疑問があります。これは私なりの戦い方です。
1.馬上でほんとうに刀を使ったの?
なぜ刀なのでしょうか?短いから相手を切りつけるには馬と馬がぶつかるくらいまで接近しないと
相手より先に馬を切りつけるのでは?
槍を持った足軽相手では刀がとどかなくてやられるのでは?
真田太平記では大河ドラマと異なり、馬上ではみんな槍を持ってましたよね。
三国志のドラマなどでもみんな槍持ってます。
2.戦の始め方はどうしたのでしょうか?
馬で突っ込んだら弓相手では負けるので突っ込めないし、槍でも同じ。
双方簡単な柵を置いて弓を前面に出したら仕掛けられないと思うんですが・・・
>>1 1)馬上は指揮官だから刀でいいんじゃないの?
2)普通矢戦でしょ
3.日本はなぜ中国のように火責めを行わなかったのでしょうか?
5 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:13
77 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:02/04/24 01:57
上のレスでも出ていたが、遠くから撃たれた弾丸はパラパラと木盾に当って弾かれてしまうが、接近して発砲されるとアッサリ木盾が貫通されるという二段構えの描写は巧いと思った。
劇中で「焙烙火矢じゃ〜」という台詞があったアレは単に「焙烙」とか「投げ焙烙」と呼ばれたもので、「焙烙火矢」は別物。 「焙烙」自体は西洋で言う擲弾のように日本の“地上戦”で多用されたかどうかは疑問 とつっこんでおこう。
116 名前:96 投稿日:02/05/03 21:11
>>TV放映を待つとしよう
ぜひ劇場で見ることをお奨めします。
音響効果のおけげで、合戦シーンにしびれることうけあいですぞ。
・離れた敵陣から鉄砲が放たれて、弾がすぐ脇をかすめるシーン
・両陣の槍ふすまが激突する瞬間の表現
・鉄砲発射の手順の表現
・城攻め・守りのシーン
・ひろしが乗用車で敵陣に突撃したときに割れる、敵陣の様。
128 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:02/05/05 19:09
作刈り・放火で挑発し、無謀な突撃を誘って戦力を削ぐ。そして相手の面目を保った形で講和を結ぶと見せかけて、油断したところを一気に制圧。
「姫が貰えなかったから陣触れじゃぁ!!」という所も含め(藁)大蔵井は真に正しい戦国武将だと思える。
それにしても、中世鎌倉では髻を切るというのは最大級の侮辱であると同時に、首をとられる恐怖と同級の恐ろしさを相手に与える行為だったらしいが、戦国期では如何なのだろうか気に掛かる。彼に倖あれ
>>4 そんなに頻繁には、火攻めなんてしてないじょ。。。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:14
白兵戦になったら、馬上のやつほど討ち取りやすいと思うのだが。
>>4 火責めは普通にするぞ
城下や城は焼くし
たまには山も燃やす
つうか馬上など弓鉄砲の的
10 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:18
孔明の時代は車椅子とか馬車がありましたが日本はなぜ作れなかったのですか?
大八車はあったようですが。
>>10 大八車があったからだろ
つか戦車は無理だろ
日本は山岳森林
13 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:21
>>1 1)
乱戦になれば太刀打戦になる。
馬上の太刀打ちよりも徒歩の太刀打ちが多い。
太刀で敵を討ち取る事を太刀打の戦功といって、安土桃山時代ごろまで重んじられた。
2)
矢合わせから始まる。
戦国時代のロバのように背の低い国産馬なら、
騎乗していても、場合によっては
徒歩の歩兵と背丈はそんなに変わらないだろうと思うし。
15 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:24
刀は使わないで槍だと思ったが・・・
ドラマはドラマ。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:29
確かに小さかったのだが、落馬で死んだやついるんだよな?
落ちてしんだのってみんな肥満?
頼朝も実際は小錦みたいな人だったかも。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:31
疾走中に変な姿勢で落馬すれば、死んでもおかしくないでしょ。
18 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:35
打ち所が悪ければ、50cm落ちても死ぬ。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 23:59
いくさに勝った方は馬とか、武器とか、鎧とかかき集めて持って帰ったのですか?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 00:02
持ち帰りました。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 00:03
確か信虎が義元にあげた左門字の脇差は信長が略奪して使ったんだよね。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 00:04
>>19 いくさに勝った方が、というより
戦場荒らしが根こそぎ持って帰りました
23 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 22:24
大河の武田信玄だと侍大将以外の騎馬武者は刀差して、槍持ってるよ。
上田原のビデオ見たけど、槍を一生懸命刀で払ってたな。
足軽を切りつけていたようだけど、どう見ても刀は届いて無い。
だから足軽と馬上の武者二人を同時に写すアングルはない。
撮影しているスタッフは案外、刀が届かないのをよくわかってるかもね。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 23:04
ドラマにでてくる馬はアラブ馬でしょうが。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 23:11
馬上で首をとるのは難しいので、大抵馬から地上におりて組打になる。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 00:51
日本には真の騎馬隊などというものは存在しない。
実際に居たのは移動の時にのみ馬を使う騎馬歩兵とも言うべき存在。
ルイス・フロイスのも「日本史」にも「我が国の騎士は馬に乗ったまま戦うがこの国(日本)の騎士は馬から降りて戦う」と記している。
追撃戦など限られた状態では馬に乗ったまま戦う時もあったが、全体から見て希少なケース。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 01:01
28 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 01:03
はっきり言って日本には「騎馬の突撃」なんてものは実際にはありませんでした。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 01:08
大阪の陣の時の真田の突撃は
実際には「騎馬」ではなく「歩兵」の突撃だったはずだが。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 01:22
>>27 それなあ。斬りあいを美化してる数人が大暴れで萎えたよ。
他の類似スレまで遠征して、そっちはさらに大変。
共通点は朝鮮や明という言葉で理性を失う。
>>30 なんだか武道系の人が多いみたいだ。
戦国の合戦は日本刀での斬り合いだと頑として主張して譲らない人が多いよね。
日本人は朝鮮・中国で皆、百人斬りしたとかさ。
日本刀なんてほとんど合戦の役には立たず、首斬り専用なのにな。
>>1 まず、弓、鉄砲、投石での遠戦。
それで崩れかけた相手へ突進し乱戦(主に槍が使われる)
それで相手が潰走すれば追い打ち、この段階で初めて騎馬に乗ったままの武者が活躍する事もある。
>>16 オタクはミニバイクでコケても絶対死なないの?
34 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 02:39
age
35 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 18:15
最強武田騎馬隊まんせー
末之青江って刀見たけどすごいよ。
ベルセルクのドラゴン斬りみたいにでかい。
真柄って人が馬に乗ってこの刀持って戦ったらしい。
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/14 19:48
奇襲がベスト
桶狭間って奇襲説否定されつつあるけど
寡兵で大兵を打ち破るなんて、一体何があったんだろう?
ものみ
40 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 17:17
>38
なにもない。
織田軍が突っ込んでいって今川軍が崩れた。義元が死んだ。
それだけ。
>38
確か今川軍は織田の各支城攻略に散ってたので
今川本陣四百だか八百に、籠城すると思われた
織田軍残存部隊二千が突っ込んだんぢゃなかったっけ。
計算高い信長は自兵が弱い事は知っていて、
相手より兵が少ないときはまず戦わないでしょう。
当方浅学の徒なうえ、最近ぼけてきているので
詳しい方訂正と解説お願いします。
43 :
無名武将@お腹せっぷく :02/09/29 19:50
今川本陣は5000の兵がいたと聞いていたが
本陣を襲った信長軍は2000程度、信長の勝利はやはり謎
44 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 19:53
>>43 信長の兵の数は五百〜三千までかなり説に開きがあるな。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 20:24
奇襲というより玉砕覚悟の強襲という説が最近は有力。
「強襲」→「今川の前軍が崩れる」→「乱戦」→
→「義元ハケーン」→「義元あぼーん」→「今川軍総崩れ」
47 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 23:28
尾張の兵が弱兵なんてのは嘘だとわかる戦いだね。
信長の戦闘指揮能力自体はあやしいね
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 23:43
>>49 う〜ん。まあ強運で勝ったような感じも強いけれど
ここに至るまでに今川本陣を手薄にさせるように仕向けた信長の策戦が勝ちに結びついたと思う
51 :
無名武将@お腹せっぷく:
>>50 仕向けてない(藁
マジでただの正面からの突撃。
今川の本陣の場所を間違えていたのでは?
という説もあるくらいだ。