【孔子】儒教について語るスレ【孟子】

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諸葛孔明等、三国時代に多大な影響を与えた
儒教について思う存分語れ!

他の諸子百家の話でも(゚д゚)ウマー
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白馬は白と馬の二概念だから馬じゃねーんだよボケ
>白馬は白と馬の二概念だから馬じゃねーんだよボケ

名家は三国時代に影響を与えたとは思えないのだが・・
論理学派として戦国時代に流行したが、余り影響を与えず
滅亡しているはず。
張角や張魯のような極端なのは置くとして、、、
三国時代のメインは儒教縦学で、
緯学の徒を重用した(口車に乗った?)袁術や、孫権の仏教などは、
異端の部類だったんだろうか。
誰だっけ、軍の金かっぱらって寺建てた奴とか。
北斗神拳の創始者と噂のあいつ。乍融だっけ?
奴は特殊中の特殊だな。
7島田新六(=4):03/02/12 23:07
>こおろぎさん

>三国時代のメインは儒教縦学で、
緯学の徒を重用した(口車に乗った?)袁術や、孫権の仏教などは、
異端の部類だったんだろうか。

この頃の儒教は緯学を重んじています。後漢末第一の学者といえば、鄭玄ですが、
彼も緯学によって儒教を解釈した為に後世から批判されました。異端ではないです。

仏教は当時は道教と混同されており、異端という認識はなかったようです。
『三国志演義』になると、作品中で極端に道教の存在が前面に押し出されていますが、
リアルでの三国時代は、宗教に関して割と寛容だったんでしょうか。

いや、もちろん宗教と思想との境界線は曖昧なので、
いちがいに、「宗教」と言ってはいけないのかもしれませんが。
9島田新六:03/02/13 01:18
>こおろぎさん

>リアルでの三国時代は、宗教に関して割と寛容だったんでしょうか。

寛容なんだろうと思います。漢王朝そのものが儒教を国教として定めたとはいえ、
王族の中には楚王劉英のように老子と釈迦を信仰しているものもおり、規制は
ひどく緩かったようです。
また、漢の時代には
「全ての思想は『易経』(または老荘)を根元としており、全てが「道」に繋がる。
諸子百家それぞれも『易経』の一形態に過ぎない」という認識がありました。
こういう認識の元では、余り厳格な宗教対立は起きそうにないです。
まぁ「『易経』が全ての思想の根元」という考え方、おもしろいことに仏教が入ってきても
そのまま使われており、「『法華経』は『易経』の艮卦で代用できる」という
発言が、宋の時代になるとしばしば見られます。
10島田新六:03/02/13 01:21
>いや、もちろん宗教と思想との境界線は曖昧なので、
いちがいに、「宗教」と言ってはいけないのかもしれませんが。

ここいらへんも難しい問題ですね。儒教一つとっても宗教かそうでないのか
学界で論争が続いているのが現状ですし。
私的には、後漢末〜三国までの諸思想は宗教と置き換えても余り違和感はありませんが。
11タケノコ ◆v5ENokT4mw :03/02/13 20:48
漢代には法家思想は一般的になりすぎて法家とは呼ばれなくなっているね。

曹操とか諸葛亮とか董卓とかみんな法家だよね。












最後のは放火でした。
>>9
>規制はひどく緩かったようです。

百家のいずれに属していても、祭祀にまつわる部分は共通して
原始儒教とも言える祖霊崇拝だったことも、
他の派への対応を温和なものにさせていたのかもしれないですね。
自分も、三国時代の儒教は、じゅうぶん宗教として扱えるものだと思います。

そして朱子学以前の儒教には、思想であり宗教であったという性質の他にも、
「科学としての儒教」という側面も備えていたように思う。
「全てが「道」に繋がる」、という発想などは、
自然科学の芽生えのようにも感じるし。


>>11 
>漢代には法家思想は一般的になりすぎて法家とは呼ばれなくなっているね。

中央集権を目指すためには、法家を採用するしかないというのも、
ちょっと淋しい結論だけど。
13黄緑 ◆/06cFHuang :03/02/13 23:15
>>11で笑ってしまいました。

孔子廟の位置付けってどうだったんでしょうか。
韓非子「相手が家族でも信用すると痛い目にあうよ」
15無名武将@お腹せっぷく:03/02/14 22:13
蘇蓁「相手が家族でも信用すると痛い目にあうよ」
16無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 17:01
荀子>>>>>>>>>>>>孟子だよな?
17島田新六:03/02/18 17:29
>「相手が家族でも信用すると痛い目にあうよ」

これは王侯貴族内部での権力争いを想定した発言ですので、
我々のような庶民には無縁の格言です。

>蘇蓁

蘇「秦」だと思いますけど。後、この人実在が危ぶまれています。
司馬遷が複数の縦横家の伝承をこね合わせて作った人物という説あり。

>荀子>>>>>>>>>>>>孟子だよな?

どうしてそうなるのか理由がわかんないんですけど・・
だよなと念を押されても・・あのー、儒法闘争史観の方ですか?
18無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 17:38
諸葛亮は泣きながら斬ったから真の法家ではなく、また斬ったからには儒家でない。
と安能務の説
>>11
19無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 17:43
曾子・子思・孟子の系譜は宋代にようやく復興
三国時代は荀子の方が確かに優勢だろうね。
馬融・鄭玄も荀子と同じく子夏の系譜や。
20島田新六:03/02/18 17:43
>こおろぎさん

>百家のいずれに属していても、祭祀にまつわる部分は共通して
原始儒教とも言える祖霊崇拝だったことも、
他の派への対応を温和なものにさせていたのかもしれないですね。

なるほど・・そういえばどの諸子も祖霊崇拝は批判していないんですよね。
『墨子』は儒家の派手な葬式のやり方に文句を付けていますが、
祖霊崇拝は大丈夫らしいし。共通の思想的基盤があったということでしょうね。

>そして朱子学以前の儒教には、思想であり宗教であったという性質の他にも、
「科学としての儒教」という側面も備えていたように思う。

あの、朱子学は科学なんですよ。山田慶児先生の『朱子の自然学』(岩波)
をご存じですか?あれをみると良く分かるのですが朱熹(朱子)って
バリバリの理系人間だったらしく、自然科学に60歳以降没頭した人なんですよね。
天文台の図面(設計中に助手の数学屋が無実の罪で殺され完成せず)も
残っています。だから本来の思想は非常に科学的です。超自然的なモノは
否定するしね。

おそらくこおろぎさんは、今、俗に言われている朱子学について語って居られるのでしょうが、
今の日本や朝鮮半島で行われている朱子学は歪曲が凄いです。あれは、本来の朱子学を正史『三国志』だとするなら
三国無双みたいなもんです。原典を外れ、自国民受けを狙ってめちゃくちゃにこしらえて居るんです。
21無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 17:52
名士層は儒教でして袁紹がその代表、優柔不断。
ジュンイクだとかは名士だが一時的に法家・文学者の曹操を利用しようとした。
そして決勝戦で曹操の法家が勝った。
しかし曹丕は曹植に詩文の才能で勝てなかったのと新王朝を作りたいのとで
長子相続・禅譲マンセーの儒家を利用した。
そのための妥協こそ九品官人法。
名士であればそれだけで偉くなれるというもの。
さらに幼君を退位させるため司馬一族が忠<孝を説く儒教を利用した。
22島田新六:03/02/18 18:43
>21さん

んーなんか香ばしいなぁ。儒家と法家が徹底的に対立するって
いう歴史の描き方は、文化大革命期に四人組の御用学者が散々やったけど、
もう嘘がばれて誰も信じていなくなって居るんだがなぁー

>ジュンイクだとかは名士だが一時的に法家・文学者の曹操を利用しようとした。

ジュンイクの先祖が法家の韓非の師匠の荀況だという話と矛盾しないのか?

そもそも曹丕が曹植に詩文で負けたというのが、『文選』李善注に
端を発する電波だからなー。

・・・みんな物知りだな
おれも勉強するか
24無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 18:56
朱子学はくそ。捏造してまで正当性を主張するバカ
25無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 21:53
>>24
面白ければ何でもOKだろ。
列子・荘子マンセー。

>>all
俺、徳間書店の本しか読んでないけど、無問題?

26無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 16:38
>>22
徹底的に対立しとるんか?>21の文の中でもちゃんと妥協しとるやろ?
あと儒家の荀子の子孫が漢代に名士層になるとなぜ矛盾するんや?
曹丕の詩って本当に曹植のよりうまいの?

3番目は突っ込みではなく真摯な質問っす。
まあ後継ぎ争いがあったのは事実だからどっちでも議論には関係ないが、
それだけに知識として知りたかったりする。
2726:03/02/19 16:45
おそらく島田新六さんは色々知識を語りたい人だと思われ。
でもただひたすら語るのがカコワルイとは自覚しているので何かの反論の体裁を取りたがっていると思われ。

しかし他人に「さん」を付けているところを見るといい奴なのかもしれないと今思った。
>>22なんて呼び捨ててごめんよ。
2826:03/02/19 16:48
ついでに私の知識も披露
>>19「さん」、子夏の系譜というより子夏・子ゆうの系譜ね。
儒家と法家は十分に共存しうる。
漢王朝は両方を上手く取り入れたことで、
前後400年に及ぶ存在が可能になった。

世襲を前提とした支配の為には儒家の思想を用いねばならず、
王家一族による民からの収奪を防ぐには法家の思想を用いなければならなかった。

儒家は血縁と人間の性質に対する信頼を軸とした思想。
法家は法による公正と人間の能力に対する信頼を軸とした思想。

儒家内での論争も法家内での論争も
思想対立ではなく政治的対立に過ぎない。
30島田新六:03/02/20 02:49
>26さん

私のレスはどうも的はずれだったようです。
失礼しました・・

>徹底的に対立しとるんか?>21の文の中でもちゃんと妥協しとるやろ?
あと儒家の荀子の子孫が漢代に名士層になるとなぜ矛盾するんや?

確かにおっしゃるとおりです。どうも読み違えておりました。

>曹丕の詩って本当に曹植のよりうまいの?

これは非常に難しい質問ですね。前のレスで僕が言いたかったのは、
「どちらが上手いと言うことはない、両方とも上手い。だが、後世の人が
曹植の悲劇的な生涯に同情して、曹丕<曹植という話をこしらえてしまった。
だから『曹丕は曹植に詩文の才能で勝てなかった』という話が三国時代
以降の史料には出てくる。しかしそれはネタでしかない」
ということです。
要は、『世説新語』(前レスで『文選』李善注と書いたのは誤り、訂正します)
に出てくる「七歩の詩」のエピソードそのものが創作だと言うことです。
漢詩の専門家である三好何とかという人の著作に
曹操・曹否・曹植の三人を取り上げたものがあったな。
昨日、三戦の儒教スレ行ったんです。孔子が開祖の。
そしたらなんか他の諸子百家の話でも(゚д゚)ウマーらしいんですよ。
で、よく見たらカキコがあって、「白馬は白と馬の二概念だから、
馬じゃねーんだよボケ。」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、三国時代に影響与えた思想如きで普段来てない板に来てんじゃねーよ、ボケが。
儒教だよ、孔子が開祖の。
朱子学はくそ。捏造してまで正当性を主張するバカって言ってる奴もいるし。
「ネタをネタと見抜けないでマジレス」ですか?。おめでてーな。
曹丕の詩って本当に曹植のよりうまいの?とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、『徳間文庫』やるからその席空けろと。
諸子百家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
>>21が香ばしい。
>>21>>22が徹底的に対立する、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと落ち着いたかと思ったら、曹丕の詩って本当に曹植のよりうまいの?、
とか言ってるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、詩なんて今日び流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、建安七子、だ。
お前は本当に諸子百家について語りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、曹植>>>>>>>>曹丕と言いたいだけとちゃうんかと
このスレ通の俺から言わせてもらえば今、三国志の間での最高思想はやっぱり、
『儒教』、これだね。
『儒教』。これが通の頼み方。
『儒教』ってのは百害ある。しかも一利なし。これ。
で、それに『朱子学』。これ最強。
しかしこれを頼むと次から>>24からマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、『漫画・中国の思想』でも読んでなさいってこった