね備えていたなんてのも演義だけの話だろうが、
関羽や張飛みたいな得体の知れない無頼漢がゴロゴロ集まったり、
劉備を狙った刺客が劉備の人柄に敬服して正体を名乗ったりした事からも、
人間のでかさを感じる。
今時の日本でこんなすげぇ奴、政治家にもヤクザにもいないだろう。
115114:03/04/16 14:22
まあ、俺は正史を読まずにコーエーの武将ファイルだけで受けた印象を述べているので、
何か間違いあったらすまんw
116無名武将@お腹せっぷく:03/04/16 14:44
157 名前:64 本日のレス 投稿日:03/04/16
>>151
その通りだ、ウンコ、議論する必要なんてねー
帰れ!

>>152
その通りだ、ログを読めとまでは言わないが
初め漏れがそれを聞いたら順位付けをしたいらしい
要は正史を基準にした能力別人気調査だ、手伝え

>>147
ジュンイクも強力だが
諸葛亮もあれほど劣勢な劉備を一大勢力を築きあげた
能力はイーブンと見て良い、あとは人気で調べるしかない
諸葛亮人気が高い!という事だな
117あぼーん:あぼーん
あぼーん
118無名武将@お腹せっぷく:03/04/16 15:15
  黄 董    // ̄> ´  ̄  ̄  `ヽ  Y  ,)   董 え
  巾 卓    L_ /              / ヽ  卓  |
  の が    / '              '    i  !? マ
  乱 許    /               /    く    ジ
  ま さ    i   ,.lrH‐|'|   /‐!-Lハ_  l    /-!'|/l   /`'メ、
  で れ   l  | |_|_|_|/|  / /__!__ |/!トi   i/-- 、 レ!/ / ,-- レ
  だ る    _ゝ|/'/⌒ヽ ヽ/ '/ ̄`ヾ 、ヽト、N'/⌒ヾ    ,イ ̄`ヾ
  よ の  「  l ′ 「1     /てヽ′| | |  「L!    ' i'ひ}  
  ね は  ヽ  | ヽ__U,     ヽ シノ ノ! ! |ヽ_、ソ,     ヾシ _ノ
⌒レ'⌒ヽ厂 ̄  |   〈     _人__人ノ_  i  く
人_,、ノL_,iノ!  /!ヽ   r─‐-  「       L_ヽ   r─‐- 、   u
ハ キ  /  / lト、 \ ヽ, -‐ ノ  悪    了\  ヽ, -‐┤
ハ ャ  {  /   ヽ,ト、ヽ/!`h)   人    |/! 「ヽ, `ー /) 
ハ ハ   ヽ/   r-、‐' // / |く  !      > / / `'//
劉備に関してはなんかの書物で
高祖(劉邦)の風ありと記されていたからある種の
人を惹き付ける不思議な魅力があったのだろうな、と解釈している
120山崎渉:03/04/17 10:44
(^^)
121山崎渉:03/04/20 05:47
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
>>80は儒教が何たるかを知らんようだね
123あぼーん:あぼーん
あぼーん
戯言ですが。

・董卓は軍閥の長ではない。漢朝の官吏で、武官だった。
・黄巾を甘く見た朝廷の命で小規模な軍で討伐に行かされ、これを討伐
 しきれず失職し苦労した。
・宦官や外戚勢力による清流派弾圧に連座して免官されるも、結局その
 能力が求められ復職する。
・涼州で起こった大規模な反乱軍が長安に迫った際、幾度も迎撃に出て
 いる。多くの官軍が敗北する中、董卓だけは任務を遂げ帰還した。
・霊帝崩御後勃発した宦官と外戚の勢力争いに際し、何進、袁紹らから
 上洛を求められるが、応じなかった。催促されると、正規軍を皇甫嵩
 に預け静観。腐敗権力には力を貸さなかった。
・何進が殺害されると、僅か三千の手勢を率い、上洛を敢行。
・袁紹、袁術らの兵に宮殿を焼かれ、郊外に避難し路頭に迷っていた皇
 族や高官を保護、洛陽入りを強行し、指揮系統を失い混乱する正規軍
 をまとめ、賊軍を追い払う。
・霊帝が死に、弁皇子を擁して絶大な権力を握ろうとしていた何大后ら
 の勢力と対決。協皇子の信頼と、生き残りの清流派、そして 僅かな
 兵だけを後ろ盾に、濁流派が招きいれた丁原らと戦い続け、遂に勝利。
・何大后の操り人形に過ぎなかった弁皇子を廃し、ついに何大后を打ち
 破る。虐げられていた清流派官僚らと共に、世界史に悪名を残す党錮
 の禁に終止符を打つ。
・革命の余波で、清流派官僚が打った極端な人事や、ずさんな財政政策
 にとまどいながらも、宦官勢力の濁流派であった曹操を含む優秀な人
 材を随所に登用、必死に建て直しを図る。
・党錮の禁で追放されたり処罰された清流派官僚やその子孫を全て復権
 させるという、ただでさえ苦しい財政を省みない無茶な政策にも耐え
 る。さらに袁紹、袁術ら地方軍閥を追放してしまった為、都に届かな
 くなった税の為財政は更に逼迫、苦し紛れに司徒らが切り出した改鋳
 政策に苦しむ。
・袁紹、袁術らが逆恨みで挙兵、曹操を始めとする官僚の裏切りにも会
 う。この後綴られる歴史に汚名を着せられる。
・無念の洛陽放棄。略奪をあてに長旅に耐えて来た田舎兵士が洛陽を焼
 く。宮殿に乱入した者が玉璽を盗む。
・長安に移り、官僚達の不満が暴発。スケープゴートに選ばれたのは辺
 境出身の彼だった。全ての罪を着せられ、暗殺される。
よくある批判について

・すごいデブだった
 これは中世以降肥満を蔑むようになった漢民族の創作ではないでしょうか。
 彼を最低の悪役として描く為の…正史が書かれた頃の中国では、肥満はむしろ
 美徳だった(それだけ富貴であるという事の証拠だった)はず。
・軍事力を背景に混乱した洛陽を占拠し、専横を奮った
 正史にすら書かれてますが、董卓に後ろ盾となる地盤はありませんでした。
 西涼の大軍を持っていたのは董卓ではありません。董卓は西涼の大軍の侵略と
 戦っていた人です。
・私腹を肥やした
 肥やしようがありません。董卓が上洛した洛陽は、何進の暗殺と、それに対す
 る袁紹、袁術の逆襲、宦官の殺戮により、完全に地方に対する支配力を失って
 しまっていました。さらに清流派の復権で人件費がかさんでいます。
・経済政策の失敗
 残念ながら董卓はただの将軍です。経済政策には疎かったかもしれません。
 改鋳などを行ったのは、司徒らだと思います。
・残酷な刑罰や敵対勢力の縁戚の殺害を行った
 革命後にはつきものです。やったのは怨念に駆られた清流派官僚だと思います。
 また袁紹、袁術らはこの時点の洛陽では罪人です。どんな理由をつけようと、
 洛陽に侵攻し王宮を焼き、漢臣を殺し略奪を行った事は罪です。この行為に
 よって漢の威信はますます地に落ちたのです。袁紹、袁術派の人間に刑罰を
 科した事は、当時の刑法上では当然の事と思います。これも、やったのが
 董卓であるという証拠はなく、そして董卓はあとで罪をなすりつけるのには
 格好の人物でした。
 また、董卓はむしろ過去の派閥に囚われない人事登用を行っています。
・陵墓を荒らした
 陵墓はとっくに、韓遂ら西涼の反乱軍や、袁紹、袁術に荒らされています。
 これは韓遂らの略奪を止められなかった旧漢臣やその後台頭して来る勢力ら
 が罪を董卓に押し付けた物かと思います。或いは墓荒らしは悪役の行為の常道
 ですので、後世の創作かもしれません。
・その他悪行
 金持ちを殺して財産を奪ったとか、略奪で美女をかきあつめたとか、もうこん
 な事は誰がやったか解りません。但し、後から見れば、董卓はその辺りの悪事を
 押し付けておくには格好の人物でした。
128山崎渉:03/05/22 01:55
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
想像が多いね。
まあスレタイには合致してると思うけど。
論拠も無茶苦茶だな。
まあ歴史の真実なんぞタイムマシンが無いとわからんから、
百%有り得ないとは断言しないが。

まあスレタイには合致してると思うけど。
131 ◆vUpyJu7EAk :03/05/22 22:17
じゃあ…善悪と関係無いところから。

・董卓は本当に自前の軍事力は持っていなかった
 西涼の董卓、などと描かれる事は多いが、董卓は西涼には行った事も無いと
 思われる。見て来た訳ではないが、黄巾の乱の後涼州で大規模な反乱が起き、
 漢の太守などが殺され、その大軍が都に迫ったという事は、史料に残ってい
 るし、概ね事実と思われる。ちなみに首領は韓遂など。韓遂は最初は反乱に
 巻き込まれ、誘拐され仲間に加わったのだが、他の首領を殺し反乱軍の首領
 格に登りつめた。ちなみに馬騰もこの反乱軍に加わり名を挙げている。
 董卓らは漢命で漢の兵を率い、この反乱軍を食い止める戦いに幾度も加わっ
 ている。反乱軍は優勢だったが、内部紛争により消滅。
 その後董卓は反乱後の胡の地の治安維持の為、胡に留まっていたが、何進ら
 の帰還命令に対し兵だけを帰して留まった。これも史料に残ってるし、合っ
 ていると思う。

 董卓が西涼の大軍を率いて洛陽を占拠したというのは、まあ創作という事で
 合ってるかと。
132129:03/05/24 02:31
たしかに西涼の大軍は率いてないけど、洛陽の軍権を巧みに掌握していったでしょ?
「軍事力を背景に混乱した洛陽を占拠し、専横を奮った」は事実ですやん。

一々突っ込むのも面倒なんでとりあえず一つだけ。
大将軍・何進、車騎将軍・何苗、執金吾・丁原と、次々と軍権掌握してるのは確かだな。
>>129
 こういうスレでなければ書きませんよ。
 董卓は曹操・劉備・孫家共通の敵だったし、今は皆董卓は悪役って事で
三国志楽しんでるんだから。それでいいでしょ。
 こういうスレだからという事で書いてるんだけど、それでもウザいとい
うなら消えますが、ちゃんとスレごと削除依頼でもしておいて下さいね。


 くどいようでも、こういうスレだから書きます。
 まず、洛陽ではクーデターが起こっていたんです。
 まず外戚の何進が宦官勢力を除こうとして失敗。この時には何進より
何皇后を中心とした宦官勢力の方が強かった。で、焦った何進は董卓を
呼ぶが董卓は来ない。そうこうしているうちに、宦官側がキレて何進を
殺した。
 何進派だった袁紹・袁術がこれに逆上、洛陽に手勢を入れ宦官を殺戮。
これはまあ、暴政を奮っていた宦官を殺したという点では正義かもしれ
ないが、王宮をも襲うなど野蛮な行為もあり、全体として漢の威厳を地に
落とす、やってはいけない行為だった。ここまではいいですか?
135無名武将@お腹せっぷく:03/05/27 01:19
王宮を襲う行為というのは正義に基づいた行為だから別に良いのでは?
事実これを賞賛したという話はあれども、非難したという話は無いですし。
「権道」という言葉知ってます?
136無名武将@お腹せっぷく:03/05/27 02:20
董卓が馬鹿だったから、しょっぽい貨幣作って、
ミンナあきれちゃって駄目夫だったのは?
137無名武将@お腹せっぷく:03/05/27 03:58
>>126
はず。とか思います。って。。。

まぁ自分が蒼典虫の夢想家って認めたのは称賛に値するわな
138無名武将@お腹せっぷく:03/05/27 05:40
清流派の名誉を回復して重用したのまぎれもない事実
>>135
いや、微妙だろ そのおかげで董卓が実権を握ることになるし
正史にもヒゲのない奴を斬れという命令で無関係の人間も斬られ
あげくの全裸になって無実を証明したという少し批判がましい話も
書いてあるし
139無名武将@お腹せっぷく:03/05/27 11:40
>>135
>王宮を襲う行為というのは正義に基づいた行為だから別に良いのでは?
>事実これを賞賛したという話はあれども、非難したという話は無いですし。
後年ではあるが、この行為を曹操は非難しているよ。
もともと曹操は宦官の皆殺しに反対だったのだけど、当時の曹操には阻止できるだけの実力がなかった。
140無名武将@お腹せっぷく:03/05/28 00:23
ふと思ったが、董卓≒サダム・フセインっぽくないか?
権力を握った時は期待され、権力を失った時には街中歓喜して。

>>139
そりゃあ曹操は生まれを考えたら賛成するわけないよな・・・
このスレで董卓を見直した

          _,,、、、,,,_
      ,、-''"::::::::::::::::::`ヽ、、,,_
     /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
    /::::::::::::::::::::::::::::::::::::ィ:::::::::::::::::::ヽ
    /::彡ヾ、、-──'''''"  `ヾ:::::::::::::::i
   j:::::|             i::::::::::::::|
  {::::::|                }::::::::::::::|
  .!::::|      __     |:::::::::::::::|
   |::「二ニミ、 ( ,. -─-、  ヽ::::::::::::|
   ゙i:|- '"-ゞ'-'} '"ゞ'-' `゙ノ  |:::::rイ|
   |     ノ  ハ  ``ノヽ  彡イ }/
   ,'   ,. |   ヽ 、   \ヽ |ノV.!
   |、 ∠,.ッ-、_,、- ',、\     ト、ノ
   ゙!ヽ ヾ彡i|川川ミヾヾ) |  | |
   ゙、ヽ ,-'ニニニヽノ| / / /
    ヽヽ ヾニ二ン// / /_
    /:>、 {    }/ /ノ// |:ヽ
  /::::/ ヾヽ、-- ' /-' /  |:::::\

嘘は嘘であると見抜ける人でないと
(アメリカと戦うのは)難しい
143山崎渉:03/05/28 16:00
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
フセインは宗教を抜きに語れないので違います
 董卓を見直そうという論証に、正史を証拠にしています。
 洛陽入りまでは。
 だけど、その後の正史の記述は疑って欲しいと、私は言ってます。
 ええ、破綻してますよ。ウザければ削除依頼出すなりコピペで荒らすなり
してください。

 何故その後の正史を疑えと言うかというと、洛陽入り後の事は、歴史の勝者
が書いてるからです。勝者は自分のした事を全て正義と、敗者のした事を全て
悪と、そして戦いの途中で起こった悲劇を全て敗者のした事と書けるんです。

 まず漢について。
 その時の漢は駄目でした。高校生の世界史の教科書にすら書いてあります。
 党錮の禁は世界史に残る悪政です。
 だけどこれを終わらせた者が居た。
 弾圧されていた清流派官僚です。
 そこまでは、納得していただけますね?
 しかし兵力を持たない清流派官僚が、クーデターを起こす事は簡単ではなかった。
 当時の中国には、フランス革命みたいのは無理ですよ。民衆を説得して立ち上が
らせるという事は無理。当時からそんな事が出来たなら、後の中国史は無い筈。

 ではどうしてクーデターが出来たかというと、濁流派の外戚派と宦官派の反目に
より、戦乱が起こったからです。
>>135
 それが本当なら、誰が董卓に従うんですか?いや。袁紹らに従うでしょ。
 ましてや当時の官位の格で言えば、袁紹の方がずーっと上です。勢力もね。
 古代の人々は、普通強い者に従います。袁紹もそれをあてにして洛陽に攻め
込んだんだと思います。しかし、王宮を襲う事は度を越していた。少なくとも
当時の洛陽の官民はそう判断した。じゃなきゃ何故寡兵の董卓を追い払い袁紹
が実権を握れなかったのでしょうか。袁紹が宦官を殺戮出来た事に満足し、た
だ国に帰ったのでしょうか?

 元々何進派の袁紹は、弁帝を煙たがっていました。
 実際袁紹は、後に劉虞に皇帝就任を打診していました。董卓と親交のある劉
虞は断りましたが…

 ここではまだ、その後董卓が暴政を奮ったかどうかには触れません。
>>137
 ええ。見てきた訳ではないので、はず、とか、思います、とか書きました。
 すみませんが、見て来て事実を教えていただければ、私も納得します…
 御願いします、見て来て下さい、御願いします。

 私はただ、正史の董卓伝を読んで、おかしいな?と思っただけです。
 私は演義から入ったんで、董卓が西涼軍閥の親玉で無かった事に困惑し、
また董卓伝の記述が、洛陽入り後とその前で、あまりにも違う事が気にな
ってこんな事書いてるだけです。
 他スレに乗り込んで董卓弁護を繰り広げようだなんて思わないし、まして
演義を否定しようだなんて気はさらさらありません。
 董卓を討つ為集まった英雄達が、その後それぞれの大義の為に戦い、活躍し、
やがて三分の一の天下を取るに至った事は、正しく英雄伝だと思います。
 また「思います」ですが、見てきた訳じゃないんで…
>>145
逆に聞くけど、君は何がそんなに気にくわないんだ?
>>148
 お付き合いありがとうございます。
 別に気にくわなくありません。
 ただ、なんか面白そうなスレだったんで、ちょっと日頃思ってた事を…
 まあ「見て来たわけじゃないから」は言い過ぎでしたが(誰でもそうだし)
 せっかくだから、こんな暴論でも振りかざして楽しみたいなーと…

 だめですかね?
 サーバーの負担にしかなりませんか?
書くのは自由(ひろゆきが規制しない限り)だし何言うのも自由だけど

他人が見て面白いことを書こう
大勢の読者がいることを意識しましょう。

これは忘れない方がいいぞ
少なくともちょっと反論があった程度で攻撃的な書き込みをしたり
自説の説得力を強要する(そう読める)書き込みは「大勢の読者」にとって愉快なものではないと思うぞ

>>150
 うーん、私のカキコだけではないんですが…
 私がトリップつければいいんだけど、別に自分が中心になりたい訳じゃないから…
 でも147は私です 反省します。

 他人が見て面白い事ですか…
 どうなんでしょう、「董卓は悪役じゃなかったかもしれないよ」では
 面白くもなんともないですかねー?
 一応、このスレ見てる人は、少しは興味ある人なのかな?と思って…

 じゃあちょっと正史から何か書きます。
 董卓が胡の地の木っ端役人だった頃の話です。
 董卓はそもそも(正史によれば)若い頃は胡族の地を放浪していたそうです。
 それで、彼らとの面識を買われて、その地の警備隊長の一人のような役につい
ていたそうです。

 その頃の話。
 ある時、そのへんの友人(その地の族長ら?)が董卓の家に訪問する事になった
んだそうです。
 だけど董卓には彼らをもてなす財産が無かったそうです。
 そこで、耕牛を屠り、それで客人をもてなしたと。

 今のイメージからすると、なんかまあ、董卓が脂ぎったカルビをがつがつ
喰ってるの図なんかが想像される訳ですが…

 財産が無い中から耕牛を屠って客をもてなしたというのは、今で言えば、
農家の人が、金が無いのでペットの犬とトラクターを叩き売って、それで
ごちそうを買ってまで、お客さんをもてなしたという事でしょうか。

 今とは美意識が違いますから、何ともいえませんが、当時の美意識では
これは極めて義理堅く誇り高い人間でなければ出来ない事だったようです。
 こうしたエピソードを含め、胡の人々は、漢民族の役人である董卓をたい
そう信頼していたそうです。
 董卓自身は、頴川あたりの生まれでないかとも言われてます。これは諸説
ありますが…
横槍だが意見を。
はっきり言って、苦情に対する反論は「こういうスレでなければ書きませんよ」の一言で十分だった。
このスレは董卓を評価するスレなんだから、推測だろうと何であろうと、正史の記述から董卓を評価した藻前は間違っていないと思う。
しかし、あくまで推測であることには変わりないんだから、後世の歴史家がどうのと理屈をこねても仕方が無い。
あくまで董卓の記述が後世の人物に改ざんされる動機があっただけで、誰の記述だって改ざんされた可能性はあるんだ。
ただ最後にもう一度擁護すると、根本の藻前は間違ってないと思う。
むしろ根本が間違っているのは、「演義における悪評の誇張を疑った」>>1だと思われ・・・。
董卓は自分を抑え、要職には清流派を据えた
155酔った勢い。:03/05/30 00:47
 董卓を再評価するというのなら、『後漢書』を使えばいいのでなかろうか。
少なくとも史書の偏向がどうだとか言う必要はない。

:董卓伝、小帝らを救出する場面
 帝 卓の兵卒を将して至るを見、恐怖して涕泣す。卓 與に言わば、辞対する能はず。
陳留王と語れば、遂に禍乱の事に及べば、卓 王を以って賢と為す。
且つ董太后の養う所為れば、卓 自ら太后と同族たるを以って、廃立の意有り。

 董太后は、霊帝の母で、何皇后と対立し憤死したばーさん。何皇后に母を殺された
劉協を引き取り後見していたので、劉協は「董王」と呼ばれたと皇后紀にある。
曹操暗殺を謀った国舅の董承も董太后の一族。董卓はもとから献帝と縁があったわけだ。

 つまり董卓にとって、何皇后は本家のばーさんをいびり殺した一族の仇であり、
そのボンクラ息子より、身内も同然の劉協が賢明だったらそりゃ挿げ替えも考えるだろう。
 逆に後見人のいない劉協にとって、董卓はいわば「ヤクザだけど遠縁のおじさん」だ。
いきなり宮中に乱入して顔見知りを切り殺した殺人鬼袁紹よりゃ信用できるだろうよ。

 董太后の死については、何皇后を批判する声もあったというから、献帝の外戚で
策立の功績のある董卓を支持するのに、当初こそ問題無しとする者も多かったろう。
しかし実際洛陽に居つかれてみると、その軍勢は暴虐、経済政策は失敗、ああやっぱり
こいつ暴君だわ、と評価が一変した。そーゆーことじゃないのか?

 問題は、董太后は河間の出、董卓の本貫は隴西という点。語りじゃねーか。
 董卓は帝を擁して権力を握る後漢の典型的な外戚しかも語り。自滅も早かった。
まあこれじゃセコい悪党すぎて、こっちの方向で再評価しないほうが格好いいな。
>>155
んっと。判ってて言ってると思うけど、別に血の繋がりがあるって言ってるわけじゃないよね?

同族って確かに後漢書にあるけど、両者の出自から見ても血縁は無いと考える方が自然。99%。
中国は「同姓」というのを凄く意識するから、それで親近感を覚えたんでしょ。
その同姓=血縁って言い方はあながち間違って無いと思うけど。

なんかその書き方じゃ素で血縁があったんだと思う人がいたらいけないので書いた。
157無名武将@お腹せっぷく:03/06/07 15:40
「部下に気前がよかった」とか「洛陽に入って政権を握った後、冷遇
されていた清流派士大夫を登用した」といった事柄から「董卓って実は
イイ奴だったんじゃない?」と短絡的なことを言う人が時々居るが、
安易な人気取り政策の一方で極端な弾圧、圧政というのは典型的な
独裁者に見受けられる分裂症気質だ。ヒトラーもスターリンもフセインも
そうだった。
結局のところ董卓というのは運良く時流にのっただけの小心者の
独裁者に過ぎない。そして独裁者としても三流だったため、あえなく
数年で破滅した。
「ヒトラーもスターリンもフセインも」とか並べてる時点で157は厨房
第一に近代の政治と2000近くの前の政治を比べるな
159無名武将@お腹せっぷく:03/06/07 17:22
所詮人間のやる事、おおもとは何千年たってもあんまりかわんないって
事じゃない?

しかし、「演義での巨悪董卓は虚像で、実際はもっとチャチな小悪党」
説がこのスレでだんだん有力になっていってしまってるような
>>159
毛沢東一味が中国を支配するまでの一連の流れが劉邦あたりの
天下獲りの流れとほとんど同じだったと高島俊男が書いてたな。
161無名武将@お腹せっぷく:03/06/08 01:19
良く燃えたらしーので、ロウソクとしては逸品だったよーである。
信用できない奴ら殺していったら清流派が残っただけじゃねーの?
宦官派の実力者は潰されてて、残るは清流派しかいなかったわけだしねえ。
消去法でそうなるわな。
134氏にほぼ同意
165無名武将@お腹せっぷく:03/06/08 03:16
しかし巨大な軍事力を背景に専横をふるった董卓が虚像なら
反董卓連合軍とは何だったんだ?

しかしまあ、>>158は厨房だな。
文章が読めないらしー
>>165
やはり董卓の改革に反対するデモンストレーションでしょう
167董卓:03/06/08 03:28
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      董卓
知識の差はあれど、人間そんなに変わらないよな。
このスレにも当時君主として生まれていたら暴君になっていそうな香具師がいるし。
>>165
>>166
単なる権力あらそい
皇帝派は董卓もだが、反董卓連合の方にも反発してたし
というか、お前等正史すら読んでないだろ
というか、お前が正史すら読んでないだろ
>>171
そこまでいうなら正史の董卓を正史を読んでない僕に御教授してくださいよ
いやはや、漏れの言いたかったことを理解してくれなかったなぁ。
また同じこと言ってほしい?
「そこまでいうなら正史の董卓を正史を読んでない僕らに御教授してくださいよ」

漏れも何度も読んでるケドナー
なら御教授してください オウム返しではなく
貴方の言う事がわからない 無知な僕にわかりやすく
無知とかじゃなくて非常識なんだよ。
問答無用で「正史すら読んでない」と決め付ける君の行為が。
指摘するだけで何が得られると考えたの?
どこが違うのか知識不足なのか指摘くらいしてあげればいいのに。
私の行為が非常識とするのならば、私の事を問答無用に
正史すら読んでないと煽り返した行為は非常識でないと?
儒教の知識無けりゃ董卓がどれくらい悪いかは理解できないと思う
>>176
人の振り見て我が振り直せ、って聞いたことない?
漏れの言いたいのは以上。
>>178
貴方は実に偽善者ですね。私の煽り口調のレスに煽り返し、
そして私の行為だけを非常識な行為と非難し、そして最後は説教で締める。
中々綺麗なやり方だと思います。しかし、単純に私の非をを責めるのなら
「漏れも何度も読んでるケドナー 」という言葉は必要ないのでは?
あなたはただ単純に私の煽りにムカツイタから煽り返したではないですか?
しかし、あなたは自分を正当化し私を非常識と決め付けいる。
ただ、自分がムカツイテ煽り返しただけなのに、
その行為を正当化しようとして相手を諭すようなやり方にもっていくのは
実に汚いと思いますよ
そこまで。
喧嘩両成敗。
このスレを無駄に流すな。
ごめんちゃいな でも、あまりにも董卓の擁護レスの少なさに...
董白スレでは美化されているぽい
後漢紀は出てないとはいえ、後漢書は出てるし、
スレ全体として、不当な評価はされていないと思うぞ。
貴方の言う「私の煽り口調のレス」が無駄な反発という
悲劇を招きかねないのではないでしょうか。
>>181
ちゃんと根拠のある擁護をしてみて。
ところで、蒼天ではなんであんなに董卓はよく描かれたのだろう。
何か必要あったっけ?
>>185
以前作者のコメントで「董卓は史書では不必要に暴虐な描かれ方を
されてるだけで実際にはたいして悪い事はしてないんじゃないかとか
言われてるんですけど、俺は史書にはひどすぎて真実の半分も
記せなかった、つまり現在に伝わってるのよりもっと悪い奴だったんじゃ
ないかと思ってるんです」みたいな事を言ってた。
漫画だからオーバーな方が面白いし。あと、あの漫画の最初のテーマが
「古来悪と言われたものは本当に悪なのだろうか?」だから、本格的に
このテーマの本題である曹操を描く前にテストケースとして董卓を善とも
悪ともつかぬ奴として描写したのかもしれない。
李と郭が酷かったからな。その影響も少なからずある鴨
>>186
俺は董卓という「人物」でなく「存在」の重要性を描いたのでは?と思いますが。
善悪別にして、後漢の破壊者として董卓は重要な役割を果たしていますし。
董卓は、ただの小悪党に過ぎず特に暴君というわけでも無かったという説もある。
190無名武将@お腹せっぷく:03/06/12 20:54
とりあえず信長も董卓も氏ねってことだ!
191うどん谷のカガシカ@16歳:03/06/12 21:12
ブッシュよりははるかにまし。
192155
今日は酔ってないんだが、我ながらヘボい訓読だね。恥ずかしい。

>156
 遅レスだがフォローサンクス。わざとそこら辺ロクに触れなかったんだから、
「語り」じゃなく「騙り」ってきちんと変換すべきだった。すまん。

>183
 『後漢紀』じゃ面白げな再評価材料見当たらなかったなぁ。
とりあえず『後漢書』以外に「同族の故」って言ってるの見ないんで
(八家、通鑑、十七史商カクとか)風呂敷広げてみたんだけど。
何か与太話になりそうなのあったら教えてください。