1 :
むっちゃファン:
三国志史上
蜀の劉備玄徳を支えた名軍師について大いに語りあいましょう。
有史上最強
阿斗様〜・・・勘弁してくださいよ〜
って気持ちだったと思う。けど、それを口に出さなかったからエライ!
どっかの官僚とはエライ違いだ!!
三国志(正史)史上一流の政治家
三国志演義史上最強の軍師兼政治家兼仙人兼発明家
5 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 00:42
無双技が超ツカエン!
>>1 字は名を直接呼ばないためにあるもの。
文章に書くときは例外もあるみたいだけど、
原則的に名と字は一緒に使わないので、
「諸葛亮孔明」みたいに姓+名+字で人名書くと、この規則にうるさい人に叩かれるから
「諸葛亮」みたいに姓+名か、「諸葛孔明」みたいに姓+字で書いた方が無難だよ。
7 :
むっちゃファン:02/07/07 21:04
>>6 じゃあ「劉玄徳、関雲張 張翼徳、趙子竜、曹孟徳」なん?
↑変やない??
>7
ちっとも変じゃない。
9 :
織部箸にました ◆RqJLqvX. :02/07/07 21:07
>>6 出た田中芳樹信者が!キモっ!
ここは日本なんだし、日本風に呼んでも問題ないと
秘本三国志の作者は言ってたぜ
10 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 21:07
うわ!
>>1キモ!なんだこのリア厨は!
悪いことは言わないから2chなんて来ないほうがいいよ。君の為にも。
>>7 何だそりゃ。どういう基準で変なんだ。
関雲張は、確かに変だが。
>>7 変だね。馴染んでないからね。
でも定法では
>>6の言う通り。
しかし本人たちや、小説などの表記なら雰囲気を出すためにも
必要かもしれないけど、あとは通称でも分かり合えればいいよね。
そもそも略字なども多いんだし。
どーでもいいが、あまり劉備を支えてない。
劉備死後の蜀を支えはしたが。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/07 21:19
関羽ウンチョ
>>9 あ、多分そう言われるだろうなぁと思った(笑
1が叩かれたら悲惨だなと思って叩かれない書き方を忠告しようと思っただけだってば。
現代においてどう呼ぶかは漏れ自身はどっちでも良いと思う。
ただ当時の考え方からすればおかしいってだけで。
ちなみに漏れは田中芳樹の作品は一冊も読んだこと無いよ。
んで、諸葛亮のどんなところについて話すのさ?
彼は何故四輪車なんかに乗っていたのか?について
>19
車道楽だったんでしょう。
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:17
臥龍あげ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:24
>>19 足が悪かった?
動くのが面倒だった?
ダイゴローになりたかった?
23 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:26
四輪車になんか乗ってたか…??
24 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:28
>>23 漫画では乗ってたけど・・・
なんでなんでしょ?
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:30
名前をどう呼ぼうが別にいいんじゃない
相手に伝わればいいでしょう
そんな小さいことを・・・>6
26 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:33
27 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 19:33
飛脚駕籠に乗ってる孔明は嫌だ。
28 :
馬岱@お腹せっぷく:02/07/10 19:57
>>25、28
だから漏れ自身はどっちでも良いと思うって
>>17で言ってるんだってば(苦笑。
ただ、そこにこだわって叩いてくる人もいるから気をつけて、って言いたかっただけで。
>>26 当時にあっては大きなことだけど、現代においては些細なことでしょ。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/15 23:42
信賞必罰
シャッシャホウ
31 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/15 23:46
仲達に勝てなかった孔明は逝ってよし!魏延の作戦を採用いれば・・・。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/16 02:19
人材を集められなかったのはショボイ。君主としては劉備>>孔明
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/16 08:38
>>32 別に君主ではないだろ。
あと孔明を責めるなら「集められなかった」ではなく
「人使いが下手」だろ?
(集められないのは益州に押し込められたせいもあるし)
諸葛孔明は、確かに有能な人だったと思う。
ただし、それは小さな組織内でのことであって、大きな組織
向きの人ではなかったのだろうと思う。
つまり、中小企業の専務として、少ない人を効率的に動かす
ことはできたが、大企業の専務として、大人数を動かす能力
はなかったのだろう
>1
彼が支えたのは劉禅
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/20 05:48
法正や庖統が生きていれば、独裁政治をする必要は
無かったのに....
39 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/07/21 11:53
孔明なんてカス野郎はどうでもいいのじゃ
孫権について2chを珍走する勢いで語ろうぜ>40
40 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 12:00
孔明・庖統は劉備がいなかったら分裂する
41 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/07/21 12:06
>>40 貴様、余は放蕩や項姪を語れといっとらぬぞゴルァ
おとなしく孫権の魅力について珍そうする勢いで語るのじゃ!!!
42 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 12:11
>>41 スレタイも読めないのかよ( ´,_ゝ`)プッ
43 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 12:18
おもしろいやつだよな>厨房
44 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/07/21 12:29
45 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/21 12:32
じゃあ、孫権vs諸葛亮
46 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/07/21 12:43
>>45 風貌 特異な孫権の勝ち
生活 長生きした孫権の勝ち
内政 治めている面積の広い孫権の勝ち
武力 14から前線で戦い続ける孫権の勝ち
統率 逃げるが勝ちで孫権の勝ち
勝負にならんではないか
47 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 02:49
>>46 でも普通の一般人には、孫権よりも孔明の方が有名だから孫権負け
この前「教科書に載ってる人名ランキング」ってのを見た
20冊の教科書でどの人物が何冊に載ってるかっていう世界史受験対策の本なんだけど別に漏れは受験生ってわけでもない
三国志の人物で1位は司馬炎だった(17〜18)
2位は同率で曹操、孫権、劉備だった(数忘れた)
諸葛亮は5位
以外にも関羽と張飛が載ってる教科書も1冊あったらしい
でも諸葛亮ってそんなに有名なの?初めて横山の読んだとき諸葛亮知らなかったから「なんだこいついきなり出てきて態度デケーなぁ」って思ってたヨw
ただ単に孫権の方が有名だと思ってたって言いたかっただけなんだけどね
49 :
損権厨房 ◆eUbtZCI. :02/07/22 11:26
>>47 ぐっ
俺が孫権を知らぬ物無きにする必要があると言うことか?
教科書で諸喝亮より孫権が多いのは当たり前なような気がする
孫権と劉備は一応皇帝で国家体制と言うものを持っていたけど諸喝亮はただの内政官
余程で無い教科書には限り乗るわけ無いかと思われ
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/22 11:48
BF団指揮ってる奴ですな
51 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/25 15:44
損権厨房 ◆eUbtZCIちゃんって、モ板でよく見かけますね。
>>6 ↑は正しい
「諸葛亮孔明」←なんて書き方するの、恥ずかしいよ(勉強不足って思われるよ)
確かに日本では「劉玄徳」「関雲長」なんて書き方しないから
続けて書きたいときは、
「諸葛亮、孔明」「劉備、玄徳」「関羽、雲長」
「諸葛亮・孔明」「劉備・玄徳」「関羽・雲長」
って書けば、つっこまれずに済むよ
身
障
必
罰
54 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/26 13:29
車椅子の乗ってばっかの孔明って身障なの?
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/27 09:38
で、1はどこいったのよ?
>>34 見当違いハナハダシイ( ̄□ ̄;)
>>46 それにヒキカエ〜この方の着眼は面白いo(>▽<)o
ワレ・・キサマ・・・タヲス
こうすればいいと思うよ
↓
諸葛亮(孔明)
劉備(玄徳)
曹操(孟徳)とか
親よ( ̄□ ̄;)
てめ〜が立てたレスットには・・・・・責任持ってよ(-_-X) 作って捨てるのは止めろ(-_-メ)
姓名・字の関係は著名な作家ですら未だによく間違えている。
一見、どうでもいい事だが、それが我慢ならない人や、
その無知を指摘したくなる親切な人がいる事が解っただけでも
1はこのスレを設置した意義がある。
しかし読者としてはそれだけでは物足りない。もっと多いに語り給え
>>1
↑
に同じく
頭にくるから
まだ書きました
(-_-メ)
63 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/03 20:15
ゴンミン
諸葛亮孔明が三国一だと思います。
少ない兵力で夏候淳を屠り、
赤壁で東南の風を起こして魏を一方的に屠り、
軍事面内政面全て三国志至上最強です。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/03 20:25
10傑衆束ねる采配は伊達じゃない。
演義厨キモイです。
正直このスレいらねえと思われ・・・
似たような内容のスレ探せや
>>1
ワレ・・キサマ・・・タベル
>>66 ツッコミどころを間違えるな
>夏候淳
ココだろ
>>60 あのヤジルシ(↑)はあなたへではないからm(_ _)m
自分(59)に言ってるから!!
孔明の魅力は演義にあらず!!
政治家(人柄)の孔明に魅力あふれて〜無限大(≧∀≦)
上げ
イメージ秀才だけど,とんでもない天才と思う。
でも,この人にしかこの人の戦法使えなかったのでは?
だから,理論的に伝えられなかった一面があったんでは?
後継者が育たなかったのは彼流を使いこなせなかった・・・・?
75 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/15 21:46
孔明は石田三成とそっくりだな、戦は得意でもなければ不得意でもないが政治手腕は一流だったり。
義理堅かったり、主家への忠誠心が厚かったりする所や、
魏延や豊臣政権の武断派に嫌われる辺りも良く似ている。
>>75 って・・・・・きょい と三成で同じと思わない? 戦抜きに考えると
77 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/15 22:36
ここは正史ベースですか?演義ベースですか?
妖術を使う諸葛亮とそうでない諸葛亮では全然違ってきますぜ
>76
きょいってキョウ維の事?だったら、違うと思う。
キョウ維も確かに主に対する忠誠心は厚かったんだろうけど、政治手腕とか皆無だし。
自分はキョウ維の忠誠心に好感は持つけど、結局は勝算のない玉砕と同じ。
キョウ維のやった事は原爆落とされた後ですら主戦論唱える奴と一緒といえる。
なんかここでいろいろ言われてるけど、朕は自分でも伯約のことを考えてあげる気持ちが足りなかったなって反省してる
朕が誤解されるような降伏をしたばっかりに、朕を盛り上げてくれた家臣のひとたちや伯約、その他、多くの英霊に迷惑をかけてしまったこと、深くお詫びします。
あのときあの降伏には、勝ち目のない無謀な闘いをして民を疲弊させたくなかったんだ、朕の意地のせいで民が傷ついちゃうんだよ?
無謀な闘いしていいの?闘ってる余裕なんてないよ、朕が敵国に連衡されても皆がんばろうよ、って思いがほんとうは
込められてたの。あっさりとした言い方でそれが伝わるはずない、それがわかんなかった朕はホントばかだよね。朕は伯約を傷つける
気は全然なかった。しかも蜀漢再興を掲げるなんて朕自信もすごくショックで、言葉が出ない。伯約に本当に心からあやまりたいです、
ごめんなさい。そしてこんなバカな朕だけど、
これからも応援してね。みんなほんとにごめん。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/16 00:00
>79
さぞかし蜀が懐かしいことでござろうな?
キョウイは確かに爆走しすぎた感はある。
ところでその頃の有能な文官って誰かいた?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/16 00:06
>81
ゲキ正
84 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/16 19:09
今更・・・
≫80
いやいや2chは楽しい蜀が懐かしいとは思いませぬ
86 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/16 20:34
名軍師だなんて買被り過ぎだろ?
軍事がヘタなインテリだぜ
>85
コウコウ殿の言いそうな台詞ですな
巨大国のギ 大国の呉を相手に負けイクサがなかったことでも〜価値はあった(-_-メ)
89 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 11:55
司馬懿は戦闘では孔明に打ち破られているよ
>>86 王双や張コウも討ち取っているし
90 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 12:12
過大評価されても、誇張されても。
当時の一国の宰相なんだし、有能な人とであった事は間違いない。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 13:57
歴史の確認してるだけじゃん・・・・
くだらねー・・・
もっと面白い意見言えないのかよ?
92 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 18:31
93 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 20:21
孔明は政治家に徹するべきだったんだ。軍師として一軍を率いるには荷が重かったのかな?
戦術を練って敵を苦戦させるのは容易だったんだけど、元来は
武力に優れた人物じゃなかったから、いざ実行となると…ちょっと。
あとは性格が戦国の世にしてはあまりにも誠実すぎた。
もっと残酷な顔を持っていれば劉禅を追放して自分が皇帝になれた。
ま、蜀が生き残れたかは別。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 21:19
大軍を指揮できる人材が居たら、北伐はその人に任せて、
諸葛亮は李厳の仕事(後方支援)に徹するべきだったのだろう。
結局、彼は張良でも韓信でもなくて、ショウ何タイプの人材だったのではなかろうかと。
ちなみに劉備が死に際に「劉禅がアフォだったらお前が即位しろゴルア」と言ったが、
あれは君主が死に際して、幼い後継者を重臣に託すときの決まり文句みたいなものなのではないかと思われ。
例えば、孫策も死に際に張昭に対して同じようなことを言っている。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 21:23
架 空 の 人 物 w
96 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 21:24
>94
孫策の遺言は呉の人間が「劉備・諸葛亮」の逸話に感化されて
捏造した話だと思う。(陳寿は「呉書」でこの話を採用していない)
関係ないが、「後出師の表」も呉の人間による捏造の可能性が
低くない。
やっぱホウトウがいきてればなぁ、とか。
ジョショがいかなきゃなぁ、とかにいっちまうなぁ。
どっちかいりゃ諸葛亮は内政やって宮廷にも手ぇ出してたんじゃないかと思ふ。
>>96 確かにソースは「呉暦」だ。捏造の可能性がある。
しつれいしますた。
54才で死んだことは当時なら平均的であろう(-.-;)
三兄弟(リュウビーカンウーチョウヒ)の早死により 孔明 の戦略野挫折につながった(ToT)
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/17 23:19
誰々がいたらという議論もあるけど、
劉備が重用した李厳とか、自ら「ホウ統と共に良臣」と称したリョウ立を
もっと、うまく活用すべきだったいうことも出来ると思う。
人材活用に関して言えば、陳寿は「楊共伝」の中で誉めているんだけどね。
やぱーり、馬ショク起用は彼のミスだったのだろうか。
ところでなーんで街亭取られただけで全軍撤退するハメになったわけ?
取り返せばよかったんちゃうの?そこんとこ誰か教えて
103 :
(−−メ):02/08/19 23:56
やはり、問題は人材不足につきますな。
もう少し、人材がいれば、孔明も戦をまともにできたはず。
仕方無しの戦だったんじゃないだろうか?
孔明がそれほど戦ベタだったわけじゃないと思う・・・
街亭を失うってことは・・・・・食料が遮断されるから(-_-メ) 前線はじんそくな退却ざるえなかった(>_<)
ですよねぇ??
捏造(ネツゾウ)って〜いえば
黄金の腕〜すげ〜捏造したよなぁ(ToT)
だいだい日本が中国とかたを並びたいから歴史を無理にさかのぼろうとするからわるい(-_-メ)
何光年たっても日本の根(由来)は中国からだ(-.-;)
もちろん・・・・・捏造最低だ
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 19:39
孔明は劉備の戦闘での指揮能力を頼りにしてたんだろ?
外交、内政は孔明、戦闘は劉備のはずだったんだけど劉備はヘマやって逝っちゃったから…
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:13
ってかさ、伏竜、鳳雛いずれがを得れば天下とれるみたいな事言ってたのに、
両方いて、天下とれなかった劉備ってどーなのよ?
108 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:30
使う器量が無かったのよ。
ホウスウ殺すの間接的に劉備だし
天文読みで孔明に嫉妬したとか多々ある漫画には
描かれているけど、たいした人物じゃーない
109 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:33
>>102 街亭の守備兵力(落した兵力)は半端じゃないそうだ。
とても蜀では短期間で落すのは無理でしょう。
元々少数の兵力で防衛する予定の中々の要害だったらしいし。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:35
でも曹操の評価は明らかに劉備・関羽より低いな。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:37
嫉妬はありえるかも。
蜀征伐が成功していれば、孔明なんて、
孔明亡き後の蜀の宰相達やトウシと同レベルで語られてたと思われ。
功績に差がありすぎ。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:39
劉備は戦って負けた相手が呂布とか曹操とか陸遜とか
Aクラスのヤシばっか
Bクラスかそれ以下のやつには大抵勝ってる
正史じゃ劉備は「武勇に優れる」と同僚や敵将から評価
されてる
謀略だって曹操や袁紹を軽くだまくらかす程
だから魏略に「蜀には劉備しかおらんと思ってたから劉備が
死んでもーだれも出て来ないよねと思ってた」とか書かれてたし
誰も出てこないと思ってたら孔明が出て来てびっくりして
三郡が速攻で落ちた。
これ全部劉備の七光り。
南征以外の孔明の軍事的な成功は劉備の七光りで落ちた三郡だけ。
劉備マンセー
113 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:41
バリバリの文官の割には、馬謖がアホやった第一次北伐以外は、
曹真とか司馬懿みたいな生粋の武将相手に少なくとも戦術的には互角に戦ったんだからあんまボンクラでもないんじゃないかと>孔明
114 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 20:43
人を見る目が無い=孔明
宰相としてはそれだけで失格
>>113 んで馬謖を斬ったわけで「泣いて馬謖を斬る」の故事ができたのだが、
孔明は馬謖を斬ることで泣いたわけでない。
劉備が生前から馬謖を「大事を任せられぬ」と言われてたのに
あんなことしちまったから、そんで泣いたんだね。
あんなボケナス斬ることの何が悲しいってんだ。ねぇ。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 21:02
>>115 だね
様々なifが考えられるといっても、
冷静に考えて多少なりとも長安攻略の可能性があったのは第一回が最初で最後だし
117 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 21:12
孔明が史実に記載されてるのは「蜀史」くらいだろ。
実際はどーなのよ。マイナーな一家臣レベルだろ。
創作の権化(BY NHK)。孫乾以下。
本当に有名な武将なら他国の書誌にも出てくるだろ。
118 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/20 21:32
119 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 21:38
劉備からもビジク以下の扱いされ立てたらしいし。
ビジクの評価が高かっただけだろうけどな。
120 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/20 21:41
「三顧の礼」も創作だしね。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 21:43
子仲>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>孔明
孔明がいなくとも蜀は建てれただろうが、子仲がいなければ途中で死んでる。
ビ夫人が正史にあるならビジクは義理のアニキだしなぁ。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 22:32
孔明の凄い所
1:政治家として、非常に有能だった。
2:民衆からも北伐を幾度も繰り返したのに慕われた。
3:劉禅からも慕われていた。
4:親父を罪に落とされた陳寿も尊敬していた。
孔明のしょぼい所
1:人を見る目があまりなかった。
2:無謀な戦略構想だった。
3:戦術もたいした事がなかった。
4:バシバシ、家臣を処断する恐怖政治を行った。
しかもホモっぽい
125 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 22:40
孔明という人物は人を見る目が無いというよりは、人に期待を持ちすぎるのだろう。
蜀史以外でも、孔明は伏竜として、一応全土に名を馳せている・・・
実力はあっただろう、でも、非情さが足りなかったと思われる・・・
劉備という人物のイメージに傾倒したところからみても、そういうヴィジョンが
あったのだろう。
126 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/20 23:10
水鏡先生「臥竜か鳳雛か。そのうちの一人を得給えば、おそらく、天下は掌にあろう」
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
冫、 < あっそー
` \_____
劉備
127 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 23:14
孔明最大の失策は己を過大評価していた事だな。
勿論、決して無能な人物じゃないんだが、自己を過大評価しすぎだ。
その点で、孔明に最も似ている人物はスターリンかロベスピエールだと思う。
政治家としては有能、彼の存命中は不平不満がなかった、そして恐怖政治といい上記二者にそっくり。
128 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/20 23:29
博望破の戦い、長坂破の戦い、荊州平定、蜀の奪取
実績に孔明に殆どなし。素チン寿の「演義」は史実ではないのにな〜。
「魏史」には鼻糞程度の登場のみ。
博望破の頃は孔明はまだ幕僚になく、長坂では曹操に追われて逃亡するのみ。
防いだのは武将だったことは周知。益州の簒奪も、孔明が出てきたのは成都奪還の
時だけ。孔明は事実、北伐までほとんど軍事を担当なし。孔明が遠征を始めた時、
魏では「劉備以外に人物はないと思っていたから」言われ、その北伐もあのザマ...
129 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/20 23:49
ペッ! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
冫、 < あの無能のことは、知ってらー
` \_____
魏延 様
130 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/20 23:56
仮に孔明と仲達が逆の立場だとしたら、何か大きな変化は起きただろうか?
刺されテル
>128
そんないいとこ全然ないやつがなんでジョウショウなん?
134 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 00:38
>孔明の凄い所
1:政治家として、非常に有能だった。
2:民衆からも北伐を幾度も繰り返したのに慕われた。
3:劉禅からも慕われていた。
4:親父を罪に落とされた陳寿も尊敬していた。
2と4は恐ろしく凄い事の様な気が・・
諸葛亮の政治の基本は信賞必罰。
どんなに小さい罪でも必ず罰し、どんなに小さい功でも必ず賞した。
悪人は法を恐れ、善人はますます励むようになる。
しかも厳しいだけではなく、温かい思いやりがあり、私心など全くなく国のために尽くした。
この姿勢が、諸葛亮の敬愛された一番の理由。
諸葛亮って劉禅派の人間なのかね?
あの慕われ様は劉禅が皇帝になる前から色々あったに違いないと思うんだが
まぁあととり該当者が劉禅以外にあんまし考えられないからなんだか考えにくいが「諸葛亮がいたからこそ跡目争いが起きなかった」という考えもできるね
劉封殺すように言ったのも諸葛亮だったっけ?
137 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 11:32
孔明が例え、表立って何もしてなくても、裏で劉備軍を支えたのは事実だろう。
少なくても、劉備と孔明が出会ってからの劉備軍の戦略は孔明の思想から成り立ってる。
そして、劉備、関羽、張飛の暴走がなければ、天下統一も夢ではなかった。
元をただせば、関羽の暴走から蜀の衰退は始まったのだ。
並みの武将なら、あそこまで国を修正できやしなかった。
孔明はやはりすごいと言わざるをえないのだろう。
軍師と言うより、丞相。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 12:09
君主に後事を全権ごと任され、目の黒いうちには7倍もの国力を誇る
魏を寄せ付けなかった。
またありとあらゆる分野に精通し
事実上NO1でありながら私心で国を動かすことなく
自らも必死で政務、北伐に尽力した事。
恐らく、周りの人間も彼の悲壮感と高潔さに共感していたと思われ、
だからこそ国がもったと思える。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 12:15
>>138 それ!それが一番的確な表現だと思う。
つまり軍師はホウ統、法正、馬良で良く、国家に関わる全てを
統括する大才が孔明でよかったんだと思う。
陳腐な言い回しだけど、蜀の最大の弱点は人材不足だと思う。
もし、優れた軍略家が魏並にいたら魏を倒す事は出来なくても
少なくとももっと繁栄し長続きしたに違いない。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 12:28
ところで、北伐の時の蜀軍の実際の兵力って最大どれくらいだったのかな?
実際はもっといたらしいが、把握できてた蜀の人口って100万弱でしょ?
いいとこ純戦闘員3〜5万が限界だったと思うんだけど
そういや蜀の軍師って早死にが多いね
しかもそのうち二人は担当した戦いで戦死ときてる
諸葛亮には軍師はいなかったの?
それとも軍師無しで一人でやってたの?
昔の劉備みたく
143 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 16:40
馬良は劉備のせいで死んだ・・・
鳳統も劉備の代わりにテキロにのって死んだ・・・・
感情で戦をする事が多かったからだろうか?
孔明は上手いか下手かは知らんが軍師であることには変わらない。
もちろん、内政での活躍の方が目覚しかったけどね。
144 :
無名武将@お腹せっぷく :02/08/21 17:02
>>143 明らかに、漫画と「演義」の読みすぎ。
君主が率先して前線に立つわけない。
例えば勢力を持った後の信長や秀吉が喜びいさんで最前線で
指示したのか? 実際に軍略を立てたのは勝家なり、官兵衛。
軍略を立てるのは軍師の仕事。その責務上で「あぼーん」
するのはそいつの能力不足か軽率さ。
孔明は軍師じゃなくて一流の政治家。
軍師としては二流か三流もいいところ。
蜀としては北伐は何としてでも行わなければならない儀式。
そうすることにより地方の豪族達に、今に蜀が天下を取ると期待をもたせ、裏切らないようにするため。
劉しょうの二の舞にならないように孔明やキョウイは北伐を続けるしかなかった。
先帝願わくば我逝かん!!
無名武将@お腹せっぷくさんは魏書、蜀書、呉書を呼んだことはあるのだろうか?
疑問に思うこと多数あり。
まぁしょうがないか・・・
147 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 18:34
どちらの、お腹切腹さんの事でござるか?>146
148 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 18:36
では馬良はなぜ死んだのだ?
なぜ、軍師であり、あなたがいうように後方にいた鳳統が死んだのだ?
>144
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 18:39
期待をもたせる? 何度負けても、地方の豪族に不穏な動きらしいものは
見られなかったが、何を根拠にに豪族に気を使ったと言うのだ?>145
期待を持たせるというか、国家運営の前提だからね。
国名は「漢」、他は反乱軍であり、長官なども任命しまくり。
外に敵を作って、内を固める策でもあるんじゃないの?
151 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 19:21
>>141 その数字あてになんないよ。
攻略当時ってのは、国内が混沌としてて正確な調査ができない。
その結果安定していた魏と比べて人口が23倍も差がでてしまったのさ。
当時の調査を信じるなら、三国時代と漢の時代を比べたら人口に十倍の差が生まれてしまう。
いくらなんでもありえないだろう。
ええとこ5〜10倍くらいだと思われ推測だけどね。
誠実な人間は戦国において生き残れない。
曹操や秀吉のように、いじきたなく嫉妬深い性悪が生き残るのだ。
153 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/21 22:18
>>152 お前みたいに意地汚い奴が乱世を生き残れると思えない。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/22 19:09
>>152 性悪なだけの人間が
宦官の家系や農民からトップに立てるか、馬鹿珍。
強欲じゃなきゃ、大きな事は出来やしない!>152
156 :
よっぱらい:02/08/22 19:48
とりあえず、呉の論客家達は誰も孔明に勝てなかったな
157 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 08:02
とりあえずムネオみたいに良くしゃべる
158 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 08:18
悪人世にはびこるとは言うが、要は生への執着心って事だよね?
159 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 08:20
154
瞬間のトップならあり得ると思うよ
160 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 09:35
俺は、政治=孔明、軍師=ホウ統、策士=法正っていうイメージが
あるな。こういう役割分担が出来てたら、蜀漢はどうなってただろうかねえ。
もっとも、ホウ統は史実では何もやってないから、真の実力は分からん
のだが…w
161 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/23 09:35
162 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 11:59
諸葛孔明って実際はどんな人だったんでしょうねぇ?
実はとても運がよかっただけなのかも・・・
あれで運がよかったとは思えないのは蜀びいきなのだろうか。
なぁ・・・・・法正はそんなにすごいか(-.-;)
私はそう〜思わない・・・・・よ!!
って〜活躍した場面は
定軍山ぐらい〜しか・・・・・知りません(^_^;
法正は、正史には魏の郭嘉、程cに匹敵するだろう、
と、記されているそうです。
劉備の蜀入りを実現させたのは彼の功績でもあり、
劉璋の説得を行い開城させたのもこの法正だと言われています。
また、劉備が許靖を用いるつもりは無かったのですが、
許靖が虚名とはいえ世間には賢人として有名だった事から、
重く用いることを進言しています。
定軍山での活躍から軍略に優れている事は明白かと思いますが、
ささいな恨みごとにも根に持って報復するなど、人格的に問題があったそうです。
その為か、諸葛亮とはそりが合わなかったそうです。
しかし有事の際には諸葛亮は法正と相談し、
後に諸葛亮、劉巴、李厳、伊籍と共に蜀科(蜀の法律)の制定にも参加しています。
長文スマソ。
メルアド欄に書いてあるのは間違い。
不快な思いをさせたらすいません。
全部読みました。
途中何度か、指摘あったように、実在した孔明像を話すのか、
演義や、ゲームで作られた孔明を話すのかは、まったく別もの。
そのへんがごっちゃになってて、わかりにくいね。
僕の見解は、
戦は、へたっぴ
政治家として、一流
外交官として、超一流
正確は、神経質だと、思うな。
解説、書くのめんどいから、やめとくね
168 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 09:05
亀レスだが、
>>127 恐怖政治を施したことがあったかもしれないが、
それは士大夫に留まったはずだ。もし平民にまでそういう政策で管制していたなら、
死後まで民に慕われるわけがない。四川地方では、北宋時代まで
「諸葛丞相の喪を服す」といって白装束を着ていた人々さえ居たほどだ。
士大夫に苛刻な管轄を敷くのはむしろ女帝武ショウに似ている。
自信過剰なとこも。
169 :
2チャンねるで超有名サイト:02/08/24 09:31
170 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 11:28
陝西省→秦嶺山脈→漢中→四川省→雲南
と旅をした事がある人のエッセイだと、
自動車も飛行機も無い時代に、牛もろくに使わずに徒歩軍隊を率いて
何度も往復した諸葛孔明は偉大だ、とか書いてたよ。
よくよく考えれば四川省って日本の面積とほぼ同一。
実際問題、中国地方から京都と大阪の境まで一週間くらいで「大返し」
とか威張れる日本とは絶望的にスケール違うんだよな。
中国武将は偉大でした。
確かに北伐は結果的に失敗したけど、
政治家としては良かったような気がする。
>>171 裴松之も、諸葛亮を陳グンや司馬懿以上と評価している。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 11:44
孔明は、意外と赤壁の戦いで曹操が戦死することを望んでいなかったのかな?
↑?
176 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 20:20
死せる孔明、逃げる厨達って本当にあったの?
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 20:27
>>175 >死んだら呉が調子コクからな。
でも、曹操よりマシだよ
裴松之によると、「漢晋春秋」に載っていたそうです。
諸葛亮が死んだので蜀軍が引き揚げようとしたら、司馬懿が追撃してきた。
姜維が楊儀に命じて、軍旗を反し陣太鼓を鳴らして立ち向かおうと見せかけた。
司馬懿は引き退いて、近づこうとしなかった。
こうして楊儀は引き揚げて、谷に入ってから諸葛亮の喪を発表した。
これだけの話で、別に諸葛亮の策略でも木像を使ったわけでもないみたいです。
むしろ姜維の計略(ってほどでもないが。)
180 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/24 21:56
>>178 その話に、解釈。
司馬一族のあまりの、隆盛に、魏では疎んじる人も多く、司馬懿が孔明を倒し、
さらに、追撃で戦果をあげると、出るくいは打たれるっていうことで、
わざと、外敵を残した。
蜀が、健在であり、魏にとって脅威であれば、同時にそれは、軍略の上手な司馬懿の保身にもつながるってわけだね。
こういう話は、よくあることらしいけど。
説明ヘタでごめん。
>>180 なるほどね。
そうすると、司馬文王が魏の実権を完全に握ったところで、
安心して蜀を征伐したと・・・・いうところでしょうか。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/25 03:23
>>180 慎重居士の仲達が冒険避けただけだろう。蜀軍撤退させれば十分戦略目標は達成されるん
だから怪我する危険冒して追撃する必要mないし
謀臣や賢相の類を、なんでもかんでも軍師って呼称で統一する連中って、
明らかにゲーム厨だろうなぁ。
読んでて痛すぎ。
死せる孔明生ける仲達を・・・・・
は〜孔明の性格からして
間違いなく孔明がしいた策略だよ!!
きょう維はうまくやってのけた(^_^)v
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/26 22:42
184の後の生きている人間なら相手に出来るが死んだ人間は相手が出来ぬや
孔明こそまさに天下の鬼才という台詞は
晋を作る基礎となった仲達が兵力差で圧倒的優位に立ちながら勝たなかった
(勝ちに行かなかった)のを補うために後から作られた言葉なのかな?
>>185 というのもあるだろうし、
一般的にはそんな諸葛亮に勝った司馬懿はすごいという
宣伝効果を狙ったものとも言われているね
>>186 勝った(?_?)
孔明が手をやいたの受け止め方かと・・・・・(-_-メ)
>>187 あの時の諸葛亮の目的は侵攻、司馬懿は防御。
目的に対しては、司馬懿が勝った、ということになりますね。
ホウ統が死んだ時点で劉備(蜀)は終わったのだが・・・
北方三国志だと諸葛孔明は司馬仲達を相手に五丈原で踏みとどまり、
その間に西涼を軍事的に征圧して国力や兵力を補うって設定だったが、
あれはあれで現実味があるんだろうか。
>成三明孔
孔明マンセーなのは構わんが、主観だけで物事を見ると視野が狭くなるぞ
192 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/27 18:26
それは、無茶じゃない?
もともと、蜀はそんなに余裕のある国じゃないし、西涼だって、簡単に落ちる
とは思えないし!
2つに戦力を分断はできないのでは?
>>191 視野狭いか(;_^;
たって〜アイツ(仲達)が『生きてるなら相手できようが、死んでる人・・・・・』 ような〜負け惜しみを言うから( ̄□ ̄;)!!
そもそも、「死せる孔明〜」のエピソード。
史実では司馬懿は「諸葛亮が氏んだに違いない」と考えて追撃したんだろうか?
軍師の話を聞いて「諸葛亮は激務だからそろそろ死ぬな」と考えたというエピソードは正史にも載っていたが・・・。
>>193 感情半分でレスしてないか?
仮にもコテを名乗るなら、少しは筋の通った見解を示して欲しいんだが。
このままじゃ第三者から「孔明ヲタってちょっとイタイ」と見られかねんぞ・・・
196 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/28 17:39
そもそも、孔明を有名にしたのは誰なんだろう?
197 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/28 17:42
198 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/28 17:56
宋書には、「陳寿が諸葛亮に含むところがあったから諸葛亮を低く評価した」
と言い掛かりを付けられた事が記載されている、らしい。
裴松之の注の複雑さからも考えるに、当時既に「孔明厨」と「アンチ孔明」は
存在したようだ。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/29 04:59
孔明は、慎重に論理を組み上げることによって、無謀な野望を実現せんとした。
確かに、孔明は歴史上勝ったとは言えない。
が、放浪同然の劉備に領地を与え、三国鼎立という状況を作り出し、
呉との連合によって魏に対抗する、という戦略を実行し、曲がりなりにも
天下を盗る「チャンス」が出来たのは、孔明の戦略家としての才能がいか
んなく発揮されたんだと思う。
故に、あえて俺は、三国志最強の戦略家として、孔明を推す。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/29 05:12
公明よりも、長安を落としかけた、趙雲と馬超のほうがすごい
200げとー
202 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/29 14:14
黄酷っていつごろから台頭してきたんだろ?
孔明が生きてるときからいたの?
203 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/29 19:48
孔明が運がいいだけだと思ってる奴は論外!
個人的には、ひどく将棋を指させてみたい人物。
碁は既にあったらしいね。
>>204 それはo(>▽<)o
まずい
指す前に終わってる(*^o^*)
208 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/30 03:13
蜀建国に至ったのは、孔明のおかげっつーより、やっぱ劉備の手腕じゃないのかなぁ
劉備のような人のすごさて後世ではわからないよね。
諸葛亮が偉大な政治家だった事については反論がある人はいないよね。
日本の公明党も諸葛亮にちなんでつけられた。今の公明党は略...
後世の人が好意を持つのは
後主に仕えたこと、利をむさぼらなかったことが大きい。
北伐については誰が担当しても難しかった。が やらざるをえないと彼は考えたんだろうね。
やらざるをえないというより、北伐はやらなきゃならないことだからなぁ。
孔明は国力をととのえて北伐にむかったが、キョウイはそれをしなかった。
いたずらに国力を消耗させて周りから嫌われ最後はアボーンだからなぁ。
212 :
よっぱらい:02/08/30 18:49
ってか、キョウイには出来なかったんだろう。まあ、そこが孔明との差というか、
逆に孔明の凄さなんだが。
まあ、姜伯約(イが出ない・・・)は大将軍だったからなぁ。宮廷との不和と、
それを原因とする独走が拙かったか。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/30 20:30
キョウイは政治家には向いてなかった(もしくはその権力を振るえなかった)んじゃないかな
つーか、元々軍務一筋の軍政官だしょ。>姜維 (あ、出た)
国内を省みず外征を続けた姜維も問題だったが、
それを抑えられなかった宮廷高官にも問題があった、と。
しかし、幾ら諸葛亮の子飼だったとはいえ、荊州閥でも益州閥
でもない亡命者の姜維が、大将軍にまで昇ったってのは不思議だな。
或いは、後ろ盾がないからこそ派閥の隙間に入り込めたのかもしれんけど。
まあ、並の視点で見れば充分以上に有能ではあったのだろう。
>>210 m(_ _)m
帰ってきました!!
そんなこと言わないで下さいo(>▽<)o
姜維は老将軍趙雲と互角以上に戦った・・・てことはかなりの逸材じゃないのか?
姜維の知略自体は孔明がほめている。でも孔明は姜維をそれほど重く扱っていない。
なぜかいまだにわからない。姜維自身の能力はよく知らんが、なぜ諸葛亮は鳳を使わない?
趙雲は70近かったと聞くぞ。
70近いジーさんに勝つのはそんなに凄いんだろか…
やっぱり、演義路線と正史路線で話題が平行するね。かまわないけど。
演義や系列の小説を読んだことがないので、残念ながらそちらにレスする
ことはできない。
姜維は202年の生まれとされているから、諸葛亮が死んだ時点で30歳そこそこ。
それなりに国家制度が整ってきていただろう蜀漢で、独立して活躍するには
若すぎたのではないか。
正史では当時中護軍。詳細はわからないが、諸葛亮の直属で兵を運用する
ような役職だったのだろうと思う。北伐などで、活躍といえるエピソードはむしろ
存在して当然な地位だと思うが……なにしろ、蜀漢の史料は非常に少なく、
今や知ることはできなくなってしまった。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/30 23:19
諸葛亮って、呉で言えば張昭が出兵したようなもんだろ?
凄いとは思うが、勝てるわけねーよなあ。
たぶん諸葛亮って魏に仕えていたら、陳群(漢字でねーよ)の下で使われて、
歴史に名なんて残せなかったんじゃないか?
ある意味成功だよ彼は。
姜維が大将軍まで昇ったのは、孔明直属だったってのが大きいんじゃない?
本来なら魏延なんだが孔明が馬鹿なことやって殺すよう仕向けたし・・・
張昭も兵を率いているよ。特に優秀だったという史料はないけど。
それに、一軍を統率するのに必要なのは行政能力。万を越える人間が
何ヶ月も移動しつづけるわけだから。魏、蜀の五将と言われる武官は、
よほど晩年じゃないと独立した大軍を率いたことはない。遠征軍や地方軍
の長になれたのは関羽くらいじゃないか。
結局諸葛亮の北伐が成功しなかったのは、「臨機応変の軍略は、彼の
得手ではなかったからか」と陳寿が書いている。彼にこそ、いわゆる軍師
が必要だったのだろうね。
陳羣の下で、というのは年齢的にも同意できる。つーか、陳羣って凄いよ?
所属した時期や場所が違う人材を比べても仕方ないので、それ以後諸葛亮が
魏で頭角を現したかは解らないな。
で、「ある意味」じゃなく、間違いなく成功だよ。一国で最高と言われる宰相の
地位に就いたんだから。運も無ければどうしようもなかった。蜀漢という国自体が
そうだし、その劉備が劉表の客将に過ぎなかった時代に仕えているのだから、
それだけでも功績は大きいと言える。
歴史に名を残すってのはそういうことだよ。全ての人物に言えることだ。
……たびたび長文すまん。
223 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 03:17
陳羣は、品行の悪い人間嫌い?だったから
孔明と馬が合うかも
>221
オイオイ。魏延は元々あーいう性格だろが。
どこが孔明のせいなんだ?
225 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 08:20
>>224 外見だけで「こいつには反骨の相がある」なんて意味不明な評価を下し、
警戒したり意見を取り下げたりしただろ。
普通なら誰だって自分を疎んじるような相手には反発を覚える。
お前は自分のことを嫌ってる奴を好きになれるのか?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 13:47
>>226 それって演戯だけじゃなかったけ?違ったらゴミン
230 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 13:59
>>223 身分の低い高いは気にしないってのも似てるね
陳群(字違い)
ごときと比べるとは( ̄□ ̄;) はなはた不思議である!!
ヤツは憲法制定した〜だけだろう(ToT)
蜀はイリョウの戦いでもう崩壊寸前だったんだよ
それを私がちょっと盛り返させたんだよ?
魏との国力を比べてみろ
それでも互角に戦ってきたんだ・・
その私を誉めてください
てか我が君のせいで蜀は滅んだんだ
233 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/31 22:30
>>233 相手するな
好きにやらせといて放置(無視)してりゃいい
236 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 10:09
裴松之に言わせると
孔明>>>>>陳群 らしい
237 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 10:22
238 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 10:41
例えば孔明が魏にいたとしたら、そこでもNo1になれたん?
>>238 無理
100歩譲って孔明にその能力があったとしても、
組織の出来あがっている魏で一介の浮浪者が成り上がるのはかなり困難
能力自体は魏の賢臣とそうかわらなと思うよ>諸葛亮
魏だと武官にはなれそうにない。
魏において大成する可能性がある蜀の武官は関羽と魏延くらいか?
関羽よりは張飛じゃないかな
関羽は曹操の寵愛を受けるだろうけど
都督州諸軍事クラスになれそうなのはいない
245 :
よっぱらい:02/09/01 12:26
超雲も曹操に認められてたの?
認めるも何も曹操の知ってる趙雲の活躍って、長坂だけだろうしな
247 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 12:48
もし曹操の旗揚げから関羽や張飛がいれば相当上のくらいまであがったと思われる。
孔明もね
>>247 その前に実際の張飛の実力を語ってくれ。
俺の中で張飛=許チョというイメージが拭い去れん
張飛
長坂で曹操軍の追撃を阻止。
厳顔を捕らえて賓客の礼でもてなした。
巴西に進行した張コウを撃退。
魏の程イクらが、関羽、張飛は兵1万に匹敵すると賞賛。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 13:09
張飛は最強クラスの武将だが酒乱バカと言う印象が強いみたいだね。
兵を扱わせれば蜀の有数の将軍なのに
251 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 13:10
曹豹を殺してなかったら、名将のイメージのまま現代まで来たかもね
曹豹の怨念恐るべし!
張飛のイメージが決定的なのは死に様でしょ。
酒で酔って、部下に殺されるようでは、やはり名将とは言い難い。
254 :
よっぱらい:02/09/01 13:27
ってか、劉備以外に張飛を手なずけれる奴いるのか?
最後は暴れそうだ・・・
良く引き合いに出せれるが「関羽は上に厳しく、張飛は下に厳しい」だからな
張飛が自分より上と思ってるのは、劉備、関羽、孔明だけじゃねーのか?
258 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 14:41
関羽が自分より上に思ってる奴って、いないんじゃねーか・・・?
>257
一行目と二行目が矛盾してるぞ。
張飛は兵士の扱いは荒いが、士人名士、教養ある人物に敬意を払う人間だった。
劉巴いわく....張飛のような兵子(兵隊)野郎と
付き合ってられるか!!
261 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 21:15
蜀は慢性的な人材不足で、意図的に個人レベルを高く見せようとした。
ってのはどうだろう?
国家体制的には魏や呉には全然劣ってるようにも見えるし・・・
意図的な情報工作がよく踊ったのでは?
諸葛亮と司馬懿が、対陣の挨拶がてらに徐庶の近況について連絡してたりする。
当時の士大夫ってのは所属陣営を超えて綿密な交流があった。その種の情報工作
がそうそう上手くいくかな。
つーか、他国人にまで恐れられたような人物って実際、劉備・関羽・諸葛亮くらい
じゃないか?
恐れられたかどうかは別にして、他国で認知されてた人物は
劉備(耳でかっ)、関羽(ヒゲ)、張飛(1万)、諸葛亮(ウザい)の4匹くらいだな
264 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 22:04
わかった!!その人物に逸話とかアダナみたいのが付けば認知度が高いんだから
その時点で信憑性はあるんじゃない?
認知度が高いだけに嘘かどうかもわかりやすいじゃん?
265 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 23:21
267 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 18:27
笑うところかよ
なぁ( ̄□ ̄;)
もっと〜孔明を
褒めろよ(-_-メ)
寂しいチャン
271 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/02 22:09
>>220 >>222 同意
屯田の曹操、九品の陳群の方が政治家として孔明より格が数段上うと感じてしまう。
特に蜀は劉備・諸葛亮の贔屓目の人事が祟って、ジョショはおろかビホウまでも裏切るし、人は集まってこないし。
蜀の人材しりつぼみは地理的要因以外にも劉備・諸葛亮の責任が大きいと思う。後継者の育成まで失敗してるし。
陳群が九品で魏の人事の公明さをアピールしたのは、劉備陣営時代の反発の現われではないでしょうか?
ヒゲがいい
悪いが、そんな風に同意されても漏れの方はちと困るw 諸葛亮が陳羣に劣るとは
一言も書いてないよ。
中原の魏と違って国家制度がそもそも存在しない蜀漢の地に王朝を建てる労苦を
考えるべきだし、劉備の在位が二年程度だったのも苦しさの一因だったろう。
人材の贔屓というのが関羽や張飛のことを言っているなら、封建制、つまり『家』
制度下での他人を信任することの難しさを無視している。ましてや寒門の出で前半生を
放浪して過ごした劉備には、曹・夏侯家や孫家のような粒揃いの一族は期待できな
かった。
屯田や「唯才」というのは、中央集権的な官僚制がある程度整っていたからこそ
の話だし(だからと言ってそれを実行した曹操や陳羣を小さく評価するものではない)。
まあ、単純に記録に残っている事跡だけで人物を比較するのは難しいってことですた。
ヒゲいいよな?
無双2やけども。。。
ヒゲ。。。
諸葛亮のイメージ
劉備がケイ州と益州を簒奪するにあたって、地盤の無い劉備が地元の富豪に頼み込んで後ろ盾として迎えたのが諸葛家という説が有力らしいです。
地方での人望と権勢で組織をまとめていたイメージがあります。
蜀を取り仕切った実力者ではありますが、曹操、陳群と同列に比べるタイプの人では無いと思う。
自派閥である法正の行為をみのがしたり(法正を使って、益州派を攻撃していた?)
馬ショクをトカゲの尻尾きりしたり
専横してみたり
あまり清廉なイメージは無い。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 00:57
豊臣秀吉>>>>>>>>>諸葛亮孔明
同じぐらい知略家だが
秀吉は天下人、孔明は残念
諸葛亮は清貧な生活してたってききますたが嘘ですか?
>陳群が九品で魏の人事の公明さをアピールしたのは、劉備陣営時代の反発の現われではないでしょうか?
↑本気で言っているとしたら厨房
「諸葛家」というのは初めて聞いた。徐州からの難民である諸葛家が、荊・益の豪族に対して、
歴戦の傭兵隊長であり劉表の賓客だった劉備以上の影響力を持っていたのかな?
諸葛亮が調整役的な位置にいたのは、彼個人の名士としての声望という方が理解しやすいと
思うのだが。正史に再三書かれていることでもあるし。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/03 01:30
派閥の出展は何でしょうか?
よくみますが
よかったら教えて下さい。
諸葛亮は、法正の件の他、劉巴と張飛の修好を試みて失敗したりもしている。寄り合い王朝の
苦しさだね。
蜀漢王朝が、荊・益の派閥争いで割れていたというのは、よく聞く、納得できる論だが、それを
正式に唱えた人は誰なのだろう? それを読んだことが無いのでその深刻さなどはなんとも言えない。
日本語訳が無ければ手におえないけどw
また、徐州出身の諸葛亮が完全な荊州派だったとも、正史を読んだだけの今の私には断定できない。
荊州から行動を共にしている名士達寄りだったのは間違いないだろうが。後任の推薦から見ても。
丞相という「内閣首班」に任命(もしかしたら抜擢?)されたのは、大きな派閥を持たない比較的
中立派で、個人的な信望に恵まれていたからという解釈もできるだろうから。同じく徐州難民派の
張昭、孫邵のように。
271氏の九品官人法の理解について聞いてみたいのだけど
蜀の派閥対立の記述を初めてみたのは、江森三国志だった。
最近は三国志関係の書物とか見てないけど、
その辺まで言及してあるやつありますか?
俺は
>>222にほぼ同意。
>>271の「有力らしいです」って
どこの出典で有力なのか詳しい根拠に基づく説明が聞きたい。
あと、個人の主観だから仕方ないけど、トカゲの尻尾きりや専横で
清廉なイメージがない、なんてウブ過ぎないか?
そもそも政治や行政なんてそんなモンでしょ。
その尻尾切りや専横も一応、法の範囲内だっただろうしね。
何やら難しい話になってきたのでサパーリついてけません( ´∀`)トリアエズワラットケ
288 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 07:36
止まったね。ネタプリーズ的age。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 10:22
なんか孔明が魏にいたら出世できないとか聞くけど
そんな事はないだろ。彼は蜀の国力の範疇の内で
出来る事をやったんだろ。魏にいたら魏での
やりかたがあるだろ
itsuka korosu karana koumei!!!
じゃあ、恨み晴らさで置くべきかな馬謖の再検討でも、いっとく?
馬謖って生きてたら消炎や脅威より後継者として選ばれたのだろうか?
蜀の連中に才能は認められていたみたいだし。
経緯によるな。
街テイで敗北していたら後継者は無理。
街テイで守り通したら出世できると思うが、
街テイに配置されず蜀が敗北したらどうだろう?
街テイに馬謖がいなかったら、街テイでは蜀がたぶん勝つ。
出世するにもたいした成績をのこしていないから後継者も無理。
周りから反発くらうね、魏延とか。
どっちにしろ長安は取れなかったよ
例の三郡を保てたかどうかの違いかと
中国湖北電視台の【諸葛孔明】の中の空城の計での 孔明の背中の汗が印象に残ったm(_ _)m
298 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:57
>>508 後漢書、袁安伝に
「時中常侍袁赦,隗之宗也」
という記述があるらしい。
しかし宗族(父系の同族集団)なのであって504,507が言うように
袁紹から見て「叔父」という極めて近い親族な訳ではないと思うが。
この「袁隗の宗族である」という関係をどれだけ近い関係と見るかは、
論者によって違ってくるんじゃないかな。
それに袁赦は確かに袁隗が司徒であった時代には宦官の中枢にいた訳だけれど、
宦官皆殺し事件時の宦官の中枢は言うまでも無く蹇碩、張譲といった十常侍のはず。
すでに袁赦の時代は過ぎ去っていた(もしくはすでに袁赦は亡くなっていた)のでは?
だとすれば別に宦官皆殺しは袁家の勢力減退とはならない。
また、もしこの時代にもまだ袁赦が権力をそれなりに保持していたとしても
宦官を縁者に持つということは清流派人士からは受けが悪い。
袁紹と袁術は宦官たちを皆殺しにすることで、
「自分たちの縁者には確かに宦官がいたが、自分たちは清流ですよ」とアピールしたのでは?
後の袁紹と袁術の対立にも見えるように袁家とて一枚岩とは限らない。
袁紹や袁術が袁赦をはじめとする宦官系の袁家の切捨てを謀ったのかも知れないし。
やはり袁紹・袁術の宦官皆殺しは権力奪取の一環と考えて問題ないと思う。
299 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:59
美樹本に「まんじゅう恐い」のオチの話を聞いてみた。
「ところで美樹本はん、【まんじゅう恐い】のオチを知っとるか?」
一瞬、訝しげな顔をしながら美樹本は答えた。
「ん?ああ、落語の【まんじゅう恐い】の事か?
確か・・ある村の若い連中が集まって何が恐いか?って話に
なった時に、俺は化け物が恐いだの、蛇が恐いだの言ってる中で
「まんじゅう」が恐いって言った奴がいて、
「何でそんなものが恐いんだ?」って聞いたら
「いや、俺はあのすべすべした皮や真っ黒なあんこを想像するのも恐ろしいんだ」
って言うもんだから、村の連中がおもしろがってそいつが寝てる間に
枕元に山ほどまんじゅうを置いて驚かせてやろうと思ったら
なんとその男がうまそうな顔をしてまんじゅうを食っていたんで
「お前まんじゅうが恐いんじゃなかったのか?一体本当は何が恐いんだ?」
って聞いたら「次はお茶が恐い」って言ったというオチのあれか?
要は本当はまんじゅうが大好きな男が「まんじゅうが恐い」と言えば
村の連中がまんじゅうを持ってくるに違いないと、とんちを効かせて
まんじゅうをまんまと食ったと。それで次はお茶が飲みたいから
「お茶が恐い」・・デドーって話だろ?
・・・それが一体いま何の関係があるんだ?」
300 :
孔泉報道官 ◆Qw9/GEio :02/09/08 21:11
300
301 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 21:38
諸葛亮は天才だよ!
「九品官人法」の弊害を御存知の方、御説明願えないでせうか?
>>302 なんで陳グンがあんなに評価(ゲームで)されているのかわからん。
曹操、曹丕、曹叡に仕えた言わば主席閣僚。司馬懿と共に曹丕の四友の一人であり、
曹丕死去の際には曹叡の貢献を任された。尚書の実務を担当しながら、司空に任命。
ゲーム的に言えば、「政治力」で彼に匹敵するのは魏では鍾ヨウくらいしかいないだろう。
荀イクや司馬懿は「知力」派だし。
「九品官人法」の弊害。歴史的には封建制から貴族制への過渡的なものだから、
完成度の高い官僚制という点から見れば不備が残るけど。
(歴史的な視点から言えば、封建的や貴族的なものを「不備」「悪」ということ
自体がお門違いだが)
当時の運営面で特筆するような弊害があったとは聞かない。ちゃんと調べたこと
がないから断言できないけど。
簡単に説明しているサイトを一つ。
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/akira16/index5-4-1.html
>>304 大した事無いよ「九品官人法」。 後の世の科挙制度の方が遥かに優れている。
後代に廃止されたのはそれなりに理由があるからね。
ただ、奴は確かに九品中正だけじゃないから、あれぐらいの評価でもいいのかも。
荀イクはどちらかと言えば、「政治」派だと思うぞ。
「後の世の方が」という条件づけが馬鹿げている。
それから、ゲームというのが光栄三国志に限るなら、「政治」は各開発と
外交折衝にしか役に立たない上に、軍師システムがある限り、荀イクは
「知力」派にならざるを得ない。
>>306 科挙制度の方が九品中正より優れているのは事実ではあるが、
まあ、それを言っても確かに仕方ない。
唯、九品中正は、結果として郷挙里選と大差なかった事は知っているだろ?
特に革新的という訳でもない。
俺に言わせれば「より悪い方向に向かってるじゃん」てところだ。
あと荀イクはゲームの話じゃなくて、正史の話のつもりでした。スマソ。
>>307 うんー? 九品官人法が中華帝国史からピックアップされて高校教科書にまで
載っているのは、そもそも「革新的だから」ではないと思うんだけど。
だから(と繋げるのは不適当かもしれないが)、陳寿の三国志ではその扱いは
とても小さい。
しつこく陳羣の評価に戻れば、魏朝における陳羣の功績の中で九品官人法の
占める割合は大したことはなかったのだろう。まあ、一行であっても史書に
記載されているのは、それは特筆と言ってよい功績なのだろうけども。
とはいえ、光栄三国志の初期から陳羣の能力値が高いのは、教科書に載るほど
の有名人だから注目されていた、というのは必ずあるとは思う(その割には
鍾ヨウがなー……)
>>308 まあ確かに陳羣は九品中正だけではないな・・・。
やっぱ〜赤壁のゴザゴザに荊州をかすめ取った采配は凄いだろう(^_^)v
すごくない??
311 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 10:54
誰も諸葛亮がヘボイなんていってない
言ってるのは私怨電波な、がんも様だけ
>>310 凄いと思うが、曹仁相手に周ユが一年もてこずってたのが、
ラッキーといえばラッキーだったな。
孫権は後に、劉備に蜀を獲らせたのは魯粛の責任みたいなこと言ってたが、
周ユにも責任があるような気がするぞ。
曹仁は名将だけどね。
314 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 18:01
魯粛や周ユより
赤壁後北に攻めて何の効果もなかった損権厨房の方が悪くない?
315 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:11
>>310 どうなんだろう?その辺は本当に諸葛亮の采配なのか?
劉備の手腕じゃないのかな?
316 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 19:26
>>315 その劉備に重用されていたほどだから、
やはりそれなりの実績、能力はあったんじゃない?
指揮していたのは劉備でも、
実務の段取りや具体的な作戦は部下がやるわけで、
そういう部下としては極めて優秀だったのではないかな?
じゃなきゃ、重用するわけないし。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 20:58
321 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:01
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322 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 21:02
シャシャシャホウッ!
>>321 どうせ貼るなら過疎板じゃなく
もっと人が多い板でレスの伸びが速いスレにすべきだと思うぞ
324 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/13 22:13
>>317 赤壁のすぐ後に北方のほうに攻めなかったっけ?
あまり成果が無かったみたいだが・・
記憶が曖昧でスマソ
まあ、周ユが曹仁をさっさと倒してたら、孔明も困ったかもね。
曹仁にてこずる事が、孔明の計算に入ってたかどうかは、今となっては判らない。
曹仁は魏随一の名将でしょ?
てこずらない方がおかしい。
それに戦争の勝敗は指揮官の能力だけで決まる訳ではない。
ゲームをやってるとよく勘違いするけど。
>それに戦争の勝敗は指揮官の能力だけで決まる訳ではない。
この認識は大事だよね
曹仁うんぬんよりも周ユは魏の陸での強さをしらなかった。
水戦は呉の方が強いが陸では魏のほうが強いからてこずるのはあたりまえ。
>>326 >>327 それはそれで一理あるが
何をジカに言いたいのがわからない(´ヘ`;)
>>324 それは・・・・・チラッーとしか知らないよ(^_^;
俺は演義を中心しか物語りをしらないが( ̄□ ̄;)正史の孔明もっと好きだ(-.-;)
中国史は、野戦では並より上程度だけど、守城になると驚異的な粘りを見せる武将が多い。
曹仁もそんな武将の1人だろ。
>>326 曹仁は確かにとても優秀な将軍だけど、魏随一の名将という程ではないから
"(曹操以外の)曹・夏侯一族の中では最も軍事的才能に優れていた"
という感じで表記した方がいいと思うよ。
当時の魏において単純な能力では張遼、徐晃、張【合β】がトップだから。
曹操からの信頼という点においては曹仁は夏侯惇と並んで魏随一だろうけど。
普通なら別に指摘する程のことでもないんだけど、
このスレには具体的に書いてあげないと勘違いする人が約1名いるようだから・・・。
>>329 >>326-327は
>>325が曹仁を過小評価していることに対する指摘だと思います。
それから実際の戦争とゲームの戦争を一緒くたに考えないで。と諭したんですよ。
他にも何か分からないことがありますか?
おいおい・・。漏れは別に曹仁を過小評価してないぞ・・。
でも
>>325を読み返すとそんな感じに見えるかも。
あくまで、仮の話だ。仮に周ユが速攻で曹仁を倒してたら、孔明も
困っただろうな、ということ。
まあ、歴史に「もしも」は無い訳だが。
俺は曹仁は、張遼と並ぶほどの武将だと思ってるぞ。つまり魏随一の名将だね。
>>332 あんたも勘違いしているな。
曹操(というか、君主)の信頼を最も得ている武将とは、
方面軍を任されている武将だ。蜀で言えば、関羽もその一人だな。
夏侯惇はその器ではない。親族とはいえ、な。
虎痴が曹仁を曹操の部屋に入れなかった様に、
この時代親族だから安心、等は言い切れない訳だ。
この事からも、張遼、関羽や周ユ等は相当な信頼を得ていた稀有な事例であることが
判る。
荊州を得た後に北荊に曹仁を配置して引き揚げたとあるよね。
そんな接収して間もない北荊の要所に信頼していない人物を置く?
対揚州の張遼、対涼州の夏侯淵、対荊州の曹仁というように曹軍の中で
その軍事面での信頼はとても厚かったと感じるが?
夏侯惇はどちらかといえば曹操に人柄、振舞いを評価されてたと認識しているよ。
それから関羽や張遼を方面軍と見なすのであれば、曹仁も同格だと思うよ。
3人とも駐屯軍として中央から離れた地域を任されているわけだから。
方面司令官と呼べるのは周瑜くらいかな?と思います。
もっとも、孫権がどこまで周瑜に全幅の信頼を寄せていたかは分かりませんが。
赤壁の時に程普と周瑜を同列の指揮官に任命したのがどうも引っ掛かるんですよね^^;
曹仁は信頼されていなかった、とは言っていない。
親族であれば信頼されるみたいな意見だったから、釘をさしただけ。
曹仁は方面軍を任されていたから、信頼はされていただろう。
でも、夏侯惇は別。人柄、振舞いを評価していても、能力が足りない以上は
将としての信頼は高かったかもしれんが、曹仁等には劣るだろう。
周瑜に関しては同意。
稀有な例であるとしか言い様がない。何故あそこまで信頼できたのか・・。
君主にとって方面司令官とは恐るべき存在なのに。
>ぎんじさん
あなたとの議論、楽しいんだけど残念ながらもう出発しないといけないので。
3日後くらいで戻るので、またどこかで相手してやってください。
最後に、
>>332で
>(曹操以外の)曹・夏侯一族の中では最も軍事的才能に優れていた
と書いたとおり、俺は軍事面では曹仁>夏侯惇と思っているよ。好きだけどね惇兄はw
後、曹仁が親族だから信頼されたと記述した覚えはないのでもう一度読んでみてください。
>>332 >>335-336が俺の文です。ちなみに、誤解を与えたならごめん。では
>>338 夏侯惇と並べられていたので、勘違いしていたようです。
それでは、お気をつけて。
どう転んでも
赤壁後・・・・・もしも〜周ゆが荊州を取れたならば
孔明は間違えなく傷ついてる呉軍(荊州)を攻め取るはず
どう転んでも
北伐は成功しないし・・・・・もしも〜成功したとするならば
孔明は間違えなく長安を維持できないはず
>341
それだと魏延の長安電撃作戦も成功しえなかったってことか?
>>342 その疑問に対する一説では孔明を誉めることになり、
釣り師と思われる
>>340を増長させることになるわけで、
つまりそういうわけであって・・・答えることはできない
上のレスだけではどちらにせよアフォを増長させてしまいそうなのでもう一言
魏延の長安電撃作戦は孔明の採用した消極的な北伐よりは短期的に成功する見込みがあった
345 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:28
>>344 ただし長安の維持と失敗したときのリスクが・・・
346 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/16 10:37
孔明の作戦 成功率10% 失敗率30%
魏延の作戦 成功率20% 失敗率70%
ってことか?失敗ってのは大損害を被るって事ね。街亭みたいな。
数字は適当。
>>346 根拠地から遙かに離れた撤退の難しい敵地で下手をうったら、
損害は街亭の比ではないと思われ。
どのみち荊州を失った時点で純軍事的な勝ち目は皆無。
北伐は攻勢防御でしょ。対内向けのパフォーマンスも兼ねた。
国をまとめ、善政を布きつつ敵国の乱れを待つ位しか
手がないんじゃないか。で、敵国が乱れなければ終わり、と。
勢力が小さければ大きなミスは許されない。
荊州失陥と対呉戦はフォローのしようのない致命傷。
この時の北伐は347の言うとおり豪族に対してのパフォーマンス。
荊州失った時点で天下を狙えなくなり、あとはいかにして自国を長く保つかということ。
北伐は益州の守りを固めること、豪族にいまだ天下を狙う志があることを見せ付ける政治的な役割をもっていた。
>>347 荊州失陥 を防ぐ手立て・・・・・は?
チョウ雲を残すのはダメ(俺って演義・・・・・信用過ぎf^_^;カナ)?
攻勢防御とか政治的パフォーマンスとかの論って、ちょっと失笑してしまうな。
北伐の時って魏が結構やばい時期だと思うんだが(皇帝崩御、敗戦等)、
結構好機なのに、それでも国力を費やしてただ戦争ごっこしにいっただけなのかな?
>>349 最終的に荊州失陥は防げないだろう。
蜀としてもその前の荊州分割協定で譲歩した後だし、あれ以上の譲歩は
難しいだろう。(二方面からの出兵という北伐の基本戦略が崩れる)
呉が荊州について妥協しない限り、いずれ荊州を失うことになっていたと思う。
ただ、失い方とその時期が問題だね。
>>350 まず第一に戦は単一の意味を持っているわけではない。
>348氏が同意してくれたように、国内の結束をまとめることと魏の侵攻を
遅らせることの二つの意味を持っていたと思う。
戦争ごっこと貴方は言うが、蜀はそもそも国として存続するのに努力が必要な国家。
明確な目的を与え、国を一つにまとめるのは国家の存続のために重要な事だと
思うよ。
勝てれば勝つに越したことはないが、相手の存亡に関わるような決定的な勝利は
望めない状況だったと思う。
漢中−長安の補給線を当時の魏を相手に蜀が維持するのは難しいだろうし。
(逆を曹操がやって失敗してる)
それに、地方戦線での敗戦や皇帝の代替わりは国を揺るがすような危機ではない
と思う。
後継で揉めて国が割れでもすれば別だがね。
唯一無二の好機、千載一遇のチャンスだと思ったら、もっと強引な方針で
攻めていたと思うしね。
>>351 荊州は三国争奪地点であるから〜燭ショクが維持するのは難しいのはわかるが(*^o^*)
チョウ雲を残しても無理か(ToT) ??
>>353 1.魏呉が結んだ場合、蜀は兵力面で対抗不能。
同盟の緊密さにも依るが。
これが決定的要因。
2.趙雲は親衛隊長的な役回りであり、方面軍司令官、もしくは軍を率いる
将帥としての力量は不明。
詳細は趙雲スレを参照されたし。
355 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/17 15:26
関羽は能力は問題ないんだが性格がなぁ・・・
呉をあなどりすぎてたんだよな。
こんなにす〜すーげー孔明なんだけど・・・・・
戦上手なら・・・・・
地上では収まりきれない
o(>▽<)oカモ!?
関羽に優秀な軍師が一人ついていれば、荊州はもう少し長く維持できていたかもね・・・
ジョセ、ホウ統などを失ったのが悔やまれる。
まあ荊州をもっている限り呉に狙われるから難しい問題なんだけどね・・・
趙雲も退却戦を無難にこなしたり、
敗戦に褒賞は無用、とか言って軍隊全体を視野に入れた
発言をしたりしてるから、
たかだか親衛隊長程度の才幹しかないというわけでもないと思う。
それでも方面軍司令官とか、大きな戦役のプランを立てたりする
能力があったかといわれればどうかと思うけど。
チョウ雲 >> 関羽
なわけないか(-"-;)
関羽ほど大きいことはできないかもしれないが〜
任されたことを忠実に励むの面ではチョウ雲かと・・・・・f^_^;
>>360 そんなのは関羽も同じだ、大儀親を滅すの言葉を知らんのか。
362 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 14:22
真三国無双のヒットのお陰で諸葛亮神話が崩壊したような気がする。
諸葛亮弱いよ・・
>>362 諸葛亮は文官だぞ、弱いに決まってるじゃねーか。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/25 23:39
>>363 そうなんだけど三国志を知らない奴が諸葛亮って弱いよなって叫んでる
>>364 孔明の本質は防御不能でいきなり相手のゲージを3分の2ぐらい削れる
ところにあるしね。
>>361 (-"-;)
意味
わかない
( ̄Q ̄; ) ( ; ̄Q ̄)
>>367 大儀親を滅す
大儀のためには自分の肉親も捨てること。
>>364 お前らは小泉総理が強いと思ってんのかと逆に問いなさい。
369 :
成三明孔 nimax1-ify.wdy.docomo.ne.jp:02/09/26 04:08
え〜ェ〜と〜ぅ・・・・・
チョウ雲を残した場合・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうなったか
って・・・・・
考えてるのに( ̄Q ̄;)(; ̄Q ̄)
親とか親戚とか
出されても(´ヘ`;)
サムイ
>>369 つまりそれほど関羽が国を思ってたってことだろ。
アフォかお前。
それに趙雲を残すわけがないだろう。
趙雲は魏でいうキョチョだから、そんなやつに重要な荊州をまかすわけがない。
このころ益州を攻めていたから、荊州に留めるのは関羽以外に適任はいない。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/26 23:36
372 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 00:05
>>369みたいなオナニー野郎がいるから、史実と物語の線引きしてやりとりしたら?
寒いのはおまえだ
>>369
373 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 00:28
アフォ晒しage
374 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 00:52
孔明はもうこれ以上議論する意味ないと思うが・・・
375 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 16:34
では、結論としてどうなったんだ?
376 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/29 16:38
>>375 演義派 ⇒ 天才
孔明ファン ⇒ 偉大な政治家
曹操ファン ⇒ 孔明なんかカスだよカス!
の繰り返し・・・・・。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/30 14:12
無双派⇒ ビーム、シャシャシャホウ弱ぇえ
がんも派⇒私怨と妄想で、諸葛亮=ヒトラー
政治の分からない日本人の犬めが!
379 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/30 14:59
魏延は頭の形がおかしいから処刑だッ!
380 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/01 13:00
>>376 結局意味がないよな。同じ事ループしてるだけだし
382 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 23:26
第4次北伐の時に、攻撃してきた魏軍を魏軍の陣まで撃退しているから
原野での戦いは強かったのでは?
>>376 民間伝承派⇒妖怪。
タダの思いつき。ごめん。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/04 23:36
私は国民のなかから生まれた
国民の意思は私の意志であり私の意志は神の意思である
我々は必ず勝つ
国民がそう望んでいるからだ
385 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 12:37
i
386 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 15:56
孔明って政治、戦略では能力があったんじゃないかな?
このころの蜀なんて中原を版図とする魏と国力を比べると
太平洋戦争のころの日米の開きがあるから、生きてるうちに
蜀を滅ぼさなかっただけでもその能力は伺えるよね。
軍事面に関しては、何度も北伐を敢行してるけど、
乾坤一擲の勝負にはでていない。
この辺が孔明の気質をよくあらわしてるのかな。
大国の魏に仕えてたら、より成功したんじゃないかな?
中小企業の蜀なら、もぅと山師っぽい性格の方がよいかも。
387 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/11 16:04
>>386 ネタか?
諸葛亮死後も30年蜀は続くわけだが。
>大国の魏に仕えてたら、より成功したんじゃないかな?
一国の丞相以上の成功ってどんなだ?
孔明は確かに政治・戦略むき。ほうとうが生きていれば、蜀は統一してかもらしい。ほうとうこそが戦の軍師だったらしい
蜀は呉と魏の二国を敵にまわしたら、滅びるしかないよ。
たとえホウ統がいてもね。
391 :
名取鵜魅 旧孔明 ◆NF4P.Pn2hU :02/10/11 17:37
孔明は戦術のほうが優れていると思う。
392 :
名取鵜魅 旧孔明 ◆NF4P.Pn2hU :02/10/11 17:38
孔明はへタレ。それで解決。無駄な議論は止めなさい。
見苦しい。現実を見据えんか。
成三明孔 nimax1-ify.wdy.docomo.ne.jp さん、もうここには来ないで下さい。
はっきり言って、うざい。死ね!
394 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/22 05:48
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395 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 13:53
あ
396 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 14:33
我らがビッグファイアのために!
397 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/30 14:40
孔明最高。ビームとか。
398 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/08 02:26
孔明じゃなくてもいいじゃん
>397
おれってさー、酷い書かれようだけど実際はあんなんじゃないぞ。
費[示韋]や陳祗が止められなかった姜維の暴走をきちっと食い止めたんだぜ。
ついでにあの馬鹿が二度と暴走しないよう罷免してやろうとしたら
あいつ漢中に引き篭もって、下手なことしたら謀反してやるぞ、だってさ。
これだから涼州人は嫌いなんだよ。ちょっと気に入らないことがあったらすぐ謀反だ。
鐘会が攻めてきたときだって、援軍要請を握りつぶしたと書かれているけど
あいつの言うことをそのまま信用しろというのが無理だろ。
軍を送ったらそのまま北伐しちゃうと考えるのが自然じゃない?
もちろん援軍要請がマジだとわかったら、ちゃんと後から張翼らを派遣してやったよ。
手遅れになっちまったみたいだけど、それはしょうがないじゃん?
俺、戦はシロウトだし。精一杯やったよ。ベストとはいわないがちゃんとやったよ。
・・・なのにあの書かれようは一体どーゆうこと? そんなに悪いことした?
それとも姜維に反抗したのがいけなかったの? あいつただのドキュソじゃん!
諸葛丞相のお気に入りだっただけででかい顔しやがった勘違い野郎・・・
あ! そーいうことか!! 姜維=諸葛丞相か!?
くそっ 俺も諸葛亮マンセー主義の犠牲者だったのか・・・
400 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/12 13:46
(* ̄_ ̄)9″400ゲッチュー!!
諸葛亮孔明のいきかたは共感できるか。
少年のころは共感できたが今現在も共感できるか。
意見をお願いします。
まぁ、ゲームの三国志でも
攻撃は最大の防御だ。
>401
共感できないよ。
なんか後半はムキになっていた感じがするし。
そうですか。そうすると曹操の方が今はいいと。
感じている。
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405 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/13 20:14
孔明ウザイ
注:三戦板の恥晒しのことです。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/13 23:01
どうでもいいが
>>34の論は完全に昔のがんもの結果論と酷似しすぎ。
影響されんな。
407 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 00:20
孔明は人を育てるの下手だと思います。
誰か育ったのか? キョウイくらいか?
408 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/14 00:26
芝刈り君育てました
孔明は天寿を全うしただけ偉いと言ってみるテスト
410 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 04:39
あの司馬懿が唯一攻勢に出ることができなかった諸葛亮は偉大です
曹操も人生後半はダメダメだけどな。
ただ若い頃に優秀な配下をかき集めてて良かったね。
412 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/22 17:15
>>410 別に攻勢に出る必要がないからな。
守ってるだけで蜀は滅んでくし・・・
>>412 別に当時は滅ぶ方向に向かってたわけでもないぞ。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 00:06
>>413 でも結局守ってるうちに諸葛亮が死んだろ?
それに蜀と魏じゃ絶対的な国力の差があるから、どっちにしても魏に守られると蜀はどうすることもできなくなるわけ。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 00:14
守りは時に最大の攻めたり得る
416 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 00:22
魏が真剣に
蜀に攻められるとまずい と
思っていたかすら怪しい。
>>414 それはお前結果論だろうが。
とりあえず守ってりゃ相手の国は勝手に滅びるだろうな、
なんて安易な考えはまず起きないよ。
内部で混乱していれば別だが。
>>416 思っていただろ。今、日本が北チョソに攻められたらまずいだろ?
装備的には日本が圧倒しているし、アメリカのバックがあってもだ。
それと一緒。
あと孔明は魏に勝った事もあるんだけど。
負けたイメージの方が強く感じるのは、演義のイメージが強かったせいでは
ないだろうか。
418 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 12:20
ミサイルという防ぐのが困難な兵器があるからだろ
419 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 12:24
>>417 >>思っていただろ。今、日本が北チョソに攻められたらまずいだろ?
>>装備的には日本が圧倒しているし、アメリカのバックがあってもだ。
>>それと一緒。
昔と今は、思考は違うと思う
やられっぱらしだと、民衆も不満に思うだろうし、
志気も下がるだろうし、軍を動かせば金もかかる。
それなりに問題にはしていたんじゃないか?
下手すると、県の住人拉致するし。
421 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 15:41
それなりにね。それなり。
422 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 17:49
脅威というか、「ウザイな」くらいだったと思う
423 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/23 18:48
蜀単体で見たら脅威でも何でもなかっただろう
呉が無かったら速攻で潰されてただろ
>>419とか
>>422とか推測にも程があるだろう。
何を根拠に言ってるんだか・・。
おまえら、魏軍が動くのと、蜀軍が動くのとどっちが金かかるか判ってる?
>>423 じゃあ呉は魏が占領してるんだな?
そりゃ滅亡するだろ。
魏(すぐあと晋)が蜀呑み込めば、すぐに呉が落ちたようにね。
ただ脅威ではあっただろうね。
最後の文はなんかおかしい。
コピペが消えてなかったのか・・? 無視してくれ。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/24 15:46
>424
脅威というか煩わしいって感じじゃないかな?
なにせ鶏肋だし。
しかし、孔明はなぜ孫武が楚を破った策をとらなかったのだろうか?
真正直に攻めすぎだと思う。
鶏肋は負け惜しみ。
>>426 過去の策だからじゃないかな?
既に行われた手段だから、通用しないとふんだのかもね。
>>424 >魏軍が動くのと、蜀軍が動くのとどっちが金かかるか判ってる?
もう少し状況説明キボーン。
蜀軍が動くというのは北伐のように魏領に攻め込むことを指しているとして
比較となっている魏軍が動くというのは、蜀の北伐に対し魏が領内で守備する場合を言っているの?
それとも魏軍が蜀領に攻め込むことを言っているの?
でもどっちにしろ蜀軍の輸送コストってむちゃくちゃかかるんじゃないか?
漢中へ物資送るだけでもものすごいかかりそうだ。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:02/11/25 02:17
>428
小部隊を頻繁に派遣して、
対応に疲れさせると言うのは
過去の策でも有効だと思う。
防衛体制ができているのを承知で
岐山を何度も攻めるのは、ちょっと
効率悪くないかな?
>>428 正攻法こそ最古の策のような。
私が思うのは、孔明の方法は「勝つ手より負けない手。」
至善をつくしたうえで相手の失策を待つ方法。
しかしこれは双方互角か、自分が優位な時に効果があるのであり、
不利な状況を覆して勝つために取る策とは言い難い。
囲碁・将棋ならば勝負手を放つべき場面であるが、これは失敗すると
大敗の原因になりやすい。
ゲームなら「今回はぼろ負けだったけど、次は負けないぞ〜」で済むが、
実戦で大敗すればおそらく次はない。(WWUのミッドウェーのごとし)
この選択は(特に第1次北伐時点では)選べなかっただろう。
だから孔明は当面「勝ちに行く」のを諦め、こちらの不利が帳消しになるくらいの、
相手の大ミスまたは大異変を気長に待つことにした。(徳川家康のような心境か。)
その間、実際的には
>>430の方法は有効だと思うし、現にやっていたと思う。
(同時に魏からもやられていただろうけど)
だが、その程度では蜀内部の統率を保つための「一致団結して北伐」という
スローガンを現に実行しているいうアピールにはならない。
そこでやむなく、少ないチャンスを見つけては実際に軍を動かすという必要が生じた。
しかし相手が大きくくずれる前に、味方にボロが出て退却するあたりを見ると、
治国内政家としての手腕より、軍略家としての手腕を讃える世間一般の評価と
いうのは、あながち外れていないのかもしれないな。
孔明も最後の1回は乾坤一擲に賭けるつもりだったので、長安を衝くルートは
その時まで取っておいたものと思われる。なぜそれが実現しなかったかというと、
自分の後継者と目せる姜維と巡り会えたので、自分の代で無謀な賭をする理由が
なくなったから。……と言いたいところだが、実のところ自分の寿命を見誤った
だけ(もっと長生きできると思っていたら第5次でポックリ)ってとこかな。
以上、長レススマソ。 縦読みじゃなくてもっとスマソ。(w
432 :
無名武将@お腹せっぷく:
なるほど