★南海の虎★島津義久★

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http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1041260642/943-948
においちいネタがあったので。

島津は源頼朝の子孫と称しておりまつが
これに関しては江戸時代から「嘘だろう」と言われておりました
蒲池に続く偽源氏(w)
というのも、それ以前島津は公称「藤原氏」だったからでつ
確か島津光久(島津家19代当主・2代目鹿児島藩主)までは公式文書に
「藤原」と署名しておりまつ

では、どうして島津は藤原を称していたかと言いますと
鎌倉時代、守護として配置された「島津荘」のそもそもの領主が藤原氏(近衛家)
だったからです。島津と近衛家とのつながりはその後現在まで続いているようで(!)
特に義久様と近衛前久の文通は有名でつ。
>>805
歴史群像でも買えば?
一応持ってるけど、島津の頼朝落胤説は完全に否定されているらしいよ。
807805:03/08/21 23:39
では、島津さんは何故「源頼朝の子孫」を称することになったのか?

島津さんの公式文書への「源」署名は、実は室町時代の文書には既にあるのだそーで、
そのころは「藤原」と「源」のダブルネームだったようでつ
ちなみに「源」を名乗った理由については、琉球貿易や朝鮮貿易の際に
明から「日本国王」と見なされていた将軍・足利家(源氏)
と同じ苗字の方が都合がよいと考えたのでは?と言う説がありまつ。

江戸時代に入ってから「藤原」を捨てて「源」一本にまとめたのは
徳川に対する見栄張り(w)というか対抗意識からだったようです。
初代・島津忠久の母である丹後局が比企氏(源頼朝の乳母の家)の出身
と言う伝承が古くからあったことのですが、これが改造されて
それが「丹後局は頼朝の愛人」(w)に転化し「忠久さんは頼朝の隠し子」
と言うことになっちゃった。
と言うことで、「島津が頼朝の子孫」という捏造(w)は妙に説得力があり、
案外あっさりと世間に認めてもらえたようでつ。
808805:03/08/21 23:55
ありゃ、806とケコーン(w)

懲りずに続けますと(滝汗)
この「島津源頼朝後裔説」というのは江戸末期には、ほとんど島津さんには信念と
なっていったようで、あのデムパ洋癖大名(w)島津重豪は鎌倉にあった源頼朝の
墓を再興したりしています。
今残っている「頼朝の墓」というのはこれじゃナカータっけ。
数年前まで島津家が管理をしていたはず。今は鎌倉市が管理。

ちなみに『歴史群像 裂帛島津戦記』近所の図書館で借りた(w
何でこんな本が有るんだ。。。見上げた図書館だ。
重大な間違いを見つけたので、学研に指摘しようかどうか迷って、やめたんだが。。。
重大…というと?
810805:03/08/22 00:25
では「藤原」は領主からの借り物、「源」はうそ800
ならば、本当の島津の出身は何氏なのか?

というと、これは「惟宗氏」ではないかという説が今のところ有力なようで。
ちなみに惟宗氏というのは、聖徳太子に仕えて、平安京を作るときに活躍した秦氏
の子孫。
島津氏の公式系図などでは
「丹後局が頼朝の子供を身ごもったまま、北条政子の嫉妬から派遣された刺客を
何とか逃れて、雨の中、大阪の住吉神社で狐火のお加護により忠久を産んだ。
その後、惟宗広言という侍の後妻になり、広言のお仕えしていた近衛家から藤原
の苗字を賜り、忠久は広言の養子となった。」
となっているようでつが
果たして、『島津家文書』等に残っている源頼朝からの書状などを見てみると、
宛先は「惟宗忠久」となっている。
あと「雨」「狐火」というのはお稲荷さんに関連していると思われ、島津家は
稲荷神社を氏神としていたが、この総本社である伏見稲荷大社を建てたのが秦氏。
よって、島津氏は惟宗氏の末裔というのが今は有力な説らすぃ。
・・・つまり、対馬の宗氏とは遠い親戚か。
811805:03/08/22 01:20
この惟宗さんというのが藤原氏にお仕えしていた下級貴族だったのは事実で
島津忠久の父とされる惟宗広言さんやその父の基言さんもそう。
但し、忠久さんの父が広言さんという説には重大な疑問があるそうな。
鎌倉時代には、他の惟宗氏の子孫(薩摩の市来氏)と争論になった際に
この件で喧嘩になっている。
「忠久」さんは「広言」さんや「基言」さんと名前のパターンも異なるので、
惟宗氏の出身ではあるけど広言さんの子孫ではないようだ。。。


>>807
>言う伝承が古くからあったことのですが、
「言う伝承が古くからあったのですが」だな。鬱陀
812805:03/08/22 01:42
忠久さんはその後比企氏の失脚など鎌倉幕府の政変に巻き込まれて
せっかくもらった薩摩・大隅・日向の守護職のうち
結局薩摩の守護職しか保持できなかったんだが、この経緯を見てみると

近衛基通                 島津忠久
1179−1180 高倉天皇関白
1180−1183 安徳天皇摂政
1184−1186 安徳・後鳥羽天皇摂政 1185 伊勢波出御厨・須賀荘地頭
                          島津荘下司職(兼島津荘惣地頭)
                     1186 信濃国塩田荘地頭職
1196−1198 後鳥羽天皇関白    1197 薩摩・大隅国守護
1198−1202 土御門天皇摂政
                     1203 比企氏の乱に縁座し、すべての職を解職
                     1205 薩摩守護職のみ復職
となり、近衛家の摂関在任期間とダブっていることが指摘されておる。
よって、忠久さんは
「近衛家にお仕えして荘園の管理をおこなっていた惟宗さんの一人」
と言うのが実像に近い様子。

上の表、ずれるかも。スマソ
813805:03/08/22 01:56
『島津家文書』には
「件の荘(=島津荘)の下司職については、領家(=近衛家)の下文に任せて、
(惟宗)忠久を持って地頭職と為す」
と言う源頼朝の文書が残っており、島津荘の地頭の任命はかなり特殊だった様子。
忠久さんは頼朝の縁故と言うよりは、島津荘の持ち主・近衛さんの意向で地頭になれたようだ。
よって
>日向・大隈・薩摩と大猟を与えられたものの
>何故僻地に・・・
>実質遠ざけられたということに?
と言う見解がよくあるようだが、これは間違いっす。
以上の経緯から任命されるべくして任命されたというのがただすぃ。

おまけ
ノベール島津製作所とのつながりに関しては島津製作所公式HPに載っている。
それによると世話をしたのは、秀吉が播磨に飛び地1万石を与えたときから。
ちなみに京都にはもう一つ「人形の島津」という会社もあり、こちらの社章も轡十字。

>>809
島津豊久のことに関してなんですが。人によったらあまり重要でもないかも知れぬ(w

もう2時だ、寝るか(苦藁
辺境秦軍団
宗、島津、長曾我部
>>814
偶然ですけど確かに辺境ばっか(w
しかも何故か西日本にかたよってる
816無名武将@お腹せっぷく:03/08/23 18:24
神保もいるだろ
>>816
伊達政宗に虐殺された人?
辺境西日本秦軍団

宗、島津、神保、長曾我部
>>818
しかも越中(富山県)が西ニポーンかどうかっていうのは微妙なのでは。。。
どんどん内容がスレタイから外れていくw
>>820
東日本と西日本の境界線はフォッサマグナだよ。
いーや、三関だ。
>>822
それは関西と関東だよ。
つうか島津氏が惟宗氏の出で惟宗氏が秦氏の出というのは
確かなのかね?
比企氏つながりで頼朝公の血筋というのは真実味があるが
>>824
上のレスのコピペになるけど
>『島津家文書』等に残っている源頼朝からの書状などを見てみると、宛先は「惟宗忠久」となっている。
以上から、島津氏初代の忠久は惟宗氏出身であることは確実かと。
惟宗氏が秦氏後裔であることについては、以下のHPが参考になると思う。
ttp://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/hata.htm

それより、比企氏の系図に丹後局に該当する女性は出てくるのですか?
そちらの方が気になるのだが。。。
>>823
だから、関の東が東国=東日本、西が西国=西日本でしょ。
名古屋出身だが、自分が西日本人だと思ってる名古屋人は皆無だとおもわれ。
三重あたりだと関西弁しゃべってることもあって西日本人意識が強いようだが。
富山は西日本か?でどんどんスレタイと外れまくりなのだがw
その話題は地理板かまちBBSの方がいいネタかも知れないなあ
ただし、今、地理板見てきたけど日本史板より荒れてるように見えるのは
わたいの気のせいでつか?

ちなみにJRでは西日本だね>富山
828無名武将@お腹せっぷく:03/08/24 18:27
島津忠久が惟宗忠久を名乗っているから惟宗氏の出というのは根拠が薄い
頼朝落胤説では忠久は惟宗広言の養子になっているのだから惟宗を名乗ることと
血筋には因果関係はないと言える
>>826
東日本と関東、西日本と関西は別だよ。
東日本と西日本は違う大陸から来たんだ。
ちなみに西国と言うのは山陽道と山陰道を併せた名称。
島津忠久の出自について、こういう解釈もある。
『宮崎県史』の抜粋のようだが、よくまとまっているとおもわれ。
ttp://www.isletwind.com/c-roots/niina/shimaz.html

ついでにぐぐってたらこういうのも見つけたのだが
ttp://hikoshima.com/bbs/heike/100344.html
ある意味で隠し子を産むというのは女の浪漫なのかよw とつっこみまくり