関ヶ原の戦いで、家康軍って何していたの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
つうか、あの軍人のエピソードは、
”一目見て”西軍の勝利だと断じた、という部分が面白いのであって、
別に裏切りを考慮する必要も割り引く必要もはないでしょ。

必要があるのなら、それは「東軍による三成陣強襲策の成功」をもって、
「結構脆さあったんじゃねーの」という部分だと思うよ。
97無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 08:54
正則が居なかったら家康は勝利してない
それと関ヶ原で徳川軍は、ほとんど戦闘してない


98無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 08:55
>>97
出番が来る前に西軍が壊走したからな。
福島は本当に頭が悪そうなので愛嬌がある。
加藤は本気で徳川に取り入るあたりが感じ悪い。
100無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:31
>>80
少し違うな。
西軍も石田隊も小早川が裏切るまでは危なくなんてなってないよ。
島左近も負傷はともかく戦死したという証拠はない。
確かに石田隊は数倍の敵軍と戦ったが、
数日前から構築した堅固な野戦陣地と三成がこの日のために金で集めた豪傑・勇将と大砲などの重装備のために
大軍を相手に比類なき戦闘力を発揮し西軍で実戦参加した隊の中では最も遅くまで戦い奮闘している。
三成が小早川の参陣を促したのは危うくなってというより好機と見てのもの。
101無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:40
102無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:43
>>100
少しじゃない 全然違う
アフォはホットケ
103無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:47
102が一番アホにみえるけどな。
104無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:50
御意!
105無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 10:55
>>1の質問に答えると、
関ヶ原の徳川軍は三万のうち一万くらいは小早川の裏切り前にも戦闘に参加してて、
決して「手つかずの軍勢」ではなかったよ。
106無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:01
>>105
徳川の何隊が西軍の何隊と戦闘したんだ?
107無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:11
>>106
徳川前線の部隊があちこちに参加してた。
>>80
インパクの岐阜県、なつかしいね。
アレの最後の恩賞が来ないんだがどうなってるのだろう。
109無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:16
家康、相当危ない戦してるね。
負ける可能性は十分あったよね。

「金吾の小せがれにたばかられたか?」
というセリフって史実なのかな?
110無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:19
>>107
井伊隊と忠吉が抜け駆けして小競り合いをした位だろ
もっと具体的に言ってよ
111無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:21
一万は大きいな数字だと思うな。
112無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:22
>>110
悪いな2chの過去スレに書いてあった受け売りだ。
探してみる。
やはり、秀忠の遅参が誤算じゃないのかな。
家康本陣の兵も3万は、数だけで数老人揃いとも聞くし。

金吾の裏切りも最初は、毛利の様に不参加させるつもりだったのではないのかな。
松尾山自体が、三成本陣より少し離れてるし。
114無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 11:32
>>112
>>101のスレにそんな事が書いてあるような・・・
115無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 13:52
松平忠吉はこの戦いで島津の松井三郎兵衛に手傷を負わされたというのが通説であった。

このため松井の活躍は脚色され、ある講談では松井が一人で
東軍に切込みかけ、東軍を「前後ではなく左右に」100-200メートル
追い回すという冗談にもならない話さえ存在する。

しかし最近は忠吉の負傷も直正と同じ鉄砲の狙撃であるという認識に変わり
ドラマでもこれが採用された。

忠吉の格闘を「実際に見てきたように」書いた有名小説家達って、いったい・・・・・
要は、三成にも家康にも誤算がたくさんあったが
家康はなんとか誤算の修正が出来たから勝てたってことじゃない?
よく「はじめから決着がついていた」っていう人がいるが
それは違うと思う。家康にとっても一か八かのギャンブルだったはずだよ。
117無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 15:01
家康は、意外とヒステリー気質であったらしい
118無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 15:11
>>117
序盤は西軍が優勢だったのだよ。
そこで、狂乱した家康が本隊を危険な戦場に進軍させたのだよ。
もちろん、ますます泥沼に嵌って東軍は壊滅寸前まで陥ったのだよ。
さらに、松尾山を砲撃したのは、最後の悪あがきだったのだよ。
しかし、何を勘違いしたのか小早川秀秋が西軍の宇喜多隊に攻めかかったのだよ。
でも、それで東軍の逆転勝利に覆ったのだよ。
119無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 17:30
じゃあ金吾マンセーってことで
>>115
>忠吉の格闘を「実際に見てきたように」書いた有名小説家達って、いったい・・・・・

【小説】
(1)文学の一形式。散文体の文学で、一八世紀以後、近代市民社会の生活・道徳・思想を
背景に完成した。作者が自由な方法とスタイルで、不特定多数の読者を対象に人間や社会を
描く様式。〔坪内逍遥が「小説神髄」で novel の訳語として用いた〕
(2)もと中国で、日常の出来事に関する意見・主張。また、それを書いた文。
121無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 18:55
松平忠吉が島津兵と格闘したって話しはウソだったの?
122無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 19:51
>>120
歴史小説家ってさ、自説を広める為に書いてる面が非常に強いと思うよ。
完全なフィクションや現代のノンフィクションと比べて。
>>122
物語なのでいいんちゃう
124無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 00:47
だいたい小説家はおもしろおかしくして売ろうとしてるんだから信じるのがおかしい
だろう。
125無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 00:52
司馬史観つーか、司馬死姦。
126無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 01:00
その小説が発表されてからだいぶ時間もたってるしな、
新解釈が出てきても不思議でないかも。
127無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 01:04
つまり家康は喧嘩上手だったと。
包囲を逆手にとって各個撃破したと。
どっかの小説であった話だけどwまぁ理にかなってるね。
関ヶ原の見方がちょっと変わった。
128無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 20:51
忠吉萌え
129無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 15:54
島津義弘と石田三成が仲悪かったって本当?
>>129
それはない
H
132無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 10:51
三成と正則ってそんなに仲悪いのか?
七将襲撃ぐらいしか思いつかん。
お馬鹿清正はともかく。
>>132
充分すぎるほどのエピソードだと思うが。
134無名武将@お腹せっぷく:02/09/19 12:25
>>129
戦後、三成にあきれはてただけだろ?
秀秋って朝鮮攻めの総大将やってたのか・・・最近知った
136無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 07:19
小早川隆景・秀秋と宇喜多秀家がカワリバンコ
137無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 00:12
いくら身内びいきが酷い秀吉とはいえ、そんな重要なヤクに無能武将をつけるわけがない。
つまり、秀秋は結構有能な香具師だったってことだ。
138長船紀伊守:02/09/27 01:03
宇喜多マンセー
139丹羽長重:02/10/06 21:23
>>129
「歴史は動いた」で島津やるそうだから自分もその辺り知りたいです
140無名武将@お腹せっぷく:02/10/06 21:25
>>137
たしか秀秋は朝鮮ではかなり勇猛に戦ったそうですね?
141無名武将@お腹せっぷく:02/10/06 21:26
>>139
どうせ真相なんて謎なんだからNHK見ても推測の域を出ないのですけどね
142無名武将@お腹せっぷく:02/10/06 21:29
秀秋は勇猛に戦ってはいないだろう
三成の報告に秀吉が秀秋に怒っているくらいだから
143無名武将@お腹せっぷく:02/10/12 02:44
匹夫の勇ってやつか
北政所の七光りだってプレッシャーがきつかったのか
頭が弱かったのは事実だろうけど
まだ17かそこらだろ
144無名武将@お腹せっぷく:02/10/14 11:21
小早川秀秋>>>>>>>>>>>>>>>>>織田信雄

17歳くらいで評価が決まってしまった秀秋は可哀相
145無名武将@お腹せっぷく
>>142
勇猛に戦ったのに三成にいらんちゃちゃ入れられたから根に持ってたんじゃないか