おまえら上杉景虎って何者なんですか?

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1無名武将@お腹せっぷく
上杉謙信養子。
御館の乱で死亡。
22:02/12/04 21:20
2です
3:02/12/04 21:21
ポケモン
44:02/12/04 21:22
4デス
5無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:23
名前がカコイイ
6無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:25
北条氏秀ではない
7無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:26
>>6

じゃ誰?
8無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:27
正直、イランカッタ
9無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:28
多分、上杉憲政の縁者か何かでしょ?
10無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:30
死んだ双子の弟の代わりに甲子園を目指した人
11無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:33
上杉謙信だろ?
>>10
いや、死んだ方だ
13無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:36
>>7
北条三郎
>>12
死んだ方がかっちゃんだっけ?
15無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:36
景勝は無口で、景虎は口八丁手八丁だったらしい
16無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:49
むしろ景勝のほうに興味があるんだが。
秀吉への臣従、小田原攻め、佐渡平定、そして関が原の当て馬に
使われ大減封。軍神謙信以上に波乱の生涯を送ったように思える。
17無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:50
改名まえの上杉謙信。
上杉謙信の養子。
18無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 21:53
>>16
ttp://www.m-network.com/sengoku/uesugi/serious00.html
景勝なら個々とか詳しいぞ
さりげなくファソも多いし
景勝ごときに負けた雑魚武将。
20無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 22:46
不器量で無愛想な景勝とは逆の色白の美青年
謙信のお気に入り
21無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:05
景勝も謙信の小姓だったのか?
22無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:31
>>21
謙信の甥。
景虎も小姓じゃないよ、北条氏政の弟。
23無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:39
家督は景勝に継がせてたでしょう。
24無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:50
>>22

書き方悪かった。小姓(衆道)の相手だったのかということ。
25無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:53
以外に思うかも知れないが、もともとは景虎が継ぐ可能性
が高かったといえる。20のレスにもある通り、景虎は謙信
のお気に入り。自分のかつての名を与え、自分の姪を娶らせ
春日山城の二の丸屋敷に住まわせていた。

一方景勝は越相同盟が破棄された後の養子。同盟破棄後も
影虎は変わらぬ待遇で上杉家で暮らしていた。謙信自身は
急死だったため、どちらを後継にするか言い残せなかった
と思われる。
26無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:55
>>25
揚げ足取るようだが、「意外」な。

謙信ほどの人物が二人のどちらのほうが優秀か見ぬけないわけもないと思うのだが。。。
27無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:56
>>24
違うんじゃないかな。影虎も影勝も。
そういう相手を養子にするもんなのかね?
28無名武将@お腹せっぷく:02/12/04 23:59
>>26
ご指摘サンクス。
これも意外に思うかも知れないけど、影虎はなかなかの
人物だったみたいだよ。
前関東管領の憲政も景虎派だったね。
30無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:03
>>27

なるほどね。。でも相手が、かの「化身」だからやりかねないといってみる。


>>26

血縁的には景勝って気もするよなぁ。
31無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:12
>>30
血縁的には景勝だよね。
ただ背後にあるものは圧倒的に景虎のほうが大きい。
32無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:15
姉の子とはいえ謙信が謀殺したという宿敵長尾政景の子でもあるからねえ
そもそも御館の乱勃発時、景虎は大人しく謙信の喪に服していた。
一方景勝はいきなり実力行使に出、春日山城を占拠。
これは状況証拠として、家督争いに不利だったからこそ景勝が
先に強硬手段に打って出たものではないか?
春日山城に貯めてあった金銀でかなり兵を集め得たが、
それでも当初は景虎方の方が有利だったんだしな
33無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:27
そうそう、なんか景勝のクーデターってかんじなんだよな。
34無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:32
景虎ってなんか不思議な人なんだよね。

謙信は何故、仇敵北条家から養子をもらったのか。
人質と解する人が多いようだけど、影虎のうけた待遇からは
とても人質とは思えない。むしろそのまま上杉家を継がせて
しまいそうな様子。

それに上杉憲政が、北条家出身の景虎を支持してたのも謎だ。
35無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:35
逆に景虎が上杉継いでたらどうなってたかな?
(直江も景勝と一蓮托生で逝ったとして)
36無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:37
御館の乱のとき直江山城ってどっちに加担したの?
37無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:38
>>35
新甲越相同盟VS織田の総力戦?
38無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:39
3人目の養子上条政繁は御館ではどっちついたの?
39無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:39
>>36
冗談かもしれないけど、景勝です。
40無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:39
>>35
兼続は最初から景勝派だったのか?
41無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:41
>>40
景勝のかーちゃんの目に止まってとりたてられたようなもんだし、そうじゃない?
42無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:42
上条政繁の実の父親っ誰だったっけ?能登畠山までは思い出せるのに
この人の兄弟は能登畠山で当主になったりしてるの?
43無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 00:49
>>42
上条政繁の父は畠山義続、兄が義綱。
政繁自身は関ヶ原後に景勝と対立、出奔して家康に仕え、
畠山姓に戻した
44無名武将@お腹せっぷく:02/12/05 19:01
>>43

家康ってホント、名族好きだよな。旗本で存続かぁ。
45無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 13:17
>>44
でもまあ、そのおかげで、今でも名門信仰が続くわけだし。
とはいえ、今川まで残すんだからすごいよな。京急利用者は氏真馬鹿にできないよな。
46無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 15:49
いずれは
景勝→越後守護
景虎→関東管領
としたかったのではないのかナー
と、憶測でものを言ってみるテスト
47無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 15:53
憶測も根拠がなければタダの妄想w
謙信は本当に世継ぎ決めてなかったのかな。
本当は景虎に決まっていてそれを良しとしない景勝が
謙信死後に謀反を起こして家督を乗っ取って
証拠を隠滅しちゃったのではないのかを妄想してみる。
49無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 20:20
>48
影虎に決めていたなら、
何故影勝を後から養子にするんだろう?
50無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 20:30
弾正少弼
51無名武将@お腹せっぷく:02/12/06 20:33
>>40
御館の乱のときはまだ直江信綱(景綱養子)が生きてたから
兼続は直江氏ですらない。
むしろ乱における功で直江氏を継がされたのかも。

>>45
氏真は豊臣時代に家康から生活費をもらって
京で歌道三昧の生活をしていたんだが、
そのころに公家と家康の顔繋ぎ役をしていたらしいとか。
息子が取り立てられたのはそのへんの行賞だったのでは、と漏れは妄想してる。

>京急利用者は氏真馬鹿にできないよな。
なんで?
52無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 01:14
>>47
上杉家軍役帳では景勝は御城中様として、家中で筆頭の軍役を
課されてれている。それに対し景虎には軍役が課せられていない。
ここから謙信は景虎を正当な一族と見てなかったとか、逆に別格
扱いだったとか推測がわかれくる。そして>>46のような推測も
研究者によってなされてる。

何故景虎は景勝に攻められた時、前管領である憲政の住む御館に
移って戦ったのか。憲政は何故受け入れたのか。既に景虎の関東
管領就任は内定済みだったのではないか?
また憲政は最後には景勝のもとに和解の使者として赴き、景勝に
切り殺されている。これは非常に重大なことだ。謙信が保護した
前管領を、和解のために訪れたにも関わらず殺している!
これは憲政が(おそらくは謙信との同意事項である)景虎の管領就任
と、御館の乱における景勝の非を主張したとしたなら理解できる。
53無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 01:25
景勝が養子になった時期は資料によって違う。
5歳の時っていうのが最も早く、ついで10歳という説もある。
父、長尾政景の水死により、謙信に引き取られたのが10歳という
もっともらしい話だが、どうもあやしい。実際は父、兄の死に
より10歳で上田長尾氏を継いでいたというのが正しいのではないだろうか。
養子として引き取られていたなら、その時点で上杉を名のって
春日山に居るのが普通だが、実際はそうではない。上杉景勝を
名乗ったのも、春日山城にやってきたのも越相同盟の破綻後の事。
それまでは「長尾顕景」として上田城にいたのが事実のようだ。
54無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 01:46
景勝の実父、長尾政景には古くから謙信による謀殺説がある。
父を殺された景勝が、逆に謙信を謀殺したという噂もあったとか。
>>54

謙信による政景暗殺を論拠とするとという前提でなら、
景勝自体を公然と嗣子扱いする訳はないね。
実際に当時もその手の、事実に照らしたウワサの類はあっただろうし、
まして>>53の言うように一門を継がせることもできないだろうな。
おそらく津田信澄のような境遇だったんではないだろうか。
ならば謙信を狙う機会なんて果たして与えられたと思うか?
56無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:01
景虎の人物像はどうなんすか?
景勝よりも優れていたとでも?
>>54
なにが言いたいかよう分からん。
58無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:03
>>52
「上杉家家中名字尽」って知ってる?
ついでに上杉家軍役帳は上杉家の家臣全員が書いてない史料だから
それを基準に考えるのもどうかと
59無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:05
>>54は放置。謀殺説も噂もない。
60無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:11
仙洞院の謀略じゃないの?彼女が看取ったんでしょ?
自分の息子に家督継がせようとしたんじゃねーの。
で、景勝と直江含む上田衆のクーデターってのが一番自然な気がする。
61無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:14
>>56
景虎個人の人物像は詳しくは分からないな。
でも御館の乱での景勝は見事。景勝の方が上でしょ。
>>56

あくまでも「謙信による政景暗殺を論拠とするという前提なら」です。
これなら当然、景勝なんて表舞台に立つことなんてできっこないでしょう?
>>55のレスは、>>59の言うことを説明したまでで、なにも景虎の方が優れていたという説明ではないです。
ここまでが前置きです。

景虎の人物像については追って調べてみます。
63無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:23
反論封じ。
・〜のような推測も研究者によってなされてる
・〜説がある
・〜噂もある
・〜だと思う

具体的な説明はなし。
64無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:23
仮に景虎がどんなに優れていたとしても評価は変わらないだろうね。
彼は戦の指揮とか政治に関してとかの記録なんて無いでしょ?
信忠みたくそれなりの戦績とかあれば評価も変わって来るでしょうに。
65無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:33
後世の評価とは結果だからね
66無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:34
結果残す前に死んだのでしょ?
67無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:38
人物像についてはどうかわからんけど


当時から評判のかなり見目麗しい、美形だったらしいですな。
いやマジで。


北条としてもたまたま、話の流れ上つい養子に出してしまったけど、
かなり期待の一族だったそうで。
68無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:38
景虎個人のエピソードとしては、美形だったとか、弓が得意だったとか
一時期荒れてたとか。
69無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:42
>>58
「上杉家家中名字尽」では景勝、景虎はどのように書かれてるの?
70無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:45
>>63
なにも書けなくなるな。
71無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 02:55
>>69
研究者関係や学説に詳しい>>52が事細かに説明してくれるはずなので待ちましょう
つーか、わざわざ名前だすくらいだから「上杉家家中名字尽」には
>>52の内容を否定することが書いてあるんだろ。
73無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 03:50
知ってるならわかるはずだけどなー
74無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 03:56
研究本とか学説には確実に記載されてる史料なんだが>「上杉家家中名字尽」
52は何にも言わないのが不思議
何故なんだろうか?
普通に考えて・・・・・・・・・・寝たんでないの?
7652:02/12/07 09:47
>>73,74
52のレスの前半は、比較的よく聞く話だと思うが。
こういう説もあるよって言っただけで、何故こんなにからまれるのか?
後半は状況から自分なりに推測しただけだし。三戦板じゃ板違いなのか?

上杉家家中名字尽は、上杉家軍役帳より後につくられた名簿ということ
以外は詳しく知らない。そこに52の内容と違う事がかいてあるなら、その
内容をかいてくれればいいじゃん。あんたの主張のメインは自分の方が
上杉家について詳しいって言いたいだけだろ。競うつもりはないから
どんどん知識を披露してくれ。
77無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 10:39
少なくとも本能寺の変が起こらなかったら、景勝は上杉家を滅ぼした不出来の後継者として
歴史に名を残していたろうな。武田勝頼よりも評判悪かったかもね。織田軍そっちのけで
内戦して疲弊させちゃった暗愚として
>>76
ケチつけたいだけのヤシはどこにでもいるもんだ、まあ気にすんな。

顕景が景勝と名乗ったのは1575年。景虎の方を優遇しているように見えるのは、
景虎の方が3歳年長だからというのはこの時代には無意味な推定か?

あるいは景勝は上田衆だから、そうすると景虎には栖吉の上杉景信がつく。
家中のバランスという点で考えれば、謙信が景虎を優遇しても不思議はない。
79無名武将@お腹せっぷく:02/12/07 19:38
ケチじゃねーよ
自分の妄想を、さも理論的であるかのように
研究者によってなされてるだとか、よく聞く話だとか言い出して説得力持たせようとするからだよ
研究者とか、そんなの持ち出す前にきちんと自分の言葉で説得力持たせろ

第一、よく聞く話って誰から聞いた?何を読んだ?研究者って何の研究本だ?
研究本でも、群像レベルでも確実に上杉家家中名字尽の話題は出てくるぞ
研究者とか持ち出すなら、それぐらい知っとけ低脳
>>76

>競うつもりはないから
>どんどん知識を披露してくれ。
ここ大いに賛成です。

推論でも何でも、ある程度の論拠は必要でしょうね。
別にここで研究やってるワケじゃないから、
アトは色々と披露して話が出来れば良いと思うんですケド。
研究みたいのは日本史板でやればいいと思う。
結構好き勝手にもの言い合っても許される趣味板でしょ、ここは。
あ。もちろん嘘八百並べろとかそんなんじゃないです。
83無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 00:02
妄想を好き勝手言うのは構わん
都合のいい時だけ中途半端な知ったかぶりして研究とか持ち出すなって言ってんの
84無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 00:16
まじでイタイ奴がいるな!
( ´_ゝ`)必死だな
・ハロー効果
仕事などで同程度の成果をあげても
ルックスが良い方が評価されやすい。

これはある心理学の法則らしいけど、
景虎にも同じ事があてはまるのかも知れん。
俺も同じくらい仕事が出来る部下が二人いたら、
可愛い方を可愛がると思うもんw
まあ俺と謙信を同じレベルで見るのは
間違ってると思うが。
でも謙信の場合も、
二人とも実の息子ではない訳で。

俺的にはいろんな知識を吸収したいから、
どんな事でも喋って欲しいな。
しょせん歴史なんて断定できないんだから、
こんな説もあるよー、とか、
俺はこう思うよー、とかでいいと思うなぁ。
そだね。
ところで、景虎が美形だったってのは何に書かれてたりするんだろう。
結局死んでしまったわけで、当り障りのない風評だけ残ってるとか。。
(敗れたわけだし)
まあ北条家の御曹司だからそれなりとは思うけど。
88無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 20:54
>>87
つーか後世悪人と言われている人は妊婦の腹裂き話が多いのと同じ理屈じゃない?
時の権力者が適当に作った話っぽいじゃん。
89無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 21:54
>>88
当時から有名だったらしいよ。関八州古戦録には
「その容色は坂東に隠れなき無双のもので、その
ころの農家の杵つき唄にまでうたわれていた。」
とあるから信用してもいいんじゃないかな。

容色無双なのだ。
つまり謙信に毎晩ハァハァされてたってことか。
父子相姦(;´Д`)ハァハァ
92無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 22:54
>>89
まず関八州古戦録が信用できないという可能性は考えなかったのかと。
93無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 23:04
ちなみに直江兼続も上杉景勝の若い時からの男色相手だったという説が濃厚。
兼続にも景虎同様、色白の美少年だっという事が強調された記述がある。

もっとも上杉関係のサイトなどではボカした書かれ方しているけどね。「ご学友」だったとか。
94無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 23:06
景虎は「絶世の美少年」で謙信のお気に入りだったそうな。
この可愛がられようはやはり普通の関係た¢ったとも思えない。
95無名武将@お腹せっぷく:02/12/08 23:09
>>90
謙信が男色好きなのは確かだけど、
ただ、そのせいで禅の師僧とか身近な男性がだれでも構わず男色相手にされいるのは哀れ。
>>92
考えてるよ。
関八州古戦録は江戸時代に成立した軍記物だから
一級の資料にはならない。でも景虎の容貌について
他になにか資料あるの?景虎は不細工って書いてる
資料があるなら書くのも慎重になるけどさ。
97無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 15:41
>>9

超遅レスすまん。上杉憲政の縁者というと、山内一門ということだろうか。

ちなみに道満丸の母は殺される助命できなかったのかな。
>>97

×道満丸の母は殺される助命できなかったのかな。
○道満丸の母は助命できなかったのかな。

訂正します。
99無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 15:50
景虎って春日山城二の丸貰ってなかったっけ?
謙信が本丸、景勝が三の丸でさ。
やっぱ家督は景虎にする予定だったのでは?>謙信
まあ、アレだ。
炎のミラージュでも読んどけってことだ。
炎の蜃気楼という小説を読め。
そしてココに来てください。
http://www3.to/shin-musou2
>>100>>101
いや、あれはやめた方がいいかと。
103無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 17:04
父(氏康)から景虎への手紙。
ttp://rekiju.hp.infoseek.co.jp/tegami/ujiyasu.htm

一時期酒に溺れてたらしい
104ta:02/12/09 18:37
勝頼は景虎支持に回っていれば、北条・上杉・武田の
大帝国ですぅ。でも勝頼はつかいっぱーにされるのかな
105無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 18:58
>>99
とはいえ御館の乱では景勝が先に本丸を占拠して二の丸の景虎に
鉄砲撃ちかける始末だったからなあ・・・
スタートダッシュの遅れというか、やはり参謀の問題かねえ。

謙信がどちらに家督を譲るつもりだったかということになると、やはり
上杉家と北条家の関係をどうしたいと考えていたかということに
なるよね。
景勝なら取りあえず長尾家の血は繋がってるわけでもあるし。
106無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 19:02
>>104
勝頼は最初は景虎を応援して越後に大軍率いて入っているんだが、
春日山はデカイし北条家の援軍は来ないし家康信長の動向は気になるしで
景勝と和解して、景勝と景虎との和睦を仲介して帰った。
まあすぐに和睦が破綻して、最終的に景勝が勝ったわけだけど。
107無名武将@お腹せっぷく:02/12/09 19:44
成り上がってから4代目ともなると坊ちゃん坊ちゃんしたところが出てくるんじゃないの?
氏政兄と一緒で
未だ戦国と考えるなら汚さが足りなかったと言うことか<景虎
>>105
これって、このまま何も無ければ景虎が家督を継ぐって言う空気が
上杉家中に漂っていたってことなのかな。
自分が継げそうならば武力行使するはずもないし。

>>107
景虎って人質生活が長いからそんな事はないんじゃないの?
しかも上杉時代なんて実家と戦争中なのだから世渡りがうまくないと生きていけないような。
短いレスの中なので詳細不明な点はご勘弁をm(__)m(参考までに)

【上杉家】(山内一族)※越後関係のみ抜粋
・山内家(関東管領)上杉憲政→上杉輝虎(謙信)→?(不明=このレスの議論されるとこ)
・越後家(越後守護)上杉定実→(断絶)→景勝(とも言われる?)
・上条家(越後分家)上条定憲→頼房…(一時断絶?)→(能登畠山)政繁
・山浦家(越後分家)山浦頼方→頼藤…(断絶?)→(村上国清)
・山本寺家(越後分家)山本寺朝定→?→定長→定種

【長尾家】(越後長尾氏のみ)※守護代家は時代によって変わります
・蒲原家(越後守護代I)新左衛門尉…零落…(上田長尾家へ)
・古志家(中郡=豊前守)景春…(四代略)…房景→(守護代家)平三景虎→(古志一族)十郎景信→河田長親(←豊前守の名乗りによる憑拠)
・三条家(越後守護代II)高景→邦景→実景(断絶)
・府中家(越後守護代III=高景の末より)頼景…(2代略)…為景→晴景→景虎(謙信)
・上田家(管領家家臣≠越後守護家臣)孝景→房長→義景(断絶)…顕景(景勝)

ここからは推測となりますが(w
【山内上杉家】五郎憲政→平三輝虎(入道謙信)→三郎景虎
【越後上杉家】(十郎景信?)→上杉(喜平次)弾正少弼景勝
【長尾越後守護代家】不明(=必要なきにより断絶か?)
【古志長尾氏】長尾十郎景信→河田豊前守長親

※その他の家は割愛いたします。m(__)m
>>109
乙です。

お聞きしたいのですが、
【古志長尾氏】長尾十郎景信→河田豊前守長親
これって何故?
>>109
【補則】
※「三条長尾家」五十公野(勘五郎)信宗が、「三条道如斎」を名乗るのは
  三条長尾家の跡目を継いだ可能性もあります。

【訂正】
×上田家(管領家家臣≠越後守護家臣)孝景→房長→義景(断絶)…顕景(景勝)
○上田家(管領家家臣≠越後守護家臣)孝景→房長→政景→義景(断絶)…顕景(景勝)
>>111
五十公野を名乗る前に三条の地を与えられたからじゃないのかな?
三条長尾家まで継いだ可能性もあるかもしれないけど。。
>>110さん
>>109にも書きましたが「豊前守」の名乗りを与えたことによる憑拠です。
景勝(=上田衆)よりの資料ですが『上杉家御年譜I』には

(謙信が河田長親に)「長尾」の名乗りを与えるも固辞し、官名のみ受ける…(←ぶっちゃけ現代意訳ですが)

…との表記もあります。

1.謙信が河田長親に与えようとした「長尾」は「古志長尾」と思われます。
2.「豊前守」は、代々古志長尾家当主の名乗りである。(もちろん例外はあります)
 ※同名諸氏が多数あるので、官名を含めた名乗りとして(跡目を)与えたと思われます。
3.河田一族は…近江出身ですが、越後(における名門と思われる)諸氏を跡目相続している。
 ※同じ境遇として語れる吉江氏も謙信個人による抜擢(と思われる)により(揚北)中条越前守家を相続。

異論&反論もあるでしょうが、このあたりで勘弁して下さい。

※上杉御年譜などの資料は高価ですが一般の書店でも手に入りますので宜しくお願いします。
>>113【補則】

やばいな…酒が回ってるかも。

長尾諸氏(守護代家=謙信の実家を含む)を断絶したかも知れないのに(←上記の説では)
【古志長尾家】を(他家からの養子とはいえ)跡目相続させようとした意味は…。

1.謙信の母=虎御前の実家と思われる。(肥前守の娘などとも云われ他説ありますが)
 ※兄:晴景との年齢差(18〜28)&晴景の上田よりの姿勢により…異母兄弟(=上田vs古志)だと思われますが…。
2.一時期、古志長尾家を謙信(=平三景虎)自体が継いだと思われる。
 ※栃尾入城及び、近隣平定による憑拠。
3.栃尾以来の家来(=本庄実乃など)が有力な位置を占めていたと思われる。
 ※逆に、宿老を退ける意味でも新規抜擢(=有力諸氏への跡目相続)が有意義と思われる。

以上です。おやすみなさい。あはは。
>>109
乙カレー。河田長親をそこまで優遇してたとは初耳。古志長尾だから一門衆筆頭の
景信の後釜か。それでも長親は御館の乱では景勝に付くんだよな。古志−上田の
対立を考えれば不思議だけど、形だけ継いだから関係なかったのだろうか。

ところで琵琶島弥七郎も一門衆だがこれはどうなるのだろう?
こいつも一門衆のくせに謎の人物。


116115:02/12/10 04:57
長尾氏の家系図をまとめてみました。誤りがあればよろしく。

景恒┳新左衛門尉━━房長━政景┳義景
   ┃ (蒲原)     (上田)    ┣━女
   ┃                  ┃  ‖━道満丸
   ┃                  ┃ 上杉景虎(北条氏康七男)
   ┃                  ┣顕景(景勝)★
   ┃                  ┗女
   ┃                   ‖
   ┃                  上条政繁(畠山義則次子)
   ┃
   ┣景春━宗景━四郎左衛門尉━孝景━房景━※━景信…河田長親?
   ┃(古志)
   ┣某
   ┗高景━┳邦景━実景……五十公野信宗(三条道如斎)?
    (三条) ┣某    ┗景文━貞景━景長
         ┃      (足利長尾家)
         ┃
         ┗房景┳某━顕景━清景
              ┗頼景━重景━能景━為景┳晴景
               (府中)          ‖ ┣仙桃院(上田・政景室)
                             ‖ ┗景虎(謙信)…景勝★
                       顕吉━虎御前
                       (古志)

古志の※=景虎?
【枇杷島弥七郎】
生没年不詳 天正元年頃から文書に現れる。
井上悦夫氏によって『長尾景通』と比定されております。(『謙信と信玄』至文堂より)

『枇杷島』の名乗りの起こりと思われる枇杷島城は、
上条上杉家の家臣=宇佐美氏(伊豆出身)の居城とされております。

永禄2年の『御太刀之次第』に記される「びわ嶋殿」は宇佐美駿河守定満と思われますが、
一方『越佐資料』では「枇杷島弥七郎」と比定されております。

天正3年の『上杉家軍役帳』では「弥七郎殿」と記されておりますが
これが所謂「枇杷島弥七郎」です。
そして井上悦夫氏によって「長尾景通」とされています。
(未読なため、その憑拠の理由は分かりません。悪しからず)

ただし…「弥七郎」の名乗りは‘永正の乱‘で活躍した宇佐美房忠(=定満の父?)の
幼名と同じであり、「枇杷島弥七郎」は宇佐美定満の血縁者である可能性はあります。

独自の見解ですが…。
「枇杷島弥七郎」は宇佐美定満の血縁者。
もしくは長尾一門から宇佐美家の跡目を襲ったものと思われます。
景勝(勝利者側)の歴史によって、その名残は消えたと思われます。

長文スマソm(__)mタテ読みなし。
乙彼さまです。

ところで景虎って北条三郎のことだよね?
彼についてはやはり、わからないことが多いのかな。
>>117
サンクス。長尾景通説ですか… あ、井上鋭夫ですよね、「上杉謙信」の。

宇佐美定満の血縁者ですけど、手元にある資料では、長子・左太郎定勝、次子・民部勝行
とありました。出典は「上杉將士書上」だと思うのですが、走り書きなので詳細不明、スマソ。

個人的見解では長尾一門から宇佐美家の跡目を襲ったのだと思います。
それが、江戸時代に入って完全に絶えていたのを見付けた宇佐美定祐が自分を引っかけて
越後流軍学者として売り込んだ、もしくは上杉家の誰かが宇佐美の名を使うように
入れ知恵したのではないか、と。
ところで上杉二五神将の一、
宇佐美定行って何者ですか?
こんばんは…。
宇佐美定行は講談(物語)での登場人物です。
モデルは宇佐美定満。
両者の相違は…水戸黄門(漫遊記)と徳川光圀。遠山の金さんと遠山左衛門尉景元との相違と一緒ですね。
(似た様な例で…真田幸村と真田信繁も挙げられます)

一人で答えてしまって良いものかどうか分からずに傍観してました。
ひょっとして板違いな書き込みなのだろうか?
>>121
勉強になりますので、ありがたいです。
>>122さん
レスありがとうです。勇気づけられました。
今日は寝てしまいますが、また書き込みさせて頂きます。m(__)m

【補則】>>113
今日…「上杉家御年譜I」を見直しました。多少勘違いしてたようです。
例の記述は…。

永禄2年秋9月7日(以下、抜粋)
旅館を出て日吉山王権現に御社参あり(中略)河田九郎左衛門と云う者の男にて名は岩鶴丸(中略)
後豊前守長親と改め 古志城を賜りて数多の諸士を付らる(後略)

>>113の憑拠は以上の文面からのものです。
1.古志長尾家代々の官途「豊前守」を与えられる。
2.古志城を与えられ、古志衆を配下とする。

これによる見解です。
御年譜や歴代土案などの資料を読み直せば、それ以外にも憑拠となる記述があると思いますが…
自分がまとめてあるノートからは以上です。悪しからず。
上杉将士書上とか上杉家御年譜なんて信憑性ないけどな
125115:02/12/14 17:01
>>121の補足です
宇佐美定行は「北越軍記」に登場する謙信の軍師とされる人物です。「甲陽軍鑑」
の山本勘助に対抗して、定満をモデルに作られたのではないでしょうか。
「河中島五箇度合戦記」など、「北越軍記」と同時期に作られたと思われる軍記物は
定行、もしくは良勝になっています。ちなみに「常山紀談」「名将言行録」「日本外史」
「関八州古戦録」も定行と記載されています。

宇佐美氏は守護上杉氏の家臣で、>>117の房忠は天文の大乱で長尾為景と戦い戦死、
定満の良質資料での活動はほとんど伝わっていません。だから使われたと思ったので>>119説。


>>123
補足サンクス。古志城というのは栖吉城になるのでしょうか?
御館の乱後はそれまでの各長尾家が消滅し、上田出身の景勝に一本化された、というより
長尾家を立てる必要が無くなったという状況なのでしょうかね。


ついでに>>124の言うように、資料の信憑性には?という点があるが(北越軍記なんてなおさら)、
上杉関係は他に良質資料も少ない… まあ、承知の上での話だ。が、どうせなら、
信憑性無しでひとくくりにするよりは、どこがダメなのか指摘してくれるのが有り難いんだがな。
「上杉将士書上」も宇佐美定行になってるぞ
どこが駄目とか指摘しなくても、普通に読めば信憑性が殆どない事がわかるはずだが
つか上杉将士書上って内容は軍記物なんだが

上杉将士書上の
定行は長尾政景を殺して自分も死んだ記述とか、本庄繁長の川中島の記述とか、
鬼小島弥太郎やら読んだ?北越軍記と内容かわらんよ
つか、上杉将士書上は清野助次郎、河中島五箇度合戦記は井上隼人正の著とされてるが
明らかに北越軍記の記述をそのまんま記載してるし、宇佐美定佑が携わった形跡が見られるんだが
それを北越軍記は尚更と言いつつ、上杉将士書上を持ち出すのは、内容を知らないとしか思えない
指摘する以前の話だな
資料について、かなり大雑把ですがマトメました…。
【越佐資料】
 上杉家関係では良質なものと思われます(当方、未読なため詳細できません.。悪しからず)
【上杉家御年譜I】
 米沢温故会編纂(原書房より13,000円)[ISBN4-562-01980-8]
 いわゆる‘上杉家‘による正当な歴史書でありますが、かなり景勝との事跡と重なる点などが
 信憑性を疑わせます。(例えば…輝虎(謙信)が「従四位下少将に叙任」など)
 ただし…この資料ならではの発見もあります。
【歴代古案】
 上杉家関係の書物(手紙)を纏めています。
 年代などの鑑定で不確かな面もありますが、東大編纂の上杉家文書が廃版である現在、一番親しむべき良書だと思われます。
 ちなみに1冊=8,000円ほど。
 (>>123で名前が混乱している‘歴名土代‘は公卿補任の記録です。すみません)
【上杉謙信伝】
 布施秀治氏の著作で、いまなお上杉家研究においては名著として伝わります。
 ただし…大正頃の刊行物で、昭和40年代に復刊されてますが現在は廃刊(=入手不可)。
 当方所蔵も昭和年代のものです。
【定本 上杉謙信】
 現在における一番の良書かと思われます。(独断で申し訳ないですが)
 値段は7,300円ですが、平成12年刊行なので最新の成果が書かれていると思われます。(ISBN4-906641-36-9)
【その他】
関八州古戦録・上杉家将士書上・河中島五箇度合戦記などは…悲しいことに軍記物(物語)と言わざるを得ませんね。
一次資料についての分類は、専門でも難しい面もありますが、上記に分類する刊行(活字化)されている書物は
それ以前に、単純に物語(=作り話)です。ただし…それはそれで面白い読物だと思います。
[北越軍記+上杉家御年譜=天と地と]←このような解釈でもあながち間違いでもありませんね。
(海音寺潮五郎氏の大ファンですが…このような解釈ですみません)
124は単なる否定厨だとオモテ指摘てくれと書いたんだが。・゚・(ノД`)・゚・。
鬱だ。吊ってくる

読んだ事ないのに否定厨とか思うなよ
上辺の知識で語らず、自身が本を読んで確かめなよな
なんか痛々しくなってきたな
>>127
ありがとうございます&おつかれさまです。
越佐資料についてはよく引用参照されてますが、見かけません。
手に入りにくいのでしょうか?
ケンカ(・A・)イクナイ!!  同じ趣味の仲間なのだから仲良くしましょうね。

>>124さん
「上杉将士書上」と「御年譜」をいっしょくたに否定するのは無理がありましたね。
せめて理由を書いて頂ければ誤解もでなかったと思います。
「御年譜」は、そんなに悪質ではないと思いますよ。

>>131さん
越佐資料…現在は入手不可です。
代替資料としては、新潟県史が良いのではないでしょうか?
入手できるなら、自分も購入を考えております。

#余談ですが…。
 栃尾市役所で入手した資料(読物)は雑話でしたが、面白い内容でした。
 上杉憲政が越後に来てから家来の娘との間に子供をもうけたとあります。
 その子を「山本寺」と名乗らせたとか…そんな話がありました。
>>132
新潟県史…資料編はバラで入手可能ですが、通史編はどうなんでしょうか?

#越後にきてからの憲政の子
上杉憲重のことでしょうか。畑氏の娘が母らしいですが。
>>133さん
‘通史編‘も‘資料編‘もバラで購入が可能でした。
ちなみに第2巻「中世」(南北朝〜景勝)は1冊3600円+送料で郵送してくれます。
『新潟県史』でググッて頂ければ直ぐに購入方法が分かります。
FAXにて注文を出せば良いそうです。

♯栃尾資料(余談として)
 紛れてしまって今、手元にありません。すみません。
 (あやふやな記憶なので参考までに…)

 山本寺が『三宝寺』という表記だったと思います。
 「山本寺」は越後上杉家の中でも庶子分家のような扱い(※1)だったので…
 [ひょっとしたら年代を遡り‘朝方-朝定‘あたりの事跡の反映なのかな?]
 …という感想を持ったことを憶えております。

 山本寺家は…上杉一族(や桃井家のような高家扱い)というよりは、
 為景個人との血縁関係から一門扱いになった家系のようにも感じます。
 (十郎景信に似た感触です)
 個人的な感想であり、根拠はないので悪しからず。

※1→長尾家の被官だったようです。為景に偏諱を貰っていることからの憑拠です。
>>134
お礼が遅くなってしまいましたが、ご教示くださりありがとうございます!
136 :02/12/21 21:51
良スレでございますな
137無名武将@お腹せっぷく:02/12/21 23:31
>>95
何気にスルーされているが
「謙信が男色好きなのは確かだけど」って、
勝手に決め付けるな、この801ヲタ(w
そうだ、女性だったかもしれないだろw
今日…例の「新潟県史」が届きました。
読むのが楽しみです。
ちょっとしたクリスマスプレゼントかなぁ。
自分でお金払うんですけどね(w

>>138さん
八切止夫氏の「上杉謙信は女だった」…今年、再版されましたね。
一応読みましたよ(w
ageる
網羅的に見るより有る一定時期の史料を探すなら、「新潟県史」等を
使うより、「大日本史料」を使った方が楽な場合も多いかと。
(言うまでもなく、一般論…)

あと、「戦国遺文」(後北条氏編)は人物索引が便利。編年で使いやすい。
解説が殆どないですが…。景虎の文書は1ヶ所に纏めて出てきます。
但し、本物として捉えていいのか見極めも必要っぽいですが。
そういえば、昔の歴史読本で謙信女性説が
載っていた号で、なにげに巻頭の方に
永井路子氏の景虎小説も載っていたなぁ。
他には近衛龍春氏の小説やIF系小説の
軍神伝とか神将伝とかは読んだが、
その他に景虎が出てくる歴史小説はあるのだろうか?
>>142
ひょっとして、「流転の若鷹」ですか?>永井氏の景虎小説

これ、全然手に入らなくて困ってます…。
144142:03/01/07 23:21
>>143
「流転の若鷹」で当たりです。
自分はネットで入手しました。

景虎の側にいて話を進める役割として、
杏四という男(武田の素破の血筋)が
創作されている話ですが、それを省いても
古い小説のためか、ややツッコミ所が多い。

景虎の館が二の丸だったり、春日山で
謙信と初対面のような描写があるけれど、
初対面は上野の沼田だったはずなど…
これは永井氏の使った参考資料によるのでしょうが…。
>>144
あ、やはり…
ネットで入手できますか?
よろしければタイトルなど教えてください。

たしか初出が70年代だったようなので、資料が古いのは仕方ない
かと思います。
146山崎渉:03/01/11 01:37
(^^)
>>145
国立国会図書館のweb opacを見た限りでは
単行本には収録されていないようです。
「立体構成 上杉謙信」という特集の号に
掲載されていたもののみかと。
号数は、ぐぐればでてきますので…。
(ちょうどその年の大河ドラマ・天と地との役者
インタビューのようなものも有り)

私は某大手中古売買サイトに暫くはりついて
入手しましたが、今現在の所はどこのサーチ
をさがしてもみつからないですね。。スマソ
>>147
レスありがとうございます。

あれから自分も検索してみましたが、やはり入手は困難のようです。
せめて全集に収録されていたら…と思います。
国会図書館のほうに読みに行くつもりでいます。

題材として面白いので、もっと彼の作品があるといいですね。
149山崎渉:03/01/22 14:41
(^^;
150山崎渉:03/01/22 20:02
(^^;
新井へ今度行かれる方、景虎物語のレポートをおながいします。
152無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 19:07
age
久しぶりに覗きに着たけど…寂すぃ〜な〜(涙
154山崎渉:03/03/13 16:35
(^^)
155無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 19:31
>>137
そりゃ決めつけられるよ。
謙信が男色をしてたのは確かだ。
しかし当時は男色はごく当たり前の行為。

ただし争点としては謙信が男色大好きだったか、並程度に男色に親しんでたかで、
確かに謙信が女色をしなかった事から並外れて異常な男狂いにされている事が多い、その辺は同情する。
まあ謙信は女色をしなかったので、
伊達政宗みたいに女色そっちのけの男に興じるような男好きなのか判断しにくいとこがあるんだよ。
156無名武将@お腹せっぷく:03/03/13 19:39
おっと良く見ると12月に書かれた文章か
>>155
確かだって言われても、両論あるだろう。
そういういい方していると、君がホモなのかどうかは知らんが、いらん勘繰りをしてしまうぞ。
勿論、謙信が男色をしていた可能性は高いのだが、言い切る傲慢さはどうかと思う。

実際、謙信が小姓を愛したとか少年直江が寵童だったとかってのは
江戸期に書かれた話だし、武田と交差化みたいな確かな証拠がない(w
まあ命日にホモホモ連呼するのはやめようよ
男色っていうのは、当時のたしなみみたいなものだから、
大騒ぎするほどのことでもないでしょ。
たとえば、現代の日本人がビールを飲むというのは、あまりに当たり前だから、
これといった記事にならない。
同じように、当時の人間にとって当たり前のことは、わざわざ書物に残さない。
ちなみに、最近の研究では、謙信は河田がお気に入りだったらしい。
信玄と高坂みたいな関係。
160無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 22:50
むしろ男色してなかったら記録に残るだろうな。
161無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:00
謙信にしろ景勝にしろ確かに武田や伊達のようにはっきりとした記録は残ってないわけだが、
男色をしてた可能性は95%以上はあるだろうね。当時の風習や状況や匂わせる記述からして間違いないとは思うがな。

直江については年齢的に謙信ではなく景勝の相手であったという説が有力、
「色白の美少年」で景勝のお気に入りだとかいう記述があるんだよね。
確かに絶対的な記述はないんだが。
本題に戻って景虎も彼の容姿を誉め称える記述や謙信が気にいってたうんぬんの記述からして相手だった可能性は高い。
162無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:05
>>158
別に男色は当時の人を侮辱する言葉にならない。
むしろ逆だ。

織田家の有力武将が集まった時に信長が前田利家に「若い頃は肌を暖めてくれたな」と言われて、
感激のあまり真っ赤になって涙をこぼし、周りの武将も一様に羨ましがったという。
主君との男色は非常に光栄で誇り高い事であったらしい。
163無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:09
>>162
恥ずかしさのあまり真っ赤になって涙をこぼしたのでわ?
164162:03/03/16 23:12
良くみると文章が逆だ、
前田利家が信長に「若い頃、肌を暖めてくれたな」と言われただ。

>>163
そうじゃないよ。 
利家はこの件を自慢したらしい。
>>164
そうかな?
鶴の吸物を見ると腹が痛くなる…なんて逸話もありますが。

もちろん男色自体は当時の風俗だったのだから問題ないと思われます。
謙信の場合、性行為をしなかったという伝説があるので、
男色だろうと女色だろうと、しなかったという主張をする人が多い。
俺は別に謙信がやっていようがどうでもいいが、
どっちにしても根拠なしに決め付けるのはどうかと思う。

「謙信は実はホモだった(に違いない)!」
「謙信は生涯、性行為とは無縁の聖将だった!」

どっちも相手にしてらんない。
>謙信の場合、性行為をしなかったという伝説があるので

の、「性行為をしなかったという伝説」
を、「性行為をしなかったという伝説で崇拝されている節」
に訂正。
性行為をしなかったというというより、
(精神的に)できなかったという説の方が正しいと思う。

一般的に母親の存在が大きい人は感受性が強い反面、脅迫神経性や潔癖性になりやすい。
特に父親が仕事に専念して育児に関与しない場合、その傾向が強くなる(心理学的実証あり)。




169無名武将@お腹せっぷく:03/03/16 23:50
ヒトラーも自分を禁欲的な指導者としてのカリスマを作り出すために
愛人エヴァ・ブラウンの存在を公にしていなかったように
謙信もそういった情報操作していたのかも知れないね。
謙信は死後カリスマ化された気がする。
生前はせいぜい、「仁義に厚い」程度の評価で。
さて、そろそろ上杉景虎の話題に戻ろうか。
もしかしなくても、上杉景虎って三郎のほうなんだよね?
173無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 06:35
謙信が仮に女色も男色すらもしない不犯の名将でも、男だしオナニーくらいしただろう。
謙信信者は謙信が女色や男色をしてたという話しは我慢できないがオナニーなら良いのか?
もし謙信が肉体的性不能者だったら別だが。
そんなん知るか。謙信の話は他でやれ。
175無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:47
謙信公は神です!
176無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:49
>>173
俺も生涯不犯を誓っているよ。でもオナニーはする。人生は性欲を消し去る修行だと
思っている。汝邪淫をする勿れ
177無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:51
>>176
オナニーしていたら、無意味だろ?
178無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:54
>>177
我慢できない欲望を我慢するよう努力はしているんだが・・・
いまだ俗世の快楽から抜け出せないジレンマ
坊主の修行でも一番つらいのは、女色をいかに断つか、らしいよ。

しかし何で下半身にばっかり拘るんだ?w
それに、景虎って言っても>>1によると北条の倅のほうなんじゃないの?
180無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:57
謙信⇒長尾景虎
氏秀⇒上杉景虎
181無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:57
>>179
自分で下半身にこだわる理由を言っているじゃないか・・・
182無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 20:59
>>173
性欲をわざと抑えてその葛藤を戦に向けるのが意図の一つだから
オナニーしたら意味ないだろ。
183無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 21:01
>>182
俺はその欲望を勉強に向けた・・・あの壮絶な勢いはすごかった・・・
>>180
長尾景虎⇒謙信
上杉景虎⇒北条三郎

これが正解◎
しつこいようだが…

謙信=虎千代⇒長尾平三景虎⇒長尾弾正少弼景虎⇒(入道宗心)⇒上杉政虎⇒上杉輝虎⇒上杉謙信
景虎=(西童)⇒北条三郎某⇒(武田三郎=嘘)⇒(北条氏秀=嘘)⇒上杉三郎景虎

上杉景虎=北条氏康の息子!
ヒクソン・グレーシーも試合前はずっと禁欲生活らしい。
プロ・ボクサーとか格闘家は、かなりこのパターン多い。
186無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 22:55
北条幻庵って子に先立たれてばっか。
景虎になった香具師も蒲原城守ってた香具師も・・・
187無名武将@お腹せっぷく:03/03/17 23:01
>>185
ボクサーなんかも禁欲が当然。
禁欲していないと試合で実力が出せなくなるそうだ。
どうしてか素人にはわからないが、それだけ射精することでスタミナがなくなるようだ。
188無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 09:39
だーかーらー北条の倅の景虎の話に戻そうってば。

どうでもいいが自分の糞IMEVer.8.1では景虎って一発変換できない。
仕方ないんで「かげかつとら」と入力して後から「勝」を消している。
めんどくさー
その暇があったら登録しろ。これからまだまだ景虎って書き込むつもりなら。
どうしてもオナニー話にもって行きたい香具師がいるなw
191無名武将@お腹せっぷく:03/03/19 11:53
>>188
Vectorで戦国辞書ダウンしなよ。
192武田騎馬軍団:03/03/19 23:42
┏ けんしん ━━━┓┏━すてる━┓
┃ はなす じゅもん ┃┃       ┃
┃ つよさ どうぐ.  ┃┃|>どうてい ┃
┃ .とびら .しらべる.┃┃       ┃
┗━━━━━━━┛.┃       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃それを すてるなんて とんでもない!  ┃
┃                          ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
>>192
貼るなら一つだけにしとけ。
一回だけなら笑えたぞ。
>Vectorで戦国辞書ダウンしなよ。


何?
195無名武将@お腹せっぷく:03/03/20 07:49
Vectorに汎用の戦国人名辞書ってのがあるよ。
これでどんな武将も一発変換。
リンク張ってくれ
他力本願寺
おいコレ立てた奴801腐女子じゃねーだろうな
妹コイツと直江ののホモ本持ってるぞ 
昔ファンだったか、今も現役の某小説のファンとみた。<1
>>198
ダンボールで5箱妹さんと同じホモ本持っています。




紹介して文通させてください…
炎の蜃気楼・・・
知っている奴はいるのだろうか…あんなフォモ小説…
> 1-201

つまり、上杉景虎は何故かほもにされてしまう
人物、ということでいいのだろうか。
上杉さんちも大変だな
204あげまん:03/04/11 00:24
すげー本題ズレ。
205あげまん:03/04/11 00:24
最下位からアゲテヤルウウ。
直江とあんなことやそんなことやあれなことまで。
207山崎渉:03/04/17 11:22
(^^)
208山崎渉:03/04/20 05:33
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
209無名武将@お腹せっぷく:03/04/22 23:21
【上杉景虎】1552〜1579(天文21〜天正7)
竹王丸・三郎・景虎
北条氏康の七男。
幼時、箱根早雲寺の渇食僧となる。
その後、大叔父:北条幻庵の養子となり。
元亀元年4月5日に越相一和により上杉輝虎の養子となり、景虎と名乗る。
天正6年3月24日、家督相続争いによる御館の乱で敗れて自害。
享年28歳と云う。
>>206
炎のミラージュキモ
>>101>>206
天翔記スレで直江信綱についての書き込みがあったので気になって
調べたらまさにそれでした。前田慶次よりヒット数が多いのに驚き。

>>184
補足すると、氏秀は北条綱成の息子(黒田基樹氏によれば、康元と同一人物)。
『嵐世記武将ファイル』では氏秀と景虎は別人とちゃんと説明がしてあるのだが、
ゲーム中の列伝はなぜか旧説のまま。

山本博文『殉死の構造』(弘文堂)では殉死と男色の関係が取り上げられている。
江戸初期なのでややずれるが、たとえば細川忠興に殉死した興津景吉(弥五右衛門)について、
松田修氏は彼が死んだ時お歯黒をしていたという『京童跡追』の記事を引きながら、
「これは若衆としてのかつての記憶の残存か、はたその悲しい再現」としている。
>>211さん
乙です。 やっとまともな人がきた(w

>>炎の蜃気楼
数年前…春日山林泉寺へ行った時…。
境内の絵馬に「三郎と直江が出逢えますように…」とか書いてありました。
その時は‘炎の蜃気楼‘なんて知らなかったので
なんじゃ、こりゃ?と思ったのですが…。

観光名所を荒らすのはやめてほしいな〜桑原水菜のファン…きもいよー!
少し前から、いちいち特定小説の既出ホモネタばかり
繰り返されていて少しうざい。
ネタスレらしくネタなり何なり欲しいところですな。
まあもうとっくに結論出ちゃってるスレだからな
ホモ小説キモいと雑談するくらいしかネタないだろw
「う〜〜〜〜なんてえ寒さなんだ」

今 寒さに堪えて鼻水をすすっている僕は
北条三郎様に従うごく一般的な小姓分

強いて違うところをあげるとすれば
武田の素破であると隠してるってとこかナ――
名前は杏四

そんなわけで越相同盟の質の一向は
越後・春日山城の大広間にやって来たのだ

ふと見ると常に変らない 静かな一人の若い男が座っていた

ウホッ!いい男… ハッ

彼――
ちょっと整いすぎた顔立ちっぽい小田原からの養子で
北条三郎氏秀そのひとである

そう思っていると突然上杉謙信が
三郎さまの目の前にあらわれたのだ…!

そういえばこの春日山城は
謙信公の居城であることで有名なところだった

謙信「景虎に な ら な い か 」

彼はそういうと軽々とした足取りで 大広間からでていった

三郎さまに自分の名を名乗らせるなんて なんて人なんだろう…
今 怪我をした三郎さまの血止めをしている僕は
甲斐に住まうごく一般的な百姓の倅

強いて違うところをあげるとすれば
武田の素破であると隠してるってとこかナ――
名前は杏四

(略)

三郎「よかったのかホイホイついてきて 俺は杏四だって
   かまわないで臥床に呼んじまう人間なんだぜ」

杏四「こんなこと初めてだけどいいんです…
   僕…三郎さまみたいな人好きですから…」

三郎「うれしいこと言ってくれるじゃないの
   それじゃあとことん連れて行ってやるからな

いい男に弱い僕は誘われるまま
ホイホイと小田原について行っちゃったのだ ♥
何を読んだらその足跡が具にわかる?
あまりにも資料が足らない気がする。
219山崎渉:03/05/22 02:01
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
220山崎渉:03/05/28 16:38
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
ここには萌え心が足りん
景虎たん(;´Д`)ハァハァ
保守っとな。
おいおい、今一番下だぞ。あげておくか
あがっていなかったな…あげ。
武田方の来襲のうわさに((( ;゚Д゚)))ガクブルする北条・上杉。
果たして、無事三郎たんを守れるのか?
次号を待て!!
226ぬの人:03/07/12 10:22
ぬぬぬぬね
ぬぬ
227無名武将@お腹せっぷく:03/07/12 11:19
御館の乱で北条が援助した景虎、武田が援助した景勝
しかし・・・三国同盟以来武田と北条は同盟関係だったのに
勝頼ったら北条シカトで何トチ狂ったのか景勝支持!
勝頼たん景勝に妹やる約束してるうちに景虎追い詰められて・・・自害
ほんで北条ブチギレ金剛で、武田と国交断絶した折に家康が北条に
「俺と同盟やらないか?」と・・・そうして武田は
織田・徳川・北条を敵に回し家康は
「これでやっと熟睡できるぽ〜」と安眠。武田の老臣は
「武田の御家もこれまでぽ〜」となったてよ
>>227
はれ?でじゃぶ?
229山崎 渉:03/07/15 12:22

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
230源氏:03/07/19 01:55
御館の乱で勝頼は確かに景勝を援助しました。しかし、最初は景虎支援のため自ら
兵を率いて越後へ向かったのです。ところが北条の当主氏政は武田に依頼するだけ
で一向に来ない。そこで勝頼は「北条は武田に戦わせて、おいしいところだけを北
条がもっていこうと考えているのでは?」と氏政の心中を怪しんだのでしょう。そ
して、景勝と景虎の講和の向けて動きます。はじめから景勝を一方的に支援したわ
けではありません。勝頼としては北条領が西関東から北陸へと武田領を包囲する形
になるのも脅威だったのでしょう。
当の北条は一応、越後に兵を出しましたが、冬になると上州の景虎方の上杉家臣を
残して撤兵、最終的には景勝が勝利を収めます。

231無名武将@お腹せっぷく:03/07/19 02:11
勝頼は越後で何ヶ月もよく頑張っているんだよね。
出陣が5月29日で、帰陣が8月28日だからね。
その間に北条の援軍が入っていればあるいは・・・

いくら優柔不断の氏政でも、三ヶ月もの間、援軍ひとつ出さないでは
勝頼が疑うのは当然ですね。
232無名武将@お腹せっぷく:03/07/19 02:13
長篠の戦の傷がいえているわけでもないだろうに・・・
233源氏
たしかに、その後勝頼が織田・徳川に加えて北条も敵にまわさなければならなくなっ
たのは痛かったですね。ただ、北条としても景虎方だった上州の旧上杉家臣がこぞっ
て武田方になってしまったのは誤算だったと思います。