1 :
無名武将@お腹せっぷく:
これは、結果的に(長い目で見れば)呉にとって失策だったと考える。この時、呉が得た利益は荊州で、なるほど、これは大きな収穫だが、逆に蜀との友好を損ねて閉まった上、魏を安心させることになってしまった。
確かに大義名分上では、いつまでたっても荊州を返還しない蜀に非があるのだが、戦略上からすれば、もう少し辛抱すべきであった。この時、最大勢力の魏は関羽に押されて結構危機的状況であり、曹操も遷都を考えたほどであった。
史実ではこの時、呉が荊州に攻め込み、関羽を斬ったので、魏の脅威は一掃され、夷陵の戦いで蜀呉が戦力を浪費し、魏の優位を絶対的なものにしてしまった。事実、劉備が討呉の軍を挙げた時は孫権は講和を望んでいる。
蜀と全面対立したくないのならば荊州侵攻などするべきではなかった。が、もしこの段階で呉が荊州に攻め込まなかったらどうだろうか?曹操と関羽が中原で激突し、やがて劉備も蜀から関中に攻め込み、総力戦となっただろう。
蜀が優勢でどんどん魏を圧迫するようならば、そのまま静観するか、或いは魏の隙に付け込み、徐州・淮南方面に進出するなどして、蜀魏の力関係が逆転するまで待ち、そののち魏と同盟を結び、荊州に攻め込めば、
長期に渡る蜀魏の疲弊などから呉が最大勢力となることも不可能でなかったと考える。
また、魏が優勢ならばそれこそ徐州・淮南方面に進出して魏を牽制して蜀有利の状況を作り出すべきであった。孫権の外交戦略能力はこのころから冴え渡るようになってきたので、決して不可能なことではなかろう。
2ゲット
∧_∧
( ´∀`)つ 削除依頼出しとけよ。ハナクソ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:09
とにかく、蜀呉の対立は最大勢力である魏を喜ばせ、更に強大化させることになるのである。
いかに荊州問題という爆弾を抱えていても、蜀呉は全面対立をしてはならないのである。
魯粛はこれを熟知していたようであり、もし魯粛がこの時まで生きていれば荊州侵攻をさせることはなかっただろう。
しかし、不幸にもこのときの呉の総司令官は呂蒙であった。確かに呂蒙は優秀である。
しかし魯粛とは優秀の質が違う。
魯粛は政治家としてであり、呂蒙は軍人としてである。呂蒙は戦術の妙では魯粛より上かもしれないが、戦略では魯粛はもちろん、張昭にも到底及ばないだろう。
呉が荊州に攻め込み、まして関羽まで斬ったらどういうことになるかということを考えていなかったのではないだろうか?
呂蒙らが劉備と関羽・張飛が固い絆で結ばれていることを知らなかったとは考えにくい。
劉備が弔い合戦に出てくることは必定で、どうやら呂蒙はそれは撃退すればいいだけのことと考えていたようだが、呉にとっては蜀との全面対立で既に戦略的にまずいということまで考えが回らなかったようである。
呂蒙は所詮は叩き上げの軍人、国家戦略についてはド素人だったと思われる。
それどころか、孫権は関羽討伐後、蜀の攻略を目論み、周泰を漢中太守・奮威将軍に任じているが、これは呂蒙の考えによるものではなかろうか?当然ながら呂蒙は孫権に信頼されていたので孫権が呂蒙の意見をそのまま受け入れてもおかしくない。
しかし、もし蜀を魏と折半したらどうだろうか?魏にとって敵は呉だけであり、呉は頼れる同盟国もなく、280年の時のように一気に滅ぼされてしまう可能性がないとは言い切れない。
呂蒙は関羽討伐にあたり、仮病で陸遜と交代しているが、本当に重病だったのかもしれない。呂蒙は自分の寿命が長くないことを知っていたので、なんとか青い目のうちに、事後処理まで考えが回らず、荊州侵攻を成し遂げようとしたのかもしれない。
5 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:13
ake
6 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:24
age
7 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:32
その程度で魏が本当に弱体化するはずがない。
魏が本気を出せば関羽ごとき例えハン城を占領したとしてもすぐ追い払われる。
あんた魏の力を侮りすぎ。
しかし呉が内部の「関羽討つべし、荊州得るべし」の感情を強引に抑えた場合、
内部から脆く崩れる遠因を成す事になったかも知れないな。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:42
>9
いやいや、>7の言う事はこのスレの主旨から何も外れていないと思う。
関羽が負ける場合も考慮すれば、荊州を魏に取られるよりはと、
孫権らはそう思ったのかも知れないし。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:46
なんでだよ、いずれにせよ魏を倒せなけりゃ意味無いじゃん
荊州を取った次は本格的に益州を取るべきだったんじゃないの?
それを中途半端に腹の座っていない戦略に終始したからいけなかったと思われ。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:55
いずれにせよ関羽の譲陽侵攻による魏の動揺は例えていうならな、森の中を
歩いていた虎がいきなり横から飛び出してきて吼えまくる怖いもの知らずの
犬に一瞬驚いただけだぞ。
14 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 13:58
>>13 国力の差があるとは言え、魏が押され気味だったのは事実。
魏が、自力では決定打を何もうてなかった事からもそれが証明されよう。
「勢い」で都が落ちる危険性だってあったからな。
しかも「犬」か「狼」か知らんが、荊州の他に益州からも攻めてくる可能性はあったし。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:08
犬が何ヶ所から出てこようと、虎が一瞬の動揺の後に身構えたらそれで
おしまい。
干禁が蹴散らされておいて、犬に驚くはないだろ
19 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:15
干禁なんぞ虎の横っ腹の毛にすぎん。 ちょっと抜かれただけ。
ちょっと痛かっただけ。
このスレッドに曹操軍が攻め込みましたぞ!
ブーン
このスレッドは敗北しました。
>>1「命だけはお救い下され・・・」
>>1の処遇を決めて下さい
→斬首
解放
登用
>>1「無念・・・」
>>1は処刑されました!
このスレッドは滅亡しました!
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:26
魯粛・陸遜は神!呂蒙は部落!周瑜はカス!
このスレでは呂蒙をけなすスレにもなりますな
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:32
部落ってなに? ブラクラ? 落ちこぼれ?
>21-22
部落の話題は別の板でやるように。
于禁を雑魚扱いかよ…演義厨なのか?
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:39
まあ、呂蒙は戦略眼は3流なのは同意。
関羽は5流だが
関羽が死んだだあ、呂蒙が死んだだあUzeeeeeeee!!!!
荊州は重要な拠点なんだよ。
劉備が関羽の仇討ちだ?
ありゃあ単に荊州取り返しにきただけだよ、ヴォケ。
漏れも劉備が魏ほっといて取り返しに繰るとはおもってなかったYO!
劉備は素人。逝ってよし。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:44
周瑜はカスだが呂蒙は最高だぞ。頭わるいから学問学んで
あの地位まで昇った彼は人間の鑑だぞ。
「男子三日あらざればカツモクして見よ」は名言。
でも中国で一番嫌われてる・・・・
28 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:48
単純に孫権は関羽が怖かったでいいんじゃん。
荊州本城取られたにもかかわらず驚異的な粘りをみせてたし、
(まぁ曹操が手を抜いてたってのもあるけど)ぼろぼろになりながらも
荊州取り返そうと攻めてきた。ここで関羽を逃がして本国の兵で攻めてくると考えられればどうだろう?
もちろん関羽だけじゃなく他の将軍揃い踏みなんて事になったら荊州領民が反旗を翻すかもしれない
戦わずして領地がなくなる。そう考えたら生かしておけないだろう。処刑は当たり前である。
そのとき孫権の頭には、劉備、関羽、張飛が義兄弟で死ぬときは一緒だなんて誓い合っていたなんて
頭にはなかったはずである。冷静な判断が出来ないときに最重要な判断をしなくてはならないのに荊州を
自分の手中に収めた喜びの中で判断してしまった。我に帰ったときには劉備に攻められていたけどね。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 14:55
四万の劉備軍なんぞ20万の呉軍から見ればこれまた虎に吠え付く犬なんだよ。
>>31 史実と演義が混在してますね
酔っぱらってます?
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 15:13
ああ、血の色に酔ってるさ
>>32 荊州争奪戦(関羽)演技のときの数字じゃないの?
呂蒙が3万、孫権17万?
関羽3万、守備隊1万?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 15:24
だからな、呉は実際は20万以上の兵力はあったがたかが劉備の4万なら
こっちも5万でいいだろう、てことで夷陵は4万VS5万になったの。
関羽のときの荊州争奪戦の兵力は良く分からん。
なんだかんだで、結局はこの手のネタに喰いつくんだな…。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 15:32
そりゃそうだろ。このとき荊州を取れるか取れないかで後の歴史書の呉と蜀の
勢力図が決まるんだから。
呉滅亡時の兵力が23万です。
荊州半分、交州の支配半端で20万はないと思います。
天下取れるかどうかより、勢力図争いかYo
呉の荊州支配は、長江流域を抑えるためのものだろう。
船がなければ、江南に渡れないのだから。
長江さえ押さえてれば、敵の心配をする必要ないからな。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 15:47
まぁ蜀には天下統一は無理だろう。戦ってもらわないといけない
魏って言うか仲達ちゃんにヒキコモリ行為させちゃうんだもの。
>>41 その為の北伐です!
賢い人にはそれが解らんのですよ!
43 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 16:54
滅亡時の衰退しきった時で23万なんだから最大動員力は30万はあっただろ。
そこから荊州・交州半分引いても20万はあるだろ。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 16:55
荊州のほうが揚州より動員力あると思うが
揚州は広いだけで人がすくない。
>>1 どこを縦読みor斜め読みすればいいのですか?
あなたはこのスレッドを立てた時、 どれだけのレスがつくと思っていましたか?
500?それとも1000?
毎日、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います。
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限り レス300も突破することなく、
数々の駄スレと同じ運命をたどって 奥深く埋もれていくことは確実でしょう。
「自分の立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」
きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう。ですが、
客観的に見てあなたのスレッドは、残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません。
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、
普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです。
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた。
そんなあなたが気の毒でなりません。 人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・。
だからあなたにこのレスを書きました。
私のこのレスが「レス300突破」に微力ながら貢献できるのならば、
そして私のこのレスが、スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、
こんなにうれしいことはありません。2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった
不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・。
47 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 18:08
とにかく呂蒙が無責任すぎる。
やはり魯粛がもう少し長生きして、陸遜にバトンタッチしてりゃよかったんだ。
呉にとって確かに関羽なき蜀は恐れるに足らずかもしれない。
しかし、蜀との対立はどう考えても呉にとってマイナスである。
荊州問題で両者の利害が一致していれば、魏は安関としていられなかったはず。
魯粛はそれを知っていたが、叩き上げ成り上がりの呂蒙にはそんな高級な戦略は理解不能だった。
叩き上げでは、努力すれば戦術は進歩するだろうが、戦略眼というのは生まれつきの能力に近い。
いくら努力しようと呂蒙には無理だっただろう。
その後の三国の経緯(蜀呉の全面対立)を見て、地下で呂蒙は「しまった!一番得をしたのは魏か!」と感じたことだろう。
それよりなによりただ、「荊州がホスィ!!!!!!」という単純な欲望に従っただけだと思う。
このスレ・・
レベル高っ!無双厨は入れないスレだな。(俺は違うが・・)
そうか?仮に魏がここを攻め取り関羽を捕らえて関羽が曹操につくと
呉にとっても大変な事になるだろう(一度曹操の元で戦ってるので
ありえないとは言い切れない)または関羽を魏が捕らえてそれを蜀に
返すという口実で蜀と魏に組まれたらどうするか?
さらに荊州問題で国交は悪化してきているし呉妹を自国に
戻してしまっている事から国交はかなり悪い状態だろう
それなら荊州をとり敵国の優秀なる将を一人減らしてしまったほうが
(・∀・)イイ!との判断では?
俺には孫権の腹がよめないな。天下を取りたいのかケイシュウだけが欲しかったのか
呉が豪族連合体であることは周知の事実だよな。
孫権や呂蒙個人が単独の判断で荊州を望むことは難しいんでない?
赤壁の戦いへの恩賞と自領の勢力拡張を図りたい豪族からの突き上げが長い間あったと見るべきでは?
呉の名家である魯粛はそういった豪族の不満の声を抑えることが出来たが、
そうでない出自の呂蒙には無理だった可能性もある。
まぁ、特に確証できるような記載もソースもないので「妄想だ」といわれても仕方ないけど。
あと
>>51の訂正
赤壁の戦いへの恩賞×
赤壁の戦いに対する恩賞○
53 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 18:48
>>49 >関羽を魏が捕らえてそれを蜀に
>返すという口実で蜀と魏に組まれたらどうするか?
まずありえない。てかそんな外交アリ?
いや、荊州を取ること自体は別に問題ない。
呂蒙の戦術は実に巧妙で文句のつけようがない。
ただ、荊州占領後のことを考えていたとは考えられん。
のちに孫権は劉備との講和を望み(拒否されたが)返還も条件に加えているが、
これは「荊州<蜀との同盟」と言ってるようなもの。
荊州侵攻は戦略上のミスだと認めているに等しい。
>>51 >自領の勢力拡張を図りたい豪族からの突き上げが長い間あったと見るべきでは?
それはないでしょ。豪族にとって一番大事なのは自領の安泰。
それは赤壁前夜の降伏論からも読み取れる。
>豪族にとって一番大事なのは自領の安泰
それは勝ち目が薄い場合の話でしょ。
魏が呉に攻め寄せた時みたいな圧倒的な敵に対しては降伏論が主を占めるだろうが
蜀に対して勝ち目が薄いと考えてた豪族が呉にいたかね?
自分の勢力を伸ばしたいと考えて行動するのも豪族の一面だと思うよ。
勢力が増えれば養える私兵の数も増えて、呉における発言力も増すからね。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 18:56
別に呉領が増えても豪族の領地は増えない
荊州にも豪族は居る
戦に協力する豪族の領地が増えないというなら、
豪族が懐を痛めてまで私兵を出す理由はなんなんだ?
呉は孫権自体が所有している私兵が少なく、豪族の協力なしに戦争は行なえないぞ
57 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:08
呉蜀の荊州争奪争いに関しては、
最終的には諸葛亮の外交上の失点と言う事になるんかなぁ?
関羽に責任を負わせるのも酷な気がするし、
かといって呉に荊州を諦めろと言うのも無理な話だったろうし・・・
荊州問題に関しては正史も鵜呑みにできん気がするので、
赤壁後の両陣営の交渉の内容とか知りたいなぁ。
揚州では豪族勢力強すぎてこれ以上兵増やせない
↓
関羽が動いた、少数の兵でも荊州侵攻可能
↓
荊州討伐&支配(・д・)ウマー
じゃねえの?
結果論だが、劉備の再侵攻も防いで、劉備死後だがまた同盟組め
てるので失敗とは言えないと思われ。
中華全土支配を呉という国は望んでいなかったと仮定するなら、
滅びるまで荊、揚の支配は揺るがなかったわけだし。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:37
呉だって蜀と組んでいくら頑張ったってそうそう魏を倒せる訳無いと思ったから
それならせめて自国の力を付けようと関坊の野郎がいないうちに残った荊州を
奪ったわけだろ。
とっとと関坊を漢中に入れときゃよかったのに、所詮呉にとっては山奥の蜀が
攻めてきてもどれほどのこともできないのを読んでたんだよ。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:43
そもそも関羽自体にも問題がある。
荊州本城が落ちたとき無理して取り返そうとした。
兵のほとんどが荊州兵なのに無理に突き進んでしまった。
それで挙句の果てに兵力削られてあぼーん。孟達が援軍送らなかったから
負けたんじゃなくて意地になってこだわりすぎたから捕らえられたんだよね。
大問題だと思うけどどうよ。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:44
>>59 うん、呉の戦略としてはそれで全く間違ってないと思われ。
少なくとも呉は中原進出を現実目標として持っていなかったと思うし。
結局、蜀と呉は組まないとどうにもならなかったにも関わらず、
お互いの向いてた方向が正反対だったんだろうな。
劉備軍は出遅れが最後の最後まで響いたと言うか。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:47
でもあの時「荊州とられました〜!!」って逃げ帰るのはヤツにとって
想像も付かないほどの 屈辱的+申し訳なさ+情けなさ 満点のこと
だろうな。 どのみち、自害したかもしれん。
ちなみに、呉が荊州に攻めなければ、関羽をやぶった勢いで魏がそのまま
荊州全域を占拠してたんじゃ
呉にとっては荊州を奪還するチャンスはあの時点がギリギリだったのでは?
益州を治めて間もなく、荊州も劉備に完全になついているとは言えなかった。
あれ以上放っておくと蜀が国としてまとまり、益州と荊州の連絡が密になりだす。
そうなれば呉からは手が出せなくなる恐れもある。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:59
しかし関羽を斬ったのは完全に誤算だった…
>>59 確かにどれほどのこともできんだろうが、蜀と対立する時点で問題アリ
呉って荊州を滅亡まで所領し続けたよな
結果的に蜀が益州を所領してた時期よりも長いんだぜ
それが失策?
わけわからん
晋の時代になっても呉は荊州を守り抜いてるしな
領民が呉側についてたと考えるべきじゃないのかねえ?
関羽を斬らなければ蜀が呉を攻めなかったという確証はない。
逆に呉がいつまでも蜀による荊州支配を放置できるわけもない。
>>1の言ってることも感情的には分からなくはないが、
いつ敵になってもおかしくない他国のためにもう一方の国が我慢する?
それは平和ボケした日本人によるキレイ事だと思います。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 20:14
>>65 でも劉備がすぐ死んでくれたのも嬉しい誤算だった・・・
まともな思考力を持つ孔明が蜀を仕切ってくれたから。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 20:19
だいたい蜀の地から荊州を治めること自体に無理がある。
上杉謙信が関東を無理矢理治めようとするのと同じだ。
孫権は前衛的な考えを持つ国際人
中原が駄目なら海外に目を向ければいいじゃないかと
孔明は劉備の遺言に縛られすぎ
71 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 20:25
こういう場所ならではかもしれんが、意外と蜀びいきは少ないのな。
>>71 正史やその他諸史書を読んでもまだ蜀の天下平定が可能であったと考える人はロマン好き。
たとえ蜀が好きであっても、こういう正史に準拠するようなスレでは支援しずらい。
ただ北伐や荊州問題における失敗を孔明一人のせいにして攻撃する人はどうかと思うがな。
ゲーム厨に対してはいい薬になるのかもしれないけど・・・
いや、なにも荊州侵攻そのものを批判しているわけではない。
魯粛も蜀との全面対決は避けたが、魯粛も荊州は呉が領有すべきだと主張している。
ただ、戦略的には失策となってしまった感がある。
呂蒙は、戦略的というより感情的に荊州侵攻を主張したのではないかとも思う。
まぁ、結果論ですが…
ただし、一番の責任は蜀にあり、関羽にあるとも思うが。
俺が言いたいのは、魏との対立が決定的な蜀の戦力を削ぐような方向にもっていってしまったことが失敗だということ。
まあ、蜀の戦力に被害を与えずに、荊州を占領できたらいいが、それはくだらん理想論になる。
呉は第三者の立場で蜀魏の対立を静観しようとも、蜀が滅びれば、
荊州を得ていようと蜀を折半していても、次は我が身なのだから、蜀とは同盟を結んでいるしかない。
もちろん蜀も呉と同盟していなければならんのだが。
呉の荊州侵攻も、劉備の復讐も短気から発したもので、一番得をするのは魏なのだから…
74 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 20:44
真面目な話、魯粛がもう少し長生きしてたらどうなったのかは興味ある。
魯粛が存命なら蜀よりも先に魏の力を削ごうとしたような気がするし。
魯粛が死んだら結局は蜀と呉で削りあいになるんだろうが・・・
吉川三国志読んでいて疑問。
劉備が魯粛に「荊州の何郡か返す、でも関羽は怒らせないように」って言ってたけど
はじめから返すつもりはなかったの?
それともほんとに返すつもりだったのに関羽が勝手に断ったの?
>>74 マジメな話、if話は他でやってくれ。そういうスレが立ってるから
77 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 20:51
78 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:05
>>75 おそらく劉備は関羽が怒って断ることを計算していたかと?
呉の荊州侵攻も、劉備の復讐も一番得したのは間違いなく魏だ。
>>75 仕方ないのでマジレス
喰うか喰われるかの乱世では、自分達が切り取った領土をほいほい返すのは偽善者というよりDQN
蜀の立場から見れば返したくないのは当然であり、呉の立場からすれば返してもらって当然
蜀の重臣である関羽が独断で断るわけはない。劉備の同意のもとだ。
呉は結局結果オーライ
荊州侵攻が予定通りに成功して
蜀の侵攻も防ぎ
劉備が死んで親呉派(まぁ、これは結果だが)の諸葛亮の台頭
それによって蜀呉同盟成立→荊州磐石化(蜀から攻められる可能性が減るしね)
マジで「ゲームで策略成功し過ぎだよ〜」ってな感じに出来すぎな結果だと思う
まぁ、漏れも横山最初に読んだときは「呉の馬鹿野郎!」とか思ってたけどね
でも呂蒙が(仮病じゃなく)本当の病気だったってのは小説や漫画からでも充分に読み取れるよね
自分の病気まで策略にしてしまうのはある意味恐ろしいんだが
81 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:25
呂蒙って何の病気だったのかな、すでに荊州作戦の頃は苦しかったんだろうな。
思えばあれ以外に目立った見せ場の無いヤツだったけど、最後は実質、関羽と
刺し違えたようなもんだよね。
82 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:30
失礼な!
くたばり損ないの呂蒙が、呉の脅威である関羽を黄泉の国へ道連れにして大成功!
と言っていただきたい
関羽が呉の脅威ねえ…
84 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:31
大金星
85 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:34
86 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:35
呉は関羽を潰して、荊州奪って、ついでに劉備を返り討ちにして
領土は安泰となったわけだからなぁ。
孫権の判断は結果的に大正解。
しかし、その為に未来永劫、脇役&敵役の宿命を背負ったとも言える(w
87 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:10
>>86 >しかし、その為に未来永劫、脇役&敵役の宿命を背負ったとも言える(w
それはどうでもいいと思うが…
>>73を最後にこのスレはネタスレ化への一途をたどっている・・・
89 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:26
じゃあ、蜀の荊州領有の正当性について考えたりしてみるか?
(ろくに戦ってないけど)孫権と同盟して赤壁を戦った訳だし、
(火事場泥棒的だが)荊州南部を一度は領有したわけだし、
呉も荊州の分割で手を打っておいても良かったのではないか・・・と言ってみる。
これでも色々とツッコミ所がありそうだな・・・
実力で確保してれば正当性なんて適当でいいよ
>>90 禿同
正当性なんて後からついてくるもんだしね
勝てば官軍でおじゃる
92 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:41
正当性なんかどうでもいい。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:42
そもそも蜀を劉備が治める正当性が・・・
君ら、みもふたも容赦も無いなー(w
では、呂蒙マンセーと言う事で (糸冬)
95 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:46
野に咲く花とかそんなのだったか?
悪党に使ったのをすっかり忘れてリサイクルしたとか・・・
似たようなフレーズのサブタイ多いし、結構ありそうだ。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:47
俺の友人は、自分の名前の一字と子供(♂)が生まれた年の干支を取った
フリをして”史龍”と名付けた。
”子龍”だと字画が悪かったんだってさ。
その子供はとってもカワイイんだけどねー
将来名前負けしそう・・・
97 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:48
おれっちも耳川新説聞きたいな。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:48
適度にチルドしたら、歯ごたえシャクシャク! Σ(゚д*)ウッマ-!!
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:48
崖から落ちながらつぶやいた
「玄 徳 様」
の意味を考えてみたことはあるか
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:49
信長・三国ものの新品は中古でも結構値がはると思うんだが・・・
つまりあれだ・・・
す げ ー リ ー ズ ナ ブ ル な 店 だ な
101 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:49
お前ら趙雲について語れyo!
102 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:50
このスレもうだめぽ。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:50
平凡だが、諸葛孔明にあやかって、
高橋孝明(たかあき)
榎木孝明と同じ名前であり、一見三国志っぽい感じがしないので、
いじめられる事も無いと思う。
もしくは、
高橋公明(きみあき)
公明党を連想させてしまうのがネックだが、徐晃の字と同じなので、
諸葛亮より徐晃が好きならば、この名前も悪くないと思う。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:50
廖化「わお〜〜〜〜ん」
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
大義名分をあげないと士気が沸かないからあげるだけでしょ
あぼーん
あぼーん
話を続けるが
>>93 実力をもって益州を平定し、劉エン親子の迫害に嫌気がさしてた豪族に迎合された。
正当性なんて乱世においては、あってないようなもん。油断した奴が悪い。
そもそも現在の義に対する認識は後世のもので、この時代の義の形とは多少異なる。
劉備は義の人だから不意打ちで奪い取った蜀の正当性は認めん、
という物言いは現代の道徳観で計った物差しでしかない。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 23:38
公孫サンの北平城って最後の砦として、巨大で堅固だったらしいけどホントなの?
あと、その城って実際に戦ったの?
118 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 23:44
楼閣を何百も列ねた臆病なほどの防御力
三百万石の兵糧を蓄えて何年も篭城するつもりだったドキュソっぷり
実際に何度か戦ってる。そして寄せ手をうんざりさせてる。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 23:48
そりゃスゴイじゃないか! で、最後はどうなったの?
120 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 23:50
袁家に掘られてしぼんぬ。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 23:53
五胡の乱(?)の時に石虎って奴に破壊された
122 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 02:06
「関羽の首はもう目の前じゃ!それ!かかれ!」
呂蒙の大声が関羽討伐軍を叱咤する。
呂蒙の軍勢は一万ちょい、それに対して関羽の兵は七百ちょっとで兵糧は既に尽きかけている。
つまり絶対絶命の状況で、劉備からの援軍を待っている。
あと少しで上庸から援軍がくる、到着したらうって出る。そして呂蒙軍を蹴散らした後には
荊州を取り戻す。それで全てが元通りになる、そのはずだった。
「父上・・・孟達殿、孟達から書状が届きまして御座います・・・。」
「返事は?」
「返事は・・・【援軍は出せぬ】この一言だけにござりまする・・・」
全てが崩れる音がした。
「関平・・・残った兵と将を全てここに集めよ」
「はっ」
20分たったころか、城内にいる全ての人が集まった。
ほとんどの兵がやつれ、骨がくっきり肌にあらわれている。
「皆のもの、よく聞け!命が惜しいものは呂蒙に降伏しろ。
そうでないものはわしについて正面から呂蒙軍にぶち当たるぞ!」
出て行くものは一人としていない。関羽の目にうっすらと涙が浮ぶ。
「わしについていく大馬鹿もの共よ!すぐに討って出る!したくをせい!」
桜桑村で義兄弟の契りを結んだ劉備と張飛の顔が思い浮かぶ。
あのころはよかった。しみじみとそう思う。
物思いにふけっているうちに関平から全兵出撃準備完了の報が届く。
「必ず益州へと戻る。皆のもの、鬨の声をあげよ!」
オー、という掛け声とともに七百の死兵が一斉に進みだす。
一人、また一人と大軍の圧力に押しつぶされていく。すぐに関羽の周りの数十人の兵しか居なくなっていた。
「長兄・益徳!!!関羽雲長、先に逝かせてもらうわ!!!」
ふりだした雨が心地よかった。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 04:15
正当性で思い出したけど
劉奇って まだ生きてる?
124 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 04:18
劉表の息子で
裁帽の妹の息子では無い方
>123
とうに死んでいます。
>>123 死んだおかげで荊州問題復活じゃなかったけ?
>126
演義ではそうなってる。史実はどうかな。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 12:30
129 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 13:47
小説キター
132 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 16:50
そ れ で も 糸吉 局 呉 は 残 っ た
>>123 劉gは荊南四郡接収直後に(限りなく怪しい)「病死」。
荊州牧は劉備に受け継がれた。
134 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/14 18:00
>>1の無能さ加減に周りが音を立てて崩れるような気がした
正当性って。。。
んなの突き詰めたら荊州の所有権は帝室で、まぁ、実質的に曹操だろな。
勝手に世襲できるもんじゃない。
1が「正当性」という言葉を使用しているという時点でこのスレは・・・
137 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:21
いずれにしても、とにかくタイミングが悪すぎる。
蜀は魏の漢中侵攻を撃退し、K州での関羽北上樊城攻略は優勢に進ん
でいた。漢中では夏候淵、K州ではホウ徳を討たれ、魏は明白に押され
ていたといえる。本気を出せば痛くも痒くもないというのは詭弁、そもそも
戦争が兵力や国力が全てならば、そもそも曹操は袁紹に、それ以前に
抗菌族に敗れているだろう。必ず勢いというものが力を持つ。
仮に関羽が樊城を抜き、宛までも得るとなると長安は漢中・宛の双方か
ら狙われることになり、更に合肥から呉が進出、となれば赤壁⇒漢中⇒
K州(関羽が勝ったとして)と連敗続きの魏が揺らぐのは必定。
あのタイミングが唯一、魏のピンチになりえた。それを敵の一方、呉が救
ったというわけだ。孫権仲謀は全く魏の功臣であったな。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:23
「正統性」を全て否定するのはおかしいぞ。
「大義」と言い換えたほうがいいかもしれんが。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:25
ただし、あの時点での問題のひとつは孟達の挙動ではある。優勢に進ん
でいたならば関羽についていたはずだとは思うが。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:26
>>137 呉は「荊州と揚州だけあればいい」だったのでタイミングばっちし。
少ない兵力であっという間に荊州制圧できたわけだしな。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:29
>>140 まあ、先を考えずに一時的に保有すればよしとするならその通り。
ただ、魏という強大国があるときにそれしか考えがなかったとしたら、
痴呆国との謗りは免れんと思われる。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:38
>>137 >K州での関羽北上樊城攻略は優勢に進んでいた。
優勢だったけど城は陥落させられなかった→もっと兵増やそう→荊州から兵呼び寄せる
→荊州陥落なわけでこの戦力移動が致命的だったということです。
陸口の陸遜がたいした事ないと見誤った事も問題だけど。
>>133 限りなく怪しいって・・・
教える側が勝手に妄想加えちゃいかんだろ。
>>139 孟達の元に知らせが来たときには、既に南郡が占領されたあとで、
にっちもさっちもいかない状況だったと思うが。
>>141 なまじ赤壁で勝ったため、長江で水軍決戦できる限り呉は安泰と思ったのかもしれん。
145 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/14 18:43
大乱の時代に正統性等何の意味を持つ
146 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:44
>>142 それはその通り。ただ、ここでの議題は呉のK州侵攻・関羽討伐につい
ての是非であるので。
たとえ蜀に隙があろうと、K州の端の領土を広げるくjらいならともかく、
関羽を討つに至るまでやってしまったことは、同盟していることが必須で
あった弱小国同士にとって致命的であったと思う。
147 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/14 18:50
呉を語る時に蜀や魏と同じ視点で語っていけない
魏や蜀(特に蜀)は血を流してでも天下を奪い取ると考えているが呉は違う
転がり込む、楽にとれるなら欲しいとは思うが何も国力を消費してまで取ろうとは考えていない
だから交州や南に進出したのである
戦略がどうこうよりも滅亡しなければそれでいいのである
148 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:52
勿論、蜀の一将である関羽の呉との外交的な態度にも問題は大きい。
ただ、魏対呉蜀の勢力を近づけることを考えるなら、K州は更に蜀が雍
州(&涼州)を得た暁に必ず呉に返還させる、とするべきだった。日本な
的外交でいえば、劉禅を人質として渡してでもそうしたいところだ。
関羽が宛まで進出できる可能性も絶対ではないし、宛まで得たとしても
長安・合肥が落ちたかはわからない。
しかし、その後の北伐・合肥戦よりも、勝機は10倍、いや数十倍はあっ
たとおもう。
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:55
>>147 ならば、一方の敵をかたづけた魏が強烈に攻めてきたら揚州を捨てても
南の交州に寄るということ?さらに海岸線まで追い込まれたら倭にでも
逃げるんですか?
強国が強国として存在している限り、弱小の未来は暗いよ。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 19:01
>>139 孟達は孟達で板ばさみ状態ね。
北に曹操軍荊州に孫権軍の中に上庸取りにきただけの兵力で援軍行っても仕方ないと思うの正しい。
いくら関羽が蜀の中核でも援軍行ってこい=死んでこいに聞こえるわな。
案の定、援軍行かなかった事問い詰めようとしたし、それがもとで孟達は魏に降るし上庸持ってがれるし劉封殺しちゃうしの三重苦。
関羽に任せ過ぎたんだよ。
奴に卓越した政治力(外交力)はない・・。
何を言っても結果論だが。
>>149 それが単純に言えないのが中国大陸の恐いところで、北方の強国に脅かされても、
長江の護りはそう簡単には崩れない。東晋、南宋なんかもしぶとかった。
とはいえ辛いことには変わりなく、呉も220年に魏朝が成立して独立の名分が
失われると全面的な対立状態を保てずに形式上臣従して呉王位を受けている。
これは山越など国内の問題が片付かず、外を警戒する余裕が無かったためと
言われている。
全面的に対立する余裕はないが攻め込まれても相当程度抵抗できる、このころ
の呉(孫車騎政権)はそんな勢力だったのではないだろうか。
つまり、三国鼎立と言われ魏に対抗するための呉蜀同盟と言われているが、
それは三国演義を経た現代の人間の視点であって、当時の呉政権からは別の
見方と戦略があった、という解釈を成立させてもよいのではないだろうか。
荊州攻略も、そういう流れで読めば、呉の長命に寄与した、十分以上の戦略
的勝利だと言えるだろう。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 22:27
時の勢いって言っても相手があまりの大国だぜ、譲陽、漢中、合肥の全てが上手く
行く方がはるかに難しいだろう。 たかが関羽がハン城攻撃を優位に進めていた
くらいで魏の士気が激減し、連敗続きで滅亡するほうが限りなく有り得ない
と思うが、ましてや曹操存命中だぞ。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 22:32
孫権軍程度じゃ張遼が守る合肥を抜くことすらできない。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 23:54
人形劇三国志(再放送)で関羽が殺される話を見て号泣してしまいました(当時20歳)が、何か?
156 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/15 00:46
>>149 そんなif的なこと一概に語れるわけ無いじゃん
>>154 あの場合他の将でも抜くことは出来ない
157 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 00:49
>>156 だから、関羽を生かしておいても孫権には何の利益もない。っていってんだよハゲ
158 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/15 01:00
159 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 10:07
>>157 関羽生きて玄徳とこ返せば少しは争わずにすんだかもしれない時点で生かしとく
利益はあるだろ。関羽が死んだから大騒ぎになって呉進攻だから
利用されたのかもしれないが少なくとも蜀呉の決戦はなくなってた。
160 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 10:14
>>159 孫権が関羽と劉備の間に固い結束があるなんて知ってたと思うか?
魏が蜀の北伐を異民族が攻めてきた程度にしか感じない時代にだ。
>>159 荊州を力ずくで取られたということには変わらないのでは?
損権厨房は荒らしの上に知識も持ち合わせていない屑なので生暖かい目で放置してあげてください
163 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 12:47
孫権としては、関羽を処刑して脅威を取り除いてから、
魏に侵攻する作戦だった。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:02
そもそも関羽は呉にとって脅威だったか、の問題でしょう。
蜀の態度として明白だったのは、呉領への侵攻など眼中に全くなかっ
たということ(関羽がいた場所が呉領だ、という意見は認識しているが
それはこの件につき却下)。呉が蜀領への侵攻を考えるのでない限り
、関羽は頼もしい同朋でこそあれ脅威ではありえないのです。その強化
の為に呉王との婚姻まで提案するまでは立派でしたが、それを断った一
将(関羽)の横暴如きへの対抗で国家の大計を誤ったとは、呉王の愚か
さはあの時に極まったと言えましょう。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:08
やはり婚姻を断わられたぐらいで蜀との同盟を破棄し
関羽を討つとは・・逆に魏を調子付かせてしまう
結果になっただけだ。
166 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:10
>>164 魯粛さえ生きていれば、関羽は処刑されずに済んだのに?
167 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:12
俺が孫権軍にいたら関羽と荊州の何郡かを交換させるかなぁ。劉備は喜ぶし関羽は自尊心が強いから自害してしまyかもしれんが、どっちにしてもつ使いものにならないくらいヘコムだろう。
168 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:13
>>165 孫権は、自分と揉めた相手の存在を抹殺することで解決を図る方針だった。
関羽を処刑したのは、孫権の僻んだ性格によるものである。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:17
>>168 いちいち揉めた相手殺してたんじゃ、話にならん
170 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:20
ぶっちゃけ孫権は君主としてどうなんだ?
171 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:21
>>169 でも、それが孫権の方針であり性格でもあった。
172 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:21
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:24
174 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:26
>>173 それでも、曹操ほどの極悪人では無いと思うな。
ところで、貴方は孫権をどう思うかな?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:29
>>175 なんで、私は本気で曹操ほどの極悪人では無いと信じているよ。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:30
>>174 俺の中ではイマイチ孫権の人間像がハッキリしないんだよなぁ。
呉の人間が彼をどう思っていたかが知りたい。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:32
>>176 ま、そんな曹操が俺は結構好きだがね。男として
180 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:42
ヒトラーも好きだし
ディルレヴァンガーの設定も
敵役としてはなにげにそそる
181 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 13:45
猫殺しが?そそるか?
曹操の何処が悪人なんだ?
劉備の方が酷いぞ。
戦乱の世の中じゃ誰だって狡猾になる。悪人にでもなる。
曹操を悪人というやつは徳川家康さえ悪人扱いするんだろうな。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 14:56
曹操を悪人というやつは織田信長さえ悪人扱いするんだろうな。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:03
悪人の定義は何かな?
形骸化した漢王朝を20年余り支え、曹操自身は帝位に就かなかった。
実質上はともかく漢帝国は曹操のおかげで20年寿命を伸ばした。
曹操が漢帝を利用したのは間違いないが。
186 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:07
そもそも悪人じゃなきゃ乱世なんて生き残れないし
今の時代の政治家だって賄賂もらわなきゃ財政火の車らしいからある程度の悪事は当然だろ
187 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:13
賄賂云々で言うと曹操はむしろ「善人」
まだ役人の頃の曹操は収賄する役人を次々に検挙している
独立後でも、彼の支配する地域は賄路がらみのスキャンダルがあったという記述はおそらくないのでは?
徐州の虐殺なんかは、弁解の余地が無いかも知れないけど、
あれは劉備における夷陵の戦いみたいな物だろう。
劉備の場合は明確な「敵」が存在したが、曹操の場合は怒りのやり場が無く、
最悪の形になってしまった。
曹操は時代が求めた英雄であるが、劉備はその流れに抗った。
民衆にとっては曹操が正義だろう。
189 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:31
>>181 そんなモンゴリアンと間違わないで欲しいね
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:34
>>188 >民衆にとっては曹操が正義だろう。
正義とは?
大義名分論は水掛論になるだけでは?
そもそも正義というのは、
「ある主体における価値があると思われるものを他者に押し付け」だと俺は思うのだが。
この俺の定義によれば、曹操の「正義」も存在するし劉備の「正義」も存在する。
董卓の「正義」ももちろん存在する。
「正義」「悪」とラベリングすることに意味があるとは思わない。
そういったラベリングをするよりは、
>時代が求めた
という視点で見た方が偏り・誤解は少なくて済むのではないかと思う。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:35
1の意見は蜀よりだと思う。あの時期に関羽を討たなければ、完璧に
蜀の天下になってたと思われる。呉も魏も当然の行動をとったのだ。
オマンマさえ食わしてくれりゃ別に誰でもよし
193 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:42
>>191 蜀の天下はないと思うが、放置していれば蜀は呉にとって魏と並ぶ脅威になっただろうね。
蜀呉同盟は魏という共通の大敵がいたからこそ成立しえた。
蜀か呉が単独で魏と渡り合えるようになった段階でこの同盟は当然破綻する。
それが分かっていたからこそ、イリョウの戦いの後蜀と呉は関係を修復できた。
>>190 民衆にとって、と書いてあるでしょ。
民衆にとっては国家なんてどうでも良い事だ。
>>192 そのとおり。
そして、曹操の志と民衆の望みが一致していた。
195 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:44
>>192 それこそがあの時代の民衆の要望であり為政者が直面した課題だろう。
曹操はその課題に対して所謂屯田制を行った。
そしてそれは大きな成果を挙げた。
これが歴史の出した答えではないか。
>>191 >>1の文章をちゃんと全部読んだのか?
>>1は蜀の不義と認識の甘さを認めた上で、
荊州を呉と蜀が争ったことが魏をさらに絶対的優位に導いてしまった。
という見解を示してて、別に蜀寄りという感じじゃないぞ。理想主義者だとは思うが。
>>194 >民衆にとって
というのもちゃんと引用したんだけど。
まあ、俺は「正義」という言葉に思わず反応してしまっただけで
基本的にアンタと見方は変わらんと思うよ。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 15:51
俺達女の子
治安を良くしてくれればそれで良し
オマンマ食わせろ→治安よくして→お金ホスィ→自己顕示欲→自己達成(実現)欲
201 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 16:16
蜀があの勢いで最大勢力になるということは、魏が最小勢力になるということ。
その時、呉は魏と同盟を結び、蜀を共通の敵にしてから荊州に攻め込み、
関羽を斬れば、呉の立場は悪くない。
まあ、呉は天下統一の志があまりなかったんだから、
それはどうでもよいということになるかも。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 16:27
いくら勢いがあるからと言って、蜀がそのまま最大勢力になる、という
前提で国策決めたとしたら、呉は限りなく痴呆国家ですな。
呉がK州侵攻をせずに、40〜50%の確率で関羽が宛まで奪取し、
漢中・宛の二方面作戦での蜀の長安侵攻及び呉の合肥進出
(これも成算は30〜40%かな)、ここまでできても魏対呉蜀はせいぜい6対4。
その程度であっても、後年の蜀の北伐や、呉の合肥戦に比べれば、
圧倒的に勝機はあったということ。そしてその機を奪ったのが、他でもない
弱小連合の一方、呉であったということ。これが孫仲謀って厨房だね、と
言われる所以である。
あ、成算関係のパーセンテージに突っ込まないでね、適当に(割と高め
に)出しただけなんで。
203 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:16
呉にとって一番の敵はどう考えても魏。
その魏が蜀に苦しめられているのに、そんなときに荊州が欲しいからといって、
関羽を攻撃したら一番喜ぶのは魏です。
荊州という目前の利益につられて大局を見失っている。
こんなときこそ合肥や徐州に攻め込むべきだろ。
呂蒙は戦術は90点、戦略は30点がいいところ。
そういえば蜀と呉って夷陵の戦いより前は戦ったことないの?
205 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:20
>>203 呉にとって一番の目的はどう考えても荊州。
むしろ、関羽を処刑して荊州を制圧してから
合肥や徐州に攻め込むべきだろ。
206 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:21
>>203 いくら混乱しているとはいえ、張遼が孫権に合肥を奪われるとは思えない
207 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:22
>>205 激しく同意!
邪魔な関羽を排除して、かつ重要拠点である荊州を制圧して、
ちゃんと足場を固めてから、合肥や徐州に攻め込むべきだよ。
208 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:24
劉備の頭がもう少しよければな・・・
210 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:26
このスレって三戦板に似合わない良スレだな
領土で荊州と徐州じゃあ
どう見ても荊州をとる方が呉の利益になるだろう
212 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:33
>>211 まさか劉備が攻め込むとは思わないからな
213 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:44
現実主義に徹してみれば呉はなんにも間違ってはいないんだわな。
一番の問題はあそこで呉が蜀との対魏協調路線を取っていれば
三国志がもっと面白くなりそうだったって事だ(藁
呉が荊州を奪った時点で呉蜀共倒れが有力になっちゃったもんな。
荊州=東海地方
徐州=東北地方
215 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 17:47
ナニいってんのオマイラ
一番悪いのは孫家との婚儀を断ったクソ関羽だろーが
正史でも呉の荊州攻略の原因は関羽の外交下手がきっかけだっけ?
217 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/15 18:13
> 荊州という目前の利益につられて大局を見失っている。
では聞くが呉にとっての大局とは一体何?
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 18:17
>>216 あとビホウなどの同僚から激しく嫌われていた事とか?
219 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 18:22
220 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 18:25
換羽はスタンド・プレイが良く似合う
攻勢にある時は良いが守勢になると彼のスタンドプレイを嫌う
ベテランさんが「それ見たことか」と足をひっぱる
221 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 18:25
222 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 18:40
呉にとっては、長江のラインを確保し、後方を安全にする事が第一。
223 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/15 18:43
224 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 18:55
呉はつまり、現実的な方法を選んだわけだよ。
遠くの魏討伐より目先の荊州。
国家は将来も見据えないといけないっていうけどな、明らかに理想論レベルの
倒魏なんかよりあの年代で、簡単・確実に領土が得られる荊州を選ぶに決まってるだろ。
呉、というか孫権は魏を弱体化させようなどという思いを
まるで持ってなかったからね。仕方ない。
魏を弱める目的あるなら1さんの言うことももっともだけど、
呉国を考えたら荊州は大事。
のちのち陸抗もそう言ってる。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/15 20:25
>>221 確かに荊州は大切だが、それには長江上流の蜀の存在が荊州の安全に影響してくる。
呂蒙はどうやら荊州を占領したあと、さらに蜀征服を薦めていたと考えられる。
荊州征服は蜀討伐の一段階に過ぎず、成都まで進軍する計画をしていたのではなかろうか?
魏と同盟して蜀を折半すれば良いと考えていたようだ。
ただし、この計画を実行に移していたならば、呉はもっと早く滅んでいたかもしれない。
まあ、呂蒙はすぐ死んでしまったから…
魏が強大なのは分かるが、そこまで蜀・呉が怯えるほどの実力差だっただろうか?
呉も蜀も魏に比べれば小国だが、それでも万乗の国だが。
第一、国力や軍事力の強大さは全面的に頼ることはできないのだが。
呉が合肥の張遼に勝てなかったというが、これは孫権が軍を率いていたからで、
呂蒙や陸遜といった名将にに攻撃させれば勝てないということがあろうか!
関中と荊州は蜀との衝突で、徐州方面に大規模な援軍を送る余裕があったとは思えない。
呉の都督って「これからだ」という時期によく死んでるからなんとも言えんな
積極派と穏健(慎重)派が分岐点で交互に都督になってるし
>>225 呉、というか孫権は魏を弱体化させようなどという思いを
まるで持ってなかったからね。仕方ない。
淮南を地を回復するために周到な作戦を練っていたこともあるぐらいだから
全く弱体化を狙ってないことはないでしょ
おもしろいからもっと議論しろ
呉の荊州奪還は自国の守りをより完璧にするためと、目の上のたんこぶのカンヌを取り除くこと。
孫権は自分の身が守れればいいわけで、そのためには荊州奪還とカンヌが邪魔だったと。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 00:58
仮に陸遜が蜀併呑を実行しようとしたとして例え魏と挟撃するとしてもそお上手くいくかな。
一番いいのは漢中を魏、成都以南を呉が領有することだが守らせれば強いぞ、蜀は。
でもまだ、漢中から攻めるよりは巴郡から攻める方が距離はあるが攻め易そうだね。
>>231 だから、呉は中原侵攻をそれほど重大な国是とはしていなかったように、
(劉備制圧後の)巴蜀進駐も考えていなかったんじゃない?
関羽がうざかっただけ。
ただの嫉妬心から出た行動です
呉は優秀な政治家は多いが、優秀な戦術家が少ないのがまずよくない。
あとは、孫権が北伐に関して消極的なのもな。
はっきりいって蜀の人材なんて、演技でいう5虎将軍とホウ統と孔明、魏延
くらいしか優秀な人材がいないから、長期的な目から見ても、弱体化するのは
目に見えている。劉禅もまともな教育受けてないからかもしれんがアホだし。
だから先に豊富に人材を抱える魏を叩くのが先。
つまり、結婚断られたことやその前からの刑州問題から、刑州を奪還しようなんて
考えず、先に蜀と共同戦線で魏を倒せばよかったと思う。
いくら魏でも兵力がすくないとは言え、超強力な武将を持つ蜀。兵力も相当、
人材もかなり豊富な呉に同時に攻められればかなり参るはずだったと思う。
まあ、孫策も死ぬ間際に孫権に「お前は俺より攻めの才能はない」と言われてるし。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 02:16
>>235 >はっきりいって蜀の人材なんて、演技でいう5虎将軍とホウ統と孔明、魏延
>くらいしか優秀な人材がいないから、
>兵力がすくないとは言え、超強力な武将を持つ蜀
自分の文章でツッコミ入れるなよw
>>237 >優秀な戦術家が少ないのがまずよくない
>人材もかなり豊富な呉
ここもだな
う・・・みなさんのいうとおり、自分で読み返してみても支離滅裂な
文章ですね。欝だ・・・。
訂正:兵力が少なく、また優秀な武将は確かに少ないが、その武将が
非常に強く、彼らが存命しているあいだはかなり強国の蜀、
優秀な戦略家(魯粛など)はすくないが、甘寧や呂蒙など、
優秀な武人は魏に劣らないほど武人は多い呉が
同時に攻めてきたらさすがの魏もかなり参ると思う。
つまり、呉の勝機は蜀が全盛のとき以外はなかったといえる。
関羽処刑後の呉蜀の戦いで、両国ともかなり人材を失っているし。
(蜀は黄忠、張飛、劉備。呉は甘寧、呂蒙(これは微妙だが))
>>239 >>1が同じことをさらに詳しく書いてるぞ。
過去ログをちゃんと読んだのか?
241 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 03:06
なんだネタじゃなかったのかw
いや言わんとしてることはわからんでもなかったんだが
すまんな
>>239
法正は出てこないが、鳳統が出てくる辺りゲーム厨くさい。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 03:23
ゲーム厨っつーか、正史厨じゃないヤシは鳳統の方が法正より上に来る
んじゃねーの?フツー
鳳統は戦果が少なすぎて判断がつかん
ってか、法正も戦果が少なすぎるぞ。
評価してる人って何を元に判断してるんだろ。
正史だけなら脳内のウェートが多いと思う。
どっちにしろ厨だろ
呉にとって対魏戦略としての蜀との共同戦線がそれほど重要かどうか疑問。
荊州占拠は呉にとっての最大重要戦略であり、上流の荊州に他の勢力がいるって
事ほど怖いものはない。
長期的戦略として荊州攻略は必須。
しかも、そこにのさばってるのが得体の知れない劉備一党であり、はっきりいって
魏よりも邪魔。
そして荊州さえ抑えれば別に蜀と同盟なんてしなくてもどーとでもなる。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 05:37
法正は巴蜀出身者の旗頭じゃなかった?
劉備の入蜀後、寄せ集め軍団がようやく国の体裁を整えることができたのは
巴蜀出身の人達が加わったから。
法正は能力は兎も角、巴蜀出身者達の意見をまとめる際に重要な役割を果たしたと
以前(2,3年前かな?)ヤフーのトピで語ってる人がいた。
つーか荊州を抑えた事によって呉の寿命は確実に延びてると思う
蜀に荊州くれてやってもいいよ。
南陽、南糸、上傭、魏興の4郡な。
251 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 06:49
共同戦線とか言ってみんなノンキ過ぎ、あんな混乱時代だぜ、いざとなったら
周りが全部敵だらけになっても戦う国力を持っとかないといかん! って考えるだろ。
呉が荊州を手に入れたら確実に20万は越える兵力を持てる。 そうなったら多少の
周辺の異変にも一々ビビらずに堂とした態度で対処できる。 呉は関羽を殺して
劉備が激怒して攻め込んで来てもいかほどの事もできないのを読んでたんだよ。
実際、夷陵に出てきたのはたった4万、4万だぜw
しかも完全に逆上してるから荊州を取り返したら帰ろう、とかじゃなくて本気で
「呉を滅ぼす!」とか思ってんの、もう笑い過ぎて腹が痛くて見てらんない!
そのうえ小説とかで初めは破竹の勢いのように書いてあるから資料見てみると
国境からどれほども進撃できてないの、東京都の西の端から東の端くらいしか
進んでないじゃんっつーの!! 結局、巴蜀・漢中だけじゃ何もできやしないのさ。
その時点で蜀は天下取りレースから脱落したんだよ。
>>251 吉野屋っぽいが言ってる事は的を得てたりする
>>249 俺もそうだと思う。ただし、それは荊州を手に入れて、蜀が健在だったからだともいえる。
呂蒙は荊州だけを手に入れるだけでなく、蜀も手に入れようとしていた。
蜀まで征服したら、逆に早く滅亡しただろう。
たまたま、まず荊州を手に入れ、次は蜀だ!と考えていたときに呂蒙が死んでしまった。
よって、荊州しか手に入らなかったが、その中途半端さが呉の寿命延長に貢献した。
それだけのこと。結果オーライだが。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 08:01
>>253 なんで?
確かに周喩あたりが蜀のほうまで取ってたらまずかったと思うけどさ。
揚荊益を併せ持つのは決して悪いことじゃないと思う。
魏が攻めてきたってまあそれなりに耐えられるようにはなってるだろうし。
255 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 08:48
>>251 的を射てると思う
揚州はサンエツの反乱とかも多い上人口密度が低くてあまり兵力が出せないが荊州(南部)だと人口はそれほどでも無いが揚州に比べたらマトモだから
兵力も得られるし広い農作地も持てるので高い国力を持つことができる
この手のスレって単に関羽が好きでそれが孫権に殺されたと言うのがおかしいと思って脊髄反射で立てられたような気がする
ところでこのスレでは
国力に関して魏・呉・蜀だけに相互関係を絞った議論のようですが、
鮮卑は無視ですか?匈奴は無視ですか?山越は無視ですか?
彼らの脅威と影響力は放置するんですか?
257 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:02
無視・放置する。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:03
>>254 確かに揚荊益を併せ持つのはいいだろう。ただし、それも時と場合による。
寧ろ、周瑜の時代だったら益州攻めは戦略的に正しかった。
劉璋は曹操と敵対していたわけでもなく、曹操に対抗できる力を得るため、
単純に自領の拡大と割り切ることができる。その上、張魯や馬超などの他の群雄もいて、
外交的に複雑な関係であった。
しかし、劉備は曹操と激しく敵対している。呉が蜀をとっても、
その後はどのみち魏と対立することになる。
そうなれば、後に呉が晋に対抗できなかったように、一層劣勢になってしまう。
魏にとっては、呉が少々強くなろうとも、蜀・呉の各個撃破が好ましい。
>>255 曹操のように関羽をもてなすことができなくても、斬るのはまずい。
関羽を蜀に帰せば呉に刃を向ける虞があるなら、投獄すればいいだけのこと。
関羽を生かしておけば、対蜀外交の道具として活用できる。
259 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:14
関羽のことだから一切食事を拒否して餓死すると思う。
あんなの殺しても大したこと無いよ。
260 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 10:27
>>258 でもさ斬ったところで結果的には蜀が大損害を被ったけどね>夷陵
261 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:29
劉備がいかに君主としてバカかということだな。
英雄の器ってあんなもんか?
262 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:29
よく分かんないんだけどさ
何で劉璋から取るのと劉備からとるのとが変わる訳?
魏から見れば一敵国って事は変わらないし、どっちから取ろうが呉がでかくなるのは魏にとって有害なのも同じ
「呉が天下を取る」って志があるんだったら(無かったんだろうけど)国をでかくするのは当然じゃないの?
そもそも何故呉は魏に対抗できないって話になってるのかよく分からない
呉が晋にかなわなかったっていうのはここでは関係ないだろ(益州持ってたわけじゃないし二宮の変以前の話になるし)
益州も併せ持てばそれなりに力も付くし、北と組んで南北から挟撃って手もある
まぁ、可能性低いとは思うけどさ
263 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 10:34
>>282 劉備は惰弱な劉璋とくらべればそれでも百戦錬磨だし一応バックに諸葛亮と言う存在がある
劉璋の場合配下が見限りを付けたいたが柳眉の場合それは無いのが大きなポイントだと
264 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:35
なにを駄論を競ってるんだかw
曹操存命中の魏ですら、入り口の漢中すら獲れなかった蜀漢に、
呉ごときの戦力でどうやって攻め込むんだ?しかも蜀は上流だぞ
呉ヲタの妄想厨はこれだから・・・
一人無知なやろうが紛れ込んでんな。
266 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:43
まぁ、予言が出たわけだが。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:44
>>263 そういう実力の問題じゃなくてさ。
魏と敵対してる勢力と中立の立場の勢力とどっち取ったほうが得かって事でしょ?
で、1が敵対してる勢力から取る(他に選択肢が無いにもかかわらず)のは下策って言うから反論してる。
>>264 百も承知。
268 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:57
わかってねーヤシらが多いな
あの時点で圧倒的勢力の魏に対抗するには、弱小2国は連合するしか
メはないの。周瑜の天下二分ってのはあくまで惰弱な劉表劉璋が荊益
を治めてる時点でのみ可能性があった妄想なの。
根本的に戦力二分して魏から守り、蜀攻略軍組む戦力なんざないで
しょうに。
双方の絶対的として存在する魏がある以上、
蜀の弱体化 =蜀に− 呉に+ 魏に+(=呉にー) で呉にとって結果としてゼロ
呉の弱体化 =蜀に+ 呉に− 魏に+(=蜀にー) で蜀にとって結果としてゼロ
魏の弱体化 =蜀に+ 呉に+ 魏に−(=蜀呉ともに+) で双方ダブル+
普通の知能で考えれば単純に
魏を弱体化させる=双方が争う馬鹿などやらずに双方魏を攻める
それだけが良策であとはすべて愚策なんだよ。こんなことは幼稚園児でもわかる。
劉備が入蜀するほど大きくなったら、それ以外手がなくなることがわかっ
たから周瑜はその前に劉備を討つことを考えたのだし、もはや劉備勢力
と戦う愚を悟ったから魯粛は徹底親和路線を貫こうとしてたの。
残ったのが、ガリ勉で兵法齧った程度の呂蒙と、コンプレックスの塊で
狭量な孫権なんて無能なヤシだったから呉は道を誤った。
まあ、それだけのことですよ。
そんな分かりきった理想論をぶちまけてるヒマがあるなら、
呉と蜀が荊州問題でいざこざを起こさずに魏に当たるには
当時、両陣営がどのような対応をすれば良かったのかを示せよ。
呉も蜀も納得できる形で荊州問題が解決される現実可能な手段があったのか?
270 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:11
>>268 お前の頭こそが幼稚園児だよ。 ここで話してる奴らはお前が長々と書いた
駄文の全てをとっくに把握した上で議論してるんだよ。
単に共同で魏に当たればいいとかそんな簡単な話じゃないんだよ。
現実可能×
実現可能○
272 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:26
呉・蜀の弱体化 =蜀に− 呉に− 魏に+(=呉蜀ともに−)で双方ダブル−
魏・蜀の弱体化 =蜀に− 呉に+ 魏に−(=呉蜀ともに+)で呉はダブル+、蜀は結果としてゼロ
魏・呉の弱体化 =蜀に+ 呉に− 魏に−(=呉蜀ともに+)で呉は結果としてゼロ、蜀はダブル+
273 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:29
>>272 なんだそりゃ?
呉が魏も蜀も攻めてれば両方弱体化するから一番美味しいってか
まったく呉ヲタってのは妄想厨っつーより単なる低脳だなw
>>272 それを誰かが呉陣営か蜀陣営に説明して納得させろやってことか?
どちらかが自己犠牲の精神で我慢しろと?なんとも美しい話だね
・・・相手した俺が馬鹿だった
275 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:31
>>273 蜀と魏同士で争えば呉が攻めなくとも勝手に弱体化すると思うが?
276 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:34
>>275 まあ、そーゆーことだろーとは思ったけどねw
単純に呉は魏を攻めず、蜀だけに戦わせてればいずれ蜀は滅ぶ。
そうなったら、例え魏がそれで疲労したとしても、蜀に割くべき兵力は
全て呉に向けられるんだよ。
全く呉ヲタの軍事音痴ぶりは惨いな。孫権譲りか?
277 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:45
そんさくさまをばかにしたのろってやるう
>>275 大体蜀と魏が争っているとき、呉は「人狩」に行って
却って自国の兵を減らす結果になったりしてコントみた
いなことやってたからな。プププ(藁)。
だんだん呉が憎くなってきました
280 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:56
しかしなんだかんだ言っても呉が最後まで残ったのは厳然たる事実だし
281 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:56
>>279 呉だけを憎むのは筋違い!
憎むなら、魏も憎むべき。
>>281 呉と魏だけを憎むのは筋違い!
憎むなら、蜀も憎むべき。
みんなで仲(氏)を応援しよう!!
283 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 11:59
呉にとって真の敵は魏だ。天下統一の志を持たずとも、
自国の安全を脅かすのは蜀より魏だ。(蜀に何もしなければ)
蜀は荊州をめぐる時だけ敵対国となるが、それさえ片付けばやはり敵は魏なの!
まあ、これは呂蒙だけでなく、関羽・劉備にも責任があるが。
1、関羽が孫権を侮辱しなければ…
2、呂蒙が荊州を攻めなければ…
3、劉備が呉に攻め込まなければ…
以上のようになっていれば魏は史実より立場が悪かったはず。
>>268はよくわかっている
>>268はよくわかっているというより、
当たり前のことをさも自分が気付いたかのごとく偉そげに説教ぶっただけだがな
呉はやる気がない
287 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:15
大体、軍人てのは他国と協力するという感覚が乏しい場合が多い。
関羽は荊州の都督やってりゃよかったが、呂蒙は一国の軍師・総司令官をやっていた。
都督は主君から預かった一地域を治めていればよい。特に国家戦略を担当しなくてもよい。
呂蒙も都督型だと思うが、魯粛はなぜ後任に呂蒙を推したのだろう?
そして孫権もそこまで呂蒙を信頼したのは正しかったのか?
こういう外交感覚が欠如した軍人は、国家戦略といえばとかく戦争することばかりを考える。
呂蒙が短命だったのが呉に幸いしたと思う。長命だったら、姜維みたいに
戦争ばかり続けて呉の寿命を縮めただろう。
288 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 12:17
>>283 2がなければ呉は早くに滅亡して魏の天下統一が早まっていたかも知れないな
まじで268とは違うぞ!
290 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 12:23
だれかイタコさんに聞いて来いw
291 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:23
>>288 あんたにはレベルの高すぎるスレだからどっか逝ってくれ。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:25
損権よ、自分のスレに帰りなさい!!!!
293 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:25
>>287 >大体、軍人てのは他国と協力するという感覚が乏しい場合が多い
考えてみればそうだな…
>>291 今なら問題ない。むしろ損権の方がレベル高いかもしれない罠
295 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:27
最大のポイントは、孫家と関家の婚儀を、呉の側から提言したこと。
これは絶対連携が必要な蜀呉にとっては素晴らしい施策。
だからこれを独断で破談にしてしまった関羽は大馬鹿野郎で、その
馬鹿ぶりは呂蒙以上と言える。
ただ、ここで呉側の失点というべきは、これだけの国家間の大事とす
るべきことを一武将である関羽に直裁させたこと。勿論関羽が正確に
その意味と価値を判断してりゃいいだけのことだが、これは国家として
蜀政権を通して申し込むべきだったと思う。
結果は
>>283の言うとおり、馬鹿な関羽と馬鹿な孫権と馬鹿な劉備の
おかげで、蜀呉は勝手に争い(というか魏が呉に手を伸ばしたんだろう
が)、トータルとして勝手に弱ってくれたわけだ。また失いかけた魏の荊
州領を守りきれたことも考えれば、圧倒的に魏にとってお徳な状況とな
った。
296 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 12:28
結局荊州をとったことで280年まで生きられたんだからいいじゃん
まあそもそも約束は反古するわ他国の公子を冒涜するわでは殺されても仕方ないだろう
関羽の外交能力の欠如だな
297 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:29
損権たまにはいいこと云うねw
298 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:30
>>287 >軍人てのは他国と協力するという感覚が乏しい場合が多い。
魯粛には、他国と協力するという感覚があったはず。
299 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 12:31
この夷陵と閨秀争奪戦で損をしたのは蜀だけ
劉備も関羽も思慮が足り無すぎる
劉備が怒りに任せて突撃等しなければもうちょっと長生き出来て蜀も寿命が伸びたかも知れないと言うのに
もっとも当時の劉備は勝てると思っていたのだろうが・・・
300 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:31
損権よ!あなたは自分のスレの時は結構いいキャラなのに、
なんで他のスレだとDQNになるのですか!
301 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:31
300
さて、魯粛は厳密に言うと軍人だったのか否か?
どうでもいいけど、質が下がるとレスがたくさんつくんだな
304 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:34
他国と協力するという感覚を持ち合わせていた軍人といえば、誰がいるかな?
305 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:35
w
306 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:36
>>296 単に孫権一個人が生きたいだけなら(まあ実際そんなもんだろうが)。
ハナから呉として独立を保つなどとは考えず、あっさり魏に完全臣従し
て魏の臣になればよかろうに。戦だのなんだの考えずに済み、長生き
できたんじゃないの?
まあ、それでも蜀漢は魏とは同じ天は抱けないから、滅亡するまで
戦うのだろうけどね。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:37
>>298 100%そうだと断定してない。
例えば、文官は臆病者揃いで腰抜けな意見ばかり主張する傾向があるが、
だからといって文官=臆病者と決めつけることはできない。
大体、魯粛は軍人の部類なのか?
どちらかといえば政治家であり、文官的用兵家といったほうが…
308 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 12:41
>>306 孫策の時代から苦労してやっと立ち上がった国で自分の力も含めて配下を増やして大きくしたのにそんな簡単に完全に臣従出来ると思う?
仮に臣従したところでどうなる?常に上から締め付けられるんだぞ?
自分ならそうするか考えてみればわかると思うが・・・
でも結局どうであれ長生きはしてるじゃん
>>308 晩節を汚しまくってな。
とっととくたばっていれば呉のためになったのに。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:45
>>304 周瑜、ケ艾、姜維、呂蒙、関羽…軍人としては優秀だが…
外交感覚にすぐれた軍人といえば陸遜くらいか…
さて、陸遜は厳密に言うと軍人だったのか否か?
312 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:47
>>308 そうだね、孫仲謀としては天寿をまっとうできたんだろうね。
しかし、孫仲謀とは呉主であり、王となり、帝となった男じゃないの?
絶対的に戦力も国力も高い魏をそのままに残し(むしろ協力すらして)
おくのが、後々の呉国にとって絶対的に良策だったのか?
このスレッドで問題にしてるのはそこだと思うがね。
>>311 それを言うならケ艾だって怪しいもんだ。
孫権一人に責任をなすりつけようとするアンチ呉のなんと見苦しいことか
ケ艾を生粋の軍人だと思ったことなど一度もございません
なぜはっきり言わない?
若い頃は越南討伐にかかりっきりだったんだから、軍人で良い。
317 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:50
当主というのはひとりで責任を負うものだよ
318 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:50
呉が魏に降伏したら、孫家はおしまいですぞ。
まあ、身の安全は保障されるかもしれないが、侯にさえ封じてくれるか怪しい。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:51
魯粛って陸戦の指揮官としては超優秀だったんだろ?
>>316 この時間帯にまともに議論をする気はないからでございます
322 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:54
周瑜と呂蒙は生粋の軍人、魯粛は政治家、陸遜は政治家の素質も持ち合わせた軍人
323 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 12:54
荊州に残したのが関羽でなく張飛だったら、その性格からして、
呉に対して特に無礼なことはしなかっただろう。
尤も、張飛が都督だと他のリスクがあるが。
324 :
孔泉報道官 ◆Qw9/GEio :02/09/16 12:55
仮に孫権が魏に降伏したとして、呉皇帝が劉綜の二の舞にならないかな?
326 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:00
>>322 ぴったりだ。
>>323 張飛ねぇ…無理だろ!諸葛亮が残り続ければよかった。
ホウ統が戦死しなければ…っていうかきりがない。屁理屈の言い争いになりそうだ。
327 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:01
魯粛は後方で指揮を取るタイプの司令官じゃないか? 政治的才能は非常に高いが
一応、軍の総司令官だから。 鎧をまとわずに平服で指揮を取ってるイメージだな。
328 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:02
>>324 勿論その可能性はある。戦力的にいずれ降伏することになるのに、
いつまでも対抗勢力としているより早く良い条件で降伏臣従すりゃいい
じゃん孫権、ってこと。
>>325 劉禅と勘違いしてる?
僭称とはいえ仮にも皇帝。馬2〜3頭と家来数人の暮らしは許されたろう。
むしろ徹底抗戦派は、孫権が降伏したとしても、
臣下にはまだ出世の道がある事を忠君の礼に反すると説いたと思われ。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:03
張魯をして鎮南将軍・万戸侯たり。況や孫権をや。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:07
>>329 孫権がそんな待遇に満足するわけねぇだろ!
332 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:09
韓信も結局処刑されたしなw
>>328 劉禅と劉jのその後に、そんなに違いがあるとは思えんが。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:10
やっぱそうじゃん。結局呉ヲタが言ってるのは、荊州を得たことで少し
は滅亡を先延ばしできた、ってだけ(それ自体事実とは思えないけど)。
もはや魏に敵わぬと思うなら、早く降伏しちまえば良かったんだよ。魏も
蜀も統一の志がある以上、勢力としてある以上必ず敵になるんだから。
優柔不断に蜀についたり魏についたりで、無駄に一地方軍閥国家の
無駄な延命に奔走している、という雰囲気が孫権の一番クソなところ
です。
335 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:11
外交感覚ではないが、優れた戦略眼をもった生粋の軍人といえば甘寧!
>>334 一地方軍閥が延命を図ろうとするのが何が悪いのか説明をどうぞ。
戦略眼なんざねーだろ
呉に統一の志、あるやなしや?という事だな。
おやじにはあった。
兄貴にもちょっとはあったろ。
孫権は・・・あやしいな。
>>335 生粋の湖賊です。
>>333 張魯と劉j、孫権と劉禅
簒奪者としての負い目があった司馬ならともかく、
曹一族に対して抵抗を見せ、手痛い傷をつけた後者を許しておくかな?
特に一度は帰順しながら背信行為に及んだ孫権は・・・
三族(ほぼ)皆殺しの憂き目にあった名家が華北にあったような、ないような・・・
340 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:18
>>336 国家が国家として存在するのなら、統一された国家であるほうが望ま
しい。少なくとも戦争をする必要がないでしょ?単純なことですよ。
自勢力で統一する気がないなら(統一できないと諦めたなら)さっさと
降伏するのが家臣のためであり、民のためであるからです。
一国の国主としては当然だと思いますが。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:20
>>334 呉には親魏派と親蜀派がいるから、そんな決めつけ方はできない。
しかし、親魏派は荊州問題が解決すると、消えてしまった?
荊州が手に入り、自国の領土として確定すれば、魏と仲良くする理由はない。
つまり、親魏派も実はその根幹は親蜀派なんだな。
魏に近づくのは、荊州を手に入れるためだけの方策に過ぎんということだ。
>>340 「統一」にそこまで拘らないといけないのか?
結果論だが、三国の中で一番長命だったわけだが。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:21
>>339 周瑜という徹底抗戦派の柱がいなくなった以上、このスレで問題として
いるタイミングでどうせなら降伏すればあ?ってことですよ。
一度帰順して背信なんかしてないし、魏からもそういった手は差し伸べ
てるときだし、有利に降伏できると思いますがね。
>>340 でも、呉が存続してくれたお陰で江南の開発が進み、六朝の基礎が
築かれたわけで、当時の人には悪いが、これが歴史の面白さだと思う。
魏が早期に統一していれば、江南の開発はもっと遅れただろうし。
そうなったら、日本語にまで影響が及んでいたかも。
同じく、蜀が頑張ってくれたお陰でKOEIとSONYが儲かっているわけで、
禍福はあざなえる縄のごとしとはよく言ったものだね。
>>343 ああ、降伏の時期が違うのか。勘違いスマソ
346 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:25
>>340 >自勢力で統一する気がないなら(統一できないと諦めたなら)さっさと
>降伏するのが家臣のためであり、民のためであるからです。
>一国の国主としては当然だと思いますが。
アフォですか?そんなの(よほどのだらしない主君でない限り)誰が受け入れますか?
呉が魏に帰順してたのって何時ごろだっけ?
>>346 俺を馬鹿にしたな!無礼者!逝ってよし!
349 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:29
>>346 その通り。だから孫権はそのだらしない主君でしょ?っつってるのよw
結局、呉を永代続けさせる策もなく、その気すらなかったんでしょ?
大国魏を相手についたり離れたりで、永遠に民に戦争させて生き延び
られると思ってたとでも?
「統一する気が無いなら国をつくるな」
とは大したご高説で(藁
>>347 217年
けど名目上は曹操じゃなく漢に帰順したことになってる。
>>349 >呉を永代続けさせる策もなく、その気すらなかったんでしょ?
そんな策を持っていると思っていたり、そんな気があることが
評価に値するとは思えないな。
どういう政治を行ったかが問題じゃないのか?
353 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:34
>>350 他に統一したい国がある以上仕方ありませんねえ。始皇が統一を始
めて以降、これは定理だと思いますが?誰でもいつまでも戦争して
たくはないですから。
ごめん
その後、魏に帰順して呉王に封じられてる
呉か…
何の目的で帝を名乗ったのか一番わからん国だ…
>>355 国内統制のためじゃないの?
豪族の連合体から孫家を特別なものにしたかったんじゃないかな。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:36
>>339 そんなことしたら、蜀は最後の一兵まで抵抗する。
兵法に曰く、敵を死地に追い込んではいけない。
尤も劉禅はどこか遠くへ逃げるかも
358 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:37
>>352 政治は魏でもできるんですよ。別に孫権が上にいてやってることが、
呉国の国民にとって良いなんてことはないです。むしろ降伏すれば
徴兵が減るなら、よほどその方がありがたい。臣や豪族も同様。上
が変わるだけです。
>>358 >政治は魏でもできるんですよ。
それが呉の政治より良いと思えば、雪崩を打って魏に傾くだろうね。
晋に傾いたように。
ただ、その場合、呉ほど熱心に江南の開発を行ったかどうかは疑問だが。
ところで、こっちの質問には答えてくれないのかな?
>呉を永代続けさせる策もなく、その気すらなかったんでしょ?
そんな策を持っていると思っていたり、そんな気があることが
評価に値するとは思えないな。
どういう政治を行ったかが問題じゃないのか?
360 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:43
>>349 孫権がだらしない君主だったら50年以上も君臨できるか…(劉禅は例外)
そもそも、人間はその時代を行き抜くためにみな必死なんだよ。
孫権は君主という立場で必死に呉を保った。それを天下混乱のもとだをいうのはどうかと思うが
>>359補足
だから、重要なのは良い政治を行うかどうかで、志だの策を持っている
という思いこみは評価の対象にはならないと思うのだが。
>>353 別に始皇帝関係ないと思うがな。
大陸が一つの国でなければならないなどという事はないだろ。
少し見方を変えると、魏が他国と争う気の無い呉を侵略していると
いうことなのだが。
「戦乱」を長引かせているのはどちらかねえ。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:45
>>359 一応その答えが
>>358なんですが?
理念がなんであるか、とかは関係ないんです。統一する気があるのか、
ないのか。ないのならば、圧倒的強国が統一を志ている以上、抗戦を
続けるのは単なる自己の保身のみとしか取り得ない。
例え孫権が自分の施政が魏よりも勝ると思っていても、その為に民を
戦に駆り出し続けるなら、そんなことはなんの意味も持たない。
統一しないのなら、永遠に国土は戦場になることに怯え、民は労力を
国に奪われ続けるんですから。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:48
>>362 それは、国連だのがある現代だけに通用するかもしれない理念ですねえw
尤も、現在ですら絶対ではないと思いますけどね。
>>363 弱くても必死で自分の国を守ろうとするのはいけないことなん?
>>363 相手の国の政治の善し悪しにもよりけりだろう。
統一する気がなくても、相手の国より政治がマシだと思えば
抵抗するだろうさ。
統一が必ずしも善でないことは秦の崩壊が物語っていると思うが?
と、いうよりは悪政が続くから国が崩壊して分裂するんだろう。
だから、統一の是非ではなく、政治の是非を評価するべきじゃないか?
必ずしも、常に戦や分裂が民にとって悪であるとは限らないと思うぞ。
>>363 なるほど。
隣に強国がいて、その強国と戦って倒す意思が無いなら国を棄てろと。
隣の強国の侵略を防ぐな、降伏しろと。
アホですか?
>>360 もとより孫権は大志も充分持ってたと思う。
自国が栄えればそれでよしって考え方をしてる君主だったら
あそこまで行かないでしょ
370 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:51
>>363 それは腐れ儒者の戯言に過ぎん。
だったら呉以上に弱小な蜀はさっさと國を譲るべきだ。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:53
>>368 そうかなあ?当時の呉に比して魏がそんなに民に悪政を敷いていたと
は聞いてないけどなあ。
で、つまり単に『漏れの方が曹操より政治上手だもん!!』ってだけで
意地張ってただけ、ってことですか?孫権は
全く救いようがないですねえw
372 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:55
>>363 だったら戦国時代を考えて見ろ。
暴虐かつ強大な秦に対して抵抗するのが道義に反するといってるようなもの。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:55
こんなに熱いスレになるとは思いもしなかったな。
見よ、今や話は秦・始皇帝から政治論にまで及んでおるぞ!
374 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:56
>>370 それはできませんねえ。蜀漢には漢朝の再興、魏と共に天は抱かず、
という志があるのですから。そしてその為に必死に策を講じ、北伐を
していたのですから。
単にだらだらと、『漏れ、降伏なんかしたくないもん!』つってた方とは
違うのでねえ。
>>371 だからさ、自分の都合のいいとこにだけ突っ込むなよ。
救いようの無いヤシだな。
>>371 日本語の能力が不自由なのか?
国を評価する際には統一の意思の有無が問題なのではなく、
行っている政治が重要だと述べているだけだが。
俺が評価しているのは魏や呉の政治じゃなくて、あんたの考え方だ。
>>374 その蜀は、あっさり魏に降伏したようですが。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 13:59
>>375 自分の都合のいいとこだけ?って、どこに突っ込んで欲しかったんです?
意味不明ですが・・・
379 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:00
>>377 何かおかしいですか?
もはや抗すること適わず、となったら即降伏。
これが正しいと言っているのですが?
>>374 単に意地で降伏しなかったんじゃないだろ。
個々の考え方があるから、国を動かしたいとも思うわけで。
その点では五斗米道だってなんだって変わんないでしょ
381 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:02
いよっ! この驟雨の中、やけに活きがいいね!!
>>378 じゃあまず、大陸が一つの国でなければならない理由を教えてください。
それから、隣の強国の侵略に対し何故防衛してはいけないかも教えてください。
小国弱小国は存在するな、と言っている様に聞こえますが、どうでしょうか?
384 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:04
魏がよい政治を行っていたか?
張悌曰く、
「曹操は中華の地を平定したという功あれど、人民はその威を怖れ、なつくことはなかった。
曹丕の代になっても、人民を戦争に駆り立て、人民は休まることがなかった。
曹氏が人心を失って既に久しい」
そもそも良い政治とはいかなるものか?
どっちがどっちかわからんようになってしまったが・・・
>>383 君は中華思想って知ってますか?
>>385 知ってますが、中華思想が正しいという根拠は?
387 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:07
今、三戦が熱い!!
権力者が既得権を守って戦ってるだけ。
民衆にとっては、漢という完成されたシステムを体験した後なので、
中華が統一されてた方がいいな程度。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:08
>>383 『永世続きうる国家としての基盤と展望』がない国家には、存在してほ
しくはないですね、民としては。無駄に滅ぶまで永遠に続く戦争なんか
やられててはたまりませんから。
ひとつでなければいけない、というよりはひとつであることが望ましい。
ということです。全く敵対勢力がないなら良いですがね。当時の状況
でそれを考えるのはねえw
>>388 漢が完成されたシステムというのなら何故滅んだ?
>>389 では、魏、蜀、晋には、
『永世続きうる国家としての基盤と展望』
があったというのか?
当時において、そんなものがあった国は無いのではないかな?
393 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:12
>>389 それを言うと魏、蜀の方が条件を満たしませんが。
晋が何で滅びたか考えてね。
捨てハンを名乗らせて頂く。
もう一度議論の流れを整理すると、
>349で
結局、呉を永代続けさせる策もなく、その気すらなかったんでしょ?
と、貴方は国家の永続の策と意志を問題にしてる。
>352
>どういう政治を行ったかが問題じゃないのか?
で、それに対して俺はそんなものより具体的に行った政治が問題だと
指摘する。
>363
>理念がなんであるか、とかは関係ないんです。統一する気があるのか、
>ないのか。
ここでも貴方は統一の意思を問題にしてる。
>367
で、俺は国を評価する基準として統一が必ずしも適切かどうかを秦を
例に挙げて疑問視してる。
>371
で、貴方はいきなり魏と呉の政治の比較を行っているが明らかに
話題を逸らしているように思う。
それについて指摘したのが>376と。
俺は既にこれまで挙げた理由で国を評価する基準が、
統一する意思の有無よりも、実際にその国がどんな政治を行ったか、
という方が妥当だと思っている。
このことについて貴方の意見を聞きたい。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:15
>>392 あったでしょうwあたりまえです統一を志してるんですから。
戦争のない、統一された国家で、正しく政治を行えるなら永世続きうる
だけの展望はある、と言えるんです。
例えばクーデターが起こるとか、叛乱が起こるとか、そうゆうのは枝葉
ですよ。あと、モンゴルが漢土まで攻めてくるってのは当時として反則w
>>395 『永世続きうる国家としての基盤と展望』 があったと貴方が主張する
国家も、無かったと主張してる国家も同じく滅びている以上、
その有無が国家を考える上で重要であるとは思えない。
やはり国家について考える際には、その国が具体的に行った政治を
評価する必要があると考えられる。
>>395 呉は「揚州、荊州を統一した国家」なわけだが。
モンゴル含め、異民族を「反則」の一言でごまかさないで頂きたい。
「中華」を統一したとして、異民族の侵略、侵略されないための外交、
はあるのだが。
呉が魏、もしくは晋に対し、時に外交、ときに防衛で「国家体制」を
守ろうとするのと、中華を統一した国家が異民族に対し、同じように
することの何が違うのか?
貴方の理論からすると世界中全てを支配しなければならなくなるのだが。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:22
>>394 何度も言ってるはずなんですけど?
敵対しうる(事実敵対している)国家がある限り、戦争は起こる。戦争の
準備も必要になる。つまり、国土は戦場になることに怯え、民は徴兵さ
れ労力を奪われる、その状態が続く限り永続的に。
統一の意志があるということは、その統一によって戦争をなくすという
こと。少なくとも中華圏においては。
統一の意志がないということは、常に統一の意志があるものに抗して
民を兵として駆り出し続けるということ。そしてその終わりは、自国が
滅ぶまで続けるよりほかない。仮に滅びないとしても、永遠に。
少なくとも統一の意志があるのならば、民にはいずれ終わる戦争という
希望を持てる。
統一の意志のない国家では、常に終わりなき戦争か、国家の滅びし
かない。
399 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:23
>>396 民が評価して国や為政者を選べる時代ならね。
あなたは時代背景もわからないの?
400 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:23
>>395は腐れ儒者か?
いつまで正しい政治が続けられるのか?
そもそも正しい政治の定義を教えてくれ
失礼、「交州」も呉の支配下だったな。
>>392 400年以上続いた漢も統一して建国するまでは
『永世続きうる国家としての基盤と展望』
なんて持っていなかっただろうね。
項羽と戦うだけで精一杯だったんだから。
『永世続きうる国家としての基盤と展望』なんて
天下統一には関係ないような気もする。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:25
>>399 民が評価していようが
民が為政者を選べようが、
失敗した政治は失敗した政治。
民の評価・賛同は政治の失敗に対する言い訳にはならない。
>少なくとも中華圏においては。
何故中華圏に拘る?
中華を統一したとして、外敵はいる。
405 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:28
2時間以上書き込んでて疲れたから落ちますねー
自分の意見はだいたい書いたと思うけど、関羽如きのはなしを結構広
げたでしょw
406 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:29
>>398 戦国時代の一部の国よりも存続期間の短い
中国統一国家、例えば隋が存在し、
しかも、
隋は外征戦争に明け暮れていたことを考えれば
統一の意思があるなしにかかわらず、
民にとっちゃどうせ戦争にかり出されるので一緒。
仮に世界全土を統一したとしても、分裂や敵対はあるだろうしな。
…どんな事があっても戦争は避けられないんだろうか??
逃げやがった…
自分の意見を書いただけで、他の人の意見を無視したわけだが。
ろくに議論もできぬのなら「自分の意見」などと言うのは無意味なのに。
409 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:31
>>398 呉の民が呉の国家戦略を知っていたとでも?
確かに孫権は天下統一の志はあまりなかった。
しかし、それは「したくない」ではなく、「できない」と考えていたからでは?
呉は天下統一しなかったのではなく、できなかったのだ。
孫権死後、諸葛恪、孫峻らも魏にケンカ売ってますが。ただ勝てなかった。それだけのこと。
>>398 1.悪政の脅威
統一の意志があろうと無かろうと、悪政が存在すればそれは
具体的な脅威となって民の上にのしかかる。
悪政の労役は時に戦争よりも酷い状態を国家にもたらす。
悪政が続くという状態も戦争が続くという状態と同じく
希望のない状態である。
2.統一の意志と具体的な脅威
統一の意思が存在すると言うことは統一が行われるまで民を兵として
駆り出し続けること、敵対関係が続くのであれば、その終わりは
相手が滅ぶか自国が滅ぶかまで続けるしかない。
民への実際の脅威は統一の意思がない場合と同じ。
3.統一の意思と実現性
統一の意思が存在したとしても、それが必ずしも実現するわけでは
なく、また、希望に結びつくわけではない。
具体的に統一のめどが立たない以上、民が感じるのはあてのない希望でなく、
目の前の負担に対する怨嗟である。
以上の諸点から考えると、やはり統一の意思の有無が問題ではなく、
実際に行われた政治の方が重要な問題だと考えられる。
411 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:32
折角書いたのに、残念です。
彼が墨子の思想についてどう思うのか聞いてみたかったような
気がします。
後、革命の概念についてはどう思うのでしょうか。
君主が不徳であれば、天命改まって新しい王朝が起こるという
思想が存在したはずなのですが。
>>407 「平和」などという、具体的にどうなったらそう呼べるかわからない
状態を目指すより、「戦争はある」と考えて動いたほうが、「現在」
において、「より良い(一番良いとはいえない)」行動ができると思う。
>>413 「平和」というのは単に戦争が存在しない状態をそう呼んで良いのでは?
「平和」を目指すために戦争を理解し、「戦争は起こる」と考え、
戦争に備えることが必要だと思いますが。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:43
彼知己知
百戦不殆
不知彼而知己
一勝一負
不知彼不知己
毎戦必敗
416 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:44
俺、マジで孫堅だけど何か聞きたいことある?
.策だけど何か聞きたいことある?
.権だけど何か聞きたいことある?
.亮だけど何か聞きたいことある?
.休だけど何か聞きたいことある?
.皓だけど何か聞きたいことある?
417 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:44
孫権が統一に消極的だったのは、領地を拡大しても治めるのに苦労するからかな?
418 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:44
俺、マジで周喩だけど何か聞きたいことある?
魯粛だけど何か聞きたいことある?
陸遜だけど何か聞きたいことある?
諸葛恪だけど何か聞きたいことある?
孫峻だけど何か聞きたいことある?
孫[糸林]だけど何か聞きたいことある?
陸抗だけど何か聞きたいことある?
岑昏だけど何か聞きたいことある?
419 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:45
俺、マジで周喩だけど何か聞きたいことある?
魯粛だけど何か聞きたいことある?
呂蒙だけど何か聞きたいことある?
陸遜だけど何か聞きたいことある?
諸葛恪だけど何か聞きたいことある?
孫峻だけど何か聞きたいことある?
孫[糸林]だけど何か聞きたいことある?
陸抗だけど何か聞きたいことある?
岑昏だけど何か聞きたいことある?
>>414 「戦争の準備中のために戦争が無い」
という場合もありえると思うのですよ。
「内包的に戦争のもとを抱えている」
状態を「平和」と呼んでよいものかと。
つまり、具体的に「平和」と呼べる状態は無いと考えてます。
421 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:45
>>1 おまっ、マジすげぇーョ!!!こんなスレたてるなんてさ。
できねえよ凡人の俺にはさ。まじキレテルョ。
エッジ効いてるよおまっ!きっとお前は盗んだバイクで走るんだろうな。
俺には出来ねェョ!!! うまく言えねぇけどこのスゴさってなんだろう?
「北斗の拳」でいう闘気?「聖闘士星矢」でいう小宇宙?
「頭文字D」でいうオーラ?「セーラームーン」でいうエナジー?
「Zガンダム」でいう最終回のアレ?「Vガンダム」でいう最終回のアレ?
「ドラゴンボール」でいうかめはめ波?「ジャイアントロボ」でいうビッグバンパンチ?
「るろうに剣心」でいう天賭ける龍の閃き?「Gガンダム」でいうハイパーモード?
「マクロス7」でいうアニマスピリチア?お母さんって呼んでいいデスカ。
ていうか俺さー、実はここ1週間ずうっとみんなが楽しめる楽しいスレッド
を立てようって考えていたんだよね。毎日毎日ひたすら考えていてさあ
でも全然思い付かないんだよね。やっぱり俺の才能じゃ、
そういう楽しいスレッド立てるのって無理なんだろうなあって、
あきらめたとこなんだよ。それなのにさ、今ここ見たら、どうよ。
こんな面白いスレッドが立ってるじゃない。ホントびっくりしたよね。
マジ、え、ホント、こんな面白いスレッド立てられる奴がいたのかよーって
マジで驚いたよ。すごいね、あんたマジですごいよ。最高だよ。
どうやったらこんな面白いスレッドを思いつくんだろう。感心しちゃうよ。
俺じゃ絶対無理だよ。不可能だよ。あんた天才だよ。すごすぎるよ
422 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:46
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423 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:46
経歴の長さと武将不足から、それなりの位はもらったけど趙雲って、実力としては中堅クラス。
武侠として、魏における許チョと同じく奥向きの警護や親衛隊長を任され、少数の兵を率いて
個人的な武勇を発揮するのは得意だけど、兵を率いる部将としては魏延や馬ショクより評価が下
だったのは生前・死後の扱いを見ても明らか。
逸話が多いのも、親衛隊長として劉備やその家族の身の回りにいたからに過ぎない。
陳到のような事跡が残っておらず、演義にすら採用してもらえない人物と同評価だったことからも
趙雲の実力はハッキリしている。
・・・と、こう書くと趙雲ファンの人はイキリ立つが、ちょっと待って欲しい。
人の評価というのは戦場の駆け引きだけにあるのではない。
奥向きのことを任されたことからも判るように劉備からの信頼は厚かったし、信義を重んじ
実直・清廉な人柄だったのは間違いない。
もし本当に趙雲のことが好きなら、妄想や過大評価で彼の真の姿を歪めることなく正しく
ありのままに評価すべきではないだろうか。
・・・と冷静かつ客観的視点のもとに魏延を語れ
424 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:46
つまらんマジレスだけど、せっかくなので…
秦と晋の戦いは春秋期を通じて幾度もあるが、附庸国や盟下の国々を加えない、
単独での大戦は四度あり、各々を略記。
【韓原の戦い】(前645年 秦穆公15年 晋恵公6年)
晋の恵公(夷吾)は、秦の穆公(任好)の斡旋により即位した際、河西の地を献ずる旨を
約しつつもこれを反古。即位4年目には不作により国内は飢え、秦に穀物援助を乞い、
大いに恩をうけながら、翌年の秦の不作に際しては、秦の援助を拒むにとどまらず、
内憂に乗じて秦を侵そうと企図。
ここに秦は激怒し、会戦に至る。
秦は出師するや晋を三たび破り、韓原に達した。
韓原にて秦と晋は戦い、恵公が捕われ、晋は大敗した。
― 晋は前661年に二軍を創設しており、秦もおおよそ同等の軍事力を有していたと
思われる。
これは、斉と楚に次ぐ大国同士の戦争といえる。 ―
以降、低迷の続く晋に文公(重耳)が帰国するのは、これより8年後である。
今、荒らしてるやつは405のような気がするんですけど。
気のせい?
426 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:47
【(肴殳)の戦い】(前627年 晋襄公元年 秦穆公33年)
発端は3年前に遡る。
城濮の戦いで楚を破り、晋の覇権を確立させた文公の7年、晋はかねてより亡命中の
鄭の公子蘭を帰国させるべく、秦と共に鄭都を攻囲する。
事態に窮した鄭は密かに秦と盟い、秦は3人の臣を遺し帰国し、晋も帰国に終わった。
文公の没した前628年、鄭人が秦に通じ、穆公は憲叔の諫止を遮り軍を発した。
国内を無断通過した秦軍に対し、晋は出師を決意。
鄭の商人・弦高の機知により、秦の鄭攻略は頓挫し帰国の途につくも、晋軍とそれに
与した姜戎により(肴殳)にて大敗し、百里視(孟明)、西乞術、白乙丙は捕虜となる。
― 秦の発した軍は、兵車300乗と伝えられる。『周禮』に従うなら、秦の動員兵力は
3万と思われる。対する晋軍は文公8年に5軍を設けており、優に6万を超える兵力で
あり、先軫はじめ老練な将を有した晋の完勝であったといえる。 ―
2年後、秦は再び晋に挑む。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:48
【彭衙の戦い】(前625年 晋襄公3年 秦穆公35年)
2年前の敗戦に報いんと欲する秦は、再び百里視(孟明)を立てて晋を侵す。
2年前に秦に勝利した晋は、同年、箕の戦いで狄を破るも先軫を失っており、元帥は
先軫の後嗣・先且居である。
開戦に際し、先年、晋侯の車右を解かれた狼鐔は鬱積した憤慨を糧に突出。
牽引されるかたちで晋は全軍を投入し、秦軍を撃破。
秦の中原進出は途絶された。
― 秦は師将が百里視(孟明)であり、傑出した将才を持ち合わせておらず、兵力差に
おいても先年同様のひらきがあったと思われ、先且居の他、文公以来の逸材を有す
晋の勝利は妥当と思われる。 ―
以降も晋と秦の戦いは続くが、大戦に至るまでに10年を要す。
428 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:48
【河曲の戦い】(前615年 秦康公6年 晋霊公6年)
10年で情勢は大きく変化した。
晋は襄公から霊公の時代にうつり、趙盾が正卿となるも国内の騒擾は止まず、襄公の
後嗣を巡るさなかには、先蔑と士会が秦へ亡命。
秦も穆公から康公の時代にうつり、依然として晋との交戦は続き、遂に大戦にいたる。
秦が河水屈曲部の北岸に位置する、要衝・羈馬を取るに及んで晋は軍を発し、秦軍の
不得手とする持久戦を採用。
康公により帷幄に迎えられた士会は、晋の内情を分析して康公に献言し、晋軍を挑発し
決戦にいたるも、双方譲らず。
秦は一計を設けて使者を遣わし、晋を誘いつつ退却。
帰途に及んで、晋の油断を見澄まして反転東行するや、河水南岸の瑕を伐つ。
― 晋は襄公の没した前621年に2軍を廃して3軍にもどり、河曲の戦いにおいても、
この3軍を動員したが、終始、秦に対して後手にまわり、卿、大夫間における結束も
欠き、終始にわたって秦が優勢であったといえる。 秦は穆公の死にともない、多くの
殉死者をだしたが、君臣一致のうえでの出師であり、戦果は重畳といえる。―
秦の攻勢に憂慮する晋が、士会を帰国させるのは翌年である。
以降、晋は南方の大国・楚との覇権を争う時代を迎える。
以下に、四度の書き込みに際しての参考文献を記載。
『史記』『国語』『春秋左氏伝』『周禮』『竹書紀年』
429 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:49
どうでもいいけど関羽討伐の是非についての論議から大きくズレたな…
そろそろ戻りません?
--------------------------------------------------------------------------------
素人氏の話をもう少し聞きたかったのですが、
荒れてるようなので去りますね^^;
>>420 >「戦争の準備中のために戦争が無い」
>という場合もありえると思うのですよ。
それについては同意見です。
ですが、私は「内包的に戦争のもとを抱えている」状態でも
「平和」と呼んで良いと思います。
「平和」とは別に美しいもの、綺麗なものである必要は無いと
思いますから。
むしろ、「平和」とは戦争よりも汚いものかも知れません。
>>430 お疲れ様です。
議論にお付き合い頂き、有り難うございました。
>>405 議論に負けて荒らすなんて最低なやつだな。
あぼーん
>>410,413
ごめんなさいー
ホントに疲れたんですよヴァカだからアタマ使い慣れてないし
誰かに言われたこのハンドルで気が向いたらレスします
とりあえずこれから出かけるんでー
>>425 失礼だなあ。そんなことはしませんよw
飯食って帰ってきたらなんか、あっちの方向に・・・。
戦争と平和ですか???アレー?
何について論議してるかわからなくなってきた
なかなかおもしろかったのに・・・
あぼーん
あぼーん
439 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 14:56
>>436 >何について論議してるかわからなくなってきた
それは、荒らしが悪い!
まあ、孫呉の意味等々、多方面から見るのも大事ではないかと。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
まあ、アク禁なりなんなりくらっちゃってください…
なかなか呉の立場に立って考えるのってむずかしい・・・
あぼーん
やはり呂蒙は姜維に劣る。
とても周瑜・魯粛・陸遜と同列の扱いはできない。
呂蒙がうまく逝ったのは結果オーライ。
あれくらいの好条件があれば、姜維ならもっとうまくできる。
あの悪条件では、呂蒙は姜維ほ踏ん張れまい。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:12
周瑜>魯粛>陸遜>呂蒙
450 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:15
>>448 それって何の順位?外交能力と戦略眼と戦術眼を総合した順位なら
陸遜>魯粛>周瑜>ホモォ
だと俺は思う
452 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:17
魯粛>陸遜>>>>>>周瑜>>>>>>>>>>>>>>>>>>>呂蒙
といったところだろう。
呉にはこの4人しかいないのかね??
454 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:20
陸遜>周瑜>魯粛>>>>>>>>>>>>>>>>>>>呂蒙
家柄
456 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:22
孫策や周瑜や陸遜だったら合肥を攻略できたはず。
やはり、孫権には将軍の素質が無かったということかな?
>>454 陸遜>魯粛≧周瑜>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>呂蒙
だろ
458 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:23
>>456 その根拠は?
また、合肥攻略の戦略上の必要性は?
>>456 その3人(のうち一人)に張遼が守る合肥を攻略できるとは思えない。
軍師だって…ゲームは、ほどほどにね。
なんだか厨すぎて見てられん
462 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:30
>>458 どんな堅城でも落ちない城というもの自体はない。
要は作戦次第。大体、張遼のときの合肥は大軍はいなかったはず。
魏攻略の橋頭堡
463 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:33
>>454 だから呂蒙はカス!
貧乏人逝ってよし!
成り上がり者逝ってよし!
>>460 いいたいことを最も的確に表せる言葉を使ったまでだ。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:35
466 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:44
大体ゲームじゃ呂蒙って過大評価されすぎ。
統率92
武力79
知力84
政治40
魅力81
くらいじゃん?
姜維は
統率93
武力91
知力94
政治75
魅力84
といったところで…
467 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:49
魏>呉>>>>>>>>>蜀
着々とレベルが下がっていくなあこのスレは
呉の末路を見ていた重臣たちの気持ちはこんな感じだったのだろうか
470 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 15:55
魏=東京=自民党
呉=大阪=社会党
蜀=名古屋=公明党
471 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:00
呂蒙とケ艾は頭の発達が遅れております。
あぼーん
473 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:33
呉にとって一番の脅威は
「荊州を他国が領有している」って事だろ。
赤壁の戦いだって、曹操が荊州を得たから呉に攻め込めたんだし。
魯粛と呂蒙の戦略だって
「荊州から攻め込まれないようにする」
という点では一致していると言える。
475 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 16:50
>>474 でも、魯粛には益州侵攻の計画は無かったが呂蒙にはあった。
マジで呉は運がなかったとしかいいようがないな。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:00
>>476 蜀も運がなかったとしかいいようがないな。
>>475 そもそも天下二分の計は呉では魯粛が言い出しっぺだが?
479 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:13
もし○○が生きていれば、関羽は処刑されなかった!
本当に○○に当てはまる人物なんているのかな?
480 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:14
周瑜の益州侵攻策が言い出しっぺじゃないの?
482 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:17
>>479 そんなことより、もし関羽が魏に捕まっていれば処刑されなかった。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:19
484 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:20
>>482 激しく同意!
関羽は、捕まる相手が悪かった!
呂蒙は単に孫権の命令に従っただけで特に責任はないと思う。
そもそも荊州攻めは魏が提案してきたのであって、
それに乗ってしまって孫権に非があると思う。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:21
関羽攻撃の是非は、呉が天下三分の計と天下二分の計の
二つの戦略どちらかを取るかで変わってくるのでは?
周瑜、呂蒙、陸遜などの軍人は荊州、蜀を手に入れて
魏と対抗する力を持って魏と戦って天下を取る考え方。
呉の文官や豪族は劉備と協力して魏とともに対抗する事
で力の均衡を作って現状を維持する考え方。
孫権が天下を狙うなら少なくとも荊州を手に入れないと
はっきり無理でしょう。
487 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:26
>>486 魯粛は、荊州を手に入れてから劉備と協力して魏と戦って天下を取る考え方。
488 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:27
>>486 陸遜は蜀を攻めていないので天下二分の計は考えていなかったと思う。
周瑜が生きていた頃はまだ劉備が益州を手に入れる前なので
速攻で荊州と益州を手に入れれば魏と対抗できたかもしれない。
蜀って魏をつぶした後、呉もつぶすつもりだった?
490 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:47
>>486 蜀と協力して魏と破ってもその後、蜀漢との戦いが待ってる罠。
劉備と孫権では正当性では劉備の方が上(一応漢の復興だからね)
しかし、孫権は特にそんな正当性がないから、皇帝即位するのも
他の二人に比べてだいぶ遅れてる。
一方魏の曹丕となら漢にあだなす賊臣を討つと言う大義がある。
もちろん劉備より圧倒的な国力があるならそんな事も意味はないけど
魏を討つ事が出来たときは蜀もかなりの領土を手に入れてるから
意外とそのことが重要になってくると思う。
>>489 すくなくとも、存続は認可したのではなかろうか。
完全な徹底抗戦でもしなければ、版図を削減して朝貢を義務付けるあたりに
なるのではないか?
当たり前だろ
493 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 17:59
>>490 >劉備と孫権では正当性では劉備の方が上
劉備と孫権では国力では孫権の方が上
494 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:13
>>474 荊州を他国が領有している事は確かに呉にとって、脅威なのだが、それが敵国だったらね。
とりあえず敵対していない国ならその時点では問題ない。
そのまま放置しておいたらいつかは敵国になるだろうが、それははるか先の話。
この時点では蜀は敵対国ではない。そしてその蜀は呉の敵国たる魏と戦い、戦局を有利に進めている。
荊州侵攻はもうすこし魏をいぢめてからにするべき。
こういう国際情勢では常に一歩先のことを考えている必要がある。
所詮、人間だからな
他人が妬ましければ、将来より現在を取ることもあろう
将来には別の不確定要素も入るだろうし
孫権が目先の欲に眩んだってええじゃないか、ええじゃないか
>>494 何が国際情勢だよ?という突っ込みは置いといて・・・
あの時期に荊州奪還をしなければ、
その先2度と荊州が呉の支配下になることはなかった可能性が高い。
お前らの大好きな理想論で話を進めていきたいなら、
蜀が呉に無条件かつ完全譲渡の形で荊州を返上した上で、魏に当たっても問題あるまい。
497 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 18:40
>>485 なんで非があるの?
呉の将来を見据えた上で間違っていないと思うが?
498 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 18:49
ようするに孫権が糞だということだ
499 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:07
関羽が殺されたことについては、曹操にも孫権にも劉備にも罪がある。
500 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:09
500
501 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:11
劉備はともかく、敵国の司令官討ち取って罪もくそもないだろ
502 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:13
>>501 >敵国の司令官討ち取って罪もくそもないだろ
でも、孫権の場合は裏切りの罪があるよ
>>502 戦国時代に同盟国の裏切りを考慮に入れなかったのであれば、
関羽が無能ということではないかな。
504 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/16 19:25
>>502 戦乱の時代は裏切りと謀略の連続である
それにしても裏切りも読めなかったとは関羽も愚かだな
505 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:39
>>496 >あの時期に荊州奪還をしなければ、
>その先2度と荊州が呉の支配下になることはなかった可能性が高い。
それはどうなのかな?関羽が攻勢に出ていて、
荊州をがら空きにしていればいつでもとれると思うが
506 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:41
>>505 そんなに関羽も馬鹿じゃない(と信じたい)
>>504 関羽は愚かかも知れないが、呉のやり方も誉められたものではない。
あの流れは光秀に殺された信長を連想させる。
508 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:45
>>505 関羽が攻勢にでた時の留守番役がしっかりしてたら守りきれるかも。
あのとき荊州には関羽以外に有能な軍人がいなかったんじゃないかな。
509 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:46
損権厨房は痛い呉信者で呉を貶めるスレは荒らしまわる最低な奴なのでみなさん放置してください
511 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 19:52
出先の軍人である関羽の罪かどうかはともかく、呉に荊州奪取は無理だろうと
舐めきっていたら意外にも獲られちゃった、ってところじゃないの。
強国に庇護を求めては独立・離反を繰り返した劉備がまさか信義なんて寝言は
言えんよな。
>>734 つか、なんで730を騙る?ワケワカラン
514 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:08
>>508 その優秀な指揮官がいなかった。さらに、残った糜芳や潘濬、傅士仁らは関羽を怨んでいた。
しかも、残された兵力は微弱であった。
こんな状況では荊州は外部からちょっと圧力をかければ簡単に料理できる。
515 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:16
ばーか
516 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/16 20:21
個人的な意見ですが・・・。
孫権の中途半端なプライドによって関羽討伐が行われたような気がします。
魯粛は
>>1のように状況が分かっていたからこそ劉備との間を取り計らい、
呉蜀で魏に当たろうと奔走していただろうと僕は思います。
しかし孫権は赤壁の代償たる荊州を劉備に掠め取られ面目を失い、
更には関羽に婚姻を蹴られ、そのプライドは痛く傷ついたと思われます。
その感情を抑えていたのが赤壁の戦役で徹底抗戦を唱えた魯粛だったので
(赤壁前の孫権の心情が魯粛の意見と合致していた為無碍に扱えない)
無視する訳にはいかず、渋々魯粛の意見を尊重していたものと思います。
その魯粛が死亡し、主戦派の呂蒙が荊州奪取の計画を練るとすぐに飛びつきます。
赤壁前の周兪や魯粛らの主戦派の意見を採用したように、
孫権は自分の考えに沿う者に信頼を寄せるようです。
荊州奪取に成功したものの、蜀に和睦の使者を送ったり、二面作戦を
回避するために魏に臣従したりと、その場しのぎの感情で、先を見て動いている
様には思えない。たまたま劉備を退け、曹丕が馬鹿だった為うまく行きましたが、
その自分勝手な行動ははっきりとわかります。
孫権には統一の意思が無く、魯粛には統一の意思があったと思います。
その為、赤壁では意見が合致し、荊州問題では意見が異なったと思います。
魯粛が何故呂蒙を後任に推したのか?謎です。
517 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:21
馬鹿とは何だゴルァ!
518 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:23
*赤壁の戦い直前の状況*
【開戦派】
周瑜・魯粛・女官など
【降伏派】
張昭・文官など
呉が赤壁で降伏してたら劉備たちはどうなってましたか?
520 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 20:29
>>519 益州に逃亡するが、劉璋も曹操に降伏するから
結局は逃げ場が無くなる
うおお、大盛況だな。
そろそろ一度、ちょっと諸意見を整理してみないか?
承知。
まず、このスレッドの議論前提。
『二一九年の荊州攻略戦とその前後の行動は、当時と後年の呉国にとって、
戦略的に有益であったか否か。呉国側の視点から見て判断する』
OK?
あぼーん
で、だいたい二通りの意見が出ているように思う。
1.
「荊州攻撃は結果的に呉を不利に追いこんだ。最大の魏に対抗するためには呉蜀同盟
が必須であるにも関わらず、蜀を無思慮に攻撃して勢力を殺ぎ、大国魏の一人勝ちを
生んでしまった」
>>1を始め、割と伝統的な意見だと思う。
これに、
2.
「そもそも、呉には天下を統一する意思は(ほとんど)無かった。情勢を見て荊州を獲り、
劉備を撃退したことにより呉は安定を確保し、結果的に呉は三国の中で最も長く生き残った」
という主旨の論が対抗している。
それぞれの論拠を纏めて箇条書きにするか、要点のレスのリンクを引っ張ってくれば
いいんだけど、ちょっと時間が掛かるな……。
あ、漏れが今、懸命に過去ログ漁ってるとは思わないようにw
俺は意見2派なので、そっちはやらないこともないけど。
1は1派の人にきぼんぬ。
527 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:17
>>525 纏めてくれてありがとう。卒論に使えるわこれ。
結局、1・2どちらも一理ある。
528 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:23
>>525 どちらも立派な意見で、間違いはない。
ところで、呂蒙は@の可能性を考慮していたのか?
これは無視できる問題ではないが。
まあ、片方に一分の理も存在しなかったとしたら、こんなに揉めないわな。
歴史に対して新たな説が持ちこまれる際に面白さが生まれるのは、今まで影に
なってきた部分や人物に光が当てられて、その視点からの世界の景色が広がる
からだと思う。
呉蜀の同盟が必須であるにも関わらず荊州を攻撃した呉に、今まで感情移入
できなかったんだけど、「三国時代」が「三国が覇を争った時代」だという
先入観を取り払って呉という地勢に立てば、それなりの説得力が生まれてき
て、なんか好きになれそうだったりする。
結果的には呉も滅んだわけだが、「大国の脅威に耐えて時機を待つ」という
戦略が可能とする凄味のようなものが、長江にはあるように思う。というわけ
で、2.を支持する。
>>527 卒論やるとしたら、がんがれ(w
530 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:39
532 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 21:56
もし呂蒙が死ななかったどうだろう?
これは演義の話になるが、張昭の諫言(関羽の首を魏に送れ)を聞いた場面、
劉備が弔い合戦に出てきた場面など、想像すると面白い。
呂蒙はどう責任をとっただろうか?後悔するだろうな…
533 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 22:00
呉が関羽の娘との婚姻を、劉備にではなく
一臣下にすぎない関羽に直接もちかけた時点で
蜀と事を構える意志を持っていたとするサイトがありました。
呉の主筋との婚姻という重大事を、劉備を無視した形で進めたのは
ようするに関羽に離反を促したのだというのです。
もしこれを独断で受ければ、呉に寝返るとまではいかないまでも
劉備との関係悪化は免れないし、断れば荊州攻めの口実にできるという
どちらに転んでもまずくはない策謀です。
関羽もこの婚姻をそのように捉えていたとすれば、彼の激怒も納得できます。
「わしが公を裏切ると思ったかぁっ!」
というわけです。
>>525 >>「そもそも、呉には天下を統一する意思は(ほとんど)無かった。情勢を見て荊州を獲り、
呉は他にくらべて天下の統一の意思が若干少ないかもしれないが、
「天下を統一するためには荊州奪取は必須だった」と考えるが。
ってか、これが魯粛が提示した戦略だよな。
他の周瑜にせよ呂蒙にせよ陸遜にせよ同じ戦略の元、行動を起こしてるし。
なんで魯粛は呂蒙を後任にしたんだ?ってよくみかけるんだけど
魯粛死後の後任は厳峻に継がせる予定だったが
厳峻が固辞した結果呂蒙が後任になったわけだから
なんで親蜀派の魯粛が後任に呂蒙を(以下略
というネタはもういいでしょ
もうひとつ呂蒙の後を継いだのは朱然でしょ
一応、孫権は関羽と婚姻外交を結ぼうとしたが
関羽が断っているからねえ。
関羽が傲慢な態度に出て呉と友好関係をきずこうとしなかったから、
呉が荊州攻めにでたのはいたしかたないと思われる。
荊州問題はやはり関羽に一番責任があると思う。
537 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 23:07
>>534 今までのどこかにあったと思うけど、守るためにも荊州は必須。
まあ、荊州というより「長江を押さえる」なわけだが。
どっちにしろ、呉にとって荊州は非常に重要であるといえる。
よって、隙を見て奪ってしまったことは失策ではない。
というか、関羽の北上中、益州は何やってたんだ?
後詰送るなり、あわせて北上したりしてないの?
それとも関羽の独断で、益州軍が動く前に関羽がやられたのか?
『荊州攻撃は、結果的に呉にとっての戦略的失敗だった』 論旨
a)
たとえ呉が天下統一を目標としていなくとも、大国魏に対抗するためには、蜀との協調が
不可欠である。
b)
荊州が呉防衛の要地であろうとも、これを必ず領有しなければならないわけではない。蜀漢と
の友好に意を尽くしさえすればよいことである。
c)
荊州の返還を求めるのはよいとしても、その手段と時機が最悪。荊北を脅かしていた関羽を
放置しておけば、漢中から出陣するだろう蜀本隊と共に、魏を窮地に追い込んだだろう。劉備
にはここ10年来の勝勢があり、魏(曹操)も中原を固めていたとはまだまだ言えない上に、
当時は負けが混んでいた。勝機は十分にあった。
d)
その蜀漢に呼応して徐州へ攻め上がるのが最上策。それらが全て上手くいくとは限らない
としても、歴史全体を見れば、そのタイミングが魏を滅ぼす最初で最後のチャンスだった。
e)
荊州を武力奪還したとしても、少なくとも関羽らは生かし、必要以上の劉備の怒りを
買わないようにすべきだった。戦後処理が拙すぎる。
f)
事実、激怒した劉備の大攻勢を招いた。それを予想していなかったのか。諸葛瑾を使者
とした和睦の言上は拙(つたな)いの一言に尽きる。
g)
夷廖の勝利はあくまで結果に過ぎない。国を無意味な危険にさらした。
h)
さらに、この戦いは蜀の人材払底を招き、劉備亡き後の蜀漢の苦戦の主要因となった。結局、
蜀は長安に到達することさえできず、国力を消耗して滅ぼされた。三国鼎立が崩れては呉は
単独で魏(晋)に対抗することができるわけがなく、滅ぼされている。
i)
呂蒙は荊州に次いで益州の攻略を目論んでいた。実現していれば、その隙を突いた魏の侵略を
招いて、呉の命脈は相当縮まっていただろう。呂蒙の死もまた、結果的に呉に幸運をもたらした。
『呉は、荊州を獲ったことにより安定を確保し、結果的に長命を実現した』 論旨
a)
呉はそもそも、天下統一をそれほど積極的に狙っていたわけではなかった。よって、蜀漢と
共同しての魏攻撃は至上命題ではない。
b)
劉備との協定によって、荊州の領有権は呉のものである。大義名分は文句なく呉にあった。
また、蜀漢政権中枢には多く荊州士人がいる。外交交渉で荊州の返還を実現するのは不可能に
等しい。
c)
長江を以って呉越を護るには、単純防衛の点でも、仮にそれ以上の攻勢を掛けるとしても、
すぐ上流に位置する荊州の確保が戦略的に不可欠である。いつ敵に回るか判らない蜀漢に委ねて
おくわけにはいかない。
d)
関羽がいくら奮戦したとしても、所詮寡兵。本気になった大国魏の反撃を防げるとは思えない。
蜀との連携は自滅の道である。
e)
当時、呉の国内はまだまだ固まっておらず、魏を完全に敵に回すわけにはいかなかった。既に
二一七年、魏(後漢朝)に形式上降伏している。荊州攻撃は魏に恩を打って見せ、荊州を得ると
いう両得の戦略だった。
f)
荊州を獲ってしまった以上、関羽の存在は個人としても呉にとって脅威であった。生かしても
呉に帰順するとは思えず、蜀に返すのは復讐に燃える強敵を増やすこと。斬るのが正解。
g)
本来呉の物である荊州を取り返しただけで、劉備がむきになって大攻勢を掛けてくるとは思わなかった。
h)
荊呉を確保し、国内の安定に意を注げば、大国を相手取っても、長江によって長期に渡って守る
ことができる。事実、呉は三国の中で最も長生きした。
一部、ログに出ていない意見を勝手に補足して整理したりもしたが、各論内での
矛盾(に見える部分)は、あえて残しまつた。どうせ各人で細部は違うんだし。
まあ参考までにってことで。
じゃ、
( ノ-Д-)おやすみなさい。
国家だとか戦略だとか難しい言葉が飛び交ってるね〜。
しかし、ゲームや小説でしか歴史を知らない奴らはすぐ分かるね。
国家を語るならせめてプラトンの「国家」ぐらい読めよ。
岩波文庫から出てるよ。
戦略論、戦術論を語るなら何が良いんだ?
544 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 08:02
>>535 厳oじゃ無理だろ〜そんな軍事に疎いただの文官に、国家の大事を託していいとでも?
といって、軍事に明るい文官的用兵家が他にいたかな?
呉の人材不足はこの頃からか?
>>543 余計なお世話だ。そういうお前は三国志を知ってるのか?
知らないでカキコしてたら、DQNだな。
偉そうなことほざいてエリートぶってんじゃねぇ!この西洋かぶれインテリもどきが!
>>543 俺は国家とか戦略とかの定義や意味はあまりよく知らないです。
だから、もしよろしければ国家について簡単にでもいいので語っていただきたい。
いきなり本を読めと言われても、何かしら興味が出るきっかけがないと
人間、なかなか素直に言うことは聞けないものですから。
>>544 煽らずに、分からないことは素直に聞いてみるべさ。
>>544 そうやってすぐムキになって吠える方は、余所へ行ってください。
自分は
>>543ではないが、
>>543の言っている論旨は至極まとも。
自分の意見を述べるのであれば、も少し咀嚼した後にしてもらいたい。
>>544 >厳oじゃ無理だろ〜そんな軍事に疎いただの文官に、国家の大事を託していいとでも?
>といって、軍事に明るい文官的用兵家が他にいたかな?
>呉の人材不足はこの頃からか?
ロシュクも文官。
漫画やゲームでは諸葛亮やシバイは「軍師」となっているね。
しかし、彼らは基本的に国主の下で政治軍事を総覧する立場なので、
文官出身者でも武官出身者でも良いんだね。
>>535が厳oと言っているのは、従軍する参謀という意味ではないのは明らかだから
問題ないことになる。
>余計なお世話だ。そういうお前は三国志を知ってるのか?
>知らないでカキコしてたら、DQNだな。
研究者じゃないので小説や三国志についての本、
あとは菅子、論語、孟子、荀子、戦国策、史記、十八史略とその考察を行った本ぐらいしか
読んでない。
白文では読めないので現代語訳を読んだんだけど。
>偉そうなことほざいてエリートぶってんじゃねぇ!この西洋かぶれインテリもどきが!
偉そう?
あなたの方も私と変わらず偉そうなんだけど?
西洋かぶれ?
ゲーテとプラトンの著作を少し読んだことしかありませんよ。
インテリもどき?
2ちゃんに来るのにわざわざインテリぶる人はいないと思うが。
う・・・教えてもらおうという立場なのに「語っていただきたい」は失礼だ。
「語っていただけませんか?」に訂正
とりあえず俺は興味出てきたんで10時になったら本屋行ってみますw
>>543は、スレッドに何の貢献もしない、良識ぶって煽っているだけに見えるが。
自覚有る無しはともかく。
戦略論の基本なら孫子と戦争論だろうが、古典というのは当時の時代背景などに
よく通じた上で記述の意図を咀嚼する素養がなければ意味がない(陳寿の
「三国志」他史書もその部類だが)。
ぶっちゃけ、ここで語られる範囲の国家論や戦略論なら薄い新書版の解説本
を読んでれば十分だと思うよ。あ、無論『三国志』と。
おや。543=547なら、レスするつもりがあったんだ。これは失敬。
>>543を擁護するわけでもないが、もう少し、「軍師」だの「文官」だのといったように、
抽象的ないし曖昧に官名の職務区分をおこなう各人も、明確な理解と考察をもってもらいたい。
>>547 う〜む…その厳oでは政治は総覧できただろうが、軍事は総覧できたのか?
文官だからというより、馬にも乗れない書生に軍事を託せるのか?
まあ、文官としてはめっぽう優秀だったと思うが。
確かに魯粛は文官だが、軍事にも通暁していたから周瑜の後任として申し分ないだろうけど。
>>551 いいだしっぺが解説してくれw
ってもまあ、ちくま三国志を参照すればいいことではある。
>>552 トリップトリップw
554 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 09:08
>>552 軍事云々より魯粛が後任者にも呉・蜀の協調外交持続を期待したからじゃないのか?
あの時点で軍事、政治両方を纏めることのできる後任者はいないようだし
>>543 >俺は国家とか戦略とかの定義や意味はあまりよく知らないです。
>だから、もしよろしければ国家について簡単にでもいいので語っていただきたい。
>いきなり本を読めと言われても、何かしら興味が出るきっかけがないと
>人間、なかなか素直に言うことは聞けないものですから。
失礼しました。
いきなり「本を読めよ」と偉そうに発言したのは、
このスレのレスの内容が200前後から低下しているのを残念に思ったからです。
国家について
昨日から国家についての意見が出てきていますね。
国家目標、国家戦略、志など色々と。
「呉は統一の意志を持っていたかどうか」「強大な魏に対抗するために呉が住民を戦死させるのは良くない」というものが多くありました。
ある人は「中国を統一して外部の民族からの侵略に備えなければならないのなら戦争はなくならない。それなら統一する意味はあるのか?」という問いを発しました。
戦争と平和という話題もありました。
極論してしまいますが、「上記のようなことを考え施策を行うのが国家である」と私は考えています。
これらの問題は個人で解決できる問題ではなく、その地域で権限を持った人及び組織が取り組み解決する問題です。
特に、呉(孫家といった方がより正確でしょう)は豪族の寄合によって成立しています。
周家、陸家は孫家の構成員(スタッフ)であると共にある地域のオーナーです。
周家、陸家はある時はオーナーとして自らの利益を追求し、単独で解決できない時は
より大きな組織である孫家の力によって解決しようとします。
(これは日本の荘園制誕生〜戦国時代の統治体制に似ていますね。)
一番良い例が赤壁の戦い(曹操との関係)ではないでしょうか。
呉の内部で講和と対決に意見が分かれます。
講和を主張する人も対決を主張する人もそれぞれがオーナーであり、孫家の構成員です。おそらくまずオーナーとしてどうするべきかを考えるでしょう。
その後にそのオーナーとしての行動をより効率的・効果的に行うために、「孫家にはこうしてもらうのが良い」と考えを進めるでしょう。
人は今直面している問題をまず解決しようとします。
「曹操との関係をどうするのか」という大きな問題に対して、自分がスタッフとして所属する孫家という組織を第一に考えるのか、それともある地域のオーナーとして存在する自分を第一に考えるのか。
どちらを選ぶか、直面している問題とそれに対する自分の解決力と価値観それによって決まります。
話を国家に戻します。
私が考える国家は上でも述べたように「個人では解決できない大きな問題の解決策を考え、それを行う組織」です。
国家方針とは「国家の判断・行動の基準」であり、国家戦略とは「国家方針をより効果的・効率的に行う為の手段」であると考えています。
簡単ですが、以上が私の国家についての基本的な捉え方・考え方です。
補足
国家と国主と地域のオーナーなどの話は史記の列伝の商君などを読んで私の頭の中で整理したものなので、間違いがあるかもしれません。
改行が下手ですません。
>>549 >>543=
>>547です
孫子、六韜三略は読みましたよ。
戦略論はクラウゼビッツのものでしょうか?
これも少し読みましたが、読みづらいのでパスしてしまいました。
>>555 まさにそうでしょう。
ロシュクは呉蜀同盟という基本戦略を実践しえる人物を後任にしようとした。
しかし、適任者がなく「取り敢えずリョモウ」という判断でしょう。
しかし、リョモウは基本戦略を覆し荊州に兵を進めた。
>>556-560さん
長文で対応していただき、本当にありがとうございます!
自分が今まで考えていた「国家」と色も形も質もまったく違うというわけではなく安心しました。
これからプラトンの「国家」を買ってくる予定ですが、
本の内容を読みとる際に大変役に立ちそうです。
あつかましいようですが、もう一つお願いがあります。
>>51-56で呉の豪族について私見を述べたんですが、
不完全燃焼のまま次の話題に移ってしまったので、
もしどこか間違った認識があればご指摘願えませんか?
指摘や批判は自分の知識を広げるチャンスと捉える性格なので、
容赦ないダメだしで結構です。
端折ってて読み苦しいかと思いますがよろしくお願いします。
562 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 13:34
>>561 とりあえず、呉の荊州侵攻後、荊州豪族がどうなったか調べてみる。
荊州豪族がそのまま置かれたのか、支配力が削られたのか、
その辺がわからないと、
>>51-56の流れの話はできないと思われ。
563 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 13:53
孫権や呉の臣下は荊州は劉備に一時的に貸しているという認識であった
しかし、孫権が返還を求めると劉備は軍を繰り出し徹底抗戦の構えをみせた
魯粛の働きにより大規模な蜀呉の戦いには発展しなかったが、その後も関羽と呉は
しばしば小規模の戦闘が生じられた、そのつど魯粛は友好な解決をはかった。
魯粛生前からこのように荊州と呉ではいくつものいざこざが起きていてた
そして問題の関羽が孫権の姻戚関係の申し出を撥ね付ける事件が起こる(経緯はほぼ演義と同じ)
ついに孫権は関羽を全く信頼のできる相手ではないと見るようになった、呂蒙の上申でも関羽は
劉備と同じ詐欺師のようなもので安心して味方にできぬ相手と言っていることから
呉の内部では関羽は全く当てにできないばかりかいつ寝首をかかれるかわからない
人物として扱われている。(約束は守らないし友好は撥ね付ける等から)
関羽の処刑にも関羽を狼のような人間と例え処刑もほぼためらうこもなく実行される。
呂蒙は関羽のようなあてにできない人間が荊州を支配するより自らが国家最先端の襄陽を
守ることにより魏に対抗しようと考えていた。呉は蜀漢と協力で魏に対抗するのではなく
荊州の地を足がかりに魏と対抗しようという考えであった。
関羽討伐は関羽の配慮の欠如による関係悪化、呂蒙の国家戦略などからして
避けては通れなかったことと思われる。
564 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 14:11
荊州攻めが、「孫氏の力を強化するため」に行われた可能性はないかな。
司令官が、有力豪族出身の者ではなく、孫氏の「私兵」とも言える呂蒙
である点や、劉備の再侵攻時の拙い外交、荊州支配後事実孫氏の力が増
しているところなどから、考えられなくはないと思うのだが。
565 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 14:16
はぁ、婚姻の件は普通に考えて孫権の関羽誘降策の一環だろ
関羽が激怒するのも当然
この婚姻の件で関羽を非難することは出鱈目に近い
>>564 面白い見解だと思う。
真実か否かはわからないが、ただ、長期的にみた場合、孫氏の先見性の無さを
露呈させた結果になっているのではなかろうか。
劉備との関係悪化はまだしも、後年の(夷陵に至る)遠征を考慮していなかったと
すれば、宗主としてはあまりにも独善的だろうよ。
567 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 14:39
*赤壁の戦い直前の状況*
【開戦派】
周瑜・魯粛・女官など
【降伏派】
張昭・文官など
568 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 14:40
569 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 14:43
>>568 それは、魏の兵士に陵辱されることを恐れたからだよ。
570 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:05
なんか200前後からこのスレの質が落ちたとかふざけたこといってるアフォがいるな。
当たらずといえど遠からず…だとおもう。
572 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:12
実際、当時の関羽は魏・呉にとってはどの程度の存在感だったんだろう?
かなり怖い存在?
鬱陶しい程度?
蜀の一武将?
573 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:20
かなり怖いけど傲慢な蜀の一武将
はじめからたいしたスレじゃない。
575 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:28
たかだか一武将に、孫権が娘を供出するかな?
やっぱそれなりに怖がってたと思うぜ。
曹操も遷都を考えたほどだし。
呂蒙にとっては、会心の勝利だ
呉は湧いたと思うぜ〜よっしゃーって
関羽処刑って誰が命じていつ行われたの?
577 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:30
義兄弟ネタ多すぎるぞこのスレ・・・
579 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:39
>>575 曹操が遷都しようとしたら司馬仲達が「あれは洪水のためであってべつに戦って敗れたわけではありません
わが国の大戦略になんら破綻は生じていない」っていってすぐやめたけどね
>>577 あんま知らないで書いたんだけど
案外そういうもんなのかな?
581 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:41
582 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:41
袁術の息子うぃ教育係として育った孫権の娘……
(゚听)イラネ
息子うぃ
軍の指揮官としては、曹操が最も恐れた三人のうちの一人。
586 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:48
関羽って、殺せば必ず劉備の私怨粘着を生みそうなのでウザかったろうなぁ
関羽と孫権の娘の縁談が成都(劉備)の判断を仰がず受諾した場合
一歩間違えば蜀に対する反逆行為と受け取られかねない。
当然関羽は断るべきだが断り方がまずかった。
が、呉にあらかじめ荊州を攻める意図があった場合(と言うかありまくり)
断ったことを口実に攻めたのか或いはそんなことお構いなしに攻めたのか・・・
ドイツは統合による経済不振に苦しみ半島は統一に踏み切れない、
アフリカは内戦が終わらずユーゴは分裂している。
およそ国家というものは鳴り物入りで成立したようなものもあれば大義を
掲げて成立したものもある、重要なのは国家の意義ではなく国家の辿った
道筋と為政者の行動にあると思うがどうか?
588 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:53
>>584 3万の兵をひきつれて攻めこんだのに
甘寧が千の兵で対抗しようとしたら
びびって撤退するぐらいの武将
589 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:54
そもそもたいした存在ではなかったんだね。
590 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:59
歳取ってたしな。実際かなりなめられてたと思うよ。
俺の脳内では
>>587 >関羽と孫権の娘の縁談
その意見は面白いと思うが、それは西洋近世的な見方じゃないか?
一族の主権、のようなものが強い古代中国で、「他国の君主と縁を結ぶ」
ことが即、主への反逆行為に繋がるかどうかは、類例が示されなければ
ちょっと納得しがたいのだけど。まあ当然劉備に話は通すとして、まず
孫権が関羽に打診したという
史記とか読んでる人がいたから聞いてみたいものだが。
二段落目の方はまったく正論だと思う。というか、大義とか正義とか、
戦争の意義とか、そんなものを現代の見方で価値判断するのは、そも
そも歴史の仕事じゃないからなぁ。
失礼、切れた。五行目、
まあ当然劉備に話は通すとして、まず孫権が関羽に打診したという順序が
非礼なものであった、という説はすぐには頷けない。
>>591 言い方がまずかった、関羽が本国の返答を待たずして縁談を受けるのは
主君をないがしろにすることになりかねないのではということ。
ただでさえ当時蜀呉は荊州問題で一触即発であり何度か戦闘している
こんな状況で縁談を関羽が独断で受けるわけにはいかないだろうってこと。
本国に伺いを立てて結論を出すか或いは断るかするべきだろう。
で、その断り方がまずかったのではないかと思う。
とは言えこれは荊州侵攻の直接的な原因とは思えないが
劉備に伺いを立てないと分からないとか言って、
呉の使者を荊州と益州の間を往復させて、時間稼ぎでもしておけば良かったのにな。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:19
関羽なら劉備の義弟だから、あえて劉備に伺いを立てる必要は無かったはず!
関羽のこういった独断専行はやはり劉備との親密さからくる甘えかな?
臣下としてのけじめがついていない。
ところで、ここでは国家とか戦略なんて言葉使うのに事前にそれに関する本を読まなくちゃいけなんですか?
597 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:19
>>594 筋を通す意味でも、正しい選択をするためにも関羽が直接に判断を下すよりは良い。
598 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:22
>>595 >関羽なら劉備の義弟だから、あえて劉備に伺いを立てる必要は無かったはず!
関羽はそう思ったんだろう。
しかしそれは漢中王になった劉備と荊州の最高責任者になった関羽の間では成立してはいけない理屈。
国家とその行政組織に所属する人間が個人的関係を優先して、公式の手続きを踏まなければ秩序は維持できないよ。
>>596 >関羽のこういった独断専行はやはり劉備との親密さからくる甘えかな?
>臣下としてのけじめがついていない。
そうだね。
>ところで、ここでは国家とか戦略なんて言葉使うのに事前にそれに関する本を読まなくちゃいけなんですか?
別に良いんじゃないの?
600 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:25
>>598 >関羽はそう思ったんだろう。
劉備や張飛も、そう思ったはず!
601 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:29
>>600 そうだろうね。
だからイリョウに兵を出した。
よく言われる事だけど、劉備生存中の蜀と劉備死後の蜀は別物だね。
劉備が生きている間は結局はぐれ者集団。
劉備が死んでから国家になった。
602 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:31
>>601 もし、劉備が関羽や張飛より先に死んでいたら?
孔明は、関羽や張飛の規律違反を処罰できただろうか?
603 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:33
>>602 どうかな。
おそらく太守には任命せず、成都に呼び戻して高い官位を与えて実権を与えず
飼い殺し。
太守には荊州・巴蜀出身者を任命して行政を整備し直したかも。
IFの話なのでこれぐらいに。
604 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:35
>>603 関羽と張飛が引退することで解決を図った可能性がある。
605 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:36
関羽と張飛が入れ替わっていたら?
606 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:36
そして関羽張飛は諸国漫遊の旅へ
また放浪かよっ!
IFから演義ネタにずれているのでこのあたりで止めよう
608 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:37
609 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:39
福田官房長官の顔とかけて俺のジーンズととく
その心は?
610 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:43
>>602 劉備が死んだ後に、関羽と張飛が劉禅の臣下に甘んじられるか?
これが、一番の問題だろう。
関羽にすれば、若輩者である劉禅の臣下に甘んじることはプライ
ドが許さないだろう。
だから、たぶん殉死または隠居したであろうと考えられる。
張飛なら、義兄である劉備の息子かつ後継者である劉禅の臣下に
甘んじることで義理を貫き通したであろうと考えられる。
義兄とか出てくるし、いいかげん演義の創作だと気づけ・・・
612 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/17 16:48
もしはいいよ・・・
613 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 16:51
>>611 義兄弟だったかどうかは知らんが、彼らが特殊な関係であったのは確かなのでは?
張飛、関羽は他の勢力に身を置いても武人としてやっていけるのに、
わざわざ何もない劉備に従った。
墨子などの影響があったかどうかはわからないが、
傭兵集団にずっといた理由が損得勘定だけでは説明できないのも事実では?
>>613 それについては否定しない、がそれを理由に劉備が関羽の復讐のために
軍を起こしたのだのなんだのと述べるのは問題外だと思う、蜀は決して
劉備のワンマンではない。
615 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 17:06
>>614 >それについては否定しない
了解。
>がそれを理由に劉備が関羽の復讐のために
>軍を起こしたのだのなんだのと述べるのは問題外だと思う、
では、アンタは何が理由で出兵したと思う?
>蜀は決して劉備のワンマンではない。
国家としては当然ワンマンでない方が健全だね。
しかしそれは諸葛亮を始めとする家臣の思いだったかも知れないが
劉備は「俺のモノ」と思っていたんじゃないかな?
>>615 >出兵の理由
荊州の奪還だろう、劉備の配下には荊州閥も多い、放置はできんよ。
>ワンマン
たとえ劉備が自分で指図しようと考えても豪族達は承知しない、
徐州などでの経験から劉備とてそれくらいは承知しているだろう。
つーか、あの状況で泣き寝入りしてたら指導力の低下どころでは・・・
617 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/17 17:09
>>616 荊州侵攻は止めた人間も覆いと思われるがそれについてはどう思うよ
sageてるけど
>>615だよ!
>>616 >荊州の奪還だろう、劉備の配下には荊州閥も多い、放置はできんよ。
>たとえ劉備が自分で指図しようと考えても豪族達は承知しない、
>徐州などでの経験から劉備とてそれくらいは承知しているだろう。
そうですな。
豪族を取り込んだことで劉備は一気に国家を手に入れたんだから。
ただ、荊州の豪族が荊州の奪還を劉備に求めても
巴蜀出身の人達は嫌がるんじゃないの?
「俺たちは巴蜀が無事なら問題ないのに〜」って。
その点はどう?
>>617 大規模な出兵を行う以上兵を拠出したり文官も反対するのは同意、
結局荊州奪還論と講和論が衝突して奪還論を劉備が取った形かな。
しかしここで劉備が兵を出した決定的な理由が無いのも事実・・・
620 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 17:13
よく言われる事だけど、曹操生存中の魏と曹操死後の魏は別物だね。
曹操が生きている間は結局はぐれ者集団。
曹操が死んでから国家になった。
621 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 17:19
622 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 17:35
よく言われる事だけど、孫権生存中の呉と孫権死後の呉は別物だね。
孫権が生きている間は結局はぐれ者集団。
孫権が死んでから国家になった。
623 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 18:39
よく言われる事だけど、劉備生存中の蜀と劉備死後の蜀は別物だね。
劉備が生きているあい(以下略)
624 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 18:45
移民の歌
625 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 18:55
626 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/17 19:19
>>619 とするとやはり劉備が関羽になんらかの感情を持っていたとも考えられる
呉がほぼ完全に荊州を占領したのにも関わらず軍で奪い取ろう等余程のアホで無い限り普通は思わないだろうし
627 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 19:43
elvistar : 韓 - 8人だけ殺したのが惜しいです.
皆殺したらと思う祈願があります
628 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 19:59
やっぱケイシュウなきゃ天下は望めないよね
>>616 んー 徐州などでの経験といっても、曹操の徐州進行は大義名分としては陶謙が
天子を僭称したものとつるんで周辺を荒らしまわったってものがあるからなぁ。
(その後の虐殺は父親の仇って感じだが)
劉備も勝ってれば同じ鉄を踏む可能性はあるよーな。
しかし、劉備在位中の蜀ってかなりワンマンな気がする。
誰かが諌めて考えを改める劉備っていまいちピンとこない。
蜀の支配体制や豪族に関するところは資料に信憑性が高いものが少ないので考えが
まとまらんな。
630 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:53
>>629 >劉備も勝ってれば同じ鉄を踏む可能性はあるよーな。
その場合は、曹操の徐州虐殺の比ではない。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 20:59
劉備は関羽の弔い合戦という感覚。
諸葛亮はこれは無謀だと分かっていたが、諌めても無駄だということも分かっていた。
それに、劉備ならもしかしたら荊州を取り戻せるかも…という希望的観測があったのかも。
しかし、呂蒙も劉備も両国の関係を悪化させたということでは同じ穴の狢?関羽もだけど。
632 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 21:01
諸葛亮ってそんなに地位高いか?
633 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 21:10
孫権が劉備に和睦を求めたときの、その和睦条件はどうなのか?
よくわからんのだが、荊州返還を条件にしているのか?
つまらんifを用意してまで人物を貶めたいせこいヤシがいるな。
>>629 横レスだが、616の「徐州での経験」とは劉備が陶謙に徐州を任された後に
うまく統治できなかったことを指すのではないか?
で本題。
劉備は、部下の意見をよく聞くという点で曹操に及ばないが、それは殆ど
無いものねだりだろう。
新野駐屯以後、諸葛亮、ホウ統、法正などの進言をよく容れて戦略や人事を
決定した感がある。夷陵がむしろ例外的(だからこそ致命傷になったのは、
もっともらしい自然な展開にみえる。結果論だが)。
呉征伐の劉備の動機が関羽の復讐だったとしても、それは、する/しない
の天秤を傾ける一本の藁というやつであり、荊州奪還には蜀漢帝国としての
れっきとした利益が存在したと考えても矛盾はしないのではないか?
当時、数万の兵が遠征するためには、年単位の準備が必要だったのだろうから。
635 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 21:19
>>632 劉備が即位した時、丞相に任じられ、尚書を担当し、仮節をとなった。
張飛死後は司隷校尉を兼任。
まぁ、高いだろうね。少なくとも大いに信頼されていた(言うまでもない)
後事を詫したんだから、それだけ信頼できる人物を低い地位に置いておくわけない。
確か費詩は諌めたら、劉備は激怒して投獄したんじゃ…
>>410 1.例えば漫画とかの董卓の洛陽での為しようみたいなことやってる、
ってんなら確かに脅威だけどね。兵にとられるのは働き盛りの男子、
ちょっとやそっとの善政ぐらいでは決して戦争の脅威を覆うことはでき
ないんじゃない?
そもそも赤壁前でも降伏論もかなりあった、ということは魏は降伏する
に値しない程に惨い国ではないことは、呉の人士も認めていたのでは?
2.確かに統一に至るまで兵を駆り出す。その点では専守防衛でも同じ
というのはその通り。しかし統一側は統一による戦争からの解放という
希望がある。劣勢のままただひたすら守りの兵を出し、国土を蹂躙され
ることに怯え続けるのとは全然違うと思うけどなあ。そもそも、呉と魏の
国力が逆で、呉が統一の意志なし、というならその考えはアリなのかも
しれないけどね。圧倒的に国力に勝る魏側に統一の意志があるんだか
らねえ。
3.それは事実だろうし、実際蜀漢の一部、または多くにはそれがあった
と思いますけどね。別にここに反論することはないです。
たいしておもしろくなくてスマソw
>>633 諸葛瑾の劉備への書簡では、「荊州と全中国とのどちらが重要か」
「同じ復讐するにしても魏と呉のどちらを先にすべきか」と説いている。
裴松之は、関羽の行動は必ず成功したとまでは言えないまでも、
主君を助けて覇業を成し遂げる点において適切な戦略だったとして、
後漢王室のために力を尽くすのだという呉の大義名分は失われて
しまった、正義の軍隊の矛先は孫氏にこそ向けられるべきだった、
と評している。
また、劉備と関羽の関係は一人の人間の四肢のようなものであり、
それを失った憤りと悲痛を、おおげさな言葉だけの手紙で翻させる
ことができるだろうか、と非難して、このような手紙を『三国志』
の本文に載せたのは、「まったく文字を無駄に費やしたものだ」と
まで言っている。
>>636 1.善政が戦争の脅威を覆うと言うより、悪政が戦争の脅威に勝る
と言うべきだろうね。
悪政は国の崩壊の大きな要因なのだから。
魏と呉の政治の比較は難しいな。評価する人間の立場によっても
違うから。豪族か一般人かでも違うし。
2.
まず、希望があっても必ず実現するとは限らない。これは3.でも
述べた通り。国力が劣った方が必ず滅びるとも限らないし。
次に、戦争への恐怖、戦死の恐怖はどちらも変わらないと思う。
特に一般人にとってはね。
一般人に関係があるのは、軍規や出兵の頻度、個別の勝敗や将軍の
人柄などもっと身近なものだと思うよ。
まあ、私の意見は既に述べた通り、
国を評価する際には、「志」より具体的に行った政策や実情を
重視すべきだというもので、これは変わらないな。
歴史的に考える場合には、与えた影響も無視できないが。
>諸氏
現在のスレの流れと外れた、過去の話題で申し訳ない。
>>638 うん。つーか、その話題はあなたらに任せたから。
なんなら、プラトン読者氏にでも応援してもらってくれ。
640 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 21:54
>>637 >>633の答えになってない。確かに和睦条件で荊州の問題は極めて重要だ。
諸葛瑾は劉備を諌めに行ったようなもの。彼は道義で説き伏せようとしているが、
仮に両国が友好関係にあってもこんな外交は成功するわけない。
例えて言うならば、店先で道義を説き、品物をただで売ってくれねば道義に反すると言ってるようなもの。
これで兵を引く人間がどこにいるのか?まぁ、諸葛瑾も本気で和睦が成立するとは思ってないだろうが。
641 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 22:11
>>640 諸葛勤も孫権の手前何もしない訳にはいかなかった。
人の子です。
関係ないけど諸葛亮って劉備に会う前は呉に行こうと思わなかったの?
兄貴がいるって知らなかった?
>>642 兄がいることはいくらなんでも知ってただろう
兄がいるのは知ってただろ。
周瑜や張紹のいる呉では、
管仲や楽毅の様に振る舞うことは出来ないと思ったんでないの?
兄弟でも戦になったら迷わず殺しちゃうのだろうか?
646 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 22:29
>>640 上手いたとえだ
>>641 確か諸葛瑾が蜀との内通を疑われ、張昭に讒言されたのはこの時では?
まぁ、なにも蜀との内通を疑われるような真似は無理にすることはない。
諸葛瑾はただただ忠義の心から、自発的にやったまで。
でも何の効果もないだろうけど…
>>642 明らかに知っていた。兄とは違う道を目指していたのでは?
647 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/17 23:20
呉の孫策、孫権と有能な人物を配下に持っている国では自分が役に立つとは思わなかったからでは?
648 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 23:28
孫権が腐った暗君だと分かっていたのだろう
諸葛亮は自らが漢の相国に勝ると自負しているくらい自らの知識に自信が有り
そしてそれに驕っており賄賂や相手からの厚遇が約束されなければ相手にもしない
ような人物なために、呉の孫策、孫権などの優秀な人物に従えることなく
時の梟雄たる劉備に従えたのである。
は?
性格の不一致による差別は聞くけど、孔明の賄賂って初めて聞いた。
ソースは?
651 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 00:05
わざと弱いほうにつくって・・・
前田慶事ですか?
652 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 00:13
裴松之は私情丸出しにする面があるから好きになれん
まあ功績はかなりのものだけど
諸葛瑾が外交の使者として行ったのはもしかして厚遇されていた弟孔明が
いるから激怒した劉備に殺される可能性が低いと考え使わしたのかも
653 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 07:09
これは、結果的に(長い目で見れば)呉にとって失策だったと考える。この時、呉が得た利益は荊州で、なるほど、これは大きな収穫だが、逆に蜀との友好を損ねて閉まった上、魏を安心させることになってしまった。
確かに大義名分上では、いつまでたっても荊州を返還しない蜀に非があるのだが、戦略上からすれば、もう少し辛抱すべきであった。この時、最大勢力の魏は関羽に押されて結構危機的状況であり、曹操も遷都を考えたほどであった。
史実ではこの時、呉が荊州に攻め込み、関羽を斬ったので、魏の脅威は一掃され、夷陵の戦いで蜀呉が戦力を浪費し、魏の優位を絶対的なものにしてしまった。事実、劉備が討呉の軍を挙げた時は孫権は講和を望んでいる。
蜀と全面対立したくないのならば荊州侵攻などするべきではなかった。が、もしこの段階で呉が荊州に攻め込まなかったらどうだろうか?曹操と関羽が中原で激突し、やがて劉備も蜀から関中に攻め込み、総力戦となっただろう。
蜀が優勢でどんどん魏を圧迫するようならば、そのまま静観するか、或いは魏の隙に付け込み、徐州・淮南方面に進出するなどして、蜀魏の力関係が逆転するまで待ち、そののち魏と同盟を結び、荊州に攻め込めば、
長期に渡る蜀魏の疲弊などから呉が最大勢力となることも不可能でなかったと考える。
また、魏が優勢ならばそれこそ徐州・淮南方面に進出して魏を牽制して蜀有利の状況を作り出すべきであった。孫権の外交戦略能力はこのころから冴え渡るようになってきたので、決して不可能なことではなかろう。
654 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 10:09
もういいから軍事板に要請しろ。
>>640 知らん。
諸葛瑾伝から拝借したまで。その中には荊州の領有云々が交渉材料に
持ち出されたという記述は無かった。
一応正史を元にして検討する流れのスレなんだから、疑問があるなら
自分で正史を当たってくれよ……。
自分の意見(妄想)に都合のいいことしか引用しないヤシ多すぎ。
656 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 11:29
>>655 この後も孫権は和睦を求めたが、条件は何もつけてない。
呉を怨むのは筋違いで、まず魏を討つべきだと説得しているだけ。意味不明。
ムシがよすぎる罠…
657 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 11:59
>>656 >呉を怨むのは筋違いで、まず魏を討つべき
これは正論である!
658 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:12
呉が最後まで残った事と、荊州の存在は必ずしも関係ないように思えるが。
本来呉の運命は蜀が滅んで、もう風前の灯火だった。
たまたま魏が晋に乗っ取られ、その晋は匈奴や鮮卑などの異民族対策や国内整備に追われて、なかなか呉討伐に動き出せなかっただけ。
>>657 まず、呉を討つべきだ!
その後に、魏!
660 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:16
関羽が粘着厨だという事実が判明しますた
661 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:16
>>657 すまん。説明不足だった。
「呉を怨むのは筋違いで」これが意味不明。
関羽を斬った呉を怨むなと劉備に言っても…
662 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:21
>>661 しかし、趙雲も言ってたように「まず魏を討つべき」は正論である!
663 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:24
>>662 趙雲のは演義の創作だって誰かが言ってたような
664 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:31
665 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 12:31
なんの条件もなしに一方的な要求をする諸葛瑾はDQN
666 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 13:02
667 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 13:07
>>666 荊州攻略は魏と呉の共同作戦だったのだから、
劉備は呉だけでなく魏も恨むべきである。
>>658 その要素も強いけど長江を挟んでたって事が討呉に二の足を踏ませたって事もある
呉があそこまで広い事を知らなかった(春秋の呉と荊州くらいの広さだと思ってた)晋が討呉を行わない理由としてはあんまし適確じゃない気もするが
まぁ晋はその前にも一度大規模な討呉を行ってた気が
669 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 14:16
>>668 禿げ同
658は丁奉や陸抗の働きを知らんのか?
670 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 17:14
>>668 晋は魏と違って、蜀から長江を下って攻め入ることができる。
こうなると荊州もその地の利を完全に活かすのは難しい。
あと、忘れてた。晋では当初、征呉派の発言権が弱く、
口先ばかりの文官たちの意見が中心だった。
まぁ、いずれも呉にとっては幸いだった。
>>669 勿論それもある。
671 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 18:18
>>667 禿同
確かに魏にも怨みはあるだろうけど、関羽を斬ったのは呉であり、
魏より呉に出兵したのは、明らかに関羽の復讐が最大の目的でしょう。
荊州奪還が目的なら、諌める臣下を感情的になって投獄まではしないだろう。
>>662 同意
先に魏を討ったところで倒せるかどうかは別として
結果的に兵と健康を同時に損なったわけだし、
趙雲の見解は正論
>>658 そのころまさに呉は日に日に荒れていたし
司馬昭然り、司馬炎も呉を潰す余裕があったから
国が未発達なのに急ぎ過ぎないように、としたの
だろうと思う。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 18:52
>>671 荊州攻略は魏軍が本軍で呉軍は援軍にすぎなかったはず。
>>673 止めさしたのは呉
これだけで劉備が呉を討伐に逝く理由は十分だろう
675 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 19:05
>>674 もし関羽が魏に捕まっていたら、もしかして処刑されなくて済んだかな?
別に呉軍が動かなくても魏は関羽を撤退させたしなぁ。
共同軍ってよりも時間差で関羽がぼこぼこにされただけでは。
677 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 19:15
>>676 >時間差で関羽がぼこぼこにされただけでは。
でも、もし魏軍が先手なら関羽は処刑されずに済んだのでは?
>>677 曹操なら処刑されなかったかもね
ただ、もしかしたら前線指揮官の権限で判断するだったら、人によるしなんとも。。。
う禁とかなら処刑しそうだな(って、先にとっつかまってるが)
679 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 19:24
>>678 >う禁とかなら処刑しそうだな
たとえ前線指揮官といえど、まさか独断で関羽を処刑できないだろう。
もし関羽を処刑すれば、処刑した本人も曹操に処刑されるだろう。
>>679 う禁は前例があるんでねぇ
どこまで権限があるかわからんが、降将ならともかく捕縛した敵将を
処刑するのはできるんじゃないかな
ここまでの議論を俺の意見を含めまとめてみる。
あくまで俺の意見を含めてのまとめなので、
反論のある方がいて当然。
関羽の元へ孫権は「婚姻関係を結ぼう」と使者を送った。
関羽はこれに対して傲慢な断り方をした。
このスレでは「関羽自身が返答した事自体が問題であった」という指摘、
「孫権から使者は事実上呉への誘降の使者だった」という指摘があった。
でもあの時の呉からすれば蜀が滅びる際の乗っ取り計画と似たような感覚じゃん?
呉が何もしなかったらケイシュウは魏の手に落ちてたかもしれんし
もしそうなったら仮にその代わりに徐州か合肥を取ったとしても呉は孫権存命中に滅びる気が
あ、勿論蜀も
これに対して孫権は呂蒙を司令官とする軍を荊州へ進め、
関羽を斬る。
このスレでの指摘。
呂蒙が魯粛の後継者に選ばれた理由についてなかなか面白い意見(俺がそう思っただけだが)があった。
呉は魏・呉に比べ豪族連合体としての性格が強かった。
その為、赤壁の戦いの前に豪族達の間で意見が分かれ孫権も決断に時間がかかった。
孫権の立場が絶対的なものではなかった。
それが魯粛の時代まで続いた。
孫権は魯粛の後継者に叩き上げの呂蒙を採用することで諸豪族を押さえ、
自らの立場を高めようとした。
また、国家戦略も呉蜀同盟を基本とする魯粛から、
荊州領有を積極的に行おうとしていた呂蒙へ変わっていた事が、
呉蜀の対立を決定的にした。
関羽を殺され、荊州を呉に奪われた劉備は家臣の反対を押し切って
夷陵へ進軍する。
しかし、蜀軍は陸遜率いる呉軍に大敗し白帝城まで敗走する。
このスレでの指摘。
劉備の出兵理由。
1.関羽の敵討ちという劉備の私怨、ロマン的に言うと義侠的理由。
2.荊州出身者達からの要望に答えたという内部統制上の理由(突き上げというか拒否できない要望だった)。
3.荊州が国家戦略上不可欠で奪還しなければならなかったという、戦略的理由。
1.の理由であれば劉備は所詮は遊侠の徒でしかない。
2.の理由であれば自分達には直接の利益のない巴蜀出身者達が納得せず
本来の目的である内部統制は実現できない。
3.の理由であれば余りにも準備不足でお粗末すぎる行動であった。
1.2.3.のいずれを理由にしても、夷陵への進軍(呉との対立)は蜀にとって
戦略的に正しい行動ではなかったと言える。
夷陵の戦いを境に、実質上の蜀の指導者は諸葛亮に
呉の指導者は陸遜になる。
そして呉蜀の関係が改善される。
夷陵の戦いの後呉蜀の関係が改善された理由、
呂蒙の後継者に陸孫がなった経緯・理由については
まだ十分な意見が出ていない。
>>681 孫権としては自分さえその気になればいつでも関羽を滅ぼせると思ってたから事実上降伏の使者かもね
いくら関羽でも今の状況くらい把握できるだろ・・と思ってたんでないのかねえ?
把握してたのかしてなかったのか知らんがそれを断った関羽は戦線布告とも取れなくもない
関羽を説得もせずに速攻で斬ったのも既にそれが決裂していたからじゃ?
麦城で降伏勧告があったのかは知りません、誰かソースキボン
そもそも、漢朝の復興という蜀漢の理念からして現実から乖離した、
侠とか儒でしか説明できない理念ですよ。ハキーリいえば庶民には無
意味。
その理念を元に建国する蜀漢が、関羽の死に反攻しないなら、それ
は理念に反することです。従って、裏切りにより関羽を討った呉を
蜀漢が攻撃するのは必然。それが読めなかったとしたら、呉はアフォ
でしょう。つまり、関羽を討った呉はアフォということですね。
>>684 1は張飛のイメージが強いね
演義では張飛が劉備を説得してたけど張飛自体は車騎将軍だから一人でそこまでの力があるとは思えない
でも討呉派が張飛だけじゃなかったら?とか考えてしまう
そうすると2の意見に近くなる
劉備としても「抑えられなくなった」、「段々とその気になった」ってのが考えられるけど後者だったらあながち演義のアレも嘘じゃないと言えるかも(それが張飛とは限らないけど)
そういえばどっかで「関羽と張飛は義兄弟だった」ってのがあったけどそうなの?
688 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 19:47
>>680 もし、宇禁が独断で関羽した場合、
曹操は、劉備の怨念を呉に向けさせるために、
宇禁が孫権と内通して関羽を処刑したことにして、
宇禁の身柄を劉備に引き渡すことも考えられる。
そうなれば、宇禁も劉備に処刑されてしまうだろう。
>686
蜀の報復なんて読んでたに決まってるじゃん
そして勝った
更に魏もけちらした
丁度良く劉備も死んで国交の復活
良い事づくめなんだが・・・・・
>>688 そんな事しないだろ
攻めこまれたら防ぐだけ
やめるように説得するくらいの事はすると思うが
691 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 19:51
>>690 もし私が曹操なら、宇禁の身柄を引き渡して劉備に詫びるよ!
曹操≠688=691
宇禁の身柄を引き渡しても劉備が引き下がらないなら、
そのときこそ戦うまでだよ。
>>685 婚姻の話を承諾するかしないかに関わらず、
関羽が国家の代表として呉の使者に対応せず、
関羽個人として対応したことが失敗だったということになるかな。
>>686 建前が漢朝の再興で、それを行おうとしたのが遊侠集団を核とする蜀だった。
それが求心力にもなり蜀の行動を制限(より効率的な戦略行動を取れなかったという意味での)
したということになるのかな。
>>687 「関羽の敵討ち」「荊州出身者達の要望」のどちらにせよ、
荊州に出兵しなければやはり内部統制は難しかった。
劉備の唯一の存在意義がなくなってしまうから。
そういったことかな。
>>689 >蜀の報復なんて読んでたに決まってるじゃん
>そして勝った
>更に魏もけちらした
この部分は呂蒙の戦略で
>(蜀呉の)国交の復活
は魯粛の戦略だよね?
後者は魯粛・呂蒙の死後に実質的な指導者となった陸遜の考えが入っているのかな?
陸遜の戦略はどんなものだったのか。
>>684でも最後に書いたが、陸遜が起用の裏に孫権のどのような意向があったのかにも
興味がある。
>>686 漢の復興という理念を現実から遊離した民には無意味な、と考えている時点で
激しく事実誤認だと思うが、まあ、旗揚げから従った功臣の復讐を行うこと
自体は、劉備の威信を損なうものではなかっだろうね。(負けたら勿論ダメだが)
馬良は何をしていたのかと小一時間(以下略
おまえ、碁を打つしか能が無いんかと(略
曹操に捕まっていたら100%カンヌは助かってたな。
臣たちの反対があってもウキンと交換じゃ!っつえばOKだし
698 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 20:18
>>691 >もし私が曹操なら、宇禁の身柄を引き渡して劉備に詫びるよ!
君は、考えが甘いよ!
もし私が曹操なら、宇禁の身柄を劉備に引き渡したりなどせずに
自分の手で処刑するよ!
関羽処刑よりも荊州喪失に激怒したのかもしれんな、
せっかく手に入れた地盤を奪われるわ麋芳以下多数が寝返るわ
荊州軍は壊滅するわ、単純に切れたのか?
とりあえず、関羽処刑は一因であっても原因ではないだろう
>>697 于禁は魏で言う五虎大将の一人(張遼・張儁乂・楽進・徐晃・于禁)
だから関羽と比べるのは失礼
700 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 20:21
>>684 やはり@が妥当だと思う。AやBだったら、
これを諌めた秦フクを疎ましく思うだろうが、投獄まではしないだろう。
劉備は感情的になって冷静さを失っていた。
>劉備は感情的になって冷静さを失っていた。
そうだね。だがそれは、「東征は蜀漢にとって戦略的政治的意義を持たなかった」
とイコールで結べないのだが。
「于禁」ね。 (さっきひらがなにしてしまったが)
戦功のあったものを処刑したり身柄引渡しなんてしたらえらいことになるな。
さて、本題の方だが、
>>683 前の方でも出てた意見だけど
>また、国家戦略も呉蜀同盟を基本とする魯粛から、
>荊州領有を積極的に行おうとしていた呂蒙へ変わっていた事が、
は私の考えと微妙に違うかもしれない。
国家戦略は荊州領有でしょう。
呂蒙に変わったときに国家戦略が変化したわけではなく、この戦略を実現するために
蜀を敵に回すかできるだけ協調していくかの差しかない。
魯粛は確かに親蜀だが、荊州領有の為には蜀と事を起こす寸前であった。
よくあるifの「魯粛が長生きしていれば」だが、蜀と友好を保ったという意見も
あるだろうが、呂蒙と同じようにするかもしれないし、機を逃して呉を不利に導いた
という考え方もある。
>>702 魏は、荊州戦においては脇役。襄陽を守っただけ。
「復讐すべきは呉より魏」云々という諸葛瑾や趙雲の言は、「漢室復興」と
いう大目標に立ってのこと。222年の軍事行動の目的にはならない。
>>702 それがネックだが荊州奪還を狙うのはある種当然だと思うぞ。
つーか、劉備が関羽の死だけで国を傾ける奴だったら乱世で生き残れないって・・・
蜀書には関羽の死に激怒してとは書いてないんだよな
707 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 20:29
698
于禁を斬ってどうする。劉備を返り討ちにするまでだ。
荊州は呉の土地であって劉備が返そうとしないので奪われた
荊州は劉備の力で手に入れた土地で呉に奪われた
荊州は呉から譲り受けたものであるのに奪われた
先主伝。「先主は孫権が関羽を襲撃したのを怒り、東征に向かわんとし」とある。
ただ、これは勿論関羽個人を指し、その比重も大きいだろうが、「関羽の管轄
していた地」としての荊州、前将軍たる高位の者、というニュアンスが含まれる
ことも多いと思う。
……ところで、魏国左将軍とはいえ、なんで援軍の一将だった彼の処遇が、外交
材料になるのよ?>于禁云々語ってる人
主は怒りをもって師を興すべからず、将は慍りをもって戦いを致すべからず。
蜀にとっても呉にとっても、荊州領有は戦略的な重要点だった。
呉は荊呉の安定を持って国土を護った。蜀がのちに荊州確保を諦めたのは、
呉との同盟を重視したからか。(と纏めてみる)
で、結果的にはこの差が、蜀と呉の命脈の差を生んだのだろうなと私見。
712 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 21:06
陸遜は呉では権力のある豪族出身で若い時から才能を発揮し
孫権から気に入られ孫策の娘を与えられた。
陸遜の直接の上司は周瑜、魯粛、呂蒙などの重鎮であった
諸葛謹は「これぞ呉の明日を託せる天降の逸材」と賞賛した。
陸遜の功績は異民族対策、有能な人材の推挙、関羽討伐の作戦立案などがあるが
呂蒙が後継者に推薦したのは朱然であった、しかし夷陵の戦いでの大都督は陸遜が
任命されている、この経緯はあまり語られていないがおそらく高い統率力と
豪族出身が決めてだと思われる。
豪族出身の陸遜も古参の武将の不満には少し手を焼いたようだ
>>699 >関羽処刑よりも荊州喪失に激怒したのかもしれんな、
>せっかく手に入れた地盤を奪われるわ麋芳以下多数が寝返るわ
>荊州軍は壊滅するわ、
蜀建国までの全てを失ったということですね。
劉備にとっては巴蜀の人・土地・戦略的要素よりも
ずっと思い入れの多い(ロマン的な表現になった)荊州以前のものを失ったことの方が
重かったということかな。
>>700 なるほど。
戦略的な見地からの出兵であれば、家臣の諫言も冷静に受け止めることができたかも知れない。
>>701 荊州はそれだけ蜀の国家戦略上必要だったということですね。
それは劉備のみならず蜀の諸臣に共通していたでしょう。
しかし、夷陵への進軍に反対したのが少数ではなかった。
それは荊州奪還の可能性が難しいもしくは、
奪還してもその後、呉との対立はより深まり荊州領有と同様に重要な
蜀呉同盟路線を完全に放棄することに繋がるという事を指しているのでは?
以上は関羽の敵討ち、荊州豪族の故郷奪還の為という義理を通すことが重要だったということ?
>>703 >呂蒙に変わったときに国家戦略が変化したわけではなく、この戦略を実現するために
>蜀を敵に回すかできるだけ協調していくかの差しかない。
>魯粛は確かに親蜀だが、荊州領有の為には蜀と事を起こす寸前であった。
なるほど。
魯粛の戦略は「第一に呉蜀同盟、第二に荊州領有」だと私は捉えていたが、
あなたは「第一に荊州領有、第二に呉蜀同盟」という捉え方ですね。
あなたの捉え方でいけば、
「時期の早い遅いはあるが荊州領有を巡る戦争が呉蜀の間で必ず起きる」
ということになりますか。
孫権の権力強化のためなら、軍の総帥に豪族出身を選ぶのは理に合わないはずなのだが。
陸遜と孫権の確執はないのかな?
交流はあったが陸康とかの事もある。
>>713 そうだね。
関羽の復讐にそれが当てはまるかどうかは別としての一般論だが、
国としては義理を通すのは重要な政治上の課題。求心力=統一性に
関わる問題だから。家の連合体である封建制下ではそれは顕著に現れる。
例えば武官は、自分の死後も国に子孫が引き立てられ繁栄すると信じる
からときに命を捨てる。
そういう種の「義理」を欠けば、国の拠って立つ基盤が崩れる。
あなたは基本的な思考の基盤として、計算上の戦略を至上のものとし
義とか侠とかいうものを軽視して、歴史が、当時の人間達の生き死に
の足跡だということを忘れているのではないか?
>>715 俺の妄想だが、劉備が攻めて来たので仕方なく陸遜を起用したものと思われ。
孫家と陸家はかなり仲が悪かったという説もあるし陸遜の最期はご存知の通り。
呂蒙の死を孫権が嘆き哀しんだのは、豪族に無関係の司令官を失ったという
理由もあったのではないかと。
俺も魯粛の考えは「一に呉蜀同盟」だと思うな。
荊州攻めに踏み切った孫権が、後に「魯粛の対蜀策は失策であった」と言ってい
るということは「魯粛の考えは自分とは反対であった」と言うことだと思われ。
>>716 >あなたは基本的な思考の基盤として、計算上の戦略を至上のものとし
>義とか侠とかいうものを軽視して、歴史が、当時の人間達の生き死に
>の足跡だということを忘れているのではないか?
ん?
少し行き違いがあるようです。
私の書き込み(
>>694での
>>687へのレス、
>>713の
>>699へのレス)を
見て頂ければ解消されるでしょうか。
721 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 22:09
>>719 劉備一党に関しては、益以上のものも考慮しないといけないと思う。
自分の利益を先に考える輩は劉備についていかない。
>>721 法正は?そうやって特定のカテゴリーのみで考えるから議論がまとまらない
723 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 22:12
>>722 法正は劉備が割としっかりとした基盤を持ってからの臣で、
夷陵時はすでに死んでいる。
724 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 22:16
劉備の元には義侠心で動くものしかいない
曹操の元には利益で動くものしか(略
陳羣ってそういえば劉備の元にいたっけなあ・・・
法正・孟達・劉封・馬超、皆利益で動いたな
>>723の論理だと夷陵の時点で義侠心で動いたら国が破滅する
劉封の存在意義を教えて下さい
>>721 >劉備一党に関しては、益以上のものも考慮しないといけないと思う。
>自分の利益を先に考える輩は劉備についていかない。
確かに入蜀以前に劉備に従った人達はそうでしょうね。
しかし、巴蜀出身者は必ずしもそうではないかもしれません。
その二つをどう組み合わせていくのが非常に難しい。
荊州奪還について劉備に反対した人が多かったのも事実ですね。
義理を優先するか、戦略を優先するかという選択をしなければならなかった。
劉禅誕生前の後継ぎ、後に自分の性的である諸葛亮に殺された
義侠心で動いた奴教えてくれ
>>719 私の意見は、
>>634>>695>>711 こんなとこ。
>>720 解消……するかな? 義云々が劉備だけの(そして劉備の唯一の)特質だと
捉えている点に反論したいのだが。それは封土・世襲を根幹とする封建制の
基本であり、少なくとも減点対象にはならない、とね。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 22:26
荊州を返せといわれても、そうおいそれと返せないだろうね。
しかし失った後は、蜀呉関係をぶち壊してまで取り返すわけにもいかんだろう。(戦略上)
どうも呂蒙は荊州を取るのはいいが、その先の情勢を考えていなかったんじゃないかな?
もしそうだったら軍師として失格だな。
>>730 正史読め、義侠話は劉備だけのものではない
>>726 劉備軍内での関羽の存在意義を知らなかったは問題だなぁ。
でもその後過ちに気づいたのだし、
関羽生前(死後、魏に突撃して大敗しましたが)に
大きな失敗もしたわけじゃないから
決して無意味ではなかったと思いますね。
関羽は劉封の冷たかったとも言われていますし。(演義だけかも
正史以外はゴルァ!なスレだったらすみません
とりあえず劉備が関羽の復讐を『主目的』として出兵するなど
ありえないにファイナルアンサー?
>>1 そんなことは呉の人たちも後になって後悔したに決まってるだろう。
>>737 結果論からすれば荊州を手に入れ蜀魏を撃退し万々歳では?
>>730 634、695、711を拝見しました。
私なりにあなたの見解をコンパクトにまとめました。
「組織維持の為に義は欠かせない。
しかし、義を立てるために戦略を捨てて行動してはいけない」
という事でしょうか。
付け加えるなら
「組織維持のため義を重んじたのは劉備だけではない」と。
もしそうであるなら、私の考えとと大きな隔たりはないと思います。
蜀軍の夷陵進軍に関して私は
>>684、
>>694での
>>687へのレス、
>>713でのあなたへのレスで述べています。
>>735 確かに。
正史では主従関係で、義兄弟なんて設定はありませんし…
関羽の死で兵に同情させて士気を上げ、その勢いで呉に進軍…?
↑多分有り得ません。
むむ、でもそうすると真珠湾の例に似ているような気もしますね。
当時の無学な兵士が関羽の名前を知っていたかすら怪しい
「義侠話」について
私の書き込みは
>>701さんだけでなく、他の方とも行き違いが生じているようで。
私は「義侠は劉備だけのものだ」と主張しているのではなく、
「入蜀以前の劉備には義侠を前面に押し出す以外に他との違い(魅力)がなかった」と
主張しているつもりです。
その辺りをご理解頂けると嬉しいです。
>>743 こちらとしては劉備が義侠を全面に押し出したソースがほしい
旗揚げ当初から一緒にいた仲間だからなぁ
やっぱり頭にはくるだろうね
しかしそれを抑えるのが大将たる者の器かな
誰かの伝で劉備に救援を求めて「劉備の言葉は誠心より発し……」
というような記述を見たのだが……誰のだっけ。
義侠というのが、公的な利益を捨てて個人の義理などを通すことを
指すなら、そんな細かいことは歴史には残らないと思うが。
>>746 「大義」広辞苑で今調べてみました。
1.重要な意義。大切な意味。
2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
「義侠」も
強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
以上が言葉の意味です。
当時、漢王朝は弱ってます。
統治能力もなく各地で軍閥が割拠しています。
事実上、「中華」は分裂しそれぞれの勢力が拡張を狙っています。
その中で曹操は曲がりなりにも献帝を迎え形式上は
漢の大官の一人として中華統一へ邁進しましました。
劉備は。
ほとんど朝廷とは縁のないところで、なぜか「漢王朝の再興」を主張しながら
軍閥に食客として招かれ各地を放浪。
劉備が長く朝廷に仕えていたのであれば兎も角、すでに力を失った漢「王朝の再興」を
劉備が掲げる理由は?
大義であるとするならばむしろ曹操にある。
曹操は献帝を擁しています。
また祖父、父は大官でした。
更に中華統一へ向け一歩一歩成果を出しています。
劉備が自分とほとんど関係のない「漢王朝の再興」を掲げたのは、
大義と言うよりは義侠と言った方が近いのでは?
「大義」広辞苑で今調べてみました。
1.重要な意義。大切な意味。
2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
「義侠」も
強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
以上が言葉の意味です。
「大義」広辞苑で今調べてみました。
1.重要な意義。大切な意味。
2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
「義侠」も
強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
以上が言葉の意味です。
失礼。
長文のレスを何度もつけて疲れたもので。
「大義」広辞苑で今調べてみました。
1.重要な意義。大切な意味。
2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
「義侠」も
強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
ということは劉備は義侠を大義にしたとお思いで?
大義と義侠の意味がかみ合ってないような・・・
>>755 漢王朝再興は大義であって義侠ではない
でもって劉備はそれを行動方針として動いたんだっけ?
>>756 じゃあ、あなたの意見をどうぞ。
人にちゃちゃを入れるだけで自分の意見を言わない人が多いので
たまには言う人がいても良いかと。
「漢王朝の再興」というのは、呉漢末の時勢にあって独立勢力を築くに当たって、
欠かせない名分。それは董卓も袁紹も曹操も孫権も同じ(袁紹は途中で見限って
それが敗因になったと言われているが)。ただ、董卓や曹操は現実に皇帝を擁し、
劉備や孫権にはそれが無かったために「君側の奸を討つ」と主張した。
まあ、大義だね。
また、劉備は実力のある傭兵隊長だったが、雇い主に信用されるための
名分として「漢朝を助け功業を打ち立てる」という動機を掲げていたよう
に見える。まあ、先主伝冒頭を読むに、それは劉備個人の性質と食い違って
いたわけでもないようだ。
>>751がそれを義侠と言うのは、まぁ、わからないでもないが、なんと
表現すればいいか……微妙だな。
>>758 >漢王朝再興は大義であって義侠ではない
はいはい。
それなら劉備は曹操のとこで働くでしょ。
劉備が曹操のところで働かなかったのはなぜ?
諸侯は自分の正当性を主張したりして勢力拡大を図る際の助けとするが
劉備の場合勢力の面で劣り特にこれといった能力が無いため漢王朝を
再興するとのたまわって独立勢力としての支持拡大に勤めた、と言うか他に何もなかった。
だからこそ劉備の行動は大義ではないかな?
この場合の大義とは名分であって内実ではない、内実を伴った大義事態殆ど無い
>>761 やっぱ天下狙ってたとか?曹操の下で働くと
天下取るのは難しいとか
>>760 董卓にも大義はあったと言えるかもね。
でも、中華統一へ向けての実績もしくは漢王朝の統治力を回復できなかった。
あくまで皇帝を擁立しただけで終わった。
765 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:45
義侠でヤクザやついてきても清流派は大義がないとついてこない、この違い
劉備自体漢王朝再興をいつ頃かかげたんだ?
正史劉備=演義呂布
>>762 >諸侯は自分の正当性を主張したりして勢力拡大を図る際の助けとするが
>劉備の場合勢力の面で劣り特にこれといった能力が無いため漢王朝を
>再興するとのたまわって独立勢力としての支持拡大に勤めた、と言うか他に何もなかった。
勢力を持つものが勢力を持たないものに大義を説いて支持するか?
孔子はどうだった?
劉備はおめでたい坊ちゃんではないのでそれぐらいわったんじゃない?
それを分かった上で「漢王朝再興」を掲げるのは大義ではなく義侠(名誉心を伴った)によるものだと
私は思う。
>>763 じゃあ、「漢王朝再興」は大義ではない。
>>763 劉備が乱世の野心家だったのは間違いないだろうね。ただ、野心の形とは
「皇帝になるぜ!」だけではなかっただろう。劉備は髀肉之嘆の故事で、
劉表に「なんの功業も立てていない」と嘆いた。功とはつまり、主に対して
のものだから、劉備はある時期まで、漢朝が滅亡してしまうとは計算に
入れておらず、漢帝国という器の中で曹操らと争っている、という意識
だったのではないか、と想像する。想像だけど。これは劉備に限らない
意識なんじゃないかな。
>>768 あなた自身が
>2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
と述べているように劉備の行動倫理は大義
>強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
男気で大勢力が作れたら苦労はしない
772 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:56
773 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 23:58
>>771 >>2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
>と述べているように劉備の行動倫理は大義
放浪していた劉備が漢王朝を再興しなければならない責任を持っていたとは思わない。
>>772 >頼むからレスを確認してくれ
それはこちらの台詞、私はあなたが義侠と主張しているのは大義であると
言っているの、別にあなたの考察に反論しているわけではない
劉備はその仁徳を乱世の終焉に使わず乱世を長引かせた。
>>773 私は口実としての大義(あなたの言う義侠)を劉備は使ったといっているのだが
ああ、つまりあれだ。義侠は「人は己を知る者のために死す」という類。
中華の大義というのは、基本的に、「民衆のため」という名分をいつも
伴っている。三国志の伝を読む限りでは。民が安定するために国という
基盤が必須だからこそ、統一王朝を維持することが大義になり、また、
君(暗君である時にも、そうでない時にも)を討つ際の名分にも使われる。
これが違いかな。
778 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:01
779 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:02
>>773 責任。「中華の臣民だから」。『大「義」』というのはそういうものだろう。
781 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:04
要するにさ、劉備は黄巾の乱に嘆いて劉勝からの正統性を武器に国土を平らげて自分が次の皇帝になりたかったんじゃ無いの?
まあ劉備が何故旗を上げたか、何故荊州奪還を試みたか?の本当の腹は資料だけじゃわからないと思うけどね
漢王朝の復興は豪族や諸侯を靡かせる大義名分に過ぎなかったのかも知れない
782 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:05
>>776 それなら私とほぼ一緒ですな。
結局、互いの意見の違いを明らかにするより最初に
共通の認識を確認してから違う部分について意見を述べたほうが良いね。
>>781 大義名分自体一種の口実だからそれを利用するのは常識に近いかな?
784 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:08
>>783 大義名分を利用しての行動は今でも平然と行われているからこの時代にあっても不思議では無いと思われ。
いい例がアメリカの空爆
単なら私怨や自国の威見せるだけなのに、民主主義に対する挑戦等と言う見事な大義名分
>>784 確かに、植民地支配に関する謝罪と賠償を要求しつつ内実独裁政権を
作ったり営利誘拐に走る国家もいたな。
つーか大義って運動会の開会宣言か?
>>779 それで良ければ、そういうことで。……もう日が回っちまってるよ(ワラ
>>781 あわよくば次の皇帝に……って想像をしなかった、とは断言できないね。
それこそ曹操級にならないといけないが。
結局曹操と敵対し続けたのは、乱世の変転としか言いようがない。
ちょっと歯車が狂えば、五将の上、位の地位に留まったかもしれない……
と言うには、乱を好みすぎたかな。
魏が半分を征したからって、「じゃあ戦やめます。蜀解散」とはできない
のが「国」だからねぇ。
曹操の心の内がどうあれ、実際、漢を復興させていたのは曹操なのだが、
それに叛旗を掲げ、あくまで抵抗する劉備の掲げる大儀が漢室復興。
その劉備に付いて行く人達・・・理解不能。
孫権について行く奴はキチガイだな
曹操が漢を復興させたの?
いつ?
復興させたなどと書いてないな。
>>787-788 人間というのは、土地に生き、そこに安定をもたらす者を支持するからだよ。
また、己の才覚が信じられる限り高みを目指し、子孫の繁栄を望んで恥じる
ことがない、士人というのはそういう種類の人間たちに見える。
>790
>実際、漢を復興させていたのは曹操なのだが
これこれ
復興させた、
と
復興させていた
は違う?
別に揚げ足取りのつもりではなく単純に疑問だったので。
なぜ劉備は聖人君子扱いされるのだろうか。
>>792 漢の皇帝を擁立していたからじゃないかな。
795 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:28
>>787 復興とは言わないまでも領土内は結構マトモに収まってたみたいだから、晩年は領土内においては復興出来たと言っても過言では無いと思う
つーか、漏れは劉備が抵抗していたのは皇帝が曹操の傀儡になっていて曹操の意のままで、皇帝、つまり朝廷が朝廷として機能していなかったことだと思うんだけど・・・
>>793 経緯に詳しい人は他に幾らでもいるだろうが、
漢復興を掲げて曹氏に最後まで抵抗した → 義に生きた仁者
→ 仁君は武力を用いない → 関張を従えた君子
東晋などで蜀漢が正統と解釈される過程で、そんな劉備像が確立していき、
演義で確立したのだと思う。
でも実際漢はトウタクの下でだって存在してたのでは?
まぁ、トウタクが圧制しいたからそれがいけないのかな。
でもやってる事自体は余り変わらないような気が…
劉備は昔の皇帝を頂点にした理想の朝廷を夢見てたんだと思う。
>>795 ということは、劉備は、もし劉備を主とする勢力が天下統一したら、
漢の皇帝、例えば劉協に国の主の座を譲ろうとしてたっつうことか。
(確立を二回使っちまったな……ミス)
800 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/19 00:34
>>798 統一が劉協が廃帝になる前だったらそうしたと思うけど劉協が廃帝になってからだったら自分がなったと思うよ
一応劉備は自分が正当だと思っているしね
801 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:36
>>800 いや、劉協の廃帝を無効にする方法もあるよ。
劉備が天下統一し劉協をたてたら、
家臣たちは納得するかな・・・
結局禅譲を迫ることになりそうだ。
803 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:45
国家について
昨日から国家についての意見が出てきていますね。
国家目標、国家戦略、志など色々と。
「呉は統一の意志を持っていたかどうか」「強大な魏に対抗するために呉が住民を戦死させるのは良くない」というものが多くありました。
ある人は「中国を統一して外部の民族からの侵略に備えなければならないのなら戦争はなくならない。それなら統一する意味はあるのか?」という問いを発しました。
戦争と平和という話題もありました。
極論してしまいますが、「上記のようなことを考え施策を行うのが国家である」と私は考えています。
これらの問題は個人で解決できる問題ではなく、その地域で権限を持った人及び組織が取り組み解決する問題です。
特に、呉(孫家といった方がより正確でしょう)は豪族の寄合によって成立しています。
周家、陸家は孫家の構成員(スタッフ)であると共にある地域のオーナーです。
周家、陸家はある時はオーナーとして自らの利益を追求し、単独で解決できない時は
より大きな組織である孫家の力によって解決しようとします。
(これは日本の荘園制誕生〜戦国時代の統治体制に似ていますね。)
番良い例が赤壁の戦い(曹操との関係)ではないでしょうか。
呉の内部で講和と対決に意見が分かれます。
講和を主張する人も対決を主張する人もそれぞれがオーナーであり、孫家の構成員です。おそらくまずオーナーとしてどうするべきかを考えるでしょう。
その後にそのオーナーとしての行動をより効率的・効果的に行うために、「孫家にはこうしてもらうのが良い」と考えを進めるでしょう。
人は今直面している問題をまず解決しようとします。
「曹操との関係をどうするのか」という大きな問題に対して、自分がスタッフとして所属する孫家という組織を第一に考えるのか、それともある地域のオーナーとして存在する自分を第一に考えるのか。
どちらを選ぶか、直面している問題とそれに対する自分の解決力と価値観それによって決まります。
話を国家に戻します。
804 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:46
私が考える国家は上でも述べたように「個人では解決できない大きな問題の解決策を考え、それを行う組織」です。
国家方針とは「国家の判断・行動の基準」であり、国家戦略とは「国家方針をより効果的・効率的に行う為の手段」であると考えています。
簡単ですが、以上が私の国家についての基本的な捉え方・考え方です。
名分から言えば、劉備が即位しても漢朝自体は別に問題ないのではあるw
劉秀然り。
806 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:47
>>803、
>>804は昨日のレスだが
「大義」「国家」を考える上で参考になる見解だと思ったのでコピペ
wって何かおもしろい?
808 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:54
>>806 素で荒らしだと思ったよ。
この場合の「大義」とは、「漢朝という国家の枠内」で語られるものだから、
いわば国家戦略論とは別の問題じゃないか?
810 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 00:56
>>809 今ここで語られているのは確かに漢王朝を前提にした大義だね。
しかし、「漢王朝を前提としない大義というものはないもんか」とふと思った。
>>810 それは大義とは言わないよ。魏だって、散々面倒な儀式を経て禅譲という
形で国を受け継いだ。その名分を使わないなら、外からの侵略か、西洋
の市民革命のようなものしか歴史上は考えられないんじゃないかな。
>>811 フムーそうかな。
大義の基準が王朝にあるから
>魏だって、散々面倒な儀式を経て禅譲という
>形で国を受け継いだ。その名分を使わないなら、外からの侵略か、西洋
>の市民革命のようなものしか歴史上は考えられないんじゃないかな。
となるような気がするんだけど。
大義の基準をみんながメシを食って餓死しない、というところに置けば
必ずしも王朝は重要ではなくなると思うけどこれはもう民主主義とかそれこそ
プラトンの理想国家の話になってしまうか。
そもそも関羽は神ですよ
神を殺した呉が悪でないはずがりえようか?いやありえない(反語)。
こ の ス レ 終 了
>>812 そうだね。それは、
>>777の2行目以降。
「みんながメシを食って餓死しない」という基準(理想だが)を達成する
には、現実問題として、安定した、可能であれば統一的な政体が必要になる。
それが中華王朝が存在する大義というわけだ。
>>813 関羽は悪魔のような中国人が崇拝してる神だから悪魔の神、邪神だ
816 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 09:47
昨日はずいぶんレスがついてるね
当時民衆のための大義なんて主張しても無意味だろう・・・
818 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 14:54
>>812 >大義の基準をみんながメシを食って餓死しない、というところに置けば
これだと「仁」に近いなあ。
孟子は「仁義」として「仁」は「義」より優先するという考え方での
民本主義を唱えたからおかしくはないか。
ヽ(`Д´)ノノノノノ ココマデヨンダァァァァァ
国家を語るのならプラトンの「国家」くらい読んでからにして下さい。
822 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 21:28
age
呉、蜀についてはその成立基盤や戦略について随分語られたけど
魏についてはほとんどないね。
>>823 魏の大略って、一番オーソドックスな、
「中原制覇→禅譲→天下統一(・д・)ウマー」だろ。
曹操の戦略は今更こんなところで語るような内容でもないと思うし。
なんか違うと思うんだよね
哲学とか社会学とか、既に語られた言葉を使って語るなら
なにもここで語ることないってゆーか
既に学者さんたちがいっぱい語ったんじゃないの?
なんてゆーか、プラトン嫁とかゆーのは違うと思う
本読めば結論出てるんじゃないかなーそれだったら
うー、勿論誰が語る場合でも何かを読んでるから影響はされる
とは思うけど、さー
>>825 一人二人が話していただけの話題を、全体のことのように話して釘を
刺してみせることはないだろうに。
「ここで、これから」その話題を広げたいなら、別に止めはしないが。
>>825 俺がプラトンぐらい読めって言ったんだが、
それは「プラトンの国家に答えが出ているから」ということではなく、
「国家の概念の基本が比較的わかり易く出ているから」だ。
読めば分かるが、『国家』はプラトン流の理想国家像が出ているだけで
普遍的に通じる国家がどういうものかが結論として出ているわけではない。
あくまで「国家の概念を理解するのに役に立つから読め」と言ったまで。
>>826 >一人二人が話していただけの話題を、全体のことのように話して釘を
>刺してみせることはないだろうに。
全くその通りだ。
俺が「読め」って押し付けたものを話題の中心にする必要はない。
俺はみんなの意見をもっと引き出したいから
あの様な発言をしたに過ぎない。
828 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 19:15
さてあげますか
>>827 俺から見てもお前は真っ当な意見をいっている。しかし、その煽り口調はいただけないな。
このスレが荒れないためにももう少し穏やかな口調で論してくれ。
プラトンの国家論を当てはめてみるのはなぁいいが、
古代中国に関しては国家の行動原理をプラトンの「国家」から導き出すのは
えらい無理があるよな。
まぁ、スレの話題から外れるのでsage
831 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 19:29
>>830 >>827が言っているのは国家の概念でしょ。
「これ、これ、これがあって国家が成り立っている」というような。
まあ、国家の概念とか「こうあるべきだ」という話は論語や孟子などの
儒者の考えをまとめたものを読めば良いんだろうけどね。
>>827 あなたの
>>543での文章は「みんなの意見をもっと引き出したい」というより、
プラトンも読んでない奴は書きこむな、と拒絶しているようにしか見えないな。
833 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/20 21:32
>しかし、ゲームや小説でしか歴史を知らない奴らはすぐ分かるね。
>国家を語るならせめてプラトンの「国家」ぐらい読めよ。
そうか。
この文脈でそう読み取るか。
それなら仕方なし。
書き込むなよ。
最低な奴だな。場を荒らしているとしか思えない。
上の方にあるなあと思ったら、こんな状況かよ。
あぼーん
随分な人がいるようで
話を変な方に引きずるなよ。ここは国家論を語るスレじゃないんだから。
マジで困ります。
まぁ、荒らしよりはマシだけど
あぼーん
842 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 21:25
で、このスレはもう終了なのか?
843 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 21:31
俺は
844 :
正史研究家:02/09/21 21:42
そもそも関羽の北伐は漢王朝を救うべく最後の義勇の軍であったと言えるだろう。
関羽の進軍に呼応し南陽の豪族が反乱を起したこのときこそ、曹操にとっての危機であり、
孫権が節操なく劉備を裏切らず関羽の進軍を支援してやれば関羽の軍事行動は成功し
漢王室は救われていたかもしれない。変節漢孫権の節操の無さが悔やまれる。
呉は本当につまらない国家であることはこの一事をとってもよくわかる。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 21:46
>>844 孫権は気紛れ!
関羽を討ってから、魏と対立する予定だったはずだよ。
蜀史研究家に変えれば?
847 :
正史研究家:02/09/21 21:55
>>846 仮に蜀のみについて詳しく研究することを目的にするにしても、魏・呉
から見た蜀という観点も必要である。蜀漢こそ漢を引き継いだ国家であり
この国家が正統であることは間違いない。
何にせよ、国力が足りんよ国力が・・・
そもそも劉邦や劉秀にすら正統性などあるとは思えんが。
もう何も言わないことにするよ。
・・・あきれた
漢も元々はヤクザの集まりか
>>847 >魏・呉から見た蜀という観点も必要
これが誤魔化しでなく本心であるなら、
呉を指して「つまらない国家」なんて言わないでくれな?
853 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:01
>>852 研究家でも無知な奴はいるから許してやって
>>853 この板で「プロ」とか「研究家」とか「評論家」とか名乗ってる
ヤシらには無知しかいない罠。
855 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:04
あっ馬鹿な研究家がいる
856 :
正史研究家:02/09/21 22:05
>>852 蜀は漢王室を継いだという「名分」があり、魏にも実質は強奪であるが
漢より禅譲を受けて国家を創立したという「名分」がある。しかるに呉は
なんの根拠もなく国家を設立しており、これは袁術が僭称したのと何ら
かわりの無い行為である。孫権が建てた呉等盗人の国家に過ぎない。
857 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:06
あっ馬鹿な研究家がまだいる
>>856 その発言のどこに、呉から見た視点が存在すると言うのか。
>蜀は漢王室を継いだという「名分」があり
言ったもん勝ちですか?
860 :
正史研究家:02/09/21 22:10
>>858 つまらない揚げ足取りをするような人とは議論をする価値なしですね。
もうここには来ません。サヨナラ。
861 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:11
862 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:11
あっ馬鹿な研究家が落ちた
蜀もろくな名分無いけどな、諸葛亮も劉封を讒言して殺してるし
自分と意見の違う人とは議論しません、する価値なしですね。
もうここには来ません、サヨナラ。
865 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/21 22:14
正史研究家はしょぼい燃料でした
866 :
正史研究家:02/09/21 22:16
蜀マンセー。魏・呉ウンコ。
>>正史研究家氏
いやさ、一般論としては別にそう間違ったことは言ってないと思うんだよな。
ただ、彼の論説は 既成の一般論・固定観念に凝り固まって、自分と違う意見
を一切認められず排斥することしかできない、自分を中心に正義を回している
ようにしか見えないんだよな。それって漫画の中にしかいないような最悪の研
究者・科学者像だ。
ま、別に彼だけに言えることじゃないし、反面教師にしたいところだね。
(本人自身は逃げちゃうから反省の機会が無いし)
漢から正式な禅譲を受けて建国した魏は正当な国家で
蜀、呉はただ辺境の一勢力による僭称である。
魏はこれらの逆賊を滅ぼし漢の領土全てを受け継ぎ
天に代わって之を治めるのである。
『皇帝』などというのは極論してしまうと、「大きな国の王の呼称の一つ」
であるにすぎない。
研究家殿は「袁術が詐称〜〜〜〜」などと言っておられるが、もしあのまま
袁術陛下が統一しておられれば、誰も文句は言わなかったであろう。
要するに「名分」などというのは「どれだけ実力があるか」によっても決まる。
揚、荊、交三州を見事に纏め上げ、蜀漢はおろか魏よりも長命であった呉に
対し「名分」などという無意味なものを頼り侮蔑することはできない。
まあネタであろうが正史研究家殿こそ、その「研究家」という肩書きが不釣合い
なのではなかろうかな。
>>869 「実力を集める・維持するため」にも名分は使われるよね。
孫権が皇帝を名乗ったのは、他の二国から独立を維持するために対等な
地位が必要だったから。わざわざ魏に臣従してみせて呉王位を貰うという
ステップも踏んでいる。
ある意味、名乗らざるを得なかったとも言えて、国を保つってのもなかなか
大変なことだね。
こういう場所で歴史を語る時に、自己主張の部分でヘタに断言するのは
周囲の反発を招きやすいから止めた方がいいと以前にも忠告した気がするんだが?
他人から主義主張を押し付けられるのを極端に嫌う2ちゃんねらは多いよ。
議論に持ち込みたいならもう少し柔らかい表現(
>>1みたいに)で書き込むことをお薦めする。
別にあんたが間違ってて俺の意見が絶対正しいとまでは言わんが
せっかくの知識がこういった場所で活かされないのはもったいない気がするぞ。
煽る訳では決してない。
魏呉蜀のそれぞれの国家とそこに住む人の事を考える時に、
「国家とは何か?国家が存在する理由は何か?国家はなくてはならないのか?」
という問いになるのではないだろうか?
「プラトンの『国家』を読め」という煽りの様な発言以降
「偉そうだ」「意見を押し付けるな」と散々言われ、
さらに煽られる事も多かったが、俺も色々参考になる意見を拝見でき良かった。
それぞれの意見をもう少しまとめて述べるようになれば、
それに対して「同意見である」とか「この部分は考え方が少し違う」という
形で更に議論の内容は良くなるのではないだろうか。
ここでは議論ではなく論争が多すぎるような気がする。
873 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 08:27
名分などどうでもいいんだよ。
力有るものが天下を取るんだ!
仁だ礼だとうるさいことを言うな!孔子逝ってよし!
>>872 発言が匿名であり、資料の共有ができず、議事進行も存在しない掲示板で
それを求めるのは不可能。ないものねだりしないで参考意見を集める程度の
つもりで参加してな。
>>872 一人でHP作ってやってください。もう2chにはこないでね♪
876 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 12:06
877 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/09/22 12:12
>>870 名だけで実も無いのでは民衆や部下が離れてしまうこともあるしね
臣下に甘んじたのも袁術の二の轍を踏みたく無かったのだろうとも思う
878 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 12:26
879 :
2チャンネルで超有名:02/09/22 12:27
>>875 そういう発言はやめとけ。
>>872の発言はお前のような発言をすると議論が先に進まないことを指摘している。
>>872の発言内容の全てが良いものだとは思わないが、
少なくともお前のような他を全く受け付けない発言はない。
>>874のような意見ならわかるがお前の発言は他人の発言を全く尊重しない
もので匿名掲示板で一番良くない発言だ。
>>875よ、2ちゃんに来るなとは言わないよ
自分の発言を尊重してほしければ他人の発言も尊重しろ。
それができないなら発言を控えるべきだ。
うんこだな
うんこです
おしっこは?
うんこです
もう終わったスレをあげるな
さげなさいよ
887 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:12
当初は関羽と呂蒙で魏を攻める設定だったが、途中で呂蒙が魏側に寝返ったのだよ<笑>
kiriban
889 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 17:17
呂蒙=小早川秀秋
孫権=明智光秀
890 :
精子研究家:02/09/22 17:32
age
891 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/22 18:30
ここは超優良スレだったなぁ。
俺が書いた煽りが消されてら
プ ラ ト ン 氏 ね
正 史 は カ ス
>>892 呂蒙蜀へ逝って良しとかいうやつか?
悪いけど俺が削除以来出したわけではないぞ。
ちなみに俺は正史に詳しくない。
プラトン氏は意外とちゃんとレス付けてると思うのは俺だけか?
静観
896 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 14:47
通報しますた
ネタスレかと思わせつつ意外とまともなレスがついてるな
でももう終了?
899 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 15:22
呂蒙と魯粛じゃ比べ物にならん。貧乏人呂蒙逝ってよし!
900はいただく。関羽殿に栄光あれ
900超えたか。
とりあえず関羽討伐は間違ったものではなかったと結論がでたわけだが、次の話題はなにかな?
自分と意見の異なる人があらわれると
「もうくるな」とアホみたいに罵るスレはここですか?
>>902 スレ違いです。
あ、失礼、ひょっとして正史研究家殿ですか?
904 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 17:45
あげ
あげるなクズ
906 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 17:48
ほらまたそうやって罵る
お前はカス
だれか削除依頼出せよ
鬱陶しい
908 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 17:58
これは、結果的に(長い目で見れば)呉にとって失策だったと考える。この時、呉が得た利益は荊州で、なるほど、これは大きな収穫だが、逆に蜀との友好を損ねて閉まった上、魏を安心させることになってしまった。
確かに大義名分上では、いつまでたっても荊州を返還しない蜀に非があるのだが、戦略上からすれば、もう少し辛抱すべきであった。この時、最大勢力の魏は関羽に押されて結構危機的状況であり、曹操も遷都を考えたほどであった。
史実ではこの時、呉が荊州に攻め込み、関羽を斬ったので、魏の脅威は一掃され、夷陵の戦いで蜀呉が戦力を浪費し、魏の優位を絶対的なものにしてしまった。事実、劉備が討呉の軍を挙げた時は孫権は講和を望んでいる。
蜀と全面対立したくないのならば荊州侵攻などするべきではなかった。が、もしこの段階で呉が荊州に攻め込まなかったらどうだろうか?曹操と関羽が中原で激突し、やがて劉備も蜀から関中に攻め込み、総力戦となっただろう。
蜀が優勢でどんどん魏を圧迫するようならば、そのまま静観するか、或いは魏の隙に付け込み、徐州・淮南方面に進出するなどして、蜀魏の力関係が逆転するまで待ち、そののち魏と同盟を結び、荊州に攻め込めば、
長期に渡る蜀魏の疲弊などから呉が最大勢力となることも不可能でなかったと考える。
また、魏が優勢ならばそれこそ徐州・淮南方面に進出して魏を牽制して蜀有利の状況を作り出すべきであった。孫権の外交戦略能力はこのころから冴え渡るようになってきたので、決して不可能なことではなかろう。
909 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 17:59
無益な血を流す事になるでしょう。
>908
910 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 18:01
孫権は曹操ほど人望が無いよ
911 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 18:02
912 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 18:04
上、 /⌒ヽ, ,/⌒丶、 ,エ
`,ヾ / ,;;iiiiiiiiiii;、 \ _ノソ´
iキ / ,;;´ ;lllllllllllllii、 \ iF
iキ' ,;´ ,;;llllllllllllllllllllii、 ナf
!キ、._ ,=ゞiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!! __fサヘ.
/ `ヾ=;三ミミミミヾ仄彡彡ミミヾ=`´ 'i、
i' ,._Ξミミミミミヾ巛彡////iii_ |
| ;if≡|ヾヾヾミミミミヾヾ、//巛iiリ≡キi |
| if! |l lヾヾシヾミミミ川|ii//三iリ `キi |
| ,if ,f=|l l lヾリリリリリ川川|爪ミミiリ=t、キi |
| ;iナ,サ |l l l リリ川川川川|爪ミミiiリ キi キi |
| iナ ;サ |l l リリリリ川川川川l爪ミミilリ キi キi |
| iサ ;サ, |リ リリ川川川川川l爪ミミiリ ,キi キi |
| iサ ;サ, | リ彡彡川川川川|爪ミミiリ ,キi :キ、 |
,i厂 iサ, |彡彡彡彡ノ|川川|爪ミミリ ,キi `ヘ、
,√ ;サ, |彡彡彡彡ノ川川|ゞミミミリ ,キi `ヾ
´ ;サ, |彡彡彡彡川川リゞミミリ ,キi
;サ, |彡彡彡彡リリリミミミシ ,キi
,;#, |彡彡ノリリリリミミミシ ,キi
;メ'´ !彡ノリリリリリゞミミシ `ヘ、
;メ ヾリリリリノ巛ゞシ `ヘ、
913 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 18:04
914 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 18:04
915 :
孔明 ◆8zeX93.g :02/09/24 18:05
>>911ぶあーか!!!人望と人徳は違うだろうが。
死ねよ。糞虫はよぅ。
916 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 18:05
) )
( (
,, ) ) ,, ) )
゙ミ;;;;;,_ ( ゙ミ;;;;;,_ (
ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,, i;i;i;i; '',',;^′..ヽ
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だからあげるなと言ったのに
で、どうやら関羽討伐について二考はしない雰囲気なんですか?
しないだろう
しても結局自分の意見を言うだけで人の意見は攻撃するだけだ
気分がなるから静かに終わるべし
なんでアンタがいんの〜
何しに来たん〜
も〜取り合えず部屋入りーなー
921 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 21:39
関羽ファンは、関羽が魏に捕まらなかっただけマシだと思え!
922 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 11:02
脇役の呉にやられるよりは、処刑前にロマン溢れる曹操とのやりとりが見たかったです
923 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 11:22
>>922 これが完全フィクション小説ならそういうふうになって
曹操「しかたあるまい 本意ではないが・・・(やや涙)」
関羽「・・・ぐずぐずしてないでさっさと斬れ(瞑目)」
夕日をバックに浴びて関羽斬首 ウマー
になってたんだろうけどさすがに羅貫中でもそこまでできなかったんだろうね。
925 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 12:03
「関羽は・・関羽は腐ったみかんなんかじゃないっ!!」
「孟徳つぁ〜ん!!うおおおおおおお」
927 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 13:53
1よ何か一考してくれ
じゃあ、魏はなぜ晋によって倒されたのかを考えろ
曹氏の権力が分散していた上、司馬氏に味方する者が多かったから?
そう
関羽討伐で一行
三国子なら可哀想
934 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 23:44
じゃあ1か928よ
魏はなぜ滅びたか一考
で新スレ頼んだぞ
結論が出たので次スレいらない
936 :
玄武岩拳覇@ちんかめ ◆uaK/IeGo :02/09/25 23:46
国家がなぜ滅ぶのかを考えるのは人はなぜ死ぬのかを考えるのに似ている
937 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 23:47
いる氏ね935
>>936 おまいは自分のスレ以外から出てくるな。
939 :
玄武岩拳覇@ちんかめ ◆uaK/IeGo :02/09/25 23:53
どんどん進出していくからな!
>>939 ならせめて下げろ。
二人目の損権厨房になられては困る。
941 :
玄武岩拳覇@ちんかめ ◆uaK/IeGo :02/09/26 00:01
俺下げるのって嫌いなんだよね〜
レスが付いたのかどうかわかんないじゃん。
それより明日はいよいよ天下統一Wの発売だね。
出来が楽しみだね。
システムソフトの工作員にまで落ちたか・・・
下らないレスばっかだな
>>941 感想をここに書き込んでね
ちゃんとsageて
945 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 11:01
新しいのが立ったか。
どうせ自分の意見と違う意見をいう奴が出てきたら
「うぜー」「もう2ちゃんにくんな」とかいうのに。
真面目に議論したかったら人の意見をちゃんと尊重しろっての。
そう言わずにどうなるか暫く観察しようや
俺はアンチ巨人のポリシーを貫いて、アンチ曹操だから
>>948 その方式でいくと阪神は蜀なのか?
呉は生え抜きの多い広島か?
新しい方、なかなかレスつかないね
観察もできないや
1 名前:無名武将@お腹せっぷく 02/09/26 11:00
魏の水軍は赤壁では船酔いするものがいたが、その後はどうだったのか?
魏は呉との水軍対決はなるべく避けるようにしていた。
そのために合肥新城を作るなど、随分と神経質であったが、水上戦で呉に勝つ見込みがなかったのだろう。
中原の人間は水上戦など江賊の所業と軽蔑していたようなイメージを受ける。
それなのに呉は上流からの敵とはいえ、なぜ王濬には叶わなかったのだろう?
2 名前:無名武将@お腹せっぷく :02/09/26 11:03
>王濬には叶わなかったのだろう?
○敵う
×叶う
…晒す?
3 名前:無名武将@お腹せっぷく :02/09/26 11:14
>>2 どっちでも正しいんじゃないか?
4 名前:無名武将@お腹せっぷく :02/09/26 11:16
そもそも当時の水軍がどのようなものであったかわからん以上は・・・
5 名前:無名武将@お腹せっぷく :02/09/26 12:39
お、一考シリーズ続編か
6 名前:無名武将@お腹せっぷく :02/09/26 18:37
孫皓の時代は有能な武将が処刑されたり讒言で失脚しているから
水軍の差というより呉を守る武将の質や量が晋に圧倒的に劣ってるのが原因では?
それと王濬は魏の武将というより晋の武将ではないか?
>>1 テーマがいくつかに分散しているので一度整理して
一つ一つ議論した方が盛り上がりそう。
>>2 揚げ足取るだけか
>>3 そう。
読み手が理解できる文章になっているから問題ない。
>>4 それも考えながらやるとスレが盛り上がる。
>>6 人材の問題のほかに組織の問題もあるかと思う。
しかし、レスの付かんスレだ
なんで戦争をするの?
というスレが密かに面白い
956
俺が昨日立てたネタスレがここみたいになった
958
新しいスレ、レスつかんね
960
961
962
年表を作るスレはそこそこ面白いな
200年以降はかなりつまらんが
そろそろ寝ます
928 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:02/09/25 14:30
じゃあ、魏はなぜ晋によって倒されたのかを考えろ
929 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:02/09/25 16:42
曹氏の権力が分散していた上、司馬氏に味方する者が多かったから?
930 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:02/09/25 16:47
そう
543 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 05:01
国家だとか戦略だとか難しい言葉が飛び交ってるね〜。
しかし、ゲームや小説でしか歴史を知らない奴らはすぐ分かるね。
国家を語るならせめてプラトンの「国家」ぐらい読めよ。
岩波文庫から出てるよ。
戦略論、戦術論を語るなら何が良いんだ?
547 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 08:39
>>544 >厳oじゃ無理だろ〜そんな軍事に疎いただの文官に、国家の大事を託していいとでも?
>といって、軍事に明るい文官的用兵家が他にいたかな?
>呉の人材不足はこの頃からか?
ロシュクも文官。
漫画やゲームでは諸葛亮やシバイは「軍師」となっているね。
しかし、彼らは基本的に国主の下で政治軍事を総覧する立場なので、
文官出身者でも武官出身者でも良いんだね。
>>535が厳oと言っているのは、従軍する参謀という意味ではないのは明らかだから
問題ないことになる。
>余計なお世話だ。そういうお前は三国志を知ってるのか?
>知らないでカキコしてたら、DQNだな。
研究者じゃないので小説や三国志についての本、
あとは菅子、論語、孟子、荀子、戦国策、史記、十八史略とその考察を行った本ぐらいしか
読んでない。
白文では読めないので現代語訳を読んだんだけど。
>偉そうなことほざいてエリートぶってんじゃねぇ!この西洋かぶれインテリもどきが!
偉そう?
あなたの方も私と変わらず偉そうなんだけど?
西洋かぶれ?
ゲーテとプラトンの著作を少し読んだことしかありませんよ。
インテリもどき?
2ちゃんに来るのにわざわざインテリぶる人はいないと思うが。
556 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 09:58
>>543 >俺は国家とか戦略とかの定義や意味はあまりよく知らないです。
>だから、もしよろしければ国家について簡単にでもいいので語っていただきたい。
>いきなり本を読めと言われても、何かしら興味が出るきっかけがないと
>人間、なかなか素直に言うことは聞けないものですから。
失礼しました。
いきなり「本を読めよ」と偉そうに発言したのは、
このスレのレスの内容が200前後から低下しているのを残念に思ったからです。
国家について
昨日から国家についての意見が出てきていますね。
国家目標、国家戦略、志など色々と。
「呉は統一の意志を持っていたかどうか」「強大な魏に対抗するために呉が住民を戦死させるのは良くない」というものが多くありました。
ある人は「中国を統一して外部の民族からの侵略に備えなければならないのなら戦争はなくならない。それなら統一する意味はあるのか?」という問いを発しました。
戦争と平和という話題もありました。
極論してしまいますが、「上記のようなことを考え施策を行うのが国家である」と私は考えています。
これらの問題は個人で解決できる問題ではなく、その地域で権限を持った人及び組織が取り組み解決する問題です。
特に、呉(孫家といった方がより正確でしょう)は豪族の寄合によって成立しています。
周家、陸家は孫家の構成員(スタッフ)であると共にある地域のオーナーです。
周家、陸家はある時はオーナーとして自らの利益を追求し、単独で解決できない時は
より大きな組織である孫家の力によって解決しようとします。
(これは日本の荘園制誕生〜戦国時代の統治体制に似ていますね。)
557 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 10:00
一番良い例が赤壁の戦い(曹操との関係)ではないでしょうか。
呉の内部で講和と対決に意見が分かれます。
講和を主張する人も対決を主張する人もそれぞれがオーナーであり、孫家の構成員です。おそらくまずオーナーとしてどうするべきかを考えるでしょう。
その後にそのオーナーとしての行動をより効率的・効果的に行うために、「孫家にはこうしてもらうのが良い」と考えを進めるでしょう。
人は今直面している問題をまず解決しようとします。
「曹操との関係をどうするのか」という大きな問題に対して、自分がスタッフとして所属する孫家という組織を第一に考えるのか、それともある地域のオーナーとして存在する自分を第一に考えるのか。
どちらを選ぶか、直面している問題とそれに対する自分の解決力と価値観それによって決まります。
557 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 10:00
一番良い例が赤壁の戦い(曹操との関係)ではないでしょうか。
呉の内部で講和と対決に意見が分かれます。
講和を主張する人も対決を主張する人もそれぞれがオーナーであり、孫家の構成員です。おそらくまずオーナーとしてどうするべきかを考えるでしょう。
その後にそのオーナーとしての行動をより効率的・効果的に行うために、「孫家にはこうしてもらうのが良い」と考えを進めるでしょう。
人は今直面している問題をまず解決しようとします。
「曹操との関係をどうするのか」という大きな問題に対して、自分がスタッフとして所属する孫家という組織を第一に考えるのか、それともある地域のオーナーとして存在する自分を第一に考えるのか。
どちらを選ぶか、直面している問題とそれに対する自分の解決力と価値観それによって決まります。
558 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 10:01
話を国家に戻します。
私が考える国家は上でも述べたように「個人では解決できない大きな問題の解決策を考え、それを行う組織」です。
国家方針とは「国家の判断・行動の基準」であり、国家戦略とは「国家方針をより効果的・効率的に行う為の手段」であると考えています。
簡単ですが、以上が私の国家についての基本的な捉え方・考え方です。
補足
国家と国主と地域のオーナーなどの話は史記の列伝の商君などを読んで私の頭の中で整理したものなので、間違いがあるかもしれません。
560 名前: [sage] 投稿日:02/09/17 10:12
>>549 >>543=
>>547です
孫子、六韜三略は読みましたよ。
戦略論はクラウゼビッツのものでしょうか?
これも少し読みましたが、読みづらいのでパスしてしまいました。
>>555 まさにそうでしょう。
ロシュクは呉蜀同盟という基本戦略を実践しえる人物を後任にしようとした。
しかし、適任者がなく「取り敢えずリョモウ」という判断でしょう。
しかし、リョモウは基本戦略を覆し荊州に兵を進めた。
681 名前: [] 投稿日:02/09/18 19:35
ここまでの議論を俺の意見を含めまとめてみる。
あくまで俺の意見を含めてのまとめなので、
反論のある方がいて当然。
関羽の元へ孫権は「婚姻関係を結ぼう」と使者を送った。
関羽はこれに対して傲慢な断り方をした。
このスレでは「関羽自身が返答した事自体が問題であった」という指摘、
「孫権から使者は事実上呉への誘降の使者だった」という指摘があった。
683 名前: [] 投稿日:02/09/18 19:36
これに対して孫権は呂蒙を司令官とする軍を荊州へ進め、
関羽を斬る。
このスレでの指摘。
呂蒙が魯粛の後継者に選ばれた理由についてなかなか面白い意見(俺がそう思っただけだが)があった。
呉は魏・呉に比べ豪族連合体としての性格が強かった。
その為、赤壁の戦いの前に豪族達の間で意見が分かれ孫権も決断に時間がかかった。
孫権の立場が絶対的なものではなかった。
それが魯粛の時代まで続いた。
孫権は魯粛の後継者に叩き上げの呂蒙を採用することで諸豪族を押さえ、
自らの立場を高めようとした。
また、国家戦略も呉蜀同盟を基本とする魯粛から、
荊州領有を積極的に行おうとしていた呂蒙へ変わっていた事が、
呉蜀の対立を決定的にした。
684 名前: [] 投稿日:02/09/18 19:36
関羽を殺され、荊州を呉に奪われた劉備は家臣の反対を押し切って
夷陵へ進軍する。
しかし、蜀軍は陸遜率いる呉軍に大敗し白帝城まで敗走する。
このスレでの指摘。
劉備の出兵理由。
1.関羽の敵討ちという劉備の私怨、ロマン的に言うと義侠的理由。
2.荊州出身者達からの要望に答えたという内部統制上の理由(突き上げというか拒否できない要望だった)。
3.荊州が国家戦略上不可欠で奪還しなければならなかったという、戦略的理由。
1.の理由であれば劉備は所詮は遊侠の徒でしかない。
2.の理由であれば自分達には直接の利益のない巴蜀出身者達が納得せず
本来の目的である内部統制は実現できない。
3.の理由であれば余りにも準備不足でお粗末すぎる行動であった。
1.2.3.のいずれを理由にしても、夷陵への進軍(呉との対立)は蜀にとって
戦略的に正しい行動ではなかったと言える。
夷陵の戦いを境に、実質上の蜀の指導者は諸葛亮に
呉の指導者は陸遜になる。
そして呉蜀の関係が改善される。
夷陵の戦いの後呉蜀の関係が改善された理由、
呂蒙の後継者に陸孫がなった経緯・理由については
まだ十分な意見が出ていない。
694 名前: [] 投稿日:02/09/18 20:08
>>685 婚姻の話を承諾するかしないかに関わらず、
関羽が国家の代表として呉の使者に対応せず、
関羽個人として対応したことが失敗だったということになるかな。
>>686 建前が漢朝の再興で、それを行おうとしたのが遊侠集団を核とする蜀だった。
それが求心力にもなり蜀の行動を制限(より効率的な戦略行動を取れなかったという意味での)
したということになるのかな。
>>687 「関羽の敵討ち」「荊州出身者達の要望」のどちらにせよ、
荊州に出兵しなければやはり内部統制は難しかった。
劉備の唯一の存在意義がなくなってしまうから。
そういったことかな。
>>689 >蜀の報復なんて読んでたに決まってるじゃん
>そして勝った
>更に魏もけちらした
この部分は呂蒙の戦略で
>(蜀呉の)国交の復活
は魯粛の戦略だよね?
後者は魯粛・呂蒙の死後に実質的な指導者となった陸遜の考えが入っているのかな?
陸遜の戦略はどんなものだったのか。
>>684でも最後に書いたが、陸遜が起用の裏に孫権のどのような意向があったのかにも
興味がある。
713 名前: [] 投稿日:02/09/18 21:36
>>699 >関羽処刑よりも荊州喪失に激怒したのかもしれんな、
>せっかく手に入れた地盤を奪われるわ麋芳以下多数が寝返るわ
>荊州軍は壊滅するわ、
蜀建国までの全てを失ったということですね。
劉備にとっては巴蜀の人・土地・戦略的要素よりも
ずっと思い入れの多い(ロマン的な表現になった)荊州以前のものを失ったことの方が
重かったということかな。
>>700 なるほど。
戦略的な見地からの出兵であれば、家臣の諫言も冷静に受け止めることができたかも知れない。
>>701 荊州はそれだけ蜀の国家戦略上必要だったということですね。
それは劉備のみならず蜀の諸臣に共通していたでしょう。
しかし、夷陵への進軍に反対したのが少数ではなかった。
それは荊州奪還の可能性が難しいもしくは、
奪還してもその後、呉との対立はより深まり荊州領有と同様に重要な
蜀呉同盟路線を完全に放棄することに繋がるという事を指しているのでは?
以上は関羽の敵討ち、荊州豪族の故郷奪還の為という義理を通すことが重要だったということ?
>>703 >呂蒙に変わったときに国家戦略が変化したわけではなく、この戦略を実現するために
>蜀を敵に回すかできるだけ協調していくかの差しかない。
>魯粛は確かに親蜀だが、荊州領有の為には蜀と事を起こす寸前であった。
なるほど。
魯粛の戦略は「第一に呉蜀同盟、第二に荊州領有」だと私は捉えていたが、
あなたは「第一に荊州領有、第二に呉蜀同盟」という捉え方ですね。
あなたの捉え方でいけば、
「時期の早い遅いはあるが荊州領有を巡る戦争が呉蜀の間で必ず起きる」
ということになりますか。
716 名前:701[sage] 投稿日:02/09/18 21:56
>>713 そうだね。
関羽の復讐にそれが当てはまるかどうかは別としての一般論だが、
国としては義理を通すのは重要な政治上の課題。求心力=統一性に
関わる問題だから。家の連合体である封建制下ではそれは顕著に現れる。
例えば武官は、自分の死後も国に子孫が引き立てられ繁栄すると信じる
からときに命を捨てる。
そういう種の「義理」を欠けば、国の拠って立つ基盤が崩れる。
あなたは基本的な思考の基盤として、計算上の戦略を至上のものとし
義とか侠とかいうものを軽視して、歴史が、当時の人間達の生き死に
の足跡だということを忘れているのではないか?
720 名前: [] 投稿日:02/09/18 22:09
>>716 >あなたは基本的な思考の基盤として、計算上の戦略を至上のものとし
>義とか侠とかいうものを軽視して、歴史が、当時の人間達の生き死に
>の足跡だということを忘れているのではないか?
ん?
少し行き違いがあるようです。
私の書き込み(
>>694での
>>687へのレス、
>>713の
>>699へのレス)を
見て頂ければ解消されるでしょうか。
727 名前: [] 投稿日:02/09/18 22:21
>>721 >劉備一党に関しては、益以上のものも考慮しないといけないと思う。
>自分の利益を先に考える輩は劉備についていかない。
確かに入蜀以前に劉備に従った人達はそうでしょうね。
しかし、巴蜀出身者は必ずしもそうではないかもしれません。
その二つをどう組み合わせていくのが非常に難しい。
荊州奪還について劉備に反対した人が多かったのも事実ですね。
義理を優先するか、戦略を優先するかという選択をしなければならなかった。
740 名前: [] 投稿日:02/09/18 22:42
>>730 634、695、711を拝見しました。
私なりにあなたの見解をコンパクトにまとめました。
「組織維持の為に義は欠かせない。
しかし、義を立てるために戦略を捨てて行動してはいけない」
という事でしょうか。
付け加えるなら
「組織維持のため義を重んじたのは劉備だけではない」と。
もしそうであるなら、私の考えとと大きな隔たりはないと思います。
蜀軍の夷陵進軍に関して私は
>>684、
>>694での
>>687へのレス、
>>713でのあなたへのレスで述べています。
743 名前: [] 投稿日:02/09/18 22:47
「義侠話」について
私の書き込みは
>>701さんだけでなく、他の方とも行き違いが生じているようで。
私は「義侠は劉備だけのものだ」と主張しているのではなく、
「入蜀以前の劉備には義侠を前面に押し出す以外に他との違い(魅力)がなかった」と
主張しているつもりです。
その辺りをご理解頂けると嬉しいです。
745 名前: [] 投稿日:02/09/18 22:52
>>744 漢王朝再興じゃだめですか?
748 名前: [] 投稿日:02/09/18 22:56
>>746 ちょっと疲れたので
ttp://www.plastic-rouge.com/souten/t_ryubi.htm
751 名前: [] 投稿日:02/09/18 23:27
>>746 「大義」広辞苑で今調べてみました。
1.重要な意義。大切な意味。
2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
「義侠」も
強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
以上が言葉の意味です。
当時、漢王朝は弱ってます。
統治能力もなく各地で軍閥が割拠しています。
事実上、「中華」は分裂しそれぞれの勢力が拡張を狙っています。
その中で曹操は曲がりなりにも献帝を迎え形式上は
漢の大官の一人として中華統一へ邁進しましました。
劉備は。
ほとんど朝廷とは縁のないところで、なぜか「漢王朝の再興」を主張しながら
軍閥に食客として招かれ各地を放浪。
劉備が長く朝廷に仕えていたのであれば兎も角、すでに力を失った漢「王朝の再興」を
劉備が掲げる理由は?
大義であるとするならばむしろ曹操にある。
曹操は献帝を擁しています。
また祖父、父は大官でした。
更に中華統一へ向け一歩一歩成果を出しています。
劉備が自分とほとんど関係のない「漢王朝の再興」を掲げたのは、
大義と言うよりは義侠と言った方が近いのでは?
755 名前: [] 投稿日:02/09/18 23:37
失礼。
長文のレスを何度もつけて疲れたもので。
「大義」広辞苑で今調べてみました。
1.重要な意義。大切な意味。
2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
「義侠」も
強きをくじき弱きを助けること。おとこぎ。おとこだて。
ということは劉備は義侠を大義にしたとお思いで?
757 名前: [sage] 投稿日:02/09/18 23:38
>>755は
>>752へのレスで
759 名前: [sage] 投稿日:02/09/18 23:39
>>756 じゃあ、あなたの意見をどうぞ。
人にちゃちゃを入れるだけで自分の意見を言わない人が多いので
たまには言う人がいても良いかと。
761 名前: [sage] 投稿日:02/09/18 23:41
>>758 >漢王朝再興は大義であって義侠ではない
はいはい。
それなら劉備は曹操のとこで働くでしょ。
劉備が曹操のところで働かなかったのはなぜ?
764 名前: [sage] 投稿日:02/09/18 23:45
>>760 董卓にも大義はあったと言えるかもね。
でも、中華統一へ向けての実績もしくは漢王朝の統治力を回復できなかった。
あくまで皇帝を擁立しただけで終わった。
768 名前: [sage] 投稿日:02/09/18 23:50
>>762 >諸侯は自分の正当性を主張したりして勢力拡大を図る際の助けとするが
>劉備の場合勢力の面で劣り特にこれといった能力が無いため漢王朝を
>再興するとのたまわって独立勢力としての支持拡大に勤めた、と言うか他に何もなかった。
勢力を持つものが勢力を持たないものに大義を説いて支持するか?
孔子はどうだった?
劉備はおめでたい坊ちゃんではないのでそれぐらいわったんじゃない?
それを分かった上で「漢王朝再興」を掲げるのは大義ではなく義侠(名誉心を伴った)によるものだと
私は思う。
>>763 じゃあ、「漢王朝再興」は大義ではない。
769 名前: [sage] 投稿日:02/09/18 23:52
>>765 荊州の清流派の何人が劉備に従った?
772 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:02/09/18 23:56
>>771 >男気で大勢力が作れたら苦労はしない
>>743 頼むからレスを確認してくれ
疲れる
773 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:02/09/18 23:58
>>771 >>2.人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道。
>と述べているように劉備の行動倫理は大義
放浪していた劉備が漢王朝を再興しなければならない責任を持っていたとは思わない。
778 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:02/09/19 00:01
>>774 これは失礼しました。
>>775 結果だけを見ればそうなってしまう
779 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:02/09/19 00:02
>>777 じゃあ、これで決着で
疲れたよ
782 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:02/09/19 00:05
>>776 それなら私とほぼ一緒ですな。
結局、互いの意見の違いを明らかにするより最初に
共通の認識を確認してから違う部分について意見を述べたほうが良いね
821 名前: [sage] 投稿日:02/09/19 21:26
>>820 それを言ったのは俺だよ
827 名前: [sage] 投稿日:02/09/20 01:03
>>825 俺がプラトンぐらい読めって言ったんだが、
それは「プラトンの国家に答えが出ているから」ということではなく、
「国家の概念の基本が比較的わかり易く出ているから」だ。
読めば分かるが、『国家』はプラトン流の理想国家像が出ているだけで
普遍的に通じる国家がどういうものかが結論として出ているわけではない。
あくまで「国家の概念を理解するのに役に立つから読め」と言ったまで。
>>826 >一人二人が話していただけの話題を、全体のことのように話して釘を
>刺してみせることはないだろうに。
全くその通りだ。
俺が「読め」って押し付けたものを話題の中心にする必要はない。
俺はみんなの意見をもっと引き出したいから
あの様な発言をしたに過ぎない。
872 名前: [sage] 投稿日:02/09/22 03:23
煽る訳では決してない。
魏呉蜀のそれぞれの国家とそこに住む人の事を考える時に、
「国家とは何か?国家が存在する理由は何か?国家はなくてはならないのか?」
という問いになるのではないだろうか?
「プラトンの『国家』を読め」という煽りの様な発言以降
「偉そうだ」「意見を押し付けるな」と散々言われ、
さらに煽られる事も多かったが、俺も色々参考になる意見を拝見でき良かった。
それぞれの意見をもう少しまとめて述べるようになれば、
それに対して「同意見である」とか「この部分は考え方が少し違う」という
形で更に議論の内容は良くなるのではないだろうか。
ここでは議論ではなく論争が多すぎるような気がする。
893 名前: [sage] 投稿日:02/09/22 20:11
>>892 呂蒙蜀へ逝って良しとかいうやつか?
悪いけど俺が削除以来出したわけではないぞ。
ちなみに俺は正史に詳しくない。
544 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:02/09/17 08:02
>>535 厳oじゃ無理だろ〜そんな軍事に疎いただの文官に、国家の大事を託していいとでも?
といって、軍事に明るい文官的用兵家が他にいたかな?
呉の人材不足はこの頃からか?
>>543 余計なお世話だ。そういうお前は三国志を知ってるのか?
知らないでカキコしてたら、DQNだな。
偉そうなことほざいてエリートぶってんじゃねぇ!この西洋かぶれインテリもどきが!
837 名前:あぼーん[あぼーん] 投稿日:あぼーん
あぼーん
875 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:02/09/22 09:29
>>872 一人でHP作ってやってください。もう2chにはこないでね♪
892 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:02/09/22 18:50
俺が書いた煽りが消されてら
プ ラ ト ン 氏 ね
正 史 は カ ス
989
990
あと10
991/1000
992
ヒソーリ993
もぞもぞっと
994
995!
あと一息だ
996
初の1000ゲットへ向け一直線
997
998!!!
もう目前だ
9 9 9
よっしゃ1000!
ありがとう、ありがとう
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