大嘘です。
黄忠・馬超・趙雲は架空の人物で、蜀の五虎将とは
関羽・張飛・魏延・武安国・金旋です。
魏延: 本当は五虎将の一人。
孔明死後、政敵の費詩に陥れられ、やむなく魏に亡命しようとして
殺された。
費詩の讒言が広く信じられたため、悪人の汚名をかぶされてしまい、
その結果、蜀びいきの三国志演義では五虎将からはずされてしまった
悲劇の名将。
武安国:孔融の配下。曹操が孔融を殺したため北海で挙兵、曹操に叛旗を翻した。
曹操軍最強の武将・朱霊に破れ、諸国を放浪の後、妻の従兄弟である
楊松を頼って漢中の五斗米道に身を寄せた。
のちに張衛と馬のことをめぐって対立、蜀を占領した劉備に投降し、
漢中争奪戦で活躍、征北将軍領房陵太守に任じられた。
傲慢で粗暴な性格のため関羽と仲が悪く、孟達に誘われて魏に降ったため
三国志演義では五虎将からはずされてしまった。
魏でもその性格ゆえに問題を起こし、酔って曹休と争い殺された。
金旋: 漢の名臣金日テイの子孫で智勇兼備の名将。
劉表の食客として晴耕雨読の日々を過ごしていたが、新たな荊州の
支配者である曹操に中郎将領武陵太守として起用された。
しかし漢の名臣の血をひくものとして漢王室への忠誠心が厚い
金旋は曹操を裏切って劉備に降る。
金旋の息子の金イは父親とともに劉備に降る事はしなかったものの
彼もまた漢王室への忠誠心が厚い人物で、後に曹操のやり方に怒って
耿紀・韋康らと叛乱を企んで曹操に処刑された。
金旋は関羽や糜芳と仲が良く共に荊州の守将として活躍し、五虎将の一人に
数えられるほどになったが、その昇進を妬んだ周倉によって讒言され
関羽と疎遠になり、呉の侵攻に際して糜芳とともに降伏した。
その結果、武安国と同じく裏切り者として五虎将からはずされた。
呉の将となった後も、それを後悔して楽しまず憂悶のうちに没した。
一説には金イの処刑を聞いて、自殺したとも言われている。