>933
遅レスで申し訳ないが、黄皓が権力を持ったのは陳祗の死去後の258年頃から。
正史・後主伝にも記述があるよ。まぁ、258年までは、まがりなりにも陳祗が重しのようになってたわけだ。
それ以後だって、具体的に何か悪事をしたってわけじゃぁない。後漢末からの正統派の官僚からすると、宦官がちょこっと権力持つだけでも激しく反感を持つのが常。
漢中防衛システム解体が蜀漢滅亡の原因になった、ってのはちょっと言葉足らずだった。
姜維の度重なる北伐により、姜維指揮下の野戦軍の減少を補うため、防衛システムを解体し、その結果、漢中の防衛が不可能になり、蜀漢が滅亡につながった、ってのが俺の考え。
漢中を保持せずして、蜀漢は成り立たない、ってのは理解できるでしょ?
剣閣が落ちなきゃ蜀は大丈夫!なんて言う人はいないと思うけど、念のため。
曹操が漢中を落とした後、漢中から南行して巴西方面に進出してる。つまり、漢中から巴西方面を経て成都及び江州方面に抜ける事は可能だった。
もし、鍾会が剣閣から漢中に撤退し、ケ艾が奇襲を行わなかったとしても、巴中方面からの圧力から、そう遠くない時期に蜀漢は崩壊していたと思う。
陳祇こそが蜀の軍事・政治分裂の原因じゃないかと、むかし思ったことがある
>>950,952
自分も魏軍が長安に戻るとは考えませんけど、漢、楽、関が落ちなかったとして彼らは漢中を維持できたでしょうか?
諸葛亮も姜維も、北伐において輸送に苦心しました。
姜維の計画は、あの辺り一体の武器や兵糧を、漢、楽に集め、関城とあわせた三ヶ所を守り
敵が撤退する時に一斉に繰り出し殲滅するというものですよね。
つまり、漢中にも兵糧や装備は無く、敵は漢中まで困難な輸送をしなくてはなりません。
そうなると、敵の漢中の維持は非常に困難なものになると思います。
さすがにこちらが剣閣まで退いてしまうと分かりませんが。
いくら姜維でも漢中の重要さは分かっていたはずですし、奪還できなくなる様な計画にはしないと思います。
黄皓に関しては後主伝に記述がありますね。見落としてました、すみません。
>>950 大澤さんは、諸葛亮が姜維の能力を脚色して宣伝した事の根拠として、
北伐の作戦に用いなかった事を挙げられていますが、これは根拠にならないと思います。
第一次北伐で馬謖を起用し失敗しているのに、実線経験のない人間に重要な作戦が任せられるとは思えません。
たとえ諸葛亮自身が姜維の起用を望んでも、諸将は反対するはずです。
一度馬謖で痛い目に遭ってるわけですから。
無理に起用すれば軍中の不和を招き、それこそ北伐などままならない状態になると思います。
更に姜維が馬謖の様に大敗したりでもすれば、諸葛亮自身の地位さえ危ぶまれるのではないでしょうか?
たとえ諸葛亮が言うように、姜維が「涼州における最高の人物」でも起用は不可能だと思います。
>>955 当時は無理に姜維使う必要ないもんね。魏延とか王平とかいたわけだし。
ただ、側に置いてた節はある。諸葛亮伝の注・漢普春秋にそれを窺わせる記載があった。
やっぱし馬謖の面影を見てたのかな・・・
大澤さんについては、プロなんだから何言われても仕方ないでしょ。
本人も他の作家に噛みついてんだしさ。
おれも好きだけどね。あのひと。
ところで、楽城って落ちてたっけ?
姜維伝には、「鐘会は楽城を攻撃したが、落とすことができないまま、関口が既に落ちたと聞き長駆して進撃した」
とあったんで、落ちたのは漢城だけだと思ったんだが。
954=955
魏軍は漢中を保持出来たと思うよ。
漢・楽、陽安関口に武器・兵糧・兵力を集中した、って言っても、漢中地方の策源地である、南鄭を確保しておけば、そんなに問題はないはず。
曹操が漢中を放棄した時も、陽平関は最後の最後まで保持してたけど、結局、南鄭を奪い返せなかった為、最終的に陽平関を放棄して撤退してる。
つまり、南鄭を確保出来、かつ関中との補給路が維持できれば、諸砦・関はおのずとこちらのモノになる、って事。
蜀漢側は、漢・楽二城他に篭ってる訳だから補給路は確保出来るよね。
漢中地方を確保するには、平野部に敵を入れない、ってのは基本中の基本でしょ。
>いくら姜維でも漢中の重要さは分かっていたはずですし、奪還できなくなる様な計画にはしないと思います。
重要さがわかってたとしたら、奪還せにゃならんような状況に陥る可能性がある計画ってのはマズくないか?
特に敵の方が強大な場合はさ。
蜀漢みたいな弱小国は、一時的にせよ根拠地を荒廃させちゃならん訳だよ。
上手い事、魏軍を追い返せたとしても、漢中地方が荒廃したら、その地方の豪族連中の人心が離れちゃうでしょ?
守ってもらえないとなったら、戦争にならんでも、魏側に付いちゃうんじゃなかな。
まぁ、そこまで行かなくても、次の攻撃があった時は守りきれないだろうけど。
姜維、第一次北伐後に丞相府倉曹掾・奉義将軍になってるな。
倉曹掾てのは、丞相直属の補給担当だから、ずいぶん信頼されてると言うか期待されてんな。
で、しばらくして、中監軍・征西(南)将軍。こりゃ、かなりの高官だな。
諸葛亮の贔屓だけじゃ、任官できないと思うよ。
出来る人物だったのは確かだね。
大澤語録
「三国志を編年体にした通史の存在を、私のような三国志マニアは常に待ちわびていたのだが、
世の三国志の専門家を称する先生方は余程怠惰なのか愚かなのか、一向にそのような本を出す気配を見せぬ」
〜真実の『三国志』〜あとがきにて
>怠惰なのか愚かなのか
言いすぎだねこりゃ・・・
>>958 遊撃隊を繰り出すと言っていますし、補給路も荒すつもりだったのでは?
>重要さがわかってたとしたら、奪還せにゃならんような状況に陥る可能性がある計画ってのはマズくないか?
これは自分も同意します。ですが姜維とて本心を言えば計画変更はしたくなかったと思います。
守るのに適していると自分でも言っているわけですし。
北伐を敢行できるだけの兵力を確保しつつ、攻められた場合に敵を撃退できる計画として変更したんじゃないでしょうか?
兵力を確保しつつ、これまでの計画で防衛したのでは、漢中は守りきれないと思います。北伐をしなければいいと言えばそれまででしょうけど。
結局、以後の北伐にも勝利出来ず、三ヶ所の要衝の固守も出来ず、全てが上手く機能しないまま終わってしまいましたが。
>>倉曹掾てのは、丞相直属の補給担当だから、ずいぶん信頼されてると言うか期待されてんな。
そうですね。諸葛亮も苦心した補給を任されてるわけですからね。
>>957 御察しの通り、楽城は落ちてはいません。ですが陽安関が落ちれば、無視して進軍する事は出来るでしょう。
楽城には五千の兵しかいませんでしたし。
>933=961
現実は諸砦は守備側の2倍程度の軍勢で包囲されてた訳だから、守るのに手一杯で遊撃隊など繰り出す余裕はないでしょ。
しかも、関頭城(陽安関)にいるはずの主力は姜維と共に遥か遠くにいる訳だ。
もし姜維が>北伐を敢行できるだけの兵力を確保しつつ、攻められた場合に敵を撃退できる計画として変更したんじゃないでしょうか
って思ってたとしたら、相当な愚将って事になるぞ。
国を守るには敵を撃退する必要は無く、補給難でも何でも撤退してくれれば良いのだから。
何度も言うようだけど、山川の要害が充分に守備に益してるんだから、わざわざ平野部に敵を招き入れるような計画にすることはないんじゃないか。
俺には、連年の戦争で、激減した遠征兵力の補充の為に漢中防衛部隊を解体したとしか思えない。遠征軍を増やす為、「敵を誘い込んで大勝出来る計画です。」って言い訳してるようにしか感じないんだよね。
実際、上述したけど、集中配備するはずの主力は姜維と共に遥か遠くってわけだし。
>>962 自分の言いたい事が上手く伝わらなかった様ですね。
>>連年の戦争で、激減した遠征兵力の補充の為に漢中防衛部隊を解体したとしか思えない。
自分の言いたい事もこれと同じです。兵力を補充し、諸陣営の守備兵が激減してしまっては、
どっちにしろ漢中の防衛は機能しないと思うわけです。
そのままで守りきれないのなら、誘い込んででも敵を撃破するって事です。
つまり姜維の計画変更は、国家の存続よりも北伐を優先してしまった事に起因するんだと思います。
>>しかも、関頭城(陽安関)にいるはずの主力は姜維と共に遥か遠くにいる訳だ。
遠征軍が漢中にいれば陽安を主力で固められ、漢・楽の兵も増やせたでしょうが、前年の出撃で沓中にいた上、ケ艾の相手をする事になってしまいましたから。
それに、劉禅は黄皓の言を信じ、陽安に兵を向かわせるのに手間取ってしまいましたし。
自分だってあの計画変更は評価していませんよ。兵を増やす口実かも知れません。
ですが、(実際は不可能でしょうが)全てが上手く機能すれば、彼の言う大勝を博せるものでもあったのではないかと。
>963=933
全てが上手く行って、やっと魏軍主力と戦う事が出来る、ってトコかな。
大勝はどうだろ。零ではないけど、ほとんど無いような・・・。
全て上手く行く状況。
・主力が関頭城に駐留してる。
・魏軍は斜谷、駱谷、陳倉道方面からしか侵攻して来ない。
・蜀漢の本国軍がフ辺りに駐屯してる。
・魏軍の補給が万全でない。
・蜀軍の補給は万全。
・・・かなり虫のいい話かもしれないなぁ。やっぱキビシイかもね。
防衛計画解体の時期がはっきりしないが、259年〜261年ってとこか。
あの時期だと、すでに相当国力低下してっから、防衛計画変更しようがしましが、滅亡は免れんかもな。
書き忘れ。
↑な経緯から、やっぱ姜維の北伐は無理があった、って事かね。
段谷で勝ってれば、とか言われるかもしれんけど、あんま「たら、れば」の話もよろしくないので。
>>964 だから不可能と言っているわけです。
結局、計画変更をしなければいけなくなった時点で終わりって事ですね。
いや、もともと勝機なんて無かったんでしょうが。
姜維が有能とはいえ、彼我の戦力、国力差を覆せる程のものではないでしょうし。
967 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/29 18:37
劉禅のバカ
>966=933
ま、蜀漢が魏に勝つ可能性は諸葛亮時代だって10%もないだろうからね。
人材が払底している後期じゃ、もう零に近いってか零以下だろうな。
延命って事だけ考えれば、結構可能だったかもね。
そんでも姜維の北伐が255年くらいまでで止めてればの話になっちゃうけど。
蜀漢滅亡の翌年に司馬昭が死去してるから、そこまで滅亡を免れてれば代替りと禅譲やらで、蜀討伐どころじゃないだろうから。
呉を滅ぼしたのが晋建国から15年後。
晋の重臣連中は、いやに戦争嫌いだったから蜀も無茶な戦争仕掛けなければ、それくらいまで延命出来たかもな。
ま、繰り返すようだけど、姜維が無茶な戦争しなければの話になるけどね。
あー、もう読む気がしねぇ長さと内容だなーー、ヲイ!w
>>968 255年の王経を包囲した時が、分かれ目でしょうかね。
陳泰がケ艾らの言を容れ、救援に赴かず様子を見ていれば狄道城も落ちていただろうし。
王経も「来てくれなかったら一州を喪失していた」と語っていますから。
結局、陳泰は急いで救援し包囲を解きましたし、
その後、引き返してくるのをケ艾に読まれ、更に段谷で撃破され大敗を喫してしまいましたが。
そういえば、蒋琬存命中は姜維はどれぐらいの兵を動かせたんでしょうか?
費イの時代は1万程度でしたが。
>代替り
はともかく蜀を滅ぼさなければ禅譲はない気がする。
>969、申し訳ない。
>970=933
狄道城の時の王経の慨嘆は大げさだと思うよ。一州はともかく、隴西諸郡は一時的に獲得できたかもしれないけどね。
まぁ、そこまで被害が拡大するまで陳泰やケ艾がほっておくとも思えないけど。
>そういえば、蒋琬存命中は姜維はどれぐらいの兵を動かせたんでしょうか?
ん〜、明確な記録が無いからねぇ。
諸葛亮の死去直後に馬岱が陳倉に出てきた時は3000人程だった様だけど。
まぁ、多くても1万人ってトコじゃないかな。
>971
代替りが禅譲のチャンスな訳よ。人心一新って事で。蜀を滅ぼせりゃ、良い口実の一つにはなるけどね。
後漢から魏の時も、別にどっか滅ぼした訳じゃないでしょ。呉が名目上、服従はしてるけども。
蜀呉が存続中に八王&永嘉の乱に突入すりゃあ面白かったのに。
いや、そんなの有り得ないし と釣られてみる
>>972 あれが大げさだってのは分かりますよ。
ただ、ケ艾でも姜維相手に判断を間違った事はあるって事を示したかったんですよ。
それでも結局防がれてしまう所に、魏の人材の厚さが窺えます。
やはり、看破されない作戦なんてのは、敵の司令官が愚かでない限り無理でしょう。
当時の対蜀の軍にいた将全てを欺くなど出来るとは思えませんから。
兵は、やはり1万程度なんですかね?蒋琬存命中も。
>>960 どうしてここまで攻撃的になるのか・・・
そういや、著書の中でも「先生方」に対してチクチクやってたなぁ。
なにか怨みでもあるのかな?
ぶっちゃけ、蜀軍率いるのが姜維でなくてケ艾だったら北伐は成功してたかね?
俺的にはケ艾でもたぶん無理だと思うんだけど。
>>976 >
>>960 >
> どうしてここまで攻撃的になるのか・・・
> そういや、著書の中でも「先生方」に対してチクチクやってたなぁ。
> なにか怨みでもあるのかな?
嫉妬だろ。売れない作家にありがちな
>975=933
姜維伝くらいにしか、蒋琬存命中の姜維の対外軍事行動ってあまり記述が無いんだよ。
と言う事は、そんなに大規模な軍事行動では無かったと言う事じゃないかな。
ただ、費イの時が1万。蒋琬は費イより外征に積極的だったから、もう少し多かったかもね。
でも、後に姜維が軍権を専らにした時でも5万だったから、2万には遥かに届かない兵力だったと思うよ。
まぁ、1万〜1.5万未満ってとこじゃない?
蜀漢にとって、1万人出兵だって、全兵力の1割だからね、ただ事じゃないよ。
蒋エンって魏書に名前さえ出てこねーが
981 :
無名武将@お腹せっぷく:03/08/30 12:48
罪人に大赦を出してそれを兵力に組み入れたのは姜維の発想だろうな。
滅亡時の蜀の人口構成は
人口90万で兵士10万、だっけ?
日本に当てはめると
人口1億3千万で、兵士1500万か。凄いなw
んで、1万で北伐、3千の損害とると
150万で半島に出兵、50万人死亡ってか。
こりゃあ滅ぶ罠。
まぁ無理で無駄な戦いと言えばそれまでだな。
頑張って戦争したおかげで姜維君は演義でいい役貰えた訳だが・・・
>>979 確かに1万人でも全兵力の1割ですからね。
やはり姜維では、と言うより誰がやっても無理な状況だったんでしょうね。既に。
977氏が言うようにケ艾でも、曹操にだって無理でしょう。
そんな無謀でしかない北伐を行い続けた彼の不屈の精神には、敬服せざるを得ません。
自分が、西洋的な合理主義を嫌う様な人間だからかもしれませんが。
ケ艾でも無理だっただろうが、姜維よりはマシな戦い方が出来ただろう。
いや姜維は簡単に負けすぎ。
どっちにしろ無理ってことだよね。国力差23:2だっけ?1/11.5かぁ・・・
トウ艾VS陳泰ならどっちが勝つと思うね?
ケ艾と陳泰、微妙ですね。
ですが、陳泰はケ艾と違って直接戦っての勝利は無い様に思えますし、
敵の行動を予測し的確な判断を下すという点で見ても、陳泰>ケ艾とも出来ません。
逆にケ艾>陳泰とも出来ませんが。
やはりケ艾有利でしょうかね?両軍の条件が同じならば。
トウ艾って荊州出身だし蜀に仕えて可能性も無いわけではないよなぁ。
おい、次スレ候補がdat落ちしちまったぞ!
誰か次スレ立ててくれ〜
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