1 :
無名武将@お腹せっぷく:
漫画などで描かれるような石垣をよじ登ったり
銃眼から鉄砲で狙い打つような戦いって本当にあったの?
攻城・篭城問わず城攻めのことについてなんでもいいから
教えてください。
ベトンの防御陣を大砲で吹っ飛ばしてから歩兵を進行させる。
いきなり銃剣突撃だと全滅するから注意。
クレヨンしんちゃんの最新作あっただろ、戦国の。意外にもあれがけっこうよくできてる。
少なくとも某公共放送の「まつにおまかせ!」よりは。
4 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 04:45
戦国時代で一番城攻めが得意な武将って誰かな?
武田の原虎胤は落としたあとすぐに自分たちが
使えるように城を攻めるのが得意だったらしい。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 04:54
>>4 やっぱり秀吉やないの?
あ、秀吉のは城攻めっつーより兵糧攻めか。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 04:57
秀吉は別格として
他に城攻め得意なのっているかな?
7 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 05:03
謙信は、敵が野戦で戦うのを恐れ、その生涯の戦いの大部分が城攻めだった
という逸話があるが、得意とかいうのとはちょっと違うな。北条の防衛戦略とかもあるし。
それと家康は城攻めより野戦が得意だとか。
8 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 05:03
どうぞ撃ち殺してくださいと言わんばかりの正面の門に最初に突撃する兵って、可哀想すぎ。
盗掘防止の仕掛けだらけの始皇帝の墓に一番に入らされるようなものだなぁ…
踏み台、矢避け
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 05:07
ともかく、基本的に城攻めの無い出兵というのはあまり考えられないので、
苦手とかそういうことも言ってられまい。
しかし、秀吉以外に城攻めが得意な武将は思い付かないな。なんでだろ?
10 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 05:09
「なんでだろ〜♪」 「なんでだろ〜 ♪」
/■\ /■\ /■\
( ´∀`) ( ´∀`) ( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y 人 Y
し'(_) し'(_) し'(_)
>>8 でも成功したら大功、失敗して死んでも家的には功じゃないかな?
もしくは地位が低い(他国者とか降参者とか)者を強制的に。。
12 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 05:12
>>8 それはないだろ、少なくとも鉄砲・弓で制圧>盾で敵の矢玉を防ぎつつ接近>防御施設破壊
の手順は踏む。そんな攻め方してたら兵士が何人いても足りない。
有名な大将には城をさくっと落としたとかの逸話もあるけど(武田勝頼とか)、
やっぱり城攻めを常に大成功させた人ってのは希少すぎるんじゃないかな?
城攻めは最後の手段っぽいし。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 05:18
適当に攻めて講和、というのが多かったと思われ
15 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 09:25
16 :
玄武岩拳覇@ちんかめ ◆kjuaK/IeGo :02/11/05 09:44
おまいら基本的に解ってない。 例えて言うなら一番実際の城攻めに近いのは
風雲たけし城だな。
山道を駆け上って行ってると上から石が転がってくるのをよけながら進んだり、
細い橋とかを渡ろうとすると投球マシーンでバレーボールをぶつけられたり、
迷路のような城郭の随所にストロング金剛みたいなのが潜んでるのをなんとか
乗り越えて本丸を目指す。 みたいな感じだよ。
>>15 幸隆は確かに城攻めの名手だけど、ちょっと謀略くさくない?
このスレでは直接城を取る勇猛果敢さとか土方くささとか、
(
>>13の勝頼は、敵は勝手に混乱してます!裸でも膳城を攻めましょう!の逸話)
なんというか、内部工作とかに頼らない職人芸的城攻めかと思って。
>>2に旅順攻めの児玉みたいなことが書いてあるけど、あんな戦術っぽいことと思って。
そんな人より、事前工作を済ませる人のほうが優れているとは思うけどね。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 10:27
小便鉄砲。小便鉄砲。小便鉄砲。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 10:34
16人で稲葉山城を陥とした竹中半兵衛は?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 10:46
大阪の陣での家康のもぐら戦法って実際に効果がある攻め方なの?
それとも、やっぱあれはただのブラフ?
三国志にも似たような戦法が出てくるけど
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 13:42
そもそも戦国時代に今残っているお城ほど立派な石垣や門が全国あちこちに
あったかどうか疑問。
常識的に考えて、ドラマででくるような弓矢鉄砲の量で戦争してたら、あっと
いうまに武器弾薬が切れるから、ああいう状況はめったにないのではないか。で、やっぱり城攻めは一大決戦というよりも、ゲリラ戦的かつ小規模な戦いが
あちこちで発生していたのではないかと思っている。
なので、一群を率いるような有名武将がゲリラ戦を自ら指揮をする
はずもないし、総指揮官の能力云々よりも、侍大将クラスの活躍が
肝だったと思われる。
城攻め(攻守両方)のエピソードで聞く武将って、一軍の指揮官よりも、
槍働きで有名な人のほうが多いし
ゲリラ戦ってのがようわからんが、、、
普通は、、城間近にまで攻め込む、
とりあえず付近の村や町は焼いて周りの砦を潰して包囲、
二の丸三の丸などを潰して本城攻め。。
この間の大小の戦のことをゲリラ戦って言ってるのかな?
24 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 14:30
現存の国宝級の城から、当時の攻城戦の様相を考察・推測するのは
>>21にも
あるように、あまり意味が無い。
おおまかに、天文〜永禄〜元亀〜天正とみても、当時の城は丘陵地や山頂に築かれた
平山城や山城が多い。
平和な安定期ではないから権威の象徴ではなく、あくまでも防衛機能を最優先して
いるのは当然ではあるが…。
んで、複雑な地形をそのまま防衛力に直結させた築城様式であるから、主に最高部から
順に高い重要性を有しており、外郭は幾重もの曲輪で構成されている。
して、上記の城が専らの時代は、鉄砲の普及率や殺傷力、有功射程距離も低いため、
弓や鉄砲をはじめとした投擲兵器を過剰に使用するよりも、寄せ手に生じた隙を逃さず、
積極的に近接戦闘に持ち込んでの邀撃―撃退、といった手段をとる。
この際には、主に主戦場が曲輪となり、場合によっては同地の争奪戦へ移行する。
寄せ手は随時において曲輪を制圧していき、それ以降は
>>23にあるように二の丸や
三の丸などを潰して本城攻め…の運びになるのではないかと思う。
専門ではないし、手元の簡単な資料からの推察なんで、指摘はいくらでも。
長々ごめん。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 23:09
最優秀篭城武将は高橋紹雲でよいですか?
26 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 23:10
>>16 竜神池や回転するきのこにしがみつくやつもアリですか。。。?
27 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 23:12
25
真田昌幸でしょ
29 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/05 23:15
この前岐阜城行って来たけど、断崖絶壁だよ、よく関ヶ原の時攻めあがれたな、
ありゃ、麓から火つけて山火事熾すしかないよ!
ちんかめ文章うまくなったな。
まだ書体の特徴消えてないけど。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 01:41
楠木正成がやったような熱湯ぶっかけ戦法って
戦国時代でもやってたの?
>>31 戦国期には簡略化され、数年前までは熱湯ルーレットとして栄えておりました
最近はみませんね
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 02:01
>31
上田城で昌幸がやったという伝説があるね。
後は、対海賊戦用に船で粥を煮ていたってやつかな。
岐阜城って以外に脆くない?
近所にも小さな模擬天守閣があるけど、やっぱりこれ見てもわかんないね。
武家屋敷跡とかも含めると結構な広さになるし、城郭としては見た目以上っぽいし。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 09:06
危険物を寄せ手に投げたり放ったり落としたりってのは
古今東西を問わず籠城側の対抗手段としてはまず思いつくことだよな。
石とか熱湯とか熱した油とか。
ただ籠城側の物資が続く限り、という制約があるからね。
で、寄せ手は兵糧、水、睡眠時間といった代えの効かないものを
削いでいくことをまず考える。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 09:22
>>25 己の勝手知ったる城に篭もったからこその戦果。
人物だけで語るのはナンセンス。
「縄張り」をよく見て、考察することをすすめる。
ここは城(縄張り)を考察するのではなく、
攻城や篭城を考察するんだから、いいんじゃねーの?
39 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 09:34
篭城側の先方としては貯めこんだ糞尿を落とすというのもあったそうな。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 10:02
誤って城壁から落ちた人とかいたのかなぁ 守備側の人で。
その人の運命やいかに・・・
>>24 建物はしょぼくても山城は大概地獄のような立地にあるよ。
実際城跡行ってみると、どの方向から曲輪にせまろうとしても狭くて絶壁に近いような
沢を詰めなければならず、飛び道具なんか使われた日にはよけることも隠れることも
できず惨死、みたいな立地が多い。あれじゃあ簡単な木柵作られるだけで攻略が至難
になる。この立地は史実で攻城戦がなくて、信長の野望程度には出てこないような
砦に近い山城でも殆どかわりない。
尾根上の城ならば長躯上から攻め落とす手もあるけど、小ピーク上に作られた山城だと
それも困難に思われるし。
やっぱ城攻めは事前工作による謀略戦以外ではかなりの損害を出す羽目になるんじゃ
なかろうかね。というわけでやっぱ秀吉は最強ですね。
42 :
玄武岩拳覇@ちんかめ ◆kjuaK/IeGo :02/11/06 10:31
関ヶ原の前哨戦の岐阜城があっけなく落ちたのはわけがあるんだよ。
あそこは名前忘れたけど血の気の多い上に経験不足の若造武将が三千人くらい
連れて守ってたんだよ。
俺も岐阜城登った事があるけど、まああの城は三千人もいれば攻めようが無いくらい
化け物みたいな険しい高い山の上にあるスゴイ城なわけだ。
ところがいざ戦が始まるとその若造大将は老臣が止めるのも聞かずに馬鹿だから
わざわざ山から三千人を降ろして無謀な野戦をしたんだ。 もう馬鹿としか言い様が無い。
当然、負けて城に逃げ込んだが兵士はほとんど全滅状態で守りようが無く落ちたんだと。
>>42(ちんかめ)氏の補足説明
> 経験不足の若造武将
織田秀信(岐阜中納言・21歳・13万5000石)。
信長の嫡孫で、清州会議で名高い(?)三法師タンです。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 11:10
山城をおおっている木は、当時はなかったの?
縄張り全体はげ山状態?
定期的に草刈りでもやってたんだろうか。
ちゃんとしとかないと秋に放火されたら大変だし。
>>45 肥前名護屋城は、チョッとした山城、どころではない。
…というか、いいかげん「堆い石垣と高層の天守」、という概念からはなれるべき。
天正年間の後半以降くらいから築かれた城ではなく、それ以前の城が大多数である
のだから…。
>>46 >肥前名護屋城は、チョッとした山城、どころではない。
それは規模のことだろ。そのサイトにも規模は書いてある。
>当時では、大坂城に次ぐ規模であり
でも、高山とか、険峻とか、急斜面とかじゃないから、チョッとしたと書いた。
緩やかな山だからね。
…というか、山の木の話と「堆い石垣と高層の天守」は関係あるのか?
ちなみにあの辺りは周り全部が山と言うか、山脈みたいな感じだから、
その周りの山の木を切りまくるとか、麓まで切りまくるとか思えん。
安土城みたいに平地にぽつんとある山なら、
木を切りまくって全山要塞化というのも想像付くが。。。
岐阜城はすごいよな。
あんな所まともに攻めても落ちるもんじゃないよ。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 18:42
>>44 あちこちで放火して攻めることは常套手段にしても、山一つ燃やしてしまうと、
占領後の後処理が大変だったと思われ。下手すると攻め手も焼き死ぬし。
個人的に篭城戦は萌え。
必死に城内に入りこもうとする敵を槍で突付いたり石投げるのなんてもう快感!
大坂冬の陣の時に大坂嬢イキテー
52 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 19:00
>>51 そして真っ先に大砲で崩れた柱の下敷きになる。
貂蝉の一生
ある日貂蝉は呂布にまんこに、ぶっといちんこを入れられ処女を奪われた。
その後、アナルにもちんこを入れられ貂蝉は気絶した。しかも今度は董卓にまんこを貫かれた。
フェラチオも強要させられて口内射精させられた。董卓は絶倫でその日は9回も膣内射精させられた。
あげくに慰めに来た王允は慰めの途中に突然、欲情し貂蝉を犯した。
王允は呂布と董卓を呼んで皆で貂蝉を弄んだ。
宴席の途中、董卓に強要され宴席に集まった諸侯の前で自慰させられた。
更に貂蝉の自慰に欲情した諸侯が貂蝉を我先にと犯し始めた。乱交は深夜から朝まで続いた。
貂蝉のまんこの中には、ざっと100人以上の精液が注ぎ込まれていた。
ある日、貂蝉が耐えかね長安から逃げ出すと山賊に捕まった。
その夜は山賊全員を相手にする事になった。
口と両手、両おっぱいに、まんこ、アナルで一度に7人を相手にしても朝まで掛かった。
それから数日後、貂蝉を取り戻しに来た董卓の軍勢が山賊を皆殺しにした。
しかし貂蝉は今度はその軍勢を相手にしなくてはならなくなった。長安につくまでに毎日、犯され続けた。
これまでに貂蝉は延べ1万人の精液を注ぎ込まれ、そして飲まされていた。
やがて貂蝉は妊娠した。勿論、誰の子かは、わからない。
しかし妊娠しても貂蝉は毎日の様に犯され続けた。
赤ん坊まで精液まみれだろう。
ある日、貂蝉は母乳が出る様になった。
しかし、それは全て王允に飲み尽くされた。
貂蝉は身も心も枯れ果てたが、ある日、ついに出産した。
しかし出産した直後のまんこを面白がられ呂布に槍の柄を入れられ、ついに発狂して死んだ。
そして生後、間もない女の赤ん坊も董卓に処女を奪われた。
耳をつんざかんばかりの泣き声を上げていた赤ん坊も、やがて静かになった。
死んだのだ。
貂蝉の一生 完
>>49 岐阜城は確かにすごい。でも岩殿城とかもすごいぞ。
山城は大概凄い気がする。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 20:49
岩殿城も岩櫃城も行ったことがないからよくわからないが、岩櫃城>岩殿城って思う。
野田城とか信玄相手に凄い粘ったと思う。25000対400
58 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 21:36
三国志みたいに、雑兵が何食わぬ顔して
城にまぎれこんで放火して
混乱に乗じて攻め込んだりってのはあったっけ
59 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 21:59
60 :
玄武岩拳覇@ちんかめ ◆kjuaK/IeGo :02/11/06 22:25
>>59 すげ〜!!
これなら第二次大戦も使えそうじゃねーか。
>>61 それは同意だね。岩殿はよりマクロな意味でみた上での立地が悪いよね。
なんにせよやっぱ城攻めって凄い地道な作業な気がする。謀略で落とすのが一番。
そういや、嵐世記、蒼天録と不評の多い最近の信長の野望シリーズも攻城戦メインで
やっぱ地味〜だよね。
64 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/08 03:26
信長の野望で城攻めが一番おもしろいのは?
65 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/08 03:58
>>64 以外に将星禄が好き。
簡単で。
烈風伝はつまらん
66 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/08 09:01
覇王伝はつまんなかったね・・・。
火付けと鉄砲掛けしか覚えてない・・・。
でも凸は良かったよ!
68 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 00:15
城攻めって面白いもんじゃないから仕方ないよ。
でも、守備側は面白くできるはずだよね。
店正気なんて数倍の敵を撃退できて楽しかった思い出がある。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 19:48
>>19 銀行強盗に成功したようなもんだからな。
元々内部の人間だし。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 19:51
>>41 たまーにツーリングの途中で山城の跡なんかにいくけど
たいてい翌日筋肉痛になるよ・・・
昔の人はすごいよな、アレプラス戦争なんだから
(特に鉄砲がないころの山城全盛のころは)
71 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 19:55
>>55 猿橋のちかくだな。中央道からみると跡地の看板がみえる。
猿橋にはいったことあるけど岩殿城にもいきたいなー
でも疲れるだろうな(七尾城や松倉城でも結構つかれたよ。
中腹までバイクでいったけどその後の坂道が)
72 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 19:58
73 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 20:00
中央線大月駅の近くの岩山に城跡があった気がするんだけど……
だれからない?
74 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 20:33
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(´А`;) ○
オ オチル… ⊂ ⊃ // グラグラ
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ウチマクリ (゚Д゚ )/ //
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,,|王l王l王l| ∪∪ ̄
,,|王l王l王l|
尾張の小牧城なんかは、平地にぽつんと山があるだけだから
大軍で囲んで「ゴラァ!」ってするにはいい感じでつ。
地味ながら良スレって感じにしたいね。
十万石以下の大名スレみたいな
平城についても何か語ろう。象徴じゃなく、要地防衛の為の平城。
漏れの住んでるとこの近くでそういう城は……大垣城かな。(ちょっと遠いけど)
最初は小城だったが、よく戦場になり、結果、
関ヶ原時には何重にも堀がめぐらされた要塞となっていた。
まぁ規模は小さいけど。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 21:44
>>77 清洲城も平城だよね?
この辺の城は、河川を防衛ラインとして設計されているのかな。
79 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/09 21:46
落城後に城方の女が犯されたのは常識です。
>>78 ただ清洲は水の利が悪いでしょ、河川氾濫しやすいし。
(だから信秀や信定はそういう土豪の土木工事の陳情を上手く
処理したので信頼を得て尾張の勢力地盤を築けたという話だね。
津島を支配にできたのもそれでしょ。
・・・て、この辺は現代の政治家と同じだな)
>>73 大月にあるのはまさに岩殿城。
平城で要地防衛はなかなかむずかしいけど、
やっぱ敵がどこから進軍してきても見とれるようなところが要地になるんでつかね。
>>81 清洲の西が枇杷島町なんだけど、東海豪雨のとき思い切り水没していた。
>>83 揖斐川と木曽川と長良川、3つの河川だからねえ あの地帯。
水害は今の豪雨災害よりももっとすごかったろう、あのへんは。
よく兵糧の欠乏はでてくるが薪なんかが無くなって
ご飯炊けない事態はなかったのか?
それとも全部干し飯で備蓄してたんかな。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 17:43
>>85 全部じゃないと思うけど干し飯も準備期間がいるしねぇ
水が無くなって炊け無くなるのが先か、床板や室内の壁剥がしきって
燃料がなくなるのが先か、、、
87 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 19:45
水の手を絶たれて、水が豊富であると偽装するために
馬を米で洗ったという伝説が全国にあるくらいだから
水が無くなるのが先だったと思われ。
88 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 21:24
>>87 白米城伝説。創作上の話で実際にはそんな記録はないらしい。
城跡から焼けた米が出てきたので、そこから想像で話が出来上がった… という説もあった。
まあ、籠城では水の確保が最優先だよな。水の手を断たれれば数日と持たないのだから。
岩殿城とか、あまりに険しい土地だと水の確保も難しいだろうな。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 23:20
>>88 岩殿城は、山頂に枯れたことの無い井戸が二つある。
人間用と馬用。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 23:34
今、毒を入れて来ましたが何か?
92 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/10 23:47
岩殿城の本丸にはNHKのテレビ塔が一帯を占めている。
よくあんなとこに塔なんか建てられたと現代でも思うくらい。
大月から見て手前にある川もちょっとした渓谷になってる。
そんなとこに城を作る意味がわからん。
「詰めの城」はいよいよってときに逃げ込む所だから
結構へんぴなところにあったりする。
生活拠点である居城とはちがうんだよね。
ところで平時における詰めの城は歩哨をたてて警備してたんだろうか。
奇襲に絶えうるくらいの人数を配置するとなると経路の多い
城は負担が大きくなってしまうが、どうっだったんだろう。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/11 01:55
>>92 街道を見下ろせる要衝で、地理的に要害なら、作るっきゃないっしょ。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/11 02:29
>93
幸隆の戸石城奪取とかあるし
平時は警戒もかなり緩いんじゃない?
96 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/11 15:39
他にはあるのかな>奪取
97 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/11 15:51
貂蝉の一生
ある日貂蝉は呂布にまんこに、ぶっといちんこを入れられ処女を奪われた。
その後、アナルにもちんこを入れられ貂蝉は気絶した。
しかも今度は董卓にまんこを貫かれた。
フェラチオも強要させられて口内射精させられた。
董卓は絶倫でその日は9回も膣内射精させられた。
あげくに慰めに来た王允は慰めの途中に突然、欲情し貂蝉を犯した。
王允は呂布と董卓を呼んで皆で貂蝉を弄んだ。
宴席の途中、董卓に強要され宴席に集まった諸侯の前で自慰させられた。
更に貂蝉の自慰に欲情した諸侯が貂蝉を我先にと犯し始めた。
乱交は深夜から朝まで続いた。
貂蝉のまんこの中には、ざっと100人以上の精液が注ぎ込まれていた。
ある日、貂蝉が耐えかね長安から逃げ出すと山賊に捕まった。
その夜は山賊全員を相手にする事になった。
口と両手、両おっぱいに、まんこ、アナルで一度に7人を相手にしても朝まで掛かった。
それから数日後、貂蝉を取り戻しに来た董卓の軍勢が山賊を皆殺しにした。
しかし貂蝉は今度はその軍勢を相手にしなくてはならなくなった。
長安につくまでに毎日、犯され続けた。
これまでに貂蝉は延べ1万人の精液を注ぎ込まれ、そして飲まされていた。
やがて貂蝉は妊娠した。勿論、誰の子かは、わからない。
しかし妊娠しても貂蝉は毎日の様に犯され続けた。
赤ん坊まで精液まみれだろう。
ある日、貂蝉は母乳が出る様になった。
しかし、それは全て王允に飲み尽くされた。
貂蝉は身も心も枯れ果てたが、ある日、ついに出産した。
しかし出産した直後のまんこを面白がられ呂布に槍の柄を入れられ、ついに発狂して死んだ。
そして生後、間もない女の赤ん坊も董卓に処女を奪われた。
耳をつんざかんばかりの泣き声を上げていた赤ん坊も、やがて静かになった。
死んだのだ。
貂蝉の一生 完
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/12 01:45
>>95 あれは平時だとは思わないが・・・
ただ竹中半兵衛の稲葉山城奪取とか・・・
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/13 10:03
半兵衛が乗っ取ったのは井口城と呼ばれる稲葉山の裾の館だってさ。
城攻めの名手って、築城の大家に通じない?
秀吉とか如水。
藤堂高虎って城攻めの逸話あるか?
103 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 10:33
ていうか土木工事が得意で、その才能を
城攻め(付城、水攻め)や築城で発揮したと>秀吉
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 10:37
>>103 うん?、どっちかっつーと秀吉の築城の素晴らしさは、
城下町という概念を取り入れて、経済ブロックの中心としての城という
築城を完成させたところにあると思うけど。
どうも、城とひとくちにいっても、元亀天正以前の一般的な城と、織豊時代以降の
いうなれば現代に残っている形体の城とをごちゃ混ぜにしてないか?
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 12:00
>102
>104
城攻めではなく、城作りの名人です。
メジャーではないけどね。
秀吉の城作りスタッフには、必ず高虎有り。
七尾城はどうして話題に上がらないの?上杉謙信が1年以上かけてようやく落とした城だよ
落城に至るまでの経緯は悲惨なものがあるけど…。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 15:30
>>105 城下町という概念は秀吉オリジナルでも信長印でもないよ
>>108 調略内応でやっと落とした城だからねー
このスレの趣旨とはあまり・・・
>>109 うん、だから「取り入れて」って書いた。
経済の中心としての城のあり方を完成させたのは大坂城だと思うから。
やっぱ天下人がやるとインパクトあるでしょう。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 19:49
よく知らないんだけど大坂城の城下町ってそんなに凄かったの?
大阪の陣でメチャクチャにされたんだろうか。
>>112 「日本中で最も立派な所で人口二十万」といわれた。
冬、夏の陣でほぼ焼失、廃虚と化した。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 22:18
二十万!桁違いだ・・・
慶喜がへたれだったおかげで悪夢の再現から逃れられたと
いうことか
115 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 00:16
>>105 それってつまり、石山本願寺の寺内町を取り込む発想のパクリですぜ。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 03:07
当時、関東の安土城と呼ばれ
今では怪談話とそれに群がるDQNのメッカである
八王子城はどうですか?
>>116 あそこ、どういうわけだかオカルト板で有名だよね。
前行ったときも場違いな感じの兄ちゃん4人組がいた。
まぁ、オレも場違いに見えたのかもしれないが。
>>117 んなこたないぞ、侍に怨念なしだ。
君の方が圧倒的に正しい。
>>118 まぁオレもハイクと城廻りを掛け合わせて趣味にしているんで、
あんまり正当な古城好きとはいえないんですけどね。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/15 07:48
オリエンテーリングに通じるものがあるな>城廻り
>>120 城廻とオリエン(本式のやつ)は全然違うんだけどね。
てか、なんでオレがオリエンテーリングもやってるって知ってんだ。
なんかドキドキしちゃったじゃないか・・・
結局 日本では
大砲で城壁を崩すことは まず無かったね
123 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 07:06
伊豆山中城攻めは?
遺構など実際見たけど、北条築城術の総決算の街道沿いの山城。
まあ未完成だったらしいが…
わずか半日で落城とは???
124 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 07:11
砥石崩れ
ここで語る「城」というのは、結局は大阪城や江戸城のようなものばかりなの?
「実際の城攻め」を語る要因にはならんと思うよ。
それとも大阪の陣を基本に語りたいの?
126 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 11:09
>>123 あの城は「相手を引き付けて攻撃する」ための城。
敵が10倍の数で攻めてくれば押し切られますな。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 13:01
>>122 なかったけど、大阪の陣で淀君を驚かせて講和させた話しは有名。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 13:06
大砲なんか効かないよ。大砲自体鉛が飛び出す程度の威力。
さらに明治維新の会津若松城見ても城を破壊する威力はなかった。
大砲の登場が、戦国末期だったことと江戸時代にはいって戦争がなくなったことで
運用法が確立されなかったのかね。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 13:14
>>125 おまえ、過去レス読まずに見える範囲だけ読んでレスするタイプだろ。
131 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 14:42
大砲といっても弾丸の直径はたいしたことなかったんでしょう?
作り話じゃないの>淀君を驚かせて
>>131 女中2人があぼーんした記録があるが・・・
133 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 15:10
>130
大砲の登場はもっと古いでしょ。
運搬技術が乏しかったから
実戦であまり使われなかっただけで。
134 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 19:55
誰の記録?おしえて君ですまん
135 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 21:31
毎晩うるさくて眠れないから
講話したんじゃなかった?
136 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 23:27
>>130 ワラタ
125はすぐ力攻めで城を落とそうとする、持久戦のできないタイプだと思われ。
大坂攻めのときの大砲の弾にはカチ糞が使われていた、場内に飛び散った
カチ糞弾は異様な臭気を発し淀君はそれに耐えられなかった。
篭城側に糞を喰らわすという今での常識の逆を行く戦いであった。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/16 23:51
>>123 城兵3千ぐらいに対して、秀吉軍は6万。
さらに建設途中の曲輪があったりして、そこを拠点にされたらしいぞ。
でも善戦したのも間違いなくて、秀吉方の武将、一柳なんとかが戦死してたりする。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 00:07
淀君が驚いたのは大砲の破壊力よりもむしろ、音響効果に対してじゃなかったっけ?
140 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 00:18
オスマントルコなんてのは大砲の運用に長けていて
石を積み上げた西洋の城塞を攻めるのは得意だった。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 00:42
火力で攻めるのは基本。旅順やセバストポリみれば判る。
でも包囲、迂回して無力化するほうが賢い。
>>141 まあ状況によりけりだろうな、包囲しても部隊が小さくなっては危険だし
時間もかかる、迂回も孤立する危険性はある。
基本どうりに攻めれるなら基本どうりに攻めるのが吉
一柳直末ね
箱根も険しく、街道しか大軍と荷駄を移動できないわけ
その街道のここしか無いという立地に築かれた山中城
やはり数の論理に当てはまるのか
144 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 01:14
三成の忍城攻めは壮大なギャグ
145 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 01:16
146 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 01:24
大津城攻めでは大砲使ってます。三成も大砲使ってます。
どちらも効果はあったよ。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/17 04:22
>>143 いや、障子堀とか、相手を引き付けて攻撃する為の施設が多いでしょ。
あの城。結局のところ、相手が侵入してくることが前提の城。
正直、数で押し切られるよ。相手が10倍もいればね。
まあ攻める方も損害は覚悟しなきゃならないけどね。
>>145 三成が忍城攻めの時、秀吉の備中高松城攻めをまねて水攻めしようとした。
5日で堤防が出来上がり、水も貯まり、水攻めが成功したかに思えたが、
急な大雨で堤防が決壊し、その鉄砲水が三成勢に襲いかかり
攻城どころでな無くなったという、三成一世一代の自爆ギャグのこと。
>>148 三成は笑いのセンスがあるんだね
三成は小田原攻めの時、他の城を攻めてないのかな??
そして、他に笑える話は…
秀吉も紀州太田城攻めでは水攻めしたけど
堤防が一部決壊して結構死者がでてるけどね。
でも結果的には水攻めが成功して太田党ら紀州地侍連合は
降伏したが
鎌倉時代に城があったら戦術はかわっていただろうな
153 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 16:55
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| ノ′ ヽ 〔 ミ
} } ′ } {
.| .ミ .< 〔 〕
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{ ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
155 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/15 22:36
たけし城参照
年末保守作業
あるネット関連会社の社長は、「いずれにしても2ちゃんねるは
資金が底をつけば終わり。あまり知られていないことだが、
2ちゃんねる内部関係者によると今、大手通信会社系が調査費名目で資金提供している。
だが、それが止まれば続けてはいけないだろう」と証言する。
2ちゃんねるが判決によって力を失った場合、資金提供の打ち切りも予想される。
http://ascii24.com/news/reading/causebooks/2002/07/01/636911-000.html 以下、別の記事のキャッシュ
http://memo2ch.tripod.co.jp/article.html 2ちゃんねるに近いあるインターネット関連会社の社長は、2ちゃんねるの幹部から得
た話として証言する。「2ちゃんねるは、運営者や幹部などがそれぞれ別々に会社を
作りカネの流れを見え難くしているが、実際の資金源は複数の大手通信会社系からの
調査費名目のカネ。月額で計約700万円と言い、年間にすれば1億円近く。額はともあ
れ、これは通信会社系的には、ぼう大なトラフィックを調査すると言う表向きの理由
が一応は立つ。自社系に都合の悪い書き込みがされた時に優先的に削除してもらうこ
とも期待している」と前置きし「通信会社系の削除の期待も含めて、2ちゃんねるは
総会屋と同じになっている」と言うのだ。
その具体的な理由として社長は、こう話す。「2ちゃんねるはボランティアの削除人
が書き込みをチェックして、好ましくない書き込みを一所懸命削除している、という
ことになっているが、あれはウソ。削除人には給料が支払われ、その給料の原資と
なっているのが、まずいことを書き込まれた企業が削除要求とともに渡す裏金。これ
はまさに、総会屋の構図そのものだ。これまで裁判になっているのは金額で折り合え
なかったり、裏金を出さない強い態度の企業とだけだ」
四方取り囲んで「一揉みに揉み潰せ!!」っと総攻撃いうわけにはいかんかったのだろーか
159 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 09:44
>>158 そもそも、四方から取り囲まれるようなところに城を作るのだろうーか
160 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/03 14:44
>>159 囲めても攻め込めないように城を作るだろうね。
とは言っても政庁としての城から要害城までいろいろあるので何とも。
161 :
お役立ちサイトです。:03/01/03 14:51
というか、当時の城って今の感覚で言うところの砦だしなぁ、水掘り石垣付きの
豪華な城じゃないし。
(^^)
城を防御するのがうまかった武将って誰よ??
165 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 01:50
>164
真田昌幸
167 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/21 11:55
やっぱ、煮えたぎった糞かけられた奴って居るんだよな。
どうだった?
168 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/22 01:58
>>164 鈴木重秀かな。
織田信長が雑賀を攻めたときに重秀の居城を攻めたけど、ついに最後まで
落とせなかった。
じゃあどんな堅城よ?と思って見に行ってみると、せいぜい「立派な屋敷」
ってな程度のもの。
おいおいすげえぞ重秀・・・
(^^;
171 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/22 23:58
小説で、道に筍の皮を敷き詰める話があったな。
いまなら、バナナの皮なのかな?
172 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/23 00:17
戦国初期の山城には畝状阻塞という縦にのびる空壕が
周囲につくられていた。本丸を中心に放射線状に...といった具合。
攻める側は、おのずと空壕につかまって行動が制限される。
一方、守る側は敵が束のように、格好の標的なって来るから
矢や大岩、礫が面白いようにあたる。
まともに行っては被害が大きいので攻城側は城を包囲して
持久戦をとることが多かった。
実際、城攻めに2〜3年かけた記録が文献なんかに残っている。
後、水枯れといって城の用水の供給源を絶つ方法もあった。
北条綱成は名守
川越夜戦は氏康が上杉連合軍の予想よりも素早くやってきたからではないカナ。
>174
講和を餌に油断させて奇襲。
夜戦ではないという説もある。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/29 23:09
実際、城を囲まれる前に迎撃(奇襲)できないで
籠城戦になり、圧倒的に兵力差がある状況で撃退した例ってあんの?
囲まれたら終わりな感じがするんだけど。
(謙信の小田原攻めは大軍を率いているがゆえの遠征疲れ&兵糧不足&
各参加武将の領地の国人の動向等々で短期決戦に持ち込めなくて撤退しただけ
だろうし、真田VS秀忠は経験の圧倒的な差ゆえだろうし。)
177 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 00:19
>176
とりあえず、厳島、岡豊。
前線の小城入れれば、後詰めの成功例はいくらでもあるでしょ。
普通に農閑期に攻めて、農繁期に撤退ってのは良くあることだとおもうが。
兵濃分離の進んだ戦国後期になると、籠城側不利になるだけでは?
179 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 05:25
>>178 城攻めしているほうも無尽蔵に兵糧や物資がある訳ではないよ。
普通、人間をン万人も数ヶ月間動員させたら、国が傾く。
(一人一日五千円相当ぐらいの労働力を国から奪っているに等しいのだから)
180 :
無名武将@お腹せっぷく:03/01/30 14:21
篭城戦が長引くことを想定して攻城側も敵の城の近くに城を築いた。
これを向城といって、こうした城を敵城を取り囲むように
いくつも築いて一定の軍勢の長期滞陣が可能になった。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 21:27
俺も、戦国時代のあんまり立派でない城攻めについて、読みたいなあ。。
戦国時代の城って、砦に近いものがあったんじゃなかろうか。。。期待。。。
>>180 >いくつも築いて一定の軍勢の長期滞陣が可能になった
長期対陣が可能なほど物資を共有できる経済力と
長期対陣になって諸将の不満・嫌戦帰陣感情を抑えられるほどの
統率力があってはじめて可能な話。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 21:43
180の意見の方が面白かったけどな..敵の本拠のそばに
砦をたてるって多かったからなあ。。。(そうだったのか!うんうん?)
みたいな気持ちになったけど。(笑)
184 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 21:45
戦国末期の秀吉ならそうやってじっくり攻めたわけだが、
動乱の最中では
>>182のいうとおりだわな。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 21:54
えっ?別に、秀吉以前からしょっちゅうやってたような。。
桶狭間のときも、有名な砦が3つ?だっけ?
敵の本拠のそばに、砦をたてるってのはむしろ常套だったんでないの?
(とか思う)
186 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 22:20
高橋紹雲が討ち死にした岩屋城って、どのくらいの規模の城?
紹雲でなければ、粘ることすらできないくらいの城だったのか?
向城という物は敵の城を攻めるための監視と出撃拠点の役目をはたす城のことで
付城または陣城と呼ばれています。軍団の規模に応じて作られていました。
私持っているの資料から考えますますと、戦国中期あたりには盛んに行われていた戦法のようです。
私の郷土には毛利氏や黒田氏の向城の城跡が残っています。最も敵の前線に城を築くのは容易なことではなく、
建設中に妨害されることが多くありました。したがって、まず初戦で敵の兵力を駆逐して
自軍が有利な状況になった後で築城するというパターンになりました。
186
岩屋城は山頂と中腹の尾根あたりに集中的に曲輪がつくられています。
要害に建っている城ですが、わずか城兵763名で5万の攻撃兵を相手に
10日も持ちこたえるなんて考えられません。
文章がおかしくなってしまいましたので、もう一度。
向城という物は敵の城を攻めるための監視と出撃拠点の役目をはたす城のことで
付城または陣城と呼ばれています。軍団の規模に応じて作られていました。
私の持っている資料から考えますと、戦国中期あたりには盛んに行われていた戦法のようです。
私の郷土には毛利氏や黒田氏の向城の城跡が残っています。もっとも敵の城の前線に城を築くのは
容易なことではなく、 建設中に妨害されることが多くありました。
したがって、まず初戦で敵の兵力を駆逐して自軍が有利な状況になった後で築城するという
パターンになりました。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 23:35
本当に要害堅固であるならば通路を封鎖すれば相手が何人いても
同じかもしれんの。
交代しつつ攻め続ける相手に対して城兵の体力がどれだけもつか、
矢玉はどれだけもつか・・・という問題になるのかも。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/03 23:38
>>188 陣城は敵城の近くでなくても、布陣した場所を陣地化したものを
そう呼ぶわけだが。
>>187 ご返答感謝。改めて考えてみたら、本当に絶望的な兵力差だものなあ。
763 VS 50000
192 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/04 00:05
篭城する側にとっては不安の連続だろうな。
一つ、また一つと郭が陥落していくわけだから。
まさに追い詰められる恐怖。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/05 22:27
水が確保できる山頂に城が作られる。
水が出ないといくら険峻な山でも城はつくらない。
>>176 関東管領上杉顕定VS長尾為景(謙信パパ)&房長(政景パパ)
@坂戸城
為景を征伐に圧倒的な兵力で越後に来た顕定(まだ関東管領は強大だった)
初めは順調だったが国人の懐柔に失敗し、次第に泥沼化
動揺が見えてきたところで管領派だった房長が寝返り。
居城の坂戸城は関越国境の戦略要所であったため、退路を絶たれかねない顕定は
総力を挙げて城攻め。
坂戸城は典型的な山城だが、防御正面は魚野川に面しこれを堀のようにも使えるし
敵に背水の陣を強いることも出来る絶妙の距離関係
他の攻め口は一列で進まざるを得ない尾根筋2本のみ
顕定は正面を避け側面から攻撃しようとしたものの案の定釘付け。
ここに春日山から為景勢が合流し、房長勢と挟撃。
大将の顕定も討ち死にと、文字どおりの殲滅戦となった(道路工事の際人骨多数出土)
この合戦むしろ篭城を攻撃的に使用した一例ではないかと。
>>194 まあ、篭城ってのは援軍と敵の疲弊→退却を期待できることに
意義があるからね。
真田家の徳川家撃退なんかもそんなもんだし。
196 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 23:03
>>193 城内に貯水池が造られている城もあります。
水がでないと城が造られないとは言い切れないのでは。
197 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/17 23:06
水の手が無く、麓の川まで汲みに行ったという伝承のある
山城を聞いたことがる。
瓶割り柴田ってどう?
198 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/18 00:02
発石車や破城槌みたいな、城攻め用の兵器って日本にもあったのかな?
刀や鎧なんかは当時かなり海外に輸出してたらしいけど、逆に外国の兵器が
日本に伝わることってなかったのかな。連弩なんかは篭城戦に便利だと思うんだけど。
弓道の弓なんか見てたら殺傷能力は凄いありそうだよ。大きく長い矢がビュン!!!
あんなのを束で撃たれたら確実に死にそう。
連弩をわざわざ用意する必要は無さそうですけどw
朝鮮の役では牛革で防御された亀甲車を日本軍は使用したという。
主に城壁を崩すために使われたらしい。
201 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 00:46
198です。レス、感謝。
>>199 弓って、力も技術も必要かなと思ったんで。それに、三国志を読んで古代中国の武器に
関心を持った武将とか、いなかったのかなあと思ったんです。
>>200 そういう兵器が日本にもあったんですね。勉強になりました。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/19 00:55
というか戦争なんて皆が皆弓がうまかったり槍の名手だったりしないんだから、
弓道と戦に使用された弓を同視するのはどうかと。
>>198 連弩w
中国で実際に連射可能な弩が作られた事はあるが・・・
連射可能→弦は引きやすい弱いものを使う→威力ナシ
毒を塗れば素肌の相手になら通用するかもしれない、という程度の武器。
当然、本国ですら廃れた、つーか実用化されてない。
発石車→石壁や日干しレンガの壁は日本にないから実用性低い
槌→丸太をぶち当てて門を破るぐらいのことはしていたようだ
>>199 今の弓道の弓なんて弓力がせいぜい25キロぐらいだろ。
戦闘用の弓はその倍はあるから。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:03/02/24 22:43
向城というとすぐに思いつくのが墨俣城。
結局秀吉だろと言われればそこまでだが。
205 :
無名武将@お腹せっぷく:
ディスカバリーチャンネルの、中国文明特集では絶賛されていたが
欠陥兵器だったのか連弩・・・
日本では弩自体が廃れたが、世界中みても弩より弓の方が主流だね。