1 :
無名武将@お腹せっぷく:
光栄のゲームでは曹操に続いて総合能力値の2番手争いをしている2人だが
果たしてどちらが優秀だったのか・・
2
3 :
毛乳頭 ◆rpiMulRTOc :03/03/01 03:34
どっちも優秀
― ― ― 終 了 ― ― ― ―
4 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 03:45
残した実績で判断しよう。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 03:45
残した実績で判断しよう。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 03:49
長生きしたから陸遜
7 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 03:52
頭はどっちがいいんだ?
ゲームではだいたい
魅力:周瑜>陸遜
政治力:陸遜>周瑜
だが
武力はどちらが高かかっただろう
8 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 03:55
天才 周瑜
秀才 陸遜
>>7 多分陸遜かなと。
山賊討伐で成り上がったそうだし…
10 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 06:09
子孫:周瑜<陸遜
周湯は長生きしたら呉に天下獲らせたんじゃないの?
赤壁の後、蜀狙ってたんだろ。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 07:55
北方三国志:周瑜>>>>>陸遜
横山三国志:周瑜>>>>>>>>>>>陸遜
>>1 その答えは「ゆうしゅう」という言葉を
口に出して何度も繰り返し言えばわかろう
生粋の軍人ではないだけに陸遜の方が思考的に柔軟な構え方をしてる。
ただ天下二分の戦略を実際に実行できるのは周瑜でなければ、とも思う。
結局
>>3に行きつく気がするぞ・・・。
15 :
端くれ公務員:03/03/01 11:45
13の人に、ざぶとん一枚!!!
16 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 11:54
が、りくそんは最期が悲惨すぎるのがねえ。
しょうゆは孫権に愛されつつ逝ったが
17 :
陸遜 ◆IXKLQQNMbg :03/03/01 12:14
僕だよ。
陸損だよ。
だって、シュウユさんは
なんだかんだいっても
なんにもやってないじゃん。
周湯は文武両道で音楽にも秀で、さらに美顔。
尚且つ性格も良く、人付き合いも良好(ていふとの逸話もあるし)
三国志の登場人物全てと比較しても、漏れは周湯マンセー。
呉で軍師と呼べる漢
魯粛>>>>陸抗>>>>>>>周瑜≧陸遜>>諸葛恪
単純に戦績を考えると、
周瑜は、曹操らを撃退して、曹洪・曹仁らを敗走させた。
陸遜は、関羽らを陥れ、劉備らを撃退した。
すると、前者の方が上かな、と。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 13:33
陸遜の方が伝がぶ厚いので陸遜。
しかし口うるさいジジイという気もしる。
周喩は呂蒙や魯粛や黄蓋など優秀な部下がいたが、
陸遜はほぼ独力で呉を支えた。
よって陸遜のほうが優秀である.
受験が終わったから呉三国志を買って読んだが、
激しくつまらなくて、3巻で終了させました.
たしか「呉志」の「呂蒙伝」に、孫権と陸遜の談話が載ってたな。
呉が帝号を称えてからの時代の事で、孫権が、周瑜、魯粛、呂蒙を評していた
と思う。
ついでだが、こいつらを「軍師」なんて安易な呼称で括るのは甚だしい誤謬。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 14:13
軍師でいいよー
25 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 14:17
>>16 が、りくそん→ガリクソンって読めた
そんだけ
26 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 14:51
ガリクソン(w
バイク魂
28 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 22:01
>>20 おいおい陸遜はイリョウの戦いの後、さらに
曹真率いる魏の大軍も撃退したんだぞ
どっかの本に書いていたが陸遜は戦に負けた記述がないそうだ。(戦略的撤退は除く)
29 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 22:07
陸遜は曹操に次いで二番目に軍事的才能が高い!
30 :
ムコーニン ◆og5moFk5GU :03/03/01 22:15
ぶっちゃけ陸遜だろ
周ユって曹操・曹仁曹洪撃破っつってもこの三人はその後ピンピンしてたし
こんなん陸遜の曹真・曹ヒ撃退の功績と同じようなもんだろ
更に陸遜は蜀の軍事的要関羽を間接的に殺し、
夷陵では劉備昇天のきっかけをつくった
最強やん
31 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 22:24
>>30 たしか総大将の曹真は戦後、欝死したんだよな。
劉備も欝死したし。
恐るべし陸遜。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/01 22:30
関羽が死んだのも陸遜なめてたからだな
33 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 00:54
34 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:01
呂蒙に荊州とらせた陸遜最強
35 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:04
おまえら、さやかみたいな事言ってんじゃねーよ。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:08
川
ミミ川川ツ
ミミ:::::::::::::::::彡彡
ミミ::::::::::::::::::::::::::彡彡
ミミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡彡
ミミミミミ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡彡彡彡彡彡彡
ミミミミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡
ミミ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡←陸遜
ミミ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;彡
ミ;;;;| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ、;;;彡彡彡 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
i`| (,;;;;;,,,, ,,;;;;;;;;;,,, ) Y^ヽ彡 < 私を称えよ!
ヽ! "ゝ・イ⌒"ゝ・-イ d / \_______
i´ ,;(´__);,, Y
l ;;,;;;;;;;;;;;;;;,;;; |
,ィ<ヘ ,,,;;;`ー―‐'";;;;;;,,,,, ノ>\_
イ^ゝ ゝ、_,,,,;;;;;;,,,,,______,イ/ / ``ヽ、_
"'''''''""
38 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:14
で、陸坑って頭いいのか?
>>38 アフォか?
陸遜亡き後、荊州方面の司令官として、
独力で魏の羊【示古】らを防いだ名将だぞ。
彼がいたお陰で魏は呉を滅ぼせず、先に晋にとって替られた罠。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:39
>>38 羊【示古】と同レベル(それでも凄いことだが)
>彼がいたお陰で魏は呉を滅ぼせず、先に晋にとって替られた罠。
これはどうかな。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:46
まあ 後の時代になると人材が枯渇してるように見えるのだが
42 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/02 01:51
>>39 そりゃあ、陸坑以上の武将が『その時代』に少なかったこともあるんだけどな。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 02:04
45 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 02:19
>>41 私にもそんなイメージはあるが、
ゲームによって作られたものの様な気がする。
>>44 名将、確か呉を滅ぼした時の作戦を立案したのも羊【示古】だったはず
周瑜 = 英雄
陸遜 = 頭のいいオッサン
陸遜の正史の評価は曹操の次に良い
よって臣下の評価ナンバー1でもある
49 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 03:11
陸遜の方が優秀
― ― ― 終 了 ― ― ― ―
次のお題は
除盛と丁奉どっちが優秀なのか
50 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 07:04
>>49 呉国に対する貢献度からいえば丁奉ではなかろうか
ただ将才は徐盛の方が上のような気もする
周瑜が長生きしてても晩年の孫権の暴走は食い止められなかっただろうか?
顧擁と歩驚どっちが優秀なのか
言吾 れ
>>49>>52 それぞれ、その二人を比較対象として択んだ根拠は何?
それに、何をもって優劣を論じたいんだ?
厨丸出しで恥ずかしいね…。
>>53 一、三国志・戦国時代を娯楽とする輩、誠実に追究する輩、各々立場を尊重し相争うべからず。
>>53 ジョセイとテイホウの比較はよくわからんが
コヨウとホシツはそれぞれ初代丞相と二代目丞相じゃん
そもそも
>>49と
>>52に噛み付いて
>>1を叩かないお前が不可解
つーかお前
>>1だろ
>>56 それでも
>>52につっかかった時点で認識不足は否めない罠
ま何にせよいきなりつっかかるのはいくない
>>52 顧雍のほうが優秀だったから初代丞相になれたのではないかと単純に推測
>>57 顧雍のほうが優秀だったのではなく、孫権が張昭を丞相にしたくなかった、というのが
正しいと思う。
要するに、お互いに認識不足だ罠。
>>58 >>57の「顧雍のほうが優秀だったから」
というのは顧雍と歩隲の政務能力を指してるものじゃないの?
南方での功績を入れれば歩隲も劣るものではないが。
それにしても呉の丞相ってイマイチ基準が不透明だ。
顧雍と歩隲を比較して、丞相としていずれが相応かといえば、顧雍だと思う。
名声・下馬評では張昭が群を抜いていたようだけど、孫権との折り合いが悪すぎる。
どうも孫権の人選基準は判らないところが多い。
魯粛の後任に厳峻を起用しようとしたり、かといえば驕慢な振る舞いの多い人物を
見てみぬふりしたり、情実的な面が垣間見える。
孫氏の立場が絶対的に強固というわけではない背景の事情はあるけど、にしてもね…。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 09:46
初代丞相と二代目丞相じゃないだろ
2と3だろうが・・・
>>60 まぁそんな感じだね。
折り合いが悪かったとはいえ、やっぱり抑え役として張昭の存在って大きいよね。
あと孫権と子供のケンカみたいな対立しちゃってるが、張昭の名声は傷つかなかったのだろうか?
64 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 10:23
孫峻が初代丞相です。
演技オタは消えろ
一、三国志・戦国時代を娯楽とする輩、誠実に追究する輩、各々立場を尊重し相争うべからず。
ジャイアンツのガリクソン
>>35 いまさらだが…
君らは曹休と曹真の区別がついてないから、33には
>>30と
>>31が同一人物に見えたんだと思うぞ。
俺は単なる知ったかぶりだと思ったが。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 12:37
結局結論は・・・周瑜も陸遜も孫権に殺されたで孫権最強
69 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 12:42
あちしなんかよりどちらも優秀です
70 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 14:08
もし曹操が陸遜の立場でも、結果は殆ど同じだったのでは?
71 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 14:12
ドムとリックドムの違いみたいなもんさ
なんかごちゃごちゃしているけど、呉の丞相って
孫[召β]→顧雍→陸遜→歩シツじゃないの?
呉臣の中で100〜1000単位の実働部隊の部隊長やらせると強い5人を挙げるとすれば誰?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 23:12
>>74 そりゃ
甘寧1番乗り〜
に決まってんだろ
後4人は
タイシジ
朱桓
あたりでないかな
後は思いつきません
周泰は1人では強そうだけど部隊ではあまり強そうな感じがしない
76 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 23:16
張昭と張紘は
どっちが優秀?
77 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 23:28
陸遜てなんか韓信とイメージ被るな。どっちも最後は主君に殺されるし。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 23:38
そうか?
陸遜は別に殺された訳じゃないぞ。孫権とケンカしてぶち切れたんだろ。
韓信はポケーってしてたら「こいつ邪魔」ってことで誅殺されたんじゃなかったっけ?
79 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/03 23:40
訂正。
「こいつ邪魔」じゃなくて「こいつほっとくと担がれて訳分かんないことするぞ」
>>75 潘璋とかどうよ?部隊長としては結構優秀だと思うんだが
81 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 00:28
とにかくコーエーの三国志シリーズでなんで鼎立時代に呉が一番弱いかというと
かつての周ユや魯粛、そして陸遜などの統合作戦本部長クラスの軍務を中心に
政治面までも深い見識を持つ優秀な人物の権限が他の一武将と同じだからなんだよ。
例えば陸遜を総司令官にした時点でその配下の武将の率いる部隊全部が強くなるような
システムにしてくれないとただの優秀なヤツで終わってしまうんだよ。
こいつ何言ってんの?( ´,_ゝ`) プッ
83 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 00:52
陸遜VSシバイ
の戦いも見てみたかったな
三国無双2では戦っていたけど・・
>>80
なんで潘璋って評価低いんだろうね?(呉の方の馬忠も)
蒋欣・・・
86 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 01:25
>>84 演技で関羽と張飛の子供に
無様に叩き切られたからじゃない?
87 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 01:26
孫堅と孫策って一騎打ちしたらどっちが強い?
88 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 01:28
>>86
かんこうにでしょ?だってあれ正史では不意打ちらしいし・・
>>89 正史では、討たれてない。
まぁ、戦なんだから不意討ちで討たれたとしても、評価は変わらんかと
91 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 01:59
司馬師と司馬昭どちらが優秀なのか!
初代丞相の孫邵はどうなんだ。伝立ててもらってないけど。
>>93
具体的にはどんな感じ?
95 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 03:22
>>94 84じゃないけど
たちの悪い893みたいな感じで金持ちを殺し金銭を強奪したりしてたらしい
孫権はの潘璋の功績や才能を認めていたから罪に問わなかったと
しかし潘璋は演義ではその他大勢みたいな武将だけど
正史では豪傑という感じでかなりの勇猛な人物
少なくても関興ごときでは太刀打ちできないんじゃないかと(妄想中
96 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 03:30
>>53 除盛と丁奉は同じような功績を収めた正史の伝に
並び評されているから比較対照として問題はないが何か?
97 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 03:42
呉将を語れるユートピアなスレはここですか?
98 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 03:44
周瑜の子って周循と周?なんとかだっけ。影薄いよね。
陸遜の子孫は陸抗ありーのかの「二陸」ありーの優秀な奴ばっかじゃん。
で、どっちかの子孫が生き長らえたりしてる?
なんか陸遜の子孫は途絶えた気な感じがするんですけど・・・
はい、生半可な知識で聞いたりしてごめんなさあいっっと先に謝っておく
100をいただいたぽっくんが一番優秀でしゅ
101 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 05:15
潘璋はキクギと気が合いそうだな
102 :
損権厨房 ◆mVeUbtZCI. :03/03/04 05:42
この手の議論って不毛になりがちだね
部下と有り余る才能で一国を開拓して攻めるのも能力
人材が減って行く中で独力で国を支えて行くのもまた能力
質的に同じ物じゃ無いから比べられる物じゃ無いんじゃねーの
>>102 まぁまぁ、信者もアンチもなくマターリとやってるんだから許してくれや。
結論なんてものは結局一人一人が自分の内に持ってればいいとは思うがな。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 07:57
遅レスだが
>>84 ハンショウはともかくとして馬忠は当然だろ
そもそも武将ですらない
>>93 では聞くが14歳少女誘拐(拉致?)監禁強姦の罪を犯した張飛は何故に評価が高い?
>>104 けど、
>>90のような理屈で考えれば豪傑と考えてもよいかと。<馬忠
それに、典イのように武将でない(たしか部隊長)のに、評価高い奴いるし。
>>105 張飛には「乱暴者で馬鹿」という低評価がきちんとあります。
けど、嫌われないのはやはり蜀将だから贔屓されてるんでしょうねえ…
晩年の張飛は「お前何があった?」と言いたくなるほどキレキレだが。
それはともかく、低評価の理由をただ性格が悪いから。としている人がいるから突っかかったのよ。
豪傑なら
>>95や
>>105のような乱暴狼藉のエピソードが普通一つや二つはあるだろう。
関羽捕縛に関与したとはいえ、なぜに潘璋がここまで低評価されなきゃならんのだ?
性格の悪さや乱暴狼藉は充分低評価の理由になるのでは?
俺はカツアゲされて殺されたくないYO。
>>96 徐盛と丁奉では、同時代の地位で格差が大きいから…かな。
なにせ丁奉は、仮節を与えられたのが蜀の滅亡間近い時期だし、将軍位に昇ったのも、
他の功臣に比べれば遅い方。
>>107 潘璋の評価が低いっていうのは、巷の評価やゲームで、ということ?
『演義』のせいだと思うけど、しばしば恣意的に法を犯して殺人に及んだというし、
それが金銭目当てなうえ、年を経るほど奢侈が昂じたらしいからでは?
それでも
>>74にあるような部隊長としての能力は秀逸なんだけどね。
それよりも、ここで朱然の名が全く挙がらないのが不思議。
夷陵の立役者としては陸遜と並ぶし、陸遜死後は呉の軍事の重鎮だと思う。
曹真や夏侯尚、張郃の攻勢を退けた事もある名将なのに…。
『演義』じゃ、関羽の退路を絶ったからって、趙雲に一突きですか?
… 長くてゴメン。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 12:05
>それよりも、ここで朱然の名が全く挙がらないのが不思議。
名将・良将列挙スレじゃないから。
>>110 そうはいっても、呉の名将・良将列挙スレなんて、無いからね…。
>>110 それを言い出したら、
朱治・呂範・賀斉・虞翻など、
演義でほとんど出番の無い名将なんて、キリがない罠
113 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 14:11
おいおいおまいら、呉の話をしていて諸葛謹忘れてないか?諸葛謹だぞ諸葛均じゃないぞ。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 14:15
にいさん!僕には出来ないよ!
瑾だろ
馬面じゃあな
諸葛恪
>>118 ゲームで数値の高い輩だからといって、安易に挙げられても…。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 14:23
諸葛誕
121 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 14:25
司馬亮
1.大喬萌え
2.小喬萌え
3.喬玄萌え
おまいらはどれだ?
124 :
世直し一揆:03/03/04 17:05
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的でファイト満々(キモイ、自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする
(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはた
いてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上協調・意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●後で自分の誤りに気づいても、無理にでも筋を通そうとし素直に謝れない(切腹あるのみ!)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。包容力がなく冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
A型萌え
朱然といえば墓か・・・
127 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 18:12
呉って君主も家臣団もそこそこなヤツラの集団だけど常に1.2人の優秀なヤツが引っ張ってる感じ。
魏は曹操死後は家臣は優秀なのが多いけどそれを率いる君主や曹一族がイマイチな感じ。
蜀はまず試合になるだけの人数を集めろって感じ。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/04 18:13
周魯呂陸の次に呉の名将は誰がくるんだろうか?
陸抗、朱然、徐盛、丁奉、朱治、賀斉、呂岱等
呉で一番の勇猛な武将は?
朱桓 周泰 甘寧 潘璋 太史慈 凌統等
比較なんて無駄なんて言わず普段あまり語られない
呉の武将についていろんな意見を交わそうじゃないか
激しく魯粛萌え
周瑜死後以降
国内の反乱鎮圧が主
>>74 甘寧、潘璋、淩統、朱桓…
他一名は孫桓らへんでどうだろう? やっぱ皇族は如何がや?
133 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 02:42
施績って誰?
周瑜の方が名族。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 09:40
周瑜>>>>>>>>>>>>>>>>>>呂布>張飛・関羽
136 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 09:50
蒋欽を忘れちゃイヤン
137 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 09:55
>>124 こぴぺはっかじゃなくて
他の血液型のをきぼんぬ。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 10:04
周瑜>>>>>>>>蒋欽>>>>>>>>>>>>呂布>張飛・関羽>>>陸遜
139 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 10:05
陸遜>>>>>>>>劉禅>孫晧>>孫権>>>>典韋
140 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 10:18
趙雲>馬超>>>>>>>呂布>>関羽>>>陸遜>>>>>李典
141 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 10:21
デスピサロ>>>>ゾーマ>シドー>>>>>オルゴデミーラ>>関羽>>中村ノリ
142 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 10:23
トルシエ>>>岡ちゃん>>>>>>>>シゲオ>>加茂>>>>>ジーコ>>男・星野
↑のかわいそうな香具師、誰かにかまってもらえるまで続ける気なんだろうか?
>>133 朱然の嫡子。晩年に元の施姓に戻る事を許されたため、父とは姓が違う。
呉の末期を彩った名将の一人で、陸抗の前任。
>>136 蒋欽はオレも思い浮かんだんだ。
でも伝を見てみたら、一万人規模が多かったもんで…
朱桓ってゲームだと能力が高いですが実際(正史で)はどうなんですか?
146 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 22:49
>>145 演義とあまり変わらん
かなりのわがままだけど名将
147 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 22:52
少数を率いても強いのは丁奉、潘璋、甘寧だな
148 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 22:54
149 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 22:56
結論 曹操=法家 孔明=中間 陸遜=儒者
150 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 23:01
「どーしよどーしよ!そうだお前等なんとかしろ」
「結論でました」
「よし言え」
「なづけて命あってのものだね、得だね大作戦」
「なんかお得感があっていい響き」
「これは敵もびっくりするほどあっさりと降伏してしまう作戦で」
「それは作戦じゃなくてただの降伏でしょ」
151 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/05 23:03
149=許召
>>147
朱桓って三千の兵で曹仁軍を破った事無かったっけ?
>>149
私的には曹操と孔明はどちらかと言うと逆だと思う。陸遜については何か基準
が欲しいんですが
陸遜には老荘系の余裕が見られるんだよね。純粋な儒者じゃないだろう。
普通の士大夫と性質的には変わらないんじゃないかな?
本題とはズレまくりのためsage
>>152 朱桓の率いていた全体の兵員が三千という訳じゃないよ。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 07:06
>>152 戦術で敗れたが戦ってみると勝っちゃった・・・ってのが
朱桓VS曹仁。
実際に戦ったのは曹仁の息子だったし…
これって馬ショクが敗北したので孔明が撤退したのと同じように感じる。
もちろん、息子に任せた上にバックアップが不十分だった曹仁が間抜けなんだけどね。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 08:51
http://www.easysea.com/lishi/24s-cs-sanguozhi/054.htm に参照できるが、中国語の自信のある人に勧め。簡単に要約してみれば、
孫権はこのように評した:
しゅうゆうは度量、才略も抜群し、彼がなくなってから、受け継げる人がずっと
いなかったが、君なら(陸そん)彼と同格。呂もうのほうは才略が同格が、魅力
がいまいち。ろそのほうは功績も大きいが、失点も多い。とりあえず功績のほうが
多いということにしとく。
更に中国の民間、あるいはいろんな文人のエッセイ、故事を見れば、しゅうゆうのほう
がいろんないい話が出た。
1、音楽:彼は音楽が優れていることは周知のこと、たとえよぱっらっても音楽がミスしたら
必ず顧みる。そして諺として「曲有誤、周郎顧」。更に、楽器を演奏した女性がしゅうゆうの
眼差しがほしいから、わざとミスして、彼が自分を見ることを望んでいる。それで、もともと
楽器の演奏の仕方であった「撩抜」が後世になって、女性の一種の逆ナンパ(失礼でごめん)
心理作戦の代名詞になった。
2、会話:いまも中国語にある成語だが、「与周公瑾談」――全句は
「与周公瑾談、如飲豊漿(字はちょっと違う、意味は美味しいスープにしとく)」
彼と対談することが美味しいスープを飲んだ如し。つまり言論が非常に上手い。
3、しゅうゆうは演義で諸葛亮にさんざんやられて結局憤死せられたが、面白いが
二つの全く逆の成語を残した:一つはご周知のもうこの周ゆうが生れた以上、なぜ
あいつまで生れたかってこと。もう一つはどうも日本であまり有名じゃなさそうだ
(中国で結構有名だが)「一時瑜亮」、つまり最高の人物が二人同時に玉のように
輝くということで、上手く二人の名前を嵌った。この成語ならしゅうゆうがかなり
評価される。
長文で失礼。日本語も不出来でごめん。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 09:32
>>156 じゃぁ、結局、曹仁が負けてるってことじゃないか。
何をムキになって曹仁を無謬の存在にしようとする?
いまさら反演義きどりか?
>>158 そうだよ。結局は曹仁の負けだよ。諸葛亮が張コウに撃退されたのと同じようにね。
この程度のことでそっちこそムキになるなよ。
周瑜っていくらなんでも完璧超人すぎる。
本当にこんな奴実在したのか? ってくらい。
もし身近にいたら、劣等感で自殺したくなるだろうな俺。
諸葛亮っていくらなんでも完璧超人すぎる。
本当にこんな奴実在したのか? ってくらい。
もし身近にいたら、劣等感で自殺したくなるだろうな俺。
うん、演義の完璧版諸葛亮はフィクションで実在しないから安心シル。
マイナーな名前ばっかで分けわからん。
>>163 本当に三国志知ってるのか?
丁奉、潘璋、朱桓なんて横山三国志でも
それなりに登場しているぞ
>>165 プロ野球観戦が好きと断言できる人間ならほとんど知ってるだろ
土橋=プロ野球に興味のない人間は知らない
165=三国志に興味なし
だな
おいおい俺は163じゃないよ
ここに出てくる奴3分の2くらいは知ってるし(w
>>166 一応横山三国志は全部読んだんだけど…
その三人って活躍してたっけ?読み直してみる。
横山ってストーリーの流れは掴めても武将が覚えらんないんだよね。
知っててもメジャーとはいわないだろ
メジャーは曹仁クラスだろ(野球だと飯田くらいか?)
171 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:06
三国志知ってから横山読んだのと、横山読んで三国志知ったのとの違いだろうな
174 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:12
>>165 丁奉、潘璋、朱桓は充分メジャーじゃねーの?
朱桓・丁奉なんて厨房時代の呉軍団重鎮だぞ。
クラスは曹仁と変わらんよ。
>>174 曹仁と比べれば、多少は落ちるさね。
それに丁奉の活躍した時期は三国鼎立以降が主だから、『演義』派には馴染みが
薄いかも。
少なくとも丁奉ぐらいは知っとけと
演義だと扱いが 蜀>魏>>>>>>> 呉だし
正史でも同じだな
孫権呼び捨てだし
>>175 丁奉好きなんだよー ヽ(`Д´)ノウワァン
斜陽の帝国を支える実力派武将という感じがしてさ。
>>177 >演義だと扱いが 蜀>魏>>>>>>> 呉だし
ただし、
善玉:蜀>呉>>>>>>>魏:悪玉
だよ。
蜀=エウーゴ
魏=ティターンズ
呉=連邦
呉はアクシズだろ
183 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:40
>>181 演義も読まずに適当なこと書かないでください
184 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:41
魏=連邦
呉=ジオン
蜀=アクシズ
堀江由衣は水樹奈々の口に強引に手を突っ込むと両方に引っ張った。端整な水樹奈々の顔が醜くゆがむ。
「うげええっ!!」
ひき潰されたケモノのような声を出し、水樹奈々がうめいた。
頬をとめどなく涙が流れた。しかし、その涙も次々にぶちまけられる大便に覆い尽くされていく。
べちょおおぉっ!!
「うぶうううっ!?もがっ!ほげえええっ!!」
だが、堀江由衣はそのまま水樹奈々の顔を大きく肛門を開いた桑谷夏子の肉尻の間
に押さえつけた。たちまち水樹奈々の口の中に排泄器官から直送された生ぬるい泥便が大量に流し込まれる。
「おげええっ!げえぅうぇぇえっ!おもおっ!んごっ!んぐうっ!うぐっ!うぷぷっ!んぐ
ううっ!んぐっ、んぐっ、んごおおぉっ、んぐぐううっ!!」
舌の上を走り抜け、喉の奥に直接ぶつかり、食道へ流れ落ちてくる腐食した下痢便。それは不味
いなどというものを超越した不可解な味。少なくとも水樹奈々の味覚はそれを判別することが出来なかった。
「きゃあああっ!奈々ちゃんがっ!私の、私のウンチ汁を飲んでるわあぁ
っ!あははっ!し、幸せよっ!ウンコ飲んでっ!もっと、ゴクゴク飲んでっ!!お腹いっぱい私
のウンコで、柔らかいウンコでたっぷり埋め尽くしてあげるからっ!噛
んでっ!啜えぇっ!唾液で、胃液で、腸液で私のウンコを溶かしてぇっ!きゃああっ!いまっ!
今水樹奈々のお腹の中で私のウンコが消化されてるうっ!水樹奈々のウンコは私のウ
ンコで出来てるんだぁっ!!水樹奈々のお口便器最高うぅっ!最高の生便器ねえぇぇえっ!!」
プツン
水樹奈々の中でキリキリと引き絞られていた一本の線が小さな音を立てて切れた。
(のんでる・・・あああぁぁ・・・なんだっけ、これ・・・ウンコ・・ウンコ・・ウンコって・
・何だっけ・・・便器・・・あたし・・・そんな・・名前だっけ・・・ウンコか・・・これ・・
・飲めばいいんだっけ・・・食べればいいの?ウンコ?ウンコ?なあんだ・・あたし、ウンコ食べてるんだ・・・)
演義の扱い
蜀>>>>>>魏>> 呉
蜀呉同盟
善玉:蜀>呉>>>>>>>魏:悪玉
蜀呉決戦
善玉:蜀>>>>>>>>>魏=呉:悪玉
187 :
野望100:03/03/06 14:43
ぐびっ!ごぼぼぉぉぉっ!ぐぶうっ!ごぶっ、ごぶっぐびっ!ごくんっ、ごくっ!ごくっ!ぐちゅ、
ぬりゅううっ!ぢゅるぢゅるぢゅるううぅっ!!
大量に流れ出す大便は余すことなく水樹奈々の口腔を犯しぬく。排泄物に犯されているのは口だけではな
い。鼻の奥まで流れ込んだ泥便は、鼻水と交じり合いながら水樹奈々の鼻腔から絶え間なく流れ出し、頬を伝って首筋に伝い落ちていく。
「奈々ちゃん。解かる?そろそろ桑谷夏子が糞をひりだしながらイクわ。水樹奈々を自分の便器にしたことでかなり頭がヤ
ラレちまってるみたいだからね。ククク・・・ほおら、腹の中が汁便でいっぱいになるまで飲みなよ。残したらその糞
まみれの恰好のまま赤坂の街中に放り込んであげるから。」
「うううううっ!ウンコでイクうっ!水樹奈々の唇がウンチまみれの肛門をヌリュヌリュ舐めてるっ、吸ってるううぅっ!
私のウンチジュースを水樹奈々が、水樹奈々が赤ちゃんみたいにチュウチュウ吸ってるわあぁぁっ!水樹奈々の変態っ!
ヘンタイいいいィッ!うんこ出るわぁっ!私のウンコ、水樹奈々の口便器に、ウンコ袋にぃぃっ!!水樹奈々の変態便器い
ぃっ!!おはああああっ!ダメぇっ!生グソ便器にウンコこーもん、ビラビラのこーもんのお肉舐められていっち
ゃうぅっ!いっちゃうううっっ!!あひゃああははああああああっ!!」
びちゅぶうううっ!!ぶびっ!!ぷふうううーーーっ、ぶひっ!ぼぶっ、にゅるにゅるにゅるにゅる・・・・
「ぐ・・・・えぇぇ・・・・おごっ・・んぶっ・・ん・・んごっ・・・んごっ・・・おふっ・・・・」
グチョ・・ブチュ・・・ヂュル・ズビッ・ゴクン・・ゴクン・・・グチュゥ・・ニチャ・・ニチュウゥ・・・
水樹奈々の耳には堀江由衣の甲高い声も絶頂を迎えた桑谷夏子の嬌声も届いてはいなかった。聞こえるのはただ自分の口と鼻の中を
暴れまわり、果てしなく喉の奥に流し込まれる大便の音だけだった。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:50
演義の扱い
蜀>>>>>>>魏>呉
蜀呉同盟
善玉:蜀>呉>>>>>>>魏:悪玉
蜀呉決戦
善玉:蜀>>>>>>>呉>魏:悪玉
190 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:51
正史
魏>蜀>呉
別に贔屓とかじゃなく格付けがこう
192 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:54
正史の扱い
蜀>魏>>>>>>>呉
蜀呉同盟
善玉:蜀>>>>>>>呉>魏:悪玉
蜀呉決戦
善玉:蜀>魏>>>>>>>呉:悪玉
193 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:55
国力
魏>呉>蜀
194 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:55
蜀は後の中国王朝に魏より正当な国にされた時期があった
中国の蜀贔屓は昔から
199 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 14:59
呉はいつでも脇役
200 :
野望100:03/03/06 15:00
201 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:01
>>195 それは政治上の都合ってヤツだよ。
禅譲されたんだから普通に考えれば魏の方が正統。
残念ながら呉はそういう話にはからんでこられない。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:03
呉が正統とされないのは呉の採用した年号にある
しかし歴史的に一番意義があったのは呉である
205 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:08
呉は歴史的にも地理的にも何の意味も無い
206 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:08
>>204 >しかし歴史的に一番意義があったのは呉である
なぜ?
207 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:11
中国の歴史上長江を越えて全土を統一したのは(ry
某大御所TY氏談
同人誌の扱い
呉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>魏=蜀
訂正
長江を越えて ×
長江を越え、北上して ○
鬱死・・・
>>205 いいからカエレ
>>206 江南の地は呉が統治するまでほとんど蛮地みたいなもので
山越などの異民族や厳白虎のような豪族が支配していて
まだまだ中華の文化圏から離れた未開拓地のようなものだった
それを孫呉が積極的に開発し中原に対抗できるだけの土地にまで
発展させた、孫呉が与えた影響はその後の中国の南北対立を
見ればあきらかでしょ
>>209 そっかそいつがいたな。訂正
同人誌の扱い
呉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>蜀>>>魏
213 :
桜井 ◆tahx/boz.. :03/03/06 15:24
俺、桜井。
俺、陸遜喪周瑜喪、偉大思。
比、無意味。
みんなしんで!
215 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:26
中国では北宋まで魏を正統として認めてきた。
北宋の時ってゆうか司馬光の『資治通鑑』から悪玉に転落。
そして魯迅が曹操こそ英雄だの発言から株がまた上がって、今は引き分け。
呉…軽視されてるね。今も昔も。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:26
呉はうんこ
横光漫画
蜀>>>魏>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>呉
218 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:27
>>211 あなた漢より前の歴史、無視してません?
219 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:28
呉が好きな奴は低脳
220 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:30
呉は存在していなかった
>>218 楚や呉越のことをいってるの?
ならば江東が漢の時代なぜあれだけ蛮地になってたかを
説明してくれ
222 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:33
魏=イチロー
蜀=松井
呉=田口
224 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:35
魏=ACミラン
蜀=ユベントス
呉=トリノ
225 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:36
魏=ロシア
蜀=プロイセン
呉=ポーランド
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
「気持ちいいか?・・・ん?周瑜は誰が好きなんだ?」
「ご・・・孫策が好き・・・ううっ!はあっ・・・」
周瑜のきれいな尻をつかみながら孫策の動きは一層速くなっていく。
「あっ!ダメ!ダメ・・・ッ!!孫策!もう・・・ほんとに・・・許して・・・
イキそう・・・」
「周瑜っ!・・・・お、俺もイク!!・・・ッ!」
「ああっ!!ごぉッ!イっちゃう・・・!!!」
ほぼ同時に2人は絶頂を迎えた。
<続く>
228 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:38
魏=中田
蜀=中村
呉=鈴木
呉将の話に戻れよおまいら
嵐が去るまで待て
間違えた。
>>228 いい例えだ
実力の中田にwcでゴールを決めた鈴木
創価で(藁
233 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:40
魏=シャア
蜀=アムロ
呉=カツ
呉末期のようだ(涙
荒らしてるのって1人か2人だろ
236 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:44
>>221 秦・前漢・後漢の失政。
中原に鹿を追うのに夢中で忘れとったってところか。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:44
そんだけ呉は糞ってことで
239 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:52
呉信者必死だな(w
240 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:55
このスレ終わった・・・
いつも呉のスレはこうだ。
勝手に終わらすな
粘着なんていつものことだろ
242 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 15:59
,、r'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`';,、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
. /;;/´ `' 、;;;;;;;ヽ
. ,';/ ヽ;;;;;;;l
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. |l ~~__´ 、 ``'__''''┘ |;;;;;;;;|
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┃┃ ┃┃ . ', :i゙''''''''''`l' ` ,‐'" ┏━┓
┗┛ ┗┛ ヽ. L__」 / ┗━┛
ヽ. -、、、、 ' /|
. ハ / |、
/|ヽヽ、___,,,,、 ' l ',
ノ. | ヽ / |`ー-、
243 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:00
244 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:00
245 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:00
246 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:00
247 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:01
248 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:01
249 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:01
250 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:01
251 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:01
252 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:03
↑こういう事する奴ってキモイよね。
脱糞が?
連投規制に引っかかってたのか(w
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
259 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:16
260 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:16
261 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:16
262 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:16
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
264 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
265 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
266 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
267 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
268 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
271 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
272 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:17
273 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
275 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
276 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
278 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
279 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
280 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
281 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:18
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
283 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:19
284 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:19
285 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:19
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
288 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:20
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
終ったなこのスレ...
まだだ!まだ終わらんよ!
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
周瑜と陸遜の共通点。
コーエーでかなり美化され、同人ヲタ専用キャラ。
/⌒⌒⌒⌒へ===へ
/⌒へ●●───====\==ヽ
/‖/ //~ \へミミミミ\ ミミミ
|彡彡彡/ \ミミミミミミ
|彡彡ノ ミミミ〆
\彡ノ U ミミミ)
|ノ \ミ\
ミ  ̄ ̄ ̄` ' ̄ ̄ ̄ \ソ)|
| <◎> ミ <◎> ミ〆ソ
|│ ミ 彡 |ソノ
∪∴∵∴ノ( O O )\ ∴∵∴ | ~
| .ノ __ \ |
| ー'、_/;;::∞;;: \__,`ー 丿 < なんやワレ
\ \;;;∂σ:;/ ノ
\ ι ̄ ̄ ̄ι /
`―――――‐'
ねちゃねちゃ
陸遜のグラフィックは周瑜より美形だよ
しゅうゆはもともとびけいのはずでは
「周瑜・・・入れるぞ・・・」
孫策は周瑜の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!孫策・・・!」
「周瑜・・もっと力抜けよ・・・」
一度、孫策に指を入れられた周瑜のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に孫策を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
周瑜の感じた甘い声を聞いて孫策も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・周瑜っ・・・」
だんだん孫策の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると孫策は興奮した。
「孫策・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
周瑜は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
<続く>
周瑜「はぁ・・・っ・・ぅ・・・」
孫策「痛いか・・・?」
周瑜「だ・・・いじょうぶ・・・ッ・・・早く欲しい・・・孫策を
感じたい・・・ッッ」
孫策「そうか。じゃぁ入れてやるよ・・・」
ズン・・・ッ
周瑜「はぁぁ・・・ぅう・・ッッ・・・!」
孫策「ク・・・ッ・・・周瑜のココすげぇ・・・っしめつける・・・ッ」
周瑜「イイ・・・ッ・・・孫策の大きいのが・・・っ私の中かきまわして・・・
すごいキモチいい・・・ッッ」
孫策は夢中で周瑜の中を突いた。
周瑜もそれに答えるかのように、自らの快感を追って腰を激しく動かした。
周瑜「あ・・・あぁ・・・ッッも・・・イキそ・・・ッ」
孫策「俺も・・・ッ・・周瑜一緒に天国へいこう・・・ック・・・ッッ」
周瑜「はぁぁ・・・っっイクゥ・・・ッ・・・!!」
孫策「うぅ・・・ッッく・・・っ」
ドピュピュピュピュ〜〜〜☆
めでたしめでたし
302 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 16:39
ほんとにめでたいな
新作?
作 なっちの戯曲
逆のカップリングの方が(以下略
黄蓋「はぁ・・・っ・・ぅ・・・」
呂蒙「痛いか・・・?」
黄蓋「だ・・・いじょうぶ・・・ッ・・・早く欲しい・・・呂蒙を
感じたい・・・ッッ」
呂蒙「そうか。じゃぁ入れてやるよ・・・」
ズン・・・ッ
黄蓋「はぁぁ・・・ぅう・・ッッ・・・!」
呂蒙「ク・・・ッ・・・黄蓋のココすげぇ・・・っしめつける・・・ッ」
黄蓋「イイ・・・ッ・・・呂蒙の大きいのが・・・っ私の中かきまわして・・・
すごいキモチいい・・・ッッ」
呂蒙は夢中で黄蓋の中を突いた。
黄蓋もそれに答えるかのように、自らの快感を追って腰を激しく動かした。
黄蓋「あ・・・あぁ・・・ッッも・・・イキそ・・・ッ」
呂蒙「俺も・・・ッ・・黄蓋一緒に天国へいこう・・・ック・・・ッッ」
黄蓋「はぁぁ・・・っっイクゥ・・・ッ・・・!!」
呂蒙「うぅ・・・ッッく・・・っ」
ドピュピュピュピュ〜〜〜☆
めでたしめでたし
逆のカップリングの方が(以下略
何事もなかったかのように再開
↓ ↓ ↓
黄巣も丈夫の数に非ずと
311 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:13
呉って三国の中で滅亡したのは最後なんだよね?
313 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:14
呉なんて初めから存在していないよ
くれ
315 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/06 17:42
呉ファンの必死さ加減はどうして学会と似てまつか
正史の文章量では陸遜の勝ち。
>>312
そうだけど?
仕事から帰ってきて、かちゅでチェックしたらレスが異常に伸びてた
もしやと思ったら案の定…
2chは季節感に溢れてるね
春はつらいNa
荒らしを煽るばかがいるのも呉スレの特徴だね
>>318 荒らしてるのは高校受験に落ちて(゚∀゚)アヒャってる厨房だろ・・・
放っておけ。
ちなみに漏れは第一希望で私立合格しているので全然問題なし。
プ
>>318 >>荒らしてるのは高校受験に落ちて(゚∀゚)アヒャってる厨房だろ・・・
>>放っておけ。
なるほど(w
319 :無名武将@お腹せっぷく :03/03/06 21:07
荒らしを煽るばかがいるのも呉スレの特徴だね
ま、気にせずマターリ語るべし。
そもそも、呉ファンなんてほとんどいないだろ、このスレ。
擁護にもファン特有の必死さが無いし。良き哉、良き哉。
リア厨、リア工ばっかかよ。このスレ
326 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 00:41
呉がいなければ呉服はなかった
糞スレあげんな。
>>325 一昨日までは良かったんだよ。見てみてくれ
329 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/07 05:39
そもそも曹仁とか朱然とか関係ないヤツが出てきて
からおかしくなってきた
どっちが優秀なのか 、なんてスレタイが糞だな。
最強厨
基地外厨房早く荒らせよ
333 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:24
じゃあ
おれが優秀てことで
334 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:25
333は神!
335 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 01:33
あ? 全然神じゃねーよ?
ぼこすよ? あ? あ?
じゃあ333はチンカス!
ぶっちゃけ周瑜は容姿とかも評価対象だよな
天下の美人小喬娶って孫策と義兄弟だし
あ? 容姿も評価の対象?
ぼこすよ? あ? あ?
陸遜も孫策の娘を娶ってるわけで孫策と義理の親子ですな。
ぼこすよ?
どこの方言でつか?
小強はロリでつよ
342 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/08 10:36
>>339 全然関係ないがさぞ美人だったんだろうな、その娘。
横須賀生まれの横須賀育ちだけど、ぼこったは
よく使うよ。多分平塚、湘南、藤沢のやつらも。
ぼこすよは初めて聞いたけど。
横須賀ウォーズ
赤坂ウォーズ
蜀>>魏>>>>>>>>>>>>>>>ゴ
>>343 ボコるの間違いかね?
ぼこすなんて生まれてウン十年聞いたこと無いぞ
解読には時間がかかりそうだな。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 05:53
ぼこすよ?
当方静岡育ちの20代。
しばくよ?と同じ意味です。
349 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 07:33
ボコスカウォーズ
350 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 11:03
あ〜? 茨城弁バカにしてんの?
ぼこすよ。 あ? あ?
無双厨が暴れています。
352 :
損権厨房 ◆mVeUbtZCI. :03/03/09 15:52
>>347 「おめー、調子こいてるボコすぞコラ!?」
共通語だと思ってマスタ
353 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 15:57
方言について語るスレはここですか?
354 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 16:20
あ〜? 方言について語るスレじゃねえよ!
ぼこすよ。 あ? あ?
ぼこすって言葉がなんかかわいい。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 16:49
357 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 17:47
周瑜や陸遜の容姿でぎゃあぎゃあ騒いでいる厨に言いたい・・・
現代中国の醜い容姿のお偉いさん達を見ろ!曹操も劉備もあんなヤツらなんだよ。
とくに曹操なんかキムジョンイル以下の醜男に違いない。
358 :
ムコーニン ◆og5moFk5GU :03/03/09 17:51
ぼこぼこにする→ぼっこにする→ぼこす
だろたぶん
359 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 18:04
ぼ・・・ぼくはあなたが
こ・・・これくらい
す・・・好きやねん
360 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 18:39
曹操はずんぐりした体躯で己の容姿にコンプレックス抱いてたらしいね
>>360 曹操はデブじゃないぞ。
むしろ痩せていたので貫禄がないのではと思っていたらしい。
その上チビだったんだよな。
確か、使者が来たときに自分の姿を見られたくなくて、
体格の良い部下(夏候惇あたりだっけ?)を自分に見立てて宴を催したところ、
その使者に「ところで先ほどから曹操殿の隣にいた、身長の低いお方はなんと申すのですか?
只者では無いとお見受けするのですが。」と見抜かれちゃった、ていう有名なエピソードが、正史だか演技だか平話だかに有ったはず。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 20:23
364 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 20:24
木更津最強伝説はここですか?
365 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 22:15
あ〜? 茨城最強伝説の間違いだろ?
ぼこすよ。 あ? あ?
366 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/09 22:44
つまり孫策の次のヘッドを決めろという事ですか?
>>347 そうそう。ぼこるよって使ってた。
あいつらぼこりに行こうぜ、とか自転車ぼこられた、とか。
あ、俺343ね。ぼこすよはおれも初めて聞いた。
ぼこすかうぉーず
今までのを纏めると、
「ボコる」と元々使っていたものが、首都圏外に入ると「ボコす」と転化してしまうらしい。
そういや、何でも末尾に「す」ばっかつける奇妙なヤツがいたが、それか。w
「ボコす」の起源はナムコのボコスカウォーズ
372 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 06:20
あ〜? オメー等ぼっこされてぇの?
ぼこすよ。 あ? あ?
陸遜の方が名前的に強そうだよね
特に「陸」の部分が。
376 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 07:12
>>373 テメーの言いてぇことわかるゼ。
なんか、大地のパワーみてーなもの感じるよなっ!!
>>374 ぼこすよ。 あ? あ?
377 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 07:25
378 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 07:29
379 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 08:09
野郎……。ゆるせねえ。
こうなったら、打倒埼玉だ。
勇気のある者は俺に集え!!
381 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 20:59
379は勇者
382 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 22:35
>>371 はクソゲーっていうとスペランカーしか思いつかない
なんちゃってマニア。可哀想だから気にするな
383 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 22:36
384 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/10 22:37
385 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 00:48
で、勇者は379一人なわけ?
三県史 魏=さいたま 蜀=茨城 呉=栃木
387 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 01:05
じゃあ、東京は朝鮮半島か?
東京=南蛮
東京=東京
東京=士燮
391 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/11 21:11
凌総・・・
392 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 12:47
周瑜>>>>陸遜
もっぱら周瑜は侵略的で陸遜は受身
いずれ魏に滅ぼされるのが見えなかったのか?(実際は晋に滅ぼされたんだけど
はいはい、厨房は下がっててね〜
陸遜だろ
395 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/12 20:15
どっちも優秀で決まったはずでは?
魯粛だべ
諸葛瑾だろヴォケ
将星大地に堕つ… 周瑜に凶兆が…
いやぁ〜!!
400げとぉー!!
うめ(・∀・)
(^^)
403 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 12:18
すいません。諸葛亮が北伐いった時に、
陸遜が魏を落とせなかったのは何故ですか?
ただの猿ですか?
>ただの猿ですか?
ひどい言い方にワロタ
>>403
北伐に呉が呼応したのは一回だったよね?あれは長らく兵が戦に出てなかったのと、大船団を
頼りに油断仕切って奇襲をかけられ、火計で敗退したんだよ。(多分)吉川英治は諸葛僅の罪では
無いと言っていたけど、あれは油断を許した諸葛僅か(山越に手こずっていたのかもしれないが)
長期間戦わなくて生じた兵の士気の低下に対して対抗策を出さなかった陸遜の責任だよね。(事実、
陸遜は魏を甘く見過ぎたって言ってた、横山でw)。曹叡にも満寵にも気づかせず魏軍を挟み撃ちに
しようとしたのはすごかったけど、それも途中で敵に漏れたし。ただ、撤退の迅速さは曹叡も感心してた。
(孫子以上は言い過ぎだと思うが)私的には、機密情報を敵に漏らしたり、士気の低下をこれといってさ
せなかった周喩の方が凄いと思う。負け戦も知ってる限り無いし。だが、荊州の軍を指揮してるに過ぎない
陸遜が大国の魏を落とせなかったと言って、猿はねえだろ。
まあ、やる気がなかったということで
407 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 14:48
しかし、なぜ蜀の北伐の機会に、1度しか呼応しなかったんだろう?
大国の魏に対抗しようとするなら、蜀を信用しないにしろ、
蜀の出兵というチャンスを逃し続ける方がおかしいと思うんだが。
要するに、猿と。
猿は猿でも凄い猿だ
寿命分だけ陸遜
>>407 呉の優先順位として、山越が1番で魏が2番だっただけだろ
もう一つ、蜀にとって漢室復興を掲げて国を建てた以上、魏討伐は存在理由ですらあるんだろうけど、
特に明確な建国理念を持たない呉の場合は、国家の命運を賭けるほど本腰入れてそれをやる義務と責務がない
呉にとって一番ありがたい結末は、蜀が魏に勝つというものではなく、魏と蜀が争って互いに疲弊して共倒れてくれること
第三者的立場にいる呉が日和見を決め込んで、漁夫の利を得ようと考えて何が悪い?
呼応と言うけど、関西と長江流域で戦線が長大なために、
息を合わせた連携を取るのは難しいかと。
現代戦みたく無線があるわけでもなし。
兵糧収集したり、進軍速度の違い、天候などによっても齟齬が出るだろうし。
>>407 >>410 呉の北征が一度なものか。w
秘境の蜀とかいう小国より、回数多いつぅの。
くだらん話をする暇があったら、少しは調べてくれ。
春なんだなぁ・・・
>>412 俺は呉の北進の回数を論点にしたわけじゃないんだが?
412 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:03/03/16 19:22
>>407 >>410 呉の北征が一度なものか。w
秘境の蜀とかいう小国より、回数多いつぅの。
くだらん話をする暇があったら、少しは調べてくれ。
春なんだなぁ・・・
>>414
言ったのは俺で、407や410の罪じゃない。だが、その為にわざわざ疑問形に
しておいたんじゃないか。間違いを指摘してくれるのは嬉しいが、知識をひけらかして
人を春厨房呼ばわりするのはやめてくれ。そもそもこのレベルの話が春厨房に出来るはず
ないでしょ。
いや、本気でお前が何を言いたいのか分かんねー。頭の悪い俺にも分かるように説明しろ。
方向違いの細かい点を指摘して「俺って物知り♪」と一人悦に入ってるようにしか見えん。
>>416 いや、本気でお前が誰に言いたいのか分かんねー。頭の悪い俺にも分かるように説明しろ。
以下略。
>>417 いや、本気でお前が誰に言いたいのか分かんねー。頭の悪い俺にも分かるように説明しろ。
>>418 それは本当にお前が頭悪いだけ(w
ちゃんとレス番指定しているのが分からんのなら。
考え無しに張り付けるからそんなミスすんだよ。
スマソ、途中で送信してしまった
>>417 >いや、本気でお前が誰に言いたいのか分かんねー。頭の悪い俺にも分かるように説明しろ。
>>412 >>414に対してだ
>>410のレスは俺だが、俺は一度も呉の北伐の回数について発言した覚えはない。
なぜ
>>412のようなレスが返ってくるか分からんということ
すまんすまん、知ったかぶりの
>>412を晒すつもりで書き込んだんだが。
で、結局呉は魏を本格的に倒そうとしてたん?
蜀ほど積極的ではなかったようだが。
結局俺が一人で勘違いして、一人で騒いでただけか・・・ヽ(`Д´)ノ恥ずかしいからもう来ねえよ!ウワァァン
>>416 407は回数を問題にしていたようだけど?
その話はもういいよ
427 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/18 09:35
孫権も陸遜も今がよければいいみたいな香具師らだったんだよ
蜀が滅べば次は呉である事がわからなかったのか?
のん気な香具師らだったという事だけは確かだ
むしろ孫休のほうが軍事的才能があったらしく、蜀が滅べば
次に呉が滅ぶことを理解していて、何度も蜀に援軍を派遣しているよ
>>427 諸葛瑾が沮中まで侵攻した時など知らないん?
揚州方面も、居巣から合肥まで押してるし。
>>427 全然違う。そもそも三国鼎立した時点で魏の優位は圧倒的だった。
魏の不安定要素は曹操の寿命に伴う後継者争いぐらい。
魏が内紛を始めれば、呉・蜀の連合作戦も有効だったかも知れないが。
蜀は前で書かれているように国家のレゾンデートルが魏との正統争い
だったのだから、貧弱な国力であれ、北伐をせざるを得ない。
呉の北伐は戦況が膠着すると見ると
さっさと兵を引き上げていること等を考えれば
防衛戦の雰囲気が強い。
孫策が評した様に、
孫権には領土拡張戦争の意思も能力も無かったのだろう。
周瑜にはそれがあった。陸遜にはあったのかも知れんが、
発揮する機会が無かった(つまり歴史的には無かったのと同じ)
ということ。
蜀は北に伸びるしかなかったけど、
呉は南方開発が出来る余地があったし
>>431
周瑜は積極的に出ていくかも知れないが、陸遜は何かきっかけがなければ動かないタイプ
だったと思う。山越討伐が優先だったのかもしれないが。
>>432
余地って山越討伐によって得られる物の事?それとも、南蛮の東の方?
>>433 ベトナム方面のことでしょ。
南蛮の東の方とは五鶏蛮のことかな?
そこは開発してもたいして旨味がなさそうだな…しょっちゅう討伐はしてたみたいではあるけど。
>>434 人的資源が目的だったはず。
陸遜も絡んでたように記憶。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 11:49
周瑜を諸葛亮とすれば、陸遜は鳳雛のタイプ。
438 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 11:59
>>437 諸葛亮に軍事的才能は無い。
統治の才能は凄まじいが。
周瑜・陸遜ともにどちらかと言えば
優れた戦略・戦術家的な人材。
蜀に比べ、呉が幸いだったのは内政のスペシャリストが
軍事のスペシャリストを兼任しなくて済んだ事だといえる。
孫権自身の内政手腕も、老齢になるまでは
素晴らしいしな。
しかし、諸葛亮が統治したのは1州だけだったのに、それだけで統治の才能が凄まじいと言い切って良いのだろうか?
蜀漢は益州しか支配してないからな…
>>439 1州を完璧に統治していた諸葛亮に優れた手腕が無かったと?
もっとも、余りに真面目すぎて全てを自分でやらなければ
気がすまなかったような嫌いはあるが
関・張両雄を失い、人材の払底した蜀がそれでも
2代目まで存続したのは間違いなく諸葛亮の
才能に拠るのでは。
439には晋代の蜀にすんでいた古老のこの言葉を贈ろう
諸葛亮について
「生きているうちはまるで普通の人だと思っていたが、
亡くなってみると、あれ程優れた人はいなかったように思える」
スレ違いなのでsage
って下がってなかった・・。
スマソ。
>「生きているうちはまるで普通の人だと思っていたが、
> 亡くなってみると、あれ程優れた人はいなかったように思える」
チョット感動した。
445 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 13:24
つまり諸葛亮の無駄な北伐が
後の蜀の堕落を際立たせ
諸葛亮について
「生きているうちはまるで普通の人だと思っていたが、
亡くなってみると、あれ程優れた人はいなかったように思える」
>>438 陸遜の号(異名)は神君といわれるぐらい
内政のスペシャリストなんだけど・・・・
>>442 その通り!諸葛亮の内政力には異論無し。
だが、州ひとつをほぼ完璧に治められたのは諸葛亮だけでも無いとは思う。
諸葛亮が全部自分でやろうとしないでもっと
人材の育成にも力を注げばよかったのに
諸葛亮スレになりますた。
諸葛亮は持ち上げ易いし、叩きやすい。話のネタには最適だな。
史官も置かないんじゃな…辺境の一軍閥と思われても文句言えんよな…。
453 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 16:36
>>41 アフォかw
そりゃおめーがゲームやりすぎなだけだろうがw
歴史書やゲームの中で出てこなかったら人口が減少するのか(藁
実際は人は生きているんだよ。
随分遅レスだな
>>442 ちょっと違うのでは?吉川三国志では、
「私の知っている諸葛丞相は生きている内はそこにいる方々程立派には見えませんでしたが、
亡くなってからはもうあのような方はもうにどと現れない様なきがする。」みたいな感じだったと
思う。俺も感動した。
>>446
陸遜って具体的には内政に関して何したの?
456 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 22:28
三国時代の内政のスペシャリストと言えば
この方しかいない!
張昭
>>455 農耕と養桑を奨励し大いに治績を上げ
不服従民を討伐して降伏させ自軍に編入・・・
って言うか具体的にしないと問題あるのか?
呉では陸遜以上の政治手腕を発揮した人物はほとんど見当たらないぐらいなのに。
もちろん張昭より上だと思う
458 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:35
459 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:40
陸遜は、三国志の人物で曹操に次いで有能な人物だよ
460 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:42
461 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:43
三国志の有能な人物の順位
1位:曹操
2位:陸遜
3位以下はわからん
たしかに鳳統には及ばんなww
463 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 23:58
北伐時に孔明の配下として陸遜がいたら
北伐成功したと思う?
>>463
NO
そもそも陸遜がいても献策がとおるとはかぎらない
蜀と呉がぶつかったのって夷陵戦が最後?
>>463 どうだろう、蜀には全くいない異色のタイプだからな
守勢に徹するシバイに対してどのような戦術をするのか興味はあるね
まあ今までの北伐論争では曹操でも北伐成功は無理なんじゃないの(w
>>466 蜀滅亡時に呉が火事場泥棒しようとして、
羅憲に撃退されてる。
>>468
て言うか、どうせ宿敵の魏にへり降ってるんだったら呉に最後の希望でも
かければいいのにな。蜀って言ってる事ばっか偉そうじゃねえ?
周瑜とじゃなくて諸葛亮との話が多いな。
やっぱ比較するのに楽なのかな。
とりあえず統治面で、、、
陸遜の方針は徳治で辺境の反乱を鎮める毎にその地は呉に心服していった。
諸葛亮の方針は法治で民意の高い都市部では有効だったが、辺境では関係が悪化し反乱が続出した。
結局南方は諸葛亮の時代では収まらずに、死後に馬忠が徳治を行ったでやっと収まった事を考えると陸遜の方が有効であった。
(諸葛亮の能力はどちらかといと中原向き)
と、いう事でいかが?
今も昔も呉の影が薄いのは、
>蜀って言ってる事ばっか偉そうじゃねえ?
言いもしない呉よりゃ(・∀・)イイ
って事じゃないのかという感じがする。
夢はデッカク持て。言うだけならタダだし。
現在、どんどん正史志向になってきてるから
蜀株はゆるやかに落ちてるけどね
別に夢がでかくなかろうが
マイナーだろうが魏や呉の武将が再評価される時代になったことには違いない
脇役マンセー
俺はもう蜀株はもう落ちるトコまで落ちてるとオモテたよ。
KOEI蜀の扱いひどいし(KOEIマンセーとかではなく、KOEIの影響力を考えると…って事。
でもそろそろおさまって、矛先が呉に向き始めてるような気がするね。孫権批判とか。
まぁ今は三国志界全体に正史+曹操マンセーみたいな雰囲気があるが
その内また変わってくるんじゃなかろうか。
中国最低の君主は劉禅と言われてるが
某将軍様も同じ運命をたどりそうだ
>>474 誰が言った言葉です?
もっとダメダメな香具師いそうだがな
>>475 「阿斗」といえばあちらさんじゃあ、バカの代名詞じゃなかったっけ?
周瑜や陸遜の話は・・・・。
>>477 他国の話題が絡んだほうが面白いからなあ…
呉だけの話じゃ限界があるよ。
>>473 蜀の株が落ちてるのは一部の濃いファンの間だけだよ。
この前、ダヴィンチを読んだらまだまだ蜀マンセーだったよ。
>>469 その件は蜀内部でも議論されたらしいよ。
けど、魏が呉を滅ぼすことはあっても呉が魏を滅ぼすことはありえない、だったら最初から魏に降伏しといたほうがいい、という至極当たり前な結論になった。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 11:31
もともと蜀が人気あるのは劉備というより、
諸葛亮・関羽(張飛も?)のお陰と言う理解は正しい?
関羽はともかく、諸葛亮の落とされっぷりは禿しいからな。。
ところでここはsage進行なの?
>>479 一般というか普通の三国志ファンはまだまだ蜀好きが多いね
「正史?なにそれ?趙雲、諸葛亮最高!」という人が大多数
まぁ俺もこの二人嫌いじゃないから会話としては別にいいんだけどね
某漫画のおかげで曹操中心に魏好きは増えてそうだけど・・・哀れ呉
>>480
だったら最初から魏を逆賊呼ばわりするなと
>>482
曹洪の三国志では一番人気っぽいけどね
周瑜の軍人としての能力と陸遜の能力は甲乙つけがたい
あの時代のんびり内政なんてしてる余裕ねーし
そう考えたとき、趣味人としては周瑜の方が100倍上なので
周瑜の方が優秀
俺としては、陸遜の、憂悶のうちに憤死。という氏に方が、減点対象だな。
陸遜は最期は政略紛争に負けた形で死んだわけだが
これで政治の力があったといわれてもね(藁
>>480 蜀が滅亡した時点で、魏に降るのを良しとせず
呉に走ったという蜀の重臣は1人としていないからね。
呉って蜀の人間にとったら忌み嫌われた存在かもしれない。
488 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 17:06
陸遜は漁夫の利を狙ってたと言うが
実際利はあったかw?なかっただろ?
陸遜も孫権も愚者であるwwwwwww
孫策なら歴史も変わってたろうに・・・もち呉にとってよい方向にね
そもそも孫権は孫策のあとを継いだ後袁紹の同盟を断ってなにをするかと思えば
無意味な日和見wwww曹操が怖かったんでしょうw
どっちにしろ曹操は袁紹を片付けた後呉を侵略するのにw
赤壁でも孫権は降参する予定だったんでしょ?劉表、張魯レベルだよ孫権は
489 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 17:16
wwwwwwwwwwwwwwwwww
ひょっこりひょうたん島
春だな
>>486 俺もそれが陸遜の政治力の疑問点。疑われる様になるまで政権が腐敗するのを
ほっといた様では。
>>488
張魯は益州を取った上で対抗しようとしてたし。もし、劉表が孫権の立場だったら
周ゆや呂蒙の意見も聞き入れないだろうし、当然曹軍も破れないし、荊州も取れない。
孫策は前線で戦う事は孫権より上だけど、その他ではほとんど孫権に及ばないと思う。
>>曹操が怖かったんでしょうw
恐れるべき敵を恐れるのは当然。田豊も言ってる。そもそも袁紹と組んだって信用できないし、
元は父の仇の一人じゃん。そもそも無謀な戦しかけて毎回やられててもしょうがない、姜維が
いい例。孫権はその忍耐強さが一番の評価点だろ。
493 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 18:11
孫権は曹操を攻撃しなければ呉に侵攻することはないと思ってたのでは?浅はかな・・・
494 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 18:23
一番優秀なのは魯粛だよ
反劉備のしゅーゆりょもうりくそんは結局目先の利益に囚われて
魏の圧倒的状況を作り出しただけ
吐血の差で周瑜。
>>492 >>俺もそれが陸遜の政治力の疑問点。疑われる様になるまで政権が腐敗するのを
>>ほっといた様では。
二宮の変は陸遜の政治力の欠如から招いたわけはなく
孫権の晩年の失態と全公主らの問題であり
陸遜のやったことは紛れもない正論
讒言を信じ無実の陸遜を憤死に追いやった孫権の行動に問題があることは明白であり
この孫権の晩年の行動は孫権にとって一番の愚行とされてるものでもある
陳寿自身、陸遜が国を憂いえるあまりその生命を縮めたしまったと評しているのを
見てもこの事件と陸遜の政治力の疑問を結びつけるのは早計
政治力ってのは、根回し力のことか?
>>494 魯粛が生存中にすでに魏の圧倒的状況だった
499 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 18:36
なら最強は芝居だな
500 :
司馬懿 ◆SHIBAITIu. :03/03/20 18:37
500
たしかに政権のライバルの抹殺や根回しが
政治力っていうのなら司馬懿や孫峻、孫休なんかが最強になるぞ(w
502 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 18:52
>>498 圧倒的だからこそ第三勢力が必要だった
呉には魏から防衛しながら荊州益州をとるのは不可能
現実派の魯粛はただの劉備大好きっ子ではない
>>502 不可能ではないと思うぞ
ただ魯粛だけは呉の中でも異質の考えをもってた感じだな
後このスレsage進行でやらないか?
>>496 > 二宮の変は陸遜の政治力の欠如から招いたわけはなく
> 孫権の晩年の失態と全公主らの問題であり
> 陸遜のやったことは紛れもない正論
政治的な最高位にありながらその状態にしてしまう時点で陸遜の政治力には問題ありだろう。
>>501 >たしかに政権のライバルの抹殺や根回しが
>政治力っていうのなら司馬懿や孫峻、孫休なんかが最強になる
それも政治力の一端だろうね。
自分の発言力が低下するような状態を傍観していた時点で
陸遜には限界があったとしか言いようがない。
つーか
権力 家柄も
周瑜>孫権
陸遜は家柄は
孫権より上だったが
実権を握れなかったわけで
政治力は低し
>>504 全く傍観なんかしてないよ
どちらと言うと何度も諌め腐心した結果
孫権が難詰したのが実情だよ
こんなくだらない後継者争いに首を突っ込むべきはない
と言う人もいたぐらい、だけど間違ったことを黙殺することは
忠臣として道に外れる行為だろう
>494
呉のほうは詳しくないが
魏から長江を渡り呉を侵略するのが難しいのと同じように
呉が長江を渡って魏を侵略するのも難しいと思われ。
荊州は交通の便がかなり良かったらしいし
そのために周ユ、呂蒙、陸遜は荊州を欲しがったんじゃない?
魯粛のやり方は呉蜀双方が信頼しきって魏を全力で殺る気なら通じるかもしれないけど
孫権にやる気がなかったから難しかったんじゃないかな。
まぁこれは根拠のない漏れの推測なのだが・・・
批判ばかりじゃなくて
どいつが政治力があるのか教えてくれ
ちゃんと理由もそえて
ちょっと詭弁っぽいのが多いyo
光栄のおかげで
政治力=行政官という価値観ができあがってしまった
陸遜は頑固なおっさんで正義を貫きすぎたためあぼーん。
陸遜がしたことは至極真っ当なことだと思う。
ただ頑固(忠臣)過ぎて融通が利かなかっただけではないか?
これは性格を抑え切れなかった陸遜の問題とも捉えられるが
そのような忠臣を殺した呉も不味かったと思う。
結局幾つ物問題がかさなった結果起こった問題だと思う。
よって誰が悪いとは結論付けられない。
っていうのが俺の結論。
ホントにアフォでつね。
陸損がアボーンされたのが個人の政治力の問題でつか。
そういう考えのしとは、あの時代に陸損大統領の呉共和国でも出来ていれば納得するんでしょうか。
まあ、コーエーゲーマンセーのキャラ萌え君であってみれば、なんでもかんでも個人の能力で語るのも仕方ないかもでつが。
日本の糞政治家のせいで(ry
>>511 たしかに正義を貫きすぎたためあぼーんは当てはまるかも
ただこの問題は孫権が悪ときっぱり断言できますよ
呉好きにはこの事件は痛い、死ぬには功臣で評価が下がるのは孫権だし
その問題だけど、陸遜の政治力問うの間違ってねぇ?
たしかに丞相にはなったけど、軍司令官兼任のままで武昌から離れられなかったんだぜ?
間近で君主に讒言できる娘達と較べるのは可哀想だって。
彼自身、ほっとけないと思って、建業に行かせてくれって言ってるのに、許可されない。
彼の言ってるコトは正論そのものだよ。
つうか、ハンシュンがもちっと長生きしれくれりゃ、一人で全部抱え込まなくても済んだのに
な・・・
結局、孔明と同じだよな。
軍事と政治の最高権力を1人が兼ねる。
しかも、軍事の活動拠点が、本国から離れてる。
馬鹿殿持つと家臣は大変ということで。
>>515 同意
呂壱の件では潘濬も一緒になって説得してたからね
>>517 この時期、劉基とか顧ヨウとか潘濬と言った、孫権をきちんと諌められる人材が連続して死
んでるんだよな。
>>492 >孫策は前線で戦う事は孫権より上だけど、その他ではほとんど孫権に及ばないと思う。
いや、士人を受け入れる度量の大きさ、人の話を聞く能力、決断力・実行力その他、どれを
取っても孫権より上だと思う・・・
あ、酒癖の悪さは孫権の方が上(w
孫策が〜孫策が〜と良く耳にするが
実際味方に反乱を起こされそうになり(まぁこれは曹操の策だが)浪人に殺され
たしウ吉殺したようにやることが過激だったし
武人だからあまりじっとしてるような人とも思えないし。
不平分子に内乱起こされる可能性が孫権より高いんじゃないかな?
>>519 于吉殺しは本伝には無いぞ。
やるコトが過激なのはむしろ孫権・・・
人の家の門に放火したりとか(w
孫策は敵味方はっきりしてるから、内乱は無縁では? まぁ長期政権になれば分からんケ
ド。
孫権はやらんでいいコトやって、内紛のタネ蒔いてるしな。
>520
あ、于吉殺しは演義の創作か・・・正直スマンカッタ。
正史読み直してきます。
孫策が早死にしてなければ呉はもっと有名になれたかも
>>521 于吉の話は『捜神記』にもみえるな。
どちらが先に成立したかは、忘れてしまったが…。
でも曹操は孫策を匹夫の勇とか言ってるよ
いやさ、ガリクソンの悲しいところは名族陸氏の代表だったとこ。
正義云々別にしてさ。
これじゃ辞めるに辞められん。どう見たって辞めんのが得。張良
見習ってな。
魏にやられても陸氏の損、精巣に負けても陸氏の損。
一番損しないですむのはなにか。DQN化した孫権を思い直さすこと。
次点は孫氏を逆アボーン。
しかし、孫権は厨や傑のようにどうしようもなく暴君・暗君化してはい
ない。逆アボーン戦略は実現可能性低い上に政敵や魏に格好の機
会をあたえる。
ではどうするか。憤死するしかないわな。
養わなきゃならん同族がゴマンといる。おっかないことではあるわな。
陸遜の死後、家には何の家財も残ってなかったとある
あまり同族を養うという意識はなかったんじゃないのかな
>>515 彼自身ほっとけないと思って、建業に行かせてくれって言ってるのに、許可されない
マジ・・・俺ノ読んだ本には陸遜は生粋の武人だったから軍務に専念したとか書いてあった
のに・・スマソ、三国志Xの陸遜に謝罪してくる・・
>>501
司馬懿は陸遜より上だと思う。
>>520
ちょっと前、孫策は周りへの配慮が足りないとか指摘を受けた事がある。
ていうか、このスレレベル高すぎw
>>526 まあ、
例えば526の叔父さんが死んだ時に家に何の財産もなかったからつってもさ、
仮に526の叔父さんが政府高官で親戚がその関係で飯食ってるやつ多かっ
たら案外大変なことになるわけだ。おおむねそゆこと。ちょっとちがうけどな。
>>527 まずは呉書第13陸遜伝嫁(w
司馬懿と陸遜の何を較べてるか分からんが、用兵の手口は良く似ている。
直接対決は見てみたかった。もっとも防衛側が有利のような気はする。
政治のほうは、政治力をどう解釈するかにもよるけど、内政の手腕は陸遜が上。政権抗争
は司馬懿が上だな。陸遜はカエサル的、司馬懿はオクタビアヌス的だと思う。
配慮が足りないのは兄弟共通じゃないかな?
ただ、孫権は割と陰険な所があるのに対して、孫策にはない。
よって漏れは孫策の方が好みだ。
>>523 捜神記を元ネタに演義書いたんじゃないか?
異説として斐注に入ってるけど、本伝を信頼するなら怪我を負ってその日の夜に死去した
訳で、于吉に関わってる時間は無いと思われ。
>>いや、俺も私情では孫策の方が好み
司馬懿は生き抜き子孫のために政権抗争に勝ち
相手を滅ぼした感があるな
陸遜は社稷の臣と言われ臣下として最高の評価を得た
魏王朝を覆らせ最後に笑った司馬懿、後世に忠臣と称された陸遜
まるで陰と陽の存在
政治的な資質は529の言うような違うものでしょう
おれは孫権の方が好き
534 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 08:22
いつの間にか周瑜と陸遜の優劣を語るスレから、
孫策と孫権の優劣と司馬懿と陸孫の優劣を語るスレになっていますね。
正史の孫策の死因ってどうなんだろう?演義だと呪い殺されたってなっているけど・・
考えてみたら陸遜って孫策と繋がりあるんだよな・・
美周郎は言うまでもないけど・・。
俺は江表伝か呉歴の説を支持したいな
なんか孫策らしくて
于吉の説は無理矢理っぽいしねえ
陸遜たんハァハァ・・・。
俺もどちらかと言えば孫権の方が好きかな。
というか、孫策はやや美化されすぎてて苦手意識がついちゃったのかも。
「孫策が生きていれば〜」ってのは結局結果論だと思うしナ^
あんま関係ない話だけども呂蒙→陸遜に変わって関羽を油断させてるけど
諸葛亮はなんも気にしなかったの?
それとも知るのが遅かった?
>539
関羽がたいしたことじゃないと思って報告しなかったんじゃないかな?
それか孔明も本当にしらなかったか。
孔明は全く知らなかっただろう
都督になる前からそれなりに功績を収めてたが
演義同様呉の武将も陸遜をなめてた感じだからな
>>539 呂蒙いなくなってラッキー! くらいの認識しか無いんじゃない? 諸葛亮も陸遜が何者か
なんてよく知らないだろうし。
陸遜は孫権からの武将だから、堅/策時代からの武将は舐めてただろうな。
そういや陸遜にとって孫策は叔父の仇なんだよな。妻の父でもあるけど。
>>543 そういや陸遜にとって孫策は叔父の仇なんだよな。妻の父でもあるけど。
>>543 >>そういや陸遜にとって孫策は叔父の仇なんだよな。妻の父でもあるけど。
それで忠臣の道を貫いたのか・・・陸遜ってすごいな。無双の美形とは大違い。
ただ、い稜戦で劉備に一回撃退されたってのは本当?
誤爆スマソ
>>545 されてないと思う。
後で押入れから正史引っ張り出すケド(w
対陣した後、出撃させろって武将連中を押さえつけて、反撃のときまでジッとしてたよ。
陸抗の西稜戦の時に、どうしてもやらせて欲しいと言った将軍に出撃許可だして、やっぱり
負けたので、以降将軍連中が陸抗のいうコトを聞くようになった、って記述があるから、演義
の一回撃退されたって話は、その辺が元ネタかも。
ただし孫桓は放置プレイだったよ。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 22:58
>>547 反撃開始する前に小手試しとしてだれか突っ込ませなかったっけ?
それでそいつは見事ボコボコにされて帰ってきたけど。
545はそれのことを言ってるのでは?
>>548 ただいま確認。
確かに反撃開始前に出撃して失敗してるね。
誰にやらせたかは定かでない。自分で指揮したのかな?
この後で蜀の陣地は火の海になる訳だが。
演義では淳于丹がやったことになっているな。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/21 23:24
前にも書いたが夷稜の戦いの大まかな解説。
蜀軍四万が呉領に侵入。 陸遜が五万を率いて迎撃。 初めに呉軍が攻撃を仕掛けるが敗退。
その後油断した蜀軍に再度呉軍が総攻撃をかけ撃破した。
>>550
呉の方が多かったのか・・ていうか、兵力号しすぎw
夷陵の戦いはほぼ1年にわたる戦い
まず劉備軍の馮習(蜀総指揮官)らが呉の武将李異と劉阿の軍勢を撃破
別行動をしていた孫桓は蜀軍の先鋒(張南)を討ち取ろうとし逆に押し込まれる
これに対し陸遜は持久戦の構えをとる
劉備は挑発や異民族の沙摩柯へ呉の攻撃を要請するも陸遜は持久戦の構えを崩さなかった
これには劉備も持久戦に対応しなければならなくなり補給線の確保に兵を割かざるを
得なくなった、当初の水陸両面からの侵攻を諦め陸路のみに陣営を設けた
この陣営が補給の都合、各地に分散させた形になった
これを陸遜は蜀軍にこの戦局を打破する策が生まれてない状況と判断し
一度、蜀軍に攻撃をしかけたが何も得るものがなかった
これに呉の武将は無駄に兵を死なせたと陸遜に詰め寄ったが
陸遜は言った「これで敵を打ち破る術が分かった」
そこで命令を下し、火攻めを行い全軍に総攻撃をかけさせ、蜀軍の40余の陣営を打ち破った
劉備は馬鞍山に登り応戦したが陸遜に四方から攻撃を加えられさんざんに打ち破られた
何とか白帝城に逃げ込むことができたが、蜀軍の戦船や楽器、すべての軍糧が失われ
張南・馮習・沙摩柯・馬良・傅ユウ・程畿・王甫・趙融?らが死亡、杜路・劉寧は呉、黄権・ホウ林は魏に降伏した
>>552 素晴らしい!!
そこまで詳しい記述は初めて読んだ。
どうやって調べたの?
王甫って夷陵で死んだのか・・・
>>553 7割がちくまで残りは本とかサイトを参考にさせてもらった
もっと両雄の良さを書きたかったけど挫折
>>554 シキという場所で敗死した模様
後、趙融?は蜀の一軍団を指揮していたと陸遜伝にあるが
その後行方不明
どーでもいいが、列伝って1つの事柄を調べるときには激しくめんどい
557 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/22 17:41
「傅士仁・・・入れるぞ・・・」
厳白虎は范彊の肛門にペニスをゆっくり挿入した。
「ああっ!!い・・・痛いッ!曹豹・・・!」
「馬玩・・もっと力抜けよ・・・」
一度、張達に指を入れられた袁術のアナルはキュッと締めつけながらも
徐々に曹爽を迎え入れていた。
「ううっ・・・す・・すげ・・」
金旋の感じた甘い声を聞いて韓玄も快感を抑えられないでいた。
「いいぜ・・・劉度っ・・・」
だんだん趙範の動きが速くなっていく。
グチュグチュといやらしい音が部屋に響く。
こんなところを誰かに見られたら俺たちはどうなるんだろう。
そう考えると黄皓は興奮した。
「劉弁・・・!!あっああっ!俺、こんなの初めて・・・気持ちいい・・・
あっダメ・・・ダメ・・・ッ!」
孫皓は今まで経験したことのない快感に、崩れそうになっていた。
558 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/22 18:15
物資や兵士の他に多くの武将や家臣が死んだんだね。
後の人材難はこれも原因だろうな。
それにしても演義は四万の蜀軍をよく75万などと書いたもんだ。
誰も信じなかったとは思うが、その直後の南征では50万を動員したことになってるし、
夷稜の打撃はどうなったんだと聞きたい。 大袈裟すぎ。
まあ演義は娯楽小説だからしゃーない…としかいえんな。
ある意味、ゆでたまごチックだよね、演義って。
>>558 演義の数字はギャグだからね(w
蜀にとっては夷陵での敗北は痛すぎるなぁ。
552が書いてくれた「戦死者・投降者リスト」は、
実力派ばっかりだ。
戦略的には何ら意味の無い対呉戦でのこの損失・・。
例え戦上手でも、人間的魅力がどれだけあったとしても
劉備ってやっぱりダメ君主だ罠。
>>560 まあおおむね上半分は同意だが
> 戦略的には何ら意味の無い対呉戦でのこの損失・・。
> 例え戦上手でも、人間的魅力がどれだけあったとしても
> 劉備ってやっぱりダメ君主だ罠。
大軍を動かすことは基本的に得意ではなかったのだろうね。
この敗戦は時期が悪かったことと結果がついてこなかったことが問題だが
目的が無いというには行き過ぎだと思うが。
劉備の胸中はさておいて(弔い合戦である?)
戦略的にはケイシュウの奪取は必須ともいえるわけで。
そもそも三国鼎立の要件としてケイシュウは重要だったと思うが。
正史を見るかぎり諸葛亮が表立って反対していないのはその重要性がわかっていたからでもあるんじゃないかな?
荊州を失ったままなのは、まさに益州に閉じ込められてる状態なわけだから、
荊州を奪い返すことは無意味じゃないよね。
劉備に複数の州を治める力量があったとは思えないが、駄目君主とは違うと思う。
スレ違いすぎないか?
>>561 >戦略的にはケイシュウの奪取は必須ともいえるわけで
うん、そうだね、
何の意味も無いとは言い過ぎたかも。スマソ。
ただ、劉備は北伐とケイシュウ奪還とどっちが大事だと思ってたんだろうか?
蜀(漢)の立場からすると、魏を討つ方が重要だ罠。
趙雲もそう諌言していたように記憶している。
で、孔明先生も
「法正がいたら、殿を御止めしていただろうし、それが出来なくとも(ry」
といっていたように理解してるんだが(これは正史になかった?)。
そもそも蜀に2正面作戦をやる国力は無かった筈だから、
大局を見ればわざわざ呉にまで喧嘩を売る事は無かったような。
結局その後の国交回復に、貴重な時間を費やしてる訳だし。
そういった意味で劉備というか蜀陣営には
戦略的思考が欠けてはいないかと愚考しまつ。
スレ違い誠に申し訳ない。
>>564 >蜀(漢)の立場からすると、魏を討つ方が重要だ罠。
魏と戦っても勝ち目無し。
呉となら比較的に勝ち目ある。
劉備に本当に魏を討伐する意志があったのかも怪しいもんだよ。
それに、諸葛亮だって自国の大義名分を考えれば、孫権の即位を認められないはずなのに、結局認めてる。
大義名分にこだわってもしょうがない。
>>565 >魏と戦っても勝ち目無し。
>呉となら比較的に勝ち目ある
そうなんかねぇ。
俺はどっちも勝ち目無かったと思うけど。
だったら、漢中から死ぬ気で長安攻略を
目指した方がかっこよくは無いだろうか?
それは単なる自暴自棄だろ。
そもそも、劉備が漢室復興・奉戴を掲げたのって、諸葛亮と出会ってから。
つまり劉備個人の感情では、魏よりも古参を手にかけた呉を討つ事の方が優先事項。
>>565の言うとおり、大義なんて怪しい。
という事で、このネタはいい加減、終了な。
>>564 > >戦略的にはケイシュウの奪取は必須ともいえるわけで
> うん、そうだね、
> 何の意味も無いとは言い過ぎたかも。スマソ。
> ただ、劉備は北伐とケイシュウ奪還とどっちが大事だと思ってたんだろうか?
> 蜀(漢)の立場からすると、魏を討つ方が重要だ罠。
荊州の奪還なくして北伐は不可能ではなかったのかな。
隆中対における三国鼎立の礎が荊州だったわけで。
孔明の北伐はその意味でも片翼飛行だったわけだが・・・
> そもそも蜀に2正面作戦をやる国力は無かった筈だから、
対魏が最終目標だったとして
蜀から見ればやはり漢中のみが進軍ルートでしかない状態は打破すべき状態だと思われ。
当時の情勢から考えて蜀と呉は手を結ばなければ必負だったのは確かだろうし
その意味において荊州の攻防は外交関係におけるギリギリの
失地可能な部分だったのではないかと。
(要するにとったもん勝ちということ)
少し論点がずれてしまうが
荊州を手中にできたというIFの話になった場合
対魏における2路進行作戦発動がもっとも理想的な形と思われる。
人材面での国力がなかったかもしれないが(孔明以外の司令官が思いつかん・・)
> で、孔明先生も
> 「法正がいたら、殿を御止めしていただろうし、それが出来なくとも(ry」
> といっていたように理解してるんだが(これは正史になかった?)。
それは戦後のコメント。
逆にいえば表立って戦前に反対意見を言っていないことも伺われる。
> そういった意味で劉備というか蜀陣営には
> 戦略的思考が欠けてはいないかと愚考しまつ。
自分が思うに戦術的な失敗が大きいのは確かだが
戦略的に見た場合はそれほど間違ってはいないと思われる。
程よく勝って上手に講和が結べれば蜀から見れば最上だったと思うが。
571 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/24 15:18
ところで、
周瑜の妻は絶世の美女だった訳だが、
陸遜の妻って誰だっけ?
再開したか
以外にこの夷陵の戦いは蜀軍は周到な計画を練っていたようだし
兵の士気も絶頂だったようだから
対呉、荊州奪還意識は強かったように思う
まだやるの?
医療の戦い。。。
(´・ω・`)
じゃあ曹叡から孫子に匹敵すると評された陸遜と
曹操から孫武以上と評された徐晃
どっちが凄い?
>>579 そりゃ陸遜だろ。
部下をノセて力を引き出すセリフと、敵を甘く見るなとの警告じゃ意味合いが違う。
と言うわけで終了(w
ホント適当なネタだな(w
まあ徐晃も名将なのは確かだが
とても陸遜と比較するには不足だろ
しかし呉の武将で徐晃と比較される武将って誰だろう?
朱桓や丁奉って言ったら魏オタは怒るかな
朱然あたりならいいかな?
>>582 どういった次元で比較するかによる。
局限された小戦闘や正面決戦などの、戦術面に限れば、断定はできんよ。
大局的な見地によった戦略構想や作戦立案などの、複合的な要素を孕んだ大規模な
戦闘など、一手の将ではなく元帥としての能力を比較するなら、陸遜が上なのは
明白だろうさ。
一般的な名将論でいえば、やはり陸遜になるだろうけど。
徐晃だったら、陸抗が西陵で見せて二重封鎖陣地を突破出来たか?
586 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/24 21:47
周瑜は傲慢で陸遜は謙虚、
よって陸遜の方が優秀・・だと思う
徐晃と陸遜は比較する事自体無理があるんじゃないか
>>584 まあそうだね
ただ陸遜はあの勇猛な山越族討伐のエキスパートといった
猛将的な面もある、そんなとこも含めて凄いと思うよ
おい陸遜、お前の強引な徴兵政策について物申す
兵戸に入ってない普通の民まで無理矢理徴兵する馬鹿を止めろ
ただでさえ、異民族統治で難しいというのに何考えてんだ
>>588
はい?
マジレスするけど淳干式は立派な役員
マジレスするけど陸遜は立派な人格者
>>588 山越や宗賊を討伐し、彼らのうち屈強な者を兵戸に組み込み、
兵力不足を補うというのを陸遜が提案。
不足分を補うために兵戸に入ってない者までも徴兵の対象とすることがあり、
民政を担当する官吏と摩擦を起こす事があった。
しかし、徴兵を直接担当するのは陸遜じゃないだろうし、
戦時中の徴兵なんて多かれ少なかれそんなものでしょ?
>>585 難しいと思う。
正面きっての会戦とは違うからね。
588はジュンウシキのことを言ってるんだよね?
陸遜が徴兵を提案したのは各地に逃散した不服従民や流民から
兵を募りたいと申し出て、それらから志願兵を募り
各地の異民族を討伐し593にも書いてるけど
強いものは自軍に編入、弱いものは生産者にするといった具合なので
陸遜の徴兵対策は大いに成果をあげ高く評価された
>>594 関羽がハン城囲んだときも似たような状況で、
徐晃は関羽軍の外側陣地を突破したから、どうなのかなと思って。
>586
陸遜は確かに謙虚だったろうが、周瑜は傲慢じゃないと思うYO!
確かに美形で嫁さん美人で〜〜と完璧超人すぎて面白みにややかけるとは思うが。
戦術オンリーで考えた場合
陸遜よりも息子のほうが上かもしれないね。
陸抗が西陵で見せた二重封鎖陣地というのははっきり言えば天才的。
>>598 うん、なんかカエサルのアレシア包囲陣地みたいだ。
>598 同意
俺は陸遜の方が上だと思うが
陸抗は土地や環境を知り尽くしてたから
あの神業を成し遂げてみせたが
陸遜はどのような状況でもほぼ完璧に計略を成功させている
そもそもスレタイからして誤りだ。
どっちが"より"優秀か だろ?
このスレで議論を見てるの楽しいな・・・・
知らないことばっかりで為になる。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/27 10:22
ところでしゅーゆって諸葛亮陸遜とタメ張るくらいすごいことしたのか?
赤壁の勝利で十分だろ
>>604 赤壁、対劉ヨウ、劉勲、黄粗、曹仁を見る限り
諸葛亮より軍事行動は確実に上だと言えるが
君主以外では陸遜と諸葛亮だけ独立の伝があるからな
当時でもこの二人は別格だったんだろうな
>>604 わずか二十歳そこそこで、ほとんど後ろ楯の無い孫策のもとで働き、各地で
将や守衛の任を全うし、江東に孫氏発展の地盤を築き、孫策歿後は孫権を補佐し、
諸事を裁量した。
江夏の黄祖討伐にあたっても功績は多く、黄祖を討ち取った208年の戦いでは
先陣を務めた。
先見の明もあり、早くから袁術に見切りをつけてもいる。
『演義』にあるような、挙兵時の戦力は十分ではなく、挙兵した孫策は一度
敗れており、その後に掌握した戦力も一千そこそこだった。
赤壁以降の活躍は周知かと思うので触れないけど、周瑜と陸遜や諸葛亮を比較
しようにも、世に出た当時の条件や情勢、環境や時世といったものがかなり
異なるし、較べ様がないのかもしれない。
ただし、周瑜が長寿を得られたなら、独立した「伝」をたてられたのは陸遜では
なく周瑜だったかもしれない。
陸遜のがカワイイから
陸遜>周瑜
>>610 まあまあ。
無双厨は放っといたほうが…
そういやあ孫権の息子らの評価ってどうなんだろう?
孫登、孫和、孫亮、孫休らは無能とは言えないけど
あまり評価されてないよなあ
614 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/27 17:37
615 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/27 18:22
その西陵の戦いってどんなの? すごい興味がある。
大まかな参加兵力や戦闘の経緯を教えて。
>>613 正史では、孫登の評価はすこぶる高いよ。
KOEIの評価は納得いかんな。
軍事関連以外は孫権より上でも構わないと思う。
陸遜と潘濬の教育(!?)が行き届いているわけだし。
しかし、孫登といい曹冲といい、逝って欲しくない香具師ほど若死にする
のは何故なんだろうな?
何時の間にか名スレ化してら。
>>616 曹冲は成長しても孫亮程度になりそうな気が
孫亮も一応、天才児みたいなエピソードがあったからね
>>615 興味あるのなら正史読んだほうがいいと思われ。
さすがに孔明はおろか、姜惟すら死後の話ゆえ、西陵戦について解説した本にお目に
かかったコトがない。
ちくまの7巻に詳しく記述されている。1,500也だが、それだけの価値はある。
実は動員兵力がどのくらいなのかは・・・分からない(w
>>618 漏れもそう思う
孫亮程度なのかどうかは分からんけど、なんか才気走ってた印象
>>618 文帝と違って性格もいいしな。
きっと名君になってたと思われ。・・・って世継は曹丕か(w
実際、長生きしてたら曹操も後継者、滅茶苦茶悩むんだろうな。
子供の時頭が良かったからって大人になっても頭が良いとはかぎらないよ。
ではあなたは子供のときさぞかし(略
>>615 西陵の督であり昭武将軍、西亭侯の歩闡が西陵城に赴任していたのだが
この歩闡が城ごと晋に投降した事件があった。
この西陵というのは元は夷陵という地域であり
対蜀晋の最大クラスの防衛拠点だったわけ。
これは大変な事態だったので呉もすぐさまこれを奪回に軍を出したんだけど
このときの荊州の総司令官が陸抗だったわけ。
晋の対応もすばやくて、歩闡にやつぎばに官位をあげると
車騎将軍羊コ、荊州刺史楊肇らを派遣してこれの救援に向かわせ、
羊コは西陵よりも下流にある江陵へ、楊肇は陸抗が包囲する西陵へ進軍してきたわけ。
この時陸抗は要害の西陵を包囲しつつ
策によって下流の羊コを退却させて、二正面状態で楊肇を破り撤退させ
その後西陵を陥落させた。
>>622 うっ、確かに子供の時は頭良かった。
回線切って、首(
>>623 歩闡は4代目丞相、歩シツの息子、陸抗は3代目丞相(以下略
西陵はかつて夷陵(あの場所です)と言われていた場所。
おまけに西陵城は陸抗自身が難攻不落の要塞化を施した城だ罠。
何から何まで因縁めいた皮肉を感じてしまう・・・
ついでに蜀方面から建平に徐胤が侵攻してまつ。
戦後、陸抗と羊コの間に友誼が生まれる。まさに”好敵手”って関係ですね。
歩シツと陸遜は例の二ノ宮の変あたりから仲たがいしていたみたいだし
どちらも呉を支える大豪族だけあって因縁がありそうだよね。
そしてその息子が敵を討つみたいな感じだろうか…
戦後、陸抗が配下に「合わせて八万の兵が欲しい」と孫皓に進言していて、その前に「精鋭
兵3万を西陵に派遣してくれるよう」と依頼していますな。
よって、呉側の兵数はかなり少ないはず。西陵城自体が反乱軍になっちゃってるわけだし、
5万以上と言うことはありえない。3万くらいじゃなかろうか?
晋の方はかなり多いと思われるが、手持ちの資料からは推察できないよ。
だれか詳しい人いる?
その前に永安で羅憲を攻めた際に陸抗は2回ほど3万人を率いていたので
これとほぼ同数かと推察できるかな。
何か、はありそうだよね。
直接の原因は孫皓が歩闡を首都勤務に配置換えを命じたコトなのだが。
宮中勤務だと、すぐ処刑されるから、「次は漏れか?」と歩闡が思ったわけだ。
二宮の辺はかなり尾を引いてるよな。
孫和派:陸遜、諸葛格、顧譚、朱拠、滕胤、施績
孫覇派:歩シツ、呂岱、全j、呂拠、全公主、孫峻
後々までからむ組み合わせの多いこと・・・
623の少し補足
西陵の戦いってのは
三国志の中でもっとも逆境の中での戦い
相手が晋、随一の名将羊コと難攻不落な上、兵も食料も豊富な西陵城に立て篭もる歩セン
この西陵城にいる歩センに与えられた晋からの官位は大将軍クラスそれほど重要だったわけ
西陵が完全に晋の手中に入ればほぼ荊州は晋に奪われることになる
事実、呉滅亡時、王濬が西陵を落としそのまま首都建業まで一気に陥落させている
この戦いは途中、呉の古参武将で呉の内情にくわしい朱喬と兪賛の裏切りなどもあり
本当に不利な状態の中での戦いであった
>>629 まあ二宮の変は孫覇派はどれも曲者ばかり
後世の評価もすこぶる悪い
まあ当然だけどね
>>630 まったくだ。
魏、呉、蜀の三国時代と違って、助けてくれる同盟国はどこにも存在しないしね。
羊コの計略を見抜いて逆用し、古参武将の裏切りさえ謀に利用する陸抗・・・
只者では無い。
皆同じ意見みたいだね。
陸抗はその意味では三国時代(2国かw)の最高の戦術を見せたと思う。
陸遜にはここまでの神懸り的な戦術をみせた戦いはないからね。
逆にいえばこの戦い以外に戦場においては主な功績もないんだけどね。
皆って何人で書いてるんだろう・・・3人くらいか(w
これだけのドラマティックで、計略の冴えを見せてくれた戦闘を、演義で描写してくれない
のが不思議でならない。
羊コが回想でさらっと述べるだけだし。
「先日、陸抗が歩闡を斬った時には、余には助けに駆けつける時間も無かったのだ」
って一言で終わりかYO!
羅貫中にとっては、蜀と魏が絡まない戦争はどうでもいいのか? と思ったものだ。
>>633 >>逆にいえばこの戦い以外に戦場においては主な功績もないんだけどね。
そうなんだよ
だから俺は陸遜の方が上だと思うわけだが
>>634
まあ演義に組み入れられた場合
孔明が北伐で使うことになると思われ(w
>>635
戦術の神懸り度の最高値で見れば陸抗、
安定した名将ぶりなら断然陸遜ということだろうね。
どちらも生存中は荊州を外敵から守りきったところはすばらしいね。
そろそろ朱然でも語ろうや
つまり周瑜親子と比べたら陸遜親子のほうが優秀であったと・・・・
朱然伝読んでたら孫権ってホント長生きだと思った
周瑜の息子は全然ダメ
でも結構呉は親子で名将はそこそこいる
周瑜の親父の周異ってのは洛陽の県令だったみたいだけど
県令ってどのくらいの地位なの?
まぁ、陸抗の息子の陸景も王濬に捕縛されてるわけだが。
>>642 周瑜の息子の評価の低さはその性格が原因でしょ
陸抗の息子はなかなかの才子でしかも敗死はそんなに問題ないと思うが
残った兄弟は二陸と言われるほど名声を残したんだし
>>643 李白、杜甫の誕生する前は、それぞれ詩聖、詩仙だね。
八王の乱に関わって命を落とす訳だが。
陸氏三代って凄いよな。
>>644 >李白、杜甫の誕生する前は、それぞれ詩聖、詩仙だね。
くわしい話キボン!
646 :
無名武将@お腹せっぷく:03/03/28 00:33
奥さんが美女だからこの勝負、周瑜の勝ち!
今の感覚じゃブスだろうね。
ってか、関係ないだろ
>>646 もしも、陸遜の嫁が大喬の娘であったら、互角くらいかもしれんぞ。
うわー
呉マンセーだ
楽園
>>649 無理じゃあないよ、大喬を娶ってから2年くらいは孫策は健在だったし。
孫権よりも年上の陸遜が大喬の娘と結婚したら、親子並の年の差だな。
小喬は昔の美的感覚からいっておでぶちゃんだったのかな
無双とのギャップがすごい
>>651 張飛はどうすんだよ(w
まあこの話題はもうやめよう
>>645 正史陸抗伝の最後の方少し載ってる
やっぱ二陸については晋関係の本が詳しいかな?
横レスだけど
周家と陸氏ってどっちが名門なの?
周家は二代にわたって大尉出してるよ
二陸に関しては昔親父の家で読んだ漢詩の本が詳しかった。
陸抗伝の最後にも少し載っているけど、歴史関連の書籍よりも文学関連の書籍
の方がいいと思われ。
>>640 長男の周循って相当な人物だったけど若くしてなくなったんじゃなかったっけ?
次男は確かにダメダメだが。
呉の武将に関してはむしろ息子はダメなやつが目立つ気がする
韓当の息子が筆頭だとしても凌統、蒋欽、甘寧、周瑜・・・罪人ばっかりのような
すみません、その周瑜の次男って何やらかしたんですか?
逆に、朱氏、陸氏は一族に優秀な人間が輩出したね。他にもいたら、キボンヌ。
>>627 手元の諸資料によると、羊祜の率いた兵力が五万、楊肇が三万。
徐胤の率いた兵力は不明だけど、やはり一、二万は数えられるのではと。
反して呉軍の総力は、
>>628にあるとおり、三万そこそこで間違いはないと思う。
亀レスになってしまったが…。
周循は周瑜のような風格があったが若死にした、ほとんど記述なし
弟は罪を犯し流罪にされるが諸葛謹らの尽力により許される
周景、周瑜の祖父の兄弟、後漢の太尉
周護、周瑜の兄の孫、陰険で用いられず
>>660 サンクス。やはり後顧の憂いが無くなった晋でも、時代的にそのくらいしか動員できなかった
のか。
できたらソースキボンヌ。眼を通してみたい。
>>658 いや、有能な息子も多い。
陸家、朱家、諸葛家、顧家、張家賀家などなど・・・
韓当の息子はダメというより、知恵の回る香具師って感じだ。反乱劇に手下巻き込んでるし。
計画的犯行だな。
あと、孫権の懲罰基準がかなり不明瞭なので、本当に罪を犯したのか、嫌われただけなの
か分からんのも多いな。
甘寧、潘璋、朱桓のように、あきらか犯罪行為犯してるのに、功績に免じてお咎めナシって
のも多いし、冤罪も多いからな。
>>662 ソースといっても、『晉書』と、白帝社『西晋の武帝 司馬炎』くらい。
>>663 ありがd
晋書はどこにしまいこんだかなぁ?
ケコーンすると独身時代の本は嫁に片付けられます(w
665 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 01:43
孫策の息子って戦場で活躍しなかったのかな
666 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 07:27
>>660 晋の征呉の兵力ってたったそれだけなの? その頃の晋ってそんなに軍事力が弱いの?
それだったら呉がまともに対処してたら十分撃退できたんじゃないの?
667 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 07:52
>>666 まぁ、まともに対処できるような状態じゃなかったし。
>
>>666 征呉の時の兵力じゃないし・・・
呉は撃退してるし・・・
つうか人口激減してたうえに、呉からは官民挙げて逃亡が流行ってたし・・・
669 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 09:05
孫皓についてだが、「図解雑学三国志」において「深い見識があるため
に現状に絶望し、暴君になるしかなかった」とかかれている。
また、家臣にたいして自らの悪行(卑しい者や校事官の寵用したこと
等)を書簡で謝罪し、自国の名士達に対して「孫呉に忠誠心など発揮
せずに、新天地(晋)においてその能力を十分に発揮して欲しい」と
言ったとか。
671 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 09:36
>>670 ・・・・・・ふーむ。だとしても家臣は良い迷惑だな。
ヤケクソで暴君になられるくらいなら、
劉禅のように何もせずにいてくれた方が
よほどましだ罠
>>666 実際にはそんな物でしょう。兵数なんて相当誇張してるから。赤壁の曹操だって
多くて30万位じゃねえ?
>>670 漏れもその記述見てから孫皓を見る目が少し変わった
とはいえ、正史を買って読んでみたらまた「ただの暴君」って評価になったんだけど
>>670,674
失敬だがその本呉贔屓じゃないよね?
>>675
どこの贔屓ってわけでもない。
「当時の情勢においての「名士」層の重要性」を主題かな。
そのテーマを軸に三国時代の各勢力をみていくといった感じ
訂正
×を主題
○が主題
>>670 けどまあ、「現状に絶望し、暴君になるしかなかった」ってのは単なる自暴自棄ってことでしょ。
そんなんで家臣殺しまくるやつは、暴君扱いで十分だと思うな。
>>675 孫皓の鋭敏さを示すエピソードは幾つかあるわけで
>>678 個人的には精神が逝ってしまっていたのではないかと
自分の身を守る事に異常に敏感になっていたような気がする
あれだね、現在の法廷だと心身喪失状態だったので無罪とか。
当時の家臣にとっては堪らないし、後世の我々が見る分には、
絶望的な状況だが最後まで尽力したという様な人物のが面白い訳で。
でも結局、虐げられた呉の連中は堪らない。
孫堅の四男の孫匡の孫が孫秀っていうんだが、彼は皇族内でも信望があったらしく、
孫皓にあわや殺されるまでの危機に陥って晋に亡命するけど、滅亡した際に故国の
呉に向かって涙しながらあげた嘆きなんかは、本当に涙を誘う。
生き残った人間でさえそうなら、死んだ輩は救いがないよ。
682 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 19:13
>>679 孫皓の鋭敏さを示すエピソードは幾つかあるわけで
確かにねずみの糞って話があるよね。同僚の料理人を嫉妬している人が
孫さんへ進呈するあんみつ(のようなもの)にねずみの糞を入れた。それで
身近の人たちが料理人に罪を問おうと思ったが、孫くんはねずみの糞を切って、
真中の部分が乾いているのを見て、もし料理人の仕業だったら、時間的に考えれば
真中まで蜜が沁みるはずだったので、きっと運んでくれた人が途中で入れたのに違いない
と断定した。
…
あれは確かに12,3才の頃の話、あれを読んだときはちょっと感心。
んで成年になったやつを見て唖然。
>>682 とりあえずそのエピソードは孫亮だね
孫皓のは王済との一件とか
684 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/01 21:26
孫皓には被害者妄想があったのかも?
孫皓って他人に顔を見られるのがすごく嫌だったんだよな
陸凱だけ顔を見て話すことを許されてた
今こうしてレス見てみると、甲乙つけるのは難しいですよね。
文献だけしかわからないですし。
孫権→孫亮→孫休→孫晧
順番あってる?
視線恐怖症だったって説もあるな>孫皓
>>662>>666 またも亀レスでもうしわけない限りなんだけど…
歩闡の叛乱の際の、呉の兵力に関して、『晉書』の「陸機伝」に記述があった。
>>628にあるとおり、陸抗が三万で、東下してくる晋の水軍を防がせた分遣隊は
五千の模様。
これから推測しても、やはり晋の戦力も十万程度だったのではないかと。
おまんこ
孫権は周瑜を一番評価してたなぁ
>>689 あれ? 陸機伝って翻訳されてたっけ?
もしかして原文でつか? スゲェな。
>>692 いや、単に字面からそれとなく理解できる程度で、完全に読めたりはとてもできない。
>>660のレスも、三国末期に絡んでそうな「羊祜伝」から探し出した程度なんす。
「本紀」の方には兵力に関する記述無かった(見つけられなかった)し…。
>>693 >単に字面からそれとなく理解できる程度で
充分凄い。
>>694 好きこそものの上手なれって事か
授業では全く頭に入らなそうな事でも、趣味がらみで勉強すると頭に入るモノ
こんな事言ってる漏れはオナニーが上手です(当社比
スレの流れと違って恐縮だが、陸凱と陸遜一家の血縁関係ってどうなってるの?
陸褒━糸干━駿━遜(議)━延
┃ ┃ 抗━(晏・抗・景・玄・機・雲・耽)
┃ 倨━(滂・喜・英・偉・顔)
○━康━儁
績━(宏・叡)
書いてから気づいたが陸凱について関係ないのを書いてしまった・・・
陸凱は陸遜の族子だとのこと
>>697 おお、すばらしい! ありがとう。
つまり、陸凱と陸遜の具体的関係は分からぬということか。
ちなみに族子の解釈は「同族内の子供の世代に当たる者」でいいのかな?
>>700 問題ないと思われ。
陸凱の活躍した時期をみれば、そういった結論に達するのが普通だし。
陸遜183年生まれ
陸績187年生まれ
陸凱198年生まれ←注目!
陸抗226年生まれ
陸機261年生まれ
>702
GOODJOB 15歳差か
>>702 陸抗って、そんな後になってから生まれた子供だったのか。
夷陵の戦い以降に子作りに励んだと見える
つうか、奥さんの年齢考えりゃそんなもんだろに。
字から察するに、妥当だろう。
>>708 陸抗のお母さんは孫策の娘さん。
権が策と七つ違いで、遜が権より1〜2歳若い。
よって遜にとって姪っ子に近い年齢差だと思われ。
こんだけスレタイを無視してここまで続くスレも珍しいですな
スレタイは厨房くさいけど
予てから呉の一番の名将は周瑜って感じだったけど
比較してみれば陸遜の方が上だと思う人間が思いのほか多かったって感じだな
このスレを見る限り周瑜擁護派の意見はあきらかに劣勢だし(と言うかほとんど長文擁護なし
>>711 長寿であったとしての、予測が多くなってしまうからかもしれんね。
陸遜は史書にあれだけの事績と評価があるからな。
三代を含めた他人の「伝」でも、それはもうよく名がでてくるし。
ひとつスレ違いっぽい話になるけど、自分は孫権の評価を、三戦一般の評価よりは
もう少し高くしてる。
鼎立以降に至っても、呉は叛乱や災害、疫病などが非常に多く、そのなかで孫権は、
実に幾度も詔を発して減税と救民を試みている。
過度の造営や増改築による国資の浪費を誡めたりと、呉の国情をそれなりに弁えて
いたんだろう(後年、孫皓はそれらの節制全てを灰燼に帰すマネをしてくれるが…)
過失や失策もたしかにあるし、曹操と比較すれば小人かもしれないが、君主としては
曹叡なんかと比較しても上をいっているように思える。
>>712 孫権は晩年の酷さで損をしている部分はたしかにある。
魯班が周循の妻だったことを初めて知ったとき、
なぜか知らないがものすごく悲しくなったのを覚えてる
孫権を低く評価している人間は
はなから晩年以外の実績を評価しようとする姿勢がない
二宮の変で忠臣が死んだが劉備の夷凌の敗北の方が
国家の損失は上とも言えるんじゃないのか?
孫権を貶められたくないのは分かるが、代わりに
無から皇帝まで上り詰めた男を貶めてもしょうがないだろ。
>>716 そんなんじゃあ誰も批判できんぞ
ただ個人的な意見を言ってるだけ
それに劉備のすべてを否定しているわけではない
晩年の失敗の度合いを比べたら劉備も孫権も
同じようなモノだろ
呂壱や二宮に関しては間違いなく失政だが、
だからといってそれまでの功績が無になるわけではない・・・
と書いたものの、世の中には足し算引き算でしか物事を測れない奴もいるらしく
そういう奴らに言わせると孫権は晩節で呉の国力を衰退させたと言うことで
差し引きでマイナス、劉禅以下らしい(w
>>718 何かのスレで言ってたヤシがいたね
何もしない(滅亡させた)劉禅の方が孫権よりマシって(w
皇帝だから、途中で自主退場するわけにも行かないしな。
ま、曹操や劉備は少々欠点があっても、彼らの個性ということになるけど、孫権はどうして
も孫策と比較されるからね。
孫策が信任してた部下うを冷遇してたのも事実だし。
寒門出身者を過度に優遇して摩擦を招いたりとかな。
罪に対する罰の基準が曖昧だし。
>>723 いえてる。
魏や蜀と較べても、君主の権威に、程度の差や複雑な事情があるといっても、孫権は
どこか媚びてるところがある。
潘章の横暴なんかを看過してると思えば僅かな過失にも厳刑を適用したり、呂壱の件で
多くの臣にソッポを向かれた際なんかも、譴責のようで媚びてる様に感じる。
まぁ、才能ある人間を嫉妬して殺したり、って点は、孫策に勝ってるな。
孫策の嫉妬も、けっこうなものがあったようだし。
おまんこ
そこに呉の豪族政権の問題があるからねぇ。
孫策は武官肌だったから力で掌握してたかもしれないけど
孫権は文官肌っぽいから上手く立ち回らなきゃいけなかったしねぇ。
そのおかげかは知らないが魏、蜀2国間の間でも呉は上手く立ち回ってたしねぇ。
727 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/11 15:34
シュウユは若死にしなかったらどれくらいまで活躍できた?
荒れそうだけどお願い
>>726 いや、孫権も、兄に違わず武闘派然としたところがある。
狩猟が好きで、よく張昭や歩騭らに諌言されてるし。
それに合肥での戦いなんかでは、前線に立とうとして張紘に諌止されてるし…。
なんというか孫権って、その場は聞き分けてみせて、後になって繰り返し…
のパターンが多すぎ。
張昭絡みの話が、特に多いね。
立ち回りって事で思うのだが、孫権の場合、外交では表と裏の顔が露骨に異なる。
孫登を魏都(質)にもとめる一件をみても、のらりくらりで使者が泣きをみる、という
場合もあるし。
孫権は時に身を屈して辱を忍び
才能ある部下を重んじ信頼し綿密な計略を練る
孫権政権では江南の地は飛躍的に安定し発達した
>>224 媚びているようなのは晩年だけ
孫権の人身掌握術は様々な逸話をもつほど優れている
トリノ
ある本では当時独自の権力とネットワークをもっていた名士層にあまり権力
を与えたくないため(君主専制国家成立のため)に、張昭なんかの名士に広
く支持されている者を高く用いなかったと書いている。
二宮の変の裁断も、当時後継者争いにまで口出せる程まで権力を持っていた
名士層、及び陸遜を始めとする呉の四性ら豪族層の追放が目当てだった書か
れている。
また、話が少しそれるがその本によると孫皓の暴君へと変化した理由は、
大皇帝として慕っていた孫権ですら制御できなかった名士層の権勢の謳歌に
対して、ただ飾りだけの皇帝では国を動かすことが出来ない事に絶望したためと書
かれている
>>720 晩年の曹操は確かに何人かの忠臣を殺害したり、戦での判断力も低下気味だったけど、
曹植の件は死の直前はそんなに迷っていなかったのでは?後継者争いで危うくなった(?)
のは曹操よりも騒ぎ散らしてた曹植の側近の文人達の責任では?楊修の処刑は結果と
しては正解だったと思う。
>>724 孫権の評価点は、「その長ずる所を(ry)」にもあると思います。
>>731 ちょっと前にその話してたね、確か。
ちょっと周ゆの弁護に挑戦。周ゆの汚点(?)は短命な事位だと思う。
陸遜の汚点は・・・・・必死に捜してみる。
・夷陵で一回返り討ち。
・後継者争いの犠牲にならないで争いを収める事を出来なかった。
・蜀に呼応して攻め込むも、火攻めで撃退される。
・・・書いてて疲れてきた。2・3番目は陸遜の罪じゃないし。
でも周ゆにもこれといった失点は無いんだよなあ・・。
この二人三国志中でも曹操・じゅんいく・孔明達とどちらが上か?位凄いの
では?つーか、孔明よりは上かw
ちょっと正史をかじると諸葛亮を貶めるってのは誰でも通る道だわな
>>734 別に。かじってすらいないし、孔明がショボイとは言っていない。それに彼の一番
凄い所はその実直さと忠誠心であって人格的にはトップ級だと思ってるよ。それに
その二人より下っても貶めるとは言わないんじゃ?第一、孔明>陸遜>>周ゆ
とか言ったら演義厨とか言って叩くじゃんYO!
何かやたら蜀に思い入れがある人がいるね
1800年前の他国に思い入れも糞もあるまい
まぁ、まったりすれ。
どこが好きでも、演義好きでも正史好きでも、結局は三国志好きってことで
同じ穴の狢。
>>737 それ無理アルよ
思い入れもないヤシらがこんな議論なんてしねー
周瑜の汚点・・・江陵で1年も足止めくったこと?
攻城戦が苦手なのか、それとも曹仁を評価するべきか
>>740 曹仁って正史では魏随一の名将だから汚点にはならんでしょ
周瑜は汚点と言うより活躍期間の短さが
評価の限界に思うんだが
>>740 ありゃ、後詰の孫権が周瑜助けずに東方に向かっちゃったからでないの?
周瑜の手元に十分な兵力あれば、勝ち負けはともかくチンタラした展開にはならんでしょ。
周瑜の場合、やはり
>>741氏のいうように活躍期間が短いのと、民政面でコレといった業績
がないのが陸遜と比較された場合不利になる罠。
あと、周瑜の時代の場合、孫権の人が良すぎて甘かったよな。
劉備を信用しちゃイカンでしょ。もっと早く益州攻略に乗り出してれば、周瑜魯粛呂蒙伝から
魯粛と呂蒙が外れてたかも。
妄想になっちゃうが、周瑜が長生きしたら、丞相になれただろうか?
>>731 その本、なかなかおもしろい説だけど
呉の豪族の追放なんてなってないし
それに孫和派はあくまで正論であり孫覇派は問題が多い
結局、ホシツ、ゼンソウらは要職に付き
陸一族もその後も荊州牧についてるからねえ
張昭が丞相についてないのは様々な説があるよね
周瑜タンは大将軍か大司馬じゃないかな。丞相というタイプじゃないと思う。
南郡太守になっているように、外で活躍していたし。
周瑜は戦争における鮮やかな采配というものの記述がまったくない。
戦争は下手ではなかっただろうが、取り立てて上手いとはいえないようなきがするのだが。
そもそも前半の手柄はほぼ孫策の力によるものだし、赤壁は実態は小競り合いと疫病。
唯一の戦果は劉備に出し抜かれた荊州戦のみ。
>>742 >周瑜魯粛呂蒙伝から魯粛と呂蒙が外れてたかも。
魯粛と呂蒙に失礼だな。
>>747 >赤壁は実態は小競り合いと疫病。
赤壁はただの前哨戦
メインは鳥林
>>749
・・
鳥林の焼き討ちを含めて赤壁といったのだが。
俺の書いている赤壁とは一般に言う「赤壁の戦い」を指しているのだが
そんなことも読み取れないのか
>>748 いや、魯粛と呂蒙の伝が無くなるという意味ではなくて・・・その・・・
イカン、なに言ってるか分かんなくなってきた。
やはり陸遜は別格ですな。
>>747 鳥林での戦いが小競り合いだとは思わないんだけど
>>752 それは見解の相違だな。
曹軍は鳥林での戦いにほとんど参加している形跡がないのだが。
>>753 まあイワユル魏略にそってるわけね
ただ曹操軍の主要な武将、兵の詳細がない(赤壁が語られない)のは
陳寿があえて魏の正史に採用しなかった説もそれなりに有力なのよね
本場、中国でも赤壁は無視されず未だにいろいろ研究されてるようだし
でもまあ、大した損害でなかったことは間違いない。
夷陵なんかと違って、戦死した将帥ほとんどいないし。
夷陵と比較するのは…
あれくらい死にまくった戦の方が珍しい
法正が生きていたら・・・。
760 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/13 23:36
赤壁がなかったらシュウユって並の将と変わらないんじゃ・・・
陸遜が天才過ぎるということで
>759
ワロタ。
結局周瑜如きを陸遜と比べるのが間違いだったと思われ。
>>764 孫策には、(自分よりも)優れた才を持つ人物を嫉妬する様なところがあったらしい。
そのために殺された人物の中には、大物といってもいい者もいる。
美点ばかりで欠点の無さそうな孫策だが、彼にも瑕瑾はあったという事だろうか。
嫉妬って、「時々解りません、と答えなさい」と言われたのを真に受けた人を斬
っちゃったアノ話の事かな?
孫策の場合、才能に嫉妬ってより、自分が軽んじられるのが我慢ならなかったん
じゃないか、と。
>>766>>767 レスありがとう。聞いたことなかったです。(漏れの知識不足)
なんとなく嫉妬とかとは無縁なイメージが。有名な話なのかな?
これから色々調べていくうちにそんな記述もどこかで目にするようになるんでしょうな。
スレ違いネタスマソ。またロムに戻ります。
>>766-767 高岱だっけ?
たしか「彼(高岱)の人望のあるのを見て、斬ってしまった」とか
嫉妬とも取れるけど、
>>767のニュアンスの方が近いように読める。
スレ違いで申し訳ないが、これ以外にもそういうエピソードがあったなら詳細希望。
高岱って孫策を武人だと見下した態度をとったから斬られたんじゃないの
というか、嫉妬という解釈は初めて聞いた。
>>770 実際高岱が孫策をそう思ってたかはわからないんじゃ?
呉録の最後に高岱斬っちゃったってのは嫉妬ととれるね。
意固地になったというか。ただ張昭との話もあるしなぁ。
孫権と比べれば孫策のほうが嫉妬等は少ない人物と思われ。
>>772 高岱の態度に孫策が怒りを感じてたのは確かっぽい
>>773 その孫策が怒った高岱の態度ってのがもともと謎の人物に
「孫策にはこういう態度だといいですよ」(
>>767の話)と吹きこまれて
できあがったものだと思ってたんだけど。
>>773 だね。正史持ってない人のために解説すると、
呉の出身、当時は会稽にいた高岱って人を孫策が呼び出した、と。
彼は春秋左氏伝に詳しかったので、孫策は彼と左氏伝について議論しようと考えていた。
孫策に入れ知恵する人がいて、「高岱が話題について、解らないとか言うようなら、彼は孫
策を馬鹿にしていて、一緒に議論するのは馬鹿らしいと考えています」と、また高岱には
「孫策は人が自分より優れていることを好まないから、質問されたら解らないと答えなさい」
と入れ知恵した。
高岱は時々「解りません」と答えたために孫策は自分が馬鹿にされてると考え、高岱を投獄
してしまった。
彼の釈放を求める人が大勢いたために、彼を殺してしまった、という記述が「呉録」に記載
されいた、というもの。
あと、孫策の嫉妬話というのは例の「捜神記」の于吉の話があるけど、こちらは眉唾ものだ
よな。
ごめん間違えて書きこんじゃった。
自分も
>>775の話を言いたかったんです。
高岱はある人物のアドバイスを素直に聞いてしまっただけだし
孫策は孫策である人物にはめられたという2人とも陥れられたって話なので
もともと高岱が孫策を見下してたかはわからないのかな、と。
孫策は高岱と話す機会をつくって好意的だし。
于吉の話は江表伝にもあるね。こっちは嫉妬というニュアンスとはちょっと違うけど。
でも他の書物では江表伝の矛盾を指摘されてたりしてw
捜神記の話は劇とかで見るぶんにはいいかも。
なんか自分孫策厨っぽいw 今一番興味あるからちょっと贔屓目かも。
>>774-775 そういえば入れ知恵は許貢の手下とかそういう話があったような
ただ高岱の件は于吉の記述とかぶるんだよね
眉唾というか、高岱やら魏騰の話が組み合わさって出来上がったのが于吉の話では。
>>772 孫策は度量が広いようでいて、意外に了見が狭いようにも見える。
気に入らない人物はすぐに斬っちゃうような。
良くも悪くも自信家で、自分がないがしろにされるのが嫌いなタイプだったんじゃないか?
そう考えると、やっぱり嫉妬ってのとはちょっと違うんじゃないか。
>>780 うーん実は私は764=768でもあるんです。
嫉妬という解釈は私も今まで頭になかったので質問したわけなんですが
言われてみれば呉録に関しては嫉妬ともとれるかも?と思います。
>良くも悪くも自信家で、自分がないがしろにされるのが嫌いなタイプだったんじゃないか?
これは私自身まだまだたいした情報が集まってないのでわからんです。
>気に入らない人物はすぐに斬っちゃうような。
これは・・・ありますなw 手戟でグサッとか。
まあこの時代の武人にはむちゃくちゃな話が多かれ少なかれあるわけで
それもまた魅力ということで。
とにかくもう本当にロムに戻ります。まだ自分は知識を付ける段階だし。
スレ違い長々ごめんなさい。
厳與は殺してもいい
結局、親父の血を引いてると言う事じゃん。
親父の血を引いてない子供もいることだし、勘弁したれyo...
このスレは勉強になります。
孫策の性格をこれほど掘り下げるとは・・。
周瑜は凡人
陸遜は天才
だと思う
周瑜は凡人
陸遜は天才
だと思う
でも、性格云々だと
曹操は残酷で劉備は基本的に古参以外信用しない性格になるな
周瑜は凡人
陸遜は天才
だと思う
孫堅パパも董卓討伐の時にかなり無茶してるしね
>>788 それはちっとも掘り下げてないと思われw
>>791 掘り下げるまでもないんじゃないの
特に曹操は
周瑜は天才
陸遜も天才
だと思うんだが
>>792 曹操が残酷なだけの男だったら、あれだけの地位に登れるわけが無いじゃん。
マキャベリズムと残酷とは意味が違うのよん。
赤壁の戦いって
魏側の基準が作為的なのはわかるけど
やっぱどの武将が死んだのかわからないから
786みたいなのがでてくるわけ?
797 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/17 06:21
魏軍の被害と共に、呉軍の功績もよくわからない、というヲチがある
798 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/17 09:10
>>797 劉備軍のやったことなどさっぱりわからない、というヲチは無視でつか?
>>798 はぁ?なぜ劉備軍が出てくるかまるで意味不明。
一応劉備軍と戦ったって記述はあるんじゃなかったっけ。
>>800 蜀書では「劉備が」「孫権を協力させて」「曹操を追い払った」となってる。
主語は「劉備」だ。
呉の参加武将は周瑜・程普・周泰・凌統・韓当・呂蒙・甘寧・黄蓋が確認
この中で記述が詳しいのが周瑜ぐらい
黄蓋の火攻め、偽投降らしきことはどうやらあったみたい
劉備軍は先主伝に周瑜・程普と協力して曹公を赤壁に破るとあると
諸葛亮伝に諸葛亮は孫権を説得し周瑜・程普・魯粛等水軍3万と先主が
力を併せ曹公を防ぐとある
まあはっきり言えばくわしい詳細がない
(^^)
そこで詳細を書くに値しない程度の戦いだった、という説も出てくるわけか。
正史だけ読むと、防衛体制を整えた連合軍に対して曹軍崩せず。
疫病流行って、こりゃダメだ。撤退。
ようし、火つけちゃえ。って感じか。
魏書の武帝記だと、曹操が先主と戦った、となってて呉はどこいったの?状態
ですな。
807 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/17 13:08
>>806 魏書の武帝記のその記述は誤り(大いに矛盾)があるので
参考価値がないそうだ
809 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/17 13:26
>>803 司馬光の『資治通鑑』ですごく詳しく描かれたが、信憑性がどうだろうな。
魏の方の参戦した人物は、大方は判る様だけど…。
>>809 最高の史書wといわれる『資治通鑑』ですな
よかったらその内容書いてもらえないかな?
中国歴代戦争史に赤壁の布陣があるけど、
あれは信用できるものなの?
big鯖
akakabe
『巻第六十五・漢記五十七』に収録、内容纏めているので、ちょっとおまち
赤壁に関する記録は大体2500字あまり。
大筋にまとめると:
魯粛は劉表の死を聞いて、孫権に「劉備と手を組むべし」と進言。
そして自ら劉備のところに行って、「これからどうする」って聞いたら、
劉備は「呉巨に身を托す」って。そして魯粛は「あいつは凡人、我が将軍とともに曹操と戦おう」
って助言。劉備は聞き入れた。さらに諸葛亮に自分が瑾の友人だって説明して、
孔明の信頼を得た。
そして曹操が来て、諸葛亮は劉備に「早く孫権に助けを」って助言。そして魯粛
と共に呉に行った。で、彼は例の演説をした。孫権はじゃ、みんなと相談しようって返事した。
そして、魯粛は孫権に周瑜の意見を聞くべしと進言。周瑜が戻って、
例の分析をしてから、孫権は決意を固めた。夜、周瑜は孫権のところに訪れ、
曹操の軍せいぜい15,6万、五万人くれれば勝って見せようって言った。
孫権は彼の背中をなでながら、五万はすぐに集めないが、3万人ならすでに
用意してあるので、あなたに任せると大事を託した。
劉備は樊口で、毎日呉軍を待っている。そして周瑜が来たって聞いたら、
人を遣わして慰謝するつもりだったが、周瑜は軍務なので、
あんた自身来てって返事した。劉備は単身行った。そして周瑜に「何人連れてきた」
って聞いたら、「3万」って返事を貰って「それじゃ少なすぎではないか」って
不安を漏らした。周瑜は「十分だ、曹軍を破って見せよう」と自信満々に言った。
そして劉備が魯粛に会いたいと申し入れたら、周瑜は「軍務中はだめ」って断った。
劉備は「でへへ」って恥ずかしながら去った。
819 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/17 16:05
dehehe
でへへw
それで、周瑜は黄蓋の助言を用いた。黄蓋は投降のふりをして曹操の船を全焼した。
曹操は華容道から逃げたが、悪道のため、多くの人が死んだ。周、劉が追撃して、曹軍
大破、又疫病にかかって半数以上の兵力を失った。曹操は曹仁、徐晃を残して、自ら北に帰った。
大体このように記した。根拠について僕には不明だ。でもこれを読む限り、まず
魯粛の功績が大きい;そして劉備と周瑜のあのやり取りが面白いって思うが。無論孔明
の出番は戦前の説得に留まった。
ぶっちゃけ怪しいよね、通鑑も。
講談の類じゃないかな。
>>822 でも講談なら人気のある劉備や孔明を持ち上げるんじゃない?
マイナーな呉の魯粛や周瑜を持ち上げてるところに好感(信憑性?)が
もてる。
>>824 当時は演義成立以前で、まだ劉備や孔明は現在ほどメジャーじゃないんでは?
>>809 乙
一般的な赤壁の戦いの一連だね
資治通鑑がソースだったのか
>>825 演義以前から劉備や孔明はすごく評価(極贔屓w
されてたよ
本筋に戻せば周瑜の赤壁での功績なんてものはいかがわしい資料にしか書いてないのだよね。
かれの戦争においての実績は曹仁との江陵くらいで、
これもまた一年もかけてどうにか落城させているだけなんだよね。
軍才にかけてはそれほどのものはなかったんじゃないだろうかといってみる。
そもそも彼の立てた天下二分に関しても「雄大な戦略」といって誉めている人が多いようだけど
かりに実行できたとしてもまず失敗していたような気がするのだが。
>>828 一応補足しておくと、夏商周秦漢は中華統一してるが、周の後半は群雄割拠の春秋戦国時代だ。
春秋戦国時代は各所で王を名乗る人間が居たわけで。
その王が各地の王を従える事によって、周の王朝から「覇王」の称号を得ていた状態。ちなみに覇王すら何人も居る。
で、戦国時代を終わらせたのが始皇帝の秦であり、秦を打破したのが高祖の漢であるわけで。
中華を分割して統治する思想など、三国志の時代(後漢末)に於いて別に珍しくもなんともない。
孔明が唱えた「天下三分」は、あくまで劉備を天下取り候補に押し上げる事を主眼に置いた計略。
周瑜、甘寧が唱えた「天下二分」は、当然劉備など眼中に無く、曹操と対等になる事を主眼に置いた計略。
…で、周瑜が益州後略で失敗するって、どこで?
無駄に遠征する羽目になったのは、あくまで劉備が邪魔をしたから。
荊州は元々周瑜が統治してしかるべき土地なのだから、荊州が掠め取られなければ、益州攻略は入蜀した劉備と同じ条件だったハズ。
同じ条件(張松&法正が援護したとして)で入蜀したとすれば、劉備のように他人を慮る事無く、出迎えた劉璋を斬ってしまったりしてるかも。
そもそも周瑜が死ななければ、[广龍]統は周瑜の部下だったんだしね。
…まあ実際、劉備に邪魔されて頓挫してるのだから、うだうだ書いてもしょうがないが。
結局、周瑜は劉備に出し抜かれただけじゃん。
>>828 いかがわしい資料?何それ?
資治通鑑と呉書のどの部分がいかかがわしいわけ?
ちゃんと説明してよ、魏側に載ってないからいかがわしいなんて言ってるなら見当違いだぞ
周瑜信者の前では魯粛はお人よしの無能者だな・・・
>>830-831 出し抜かれたって・・・・
劉備が先に所有した荊州西南四部なんて戦略的価値なんて
ほとんどないぞ?
価値がある南郡、南陽郡を周瑜が攻略しそれを周瑜の死後
魯粛の案で南部全域を劉備に貸したんだけど
>>833 おひとよしの無能とは思わんが
結局、魯粛の案は呉と劉備の戦略的同盟に有効だったけど
それをいまいち理解できなかった劉備−関羽ラインによって
破綻し、荊州は呂蒙の手に攻略される
結局、孫権が言うように魯粛の案は失敗に終わったからねえ
836 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/18 14:33
>>829 >孔明が唱えた「天下三分」は、あくまで劉備を天下取り候補に押し上げる事を主眼に置いた計略。
> 周瑜、甘寧が唱えた「天下二分」は、当然劉備など眼中に無く、曹操と対等になる事を主眼に置いた計略。
まさに盲目だね。 周瑜の立てた構想がすごいこととでも思ってるみたいだね。
天下二分は天下三分に比べて致命的な欠点がいくつもあるのだがそもそもこれは
当時の呉の状況からして戦略的に優れた構想ですらないな。
さらにいえば構想上の欠点もさることながら実行に移す段階においての欠点も多いわけだ。
それを差し置いて周瑜が生きていれば・・というのは片腹痛いのだが。
>元々周瑜が統治してしかるべき土地なのだから
どこに根拠があるのかまるでわからんね(w
>>834 >劉備が先に所有した荊州西南四部なんて戦略的価値なんて
>ほとんどないぞ?
はぁ?だな。そもそも戦略的価値なんてあいまいな言葉で済ませる問題ではないね。
たとえば曹操カら見れば四郡を領有することはその困難さから考えて価値がないといえるだろうね。
孫権から見てもそれがいえるというならば君が馬鹿。
>価値がある南郡、南陽郡を周瑜が攻略し
わざわざ曹操軍の矢面に立ったわけね(w
>魯粛の案で南部全域を劉備に貸したんだけど
領有権が呉にあったとでも考えているのかな?そもそも呉には
荊州領有権は無いわけだ。それを貸すことは不可能だろ。
>>834 少なくとも周瑜よりも先に押さえて、呉→蜀の攻略ラインを分断した
そのお陰で補給路は作れないわ、いちいち迂回して行かなければならないわで、周瑜の益州攻略が頓挫したのも事実でしょ
出し抜かれたのは、周瑜じゃなくて孫権だろ!
まぁ、まだ若かったしな。
>>836 本当に盲目だね。
「孔明が〜」のすぐ上の行くらい読もうぜ。
あと、前線指揮官がその前線地域を統治して何がおかしいのやら漏れにはわからんなあ。
>>836 >領有権が呉にあったとでも考えているのかな?
どこにあったの?
劉王宗が降伏した曹操?
劉王奇が勝手に譲った劉備?
正当な権利を持っていた曹操を追い払った孫権?
当然のように漢王朝?
>>840 そういう理屈が通用する時代だったとは思えんよな。
実力で抑えた者勝ちだろ。
荊州の帰属なんて、どっちでもいいよ。
>>839 どちらが盲目でるかといくくだらない論争はしたくないのだが
俺が盲目といったわけは当時の呉の状況においてという注つきなわけだ。
君はどんな状況においても王による分割統治が至上だとでも考えてるならば
話は別だがね。
>あと、前線指揮官がその前線地域を統治して何がおかしいのやら漏れにはわからんなあ。
そもそもがその部分の考え方からして大甘だとおもうが、論点が果てしなく拡大していくので
そこには突っ込みたくないね。
天下二分の最大の欠点は曹操の進軍方向が一点に定まってしまうということにあるのだよ。
>>840 そのとおりで劉ソウを持つ曹操か劉キをもつ劉備であるならば権利はあるのだよ。
孫権は事実上の占有もなければ、その足がかりとなる根拠もないということ。
>>836 君は全く状況把握できてないじゃん
もしかして正史読んでないの?
>>844 > 君は全く状況把握できてないじゃん
「君は間違ってるね」なんてだれにでもいえることなんだがね。
そういう指摘をしたいのであれば論拠をしめすべきだね。
これでは反論しようにも反論できないのだが。
>>845 君のいままでの書き込みの何処に論拠が書いてあるの?
根拠だの論拠だの言うのだったらそれを示してくれんか?
脳内のだけではなく、周瑜が決定的に無能だったという客観的な事実をな。
一回劉備に出し抜かれたから、とか言わんようにね。
その程度のミスなら曹操でもやってますので。
>天下二分の最大の欠点は曹操の進軍方向が一点に定まってしまうということにあるのだよ
当たり前のことでしょ。
別に劉備などを当てにしなくても曹操に対抗する自信があれば何の問題があるのだろうか?
仮に劉備と同盟して曹操を倒したとして、その後はやっぱりお互いの進軍方向は一点に定まるんですが?
>>836、845
>元々周瑜が統治してしかるべき土地なのだから
どこに根拠があるのかまるでわからんね(w
>価値がある南郡、南陽郡を周瑜が攻略し
わざわざ曹操軍の矢面に立ったわけね(w
>魯粛の案で南部全域を劉備に貸したんだけど
領有権が呉にあったとでも考えているのかな?そもそも呉には
荊州領有権は無いわけだ。それを貸すことは不可能だろ。
周瑜が建案14年に南郡を取り、長江北岸の江陵に屯し
南岸一帯を劉備に与えた。劉備は油江口に根拠地を築き
公案と名をあらためた。そのうち荊州の敗残兵たちが劉備のもとに
集まってきたので公安一帯は手狭になり、建案15年孫権のいる京口へ
みずから出かけていってもっと広い範囲を要求した。
この要求を認めようとしたのが魯粛である
そして、反対したのが周瑜である
最初は周瑜の意見が採用されたが周瑜が死んでしまうと
今度は魯粛の意見が採用されることになった
それにより南郡を含む荊州の西半分および南部全域が劉備に与えられた。
孫権が荊州をわけて劉備に与えたことにより南郡太守だった程普は江夏に戻り江夏太守になったとある
これが正史にある荊州の貸し借り問題の発端である
836の意見を見る限り本当に荊州問題を把握していたのか甚だ疑問に感じざるを得ないのだが
>>845 含んだような書き方ではなく、思うところを書いて欲しい。
毎回>840みたいな問いをせんといかんのかな?
少なくとも漏れは、王による分割統治が至上なんて、考えた事も無かった。
後漢末、状況はドロドロの戦国時代。
帝を抱える曹操は、袁紹やら李イ寉やらを下して、北を統治してる。
ならばウチもと、逸った周瑜が劉璋を下そうとするのは、いかにも戦国時代っぽい思考だと思うけども。
劉備が荊州の占有権を持つ…って? マジ?
当時の中華で所有権を言い張れるのは献帝を抱える曹操だけでしょ…
劉璋、劉表は帝から勅令を受けて州を統治してたんだよ?
劉備の所有権なんて、権力争いに負けて引き篭もっていた無能が支援してるだけ。
劉表が劉備に荊州を譲ろうとしていたって話はハイショウシにも一笑に付されているような戯言なわけだが。
>>846 > 脳内のだけではなく、周瑜が決定的に無能だったという客観的な事実をな。
周瑜が決定的に無能ねぇ(w
そこまで書いてあるように思えてしまうわけね(w
俺が言っているのは
「天下二分の計という戦略的構想の脆弱さ」と
「益州、交州攻略の実現の難解さ」だよ。
そして今話題にしたいのもその2点なわけ。
馬鹿にもわかるように論点羅列しておこうか
「天下二分の計という戦略的構想の脆弱さ」
・1、天下三分は第三勢力をキカクに配置することで曹操の軍勢の鋭鋒を避けるという戦略定期
意図があったが天下二分ではそれができない。曹操は孫権をたたけばよいだけである。
・2、天下二分した場合においても魏と呉の国力差は依然として大きなものとして立ちはだかる。
・3、そもそも天下二分したとして益州を治めるだけの人材が呉にはいない上、豪族を配置した場合
主家転覆すらありうる。
・4、さらにいえば益州等の攻略の実現性がひくい
「益州、交州攻略の実現の難解さ」
・1、兵糧問題。劉備は荊州からでさえ厳しかったのだが交州経由ではとても不可能
・2、劉備、曹操の動きをまるで考えていない。
・3、戦争をするにも統治をするにも人材が決定的に不足している上、
連合政権であるがゆえ統治自体豪族にそれを任すことも不可能に近い。
・4、劉備でさえあれだけ時間がかかった益州攻略が周瑜=孫権体制でできるとは思えないのだが。
そもそも江陵攻略にあれだけ時間がかかったのは後方においての孫権の援助がなかったためなのだが
益州攻略であればそれ以上に困難な事態になることは目に見えている。
糞同士、熱いな。
ここに誘導してこよっと。
>>847 > 周瑜が建案14年に南郡を取り、長江北岸の江陵に屯し
> 南岸一帯を劉備に与えた。劉備は油江口に根拠地を築き
> 公案と名をあらためた。そのうち荊州の敗残兵たちが劉備のもとに
> 集まってきたので公安一帯は手狭になり、建案15年孫権のいる京口へ
> みずから出かけていってもっと広い範囲を要求した。
> この要求を認めようとしたのが魯粛である
> そして、反対したのが周瑜である
> 最初は周瑜の意見が採用されたが周瑜が死んでしまうと
> 今度は魯粛の意見が採用されることになった
> それにより南郡を含む荊州の西半分および南部全域が劉備に与えられた。
> 孫権が荊州をわけて劉備に与えたことにより南郡太守だった程普は江夏に戻り江夏太守になったとある
> これが正史にある荊州の貸し借り問題の発端である
それは呉書による一方的な記述でもあるわけだ。
当時劉備が切り取った四郡を支配していたのは紛れもなく
金旋をはじめとする曹操から派遣された太守(あるいは劉表じだいからの)であったわけで
領有してもいないものを分け与えたというその記述の信憑性が疑問になるわけだよ。
借用という文言じたいが呉側の言い分でしかないと俺は踏んでいるんだな。
>当時の中華で所有権を言い張れるのは献帝を抱える曹操だけでしょ…
それをもとに劉表が領有しているわけだ。
その没後は後継者が持つのは当然の流れなのだね。
戦乱といえども正当性は重要でそれを元に領有権を主張することはあながち間違っていないわけだ。
孫権陣営にはその正当性がまるでないわけで、正統性もなく所有もしていないものを
「借用」はおかしいだろうね。
>>146 いや、面白かったよ。
潘濬、かっこいいね。ファンになりそう。
>天下二分ではそれができない。曹操は孫権をたたけばよいだけである
>魏と呉の国力差は依然として大きなものとして立ちはだかる
で、魏の相手が孫権単体と孫権+劉備であった場合との差は
>益州を治めるだけの人材が呉にはいない
なんだろうけど、劉備が益州を落とした後、荊州からの子飼いの人材は何やってたっけ?
蜀書を読んだ限りでは、その後の活躍に見るべきところは無かったと思うが。
所詮益州も豪族の権力が強すぎる地方。統治するのが孫権でも劉備でも、孔明でもあまり関係無いっしょ。
>豪族を配置した場合主家転覆すらありうる
っつーか、後漢末の中華は流れ者が集まる荊州以外はもう豪族が支配してるでしょ。
曹操は帝を抱えた上に実力者重視だったからあまり影響を受けなかったかもしれないが。
呉は赤壁戦前の降伏論に悩まされ、蜀は孔明のイヤイヤ北伐などが良い例でしょ。
いや、この意見自体には賛成なのだが。
>劉備、曹操の動きをまるで考えていない
考えていないわけはないだろうが、同盟国の劉備について何か?
そもそも劉備がとおせんぼしなきゃ(略
>戦争をするにも統治をするにも人材が決定的に不足している
だから、比較対象は劉備軍だろう?
連戦連敗の劉備軍と、何を比較して人物が居ないと?
>統治自体豪族にそれを任すことも不可能に近い
そもそも豪族は勝手にやってます。
>劉備でさえあれだけ時間がかかった
えらく劉備を推すけど、彼の何を評価してる?また、呉陣営を貶す理由は?
ちょっと思ったのは、豪族をまだ甘く見ている。
それと、劉備をまるで連戦連勝の有能武将として見ている感じがした。
呉も敗戦が少ないわけじゃないが、少なくとも劉備よりはマシと思うのは、漏れが呉を贔屓目で見ているからだろうか?
>>851 呉の一方的な言い分というより
バラバラに記載されたのを整理した経緯なんだけどね
西南四郡に関しては孫権に無断で劉備が占領したけど
孫権は黙認しているよ
むしろ南郡を貸した時に追認した形になったのが原因ではないかと
>>849 「天下二分の計という戦略的構想の脆弱さ」
1、地形は・・・?渡河・山越えとも相当難儀ですなぁ。事実魏は両方で苦戦してますな。
2、三分したときも同じですね。
3、
>>853 「益州、交州攻略の実現の難解さ」
ちなみに難解の使い方が間違っていますね。
1は良いでしょう
2、後方は孫権に任せる。それが不安要素なのかも知れませんが。w
まあ守勢は非常に得意ですから、何とかなったのでは。
3、
>>853 4、思えないって要するに根拠は無い訳ね。
そもそも、呉陣営には有能な武将、そんなにいませんかね?
呂蒙・魯粛・陸遜(あぁ、スレの趣旨とは離れちゃったな)は統治も出来る人材でしょ。
そういう人材が今一つ実力に疑問符がつく関羽・諸葛亮しかいなかった蜀と比較してもねぇ・・。
て言うか、劉備を過小評価し過ぎなんじゃねーの?
劉備の負け戦なんて、徐州における対曹操戦、汝南での対曹仁戦、
長坂での撤退戦、夷陵くらいしかないぞ。
>856
呉ヲタ周瑜儲のすくつだからしょうがないんでしょう。
他を貶さないと語れないんだろか。
>>856 決定的な勝ち戦は、黄布討伐、漢中、くらいだけどな。
入蜀の時のは…劉璋が折れただけだし。
>>853 まず俺の上げた戦略的欠陥の1番については反論なしということでいいのかな?
そもそもが天下二分と三分の偉大な差というのは「鋭鋒を避けれない」というところなのだが。
●天下二分ではそれができない。曹操は孫権をたたけばよいだけである
●魏と呉の国力差は依然として大きなものとして立ちはだかる
●戦争をするにも統治をするにも人材が決定的に不足している
> で、魏の相手が孫権単体と孫権+劉備であった場合との差は
> 益州を治めるだけの人材が呉にはいない、なんだろうけど、
人材だけの差ではないということだね。
相手が孫権一元体制である場合は曹操の鋭鋒が直接に孫権に向くわけだ。
これは当時の呉の国力ではどうしようもないことだったわけ。
ロシュクの策のすばらしいところはこうした危険を避けて主家安泰の戦略構想を練りだしたところにあるわけだ。
>>856 それこそ人材不足な訳さ。
入蜀前、有力武将で政治に明るい武将、殆ど居ないでしょ。
劉備の軍事的能力はカナーリいい線だと思うけど。
>>857 純粋に劉備陣営と孫権陣営との比較をしているところなのだが?
何故そんな卑屈に考えるかね
まぁ、劉備が負けるときは、軍団壊滅という豪快な負けっぷりだからなー。
そこから復帰しちゃうのが劉備の魅力なんだろうけど。
> 劉備が益州を落とした後、荊州からの子飼いの人材は何やってたっけ?
> 蜀書を読んだ限りでは、その後の活躍に見るべきところは無かったと思うが
益州攻略時には後詰めとして孔明以下張飛などが出撃している。
そもそもが劉備という一大英雄+その部下を有効活用できる時点で天下二分と天下三分では
その人材的格差は大きなものだと思うが。
> だから、比較対象は劉備軍だろう?
> 連戦連敗の劉備軍と、何を比較して人物が居ないと?
益州攻略をするのに呉の人材を益州に出せばそれだけ呉の陣営は薄くなる。
それに対し劉備を使えばなんら手を汚さずに曹操の鋭鋒を防げるわけだ。
また劉備を過小評価しすぎだろうね。現に益州攻略戦、漢中攻略戦、防衛戦
と地盤を得てからの劉備陣営はまさに破竹なのだが。
●劉備でさえあれだけ時間がかかった
> えらく劉備を推すけど、彼の何を評価してる?また、呉陣営を貶す理由は?
劉備が益州を攻略したときは人材の懐柔に長い時間をかけた長期戦であったわけだが
周瑜の状況では長期戦は不可能だろう。兵糧問題もあって短期決戦しか益州攻略の道はないわけだが
それだけ選択肢が狭い状態で遠く遠征すること自体非常に困難なのだが。
> 呉も敗戦が少ないわけじゃないが、少なくとも劉備よりはマシと思うのは、漏れが呉を贔屓目で見ているからだろうか?
少なくとも攻略戦に関して言えば劉備のほうが一枚上手なのは戦績からも明らかだと思うのだが。
>>854 > 西南四郡に関しては孫権に無断で劉備が占領したけど
> 孫権は黙認しているよ
> むしろ南郡を貸した時に追認した形になったのが原因ではないかと
そのとおりだと思うが、これでは「借用」にはならないことは明らかだろうね。
何らかの裏取引があったことは想像に難くないのだが。
借用とするのは呉の一方的なものだろうということだね
四郡の占領に部隊を割く余裕なかったくせに、その領有を主張するのもDQNだな
なら、曹操の南下覚悟の上で軍を派遣すればよかったのに
曹操の南下にあたふたしてたのに益州に兵力割く余裕があるわけない
一度撃退していい気になっちゃったんでしょうな周ユ君は
柔軟かつ大局的に見れる魯粛が数段上
で、どうでも良いんですが、陸遜は何処へ行ったんでつか?
呉蜀を比較するスレになったのでつか?
陸遜はこれと言った欠点が無くて駄目だ
宮城谷先生が好きそう
もっと積極的に討って出てくれたらと思っちゃう
>>868 宮城谷先生って選ぶ題材は最高なんだけど、文章が・・・(´Д⊂
あまりに単調で読破したことが無いのよね・・。
>>855 >
>>849 > 「天下二分の計という戦略的構想の脆弱さ」
> 1、地形は・・・?渡河・山越えとも相当難儀ですなぁ。事実魏は両方で苦戦してますな。
三分した場合山越えは後回しでかまわなくなるのだが。
そもそもが人材が少し手薄になった状態で孫権が曹操と向き合わなければならなくなる
状況を作り出すことになるのだが、そこまでシュウユは考えていなかったと思われる。
> 2、三分したときも同じですね。
違うね。国力の総合的な差は変わらないが脅威は二つに増えるわけだ。
> 3、
>>853 >>853は結果的に俺と結論が同じということなのだがね
> 「益州、交州攻略の実現の難解さ」
> ちなみに難解の使い方が間違っていますね。
困難とでも脳内補完しておてくれ。
> 1は良いでしょう
そして一番の問題でもあるわけだ。
> 2、後方は孫権に任せる。それが不安要素なのかも知れませんが。w
これは具体的にはもう少し考えてみなければわからないが非常に困難な状況になることは
目に見えてるな。
普通に考えればケイシュウを劉備に占拠されてシュウユもアボーンという形が
一番考えられるね。
劉孫の戦いに発展すれば曹操の死ぬ前に天下統一があるかもしれないが。
> そもそも、呉陣営には有能な武将、そんなにいませんかね?
> 呂蒙・魯粛・陸遜(あぁ、スレの趣旨とは離れちゃったな)は統治も出来る人材でしょ。
ロシュクはそれを勘案した上で劉備が一番と判断しているわけだ。
陸孫は適任だがこの時期まだ30前なのだがね。
>そういう人材が今一つ実力に疑問符がつく関羽・諸葛亮しかいなかった蜀と比較してもねぇ・・。
劉備自身をわすれてないか?
>>859 確かに人材不足だけど、益州は守るに易い土地だし、そんなに人材を裂かなくてもいいんじゃ?
実際攻め込まなくても背後を脅かすだけで充分、曹操に対する牽制になるだろうから
孫権に向かう兵力もある程度は削げるはず
つーか、どうも劉備の武力ばかりを評価している気が…
>>869 何とか妄想を膨らませてnounai補完しろ。
そんな漏れも重耳と楽キくらいしか楽しんで読めなかったけどね。
というか、周瑜は益州を取ったとして、徴兵しちゃ駄目なんですか?
劉備だって益州で徴兵して漢中に行ったんだろうに…
余剰の兵は荊州なり揚州なりに返せばいいんじゃないかと。
周瑜が益州攻めしてる時に曹操が来たら、確かにピンチだけども。
ていうか、赤壁で曹操を追い返した3万が呉の限界兵力だと思っているのかと。
あれは、即座に動かせる兵の数がそれくらいってだけだったんじゃなかったっけ?
あと、>871はあくまで
「天下二分の計」と「天下三分の計」の、どちらが優秀か、について語っている。
漏れ(>853)は周瑜が益州攻めした場合と、史実通り劉備が益州攻めした場合の違いの話をしている。
微妙に話題が噛みあってないのはこのせいだろうなあ。
>>874 > というか、周瑜は益州を取ったとして、徴兵しちゃ駄目なんですか?
> 劉備だって益州で徴兵して漢中に行ったんだろうに…
劉備は益州豪族を長い時間かけて懐柔したわけだが
戦略的に見てシュウユにはその余裕はないわけ。短期決戦しか許されない状況下における
益州攻略が成功すること自体が困難だと思うがわけだ。
そしてその条件をクリアしたという前提を持って考えたとしてもこんどは内部懐柔に時間を割かざるを得なくなり
また荊州の劉備の動向も気にしなければならないというおまけがついてくるわけだ。
すべてが上手くいったとしてもその成果は主家が天下三分よりも危険度が高いという
状況を作り出すだけなのだが、これでも天下二分はすばらしいと思えるのかな?
> ていうか、赤壁で曹操を追い返した3万が呉の限界兵力だと思っているのかと。
誰も主張をしていないことを勝手に作り出すと収拾がつかなくなるが・・・
>>875 そのとおりかもしれないね。
ただ益州攻めをするという前提条件には天下三分を避け、天下二分を採用するという判断があるわけで
むしろ三分と二分の比較が一番の論点であることは認識してもらいたいが。
???
>>828=
>>877じゃないのか?
天下二分が実行可能だったかどうかについて話してたんじゃ?
>>878 ああなるほど。
>>828が引っかかってたわけか。
それはこの議論に引きずり込むための撒き餌みたいのもので
「〜といってみる」としてちょっと過激なことを書いてみたまでだ。すまんね。
そもそも益州攻略の前段階に天下二分と三分の取捨選択がある時点で
それを論じたかったわけだ。
無論益州攻略も非常に困難であるという部分も自分の本論には入っているので
それも論点にしているのだが。
>>871 >ロシュクはそれを勘案した上で劉備が一番と判断しているわけだ。
>陸孫は適任だがこの時期まだ30前なのだがね。
・・・・・呂蒙・・・・・(´Д⊂
>>867 陸遜と周瑜を比較するためにはそれぞれのもっていた戦略構想を
分析しなければならないわけだ。
イリョウで大勝したから陸遜が上だ!だのいやいや赤壁の周瑜の方がすごいだろう!
なんてのではまるで比較できていないのと一緒なのだね。
その上で周瑜の「天下二分」を掘り下げることは絶対に必要だと思うが。
昨日、隣国の蜀へ攻め入ったんです。蜀へ。
そしたらなんか剣閣に人がめちゃくちゃいっぱいで通れないんです。
で、しばらくしたらなんかトウガイがでて来て、陰平から攻め入る、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、剣閣如きで普段誰も通らない陰平街道へ行ってんじゃねーよ、ボケが。
陰平だよ、陰平。
なんか息子のトウ忠とかもいるし。一家で陰平攻略か。おめでてーな。
よーしパパ陰平から攻め入っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、帰りの兵糧やるから魏へ帰れと。
剣閣ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
崖の頂上の敵陣からいつの連弩雨が降ってきてもおかしくない、
殺すか殺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。どもり武将は、すっこんでろ。
で、やっと剣閣陥落かなと思ったら、劉禅の奴が、成都無血開城とか言ってるんです
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、乱世の世に無血開城なんて流行んねーんだよ。ボケが。
昭烈帝の息子くせに何が、無血開城、だ。
お前は本当に昭烈帝の意志を継ぐ気はあるのか問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ただ単に親父が嫌いなだけちゃうかと。
策略家の俺から言わせてもらえば今、成都陥落後の間での最新流行はやっぱり、
成都乗っ取り、これだね。
降将の姜維と手を結んでトウガイを冤罪で処刑。これが天才のやり方。
それでトウガイの兵を吸収。そん代わり毒蛇にかまれる嫌な夢見た。これ。
で、魏から独立。これ最強。
しかしこれがバレると兵士が暴動を起こす危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、ホウ徳の息子ホウ会と一緒に関羽の子孫を皆殺しにしろってこった。
息抜きにドゾー
最上策を取らなかったら優秀じゃないって訳じゃないだろ。
それぞれ理想とか思想があって、それに沿って戦略を立ててるわけだし
明らかな下策を取っていない限り、優秀じゃなかったという事の根拠にはならない。
「二分と三分どっちが優れてるか」と「天下二分自体が優れてるか」は違う話で、
スレの主旨からすれば後者の話をすべき。三分と二分の比較じゃないよ。
まあ、二分は不可能だったって結論が出れば、三分と二分どっちが優れてたかなんて言うまでもないけどね。
>>880 あの時点ではまだ三日前(w の呂蒙だったと思われ。もしくは勉強中。
884 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/18 18:36
>>881 やたらここでは赤壁が価値が低いように扱われるが
赤壁の戦いはやっぱり三国志の歴史で最も重要なものだと思う
あのハイショウシですら張昭の擁護をするぐらい
当時として孫権が曹操に抵抗しても無駄であるといった背景がある
その中で周瑜は程普と共に魏を迎え撃ちこの危機を乗り越えた
>>883 >最上策を取らなかったら優秀じゃないって訳じゃないだろ。
>それぞれ理想とか思想があって、それに沿って戦略を立ててるわけだし
なるほどね。
ただ、それは言い換えれば最上に優秀ではないともいえるだろう。
天下二分が優れているかという問いかけはそのまま自ずと天下三分との優劣比較になるわけだね。
よく孔明の北伐についてギエンの策と孔明のそれとではどちらが優秀かといわれることもあるが
それに似ていると感じている。
すぐに勝ちにいった周瑜とゆっくり勝ちにいったロシュクの差ともいえるわけだね。
これは英雄論としてみれば周瑜のほうが断然英雄だが、
その方針は乾坤一擲というかより博打に近いものがあるとおもえるね。
そうしてみれば劉備を殺したかった周瑜と生かしたかったロシュクの差も明確化するわけだ。
すべてが未然におわった状態で後から冷静に判断すればやはり「無理があったのでは?」
という判断が一般的だろうし周瑜自身の軍事的才能はよくわからないものだから余計に?
がついてしまうわけだ。
戦略眼という点から見ればロシュクの方が優れているのではなかろうか。
はっきりいえば天下二分は誰でも考えつくが
天下三分をあの状況下で考え出すこと自体稀代の戦略ともいえるわけだ。
これはその後半世紀三国鼎立が続いたことからも明らかだとおもうけどね。
>>884 >
>>881 > やたらここでは赤壁が価値が低いように扱われるが
> 赤壁の戦いはやっぱり三国志の歴史で最も重要なものだと思う
> あのハイショウシですら張昭の擁護をするぐらい
> 当時として孫権が曹操に抵抗しても無駄であるといった背景がある
> その中で周瑜は程普と共に魏を迎え撃ちこの危機を乗り越えた
これはそのとおりだと思うね。曹魏の実力ははっきりいえば圧倒的だったしね。
ただ結果は偉大だったが内容は伴っていないからもう一度同じ状況になった場合は
やはり尋常ならざる危機になっていたといえるね。
>>885 >天下三分をあの状況下で考え出すこと自体稀代の戦略ともいえるわけだ
当時の知識人の間では常識だったという説をどこかで読んだような・・。
>戦略眼という点から見ればロシュクの方が優れているのではなかろうか
それは結局呉はどうやっても魏を倒せなかったというのが前提です罠。
しかし、歴史上、乾坤一擲の勝負をしかけ、勝った人間もいた訳だ。
まぁ、実際起こっていないことは論じても無駄なのだが、
この乾坤一擲が実行されていないからこそ、周瑜の戦略眼が
魯粛より劣っていたとは言い切れないような気がするね。
誰も曹操に勝てるはずがないと大勢が占めていた中
それを迎え撃ちに行った周瑜の度胸と絶対なる自信は
結果的に呉を救ったのだから賞賛に値すると思う
>>887 ●天下三分をあの状況下で考え出すこと自体稀代の戦略ともいえるわけだ
> 当時の知識人の間では常識だったという説をどこかで読んだような・・。
隆中対はあくまで荊州サロンで言われていたことと言われてるがそれは
荊州側(あるいは劉備側)の視点ともいえるわけで。
孫権側の立場からそれを見通すことは難しいと思うのだが。
●戦略眼という点から見ればロシュクの方が優れているのではなかろうか
> それは結局呉はどうやっても魏を倒せなかったというのが前提です罠。
それは違うだろうね。基本姿勢は見に回るが、いつか来るほころびをたたこうというものであったはず。
つまり直接今あたると勝ち目がないと踏んでいたわけだ。劉備に矛先が向くと言うだけでも隙ができるわけだ。
仮に周瑜の立場に陸遜がいたとしたら魯粛の策を採用すると思うのだがね。
そして効果は天下二分も天下三分もさほど変わらないと言うオチがくるわけだ。
> しかし、歴史上、乾坤一擲の勝負をしかけ、勝った人間もいた訳だ。
> まぁ、実際起こっていないことは論じても無駄なのだが、
> この乾坤一擲が実行されていないからこそ、周瑜の戦略眼が
> 魯粛より劣っていたとは言い切れないような気がするね。
ここではじめて周瑜の軍才について考える余地があるわけだ。
成せば英雄と言う条件のばあいは実現可能性を勘案するわけだね。
しかし周瑜の天下二分の場合は乾坤一擲を賭けるだけの価値があったかという部分に関しても
問題点があるわけだ。
この点孫策の許急襲とは大きな隔たりがあると思うね。
(これの場合は曹操滅亡の可能性は非常高いものだっただろうし)
890 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/18 19:37
結局益州攻めてる時に曹操が来たらどう防ぐのか
この対策が欠けている以上天下二分の計はどうしようもないね
その点劉備に目をつけ柔軟に対応した魯粛は素晴らしい
891 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/18 19:39
892 :
bloom:03/04/18 19:39
みんな周瑜の時代には馬超が健在だったのを忘れてないか?
正史にはちゃんと「馬超と結んで云々」という記述があったはずだが。
馬超に出兵させ、曹操を牽制させてるうちに益州を落とせればいいが、
馬超が兵を出すとは限らないし、2国で連携を取るというのは、
孔明の北伐見ても難しいだろう。
確かに現実的ではないね。
そろそろスレの答えが出たようで
>>893 > みんな周瑜の時代には馬超が健在だったのを忘れてないか?
> 正史にはちゃんと「馬超と結んで云々」という記述があったはずだが。
そこまでいけばIFのうえにIFを塗る話になってしまうね。
馬超と連携を取ると言うのは周瑜が無事天下二分を達成した後であって
なおかつ馬超が存在していた場合
に有効となるわけだ。
戦略は雄大だが内実雑に過ぎると思うのだが。
もちろん周瑜にはそれだけの軍才があったのかもしれないが
実績からみればそれは未知数でしかないのだね。
天下二分の計はある意味ロマン
実行されてないからこそ語りがいもあり、夢も膨らむ
しかし、実際蜀も呉も滅んだんだから、三分最高!最上の計!なんて言われてもなあ
あのよ、無名武将ばっかりが話してて誰が何を言ってるのか、サパーリなわけよ。
熱い討論をするのは歓迎だが、コテハンとトリップでもつけて話してくれ。
まぁ、漏れも無名武将なわけだが。w
>>899 確かにな。
南北朝時代考えると二分の計のがいいような気もするな。
劉備入蜀後となると、もうそれは不可能な訳だから、やはりロマンだな。
>>901 いやいや華北が荒れていた五胡十六国時代と
曹操による治政が成立しそうだった三国時代では人口比率が違いすぎるのだが。
903 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/18 22:54
まぁ歴史だけみれば二分は実現せず、三分も時間稼ぎにすぎなかったと。ひたすらツァオツァオの偉大さがきわだつわけですな。
それで当時の魏の財政はどうだったんよ?
赤壁のあとにもう一度呉と戦えるだけの財力があったのか?
火計なんて使われたら曹軍の船なんてなくなるだろ。それをまた調達するのにどれだけかかる?
長江を越えることの困難さを叩き込まれた曹操が時間を置かずに呉侵攻なんてするか?
それに魏が呉に攻め入ったら劉備の掲げている大義名分上、
どうしても彼は孫権を助けなければいけない立場にあったんじゃない?
魏が呉に滅ぼされたら自分たちも終わりだからね。
つまり劉備は蜀vs呉では呉に負けてほしかったが、
魏が呉に攻めたときは援軍を出さないわけにはいかない複雑な立場にあったことになる。
そういう意味では周ユの死は劉備にとって非情にありがたかったはず。
あと蜀を治めるのは魯シュクだろ? その下に呂蒙。
いくら三分がいいと主張する魯シュクとはいえ蜀をとってしまえば、呉の臣下なんだから
その範囲で最善をつくすと思う。蜀にだって呉に下る人材はいただろうし。
難しいね・・・
横山光輝の三国志では周ユは馬鹿みたく書かれているが
あの三国志は蜀ひいき。
個人的には周ユかなとおもう。
906 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/18 23:08
演義において、魏の国力はほぼ無限大です。
>>904 直後ではないが、翌年の後半期に合肥に陣取るくらいはできている。
家計は火の車、なんてほどじゃないはずだよ。
次スレどうする?
>905
あんたおもしろいね
>>909 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:03/04/18 23:26
>>905 >あんたおもしろいね
あんたおもしろいね
ありがとう!
嬉しく思う。
>>912 ここのスレタイも十分に厨クサイわけだが
>>913 その点も踏まえて考慮したわけですよ。
やっぱ、ダメかね
ありゃ?ここはもともと呉スレじゃないんかいな?
厨辰だの公明だのだとまた禿しく荒れそうな悪寒・・。
>>915 同意。
臣考えるに、その二名の名は入れないほうがいいかと。
917 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 05:12
次スレタイトル案
「張昭と張紘どっちが優秀なのか」
周瑜てカコイイて書いてたけど昔のカコイイてどんな顔だったんだろぅ?
全部読むが表示できません・・
921 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 07:02
>>917 提案型の張紘、諫言型の張昭。
張紘は丞相になれるタイプ。
張昭は名誉職になるタイプ。
922 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 08:12
なぜ??全部読むが見れないの?
バカには見えないようになってるんだよぉ
>>922 BIG-SERVERのサーバコースご案内って出てしまいまつ
他板だと大丈夫なのに。。。
かちゅでも入れておけよ
926 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 09:44
次々スレタイトル案
「曹家と孫家どっちが優秀なのか」
「徐庶と庖統どっちが優秀なのか」
厨を排除するには
「朱然と潘濬どっちが優秀なのか」
くらいにしといた方がいいと思うよ。
ウムウム。
930 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 12:11
次スレタイトル案
「呂岱と鍾離牧どっちが優秀なのか」
932 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 12:32
いや、呂后と趙高はどちらが暴虐か?だろ?
>>933 スレ違いだが、呂后の一面だけをみていうな。
趙高とでは、格が違う。
935 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 12:48
損権は神
塵だろ?
937 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 13:21
あ
呂后も相当だと思うが。若い頃は良かったが晩年が・・・。
趙高は激しさよりも陰湿さが目立つ。
呂后は内に対しては陰猾で冷酷だけど、治世に関しては及第点以上だからね…。
評価が割れるかもしれんよ。
…っていうか、話を戻すべきだと思うのだが。
「○○と○○どっちが優秀なのか」、なんていう、厨くさいのは止めたいな。
主に陸遜を語るなら「武昌宮」とかってのは?
もう陸遜ひとりに限定するより、幅広く呉臣を語る方がいいんではない?
呉滅亡後の陸機にあやかって
【○○】弁 亡 論【○○】 あたりでは?
942 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 15:08
俺とお前どっちが優秀なのか
943 :
動画直リン:03/04/19 15:09
944 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 15:32
ぶっちゃけちゃってくれ。
陸遜は
1.正史でも演義でもいい男
2.正史ではいい男
3.演義ではいい男
4.陸遜がいい男なんて同人女の妄想
ウィッチ?
>>945 4.
強いて挙げれば光栄の作成した顔グラフィック
>>945 周ゆ、趙雲、呂布は美形との記述はあるが、今と昔では感覚が違うから美形とは言い切れない。姜維は微妙。
陸遜については孫権に若い頃から気に入られていたとはあるが、美形という記述は何処にも無い。まあ、とりあえず背は低い事は確実。
とりあえず、横山陸遜だけは勘弁して欲しい
ええ!趙雲は美形だったのか!?
史実は絶対に横光顔だと信じていたのに!
孫策も美形って記述があった気がする。
951 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 16:22
背が低くて不細工だったら悲惨過ぎる・・・
美少年にした光栄は英断
952 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 16:45
孫堅と孫策どっちが一騎打ち強いのか?
じゃあ魏で1番優秀だった軍師は誰だろう?
いや、俺だな…
958 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/19 18:20
>>それに魏が呉に攻め入ったら劉備の掲げている大義名分上、
どうしても彼は孫権を助けなければいけない立場にあったんじゃない?
魏が呉に滅ぼされたら自分たちも終わりだからね。
つまり劉備は蜀vs呉では呉に負けてほしかったが、
魏が呉に攻めたときは援軍を出さないわけにはいかない複雑な立場にあったことになる。
そういう意味では周ユの死は劉備にとって非情にありがたかったはず。
蜀侵攻中に曹操が攻めてきたらどうするのかってことでは、
この意見で解決だと思うのだが?
二分の計の有用性というのは蜀と呉の防御力の高さにあると思う。
かたや峻嶮な山の中、かたや大河を挟んだ水軍国家。
どちらもしかるべき人が治めていれば一朝一夕に攻め落とせる地域ではない。
魏から見ていちばん攻めやすかったのが荊州だが、これは劉備が治めてる。
(守りやすい地域は自分たちが治め、比較的守りにくい地域を劉備が治めてるのは
呉にとってありがたい話)
あとは蜀、呉、劉備、馬超の4勢力で守ったり攻めたりと連携する。
これが基本方針だったと思われ。
なんで急に美形話になってるのか(w
一応、
劉基 容姿端麗
孫策 秀でた容姿を備え・・・
周瑜 成人すると立派な風采を・・・
趙雲 姿形が立派だった。
とこの辺の連中が容姿について記述が残ってる。(漏れが憶えてるのだけだから補完キボ
ン)
あと、荀ケも注に引かれた文書からするといい男らしいな。
あくまで当時の感覚でだが。
>>961 公孫サンは美形。「有姿儀」とか「美姿貌」とか書かれてる。
袁紹とか曹叡なんかも立派な外見をしてたらしい。
孫策は「美姿顔」で、周瑜は「長壮有姿貌(成長して立派な姿になった)」だから
記述だけ見れば公孫サンか孫策が特に美形っぽい。
>>962 サンクス
漏れは劉基を押しとく(w
KOEI顔グラや漫画を本気にしちゃいけないね。
次スレは
>>941氏の「【○○】弁 亡 論【○○】」に一票。
誰と誰を○○に入れようか? 陸遜と施積?
>>964
そう
>>966 戦術面なら、軍師と呼んでいいのか分からないが司馬いじゃない?カク、郭嘉も捨てがたいが。
>>963 一票、どうも。 自分としては、張梯と郭馬でいいかな、と思ったりもする。 共に滅亡には縁が深いし、末期の呉も、語る余地はあるだろうし。
こう言うのはどうだ
【陸遜、陸瑁】陸一族を語れ【陸績、陸鬱生】
3スレ目でいきなり終了宣言されているのに
1000レス近くまで行くとは感慨深いものだ・・
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
欝生って、陸績の女ね…。
陸凱タンを忘れないで……
長男・陸延は?
陸遜が守って周ユが攻めるってどうだろ?
十三で嫁にいき、すぐ未亡人の鬱生タンに萌
陸遜と周瑜が攻めて、陸抗が守る・・・
不可能だけど(w
周瑜と呂蒙が攻め、陸遜と魯粛が守る
これだろ
孫策と周瑜が攻めて、孫権と陸遜で守る
爆笑三国志でこんな感じのあったね・・・・夢の共演みたいなやつ
982 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/20 21:38
孫堅と孫策と周瑜と呂蒙が攻めて
陸遜と魯粛が守り
二張が後方支援
>>983マケルモノカ
孫堅、孫策、周瑜、、呂蒙が攻め
陸遜、魯粛、陸抗が守る
二張、顧雍、潘濬が後方支援
>>983 自分に負けない!
最強のライバルは自分の心さ!
ってヤツでつか?w
986 :
無名武将@お腹せっぷく:03/04/20 22:34
孫策、周瑜、、呂蒙が魏攻め
孫堅、関沢、黄蓋、祖茂、甘寧が蜀攻め
陸遜、魯粛、陸抗が守る
二張、顧雍、潘濬が後方支援
>>986 加えて賀斉、歩シツが南方経由で蜀進攻。
陸凱も後方支援に。
防衛組には朱桓と徐盛も参加。
朱然と施積も魏侵攻に参加しる。
魏、蜀でもやってみてよ。
おもしろい。
次スレをたてるなら
【正史】呉の武将を語れ【呉書】はどう?
なるべく呉好きなヤシらで内輪的にやったほうがいい
呉書基準に語れば少なくても荒れる要素は減るし
>>990 それで良いと思うが
【正史】呉の人物を語れ【呉書】
にした方がいいと思われ
アツい議論が終わってるー
>>990 世界史板と比較しても詮無いが、「武将」とするか「人物」とするかは境目だな。
厨丸出しだよ。
内輪でやるなら自分のサイトでやればいい
荒れるのを恐れるなら2ちゃんねるに向いてないよ
細かいな(w
そんなことどうでもいいだろ
曹豹と厳輿どっちが優秀なのか…
(゚д゚)ポカーン
どうでもいい、ってことはないな。
日本の戦国時代なら、まだいいかもしれんが。
不毛だな…終了させるか。
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。