それがしには会稽王としての諡しかない
呉帝だったのだがな・・・
それがしが孫[糸林]と共同で孫峻を謀殺したとかいうサイトを発見したが
その様な事実はないと記憶しておるがな
孫峻は自然死であるし墓を暴いたのもそれがしの命ではない
大体それがしは会稽王としての諡しか無いのだぞ
孫[糸林]が全て悪いのだ
会稽王もクソも、FQm7tOlM自体スレ主の器では無いと思うが?
むうまた損権か・・・
悪い事は云わん、消えてくだされ
夏も終わりだというのに損権しかいないのは異常である
そのうち上げてみるがこれではな・・・
損権は雑談しかしないし困ったもんだ
平和だからいいじゃん
あっそうそうage無い方がいいよ
漏れんとこ夏休み終わったらage進行に戻すから
数学板太守にならんか?
思うに
損権は三国志ネタ振れないから全く面白くないな
三戦に居る意味無し
思うにFQm7tOlMのレスはネタも無くて真面目すぎて面白く無いな
ネタの三戦での存在価値が無いな
そろそろageるとしよう
ルールは
>>99だが呉末期(孫亮〜孫皓)限定で頼みますぞ
あまりに盛り上がらぬのでプレイ日記でも書いてみるか
読みたいのが居るとは思えんがな
所でNHKの桂林特集を見ている者はおるか。
あれぞ正しく呉を象徴する街の佇まいであるな
番組では秦代にしか触れていないので寂しい所ではあるが
むかーしむかしあるところにそんけんちゅうぼうとなのるつうしょうにちゃんねらーが
いましたこのおとこはいつもいつもたにんのいやがることばかりしてかのじょどころか
ともだちすらいませんいつもいっかそろってにちゃんねらーのなにはじぬかつやくぶりを
してるそうな
めでたしめでたし
魏延は相手にしない方が良いぞ
そうだな
誰だよ魏延ってな
孫権ネタでもあまりウケないのに孫亮なんて記述も少ない人間がどうやったらウケるのかそのわけを説明してくれよ>会稽王
仕舞った桂林特集見逃した・・・
幾分そなたのせい
>>157
>>158 CaptyTVでも使え
これがあるとPC起動してCaptyTVを起動しておけば必ず録画出来るぞ
あと予約もネット上からすることができる
29800円程だから買ったらどうだ?
161 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 14:41
損権の他人のスレ荒らし証拠あげ
162 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/23 15:05
孫権後の呉などだれも興味無いのか・・・
>>164 ここに来る人は貴方と孫権以後の呉を語りたいのでは無く呉ネタで馴れ合いたいのだよ
つまり孫権後の呉の興味が無いんじゃ無くてお前にないの
わかった?
166 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/24 03:25
損権の他人のスレへの嫌がらせ証拠あげ
相変わらず損権しか来ないな
168 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 10:36
損権の陰湿な嫌がらせの証拠あげ
損権は自分のスレの事を云っているらしいので説得力ないし
大体それがしにこのスレに来るなといわれても
しつこく来る様な女々しいスレ主だから叩かれるのだぞ
今度孫亮で三国志プレイ日記でも書くので宜しく
史実通りにはならんと思うがはてさてどうなる事やら
時は252年。
魏、呉、蜀の三国がそれぞれ国を安定させて久しい年月が流れた。
三国初期に時代を彩った英雄達は既にこの世に亡く、時代の流れの中でそれぞれの勢力が代替わりしつつある。
魏王曹操の曾孫にあたる曹芳を主君とするが、次第に中央への司馬家の台頭が著しくなって来た「魏」。
漢の皇祖劉邦を祖先とし、後漢復活を旗印に勢力を維持してきたが、稀代の奇才諸葛亮を五丈原に失い空洞化が進む「蜀」。
小覇王と呼ばれた兄の孫策より数えた時代の中で、勇将智臣を次々と失いつつも、齢七十一を数える孫権を君とする「呉」。
呉の首都であり、人口44万余を擁している、建業。その都を守るのは、なんと弱冠10歳の、右も左も解らぬ人物であった。
この頼りなさげな太守こそ、孫権の息子であり、名が亮、字が子明。逸話を残し明主と謳われ、史書には会稽王として名を残す孫亮その人である。
父・孫権は、中立都市である広陵に、全[示韋]、全端、張布らと遠征に出かけていってしまった。
ちょうど残されたのは、孫亮の他に、諸葛恪、孫[糸林]の二名。両者とも劣らぬ曲者である。
はたして、この若輩太守の運命や如何に・・・・・・
孫亮は確かに弱輩だが、何といっても孫権の息子であるので、そこそこの名声を有している。
しかし、やはりそれだけでは足りない。より人脈を築いておかなければ、孫権の後継とはなれないであろう。
更に孫亮の行動如何では、後継どころか、会稽の奥地に飛ばされてしまうかもしれないのだ。
「それがしはまだまだ若い。時間はある。今から人脈を築いておくとするか」
孫亮はそう思い、先ずは孫[糸林]の元へと向かう。
「おう、うら若き太守様よ。よく来た。丁度会いたかった所だ。まあ座れや。」
配下ながらも、孫亮より遥かに年上の孫[糸林]は、そう言って主を迎えた。
「恐れ入ります、叔父上。実はそれがし、太守として何をすれば良いのかよく解りませぬ。
頭では解っていても、いざこうして一都市を任される身となると。
百戦練磨の策士である叔父上なら、何か良きご助言を下さるのではと思い、こうして参りました」
孫亮は、年上の孫[糸林]を相手に、丁寧に教えを乞おうとした。
「ふん、良かろう。教えてやる。都市を守る事、それだけだ」
孫[糸林]は一言こう言い放つと、不機嫌な顔をした。
「あの、何かお気に障る事を言いましたか。済みません」
孫亮のその口調が、彼の気を一層逆撫でしたらしい。彼はいきなり立ち上がるとこう言い放った。
「とっとと失せろ。耄碌爺の糞餓鬼が」
孫[糸林]は、自分を太守としなかった孫権に対して腹を立てていた。
諸葛恪は兎も角として、年齢的にも自分の方が太守に相応しい筈。
なのに何故孫亮なのだ。まだ子供ではないか。
その感情に、追い討ちを掛ける様な孫亮の来訪。
太守として何をすればいいかだと。ふざけた事を抜かす。
孫亮は、半ば追い出される様にして孫[糸林]の元を後にした。
孫亮は、孫[糸林]の元からの帰り道に一人悩んでいた。
孫[糸林]は曲者だと、遠征出発前の父より聞いていたが、
それを現実に見せつけられると、流石に年若き孫亮には堪えがたきものがあった。
「・・・次は諸葛恪様の元へ行ってみようか・・・」
またぞんざいに扱われでもしたら如何しようか、などと思いつつ諸葛恪の元へと向かう。
「よくいらっしゃいました、孫亮様。今日はどの様なご用件で?」
「実は・・・」
孫[糸林]に言った事と、ほぼ同じことを、齢五十を数える諸葛恪に対して相談した。
「ほう、お解りになりませんか。貴方の父上は対魏の前線に出られたのですぞ?
儒教にもあります。親を助けるが子の務め。太守としても同じ事ではありますまいか?」
「成る程、そうでした。いやはや、お恥ずかしい限りです」
「しっかりなさい。仮にも呉都の太守である貴方がそんな事で如何するのです。
そんな事では皇帝である父上に顔向けが出来ませんぞ」
諸葛恪に、助言とも戒めとも取れる言葉を貰い、孫亮はその場を後にした。
「そうだ、それがしは太守なんだ。しっかりせねば」
いきなり史実と違うな。済まない
続き期待保守
建業の南に位置する、翻陽。
そこの太守である太史享は、かつて「呉に太史慈あり」と謳われた人物の息子であり、
父と同じ屋敷で養育され、今では越騎校尉という位を持つ、立派な人物である。
当然の如く、そそうを犯す事は許されない。孫亮は、供の者を何人か付けて、太史亭の元へと向かった。
「一体何奴だ?」
太史享は、自らの前に立つ年端もゆかぬ人物に、やや訝しげにこう言った。
無礼なとはやる従者を下げ、孫亮は目の前の人物に対し自ら自己紹介を行った。
「孫権が子で建業太守の孫亮と申します。太史享様でいらっしゃいますね?太守就任のご挨拶に参りました」
「おお、そなたが・・・そうとも知らず申し訳ない。ささ、上がられよ」
「こちらの方こそ、不躾にお邪魔してしまって申し訳ありません」
孫亮と太史享、この五十数年も年が違う太守同士は、夜遅くまで色々と話し合った。
「ご覧の通り、ここ翻陽は何も無く、都市を治めるそれがしの元には、配下とて誰もおりません」
「・・・」
そう話す太史享の姿に、孫亮は一抹の寂しさを感じた。太守とはいえ・・・
そしてその後も孫亮は、呉太守華覈、会稽太守楼玄、
月が替わって柴桑太守薛瑩と、楊州の太守に挨拶回りに出て行った。
皆、見知ってはいなかったが、初対面の孫亮を暖かく迎えてくれた。
楊州回りを終えた後は荊南・長沙太守魏バク、桂陽太守トウ胤と回った所で、流石に疲れてしまった。
「情け無い・・・いくら州が違えど、まだ呉領の数都市しか回っていないではないか・・・」
そして、太守として、また人生始めての評定を迎える事になった。
呉太守は胡沖になり、桂陽太守はトウ脩となった事が、建業の評定前に孫亮に知らされた。
「それでは・・・評定を始めます。何か意見のある者は遠慮なく申して下さい」
しかし、誰からも意見が出ない。魏や蜀の様子も不明なので、孫[糸林]に偵察に行かせる事にした。
「叔父上。魏との前線都市、下[丕β]に偵察に行ってきて貰えませんか?」
「おお、心得た。」
しばらくして、偵察に行かせた孫[糸林]が戻ってきた。
「ただいま戻ったぞ。下[丕β]は太守の司馬[イ由]を筆頭に、参謀の司馬師、以下は毋丘険、許儀、周旨、・・・」
司馬師・・・だと・・・・・・
孫亮はその名を聞いた所で思慮を巡らせた。死亡報告が無いのでまだ存命であろう司馬懿に次いでの司馬家の参謀ではないか・・・。
「・・・馬鈞、張特、以上だ。おい、聞いているのか?」
「・・・は、はい。解りました。お疲れ様です」
「しっかりしろよ、小僧。・・・だから俺が太守になった方が・・・」
孫[糸林]が、またぶつくさと文句を言い始める前に、諸葛恪が彼をさえぎって言った。
「太守様の方から何も無いのであれば、今回の評定はお開きと致しましょう」
「・・・評定は解散と致します。何か望みの仕事はありますか?」
孫[糸林]は商業を望み、諸葛恪は補修を望んだので、その通りに仕事を与え、夏期の評定は解散した。
評定が終わっても、孫亮は一人考えていた。司馬家直々に前線に来るとは・・・
「父上に大事が無ければ良いが・・・」
178 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/13 15:19
donteru! fa
リプレイは難しいな。時間も暇もないし。まあその内続きでもアップするとしよう。
一時500台まで落ちていたから読みたい者が全くいないというのは解ったが
助言するわけじゃ無いけど同じ事やってる他スレをもっと見た方がイイヨ
つーか、見たことある?
なんらかの形で常連が付けられない事にはほの板にある誤と同じ運命(=滅亡)をたどることになるよ
スレの魅力で常連をつけるのが難しいと思ったらあちこちに投稿して自分とこのスレの存在感を重くするんだ
いつも下がっていて存在も知らない、ペースも遅すぎるでは気付いた時にはスレが無くなっているかもしれないぞ
181 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/06 01:44
損権の嫌がらせ&勘違いage
損権って何が目的でインターネットしているんだろう?
激務から解放されたので
久しぶりに明日三国志8でもやるとしよう
リプレイも孫亮の死までは続けねばならんしな
例え読みたい者が誰もいなくともな。
といいつつ全くやってないそれがし
まあ、その内書くつもり
252年4月
孫亮はまず宮城へ向かい、
諸葛恪、孫[糸林]と二、三言話した。季節も夏へと変わり、2名とも少しは太守孫亮を認め始めた様だ。
建業における蓄えは現在、兵士480人、金1万飛んで1225、兵糧14万飛んで6489。
呉都としては決して羽振りがよいとは云えない。そして、相変わらず前線からは音沙汰すら無い。
「それがしも、矢張り一度は前線に出て、父上をお助けしたいものだ」
そう思った孫亮、今月は自宅にて鍛錬に励む事にした。
「さて、何から手をつけようか・・・」
剣を振ったり馬上で矛を振るったりするのは、病弱な孫亮では出来そうもない。
やはり学問を少しでも極みに近づける努力をするのがせいぜい出来る事であろう。
孫亮は従者に兵書や学問書などを持ってこさせ、7月の評定までの間、独り勉学にいそしんだ。
そんな6月のある日。
孫亮が勉学の合い間に都市内を見物し、帰宅しようと酒家の前を通り過ぎた時、道端で寝ている民を見かけた。
「あの者の様子が変だ。一寸見て参ろう」
従者が慌てて、
「なりませぬ!孫亮様、あれは只の酔っ払いにて、関わり合いになると面倒になりかねません。
それよりも、早く帰宅し教養など学ばれるが得策かと」というが、
「いいや、何か病に侵されているのかもしれぬ。放っておく訳にもいかぬし、
孫亮もこう返し譲ろうとしない。困った従者は、
「それなら私が見て参りますので、孫亮様においては他の者とともにご帰宅なさって下され。」
といって何とか孫亮を説得し帰宅させた。
後に従者は軽症を負ったが、それは孫亮の知らぬ所である事はいうまでもない。
太守孫亮、就任後2回目の評定を迎えた。
「さて、お二人とも何か意見はありますか?」
「広陵の金、及び兵糧が不足しているようです。ここは私にお任せくだされ」
と諸葛恪。
「いいでしょう。頼みましたよ」
しかし、一部は賊に奪われてしまった。
「・・・・・・」
場を気まずい沈黙が襲う。
孫亮は今期、2名ともに治安を命じた。やはりしっかり輸送して貰いたいが為である。
次の評定まで、孫亮はひたすら本を読み、学を深めていった。
そして、評定。
今回は、広陵へ金1万相当を1年以内に送るよう命じられた。
そこで孫亮は、今回金5千余の輸送を孫[糸林]に任せる事にした。
幸い、孫[糸林]は無事全額を広陵に送る事が出来た。
が、諸葛恪の兵力増強の提案を蹴ってしまったので、後でその事を詫びにいかなければなるまい。
今回、孫亮は2名の提案通りの仕事を命じ、評定を解散とした。