筒井殿。家康はもうこの世にはおらぬ。
このスレも残すところ後30〜50スレで終わるので御座る。
貴殿と志を同じとした者もおりまするぞ!どうかどうか
我等のお気持ちをわかって下され。
つついさんへ
落ち着いてくれ。荒れまくったからやり直すらしい。
店員が信用ならんならおいらを信用してくれぃ。
あのぶち切れ逃亡にも一応訳があるらしいぞ・・・。
金吾殿。キリ板でご登場とは。
筒井殿。今回のスレの目的は前スレ「関ヶ原で西軍が勝った場合」
のその前の物語を話すスレに御座る。家康が不幸の死を遂げた今より
新たな物語が始まりまする。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/10 23:35
筒井はエロが苦手らしい
>702あげるな!
676 :
無名武将@お腹せっぷく:02/12/11 02:58
最低だな、店主。
何だか、お前が可哀想になってきたよ。
同情する。
近習の者を数名切った後、家康の亡骸を背負い血の滴る刀を持ち
ながら、ゆっくりと歩いていた。だれも忠勝の異様な雰囲気に近
づこうとはしない。井伊の陣の前に立った。
「何奴!」
誰何の声が聞こえる。
「本多である。直政殿を呼ばれよ!」
筒井の天下統一の邪魔をしたわけだから怒るのも無理ないか
680 :
筒井定次 きりしたん:02/12/11 20:55
天下とかそういうことで怒ってなんかいない。
福島正則の名で、下らない話を書き連ねる行為を、710さんならどう思いますか?
筒井の名で、他の大名の艶聞をトリップなしで書いたならば、あなたは認められる?
敵の大将がその書き込みで殺されたってのに、少しは不満持つでしょ。
あれで、お話も作れないことになったんだよ。何のために関ヶ原以前に戻ったの。
敵の大将への憐れみ、武士の情けある書き込み内容だと710は思うの?
反省の必要があると思うよ、あれ書いた人は。演じられた武将が可愛そう。
筒井のトリップはね、きりしたん。僕、もうこの遊びやめた。
うんこAA荒らしもどうかと思うけど、今度のあれには付き合えない。
バッハハーイ。
布 告
続きを書く者は名前にスマソといれること
コテハン英雄列伝
筒井くん (筒井定次)
知識…A
戦闘…C
智謀…S
マターリ…A
中期ネタ組みとしてスレに参画、その愛すべきキャラクターと変化球的書き込みで他コテハンを魅了した。
高い歴史知識と戦略眼で、相手の書き込みを正確に読み取り、的確な判断・行動を行うことの出来た真の意味での強豪でもあった。
とかく腹黒いイメージで言われ勝ちであったが、彼は一度もコテハンを罵倒した事が無い。
筆者が最も愛し、そして信頼した優良コテハン。
二番煎じだな(藁
織田家臣木造大膳が後に実弟滝川三郎兵衛に充てた手紙によると
その日は初夏にしては蒸し暑かったという。
岐阜城から兵をまとめて後退した織田兵は松尾山の近く宇喜多隊と大谷隊の間あたりに布陣した。
街に続いて居城にまで火をつけられた領主はいつ怒りを敵にぶつけてやろうかといきりたっていた。
しかし実質兵馬の権を司る木造具康や百々綱家は不安だった。まだ織田兵は実戦をしていない。
朝鮮へ渡海した者も少しはいるがほとんどは戦を知らない美濃の若者達だ。
果たしてどこまでコイツらは持つのか。朝鮮へ渡海した綱家は思った。
銃声がどこかで鳴った。交戦が始ったようだ。
織田秀信「前進せよ」
声だけは祖父に負けず劣らずの怒声により織田隊は前進を始めた。
毛利先手の敗報。驚きを隠せないまま、大垣を後にした毛利軍。
関ヶ原に後退し、南宮山に陣を敷く。このまま戦闘となれば、大坂の本隊は間に合わない。
大坂に早馬が走る。その見事な鹿毛は、この一走によって二度とは動かぬこととなる。
太閤秀吉より賜わった、名馬太平。太平という名の馬の死は、何を暗示していたのであろうか。
使者の到来は、大坂城内に波紋を投げかけた。知らされた真実は、先鋒の敗走。
もっとも、そこで失われた兵は少ない。しかし、戦国の人々にとって、負けの意味は想像以上に大きい。
秀頼出馬が取りやめとなった一事を見ても、その影響が計り知れる。
毛利家当主は、その持てる兵の全てを大坂より美濃に振り向けた。
その数二万。家を賭けた博打である。
輝元に、もう少しの度胸と図々しさがあれば、秀頼を無理にでも連れての出馬となったに違いない。
良くも悪くも、それが毛利の当主の律儀さである。
安国寺恵瓊が死の床で漏らした言葉が今に伝わっている。
「本家に今少しの肝があれば、関ヶ原は楽な戦であったろう。」
何はともあれ、西国の太守は、その重い腰をようやく上げた。
輝元が残した日記には、この日のことは書かれていない。
翌日の日付では、こう書かれていた。
---伊賀者の企みを見逃しておけばと悔やまれる---
後世の小説家の数人がこの企みを小説と上梓しているが、筒井家の秀頼服毒の策謀と気付いた者は、
現在に至るも現れていない。
出陣の直前、毛利嫡男・秀就のもとに、文が届けられた。
「がんがれ」
つたない字で書かれた、一通の手紙。
これが秀頼の文であるかどうかは、史家の中でも結論が出ていない。
小説に
読み返してみると、見えぬものも見えてくる。
立花と島津が同一であるとか。