茶臼岳城 ちゃうすだけじょう
(福岡県鞍手郡若宮町山口)
山口八幡宮の東300mにある標高150mの茶臼岳に
宗像大社大宮司 宗像氏が築いた城。
茶臼岳城は鞍手郡内における宗像氏の本城 雁城城の左翼を守る要塞で、
東西32m、南北50mの山頂の本丸を中心に数十段の帯曲輪が構築されてある。
天文11年(1542年)鞍手郡内に侵攻した大友勢の大軍は宗像氏の諸城を、
攻略して雁城城を孤立させんとして、この茶臼岳城に攻めてきた。
城主 森 備中守は城兵300余を配して懸命に防戦に努めたが、
大友勢に南東の尾根から火攻めを受け本丸の殆どを消失し、
城兵の多くが死亡してしまった。
森 備中守は防戦もこれまでと、残った手勢50余で大友勢に斬り込み玉砕した。
城主を討たれた茶臼岳城ほどなくして陥落し廃城となった。
780 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 12:47
石山本願寺跡地に建てられた城
781 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 15:40
引馬城 我が一族の城。徳川家康に責められ、焼失。
その跡地に家康が、浜松城を建てやがった。
782 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/10 16:17
大胡城・・・極めてマイナー
>>782 それは俺も思う。
家康からの無血開城要請を受けて軍門に下っていれば、譜代大名になれたかもしれない。
あぼーん
786 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 21:48
信貴山城
787 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/16 22:20
横浜FC FW城
あぼーん
大里城
伊達政宗が攻め落とせなかった城
山中城
尾園城 おぞのじょう
(福岡県鞍手郡若宮町山口)
山口八幡宮より西方、約300mの丘陵に築かれた筑前の国人領主 尾園氏の居城。
尾園氏は、もともと伊豆の豪族であったが、建久3年(1192年)に時の当主 尾園重秀が、
筑前国鞍手郡の地頭職を拝領し当地に館を構えたとある。
以後、尾園氏は国人として代々続き、館は戦国期に入ると城砦に改修された。
天文11年(1542年)鞍手は豊後の大名 大友氏の侵攻にさらされた。
大友勢は1万3千の大軍で鞍手郡に侵入。尾園氏の立て篭る尾園城には1500の軍勢が攻めよせた。
尾園城主 尾園加賀守は、わずか150名の城兵を率い防戦に務めたが、
大友勢は城の四方から火を放ち、ついに尾園城は落城した。
城兵の殆どは山続きの宗像氏の支城 高丸城に逃れたが、
逃げ遅れた兵達は城を枕に大友勢と戦い全員討ち死にした。
この時の大友勢の戦火により当地で古くから名刹であった
万年寺、秋念寺、緑念寺、平川寺、襟川寺が焼失してしまった。
その後、尾園城は天正16年(1588年)に廃城となったという。
792 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/27 14:57
角牟礼城
793 :
武田騎馬軍団:03/09/11 11:12
人は石垣、人は城
794 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/11 11:22
田丸城
795 :
無名武将@お腹せっぷく:03/09/30 23:02
桜洞城
権現山城
あぼーん
宇骨城
799 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 21:09
直江山城
800 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/11 21:13
田城
青木城
802 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/12 20:13
白骨城
私部城
水原城
805 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/22 17:37
みちる城
旗慕田城 …は良いとして 「四稜郭」(こりゃ砦かな…)
サグラダファミリア
二彰城
809 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/23 22:16
寺尾城
関東地方にいっぱいあります。有名なのは高崎の寺尾城かな。
810 :
無名武将@お腹せっぷく:03/10/24 08:18
椿城。武田信玄の母親の生まれたとこ。
メガネの三城
812 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 14:24
蟹江城
尾張の国
813 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 19:39
久留里城
814 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/03 20:18
しんご山城
815 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/04 22:51
荒子城
816 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/05 01:30
白石城
宮城県白石市(宮城県の南)
伊達家の重臣家、白石家の城。
江戸時代、仙台藩内で仙台城以外で城らしい機能を持ってたのはここだけ。
幕府に規模縮小を再三指導されたがどの代の藩主も突っぱねたり、ごまかしたりしたらしい。
地図で見れば分かるけど、ここは南を迎え撃つ絶好の場所。
伊達家は西暦1600年以降も戦争時における戦略を元に領地経営してた数少ない大名。
他の大名は幕府のお咎めにびびってそんなこととても出来ないからな。
松前城
(゚Д゚≡゚Д゚)既出カナ?
818 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/14 23:19
緒川城
石神城
821 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/15 02:07
城名だけなくて、城についての情報をくわえてくれると
個人的には嬉しい
822 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/15 02:23
竜宮城:浦島太郎が逝った海底キャバクラ
824 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/16 15:55
小金城(下総)
プジョー
熊ヶ城 くまがじょう
(福岡県鞍手郡若宮町犬鳴)
若宮町から福岡市に通じる九州屈指の心霊スポットとして名高い
犬鳴峠の犬鳴山(標高584m)の山腹に築かれた宗像大社大宮司 宗像氏の城。
本丸は山頂にあり、ここからは北は孔大寺山脈や玄界灘を望み、
西は立花山から博多湾、南から東にかけては脇田温泉を眼下に遠く彼方に福智連山、
筑豊平野を望むことができる。
この城は宗像氏の端城として築かれ、鞍手郡内の宗像氏の支城の詰城の役目を担っていた。
天文11年(1542年)の4月、豊後から1万3千の大友氏の大軍が鞍手に押し寄せ、
各地の宗像氏の支城は悉く陥落し、熊ヶ城にも大友氏の部将 大神(おおが)左京亮の率いる
2千5百の軍勢が襲来した。
熊ヶ城は城主 黒瀬越中が手勢3百余を配して迎え撃ち、
攻め上がる大友勢に多大な被害をあたえた。
しかし懸命の防戦にもかかわらず量に勝る大友勢に守りの要である二の丸を落とされ、
さらに本丸に火矢を射かけられて熊ヶ城は炎上し、ついに落城してしまった。
この城が何時廃城となったかは定かでない。
827 :
無名武将@お腹せっぷく:03/11/24 22:21
日本史城(長州)
828 :
無名武将@お腹せっぷく:
来ず方城